東方二次小説

2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第13話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年09月14日 / 最終更新日:2017年09月14日

 かつて魔理沙が月にまつわる異変に関わったとき、東の里――当時は単に里と呼ばれていたが――は影も形もなくなっていた。上白沢慧音という名の妖怪がいびつな月の影響から里を守るため、その歴史ごと食らって隠蔽したためだ。すっかりと見慣れた里の光景が忽然と消え失せたその様はあまりにも非現実的であり、大がかりな奇術でも行われているのかと素っ頓狂なことを考えてしまうほどだった。
 同じことが起きていないかと少しだけ期待したけれど、東の里はそのかつてと違い、遠目にはっきりと視認することができた。郷が転移した際に慧音が復帰しなかったことは何度も確かめたはずなのに、なんとも未練がましいことだった。
「どうしたんですか、険しい顔をして。良くないものでも見つけましたか?」
「いや、随分と穏やかだなと思って」魔理沙は物思いに耽っていたことを隠すようにそう口にしてから、それが改めておかしなことだと気付く。「巨大化したアリに襲われているということはないようだ。無差別というわけじゃないんだろうか」
 魔理沙は東の里から少し離れた場所に着陸すると、こういう時のために用意していた魔術を美真に渡す。
「斥候を作って里を偵察してみようと思うので、ちょちょいと作成して欲しい」
「まあ、それは構いませんが……わたし、あまり複雑な術は使えないですよ」
「やることは単純だ。土に魔力と数滴の血を混ぜることでごく短時間の間だけ動くゴーレムを生み出すというもので、大分昔に知り合いの魔法使いから教えてもらった」
「いや、血って軽々しく言いますけど……」
「別に軽いもんだろ。皮膚の表面を軽くナイフで切るか、針で指の先を刺すかすれば良いんだから。月の時に流す血に比べたらなんてことない。まあ、どうしても嫌なら血はわたしが流しても良いけど、どうする?」
 魔理沙の助け船に美真は一時思案したが、すぐに魔術ポケットから裁縫道具を取り出し、針を取り出して人差し指に添える。
「雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず……」
 そしてなにやら念仏のような文句を唱えると、指に針を刺して血を地面に垂らす。それだけでかなり辛そうだったが、弾幕決闘の練習では傷をこしらえることも珍しいことではないし、苦しいなりに痛みには耐えていたと記憶している。だからいま、きつそうにしていることが意外だった。
 魔理沙の懸念を余所に、美真は血の垂れた地面を中心として魔法陣を描き、ゴーレム作成の呪(まじな)いを口にする。地面がむくむくと盛り上がり、目の前に姿を現したのは足の長い土偶と形容するしかない、奇妙な形の二足歩行ゴーレムだった。
「うわあ、なんだか視界が低くなってぐにゃぐにゃしてるんですが?」
「そのゴーレムは制作者と視界を共有することができるらしい。これを里に進ませれば中の様子をうかがうこともできるだろう」
 カメラが使い物にならないということで、かつての借り物を急遽引っ張り出してきた形だが、視覚共有はカメラと違って妨害されないらしかった。
「りょ、了解ですが……うう、気持ち悪い。以前に隙間を潜った時のようです」
 紫の能力までいくと極端だが、普段とまるで異なる感覚を味わうのは苦痛を伴う体験になることが多い。美真には気の毒なことだが、魔法使いになるならば普通の人間が味わうことのない感覚に触れることは避けられない。ここは慣れてもらうか、慣れないままでも使いこなしてもらうしかなかった。
 土偶もどきはしばらくあっちにふらふら、こっちにふらふらしていたが、動かし方のこつを覚えたのかやがて足取りもしっかりし、まっすぐに里へ向かうようになった。そして土偶もどきが見えなくなったからしばし、美真が小さく首を傾げてしまった。
「どうした、何か見つけたのか?」
「ええ、里の往来を物陰からこっそり覗いているのですが、魔法の森に現れたのと同じアリが歩いてますね。往来をうろつくだけで家を壊したり田畑を荒らしたりはしていないようです。ところどころ争ったような跡があるのは里の自警団みたいな人たちが応戦したのでしょうか。血の跡もいくつか見受けられますが多量ではありませんから、おそらく致命傷ではないと思います」
 つい先程までは痛がりなところを見せ、経験したことのない感覚に戸惑っていたのだが、それらを忘れたかのように的確な報告だった。この方法での偵察が難しいようだったら強行偵察も考えたのだが、その必要はなさそうだった。
「よし、その調子で目に付いたものは全て口にしてくれ」
「了解です。先程、家や田畑に被害はないと言いましたが、部分的に破壊されている箇所もあります。店舗の一部、ネオンサインなどの光る広告や看板ですね。街灯はどれも引き倒され、徹底的に破壊されています。アリたちは人間が生み出す人工的な光源を徹底的に破壊しているようです」
 その行動は夜行性の虫だけが巨大化しているという情報と合致するものがあった。これは虫の中でも特に夜の暗さを求め、人工の光を厭う夜行性の昆虫たちの叛乱なのだ。
 では叛乱を手引きする妖怪はどこにいるのか。
「人通りはもちろんありませんが、外の様子をカーテン越しにちらちらと眺めている人はいるみたいです。みんなとても不安がってますね」
「通信もできない、テレビもラジオも放送されないじゃ不安になるのもしょうがないだろう。頼りにしていたインフラが途絶したとなれば内にこもるしかない。わたしたちのように外へ出て活動できるほうが珍しいんだ。それにしても東の里には人間だけじゃなく、妖怪も少しは住んでいるんだがな。巨大化したアリに吃驚することはあっても、身を潜めて難が去るまで待つというのは些か考え難い」
「そうですね、それは確かに変……えっと、少し離れた所から奇妙な音が聞こえてきました。弦を爪弾くような独特の音のように思えますが」
「その音の源に接近してみてくれ」
「了解……あっ、まずい気付かれました。ちょっと待ってください、わたしは決して怪しいものでは……」
 その言葉は途中で切れ、美真はこてんと地面に倒れてしまった。接続していた感覚が途切れてしまったショックのせいだろう。肩を揺さぶるとすぐに意識が戻り、気怠そうに首を振ってから小さく身震いしてみせた。
「自分の一部を砕かれたような、喪わされたような、嫌な感じです」
「あの埴輪もどきに意識を乗せてたからそう感じるのも仕方がない。壊れる前に意識を外せば良かったのに」
「あっ、そう言えばそうですね」
 美真はその程度の基本的なことに思いが寄らなかったらしい。魔理沙も驚くほどの賢さを発揮すると思えばこうして抜けたところも見せる。少しは慣れてきたとはいえ、未だに彼女の扱いには戸惑わされる時があった。
「それよりも最後の一瞬で姿が見えました。魔理沙さんが以前聞かせてくれた音楽のパッケージに印刷されていた女性の二人組です。あと一人の太鼓だかドラムだかを椅子代わりにしている女性はいませんでした」
「ということは九十九の姉妹だけか。あいつらが動いているってことは解放派絡みなのかな……でも、なんか腑に落ちないな」
 羽目を外して里の中や周辺で暴れるというのは過去に何度かあったが、里を襲いものを壊して回るというのは聞いたことがない。化け狸が普通の狸に安易な温情を向けたりしないのと同様、付喪神もいざとなれば道具に対して容赦をしないのかもしれないが、それにしてもこれまでの活動傾向と異なり過ぎているのが気になった。
「できれば姉妹に話を聞いてみたいものだが……ふむ、向こうのほうで気付いてくれたらしい」
 魔理沙の目に夜空を飛んでくる二人組が見える。独特の服装と周囲に浮かぶ音符から、遠目からでも九十九の姉妹であることがはっきりと分かった。
「もしかしてわたしが気付かれたせいで?」
「良いさ、渡りに船だ。ここでとっちめて話を聞き出すとしよう。弾幕展開、いつでも決闘できるように準備しておいてくれ」
 美真にそう指示してから魔理沙は再び夜空に視線を向ける。虫が騒ぎ出した当初は完全に隠れていた月だが、今はうっすらとその姿を現しており、徐々に明確な形を取りつつある。通信さえ繋がれば何が起きているかを調べることもできるが、霖之助の家で試した時も反応しなかったし、偽物の月が夜空に浮かんでいる限り回復することはなさそうだった。
 そろそろあの月と虫たちが跋扈する現象に関連をつける必要があった。だが事件の全貌はようとして知れず、手探りで進むことを余儀なくされている。このままではかつての異変みたいに霊夢の類稀なる勘か、あるいはスキマ妖怪の入れ知恵によって先行してしまう可能性が高い。
「なあ、美真は今回の異変の解決者になりたいと思っているか?」
 美真は魔術ポケットの中身を整理する手を止め、魔理沙にちらと視線を向ける。どういう意味かと問いたげだ。
「わたしは一角の魔法使いであると自認しているが、世の真理全てに明るいわけではない。今回の事件はわたしにとって明るくない場所に答えが眠っているような気がしてならないし、そうすると解決に向けて一番乗りというわけにはいかないかもしれない」
 弟子の前で弱気を見せるのは良くないと分かっていたが、今回ばかりは色々と手に余ることばかりで、進む先が正しいと言ってやることができそうにない。初めての異変がそのようなもので申し訳ないという気持ちが今更ながらに湧いてきたのだ。
「そうですね、できれば一番が良いです。魔法使いに限らず、未知のものを求めるというのは光を手にして闇の中に向かうようなものですから。既に別の誰かが置いた光があるとしたら、魅力がなくなるとまでは言いませんが、減じてしまうことは避けられないでしょう。わたしは今回が初めてですからその役目を得られるとは思いませんが、やるだけやってみたいなとは考えていますよ」
 かつての自分ほどの年齢なら決して持てそうにないしっかりとしたビジョンだった。だがその顔には不安が宿り、双眸はやや精彩に欠ける。言葉として用意できてもそれを信じることができないのだ。
「よし、ではまず目の前の奴らを片付けよう」
 魔理沙はそんな美真を励ますように声をかけ、空に浮かぶ姉妹を指差す。
 九十九姉妹は手にした楽器を奇妙なポーズとともに構えてみせた。いつもよりお調子者といった態度であり、もしかするとこれまでにない大規模な計画の直中にいて酩酊にも似た興奮に包まれているのかもしれなかった。
「おや、あんたは森に住む魔法使いね」
「わたしたちの計画、すなわち里に虫たちを放って混乱させるという大計画を嗅ぎつけたと見える。はははその通り、そしてわたしたちが東の里担当の指揮官ってわけ」
「さあ、計画を阻止したければわたしたちを倒すことね」
 微妙な棒読みで進む茶番のような会話に、魔理沙は嫌な予感を覚え始めていた。この二人は計画の一端を任されたにもかかわらず何も知らないのではないだろうか。だがその懸念を検討する余裕は与えられなかった。二人はそれぞれに琴と琵琶を構え、調和が取れながらもどこか不安になるような音を奏で始めたのだ。
 二人の周囲には二種類の音符が飛び交い、徐々にその範囲を広げて魔理沙や美真を巻き込みつつあった。
《《弦楽「嵐のアンサンブル」》》
 そして二人同時の宣言が見事に決まり、姉妹はよく似たドヤ顔を浮かべる。魔理沙のうんざりと言いたげな表情にも、美真のこの珍獣たちどうしようという表情にも気付くことはなかった。
「ちなみにこのスペル、二人とも倒さなければならないと思っているようだけど、実は片方を集中攻撃するとあっという間に沈むわよ」
 さらりと弱点を口にされ、魔理沙はじっと目を細める。このスペルを受けて立つのは今日が初めてではなく、ずっと昔に一度悩まされたことがある。その時には確か、両方を一気に魔砲で吹き飛ばして対処したはずで、片方を集中して落とすというのは試したことがなかった。二人の協力作業を強く感じるこのスペルは、一人がいなくなれば瓦解しそうではあるが、わざわざ口にして己の身を危機に晒すとも考えにくい。
 罠かもしれないが、かといって躊躇したら展開されたスペルに巻き込まれて翻弄されるだけだ。
「弱点まで口にするって、弾幕決闘の礼儀なんですか?」
「いやいや、流石にそんな礼儀はないよ」魔理沙は美真の問いを即座に否定する。何しろ魔理沙は弾幕決闘の考案者である霊夢に請われ、試遊に何度もつきあったことがあるのだ。避けられない弾を撃ってはいけないが、避け方を子細に説明する必要はない。むしろその避け方を自分で探すのが弾幕決闘の醍醐味の一つと言える。「でも罠って感じもしないんだよなあ」
 符を展開する九十九姉妹の顔に企みの色は見られない。展開している符をただ楽しんでいるといった風情だ。
「罠でないなら利用する。もしも罠だったら……」どうするのですかと問いたげな美真に魔理沙は下手くそなウインクを投げる。「そりゃ、罠ごと粉砕するしかないな」
 そんな魔理沙の発言に応え、美真は周囲にいくつもの魔法陣を展開する。
「撃って出ます。サポートが不要となるよう頑張りますが、いざという時はお願いします」
 思い切りが良いのか悪いのか分からないなあと思いながら、魔理沙は小さく頷くだけで何も言わなかったし、手助けする気は毛頭ない。このお尻に殻がついた新米魔法使いにどこまでできるのか、この目で確かめてみたかったからだ。


 九十九姉妹が共同で奏でる音は整っていながらどこか不安定で、それは放たれる弾幕にも強く反映されていた。音符型の弾幕はそこまで濃いわけではないが、毎回予期しない方向から訪れ、少しでも油断すると被弾してしまいそうだった。弾幕の隙間を狙ってミサイルを撃ち込もうとしたが、音符の弾は攻めだけでなく守りもしっかりと担っており、攻撃を素通しできるような間隔が見当たらない。
 スマートではないがここは物量で押し切るべきだと判断し、美真は展開された魔法陣からミサイルを一斉射した。すると即座に音色が変わり、不規則に見える動きの音符が一つ、また一つとミサイルにぶつかって相殺していく。全てを撃墜したわけではなかったが、さらりとかわされるくらいには数を減らされていた。
 そのことに驚く暇もなく、美真は微妙にリズムの変わった弾の動きにペースを狂わされていく。なんとか立て直して再度ミサイルを撃ち込もうと思ったが、姉妹は奏でる音を再び切り替え、音符の流れが音楽に従って変化していく。
 この姉妹は一体、いくつものパターンを持っているのだろうか。そんな美真の心を読んだかのように、余裕のこもった声が奏でられる音に減衰することなく耳朶を打つのだった。
「ふふふ、我ら姉妹の奏でる音はその名の通り、九十九式まであるわよ」
「お前は音の迷宮に包まれたまま、撃ち落とされるしかないのであった」
 そんなことはないと言い掛け、美真は咄嗟に口を噤む。
 この状況を吹き飛ばす技を美真は一つだけ持っている。それは魔理沙に託された八卦炉を使えば発揮できるはずだった。だが、彼女たちを倒すことがゴールではない。いざとなれば躊躇いなく使うつもりだったが、できるだけ切り札は用いたくなかった。
 だが手持ちの魔法だけで音の弾幕を突破することはできそうにない。せめて調和を乱すことができれば何とかなるのだが、ここで大声を張り上げても、わざと音痴に歌ってみてもその力を乱すことはできそうにないだろう。
 ではどうすれば音を乱すことができるか。被弾する恐怖を常に感じながら、美真はその答えを必死に探る。背筋は冷えてばかりなのに頭のてっぺんは思考のためか酷く熱を帯び、ちぐはぐして思考が混乱してしまいそうだった。
 だがその混乱によって、ようやく一つのアイデアを得ることができた。
 美真はあちらこちらから飛んでくる音符の弾をかわしながら、すぐ側を掠めていく弾の鋭さに思考を奪われそうになりながら、いくつもの魔術ポケットを大急ぎで順番に探っていく。美真が尊敬する作家の話に出てくるキャラで、四次元に繋がる万能ポケットを持った猫が、整理整頓が下手くそでいつも欲しいものを取り出せない、というユニークな設定があるのだけど、もう二度とその猫を笑えないなと思った。
 美真の探しているものは六つ目でようやく探り当てられた。前面に展開しているミサイル発射用の魔法陣をしまうと、そのポケットに入っていたオプションを代わりに前面へ展開し、全力で放出する。
 それはコールドインフェルノ命名された、前方十メートル程度に魔法の冷気を浴びせかけるというオプションだった。
 青白い煙は前方をみるみる冷やしていき、美真の鼻は急激な温度変化のためにむずむずしてきたが、なんとか我慢する。ここでくしゃみをすればたちまち集中力が切れてしまい、これまで辛うじて回避できていた音符弾にも当たりかねない。折角のアイデアなのにそんなことで失敗にしたくはなかった。
「どうしたの? 攻撃が届いていないようだけど」
 姉妹の一人が声をかけてくるが、それは重々承知の上だった。コールドインフェルノの冷撃は元より姉妹にまで届くものではない。美真が冷気を浴びせたかったのは弾幕が展開されている空間そのものであり、効き目は徐々に現れ始めた。
 これまで調和を保っていた音が僅かずつだが外れ始め、独特の規則性に綻びが浮かんでいく。蓄積していくずれは弾幕が担っていた守りにも影響を及ぼし、美真の目にも目標への射線をはっきりと確認することができるようになった。
 美真は氷のオプションを引っ込め、ミサイルのオプションを再展開すると、先程は失敗した一斉射撃を再び実行する。いくつかは音符弾にぶつかって相殺されたが、今度は大部分が姉妹に向けてまっすぐに飛んでいく。
 守りがきちんと働かないことを想定していなかったらしく、姉妹は予想外の弾量に狼狽する様子を見せ、何発かのミサイルを真正面から受ける。音符の弾幕がふっと途切れ、ミサイルを食らった琴持ちが琵琶持ちに支えられてゆっくりと下りていく。まだ戦えそうではあるが、九十九姉妹に継戦の意志はなさそうだった。
 勝ったとはとても思えなかったが、あの厄介な音符とこれ以上戦わなくて良いと分かって美真は正直なところほっとしていた。弾幕は美真にとって楽しいことの一つだが、未知の者と対峙する後には引けない勝負を楽しむほどではないらしかった。
「うわー、やられたー。やられてしまいましたー」
「あらあら、また被弾してしまったわね」
 わざとらしい演技をこれ見よがしにやられても、美真としてはどう対応して良いのか分からなかった。負けたことを誤魔化そうとしているのか、それとも別の意図があるのか。それを言うなら姿を見せてからの全てにどこか茶番めいたところがあったのだが。
 美真は魔理沙の隣に着地し、小さく息をつく。労いの表情も今は素直に受け止められそうになかった。
「まあ、こちらは一応勝者となったんだから話を聞いてみようじゃないか」
 魔理沙に促され、美真は一応の警戒を保ったまま音楽家の姉妹に近付いていく。殺気も剣呑な妖力の展開もなく、白いハンカチを振っていることからも戦意のほどはないということらしい。
「まさかわたしたち九十九姉妹がやられてしまうなんてー」
「これはもう洗いざらい白状するしかなさそうよ」
 魔理沙は二人の道化じみた態度を訝しんでいたようだが、二人の表情を見るうちに何か気付くことがあったらしく、美真にそっと耳打ちする。
「香霖の家に向かうとき使った風の魔法があるだろ? そいつを使って欲しい」
 その指示で美真にも二人のわざとらしい話しぶりが何を意味しているのか、ようやく察することができた。四人の周囲に風の壁を築き、内と外の音を遮断すると、魔理沙は琵琶を持っているほうの耳元にぼそりと何かを呟く。おそらく聞き耳を立てているものは誰もいないと言ったのだろう。
「察しが良くて助かるわ。あと、そこのちんちくりんが弾幕を少しばかり使えるのも」
 琴を持ったほうの九十九は服の綻びを手でさっと払う。どんな絡繰かは知らないが、つい先程まで存在していた傷はどこにも見当たらなくなっていた。
「やっぱりそうか。お前ら、わざと負けたな?」
「そりゃ当然よ。わざと負けなければわたしや姉さんが負けるはずもない」
「その割にはまともに弾を受けていたようだが。それなりにダメージもあるだろ?」
 琴の九十九はまず魔理沙、次いで美真を睨みつけ、ふいとそっぽを向いた。
「負けるつもりだったけど、あまりあからさまに負けるわけにもいかなくてね。奴らがどこで目と耳を傾けているか分かったものではないから」
 琵琶の九十九が期限を崩した琴の九十九に代わって話を進めていく。
「わたしは九十九弁々、隣にいるのが八橋。もう随分と長く付喪神をやってるわ」
「えっと……霧雨美真です」
 美真は琵琶の九十九、弁々に向けてぺこりと頭を下げ、仮初めの名前を名乗る。
「ふむ、そこにいる魔法使いの最新の落とし胤(だね)ってところかしら」
「弟子だが血の繋がりはないよ。わたしが最後に子供を産んだのはもう七百年近くも前のことだ」
「それなのに霧雨ってことは、血よりも濃い才能があるってこと?」
「血は何も保証しないよ。才能も、それ以外のこともね」
 魔理沙はそれだけ口にして、不機嫌さを表明する。そのことにこれ以上触れるなと言わんばかりだった。
 沈黙が重くなる前に、今度は美真が話の続きを進めていく。
「ところで先程、奴らと言いましたよね。それはいまやこの郷に満ちている、巨大化した虫たちのことでしょうか?」
「そのことに気付いているなら話は早い。そう、奴らは人間の言葉を解しているとしか思えないような行動を多々取っていた。全ての虫が知性を持っているのか、それとも一部だけなのかは分からない。もしかすると虫の操り手が全ての虫を操作しているのかもしれない。どの説が正しいにしろ、虫たちはわたしたちの叛意を敏感に察するはず」
「叛意ということはお前たち、雷鼓の命令に背くつもりなのか?」
「いえ、これはお姐様の命令よ。虫が度を超した行動を取った場合、従う振りをして背き、異変の解決を試みようとする者たちに協力するよう密かに言い含められていたの」
「なるほど、解放派の計画にしては里の被害が大き過ぎると思ったんだ。組織は同じでも雷鼓とは別系統の命令なんだな」
「ええ、わたしたちもあまりに物を壊し過ぎるからこそ計画には賛同できないと思ったのよ。道具と付喪神は違うけど、流石にあれだけの破壊は許されない」
 弁々は頬を紅潮させ、真摯な怒りを表明していた。これまでのふざけた態度があったからこそ、美真にはいま見せている気持ちが本当なのだとはっきりと分かった。
「というわけでわたしたちに分かることならなんでも話す、と言いたいところなんだけど、結局のところ何も分からないに等しいのよね」
「そんなことだろうと思ったよ」魔理沙は特にがっかりすることもなくそう切り捨てる。逆にあっさり言い切られた弁々のほうが少し気まずそうにしていた。「わたしたちが探しているのはリグルという名の妖怪だ。お前たちの組織にいるんだからよく知ってるだろ?」
「そうね、知ってる……いや、知ってたと言うべきかな」
「なんだよ、はっきりしないな。同じ組織にいるのに」
「それなりに大所帯の組織なのよ、構成員のことを一人一人覚えていられるはずもない。でも今回の計画を持ち出してくるまでぱっとしないやつだったことは確かね」
 弁々の話に「そうそう」と頷きながら、八橋が混ざって来る。姉よりも落ち着きがないというか、黙っているのがあまり得意ではないらしかった。
「虫の妖怪なのに虫も殺さないといった感じで、妖精に比べてしっかりと命じたことにも従ってくれるからありがたいなと思っていたのよ。だから今回の計画を持ち出したとき、そんなことができるのかと訝しく感じたし、積極的に提言を持ちかけたことに驚いてしまったの」
 八橋は弁々よりも少しだけ下の事情に詳しいらしかった。厳格でやや真面目そうな弁々に対し、明るく気さくそうな八橋は人付き合いの範囲が広いのかもしれない。楽器から生まれた付喪神だというのは美真も知っていたが、性格には随分と幅があるらしい。
「そんな力があるなら普段から発揮して欲しいなとは思ったけど、お姐様は良しって言うから気にしなかったの」
「良しと言ったのに、警戒はさせておくのか」
「下の自発的な提言は取り入れるのがお姐様の方針だから。まあ失敗も多いけどね」
「ふむ、まあ下を信じるのは良いことだ。それで成功するかはともかく」
「今回は成功したじゃない。ただ成功し過ぎというか、あまりやり過ぎるとどうも組織としての目的を達成し辛くなるみたい」
「適度な混乱が大事ってことね。言うなれば、いつもにこにこみんなの側から、元気をお届けする幻想機械解放同盟ってところかしら」
 八橋の発言に弁々が奇妙なキャッチフレーズをつけ、二人してドヤ顔を浮かべる。これはもう、聞くことは何もないなあと思い、この場の仕上げをすることにした。
「事情は分かった、話を聞かせてくれてありがとう。では、ここでさよならだな。美真、この二人に死なない程度で弾幕を浴びせかけるんだ」
「え、いやちょっと……」八橋はお前正気かと言いたげな顔を魔理沙に向ける。「色々と教えてあげたのにその仕打ちはちょっと酷くない?」
「双方無傷だとぐるになってるのが見え見えだろ。かといってこちらが負けるつもりもない。大人しくぼろぼろになってくれ」
「うむむ、それは一理ある。一理あるけど……その、痛いのはあまり得意ではないし、心の準備というものが」
 弁々はぐっと歯を噛み締めて攻撃に耐えようとしており、八橋は救いを求めてあちこち見回している。美真は少し迷ったのち、心を鬼にして風の囲いを解き、ミサイルを全力で発射する。緑色の爆風は二人を容赦なく吹き飛ばし、ぴくりとも動かなくなった。
「命じておいてなんだけど容赦ないな?」
「わたし、器用じゃありませんから。手加減に失敗してしくじるよりは全力が正解かなと」
「なるほど、美真もなかなか郷の住人らしくなってきた」
 あまり褒められている感じはなかったが、魔理沙の笑顔はとても眩しく、だからお気持ち程度に微笑んでおいた。
「ところで、これからどう動きますか?」
「そうだな、少し遠回りになるが里の外れにある妖怪の職人たちが集まる地域に向かおうと思う。あそこがいまどうなっているのかを知っておきたいんだ。いの一番に狙われて酷いことになっていたのだとしたら気にしないが、何もなく無事なのだとしたら……」
「こんな事態を静観するのはおかしいってことですか? でも、妖怪は人間と考え方が違うのですよね? この危難にさして重きを置かなくても不思議ではないのかもしれません」
「普通ならそうだが、里とともに暮らす妖怪だからな。それに人の暮らしが回らなくなれば仕事がなくなりかねない」
「社会に取り込まれたら妖怪といえど宗旨を変えなければいけないこともある、ということでしょうか?」
 だとしたら世知辛い話だが、魔理沙は美真の話を否定しなかった。当たらずとも遠からずということなのだろうと受け取り、美真は魔理沙の視線を追って里の外れにある高台に目を向ける。
「あの高台が妖怪の職人たちの住処なのでしょうか?」
「ああ……とはいっても昔からそうだったわけじゃなく、ずっと昔には一件の庵があるだけだった」そう言って、魔理沙は小さく息をつく。どうやら楽しいだけの話ではないようだ。「あそこに最初に住んだ妖怪は、人にも妖にも分け隔てなく厳しい奴だった。今回のような事件があれば真っ先に立ち上がり、里を守ろうとしただろう」
「その人は……今ではもういないんですか? 妖怪なのに?」
「妖怪は決して不老不死じゃない。人間よりずっと長く生きるがいつかは死ぬし、人間には思いもよらない理由で消えることもある。存在を酷く忘れられたり、心を激しく傷つけられたり……恋に破れていなくなることだってある」
「恋に、ですか?」妖怪が人間より精神寄りの存在であることは魔理沙からも教わっていたし、半年ほど郷に暮らしただけでもうっすらと感じ取ることはできた。それでも恋で死んでしまうだなんて、ちょっと想像がつかなかった。「きっととても激しい、燃えるような恋だったのですね」
 美真は特定の誰かに強く恋い焦がれたことはない。だが似たような気持ちを抱いたことはある。ここではない場所、自分というものを縛りつけない社会や世界に強い憧憬を抱き、楽園を目指そうとしたのだ。
 しかし、その欲望はただ進むだけのものだった。対して、恋はお互いを強く求め合う行為だ。理屈をいくら並べても、恋をしたことのない美真には存在が消え去るほどの激しい恋を想像できなかった。燃えるようなというありきたりな形容しかできず、想像力のなさに溜息が出そうだった。かつては文筆家への道を求めたこともあるというのに。
「ああ、比喩なく燃え続け、やがては燃え尽きる恋だった。その妖怪はわたしが知る限り最も理性的な女性の一人だったが、己の全てを賭けてある者を愛したんだ」
「……それだけの愛ならきっと成就したんでしょうね」
「どうだろうね。おそらくは成就しなかったほうが良かったと思うよ」
 それはどういう意味なのか、訊ねようとした。その前に魔理沙は一際声を潜め、ぼそりぼそりと冥いつぶやきをもらすのだった。
「何故ならば彼女は決して尽きず、果てず、変わることのない……永遠の愛を求めたからだ」
 魔理沙がほんの一瞬だけ、あらゆる苦さを凝縮したような、疲れ果てた老婆に見えた。だが次の瞬間にはいつもの若々しく快活な魔理沙に戻っていた。
「いない奴のことを語っても仕方がない。今はいる奴のことを考えよう」
 正直なところ永遠の愛について少なからぬ興味を抱いたことは確かだ。しかし、いま考えるべきことではない。美真はそう自分に言い聞かせ、魔理沙の後に付いて次の目的地に向かうのだった。

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