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2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第20話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年11月09日 / 最終更新日:2017年11月10日

幻想の静止する日 第20話
 眼球のような浮遊物体に追われている正邪が側にいても、道案内用と思しき壁の灯りは消えることなく霊夢を目的地に誘導してくれるようだった。だが紅魔館の目印と違い、突然ルートが変更されたり、奇妙な点滅を始めたりと実に忙しなく、度重なる急停止と急発進を余儀なくされるのがなかなかに難物だった。。
「妙な反応だろ? まるで建物自身に意志があるようだ」
 必死に空を飛ぶ霊夢をよそに、正邪は天井をてくてくと駆けながら声をかけてくる。話は逃亡がてらにすると言っていたが、あの浮遊物体は実にしつこく追跡を駆けてくるし、まっすぐ逃げているとすぐにレーザーを発射してくるから上下左右にじぐざぐ動き、的を絞らせないようにしなければならない。狭い通路を飛ぶだなんて慣れないことを強いられている上に、何者かの案内もまともに覚束ない様子でこちらから声をかける余裕は一切なかった。
「おまけにどこまで行っても道が終わらない、どこかに通じるドアはあちこちで見かけたけどどれも開かないときたものだ。わたしたちは一体どんな場所に迷い込んだのだろうね」
 正邪は追いつめられかけていたというのに、現状を愉快そうに受け止めていた。天の邪鬼は真逆の行動を取り、逆しまの感情を操るのだから実際は酷く焦っているのかもしれないが、その素振りを見せることもない。
「ところでそろそろ逃げるだけじゃなく撃墜して欲しいんだがね。鬼ごっこはもう飽き飽きしているところだ」
「虫との戦いで全部使い果たしたわよ!」
 それだけをなんとか口にすると、正邪はひゅうと口笛を吹く。
「使い果たしたけど生きてはいる。ということは郷全体に虫を派遣できるような力を持つ妖怪に勝つか、引き分けるかしたってわけだ。そいつは凄いじゃないか」
 天の邪鬼に誉められてもちっとも嬉しくなかったし、彼女のほうで追ってくる浮遊物体を撃ち落とすつもりは毛頭なさそうだった。特に動きが速いわけではないが、隠れる場所も何もないのなら、空飛ぶ霊力すらも尽きて目から発射される熱線でこんがりと始末されてしまうだろう。それは妖怪に殺されるよりもなお嫌な末路だった。
「なあ、道案内してくれるのはありがたいけど早く助けてくれよ。このままじゃ二人ともお釈迦になってしまうんだがね!」
 正邪が誰ともなく叫ぶと、その声に答えたかのように開いたままのドアが見えてくる。霊夢と正邪が慌ててそこに駆け込むとドアは素早く締まり、浮遊物体の追っ手が迫って来ることもなかった。
 ようやく危機が去って一息ついたのも束の間、根本的な解決には至っていないことにすぐ気付く。ここは意識を取り戻した霊夢がいた部屋であり、元の場所に戻ってきただけなのだ。当然ながら他の出入り口はどこにもない。案内用の灯りを辿っていくにしても、正邪が隣にいれば外に出た途端にまた浮遊物体の群れに襲われる可能性が高い。
「わたしは案内されているから外に出ても大丈夫だと思う。話をつけてきてあげるからあんたはここに隠れてなさい」
 正邪は信用ならないなあと言いたげな視線を向けてきたが、それしかないと分かってもいるのだろう。すぐに観念してベッドの縁に腰掛ける。これで大丈夫だろうと霊夢は自動ドアの前に立ったが、先程はすんなり開いたドアがぴくりとも動かない。もしかすると不法侵入者の仲間だと勘違いされ、一緒に監禁されてしまったのだろうか。
 そんな危惧を打ち消すかのように、部屋の天井から突如として声が響いてきた。
「あーあー、テステス。聞こえますか? 聞こえますか? 聞こえるならば返事をお願いします。そちらの言葉はおそらく通じるはずなので」
 若い少女と思しき声だった。マイクや受話器の類がどこにも見当たらないのは面妖だが、双方向に会話できる仕組みがこの部屋には備わっているらしい。もしかしたら姿を映すカメラもどこかに設置されているのかもしれないが、今はそれを探している場合ではなかった。
「聞こえてるわ。貴方、この建物の案内係か何かなの?」
「ええ。案内係兼、操舵員兼、その他諸々、そしてこの船の長でもあるわね」
「船の長……この建物は何かの乗り物ってこと?」
 霊夢はこんなにも広い乗り物なんて見たことがなかった。命蓮寺がかつて巨大な船だったという話を聞いたことはあるが、それに類似した存在なのだろうか。だがそれにしては河童の作った機械のように無機質な造りである。これは未知の構造体であるという予感がしたけれど、推測を巡らせる必要はなさそうだった。この声の主ならば、霊夢の疑問にも答えてくれるに違いない。
「ゆっくり話ができる場所まで案内しようと思ったけど、侵入者の排除装置とかち合ってしまったみたい」
 霊夢は正邪をじろりと睨みつける。やはりあの浮遊物体は正邪が何かをやらかしたために襲ってきた警備用の装置か何かだったのだ。
「わたしは別に何もやってないぞ。不法侵入は確かだが、わたしだってこの中にどうやって乗り込んだかはさっぱり分からないんだ。それなのに追いかけ回して」
「その件については謝るけど、でもあなただって悪いのよ。折角案内板を出してあげたというのに、反対方向に歩き出したんだから。何か疚しいことがあると考えてもおかしくはないと思うのだけど」
 常道に逆らう天の邪鬼の性格が良くない結果を生んだらしいと分かったが、それはやむなしという気持ちもあった。霊夢でも従って良いかどうかは結構迷ったし、精神状態が今と違っていれば罠だと判断したかもしれない。
「言葉も通じない匹夫の輩ではないと分かったから良しとするか。不法侵入も今は不問としましょう。排除プログラムは切ったから部屋を出て、今度はきちんと道案内に従って進むのよ。この船は言うこと利かない奴を排除する仕組みが他にもごまんとあるから。貴方のお仲間たちのように、礼儀正しく来て頂戴、分かった? では一旦、通信終わり」
 お仲間というのが誰なのか聞きたかったが相手は一方的に通信を切ってしまい、いくら呼びかけても返答はない。これは招きに応じて彼女の元まで足を運ぶしかなさそうだった。
「というわけで休憩は終わり、さっさと立って、これから謎の人物に会いに行くわ。行きたくないならそこで休んでいても良いけど」
「冗談じゃない、付いて行くさ」正邪は天の邪鬼を発揮して乗り気で立ち上がる。霊夢としても付いてきて欲しいからあんな言い方をしたのだが。「それにしても船長とは。もしかすると聖輦船クラスの聖遺物なのかもしれないな。そんな船を操る長とは一体どんな奴なんだろうな?」
「さあ、会ってみれば分かるんじゃない?」分かり切っていることに思考を巡らせるなんて、そんなの面倒臭いだけだ。「それよりあんた、どうやって乗り込んだのか答えられるようにしとかないとまずいんじゃない?」
「そんなこと言われてもさ、わたしはおっかない妖怪から逃げてきただけなんだよ。それなのに気付いたらここにいた。例の月と関係があることは確かだろうが」
「ちょっと、あんたになんでそんなことが分かるのよ」
「そのおっかない妖怪から、地面と月を逆しまにして逃れたからさ」
 そんなことができるならば神社の側に分かり難いメッセージを残したりする必要はない。最初からここに乗り込んでくれば良かったはずだ。その言い分は霊夢にとって実に怪しく感じられた。
「そんな不信な顔をするなよ。わたしだってやってみるまでそんなことができるなんて知らなかったんだ。わたしの力は月ほどの遠くまで逃れられるほど強くない。ひどく追いつめられなかったら試そうともしなかったよ」
 正邪にしては珍しく、真面目な反論だった。そのおっかない妖怪が誰かは知らないが天の邪鬼ではいられないほど正邪を追い詰めたらしい。
「ここが偽物の月にまつわる何らかの代物だとしたら……」もしかすると月に浮かんでいた影のような巨大構造体の内部にいるのかもしれない。「まあ良いか、それも本人に聞けば分かるというもの」
 霊夢は考えるのをやめ、さっさと部屋から出て案内板に従い廊下を歩く。飛んでも良かったが、この船の長は郷中をかき乱した張本人である可能性が高い。今の自分にはできることが限られているけれど、できるだけ体力も霊力も消耗したくなかった。
 正邪は慌てて飛び出してくると霊夢の隣に立ち、てくてくと付いてくる。彼女も力を温存しているのか、いつものように天井を歩くことはなかった。
 道案内に沿って進むこと数分ほどで、これまでに見たことのない金属製の巨大な扉が見えてくる。どうやらここが終着点らしかった。
 何者をも遠ざけようとする威圧感を覚えたが、印象に反して扉は円を描くようにするりと内側に開き、霊夢たちを招き入れる。いかなる未知のものが潜んでいるのか、緊張で掌がじっとりと汗で滲んでくるのを感じながら、霊夢はゆっくりと中に入る。
 そしていきなり出鼻を挫かれた。霊夢の目に飛び込んできたのは畳張りの空間だったのだ。しかしすぐに異常な場所であることが分かってきた。なにしろ天井も屋根もなく、端が見えないほどに延々と畳が敷き詰められているのだ。どこに行けば良いのかがさっぱり分からなかった。
「ふん、靴を脱いで上がるタイプの玄関に木張りの廊下、柱も梁も木材でできているようにしか見えないし、日本家屋を完全に再現してるな」
「え、ちょっと何を言っているの?」正邪の話しぶりからして、全く異なるものが見えているらしかった。「わたしには延々と畳の敷き詰められた何もない空間にしか見えないのだけど」
 不満を零していると先程連絡を図ってきた女の声が再び聞こえてきた。
「あれ、おかしいな。情報を与えたのにきちんと認識できてないの? ここへ連れてきた際にインプットしたはずなのに。ちょっと待って、エラーを追跡してみるから」
 何かの不具合らしいことは分かったが、どういうことをすれば自分と正邪の見えるものが全く違うなんてことがあり得るのだろうか。そもそも情報をインプットすると言っても、人間の頭はハードディスクではないのだ。
「コンフリクション? 異なるバージョンの認識拡張プログラムが入ってるってこと? ちょっとそこの赤い人間、何か別の処理を走らせてない?」
 そんなことを言われても、声の主がこちらに仕掛けたプログラムが何かさえ分かっていないのだから、何かができるはずもない。
「わたし、別に何もしてないわよ」
「本当? 機械を壊す奴はみな、何もやってないのに壊れたって言うけどその大半は嘘って相場が決まってるんだから。まあ良いわ、自動修正でなんとかできるようだから、追加アップデートする。その場を一歩も動かず五秒ほど停止していてね」
 声の主が宣言するとともに、目の中に火花が走ったかのような激しい光が瞬いた。どういう理屈かは分からないが、何らかの方法で認識をいじられているようだ。
 火花のような瞬きが続けて二度起こり、すると霊夢の目にも正邪が口にした通りの光景が映るようになる。奇妙な妖術か魔法でも使っているかのようだった。
 ともあれ、これでようやく話が進められそうだ。霊夢は靴を脱ぎ、廊下をひたひたとなるべく音を立てずに歩く。廊下の左右には襖が取り付けられていたが、開けようとしてもうんともすんとも言わない。絵に描いた餅と同じで実際にどこかの場所へと通じてはいないのかもしれない。
 更に歩くことしばし、正面に襖が見えてきた。こちらは自動ドアと同じで近付いただけでするりと開き、霊夢と正邪を招き入れる。ここまで日本家屋を再現しておいて、最後で詰めが甘いというか適当というか、いよいよ声の主のセンスがよく分からない。
 室内はおよそ二十畳ほどであり、先客が既に三人いて、それぞれの姿勢で座布団の上に座っていた。三人は霊夢の来訪に気付いて後ろを振り向き、何となく察してはいたが既知の人間であることを確認することができた。
 霧雨美真、東風谷佳苗、十六夜昨夜、この三人が声の主の言っていた先客であり。その奥には畳敷きだというのに背もたれと肘掛けの椅子に腰かけている少女の姿が見える。霊夢をここまで導いてきた声の主であると推測された。
 白のブラウスに赤いネクタイ、スカートの色は黒でここまでは普通の格好といって差し支えないが、背には黒いマント、そして室内にもかかわらず白いリボンを巻いたフチありの帽子を被っており、変わり者であることが見て取れた。
「ようこそ、白と赤の空飛ぶ人間。それとへそ曲がりの角人間。好きなところに座って頂戴、長話にはしないつもりだけど、短い話でもないから」
 お誂え向きに座布団も二つ用意されており、霊夢は遠慮なくその上に正座して背筋を正す。正邪は座布団の隣に胡座をかき、大きな欠伸をしてみせる。この奇妙な状況を誰よりも楽しめそうだというのに、退屈そうに欠伸をして親切も無碍にするなんて、なんとも天の邪鬼なことだった。
「さて、それでは全員揃ったことだし、認識の相違を正すとしましょう。と、その前に確認するけどこの船や周辺の時間を停めていたのはあなたたち四人ってことで良いのよね?」
 いきなり妙なことを訪ねられ、霊夢は首を傾げるほかなかった。そしてそれは横に座る美真や佳苗にしても同じらしく、どういうことかと二人で顔を見合わせていた。
「そうですね、わたしが犯人ですわ」一人だけ実際に時を停めていた咲夜が挙手し、己の犯行だと認める。「でも他の三人についてはおそらく違うかなと。むしろ彼女のパートナーのほうがそうした力を行使していたのではないかと愚考するところです」
 霊夢は慌てて頷き、美真と佳苗もそれに続く。これまで自信満々そうに見えた目の前の人物は「あるぇ〜?」と素っ頓狂な声をあげながら目を細めるのだった。
「時を停めている力の持ち主を捕獲するよう処理を書いたのに、四人に一人しか正解がいないの? どういうことなのよ!」
「いや、そんなこと言われても。こっちはあんたの持つ能力や技術をちっとも知らないのだから答えようがないと思うのだけど」
 霊夢は正しいことを口にしたはずだが、マント女は更に目を細めこちらを睨みつけんばかりだった。
「わたしの場合、これを持っていたから反応したのかも」美真はそう言ってから八卦炉を取り出し、マント女に掲げてみせる。「これは時を停める能力を使っていたわたしの師匠の持ち主であり、いわば師匠の分身と言って良い代物です」
「ふむ、強い魔力を感じる品物ね」マント女は八卦炉の魔力を察知することができるようだった。何者かは分からないが霊力、妖力といった日常の物理法則とは異なる力を認知できるらしい。「それで誤検出を起こしたってことか。他の二人も似たようなケースかな?」
 霊夢は紫に由来するものなど何も持っていないから美真の件には当てはまらない。だがそれを口にすれば話が拗れそうだったから、その通りだと頷いて嘘をつき通した。
「わたしはそんなもの持ってないけど、早苗様……時を停める力を使っていた方の力を借りて戦ったかもしれない」
「うーむ、となるとやっぱ誤検出ぽいわね。そこは申し訳ないと謝るにやぶさかではないけれど、そもそも時間を停めるなんてとんでもない干渉を仕掛けてこなければ、わたしだってこんな強硬手段は取らなかったのよ。一体どういう了見で仕掛けてきたのかしら? まさかこの船の技術と権限を根こそぎいただこうとでも考えていたの?」
 マント女の話すことはこちらの認識とさっぱり噛み合っていなかった。それではこちらが一方的に悪いかのような物言いだ。
「ちょっと待ってよ、郷中の機械を動かなくするだなんて面倒なことをやらかしたのはそっちでしょう?」
 霊夢の気持ちを代弁するかのように、佳苗が声をあげる。妖怪の山は各種技術の拠点でもあるから、機械を頻繁に止められるというのは勘弁ならないことだったに違いない。
「その件については申し訳ないけど、こんな過剰技術の塊を認識させるわけには行かないからやむを得ない措置だったのよ。明らかに技術が劣る文明にはその存在を認識させてはいけない。異星人文化保護法の基本事項じゃない」
 日本語で話しているはずなのに、魔法の呪文でも唱えているかのようにさっぱり理解できなかった。こういうことは巫女ではなく魔法使いの本分であると思い、美真の様子をうかがうと目をぱちぱちと瞬かせ、それから普段にないテンションと声色で話し始めた。
「ああ! もしやと思いましたが、これは宇宙船なんですね。しかも貴方の話から察するに恒星間航行能力、つまり宇宙の大海を駆ける性能を持っている。となると貴方は地球の外から来た宇宙人なんですか? 光速度不変の法則をどのようにして解決したのでしょうか? 量子転送? それともわたしたちの知らない超光速の粒子が?」
 普段から考えられない、火の点いたような話しぶりに霊夢はぽかんとするばかりだった。佳苗もほぼ自分と同じ反応を示しており、咲夜だけが冷静に瞑目し、ふむふむと頷いていた。彼女もまたマント女の話を理解できる側の人間なのかとしれないし、知ってるふりをしているだけかもしれない。
「ちょっと、ちょっとタンマ。一気に質問をぶつけられても困るし、そもそもわたしに答える義務はない。過剰技術の存在を詳らかにすることさえ文明を汚染する可能性があるのよ。そうした危険を犯してまで接触したのは、時を停めるなどという狼藉をやめてもらうよう交渉するため。そして先程の可愛らしい髪飾りのお嬢さんが話すことから察するに、少なくとも貴方たちにはきちんと情報が伝わっていないらしい」
 マント女は瞑目しながら額を指でぐりぐりと押す。奇妙な仕草だが、何やら集中して考え事をしているのは何となく見て取れる。またそうした仕草は彼女が人間と同じか、極めて近い思考方法であることを示唆している。霊夢としては彼女が妖怪と同じくらいには話が通じることを期待するしかなかった。
「どうやらわたしに必要なのは謝罪らしいわね。やむを得ないこととは言え、わたしがやったことは貴方たちとその所属する文明に酷く迷惑をかけたらしい。でもわたしが乗ってきたこの船は下界に展開されている文明より何百年、下手すると何千年も進んでいる文明の結晶なの。そんなものが存在すると認識されただけで文明も科学も一足飛びに発展してしまう可能性が高い。そして外圧による急激な変化は得てして歪みを生んでしまう。そこのところは理解してもらいたいのだけど」
 霊夢には正直なところあまり理解できていなかった。郷中の機械を止めた行いが悪いことであり反省していることだけは分かったが、それ以外の理屈についてはどう解釈して良いかさえはっきりとしない。弾幕決闘以外の解決は霊夢の範囲外なのだ。
「ええ、なんとなく分かります」美真は魔法使いであるためか、それとも異世界からこちらにやってきた身であるためか、マント女の言うことがはっきりと分かるらしい。だから霊夢は沈黙し、美真に話の主導権を譲ることにした。「異なる文明同士の付き合い方がどうあるべきかはさておき、そうした信条ならば然るべき説明をもって合意がなされると思います。わたしもこの世界にやってきてそんなに長くはないですが、話せば割と分かる方たちですよ。やむを得ずここに停泊しているのだとしたら、機械を停めない方法で姿を隠す方法も提供されるはずです」
「それは魔力や類する力を操る者たちによって行われるのかしら? それらの力はわたしたちの故郷だと既に過去のものであり、物好きな研究者が遊びで扱うものになり果てているのだけど。そんなものがなくてもわたしが所属する文明は、科学によって物理法則を十全に操作できるのよ」
 霊夢の所属する世界では、魔法や妖力によって科学ではできないことを実現することができる。でもマント女の世界では科学で魔法と同じことができるらしい。その力によって科学番組に出てくるアニメやCG上のものである宇宙船すらも実現したのだろう。お前たちは明らかに劣っていると言われるのは若干悔しくもあるが、今の霊夢には否定しようがなかった。
「とはいえこの程度の文明と認識なら科学と魔法をニアイコールにできるはずもないか。郷中の機械を停めなくても、もっと原始的な隠れ蓑で事は足りたみたいね。この世界は奇妙な環境で成り立っているから最大限に警戒したのだけど、その必要はなかったみたい」
「奇妙な環境と言いますと、魔力などの様々な力が物理法則と相並んでいることですか? それとも妖怪や神、妖精なる種族が存在することでしょうか?」
 美真の質問にマント女は小さく首を横に振る。
「いいえ、それらの力はわたしの所属する世界にもある。わたしが奇妙だと感じているのはレイヤーとテクスチャーの差異なのよ。テクスチャー、つまりこの世界の上に築かれている文明は二十一世紀初頭の地球程度なのに、レイヤー、すなわち世界そのものを構築するために使われている技術はわたしが所属する文明にも迫るか、部分的に凌駕している領域もある。わたしが乗っている宇宙船は光速度不変の法則から逃れることができず異なる理屈で回避しているのだけど、この世界は光速の数十倍もの速さで宇宙空間を邁進し続けているの。しかも全長数キロメートルの宇宙船の中に貴方たちがいま住んでいる世界も含め、地球を何十個も格納して足るほどの情報が集積されている。おそらくは十のマイナス五十乗分の一の大きさを持ち、この世界の根幹となっている情報素子をほぼ完璧にコントロール……」
「ちょっと、ちょっと待って! 待ちなさいってば!」
 霊夢の制止にマント女の話がようやく止まる。こいつもまたパチュリーや紫と同じで難解な話によって凡人の頭を殺すタイプだ。
「もっとゆっくり、一つずつ丁寧に説明しなさい。みんなそう思っているわよね?」
 これでいいえと言われたら困ってしまったが、佳苗はもちろんのこと先程まで話に付いていくことができていた美真や咲夜でさえ必死で頷いていた。正邪だけふわあと興味なさそうに欠伸をしたが、こいつは最初からこんな感じなので放っておくことにした。
「確かに少し一気に話し過ぎたかもしれないわね。というかみんな話について来てないみたいね。頭の中で盆踊りをしている女の人でも見えてたんじゃないかって言うくらいぽかんとしてたわよ」
 珍妙なたとえだが、そんな心理状態ではあったかもしれない。
「盆踊りってこちらの世界にある日本の古い風習ですよね?」そんなことをぼんやり考えていると、美真がまた一つ質問を投げかける。「先程は地球という言葉も出てきていましたが、貴方はもしかすると宇宙人ではなく、地球出身の日本人ではありませんか?」
「ええ、そうね。わたしの所属する文明だと国や言葉で人を分ける時代は終わっているのだけど、日本語由来の名前を父母から受け継いでいる。わたしは姓を宇佐見、名を蓮子と言うの」
「わたしは姓を霧雨、名を美真と言います。そして、ここにいる人たちも皆が日本語の名前を持っています。博麗霊夢、東風谷佳苗、十六夜咲夜……そこの角がちょこんと生えた妖怪さんもそうですよね?」
「まあね。正しいに邪と書いて正邪だ、まあ覚えなくて良いよ」
 マント女=蓮子は名前を照らし合わせるため、ここに集められた面々を一人ずつ指差していく。これでようやく互いの名前が明らかになった形だ。
「つまりこの世界も日本由来であるということか……でもそれだと明らかな矛盾が生じるのよね。というのもわたしたちの歴史では光速を越える宇宙船が開発されたなんて事実は存在しないの。そんなものが作られていたならば記述として残されるはずだし、わたしたちが所属する文明もたかだが数百光年程度の領域に留まることなく全宇宙に頒図を広げられたはずよ」
「それならば宇佐見さんのいた宇宙とこの宇宙は異なるものなのでは? どういう理屈かは分かりませんが、この郷は異なる宇宙からさえ物事を収集する機能を有しているらしいので、その力に引き寄せられたのかもしれません」
「あるいはこの船のシステムが光速を越える現象を不可能の極地にあると判断したのかもしれない。詳しくは説明できないけど、この船は不可能から不可能を渡るエンジンとシステムを搭載しているから」
「へえ、わたしが過去に読んだことのある空想科学小説にもほぼ同じ仕組みのエンジンが出てきますよ。貴方の乗っている船、黄金の心って名前だったりします?」
「宇宙船の開発者は、物に名前をつけるのを嫌がる人だからそんな洒落た名前はついていないわ。単に不可能性空間移動船と呼んでいたけれど、ここには教授も助手もいないのだから好き勝手に名前をつけても良いわね。そう、わたしだったらこの船にはゴールデンマインドではなくゴールデンメリーと名付けたいわ」
「黄金の心ではなく黄金の羊ですか?」
「メリーはわたしの相棒だった女性の名前よ。そして彼女こそわたしがこの船で旅をしている理由でもある。それは聞くも涙、語るの涙の……」
 勝手に進んでいく話を遮るように、ふわあと盛大な欠伸の音がする。さっきから欠伸を繰り返していたのは見ていたが、ここまで露骨なのは流石に見過ごせなかったらしい。蓮子は腹立たしげな表情を浮かべ、ゆっくりと立ち上がると正邪を睨みつける。
「何やら不満な様子ね。不法侵入でひいひい逃げ回っていたのを助けてあげただけでは足りないのかしら?」
「申し訳ないが、わたしには何を言っているのかがさっぱり分からん。けど、この船が凄い力を持っているのは分かる」
「あら、この船をハイジャックでもするつもり?」
 正邪はその問いに答えず、立ち上がるや否や天井に移動する。そして立ち上がった蓮子にも力を行使したのか、いつの間にか天井に張り付いていた。
「痛い目に遭わされた仕返しをするだけさ!」
 そう宣言して矢印型の弾幕を蓮子めがけて発射する。今から動いても間に合いそうになかったが、霊夢はせめてお祓い棒で正邪を叩きのめすべく、素早く立ち上がる。
 だがその必要はなかった。矢印型の弾幕がくるりと引き返し、正邪に殺到したからだ。このような返しなど予想していなかったのか、正邪は攻撃をまともに受けて地面に墜落、そのまま気絶してしまった。
 正邪の力が解け、蓮子もまた地面に落下していったがそちらは咲夜がひょいと掬い、そのまま椅子に座らせてから一礼する。
「こいつ、物騒なやつだったんですね」美真はいつの間にか取り出していたロープで正邪を手際よく縛る。魔理沙に習ったのだろうが、手慣れていて少し怖いくらいだった。「これで良し、と。すみません、お騒がせしました。このような奴がわたしたちの代表だと思わないでもらえると嬉しいのですが」
「いやいや、平気よ。これくらいの修羅場、いくらでも潜ってきたし」
「そう言ってもらえると幸い。でも凄いですね、相手の力を跳ね返すなんて」
「跳ね返したわけじゃないのよ。わたしには当たるはずのものが当たらない。できないことができるし、不可能なことが可能になるの。不可能を渡る能力を持った船の持ち主は同じ能力に染められていなければならない。自明の理よね」
 そう言って蓮子はマントを手で探り、豆菓子の入った袋を取り出す。そして口を開けると豆を前に向かって思いきり指で弾く。豆は地面に落ちる直前でくるりと反転し、蓮子の口の中に吸い込まれていった。
「こんなことは手品でも魔法でもできるけど、もっと凄いこともできる。例えば弾丸やナイフを絶対に外しようがない至近距離で放たれても当たることはない」
 誰かやってみると言わんばかりに皆を見回す蓮子に答えたのは咲夜だった。おそらく時を停めてナイフを放ち、かわせないほどの至近距離に配置したのだろうが、ナイフは力なく地面にぽとりと落ちてしまった。
「あら本当ですね、全力で投げつけてみたんですが」
「えっと……案外容赦ないのね、まあ良いわ。さっきの無礼な角女の場合、確実にわたしに当たる攻撃を使ったから当てられなかったの。跳ね返るとは予想外だったけど、それはおそらく彼女の日頃の行いが悪かったんでしょう」
 咲夜は一瞬でナイフを拾い上げると座布団の上に正座する。洋風の出で立ちのくせに背筋がぴんと伸びてなんともさまになっていた。
「わたし、正座は苦手なのよね。ずっとやってると辛いし、足が痺れるし」
 佳苗は神社に仕える巫女らしからぬことを口にする。あるいは神事やら何やらでいつも正座しているからなのかもしれない。霊夢も正座する機会はあるけれど、誰もいなければ足を崩している。
「わたしの世界だと正座するという習慣がそもそもなかったですね。おそらくは宗教に関係した仕草だからでしょうが。蓮子さんの世界では正座ってあります?」
「ええ、でも死ぬまでやらないでしょうね。皆も苦しいなら足を崩して良いのよ」
 霊夢と佳苗、美真は揃って遠慮なく足を崩し、一斉に咲夜を見る。メイドらしく礼儀正しいのかと思いきや、いつの間にか足を崩していた。
「さて、話の腰が盛大に折れてしまったけど、わたしがどういう能力を持っているかも実地で説明できたし、あの角女には感謝しなければいけないみたいね。わたしは自分の意志である程度の不可能ごとを可能にすることができるの。これは今のところ船を開発した博士と助手、それにわたしの三人しか持っていない……というよりたまたま付与されたもので再現性がないと言うべきなのよね。
「というと、事故か何かに巻き込まれたとかそういうことですかね?」
 美真がおそるおそる訊ねると、蓮子は快活に頷く。その辺りは別段気にしていることでもないようだ。
「まあ便利な能力なんだけど、一つだけ問題があるの。能力の代償だと思うのだけど、これまで簡単にできていたことが一つだけ不可能になってしまったのよね。博士の場合は大好物の苺大福がいつ店を訪れても買えなくなったし、助手は排出率一パーセント以下のくじに絶対に当たらなくなってしまった。好物を食べられない悲しさは分かるとして、くじに当たらないなんて生きていくには然程不便でもないのだけども……助手はある種の確率依存症なところがあったから、くじやギャンブルが楽しめないのはやはり悲しいことなのかもしれないわ」
 そこまで話したところで蓮子の表情が目に見えて冴えないものになる。その二人と違って蓮子は不可能になってしまったことのせいで酷く悩んでいるらしい。
「そしてわたしなのだけど……わたしにはメリーって相棒がいたの。でも実験事故で不可能体質になって以来、どうやっても彼女に会えないのよね。書いた手紙を読むことはできるし、通信することもできるけど、直接会おうとすると何をやっても駄目なの。だからこの船を使い、惑星から惑星、銀河系から銀河系へと旅をしてるの。博士曰く、わたしの不可能体質を解決するだけの力を持つ特異点が宇宙のどこかに存在しているはずだって。相棒に会える可能性がすぐ側ではなく、どこか宇宙の彼方に存在するだなんて可笑しい話だけど、実際に会えないのだからしょうがない」
 自嘲の笑み、そこから僅かに覗く寂しさは彼女が相棒のことを大事に思っていることを示している。それこそ宇宙の大海原を旅して足るほどには彼女との日常を取り戻したいのかもしれない。
「その旅の途中でいきなりここに飛んできてしまったのよね。わたしは旅を続けるため、ここから脱出しなければならなかった。そして今日、ようやくジャンプアウトのためのエネルギーが貯まったのだけど、宇宙船とその周囲の時間がいきなり停まってしまった。おまけに地上では奇妙な騒ぎが始まり、何やらただごとではない。このままでは脱出計画を遂行するのは不可能よ」
「なるほど、それでようやく最初の話に戻るというわけですか?」
 美真の問いに蓮子は大きく頷く。霊夢もここに至ってようやくことと次第をなんとかつかむことができた。というより科学技術云々は置いてそこだけ話してくれれば良かったのだ。
「時を停めている存在にコンタクトをかけ、聞き届けられなければ力尽くでも退去してもらうつもりだった。でも貴方たちの様子を見る限り、その必要はないみたい」
「わたしは郷中の機械が止まる現象が収まればそれで良いの。その原因を突き止めるためにこそ時間を停めて調査していたのだから」
 霊夢の発言に皆も続けて頷く。横で気絶している天の邪鬼は別のことを口にするかもしれないが、まあ放っておいて構わないだろうと判断した。そして蓮子も正邪のことを気にかける素振りは見せなかった。
「今も時間を停めているわたしのパートナーに話を通すわ。それで良いかしら?」
「異存はないわ。というよりわたしは騒ぎを引き起こした側だもの、これ以上の注文をつけられるはずもない。協力感謝するわ、もうここに来ることはないと思うけれど、貴方たちの親切をわたしは一生……は無理か。しばらくは忘れないと思う」
 なんとも砕けた感謝の仕方だが、しゃちほこばった態度を取られるよりかは気楽な方が性に合っていた。それにこちらだって迷惑をかけたのだからお互い様だ。
「では、話もまとまったということで良いかしら? だとしたらわたしは貴方たちを地上に返してあげられるのだけど」
 正直言うと知りたいことは沢山あったが、大半は今の自分たちには手に余るものだし、特に宇宙船の仕組みや使われている技術なんて、絶対に答えてくれないだろう。異変の解決とここからの帰還を是とする霊夢としては、訊いておきたいことはあと一つだけだった。
「宇佐見蓮子さんだっけ? 貴方はこの郷が宇宙を邁進する船の中に存在すると言ったけど、つまりわたしの住んでいた世界は地球でもなんでもないってこと?」
 霊夢はこの郷が地球という星にあるのだと教えられてきた。太陽に照らされ、衛星として月を持ち、四季が巡り、日々の営みがある。その全てが嘘だったなんて俄には信じられなかった。だが、思い返せば不自然なことはいくらでもあったし、先の事件で太陽が簡単に停止させられること、四季は容易に調整が可能だと予め知っていた。だから是非に拘らず驚くことはなさそうだった。
「その認識で間違いないわ」そして蓮子もあっさりと認め、四人の顔をぐるりと見回すのだった。「この船がどうして地球を離れ、その技術に見合わぬ前時代的な文明を船内に維持しているのかは分からない。この船に暮らす人間がみな在りし日の文明を忘れてしまったとも考えたけれど、きちんとした整備はされているようだった。宇宙船の技術を誰かが確かに受け継ぎ、維持し続けているのよ。その顔だとみな、それが誰なのか薄々気付いているみたい。つまり貴方たちは何も知らされて来なかったけど、真実から近い場所にいる立場の人間なのね。だから地上の騒ぎを解決しようと奔走するし、不思議な力を秘めてもいる。そして文明が明らかに異なることに対するショックもあまりない。わたしは意図してなかったけど最適な人員をここに招いたみたいね。そこに転がっている不躾な角女だけは別だけど」
「ショックならとっくに受けてるわよ」何しろ足元の下、地底のさらに奥底、壁を隔てた一枚先には暗闇の宇宙が広がっているのだから。「でも騒いだところで事実が変わるわけでもない。そもそも不思議なんて小さい頃からいくらでも経験してるのよね」
「なるほど、肝が据わっているってことか。それなら部分的に記憶を奪ったり曖昧にしたりする必要もなさそうね。それはこちらとしても手間がかからなくて助かるわ」
 蓮子は小さく息をつき、それから残りの三人を順番に見て回る。美真は訊きたいことが沢山あるという顔を隠そうともしなかったが、答えてくれないことを知っているのだろう。だから拗ねたように頬を膨らませ、蓮子からそっぽを向くだけだった。咲夜はきりっとした顔のまま黙しており、佳苗はじっと押し黙ったまま俯いている。霊夢よりも混乱が酷く何を訊けば良いのかさえ分かっていない様子だった。
「どうやら誰もいないみたいね。本当はあらゆることを話してあげたいのだけど、これでも本当は喋っちゃいけないことを随分と打ち明けたのよ。だから許して頂戴」
 そう言うと美真は頬の膨らみを解き、不承不承に頷くのだった。
「では霊夢さんだっけ? 先程話した件は相棒にきちんと伝えて頂戴ね」
「ええ。渋るようならお尻を引っ叩いてでも時を停めるのをやめさせるわ」
 紫に言うことを聞かせる力なんて残っていないが、蓮子は遥か先を行く技術を持ちながら眼下の人たちにできるだけ影響を与えないよう、傷つけないよう計らってくれた。それに報いるべきだと霊夢は考えたのだ。
「感謝するわ、異世界の子供たち。それでは名残惜しいけれど、さよならの時間ね」
 蓮子はそう言うと、指をパチンと鳴らす。次の瞬間には和室も蓮子も消え、見覚えのある場所に立っていた。
「ここ、博麗神社みたいですね」四人の中で美真が一番最初に我に戻り、頬を紅潮させながら早口に喋り始める。「ものを自在に送ったり引き寄せたり、どういう仕組みなのか気になりますね。文明の差異による影響を理由に沈黙を守りそうでしたけど。こういうの……」
「やめて!」次に口を開いた佳苗は美真に比べて随分と感情的だった。「あの女、聞きたいことだけ話したらわたしたちをさっさと追い出してしまって。あんな奴の言うことなんて信じられない」
「わたしは全てではないにしろ信じますよ」美真は真っ向から佳苗の意見と対立し、それから佳苗の震える肩にそっと手を置く。「それに佳苗さんだって前々から口にしてたじゃないですか。わたしの神様たちは絶対に何かを隠してるに違いないって。わたしもそのことは薄々気付いていましたが、どうしても答えを見つけられなくて。それもこれも幻想郷が地球のどこかにある場所ではなく移動する物体、つまり全天が完全に制御された人工構造物の中にいると考えれば辻褄は合うんですよね。俄には信じ難いですが」
 霊夢にとってその話は破天荒なこの上なかったが、蓮子の持つ能力と話の正しさを疑うつもりにはならなかった。思考にこそ浮かばなかったが、普通でない世界に住んでいることを心の奥底では感じ取っていたのかもしれない。
「まあ、大丈夫ですよ皆さん。この宇宙居住区は少なくとも七百年以上、郷の住人たちを瑕疵なく生かしているのですから。整備もされているということですし、そうそう破局的な出来事は起きないでしょう」
「それはそうだけど……」佳苗は先程よりも若干落ち着いてきたらしい。背中をあやすようにさすられているのが効いているのか、それとも彼女もまた異変に近い側なのからなのかは分からないが、激した感情を諌めなくて済むのは霊夢にとってありがたいことだった。「まあ、当然のように立っている場所が惑星ではなくて船の中だと分かったところで、これからの生活に変わりがあるわけでもないか。こんな大事なことを隠していた神様たちは恨めしくも感じるけど、取り乱しかけたのは事実だし、みんなが側にいてくれなかったらあることないことを吹聴して回り、各所に迷惑をかけていたかもしれないわね」
 もしかすると冷静にいなしていた可能性もある。紫を始めとした郷の重鎮たちがこの事実を必死で隠し通そうとしたのも、少しでも混乱を生み出すリスクを減らすためだと霊夢は推測していた。もっともこの郷が宇宙船の中にあると言ったところで誰も信じないとは思うし、創作に影響され過ぎと窘められるのが関の山だろう。
 重たくて潰されそうな事実ではないが、日常のふとした瞬間にじわじわ効いてくるものなのかもしれなかった。
「そういえば咲夜さんでしたっけ?」面識の薄さを示す遠慮がちな態度で美真が咲夜に声をかける。彼女はじっと黙ったままで、何を考えているかが一見してつかめなかった。「幻想郷が宇宙船の中に広がる世界と知ってどう思いました?」
「えっと……まあそういうこともあるのかなあ、と」
 なんとも淡白な発言だったが、彼女は階差機関なる異世界で発達した機械から創られた存在なのだから、技術由来の脅威には慣れっこなのかもしれない。
「空や大地が自然のものか、偽りのものかなんて関係ないこと。わたしの仕事は館に暮らすご主人様とお嬢様に仕え、その世話をすることだけですからね。気楽なものです」
 吸血鬼に仕えること自体が気楽とは程遠いはずなのだが、咲夜はそう口にして飄々としている。佳苗はそんな咲夜の態度と澄ました表情を羨ましそうに見つめるのだった。
「その割り切り方、見習いたいなあ。わたしはしばらく地面に足を置くだけでびくつきそう」
「わたしは咲夜さんみたいな割り切り方はできませんね」と、美真が優等生らしく手を上げてから発言を始める。「今はまだ難しいかもしれませんが、わたしはいずれこの郷にまつわる秘密と仕組みを全て解き明かすつもりですよ」
 これまたなんとも魔法使いらしい発言だった。ここにいるのは程度の差こそあれ人間に属する者ばかりだが、考えることはみんなばらばらなのだ。
「そういや、霊夢はどうなの? さっきから黙ってばかりだけど。博麗の巫女としてまた別の意見があったり?」
 佳苗は完全に気を取り直したのか、美真の手からするりと抜け出して霊夢に近付いてくる。異変が始まる前はぎくしゃくしていたけれど、今はそうしたわだかまりも一時的にほどけているらしい。そして霊夢に期待をぶつけてくる。だが霊夢は目の前の三人ほどよく考えられるわけでも頭が良いわけでもないと思っているし、佳苗に期待されても立派なものの道理など何も浮かんでは来ないのだった。
「わたしは本当に大したことなど何も考えていないのよね」霊夢は博麗の巫女という公務員であり、神社に勤める暮らしをして、異変が起きた時だけ全てのくびきから解き放たれて事件の真相に迫る。この世界が大地の上か、宇宙船の中かなんて全く関係ないが、もし異変と絡むようなことがあれば、考える必要も出てくるかもしれない。「そうね、いざという時のために物理の勉強を少しずつ始めようかしら。わたし、実は理科の知識が大分あやふやなのよね」
 その答えに佳苗は目をぱちくりさせたのち、ふむと顎に指を当てる。どうやら一考の価値ありと考えたようだった。
「流石は霊夢さん、一番の大物らしい回答でした」
 続けて美真がそんな言葉をかけてくる。褒められているかどうかは微妙だったけど、大物と言われたのは悪い気はしなかった。
「さて、立ち話もこのくらいにして、わたしは東の里に向かうつもりなのだけど」まだ紫の力は偽物の月、つまり空中の宇宙船を停めているはずだ。霊夢は蓮子との約束を果たさなければならなかった。「貴方たちはどうするつもり?」
「わたしは早苗様の所に向かうわ。時間停止の能力をまだ使っているかもしれないから」
「魔理沙さんは力を使い切ってしまったから月を停める力は働いていないはずですが、一応合流して情報を共有しておきます」
 佳苗と美真が続けて答え、三人の目が一斉に咲夜のほうを向く。答えは明らかそうだが一応、聞いておくことにした。
「お嬢様と合流しますわ。わたしはもう月を停めていませんが、いきなりいなくなったわたしを肝心な時に姿を消す役立たずだとかんかんに怒っているかもしれませんから」
 本気か冗談か分からないことを口にした次の瞬間、咲夜の姿がこの場から消える。残された三人は顔を見合わせたのち、取りあえず東の里までは一緒に向かうことにした。そこで三者三様の行動を取り、自然と解散になるのだろう。
 結局、郷の真実が一つわかったところで今のところは何も変わらない。だがそれで構わないだろう。現状の結論をそう締めくくると、霊夢は何かを忘れているような気持ちに後ろ髪を引かれながら、深く考えることなくこの場を飛び立ち、東の里に向かうのだった。







 正邪がきつい戒めから抜け出し、どこかへ逃げ去ったのは四人がいなくなってから数分ほど経ったのちだった。

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