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2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日   幻想の静止する日 第1話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第3章 幻想の静止する日

公開日:2017年06月08日 / 最終更新日:2017年06月08日

幻想の静止する日 第1話
 始まりはあまりにも唐突だった。
 霊夢はいつものように朝のお勤めを終え、秋の穏やかな陽気を感じながららゆるりと洗濯物を干していた。夏の名残りはまだ僅かに残っていたが、もはや日差しを恨めしく思うようなこともなく、思わず鼻歌がこぼれるほどの、非常に穏やかな日常だった。
 だからいきなり目の前が真っ暗になったとき、最初は眩暈か立ち眩みを起こしたのかと思った。低血圧といっても立ち眩みするような体質ではないのだがと思いながら闇が晴れるのをじっと待ったが、いつまで経っても変化がない。
 霊夢は半年ほど前に起きた異変の最終局面を思い出し、空に視線を移す。あるはずの太陽はそこになく、月や星の瞬きもどこにも見当たらない。
 慌てて家の中に戻り、明かりを求めて電灯を点けようとしたが、何度紐を引いても明滅の兆しすらない。停電でも起きているのかと思い、慌てて棚を探り懐中電灯を取り出そうとした。すると仄かな明かりが外から差し込んできた。霊夢は大慌てでもう一度庭に出て、空を見上げる。
 そこには白光を放つ信じられないほど巨大な真円が浮かんでいた。黒い影の模様からして月のように見えなくもないが、何らかの錯覚が働いているとしても明らかに異様な大きさである。月がこの郷に向け、落ちてきているのではなないかと危惧したほどだ。しかし巨大な月らしき真円はこれ以上近づくことも離れることもなかった。一瞬にして姿を消し、太陽は消えた時と同じ唐突さで空に取り戻された。魚の群れのような雲がぼんやりと浮かび、なんら異常はないことをわざとらしく訴えているように見えた。
 白昼夢でも見てしまったのだろうか。
 それとも何らかの異常が空に現れたのだろうか。
 それを確かめるには自宅のパソコンから博麗神社のサイトの掲示板を確認すれば良かった。何かが起きていれば書き込まずにはいられない世の中であり、しかも冬から春にかけて起きた二件の異変を解決したのが博麗の巫女であるらしいとの噂がいつの間にか広まってしまったせいか、妖や類する書き込みについてはまず博麗神社の掲示板にという風潮が出来上がりつつあったのだ。
 普段は情報の峻別に鬱陶しくなることこの上なく、しかもサーバ負荷が高くなるから以前使用していた貧弱なレンタルサーバではしばしばサイトが重くなり、一時は博麗神社の巫女は仕事をサボっているのではないかという悪評が一部のアングラサイトでまことしやかに囁かれたもした。重度のネットダイバーである遠子が目敏く見つけて憤慨したのち、異変が起きたらこいつらの個人情報、博麗の異変に対する絶対権限を使って抜いてやれば良いのよなどと悪巧みを吹き込まれもしたが、それは流石に職権濫用だし、風評は放っておけば直に収まることを霊夢はこれまでの経験からよく知っていた。
 今回も好き勝手書き込まれているのだろうかと思いながらパソコンを待機状態から立ち上げようとしたが、パソコンの内部からはカリカリカリと起動直後のような慌ただしい音が聞こえてくる。停電のせいで電源が落ちたのだから当然ではあるのだが、予期せぬ終了によるディスクスキャンの時間がいつもよりももどかしく感じられた。
 三分ほどしてようやく起動が完了すると、博麗神社のサイトをチェックする……が、のろのろと待機状態を続けたのち、サイトが見当たらないと表示されてしまった。ネットが繋がっているか確認するため、メーラを開いてみたがこれも送受信ともに完了しない。テストプリントをしたらすぐに反応があったから内部のネットワークは生きているらしいが、ルータをチェックしても正常に通信ができるように見える。
 そこまで確認したところでようやく原因が分かった。ルータの近くに置いてあった自宅サーバの電源が落ちていたのだ。
 だが、これはおかしなことだった。この自宅サーバは霊夢が用意したものではなく、停電が起きてもしばらくは動作できるよう遠子によって設定された特別製だからだ。神社のサイトがいつも重いのは困ると遠子にこぼしたら、よし新しいサーバを立てようなどと目を輝かせながら宣言されてしまったのだ。
 遠子の家には今でも十分に使えるスペックのパソコンがいくつも眠っており、若干埃を被っていたパソコンの山から一式を選んで霊夢に神社まで運ばせると、あっという間に配線から設定から済ませてしまった。管理はこっちがリモートでやる、基本的に電源を入れたままで放っておけば良い、停電しても数時間は電気を供給し続ける装置を取り付けたから山の神様どもが気紛れを起こしても問題ないと請け合ってくれた。
 緊急時に動かなければならないものが停止しただなんてなんともおかしな話だった。どんな機械も壊れないとは言い切れないが、霊夢の持つ勘のようなものがこれはおかしいとしきりに訴えている。
 だが、その気持ちは徐々に薄まっていき、不信に思いながらサーバの電源を入れたところで完全に消えてしまった。もしかすると選択を間違ってしまったかもしれないと後悔するも、時すでに遅し。何かが閃くことを期待してモニタにずらずらと見慣れぬ文字が通り過ぎるのを黙って見つめていたが、黒背景にログインを求める白い文字が浮かんでスクロールが止まっても何も浮かばなかったので、観念してモニタの電源を切る。
 サーバの諸機能が使えることを確認するためパソコンから博麗神社のサイトを表示させると今度はいつもの画面を表示することができたし、メールも受信することができた。サーバが吐いたエラーログの添付されたメールは読むことなく既読にし、遠子宛に転送してから先程の停電に関する情報が何か送られてきていないかを確認する。だがめぼしい情報は見当たらないし、上司からの連絡もなし。
 掲示板を覗くと早くもメッセージが書き込まれ始めており、それによると博麗神社のサイトだけでなく様々なサイトに接続できない、繋がっても極めて遅いといった現象が多発している、送ったはずのメールが相手に届かない、そもそもメールサーバが死んでいるなどといった報告がぽつぽつと書き込まれていく。他のサイトでは書き込めないからという理由でやって来た、いわゆる難民と称されるネット民もちょくちょく見受けられた。博麗神社以外のサイトをいくつか表示させてみたが確かに繋がらなかったり、表示に時間がかかるサイトばかりだった。
 何かおかしなことが郷全体のレベルで発生したことは分かる。だが具体的に何が起きたのか分からないし、警戒するべきものを教えてくれるはずの勘も働かない。正確には働き出した勘がぷつりと消えてしまったのだが、どちらにしてもとっかかりがつかめないのは不安なことこの上ない。
「こういうとき、何に当たるべきなのかしら」
 口に出せば自然と問題にするべきことが浮かぶと思ったのだが、そう虫の良い話はないらしい。霊夢に思いついたのは過去に似たような事例がないか遠子に訊ねるくらいで、それが正しい方向に進むための行動であるかどうかの自信はなかった。それでも何もしないよりはましだし、自分の勘は色々なものを受け取ることで強く働く傾向があるから、話を聞く行動はおそらくプラスに働くはずだった。
 行動の方針を定めたところで電話が鳴り始め、急いで受話器を取ると遠子のいつもより僅かにトーンの高い声が聞こえてきた。付き合いの長い霊夢にはそれだけで彼女がひどく興奮しているのだと分かった。
「ああ良かった、電話は通じるのね」
「どうやらそうみたい。もしかしてさっきの停電の件?」
「ええ、そうよ。何の予告もなく停電になる、太陽が出ているはずなのにまるで夜のように辺りが真っ暗になる。電気はすぐに戻ってきたけれど、パソコンを立ち上げ直してネットに繋いだら大半のサイトが死んでいる、メールもメッセンジャーもろくに機能しないと来たわ。それで神社に設置したサーバのことを思い出して電話したの。神社でも同じことが起きているの?」
「電源を入れ直してサイトは復活させたし、メールの送受信が可能なことも確認済みよ。前にログが大事って言ってたから遠子のアドレスにまとめて送って置いたわ」
「それはありがたい、後で読んでみる。それで何かが分かるかもしれない……それにしても停電時電源装置を設置していたはずなのに、そちらでも機能しなかったの?」
「そちらもということは、遠子の屋敷にある装置も働かなかったの?」
「ええ、一箇所だけなら電源装置の故障も考えられるけど、霊夢の所でも同じ現象が発生しているし、ネットの状況から見て多くのサーバで同様の故障が発生していると考えられる。ただの停電ではなく、何らかの明確な意図を感じるわね。霊夢は妖怪の山の予定について何か聞いていたりしない?」
 遠子が疑っているのは妖怪の山主導で抜き打ちの停電が行われたのかもしれないということだ。おおよそ一年に一度のペースではあるが、いつも働いてくれている機械を休ませる、お世話になっている機械に感謝の気持ちを捧げるという名目で、郷に供給されている電気が一斉に遮断されるのだ。そのありがたみを最大限に知らしめるため、日時はごく一部の関係者を除いて誰にも通知されない。博麗の巫女である霊夢とて例外ではないし、遠子がそれを知らないはずもないのだが、訊ねたくなる気持ちもよく分かる。これまでは停電が起きても電源装置が働かないということはなかったのだから。
「機械を休ませるという方針をより徹底することにしたのかしら」
「パソコンはデリケートなのよ。正式な手続きを取らずシャットダウンすると復旧に色々面倒だし、感謝というよりは虐待に近いわ」
 それはパソコンだけでなくあらゆる機械にも言えそうな気はしたが、機械については説明書を読んで扱える程度の知識しかない以上、はっきりした意見を返すことはできなかった。どのみち遠子の怒りはいきなりパソコンを落とされたことに集中しており、他のことに目が入るとは思えなかった。
「まあ、霊夢に手助けが必要でないことはよく分かった。わたしはどんな情報が流れているか確認するため、今からネットの海に……」
「ちょっと待って、待って頂戴!」一方的に電話を切られそうだったので、不躾だと分かっていたが遠子の会話を大声で遮る。「一つ訊きたいことがあるの、パソコンの知識ではなく、遠子が持っているかもしれない知識を頼みたいのよ。遠子は月についてどれくらい知っているかしら?」
「月、ですって?」遠子の声音は話を遮られた不機嫌というより、驚きと疑惑に彩られているように見えた。「今回の事件に月がどのように関わっていると言うの?」
「それが、停電対応をしていたら辺りが少しだけ明るくなったの。それで外に出てみたら空に月……のようなものが浮かんでいて」
「月のようなもの、ってはっきりしないわね」
「わたしにもよく分からないのよ。夜空に煌々と輝く様子は月のようにも見えたけど、いつもよりずっと大きくてくっきりしていたし、影の付き方も異なっているように見えたわ。本物をそっくり真似たけどどこかちぐはぐとしていて。月の偽物……と言って良いかさえ分からないのよね」
 偽物、と口にした途端、ちりちりと体を灼くような焦燥が全身を駆けていく。サーバの電源を入れたとき消えてしまった勘のようなものが一瞬だけ甦ったかのようだった。だからこれはきっと大事なことなのだと思った。あのとき空に出ていた月は偽物であり、郷に何らかの影響をもたらす可能性がある。あるいは既にもたらしているのかもしれなかった。
 そして遠子の方からも反応がない。霊夢が見た月のようなものについて思うことがあるに違いなかった。
「霊夢、すぐに屋敷に来て。これ、電話越しやメールでやり取りするのは危険だと思うから。もしわたしの記憶が確かならば……」まだ何か言うことがあったように思えたが、遠子はそこで不自然に会話を打ち切った。「とにかく今すぐ来て、お願いよ」
「わたしからも訪ねるつもりだったの、遠子からそう言ってもらえるとありがたいわ。じゃあ、また後で会いましょう」
 霊夢は受話器を置き、出立の準備を整える。遅まきながら到来した春が穏やかに過ぎ、夏もいつもの勢いを誇りながらほぼ何事もなく過ぎていった。解放派の活動はこれまで通りだったが、それは日常と呼んで差し支えのないことだ。傍迷惑な異変が二度も続いたのだから、三度目は流石にもう少し後になるのではと楽観しかけていたのだが、それは甘い考えだったらしい。
 大きな溜息を一つ、両頬を叩いて気合いを入れ直すと、霊夢は遠子の住む稗田の屋敷に向かうのだった。
 
 稗田の屋敷は流石に紅魔館辺りなどとは比べようもないが、里の一角に居を構えるにしては十分に広く、四方を高い壁に囲まれているから何度訪れても緊張してしまう。霊夢をいつも玄関で迎えてくれる初老の使用人にしても昔は何も気にならなかったのだが、博麗としての技術と格闘の技を身に着けてから改めてその所作を見れば、その一つ一つに無駄がなく、いつも周囲に気を配っているのがよく分かる。霊力を持たず、霊夢のように身体を強化する術を使うこともできないから自力では勝っているが、そういうものを抜きにして格闘で対決したら決して勝てない相手なのだと霊夢は思っている。
 どうしてそんなことを考えたのかといえば、いつも通りの動きの中に少しだけぴりぴりとした苛立ちのようなものを感じ取ってしまったからだ。ここに来るまでの短い時間で何かがあったのではないかと不安になり、ちらと顔色をうかがえばそのことをすぐに気取られたらしく、使用人は足を止めて霊夢の方を向き、ぺこりと頭を下げる。
「あのようなことがありまして、お嬢様もご主人様も酷く慌ただしい様子でして。悪いことというのはいつも忙しいとき、大変な時にこそ襲って来るものと相場が決まっておりますから、少し気を張っていたのです。萎縮させてしまったならわたしの未熟ですね、申し訳ありません」
「別に怖がっているわけではないの。今回は色々なものが噛み合わなくて、だからきっと普段なら気にならないことも気になってしまうのだと思うのだけど」
「今回は特に大事になりそうな予感がするのですか?」
「それすらも分からないの。だからはいともいいえとも言えなくて……」
「わたしの役目は通すべきを通し、それ以外には退いていただくことです。何か起きなくても常に備えていなければならないのですよ」
 だから何も分からなくても問題ないということを言いたかったのだろうが、実践するのはとても大変なことだ。自分がそれをやろうとしたらすぐにへばってしまうに違いない。だがいちいち口にするのも気恥ずかしく、その構え方を単純に誉めるのも間違っている気がした。だから霊夢は敬意とともに一つだけ頷き、使用人の後について遠子の部屋の前まで辿り着く。ドアの外からでも微かに打鍵音が聞こえ、ネットでの探索が上手くいっていないことを言葉なく示していた。
 そして機嫌の悪い遠子の相手をするのは少し……いや、割と大変だ。使用人は一瞬、ご愁傷様と言いたげな顔を浮かべたがすぐに表情を消し、音を立てずに去っていく。霊夢は憂鬱を噛み殺してからドアを開け、部屋の中に入り、作業が終わるのを黙してじっと待つ。ここで下手に声をかけて作業を遮ればいよいよ不機嫌は爆発し、ここに来た意味がなくなってしまうだろう。
 幸いにして待つことには慣れていた。博麗神社の巫女は無為な時間を潰すことも仕事の一つだからだ。毎日の家事や訓練、毎月/毎年巡ってくる神事の準備などやることはそれなりにあるが、何時やってくるかもしれない参拝客や厄介事を待つことに時間を費やすことが最も多い立場なのだ。
 三十分ほどしてようやく集中が切れたのだろう。腕をうんと伸ばし、うがーと怒った仔猫のような声をあげる。それから背筋を大きく逸らし、そこでようやく霊夢の訪問に気付いたらしく慌てて振り返るとこちらに近付いてきた。
「ようやくのお出ましね、霊夢ったら暢気なんだから」いつものことだが霊夢の入室に遠子は全くといって良いほど気付いていない。なんとも大した集中力だった。「ネットであれこれ調べていたのだけど、どこもかしこも復旧で大わらわ、だけどいくつかのことが分かったわ。どうやら今回の事件は山に座する神や妖怪にとっても予想外の事態らしい。まずはこのサイトを見て頂戴」
 遠子はそう言ってモニタを指差す。河城重工のサイトトップはサーバがまだ安定しないのかところどころ画像が抜け落ちていたが、本日発生した停電についてというテキストと、文字に張られたリンクはしっかりと表示されていた。
「このサイトもまだ復旧途中らしくてね。何度もアクセスしてようやくリンク先のページが表示できたのだけど」
 遠子はタブを切り替え、リンク先のページを表示させる。タイトルはリンクされていたテキストと同様であり、マスコットの河童がぺこりと頭を下げているイラストが少しだけ浮き足だった心を落ち着かせてくれた。
 そして以下には停電時、ならび電力復旧後の経緯がずらりと記されていた。
 
 本日の午前九時五分から九時八分にかけて発生した停電ですが、既に電力は全地域で復旧済みです。弊社の製品をご利用の方々に多大なご迷惑をおかけいたしましたこと、真にお詫び申し上げます。
 停電の影響でサーバダウンが各所で発生しており、ネットやメールが非常に繋がり難い状態となっております。テレビやラジオが停電発生当時、接続困難になったという情報もあります。今後、同様の事態が発生した際には号外の配布、交番や消防署、病院などへの情報掲示なども併せて行っていく予定となっております。
 お問い合わせを多くいただいております、停電と同時に空が夜のように真っ暗となった現象についてですが、現在調査中でございます。皆様におきましては同様の現象が発生した場合、決して家から出ることなく自宅待機していただくよう、切にお願い申し上げます。
 なお、続報が入りましたらサイトにも掲載いたします。
 ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
 
 非常に丁寧で抑制の効いた文章であった。そしてだからこそ何も分かっていないのだということがはっきりと伝わってくる。これは取りあえずの苦情を丁寧な物言いによって逸らすためだけに書かれたものだ。異変が起きる前からも妖怪や妖精が巻き起こす厄介事をちまちま解決してきた霊夢には、この手の文章が持つ意味を熟読するまでもなく理解できた。
「犬走や守矢のサイトもほぼ同じ文章が掲載されていたわ。つまり山側は既に統一見解を整えており、苦情処理体制も出来上がっているってことね。ここをつついても知らぬ存ぜぬを通されるばかりで新しい情報は何も得られないでしょう。全くこういうことばかりには手が早いんだから、忌々しいったらありゃしない」
 遠子はふんすふんすと鼻息を荒くしながらタブを閉じ、何もしていないのに霊夢の顔をじろりと睨みつけるのだった。
「霊夢、貴方は真っ暗な空に浮かぶ月を見たと言ったわよね」
 遠子は目を細め、その真贋を見極めようとしているようだった。長い付き合いだからこんなとき嘘を吐かないことくらい分かってくれても良さそうなものだが、うんともすんとも言わないのではいつまで経っても納得しなさそうだった。
「ええ、月というにはあまりに丸くて大きく、それでいて月としか形容できない代物だった。あんなもの見間違えるはずもない」
「月に関する記述がないか、これもネットで調べてみたけどめぼしいものは見当たらなかったわ。サイトの復旧確認がてら、博麗神社のサイトに設置されている掲示板も確認したのだけどそんなことを言っている人は誰もいなかった。それでも霊夢は巨大な月らしきものを見たと言うのね?」
「あれは夢でなく現実だったし、もし夢の中で見たものだったとしたら現実で見たよりも問題だわ。遠子はわたしが見る夢の意味を知っているわよね?」
「ふむん……現実であれ夢であれ幻であれ、霊夢が見たならそれは何らかの意味を含むと考えるべきか。他の誰も見ていない現象であってさえなお、それは常に正しい」
「そこまで大袈裟なものでもないわよ。夢のほうだって選ばせてくれないし」
「でも見たものについては正しさがある。ではやはり月の偽物は出現していたという前提で話を進めた方が良いわけか」
 遠子は視線を霊夢から外し、どこか遠くを見るような素振りを浮かべる。これは遠子が過去に生きた稗田のことを思い出す時に見せる仕草であり、偽物の月が過去にも現れたことを示唆していた。これまでの異変といい、遠子が過去を思い出すとろくなことが起きないし、今回もそのパターンかと思うと少しだけげんなりしてくるのだった。
「げ、また六代前だ。阿求の記憶ってことは絶対ろくなことが起きないのよね」
 そして遠子が思い出したのは三度、阿求の時代の出来事だった。最初に弾幕決闘が流行ったのはその時期だが、同じ時代に異変がそこまで集中したとなれば里に住む人間にはさぞかし災難だったのではないかと、今更ながらに同情の気持ちが湧いてくる。
「しかも阿求は何が起きたかを完全には把握してないみたい。複数の勢力が偽りの月を目指し、最終的には永遠亭に集ったとされているけれど、それ以降の記憶が酷く曖昧というか最終的に理解を放棄してしまったみたい」
 当時の記憶を持つ遠子がお手上げならば、霊夢から言えることは何もない。辛うじてできることがあるとすれば永遠亭を直接訪ね、住人から詳しく話を聞くことだが、謎の停電から始まった一連の現象がそこに住まう者たちの仕業ならば、素直に話をしてくれるとは思えなかった。
「わたしから言えるのは阿求の時代に突如として偽物の月が空に浮かび、郷の理が乱されたこと。これを一大事と見た妖怪たちが力のある人間と手を組み、時間を止めて夜を永遠としたのち、その一夜をもって事件を解決しようとしたことくらいね」
「ごめん、遠子が何を言っているのかさっぱり分からないわ」
「わたしにもちんぷんかんぷんだし、当時の稗田もそう判断したのでしょう。理解するのを諦め、事件が起きて解決したことだけを慎重に記憶したといった感じね。憶測に走り過ぎれば記憶することがどんどん増えていき、ノイズも比例して多くなる。考えずに切り捨てることは御阿礼の子として生きるなら大事なことだけど、似たようなことが起きたとき、解決する方法を提示できないということが起きてしまうのね」
 当時の御阿礼がそう考えたのも分からないではなかった。偽物の月を用意するというだけでも訳が分からないのに、時を停めて一夜のうちに解決しようとした当時の関係者の思考が全く理解できない。力のある妖怪が類稀なき頭脳の果てに引き寄せた手段なのだと推測できるが、そこに至る思考の流れを追跡することができない。
 そして遠子も霊夢と同じ結論を出したらしく、すっかりとしょげた様子だった。
「今回ばかりはどうにも相談相手にはなれそうにないわ。過去を知り続けることで現在に生きるものを教導するのが稗田の役割なのにそれができないなんて」
 蓄えた知識が通用しないというのは稗田にとってほとんど敗北に等しい。遠子はそのことを本気で悔しがっていた。だが霊夢は何も言わず、悔しがるままにしておいた。
 霊夢もこの半年、新たに得た力を使いこなすため精一杯修行をし、自分より上の相手に挑んでは負けを重ねていき、そのたびに喚き散らしたくなるほど悔しくなった。まだ未熟な頃は負けて当然だと思っていた節があり、ひたすらに強くなることを目指せば良かったが、今はそうではない。
 博麗が異変を解決するということは、その先に何もない、しくじることができないということだ。前回は魔理沙が助けてくれたし、紫が異変解決の策を授け、美真が支えてくれたけれど、次も同じ幸運が巡ってくるかどうかは分からない。
 だから負けることが重く、そして以前よりずっと悔しいのだ。それでいて霊夢は弾幕決闘が嫌いになれず、寧ろ好きになるばかりだった。かつて雷鼓に弾幕決闘を楽しんでいると言われたが、全くもってその通りだった。
 失敗して死ぬほど悔しいことは同時に、本人にとって得難いほど楽しい、打ち込みたいことでもある。
 遠子が本気で悔しがっているのもきっと同じ理由だ。そして彼女は子供の頃から負けず嫌いだった。霊夢が博麗の巫女になる前からずっと。だから余計に慰めらることができなかった。
「それならわたしが足で情報を取ってくる。永遠亭に行って住人たちに話を聞いてみるとするわ。それで何か分かることも出てくるかもしれない」
「ごめん、今回ばかりはお願いするわ。こちらは引き続き文献に当たってみる。紙もネットも片っ端から、偽物の月を出すなんてふざけた輩の尻尾を必ずつかんでやる」
 どうやら遠子は悔しさを次の行動への活力に変えたらしい。だから霊夢も安心して稗田の屋敷を後にし、里の往来に出ると新たな目的地へと向かおうとした。
 そのとき再び、世界が暗闇に包まれた。
 空を見上げれば、偽物の月がまるで霊夢を挑発するかのような輝きを放っていた。
「計ったように出てくるのね!」
 永遠亭なんて行かなくても、あの月に辿り着いて原因を取り除けばきっとこの怪現象も起こらなくなる。そんな激しい気持ちに駆られ、霊夢は人里の中であるにも拘わらず一気に上空へと飛び出す。だが空に近付くにつれ、あの月に辿り着くことはできないという警鐘のようなものが胸の中で鳴り始める。
 無理だ、そんなことはできない、不可能だ。
 霊夢はそれらの警告を全て無視し、ひたすらに偽物の月を目指す。だがいつまで飛んでも月は近付くことなく、そして前回と同様、予告なくその姿を消してしまった。
 そして霊夢は元いた場所で立ち尽くしている己を発見するのだった。ずっと空を目指していたのに、実際は一ミリも空に浮かんでいなかった。
「これは一体、どういうことなの……?」
 呟いてみたものの、霊夢に答えを与えてくれるものは誰も現れず、疑問符ばかりが頭を占めていくのだった

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