東方二次小説

2XXX年の幻想少女第5章 人と妖の境界   人と妖の境界 第6話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第5章 人と妖の境界

公開日:2019年10月04日 / 最終更新日:2019年10月04日

 依神紫苑が不幸を呼ぶ神であることは再三説明を受けていたし、粗末な小屋に住んでいるとも聞いていたが、わたしの想像を超えて悲惨なものだった。明らかに雨漏りがしそうな屋根を始めとしてあらゆるものがぼろっちく、今にも崩れてしまいそうだった。里の貧しい者たちが住まう集落だってこれと比べればよほどましだし、電気も水道も普通に使うことができる。
 小屋の周りは注連縄で何重にもぐるりと囲まれており、厳重な奉りぶりがよく分かる。注連縄は扉の前方部分だけ途切れており、これは人ならざる来訪客を妨げないためなのだろう。隙間なく囲っていなければ注連縄の意味はなさそうだが、負の気を巧みに誘導して周囲に少しずつ拡散するような機構となっている。
 中にいる神の負がどれだけ強いかは、周囲十メートル四方に草一本生えておらず、更に数百メートルほどの植物が異様に貧相なことから間接的に感じ取ることができた。かつて歴代の稗田が関わり合いになるのを避けたのも、この惨状を見れば痛いほど理解できる。
 かくいうわたしだって緊急事態でなければ、小屋の中に住んでいる神を訪ねようなどとは考えなかっただろう。第六感は針を刺されたかのようにちくちくと痛み、この場から離れろと警告している。
 何度も深呼吸し、一歩一歩着実に、負の気に飲み込まれないよう気をつけながら小屋に近付く。あと十歩ほどで到着というところで突然、激しい音とともにドアが開け放たれ、中からお椀が飛び出してきた。
 否、お椀を頭に被った小さな人である。背丈はわたしの半分ほどしかないが、外見だけ取ればわたしと同じくらいの年頃に見える。腰には針のような剣を差し、艶やかな着物姿にアクセントを添えていた。
 お椀の小人は針のような剣を抜き放ち、突撃を仕掛けてくる。お祓い棒で受け止め、背後に飛んで距離を取ろうとしたが小人の突撃は激しさを増し、仕切り直しを許してくれない。とはいえこのまま後手後手ではあっという間に捌ききれなくなり、手痛い刺しを食らってしまう。
 反応速度を上げるべきだと判断し、ぐっと奥歯を噛みしめて五感を強化する。視野、運動視力、聴力、反射神経が一気に拡大し、全身を貫く濃い酩酊感が全身を容赦なく襲うが必死に抑え込み、必死で小人の剣技を受け止める。
 動きは辛うじて追えるようになったが、それでもついていくのがやっとなのだから、小さな体躯から繰り出される剣技がいかに鋭く洗練されているかがよく分かる。わたしはかつて天子に教わったことを思い出しながら突撃をいなし、強引に振り払うと叩きつけるような斬撃を打ち込み続ける。素早さと小回りで勝る敵を相手にするにはその長所を利用させないのが肝心なのだ。力任せに、それでいて相手を逃さないようしっかりと狙いを定め、わたしは一心にお祓い棒をふるい続ける。
 小人はたまらないといった調子で距離を取り、今度は針型の弾幕を投射してくる。こちらは霊札を前面に展開して結界を張り防御、受け止めきったところで結界を崩して力の有り様を変え、札を攻撃に転用する。小人は素早い剣捌きで追尾してくる札を難なく切り裂き、無力化するとどこからか小槌を取り出し、ぶんと一振りする。
 わたしは思わず目を見張る。小人が瞬く間に巨大化し、わたしの二倍ほどの大きさになったからだ。彼女はあの伊吹萃香と同様、ものの大小を自由に操作できるらしい。
「あら、随分と的が大きくなったわね。攻撃が当てやすくなったみたい」
 気圧されないようわざと強がりを口にする。もっともあながち強がりでもなく、この幻想郷ではこと弾幕決闘において大きい図体は然程アドバンテージにはならない。小人もそのことは分かっているはずだが、指摘されても特に動じる様子はない。
「巨大化して鈍臭くなったと思ったら大間違いだからね。素早さはそのまま、膂力だけが強くなったって寸法だよ。ここからすぐにでも立ち去らなければ、お前は惨めに叩き潰されるだけだ」
 大言壮語を口にすると思ったが、小人はほぼそのままの速度で、受け止めた一撃にはわたしをぐいと押しのけるだけの力が込められていた。針の小剣も本体に合わせ大きくなっており、鉄の塊でぶん殴られているかのようだ。たまらず距離を取り、針や札を撃って牽制しようとしたが、小人はその大きくなった体と剣で全てを容赦なく蹴散らし、一気に距離を詰めて来た。
「当代の巫女はその程度かい? だったら今すぐ尻尾巻いて逃げたほうが良いよ」
 挑発を仕掛けながらも手数は全く減らないどころか、より激しさを増してくる。調子に乗るとどんどん勢いづくタイプらしい。お祓い棒に霊力を込め続けても一撃ごとに容赦なく削られていくし、受け止めきれなかった攻撃を円形状に展開した結界で都度防いではいるが、術式の甘さと即興さから一撃で粉砕される。
 小さい姿の時から侮ってはいないつもりだったが、この小人は相当の手練れであり、己の力をどう活かすかを明確に理解している。だから大きくなっても小さくなっても、攻撃の精度に差がないのだ。
「それとも、守り続けていれば力尽きて萎んでしまうとでも思っているのかい?」
 少しだけ期待していたので、見事に図星を当てられた形となる。だが、小人の話しぶりからして時間制限はないらしい。巨大化してそれに見合う力を獲得する技なのだから無際限というわけにはいかないはずだが、小人はわたしと攻防を繰り広げながらけろりとしている。こちらは額から汗が流れ、息も荒くなっているというのに。
 小人の言う通り、守り勝ちはあり得ない。となれば攻め勝つしかないのだが、守勢一方で小人の攻撃を捌くだけで精一杯なのだ。それを覆して攻めに向かう手段なんてそう簡単には……。
 いや、一つだけある。とても怖い方法だけど、無理の一つも通せないようでは、わたしの目的には届かない。それにいちかばちかなんて、これまでずっとやって来た。なにしろわたしは未熟で、周りは強い奴ばかりなんだから。
「じゃあ、攻め通してやろうじゃない!」
 消耗が激しくなるのを覚悟でより強い力をお祓い棒に込め、型を半分捨ててがむしゃらに、叩きつけるように激しくふるう。いきなり勢いが変わったためか、小人は一時だけ調子を失ったようだがすぐに立て直し、余裕をもってわたしに迫ろうとする。その一時で前面に大量の札を展開、小人に向けて発射する。彼女は巨大な剣を素早くふるい、追尾してくる全ての札をあっという間に切り裂き、距離を詰めていく。続けて二射、三射と大量の札をばらまくが、追尾の精度は明らかに落ちており、大半が小人の横を素通りしていった。そして僅かに迫る札を、小人はその巨体にもかかわらずすいすいとかわす。斬り伏せるまでもないと言いたげだった。
「剣で勝てないと見たらばらまきかい? 芸がないね」
「なんとでも言うが良いわ!」
 できる限りの速さで札や針を放つものの、小人の剣技と反応速度のほうが早い。いよいよ追いつかれたわたしは再び小人と剣を交え、先程と同じような展開に陥っていく。相手の得意なパターンに向かい、わたしは負けパターンへ転がり落ちようとしていた。
 打ち合いに負け、体制を崩され、体が揺らぐ。小人は必勝と見て大上段、これまでで最大の攻撃を繰り出そうとする。だが、その体はぴたりと止まった。
 札が縦に連なり、鎖の形を取って小人に絡みついていたからだ。そこでようやく小人はわたしが取った策に築いたようだった。
 破れかぶれで攻撃するように見せかけ、素通りしていった札を背後に忍ばせていたのだ。そして相手がとどめを狙うタイミングで起動させる。上手く行けば御の字だったが無事に引っかかってくれたようだ。
 巨大化した小人は小癪なとばかりに暴れ、鎖をあっという間に引きちぎっていく。足止めの効果はほとんどないようだが、強力な技を使うための時間を稼げれば良い。
 わたしは鬼や天狗と戦うために用意しておいたとっておきの符を取り出し、小人が体制を整える前に一切の加減なしで霊力を込める。急激に力が抜けていくけど構いはしなかった。細かい調整をしている余裕などないのだから。
 わたしは歯を食いしばり、符の発動を宣言する。
「魔を退ける無数の力よ、ただひたすらに敵を貫け!」
《夢符『退魔符乱舞』》
 夢想封印のように狙った敵を逃さない追尾力もなく、封魔陣のような応用性もない。ただひたすらに正面の敵を倒す破壊力特化の技である。霊力の消費が激しい上に制御が難しく、狙いも甘く、移動速度も落ちるため、滅多に使わない。手持ちの符や札を用い、なんとか動きを止めた上でこいつを使えば鬼や天狗にも勝てるのではないかという、甘い見込みで持ってきた符である。
 この技は巨体を相手にするのに最もうってつけなスペルである。雑な狙いであっても的が大きければ命中する算段が大きい。巨大化したせいで、小人は退魔符をほぼ前弾、まともに食らうことになった。
 効果は実に覿面で、巨体はド派手に吹っ飛び、地面に激突してもうもうと砂煙が巻き上がる。そして辺り一帯を万遍なく覆い隠し、一気に視界が狭くなる。しかもどこからか強風が吹いてきて、まともに目を開けていられない。
 無性に嫌な予感がした。そしてすぐに理解が追いつく。天子が唐突に姿を消したあの状況と似ているのだ。
 わたしはどこから斬撃や弾幕が迫ってきても察知できるよう、周囲に札を配置する。あれだけの攻撃を食らってすぐに復帰できるとは思えないが、あの小人は不思議な妖術を使うことができる。油断は決して禁物だ。
 この判断が正しいことはすぐに明らかとなった。斜め後ろに設置した札が何者かの接近を検知したのだ。
 振り向きざまにお祓い棒を一薙ぎする。重い手応えとともに相手の攻撃を弾いたという実感があった。砂煙で薄ぼんやりしたシルエットはわたしの薙ぎをぐっと堪え、これまでで最も鋭く素早い突きを超高速で放ってくる。このまま攻撃が続けば今度こそわたしは今度こそ圧倒され、負けを余儀なくされていただろう。でも突きの速度も重さもみるみる衰え、遂にはわたしの何気ない一振りによって剣を取り落としてしまった。
 ほぼ同時に砂煙が晴れ、ぼろぼろの姿をした小人が膝をつく。わたしはどうやら辛うじての勝ちを拾ったようだ。それにしても、まるで親の仇のように睨みつけられるのは納得がいかないのだけど。
 わたしはお祓い棒を構え、小人をじっと睨みつける。恫喝の意味も込めていたが、少しでも目を離せば何をしでかすか分からない危うさを感じたからだ。
「あのさ、わたしはいきなり襲いかかられたのよ。それなのに恨まれるだなんて道理が通らないのだけど」
「知ったことか! ああ、畜生。ここは守りきるってあいつと約束したのに、無様なことだ。ほとんどすっからかんとはいえ、小槌の力まで使ったというのに」
 あの小槌にはやはり、強い力が込められていたらしい。だがわたしの訊きたいのはそんなことではない。
「あいつって天子さんのこと?」
「そりゃそうさ。お前、そんなことも知らずにここに来たのか? それとも何かを企んでいるとか」
「いや、天子が主犯なのは知ってる。分からないのは誰が協力しているのかということよ。わたしの知り合いは鬼や天狗が噛んでるんじゃないかって言ってたけど」
「そんな奴らが噛んでるわけないじゃん。なんでそんな、頭ぱっぱらぱあな答えに辿り着くわけ?」
「いや、わたしに言われても……じゃあ、天子さんは紫の網からどうやって逃げ出したのよ」
「そりゃ、こいつだよ」小人はそう言って先程の小槌をどこからか取り出す。再び力を振るう気ではないかと咄嗟に札を構えたが、小人は何もしなかった。「力はほとんど残っていないと言っただろうに。それもさっきの戦いで使い切ったわけだが、こいつは色々な願いを叶えてくれる。特にものの大きくしたり、小さくしたりといった願いごとはお手の物だ。あの時の天子は厳重な結界に包囲されていたから、小槌の力をふるって豆粒よりも小さくしてやったのさ。あとはどこか適当な場所に身を潜めていれば、逃げられたと思って包囲を解くという寸法だ。誰もいなくなったところで元の大きさに戻し、かくして天子は悠々とその場を立ち去ったってわけさ」
「そ、そんな簡単なことで……」
「簡単だから気付かないということもある。頭の良い奴ほど、自分の目論見が破られたときに難しい理由を考えがちなんだよね」
「じゃあ、あの都合よく吹いた風はなんなのよ」
「それも小槌の力だよ。かつては魔力の嵐すら巻き起こすことができたほどだし、突風を吹かすなどわけもない」
 身も蓋もない種明かしにわたしはすっかり言葉を失っていた。鬼や天狗と戦うことも覚悟していたから、小人の話を聞いて気が抜けたのかもしれない。わたしは慌てて頬を叩き、気合いを入れ直す。彼女はぼろぼろだが敵意と猜疑は衰えておらず、隙を見せれば反撃されかねない。
「本当になんでもできるのね、そいつ」
「小人の神宝を侮っちゃいけないよ。まあ、さっきから何度も言ってるけどもう力は残っていない」
「強いけどすぐに力を使い果たす代物なの?」
「馬鹿を言え! かつては幻想郷を大混乱に陥れたこともあるくらいだ。すぐに壊れる玩具なんかと一緒にしてくれては困る」
「だったらなんでいま、力が残ってないのよ」
 小人は露骨に目を逸らし、口に手を当てて黙り込む。なんとも歯切れが悪いというか、何かを隠し通そうとしている。それは一体、どのようなことなのか。わたしは小人との会話で分かった小槌の特性を頭の中で復誦する。
 小槌は巨大な力を長時間にわたって振り出すことができる、でも今は何もできない。わたしとの戦いで微かに残っていた力さえも使い果たした。
 だとしたら、残りの力はどこへ消えたのか。
 ここに貧乏神が住んでいること。そして小人は小屋への侵入をなんとしてでも防ごうとしたこと。この二つから一つの推測を導き出すのは容易かった。
「もしかして、ここに住む貧乏神の力を抑えるために小槌の力を使ったの?」
「違う、そうじゃない。そうじゃないんだよ……」
 反論は弱々しくぎこちない。そして最後にはがくりと項垂れ、敵意と猜疑が薄れていく。わたしの指摘は小人の心をぽきりと折ったらしい。反撃の意志もなく、わたしは構え続けていたお祓い棒を収め、小さく息をつく。
 小人は貧乏神を抑えるために小槌の力を使ってきた。でも、今の反応からすると上手くいかなかったのだ。
 神宝と豪語するような小槌でさえ貧乏神を抑えることはできず、力をほぼ使い果たした。天子の行動はその事実によって誘発されたに違いない。地震を起こし、郷中を騒がせる行為が何故、貧乏神を抑えることに繋がるかは分からないが、もしもわたしが天子やこの小人の代わりに貧乏神を調伏できたなら、異変は収まるのではないか。
 わたしはすっかり力を失ってしまった小人を置き、決意をもって粗末な小屋の戸を開け、中に入る。そこには恐るべき貧乏神が待ち受けており、わたしはそいつと勝てる見込みのない決闘を行うはずだった。
 でも、そうではなかった。中にいたのは床に伏せ、力なくぼんやりと天井を見つめるぼろぼろの少女だった。ぺたんこの敷布団に掛け布団、黄ばみきったカバーをかけた枕に横たわるその様はあまりにも惨めで、思わず目を背けたくなるほどだった。
「その気配は天人さまでしょうか?」
 貧乏神はこちらを見ることなく訊ねて来る。天人も巫女も霊力を帯びているから間違えたのだろう。もしかすると匂いが似ているだけかもしれないが。
「いえ、違うわ。わたしは博麗霊夢、当代の博麗の巫女、と言えば分かるかしら?」
 どちらにしても否定するしかなかった。
「博麗の、巫女……ああ、覚えてる。赤と白の、とても強いやつ。本気を出したわたしをなお打ちのめして、うん、本当に強かったわ……」
「あなたが依神紫苑ね?」
「ええ、泣く子も黙る、貧乏神よ。それで、わたしはあなたに退治されるの?」
「その、つもりだったんだけど」
 小屋を中心として広がる痩せこけた土地、猛烈な負の気配からわたしは彼女が異変の元凶だと思っていた。でも、彼女は悪巧みの一つすら起こせないほど弱っており、わたしの訪問を予期していなかった。異変の元凶ならわたしがこれまでいくつもの事件に足を踏み入れ、解決したことくらいは把握していても良さそうなのに。
「あんたが言っていた天人様とは天子さんのことね?」
「ええ、そうよ。あの方はもう、あなたにやられてしまったのかしら?」
「いえ、わたしの力でどうにかなる人じゃない。だからここに答えを求めたの。あるいは、倒すべき敵を」
「そう……だとしたらあなた、良い勘をしてる。わたしを倒せば天人様を倒さなくても、問題は解決だから」
 依神紫苑は何故か、ほっとしたような表情をしている。まるで自分が倒されることを望んでいるかのようだ。
「抵抗する気はないの。できればあまり痛くないほうが、ありがたいんだけど」
「ちょっと待って、話を勝手に進めないで」
「そうだ、それは駄目だって天子も言っただろ?」
 背後から先程戦った小人の声が聞こえてくる。その姿は依然として力ないが、強い気迫は感じられた。
「そして博麗の巫女、お前は本当に知らないんだな」
「ええ、知らないわ。天子さんは一体、何がしたいの? わたしにはさっぱり見えて来ない。まるで暗闇の中を手探りしているみたいで、正直ちょっと泣きたい気分よ」
 戦いに勝っても、目的の貧乏神に相対しても何も前に進まない。道理も何も知らない愚か者になった気分だ。
「知る必要はない。お前がここから出て行けば全て解決、万々歳ってわけだ」
「そういうわけにはいかないの。天子さんが異変を続ければ、幻想郷中の妖怪や神が敵になるの。そうなれば彼女がどれだけ頑丈でも生きてはいられない。わたしはそれを止めようと……」
「天人様が、死んでしまう……?」
 紫苑の声がかすれ、その表情が恐怖に強ばる。
「ちょっとおい、博麗の巫女。そいつは聞き捨てならない話だぞ!」
 そして小人は精一杯の声を張り上げる。
「いや、あんたは何も知らないの? わたしはそういうの全部覚悟してことを起こしたのだと思ってたのだけど。だからいきなり攻撃を仕掛けてきたんじゃないの?」
「天子はさ、わたしが上手くやるから心配しないで良い、あなたは紫苑を守って頂戴、と言っただけだ。巫女が姿を現したとき、ああこういう意味だったんだなと思って攻撃を仕掛けただけで、詳しい事情は聞いてないんだよ」
 小人は今更ながら、己の立ち位置に疑問を抱き始めているようだ。逆に言えばそれほどまでに天子のことを信頼しているということなのだが。
「そんなことどうでも良いの。ねえ、天人様が死んでしまうというのはどういうこと?」
 そして紫苑はこれまでの、吹けば飛ぶような弱々しさが嘘のようなはっきりした声で訊いてくる。周囲の温度が下がったかのような悪寒が走り、無性に落ち着かない。目を凝らせば彼女の周りに薄青色の冥い気が漂っており、彼女の力を食らえばただでは済まないことが伝わってくる。
 わたしとしても隠すことではないし、危機の詳細が分かれば天子のことを止めてくれると期待さえした。だから天子の異変宣言に始まり、わたしがどうやってここに辿り着いたのかまでを二人に余すことなく説明する。
 紫苑から青い気は徐々に薄れていき、その代わりに顔色が悪くなっていく。敵意は除かれたが、天子の取り巻く状況が良くなっていないこともまた明白だった。
 そして小人は口をぱくぱくさせていた。驚きのあまり、口がきけなくなっているようだ。
「その様子だと、天子さんが何故異変を起こしたのか心当たりがあるようね。ショックを受けているところ申し訳ないんだけど、話してくれないかしら?」
 小人はちらりと紫苑の顔を見る。察してはいるが話して良いのか迷っている様子だ。紫苑は小さく頷くと、改めてわたしに向き合う。どうやら話してくれるようだった。
「天人様が地震を起こす理由は明白よ。地震によって建物が広範囲に破壊され、不自由な生活を余儀なくされるというのは、幻想郷が貧しくなるということ。それこそが天人様の狙いなの」
「幻想郷を、貧しくする? なんでそんなことをする必要があるのよ? 誰も得しないじゃない!」
「ええ、そうね……誰も得しない。わたし以外は」
 わたし以外。つまり紫苑は幻想郷が貧しくなれば得をするということになる。
 頭の中で何かが繋がろうとしていた。でも混乱のほうが大きくて上手くいかない。
「ねえ、あなたはわたしの生活をどう思った?」
 そんなわたしの頭の中など構うことなく、紫苑は質問を投げかけてくる。
「粗末で、貧乏だと思った」
 最初はもう少し言葉を選ぶつもりだった。でも、紫苑は嘘や取り繕いを求めていないのだと、その顔から伝わってくる。だから率直に感じたままを答えた。わたしが知るどんな人間よりも、神よりも、妖怪よりも。依神紫苑は惨めで貧しい暮らしを営んでいる。
 だが、紫苑は大きく首を横に振るのだった。
「そうね、あなたはわたしの暮らしを貧乏だと思った。でもわたしはそう感じていない。体を暖めてくれ、背中を支えてくれる満足な布団がある。食べ物だってそこらに生えている花や雑草を具にする必要はない。人間が想像できる最も粗末な食べ物を要求してさえ、捧げられる食べ物をわたしの舌は美味しく感じる。今の幻想郷はわたしに貧乏を供給できない。貧しさがない。それは貧乏神を世界が否定していることに等しいの」
 紫苑の語ってくれたことは、わたしにとって衝撃的であり、また申し分のない答えでもあった。天子の動機があまりにもくっきりと浮き彫りになったからだ。
「今の幻想郷にも貧乏はある。あなたも博麗の巫女だからあまり裕福な暮らしはしていないと思う。それでも電気と水道を当たり前のように使っているはずだし、その日に食べるものさえ困るということはない。それどころか便利な機械を駆使して楽しむ余裕すらあるはずなの」
 確かに博麗の巫女は公務員であり神職だから、慎ましやかな暮らしと公共への奉仕を要求される。常に忙しいわけではないが、異変や解放派が起こす騒動などがあれば出動する必要がある。でも、それに見合った手当てはつくし、代休も割と融通がきく。遙か過去の巫女は貧しかったかもしれないが、今はそうではない。
『巫女ですら困窮しなくて良いなんて素敵な時代よね』
 遠子の何気ない言葉がふと頭を過ぎる。
「七百年の緩やかな発展、明確な支配者がいないゆえの、完璧ではないにしてもそこそこに公平な分配。それらは幻想郷から徐々に貧困を無くしていった。まあ、幻想郷に暮らす神や妖怪にとってはそのほうが都合が良かったのね。貧乏が怖くなくなれば、恐怖や畏怖は人を越えた存在に集中するのだから」
「でも、貧乏神にとってはじわじわと苦しめられながら、存在を否定されるのに等しいことだった……そこまで説明されたら察しの悪いわたしでも流石に理解できる。でも、わたしには分からない。そうなるまでにどうして、あなたの貧乏神としての力を使わなかったの? 周りを不幸にするその力なら、いつだって好きなように貧乏を生み出せたはずなのに」
「それは、天人様が約束してくれたから。わたしはもう、誰も不幸にしなくて良い。胸を張って生きて良い。わたしがお前の不幸を全て、解決してやるからって」
 その姿がわたしにはありありと想像できた。比那名居天子はかつてこう言ってくれたのだ。お前をこの幻想郷で最優の巫女にしてやると。同じような調子で紫苑にも堂々と宣言してみせたのだ。
「わたしは貧乏神だけど貧乏が好きなわけじゃない。誰かを不幸にするのが好きなわけでもない。そして天人様の側にいれば、どちらにも悩まされずにすんだ。だからわたしはこんなことを言ってしまった、わたしはこれからずっと天人様の側にいるって。天人様はきょとんとした顔をしたのち、本当に嬉しそうな顔をして。わたし、ああ……それはきっと叶うと思っていた」
 でも、紫苑の顔は曇ったままだった。そうはならなかったのだ。そしてその理由もこれまでの話から容易に推測がついた。
「貧乏でなくなったことが、あなたを逆に苦しめるようになったの?」
「ええ。だから天人様はわたしと距離を取ったの。興味をなくしたように装ったから、周りからは冷たい人のように思われたけど。わたしが貧しい生活をするなりに、できるだけ苦労しないよう取り計らってくれた。そして、こう言ってくれたの。いつか必ず、お前が不幸にならない、誰かを不幸にすることもない、そんな道を見つける……」
 だから紫苑は誰を不幸にすることもなかった。できなくなった。孤独のまま七百年を耐えてきたのだ。あまりに健気で、悪く言えば愚直で。わたしはどんな気持ちで紫苑の行為を受け止めれば良いのかが分からなかった。
「そんな顔しないで。孤独といってもそこまで一人じゃなかったのよ。天人様は時々顔を見せてくれたし、そこの針妙丸もよく話し相手になってくれた」
 針妙丸というのは小人の名前らしい。針を巧みにふるって戦う姿に相応しい名前だと思った。
「それだけじゃなく、無意識に漏出するわたしの力をできるだけ抑えてくれた。あの小槌は小人族の宝なのに、惜しみなく力を使ってくれたの」
 だから小槌の力は失われてしまったのだ。ちらと針妙丸の様子をうかがえば、渋い汁を口にしたかのような顔を浮かべている。自分が紫苑の問題を解決できなかったのが悔しくてたまらない様子だった。
「女苑もああだこうだ言いながら、わたしの世話を焼いてくれたの。だから寂しくはなかったし、このままひっそり暮らしていければ良かった。でも、幻想郷からは貧乏が徐々に失われていき、わたしの力は少しずつ弱くなっていった。それでもわたしは何もしなかった。天神様との約束を胸にこれまでずっと独りで生きてきたから。他の生き方を知らなかったの。
 でもね、わたしは天人様の約束に背いてでも自分で動くべきだった。たとえ、皆に嫌われても貧乏神の力を振りまくべきだった。ここまで弱り果てる前ならばいくらでも手を打てたはずなのに、天神様の強さと運にすっかり甘えてしまった。そのせいでいま天人様はとても危ないことになっているのだとしたら」
 そして紫苑も己の受け身を悔やんでいた。天子も口にこそ出さないが、何もできない己を悔やみ続けたのだろう。異変はそんな三人の後悔から生まれたものなのだ。
 天子が抱えている問題は概ね把握できた。そして天子を異変から手を引かせる方法も見出すことができた。
 紫苑を退治すれば良いのだ。
 救うべき対象がいなければ地震を起こす意味もない。
 でも、本当にそれで良いのだろうか。
「天神様が助かるなら、わたしはいなくなってもいい」
 そんなわたしの迷いを払うよう、紫苑は自己犠牲を口にする。
「針妙丸は止めるかもしれないし、鬼や悪魔と罵るかもしれない。でも気にせずちゃちゃっとやって頂戴」
 でも、紫苑を退治すれば天子は酷く悲しむだろう。もしかするとわたしを恨むかもしれない。
「天人様だって悲しむかもしれないけど、あなたのことを恨んだりはしないと思う。だってそれが博麗の巫女の仕事なのだから」
「でも、わたし……それはあなたを殺すってことよ」
 紫苑の自己犠牲に応えるべきだった。わたしは博麗の巫女であり、異変はあらゆる権威や立場を越えて、解決されなければならないのだから。
 それなのに体が震えそうだった。心が重かった。
 ただ目の前の相手を殺すのが怖いというだけで、役目を放棄してしまいそうだった。
 弾幕決闘は危険な遊戯であり、死の可能性と常に隣り合わせである。そんなことはとっくの昔に分かっていたというのに、わたしは無抵抗の相手を殺すのが恐ろしい。
 わたしは覚悟ができている人間だと思っていた。でも、そうではなかった。弾幕決闘の結果としていずれかの命が失われることを納得していただけだ。
 自分の意志で明確に命を奪うことはできない。
 いや、今まではできなかった。
「おい、のうたりんのスカタン巫女。まさか本当に紫苑のこと、殺そうと考えてるんじゃないだろうな!」
 そして考え込むわたしに針妙丸が汚い言葉を投げかけてくる。少しでも力が残っていたならば、わたしを何としてでも止めようとしただろう。
 可能ならば止めて欲しかった。わたしは勝つべきではなかった。何も知らないほうがどれだけ気楽だったか。でもここで逃げたら天子を助けることができない。
 迷うわたしの背を押したのは、ごく小さな揺れだった。数日前に稗田邸で感じた揺れよりはずっと小さかったが、それはここがどの里からも離れているからだ。
 里ではより大きな揺れに襲われており、大きな被害が出ているかもしれない。崩れた天井や壁に巻き込まれ、怪我をした人もいるかもしれない。
 それにもしかしたら、死人が出たかもしれない。
 幻想郷が貧しさに襲われるほどの被害を出すなら派手に建物を壊さなければならないのだから。
 わたしは今でも迷っている。それが正しいことかどうか分からない。いや、きっと間違っているのだろう。人であれ妖怪であれ、無抵抗の相手を容赦なく殺めるだなんて、許してはいけない。許されてはならない。異変の際には博麗の巫女があらゆる法に超越するとしてもだ。
 それでも、間違っていたとしても。
 わたしはお祓い棒を強く握り、紫苑の前に立つと霊力をぐっと込める。
「馬鹿! なにやってるんだ、やめろ! 紫苑を殺したりしたら末代まで呪うぞ! たとえ地獄の裁判長が許しても決して許すものか!」
 針妙丸の声が酷く遠い。そして紫苑はわたしの行動を肯定するように小さく頷く。
 わたしはお祓い棒を構え、振りかぶる。全力とともに振り下ろせば、既に力を失っている貧乏神はこの世から消えてなくなるだろう。
 なおも背後で叫んでいる針妙丸の声はもう聞こえない。酷く透明で、冷たく、心が澄んでいく。人を殺すときの心はもっとどろどろしていると思ったが、そうではないのだろうか。
 わたしはこれから、罪を犯すのだ。
 冷たい心に傷を穿つと、わたしはお祓い棒を。
 鋭く振り下ろした。

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