東方二次小説

2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第17話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年10月12日 / 最終更新日:2017年10月12日

 闇は誰にも平等に訪れる。
 少し穿った表現をすれば、闇を知らないものはいないとも言える。だが佳苗の周囲を取り巻く闇は、これまでに一度も味わったことがないものだった。遠くは見えるのに、近くが全く見えない。金髪の少女が離れた場所からこちらを見下ろしているのは分かるのに、手にしている御幣や身につけている服すらも確認できない。
 闇がまとわりついている、と感じた。だから佳苗がまず試したのは、高速で動いて周囲を覆う闇から脱出することだった。そして佳苗はそのためにうってつけの符を持っていた。
《風符「スピードスター」》
 素早く符を宣言すると、周囲に風の膜が形成される。暗闇に包まれているから風の流れを視認することはできなかったが、力場の形成は実感できた。佳苗は己の感覚を信じて上空まで一気に駆け上り、闇を振り払おうと試みる。だが周囲の闇は難なく佳苗の動きに追い縋り、どれだけ動き回っても引き離すことができなかった。
 金髪の少女は何をやろうとしたのか理解したらしく、厭らしい笑みを浮かべる。
「闇を振り払おうとしても無駄だよ。闇は常に光よりも先にあるんだから。光より速く動いたって、それでも逃れることはできない」
 闇に速さがあるなんて聞いたことがないし、ましてや光よりも速いだなんて出鱈目にも程がある。とはいえどんなに速く動いても振り払えないことは確かだった。佳苗は闇から逃れることをやめ、今度は高機動と高威力を活かしての攻撃を仕掛けようとした。具体的には背後を取り続け、風の神の加護を得た竜巻を乱射することで標的への狙いを正確に定められなくても、物量と攻撃範囲によって対抗しようという算段だ。
 そんな動きを見透かしたかのように、金髪少女の周囲を月のように輝く円形の弾幕が取り囲む。こちらを闇で包んだように、自らを光で包んだかのようだった。
《闇符『ダークサイドオブザムーン』》
 前置きなしの宣言とともに、円形の弾幕があらゆる方向にばらまかれ始める。佳苗は慌てて距離を取り、射程範囲から逃れて相手の反応を待ったが、金髪の少女はそれ以上の攻撃を仕掛けてこない。弾幕は全くの空打ちであり、佳苗には彼女のしていることが力の無駄遣いにしか見えなかった。
 察するにこの弾幕はただただ物量をもって、射程範囲に入ってきたものを押し流す類のものだ。攻撃というよりは防御、あるいは力を持っているというパフォーマンス的なものとして使用されるに違いない。
 佳苗は風の結界を維持したまま空中で待機を続ける。アリ相手で力の大半を振り出し、更には一人になったことを好機と見てトリッキーな行動でこちらの力を無駄遣いさせるつもりなのかとも考えたが、全方向、広範囲に力を放ち続けるのとごく狭い範囲の結界を維持し続けるのとでは必要な力の量が全く異なる。たとえ強力な妖怪だとしても、そんなことを続ければ早々に力尽きるはずだ。
 無意味で無謀な行動に見えるが、決して頭の緩い相手ではない。そう判断して油断せずに構えていると、金髪の少女はいきなり佳苗に背を向け、明後日の方向に進み始める。視界を暗闇に閉ざし、喧嘩を仕掛けてきたにも関わらず敵前逃亡だなんていくらなんでも支離滅裂過ぎる。そんなことを考えながら佳苗は金髪の少女が向かう先に視線を向ける。
 何をやろうとしていたのかようやく気付き、佳苗は慌てて少女と弾幕を追い抜くと、前方に回り込んで通せんぼをするように両手を大きく広げる。この先へは絶対に進ませるわけにはいかなかった。
「あら、わざわざ弾幕に当たりに来てくれるだなんて。貴方はとても親切なのね」
「ふざけるんじゃないわよ!」佳苗は憎悪全開でありったけの声を振り絞る。それでも胸の内でごうごうと燃える怒りを表現するには全然足りなかった。「お前が進もうとしている方向に何があるか知らないとは言わせない!」
 彼女が目指していたのはつい先程、アリの攻撃から守ったばかりの工場地帯だった。彼女は弾幕に建物を巻き込み、容赦なく破壊するつもりなのだ。
 通せんぼをする佳苗を見て、少女は歯を剥き出しにし、ぐにゃりと笑う。それは悪意をあまり知らない佳苗のような子供にさえ、一目で邪悪と分かるような表情だった。人里に対する不可侵の約定を持ち出しても無駄であるとはっきりと突きつけられ、佳苗は御幣を握る力を強くする。
「弾幕をかわしながら隙間を見つけ、弾を撃ち込んで撃破する。別に難しいことではないと思うのだけど」
「それならわたしの周りを囲っている闇を取り払ってもらえないかしら」
「それはできない相談ね。わたしの制約を受けたまま弾をかわすのよ。言っておくけど背を向けて逃げるようなことがあれば、ここら一帯は瓦礫の山になると思って頂戴」
 佳苗は忌々しさを噛みしめながら、先程協力してアリを倒した天狗や河童が駆けていった方角に目を向ける。これだけ派手なことをしているのだから、異変に気付いてくれるかもしれないと期待したのだ。
「それと言っておくけど、仲間の加勢はないから」
 金髪の少女は佳苗の期待を丁寧に削ぎ取り、手の内に闇の塊を浮かべる。
「わたしの闇にもっと念入りに包んであげたのよ。今頃は近くも遠くも見通せず、当てもなくさまよっているはず」
 余裕綽々なその様子からしてはったりを言っているとは思えなかった。そしてこれ以上の問答と時間を金髪の少女は許してくれなかった。
「では無駄話もこのくらいにして。さあ、月の裏側へいらっしゃい。五つ数えるうちに入ってこなければ、貴方の視界を完全に閉ざしてしまったのち、工場の破壊を開始するから。貴方は何も見えない中、破壊の音を聞きながら無力を噛みしめることになる。それが嫌なら早く動いたほうが良いと思うよ。ほら、一つ、二つ……」
 高密度、高威力の弾幕にわざわざ飛び込むなんて、できればやりたくなかった。「三つ」だがこの状況では決して退くわけにはいかない。工場を守るのは己の責務なのだから。「四つ」強い決意を胸に、胃の中をぐるぐると巡る不快な感覚を飲み込むと「五……」佳苗はなるべく安全そうな場所から弾幕に飛び込んだ。
「つっと。さて、確かめさせてもらうから。現代の巫女は食べても良い人間なのか、そうでないのかを」
 何か言ったようだが佳苗の耳には入ってこなかった。これまでに体験したことのない視界制限の中、高速で迫る大量の弾を回避しなければならないからだ。
 見えないのはたかだが周囲三メートル程度なのに、攻撃も防御もまるで目測を合わせることができなかった。かわし損ねた弾が風の結界を掠め、軽くぶつかり、そのたびに体勢が崩れそうになるのを立て直す。風が薄くなった箇所に力を込め直して補修しても、すぐに別の箇所が被弾し、攻撃のタイミングを見つけることもままならない。運良く回避できて力を攻撃に回せる機会が来るたび、目測もろくに取らず竜巻を放ってみたが、中央に向かうほど弾幕が濃くなるせいであっという間にかき消される。次にやぶれかぶれで蝦蟇を放ってみたが、すぐに後悔した。敵の弾と接触してごく間近で爆発してしまい、派手に巻き込まれてしまったのだ。
 爆風で弾幕の外側へと弾き出され、安全圏に逃れると佳苗は思わず息をつく。月の裏側を宣言した彼女の符は、それほどに強力で容赦のないものだった。かつて、どんな相手から身を守るために使ったのかと訝しく感じるほどに過剰であり、一介の妖怪退治屋など眼中にないと宣言されているかのようだった。
「さあ、場外脱落はカウント五つで復帰だよ。一つ」
 休みなど許さないとばかりに、無慈悲なカウントが告げられる。「二つ」その顔には曇りの一つもなく、力を使い果たしての時間切れを狙うのは難しそうだった。「三つ」かといってこのまま突撃しても同じことの繰り返しで、防戦一方のまま追いつめられるしかない。「四つ」それならば、何をすればこの状況を打破できるのか。
 かわすことが難しいなら、かわす必要がない技で攻めれば良い。
 時間と実力に追い詰められた頭ではそんな単純なことしか思いつかなかった。
「五つ。残念ながら時間切れだね」
 無慈悲な宣言とともに、視界がどんどんと暗闇に包まれていく。慌てて距離を取り、金髪の妖怪を改めて視界に捉え直したが、近くから遠くへ向けてどんどんと見えなくなっていく。このままでは再び相手が見えなくなり、狙いを定めることすらできなくなる。いや、この状態でも相手を狙い撃ちすることなんてできるはずもない。だから佳苗に残された道はやはり、狙わなくても当たるほどの追尾性能と、弾幕を一気に薙ぎ払うほどの威力を併せ持つ大技しかなかった。
 そんな都合の良い技を佳苗は一つだけ有していた。だがアリ退治で粗方の力を振り絞ったこの状況で使えるようなものではない。万全であってなお撃てるかどうかというくらい、負荷のかかる代物なのだ。それでも今は賭けるしかなかった。
 佳苗は御幣を頭上に掲げ、神奈子に授けられたとっておきの符、神の蛇を使役する符を解放する。
 腹の内に練っていた力があっという間に吸い尽くされ、全身に流れる霊力までが貪欲に奪われていく。視界がぐらぐらと歪み、油断すると意識を失ってしまいそうだった。神の力そのものを扱うこの技はやはり生半可の身で使えるようなものではなかったのだ。
 だが他に手はない。佳苗はかつてこの技を成功させた風祝にして三柱の一つ、今回の異変でパートナーでもあった早苗のことを考え、拳をきつく握りしめる。同じくらいの年である人間の少女にできたのだから自分にもできないはずはない。無謀で無鉄砲な考えだったが、今はそんな細い藁に縋るよりほかなかった。
「これができたらもっと神様を信じる! きっと敬虔な風祝になるから!」
 佳苗は意識を失わないよう叫び声をあげる。その祈りが神に届いたのかは分からないが、佳苗の体から徐々に力の流出が止まっていく。それどころか奇妙な力がどこからともなく湧いてくる。同時に胃の奥のざわざわが火傷の治りかけによく似た疼きに変わり、思わず顔をしかめずにはいられなかった。内側から抉るような痛みには毎月苛まれていたが、あれよりもずっと酷く、心が泡立って落ち着かない。まるで異なる力に支配されようとしているかのようだった。
 里でよく読まれている雑誌に載っているような漫画ならばこの手の変化はパワーアップの兆しだったりするが、これは明らかに違う。受け入れるとまずいことになると直観し、このまま術を続行するべきかという躊躇いが浮かんでしまう。まだ宣言はしていないから、符を収めれば異質の力を拒むこともできる。
 だが佳苗はそうしなかった。この身は数多な神々の依代となるよう鍛えてきたし、何よりもここで力の行使を躊躇えば闇を操る妖怪が里を容赦なく破壊するだろう。それは風祝の行動として、許されてはならないと思ったのだ。
 故に次の行動は収束した力を全て捧げ、神の力を呼び出すことだった。
「大地の如く眠る蛇よ、今こそ荒ぶる本性を示し、全ての道を喰らい、拓け!」
 太古の蛇を呼び出す呪いの言葉にも心が揺れることはない。今なら力を放つことができると確信し、佳苗はここに堂々と宣言する。
《蛇符『神代大蛇』》
 佳苗の求めに応じ、地中から巨大な蛇が飛び出す。神力の塊である蛇は金髪の妖怪に向けて一直線に飛んでいき、弾幕を喰らいながら怯むことなく突き進んでいく。これまでずっと余裕だった金髪少女の顔が危機感で歪み、慌てて弾幕の密度をあげるがそれでも蛇は速度を減じることなく弾幕を喰らっていく。巨大な蛇の口は少女をぱくりと丸飲みにし、さながら龍のように空へ向けて駆けていく。
 佳苗の周囲を覆っていた闇がぱっと晴れ、己の姿を確認できるようになる。術の有効範囲を抜けたか、あるいは術者が完全に力を失ったかのどちらかだった。
 強烈な神の威に敬意を覚えながら、佳苗は蛇が視界から遠ざかっていくのをじっと見守る。あの少女には悪いことをしたかもしれないが、里の建物を破壊しようとしたのだから自業自得のはずだ。もし落下してくるようなら空中で拾い上げ、これ以上の悪さができないよう霊札で編んだ縄を用いてぐるぐる巻きにするつもりだった。
 思考とは裏腹に足ががくがくと震え始め、佳苗は最後の力を振り絞って着地すると片膝をつく。立っているのもきついくらいだったが、まだ意識を失うわけにはいかなかった。他にもアリに襲われている場所がいくつもあり、一休みして力が少しでも戻ったら救援に向かわなければならないからだ。
 佳苗は決意を胸に宿すため、呼び出した神徳にもう一度目を向ける。蛇は大空にあり未だにその姿を失っていなかったが、ぐねぐねと奇妙な動きを見せていた。力が消える兆候だろうかとその様子をじっと眺めていたが、不意に青白い光が一筋現れ、夜空を何度か不吉に照らした。
 蛇の姿がぱっと消え、同時に青白い光もやむ。まるで何らかの攻撃が蛇を薙ぎ倒したかのようだった。
「いや、まさか、そんなことは……」
 慌てて否定しようとしたが、不安は高鳴るばかりであり、月を朧気に覆っていた闇が急速に晴れていくことにより否定できなくなってしまった。そして不穏は金髪少女の形として、佳苗の目の届く所まで下りてきた。
 髪はぼさぼさで服も所々が破れていたが、背中から立ち込める妖気の迫力は失われておらず、目は紅玉のように爛々と輝いていた。
 佳苗は手負いの獣ほど怖ろしいという言葉を思い出し、ごくりと唾を飲む。そんな心中を敏く察したのか、金髪少女は佳苗をじっと睨みつける。思わず竦みそうになるほど怖ろしかったが、佳苗はままならない体でしっかと立ち、威を跳ね返すように眼上の妖怪を凝視する。体がぼろぼろでも、神と人との橋渡しをする風祝が妖怪に怯むわけにはいかなかった。
「神意を玩具にするだけでなく、きちんと操ることもできるとは思わなかった。生半可な相手だったら食べちゃおうかなと考えてたんだけど」
 さらりと怖ろしいことを口にしながら、次には楽しげな笑みを浮かべてみせる。これまでに浮かべた侮蔑の笑み、嘲笑が嘘であるかのように、どこかあどけなさすら感じるほど態度ががらりと変わっていた。
「それはやめておこうかな。貴方のような人間ならいてくれたほうが良いからね」
「えっと、それはどういう意味なの?」
「貴方はわたしの闇をきちんと怖れてくれた。それでいて闇に立ち向かう力を持ち、全力をもって対峙してくれた。そういう人間がいるのはわたしたちのような妖怪にとってありがたいことなの」
 その言い方でぴんと来るものがあり、佳苗は金髪の妖怪に慌てて問いかける。
「もしかして、アリを色々なところにけしかけたのも、街灯や工場を破壊して回ったのも怖れをかき立てるため?」
「人間はこのところ、闇を過剰に遠ざけ過ぎた。このままではいずれ夜を光で満たし、闇に潜むものたちを酷く惨めに追い払っていただろう。だからね、誰かが立ち上がって恐怖を知らしめる必要があった」
 金髪少女の言い分は佳苗にも理解できた。しかし里を襲うというのはやり過ぎだし、そもそも納得のできないことがいくつもある。
「それにしては少し大騒ぎ過ぎるのでは?」
「それは仕方がないと思うんだよね。人間は居住区域を広げ、人口もかつてと比べて大幅に増えている。あれだけの騒ぎを起こさなければ人間全体を脅かすことはできない」
「あと妖怪の山に虫を送り込んできた理由も説明してない。同じ妖怪同士なのよね?」
「貴方は妖怪退治屋のくせに認識が大雑把なのね。例えばアリとかぶと虫は同じ昆虫だから、同じように扱うべきだと言われたら変に思うでしょう? それと同じくらいに頓珍漢なことを口にしているのよ」
 なんとも身も蓋もないたとえだった。妖怪の山の面々が聞いたら、性格や立場によっては顔を赤くして怒り出すかもしれない。
「それに山の連中は人間に少し肩入れし過ぎる。大昔には策動を通して人間が参拝できるよう取り計らったし、今も人間に生産できない機械や部品を供給している。それは強い妖怪に守られているという錯覚を人間に与えてしまうことになるのよ。だからその幻想も叩き壊す必要があった。郷において守矢も妖怪の山も決して万能ではない。野に潜む一介の妖怪ですらこの世界を転覆することができる。その実感を人間は、郷に生きる全てのものは忘れてはいけないの」
 彼女の言いたいことは佳苗にもなんとなく伝わってきた。だがそれは些か時代遅れのようにも聞こえるし、人間を抑圧するべきと当然のように考えている目の前の妖怪の考え方は人間である佳苗にとってあまり愉快なものではない。風祝の立場としては、この問題を快不快だけで片付けてはならず、なるべく冷静に処理しなければならない。
「ああ、難しいことばかり。わたしとしては不埒者が現れたら退治する、くらいのシンプルさが丁度良いのに」
「巫女はそれで構わないと思うよ。そのための弾幕決闘でもあるしね。全く、この仕組みを生み出した奴は巫女の気持ちをよく分かってる」
 金髪の妖怪はくすくすと忍び笑いをもらし、それから服についた埃を払う仕草をする。また何か仕掛けてくるのかと警戒したが、彼女は降参を示すように両手を上げるのだった。
「まあ、決闘ではバツを付けられたけど、貴方のような巫女が現代にもいると分かったし、わたしの役目はこれくらいとしましょうか。どうせもう十分に勝っているのだし」
 彼女はそう言うと妖怪の山の方角に視線を向ける。
「今頃、山の中にある工場も巨大アリが襲撃に向かっているはず。その被害を知れば、人間はより強く虫や夜の恐怖を知ることに……」
「いや、残念ながらないんだなあ、これが」
 煽られた危機感をかき消すような、呑気な声が地中から響いてくる。佳苗にとってはいまや親の声よりよく聞いたことのある声だった。
 地中が一瞬、水面のように揺らめくと予想通り、諏訪子がその中からぬるりと姿を現した。
「里を偵察したとき、光を放つ人工物ばかりが破壊されていたからね。もしかしたら生産元まで狙ってくるかもしれないと思い、備えを施して置いたよ。工場を襲おうとした怪獣みたいなアリたちはみな、わたしが生み出した底なしの沼に落としてやった」
 その言葉に妖怪少女の顔がうんざりといった調子で歪む。
「妖怪の山の中にある施設だから、こことは比べものにならないほど多くのアリを送り込んだのに。神様のくせに大人気ないじゃないの」
「最初に大人気ないことをしてきたのはそちらだからね。とはいえ流石にもうくたくただよ。神奈子も山の妖怪たちもへとへとだし、防衛のために築いてあった施設や砦も大半が酷い有様だ。復旧にはえらく時間がかかるだろうね」
「その言い様、こちらに責任を取れと言いたげだけど。わたし、まだ解放派の一員だから損害賠償はそっちに飛ばしてもらえると助かるわね」
 あれだけのことをやっておいて何とも図太い発言だった。佳苗は思わず溜息をつくほどだたったが、諏訪子は興が乗ったらしくけろけろと蛙のように笑うのだった。
「今は弾幕決闘がブームだからね。その中で勝負がついているならばわたしはもう何も言わない。まだことを荒立てたいと言うのであれば、話はまた違って来るけどね」
 諏訪子はにゅるりと長い舌を出し、ぞっとするような笑みを浮かべる。その剣幕には闇を操る妖怪も流石に気圧された様子だった。
「わたしはもう何もしないよ。なんというかこう、毒気が抜けてしまったというか。ひとまずは満足してしまったから。でも覚えておきなさい、人間とそれに与する山の神よ。人間が夜を侮り、虫を侮り、闇を侮るようになったならばわたしはまた騒ぎを起こすし、わたし以外の別の妖怪が立ち上がるかもしれないのよ」
 闇の妖怪はそう言うと自らを闇に包み、ふわふわと浮いていく。まだ戦うだけの力は残っているはずだが、ここは退いてくれるようだった。
「あ、そうだ」と思えば用件を思い出したらしく、闇はふらふらと佳苗のほうに向かって来る。「そこの面白い人間、名前をまだ聞いてなかった」
 妖に名を名乗るのはあまりよろしいことでないと教わっているが、弾幕を交わして相手の事情を聞いて、それでお互いに名前も知らないというのはなんとも味気ないと感じた。だから正直に名乗ることにした。
「東風谷佳苗です。そういう貴方こそ、いきなり喧嘩を吹っかけてきて名前を一度も口にしていませんが」
「ルーミアだよ。ふむ、それではまた偶然に遭うことがあれば今度は楽しい勝負をしよう。わたしが卑怯な手しか使えないと思われるのは心外だからね」
 天狗とも河童とも、神社の神様たちとも異なる力を操る彼女は戦うに厄介な相手だ。それでも佳苗は躊躇うことなく頷いていた。こちらもまだ見せていない力があるし、やぶれかぶれの大技を放つだけの大雑把な使い手と思われたままなのは悔しいと感じたからだ。
 曖昧な約束を交わすと、ルーミアは今度こそ夜の闇に消えていく。佳苗は二人だけになったことを再確認すると、この場を丸く収める役目を果たしてくれた柱に感謝の視線を向けた。
「さて、これで一段落……佳苗もよくやってくれたからゆっくり休ませてあげたいところだが」諏訪子はぐったりとして足腰の立たない佳苗に手を差し伸べてくる。まだ休んでいる場合ではない、立ってやることを成せと言わんばかりだ。「あのルーミアと闇の力は退いてくれたがアリはまだ退いていない。もう一働きする必要があるね」
 諏訪子の言うことはもっともだったが、それで体が動くようになるわけではない。それにほっとしたせいか胃の奥に巣くったむずむずが酷くなり、気持ち悪くてたまらなかった。
「ふむ、本当は自分で消化するのが佳苗のためでもあるし修行にもなるんだが、今回ばかりは仕方ないか」
 よく分からないことをぶつぶつ呟くと、諏訪子は佳苗の腹に手を伸ばし、さわさわと何度か撫でる。最初はくすぐったかったが、すぐにぶよぶよとした気色悪い感触に代わり、そしてすぐに信じられないものを目にすることになった。
 諏訪子の手が佳苗の皮膚と肉を突き抜け、中に入っていったのだ。あまりの混乱で思考がついて来ず、佳苗は混乱のまま為す術もなく腹の中をまさぐられてしまった。
 気色の悪い行為は十秒ほどで終わり、諏訪子の手は握りしめた状態で佳苗の腹から出てくる。その手が無造作に開かれると中からぱらぱらとアリが零れ、地面に落ちるとすぐに消えていく。その意味に気付き、佳苗は今更ながらに怖気で体を震わせるのだった。
「え、アリ? どうしてわたしの中に、こんなに一杯いるんですか? えっ? えっ?」
「人間というのは不思議なものでね。訓練すれば異なる力を代謝して、自分のものにできるようになるんだ。魔法使いがある種の茸や野草を食らって魔力に変換するように、優れた霊力使いは妖が放つ妖気や瘴気、魔力を取り込んで力に変えることができる。これもその一環だね」
「いや、そんな冷静に説明されても困るんですけど」急に口の中が突然いがいがしてきたし、また吐き気が込み上げてきた。精神的なものだと分かっていても、腹の中にアリがうじゃうじゃしていただなんて考えただけでもゾッとする。「さっきので全部なんですよね?」
「まだ半分くらいは残ってるよ。大丈夫、大丈夫。本物のアリじゃなくてあくまでも妖力だから、すぐに体に馴染んでしまうよ。数日ほどは体が重いかもしれないけど」
「やだー、全部取ってくださいよー!」
 山育ちだから虫は苦手ではないが、たとえ妖力で形作られているだけとはいっても虫が体内にいるだなんて勘弁して欲しかった。だが諏訪子は首を縦に振らなかった。
「そんなわけにはいかないし、そもそも巫女が憑かれることを怖れてはいけないよ。それより半分は取り除いたんだから負担も減っただろう、もう動けると思うが」
 神はこちらの事情を汲み取ることなく話を進めようとする。そして諏訪子の言う通り体の重さはぐんと減り、腹にも力を込めることができた。
「よし、それでこそ我らの風祝だ。おまけに力のストックもお腹の中にたっぷりある。まだまだ働けるぞう」
 力のストックというのはさっきのアリのことに違いなく、戦うための力がじわじわ戻りつつあるのも今の佳苗には憂鬱にしか感じられなかった。
「そもそもどうしてわたしにアリの妖力がごっそり入り込んだんですか? 何もしていないはずですが」
「まあそれには事情があってね。後で説明するけど、結論だけ言うと佳苗は風祝としての役目を知らず知らずのうちに果たしていたんだね。いやはや、跳ね返りの神を敬わない不良かと思いきや、なかなかに持っているものがある」
 風祝の役目といえば守矢の神を立て、敬い、その言葉を聞き、力を示し、もしも荒ぶることがあれば身を呈してでもそれを止めることだ。大昔にはそれが生贄の意味で使われていたこともあるらしいが、こうして生きているのだから自分には当てはまらない。そうなるとどんな役目を果たしたのか、佳苗にはいよいよ分からなかった。
「おっと、もう軽口を叩いている暇はない」諏訪子の言いたいことは佳苗にもすぐに伝わった。新たな巨大アリがここに迫りつつあったからだ。「いやあ、敵も容赦ないね」
「もうアリを見るのはうんざりなんですけど!」
「わたしだって一生分見たさ」
「これ、止められないんですか?」
「それは私たちと関係のない場所での戦いがどう運ぶかにかかっているね」
 関係のない場所とは北の里から遠く離れており、今の佳苗には手の届かない場所なのだろう。何が起きているのかは分からないが、誰が戦っているのかはなんとなく予想がついた。当然のことだが博麗の巫女もまた異変を鎮めるために動いているのだ。
「では、わたしは山に戻る。頑張ってくれたまえ」
「え、手伝ってくれないんですか?」
「山には里と比べ物にならないほどのアリが押し寄せてるんだ。ここに来たのは早苗に剣呑な兆候を感じてのことだったがそれも既に解決されている。だからわたしがここにいる必要はないわけだね」
 それはどういうことかと訪ねようとしたが、諏訪子はその前に地中へと潜行し、声の届かないところに行ってしまった。心強い戦力がいなくなるのは佳苗にとって歓迎できないことだが、同時に朗報もやってきた。別の場所に向かった駐留隊の面々が戻って来てくれたのだ。
 ここではない場所で繰り広げられているはずの勝負の行方は気になるが、いま自分にできるのは里を守ることだ。佳苗はそう自分に言い聞かせ、もう一人の巫女を思って夜空を見上げる。
 闇はすっかり晴れ、夜空には偽物の月が浮かんでいる。だが佳苗の目に映ったのはそれだけではなかった。
 偽物の月と重なるようにして、奇妙な物体が空に浮かんでいたのだ。

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