東方二次小説

2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第5話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年07月13日 / 最終更新日:2017年07月13日

 強い視線が霊夢に突き刺さるのをひしひしと感じた。流石の美真もあの態度には呆れるか怒るかしたと思ったのだが、その顔に浮かぶのはどちらかと言えば同情の趣が強かった。
「わたし、霊夢さんのことを少し誤解していました」
「相手の謝罪を受け入れられないほど狭量だと思わなかったってこと?」
「いえ、案外内向的なんだなって。霊夢さんはわたしと話す時も、人里で大人と話す時も快活で、話題をリードしてくれて、外向的な方なんだと思っていたんです。正直なところ、その闊達さを少し羨ましく感じていました」
 美真がそんな風に思っていたことを霊夢は初めて知ったし、そもそも自分が外向的な性格だなんて考えたこともなかった。他人がいつも自分の中に異なるものを見るのは、慣れたといってもこうして時々戸惑ってしまう。
「だからわたしは今日、ここに来たんです。霊夢さんなら弾幕決闘を伴う探索に挑むための心構えを教えてくれると思ったから。佳苗さんもきっと同じ気持ちだったはず」
「わたしは公務員だもの。博麗の巫女はあらゆる権力に長じ、可及的速やかに異変を解決することを職務の一つとしている。だからどんなに訳の分からない現象であろうと、たとえ怖ろしい相手が待ち構えていようと逃げることはできないのよ」
「公務というだけで全てを割り切れるというんですか?」
 彼女の善良でまっすぐな視線が霊夢には痛かった。一切の虚飾を許さず、本当のことを語れと言葉なく訴えてくるからだ。霊夢は少し迷ったのち、己の中にある気持ちを全てではないものの、美真に話して聞かせることにした。
「いえ、わたしは弾幕決闘を楽しいと感じている。怪我は日常茶飯事、下手すれば命の危険だってあるのに、わたしの心はぎりぎりの勝負にどくんとはね、更なる全力へと駆り立てられるのよ」
 でもそれはあまり真っ当な動機ではない。だからあの場で心構えを話して欲しいと言われても当たり障りのないことしか口にはしなかっただろう。それほどに危うく後ろ暗いことだと霊夢は考えていた。
 だが美真は霊夢の言葉に何故か安堵の息をつくのだった。
「それを聞いて安心しました。わたしもですね、あの煌びやかな勝負方式がとても楽しくて。魔術の研鑽は厳しく、新たな魔法を一つ身につけるごとに苦痛は全身を苛む。未熟さがいつでもわたしを追い立て、でも空を飛ぶのはとても楽しいんです!」
 彼女の言葉が嘘でないことは、その話しぶりからはっきりと伝わってくる。半年前まで幻想のげの字すらない世界にいた彼女が、いまやその魅力にどっぷりとはまっているのだ。
「霊夢さんも同じような気持ちを抱いていると知り、心の靄が少しだけ晴れました」
「そう言ってもらえると……そうね、有り難いことだわ」
 弾幕決闘に望む気持ちを語り、しかもそのことを感謝されるなんて、霊夢にとっては初めての経験だった。そしてこれからも滅多にないと思われる、字義通りの有り難いことなのだろう。
「そして安心しました。内向的であっても誠実なんですね。わたしとは全然違う」
「わたしはあんたほど善良な人間はそうそういないと思っているのだけど」
「それなら霊夢さんこそわたしのことを誤解しています。この身を動かすのは闇黒々とした負の感情、怒りと慟哭、それと世界に対する呪詛です。いえ、だったと言うべきでしょうか。わたしはこの幻想郷に来て、かつての名前を心の奥底にしまいこんで霧雨美真としての人生を生きています。だからこそ少しだけ前を向ける人間としていられるのです。霊夢さんがその気持ちを教えてくれたんですよ」
 春の陽光にも似たあどけない笑みを浮かべられると、そこまで大層な人間ではないと口にすることができず、霊夢は恥ずかしさに顔を赤く染めることしかできなかった。そして美真も流石に少しだけ照れ臭かったのだろう。会話に困ってすっかりと黙り込んでしまった。かつてほどではないが、彼女は一度話題が途切れるとそれ以上の会話を続けるのが困難な性格らしく、俯いて押し黙ったままなかなか続きを話そうとしなかった。
 霊夢はそうした間が苦痛ではないからずっと待っていたのだが、美真はしばらくすると話すことを思いついたらしく、俯いた顔が再び霊夢のほうを向いた。
「先程の心構えは土産話として佳苗さんに持ち込んでみます。霊夢さんはそうですね、上手く伝えられなかった言葉を次に出会ったとき、話してあげられるように試みてはもらえないでしょうか?」
「そうね、善処してみる……もとい、頑張ってみるわ」
 少し迷ってから言い直すと、美真は拳をぐっと握りしめ、前に突き出す。頑張れということなのだろうが、どこか抜けたポーズであり、張りつめていた緊張が一気にほどけてしまったのだった。

 霊夢の個人的な問題が解決されなかったのと同様、社会の問題も解決されることなく続いていた。
 東の里では日ごとに酷くなるばかりのネット環境や定期的に停止する機械、予告なく訪れる暗闇に対して住民の不安が徐々に募り始め、役所や警察署に詰めかける人の数が徐々に増えていた。他の里でも似たような状況であり、住民の動揺はいまや収めることが難しいものになりつつあった。そんな様子を見ていたから博麗神社にも人が押しかけるのではと霊夢は覚悟していたのだが、実際には空を飛べる人間や妖怪以外は現れなかった。これはどういうことかと里の人たちに訪ねてみたら、何故か誰も到着できなかったとのことだった。
「一本道のはずなのにいくら歩いても辿り着けない、いつの間にか里の入口まで戻って来ている。これは巫女の気持ちを煩わせるなという、神社の守護者の声なきお達しであるとの専らの噂でね」
 豆腐屋のおばちゃんはいつもの調子でそんなことを語ってくれた。博麗神社に守護者がいるなんて話は聞いたことがないし、当然ながら見たこともない。だが里の人たちの中にはかつてその姿を見たものがいるらしく、その存在は根強く信じられているとのことだった。
「わたしとしてはうら若き年頃の女性が一人暮らししている場所に詰めかけるなんて物騒だなと思っていたから、そうした輩が近寄らないことにはほっとしているんだけどね。何かとんでもなく奇妙なことに巻き込まれているのではないかと心配なんだよ。ただでさえ今年の始めくらいから大事に巻き込まれっ放しなんだろう?」
 確かに今年は厄介ごとが山のように押し寄せてきたが、色々な手当てがごっそり付いて懐はかなり潤ったし、掃除機と洗濯機の修理も巫女としての諸経費としてすぐに承認され、快適に使えるようになった。友好範囲が一気に広がり、それに煩わされることもあるけれど、これまでより楽しい時間を過ごせることも多くなった。決して悪いことばかりではないのだ。でもそれを口にしたところできっと強がりに取られるだろうし、彼女は自分を博麗の巫女でなく年頃の少女として扱っている。妖怪と死傷を賭して戦う姿なんてきっと想像だにしていない。だから少しだけ辛そうな顔をして、大丈夫と強がるふりを見せた。
 情報を集め終わると、霊夢は空を飛ぶのではなく参拝用の道を通って神社まで戻ることにした。断りもせずに惑わしを施した不届き者の手並みを拝見するためだ。もしかすると一連の異変を起こしている何者かの尻尾をつかめるのではないかとも期待したが、別段変わったところは見当たらない。
 もはや撤収した後なのか、霊夢にも暴けないほど巧妙に隠されていたのか。一欠片でも痕跡を見つけようと、いつもより目を細くして慎重に道を辿っていると、いきなり冥い線が走り、にょきにょきと拡がって、遂には人が一人ほど通過できる大きさになった。
 こんな芸当ができる奴を霊夢は二人しか知らない。しかもどちらも同じ名前だから面倒なことこの上ない。霊夢には二人が別人か同一人物かどうかもよく分かっていないのである。性格も体型もまるで異なるが、それは力のある妖怪にとって別個体であることを意味しない。各種伝承を見るに、力のある有名な妖怪は実に様々な顔を持っている。
 スキマから姿を現したのは霊夢よりも小さな、前の異変で少しだけ姿を現したほうの紫だった。
 つい先日、大きいほうの紫を見たばかりだから似ているのがはっきりと分かる。姉妹、あるいは親子といっても差し支えがないほどであり、やはり同一人物なのではという疑いが頭をもたげる。しかし怒りの感情を剥き出しにした表情はおよそ、大きいほうの紫からは想像がつかないものだった。
「これ、霊夢がやったの?」
 これというのは参道に参拝者避けが施されていたことだろう。つまり紫は仕事をサボるために自分がこれをやったのだという疑いをかけているのだ。冗談ではないと思ったが、しかし彼女の疑いもよく分かる。
「できるならばやっていたかもしれないわね」
「できないことは分かっているのよ」それなら最初から聞くなと思ったが口にはしなかった。紫は怒りを収めることなく、霊夢をぎゅっと凝視してきたからだ。なりは小さいといっても彼女は力のある妖怪であり、霊夢はたちまちその威圧感にとらわれてしまった。「反転の術があちこちに仕掛けられていたの」
 反転と聞いて真っ先に思い浮かんだのは、口が悪くて皮肉ばかりを言う天の邪鬼のことだ。しかしその力を霊夢は実感したことがない。雷鼓主催のコンサートでその激しい動きに酔っぱらったたとき、反転を仕掛けてきたようなのだが、上下左右に逆転しただなんてちっとも感じなかった。だからこそ再度遭遇した時には奇妙な道具を使って対抗してきたわけだが、今度は参拝者を神社から追い払うという嫌がらせに切り替えてきたのかもしれない。
「普通の人間ならあっさりと誘導されるでしょうが、わたしには児戯に等しいものだった」
「それならばどうして怒っているの?」
「怒ってなんかない。あの天の邪鬼、一体何を考えているのかなって思っただけ。どういうつもりなのかしら、あんなメッセージを残すなんて……」
「何よ、メッセージって。まさか解放派の犯罪予告でもこそこそ忍ばせてあったわけ?」
 夜討ち朝駆けを始めとして、人間の都合など考えない組織だが重大なことを引き起こす際には大々的に予告を打ったりする。偽物の月が現れるなどという珍事に何も表明するところがないというのは少しおかしいなと思っていたが、予告を見つけにくい所に隠して行動開始後に「わたしたちはちゃんと予告したぞ」と表明する姑息さを見せることは十分に考えられる。少なくともあの天の邪鬼はそれくらいやると霊夢はみていた。
「かもしれない。うーん、これはひとまず保留にさせて。言葉通りの意味なのか、メタファーなのか、あるいはその両方なのか分からないし、みだりに口にできない案件だから」
 推測でもなんでも話してくれれば良いと思ったが、紫は口を噤んだままこれ以上のことは語らず、代わりの話題を霊夢にぶつけてきた。
「それよりも霊夢、わたしたちも満月の夜に動くわよ」
 いきなりだったが姿を現した時からそう言われるだろうなという漠然とした予感はあった。
「こちらは一人でも出向くつもりだったけど、先といい上司がほいほいと現場に出向いて良いの?」
 彼女なら使役できる式神もいるのではという意味で聞いたのだが、見事に逆鱗に触れてしまったらしく、収まりかけていた癇の虫が一気に噴き出してきた。だがそれは声になることなく噛み殺され、あとには悔しくてたまらないと言いたげな表情だけが残った。彼女を散々に悔しがらせるような何かが起きたのであり、そんなことができる相手を霊夢は一人しか思いつかなかった。
「あんたよりずっと背の高い紫が現れて何か言ったのね?」
 図星だったらしく、紫は探るような目で霊夢にじっと視線を向ける。だが今度は心身を威圧するような束縛は感じなかった。
「ずっとは余計だわ……うん、その通りよ。報告には聞いていたし、隠居してるだけならまだしも郷を騒がせるようならがつんと懲らしめておこうと思ったんだけど、わざわざあっちから出向いてきたのよ。先に起きた二件の異変が起きる元凶を作ったことをあっさりと認めて、でも今回だけは自分のしでかしたことではないから、わたしには巫女と手を組んで満月の夜に謎を解き明かせと、そんなことをいけしゃあしゃあと口にしたの。ふざけるなって感じよね!」
 霊夢は全くだと言わんばかりに頷く。あの大きいほうの紫に似たようなことを吹き込まれ、言う通りにするべきか逆を張って何もしないままでいるかずっと迷っていたのだ。
「でも他にやりようがないのも事実よ。紫もきっと同じ状況なのでしょう?」
「否定はしないけど、誰かの掌の上で転がされているというのが気に食わない。わたしは常に最上位にあるべきで誰かの企みの上にあってはいけない。管理者とはそういうものよ。でもあいつが背後にいるならわたしは最上位であることを保てないかもしれない。錯誤し、間違え、見当外れの結論を出すかもしれない。危うさを感じたならば、根拠のない勘でも良いからわたしに具申し、力づくでも止めなさい。わたしは霊夢のことを分からず屋といって自分の考えを押し通そうとするけれど、それでも構うことはないからやって頂戴」
「あんた、無茶苦茶言ってるの分かってる?」
「重々承知よ。謀でも力でも上の奴を相手取る必要があるなら意外性までをも組み込んで不確実な手法に活路を見出すしかない。ちぐはぐで、全く別のことを考えて、喧嘩もするかもしれないけれど」
 そこまで口にしてから、紫は霊夢に手を差し出す。
「二人の目的はいつも一緒。郷に現れた異変を、あらゆる権限の上位に立ってなんとしてでも解決する。それが博麗の巫女の仕事であり、上司であるわたしのやるべきこと」
 霊夢は大きく頷き、紫の手を握る。少しひんやりとしているが、人間と同じ感触だった。
「では今日この時より、偽りの月にまつわる一連の件を第三種緊急事態として承認するわ。博麗の巫女はこの時よりあらゆる権力に上位し、その代わりに第三種緊急事態を速やかに解決する義務が課せられる。異存は認められない」
「承知したわ」
「良い返事ね、よろしい。では先程保留としておいた情報を霊夢に一部共有するわ。このことを口に出したり、文字に書き起こしたりしてはならない、良いわね?」
 そこまで警戒を必要とするどのような事態が郷を覆っているのか。紫はその疑問に額をこつんと、霊夢の額にぶつけることで答えてくれた。一瞬だけ霊夢の頭を突き抜け、その奥にある脳に接触すると同時、様々な情報が霊夢の中に入り込んでくる。紫は額を離し、挿入された知識のことを霊夢が無意識に口にしようとすると、指で唇をむにっとつまんで閉じてしまった。
「口にするなって言ったでしょう! 全く、人間というのは入力と出力の明確な定義がないから、情報を無意識のうちに外部へ出力しようとする。だから機密が漏れるし、根も葉もない噂があっという間に広まるのよ。全体を統制することは不可能としても、わたしの目の前でその無様は許さない」
 息苦しくなってきて、霊夢は紫の掌をぴしぴしと叩く。紫は唇から指を離し、霊夢はぜいぜいと息をしてから紫を睨みつける。
「分かったわよ、次からは気をつける。ともかく何をやれば良いかも把握した、俄には信じ難いことだけど……」
 言葉通りの意味なのか、それともメタファーかと疑ったのも理解できる曖昧な伝言だった。だが霊夢の気持ちは明確に前者へと傾いていた。そのことを知った途端、虫に這われるように肌がざわざわしたからだ。
「こちらも被害を軽減できるよう努めてみる。でも郷全域をカバーするのは難しい。相当の荒事を覚悟することね。では満月の夜に、不確定なことも多いけど踏ん張って頂戴」
 紫はそう言い残すと霊夢の反応も見ず、慌ただしくスキマの向こうに姿を消した。
 現状では何もかも不明なことばかり、しかも明確な脅威が郷に迫っている兆しがある。それでも霊夢の心は先程までよりは晴れ晴れとしていた。少なくとも打ち込めることがあれば悩みはさておくことができるからだ。
 逃げではあるが、今の霊夢には邁進できる目標が必要だった。だから紫の命じたことを徹底的に実行するつもりだった。装備の確認は念入りに、背後の用心も念入りに。霊夢はそう自分に言い聞かせると準備に取り掛かるのだった。

 鬼人正邪はつい先程までひたすらに逃げ続ける生活を送っていた。遥か昔に小槌の力で下克上を起こそうとした計画が失敗し、幻想郷中に指名手配を出されたあの時と同じくらい一敗地に塗れ、反則道具を駆使しながら辛うじて死中に活を見出し続けていた。
 それもようやく安住の地を見つけ、ひとまずの終わりを告げた。先の異変で霊夢を待ち伏せし、誘導して変質した付喪神にぶつけたのは全く苦肉の策であったが、その時の記憶が正邪の身をすんでのところで救ったのだった。
 正邪が逃げ込んだのは空の彼方に開いた門の中である。冥界に通じる入口を生きながらにして潜るものは少なく、そして中に生あるものの気配は見当たらない。普通はこんな所が安住の地になるなどあり得ないことだし、正邪のような妖怪とて長く冥の空気に曝されれば生と死が曖昧になり、下手をすると死の淵に引きずり込まれてしまうかもしれない。
 だがいかなる生命もいないという保証が今の正邪には必要だった。少しでも生ある者が存在できる場所は、正邪に安寧を与えてはくれない。かつての逃げ場であった地底にさえそれらは存在し、正邪を捕らえようと遮二無二追いかけてきたのだ。その時はもう覚悟を決めるしかないと思ったが、激しい危機感が正邪の頭を否応なく働かせ、打開策を閃かせた。正邪は最後の賭けに出るため、地底の一番奥深くまで潜ると天地を反転し、一気に空の上まで逃れたのだ。
 何千メートルもの距離を一気に反転するのは酷く消耗する行為であり、空でも待ち伏せされていたら正邪にはなす術がなかっただろう。今も意識を失いそうになるのを必死で堪えながら、先の見えない階段に沿って飛び続けている。かつて霊夢がこの先にある冥界の管理人のもとを訪ねた時は二時間ほど戻ってこなかったから、最低でも数十分は飛び続けなければならないと覚悟していたのだが、少しもしない内に階段の終わりが見えてきた。
 どういうことかと思いながら石畳の道を進むことしばし、全くもって不似合いな生の兆しが視界に入ってきた。あれが冥界を管理する西行寺なる亡霊が住まう庭園に違いなかった。それならば冥界にあるはずのない生が存在していてもおかしくはないが、正邪にとってあらゆる生の兆しは避けたいところだった。こんな所まであいつらの先兵が潜り込んでいるとは思えなかったが、かつての安住の地として築いた巧妙な隠れ家を尽く潰されたのだから警戒するのも当然だった。
 まあ良いと、正邪は冥界の大地にどっかりと腰を下ろす。ここで眠ることはできないが、横になるだけでも若干は楽になるはずだ。一心地つくと正邪は己が置かれた苦境を思い出し、きつく歯噛みする。
 最初の兆しは正邪が良からぬ勢力と繋がっているのではという噂が流れたことだった。でも正邪はさして気にしなかった。これまでにも幾度となく噂されたことであり、堂々としていればいつの間にか収まる類のものだった。
 だがその時だけは噂が収まることなく広がり続け、太陽の消失から始まる一連の異常現象が発生し始めると、正邪は真っ先に槍玉にあげられた。それから先の二件も正邪が解放派を弱体化させ、組織を乗っ取るために画策した結果であるとの訴えが上がり、その証拠が瞬く間に各所から上がって一気に身動きが取れなくなったのだ。もしかすると何度か流れた噂は正邪を慣れさせ、油断させるためのものだったのかもしれない。
 これまで無害だと信じ切っていたものに牙を剥かれた。見事なまでに騙されて、追い立てられ、正邪が有していた力までをも根こそぎ奪われそうになった。
 郷全体のパワーバランスを書き換える下克上を狙っていたというのに、その中の一組織内で企みを起こされ、下克上されてしまうだなんていよいよ本末転倒だ。
「天の邪鬼が転倒させられるだなんて全く、冗談じゃない」
 何気なく零れた一語に正邪は口元を綻ばせる。何の目的もなく逃げていた天の邪鬼が次の大目標を見つけたからだ。
「転倒させられたなら、もう一度転倒させてやれば良い」
 弱者をもって強者を制する。奪ったものを奪われる屈辱を与える。そのことを考えるだけで正邪の体にみるみる活力が湧いてくる。それに正邪はただ逃げただけではない。いくつかの布石を正邪がいつかひっくり返してやろうと考えていた者たちの下へ残してきた。それらもまた、正邪から何もかも奪おうとした輩共の横っ面を叩く効力を発揮するはずだ。
「だが、それでも足りない」
 正邪が挑むは数百年に渡り、郷全体に張り巡らされた糸である。そしてそれらはある目的のため容赦なく使用されるだろう。
「力が欲しい。それこそ世界を転覆させるほどの力が」
「あら、物騒なことを口にするのね」
 正邪はいつの間にか存在感の薄いぼんやりした少女に見下されていた。その周囲にはひらひらと蝶が舞っており、一瞬ぎくりとしたがすぐに杞憂であると気付いて大きく息を吐く。あれは生きている蝶ではなくそのように振る舞う死霊であるとすぐに分かったからだ。
「幽々子様、離れてください。こいつは郷中に指名手配がかけられている大罪人ですよ」遠くから騒がしい声が聞こえ、正邪を見下ろす視線が二つに増える。片や亡霊、片や霊魂を纏った半人半霊であり、なんとも冥界の住人に相応しいと思った。「何百年も前から逃げ続けていて、未だに首と胴体が繋がっているのですから余程凶悪なやつに違いありません」
 半人半霊が剣を抜こうと構えるのを見て、正邪は咄嗟に上下を逆転させる。ぼんやりとした姿の亡霊とともに地面に倒れ伏せ、正邪は二人を見下ろすことになるはずだったが、実際のところは亡霊と一緒に半人半霊を見下していた。
「あらあら妖夢ったら、これが柔道なら一本ってところよ」
 幽々子と呼ばれた亡霊は妖夢と呼ばれた半人半霊のひっくり返った姿を見てくすくすと笑う。妖夢は顔を赤くし、石の地面だというのに背筋を伸ばして正座する。どうやらとんでもなく真面目な性格であるらしく、正邪は悪戯の虫が騒ぐのを必死で堪えなければならなかった。
「妖夢を転ばせるなんてなかなかやるわね、どんな技を使ったのかしら?」
「さあてね、それはいわゆる企業秘密って奴さ。時にあんたは白玉楼に住まう冥界の管理人、西行寺幽々子殿ではないかね?」
 最後の力を振り絞った反転は幽々子を望外に上機嫌な思いにさせているらしい。妖夢の射抜かれるだけで斬られていると感じるような視線を極力無視し、正邪は幽々子にアプローチをかける。
「管理しているつもりはないけれど、そういう役目に収まってしまった感じはあるわね。さて、妖夢の話が正しければ天下の大逆人さん。この冥界に死以外のいかなる目的があって来たのかしら」
「……正直に打ち明けると理由はない。ここには生がないと知っていたから訪れた。同じ生がない土地でも彼岸だと流石に閻魔や死神が見逃してはくれないだろう?」
「ふむ、生を厭うとはなんとも筋金入りの天の邪鬼ね。それに妖夢を転ばすだけの力もある。ふむふむ、なるほどなるほど……こういうのを人間が万事塞翁が馬と言うのかしら」
 幽々子は何やら一人で勝手に合点すると、先程までのふわふわした態度をぴたりと収め、正邪を手にした扇でぴしりと指した。
「ぼろぼろに追い詰められた天の邪鬼さん、貴方にその不幸を転じる機会を与えましょう。わたしたちは明日の夜、郷を舞台にした異変を起こしたいと考えている。貴方をそこまで追い詰めた相手に一矢報いるための弓矢、一太刀浴びせるための剣としてわたしと妖夢を自由に使うと良いわ。その代わり貴方の復讐劇を、その逆しまで捻くれた頭脳をもって見事に異変と呼べるような騒ぎに仕立てなさい。それが叶わないようなら、わたしも妖夢も貴方の武器であることをやめると心得なさい」
 幽々子の提案に正邪は唸らざるを得なかった。自由に使って良いとのことだが、実際は目の前の亡霊に便利な道具として使われるに過ぎない。しかも一定の成果を出さなければ切り捨てると宣言したし、見た目とは裏腹に幽々子は慈悲をくれるような性格ではなさそうだった。彼女の従者である妖夢には若干つけこむ隙もありそうだが、先程のような不意打ちはもう通用しないだろうし、弾幕決闘では決して叶わないだろう。
 それでも正邪の心はここに逃げ込んできた頃に比べれば十分に奮い立っていた。散々に騙され、追いかけられ、しかも今度は使い捨ての道具扱いされようとしていたが、この全てを引っ繰り返して全てを出し抜くことができればこれほど楽しいことはない。
 さあ、楽しい楽しい下克上の始まりだ。
 正邪は心の中でそう宣言すると、幽々子の手を握る。ここに新たな勢力が登場し、尚一層の波乱を予感させるのだった。
 

感想をツイートする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

一覧へ戻る