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2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第2話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年06月16日 / 最終更新日:2017年06月16日

迷いの竹林の奥深くには、医を生業にする者たちが暮らす屋敷がある。その名を永遠亭と言い、秘境に暮らす素性もよく分からない集団であるというのに人間たちの評価は概ね高い。彼女たちが販売している薬は色々な症状によく効くからである。行李を背負った薬売りの姿は東の里に住んでいれば知らないものはいないくらいに有名なのだ。北の里や西の里にはあまり現れないし、原料もろくに分からない薬は怖いということであまり広まっていないそうだが、なんとも勿体ない話だと思う。
 博麗神社にも頭巾を目深に被った行商人が現れ、定期的に置き薬の様子を見に来るのだが、怪我にも病気にも効果覿面であり、最近は生傷の絶えないことが多いから重宝させてもらっている。だから永遠亭が元凶というのは些か面食らう話でもあったのだ。彼女たちが月からの来訪者というのは有名な話だが、誰もそんなことは信じておらず、箔をつけるためか何らかのメタファーであると誰もが考えており、霊夢もその例にもれなかった。
 霊夢が永遠亭を訪ねるのは今回が初めてではない。案内を願いたいと依頼されることがこれまでに何度かあった。永遠亭は他に手の施しようがない患者が縋る藁としても機能しており、迷いの竹林を超えたいと願う人間が時々現れるのだ。
 もちろんあらゆる病気が治るわけではない。老いから来る病となれば痛みを和らげるのが関の山だし、寿命を延ばしたりなくしたりする技を分け与えることは決してなかった。かつて人間の権力者が高圧的な態度でそれを求めた時には、一夜のうちに身の破滅がもたらされた。これは過去の胡乱な昔話ではなく百年ほど前に実際にあったことだ。その逸話は今でも残っており、永遠亭に住まう者たちを決して害してはならないという不文律はいまや不動のものである。
 そんな彼女たちだが薬を売ったり病を治したりと人間にとって有益であることは間違いないし、怒らせなければ問題ないという意見が大勢となっている。永遠亭側でも案内人の存在を許可しており、博麗の巫女は代々案内人になる資格を有している。妖怪や不思議に通じている博麗は案内人としてうってつけという永遠亭側の判断らしい。
 いつもは今泉影狼という人間にわりかし友好的な狼憑きが、幾許かの報酬を受けて竹林を案内する。といっても実際に目的地に進んでいるわけではなく、一定時間歩かせた後で人語を解する妖怪兎が現れ、要件を問うてくるのだ。そして竹林の案内料なんて子供の駄賃と思えるほどの金額を要求する。そこで支払いを即決すれば理由を問うことなく永遠亭に通される。ただし普通に生きていれば一生かけても払えないほどの額であり、大抵はそこで逡巡が生まれる。
 大切なのはきちんとした誠意を見せることだ。心を込めて誤魔化すことなく訴えれば、提示した金額に届かなくても訪問者は通される。いきなり値切ろうとしようものなら問答無用で竹林の入口まで強制送還される。
『健康であるとは他に代え難い至宝だというのに、それを値切ろうという魂胆が気に入らない』
 なんてことを永遠亭の遣いである妖怪兎は飄々と口にしていた。そしてそれは主人の意向なのかと訪ねたら口笛を吹き始め、霊夢の問いに答えてくれなかった。おそらくはその妖怪兎独特の考えであり、主人はそのような指示を出していないと考えられた。そして独自の判断が認められるほどその妖怪兎の立場は高いのだ。
「やあやあ、今日は一段と気難しい顔をしているね。悩みごとでもおありかな?」
 これから向かう場所のことを考えながら竹林を歩いていると、案内役の妖怪兎がひょっこりと姿を現す。いつもならうんざりするほど歩かせるというのに、今日に限っては気の早いお出ましだった。
「分かっているからこんなに早く出てきたんじゃないの?」
 妖怪兎は何も答えることなく、にやにやと笑うだけだった。この状況が面白くて仕方がないらしい。だから霊夢も仕返しのように遠慮なく失礼な質問を投げかける。
「あんたらが変な月を出したり消したり、機械を動かなくしてるんじゃないの?」
 牽制の意味も込めて訊ねてみたのだが、からかうような態度は引っ込むばかりか増すばかりである、この妖怪兎が悪戯好きであることは以前からの言動で察してはいたが、異変の疑いをかけられてまでその態度を貫き通すとは余程の胆力か実力を持っているに違いなかった。
「さあてね、考えるのはわたしの仕事じゃない。騒ぎを起こすのもね。とはいえ我が永遠亭の当主代行様には思うところもあるらしい。だからこうして早々の案内と来た。では屋敷までの道を案内しよう、見失って妙なお茶会に迷い込んだりしないようにね」
 返事を聞かずぴょんぴょんとはねていく妖怪兎を、霊夢は慌てて追いかける。いつもはゆっくりと歩いて先導していくというのに、今日に限ってやけに急かしてくる。もしかすると力を計られているのかもしれなかった。いつもの意地悪さからして、この速度に追いつけない程度では話に耳を傾ける価値もないと判断してもおかしくない。
 慌てて速度を上げるとともに、何かに足を取られて転びそうになる。ぴんと張られた紐に引っかけられたと気付き、慌てて手をつこうとするが、そこにあるはずの地面は霊夢を支えてくれなかった。咄嗟に空を飛び、地面に顔を半ばめり込ませたところで霊夢の体がぴたりと静止する。そしてひえっと声をあげそうになった。霊夢は地面にめり込んだのではなく、落とし穴に顔を突っ込んでいたのだ。転ばしの罠に落とし穴の実に無慈悲なコンボであり、妖怪兎の性格の悪さをはっきりと見せつけられた思いだった。
 霊夢は地面に顔を向けたまま浮き上がると、体勢を整えてからおそるおそる地面に着地しようとして、すんでのところでやめた。柔らかい感触を足に感じたからだ。この辺りはきっと落とし穴だらけに違いない。霊夢は空を飛んだまま辺りを見回し、わざわざ見えるぎりぎりの所で待機していた妖怪兎を見つけると再び追跡していく。
 念のために二段ほど身体機能を強化してみたのだが、すると眼前に張り巡らされた糸がうっすらと浮かび、罠の執拗さをこれでもかと示した。前方に向けて札を乱射し、糸を根こそぎ薙ぎ払うと検知器代わりの札を周囲に浮かべ、妖怪兎に追い縋る。
 手を伸ばせば捕まえることができるところまで接近すると光景ががらりと変化し、見覚えのある屋敷が姿を現した。古式ゆかしいようでいて古びた印象がないのは紅魔館を始めとして力のある神や妖怪が住む所に共通した特徴ではあるが、永遠亭は建っているだけで不尽不滅であることを強く主張しているように見えて、霊夢は訪ねるたびに少しだけ落ち着かない気持ちを覚えるのだった。
 妖怪兎はいつの間にか姿を消しており、それでいて目の前にもいた。竹林で追いかけ回したのと異なる妖怪兎が霊夢の目の前に立っていたのだ。
「お久しぶりね、今日は来訪者の護衛というわけではないみたいだけど」
 鈴仙・優曇華院というのが彼女の名前である。名前すら名乗らないへにゃへにゃ耳の妖怪兎と異なり耳はぴんと伸び、折り目正しく礼儀も整っている。彼女は霊夢が永遠亭の中で唯一まともに話が通じると考えている人物だった。
「まあ、ここに来た理由は何となく察しているわ」そう言って鈴仙は空を指差す。然るに何が起きているのか、薄々察している様子だった。「師匠もだからこそ、博麗の巫女が竹林を訪ねてきたらすぐに通せと言っていたわけだし」
 やけに物分かりの良い態度であり、霊夢はすっかり拍子抜けした格好だった。遠子はかつて偽物の月が現れたとき、その元凶は永遠亭にあると言ったけれど、今回はどうも部外者であるらしいことがその態度から見て取れる。無関係の振りをしているだけの可能性はあるし、注意深く動向や態度を観察する必要はあるだろうが、今のところ物々しく力を示す必要もなさそうだった。
 霊夢は浮かばせていた札を回収し、身体強化を解いて小さく息をついた。
「あんなものを空一杯に広げ、あまつさえ月を偽するなんてこちらからすれば良い迷惑だし、月兎の部隊を組織して乗り込んでやりましょうかと提案したんだけど、師匠には別の思惑があるみたいでね。もう何百年もの付き合いになるけれど、未だにあの方の考えることはわたしなど思いも及ばない。医術、製薬においては肩を並べる……までは行かなくてもその一端には辿り着いたと思うのだけど」
「鈴仙さんの持ってくる置き薬、よく効くから助かってるわ」少し自信なさそうなので励ますつもりで言ったのだが、ことのほか嬉しかったらしく耳がひょこひょこと機嫌良さそうに動いた。「弾幕決闘が流行っている間はずっとお世話になると思う」
「さもありなん。全く貴方と同じ名前の巫女と来たら、この世界に革命をもたらすツールとしてあの規則を生み出したとしか考えられないのよね。いつだって郷が活気づき、動乱を謳歌するのは弾幕決闘が流行るときなんだもの。それでも二度目以降は、最初に流行った頃より規模もずっと小さく、異変と呼ばれるような出来事も一度ないし二度しか起きなかったのだけど、今回は同じ年だけで二つ、現在進行形で三つ目が起こっているかもしれない。やはり貴方が霊夢だからなのかな」
「今年に入って似たようなことを既に何度か言われたのだけど」
 流石に慣れてきたが、一時期は指摘されるたびに良い気持ちにはなれなかった。偉大な先人を持つというのはそれだけで重圧であり、強い責任を伴うからだ。異変を解決する役割を帯びているのにこんなことを考えるのはよくないのかもしれないが、今年に入って起きた二つの事件がそんな霊夢に少しだけ自信を与えてくれたのだ。
「力量に関しては今後の伸びしろを期待したいところだけど、皆が霊夢霊夢と言って殊更に構うのは貴方の持つこう……なんていうのかな、存在感みたいなものが彼女とよく似ているからだと思う。外見もそっくりだけど、妖怪は姿形だけが似ているものを持て囃したりはしないものよ。妖怪とは姿形すら伝承や逸話に応じて変えてしまえるものだし、中には息を吸って吐くように化け術を扱える輩もいるのだから」
「そういう気持ちも分かるけど、それを重いと感じることを分かって欲しい」
 魔理沙は霊夢の側が妖怪にとって居心地の良い場所であるとフォローしてくれたし、鈴仙が言いたいのも同じようなことであると察せられたが、押しつけられる側としてはたまったものではないし、つい愚痴のようなものが口から飛び出してしまった。
「重いのは良いことよ。それは貴方というふわふわした存在をこの大地にしっかりと繋ぎ止める役目を果たしてくれるのだから。今は重圧としか感じることができないかもしれないけど、その重さこそ霊夢を貴方たらしめるものなのよ。いつも重いばかりだと辛いから、息抜きや友人との気楽な語らいも時には必要だけど」
 霊夢の頭に浮かんだのは稗田の屋敷に住む幼い頃からの友人である。あとは半年ほど前、郷に入ってきた魔法使い見習いの姿もはっきりと浮かんでくる。彼女は魔法の森で修行に励む傍ら、時折神社を訪ねては郷のしきたりや慣習、日常でのよしなしごとを話してくれる。二人と会話しているとき、霊夢の心はふわふわと軽くなって楽しい気分でいられるのだ。
 もう一人だけ浮かんだ顔があるけれど、それは霊夢の心をすっかり重たくしてしまうものだった。重いものが自分を自分たらしめるものであるとしたら、いつか彼女とも対峙しなければならないのかもしれない。
「さて、立ち話もなんだし油を売るのもこれくらいにしましょう。師匠……八意永琳様の元に貴方を案内するわ」
 鈴仙は屋敷の入口の戸をがらりと開く。次の瞬間にはどこまで続くか分からないほど遠くまで延びた廊下を歩いており、鈴仙は豆粒に見えるほど遠くにいた。そしていくら歩いても追いつくばかりか、逆に遠ざかっていくようだった。かと思えば次にはその背中をごく間近に見ることができ、純和風の屋敷にそぐわないドアノブのついた扉の前で立ち止まっていた。
「最短経路を通ったのだけど、認識できたかしら」
「いいえ、入ったと思ったらあっという間にここへ到着してたわ」
「この感覚を記憶しておくと良いかもしれないわね」
 それはどういうことかと訪ねる前に視界がぐにゃりと歪み、次には椅子の上に座っていた。対面には赤半分、青半分の奇妙な色合いをした服に身を包む女性がおり、霊夢の戸惑う様をじっと観察している様子だった。
「あの、八意永琳さん、ですよね?」
 永遠亭の当主代行を勤める彼女の顔を霊夢は何度か見たことがある。念を押したのは永琳がやけに余所余所しい顔をしていたからだ。
「ええ、その通りよ。ところで貴方、月の使者を最近になって目撃したことはある? 月の裏側に存在する完全なる理想郷についてはご存じ? 機密事項甲〇三六九一号、かつて蓬莱の薬を服用した輝夜なる姫について耳にしたことは? ××××、これが何を意味するかを聞き取れるかしら?」
 かと思えば永琳は訳の分からないことを矢継ぎ早に質問してくる。あまりの脈絡のなさに、自分の頭が狂気に浸されているのではないかと疑いそうになったほどだ。
「あの、言っている意味がよく分かりません」
「分からないならそれで良いの。さて、貴方は優曇華の目を見て先程までずっと恐慌を来していたのよ。狂気を与えたわけでもないのに過剰反応を示した原因が彼女には分からなかったみたいね。随分と学を積んだけど、まだまだひよっこってところかしら」
 その言い種だと永琳はこの身に何が起きたのかを完全に把握している様子だった。
「かつて高濃度の穢れを短期間で一気に浴びたことがあるのね。その影響下から抜けたのちも貴方の目は若干だけど狂気の様相を呈している。随分と危険なことをしたのね、穢れに慣れていない者にとって、かつて地球に降り注いでいたレベルの穢れを浴びるだけでも狂気に侵される危険があったというのに」
 永琳は霊夢に理解できないことをあれこれと並び立てる。そして霊夢が理解していないことも重々承知らしく、より分かりやすい言葉で言い直してくれた。
「貴方は穢れを受け、見えてはいけないものが少しだけよく見えるようになったの。それは貴方が優れた探索者の資格を有しているということで、条件さえそろえば月の狂気が引き起こすような錯誤さえ見抜き、真相を見事に直観するでしょう」
「真相というのは偽物の月が現れたり、機械が停止したりする事件の元凶と考えて良いのかしら?」
「ただしそのためにはお膳立てを整える必要があるの。貴方がここに来たのは、かつて郷の空に偽りの月を浮かべたのがわたしであると、誰かに聞かされたからよね?」
「ええ、だからこそ話を聞きに来たのよ。まず確認したいのだけど、今回の件は永遠亭の仕業ではないのよね?」
「当然よ。わたしにはもはや隠すべき者は何もないのだから」
「隠すべきものとはかつてこの屋敷の当主だった輝夜なる月人のこと?」
「そうよ。かつてわたしが全てを擲(なげう)って仕えた大罪人。優曇華にイナバの名を与えたもの。この永遠亭の主にしてもはや永久に喪われし者」
 かつて永遠亭には蓬莱山輝夜なる女性が住んでいた。だが今はもういない。不死の死を迎えてしまったからだ。死なないものが死ぬ方法だなんて霊夢には見当もつかないが目の前にいる薬師は不死の霊薬すら処方してみせるのだから、その死を与える薬すらも創ることができるのかもしれない。だがいま知りたいのはそんなことではない。
「でもかつてのわたしとやっていることはかなり似ている。偽りの月を浮かべることで郷全体の認識を阻害しているの……いえ、かつてとは逆なのかもしれない」
「逆、というのはどういうことなの?」
「月は隠れたがっているのかもしれない。だけど何らかの理由によって完全に姿を隠すことができないから、観測されないように認識を阻害しているのかも。だけど事象としては同じことが起きている。現状、誰もがその原因に辿り着くことができない。それは隠されている状態こそが正常と誤認させられているからなの。これでは異変として成立しようがない。少なくともわたしはそう考え、かつて行動を起こしたの。偽物の月が浮かぶ夜こそ正常である、真であるとして郷全体を欺こうとしたわけ。だから解決者たちは自ら異変を起こしたのよ。騒ぎを起こし、ことをどんどんと大きくすることで偽物の月が異変であるという認識にすり替え、欺き返したの。その計略は見事成功し、わたしたちは夜だというのに白日の下へとさらけ出された。その後はお決まりの弾幕決闘となり、偽りの月は夜明けとともに真実へと到達する。だからあのとき起きた出来事は偽月異変ではなく永夜異変と呼ばれるようになったの。明けない夜に端を発したどんちゃん騒ぎこそが異変の本質を示しているからであり、その認識をもって異変を解決したのだから」
 長々と説明してもらったというのに、霊夢には永琳が何を説明しようとしたのかさえろくに理解できなかった。かつて遠子の六代前、稗田阿求が永夜異変について精確な分析ができなかったのも致し方ないと納得するしかなかった。
「何を言っているか分からないという顔ね。これは月の頭脳であるわたしと郷の賢人が交わした知恵のぶつかり合いであり、ただの人間が一度聞いただけで理解できないのも仕方がないことよ。恥ずべきではないし、それは智が確固たる証でもある」
 実に遠回しだが、永琳はその頭脳が知恵そのものであると自負してみせた。穏やかな彼女の中に眠るのは才能に対する堂々たる自信なのだ。どうすれば自信を持てるのか、いつも悩んでばかりの霊夢にとってその態度は目映さすら感じるものだった。
「この現象を解決するためにはまず異変が引き起こされなければならないとだけ覚えておけば良いわ。その段取りは貴方の上司である八雲某が整えてくれることでしょう。それまで着々と力を蓄え、高いびきを立てていれば良いのよ」
 博麗の巫女は異変を解決する仕事だというのに、異変を起こす側に与するというのはいよいよ本末転倒だ。しかし永琳の話から僅かに理解する限りにおいて、そうするより他に道はなさそうだった。
「これがいま、わたしの答えられる全て。もっと単純な正解を語ることもできるけど、それはやめておくことにするわ」
 永琳が正解を語るならば、偽りの月にまつわる事件はより簡単に解決できるはずだ。それを避ける理由が霊夢には一つしか思い浮かばなかった。
「貴方は今回の事件が同族、つまり月の宇宙人の手によるものだと考えているの? 同士討ちをしたくないから、これ以上の手や知識は貸さないと?」
「それは分からない。月がかつて使っていたのとよく似た錯誤を操ってはいるけれど、この加速する幻想郷にまで届く一矢を撃って来たのかもしれないし、全く関係ないのかもしれない。どちらにしろこれは幻想郷が解決する問題だとわたしは考える。永遠亭は何百年、何千年と郷で暮らしてきても結局のところ異邦人なの。人の病や傷に効く薬を作ることはできても、郷の病や傷を癒すそれを作ることはできない。それは霊夢を始めとした郷に暮らす者たちの手によって作られるべきだと思っているし、それが叶えば良いと心の底から願っているのよ」
 永琳の話すことには分からないことが多く、信頼に値するかどうかを判断する頭脳さえも霊夢は持ち合わせていない。だがこのとき浮かべた慈愛に満ちた笑顔を見て、霊夢は疑いの気持ちを抱くことができなかった。
 異邦人とはいったが、それでも彼女の心は郷にある。かつては月の宇宙人だったかもしれないが、今はれっきとした郷の住人なのだ。永遠亭に住む者たちの心を安らかにするためにも、今回の件は解決されなければならないのだろう。
「検討を祈るわ。解決の暁には屋敷の者たちも誘って頂戴」
 そう言って永琳はお猪口を手に取り、くいと飲み干す振りをする。その仕草が霊夢の考えを肯定しているように思えた。

 永琳の部屋を後にすると、入口に鈴仙が立っており、霊夢に視線を向けようとして、ふいと目を逸らす。失礼な行動でないと分かったのは彼女の顔が不安に歪んでいたからだ。
「良かった、すっかり正気なのね。わたしの眼を見た途端にすっかりと度を失い、ぼんやりと立ち尽くしてしまったからどうしたのかと心配したのよ。どうやら師匠がすっかり治してくれたみたいだけど」
「わたしは短期間に穢れを浴び過ぎたと言っていたわ」
 鈴仙はその説明だけで合点がいったらしく、霊夢に目を合わせないようにしながら全身をくまなく観察する。
「ああ、だから狂気を受けやすい体質になっているのね。今の幻想郷にそんな体質は滅多に生まれないと思うのだけど……そんな穢れを一体どこで浴びたのかしら?」
 覚えがないと言いかけ、霊夢は半年ほど前に交わした紫との会話を思い出す。彼女は郷から陽光を簒奪した鉄の龍が浴びせてきた光に強い穢れが含まれていたのではないかと話してくれたのだ。露骨に話を逸らされたため詳しい事情は訊けなかったのだが。
「この郷にやってきた鉄の龍が放つ光に含まれていたんじゃないかって」
「鉄の龍……ああ、あの妖化した電気機関車のことね。なるほど、妖化するほどの穢れを浴びた道具ならば人間を狂気にかかりやすくなるほどの穢れを浴びせることもできるのかもしれない。道具が付喪神とならないで妖化するなんて随分と不思議な現象だけど異なる世界の技術ならばそんなことも可能なのかしら」
「紫は向こうの世界に存在していた月の仕業じゃないかと言ってたけど」
 霊夢は紫の推測と美真が話してくれた向こうの世界について、かいつまんで説明する。これもあまり理解しているわけではないし、途方のない話だから全てを信じているわけではないのだが、鈴仙は口元に手を当て、深く俯いてしまった。一考に値すると判断したに違いなかった。
「そう言えばかつて技術省で働いていた月兎が、夢物語として話してくれたことがあったわ。太陽を覆う殻を建造し、そのエネルギーを余すことなく利用するための方法が過去に模索されたことがあるのだと。こちら側の月は斯様にドラスティックな方針を認めることはなかったけど、それを実行した世界も存在するのかもしれない。太陽系の資源をかき集め、まずはリングを作る。それを基にして徐々に勢力範囲の拡大を行い、最後には太陽を覆い尽くしてしまうほどの球を形成する。その月兎は太陽を覆う殻を天の外蓑、地上人が書いた小説ではダイソンスフィアと呼称していたはずだけど……あら、どうしたのかしら。目の前で盆踊りをしている人たちが輪を描いています、みたいな表情をして」
「あんた、気をつけて話さないと人が死ぬわよ」
 パチュリーもそうだが、凡人の頭脳を無視した話を平然と展開するのは長寿を持つ妖怪の悪い癖だ。そして鈴仙はそのことに少しだけ自覚を持っているようだった。
「あはは、ごめんごめん。つい興が乗っちゃったみたい。まあ、太陽のエネルギーを利用するために建設される超巨大構造物だということが理解できていれば良いわ。その建造計画はこちら側だと実践はされなかったわけね。その代わり……」
 そこで鈴仙は途端に話を止め、誤魔化すような笑みを浮かべる。彼女もまた霊夢に話せないことを秘めており、いくら訊ねても引き出すことができないのだ。何度目かの反応だから慣れてしまったが、それでも心の中にもやもやが募ってしまうのを抑えられなかった。皆で秘密を共有して自分だけ仲間外れにされているのだとどうしても考えてしまうのだった。そんな霊夢の気持ちを読んだように、鈴仙は気遣うような表情を浮かべるのだった。
「ごめんね、意地悪してるわけじゃないの。でもそのことを知ったら、もう二度と日常には戻れなくなるの。霊夢は今でこそ博麗の巫女だけど、その内には引退して普通の人間として暮らさなければならない時が来る。みんなそのことを慮ってくれているのよ」
 だからいきなりそんなことを言われても困ってしまう。妖怪は人間に内緒の秘密を持っている悪い奴だとしてくれたほうがずっと楽だったのに、今更優しさだなんて言葉を出されてもどうしようもない。
「何かに変わってしまうというのは、時に取り返しがつかないことを生み出してしまう。人が妖と化すのはその最たる例だし、より取り返しのつかないことだってある。例えば……」
 鈴仙はそこまで口にしてぴたりと話を止めてしまった。それで霊夢には彼女がこの屋敷に当主として存在した女性を語ろうとしていたこと、それが実は都合の悪い例であることを思い出したに違いなかった。
「永遠に死ねない体になるとか? でもその人は死んだのよね? それは取り返しのつかないことが取り返しされたことを意味するんじゃないの?」霊夢の指摘に鈴仙はぎくりと肩を震わせる。嫌がる相手の傷を抉るなんてしたくなかったけど、ここははっきりと言っておきたかった。そうしなければこれから先もずっと、もやもやを抱え続けたままになってしまいそうだったからだ。「取り返しのつかないことでも取り返されることがある。全てを知ってもわたしは変わらないかもしれない。隠すことは優しさと言ったけれど、それは残酷さとは言わないの?」
「じゃあわたしも言ってやるわ。霊夢はこの世界のことを知ってなお変わらないでいられるほど強くはないの。もし何もかもを知りたいならば、世界を敵に回してもなお確固たる強さを身につけなさい。でもそれは何よりも難しいことなの。人間はそれを実践できる生き物だけどそれでも難しい。もしかすると一生、手に入れることができないかもしれない」
 世界を敵に回してでも得られる強さだなんてあまりに大層過ぎて、霊夢にはその実感すら湧かなかった。圧倒的な強さを持つ存在ならいくつも思い浮かべることはできるが、鈴仙の言う強さとは能力の強さとは全く別のことであるように思われた。そしてそれはこの世界から永久に失われてしまった永遠亭の当主ともおそらく無関係ではないのだろう。鈴仙のどこか辛そうな表情がそのことを言葉なく示していた。
「でも、まずは目の前の問題を解決しなければ。師匠にその方法を教わったのでしょう?」
「わたしにはよく分からなかったけど、何をやれば良いかは教えてもらえた」
 まさか果報は寝て待て、みたいなことを言われるとは思わなかったけれど。
「それは良かったわね。師匠がはっきりと理解できる言葉を使うのって結構珍しいのよ。余程機嫌が良かったのか、霊夢のことを気に入ったのか、それとも月に似た技術を使っているのが気に入らなかったのかも。ああ見えて誇り高い方だから」
 鈴仙は相変わらず目を逸らしていたが、今だけは霊夢の目を見ないようにするのではなく、後ろめたいことを隠したかったからではないかと、そんなことを考えてしまった。かといって他に理由を思いつかなかったし、それは偽物の月にまつわる出来事が全て解決してから語られることなのかもしれなかった。だから宴会に誘って欲しいと口にしたのかもしれない。
 自分は何らかの操りを仕掛けられたのかもしれない。
 だが霊夢にはそれが何かも分からなかったし、今は与えられたヒントに従うしか道はなさそうだった。
 

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