東方二次小説

2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第12話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年09月07日 / 最終更新日:2017年09月07日

 迷いの竹林はその名の通り、中に入ったものを散々に惑わすような仕組みとなっている。鬱蒼と茂る竹は空や陽光すらも覆い隠し、どこもかしこも同じような光景だからそれだけでも人を迷わせるには十分なのだが、それに加えて様々な罠が仕掛けられており、永遠亭に暮らす者たちが奇妙な惑わしをかけているせいでいよいよ性質の悪いものとなっている。
 住人の裁量によって侵入者を散々に惑わすことも、入口に追い返すことも自由自在。この中を迷わず正しく進むならば案内人と呼ばれる存在の手を借りるしかない。正邪にはそのようなあてがなく、同行者の亡霊と幽霊もどきを頼りにしていたのだが、すぐにそれは甘い考えであると思い知らされた。
 幽々子は竹林の入口まで来ると躊躇うことなく中に入り、妖夢も迷うことなく続いたから何かの算段があると期待していたのだが、代わり映えのしない光景を散々歩かされた後にいきなり「ここはいま、どの辺りなのかしら?」と訊いてきたのだ。
「どの辺りってわたしが知るわけないだろ。あんたこそ知ってるから迷いなくここに足を踏み入れたんじゃないのか?」
「迷うことが分かっているならば、迷うかもしれないなどと迷っても意味のないことよ」
 あまりにも無思考で迷いのない判断だった。そしてそのせいで正邪は散々に迷い、どこに行くことも出ることもできなくなっていた。
「こんな所でぐずぐずしている暇はないんだ。わたしたちはここに逃げ込んだ闇の妖怪を探し出し、企みを止めなければならない」
 正邪の不機嫌な顔にも幽々子はにこにこと微笑むばかりで、反省の色がまるで見られない。こいつはどうにかならないのかと従者である妖夢の顔を見れば、酷く思案げな表情を浮かべ、口元に手を当てている。考えなしの主人と違って道理が通じるのかもしれないと思ったのも束の間、妖夢は剣を抜くと竹をすぱすぱと切り刻み始めた。だが見通しの良くなったのは一瞬のことで、斬られたはずの竹には何の変化も見られない。
「この竹林は惑わしを見せるんだ。本物はあっという間に幻となり、実のある行動は虚へと書き換えられてしまう」
 妖夢は正邪の忠告に大きく頷いてみせたが、次に見せたのは先程よりも素早く辺りの竹を斬って回る姿だった。最初は正邪にも人の形に見えたが、妖夢の動きは徐々に速くなり、遂には旋風のような激しい風としてしか認識できなくなってしまった。だがそれほどの速さであっても全ては幻。いくら斬っても全くの無駄である。
 こんなことをしても意味がないからやめさせろと幽々子に提言するつもりだった。だが口にする前に奇妙な変化が起こり始めた。竹の再生速度が鈍り始めたのだ。実際には幻に斬りつけているだけたがら再生も何もないのだが、正邪の目には再生が遅くなるというあり得ざる光景が確かに映っている。どこからが本当でどこからが幻なのか、いよいよ分からなくなってきた。
 遂には旋風すらも掻き消え、正邪に見えるのは竹林が恐ろしい速さで伐採されていく様だった。
「どう? うちの庭師は剪定が上手でしょう?」
「いやいや、これは剪定の意味を遥かに超えている。伐採……いや、それ以上の何かだ。そもそもどうして幻なのに、実際に斬れているんだ? おかしいじゃないか?」
「幻とて現象の一つに過ぎないわ。それならば斬れない道理はない。幻想殺しなんて、この郷では割合にありふれた能力よ。物騒だから普段は使わないだけで」
 確かにこの郷は幻想の塊のようなところがあるのだから、それを殺す力だなんて普段使いされたらたまったものではない。それにしてもありふれた力だなんて言われたら、それすらにも及ばない自分がいよいよ矮小なものに感じられる。
「それよりも、探索を少し急ぎましょうか。この竹林にかけられているまじないそのものに干渉しているのだから、少しばかり厄介な輩どもが出張ってくるかもしれないわ」
 正邪は「げっ」と、天の邪鬼らしくない素直な嫌がり方を見せる。永遠亭の住人たちに絡まれたら探索どころではなくなってしまう。正邪は切り拓かれていく竹林を進み、しきりに潜むものがいないか探してみたけれど、影も形も闇も見当たらない。ここから既に抜け出して別の場所に移ったのではないかという危惧も浮かんだが、ここ以上に潜伏に適した場所もそうそうない。迷いの仕組みはあらゆる目を、監視を、欺いてくれるのだから。
「それにいくら見事な業前とはいえ、単純な伐採作業を見ているのにも飽きてしまったわ。妖夢、戻ってらっしゃい」
 まるで犬を呼び戻すような言い方だが、妖夢は作業をぴたりとやめ、つぎの瞬間には幽々子の側に立っていた。
「天の邪鬼さんも、わたしの側にいたほうが良いと思うのだけど」
 そんなことを言われたら逆らいたくなるのだが、正邪は気持ちと裏腹に素直な行動を取っていた。逆らえば酷いことになるという直感というか、妙な胸騒ぎがしたからだ。
 幽々子は手にしていた扇を広げ、優雅に一扇ぎする。それだけの動作でこれまで何もなかった空間を蝶の群れで満たしてみせた。それらは四方八方にひらひらと飛び交い、蝶が通り抜けたあらゆる場所に死が訪れていた。竹林はみるみるうちに緑から茶へ、更には白へと移り変わり朽ち果てていく。貪欲で他の植物を許さない竹が、しかも幻だというのにおかまいなく死んでいき、遮るものの何もない荒野が生まれつつあった。
 あまりの掃討ぶりに流石の正邪もぽかんとしているしかなかったが、視界の端に黒い影のようなものが映り、我に返る。一目散に追いかけたかったが、幻にすら死を与える恐るべき蝶の群れを縫って行く度胸は流石になかった。
「追いかけましょうか?」
「そうね、お願いする……」
 妖夢に追撃の命をくだす前に、けたたましい銃撃の音が響き渡る。妖夢は迷うことなく幽々子の前面に立ち、こちらに向かってくる弾丸を抜いた刀で難なく弾き飛ばす。
「狼藉はそこまでにしなさい」今度は頭上から声が響き、正邪は少し迷ってから上空に視線を向ける。青地と赤地が半々の奇妙な色合いをした服を身にまとい、悪戯をした子供を叱るような柔らかい怒りの表情を浮かべた女性に正邪は心当たりがあった。永遠亭の主人、八意永琳だ。「この竹林には少なからぬ手間がかかっているのよ。酷く損なうようならば、代償を支払ってもらうことになるのだけど」
 永琳は掌を上にしてそっと右手を伸ばす。するとこれまで竹林を蹂躙していた蝶がいきなり向きを変え、永琳の差し出した手に集い、その中に吸い込まれていく。そして死を与える力を持つ蝶は永琳を些かも損なうことなく、また苦しめることもない。あるいは完全なペインコントロールを実現しているのかもしれないが、どちらにしても並々ならぬ所業だ。
「ごめんなさい、わたし宵越しの金は持っていないの。宵の向こう側になら蓄えもあるのだけど」
「なるほど、反省する気などないと?」
「謝って許してもらえるならば、頭を地面に擦り付けるのもやぶさかではないのだけど」妖夢が険しい顔つきとなるが、幽々子はふわふわした笑顔を浮かべたままだ。「それならば直接出張って来ず、兎たちに処理は任せるはず」
 勝手に話が進むのを静観していた正邪に、幽々子はちらと流し目を送ってくる。ここは食い止めるとか、先に行けとかそういうことを指し示しているのだとは理解できたが、二人を戦力として当て込んでいたから、よし任せたと先に進むのもはばかられるものがある。かといって何もしないわけにもいかないのが辛いところだった。
「こちらとしては三対一でも一向に構わないのだけど」
「余裕ぶって隙を見せ、物陰に伏せている兎に狙撃させるつもりかしら?」
 その表情からは想像できないほどの険悪な発言であった。幽々子も永琳も何らかの企みを秘めて駆け引きをしているようだが、正邪にはその一端すら垣間見ることができない。なんとも忌々しいことだった。
「それでは遠慮なく先に進むよ。でもね、わたしはとんでもなく弱い。だから早く片付けて加勢に来てくれ」
 屈辱のこもったお願いは存外に気持ち良く、胸中を宥めるために大きく息をつかなければならないほどだった。幽々子はそんな正邪にひらひらと手を振るだけであり、対する永琳も襲ってくる様子はない。お前程度の木っ端など、いてもいなくても構わないということなのだろうか。
 だとしたらその侮りを利用するだけだ。そう心の中で呟き、正邪はそろりそろりと警戒を絶やさぬようにしてこの場から離脱する。幻の竹林は幽々子や妖夢の攻撃が止まったためかみるみる再生を始めており、先程見えた妙な影を追跡するのは難しそうに思えたが、そんな正邪を挑発するように、影は常に視界の端に映り続ける。誘導されていると分かってはいたが、他に手がかりがないからには罠だとしても飛び込まざるを得ない。
 奇襲を警戒しながら竹林の中を進むことしばし、正邪の前に突如として拓けた場所が姿を現す。竹は他の植物が生えられないほど貪欲な植物のはずだが、正邪の辿り着いた広場は普通に草がぼうぼうと茂っており、ぼろぼろに朽ち果てた家屋の残骸はこのような場所にもかつて人が住んでいたことを示している。
 正邪はその残骸を目にし、ここにかつて誰が住んでいたかを思い出した。
「あの厄介な不死身人間の住処だった所か」
 下克上が失敗した正邪は迷いを帯びたこの竹林を潜伏先に選んだのだが、彼女はこのような場所に平然と住み着いており、竹林の案内人を勤めていた。そして指名手配犯となった正邪を執拗に追いかけてきたのだ。その身を平然と燃やし、生命を武器として利用するその戦い方は正邪をして素直に心胆寒からしめるものがあり、だからこそ正邪も彼女のことをすぐに思い出すことができた。
「かつて永遠亭に住んでいた姫同様、不死ではなくなったと聞いているが」
 正邪はその行く末を把握していない。かつて郷に存在していながら、いつの間にか忽然と姿を消してしまったからだ。
「まあ、今はどうでも良いことか。それよりあいつはどこへ行ってしまったんだ」
 郷愁に浸る思考を引き戻し、正邪はぐるりと周囲を探る。だが闇の塊はどこにも見当たらない。汚い挑発の言葉を吐き出そうと口を開きかけたところで、月も星もない夜が更に暗さを増したような気がして思わず空を見上げる。
 この場所では地上と同様に空もまた開けており、闇以外の色をなくした夜が目に入る。そしてその中心に夜よりも暗い闇が集い、中心にいる存在を覆い隠していた。
 闇は徐々に晴れていき、中から紅い眼を持つ金髪の少女が姿を現していく。他者を見下す邪気すら感じられる笑みは、正邪だけでなく周囲に見せていた無邪気さが全て虚飾であったことを否応にも突きつけてくる。
 背後で手を引く別の存在がいるかもしれないと疑うむきもあったが、あの笑顔をみてしまってはとても疑いようがない。正邪を陥れる計画を巡らせたのは彼女自身だ。
「これはこれは。悪いことを覚えたばかりのお嬢様のような表情だ」
「悪いことなんてずっと昔から知ってるよ。わたしは人間を食べる妖怪なんだから」
 彼女は悪を気取っているわけではない。悪いことをしている自分を当然と受け止め、行動するだけの胆力を持ち合わせている。こういう手合いは厄介だと正邪は誰よりもよく知っている。自分が正しくその手のタイプだからだ。
「だから自慢の悪知恵でわたしを追い出しにかかったってわけか」
「自惚れ屋の天の邪鬼を追い出すのに知恵なんて必要ないと思うのだけど」
 そして正邪の言葉に先回るするだけの知力も兼ね備えており、その皮肉は容赦なく正邪を刺してきた。
「それよりもこんな所までのこのことやってきて、何の用かしら。もしかしてわたしを倒せばどうにかなるとでも考えているの?」
 そしてここまでやってきたことが無意味であったと容赦なく正邪に突きつけてくる。正邪は平然を装ってみたが、内心では思いきり舌打ちをしたい気持ちだった。つまり彼女は虫たちによる計画を阻むために必須である情報、すなわちリグルの居場所を全く知らないということだ。
「というかさ、天の邪鬼が異変を解決するために東奔西走するなんておかしな話。いつも騒ぎを起こして誰かを弄ぶ役目なのに」
「わたしは天の邪鬼だからな。騒ぎを起こす奴らがいたら、それを解決したくもなる。何も矛盾したことはないし……それでわたしをはめた奴らへの落とし前をつけられるなら最高じゃないか!」
 堂々と言い切り、あかんべえをしてやるとルーミアは笑みを潜め、失敗したなあと言いたげに眉根を下げてしまった。
「そこまで反骨を優先する奴だとは思わなかった。お前、故あれば機械を解放するという心情もあっさり捨ててしまうんじゃないの? 敵にしたのはまずい対応だったかもね」
 紫との約束がある以上、解放派を裏切るつもりはないのだが、そうした事情を馬鹿正直に語る必要もない。正邪は含みを帯びた笑みを浮かべ、ルーミアの戸惑いを最大限にかき立てようとした。
「今からこっち側に来てとも言えないし、既に計画は完走するか阻まれるかの二択しかない。お前なんて今更、いようがいまいが変わらないのよね。それに……お前はわたしたちが機械を解放するなんてどうでも良いと思っているのを知ってしまった」
「いや、それはお前が勝手に喋っただけじゃないか!」
 それで命を狙われるなんてたまったものじゃないが、ルーミアは棘のある殺意を正邪に向けて放ち始めていた。
「それに考えてみれば、奇妙な機械を次々とこちらに呼び込まれるのも困るのよね。どうやっているのかは知らないけど、わたしたちがやめろって言っても止めるつもりはないのでしょう?」
「いや、ちょっと待て。お前たちはすっかり誤解しているぞ。確かにわたしはどこかからやってくる機械を利用しようと考えている。だが実際に呼び込んでいるのはわたしじゃない。おそらくは八雲が手を引いてる案件だ」
 当代ではなく既に引退した先代のやることだから総意とは限らないが、外からの侵入を黙認くらいはしているはずだと考えていた。どちらにしろ自分には非がなく、お騒がせな境界の勢力が陰に潜んでいるのだということを知らしめ、矛先をそちらにそらすつもりだった。
 だがそれは悪手だった。ルーミアの顔は怒りに染まり、殺気も強烈に膨れ上がる。逆鱗に触れたことは分かっていたが、いつどのように触れてしまったのかが分からず、正邪は狼狽を表に出さないようにするだけで精一杯だった。
「そういうことか! あいつめ、好きにやれと言っておきながら計画を邪魔するように色々と根回ししてたんだな。そう言えばあの幽霊の二人組も確か、あいつと親しかったはずだし、きっと他にも声をかけているに違いない」
 その間にもルーミアは何らかの結論を見出してしまったらしい。もはや戦闘は避けられそうになく、それを示すかのように今まで微動だにしなかった闇がゆらゆらと揺れ始め、月が朧気ながらその姿を現す。同時にルーミアの妖気が一気に膨れ上がる。
 偽物の月を覆い隠していた力の一部を引き戻したに違いない。相応の本気をもって仕掛けてくるつもりであれば、ここはまともに相手をするべきではない。転身し、妖夢や幽々子のいる場所まで戻るべきだった。
「懲らしめて、踏みつけて、あらいざらいに吐いてもらうから!」
 その宣言とともに、正邪に暗いものがまとわりついてくる。それは瞬く間に全身を覆い尽くし、これまで味わったことのない奇妙な感覚を経験することになった。正邪の周囲数メートルが全く見えなくなってしまったのだ。
 それだけなら単に目隠しされただけだが、不思議なことに一定距離以上の遠くは普通に見ることができた。鳥目を反転させたような、遠視の症状を極端にしたような、目眩のするような視界。立っていることさえままならず、僅かに上昇してから上下左右の感覚を慎重に調整する。平衡感覚はすぐに取り戻されたが、この状態で弾幕決闘となれば不便なことこの上なかった。
 地中に穴が空いていれば上下反転して逃れることもできたが、少なくとも正邪の立っている場所に穴は空いていないし、地中に大きな空洞があるだなんて偶然を頼むことはできないと考えるべきだった。では脱兎のようにこの場から逃れるしかないが、それも奇妙に制限された視界では果たすべくもない。
「どう? 不便でしょう。本当は近くも遠くも平等に包んでやりたいのだけど、それでは流石に決闘ではなくなってしまう。お前みたいな悪辣極まりない妖怪に慈悲をかけてやろうと言うのよ。ありがたく思いなさい」
 できればもう少し慈悲増しでお願いしたかったが、ルーミアはそれ以上何も言うことなく、指で虚空に絵を描く。不格好な一匹の鳥は緑色の弾に姿を変え、二つ、四つ、八つと倍々で増加しながら夜空に巨大な鳥の姿をプロットしていく。
「真夜中に飛ぶ禍鳥よ。暗き空を征き、光をついばみ、闇を撃ち落とせ!」
《夜符『ミッドナイトバード』》
 弾幕で形作られた翼は羽ばたくような動きとともに、大量の弾幕を正邪に向けて放ってくる。何の変哲もない、ただまっすぐ飛んでくるだけの弾だったが、すぐに生易しいものでないことが明らかになった。正邪を包む闇の中では飛んでくる弾幕もまた、見ることができなかったのだ。弾が飛んできた方向からして当たらないと分かっていても、闇に紛れて見えなくなった弾の恐怖が薄れるわけではない。軌道を変えて正邪に向かってくるような性質の悪い弾幕でないことだけは救いだったが、いつもならぎりぎりで避ければ良いだけの弾を、不格好なほどの大回りで大袈裟に回避しなければならなかった。
 そんな正邪の心を読んだのか、弾幕の密度が徐々に上がっていき、正邪を包む闇も掠るようになってきた。ここに至ってようやく反撃しなければならないことに気付き、矢印型の弾丸でルーミアを狙ってみたが悲しいほど明後日の方向にしか飛んでいかない。周囲を闇で包まれていると、これまで当然のようにできていた狙い撃ちさえもろくにできなくなってしまうらしかった。
 虚しい抵抗の返礼は、更に密度を増して雨霰のように迫ってくる緑色の弾幕だった。弾幕は周囲の闇に紛れる時間は徐々に長くなり、正邪の動きを自然とぎこちなくしていく。このままでは見えないことへの怖れで押し潰されるのは明白だったが、この視界と弾幕密度ではいよいよ逃亡することさえできない。広場の上空はルーミアがとおせんぼしているし、アイテムを使って竹林に逃げ込んでも群生する竹とこの視界のせいで満足に飛ぶことさえできないならば、いずれは追いつめられてしまう。どんなに不利でもこの広場でかたをつける必要があった。
 そんな正邪の目論見をも挫くかのように、弾幕の翼が更に激しく羽ばたき始める。緑の弾だけでなく、一回り大きな黄色の弾までがぱらぱらと飛んできて、募り始めた恐怖を更にかき立ててくる。
 向こうにはこちらの反応をいちいち確認するだけの余裕があり、正邪を散々に弄ぼうという意志が弾幕から伝わってくる。正邪も性格の悪さは自認しているが、同じくらい意地悪だと判断せざるを得なかった。
 そして実力の差はあまりにも歴然としている。正邪は間抜けなことばかりするルーミアのイメージを完全に追い払い、怒りと悪意をもって襲いかかってくる今のルーミアにイメージを上書きする。そして己を超える脅威ならば、あらゆる反則を使ってでも倒す。その意志とともに正邪は秘密道具の一つを握りしめ、弾をかわしながらルーミアの位置をしっかりと見定める。
 手にした陰陽玉を発動させると、これまで見えていたものが全て闇に包まれる。転移の成功を確認すると正邪は陰陽玉を投げ捨て、もう片方の手に持っていた小槌を両手で大きく振りかぶるとルーミアがいるであろう位置に向けて思い切り振り下ろす。
 何者かを弾き飛ばす大きな手応えを感じたが、その代償もまた大きかった。弾幕はルーミアを殴りつけてもなお消えることなく、何発もの直撃を受けてしまったのだ。正邪は烈しい痛みに気を失いかけながらもなんとか堪え、迫り来る弾を回避しながら十分な距離を取る。あの小槌はかつて様々な追っ手を怯ませただけあって、ルーミアも若干ではあるが苦痛に顔を歪めていた。だが致命傷まではいかなかったらしく、発動した符は止まることなく正邪を狙い続けるのだった。
 苦し紛れに花火を投げつけ、迫り来る弾幕を少しでもかき消そうとしたが、特注品の花火はあっという間にストックが切れてしまい、トイカメラの撮影枚数も見る間に尽きていく。秘密道具が次々に効力を失っていき、対するルーミアは最初に発動させた符が未だ健在であり、少々の手傷を負った程度でしかない。
 これはいよいよやばくなってきた。
 正邪の心に焦りが募り、反撃と逃亡の二つが天秤の片方ずつに乗せられて激しくゆらゆらと揺れる。陰陽玉を投げ捨ててしまったのは失敗だったなと後悔するが、あっても短距離を逃亡するか先程のように特攻紛いの攻撃を仕掛けることしかできない。それも一度手の内を見せたからには二度目は通じない可能性が高かった。
 命中しないと頭では分かっているのにひらり布を使い、込められた魔力が徐々にすり減っていく。敵の攻撃は見えて、自分の周りだけ見えないのがこんなにも怖いだなんて思いもしなかった。
 攻撃が激しくなるたび、当初は朧気だった月が少しずつはっきりとしていく。何らかの意図があって月を隠していたに違いないが、ルーミアにはもうそれをする理由はなくなってしまったのだろうか。そんなことを追いつめられた頭で考えているうち、不意にここから逃れる手段を一つだけ思いついた。
 そしてすぐに頭の中から追い出そうとした。あの道具でそんなことができるはずもないからだ。正邪は全ての道具の限界を明確に把握している。そうでなければ躊躇いなく道具を使うなんてできない。
 思考とは裏腹に、正邪は投げ捨てた陰陽玉を拾いに走っていた。ルーミアはすぐに正邪の考えを察し、弾幕で秘密道具を狙い撃ちしてくるが、正邪は最後まで取っておいた提灯を使い、全ての弾をすり抜けて陰陽玉をタッチの差で拾い上げることに成功した。
 提灯の効き目が切れるまでの僅かな時間を、正邪は月を見上げることに費やす。
 見えるからといって、月のような遠くまで移転することはできない。だがそれはあの月が本物だった場合だ。もしかするとあの月は驚くほど地上に近い高さで浮いているのかもしれない。
 そんな一縷の望みをかけ、正邪は偽物の月に照準を合わせる。
 手にした陰陽玉を発動させると……正邪の姿は決闘の場所から消え、後には的がいないのに放たれる弾幕の空しさだけが残されたのだった。

 
 剣と銃撃がしきりにぶつかり合う決闘を耳にしながら、幽々子と永琳は黙したまま一発の弾幕も放とうとしなかった。二人は互いの手を読み尽くしており、動く必要がまるでなかったからだ。
「あれから七百年が経過してわたしの死もかなり熟成されたと思ったのだけど、それでも不死者を殺すには程遠かったみたいね」
「死を千回重ねて死ぬようなら不老不死とは言わないもの。で、素直に負けを認めたけれど退くつもりはないということかしら?」
「死なないにしても、殺し続ければ疲弊するでしょう? 貴方はかつてこの郷にいた不死者どもより余程死ににくい性質だけど、それでも死に続ければ多少は辛いはず」
「それは否定しないけど、そこまでしてあの天の邪鬼に荷担するつもりなの?」
「それを言うならば貴方こそ、ならずものの妖怪にこの竹林を好きに使わせているようだけど。こうして直接出張ってきたことといい、月の賢者と呼ばれる貴方らしくない行動だと思うのだけど」
 永琳の顔には幽々子の魂胆を見抜こうとする鋭さがあり、幽々子の顔にはことの全てを見届けたいという純粋な好奇心が浮かんでいる。二人とも賢き者であることは共通しているが、知性の発露は全く異なる動機によって示されるのだ。
「わたしがあの天の邪鬼に荷担するのは、古くからの友人が彼女に目を付けているからなの。彼女が持つ反骨の相は研ぎ澄まされればやがて逆神にも届き、運命を逆さまにする行為を更に逆さまたらしめると言っていたわね」
 幽々子の言で、永琳にはその旧友とやらの考えを察することができた。そいつはいざ月と争うことになった際、逆さまの神が大きな壁になると考え、手を打とうとしていたに違いない。それにしてもあんなに弱っちい天の邪鬼を逆神になるまで育てようだなんて数千年単位の計画であり、永琳からしてなお気の長い計画だった。
「既にその必要はなくなったわけだけど、そんなに面白い素材ならちょっとばかり手を貸しても良いかなと思ったの。ほら、たまには体を動かさないとなまっちゃうし」
 むんとわざとらしく力こぶを作る幽々子に、永琳はすっかり気が抜けてしまった。
「亡霊の体がなまるだなんておかしな話だわ」
「そうかしら。幽霊だって夜は墓場で運動会をするのよ。霊体になって生きるには肉体性というものを少しは意識しなければ」
 永琳も戯れで霊体になったことは何度かあるが、体のなまりを感じたことは一度もなかった。何百年も霊で過ごしていれば肉体の実感も少しはあるのかもしれないが、どうにも眉唾くさい。幽々子がのらりくらりとした性格であることを考えれば、これは冗談の類であると受け流すべきだった。
「それよりも、わたしは全て話したのだからそちらもわざわざ出張ってきた理由を話してもらえないかしら」
「こちらも特に理由はない。いつも屋敷の中でじっとしていてはなまってしまうから、戯れみたいなものね」
 幽々子はあらまあ奇遇ねと驚く素振りを見せる。そうして再び好奇心剥き出しの目を永琳に向けてくる。つまりは下手な嘘を吐くなと言いたいのだ。
「どのみち異変は必要だったもの。それに……偽物の月だなんて、しかもかつての月を彷彿とさせる技術の一端を垣間見せているとなれば、黙っているわけにもいかない。もしも月がらみならばわたしが直接赴くことも考えなければならないし、かつての月人が黒幕の一人ということになればわたしの登場で物語を作りやすくなる」
「だから異変を起こす相手を受け入れ、繋がりがあるように演じてみせた? ふうん、だとしたら貴方、わたしが思っていたよりもずっと過保護で、郷の住人なのね」
「一所に長く住んでいれば根も張ろうと言うものよ。それを無理矢理ひっぺがして別の場所に移るよりは、今いる場所が存続するようにするほうが楽じゃない?」
「一理あるわね。もっとも今のわたしたちが定住の民かどうかは怪しいけれど」
「それはまあ、言わぬが華よ」
 幽々子は違いないと言わんばかりに頷き、二人は微笑み合う。当事者たちにとっては厄介極まりない、あるいは一存を賭けた大事ではあるが、端役ともなればこうしてぐだぐだと雑談を交わす余裕もあるというものだった。
「さて、二人のいる所へ向かいましょう。そろそろ決着もついているはず」
 永琳は幽々子に提案を持ちかけ、それから「うどんげ、楽しい勝負はもう終わりよ」と声をあげる。聞こえていないはずはないのだが、剣と銃の撃ち合いは収まることなくむしろ勢いを増しつつあった。
「どうやらあちらは随分とお楽しみのようね」
 永琳は言うことを聞かない兎に一瞬だけ不機嫌そうな表情を浮かべたが、次にはさして気にした様子もなく幽々子を先導していく。あれだけ枯らしたにも関わらず竹林はすっかり元通りであり、永琳が案内をしなければ再び迷い路へと戻っていたはずだ。
 数分ほど歩いたところで竹林が一時的に途絶え、草ぼうぼうの広場が姿を現す。そこに正邪の姿はなく、ルーミアがぼんやりと夜空を眺めていた。
「あらあら、塵すら残らないほど徹底的にやっちゃったのね」
 幽々子の軽口にルーミアは反応する素振りを見せず、忌々しげに何もない一点を凝視する。それは彼女が勝者としてこの場に立っていないことをはっきりと示していた。
「残念ながら逃げられてしまった。わたしすら預かり知らない方法でぱっと消え失せて見せたんだ。天の邪鬼は反則だらけだというから、欺かれる前に押し潰してしまおうと思ったけど、あいつは弱っちいのにどんな窮地でも鼠のように頭が働くらしい」
 だが失敗した割には大して気にも止めていないように見える。ゆらゆらと朧に揺れる夜空は月の隠蔽が完全に働かなくなったことを示しているが、彼女はそこに別の可能性を見出しているようだった。
「それで、二人は厄介ごとを起こしたわたしを退治しにきたの? だとしたら……うーん、貴方たち二人では今のわたしでもちょっと勝ち目はないかな」
「いえ、わたしは二人の決着を見に来ただけよ」
 幽々子の言葉にルーミアは視線を下ろし、少し面白そうな顔をする。
「へえ、助太刀しているように見えたのだけど」
「天邪鬼といえど、路頭に迷って来たものならば見過ごすわけには行かなかったし、妙な騒ぎを起こすつもりだと聞かされていたから、お痛が過ぎるようならば少しばかり自重してもらうつもりだったの。でもまあ、いつもの異変と言って差し支えない状況だったし、これなら問題ないかなあと判断したのよ。今のわたしは『うわあ大変、アリがうじゃうじゃしているわ。それはそうとしてここは道具屋です』と繰り返すだけのノンプレイヤーキャラクターだと考えて頂戴」
「それでは回復薬をいくつかいただけるかしら」ルーミアは冗談に応じ、永琳のほうをちらと見る。「それとも世の擾乱を図るような妖怪には与えられないとでも?」
「薬師だって薬がなければ癒やしてあげることはできないのよ。心や体をずたずたにする薬ならたんまり持っているけど」
 さらりと切り返す永琳に、ルーミアは「おお、怖い怖い」と震える振りをする。この場に刃傷沙汰が起きないことを完全に把握しており、昼間に闇を生み出すようなぼんやりものの妖怪でないことをもはや隠そうともしていなかった。
「貴方はNPCではないってことね。わたしが竹林を隠れ場所にしたいと言った時、黙認したけど本当は見逃すつもりはなかったってことなのかしら」
「そうね……さっきまではそうするつもりだったわ。貴方が空に浮かぶあれを自分のものにしたいと言ったから。でも今の様子を見ていると、とてもそんな野心を抱いているようには思えないのよね」
 どのような魂胆を抱いているのかと言いたげな目を向けられ、ルーミアは僅かに笑みを深める。
「欲を示したほうが理解されやすいと思ったから、あんなことを言っただけ。この異変はあくまでもわたしたち夜の妖怪が起こしたものだと世間に知らしめる必要があるのに、別の力を利用したら意味がなくなってしまうじゃない」
「なるほど……貴方もまた郷の住人というわけね」
「そういうこと。だからあの得体が知れない月をどうにかしたいと言うならば好きにすれば良いの」
 短い会話の中に改めて合意が取られ、永琳はルーミアに向けていた矛を収める。月によく似たあのシステムを悪用しないという約束が取りつけられたのならば介入する必要はなく、幽々子と同じ立場に甘んじれば良い。永琳は自分が異変解決者になれないことを重々承知している。
「では、わたしはそろそろここからお暇するけど良いかしら? もうここでやるべきことは終わったから」
 ルーミアの役目は一定時間を誰にも見つからずに潜伏する、そして郷中に向けた合図を送るというものだった。各地に出現したアリや計画の協力者は全てが陽動、それらの対処に駒を引きつけたところで計画の第二段階を発動する。その合図として偽物の月を包む闇を一部剥がし、朧気に出現させるつもりだった。郷をくまなく照らす月は、郷中に合図を送るのにも適している。そのためだけに、ルーミアは力の大部分を使って偽物の月を闇に包んでいたのだ。
 早々に発見されてしまったのは予想外であり、第二段階への移行が少し早まってしまったが、想定の範囲内ではある。逃げた正邪は気になるが、秘密道具の能力もあらかた使い果たした様子だし、再びちょっかいを出してきたとしても軽くあしらう自信はあった。郷の実力者がどのように動いたかまでは把握できないが、こちらだって何百年も寝かせて来た計画なのだから易々と対処されることはないと信じたかった。
 計画が事前に阻止されることなく発動した段階で、既に一定の勝利は獲得している。郷は夜と虫の恐怖を散々に味わっただろう。だがまだ足りないとルーミアは考えている。夜への恐怖も虫への恐怖も長いこと蔑ろにされてきた。その報いを、この一夜のうちに徹底的に与えてやるつもりだった。
 妖怪の山や北の里に建ち並ぶ工場をいくら潰せるかだ。全ては無理かもしれないが、できる限り沢山の勝利を獲得したかった。
 自分より数段上の実力者が何もせず、これまでとこれからの行いを黙認してくれたことを知ると、ルーミアは迷った末に小さく頭を下げ、竹林の上空を抜ける。拓けた場所であるためか、それとも永琳が配慮してくれたのか、竹林の迷いはルーミアを捕らえることなく外に出してくれた。
「さて、次の目的地は……」
 ルーミアは少し考えてから北の里に向かう。山には徹底して戦力を送っているが、北の里は計画に乗り気でない雷鼓が音頭を取っているから戦力が心許ない。それにルーミアは妖怪よりも人間に、己の怖さを知らしめたかった。夜を奪ってきたのはいつでも人間だったからだ。
 場合によっては一人か二人、食べても良いのかもしれない。これから起きる騒ぎはなんでもない人間の失踪を些細なことにしてしまうのだから。
 ルーミアは舌なめずりをすると、人の住む里へと向かうのだった。

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