東方二次小説

2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第3話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年06月22日 / 最終更新日:2017年06月22日

 東風谷早苗はその日、地下に通じるエレベーターに乗り、地底の奥深くに建設された間欠泉地下センターに向かっていた。頻発する怪現象の原因を探るためである。といってもセンターの管理人が粗相を起こしたと疑っていたわけではない。むしろ原因として最もあり得なさそうだから後回しにしていたのだが、他を当たっても手がかりの一片さえ得られなかったので正に藁をも縋る思いで訪問したのだった。
 もしも郷に電気を供給する仕組みが整って間もなくの頃であったならば、早苗は真っ先に地下へ向かっていたはずだ。管理人である霊烏路空は八咫烏の力を備えるだけの素地を持っていたが、力に呑まれて性格が豹変した挙げ句に地底で騒ぎを起こしたという前科を持っており、巫女によって調伏された後もその忘れっぽさと脳天気さで異変までは行かなくても様々な騒ぎを起こしてきた。
 だが数百年の時を経たいま、落ち着きのない性格であることに変わりはないが、度を外さないだけの十分な理性を獲得している。それに妖怪にしては珍しく素直なところがあり、正当な対価と評価を与えればそれを蔑ろにすることはない。彼女の主である古明地さとりは許可なく空に力を授け、利用しようとしたことでかつては守矢を酷く疑っていたが、覚ゆえに物分かりも早く、空が力に見合った役割を得られることを歓迎してくれた。こちらが裏切らない限りは地底も裏切らないという約定を交わしており、そして守矢の側でさとりや地底に属する者を裏切ったことは一度もない。
 それでも地底に住む者たちは気難しがり屋が多いから、こちらの意図しないものを汲み取って機嫌を悪くするということは考えられるし、それがさとりの耳に届いた結果として電力の安定供給を盾に交渉を仕掛けてきたと考えられないことはない。そして空は神奈子から授けられた力を使っているといっても、さとりの命令に逆らうことはない。
「それが真相ならば、やりやすいんですけどね」
 さとりは相手の心を読むという厄介な能力の持ち主だが、こちらに二心がないならば彼女ほど話が通じる者はいない。無駄な疑惑を抱くこともないから然るべき交渉を行い、妥協点を提示するだけで良いからだ。
 物思いに耽っているうち、エレベーターが最下層に到着する。そこにあるのはかつて旧地獄の動力源であった地獄炉を改造した、核融合によって発生する莫大なエネルギーを電気に変換するための装置だ。その名も幻想郷製太陽炉第一号、通称サブタレイニアン・ローズ。現在、郷でいくつか稼働している太陽炉の一つである。プロトタイプであるためか、後に製造されたものと違って神的/魔的/妖的な要素が節操なく組み込まれており、その外観は河童の趣味嗜好が剥き出しとなっている。早苗も設計には一枚噛んでおり、過去に起きた騒動と相まって時を経ても記憶との間に齟齬をきたすことはない。
 レガシーなその造りと遥かな過去をしみじみ懐かしんでいると、遠くからぱたぱたと慌ただしい足音が聞こえてくる。微かに混じる羽ばたき音から、早苗には誰が接近しているかすぐに分かった。
「お久しぶり、えっと……初めましてじゃない人!」
 過去に会ったことがあるのは覚えているが、顔や名前をど忘れしているらしい。前に訪れたのは十年近くも前なのだから、誰だか何となく覚えているだけでも御の字なのだろう。そう結論づけ、早苗は気さくな調子で自己紹介を行う。
「東風谷早苗です。守矢神社の三柱の一つ、と言えば思い出してもらえるかしら」
「ああ、そっかそっか神奈子様と同じ神社に奉られてる人だ。十年と一ヶ月七日ぶりだっけ? お久しぶり!」
「名前や顔を忘れるのに、なんで正確な時間は覚えてるんですか!」
「数字は覚えるの楽だもの」ついツッコミを入れてしまうが、空はさして気にする様子もなく自信ありげに答える。「でも顔を覚えるのは苦手。さとり様は一度会ったことのある人の顔は決して忘れないと言うから、本当に凄いよね」
 主を称揚するその様は実に無邪気で、何かを言いつけられている様子はない。これは大外れだなとすぐに分かったが、かといってすぐに立ち去るのも味気ない。空の方では話したいことがありそうだし、少しだけなら付き合うことにした。
「最近、調子はどうかしら?」
「いつも通りに絶好調よ、それより貴方こそ顔色が悪いけど大丈夫? 風邪とか引いてない? それならこの辺りに漂っている元気な水素一杯の空気が体に良いよ。わたしが頼めばもっと元気にしてあげられるけど」
 太陽を司る神を宿す空なら効果があるのかもしれないが、早苗の疲れや眠気を取る効能はない。だが気遣われているのを無碍に断るわけのも気が引けた。
「最近少し寝不足なの、効き目があるならお願いしようかしら」
 適当な理由をでっち上げてお願いすると、空は右手の制御棒を何度か上下に振る。何かが変わったようには思えなかったが、早苗に期待するような眼差しを向けてくるからきっと変化が起きているのだろう。早苗はわざとらしく微笑み、元気になったことを強調してみせた。
「どうやら水素のほうでも早苗を好きみたい、なんとか元気づけようとしてくれてるよ。水素に好かれる人に悪い奴はいないから早苗は信用できるかな。さとり様は疑わしいと言ったけど、前にもそれで悪い奴を追い払うことができたし」
 早苗は喜んで良いのか分からずに苦笑しかけ、空の言葉の中に引っかかる言い回しがあることに気付く。
「前にもということは、わたしの他にも誰かがここにやって来たのかしら?」
「うん、核融合炉の周りをあちこち探ったり変な動きをしてたよ。どんな奴だったかなあ……」
 雑談を交わして終わりのつもりだったが、思いも寄らぬところから事件解決への糸口らしきものがやってきたらしい。早苗は逸る心を抑えながら、記憶を手繰ろうとしている空の様子をじっと見守る。ここで声をかけるなどしたらぷつりと記憶が途切れる可能性があるし、下手をすれば予断が植え付けられてありもしないことを思い出すこともある。他者から話を聞き出すならば、余程の急場でない限りは思い出すまでじっと待つ方が良いのだ。
 その甲斐あって、空は十分ほど己の記憶と格闘したのちぽつぽつと話を始めてくれた。
「今から十九時間くらい前のことだけど、えっと……ああそうそう、その不審者だけど触覚のようなものが生えてた」
 触覚が生えているなら妖怪の可能性が高い。だが触覚持ちは妖怪なら割と珍しくない特徴でもある。翼持ち程ではないが、正体を特定するまでは至らない。なおも記憶が蘇るのを待つことしばし、空はぽんと手を打った。
「あとね、追い出そうとしたら光る虫を放って抵抗してきたよ。変なことをするやつだなと思ったな。顔はあまり覚えてないけど、あいつはきっと虫使いに違いない」
 そこまで聞かされたら早苗でなくても触覚持ちの正体にぴんと来るものは多いはずだった。虫使い、それも光る虫を操るとなれば該当者は一人しかいない。不審者の正体はリグル・ナイトバグを名乗る虫の妖怪に違いなかった。
 彼女は幻想機械解放同盟に身を寄せている食客妖怪の一人であり、その力を専ら益体もない嫌がらせのために使い、妖精を除けばいつもいの一番で巫女に追い払われている。各地に根城を持つ妖怪のように強い力を持たず、確固たる信条を持たない木っ端妖怪の一人であり、妖精より扱いやすいからと使い走りに使われているとの話を聞いたこともある。
 今回の事件とどう繋がってくるのか現状ではよく分からなかったが、このことは一応、心の隅にでも置いておくことにした。
「どうやらきちんと仕事をしているようですね、これからも励んでください」
「うん、しっかりとわたしに任されると良いよ」
 奇妙で尊大な物言いだったが、空が口にすると全く嫌みなところがなく、信頼されるのが嬉しいと言わんばかりだった。長い年を経てなお屈折せず、素直であるというのは美徳の一つであり、すっかり神としてねじ曲がった早苗にその在り方は少しだけ羨ましいと感じられた。
「あっ、そうだ。神奈子様に会ったらまた将棋の相手をしようと言ってくれないかな。ここにやって来る河童と来たらみんなてんで弱くて楽しめないんだもの」
 早苗はその言葉に目をぱちくりとさせてしまった。河童は将棋の打ち手として全体的に優れた種族であり、いくつも冠を持っている人間の名人でもなければ太刀打ちできないはずなのに、そんな河童をあっさりねじ伏せられると宣言したからだ。神奈子はそんな河童相手にも勝利を取れる数少ない打ち手であり、だから河童の間では将棋の神様として奉られることもある。それほどの相手でなければ楽しめないとなると、空もまた規格外の打ち手であるということになる。
「分かりました、話してみますよ」
 空が嘘を吐くとは思わなかったが、俄に信じ難い話である。神奈子に訊けば分かることだし、他に考えることもあったから早苗はこの件はひとまず保留としておいた。
 
 間欠泉センターを後にし、地上に出ると早苗は少し迷ったのち博麗神社へと向かう。といっても霊夢に先程得た情報を話すわけではなく、守矢の分社がある一番近い場所だったからだ。今回の件に開放派が絡んでいるとなれば、いち早く報告する必要があると感じていた。
 少し前までだったら捨て置いたが、彼女たちの行動はいまや早苗たち山の重鎮のとっても無視できないものとなっている。西の湖に突如として現れた歯車の塔、魔法の森に現れた鉄の龍、ともに彼女たちは真っ先に辿り着いているからだ。それに結界の管理人である八雲紫からもあいつらの動向に注意しろと直々に連絡があった。
「あの子は少しまめ過ぎるのが玉に瑕かな」
 早苗が郷にやって来た頃に出会った紫はもっとどっしり構えていたし、誤解されることさえ逆手に取ることのできる、いわゆる黒幕体質の妖怪だった。対して今の紫はいちいち甲斐甲斐しく、各方面への対処と配慮を怠らない。式神を上手く使ってもっと楽をすることもできるはずなのに、いちいち出張っては陣頭指揮を取りたがる。
「わたしも人のことは言えませんけどね」
 地下間欠泉センターの調査だって、常勤の河童に命じれば済む話だった。それでも無性にそわそわしてしまい、こうして自分で足を運んでしまった。
「まあ、どっしり構える仕事は神奈子様や諏訪子様が見事にこなしていますし、わたしが動く分にはさして格も下がらないでしょう」
 それで良しとして早苗は神社の側まで来ると、霊夢が外に出ていないか、風を操って気配をそっとうかがう。庭にいる様子だから少し待とうかと思ったら、風を通して何者かと会話しているのが聞こえて来た。霊夢は何やら怒っている様子であり、早苗はそっと聞き耳を立て、会話の一部始終を盗み聞きすることにした。割と短気な性格ではあったが、いつ参拝客が訪れて来るかも分からない境内で怒鳴り散らすのは珍しい。だから余程の相手か、もしかしたら逢引の果ての修羅場ではないかと勘繰ったのだ。
『あんた、一体何を企んでいるのよ!』
『あら、企むとはまた随分な言い方ですこと。わたしはただ幾許かの助言を与えに来ただけだというのに』
 霊夢の話し相手の声に早苗の心臓がどくりと音を立てる。長らく出会うことのなかった昔馴染みだと分かったからだ。しかし懐かしさは全く感じなかった。それどころか胸中に満ちるのは戸惑いばかりだった。何故ならば彼女はとうの昔に喪われた存在だからだ。
『変な機械を次々と呼び寄せて、わたしがあたふたとするのを楽しんでいるのね。そこに直りなさい、今からその性根を叩き直してやるわ』
『あらあら、怖いことを言うのね。最近の巫女は妖怪に濡れ衣を着せてまで退治しようとするのかしら』
『濡れ衣ではないと言うならば証拠を示しなさい』
 霊夢の剣幕に、話し相手はしばらく無言だった。早苗が想像している通りの相手ならば、虚偽であれ詭弁であれすぐにでも用意できるはずなのだが、沈黙を保つということは声だけそっくりの偽物なのだろうか。それとも巫女の前だから勿体ぶっているのか。どちらにせよ、沈黙は霊夢が痺れを切らす前に破られた。
『被告が無罪であることを証明する必要はないのだけど、今回は特別よ。なにしろ可愛い霊夢の言うことなのだから』
『あんたの言う霊夢はわたしじゃない』霊夢の切り返しに、話し相手の声がぴたりと止まる。『お前はあのちっちゃな紫の前に八雲紫をやっていた妖怪に違いない。かつての霊夢が生きていた時に悪いことを沢山したのでしょう?』
『あら、悪いことをしたって何故分かるの?』
『もちろん勘に決まってるけど、今回ははっきり当たっていると確信するわ。だってあんたの前に立っているだけでこんなにも腹立たしいんだもの』
 それは違うと言いたかったが、盗み聞きをしている以上は口出しすることもできない。もどかしく思いながら更に様子をうかがっていると、紫を名乗る妖怪はいきなり爆弾発言を放って来た。
『わたしはこの異変の元凶を知っている。それを貴方に教えてあげると言ったら少しは信用してくれるかしら』
 早苗は思わずごくりと唾を飲む。彼女がもし旧いほうの紫だとしたら一筋縄ではいかないし、ここであっさり本当のことを喋るとも思えない。だが早苗はもしかしたらがあるかもしれないと考えていた。紫とかつて霊夢を名乗った博麗の仲を知っているからだ。今の霊夢はかつての霊夢とよく似ており、妖は気負わずに過去を思い出せる環境を好む傾向にある。八雲紫ほどの妖怪といっても手心を加える可能性は十分にあった。
『嘘を吐いたら針千本投げつけるわよ』
『うふふ、良いわ。では答えを教えてあげる。この郷で幾度となく繰り返されている太陽の消失、ならびに機械の異常停止を引き起こしているのは……ずばり、月なのよ』
 あまりに当たり前のことを口にしたからだろう。生まれた沈黙はしばらく続き、早苗の心中に失望の二文字が徐々に広がっていく。
 守矢神社でも月らしきあの球体は何度か観測されており、早苗も一度ならずそこへ辿り着こうとした。だがいくら試しても到達することは叶わなかった。だからこそ手掛かりを求めて太陽炉の管理状況を早苗自ら一つずつ確認して回ったのだ。最初から月を目指すことができたら苦労はしない。
『まさか、それだけなの?』
 沈黙から立ち直った霊夢がようやく口を開く。早苗もその場にいたら間違いなく霊夢に加勢していたはずだった。
『ええ、かつて偽りの月が空に浮かんだとき皆がやったように夜を永遠のものとし、その一夜をもって月を異変の元凶とするの。その儀式を行うのにうってつけの日はいまや目前に迫っている。良いこと霊夢、この現代に永夜異変をもう一度始めるのよ。そのためのお膳立ては着々と整えられつつある』
『それって一体どういう……あっ、もう!』
 霊夢の憤りぶりからして、紫は姿を消したらしい。早苗のよく知る人をくったような神出鬼没ぶりである。
 欲を言えばもう少し色々と聞きたいこともあったが、あの月を何らかの要と考え、巫女を差し向けたがっていると分かっただけでも十分な収穫だった。
「それにしても永夜異変とは……わたし、その頃はまだ郷にいなかったからあまり知らないのよね」
 兎にも角にも奇妙な事件であったこと、その中心に永遠亭があったことくらいは知っているが、当時の書籍を追っても何が起きたかはっきりしなかったのだ。あの八意永琳が立てた計画なのだから複雑かつ壮大で当然だし、異変の解決として取られた方法も実に独創的でかつ生半可な理解を許さないところがあった。
 稗田の屋敷で改めて、当時の縁起を借りようかなと思ったが、すぐに気が変わった。教えてくれそうな存在が背後に現れたからだ。
「聡いのは耳だけではないのね。すっかり神様が板についてゴシップにも油断することがない」
 くすくすと、紫が微かに笑い声を立てる。ジョークを口にしたつもりのようだが、早苗にはさっぱり理解できなかった。
「それで、巫女をけしかけて何をするつもりですか? 何も知らない彼女を死地に向かわせるつもりならば、少々お灸を据えなければなりませんが」
 弾幕から遠ざかっていたことに加え、あの八雲紫が相手となればそれも難しいことだが、霊夢につく悪い虫は追い払わなければならない。
「遠慮しますわ。残念ながら今のわたしでは七百年近くも信仰を集めて気力十分な神には到底敵いませんもの」
 そんなまさかと思いながら振り向き、かつて境界の賢人と呼ばれた妖怪の姿を久々に目に映そうとした。そこにいるのは無数の境界をはらんだ魔人であるはずだった。
「お久しぶり……あら、どうしたのかしら。随分と驚いているけれど、わたしの惨めな姿がそんなに可笑しいかしら」
「……七百年でもそこまでしか回復しなかったの?」
 姿形こそ八雲紫だが、そこにいるのは継ぎ接ぎの体を境界によって繋ぎ合わせたとても不安定な存在だった。その痛ましさに思わず目を細めてしまうほどだったが、紫はそんな様子にも頓着する素振りは見せなかった。
「一度は最小単位で分解されたんだもの、ここまで回復しただけでも僥倖と思わなければ」
「最低限の力を振るえるところまで回復したからこそ、己の力を示そうと再び表舞台に現れたいうことですか?」
 口にしてみてすぐにありえなさそうだと考えたのだが、紫は不敵な笑みをもって早苗の推測と心情をかき乱そうとしてきた。
「名代がこれまで立派に勤めを果たしてくれたから、誰彼煩わされることなく休暇を取ることができたわ。正直言うと七百年程度では足りないのだけど……何しろ数千年も休みなく勤めを果たしてきたわけだし、死ぬほど痛い目に遭ったし。あと三百年くらいは有給をいただきたいところね」
「では存分にお休みになってください。あちこちに波乱を振り撒くのは、特にあのお騒がせ集団に与することはやめていただきたいものです」
「お騒がせ集団ぶりならばかつての貴方たちも大概だったけど」
「茶化さないでください。奇妙な機械を次々と呼び寄せ、それを解放派に真っ先に手に入れさせようと情報を与えているのでしょう?」
 これまでずっと謎だったことも、彼女が裏で糸を引いているならば一応は納得できる。だがそんなことをする動機が早苗にはまるで分からない。八雲紫は動機なしに何かをする妖怪ではなく、裏に秘め事を張り巡らせているはずだった。
「何のためにそんなことをするのですか? これも答えによってはきつい仕置きを与える必要があります」
「ふむ、まあ別に隠すほどのことでもないから言うけれど、わたしは天下の擾乱(じょうらん)というものをやりたいの。ほら、わたしったら散々黒幕黒幕と言われ続けてきたじゃない。実際は異変の元凶だったことなんて一度もないのに。それはなんとも忸怩たるものがあると今更ながらに思ったわけ。どう? 納得していただいたかしら」
 涼し気な口調でそんなことを言われても信用できるものではないが、紫は誰にでも信じてもらえるとばかりの態度と如何わしい言葉をもって早苗を挑発するのだった。
「だからわたし、これからは黒幕系妖怪を目指すことにしました。よろしくお願いしますわね」
 早苗は答えの代わりに無言で御幣を構える。亡き者にするまではいかないにしても、境界を操るその力を十全に振るえない程度には痛めつけておく必要があると感じたからだ。
「あらあら怖いこと。かつてはアスパルテームのように甘い娘っ子だったというのに」
「その言葉、甘んじて受け入れますよ。そして今のわたしは性質の悪い古狸を退治するのに何ら憐憫を覚えません。その身に苦い痛みをたっぷり味わわせてあげます。あるいは何か申し開きが?」
「わたしが致命的に害されれば、世界の秘密が詳(つまび)らかにされることになるわね」
 誰もが慎重に避けて通るべきことを紫はさらりと口にする。それを盾にされると早苗には何もすることができない。
「ごめんなさいね、この手の脅迫は本来スマートさに欠けて好みではないのだけど」
 早苗は御幣を構えたまま歯噛みし、それから振り上げた武器をそっと下ろす。それをやられるくらいなら、まだ機械を次々と呼び出されて郷を乱されるほうがましだ。
「約束が違いますよ。それはあと三百年は明かされないはずなのに」
 理屈では分かっていても恨み言の一つでも口にしたくなるくらいには納得がいかなかった。千年というのは目の前にいる彼女が出した条件だからだ。科学の発展を慎重に御し、自然と科学、人間と人外の調和が取れた郷を築くのに千年かかるだろうというのが彼女の見積もりだった。
 対する紫の答えには、溜息のような失望が現れていた。
「たった三百年、と言いたいところね」
 その言い方で早苗には紫が何をしでかそうとしているのか、何となく検討がついた。彼女は守矢の仕事にけちをつけようとしているのだ。
「貴方の言わんとすることは理解できました。ここで調伏できないのがつくづく残念ですよ」
 早苗が嫌がる様子を見ても紫はにやにやと猫のように笑うだけだった。性格が悪いとはかつて常々思っていたが、それを改めて突きつけられた形だった。
「さて、双方の見解を示し合わせたところで本題と行きましょうか」
「本題……先程までの話は前座程度ってわけですね」
「退屈はしなかったでしょう?」紫は悪びれずにそう言うと、その顔から笑みをすうと消した。それだけで早苗の背筋が自然にぴんと伸びる。「あんなことを言っておいてなんだけど、今回の件はわたしの与り知らぬところで起きているの。あれは侵入を一切気付かせることなくするりと忍び込み、また手出しをすることができない状況なの」
「あの月に対するアプローチならわたしも試みましたが叶いませんでした。目指そうとすると欺かれるんです」
 上昇しているという感覚は確かにあるのに、ふと気がつくと地面に立ち尽くしているのだ。普通に空を飛ぶことはできるのに、あの月を目指すような行動を少しでも取ると、途端にキャンセルを食らう。性質としては迷いの竹林にかかっている惑わしに近いものがあり、五感にダイレクトな妨害を仕掛けてくるのだと予想されたが、解除の目処は立っていないというのが現状だった。
「かつて郷に張られていた結界もまた同種のものだったし、あの程度の錯誤なら今のわたしでも突破するのはわけもない。それでも辿り着くことができなかったの。ほとんど必然と言って良いような偶然が次々と降りかかり、どうしても接近できないのよ。あれには二重の誤魔化しがかけられているに違いない。もう一人の紫も突入には失敗したらしいし、彼女が有している式神をけしかけても同様の結果に終わった。こちらが動くだけでは状況の動かしようがなさそうなの」
「だから巫女をけしかけようとしてるんですか?」
「その通りよ。あの子はわたしの愛した霊夢ほどではないけれど、真相に向けてあらゆるものを貫き通す力がある。それにこの郷で祭りを起こすならば、博麗の巫女がその中心に立たない道理はない。もちろん守矢の巫女も賑やかし程度で参加する分には歓迎するけど」
「風祝です。あの子は……まだ早いと思うのだけど」
「年の近い霊夢があれほど活躍しているのに早いも何もないでしょう。それに祭りは騒がしければ騒がしいほど良いの。かつて月にまつわる異変が起きた時、そうだったように」
 紫は一瞬だけ遠い所に視線を寄せる。過去を覗き見るその視線は幾許かの喜びと、そして数倍の寂しさに彩られているように見えた。
「やることが一つしかないならば、せめて過程だけでも楽しまなければ。それがこの郷の流儀だと思うのだけど」
 それについては早苗も紫の意見に同感だった。そんな場所だからこそ早苗はかつてここで居場所を見つけることができたのだ。
「分かりました。わたしからも打診してみます」
 それに早苗も内心では過保護ではないかと思い始めていたのだ。しかし他の二柱は何故か風祝が異変に関わろうとするのを許さない。
 身内に対してある程度の優しさは見せるものの、必要と感じれば風祝を調査に遣わせるし、危険な場所へ赴くように指示をすることも躊躇わなかったのだから、過去を振り返っても類を見ないほど優秀な風祝を、たとえ年端もいかないと言えど使わないはずがない。だから何らかの意図があるのだと思い、早苗もこれまで強くは具申せずにいた。
「だが、貴方の思い通りに動くとは考えないことです。あとは郷に仇なす動きを見せたら、先程の脅しなど障子紙一枚程もその身を護らないと心得なさい」
「ふふ、承知したわ。それでは、伝えることも伝えたことだし、わたしはこれでお暇したいのだけど」
「その前に一つだけ聞かせて欲しいことがあります。貴方は今回の騒動を起こした元凶に心当たりがあるのですか?」
 半ば勘のようなものだったが、紫はそのことを自分に隠しているのではないかと感じたのだ。
「辿り着くことはできなかったと言いますが、その正体をその目にすることくらいはできたとわたしは考えています。それすらも教えてもらえないと言うのですか?」
「予断を与えたくないの。貴方の言う通り、わたしは月ではない形のものを見た。それは虚飾のない姿であるかもしれないけれど、わたしを欺き、郷全てを欺くものであるかもしれない。意地悪するわけではなく、罠を怖れてのことなのよ。分かって頂戴」
 胡散臭いことこの上ない相手だというのに、早苗は紫のことをそこまで疑うことができなかった。言葉の端々から二心のないことを無意識に感じているのか、それとも早苗の勘が正しいと訴えているのか。どちらにしても早苗は頷く以外の行動を取ることはできなかった。信用できるにしろできないにしろ、ここで首根っこをつかんでいくら振り回しても、彼女から情報を得ることはできそうにない。ならば彼女の言うことにひとまずは乗っかってみようと思ったのだ。
「健闘を祈るわ。はてさて、鬼が出るか邪が出るか、それとももっとへんてこなものが出てくるのかしらね」
 紫は他人事のようなことを残し、するりと姿を消す。この胡散臭さ、胡乱さはかつての紫そのものであり、だとしたら彼女の言葉を丸ごと信じるのはやはり危険なのかもしれない。なんともままならない気持ちにさせられる存在だった。
 早苗は強引に気持ちを切り替えると再び聞き耳を立て、霊夢が分社の近くにいないことを確認すると入口を開き、戸を潜る。己が分かたれ、ばらばらになる気持ち悪い感覚に耐えることしばし、早苗は守矢神社に辿り着く。まだ秋も始まったばかりだが、妖怪の山の中腹ともなると気温も随分と低く、二柱の動きもはっきりと鈍くなる。案の定、二柱は暖房の効いた部屋でぬくぬくとした面持ちを浮かべていた。
 こんな時だというのに暢気なことだがこの腰の重さに呆れていては守矢の風祝は勤まらない。早苗はとっくの昔に引退した身だが、二柱のこのような姿を見るたびかつての気持ちが少しだけ甦ってくるのだった。
「おや早苗じゃないか。障子戸を早く閉めておくれよ、風が入ってきてしまう」
 諏訪子の言葉に神奈子は同意するように強く頷く。早苗は言う通りにしてから「少しお時間をよろしいでしょうか?」とうかがいを立てる。立場の上では同じ守矢の柱なのだから畏まる必要は全くないのだが、数百年の時を経た今でも早苗は二柱への敬意を失っていない。そのだらしなさに溜息をつきたくなることはあるが、それはそれ、これはこれである。
 早苗は正座して背筋を伸ばし、二柱に相対してから事の次第をかくかくじかじかと語る。
「ふむ、現在活動中の太陽炉は全て正常。河童の水上発電所も問題なしか。まあ、さして疑ってはなかったけど。インフラの安定度はかつての日本と比べても遜色ない、ないし上回るように作られているし、原因不明の故障が頻発するなんて普通ではありえない」
 神奈子の意見には早苗も異論はない。諏訪子もいつもならば些細なことで神奈子の逆を張ろうとするのだが、今回はそれすらもなかった。だから電気系統に故障がないというのは前提として良さそうだった。
「電力の供給いかんに拘わらず、機械のほうが止まっていると考えて良いようだね。それもまた同じくらい奇妙な現象だが」訝しげな様子の神奈子に変わり、今度は諏訪子が早苗に質問を飛ばしてきた。「以前の報告によれば、止まる機械とそうでない機械があったみたいだけど」
 諏訪子の質問に、早苗はこれまで報告のあった停止、ないしその見込みがあるとされる機械を読み上げていく。
「カメラ、ビデオデッキ、ビデオカメラ、これらは新品の電池、満タンまで充電されたバッテリーを装填していても全く動きませんでした。河童からの報告によれば電子望遠鏡の類も作動しなかったみたいですね。あとは電気仕掛けでない望遠鏡や双眼鏡も使えなくなっています。それから蛍光灯、懐中電灯、街灯も全滅しましたし、電話もほぼ不通となるようです。テレビやラジオは動く時もあるけど挙動は極めて不安定。パソコン、サーバ、停電時電源装置の停止が巻き起こした惨状は神奈子様も諏訪子様も既にご存知の通りかと」
 サーバが停止するごとに河童がてんてこまいになり、昼夜を問わず連日の対応も甲斐なく、幻想郷に構築されたネットは徐々に死につつある。文がネットにニュースを投稿できないとぶつくさ言っていたし、早苗もそれで幾許かの不利益を被っている。
「冷蔵庫、電子レンジ、オーブンといった調理機器は問題なく動いています。洗濯機、乾燥機、掃除機も問題なし。後は工場の機械もコンピュータ管理されてないものは動き続けたという報告を受けています。特筆すべきは医療機関など電気の供給が止まれば人命に関わるようなことを管理する施設の機械は、用途が限定されていればコンピュータ制御でも動いていたということです」
 それは不幸中の幸いだが、同時にこの現象が決して自然現象ではなく、意志をもって引き起こされていることを明確に示していた。
「雑な括りとなるが、観測や分析、情報の拡散を実施するような機械を止めたいという意志を朧気ながら感じるね」
 早苗は諏訪子の意見に同意半分、疑問半分といったところだった。傾向は分かってもその意図が全く分からないのだ。人命に配慮されている辺りは友好的であるとも言えるが、それなら早々にこちら側との接触を図りに来ても良いはずだ。それができないのは何らかの後ろ暗い事情があるに違いないというのが早苗の見立てだった。
「わたしも神奈子もまたぞろ解放派の悪戯か、それにしてもやり口が酷いから今回ばかりはきつくとっちめなければいけないと思っていたが……まさか隠居したはずの隙間妖怪がしゃしゃり出てきて、月を目指せだの祭りを開けだのと言い出すとは」
「しかも彼女が御しきれない事象となれば、いよいよ面倒なことが起きていると考えるべきだな。偽物の月、永遠亭の周囲を覆う竹林に似た認識阻害型の結界、となれば月の仕業を疑ってもみたくなるが」
「しかし神奈子様、月だなんて!」かつての郷ならともかく遷移を果たしたこの郷に月の影響力が及ぶだなんて、少なくとも早苗には考えられなかった。「凋落の果て、置き去りにされたあいつらに一体、何ができましょう」
「確かに凋落したが……だからこそ最後の一糸をこの時代にまで放ってきたとも考えられる。月は不穢の楽園にて超科学が台頭するもう一つの幻想郷であったことを忘れてはならないよ」
 神奈子の厳しい言葉に、早苗は項垂れるように俯く。
「もちろん、あの隙間妖怪が嘘や出鱈目を語っている可能性も十分に考えられる。ただ他に手の打ちようがないのだから、こちらとしては祭りとやらに乗っかるしかないだろう。主導権を握れないのは忌々しい限りだが」
「なあに、それなら強引に主導権を握り返してやれば良いのさ。かつて神奈子が中央からやってきて、政をわたしから分捕ったように」
 神奈子は一瞬だけこの野郎と言いたげな怒りを示したが、軽く息を吐いていなす。諏訪子はけろけろと蝦蟇じみた笑い声を立て、場の緊張もようやく少しずつほぐれていった。
 あのことを話すなら今だと思い、早苗は宿題を持ってくるのを忘れた生徒のようにおずおずと手を上げる。
「あの、一つよろしいですか。あの子についてはどのように扱いましょうか」
 紫は当代の風祝である佳苗を担ぎ出して欲しそうなことを口にしていた。だからどうしても話し合わなければならない一件だったが、二柱はこれまで佳苗がいくら嘆願しても、早苗がそろそろと仄めかしてもまだ早いの一点張りで、聞く耳を持っていなかったし、説得は難儀すると考えていた。
「調査に必要なら連れて行くと良い」
 だから神奈子より拍子抜けな答えが返ってきて早苗は頭の中が真っ白になってしまった。
「ん、早苗ったらどうしたの? 許可が出たんだからもっと喜べば良いのにさ」
 しかも諏訪子まで同意見であると知り、早苗はいよいよ困惑するしかなくなっていた。
「いや、だってこれまで散々反対してきたじゃないですか」
「そりゃそうだ、未熟な上に危なっかしいときたらそれなりの腕前を持っていたとしても、妖怪退治や異変解決なんて出せるものかね」
「しかもあの子の信仰は守矢になかった。いくら畏まった態度を取られたところで、それでは守矢の特攻隊長……もとい風祝として出せるはずもないというものだ」
 神奈子の言い方も辛辣だが、諏訪子の信仰がないという分析は更に手厳しいものだった。だが佳苗の本質を残酷なほどに指摘していることは早苗にもよく分かっていた。
 彼女が本当になりたかったのは守矢の風祝ではなく、博麗の巫女だ。それは郷で最も霊力の強い人間だと認められることであり、将来の風祝という定まったレールから逸脱する数少ない方法の一つだった。だが選ばれたのは佳苗ではなく、霊夢の名を継いだ彼女であった。その事実に佳苗は強い衝撃を覚え、そしてその原因を自分以外に求めるようになってしまった。きっと彼女の周りが下手な慰め方をしたのだろう。
佳苗が守矢神社にやって来たとき、そうした感情はすでに完成していた。だからずっと佳苗にとって守矢神社、ひいては妖怪の山全体が緩やかな牢獄のようなものだった。早苗がいくら宥めても大きく改善されることはなく、半年くらい前まではずっと気まずい関係が続いて来たのだ。
「しかしここ半年の間に状況は一気に改善された。自分だけを信仰していた彼女が、早苗だけでなくわたしや諏訪子を信仰するようになった」
「やはりあの年頃の少女は年の近い友人というのが一番の薬なんだねえ」
 それは一種の天啓に近いものだった。半年ほど前、春を奪う機械とともにやって来た少女が佳苗の友人になってくれたのだ。早苗はこれまでずっと、博麗の巫女とのわだかまりを解くよう努めてきたので、棚からぼた餅のような解決に複雑な気持ちを覚えてしまったが、すぐにこれもよしと考え直すことにした。縁というものは神様にすら計り知れないところがあるし、それがお互いにとって良いものならば素直に認めるべきなのだ。かつて早苗も己の縁を受け入れてくれた人がいたからこそこうして今も柱の一つとして存在している。
「彼女の所に行ってこう伝えてやりなさい。貴方の初陣は守矢の三柱が最大限に祝福するものになるでしょう、とね」
 早苗は不敵な笑みとともに大きく頷く。正直なところ少しだけ心配だったが、他の二柱が許したのに自分だけ止めるのはいかにも情けない態度だったから、それは口に出さずにおいた。
 そのときちょうど、外から佳苗の元気な「ただいま!」の声が聞こえてくる。だから早苗も席を立ち、朗報を伝えに向かうのだった。

 
 
 

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