東方二次小説

2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第8話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年08月03日 / 最終更新日:2017年08月03日

 西の里は人間が集まって暮らす土地の中で最も夜が明るいことでよく知られている。東の里や北の里では夜に出歩く妖怪たちに配慮してか厳しい灯火制限があり、特に東の里では大の男でも夜に出歩くのはかなりの勇気がいるのだが、そうしたルールから外れたならず者たちが源流の一つである西の里では夜のビジネスが盛んなこともあって真夜中でも割と明るい。
 レミリアにとって夜でも明るい里というのは良いところもあり、悪いところもある。良いところは真夜中でもふらふら歩いている人間をいくらでも見つけられるということだ。そうした輩どもは大体がアルコールを摂取しているのだが、良い酒を適度に摂取した人間の血はなかなかに旨い。それがB型であるならば尚更のことだ。
 逆に悪いところを挙げるとすれば、外も内も明るいから闇に紛れてことを成すのが難しい。これは夜の人出が多いこととトレードオフの関係にあり、吸血行為をスリリングなものにしてくれると考えれば必ずしも悪いことではない。厄介なのはレミリアの姿を見た大人が積極的に保護しようと近付いてくるということだ。それが警察官の場合はよりしつこくレミリアに付きまとってくる。適度な明るさはこの見た目と相俟って人間たちから恐れをすっかりと取り払ってしまうのだ。
 ゆえにレミリアは血が欲しくなると、まるで鼠のようにこそこそと里を駆け巡らなければならない。これはどうも王者の振る舞いとは言い難いのだが、フランは『もはや時代は変わったのよ』と、特に落ち込む様子もなく口にするのだった。
『外の世界との繋がりが断たれて幾星霜、人間は気軽に解体できる資源ではなくなってしまったわ。戸籍もしっかりと管理され、行方不明者が出れば捜索隊が組まれ、妖怪の仕業と分かれば警戒はより厳しくなり、里の明かりも増してしまう。それでも里の礎を築いた紅魔館の住人なら多少のことは目こぼしされるかもしれないけれど、妖怪はこの世界にわたしたちだけじゃないのよね』
 面倒臭いなあと言いたげに口元を窄めて見せたものの、フランは現状をそこまで厭んではいないようだ。館の取り仕切りは我が血を分けた優秀な妹に任せるべきかなと冗談交じりに言ったら凄く嫌そうな顔をされたので、やっていて楽しいというわけではないらしいのだが。レミリアは自分が統治するのに向いているとはあまり思っていないが、君臨するのは楽しい。なかなかままならないものだなあと、そんなことを考えながら『冗談だよ、冗談』とフォローを入れたのだった。
 
「お嬢様、先を少し見て来ました」斥候に出していた咲夜の帰還によって物思いから戻ると、レミリアはその表情をじっとうかがう。どうやら状況はあまり芳しくなさそうだった。「とにかくそこかしこにアリです。地面が三割、アリが七割と比喩しても間違いではないように思われます」
「なるほど、アリの海ってことか。で、そいつらはどんな行動を行なっているんだ?」
「住居に忍び込んだり、人を襲ったりということはしていません。ただ、街灯という街灯、ネオンというネオンが悉く壊されていました。あのアリたちは人工の明かりを嫌っているのでしょうか?」
「だろうな。停電はいつも通りならすぐに回復してしまうから物量に任せて一気に処理してしまったんだろう。今回は咲夜も含め、複数の勢力が術を使っているせいで月は出たままだが……それも何者かが隠してしまったな」
 このような複雑さをレミリアは何度か経験したことがある。いくつかの思惑が絡まっている場合に起こるもので、解決に向かうならば面倒でも糸を一つ一つ解いていくしかない。
「アリたちは歓楽街の付近に特に集中しているようです。まるで何かを監視しているようでしたが」
「あいつらも人間のように酒をかっくらい、女遊びをしたいのかもしれないな」
 場を和ませようと冗談を言ってみたが、咲夜は極めて真面目な答えを返してきた。
「アリは真社会性の生き物ですから、女王アリ以外の相手に気を向けるとは思えないのですが」
「その真社会性が何かは分からんが、昆虫だって妖怪になれば人に惹かれることもあるだろう。ただ、あいつらには当てはまらない気もするが。妖怪にとって厭わしい夜の光を最も頻繁に扱う場所であるからかもしれないね。これまではずっと我慢してきたが、遂に堪忍袋の緒が切れたってことか。まあ人間どもには良い薬だろうよ」
 夜を照らし続けるというのは言葉で示さなくても、夜に生きるものを侮っていると毎日のように語っているようなものだ。怒り心頭に達する妖怪が現れてもおかしくはない状況だった。流石にここまで苛烈なのは予想外だったが。
「だが少しばかりお痛が過ぎた。そもそも妖怪が里に住む人間を積極的に襲ってはならないという不文律もある。そんな決まりを守る義理もないんだが、人間は活気をもって繁栄している状態が結局のところ、妖怪にとってもそれなりに都合が良いんだ。天狗のように鼻を伸ばし過ぎないよう定期的に折る必要はあるが」
「天狗って鼻が高いんですか? わたしが知っている天狗はみな、人間とあまり変わらない鼻だったような」
 いちいち話の腰を折りに来るのは元の咲夜に近いところがある。もっともこちらの咲夜は意図しているのではなく、世間知らずゆえの天然なのだが。
「高い奴もいるんだよ、いずれ咲夜にも見せてやる。そのためにはまず、目の前の問題を解決しなければならない」
「相当な数ですよ、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、わたしに良い考えがある」
 咲夜と話をしているうち一つ閃いたことがあったのだ。上手くいけば短期間でアリの大部分を掃討できるはずだった。
 
 西の里に入ると、レミリアは人の血を吸いに忍び込む時のよう、機敏なる隠密をもって目的の場所まで進んでいく。往来に人を見かけることはなく、破壊は想像していたよりもずっと徹底的だった。
 アリたちは夜を照らす街灯やネオンを破壊し尽くし、一欠片の光を使うのも許さないと言いたげに往来を徘徊している。だが海のようにアリがいるというわけではなく、数は多いが発見されずに進むことは割と容易だった。いざとなれば咲夜の能力を使って強行突破するつもりだったがその必要は一度もなく、目的の場所に辿り着くことができた。
 レミリアがやって来たのは歓楽街の一角に位置し、憩いの場となっている大きな公園だ。その中央には夜になると鮮やかにライトアップされる噴水があり、酔いどれたちの酒でどんよりした心をも照らし出す。
 西の里で最も眩い輝きを放つオブジェクトだが、ライトは全て破壊されており、停電が解除されても光の芸術を目にすることはできなくなっていた。レミリアと咲夜は木陰に潜むと近くにアリや羽虫がいないことを確認してから、小声で作戦会議を始める。
「さて、ここまでは咲夜に頼らず済んだが、ここで時間停止の力を発揮して欲しい」レミリアはパチュリー謹製の符を取り出すと咲夜に手渡す。これはレミリアにとって妥協の産物なのだが、こんな所で役に立つとは思わなかった。「なんだよ、しげしげと視線を向けて。スペルカードなんて今更珍しいものでもないだろう」
「そうですね……ただ、お嬢様が予め用意した符を使うのをわたしは初めて見ました」
 レミリアだって好きで巫女の真似をしているわけではない。この体に妖力が満ち溢れていれば、符も弾幕も精製し放題なのだが、数百年も怠惰な生活を送っていればいかな吸血鬼と言えど劣化は避けられなかったのだ。かなりのところまで力は取り戻したのだが万全とは言えず、それを補うためにパチュリーは一つの悪魔的な思い付きを編み出し、実行に移した。それはレミリアから定期的に血液を抜き取り、その力を呪符に封じ込めていつでも使えるようにしておくというものだ。それにしても吸血鬼から血を抜くだなんて、なんという人でなし、鬼をも怖れる所業だ。
「獅子欺かざるの力ってやつさ。郷全体の運命がかかった探索に繰り出そうというなら尚更のことだ」
 そう言ってレミリアが胸を張ると、咲夜は瞳を輝かせながら何度も頷いてみせる。この辺りの御しやすさはかつての咲夜も同じであり、反則的な力を持っていてもやはり人間なのだなあ、やはり自分のような主人が導かなければという思いを新たにする。
「これを噴水のてっぺんに仕掛けてからすぐここまで戻ってくるんだ。アリの目の前ですってんころりん、なんて醜態を晒さないように気をつけるんだぞ」
「はい、では行ってきます」「戻りました」
 時間を止めての行動だから一瞬で終わるとはいっても、あまりに呆気なさすぎた。咲夜にものを頼む時は一瞬で終わると分かっていたが、いつもは能力の使用を強く制限しているためか、たまに酷く面食らってしまうことがある。早く再び慣れなければいけないのだが。
「よし、良くやった」疑うわけではないのだがなんとなく不安になり、念のために噴水のてっぺんをこそりと覗き見る。符は寸分違わぬ場所にきちんと設置されていた。「では作戦を開始する。わたしが良いというまでは待機だ、良いな?」
 咲夜の頷きを確認してから、レミリアは口上を省略して符を発動させる。噴水のてっぺんからは無数のレーザーと煌びやかな弾幕が生まれ、クリスマスツリーのように飾り立てていく。スター・オブ・ダビデの符名を持つこの技はいつもなら二種類の弾幕で相手を力押しに追い詰めていくのだが、今は夜を鮮やかに、暴力的に照らし出す役割を果たしていた。
 その光に誘われ、アリがぞろぞろと集まってくる。完全な暗闇の中、弾幕決闘用の激しい光を伴う弾幕は遠くにいてもよく目立ち、ひとたび移動が始まれば周辺にいるアリたちの更なる行動をも誘発していく。公園の中はあっという間にアリの海と言って良い状況となった。
「これぞ正しくアリ地獄だな」アリジゴクとはウスバカゲロウの幼虫のことだが、レミリアにはアリがわらわら群がるこの情景のほうがより地獄に相応しく思えた。「これから、アリにとっての地獄が訪れるんだがね」
 レミリアはその速さで一気に上空まで躍り出ると、噴水を飾り立てていた符を停止させ、戸惑うアリたちに向けてパチュリーに押し付けられたもう一枚の符を発動する。
《獄符『千本の針の山』》
 高らかな宣言に思わず上を向いたアリたちは、無数に生み出されたナイフを見て一目散に逃げ始める。たとえ知性がなくとも泡をくって逃げ出しただろうし、少しでも考える頭があるなら尚更のことだ。しかし全ては遅過ぎた。アリたちは降り注ぐナイフに蹂躙され、瞬く間にその数を減らしていく。アリを大きくしていた妖力がそこかしこに漂い、しばらく霧のように煙っていたが、それもすぐに収まり、公園を埋め尽くすほどだったアリはほとんどいなくなっていた。
 そして僅かに残っていたアリも逃すつもりはなかった。咲夜にうそぶいた通りの欺かざるの力をもって、レミリアは容赦なく的確にナイフの雨を降らし、アリを駆逐していく。
 あまりにも呆気なく一方的で鼻白むばかりだったが、どれほど弱くても数は力になる。群れた存在はいつだって、偉大で完璧に近い存在を卑しくも討ち滅ぼして来た。ゆえに一個がどれほど弱くとも群れた相手に容赦する気はなかった。
 アリの掃討を確認すると噴水に仕掛けておいた符を回収し、咲夜の元に戻る。お見事ですと言わんばかりの視線を向けてくれたのがレミリアにはことのほか快かった。
「これをあと何度か繰り返せれば、里に蔓延るアリも粗方退治できるだろう。多少は残るかもしれないが、あとは人間でも退治できるはずだ。単なる流れ作業であり、夜の王の仕事ではない。全くもってやれやれだ」
「わたしも広範囲の攻撃を行う術を持っていれば良かったのですが」
「咲夜の力はそういうのには向いてないよ。最小限の敵を、効率よく的確に倒すためのものだ。ああは言ったが群体の処理はわたしが率先して行うとしよう」
 面倒臭いことこの上なかったが、咲夜には偽物の月を夜に留めるという大任があるから、大事を任せることはできない。露払いも大掛かりになれば主人の仕事かと心の中で呟くと、レミリアはさて次はどこで騒ぎを起こそうかなと思いながら公園を後にしようとした。
 耳を切り裂くような高い音が辺り中に響き渡り、レミリアは咄嗟に耳を塞ぐ。咲夜は大丈夫かと隣を見ればいつの間にか耳に綿を詰めていて、周囲に油断なく気を配っている。次の一瞬でレミリアの耳にも綿が詰められたが、それでもけたたましい目覚まし時計を何十倍にもしたような音が耳を苛み続けている。耳鳴りは激しい目眩を生み、立っていることすらままならない。
 棒立ちのまま何もできないでいると、咲夜にひょいと担ぎあげられる。何もできずに逃げるのは屈辱だが、このままでは戦闘すらままならない。一旦撤退して態勢を整えるべきだった。
 だがそれすらもまま叶わないことがすぐ、明らかになった。咲夜は上空に逃れようとしたのだが、何もないはずのところで衝突し、地上に向けて強く弾き飛ばされてしまったのだ。咲夜は衝撃のせいで気を失ったのかぐったりとしており、真っ逆さまに落ちていく。レミリアは音に抗いながらなんとか翼を広げ、地面すれすれで急停止すると咲夜を受け止めてから地面に下ろす。これだけでは済まないだろうと思いながら周囲を見回し、ようやく敵の姿が朧気ながら明らかとなった。
 巨大化したスズムシがレミリアと咲夜をぐるりと取り囲み、一斉に鳴いているのだった。だがこれだけでは頑健な吸血鬼の心身を揺るがすほどの音に説明がつかない。
 音はますます強くなり、気を失っているはずの咲夜が小刻みに震えるほどだった。あまりの音に空気すら歪んでいるのか、うっすらと白い膜のようなものが浮かび、ひっきりなしに波紋を浮かび上がらせているように見える。
 どこかで見た光景だと思い出し、すぐに半年ほど前の記憶が頭を過ぎる。付喪神たちのコンサートで山彦妖怪が生み出していた音球も、音の形をした弾幕がぶつかるたびに同じような波紋を生じていた。
 巨大化したスズムシの鳴き声を球の中に注ぎ込み、耳をつんざくような音となるよう調律しているに違いない。だとしたら音球のどこかに一穴を穿ち、破壊する必要があった。レミリアは気を失いそうになるほどの激しい音を、歯を食いしばって堪える。鋭い牙が口の中を傷つけたが、この程度の痛みでは意識を保つ足しにはまるでならなかった。だが一糸報いるための武器は辛うじて用意することができた。
 レミリアは口の中一杯に溢れた血を手に吹き付ける。下品だからこんな真似はしたくなかったが、背に腹は代えられない。集った血を細長く練り上げてはみたが槍というにはばかられるほど無骨、こんなものを武器として使うなどいつもならあり得なかった。だが体裁を選んで戦える状況はとうの昔に喪われている。
 余力の全てを武器の形成と肉体の強化に振り当て、大地を蹴ると一っ飛びで音球の天井部まで到達し、穴を穿つべく突きを放つ。凄まじい反発力がレミリアに返り、弾き飛ばされるがすぐに踏みとどまり、寸分違わず同じ箇所に二撃。弾き飛ばされてもすぐに復帰して三撃、壊れかけた槍に血を吹きかけて強度を取り戻すと、先の三つを凌ぐ渾身の四撃目を突き加える。だがそれすらも音球は悠々とはね返し、レミリアは咲夜の倒れている所まで激しく吹き飛ばされた。
 受け身を取る余裕もなく地面に激突したが、レミリアは皮膚が破れ、全身がずきずきと痛むのも気にせずにゆっくりと立ち上がる。霞む視界も淀む思考も、いつのまにか気にならなくなっていた。これだけの血があればより強い力をもってあの忌々しい音の結界を突き破ることができる。それだけを考えながらレミリアは流れゆく己の血に向けて呪を唱え、力の形を確定させていく。レミリアの言葉は暴力に等しい音の中でも過つことなく、血の滾りはもはや止められなかった。
「闇夜満ちる最果ての地にて吸血の王が命じる。眠らぬ夜の都よ、顕現せよ!」
 号令に答えてどす黒い血が赤い光を放ち、十字の形をした巨大な柱となって一気に伸びていく。それは闇に閉ざされた西の里を照らし上げ、ここが吸血鬼の領土であることを打ち立てているかのようだった。
《紅符『不夜城レッド』》
 あらゆるものを串刺し、貫き通すレミリアの虎の子は音球を激しく突き上げる。血と音、二つの力はぎりぎりがりがりと拮抗し、赤い光がぱらぱらと溶接作業でもしているかのように激しく舞い落ちる。だがそれも長くは続かなかった。
 レミリアのスペルが音の結界を破り、今まで内側に向かっていた力が一気に外へと解き放たれていく。それは草木を薙ぎ倒し、音球の周りをぐるりと包囲していたスズムシを遙か彼方へと吹き飛ばしていく。固いものがぶつかって物が壊れる音がひっきりなしに聞こえ、静寂が取り戻されるまでにかなりの時間がかかった。
 その間もレミリアは油断なく更なる攻撃に備えていたが、何かを仕掛けてくる様子はない。音球が破壊されて漏れ出した力に吹き飛ばされたのかもしれないが、その程度で終わるようなやつだとはとても思えなかった。
「すいません、不覚を取りました」
 咲夜は目を覚ます素振りすらなく、しれっとレミリアの隣に立っていた。時間停止の能力者は何をやるにも唐突だ。
「咲夜はよくやったよ、あれはしょうがない」
 逃げやすい所に罠を仕掛けるのは定石だし、分かっていても引っかかるものだ。咲夜の不手際を責めるつもりはないし、今回はレミリアも引っかけられた側だから尚更のこと、誰かを責めるなんてできなかった。
「それよりも気になるのはあいつの行動だ。きっちり待ち伏せしていただろ? あの山彦妖怪、わたしたちが何をするか読んでいたに違いない」
 街灯やネオンを徹底的に破壊することで、アリをおびき寄せて叩くのには強い光でおびき出せば良いのだと思考を誘導してみせたのだ。そして自分はその通りの行動を取った。
「光を用いた策は敵に居場所を知らせるようなものだ。用心するべきだったが、わたしもいささか勘が鈍ったかな」
「わたしはお嬢様の勘がどうのこうのと言えるほど付き合いが長くありません」
 咲夜の非難がましい視線に、レミリアは頬をかく。いささかどころの話ではなく勘が鈍りきっていると察したからだ。パチュリーが心配だからと、子供の遠足のように色々持たせたのも今となって痛いほど理解できた。
「わたしの勘は頼りないし、心と体も未だにちぐはぐらしい」
「それを言うならばわたしはまだまだ頼りないことこの上ありません」
 咲夜の不安げに揺れる表情を見て、レミリアは改めて思い知らされた。彼女の不安は己の不安であり、こうしてままならない姿を見せ続けていれば付いてくるものもやがては付いてこなくなる。かつてレミリアが師父と呼んで敬っていたあの人のように晩節を汚してはならないのだ。
 否、わたし=レミリア・スカーレットに晩節はない。夜は永遠に尽きず、ゆえに不滅である。だから常に堂々としていなければならない。
「わたしは既に一度失敗した。敵は侮り難く、これからも失敗するかもしれない。だがこのわたしの力をもって不正解を正解に変え、錯誤を正しい認識へと打ち直す。咲夜はそんなわたしを支え、信じてついてくれば良い」
「御意。わたしはいかなることがあろうとお嬢様について行きます」
 にこりと微笑む咲夜の顔にレミリアは迂闊にもほんの少しだけ動揺してしまった。かつての咲夜が見せたのと全く同じ、信頼に満ちた笑顔だったからだ。
「それで、これからどのように動きましょうか。同じ手でのアリ退治はできませんし、かといってちまちま潰して回るには厄介と思いますが」
「それに関しては寸分違わず、先程と同じ対処法を各所で実施する」
「ですが、また罠を仕掛けられるのでは?」
「いいや、大丈夫だよ。罠を仕掛けられて危機に陥ったというのに同じことを繰り返すのを見れば、相手はどう思うか考えてみると良い」
 咲夜はレミリアの言いたいことをすぐ察したらしく、こくこくと何度も頷く。
「いずれおかしいと感じ、再び攻撃を仕掛けてくるかもしれないが、その時こそ先程の屈辱を晴らす時だ。その機会が訪れると良いのだけどね」
 レミリアは体が修復されていることを確認すると、咲夜とともにアリ狩りを再開するのだった。
 
 
 このような異常事態だと言うのに、霖之助は魔理沙と美真をいつも通りの緩い笑顔で出迎えてくれた。この辺りはアリも姿を見せず、美真の使う明かりの魔法と蝋燭の灯りが香霖堂を照らす光の全てだったが、それで不便に思うものは誰もいなかった。
 霖之助は魔理沙の説明にいちいち相槌を打ち、理解を示したように見えたが、いざ心当たりがないかと問えば、返ってきたのは「分からない」の一語だった。
「巨大化した虫が里を襲う事例なんて聞いたことがないし、もちろん経験したことだってない。かつて虫の妖怪が強い力を持っていた頃ならばあったのかもしれないが」
「香霖だったらそれくらいの昔からでも生きてそうだけどな」
「魔理沙、君は時々さらりと酷いことを言うね」
 妖怪にとって古いと思われることはステータスのはずだが、霖之助は古いと思われることを快く感じていない節がある。過去にも何度かつついてみたが、今と同じような反応を示しただけだった。
「まあ、魔理沙が酷いのは昔から変わらないんだが」
「その酷い奴を伴侶に迎えたのはどこのどいつだよ」
「さあ、どこの誰だろうね」霖之助はさらりとそんなことを口にしてから、視線を美真に移す。「美真くんの世界ではどうだろう。過去に昆虫が巨大化した、それに類する事象が起きたなど、何か心当たりは?」
「あればとっくの昔に話しています。わたしの世界では昆虫が巨大化することなんてありませんし、ましてや統一された意志とともに襲いかかってくるなんて、まるでできの悪いホラーみたいですよ」
「しかし現に虫は巨大化しているし、襲いかかって来る。巨大化といっても人の大きさを越えるという破天荒なものではなく、小指の先に軽く乗るくらいの小さな虫が掌大の大きさになったくらいだ。どちらにしろ一大事には違いないが」
「確かに、あんな大きさのアリがうじゃうじゃといたら砂糖があっという間に持ち去られてしまう。それは勘弁してほしいな」
「それ以外にも問題は沢山ありますが、甘い物を持ち去られるのは嫌ですね」巨大化した昆虫に心を乱していたと思えば、次には魔理沙と同じように甘い物を気にしている。霖之助はこれまでにも美真と何度か話したことがあるけれど、魔理沙とは異なる意味で独特な性格を形成しつつあるようだと感じていた。思考が飛躍する傾向は最初からあったが、郷の流儀に馴染むことで思考の翼をより大きく広げることができるようになったのだと霖之助は見ていた。「ところでわたしは寡聞にして、妖力が生物に及ぼす影響をよく知らないのですが、生物の大きさを簡単に変えることができるような力なのでしょうか?」
「なにしろ前例がないことだからね。虫の妖怪は実際にいるし、彼ら/彼女らは元の昆虫から人間とほぼ変わらない大きさまで巨大化したと言えなくもない。これは昆虫に限らず他の妖怪にも概ね言えることだがね。魔理沙のように人間から妖怪になるほうがパターンとしては珍しい。そもそも里の人間が妖怪になるのは……」
「香霖、話が脱線しているぞ」魔理沙の指摘に霖之助は慌てて口を噤む。確かに博麗の巫女と親しいならば、そのことはまだ口にしないほうが良いのかもしれない。美真は話があからさまに遮られたことで魔理沙に不信を抱いたようだったが、問い質すようなことは一切しなかった。「昆虫が妖力によって大きくなるのはあり得ないことではないが、大量の虫を一気に大きくするとなると何か特別な要因が必要だろう。少なくともわたしには逆立ちしたってできそうにない」
「ではどのような要因が揃えば昆虫を大型化して操ることができるんでしょうか?」
 美真の問いに、魔理沙も霖之助も黙したまま何も答えなかった。それさえ分かれば何を探せば良いか見えてくるのだが、魔理沙は少なくともそれを知らなかった。だが霖之助には思い当たる節があったらしい。
「これはあくまでも仮説なんだがね」
 そう前置きしてから、霖之助はいつもの調子で持論を語り始める。
「ずっと昔にね、大人しい妖怪が唐突として暴れ出す、道具が意志をもって動き出すという二つの事件が同時に発生したことがある。詳しい経緯は省くが、それは結局のところ打出の小槌というマジックアイテムの使用による影響であることが分かった。打出の小槌というのは使用者の願望を内包した魔力の限りに叶えるというかなり反則的な代物なんだが、その小槌に下克上を叶えて欲しいと願ったらしくてね」
「だから大人しい妖怪が荒々しくなり、人間に使われているだけの道具が意志を主張し始めたということなんですかね?」
 美真の問いかけに霖之助は深く頷く。
「虫は数が多いから上手く仕立てればそれだけで強い脅威となる。だが虫には人間のような知性はなくとも習性という強い行動規範がある。虫の妖怪というだけで虫を自由自在に操ることはできないと思うんだ。かつての事件が下克上という共通項のもとで発動された現象であるのと同様、今回活動を見せている虫にも他に何らかの共通項があるに違いない。それを突き止めれば解決方法が見えてくるかもしれない」
「だとしたら今回も下克上なんじゃないのか?」魔理沙が珍しく行儀の良い生徒のように手を上げてから意見を述べる。「虫は一顧だにせず潰される程度の弱い生き物だろ。そうした現状に嫌気がさしての行動なのかもしれない。あの傍迷惑な付喪神どもが機械を解放すると称して色々とやっているのに触発されたのだとしたら?」
「下克上だとしたら当時も虫が巨大化していなければおかしいはずだが、実際にはそんなことは起きなかったはずだ。虫は確かに弱々しい生き物だが群れれば十分に強いし、時として人の領分を脅かすこと立ってある。個としての弱さなどきっと気にしないんだろう。だから下克上の号令にも心を動かすことはなかったに違いない」
 魔理沙は何か反論の言葉を見つけようとしたが、他に何も思いつかなかったようで、辛うじて霖之助に非難の目を向けるのだった。
「じゃあ、あの虫たちはどういった号令に衝き動かされ、また従っているんだ?」
「その答えに近い所にいるのは魔理沙や美真くんのほうだろう。僕はほとんど家の中にいたから暴れ始めた虫についての詳しいことが何も分からない」
「逆に言えば、どんな虫が巨大化しているか分かれば原因にも見当がつくのか?」
「やってみる価値はあるね。この家には昆虫辞典が何冊かあったから持ってくるよ」
「あとはスケッチブックか、スケッチ用に使える紙が欲しい」
 魔理沙と霖之助はさくさくと段取りを決め、お互いの作業に取りかかる。対する美真には何もやることがなかった。携帯電話のカメラ機能が動作すれば虫たちを撮影できたかもしれないが、偽物の月の影響下では全く動作しない。実物を目撃してはいるが、始終慌てていてしっかりと観察しておらず、より致命的なこととして美真には絵心がまるでなかった。文字に対する嗅覚が、絵画やイラストになるとまるで働かないのだ。
 対する魔理沙はスケッチブックと鉛筆が渡されるや否や、昆虫の姿をすらすらとスケッチしてみせた。それを見て美真も、家の周りをぐるりと取り巻いていたアリであり、空を覆っていた蛾や種々の羽虫であることを思い出すことができた。美真があたふたとしている最中に、魔理沙は敵の姿を詳しく描き記すほどに記憶していたのだ。
 やはりこの人は凄いのだなあと思いながら魔理沙のスケッチを眺めていたが、すぐに同定の作業が必要であることに気付き、昆虫図鑑をぺらぺらとめくる。なにしろ桁違いのサイズになっているから図鑑を一瞥しただけではすぐにそれと分からなかったが、ページを行ったり来たりしているうちに少しずつ、どんな種であるか朧気ながら読みとれるようになってきた。
「魔理沙さんの家を取り巻いていた黒いアリはこれだと思います」そう言って美真はミカドオオアリの項を指差す。うっすらと発光していたこともあって同じ生き物であるとは未だ信じ難いのだが、よくよく観察すれば全ての特徴が一致していることが分かる。「全体的に赤茶色っぽいアリもいましたが、これはアメイロオオアリだと思います。どちらも比較的大きなアリのようですが」
「空を飛んでいた羽虫は蛾がほとんどだね。これまでずっと蝶だと思っていたものや、まるで異なると思っていた虫が実は蛾であることが分かって少し複雑な気持ちだよ」
 割とオーソドックスな形と色のものから、これも蛾なのかと思うほど華やかな羽の持ち主もいて、蛾という昆虫のバリエーションに溜息が出そうになる。だが何よりも美真の心をかき立てたのは写真のように精確な昆虫を描く魔理沙の写生技術だった。
「わたしもこんな風にすらすらと書けたら良いのになあ」
 羨望を素直に口にすると魔理沙の手が止まり、ペン先で紙をとんとんと叩く。
「昔はこうした能力がね、自然を研究するとなればどうしても必要になったんだ。今は人間でも簡単に扱えるカメラがあるから、ぱちりと撮影すればそれで済む。ネットなら取った写真をずっと保存していられる。だから今は必ずしも必須の技能じゃない」
「でもこういう場合には役に立ちますよ」
「それなら練習すれば良いだけだ。わたしも練習して身につけたからね。もっとも代替手段で楽できることをわざわざ苦しんで身につける必要なんてないと思うけどね。新しい魔法使いはもっと新しいことで悩むべきだし、今は写生技術より巨大化した虫の共通項を突き止めようじゃないか」
「それだったら僕にはなんとなく分かった気がする」
 霖之助は美真が開いた図鑑の、ミカドオオアリの項目を指差す。
「このミカドオオアリってやつは、アリにしては珍しく夜行性らしい。アメイロオオアリもそうだし、蛾は火に惹かれる様々なエピソードからも分かる通り、夜行性であることが多い。念のために魔理沙のスケッチした蛾を一つ一つ確認してみたが、昼行性の昆虫は一匹もいなかった。つまり巨大化しているのは夜行性の虫であると考えられる」
「だとしたら、どういうことになる?」
 魔理沙の問いに、霖之助はこれも仮説だと前置きしてから話を続ける。
「妖怪の山が襲われたかもしれず、魔理沙の家も襲撃の対象になったことから二つの目的が朧気に考えられる。まず一つ目だが異変を解決できる強い能力の持ち主を排除しにかかっているのかもしれない。ここだけではなく例えば霊夢の暮らす神社や他の有力な妖怪の勢力にもアリが送り込まれた可能性がある」
「うーん、最近は大人しくしてたんだけどなあ」
 魔理沙が不服そうにそう口にすると、霖之助はからかうように口元をつり上げる。
「昔は酷く暴れてたじゃないか。あるいはかつて永夜異変に関わった者を優先して狙っているのかもしれない。魔理沙はあの異変にアリスと組んで挑んだのだろう?」
 それはあるかもしれないと頷きかけ、魔理沙は慌てて首を横に振る。
「いや、それはおかしい。守矢の輩はあの異変には全く関与していないはずだ」
「その通り、だから二つ目がある。というよりむしろこちらが本命臭いと睨んでいるのだが、虫たちは夜の持つ特権を脅かすものに攻撃を仕掛けているのかもしれない」
「夜の特権……というと?」
「暗さや静寂を中心として、人を怖れさせるもの全てと言って良いのかもしれないね。そんな夜を照らし上げるものへの叛逆が、今回の動機であるような気がする」
 霖之助の堂々たる物言いは、美真にそれが確信であると思わせる力強さがあった。しかし魔理沙はいよいよ不信を抱いたらしく、霖之助をじっと睨みつける。
「お前、もしかしてこういうことが起きるのだと薄々分かっていたんじゃないのか? 仮説と断ってはいたが、いくら霖之助にしても飛躍し過ぎだよ」
 魔理沙の視線を霖之助はなんとか受け止めようとしていたが、今回ばかりは魔理沙の切実さが勝ったらしい。霖之助はしばらく躊躇いがちな様子を見せていたが、窮状を示す苦しそうな表情を浮かべるのだった。
「分かっていたわけじゃない。ただ、虫と闇によって醸し出される異変が用意されていることは前々から知らされていた。夜の特権云々という動機もその時に聞かされたものだよ」
「異変が、用意されている?」
 魔理沙の疑問はそのまま美真の疑問でもあった。かつて鉄の龍が起こした騒動を越える計画がずっと昔から存在し、少なくとも霖之助はある程度のことまで把握していた。それはある意味で異変に荷担しているとも言える、背信的な行動だった。
「どうしてそんなことをする必要があるんだ?」
「この郷には時として異変のための異変が必要になるからだ。現に魔理沙も得体の知れない月にまつわる異常事態を解決するため、別の異変を起こして無理矢理二つを関連付けることでの解決を図ろうとしているのだろう?」
「いや、それは確かにそうだが、でも虫の巨大化なんて起こす必要はないはずだ」
「そうだね、かつての永夜異変のような解決行動を取るべきだったと思う。だがそれは偽物の月という分かりやすい象徴が存在しているからこそ許されるものだ。世の中には決して解決できない問題も存在する。例えば異変と思われるほどの極端な異常気象が発生したとき、解決不可能な現象はそれでも異変として解決される必要がある。そうしなければ人間は納得できないだろうからね」
 美真には霖之助が何を示唆しているのか分からなかったが、魔理沙には思い当たる節があるらしく、酷く苦々しげな表情を浮かべる。
「言いたいことは分かった。だがそれでも今日、異変を起こす理由にはならない。香霖はそれについても何か?」
「いや、僕にもそれは分からない。だからこそ厳重に口止めされていたことであるにも関わらず、二人に話して聞かせたんだ。異変は用意されていたものだが、今日に起こす必要はなかった。それなのに異変は起きてしまった」
「誰かのために用意されていた異変を、自分のための異変にしたということか?」
 魔理沙の指摘に霖之助は大きく頷く。
「僕が思うに二人が探るべきは犯人の思惑だ。どうして郷全体の危機が発生しているこの時期に、起こす必要のない異変を発生させたのか。これが分かればあらゆる事象が上手く紐解かれる可能性がある。のみならず偽物の月が起こす数々の異常現象との関連性を見つけ出し、強引に結びつけることもずっと容易になるかもしれない。もちろんこれは僕からの提案であり、二人は全く別の目標を持って行動しても良いのだが」
 そう言われて美真は思わず魔理沙に視線を向ける。他に探るあてもないのだからこの線を当たってみようと考えていたのだが、魔理沙も同じ意見だったらしく、縋るような美真の表情を見て、快活に笑ってみせた。
「概ねの事情は分かった。香霖の言う通り、わたしたちは動機を探ってみようと思う。だがそれには犯人の告白が必要になるよな? 推理小説は言うに及ばず、あらゆるジャンルにおいて言えることだし、現実だって例外ではない」
「この異変を起こすことになっていた妖怪は三人いる。リグル・ナイトバグ、ミスティア・ローレライ、ルーミアという素性の知れない闇の妖怪、この三名だ」
 美真は三名のうち、ミスティア・ローレライの名前だけは聞き覚えがあった。魔理沙に流行の音楽があるのか訊ねたとき、彼女の歌を聴かされたからだ。正確には音球という最新の楽器を使った音楽であり、ぴりぴりと刺激的な内容だった。あの素敵な音楽を奏でる妖怪が郷の混乱を生み出しているだなんて、美真には俄に信じ難かった。
「ああ、やっぱりそうか。妖精だった頃のチルノと仲が良かった奴らばかりだ」
「そういうことだね。異変の準備はあの出来事に端を発して種を蒔かれたんだ。元々は決して悪意のある計画ではないはずなんんだよ」
 魔理沙は音を立てて乱暴にペンを置くと、素早く立ち上がる。そして美真に、一刻も早く付いてくるよう訴えていた。
「この計画は人間に分かりやすく脅威を見せつけ、知らしめるものだ。おそらく人里に脅威の兆候が現れているはず。ここからだと東の里が一番近いから、まずはそこを訪ねてみると良いのかなと僕は考えているのだけど」
 魔理沙は頷くことなく、まるで霖之助の言葉を無視するように香霖堂を後にする。もしや一人で先走って行動するのではないかと思い、美真は慌てて追いかけようとしたのだが、その前に「待って欲しい」と呼び止められてしまった。
「まだこの世界へ来たばかりの君を、奇妙なごたごたの渦中に巻き込むには忍びない。だが今は他に頼める人がいない。魔理沙を支えてもらえないだろうか。彼女はもしかすると酷く無茶をするかもしれない」
「謝る必要はありません。それに魔理沙さんはそんなことはしないと思います」
 魔理沙は決して良い人間ではないが、美真にはいつも冷静な師匠として振る舞っている。これはちょっとした自惚れかもしれないが、自分がいれば頭に血をのぼらせて一人で突撃することはないと思っているのだ。
「美真くんがそう言うならばそうなんだろう。さっき言ったことは忘れて欲しい」
 霖之助の信頼に満ちた笑顔に美真は大きく頷き、改めて礼を言ってから店を後にする。魔理沙は腕をぐるんぐるんと回したり、奇妙に動かしたりといった独特な体操をしており、それが終わるまで美真はじっと待つことにした。
 数分ほどで体操を終えた魔理沙はこちらを振り向くことなく、いつもの調子で話し始める。
「いやあ、久々にスケッチをやったから肩が凝ってだな。ずっと昔に紅魔館の門番から教えてもらったやつを試してたんだ。国民健康体操って言うらしい」
「ああ、国指定の体操ならわたしの世界にもありましたよ。どこの世界も考えることは割と一緒なんですねえ」
「違いない」魔理沙は美真の発言に同意すると、箒にまたがる。ここで事情を語るつもりはないらしい。気にはなったが魔理沙は平静を保っているし、いまここで問い質しても問題が解決するわけではなく、好奇心が満たされてすっきりするだけだ。それが分かっていたから美真は何も問わず、たた後に続いた。「霖之助の提案通り、ここから一番近い東の里に向かう。アリがいたら退治し、もしも下手人の誰かがいたならば」
「郷の流儀で懲らしめてから聞き出す、ですか?」
「その通り。もうすっかり心得てるじゃないか」
 魔理沙は少しだけ振り向き、片目を瞑る。器用だけどウインクは苦手なんだなと思ったが、口には出さなかった。
 里に向かう途中、パチパチと光が弾けるような気配を感じ、そちらに視線を向けると、なんとも凄まじいものが見えた。暗闇を切り裂くようにして、巨大な竜巻のようなものが妖怪の山を駆け巡っているのだ。こんな遠くからでも見えるのだから途方もないサイズであるに違いない。
「あれはきっと神奈子の奴だな。向こうもどうやら派手にやってるみたいだ」
 これなら山のことを心配する必要もない。二人はだから迷いなく新たな目的地を目指し、箒を駆るのだった。

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