東方二次小説

2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第14話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年09月21日 / 最終更新日:2017年09月21日

 里外れの高台は人間の里と異なり、舗装された道路も両端に建ち並ぶ整然とした家屋もなく、各々が好きなように建物を作り、トッピングがたんまり乗ったケーキのようにちぐはぐとしていた。魔理沙が向かった建物は木造の平屋建てというオーソドックスな建物であり、美真はひとまず胸を撫で下ろした。
 入口の前には傘立てが置いてあり、その横に置かれた看板にはでかでかと「置き傘、忘れ傘するべからず」と書かれていた。こんな場所にわざわざやってきて、傘を忘れて帰るなどあり得なさそうだが、この庵の主には大切なことなのかもしれなかった。
「ここに住んでいるのは傘の親玉みたいな妖怪なんですかね?」
「親玉ってわけではないけれど、傘を蔑ろにしたり置いてけぼりにしたら酷く腹を立てることは間違いない。子供がやったことなら許すかもしれないが、大の大人がそんなことをしたら散々に脅かされてしまうだろうな。忘れ傘にはくれぐれもご用心ってわけだ」
 特に神妙そうではないところを見ると、拘りを蔑ろにしない限りは恐ろしい妖怪ではなさそうだ。職人として里に近い場所で暮らしているのだから、脅威の度合いは低いと考えて良さそうだった。もちろんどんな妖怪も侮れば怖いし、油断する気はないのだが。
「まあ、どんな奴かは見れば分かるよ」魔理沙はそう言ってから「おーい、こがさー!」と声をあげる。アリが潜んでいないことは確認していたが、それでもこんな夜に大声を出すというのはそれだけでひやりとするものがあった。「おかしいな、夜に眠るわけないんだが。騒ぎに妖怪心を掻き立てられてどこかに出かけてしまったか?」
 あてが外れたかなあと若干不安そうな様子の魔理沙を他所に、美真はきょろきょろとあちらこちらに視線を向けていた。ごく身近に妙な気配が感じられてならなかったのだ。
「ん、どうしたんだそわそわして」
「いや、近くに誰かいるひゃあ!」
 背筋を下から上に気持ち悪い感覚が駆け上り、美真は振り向きながらミサイル発射用の魔法陣を展開する。不埒者ならぶっ放すつもりだったが、そこにいたのは舌をびろんと伸ばした紫色の傘と、左右異なる瞳の色を持つ可愛らしい少女だった。
「あはは、驚いた驚いた。いやー、初々しい足取りに態度だったからついからかいたくなっちゃって。ごめんねー、そしてご馳走様」
 にゅるにゅると動く舌を見て、それでようやく気持ち悪さの正体に気付く。あの柔らかい舌で背中をべろんと舐められたに違いない。
「さて、ところでこんな夜分に何の御用? 武器でも買いに来たのかな?」
 先程の子供っぽい驚かせ方といい、今の無邪気な態度といい、あまり害はなさそうに見えるが、魔理沙は油断することなく小傘と呼んだ目の前の妖怪を観察していた。
「里で起きてること、知ってるだろ?」
「随分と騒がしいことになっているみたいね」
「人間が困ると、お前としても困るんじゃないのか?」
「まあ、多少はね。でも今は手に職をつけているのだから蓄えは十分にあるしさ、少しくらい収入が途絶えても全然へっちゃらなんだよ。心配してくれるのはありがたいけど」
 美真は気さくな笑顔を浮かべる小傘に絆されそうになってしまったが、魔理沙はその態度に不信を強めたようだった。
「里にはお前が世話を焼いている赤子や小さな子供もいるはずだ。そいつらが傷つけられたり、命の危険に晒されたりすると考えなかったのか?」
 その指摘に小傘は笑顔のまま、ほんの僅かだけ視線をそらす。どうやら痛いところを突かれたらしい。
「お前は今夜、何が始まるかを知っていたな? ここに住んでる奴らは皆そうなのか?」
 語調を強めながら、魔理沙は美真にちらと目配せをする。何かあればすぐに力でねじ伏せることができるよう準備していろという合図であり、この郷には本当に好戦的な人や妖怪が多いなあと思いながらポケットの整理を始める。今度はきちんと目的のものを取り出して使うつもりだった。
「だとしたら、異変の元凶に協力したってことで酷い目に遭わせるわけ?」
「わたしはそこまで好戦的じゃないし、誰もそんなことはしない。ここに来たのは知りたいことがあるからだ」
「申し訳ないけど、わたしはあいつのことをそう知ってるわけじゃないのよね。人里を巻き込む異変を起こすけど、人間に危害を加えることはないから静観していて欲しいと頼まれただけ」
「お前、それを馬鹿正直に信じたのか?」
「もちろん、信じるわけないじゃない」小傘の隣にいた傘がからかうように舌をべろんと動かす。間抜けな見栄えの傘に可愛らしい容姿の少女だが、間抜けでもお人好しでもないということらしい。「里にアリが大挙して襲ってきたから、下手なことをやったらわたしの能力でえいやっと追い払ってやるつもりだったわ。でも施設を一部破壊するだけで人に危害を加えることはなかったし、破壊行為の意図もすぐに分かったから、その言に偽りなしと判断したの。わたしがやったのはアリと戦って怪我をした大人の救出と介抱、逃げ遅れた人の避難誘導といった程度ね。アリと一緒にやってきた付喪神たちもこちらのやることを邪魔しなかったし、これも人間に危害を加えるつもりがないという傍証と受け取ったわ」
「約束は守られたから問題はないってことか」
「問題がないとは言えないけどね。強引だし、一歩間違えれば多くの人間に害が及んだかもしれない。それにここではないどこかではもっと悪辣なことをしでかしているかもしれないけれど……わたしはね、目に映るものの無事を確認できたならば他は目こぼしするつもりだったの」
 悪気なくそう言い切る小傘に、魔理沙はあまり良い顔をしなかった。対する小傘はへらへらするばかりで真面目に受け取るつもりがあるのかと疑わしくなるほどだったが、何の前触れもなくすっと表情を消し、次には真面目な態度で魔理沙に向き合っていた。
 その豹変には旧知らしい魔理沙も驚かされてしまったようだ。小傘が真剣な顔をするというのは余程珍しいことらしい。
「では正直なところを言うとね、人は夜というものを甘く見過ぎているとわたしはずっと考えていたの。街灯の設置を制限しているのはわたしのような夜の種族に配慮してのことでしょうが、でも光があれば夜の恐怖を克服できるものという風潮は徐々に強くなってきていた。そのことを面白くないと考える妖は増加の一途を辿っており、それは人間に進んで協力を行うような妖怪が集まるこの一帯ですら例外ではなかったのよ。そんな折に制定以来何度目かの弾幕決闘ブームが訪れた。このままでは不満を爆発させようとする輩がいつ現れてもおかしくない。
 人と妖をそこはかとなく取りなしたり、不意打ちを仕掛けて博麗の巫女の力量を測ったりとこそこそ活動してきたわけだけど、個人の活動では限界がある。なんとかガス抜きをできないかなと考えていた矢先に、その矛先を逸らし、溜飲を下げさせる異変の予告があった。となれば若干の危うさがあっても黙認しないとねえ」
 あどけない容姿と裏腹に、小傘の言葉には一定以上の思慮深さがあった。そしてそれには美真だけでなく、魔理沙も少なからぬ感心を示しているようだった。
「お前、色々と考えるようになったんだなあ」
「千年近くも生きていれば、脳みそにも皺が寄るし灰色にもなるものよ。人と交わって生きていれば尚更のこと」
「では、その灰色の脳細胞に訊ねたいことがあると言ったら答えてくれるか?」
「構わないけれど……あのリグルとかいう虫妖怪の居場所だったらわたしは何も知らない」
 質問の前に先回りされ、魔理沙は小さく頷く。そのことは半ば予想していたといった感じだった。
「首謀者が直接訪ねて来たわけだし、今のお前は異変を起こすと言われてはいそうですかと受け入れるほどお人好しでも考えなしでもない。事情を理解しようという意図をもって会話を交わしたはずだ。これはわたしの持論ではないが、犯罪者の魂胆や思惑を突き止めたいのならば十分なだけ話をさせろというものがある。どんなに賢い奴だろうと常に言葉を制御し続けることはできない。誘導や欺きなどの策を弄そうとした言葉であっても……いや、誰かを騙そうとしているならば尚のこと、そこには話し手の狙いや心情が滲み出る。だから首謀者と直接話したことのある者に問い直すというのは重要なんだ。まあ、結局のところ何も得られないかもしれないけど」
 魔理沙のどこか探偵っぽい口調を、小傘はじっと訊いていた。僅かに俯き、表情のないまま黙っている彼女からはあどけなさや愛嬌というものが消え失せており、しっとりとした美しさの一面を覗かせている。美真は妖怪の二面性、多面性というものを改めて実感していた。
「昔、お寺の知り合いに面白いからと読まされた本の探偵と似たようなことを言うね。確かわたしと同じで名前に傘が入っていたと思うけど……まあそれはいま語ることではないか。どういう話をしたのか、それだけを手短に話すとしましょう。とはいっても、最初にも言ったように異変を起こすとだけ宣言しただけで、その内容については一切語らなかった。言い訳がましいことは口にせず、自分を正当化するようなことはなく、必要最小限のことしか話さなかった。彼女もきっと、語れば語るほどぼろが出ることくらい、重々承知なんだろうね」
 そこで一息置き、小傘はおでこを指でとんとんと叩く。どうやらそれが、過去の記憶を取り出す時の彼女の癖らしい。
「わたしに話してくれたのはずっと昔から……それこそ何百年も前から準備していたこと。そのためならば誇りなんて投げ捨てても構わないのだということ、獅子身中の虫を演じることだって厭わないのだということ。この計画がどれだけ成功するかによって、郷との今後の付き合い方を考えるのだということ。そんなことをね、本当にぽつりぽつりと語ったの。もっと詳しい話を聞こうとしたけど、あとはさっきも話した、人間に被害を与えないという約束を信じて欲しいの一点張りだったわ」
 美真にとっては小傘が語ってくれたことは抽象的なことばかり、そもそも何百年も昔からの計画などと言われても、人間しかいない世界で暮らしてきたのだからピンと来るはずもなかった。では七百年近くも魔法使いを続けて来た師匠ならばどうなのか。
「あとはこちらで考えてみる。夜分に邪魔したな」
「あら、夜の訪問を気にする必要なんてないのよ。それにこんな夜はどのみち、休んでいるわけにはいかないもの。それよりも、今度は異変とか関係なしに訪ねてきて頂戴。お茶の一杯くらい出してあげるから」
 魔理沙はその言い方がおかしかったのかくすくすと笑い、小傘はその態度に少し気分を害したのか、あかんべえをしてから魔理沙の横を通り、自分の家に戻ってしまった。
 美真は魔理沙の笑いが収まるのを待ってから気遣わしげに声をかける。
「それで、次に行くべき場所は分かったんですか?」
「いや、分からない。でもいくつか考えるべき材料は与えてくれたと思う。その中でも大切なのが、リグルは己を獅子身中の虫と呼んでいたことだ。そういや美真は言葉こそ同じだが異なる文化圏から来たんだよな。この喩えは理解できるか?」
「獅子という強い生き物の中に、弱々しい虫がこっそり紛れ込んでいると意味通りに取るならば、強い存在の威を借りる行為であるということでしょうか?」
「大体合っているが、もっとえげつない意味でね。その虫は獅子を内側から食らいつくす獰猛さを持っている。要するに組織を食い潰す裏切り者ってことだな」
 美真の頭に浮かんだのは寄生虫という言葉だった。他の生き物との共生関係を選ぶ虫もいるが、中には宿主を操って利用し尽くすえげつない生態も存在する。自然とは時に人間の思いもよらぬ残虐な合理性を発揮するものだが、そう割り切ってさえあまり良い気持ちにはなれなかった。
「つまりリグルという名前の妖怪は所属している組織を裏切り、食い潰そうとしているのでしょうか?」
 幻想機械解放同盟に潜み、上手く乗っ取り、利用するという流れは九十九姉妹との話からもうっすらと察することができた。だが魔理沙は小さく頭を振り、ぼんやりと夜空に視線を向ける。偽物の月は先程よりもくっきりとした形を見せており、このペースなら一時間としないうちにその形を完全に明らかとしそうだった。
 そんな月を見て何を考えているのかと思いながら黙って様子をうかがっていたのだが、魔理沙はいきなりぱちんと指を打ち、そしてすぐに思案へと戻ってしまった。何か思いついたにしろ解決までは程遠いものであり、自分がそれにすら至れていないことへのもどかしさは募るばかりだった。
「ううむ、分かったは良いがこれはどうも行き止まりのような気がするなあ」
 そう言ってから、魔理沙は美真に聞きたいか? と問うような視線を向ける。美真としてはもちろん頷くしかなかった。行き止まりかどうかは聞いてから判断すれば良いことだと思ったからだ。
「結論から言えば、彼女が内側から食い尽くそうとしているのは組織ではない。もっと大きなもの……というかいま、この状況で誰が最も害を被っているのかどうかを考えればなんとなく察しはつくというものだ」
「この状況で害を被っている……というとまあ、人間ですかね?」
 里が襲われ、少なからぬ破壊がもたらされている。妖怪の山にもアリが攻め込んでいるようだが、彼らはその力をもってアリに抵抗することができるし、神の風による強力な守護も確認している。どのような妖怪も人間よりは苦しめられていないと判断するのが妥当のはずだ。
 そこまで考えて、美真にもようやく魔理沙の言わんとしたいことが分かった。
「リグルという虫の妖怪は人間社会に溶け込んでいるということですか?」
「ああ、おそらくはね。人間になりすまし、定期的に素性や住まいを変えながら、人間社会の中で暮らしてきたんだ。今日この日、あるゆるものの追及から逃れるためだけにね。異変を起こすとは疑われもしない普通の人間という立場は、どのような隠れ家よりも見つけられない。全くもってよく考えたものだが……」
 魔理沙はそこで言葉をきり、胃の辺りに手を当てる。まるで話しているだけで胃痛がしそうな重い話だと言わんばかりだった。
「ミスティアもアーティストや夜店の主として人間社会に馴染んではいたけれど、リグルはもっと深く……一部の虫が擬態を行うように、完全に人間になりきっていたのだと思う。妖怪が脅かす側の人間と完全に同化するなんてなんとも信じられないことだが、弱い振りをずっと続けてきた彼女ならばそれも可能だったのかもしれない。なんという執念か……」
 同じ妖怪として感じ入るものがあったのか、魔理沙は大きく息をつく。一方の美真はまだこの世界にやってきて間もないから、人でなしが人間と同化して暮らすことの凄さが実感できなかった。
「そのリグルとかいう妖怪が人間として暮らしている可能性が高いということは分かりました。でも、どうやって探せば良いのでしょうか?」
 人間は東の里だけでも数万、魔理沙がかつて語ったところによれば十万は間違いなく越えているという。その全てが捜索範囲だとすれば、雲をつかむような話だ。
「だから言っただろ、行き止まりだって。人間として暮らしていることが分かっても、どこにいるかを特定する手段がない。怪しい人物がいるかを一から調査して回るなんて、いくら時間を停めているこの状況でも無理な話だ」
 外の世界の警察はこことは比べものにならないほど優秀だったし、数も何千何万といたが、それでも一夜で突き止めることはできないだろう。
「手持ちの情報だけでは足りないんだよな。異変解決に乗り出している他の奴らと情報を交換できれば、絞り込める目もあるかもしれないが……」
 魔理沙はもう一度、空を仰ぐ。それで美真にもようやく、何に縋ろうとしているのかを察することができた。魔理沙は自分以外の異変解決者がいないかどうか、空に救いを求めていたのだ。
「ないものをねだってもしょうがないか。それにまだ負けと決まった訳じゃない。運命の女神は人事を尽くした我々に天運を与えてくれるかもしれない」
 そう言いながらも魔理沙はもう一度だけ、空を見る。美真にもその気持ちは分かっていたから、祈るように視線を空に向ける。
「えっと……あんたたち、こんな所で何をやってるの?」
 だから聞き慣れた声が地上から聞こえてきて、美真は小傘に驚かされた時のように、びくりと肩を震わせてしまった。
「いやいや、そんな怪物と出会ったみたいに驚かないでよ」
 気さくに声をかけてきたのは美真が良く知る人物だった。赤と白の巫女装束と自己主張する奇抜な服を身にまとい、弾幕決闘の怖さと楽しさを教えてくれた人。
 博麗霊夢がいま、二人の目の前に立っていた。
「お前、どうしてこんな所にいるんだ? アリがうじゃうじゃしているこの状況なら、そいつらの退治に向かいそうなものだが」
 魔理沙が訊ねると、霊夢は苛立たしげに腕を組む。どうやらここにいること自体、あまり気の乗らないことらしい。
「そうしたいのはやまやまなんだけど、役割があってね。わたし、今回の異変では紫と組んで行動しているのだけど」
「ああ、あのスキマ妖怪二代目の指示か。だったら巫女は従うしかないな」
「わたし、異変の間だったらあいつにだって従わなくても良いのよ。紫の立てた計画が最善だと思ったから協力しているだけ」
 魔理沙はまあそういうことにしておこうとばかりに頷き、霊夢はそれによって更に機嫌を悪くしたようだった。場がどんどん険悪になっていき、美真は一人ではらはらするしかなかった。
「その様子だと調査は芳しくないらしいな。郷随一の頭脳に、勘と幸運でなんでもずばりと当ててしまう巫女がコンビを組んでなお、居場所を探り当てることができないとは」
「紫はともかくわたしの勘はそんなに上等なものじゃないわよ。ところで魔理沙ったら随分と余裕ありげだけど、もしかして居場所を突き止めたの?」
 刺々しい視線と殺気、いつの間にか取り出していたお札が魔理沙に突きつけられる。白状しなかったら力尽くでも聞き出すと言わんばかりであり、美真は慌てて魔理沙の前に立つ。夜を停めている状態では万全の力を振るうことができないのだから、ここは自分が盾になるしかない。
「いや、あと一歩のところまで来たのだがピースが一つ足りない」
 霊夢は本当かなと問いたげな様子だったが、すぐに武器と殺気を引っ込める。どうやら渋々信頼した様子だった。
「こちらも見当はつけたけど、肝心の居場所と潜伏手段が特定できない。だから紫とその式が里をうろちょろするアリと戦い、派手に騒ぎを起こして不審そうな動きをする奴を探すつもりだったの。ここは里全体が見渡せるから、弾幕による戦いが起きたらすぐに分かるでしょう?」
「なるほど……それで人間になりすましている首謀者を炙り出すってことか。乱暴で確度は低いから今はそれしかないのかなあ」
「まあ、そういうとこ……いや、ちょっと待って」霊夢の一度は引っ込んだ棘が再び現れ、魔理沙を視線でちくちくと刺す。かたや魔理沙と言えば、何が霊夢をここまで刺激したのかが全く分かっていない様子だった。「あいつ、人間になりすましているってこと?」
「いや、うん……確実ではないが、わたしはその可能性が高いと考えている」魔理沙は先程の小傘との会話を掻い摘まんで霊夢に説明する。魔理沙に向けられた棘は徐々に和らぎ、徐々に俯きがちになっていく。「霊夢もそのことを知ったから騒ぎを起こすのだと思っていた。でもそういうわけじゃないんだな? 霊夢はまた別の情報を持っている」
「ええ、その通りよ。そして魔理沙の話してくれたことと合わせて考えれば……」霊夢はそう言って、魔理沙と美真を手招きする。大声では口にしたくないことらしい。だから美真は九十九姉妹との会話で使った風の防壁を張り巡らせ、外に音が漏れないようにした。「これで誰かに大事なことを聞かれることはありませんよ」
 霊夢はそのことを疑う様子もなく、得られた結論を二人に惜しみなく話してくれた。その表情はどこか疑わしげで俄には信じ難いといった様子であり、美真は自分の説が是であるのか非であるのかを判定して欲しいのだとすぐに察した。
「まあ、試してみる価値はあると思うね。他にできることがあれば話は別だが」
 魔理沙の視線に、美真は小さく首を横に振る。
「これが本当なら、わたしの目もかなりの節穴ってことになりそうだけど」
 霊夢の抱える戸惑いは理解できた。先程の推測が正しいなら、霊夢はリグルと目される人間と相当回数、顔を合わせているはずである。妖怪退治の専門家が何も気付いてなかったとなればショックもひとしおであることは美真にも容易に想像がついた。
「反省するのは後にすれば良い。それよりも大事なのは、どうやって正体を明らかにするかだ。なにしろ博麗の巫女にさえ正体を気取られなかったやつだ。普通の尋問程度、さらりと切り抜けるに違いない」
「それについては一つ、頼りになるものがあるわ」霊夢はそう言って一枚のお札を魔理沙に差し出す。「大丈夫、これは妖怪じゃなくて虫を避けるためのものだから。これを使えばさしもの擬態もおそらくは破れると思うのだけど、これを直接貼り付ける必要がある。でも、わたしではそんなことをしようとしたらすぐに気付かれてしまいそうなのよね」
「わたしもすっかり面が割れているから難しそうだ」魔理沙と霊夢の目が同時に美真へと向けられる。言われるまでもなく、何をして欲しいのかはこれまでの会話から察することができた。「美真は稗田の屋敷を訪ねたことがあったっけ?」
「何度かあります。外の世界について聞かせて欲しいと熱心に頼まれまして」
 あの遠子という少女は自分の知らないことについてとても貪欲で、朝に訪ねて昼近くまで質問攻めということもあった。その際に外来人であることは前もって名乗っているため、顔は間違いなく知られているはずだった。
「でも、そうですね。わたしだったら何とかなるかもしれません」
 美真は二人に、つい先程思いついた作戦を口にする。これも上手く行くかは分からなかったが、二人は顔を見合わせたのち、ほぼ同時に頷いてくれた。霊夢は美真に虫避けの札を渡してくれたが、不安を覚えているのかその顔はにわかに曇っていた。
「やばくなったら一目散に逃げなさい。わたしも魔理沙も責めたりはしないから」
「ええ、遠慮なくそうします。二人とも優しい人だってわたし、よく知っていますから」
 精一杯の笑顔とともにそう口にしたが、美真はまずくなっても限界ギリギリまで粘るつもりだった。
 かつてこの郷に受け入れてもらった案を、それで少しでも返せれば良いと考えていたからだ。
 三人して神妙な顔を浮かべていたが、すぐに動くときがやって来た。里に弾幕の灯りが浮かび、派手な音が聞こえてきたのだ。
「では行動を開始します。二人は気配を消して、屋敷の近くに控えていてください」
 美真は二人にそう指示をすると箒にまたがって一気に高台をくだり、里を囲む壁の側に着陸するとそこからは駆け足で稗田の屋敷に向かう。その中途で美真は霊夢が語ってくれた話を頭の中で反芻していた。
 これまで得た情報に霊夢が教えてくれた情報を加味して得られた結論。
 それはリグルが稗田の屋敷に勤める使用人として暮らし続けているのではないかというものだった。
 
 美真は必死で駆けてきた風を装い、稗田の屋敷の門を叩く。
「すみません、誰か……助けて、助けて下さい!」
 この緊急事態に、屋敷の人間が扉を開けてくれるかどうかは正直なところ分からなかった。稗田の家は東の里でも有数の名士である。助けを請う人間を見逃すことはしないだろうと踏んだのだ。
 推測が外れていて的外れな騒ぎを起こしていたならば屋敷の人たちには申し訳ないが、ことの真偽を慎重に吟味している時間はこちらにはない。ここだけでなく、少なくとも妖怪の山が襲われている現状では、縋ることのできる可能性には躊躇いなく踏み込んでいく必要がある。行儀の良さなんて考えている余裕はない。
 そんな気持ちを未練がましく持て余していると、外の様子を見るための小窓が開き、初老の使用人がこちらを覗いてくる。かつて遠子を訪ねたとき、いつも部屋まで案内してくれた人だ。外来人であることを珍しがることなく、とても親切な人だったと記憶している。
「おや、あなたは……外の世界からやってきたという魔法使いの。どうしてこんな所に?」
「その、魔理沙さんが……森がアリに襲われて! わたしだけ逃がしてくれたんです。でも、どこもかしこもアリだらけで、ここもそうで。どうしようか迷ってて、ずっと隠れてて。そうしたら博麗の巫女がここに来て、アリの退治を始めたんです。わたし、匿ってくれる人を他に知らなくて!」
 支離滅裂を装い、扉を何度か叩く。命からがら逃げ出してきて、まともにものを考えることができないのだと信じてくれることを祈りながら。
「そう慌てなくても大丈夫だよ。いま少しだけ扉を開けるから。通り抜けるのに窮屈だとは思うが、それだけは我慢して欲しい」
「はい、ありがとうございます!」
 がたごとと何かが動く音がして、門がほんの少しだけ開く。子供が体をねじ込んで、辛うじて中に入れるくらいの間隔だった。そこから皺の寄った手がひょいと現れ、美真を手招きする。
 その手を予告もなく強く掴むと、美真は隠し持っていた虫避けの札を老人の細腕に貼りつける。
 これで何もなければ、ちょっとした悪戯で誤魔化すつもりだった。
 だが聞こえてきたのは苦痛の叫び声と、少しだけ開いた扉から流れ出してくる妖力だった。美真は扉を更に押し開け、虫避けの札に反応した使用人の姿を確認する。
 そこにいたのは初老の使用人ではなく、虫によく似た触覚を頭から生やした少女だった。見た目は自分と同じくらいだが、その顔は苦痛と戸惑いに歪んでいる。隠れ場所と正体を看破されたのが未だに信じられないといった様子だった。
「さあ、正体は露見しました。虫を使って郷を襲わせる計画もこれでおしまいです。大人しく投降してください」
 後ろから足音が二つ聞こえてきたのは、霊夢と魔理沙が叫び声を聞いて駆けつけてきたのだろう。リグルもその音を聞きつけたのか、素早く空を飛んで逃れようとする。
 その行動を遮るように、大量の札がリグルを取り囲む。それでようやく観念したのか、彼女は大きく息をつく。戸惑いも苦痛も表情から消え失せ、油断のない表情がその中から現れ、空から眼下を気怠げに見回すのだった。
「やれやれ、ずっと見破られずにやってきたのになあ。なんで今日になっていきなり正体が露見したのか……いや、愚痴はよそうか。原因の追及も今は諦めよう。わたしは優れた虫狩りの少女たちに見つけられた。そのことを認め、次の行動に移らないと」
「いいえ、次はないわ!」霊夢がこちらに近付きながら威勢の良い啖呵をきる。「あんたを虫避けの結界に捕らえたわ。あちらこちらに放った虫を全て引き上げるまで、そこから出られないと心得なさい」
「申し訳ないけど、次はあるのよ!」
 彼女はポケットに手を入れると、中から緑色に輝く石のような物体をいくつか取り出す。リグルがふうと息を吹きかけるような動作をすると、それらは一気に巨大化し、周りを取り囲む札に突撃していく。札が何枚か効力を失い、結界の一部に脆い箇所ができるとリグルは躊躇うことなく体当たりし、結界から強引に脱出してみせた。残された札はすぐに結界を解き、リグルに攻撃を仕掛けていくが、それは突如として現れた緑の壁によって防がれてしまった。
 防御によって崩れた壁の欠片は美真の前にもぽろぽろと落ちてきて、その正体が明らかになった。それは美真の住んでいた世界でも見かけることのできた何の変哲もない昆虫、カナブンだった。
「念のため、隠し持っておいて良かった。そして虫避けの結界から出た以上、これからはあらゆる虫がわたしの味方になる」
 結界を強引に脱出したためかリグルはところどころに火傷のような傷を負っていたが、それでも負けるつもりは毛頭ないといった様子だった。その周囲にはカナブンだけでなく蛾や羽根アリなど空飛ぶ夜行性の昆虫がどんどん集っており、黒雲のように夜空を覆い尽くそうとしていた。
「虫の操作に専念したいからね。いつものような弾幕遊びはなし、最初から全力で行くよ。ここにいる戦力を全員倒し、全力でここから逃げてやる」
 前向きなのか逃げ腰なのかよく分からない発言だったが、リグルもその周囲を巡る虫たちも、これまでに遭遇した虫とは比べものにならないほどの力を秘めているのがはっきりと伝わってくる。
 いま、わたしが対峙しているのは紛うことなき虫の王だ。
 そう自分に言い聞かせると、美真は箒をぐっと構えるのだった。

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この小説へのコメント

  1. 第一章や第二章で登場した人妖が勢揃いで読んでいてとても躍動感があります。
    リグルの目的や、力を失い代替わりした紫の事等、今後の展開が楽しみです。

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