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2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第6話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年07月20日 / 最終更新日:2017年07月20日

幻想の静止する日 第6話
 レミリアは日が沈むとともに紅魔館で最も高い所、時計塔の頂上に立ち、空を見上げながら微動だにせず、稜線からじりじりと登り続ける月を目の敵のように睨み続けていた。
「ああ、なんてつまらない月なのだろう」
 そうぽつりと呟き、背中から生える一対の翼を大きく広げ、何かを希うように両手をその頭上に広げる。いかにも吸血鬼らしい、なんとも芝居がかった仕草であった。
「あいつめ、久々に姿を現したよしみで一度だけ話に乗ってやったが、こんな月の上がる夜に、たとえ満月であっても面白いことなどあるものか」
 そう言いながらも屋敷に戻らずじっと待ち続けているのは肌をちりちり焼くような、予感にも似た不穏さを感じるからだ。耳を澄ませばいつにも増して静かで、屋敷の外に視線を向ければそこかしこに蠢く何らかの気配を感じる。それが何かまでかは鬱蒼と茂る樹木や背の高い草に遮られて見えないが、その全てがこの屋敷に意識を向けているのがはっきりと分かる。
「単なる小物か、それとも偽りの月がもたらす大擾乱(じょうらん)か。再び表舞台にでてきたこのわたしを見事に楽しませるものであってくれれば良いのだけど」
 レミリアの言葉に応えるよう、夜空に浮かぶ月が唐突に姿を消す。それから墨で塗りつぶしたような闇に包まれた世界を、すぐに眩いばかりの偽物の月が照らし始める。レミリアは頭上に伸ばしていた手を下ろすと、隣にちらと視線を寄越す。時が来るまでは屋敷で仕事をしていると言っていたが、咲夜は生真面目な顔つきで偽りの月をじっと眺めている。
「どうやら開幕の時間のようだ」
「ええ……なんというかその、大きな月ですね」
「節度にも慎ましやかさにも欠けている、これは全くもって酷い偽物だ。かつての異変で郷に浮かんだ偽物はほぼ月と言って差し支えのないものだったのに。これはどうにも月に住まうものたちとは全く関係がなさそうだが、はてさて……」
 咲夜に時間を停めてもらい、探索と異変を兼ねた華々しい行動を開始するべきか否か。些か興醒めと言わんばかりに視線を月へ戻すと、月食の映像を早回しにしたかのように、偽りの月は暗く塗り潰されていき、金環すら浮かぶことなく完全に消失した。
 レミリアは軽く舌打ちをし、顔をしかめる。偽りの月は現れてもすぐに消えてしまうという話を受けていたから、機を逃したのかもしれないと思ったのだ。
「大丈夫です。既に時を停めていましたから逃げられたわけではありません」
「よし、よくやった」レミリアは指をぱちんと鳴らし、咲夜の機転をたたえる。「今日の咲夜は有能じゃないか」
 咲夜は胸を張ろうとして、何も躓くものがなかったのに突如として足を滑らせてしまった。時計塔の頂上で安定しない足場なのに加え、屋根は急勾配だからつるつると転がっていき、遂には空中に投げ出され、そのまま落ちていく。咄嗟のことで空が飛べることすら忘れている様子だった。
 レミリアは素人かよ! と心の中で叫びながら慌てて追い縋り、咲夜の腕をつかむ。それでようやく飛行可能なことを思い出したのか、咲夜はふらふらと空に浮かぶのだった。
「全く、少し誉めるとすぐこれだ。まあ良い、今日はもう失敗したからこれからは大丈夫だと考えれば縁起も良い」
「申し開きのしようもありません……ところであの現象は一体?」
「さあね、わたしたち以外にも今夜の祭りに参加している奴らはいるはずだからその中に犯人がいるかもしれない。そしてその何者かはわたしたちを敵と判断しているのかもしれない。屋敷の外を見てみると良い、お客様が大漁だぞ」
 咲夜は何もない所から象牙色のシンプルなオペラグラスを取り出す。言えば屋敷にある宝石付きの豪勢なものを貸してやったのにと思いながら、レミリアは咲夜の見ているものに視線を向ける。得体の知れないものには慣れていたはずだったが、屋敷の外をいつの間にか取り囲んでいたあいつらには若干のおぞましさを感じずにはいられなかった。
「屋敷に迫る妙な光が多数。はっきりとした形までは分かりませんが、地面を這う六本足ということは昆虫ですかね?」
 レミリアがその正体に言及しようとしたとき、時計塔の動力室から声が聞こえてきた。レミリアは急いでそちらに向かうと備え付けられていた伝声管を手に取り、耳に当てる。空間があらゆる場所でねじ曲がっている紅魔館でどうやって管を繋いだかは分からないが、兎にも角にも伝声管は門番の声をしっかりと届けてくれた。
「当主様、アリです! どでかいアリの群れが屋敷にどんどんと迫っています!」
「こちらからも確認している。まずは相手の力を測り、可能そうなら迎撃、無理そうならば正門は放棄、ぴたりと閉ざしてあらゆるものの侵入を拒むように。あんなものは客でもなんでもない、このレミリア・スカーレットの名において決して招き入れることはないだろう」
「了解、門を閉ざします」
「早いなおい、いくらうちを守る義理はないと言っても、給金は弾んでるんだから少しくらいは粘って……」
「お嬢様、空を飛んで来るものあり!」
「ん? 魔法使いでも飛んできたのか?」
 レミリアは動力室を出て昨夜の指差した方に顔を向け、声を失いそうになった。ぼんやりと紫の光を放つ蛾が大量に迫ってきていたのだ。
「わたしの知識が確かならば蛾に見えるのですが?」
「そうだな、こちらに向かって来ているのはアリだけじゃないらしい……しかしなんというか、微妙に既視感を覚える光景だな」
 遥か昔に偽物の月が空に浮かんだとき、レミリアはあちこちで適度に騒ぎを起こして回っていた。まずは闇を操る妖怪と全く無意味な決闘を行い、次に正体不明の荒れ狂う毛むくじゃらーー倒すと偽物の月の影響で体の調節機能を失った狼女だと分かったーーをすれ違いざまの勝負で倒し、そして最後に遭遇したのが亡霊姫とその従者だった。
 彼女が飛ばして来る大量の蝶に、レミリアはひどく難儀させられた。ストックしておいた血を全て使い尽くすほどの総力戦であり、手数と手数がぶつかり合い、まるで昼間のように眩しい戦場だったと記憶している。
 蝶ならばレミリアは迷わず撃ち落としていたが、似て非なるものの登場にレミリアの頭はほんの少しだけ思考することをやめてしまった。蛾の大群はその間に屋敷を囲う塀に沿って一列に並び、紫色の粒子を一斉に振り撒き始めた。
 良くないことが起きていると直感し、そのことを示すようにパチュリーの怒鳴り声が伝声管を通して響いて来る。喉の弱い彼女が大声を張り上げるなど滅多にないことであり、それだけで余程のことが起きていると察することができた。
「来客払いの魔法に多大な干渉が起きてるわ! 外で何が起きてるの!」
 紅魔館の周囲を巡る塀には正式な手順を踏まずにやってくる不躾な来客者に強力な呪いが降りかかる魔法をかけてある。それがなくなれば屋敷の外をぐるりと巡るアリが一斉に押し寄せてくる。レミリアにとって毛一つも歓迎できない事態だった。
「アリと蛾が大群で押し寄せて来ている。意味が分からないというなら重い腰を上げて外に出て来い、わたしの言った通りのものを目の当たりにするだろう」
 レミリアはパチュリーの抗議を一方的にはねつけると、咲夜に虫たちの掃討を命じようとした。アリも蛾もぐるりと紅魔館を取り囲めるほど大量にいるし、これを放置して外出するわけにはいかないと考えたからだ。
 館の入口からフランが飛び出して来たのはそのようなことを考えていた頃合いであった。彼女の後ろからはめいめいの武器で武装したメイド妖精やゴブリンたちが隊列をなしてぞろぞろと続き、殿(しんがり)を美鈴が務めるという具合だった。
「やけにざわざわすると思ったらまあ、うじゃうじゃと群がっちゃって!」
 高く通る声はまるで鬼の声のように辺りの空気を震わせる。どうやらフランは己の力を振るいたくて仕方のない様子だった。
「フラン、この屋敷を囲う蛾を落としなさい。あいつらときたら塀にかけてある魔法を解こうとしている。あれがなくなればアリがわらわらと乗り込んでくるのよ」
「了解よ、お姉様。あれを全て叩き落とせば良いのね!」
 フランは一気に上空まで駆け上ると、その背丈の何倍……いや、何十倍もの燃え盛る剣を生み出し、横並びの蛾をごうんと一閃する。何十匹もの蛾が一気に蒸発し、残りも激しい炎に目を眩まされたのか統率が目に見えて乱れ、塀に降り注ぐ鱗粉の量がみるみる少なくなっていく。それでも守りの弱い箇所がいくつか突破されたらしく、アリがわらわらと敷地内に侵入してきた。
「フラン、わたしたちも加勢を」
「お姉様と咲夜は西の里に向かって頂戴。あそこもアリに襲われているらしいの。例の月のせいかすぐに連絡が途切れたからはっきりしたことは分からないのだけど、わたしたちはそのことを確かめるため、里に向かうつもりだったの」
 喋りながらもフランは炎剣を振り回し、蛾をぽろぽろと叩き落としていく。けれども蛾は尽きることなく屋敷に近付いてくるし、少しずつ火に慣れてきたのか動きも徐々に精彩を取り戻していく。鱗粉の飛散量もそれに伴い増加していき、アリの侵入数が増加しつつある。まずはこれを討ち果たさなければならないことは明白だし、レミリアは西の里に大きな恩もない。たまにこっそり血を吸わせてもらっているのはありがたいが、それでも紅魔館こそレミリアの居場所であり、人里を優先する気などさらさらなかった。
 そんなレミリアの心を読んだかのように、フランは炎剣を振るいながら必死に訴えるのだった。
「紅魔の領土はいまやわたしたちが愛するこの屋敷だけではない。西の里は必要な血を供給してくれるだけでなく、様々な便宜を図ってくれてるの。だからわたしたちは貴者の責任を果たす必要があるのよ。でも先の霧が発生した事件では、わたしが臆病だったから何もできなかった」
「ふむ、今回も何もしなければ西の里の住人は我々を臆病者と揶揄しかねないか」
 それならば話は別である。吸血鬼は誇りを重んじ、矜持を傷つけられることに憤りを覚える種族だ。そしてフランは汚名返上の機会が与えられたにも拘らず、その役目を自分に譲ろうとしてくれている。数百年もだらだらと引きこもりの生活を続け、未だ鈍らを落としきれていないレミリアだが、その意味を理解できないほど愚鈍ではない。
「大丈夫だよ、こんな虫ケラ如きに負けるわたしじゃないし……これだけ数がいたらどれだけぷちぷちしてもずうっとぷちぷちし続けることができるでしょう?」
 もとい、自分はフランという妹を計り損ねていたらしいと、即座に考えを改める。当主として再び振る舞うようになった自分に華を持たせるのが目的の一つではあるが、フランの心は破壊へと解き放たれており、里の建築物を守りながらちまちま戦うよりもここで全力を出して戦いたいのだ。
 そして一度破壊に心が振り切れば紅魔館の住人がみな全力を出しても止めるのは至難を極めるし、止めるつもりはなかった。虫たちには紅魔館を標的にした報いを受けてもらおうと決めた。
「咲夜、わたしたちは西の里に現れたアリを駆除しに行く」宣言とともにレミリアはフランの攻撃で一時的に蛾の途切れた一角に向けて突撃する。誰も外に出すまいと慌てて蛾が群がってくるも、レミリアは掌を軽く爪で傷つけ、浮かんできた血を散弾銃のように発射して一気に撃ち落としていく。残った僅かな蛾にもナイフが的確に命中し、レミリアと咲夜を遮るものは何もなくなった。「時間を停めてでもわたしの全速に付いて来い」
 レミリアは背後を振り返らず、全速で西の里へと向かう。咲夜の気配は途切れ途切れでついてくるから、引き離されるたびに時を停めて追いついてきているのだろう。レミリアにとっては非常に懐かしい感覚だった。かつての異変でも咲夜はそうやって自分の後に悠々と付いてきたのだ。
 そのことを思い出した途端、熱く逸る気持ちが一気に冷え込む。徐々に速度を落とし、包囲網を完全に突破したと判断したところでレミリアは一旦空中に停止し、周りの様子をうかがった。大軍の追ってくる様子はないが、地上を徘徊する虫の気配がいくつか感じ取れる。
 単に群れからはぐれてしまったのか、それとも斥候のようなことをしているのか。後者であるならば屋敷に攻め込んできた虫たちには頭の働く指揮官がいることになる。虫由来の妖怪にも蟲使いにも心当たりはあるが、あれだけ大量の虫を操るような能力の持ち主は流石に思い当たる節がない。もしかすると最近になって郷にやってきた機械のように、外の世界からやってきた外来種なのかもしれなかった。
「お嬢様、下にいる奴らを撃ち落として来ましょうか?」
「良いさ、罠でも奸計でも不意打ちでも好きなように仕掛けさせれば良い。それらをまとめて薙ぎ払うのが吸血鬼たるこのわたしの戦い方なのでね」
 レミリアは内心を隠して自信満々にそう言い切る。それで不安げな咲夜の表情もぱっと晴れ、それにつられてレミリアも少しだけ気が大きくなった。
 何が待ち受けていようと叩き伏せ、どんな相手であっても容赦なく蹂躙する。そう心に言い聞かせると、レミリアは従者を伴って西の里へと向かうのだった。


 来襲は真夏の夕立のように唐突だった。
 偽物の月が現れ、これまでにない奇妙な消え方をしたことに戸惑っていたらアリがわんさかと現れて魔理沙の家をあっという間に包囲してしまったのだ。こんな場所に住んでいるから家全体に虫除けの呪いはかけているが、それは備蓄している食料や長年かけて蒐集した文献を食べられないようにするためのささやかなものだ。掌大の馬鹿でかいアリに襲われるなんてことは想定していない。外からは壁をかじるような音がひっきりなしに聞こえてくるし、巷で流行りのホラー映画を彷彿とさせ、怪異に長いこと携わってきた魔理沙であっても完全に平静を保つことは難しい状況だった。
 霖之助やアリスの家に電話してみたが何度かけても繋がらないし、以前に使用していた遠隔通話用のマジックアイテムに呼びかけても応答なし。博麗神社も守矢神社もにとりの工房もみんな繋がらない。偽物の月が発生すると電話が通じない、稀に通じても酷く混線してろくな会話もできないことがかねてより告知されてはいたが、便利な通信手段に慣れきってしまうとそれがなくなった時、不安になってしまう。
 それでも魔理沙はそんなものがなかった時代を通過しているから、通じないものは仕方ないと割り切ることができた。対する美真は外の世界でも郷でも通信手段が全く通じなくなるという状況を一切経験したことがないのだろう。先程から酷くそわそわし、通じないはずと分かっているのに何度も何度も電話をかけ、がっくりとした様子で戻ってくるということを繰り返していた。
「そんなにそわそわしていると舞い込むはずの幸運も逃げていくぞ」
「そんなこと言われてもですね、ついさっきまで普通に電話で話をしていたのに今では全く通じないですし、それに電話が切れる直前……」
「アリだー! って叫ぶ声が聞こえたんだろ? どれほどの規模かは知らないが、あちらにも湧いているんだろう。でもそんなに心配する必要はないと思うけどな」
 守矢神社には有力な三本の柱があり、天狗や河童を始めとして強力な妖怪たちがうようよしている。各種族同士は不可侵の約定を布いているが、外難には協力して対応するような体制が整っている。巨大化した虫程度に脅かされたりはしないはずだと魔理沙は考えていた。
 同じことを何度も言って聞かせたし、美真はそこまでしなければ状況が理解できないほど愚鈍ではない。書を好み、頭もよく回る。たまに突拍子もないことを思いつき、実行に移そうとするが、それもまた彼女の想像力が優れていることを示している。だが如何せん、実践不足のせいか意表を突かれるとたちまち頭も動きも鈍くなってしまった。
 魔理沙に宥められて不服そうな表情を浮かべたが、それでも多少の分別は働いたらしくそわそわするのをやめ、近くの椅子に腰掛ける。それから深く俯き、しばらく考えを巡らせていた様子だったが、何か気になることができたのだろう。先程までの不機嫌を忘れたかのように、熱心な質問者の顔つきを浮かべるのだった。
「幻想郷では虫が巨大化するのはよくあることなんですか?」
「虫由来の妖怪にはそんなことができる奴もいる。弾幕化した虫を撃ち放ってくる妖怪と対決したこともあるね。だがここまで大規模なのは見たことがないし、郷に住む虫由来の妖怪たちにそんなことができるとは思えない」
「どうしてそう言い切れるんですか? 道具が知性を持ち、人や妖怪のように振る舞うこの世界なら虫もまた同様に知性を得てもおかしくはないと思いますが」
「それを言われるとこちらも弱いんだがね……」魔理沙はこめかみをぐりぐりと揉みほぐし、かつて得た虫の妖怪に関する知識を思い出そうとする。だが一顧だにせず数百年放置してきた知識がそう簡単に掘り起こせるはずもない。うろ覚えの知識を語るので精一杯だった。「誰が言ったかは覚えてないんだが、虫はかつて強大な力を持っていたらしい。だが時を経るごとに敬われることも恐れられることも徐々になくなっていったそうなんだ。わたしがまだ人間だった頃の、およそ七百年前でさえそうだったんだから、今では推して知るべしだ。解放派にも虫の妖怪がいるけれど、なにしろ新参の付喪神にさえ使い走りにされるくらいだからな」
 妖怪は年を経るごとに力をつけていくものだが、彼女=リグル・ナイトバグはいつまで経っても根無し草の、妖精のように無邪気な妖怪であり、当代の博麗にも正しく虫のようにあしらわれていたはずだ。
「でも、力を持つ虫は少なくともここと妖怪の山に現れていますし、きっと他にも姿を見せているはずです。だとしたらその認識は改めなければならないのでは?」
「でもな、わたしが知る虫の妖怪は皆、吹けば飛ぶような奴らばかりで……」
「だとしたらずっと弱い振りをしていたのかもしれません」
 魔理沙は美真の意見に賛同できなかった。妖怪は程度の差こそあれ誇り高い生き物であり、ことあるごとに存在意義を示そうとする。魔理沙のような元人間ですら、その性質には抗い難いものがある。ましてや虫の脅威を示すために生まれてきた妖怪がその本懐を達する力を持ちながら、侮られてへらへらし続けるとはとても思えなかった。
「郷を覆い尽くすほどの虫を出現させるということは、虫の脅威をこれ以上ないほどに知らしめるものです。薪に伏し、苦い胆を舐めて何百年もの時間をいまこの時のために蓄え続けたのかもしれません」
 美真の言うことが本当だとしたら凄まじいまでの執念である。まだリグルの仕業と決まったわけではないが、もしそうだとしたらいかなる理由が彼女にそんなことをさせたのか、是が非でも聞き出す必要がある。
「当たりにしろ外れにしろ、虫の妖怪である彼女ならば何か知っている可能性は高い。探してみる価値はあるか……」
 祭りを起こすにしても何をすれば良いのか若干考えあぐねていたところもあったが、ようやく方針が定まった。そして臍(ほぞ)を固めれば魔理沙の動きは迅速だった。
「よし、フィールドワークに出かけよう。もっともわたしは星天を止めることに力を傾けるから、いつものような弾幕と速度は発揮できないと考えてくれ」
 既に時を留める複数の力が天空に満ちていた。かつて偽物の月が夜空に浮かんだ時も同様のことが起こり、だからアリスは常に時を停めておく必要はなく、結構な手助けを送ってくれた。だから魔理沙が一人で頑張る必要があったわけではない。そして魔理沙も美真に対し、同じような助けを送る自信はあった。
 それでも期待しないよう注意したのは、魔理沙以外の術が何らかの要因により解けてしまう可能性があったからだ。その場合には魔理沙の術だけで夜を停めなければならない。現状で既にかつての異変とまるで違う様相を見せつつあるので、用心するに越したことはない。
「できる限りのことはやってみます。魔理沙さんが貸してくれたこれもありますし」
 美真はすいすいと空中に呪を描き、魔術ポケットを眼前に出現させる。いつも重装備になりがちな魔理沙が咲夜の使っていた空間操作による収納技術を拝借したもので、この魔法を編み出してからは異変解決にも重たい鞄を背負う必要はなくなった。これは魔理沙が編み出してきた魔法の中で、後世に最も使用されるようになった術である。
 そして美真はそこから、かつて魔理沙が愛用していた八卦路を取り出した。これがあれば未熟な人間の魔法使いでも火力と速度を生み出すことができる。他にもお守りはいくつか持たせているが最も頼りにできるのはやはり八卦炉だと魔理沙は考えていた。
「本当はビデオカメラで一部始終を記録できればベストなんですが、この環境では一切使えないんですよね。とても惜しいことですが、いずれまた機会はきっと訪れるでしょう」
 美真はそう言うと玄関の前に立ち、そっと聞き耳を立てる。
「当然ですが入口はアリで固められていますね。どうしますか?」
「我が家を出発するのにこそこそする必要はない」
 美真は頷くとともに小型の魔法陣を二つ発動させ、玄関のドアに蹴りを入れて勢い良く開く。それから何事かと慌てるアリたちに向けてマジックミサイルを乱射し、混乱を掻き立てていく。見事な手並みであり、魔理沙は思わずひゅうと口笛を吹く。この半年じっくりと仕込んだ成果がいかんなく発揮されていた。
 美真は玄関に立てかけてあった箒を二つとも回収すると、一つを魔理沙にひょいと投げて寄越す。それから土煙が晴れる前に家から飛び出し、ドアを閉めてから上空まで一気にかけ上る。
 魔法の森の上空には蛾を中心として、巨大化した様々な虫が空を飛んでいた。家の周りをとりまくアリたちにようやく慣れてきたところでこの光景は、最初ほどのショックはなかったにしてもかなり心臓に悪いものがあった。
「虫の妖怪を探すんですよね。どこから当たりますか?」
 美真の言葉を聞いた途端、虫たちの羽音がより耳障りになる。まるでこちらを威嚇するかのようだった。どうやら虫たちは人間の言葉を理解することができ、どう行動するべきかも判断できるようで、今にもこちらに攻撃を仕掛けてきそうだった。
「まずは急速離脱、虫のいない場所まで待避する。上手く撒けたらその後は」魔理沙は美真の手をつかみ、掌にこうりんどうと一文字ずつ記していく。アリスのことも気になったが、彼女は自分の身くらい自分で守れるはずだ。対する霖之助は長く生きた妖怪であっても戦闘能力は皆無であるし、それに妖怪にも顔が広いから虫の妖怪の居場所を知っているかもしれない。「これからわたしは星天停止の術を行う。先程みたいなお手並みを見せてくれ」
「了解しました」美真は伝達のために繋いだ手を握り返すと口内でもごもごと呪文を唱え始める。すると二人の周囲を覆う風の壁が形成され、次の瞬間には体に強烈な重圧がかかっていた。大空を飛び交う虫たちは全方向からぶつかって動きを止めようとしたが、周囲に巡らされた風に弾き飛ばされてあらぬ方向に飛んでいく。風の守りは魔理沙が想像したよりもずっと強固に築かれているらしかった。「まずは明後日の方向を目指し、虫たちを撒いたところで転身、目的の場所に向かいます。おっと、一つ補足ですがこの中でしたら外に会話は漏れないですから安心してください」
 もしかすると自分は想像しているよりずっととんでもない奴に魔法を教えているのかもしれない。そんなことを危惧するほど美真の魔法は的確で、その表情は明るく華やいだ笑顔であり、まるでこの危機を楽しんでいるかのようだった。
 だが今はそんなことを憂慮している暇などない。相棒が有能であればあるほど、それを使って物事を成す側はしっかりと考えて行動しなければならない。どこまでできて、どこからできないのか。何が得意で何が不得手なのか。
『魔理沙といるのは、リードをつけないで犬の散歩をするのとよく似てるわね』
 かつてアリスにそんなことを言われて不服だったのだが、今なら迂遠な誉め言葉であったことがよく分かる。予測不能なほど優秀な相手と一緒にいるのはとてもスリリングなのだ。リードのついていない犬というアリスのたとえは間違いなく当を得ている。
「魔理沙さん、なんだか楽しそうですね」
 美真にそう指摘され、魔理沙は繋いでいないほうの手で顔を触る。頬がだらしなく緩んでいるのがはっきりと分かった。
「わたしはもう、怖くて仕方がありませんよ」お前こそ笑っているくせによく言うと思ったが、よく見ると小刻みに震えているのが分かる。笑顔を浮かべたのは襲いかかる恐怖をなんとかいなすためなのかもしれなかった。「こういうのはやっぱり年季の差なんですかね?」
「こんな状況だ、せめて楽しむくらいはしないとな」
 魔理沙はそう言って親指を立てる。美真は一瞬だけ箒から手を離すと親指を立て、魔理沙の親指にちょんと当てる。再び箒を握り、前を向く美真はもう震えていなかった。

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