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2XXX年の幻想少女第5章 人と妖の境界   人と妖の境界 第5話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第5章 人と妖の境界

公開日:2019年09月26日 / 最終更新日:2019年09月26日

人と妖の境界 第5話
命蓮寺には戸惑いや恐慌に満ちた人たちが殺到し、信徒の一人が門の前で彼らを必死に宥めていた。とてもではないが、月光魔法教団について話を聞けるような雰囲気ではない。
 聞き耳を立てると、命蓮寺に訪れた人たちは末法の世が訪れたのではないかと危惧している様子だった。わたしは幻想郷の宗教にあまり詳しくなく、末法の世が何かはよく分からなかったが、ニュアンスから世界の終焉にまつわる言葉であることは察することができた。わたしがかつて暮らしてきた世界にも似たような言葉があるからだ。
 宗教がいつ来るか分からない終焉を説話に盛り込み、人心を操ろうとするのはどの世界でも共通らしい。聖白蓮は人格者と聞いているが、少し評価を改める必要があるのかもしれない。
「それにしても、この恐がり方は妙ですね」
 かつて妖怪の力で巨大化したアリが里を跋扈したとき、人々は戸惑いながらも最大の自制心をもって対応したと記憶している。どの里でも混乱は最小限に留められ、人死にもなかったはずだ。
 それなのに、地面がぐらりと揺れただけでこの有様だ。なんとも不思議なことだが、幻想郷では異変よりも天変地異のほうが人々を恐れさせるらしい。
 新たな知見を一つ得たのは良いが、必要な知識を得られないのは明らかに問題である。空を飛べるならば命蓮寺を囲う塀など存在しないも同然だが、後から来たわたしが順番に割り込むことで門前の混乱が更にかき立てられ、余計な迷惑をかける可能性が高い。
 どう行動するのが妥当か悩んでいると。
「空の上から寺をじろじろ眺めているようだが、どういう魂胆かい?」
 いきなり後ろから声をかけられる。考え事に気を取られており、接近に全く気付かなかった。魔理沙に指摘された側からこれであり、反省できない自分が嫌になる。
 敵意は感じないが、無防備であったことを悟られるのは良くない。だからお前の接近などとっくの昔に気付いていたという振りをして、堂々と背後に視線を移す。
 目の前にいるのは頭の上から丸っこい耳を生やした獣系の少女だった。細長い尻尾の先に小さな籠が引っかかっており、中から鼠が顔を覗かせている。灰色で統一された服装といい、どうやら彼女は鼠の妖怪であるらしい。
「お寺の住職に聞きたいことがありまして。いえ、お寺の内情に詳しい者なら誰でも良いのですが、先の地震で酷く混乱している様子でして」
「空を飛べるなら塀などないが如きだろう?」
「そんなことをしたら門前の騒ぎが加速するだけです」
「それで悩ましい顔をしていたわけか。君は魔法使いの癖に偉く善良なんだな。ああいう手合いは知識欲を満たすためなら手段を選ばないのだと思っていたよ」
 鼠の妖怪は良い心がけだと言わんばかりに何度も頷いてみせる。あまり褒められているように思えなかったのは、彼女の仕草がやけに芝居がかっていたからだ。
「あなたはお寺の関係者か何かですか?」
「それなりに。普段は別の場所で暮らしているんだが、先の地震で人の心が乱れているのではないかと思ってね。応援にやってきた次第だが、どうやらその必要はなかったようだ」
 どういうことか訊ねようとするわたしに、鼠の妖怪は眼下をちょいちょいと指差す。門前には槍のような武器を構えた金髪の堂々たる少女が現れ、殺到した人たちの耳目を惹きつけていた。
 彼女は寅丸星を名乗り、先に起きた地面の揺れが地震という天変地異であること。単なる自然現象であり、末法の世の訪れとは何も関係がないこと。再び揺れが発生した場合にどう対応すれば良いかを懇切丁寧に語っていく。説法ではなく真っ当で筋の通った注意喚起である。
 感情的な質問の数々にも星は粘り強く答え、仮に強烈な揺れで家屋が破損、倒壊した際には遠慮なく命蓮寺を頼るよう慈悲深い笑みとともに約束した。それで信徒の不安もようやく薄れ、徐々に人の波も引いていった。
「あの寅丸とかいう人、宗教家なんですか?」
「聖の片腕みたいな奴だよ。たまにおっちょこちょいだが根は真面目で地頭もなかなかある。総じて優秀と判定して良いだろう」
 わたしよりも寧ろ、自分に言い聞かせてる様子だった。もしかすると彼女は寺のためというより、あの寅丸という少女を助けに個人の意志でやってきたのかもしれない。
「悪い人ではないんですよね」
「彼女が悪人ならこの世の全ては悪となるだろうね」
「でも、彼女は宗教家なんですよね?」
 しつこく食い下がると鼠の妖怪は露骨に眉をひそめる。先程までの上機嫌を帳消しにした形だが、やはりわたしは末法の世などと唱える輩をそう簡単には信用できない。
「まるで宗教そのものが悪のような口振りだ。この幻想郷に暮らすならば宗教と無関係ではいられないというのに。君はもしや、新しく郷にやって来た外来人か?」
「ええ、その……」
「深い事情を聞くつもりはないよ。要するに君の世界では宗教が非常に悪辣で信頼に値しなかったわけだね。実を言えばその気持ちは分からないでもない。宗教も宗教家も大概はろくでもないものさ」
 彼女はお寺の関係者なのに、宗教を悪し様に評して些かも臆するところがなかった。
「かといって宗教家全てが悪人ではない。君の世界に蔓延っていた悪辣な宗教の中であっても、世の幸福を心から信じる宗教家はいたはずだよ」
 そんなことはないと断言したかった。わたしの世界に蔓延していた教えは変質した月、太陽を周回するリングに住まう者たちが地球を搾取するためのものなのだから。
 でも、確かに彼女の言う通りだった。間違った教えであっても善意を施し、他者の幸福を願う者たちがいた。
 それにわたしには神に仕える巫女の友人が二人もいる。ふとしたことで忘れそうになるが、彼女たちもれっきとした宗教家である。
「それでも末法の世などと人に触れて回るのは許し難いと感じます」
「末法の世というのは仏の教えに帰依する者たちが堕落することによって訪れる法なき時代のことで、世界の終わりなどではないよ」
「でも、命蓮寺に訪れた人の中には世界の終わりを本気で信じている人もいました。教えられていないことを訴えたりするものでしょうか?」
 わたしの指摘が図星だったのか、鼠の妖怪は目を細め、じっとこちらを見据えてくる。子供のように見えてその眼力はかなりのもので、思わず気圧されそうになるのを必死で堪えなければならなかった。
「脅しつけて考えを変えさせようとしても無駄ですよ」
「ふむ……その物言いでは何も知らないようだ。てっきりわたしと同じで人里に蔓延しようとしている奇妙な教えを調べているかと思ったのに」
 鼠の妖怪は小さく息を吐き、緊張を解く。逆にわたしは知りたいと思っていた情報が目の前にぶら下げられ、湧きあがるテンションを何とか抑えなければならなかった。
「いえ、その認識で間違っていません。わたしはいま、月光魔法教団という奇妙な集団を追っているのです」
「月光魔法教団……聞いたことがない名前だ。里に放った密偵からも情報は得られていない」
「わたしもその存在を知ったのはつい先程なんです。地震で混乱している人里に現れ、混乱する人たちを独自の教えで宥めていました。人間が万物の霊長であることを思い出し、神や妖怪を下に置くと宣言していましたが……」
「それは酷く危険な教えだね」
 鼠の妖怪は即座にはっきりと言い切った。その顔には憂慮とも煩悶とも取れる奇妙な色が浮かび、ことの難しさを否応なくわたしに突きつけてくる。
「仙界の元締めである豊聡耳神子でさえ、野望するのは人の上に立つことのみだ。あらゆる存在の上に立つことなど画策していない。ましてや人があらゆるものに勝るだなんて実によろしくない。その月光魔法教団なるものは本当にそのような教えを説いていたのかい?」
「間違いありません。それが何か問題でも?」
「大問題だよ。とはいえ異邦人である君にことの重大さは伝わらないだろうね」
 鼠の妖怪が言う通り、月光魔法教団の教えが分かりやすい狼狽を来すような代物だという実感はない。
「ええ、理解できていないと思います」
「ふむ、正直でよろしい」
 正直に答えると彼女は大きく頷き、教えがいがある生徒に出会った教師のような、相手を試してやろうという気持ちをこちらにぶつけてくる。
「では二つ、君に質問をしよう。一つ目、この幻想郷において最も強い存在が何だか分かるかい?」
 彼女の質問に即答することはできなかった。それどころかいくら考えても答えは一つに絞られず、記憶を辿るごとに候補はどんどんと増えていく。
「答えることができないようだね。では二つ目、この幻想郷において最も弱い存在が何だか分かるかい?」
「それは……人間じゃないですか?」
 口にしてからすぐに軽率だったと気付いた。例えば人はそこらに飛んでいる虫を簡単に追い出したり殺したりできるし、武器を使えば熊のような圧倒的に体格の勝る動物でさえも倒すことができる。
「いえ、やはり分かりません」
 人は決して最弱ではなく、そして弱い者を挙げていけばやはりきりがなく答えには辿り着けない。そして鼠の妖怪は首肯によってわたしの答えを認めた。
「そうだね、最強も最弱もはっきりとは決められない。でもね、一つだけ例外がある。人間はこの幻想郷で唯一、最強になれる可能性がある種族なんだ」
「人間が、ですか? そりゃあ、この幻想郷には妖怪みたいに強い人間だっていますけど」
 少なくとも霊夢や佳苗は異変の解決に挑めるほどの実力を有しているし、わたしも魔理沙から教わった魔法を駆使して妖怪と戦うことができる。でも人里に住む人間の大半は弾幕決闘すら行うことのできない一般人である。
「君は自力で空を飛ぶことができるほど強い魔力を有している。弾幕決闘だってお手のものなのだろう。でもそうでない人間のほうがずっと多い。彼ら/彼女らは人に手の届かない力を持つ神や妖怪を畏怖/崇拝する。そして神や妖怪は人に畏怖/崇拝されることで存在をより確たるものとし、更なる力を発揮できるようになる。主に天狗や河童が人の暮らしに力を貸すのは何も守矢の思惑というだけではなく、それらの気持ちを集中させて力を得ようという思惑がある。命蓮寺に暮らす妖怪が仏門に帰依し、信仰を集めようとするのも似たようなところがあるね。俗っぽい言い方をすれば、幻想郷は人間からの畏怖/崇拝というリソースを奪いあっている社会であると定義することができるわけだ」
 彼女の話が全て飲み込めたわけではない。幻想郷の仕組みはその大半がわたしにとって未知なものであり、理解の埒外にある。それでも二年と少しこの世界で暮らしてきたから、僅かであっても実感することはできた。
 その実感と、そして彼女の説明から一つの可能性が頭の中に浮かんでくる。
「見当違いであるなら笑ってくれても構いません。もし、人間があらゆる神や妖怪を信じなくなれば。全ては無力になるということですか?」
 人間が一しか力を持たない弱者だとしても、それ以外の存在がみな一未満になれば。
 それは人間が最強になるということだ。
「その通り。無信まで徹底しなくても、神や妖怪は恐るるに足るものではないと信じることができたなら、その力は劇的に削がれるだろう。ゆえに他のあらゆる自由は認められても人間主義の蔓延だけは決して許されない」
 彼女の道理はわたしにも理解できる。それはそれとして一つ納得できないことがあった。
「それを人間であるわたしに教えても良いのですか?」
「神や妖怪と頻繁に接する立場ならいずれ気付くだろう。それに月光魔法教団の思想が宜しくないことを分かってもらうためにはこちらも腹を割って話すしかない。君が善良で信頼に値するというのも理由の一つかな。まあ、秘密を軽々しく漏らすようなら鼠を大量にけしかけて骨の随まで餌にするだけだよ。言っておくがわたしは宝物探しのプロでね、異界より訪れた人間の魔法使いなどというレア度の高い存在ならどんなに離れていようとわたしの力で探り当てることができると心得たまえ」
 鼠の妖怪はそれがさも当然のように、笑顔さえ浮かべてみせる。籠の中にいる鼠の目が一瞬、殺意に光ったように見えたのはきっと、気のせいではないはずだ。かつて郷中の虫を操ってみせたあの妖怪みたく、彼女はあらゆる鼠を使役できるに違いない。可愛いなりでも実に恐ろしい妖怪なのだ。
「さて、わたしたちが追っている不心得者たちと月光魔法教団なる秘密結社が同じものなのか、今のわたしにはっきりとしたことは何も言えない。密偵の他にネットでそれらしい単語を色々と検索にかけて調べてみたが、芳しい結果は得られなかった。アングラまで掘り下げれば何か分かるかもしれないが、そういう場所に辿り着くための知識と技能をわたしは持ち合わせていない」
「アングラを漁っても結果は得られないかもしれません。ピ……さる情報源の話によると、原理的に解読不能な暗号を用いての通信が行われているそうですから」
「人間の科学ってやつはよく分からないなあ。そもそも、解けない暗号なんて使い物にならないと思うがね」
「今のネットで使われている暗号は解読するのに莫大な時間がかかるという点における安全性が確保されています。量子コンピュータが実用化されれば、その安全性も完全に崩壊するらしいですが」
 鼠の妖怪は手に負えないと言いたげに、わたしをじろりと睨みつける。とはいっても先程のような迫力はなく、拗ねた子供のような態度である。
「解けない暗号を使って通信しているなら、どうやって情報を手に入れれば良いんだ?」
「暗号自体は解けなくても、情報を目にした人間の口に戸は立てられません。選民的な思想を持つ教えなら、いくら禁止してもネットにぽろりとぼろを出すかも」
「いまここで調べてみることはできないかい? 最近のケータイはパソコンと同じように情報を仕入れることができるらしいじゃないか。それとも君、魔法使いらしく機械の類は持ち歩かないのかな?」
「持ってますが、調べ物なら命蓮寺のパソコンを使えば良いのではないでしょうか」
「あそこにパソコンなんてあるはずがないだろう?」
 聞き込みによる結果が芳しくなければ、家に帰ってから月光魔法教団で検索をかけてみるつもりだった。わたしの家に案内するという手もあったが、鼠の妖怪は新型のケータイを目にできるという期待に胸を膨らませているようである。パソコンに比べるとインタフェースに若干の不便さはあるが、単語を打ち込んで検索する程度なら普通にできるし、彼女は人探しができるということだから、今後の調査に向けて友好的な関係を築いておくのは悪いことではない。
「了解です。こんな空高いところだと流石に圏外ですから、一旦地上に下りましょう」
「そうだね、命蓮寺なら電波も通じるはずだ。寺の連中は誰もケータイを持ってないんだけどね」
 紅魔館の妖怪たちも一昔前の機械までは使えたが、最新の機械には弱かった。魔理沙は当然のように使いこなしていたし、アイドル騒動で博麗神社にやってきて指揮を取った摩多羅隠岐奈はネットを使った広告宣伝戦略を打ち出したのだから、やはり十全に使いこなしている。
 とはいえ二人は例外に近く、神や妖怪は程度の差こそあれ技術の発展になかなか付いていけないようだ。
 地面に下り立ち、電波が届くことを確認すると早速、月光魔法教団で検索をかけてみた。あまり期待はしていなかったが、関連情報の一つは手に入れられるのではないか。
 そんな期待など思いもよらない変化がすぐに訪れた。こちらの意図しない画面遷移が何度も繰り返され、煌々と輝く満月の画像が表示されたのだ。
 それだけなのに、ケータイがみるみる熱を帯び始める。まるで命を得たかのように。
 今すぐ電源を切るべきか迷った。だが、これは月光魔法教団に繋がる唯一の経路である可能性が高い。いずれ動きがあるはずだと信じ、わたしは発熱したケータイをぐっと握りしめ、画面を凝視する。
 しばらくすると月が徐々に薄らいでいき、代わりに文字が浮かび上がってくる。

「幻視の時代は終わり、現実の台頭が始まる」
「秘匿の時代は終わり、全ての真実が暴かれる」
「逃亡の時代は終わり、今こそ雪辱を果たすとき」
「月光魔法教団は尊厳を持つ全ての人間を歓迎する」

 メッセージの消失とともに見慣れないアプリが起動する。矢が突き立てられた月という不吉な起動画面ののち、大量のデータがダウンロードされてくる。アプリ本体のインストールに続き、ここでもユーザに何らかの許可を求めてくることはない。なんとも一方的で不躾だ。
 苛立ちに耐えてデータを受け入れること数分、名称すらはっきりしないアプリが立ち上がり、チュートリアルが表示される。ユーザインターフェイスからしてコモンマジック系のアプリだったので導入は全て飛ばし、デフォルトで使用できる魔法の一覧を表示させる。名称は若干違うが、使用できる魔法は概ね他のアプリと同じようだ。自作の魔法陣を登録できるカスタムの項目にもデータがあるようなので、次にそちらを表示させてみた。
 すると見覚えのある魔法陣がいくつか表示された。魔理沙に教わった魔法の術式であり、それらが余すことなくデータ化されていた。そして一番下には魔砲の術式が登録されており、取り扱い要注意と書かれていた。
「これを選んだら魔砲が使える? いや、まさか……」
 コモンマジックは自然に存在する魔力を電子回路と画面に表示させた魔法陣/術式によって吸い上げ、ごく簡単な魔法を発現させるものだ。魔法の森のような例外もあるが、それ以外の場所では極めて微小である。だから魔法使いは魔素の豊富な物質を加工して魔力を貯蔵するなり、魔素を生み出す内燃器官を体内に獲得するなりして、魔法を使うのに十分な魔力を確保しなければならない。
 それらの助けなしで大量の魔力を消費する弾幕用の術式を使えるとはとても思えないのだが、これだけ不審な挙動をするアプリなのだから何らかの意図があるのかもしれない。
 いざとなったらケータイを即座に破棄できるよう準備を整えると、わたしは一呼吸置いてアプリから魔法を選択する。
 魔法陣が画面いっぱいに表示されると同時に、覚えのある前口上がスピーカーから聞こえてくる。虫の頭領を打破するため、初めて実戦で魔砲を使ったとき、唱えたものだ。わたしはまだ恋を知らないから、いずれ知ったときのために。そんな気持ちを込めて術式に組み込んだ。それを勝手に利用されたことに、素直な怒りが湧いてくる。
 それも僅かなことだった。ケータイの前方に力が急速に集うのを感じたのだ。慌ててケータイを上空に掲げたと同時、目の眩むような白い光が空を駆け、十秒ほど続いたのちふっとかき消える。
 オリジナルに比べれば威力は微々たるものだ。でも、人間に命中すればただでは済まない。それにもっと恐ろしいことがある。わたしの内に蓄えられた魔力はほとんど消費されていないのだ。僅かに力を使ったという感じはあるが、ほぼノーコストだった。
 つまり、あれだけの魔法を、アプリをインストールしたケータイさえ持っていれば誰でも使えるということになる。
「いきなりどうしたんだい、弾幕決闘をやる時のような魔法を使って。不審者でも目にしたのかい?」
 わたしは彼女に何も答えられなかった。コストなく強力な魔法を使うアプリなんて言っても信じられないだろうし、当のわたし自身が信じられなかった。何か奇妙な絡繰があるのではないか。
 このアプリを残すべきか、それともすぐに消すべきか。画面を凝視しながら迷っていると、メッセージの着信を示すポップ音が鳴り、自動的にチャット画面へ遷移する。
《ようこそ、新世代の魔術への扉を開いたものよ》
 何も入力しないでいると、次のメッセージが勝手に表示される。どうやら誰かが操作しているわけではなく、オートメッージのようだ。
《このアプリを持つものはみな、我が力と叡智を分け与えられた同士である。その証拠をあなたは既に目撃しているはずである》
 二つ目のメッセージから察するに、どうやらこのアプリを使って魔法を起動することが一連のメッセージを表示させるフラグとなっているらしい。なんとも念のいったチュートリアルである。
 そして更に黙って見守ることしばし、これまでの二つを足したよりも長い文章がずらりと流れてきた。
《わたしがこのアプリを作ったのには大きな理由がある。それはこの世界を正しい在り方に導くためである》
《我々がよく知るこの幻想郷は人を末期に運ぶ、いわば終末の船である。我らは終わりの破滅にひた走る船を操るあらゆる神、妖怪から舵を取り戻し、人の手に取り戻さなければならない。そして母なる大地の待つ場所、地球へと帰還を果たすのだ》
 わたしは彼女の顔をちらとうかがう。ここには幻想郷の重鎮たちが秘匿し続け、三百年後に明かすと決定されている事実=幻想郷は光を超える速度で宇宙を飛ぶ船であることが示されている。彼女もまた長きを生きる妖怪だが、それは秘密を知っていて良いということにはならない。
 ゆえにどう説明しようか迷ったのだが、彼女はメッセージの意味を理解していそうな、渋い顔を浮かべるのだった。
「末法を仄めかす文面、今の人間が知ってはならないこと。どうやらわたしの追っているものと、君の追っているものは同じようだ」
「その言い方では、あなたも知っているんですね?」
「ああ、命蓮寺の中ではわたしと聖だけが知っている。ぬえも理解していそうなことを口にしていたが、それはさておき。聖が懸念し、わたしに調べさせようとしていたのは、幻想郷にまつわる秘密の一端を仄めかす信徒がいたからだ。そいつが魔法教団の一員で聖を試したのか、教団員がうっかり口を滑らせたかは分からないが、どちらにせよ放っておくわけにはいかない。しかし、奇妙な教団の仕業だということは分かったが、どうアプローチしたものかな」
 アプリの中に連絡先が記載されているかもしれない。それを探すためチャット画面を閉じようとしたら、更なるメッセージが表示される。そこにはわたしたちの求めるものが記されていた。
《現在、アプリは試用期間中です。正式な利用を望むなら、アクティベーションが必要となります。今週の土曜日、十三時に霧雨商会、第一ビル四階、第三セミナールームまでお越しください。わたしたちはあなたの来訪、及び目覚めを心より期待するものです》
「霧雨商会……」
 わたしや魔理沙さんと同じ苗字を持つ商業組織が存在することは知っていた。かつて、そのことを魔理沙さんに訊いてみたのだが。
『人間だった頃に子を残したことはあるけど、子々孫々まで繁栄したかどうかまでは分からないなあ。霧雨の姓はいまや大魔法使いの偉業とともに知れ渡っているから、あやかった奴がいるのかもしれないし』
 などと冗談めかした答えが返ってくるだけだった。魔理沙さんはすぐにわかる嘘をつくし、あの時は彼女一流の冗談かと思ったけれど。魔法を扱う未知のアプリが存在し、その取り扱いを霧雨と名乗る人たちが行なっているのだとしたら。遠い子孫とはいえ、血の繋がりを感じさせるものがある。
「この場所に行けば胡乱な教団の正体をつかむことができるのだろうか?」
「可能性は高いと思いますね」
「なあ、わたしも動向させてもらって良いだろうか?」
「それは構いませんが、メッセージを見る限り神や妖怪を排斥する目的の組織のようですよ」
「なあに、耳や尻尾なら簡単に隠せるよ」
 彼女は耳をぺしぺしと叩き、あっさりと獣の耳を隠してしまった。それから尻尾の籠に鎮座していた鼠に指示を出して外に出すと、尻尾もあっという間に隠してしまった。
「でも、これはアプリを入れた人向けのメッセージですよ。関係ない人を連れて行って良いものでしょうか?」
「同伴者不可とはどこにも書いてない。入口で追い払われたらその時はその時と諦めるさ」
「わたしが危惧しているのは、簡単に秘密をバラす輩を秘密結社が信じるのかという点です」
 秘密を漏らすな、などの文言が全く書かれていないのは、信頼に足るべき相手かを暗に計っている可能性がある。
「心配しなくても、情報は余すことなく共有します。あなたは人探しや物探しが上手いですし、いずれお願いすることになるかもしれません」
「ふむ、それなら任せよう。信頼してくれと言われたら無理にでもついて行くつもりだったが、それなら安心できる」
 信頼よりもビジネスに重きを置くというのはシビアだが、分かりやすくもある。わたしとしてもひとまずは、彼女に信をおいて良さそうだと判断した。
「深く関わることもないと思ったが、もう少しだけ付き合いが続きそうだ。となると今更ながらに名乗っておくか。わたしはナズーリン、見た目通り……おっと今はそうではなかったね」鼠の妖怪=ナズーリンは再び尻尾と耳を出し、籠を尻尾に引っ掛ける。どこかに潜んでいたのか、鼠がぴょこんと籠に乗り、ちゅうと一鳴きした。「しがない鼠の妖怪だ」
「わたしは霧雨美真と言います」
「知ってるよ、君は例の秘密を知る数少ない人間の一人だからね」
「つまり、わたしは監視されていたわけですか?」
「わたし自身が監視していたわけではないが、どこかで目は光っていただろう、なにしろ微妙な問題だからね。できれば気を悪くしないでくれたまえ」
「いえ、妥当であると思いますよ」
 わたしが逆の立場なら、異世界からやってきて異変を起こした上、重大な秘密を知っている人間を全くの好き勝手に行動させたりはしないだろう。むしろ基本、自由にやらせてくれるのがありがたいくらいだ。
「君は本当にできた人間だなあ。本当にあの霧雨魔理沙の弟子なのかい?」
「はい……まあ、言いたいことはわかりますが、わたしにきちんと魔道を授けてくれましたよ」
「俄には信じ難いが、君が言うなら正しいんだろう。そういえば大昔にはやんちゃばかりだった天人が、博麗の巫女を弟子にとって鍛えたという話もあるし、時というものは三つ子の魂まで変えてしまうのかもなあ」
 魔理沙が霊夢と紫の話に聞き耳を立てたとき、先程の地震が比那名居天子の仕業であると話してくれた。それが本当だとしたら、魔理沙ほどにその性質は変わらなかったことになるのだが。
「変わらないものもいるが、別にそれは悪いことではない。それどころか、大きな変化は得てして大いなる苦痛を伴う。命蓮寺の住職であるはかつて、人から魔法使いになり、そして悟りの境地に達した。わたしは彼女が通り過ぎた二度の変化と、それに伴う苦痛を全て見届けたが、だからこそ彼女の善性には感服するしかない。苦痛を乗り越えてなお、善良でいられる者なんてほとんどいないからね」
「いずれじっくり、話を聞きたいものです」
 できれば魔法教団のことを聞き出すついでに彼女が身につけた魔道についても話をうかがいたかったが、主目的はナズーリンに出会えたことで首尾よく果たせたし、これからも寺を頼って信徒が押しかけるかもしれない。全てが落ち着いてから改めて、住職には話をうかがうつもりだった。
「では、わたしはもう少し情報を集めておくよ。そちらも何か分かることがあればメールで連絡して欲しい」
 ナズーリンはびしっとした名刺を手渡してくる。わたしは慌ててメモにアドレスを書いてナズーリンに渡し、もらった名刺のアドレスを早速登録する。
「情報収集の肝は君に頼むことになるが、気をつけたまえ。ご禁制の情報を知っている上に得体の知れない集団のようだからな」
 それにもしかしたらノーコストで、人のみならず妖怪や神さえ害することのできる魔法を使えるかもしれない。その可能性は未だ荒唐無稽なので頭の片隅におき、アプリを研究したりネットで更なる情報を集めながら、土曜日がやって来るのを待つつもりだった。
「それにしても、霧雨とは……」
 ナズーリンと別れてからわたしは再度、霧雨という名字が持つ可能性について考える。もしも、これから出会う霧雨が魔理沙の子孫だったとしたら。
 魔理沙はかつて、痛みを伴う変化を強いられている。食を捨て、虫を捨てるにはあらゆる苦痛が避けられないからだ。彼女が変わったのはその時か、あるいは長い時をかけて徐々に今のようになったのか、それは分からない。
 霧雨との対峙はもしかしたら、魔理沙に更なる苦痛を強いるかもしれない。それがわたしにはなんだか無性に辛くて。情報を逐一、共有するよう言われたけれど、霧雨商会と月光魔法教団のことがもう少しはっきりするまで、全てはわたし一人の中に留めておくことにした。

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