東方二次小説

2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第21話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年11月17日 / 最終更新日:2017年11月17日

 かくかくじかじか、へのへのもへじ。
 咲夜は吸血鬼なのに貧血でぐったりしているレミリアに、事の次第をじっくりと語ってみせた。いつも青白い顔をしているけれど、力を使い果たしたレミリアは白にうっすらと茶色を混ぜたような、いわゆる土気色の肌をしており、今にも死ぬか灰になるかとひやひやするほどだったが、レミリアはそんな状態にもかかわらず話を聞かせろとせがんだのだった。
『楽しい話は薬になるんだ、知らないのか?』
 そんな話はついぞ聞いたこともなかったが、従者とは主人の要望に応えるものであるからやむを得なかった。そして事実、レミリアは話を聞くにつれ土気色の肌から少しずついつもの青白さを取り戻していった。咲夜はそのことを最初は素直に驚き、話が終わった頃には少しだけ疑っていた。体を蝙蝠にすら変えられる吸血鬼が肌の色を変えられないはずがないと思ったのだ。
「いやはや、面白い話を聞くことができた。人間はすぐに死ぬけれど、いつだって面白い話を持ってきてくれるから、やはり一人は手元に置かないといけないね」
 その顔は満足げであり、咲夜はこれまで怖くて訊けなかったことをようやく口にすることができた。
「その、わたしは職務を一時的に放擲したわけですが、そのことについて何か思うことはありませんか?」
「ん、特にない。もしかして一時的に姿を消したから役立たずとか使えない奴とかなじられると思っていたのか? それとも咲夜はあれか、ご主人様に手痛い言葉をぶつけられるのが好きなマゾヒストだったりするの?」
「いえ、そんなことはありません。痛いのは嫌いですし、褒められるほうが好きですね」
「そうだろう、そうだろう。わたしも褒められるほうが良いし、療養の退屈を埋め合わせる話を持ってきたことは素直に褒めてやる」
「そう言っていただけると奇妙な体験をした甲斐があったというものです」
 咲夜は知りたがりではないし、詮索するような性格ではないが、今のレミリアはとても機嫌が良いらしく、この場を逃しては機会もなさそうだと思い、体調回復のポーズに甘えることにした。
「もし褒美が許されるならば、一つだけ質問をよろしいですか?」
「ああ、もちろんだ。ただしスリーサイズと体重だけは駄目だぞ」
 それらにも少しばかり興味はあったが、すぐに逸れかけた思考を元に戻す。
「お嬢様はこの郷が空飛ぶ船の中に創られていることを知っていましたか?」
 咲夜がその話をしていた間、さして慌てるでも驚くでもなかったから知っていると思ったのだが、レミリアは首を横に振るだけだった。
「いやー、流石にそこまでは知らなかった。大規模な引っ越しをしたとは聞いていたが」
「大規模な引っ越し、ですか?」
「ああ、最初の郷がいよいよ立ち行かなくなったらしく、新天地の移転を決定したという報告は受けていた。妙な違和感を覚えることは幾度となくあったし、月の発する光から力が失われていて明らかに別物だったから、おそらくわたしが気付かないうちに引っ越しは完了したんだなと考えた。まあその頃のわたしは棺桶に閉じこもることばかり考えていたから外界の変化なんてどうでも良かったんだけどね」
「でも、お嬢様は棺桶から出てきて活発に動いていますよね。今でも外界の変化はどうでも良かったりするのですか?」
「いや、そんなことはないよ。内心では非常に驚いている。だがそれで取り乱して何かが変わるわけでもなし、不思議なことなんてこの郷にはいくらでもある。あり得ないなんて言葉をいちいち使っていては外出すらままならなくなる」
 それは確かにレミリアの言う通りだった。咲夜はこの世界に生まれてまだ一年も経っていないが、既にいくつもの不思議や不条理に出会っている。そして今回の異変もそうであり、おそらくはこの後にも出くわすことになるだろう。それらに怯んでいては館の中でメイドの仕事をこなすことすらできなくなるに違いない。この屋敷もまた数多の不思議を内包する場所なのだから。
「今回は届かなかったが、いずれ機会はやってくるだろう。それまでにはわたしももう少し力を回復させておくし、お前ももう少しは使えるようになってみせることだ。そして今度こそ一番乗りを果たそうじゃないか」
 咲夜にとって異常事態はあまり歓迎できることではない、屋敷の管理が疎かになってしまうし、もう一人の主はかつて郷を脅かしたことと存在の特異さから外部の存在に狙われる可能性がある。だがレミリアに付き従い、異変を解決して回る一夜はことのほか面白かった。痛い目にも何度かあったし、目的は達成できなかったが、次はもっと上手くやるだろう。そして昨夜以上の不思議をつかんでみせるのだ。
「善処いたします」
 咲夜はそう答えると、いずれやってくるであろう冒険を思い、少しだけ頰を綻ばせるのだった。
 

 巨大アリを中心とした昆虫たちが妖怪の山を席巻した騒動の夜から三日が経った。偽物の月はあの時以来、一度も現れることはなかったし、当然ながら新たな虫が襲ってくることもなかった。かといってあれだけの襲撃があった後なのだから、たとえ何事も起こらないと分かっていても警戒を怠ることはできなかっただろう。
 山のあちこちに建てられた設備は大半が台無しになり、砦のいくつかもぼろぼろで再建が必要だったし、それ以外にもあらゆるところで被害が現れており、佳苗も雑用から荷物運びから必要な木材の運搬からでてんてこ舞い、異変解決を労う言葉すらろくになく、働き詰めであった。
 その日の夜、佳苗は異変が解決してから初めて三柱全員と食卓を囲むことができた。
「いやー、疲れた疲れた。天狗も河童もわたしたちのこと、土建屋か何かと勘違いしているらしい」
 諏訪子はこの中で一番小さく、黙っていれば可憐な少女に見えなくもないが、専用のお猪口から酒をぐいと飲み、でんと胡座をかくその姿はこの中で一番おっさん臭い。そしてこの中で最も神様らしくやることは奔放、気紛れ、だが坤を扱うその能力がなければ山の各所で破壊された建物の再築にはもっと時間がかかることだろうし、河童の工場群も巨大アリに蹂躙されていたはずだ。
「地ならしなら諏訪子の得意技じゃないか」すると神奈子が不満げな顔を諏訪子に向ける。片方の手が一升瓶を抱いていなければ、どっしりと構えるその姿はさまになったかもしれない。「こっちは山と里を何度も往復して、交渉をまとめてきたんだ。そういうのは得意だから問題なかったが、里の人間たちを安心させるために慰労参りをしなくちゃいけなくて、そこで神様神様と世間話を持ちかけられてきて大変だった。こういうのはやはり早苗の役目だよ」
「申し訳ありません。体調が良ければ喜んで手も足も口も動かしたんですが」
 早苗は少しだけましになっていたが、顔色は未だに優れなかった。巨大アリが北の里の工場に押し寄せてきた際、妖力スポイラーなる術を用いてアリの妖力を吸い取り、一気に退治しようとしたのだがどうにも食い合わせが悪かったらしく、心がアリの側に引きずられてしまったらしい。
 それは早苗にとって災難だったが、佳苗にとっては幸いだった。蓄えられたアリの妖力は早苗の力を求めたことによって結果的に佳苗に流れ込み、闇を操るあの妖怪を退ける力を生んでくれたのだから。あの気持ち悪い感覚は二度と味わいたくないが、上手く行ったから良い経験だったと思うことにしておいた。
「全くだ。工場は壊れても再建できるが、早苗に替えはないのだから後を引くような戦い方は避けなければならないよ」
「そういう神奈子だって久々に風を吹かせまくったせいで翌日は結構辛そうだったじゃん。それに神は人と違う。信仰を守るために身を削る覚悟だって求められるし、信者を死地に送る決断に迫られることもある。軍神とも言われた神奈子がそんな、人間の母親みたいなことを言うなんてずるいと思うね」
 神奈子と諏訪子の視線が交錯し、部屋の中が険悪な空気で満たされる。これは外に出て弾幕勝負という名の喧嘩になる流れだが、その前に早苗が柏手を打ち、大きく響く音によって釘を刺した。
「お二方とも、此度は佳苗も立派な働きをしました。些細なことで諍うよりもまず、守矢の神を奉じる風祝の上々な初仕事を労うべきではありませんか?」
 二人は気まずそうに顔を見合わせ、刺々した空気を引っ込める。いつもなら仕方がないなあと言わんばかりに二人の喧嘩を見過ごすので、この行動は佳苗にとって少し意外だった。
「いや、すまんすまん、ついヒートアップしてしまった。もちろん佳苗のことも労うつもりだったよ。というかよくやってくれた。里を護り、被害を最小限に留めてくれたのだから。それに偽物の月が現れなくなったのも、元凶と話をしてある種の合意がなされたからだと聞いている」
 佳苗はあの場所でほとんど何もできなかった。気がついたら奇妙な場所にいて、案内に従ってあの場所までやってきて。皆が揃ってからのことはもう、驚いて良いやら泣いて良いやらでひたすら混乱するばかりだった。美真のように好奇心剥き出しでがんがん質問することもできず、霊夢のように交渉ごとを進める勇気もなく、咲夜のように的確に相手を試すようなこともできなかった。
 だからあの場所では何もできなかったと正直に打ち明けたはずなのだが、特に気にした様子もなかったし、いま改めて佳苗の手柄の一つだと数えられていた。
「わたし、あの場所では本当に何もやっていないのですが」
「だとしても、その宇佐見某はあの場にいた者を基本的には信頼したわけだ。何もしなかったかもしれないが、信頼に足る存在感を示せたと考えて良いと思うよ」
 諏訪子はそこで酒をちびりとやり、頬をほんのりと赤く染める。興が乗っているようであり、佳苗を叱ったり当てこすったりする意図は全くなさそうだった。
「褒めても恐縮ばかりするところは現代っ娘だなあ。もっと昔の早苗みたく、褒められたら鼻を天狗みたいに高く伸ばしたら良いのに」
「えー、わたしそんなことしてませんよ。粛々と風祝の勤めを果たしてました!」
 早苗もまた少しだけ顔を赤くして過去の行いに抗議する。かつて佳苗はこの手の光景があまり好きではなかった。敬わなければならない神様たちだというのに、妙に所帯臭いからだ。しかし今は特に嫌悪感を覚えることもない。ものの好き嫌いは見える風景や感じ方さえ変えてしまうのかもしれなかった。
「分かりました。では受け止めて良いという証として、一つお願いがあるのですが」
「おっ、そういう現金なところは現代っ娘だね。わたしができることなら言ってみると良い」
 諏訪子は自信満々に宣言してからしゃっくりを一つ漏らす。お猪口でちびちびやるくらいの飲み方で酔うわけがないから、お前の願いくらい酔っていても叶えられるというポーズなのだろう。
「教えて欲しいことがあります。この世界が宇宙船の中にあって、今も物凄い速さで宇宙をさまよっているというのは本当でしょうか?」
 佳苗の質問に三人は顔を見合わせる。宇佐見蓮子と名乗る人物の宇宙船に乗り込んだことまでは話したが、そこで彼女が語ってくれた郷の真実については口にしないでいた。話してその通りだと肯定されるのが怖かったのだが、いつまでも見て見ぬふりをすることもできない。三柱が集結した今こそその是非を問うべき局面だと判断したのだ。
「あー……うん、そうだね、その通りだよ」
「諏訪子様!」
早苗が大声をあげて制止しようとしたが、諏訪子は手を上げてまあまあと遮る。
「異界から続々と未知の機械や技術がやってくるこんな状況で、異変解決の矢面に立つような人間から秘密を隠し通せるわけもない。それでもできるだけしらを切るつもりではあったが、佳苗の問いはクリティカルだ。誤魔化すことはできないよ」
 そう説得され、早苗ははらはらとした様子で元の剣幕に戻る。神奈子はそんな二人のやり取りにもどっしりと構えるだけだった。
「それでは本当に、この郷は地球という星の片隅にあるのではないのですね?」
「イエス。かつてはあったが今はない。何故ならば郷は一度、滅亡の憂き目にあったからだ。詳しい説明は省くけれど、我らはかつて地球のどこにも居所がなくなってしまったのさ。だから宇宙を駆ける船に引越ししたってわけだ」
 諏訪子はとんでもない事実を次々と披露し、佳苗を翻弄しようとする。正直言って話についていけている自信はあまりなかった。
「まあ、とんでもない話さ。宇宙船どころか空飛ぶ機械すら発明できないでいる文明の人間に語るには少し刺激が強過ぎる。だから事情を知る者たちはみな、頑なに事実を隠そうとしたのさ。何も意地悪で語らなかったわけではないんだ」
 佳苗はかねてより三柱が、山の妖怪の一部が何かを隠していることを察していた。かつての佳苗は望みが叶わず、家族にも会えず、こんな妖怪だらけの山に一人で住まうことを強制されてくさくさしていたから余計にそのことが許し難いと思っていた。
 隠し事にはそれだけの意味がある。無闇に暴き立てようとすればしっぺ返しを食らうのだ。
「佳苗が隠し事を許せないと言うならば世に広めるもやぶさかではないけどね」
「しませんよ、そんなこと。変な小説かアニメにかぶれたと思われて笑われるのが関の山です」
「まあ、そういうことだ。今後も何らかの拍子で真実に気付くものは出てくるかもしれないが、現在の文明程度では笑い話にしかならない」
「でもいずれ文明は空を飛ぶ機械を生み出し、月を、数多の星々を目指すのでは?」
 そうすればこの世界の違和感に気付くものはどんどん増えてくるだろう。その時にどうするのか、それが佳苗にとっての次の疑問だった。
「その頃には里の人間たちも事実を受け止めるだけの文明を獲得しているはずだ。どうやっても隠し通せないと判断されたとき、全ての真実が遍く明かされる。この世界が宇宙船の中にあり、宇宙を延々と放浪し続けているのかを知るのはそれでも大変なことだろうが、わたしは耐えられると見ている。人間というのは弱い生き物だがときに驚くほどの柔軟性を発揮して状況に適応してしまうからね」
 その理屈はなんとなく分かったが、しかし考えるだけで途方もない話だった。きっと自分が生きている間にはその瞬間は訪れないに違いない。
「試算ではあと三百年余のうちに、里の人間たちは必要最低限な文明を確立すると見られている。佳苗には少しばかり遠い出来事となってしまうな」
 今までどっしりと構えていた神奈子が慰めるようにそう口にする。その瞬間に立ち会えないのは確かに少しばかり寂しいものがあった。
 でも正直なところ、ほっとするところもあった。佳苗はそこまで好奇心も知識欲も高い方ではない。風祝の役目が終われば日常に帰り、普通に結婚して年を取り、死んでいくのだとぼんやり考えている。
「わたしは見られないかもしれませんが、わたしの孫の孫の孫辺りが立ち会うかもしれません」
 そう口にすると、三柱は再び驚いたように顔を見合わせる。そしてなにやら胸をなでおろした様子だった。もしかすると四つ目の柱を目指し、それを見届けようとすることを恐れたのだろうか。
「それはとても素敵なことですね」
 早苗は満面の笑みを浮かべ、佳苗の言葉を肯定する。神奈子も満足そうに頷いているし、諏訪子は酒を注いだ盃を盛んに進めて来る始末だった。
 この三人はわたしに人間でいて欲しいのだ。
 その想いは佳苗にとって、悪いものではなかった。いつかこの三柱のもとを離れることになるだろうが、その時はきっと寂しさを胸に秘めながらも堂々と山を下りることができるはずだ。
 佳苗はそんな確信とともに盃を受け取り、ぐいと飲み干す。今日はこれまでの万難を忘れ、存分に飲み明かそうと思った。


「とまあ、そんなわけでここは地球でもなく、船殻を隔てた先に待つのは真空の宇宙のみというわけだ。エーテルなんて素敵なものは満ちていないし、ひたすらの虚無に放り出される。まあ苦しみはほとんど一瞬だろうし、下手な死に方をするよりは楽に死ねるだろうがね」
 魔理沙は身も蓋もない結論で話を締めくくり、美真に何か聞くことはないかと目で訴えてくる。
「なんというか、小説に出てきそうな話ですね」
 美真もまた、ぶっちゃけた第一印象を口にする。というより他に何を言えといった感じだ。
「ふむ、意外と冷静なんだな。もう少し取り乱したり慌てたりするものかと思ってた」
「驚いてますし慌ててますよ。この世界ってファンタジーの要素が強いのかなと思っていたのにいきなり、ハードSFやスペースオペラみたいな話を聞かされたんですから」
「いやいや、空飛ぶ電車と一緒にやってきた人間の言うことじゃないからな。まあ、いきなり妙な世界にやって来るなんて体験をしたお前が、今更世界の秘密を一つ知ったくらいで、我を忘れるほど慌てるはずもなしか。それならまあ安心というものだ。取り乱した挙句、里中であることないこと語るような兆候があれば対処する必要性があったからな」
 対処がいかなるものなのかは敢えて聞かなかった。命を奪うなんて聞かされたらこれからも一つ屋根の下で暮らしていける自信がなかったからだ。美真は自分にそこまでの度胸があるわけではないと思っている。
「話したとしても信じられませんよ。それならばまだ、未知の妖怪が現れて郷を支配しようとしているという虚言のほうが受け入れられるでしょう」
「そうだな。あんなことがあった直後だから皆も耳を傾けるに違いない。終末思想などの流言が蔓延る可能性もある。そうした輩には警戒しないといけないが、まあそれは宗教家の仕事だ。魔法使いの仕事ではない」
 魔理沙はさらりとそう割り切り、用意されていた茶に手を伸ばすと二口三口と喉を潤す。美真はここでも優等生らしく手を上げてから魔理沙に問いを発するのだった。
「一つ質問があります。今はまだ信じられないかもしれませんが、文明が発達すれば宇宙を行き交う船も現実味を帯びてきます。その時はどうするんですか?」
「そうなったら隠す必要はない。郷の皆に真実を受け入れる準備ができたとして開陳される。といっても頭の良い奴の見込みではあと三百年くらいはかかるということだが」
 三百年という時の長さに、美真は思わず溜息をつきそうになる。だが魔理沙はそれだけの長さを口にしても平然としている。七百年も生きてきたのだから当然なのだが、魔法のみならず心構えという点でもこの師匠にはまだ遥か遠く及ばないことを美真は実感するしかなかった。
「残念そうな顔をしてるな。その頃に自分がいられないのではという落胆も感じる」
「そうですね、三百年はわたしが三人いてもまだ足りません」宇宙船を下りてからぼんやりと考えていたことだが、三百年という時間の提示は美真に一つの決意をもたらした。「魔理沙さん、わたしは魔法使いになることができるでしょうか?」
 この郷において魔法使いには二種類ある。一つは外から魔力を獲得し、貯め込んで扱う人間でもなし得るタイプの魔法使い。もう一つは魔力の内燃機関を獲得し、虫を追い出して寿命を超越した妖、種族としての魔法使いだ。
「死を持つものが、死を克服するのは難しい。わたしもかつてあらゆる無茶をして、ようやく辛うじて成し得たものだ。並大抵の想いでは挫折することになるし、下手すると命を落とす羽目になる。お前にその覚悟はあるのか?」
 いきなり凄まれても覚悟なんてものがあるわけない。長生にそこまでのリスクが伴うものだと、いま初めて知ったのだから。それでも覚悟を問われたからには命を延ばして足る理由をなんとか捻り出すべきなのだろうかとも考えた。
 でもそれは不誠実な気もしたし、きっとこの人は拙い嘘などすぐ見抜いてしまうと思った。なにしろ嘘をつくことについては何百年ものアドバンテージがあるのだから。
「今のわたしにはそんなものはありません」だから美真はすぐばれる嘘はやめて、胸中を告白することにした。おそらくそれが最善だと信じて。「単にもったいないと思っただけです。小説ですら見られないはずのイベントなのに、時間と寿命に阻まれて見ることができないだなんて。それならわたしが時間を乗り越えれば良いのではないかと考えました」
 これは本当に野次馬根性の延長であり、覚悟の欠片も感じられない。魔理沙はきっと却下し、見通しの甘さを叱るのだと思った。だが魔理沙は叱るどころか快さを示す笑顔を向けてくれた。
「なるほど、美真は存外に快楽主義者なんだな」
 快楽主義などと言われ、美真は思わず顔を赤らめてしまった。覚悟がないと言われたら我慢できたが、まさかはしたないと言われるなんて思わなかった。
「すみません、わたしそんなにいけない子だったでしょうか?」
「いやいや、そうじゃない。魔法使いというのは我儘で、個人的で、知識に淫するどうしようもない生き物だ。美真は善人だし、そういうものとは程遠いからやめておけと言うつもりだったんだが、そこまで個人的な動機を出されるとは思わなかった。そのはしたなさは何よりも魔法使いに適正のある性格であることを示している」
 はしたないことが魔法使いだなんて、それこそ初耳だった。魔理沙に連れられて訪ねた他の魔法使いもまた、そんなのは一言も口にしなかった。
「そこまで個人的で我儘ではしたないなら、わたしからはもう何も言わない。三百年後まで生きる術を存分に探求すれば良い。ただしわたしは一切手伝わないからな。ここからもいずれ退去して、美真だけの工房を持つべきだと思う」
 端から見れば冷たい言い方かもしれないが、美真はそれを激励と受け止めた。魔理沙の言葉は一人でもやっていけるという宣言であり、お尻についた卵の殻は取れたというお墨付きでもある。まだまだ半人前だが、ここからはいちいち指示されなくても自分で動き、決めていって良いのだ。
「一人は慣れると気楽だぞ。たまに寂しくなるかもしれないが、その時はいつでも遊びに来れば良い」
 かつての美真にとって孤独は友であり、同時に寂しいことでもあった。だがこの先、再び孤独になっても寂しさを感じることはないはずだ。いつでも会いに行ける友人がおり、師匠がいるのだから。
「分かりました、明日から森をうろついて工房探しを始めます。あと、お菓子作りも勉強しますね。寂しくなったらお菓子を焼いて、訪ねるための練習です」
「おお、それは今から楽しみだな」
 二人はそんな他愛ない言葉を交わし、くすくすと笑い合うのだった。


 宇宙船から帰還した霊夢を待っていたのはこれまでの二つの事件を足したよりも厄介な報告書の作成だった。虫たちが起こした騒ぎの影響は郷全体に及び、あちらこちらで事件が起きていて、その全てを聞き取り、まとめるだけでも酷く手こずらされた。
 神社にはいつのまにか現れなくなった偽物の月に関する情報を聞き出そうと文が訪ねてくるし、それ以外の烏天狗も訪ねてきて毎日追い払わなければならなかったし、お祭り気分の収まらない妖怪が小さな騒ぎをちょくちょく起こすからその対処もしなければならない。
 宴会なんて開いている暇もなく、半月があっという間に過ぎた。特に理由もなく遊びに来た人間や妖怪と短い間、世間話をするのが唯一の憩いであり、つい先程もふらりと訪ねてきた妖怪とたわいのない話をする機会があった。

『なんかさー、これまでわたしの顔を見るたびに仏頂面って言うのをしてて、嫌な奴らだなーと思ってたんだけど』
 妖精と同じくらいに脈絡のない話題の切り出し方だが、チルノの話し方は概ねこんな感じに始まるから霊夢もさして気にすることなく、ぼんやりと話を聞いていた。
『なんかみんなしていなくなってさ。それはそれでなんだか寂しいんだよね。昔は仲が良かったような気がするし……』
『いなくなったって、ルーミアとリグルとミスティアのこと?』
 ようやく話が繋がり、そっと話しかけてみるとチルノはうんうんと頷くのだった。
『そうしたらさ、向こうから声をかけてきて、話したいことが沢山あるんだって。だからまあ、付き合ってやらないこともないかなって。同じ組織にいた頃はろくに話しかけて来なかったのに』
 不満そうな口調だが顔は綻んでいるし、妙に嬉しそうだった。然るに昔の縁とやらをチルノなりに感じているのだろう。まあ仲良きことは美しきかなであり、妙な異変を起こさない分には霊夢も邪魔をするつもりはない。
『そんなわけで、これから皆と会ってくるんだけど、いつもの格好で大丈夫かな? ちょっとばかしおめかししなくても良いかな?』
『昔の話をしたいならいつも通りの格好のほうが良いと思うわ』

 霊夢の言葉にチルノは真面目な顔で頷いたのち、さよならも言わずにあっという間に神社から飛び去っていった。彼女はきっと誰かに太鼓判を押して欲しかったのだろう。威勢が良いくせにどこか臆病なところが彼女にはある。
「さて、善行を積んだのだから良いことの一つでもないかしら」
 虚空に呼びかけてみるが何も出てこない。急に気恥ずかしくなり、霊夢は気分転換と内心の誤魔化しも兼ねてお茶を一服することにした。
 居間の戸棚から賞味期限の怪しくなってきた煎餅を出し、テーブルに置いてから台所に向かう。とびきりの良いお茶を淹れて戻ってみると、まるで我が家の如く菓子をもしゃもしゃしている不届き者がいた。
「このお煎餅、ちょっと湿気てるんじゃない?」
 小さいほうの紫がここに現れる時はいつも少しぷりぷりしているのだが、今日はすっかり落ち着いていてまるで別人かと思うほどだった。
「妙に大人しいけど、まさか大きいほうが化けてるんじゃないでしょうね?」
 口にしてから有り得そうだなと思ったが、紫は途端に機嫌を悪くしてしまった。
「変なこと言わないで。あいつに化けるだなんて真っ平御免よ。というかあいつ、わたしに化けて霊夢を訪ねたことがあるの?」
 寒さに震えるような仕草からして本当に心の底から嫌がっている様子だった。
「そういうわけじゃないけど、紫がここに現れる時はいつも何かがみがみ言う時 から」
「人をおこりんぼのように言わないで。まあ、ようやく仕事が片付いてほっとしたというのはあるのかもしれないわね」
 目でお茶を寄越せと訴えてきたので、霊夢は自分に用意した湯呑みを紫に渡す。どうせそんなに喉が乾いていたわけではないのだ。
「ようやく霊夢に気を配る余裕もでてきたというわけ。で、あの途中報告は何なのよ。偽物の月を出していた元凶に連れ去られてからのことは記憶があやふやなため割愛するだなんて、そんなの認められるわけがないわ」
「謎の存在に連れ去られ、記憶をいじられてしまったんじゃないかしら?」
「誤魔化さないで。何か隠してるんなら洗いざらい白状してもらうし、そもそもわたしは霊夢の気持ちなど慮る必要はないのよ。痛い目に会いたくなかったらさっさと吐いてしまいなさい」
 そこまで凄まれると霊夢としては為す術がない。先の件では協力もしたが、敵に回れば全力を振り絞っても敵わない相手だ。こちらも凄んではみたが効いている様子は全くない。パワハラを訴えてみても今回だけは例外と言い逃れするだろうし、ここは折れるしかなさそうだった。
「分かったわ、全て打ち明ける。というかあんたのことだから、わたし以外の相手にも話を聞いているんでしょう?」
 紫本人は忙しくても式を飛ばして聞き込みに行かせることは容易なはずだ。しかし紫はそっぽを向くだけで霊夢の問いに答えなかった。
「もしかして、誰にも聞いてないの?」
 再び沈黙。これはどういうことかと思いを巡らせ、偽物の月の影に重なる飛行物体を目撃した時の反応を思い出す。何かを隠しているような、怖れているような曖昧な態度を取っていたし、それに紫にはあの飛行物体が見えていなかった節もある。
「分かったわ、それなら話してあげる。その代わりわたしの質問にも答えなさい。良いわね?」
「それは承服しかねるわ。どうしても答えられない質問だってあると前にも言わなかった?」
「ならわたしは話さない。他の人に、美真や佳苗、咲夜の三人も同じ体験をしているから誰でも良い。さあ、今すぐ行ってきても良いのよ」
 霊夢の態度に紫は強く歯噛みし、これまでの威圧が嘘のようにうな垂れてしまうのだった。
「……ごめん、霊夢。さっきは言い過ぎた、だから貴方の口から話して頂戴」
 やはり紫は怖れているのだ。おそらくはあの宇宙船が視認できなかったことと関係があるに違いなかった。しゅんとしている紫を責めるのは年下を虐めているようで良心も少しだけ痛むが、知りたいことを聞き出すにはこの機会を逃すわけにはいかない。
「その前にいくつか質問に答えなさい。まず一つ目、あんたにはあの宇宙船が全く見えていなかったように思われるのだけど?」
「そう。わたしには見えなかったし、投影された月の周辺に近付くことさえできなかった。あの船はまるでわたしの存在を認知し、対策しているかのようだった。だからわたしはこの攻撃を、月の輩が仕掛けてきたものだと疑ったのよ」
「月というと、永遠亭に住んでいる連中?」
「いいえ、月にはかつて郷と同様の隔絶の中、脅威的な力を持つ存在が住んでいたの。郷の住民たちは月の民に煮え湯を飲まし、最終的には月の権威をどん底まで落とすことに成功したのだけど」
 なんとも信じられない話ではあったが、紫は月に住む民の存在を当然のように語っている。霊夢にとって月は何百年もの後に人類が辿り着く未踏の地としか考えていなかったから、驚きもひとしおだった。
「月の民は恩讐の念をもってここまで乗り込んできたのではないか……しかし、どうやらそうではないらしい。本当に月の民の仕業なら霊夢の説得程度で退くはずもない」
 あの宇佐見某も、月の民であるとは一言も口にしなかったし、こちらを恨んでいる様子は微塵もなかった。彼女はここを脱け出す力が貯まった途端、時を停めて縛りつけようとした者たちに穏便な解決を願い、話し合いを持ちかけてきたのだ。
「永遠亭の仕業である可能性も一応は考えたけど、彼女たちは虫たちが騒いだ一件に乗っかることはしても積極的に絡むことはなかったし、黒幕でもなかった。ここに至ってわたしは偽物の月を生み出した元凶が、わたしや郷とは何も関係のない乱入者でしかないと結論せざるを得なかったの。でもそれだと一つの疑問が残ってしまう」
「紫を狙い撃ちにしたとしか思えない謎の要因はなんだったのか、ということ?」
 紫は霊夢の指摘に大きく頷く。ここに至り霊夢のほうでも紫が何も企んでいないことを知ることができ、ようやく宇宙船に連れ込まれた際の一部始終を語るつもりになった。
「事情は分かったわ。こちらにも分からないことは多いけど話してあげる。でもわたしにだって、どうして紫が特別に弾き出されたかの理由なんて分からないから、答えは自分で探して頂戴ね」
 紫は神妙に頷き、それから途中まで口をつけた湯呑みを霊夢に差し出してくる。こいつ神妙になってさえ図々しいなと思ったが、それは言わないでおいた。

 かくかくしかじか、とっぴんぱらんのぷうと、霊夢は宇宙船の中で経験したことを紫に包み隠さず打ち明ける。霊夢の中で未だ飲み込めていない箇所が多くあるため、なんとか紫に問い質して色々聞き出そうと思いながら、黙して紫の出方を待った。
 何か思い当たる節があるのか紫は深く俯いて考え事をしていたが、少しして探るような表情で霊夢に訊ねてきた。
「もう一度聞くけど、そのマント女は宇佐見蓮子と名乗ったのよね?」
「ええ、宇佐見蓮子よ」
「そして彼女は能力を得た代わり、相棒に会うことができなくなってしまったと」
「本当かどうかは分からないけど、あそこまで来て嘘はつかないと思う。それにしても宇宙船やら不可能なんちゃらより、そんなことが気になるの?」
 霊夢にとっては彼女が宇佐見であることも、相棒がどうのこうのというのもあまり重要なことではなかった。だが紫はそこにこそ己の抱えていた問題の答えを見出したようだった。
「なるほどね。宇佐見蓮子で、相棒に会うことができない……それならわたしが彼女に出会えないのも納得できるというものだわ」
「え、そうなの? それってつまり、紫こそがあの宇佐見某の相棒だってこと?」
「それは違う。でもそう間違えられても仕方がないとは思う。まあその辺は因果というか、妄執というか、それはまた別の物語であるというか……」
 紫は奇妙なお茶の濁し方をすると、遠くを眺めるような視線を浮かべる。どこか霊夢の知らない、もしかしたらこの世界に存在しないかもしれない過去を見つめているのかもしれない。それは突飛な思いつきだったが、何故かそんな気がしてならなかった。
「そっか、宇佐見蓮子か……だったら会いたかったな。わたしの知る蓮子とは違うと思うけど、それでも会ってみたかったわ」
「その宇佐見某って、紫にとって大切な人だったりするわけ?」
「ええ。彼女はわたしを宇宙の孤独から救い出してくれたのよ。のみならず、この郷が載せられた船を宇宙の旅に打ち出してくれた功労者でもある。この世界がいま存在するのは彼女のお陰と言っても過言ではないのよ」
 そんな大した人物には見えなかったのだが、紫がそこまで熱を込めて言うならば本当のことなのだろう。霊夢が宇佐見蓮子という存在を理解するにはあまりにも時間が足りなかったから、紫の態度を信じるしかないとも言えた。
「ありがとう、霊夢。お陰で胸の中をくすぶっていた不安を追い払うことができたみたい」
 そして霊夢に向けた年頃の少女のような満面の笑顔が最後の疑いを払い、そして一つの推測を生んだ。紫はかつてその宇佐見蓮子に強い憧憬を抱いていた。その気持ちはもしかすると恋と呼ばれるようなものだったのかもしれない。
「では、わたしは忙しいからこれで……」
「待った、わたしには質問したいことが山ほどあるの。あんたの不安を解消してやったのだからわたしの不安も解消していきなさい」
 紫は思案ののち開きかけていた境界を引っ込め、どっかりと腰を下ろす。どうやら今日ははぐらかさずに答えてくれるようだった。
「良いわ、もうこの世界の正体を知ってるんだから何を話したって大して変わらない。余程のことでない限りは偽ることなく答えてあげる」
「じゃあ二つ目。この郷はどうして宇宙船の中に入り込んでしまったの? それは最初から? それとも元の世界があってそこから引っ越して来たの?」
「引っ越ししてきた、が正解ね。元の世界ではこの郷を維持できない理由があったの。というのもかつて、外の世界はいよいよ全てのことを科学のみで記述するという段階まで到達していてね。それ以外の幻想を決して許さない社会が生み出されていたの。このままでは郷は一切の幻想を抱かれることなく失われてしまう。だから郷の管理人たちは内に向かう幻想を捨て、外に向かう幻想を獲得しようとした。そのために科学だけでは決して到達することのできない領域、すなわち光の速さを超えて移動できる宇宙船の存在を見せつける必要があったわけ」
「ごめん、ほとんど言ってることが分からないけど……要するに幻想を否定するほど強固になった宗教みたいな科学を、更に否定しようとしたってこと?」
「それで間違いないわ。霊夢はきちんとわたしの言うことを理解しているみたいね」
 紫は霊夢の理解を褒めると、スキマを生み出して湯気の立つお茶を取り出す。それができるなら最初からやれと思いながら、霊夢は話の続きに耳を傾ける。
「わたしたちは人類に破棄されるよう仕組んだ実験用人工衛星を、当時の科学と幻想を緻密に織り交ぜて改造し、発進計画を見事に成功させた。かつてトリフネと呼ばれ、やがて鳥船遺跡と呼ばれるようになったこの人工衛星こそ新しい幻想郷の礎であり、わたしたちはそこに新しい世界を築いたわけ」
「うーむ、なんとも壮大な話だわ。というか壮大過ぎて現実感が全くない」
「太古より国を産むとはそういうものよ。途方もないスケールと熱量が注がれ、初めて完成する」
「神様のやることはいつでも大袈裟ってことか」霊夢は紫の言葉を簡潔な結論に落とし込むと、続けての問いを発する。「では三つ目、この世界が宇宙を駆けているならば目的地はどこなの?」
「そんなものはないわ。この世界は人間に幻想を抱かせ続けるためだけに、光よりも速く飛んでいる。この船が停まるとしたら宇宙の果てにまで到達するか、この郷の人間が停めると判断した時でしょう。今はまだ早いけれど、いずれこの世界が宇宙船の中にあることを受け入れられるほど文明が発展する日がやって来る。その際の選択によってはこの船は停船し、人間が移住できる地球とは異なる惑星に向かうかもしれない。そこで人は文明を更に発展させ、それでいて妖や神とも共存できる世界を築いてくれる……と期待するしかないわね」
「紫はそうなるとは思ってないの?」
「難しいところだと思う。かつての社会が科学万能に傾いていったようのと同じ命運を辿るかもしれないわね。でもわたしは別の可能性を信じたい。そのためにこそ長い時間をかけて科学と幻想が融和した世界を保ち続けているのだから」
 霊夢には紫の瞳に不安と希望が両方きらめいているように見えた。それも彼女がかつての破綻を知っているならば納得がいくというものだった。
「まあ、霊夢には関係ない話だけどね。その頃には間違いなく死んでいるでしょうし。だから霊夢が今回知ったことを重く受け止める必要はないのよ」
 そしてフォローかどうかよく分からない慰めをもって話を締めくくる。
「まあ、確かにそうよね。たかだか十年、二十年の間に成し遂げられることじゃないし」そして霊夢もさして惑うことなく紫の言葉を受け入れる。というよりそろそろ面倒臭くなってきたというのが正しかった。「ちなみに紫はその日が来るのを何年後だと考えているの?」
「ざっと三百年といったところね。そんな遠い未来にもなれば科学と幻想が高度な次元で融和し、それに伴って社会に凪がやってくるでしょう。科学は致命的に停滞し、幻想は静止する。その時こそ全ての存在に真実が明かされ、郷の存続の是非が容赦なく試されることになるのよ」
 叶うならばその日をこの目で見てみたかったが、しかし霊夢に人間をやめるつもりはなかった。人でなしを退治する巫女が人でなしになるのもなんだかなあと思ったし、長寿を生きるのはどうにも面倒臭いと思えてならなかったからだ。
 それならば人間として生き、往生したほうが良い。若干じじむさい考え方だが、どうにもそれが自分の性に合っていそうだった。
「まあ、遠い将来の話はさておきましょう。あいつらが暴れたせいで被った被害はまだ収まってないし、街灯の数をどうするかで各里の意見が分かれていて揉めてるし、やることが満載過ぎて困っているの。だというのに郷の賢者たちと来たら全く働こうとしないでどっしり構えているばかり。本当、勘弁してもらいたいものだわ」
「……また愚痴を零したい時が来たら、聞いてあげるわ。お茶と湿気てない煎餅も出してあげる」
「ありがと。霊夢も程々に頑張りなさいな。あと、さっき話した宇宙船云々を報告書に盛り込む必要はないわ。記憶が曖昧で方々には通しなさい」
「どうせ話したところで里の人間たちは誰も信じないわよ」
「さもありなん。では、今度こそお暇するわ。わたし、煎餅も好きだけど甘いお菓子はもっと好きだってこと、留意してもらえると嬉しいかな」
 そう言って紫はスキマを開き、慌しくこの場から姿を消す。本当はもう一つ聞きたいことがあったけれど、それはまた次の機会に持ち越すことにした。
「結局のところ、あの大きい紫とはどういう関係なのかしら?」
 ただ、これは話してくれないだろうなという気もした。異変とも世界の成り立ちとも関係がなさそうだからだ。
「まあ、謎が全て解けても面白くないか」
 霊夢はそう独りごち、お茶を飲むために改めて台所に向かうのだった。


「とまあ、そんなわけでなんとか脱出し、戒めから逃げ出すことができたわけだが」
 宇宙船で起きた一部始終を語り終えた正邪に、紫はからかうような笑みを向ける。それが正邪には腹立たしく、天の邪鬼だというのに素の感情を晒してしまった。
「わたしが仕掛けた時にどうして助けてくれなかったんだよ。あの船を宇佐見とかいうマント女から奪い取る絶好のチャンスだったろうに」
 正邪があそこで無理に仕掛けたのは防衛装置に追い立てられた恨みを晴らすわけではなく、郷全体に力を及ぼすことのできる宇宙船をこの手に握ることが目的だった。紫がしち面倒臭い企みを弄んだのもきっとそのせいだと考えたのだが、それは全くの見当違いだったらしい。
「お前の考えることは本当によく分からない。何を狙い、何を成そうとしているんだ?」
 以前に話してくれたことが本当なら正邪を助けてくれたはずなのだ。ゆえに真意を問い質すのは当然のことだと思ったが、紫の返答は実につれないものだった。
「案外、何も考えていないものよ」
「嘘つけ。そんなんじゃもうお前の協力なんてこっちから願い下げだぞ。全く、今回は本当に酷い目に遭ったよ」
 裏切り者として追い出される、敵に追い回されると、まるで良いところがなかった。それを言うなら紫のリークを受け取るようになってからこちら、ずっと同じ調子なのだが。
「虫がいるって忠告してあげたじゃない」
「ああ、虫はいたよ。うんざりするほど見た。で、ルーミアの話を聞いた感じ、お前がその件で一枚噛んでたようなんだが、それについての弁解はないのか?」
「わたしは彼女たちに好きにやれば良いと言っただけ。解放派の立場と逆らう言動を取るかもしれないからそれをもって虫と言ったのだけど、まさかあそこまで大規模だとは思わなかった」
「白々しい。それなら今回のお前の狙いを話せよ。さもないとお前との協力関係は解消する。これは本気で言ってるからな!」
 紫に凄んでも意味はないと分かっていたが、それでも言わざるを得なかった。それくらい正邪は頭に来ていたのだ。
「それはちょっと困るわね。では正直に白状するけど、実は困ったことが起きていたの。わたしには偽物の月に関する現象をどうやっても認識できなくてね。だから今回の件はわたしをよく知り、対抗する力を持ってこの郷までやってきたのではないかと疑ったのよ」
 正邪にとってそれは全くの初耳だったし、言い訳じみていたがおそらく嘘ではないのだろう。嘘ならもっとらしいことを語るだろうし、偽物の月が現れなくなってからそれを語り出したというのが、より真実味を強くしていた。
「だから警戒しつつ、場をかき乱すつもりでいた。相手の出方をうかがうためにね。実際には虫が郷中を襲う異変が起きて、わたしは一切介入する必要がなくなったため、ことの趨勢を疑っていたというわけ。あの闇の妖怪に襲われていた時も、本当にまずかったら助けるつもりだったのよ」
 なんとも信じ難い話だが、紫は悪びれることなくにこにこ笑うのみだ。やはりこいつとの協力関係は切ったほうが良いのではとも思ったが、彼女の持つ能力が正邪の助けになることも確かだ。ここは素直に折れて貸し一つにしておく局面だった。
「分かったよ、まあ信じることにしよう」
「天の邪鬼の信用、有り難く受け取りますわ」
 正邪は差し出しかけた手を引っ込める。やはりこんなやつとは握手すらする気にはなれない。
「ところで結局、あいつはなんだったんだ? お前とは何も関係なさそうだったが」
 宇佐見蓮子と名乗ったあの生意気な少女は幻想郷のことすらろくに知らなかったし、紫の名前も口にしなかった。教授と助手、相棒についてどうのこうのと仄めかしていただけだ。
「別に何もないわ。きっとわたしだけに特別な力が働いたのは本物の偶然だったに違いない」
 そうでないことは正邪が作成した宇佐見蓮子の似顔絵をちらりと見た時の、紫の表情から察することができた。
 紫は懐かしそうな笑みを浮かべ、見間違えでなければ目にほんの僅かだけど涙を浮かべていた。彼女が何者なのかは知らないが、あの宇佐見とかいう少女は紫にとって本当に大切なものだったのだ。でも二人は出会うことなく、宇佐見蓮子は何処かへ行ってしまった。ここに来ることは二度とないと言っていたから、再会は叶わないものなのだろう。
「というわけで今回はイレギュラーだらけだったけど、次の貴方はきっと上手くやってくれることでしょう。期待してるわよ」
 いい加減、他所から変なものを引っ張って来るのはやめるべきなのではとも思ったが、紫はまだ続ける気らしい。
 どうやら郷の平和はこれからもかき乱されるようだ。しかし今日だけは反骨の相が浮かぶこともなく、正邪は異変の全てが終わった疲労感から大きな溜息をつくのだった。


 気がつくと教授からの通信が大量に入っていた。
 その前にまず計器に目を通したところ通常の宇宙空間を航行しており、天国でも地獄でもなく現実に戻っていることを確認できた。となるとこの通信は現実の教授からのものらしい。計三十二件、後に行くほど素っ気なさと怒りが増していき、最後の一通は泣き言になっている。
「頼む宇佐見、生きていても死んでいても良いから返事をしてくれよ」
 これが三分前だったから今もじっと安否を待ち続けているのかもしれない。蓮子が通信を繋ぐと教授は耳をつんざくような「このバカ蓮子ー!」の怒鳴り声をあげ、蓮子の鼓膜を容赦なく打ってきた。
「あいててて、そんな大きい声を出さないでよ!」
「知るか、馬鹿。いきなり通信断して、宇宙のあらゆる場所から姿を消してしまったんだぞ。わたしと助手がどれだけほうぼう手を尽くしたのか分かっているのか?」
「分かってますって、この船は一台しかないからなくしたら大事になるし、七代のちまで弁償させてやるってことよね?」
 航行に出る前にはいつも聞かされているから耳にタコができている文句だった。しかし教授は何も答えず、鼻をしゅんと啜るだけだった。
「……もしかして泣いてるの? わたしを心配して?」
「阿呆! 仮に泣いていたとしても船がなくなることを悲しんだだけだ。まあそんなことはどうでも良い。宇宙のあらゆる場所から消えるだなんてどんな手品を使ったんだ?」
 こいつ誤魔化したなと思ったが、蓮子は雀の涙ほどの仏心から指摘しないでおいた。
「いや、いつもこの船に乗ったらあり得ないものや不可能なものばかり出くわすけど、今回は実に奇妙な事態にぶち当たったの。通信でも良いけど、実際に会って話したいところね」
 普段はコミュニケーションに質量なんて求めないのだけど、全くの別世界に迷い込んだ不安を解消するには実存を感じておきたかったのだ。教授もそのことを察したらしく、いつもの飄々とした態度に戻っていた。
「分かった、苺大福以外の菓子を何か用意して待っておくよ。それと見込みのある特異点を新たに見つけておいたからそちらについても打ち合わせしよう」
「楽しみにしてるわ。それでは帰投直前になったらまた連絡するから」
 教授との通信を切ると、蓮子は大きく息をつく。一時はどうなるかと思ったが、こちらに戻ってくることができた。相棒だけでなく教授たちにも会えなくなるなんて流石に勘弁して欲しい。いつにない不安を感じたお陰でいつもは簡単にいなせる寂しさをなかなか拭うことができなかった。通信を慌てて切ったのも、少し泣き出しそうになったからだ。
「こういう人恋しいとき、昔は存分にメリー分を補給していたのになあ」
 あまりべたべたしたら鬱陶しいと言われ引き剥がされるのだが、そうしたぞんざいな扱いも含め、メリーとのコミュニケーションは蓮子の糧だった。今は会うこともできないのだが。
 そんなことを考えているとメリー専用の着信音が鳴り響き、蓮子はつい躊躇ってしまった。メリーの声を聞いたら本当に泣いてしまうかもしれないからだ。相棒にどうやっても会えないこの状況に陥ってからも、一度も泣いたことはなかったのに。
 メリーは心配症だから気を使わせたくなかった。でもこのまま着信音を無視し続けるわけにもいかない。蓮子は大きく深呼吸すると、メリーとの通話を繋ぐ。
 そして彼女の第一声を聞いたとき、全てが杞憂であることを知った。人寂しさはどこかに消え、楽しい気持ちが心を満たしたからだ。
 メリーは会うことができなくても蓮子の人寂しさを取り除いてくれた。だから蓮子はたわいのないいつものやり取りを交わした後、愉快げにこう口にしたのだった。

「今回もまた、楽しい出来事があったの。聞いてくれる?」
「ええ、聞かせて頂戴。今度はどんな法螺話が飛び出すのかしら」

 そうして蓮子は幻想郷なる異界の地で遭遇した、法螺のような本当の話を語り始めるのだった。


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この小説へのコメント

  1. 更新お疲れ様です
    気になったのですが妖夢とゆゆ様は後日談は無いんですねw
    あのあとどうしたんでしょうか、帰ったのかな?

  2. お疲れ様でした
    最後に秘封俱楽部が出てくるとは意外でした。
    幻想郷の移転と紫の交代は何か関係ありそうですね。妄想が捗ります。

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