東方二次小説

2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第19話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年11月02日 / 最終更新日:2017年11月02日

 霊夢は勝負の開始と同時に用意していた虫除けの札をリグルに投げつける。機先を制し、何とか戦闘のペースをこちら側に引き込もうと思ったのだ。
 リグルは向かってくる札をかわそうとする素振りもなく、右腕を上げ無造作に掌を開く。
 掌の表面がもぞもぞ動いたかと思うと、くっきりとした赤い模様のある黒い虫が浮かび上がり、鮮やかな黄色い光を放ちながら飛び出してくる。蛍とおぼしきその虫はこれまでリグルが使役してきた虫と同様に霊夢が放った弾幕に突撃していき、札と相殺して鮮やかな黄の閃光を放つ。本物の蛍にはそんな力はないはずだが、リグルが生んだ蛍は何かの対象に接触すると爆発するような能力を付与されているらしかった。
 そのことに驚く暇もなく、リグルの手首より先がぐにゃぐにゃと蠕動し、同じ虫が一気に生み出される。それらは間近まで迫りつつあった札に次々と吶喊、光の華を咲かせながら散っていく。橙の攻撃を受けたとき虫の群れに変化して致命傷を防いだのと同じやり方で、その身の一部を弾幕として放つこともできるらしい。おそらくは橙を吹き飛ばしたのも同じ能力に違いなかった。
 霊夢は物騒な蛍の接近を防ぐため、妖怪や妖精の捕縛に使用している網の弾幕を立て続けに発射する。リグルは手首の根元から肘までを変換し、更に数倍の蛍をもって弾幕を突破しようとしてくる。霊夢の札を相殺後、その余剰をもってこちらに攻撃を仕掛ける魂胆なのだと予想できた。
 だがその目論見は実現しない。霊夢の放った捕縛用の札は蛍とぶつかる寸前で投網のように大きく開き、蛍を包み込むようにして一気に巻き込んでいく。接触が爆発のきっかけなら接触面を増やして誤爆を誘えば良いと考えたが、上手く的中したらしい。
 閃光をすり抜けるようにしてまだ開いていない札が数枚、リグル目掛けて飛んでいく。霊夢はそれを見てとると虫除けの呪いを施した針を続けて投射する。網の処理で動きが鈍れば威力の高い針を当てやすくなるし、うまく命中すれば相手の力を削ぐことができるはずだった。
 だが今度は霊夢の思い通りにいかなかった。
 リグルが左腕を上げると肩口から指先まで腕全体が一気に光り、散弾のように蛍が撒き散らされて札を一気に吹き飛ばしたのだ。針は僅かな動きによってかわされ、右腕の肘から肩を材料に生み出された蛍が霊夢を目指して飛びかかってくる。
 あんなもの、一発でも接触したら酷いことになる。霊夢は捕縛用の札を展開してできる限り多くの蛍を巻き込んで爆発を誘い、取り零したものに関しては針で各個撃破していく。防ぎきったと息をつくのも束の間、リグルはいつのまにか再生した両腕を再び激しく発光させ、大量の蛍を放ってくる。攻勢から一転、防戦を迫られることになり、霊夢は舌打ちを堪えて歯を噛み締める。そして少し迷ってからもう一度。身体の強化を一気に二つ、最終段階まで引き上げる。
 五感が混ざり合い、認識がぐにゃりと歪む強烈な酩酊の一瞬を乗り越え、五感が一気に拡大し、研ぎ澄まされていく。風の流れ、音の流れ、蛍が放つ甘く禍々しい匂いが次々と入り込んできて気持ち悪いことこの上なく、体を流れる力が過敏に感じられてその鮮烈さに意識が吹き飛びそうになる。だがこんな時のために半年間、みっちりと鍛えてきたのだ。しかもこの大事な一戦で意識を落とすしまうわけにはいかなかった。
 腹に力を込め、拡がる感覚を自分の中に抑え込むと、霊夢は強化された視界をもって迫り来る蛍の全てを捉える。それから針をばらまいて動きを牽制しつつ、追って来る蛍を高速機動で翻弄し、一塊にまとまるよう誘導していく。何かに接触したら爆発するならば、弾の密度を濃くして蛍同士がぶつかり合うような環境を作れば一気に対処できると思ったのだ。しかし時折衝突を起こしながらも結界や弾幕に触れた時のように派手な閃光とともに爆発するようなことはなく、追尾性能も落ちることがない。どうやら異なる力を与えなければあの蛍は爆発しないらしい。
 そしてぐるぐると逃げるだけの霊夢にリグルは容赦しなかった。両腕を構えると河童の兵器や魔理沙が使うミサイルのように、蛍をこちらに向けて連射してきたのだ。追尾してくる蛍と高速で飛来してくる蛍の両方に襲われ、霊夢はよりひっきりなしに避けることを余儀なくされる。
 苦し紛れに蛍の連射弾の射線を誘導し、追尾型の蛍に当てさせようと試みたが、どういう仕組みかは分からないが連射弾は全く阻害されることなく追尾弾の群れをすり抜けてくる。妙な小手先は通用しないと言わんばかりだった。
 となるとまずは厄介な方から片付けるべきだ。霊夢はそう判断すると、連射弾を避けつつ追尾してくる群れに捕縛用の札を乱射する。撃ち落とした弾が次々と黄色い閃光を放ち、辺りは目が眩むほどに眩しくなり、霊夢の強化された視覚をちくちくと刺してくる。見え過ぎるというのもこういう場合は良し悪しであり、霊夢は何度か瞬きしてちかちかを追い払いながらリグル本体に注目する。そして早速、算段が狂ったことを突きつけられた。リグルは両腕での攻撃を継続しながら両足の膝より下を蛍に変換し、新たな追っ手として差し向けてきたのだ。やぶれかぶれで撃った札も連射弾によって撃ち落とされ、霊夢は再び迫り来る二種類の蛍の回避を余儀なくされた。
 このまま蛍を撃ち落としていけば、リグルの体を少しずつでも削ることはできるかもしれないが、その方法では先にこちらの装備と霊力に限界が来てしまう。
 そのことは相手も分かっているらしく、追尾弾の二波目は一波目より数が多く、連射弾の発射速度、密度ともに徐々に上がってくる。それでいて遠目に見えるリグルにはさして疲弊の色が見られない。橙の攻撃によって半分近く削られたと言っていたが、それでいてなおこちらの限界を図ろうとするだけの余裕があるのだ。
 おそらく全てを見切られた瞬間、一気に押し潰される。となれば回避に専念することもできず、かといって下手な攻撃では対処しきれない。追尾と速射弾の連携は霊夢が好んで取る方法だが、受ける身になるとこんなに厳しいものなのだ。
 圧倒的な力を持つ己の影法師との対決。それは即ち、自分の限界に挑むことにほかならない。数少なくなってきた捕縛用の札を消費して時間を稼ぎながら、霊夢はより強い自分を倒すならどうすれば良いかなんて、とても正気では考えられないことに思いを巡らせる。そして弾幕決闘の最中というのは一切の常識を拭い去るほど思考が追い込まれる状況である。それを思いつくならばいま、ここしかないはずだった。
「ちまちま逃げたり抵抗することしかできないなら、一気に決めさせてもらうわ!」そんな迷いを察したかのように、リグルが無慈悲な宣言を飛ばしてくる。「お前を倒してさっさとこの場から逃げてやるんだから」
 リグルは膝より上と腰部までをも蛍に変え、第二波を消しきれていないというのに追尾弾の第三波を繰り出してくる。連射弾の発射速度と密度も更に増し、高速で逃げる霊夢を的確に追い詰めていく。最大強化の速度で精一杯逃げているのに、リグルの目は全く惑うことなく精確に霊夢を狙ってきて、一時も休む暇を与えてくれない。虫の目は人の目よりもずっと高性能だという話を以前に聞いたことがあったけど、その能力も最大限に発揮しているのかもしれなかった。
 もう一度主導権を握るためには二つの攻撃を同時に凌ぎ、かつ強烈な一撃を叩き込まなければならない。そんなことができるものかと諦めそうになる心を励ましながら回避を続けるが、リグルの目はこちらの動きを読むようになったのか先程よりもすれすれのところに連射弾を撃ち込んでくるし、追尾する蛍も徐々に速度を上げてこちらを絡め取ろうとしてくる。蛍のくせに巣をつついた蜂のように執拗であり、それを一度断ち切るため捕縛用の札の残りを一斉に投げつけようとした。
 札を取り出す手応えは得られなかった。つまり捕縛用の札のストックがとうとう切れてしまったということだ。これまで何とか抵抗できていたが、ここからはどんどん対処が追いつかなくなる。蛍が自分に群がり、一斉に爆発したらどうなってしまうのかと思うとそれだけで背筋が寒くなる思いだった。
 しかしてその恐怖こそが、霊夢に最初の思いつきを与えてくれた。
 極限状態の中で一気に広がっていく打開策が妥当であるかなんて検証している余裕はもちろんなかったが、他に手も思いつかない以上はやってみるほかなかった。
 回避行動を継続しながら、霊夢はこちらも数が少なくなってきた虫避け用の札を取り出し、球状の結界を展開していく。ごく小さな結界の中に霊力を充填することで誘導と破壊力を兼ね備えた大玉を作り上げる技で、霊夢はそれを結界弾と名付けているのだが、これをどうにかして一つ作り出すことが、いま頭の中にある作戦の中で必須だった。
 本来なら集中して行わなければいけない作業なのだが、大技を放つので待ってくださいなんて都合の良い話が通用するはずもない。かといって全力で逃げ回りながらなお平常心を保ち、失敗すれば無傷ではいられない技を完成させなければならないなんて、曲芸にも程がある。しかも結界弾作成のために片手が塞がるからもう片方の手だけで札や針を撃ち、どうしても被弾を避けられない弾が来たら咄嗟に防御に変えて受け流すという、これまで以上の忙しなさを余儀なくされた。
 やることが多過ぎて頭がパンクしそうだった。連射弾の精確な狙いによって防御はどんどん削られ、針だけでは炸裂する蛍の処理が追いつかないから全速力で飛んで振り切り続けるしかない。しかも狙い通りに物事を進めるため、追尾する蛍の群れをできるだけ狭い空間に分布する一つの塊に保っておく必要があり、誘導するための動きを取る必要があった。それは追尾する蛍の群れの周りをぐるぐると回ることであり、単純な動きだからリグルの狙いに捕らえられやすくなる。ごく間近を蛍がひっきりなしに通過していくが、この程度で怯んではいられない。というより多少の被弾リスクを怖れている余裕などなかなった。
 ここまで忙しなく、余裕なく駆けずり回ってなお、いくばくかの運を必要とする作戦だった。これからやろうとしている行動を予測されませんように、たった一度の機会を活かせますようにと必死に願いながら、霊夢は回避と防衛、力の蓄積を続けていく。
 結界弾がようやく完成したのは防御も尽き、生身が危険に晒される直前まで追い詰められたところでだった。酷い状態だが間に合っただけでも御の字であり、しかしこれからが霊夢の運と踏ん張りが試される正念場だった。
「頼む、成功して頂戴!」
 霊夢は虫除けの札の残りを追尾する蛍の群れに目掛けて射出する。それを察知した蛍の一部が玉砕によって札を破壊しようとしてくるが、霊夢は札の一枚一枚を精緻に操り、蛍との衝突を回避する。札は蛍を撃墜するためのものではないからだ。
 放たれた札が追尾する蛍の群れをぐるりと取り囲むように配置されたことを確認すると、霊夢は仕込んでおいた力を発動させ、微弱な結界を発動させる。
 蛍たちを閉じ込めるわけではない。力を外側から内側へ収束させ、異なる力である霊力を撒き散らすことが目的だった。
 妖精にすらそよ風に感じる程度の威力しかない攻撃だが、追尾する蛍たちは異なる力や存在に敏感な反応を示して炸裂するようにできている。異質な霊力ならばごく僅かな力によっても炸裂してしまうのではないかと読んだのだ。
 答えは小さな太陽が生まれたかのような、一斉の爆発によって明らかとなった。追尾する弾幕をまとめて潰せたことを確認すると、霊夢はとっておきの結界弾をリグルに向けて発射する。蛍の連射弾は躍起になって結界弾を撃ち落そうとするが、虫除けの札によって形作られたそれは苛烈なほどに撃ち込まれる蛍もものともせず、突き進んでリグルを執拗に追尾する。
 ひとまずの危機から脱したが、これは僅かに巻き返しただけであり、ここから駄目押しの一打を加える必要があった。
 霊夢は博麗にとっての必殺となる符を握りしめ、ありったけの霊力を込める。まだ他にもやらなければならないことはあるけれど、余力を残すことは考えなかった。少しでも気が散れば、きっとリグルは次など与えてくれない。それに霊夢には彼女にしっかりと見せる必要があった。
 妖怪の脅威となり、妖怪の脅威を知らしめることにもなる、れっきとした巫女の姿を。
 だから霊夢は札をぐしゃりと握りしめ、声高らかに宣言する。
「博麗の名において命じる。猛き妖の力、夢の如く散るべし!」
《霊符『夢想封印』》
 白熱するかのような濃い霊力の塊が同時に四つ、霊夢の周囲に現れると虫殺しの結界弾の対処に追われるリグルに一斉に飛びかかる。対するリグルの行動は連射弾での撃墜行動をやめ、立ち止まることだった。もはや観念したのかと思ったそのとき、リグルの全身が黄色い光に包まれ、迫り来る結界弾と霊力の塊を諸共巻き込んで激しい爆発を起こした。その余波が弾幕のように全周囲に放たれ、霊夢は慌てて回避行動に移る。追尾することも奇妙な軌道を描くこともなく、だから回避自体は容易かったのだが、楽観するつもりはなかった。
 光が収まり始め、霊夢はリグルのいた場所に視線を向ける。そこには影も形もなく、妖力の残滓だけが残っている。先程の弾幕が最後の一撃だったのか、それともまだ何かを隠し持っているのか。このような状況になってなお、霊夢は気を抜かずに周囲をくまなく観察する。今の実力でできる最高の攻撃を仕掛けたという手応えはあったが、それでも彼女ほどの妖怪を完全に滅ぼせるようなことができたなんて自惚れてはいなかった。
 そして霊夢の行動と考えが間違えでなかったことはすぐ明らかとなった。
「あーあ、隙を見せたら不意打ちを仕掛けるつもりだったけど、無理みたいだね」
 リグルの残念がる声とともにぽつぽつと黄色い光が灯る。それらは一所に集まって瞬く間に人の形を作り、見覚えのある虫の妖怪が姿を現した。最後の全周囲に撒き散らされた弾幕は最後の一撃ではなく、身を細かくして脱出を計るためのものだったらしい。
 まだ相手が健在なことを認めると、霊夢は勝ち誇ったような声をリグルに向ける。
「では正攻法で来るのかしら? 言っておくけど、どんな攻撃が来てもさっきみたいに打ち破ってみせるから」
 本当は疲労困憊だが見抜かれないように虚勢を張り、しっかと武器を構えてみせる。リグルはどうしようかとしばし思案していた様子だったが、大きな息を一つ吐くとともに両手をあげ降参の意志を示した。
「戦えないことはないけれど、ここまで消耗してしまうともはや逃げる意味もない。わたしにはもう新たな虫を呼び出すことも、巨大化させて言うことを聞かせることもできないのだから。この体だってまだ一応はリグルになれるけれど、ほとんど空っぽのようなものだし」
「じゃあわたしの勝ちってことで良いのかしら。虫を遣って騒ぎを起こすのもやめてくれるのよね?」
「条件はわたしが勝ったら異変を邪魔しないということだけよ。負けたらどうするかは全く決めてなかったじゃない」
 霊夢は紫の取りなしとそれに続く会話や展開を慎重にたぐり寄せ、思い出していく。確かにリグルが負けたらどうするかを何も決めていなかった。なんとも間の抜けた話だが、自分はともかく紫が気付いていないはずもない。紫はこちらから条件をつけると無差別攻撃に思考が傾くかもしれないと考えたのかもしれないが、ここでごねられたら微妙に困ったことになりそうだ。
 リグルは少しばかり狼狽する霊夢の姿を見て、いたずらっぽく声を立てて笑うのだった。
「ふふ、ちょっとした冗談よ。虫たちへの命令は取り下げてあげる……というかさっきも言ったけどもうそんなことできないのよ。こうなるんだったらもうちょっとだけ力をわたしに振り分けておくんだったかな。見つからないこと前提で各地への虫の派遣を優先してしまったから……いや、これも単なる言い訳か」
 リグルはさらりと怖ろしいことを語る。もしリグルが自分用に力をもう少し残していたら僅かな勝利の目さえなかったはずだ。これも運が良かったと言うべきなのだろう。
 だがここで遠慮したり謙遜したりでは話が進まないし、勝ったと分かったら強く出るのが妖怪との交渉の基本である。だから威張る振りをしてがんがん質問や要望をぶつけることにした。
「簡単に言うけど、命令を取り下げるってどうやるのよ。いま郷では通信が使えないのに」
「虫は個の意志を群に反映させるのに長けている。人間たちが行う通信とは全く別のプロトコルで情報をやり取りするのよ」
 離れた相手に情報を伝えるならばそれは通信のはずなのだが、虫の理屈では違うらしい。どういう仕組みなのかと目で問うたが、リグルは肩を竦めるだけだった。
「偽物の月を出している何者かはおそらく人間か、人間に近い価値観を持つのでしょうね。個から群へ情報を浸透させる虫のやり方が想像もできないのだと思うわ。だから妨害の影響も受けなかったんじゃないかな。まあ全ては推測なんだけどね」
「なるほど、なんとなく理解したわ」
 霊夢は偽物の月を浮かべ、郷中の機械を止める連中のやることなど考えても無駄だということを理解した。この手の智恵働きは背後に控える紫に任せることにしよう。
「それにしても、結構上手く計画を練ったと思ったのに結局は最小限の成功に留まったってわけか。木っ端妖怪の計画だと所詮、こんなものってことかなあ」
 彼女が木っ端ならば郷に暮らすほとんど全ての妖怪は欠片以下ということになるだろう。妖怪にしてはらしくない謙遜だが、何百年も人と混じり続け、弱い振りを演じて来るとそうした性格も染みついてしまうのかもしれない。
 などと考えてきたら、いつの間にか姿を消していた文がするりと隣に現れる。その表情は珍しく他者への賞賛に満ちていた。
「そう謙遜するものじゃありませんよ。しばらくは虫を見るのも嫌という人間も増えるでしょうし、里の夜も暗がりが保たれることになるでしょう。負けてしまったとはいえ、そこは同じ妖の身として堂々たる存在の仕方であったと誉めるにやぶさかではありませんね」
 文はリグルの行いを一方的に持ち上げ、対するリグルはその行いを実に気持ち悪そうに感じているらしく、嫌そうな顔をする。
「ともあれここに勝者が定まりました。この結果はわたしが天狗の誇りに賭け、きっちり伝えることにします。見出しはそうですね、博麗の巫女、虫の大妖怪を見事に征伐するとでもしましょう」
 そう言ってさまになるウインクをリグルに投げかける。負けを宣伝されるなんて自分だったら腹立たしいことだが、リグルはそのことに何故か満足そうに頷くのだった。
「そうと分かれば、わたしは記事を作らなければいけないからお暇させていただきますね。いやあ、今日は一夜にとても沢山のことが起きました。新聞の作りがいがあるってものですよ」
 医者と坊主は多忙と儲けを口にしてはならないとよく言われるが、それはきっと新聞記者にも当てはまるのだろう。しかしそんなことを目の前の殊更変わり種な天狗に説教してもへらへらと言い逃れてしまうのだろう。それに実際にはそんなことをする余裕すらなかった。文はここにいる一堂に向けて礼をすると、風のようにここから立ち去ってしまったのである。
「さて、ことの去就も定まったようね」
 文がいなくなるのと入れ替わりで、紫が隣に姿を現す。腕を組み、威張る様子はまるで自分が戦いに挑み、勝負したかのようだった。
「わたしは霊夢が勝利すると信じていたわよ。よくやったわね」
 白々しい奴めと思ったが、褒め言葉は嘘ではなさそうだし、ここでちくちく指摘しても話がややこしくなるだけである。霊夢は当然と言わんばかりに重々しく頷くに留めておいた。そんなやり取りに、リグルは少し疲れた声で入ってくる。
「それで、わたしはこれからどうなるのかな。里を犯した大罪人として処断されるの?」
「あら、何を言っているのかしら」諦め気味の態度を取るリグルに対し、紫は閉じた扇をぴしりと向ける。背は霊夢より小さいけれどその仕草には大妖怪としての威厳がそれなりに備わっていた。「異変を起こした妖怪は無事、博麗の巫女によって退治され解決の運びとなった。これはいつも通りの流れであり、規模の差はあれど変わることはない。ただ、仕方なしとはいえ人を傷付けることはあったでしょうし、里を派手に壊した罪は逃れ難いものがある。そこでわたしはお前に一つの労役を課すことにしたわ」
「労役、と言うと?」
「人間が里に街灯を立て、夜を払うのは何も妖怪や夜の恐怖を遠ざけたいと願うだけじゃない。夜に紛れて犯罪を起こす不埒者を牽制するためでもある。今回、人間たちが知った恐怖によって里の夜は濃い闇を取り戻すでしょう。そのせいで犯罪率が増加すれば、人間はやがて虫や闇の恐怖を圧してでも再び夜を明るく照らそうと試みるかもしれない」
「つまりわたしに人間の夜を護る番をしろと?」
「ええ。数多の虫を使役するお前の能力を存分に発揮してもらうことになるけど、どうかしら? もし駄目と言うなら他にもいくつか仕事を用意しているから好きなのを選んでもらうことになる。言っておくけど楽できる仕事は一つもないから」
 何とも黒い求人の押しつけであったが、リグルは紫の態度にも顔をしかめることはなかった。
「いま提案してくれた仕事で良いよ。ちなみに給料は出るんだよね? 今回の件で解放派にはいられなくなるから、最低限の食い扶持は確保しておきたいの」
 解放派は給料の出る活動だったのかと、霊夢は今更ながらに驚くばかりだった。秘密結社はボランティアのようなものだとずっと思っていたのだ。
「もちろん働きに応じて給金は出すし、仕事ぶりに見合った昇給も約束するわ」
「よし、乗った。あと、わたしの仲間で闇を操る妖怪がいるんだけど、そいつの能力も夜の警備にうってつけだと思うのよね。どうかしら?」
「ではその妖怪にも働いてもらうわ。お前の仲間なんだから同じ罪を共有しているはずだし、どのみちスカウト……罰を与えに行くつもりだったから」
 ちらりと漏れたスカウトという言葉が紫の本音らしかった。もしかすると紫は北の里に駐留する山間警備隊のような妖怪の警備人員を確保する機会を狙っていたのかもしれない。
「さて、前置きはこのくらいにしておきましょう。本当はもっと細かい沙汰も考えているのだけど、今はそのことでぐだぐだ話している場合じゃない。ここから本題と行くのだけど、お前はそもそもの元凶、あの偽りの月についてどれだけのことを知っているわけ?」
「いや、利用しておいてなんだけど実は何も知らないのよ。わたしの仲間は冗談めかして、あの力が手に入ったならやりたい放題よねなんて言ってたけど、結局のところ元草の根の知能が二つ三つ集まっただけでは何も分からなくてね。いくつかの実験によってできることとできないことを確かめて、これは利用できると感じたから波に乗っただけ」
 なんとも身も蓋もない答えだったが紫は落胆した様子もない。そもそも偽物の月と虫の氾濫は関係がないと最初から明らかだし、紫が狙っているのはおそらく二つの現象を無理矢理繋げるための情報なのだ。
「誰だか知らないが、よくもまああんなことを、郷の管理人である八雲の目をすり抜けて続けられたものよね。わたしが見習いたいくらいだわ」
 リグルはそう言って夜空に浮かぶ月を見上げ……まるで蝋人形になったようにぴくりと動かなくなる。霊夢もつられて視線を真上に向け、そしてリグルが固まってしまった理由を察した。
 偽物であっても淡く白い輝きを放っている月の存在は相変わらずだったが、それに加えてこれまでに見たことのなかった影がくっきりと浮かび上がっていたのだ。
 正確には影ではなく、銀灰色の巨大な物体だった。あんなものが郷の上空に浮かんでいて、これまで全く気付かなかっただなんて、とてもではないが信じられなかった。
 驚愕の感情とともに紫の顔色をちらとうかがうが、そこにはいかなる驚きも狼狽も浮かんでいない。それどころかまるで月の美麗さを讃えるかのようにうっすらとした笑みさえ浮かべていた。
「偽物とはいえまあ、なんともよくできたものよね?」
 それどころか呑気なことを口にし、偽物の月と重なるように浮かぶ物体にまるで気付いていない様子だった。
「あんた、あれが見えてないの?」
 霊夢は慌てて巨大な物体を指差したが、紫はその意味を全く分かっていない様子だった。
「あれって、誰かさんが投影してる偽物の月のことでしょう?」
「違う! 月と重なるようにしてなんかでっかいのがいるの。あんた、本当に見えてないの?」
 紫の目は自分よりも沢山のものを見通せるはずだ。それなのに霊夢でも目視できる物体が見えないだなんて明らかにおかしい。そして紫でもそのことを察したらしく、途端に気まずそうな顔を浮かべる。
 これはきっと紫が隠したがっていたことと関わりがあるに違いない。霊夢は紫に詰め寄り、どういうことかと問い質そうとした。彼女は何らかの形で偽物の月が生み出された出来事と関わりがある。それをなんとしてでも聞き出さなければならないと思ったのだ。
 だがそれは叶わなかった。体が急激に浮かび上がるような感覚によって意識がかき乱され、気を失ってしまったからだ。
 意識はすぐに取り戻されたが、困惑はいや増すばかりだった。
 霊夢はいつのまにか見知らぬ部屋にいた。河童の工場みたいな金属質の壁、天井はよく分からない仕組みによって部屋の隅々までを照らすような光が灯っている。室内にはパイプベッド、金属製のロッカー、奇妙な構造の洗面台らしきものが備え付けられており、他には何もない。無機質で生活感もないから客室のようなものかもしれない。
 ドアに取手はなかったが、近付くと勝手に開いた。その先には部屋と同じ雰囲気、色合いの廊下があり、この建物が色彩の豊かさと一切無縁であることをはっきりと示していた。
 廊下に出ると照明とは異なる黄色い光が部屋を出て左手側の方向、壁伝いにぽつぽつと灯っていく。紅魔館の道案内ランプと同じで、目的地まで案内してくれるものらしい。もちろん罠という可能性もあるが、霊夢はさして迷うことなく指示に従って歩き始めていた。この先に求めるものがあると、最近は少しおとなしげな勘がびりびりと告げていたからだ。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
 返答はないと分かっていてぽつりと呟いたのだが、霊夢の予期せぬ答えが頭上から返ってきた。
「正解は鬼が出る、でした」
 思わず天井を見上げると、かつて霊夢の前に現れ、挑発と妨害を仕掛けてきた天邪鬼の少女、鬼人正邪が逆さまに立っていた。まさかこんな場所でいきなり出くわすとは思わず、霊夢は目を瞬かせる。錯覚か幻覚なのではと考えたからだが、何度瞬きしても正邪の姿は消えたりしなかった。
 正邪は霊夢の驚きにしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべ、くるりと反転して霊夢の前に着地する。
「ああそうそう、邪でも正解だな。何しろわたしは鬼でもあり邪でもあるんだから」
「あんた、どうみても蛇には見えないけど……まあ良いわ、それよりもどうしてこんな場所にいるの? そもそもここはどこなの?」
「ふむ、話してやっても良いが、それは逃げながらということになりそうだな」
「えっと、それってどういうこと?」
 正邪は目印の光が伸びているのとは反対側の道を指差す。通路もまた適度な光に満たされているから、霊夢はそれらが姿を現すと同時に何であるのかを観察することができた。
 通路の反対側から高速で飛んできたのは巨大な目玉のような金属製の浮遊物体だった。それらはわたしや正邪に気付くや否や、目のように見える箇所から光を放ってくる。
 レーザーだと気付いた瞬間に、反転して駆け出していた。何かは分からないが、あれは決して追いつかれてはならないし、あのレーザーに当たってはならない。
 その気持ちはちらと背後を振り返ったときに見えた、床の僅かな焦げ跡で確信に変わった。あのレーザーは虚仮威しでなく強烈な威力を持つ熱線なのだ。
「さあ、楽しい全力逃走の始まりだ!」
「そんなの全然楽しくない!」
 だが正邪の言う通り、否が応でも逃げるしかない。装備はほぼ使い果たしてしまったし、金属製の物体はお祓い棒でぶっ叩いたくらいではとても怯みそうになかい。
 霊夢は何も分からないまま、ゴールも分からない逃亡に身をまかせるしかなかったのだった。

感想をツイートする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

一覧へ戻る