東方二次小説

2XXX年の幻想少女第5章 人と妖の境界   人と妖の境界 第10話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第5章 人と妖の境界

公開日:2019年11月07日 / 最終更新日:2019年11月07日

「天人の皮膚は岩よりも堅く、鋭い針も容易く跳ね返す。それだけでも脅威なのに、類稀なる剣の腕を有しており、気質を操り、天地を揺るがす力を振るう。まあ、並大抵の腕前では敵うべくもないだろう」
 霧雨魔理沙――かつて天子に勝利した実力者の一人――は、わたしに容赦ない現実を突きつける。
「じゃあ、魔理沙さんはどうやって勝ったのよ」
「そりゃ、わたしが並大抵の腕前ではないからだな」
 そしてこの台詞である。誰か他に参考となる意見をくれる人間/妖怪を探そうと踵を返しかけたところで、魔理沙は慌ててわたしを呼び止めた。
「そういうつれないところは似なくて良いんだよ。わあ、魔理沙さんったら凄いのね、くらいの分かりやすい尊意を向けてくれたって損はないだろう」
「損はないかもしれないけど、得もしないわ。それともわたしに必勝の策でも授けてくれるつもり?」
「そんなものはない」
 魔理沙はいきなり真顔に戻ると、わたしの肩にぽんと手を置く。
「そういう不真面目なところも似なくて良いんだぞ」
 わたしは素早く踵を返し、霧雨魔理沙の家を後に「ちょっと待った、すまん冗談だ。あまりに緊迫した様子だったから少し解してやろうとしただけだよ」するのは一旦、堪えることにした。
「うん、そうね、魔理沙さんってそういう性格だった」
 こちらの逆を攻めるというのが信条の人だった。少しでも早く、強くなろうと張り切れば途端に気を抜いてくるし、だらんとしていたら訓練だと言って急に襲いかかってくる。常に自然体で、何事も対処できるようにするためだと言っていたが、わたしにはどうにもその性分は身につかなかった。
「弾幕決闘というのはだな、どれだけ準備しても予想外のことが起きるし、ハプニングこそ楽しむものだよ。そのためには泰然自若の心が求められる……といっても十数年を生きただけの人間には難儀な境地かもしれないな。わたしは人間だった頃から常在戦場、瞬瞬必生の境地が身についていたから問題なかったがな」
 わざとらしく、あまりにも嘘臭い。魔理沙も流石にしつこいと思ったのか、こほんとわざとらしく咳払いをしてお茶を濁してしまった。
「そろそろ真面目な講義を始めよう。天子の皮膚は確かに硬いが、無敵というわけではない。一定以上の硬度を持つ物質を十分な速度で撃ち出して当てればダメージは与えられる」
「わたしの針は手投げだからその方法では通じなさそう」
「咲夜のナイフ投げも通じなかったらしいし、簡単に製造し得る硬度の武器を手で投げる程度では難しいんだろう」
「それなら、どんな攻撃をすれば通るの?」
「一つは急所を狙うことだ。天子の体は刃物をも通さないほど硬いと言ったが、全身のあらゆる場所が均一に硬いわけではない。比較的容易に攻撃が通じる箇所もある。実際にその方法で天子を倒した例もあるんだよな」
「つまり明確な弱点があって、それを知っている人がいるということ? ではその人に訊ねれば……」
「それは無理だ。彼女はただの人間だったから七百年以上も前に死んでいる」
「その人から生前に教えてもらってないの?」
「教えてはもらったんだがね。あいつは真面目そうに見えて天然で悪戯好きでもあったからなんというか……その、きっと嘘っぱちで参考にはならないと思うね」
「一応言ってみてよ、もしかしたら正解かもしれない」
「肩のうしろの二本のゴボウのまんなかにあるスネ毛の下のロココ調の右」
 魔理沙は早口でまくし立てると、申し訳なさそうに顔を歪める。昔からあいつには苦労させられてきたんだよと言いたげだった。
「その人、本当に変人だったのね」
「そうだな。それに過去の弱点が今も残っているとは思えない。天子は誰かに弱みを見せたり握られたりするのを嫌がるから、ひっそりと努力して克服した可能性は高い」
「弱点を頼った一か八かはやらないほうが良いのね」
「そういうことだ。となると正攻法しかないわけだが……さて、ここで一つ問題を出そう。霊夢は石のような硬いものを割るとき、どんな道具を使ったら良いと思う?」
「それは……金槌とかハンマーとか?」
「そうだな。天子の体も同様で衝撃への耐性はやや低いと言える。わたしの魔法は爆発や衝撃を与える系統のものが多いから比較的相性の良い相手だったわけだ。とはいえ針や刃物を弾く皮膚の持ち主なんて滅多にいないから、本来なら相性もへったくれもないんだがね」
「わたしと同じ名前の、大昔の霊夢も同じようなことをして勝ったの? でも、博麗の技で強い衝撃を与えられるような大技って限られていると思うのだけど」
 先の決闘で巨大化した小人に用いた退魔符の乱れ打ち、あれが直撃すれば流石の天子も無傷では済まないだろう。お祓い棒に全力を込めての打撃も効くだろうし、わたしの切り札の一つである夢想封印は対妖怪用の技だが、そうでない相手にも強い衝撃を与える。問題があるとすればどの方法でも力の消費が激しく、長期戦になれば間違いなく勝ち目はなくなるだろう。
 大昔の霊夢がそれ以外の方法で天子に対抗できたなら、わたしでも勝てる芽があると思ったのだが。
「あいつの戦い方は至ってシンプルだよ。霊力のこもった札を手足のように扱って相手を翻弄するのが基本で、それが通じない格上と見たら相手が根をあげるまでスペルを撃ち込み続ける。それさえも凌ぎきる別格相手には汚い手を使ってでも勝ちに行く。天子との決闘がどうだったか語ったことはないが、きっと同じように勝っただろう」
 魔理沙から返ってきたのは対抗手段でなく、泥臭いことこの上ない精神論だった。
「弾幕決闘は華やかさを旨とするなんて建前もあるけど、あいつに限ればどんな相手にも勝利する必要がある。異変解決は巫女に与えられた役割だからな。わたしとあいつは人間同士として腕を競い合ったが、勝利に対する執着心はまるで違っていたね。模擬戦ではそれなりに渡り合えたが異変の最中に回敵したときは一度も勝てなかった」
「泰然自若の心を持ってしても?」
「いや、うん……執念は岩より強しってことだな」
 わたしの指摘を受け流しきれず、魔理沙はしどろもどろになる。つまり魔理沙は堂々と語ってみせた境地になどまるで到達していなかったということだ。調子が良いなあと思ったが、どのみち今のわたしでは格上の相手に対して柔軟に自由に戦うことは難しい。
「天子が格上ということは分かっているんだから、霊夢にできることは一つしかない。天子にダメージを与えられると見込める技を初っ端から全力で使っていくことだ」
「やっぱりそういう結論になるのね」
「わたしの見立てでは別格というほどの絶望的な隔たりはない。それに決まれば有効打になる戦法を授けることもできる。ある程度の決め打ちを前提とした危うい橋を渡らなければいけないが」
「実現が難しくても何か方法があるなら是非とも聞いておきたいわ」
「そうだな……いつもなら弾幕は己の表現だから勝ち方は自分で探せと言うんだが、今回は少しばかり深刻だから露骨にヒントをやろう。霊夢は岩を割るのに金槌やハンマーを使えば良いと言ったが、より効率的に鋭く岩を割る道具が存在する。そいつを参考にして弾幕やスペルを組み合わせてみると良い」
 肝心要の答えまでは口にしなかったし、思い当たる節はなかったが、ネットで検索してみればその道具が何かは簡単に分かるだろう。
「分かった、ない知恵を振り絞って考えてみるわ」
 勝ち筋は未だ見えないが、わたしにも狙えるものであることを示唆してくれた。そして方向が分かれば、あとはひたすらに進むだけだけである。
「うん、良い顔つきになってきた。ここに来た時はまるで迷子の子供のようだったが、やはり霊夢には勇ましさと負けん気がよく似合う。勝負の行方はともかく、わたしが心配する必要はなさそうだ」
 魔理沙はわたしに励ましの言葉をくれたのち、なぜか自嘲するような笑みを浮かべる。
「どうしたのよ、あんなこと言っておきながらやっぱり不安なの?」
「いや、そう言うわけじゃなくてね……霊夢は口が悪いし、目上にもずけずけものを言うけど相手の言うことをきちんと聞く。あいつとは姿形こそ似てるけど、やはり全くの別人なんだなと思って」
「それ、大分前に分かってたことじゃないの?」
「年寄りは頭が固いから、何度も同じことを実感しないと新しい認識が身につかないんだ。霊夢はむしろ人間だった頃のわたしに似ている。才能はあっても極上ではなく、だが努力で補えるタイプだ。そういう人間は壁があっても一枚ずつ着実に壊し、先に進むことができる」
 そこまで褒められると照れ臭いが、魔理沙の表情はどうにも優れない。他に憂慮すべきことがあるとでも言いたげだ。
「真に恐ろしいのは天才の挫折だよ。いや、霊夢も類稀な才能を持っているとは思うが」
 その物言いでようやく、魔理沙が誰のことを心配しているのかが分かった。
「あの子に何かがあったの?」
 魔理沙の弟子であり、霧雨美真を名乗る少女の顔が頭に浮かぶ。幻想郷に暮らし出して半年ほどで異変に巻き込まれながらも解決の一助を担い、同じ秘密を共有する者。最新にして新進気鋭の古典的な魔法使い。彼女は確かに天才と言い切って過言ではないだろう。
「あいつ、人里に広まりつつある新興宗教を追っていたらしいんだがね。霊夢も一応、宗教関係者だから既に知っているかもしれないけど」
「いや、全く知らないわ」
「主にネット経由で広がりつつある教えなんだが」
 過去のアイドル騒動があり、わたしはネットから少し遠ざかっていた。だからネットの流行は目にすることも耳にすることもなかったのだ。最近は回線の高速化で行き交う情報の量が劇的に増えたし、世間の動向をうかがう必要があるなら最低限は確認しておくべきだった。今更悔いても遅いのだけど。
「魔力を消費することなく、弾幕決闘を行うことができるほどの魔法を操ることができる新型アプリを開発し、それを基に信者を増やしていると言うんだよ。俄には信じられないが、ケータイにインストールされているアプリを使わせてもらったところレーザーやマジックミサイル、威力こそ乏しいが魔砲すら使用可能だった。電気回路とモニターに表示された魔法陣を使い、大気中の魔素を励起させるという方式ではとても実現不可能な代物だ。何らかのペテンが使われているにしても非常に大がかりな、これまでの常識では考えられない仕組みが使われているのだろう。美真はアプリの発案者が自分と同じ、異なる世界から幻想郷にやってきた来訪者であると主張しているのだが」
 魔理沙は目を細め、眉間に皺を寄せる。
「菫子を名乗るその女性は人間が神と妖怪の上に来るべきであり、それを証明するために幻想郷の地を揺らす異変の元凶を打破すると宣言したらしい」
「わたしの代わりに天子さんを倒すと言うの?」
 美真ならともかく素性の知らない怪しげな人間の魔法使いが異変解決に向かうなんて、どうにも現実味が乏しい話だったし、今の話を聞いてなお信じがたいものがある。だが、魔理沙はそう思っていないようだ。
「無限の魔力と魔法で攻撃を続ければさしもの天子も無傷ではいられないだろう。もしかするともしかするかもしれない」
 天子を止めてくれるならば、必ずしもわたしが勝利する必要はない。だが、菫子なる人物は人間が人ならざる者の上に君臨するべきと考えている。異変を起こし、幻想郷を揺るがした天子を生かしておくとは到底思えなかった。
「彼女を勝たせるわけにはいかない」
「そうだな、わたしも同意見だ。美真もそのことが分かっているからこそ、間近に迫る決闘に向けてできるだけ強力な魔法を教えて欲しいと頼み込んできた」
「それで、魔理沙さんは魔法を教えたの?」
 魔理沙は少し考えてから小さく首を横に振る。
「手持ちの魔法では足りないと強く訴える美真にわたしは理屈を問うたのだがね。すると美真は天子と偶然に回敵、為すすべもなく敗北した一部始終を語ってくれた」
 天子が東の里を揺らし、多くの建物を破壊したという話はわたしの耳にも入ってきていたが、そこで決闘があったとは知らなかった。
 わたしが驚く間もなく、魔理沙は続けて天子と美真の一方的な勝負を語ってくれた。わたしだったら同じ負け方をしたら、再戦に臨む気力など湧いてこない。そして実力があり、精神力もあるならそれは本当に強いということだ。もしわたしが魔理沙だったら勝つための魔法を授けたに違いない。
「その話を聞いて、わたしは美真に新しい魔法は不要であると判断した。
 でも、当の本人は全く逆の見解を持っていた。
「霊夢と同じような話を聞かせ、宥めようとした。でもね、あいつはちっとも聞く耳を持たなかった。より強い力を身につけなければ勝てないと意固地に主張するだけだった。あいつは酷く怯え、焦燥していた。心身を灼き尽くすような挫折に苛まれていたんだ」
「戦おうとしているのに、挫折なの?」
 わたしにはあまりピンと来なかったが、魔理沙の声は喉から搾り出すような低く辛そうな声だった。それが何よりもわたしに、魔理沙の判断の正しさを示していた。
「あいつは郷中を昆虫が覆い尽くした異変で、己より強い敵に遭遇しても必死に戦った。だから弱さを乗り越える強い心が備わっていると勘違いしてしまった。わたしは師匠として情けないことに、弟子の内奥を見抜くことができなかったというわけだ」
 いつもと同じ容姿なのに、魔理沙がずっと老け込んでしまったように見えた。弟子のこともあるし、自分の子孫が妙な企みに取り込まれてしまったことに責任を感じているのだろう。それなのにわたしが訪ねても拒むことなく相談に乗ってくれた。わたしは魔理沙の厚意に報いるだけのものを返すべきではないのか。
「そんな顔をしなくても良いよ」
 気持ちが表情に出てしまったのだろう。魔理沙はわたしをいつもの快活な笑顔で宥めようとしたが、あまり上手くいっているとは思えなかった。
「霊夢は自分のことだけ考えれば良い。天子は他人のことを考えながら相手できるような相手ではないからな。美真のことはわたしがきちんとフォローしておくから心配しなくて大丈夫……いや、結局のところ自分で乗り越えなくてはいけない壁だから、大丈夫とは言えないんだが」
「いえ、大丈夫だと思うわ」
 わたしと美真は常日頃から模擬戦を行っているが、弱気な表情から想像できないほどの強気な弾幕を使ってくることを知っている。異常事態に際し、好奇心剥き出しで相手を質問攻めにできる心の柔らかさも備えている。今は酷く負けて頑なになっているかもしれないが、すぐに立ち直るはずだ。友人として手を貸すことはできないけど、せめて信じてあげたかった。
「ふむ、では大丈夫になるようにわたしも力を尽くすとしよう」
 わたしの言葉は魔理沙を少しだけ元気づけることができたらしい。アドバイスのお礼としてはささやか過ぎるけど、力になることができたなら、がらにもないことを口にした意味もあったというものだ。
 礼を言い、わたしは魔理沙の家を後にする。弱気に足を止める時間は終わり、これからは勝つための思考と行動に進まなければならない。決闘は明後日なのだから少しでも時間を無駄にしたくなかった。


 博麗神社に戻った頃には日も随分と暮れていた。いつもなら夕食の準備に取りかかるのだが、今日は里で買った総菜と温めるだけで食べられるご飯で済ませることにした。天子との決闘以外のことに労力を割きたくなかったからであり、また食事を作る気力がまるで湧かなかった。
 風呂も手早く済ませると、わたしは魔理沙のアドバイス通りに石を割るためのより効率的な道具を検索する。適当な単語を並べるだけで、答えはあっさりとわたしの前に姿を現した。
 硬い石を割る方法として紹介されていたのは、ノミと槌である。ノミの先端を当て、槌で叩くことによって一点に効率的な力を加えることができる。練習次第で自由自在に石を割り、形を整えることができる。
「石像の作り方なんて意識したことなかったけど、職人はこういう道具を上手く使いこなしているのね」
 興味が湧き、関連サイトに飛ぼうとしたところで我に返った。今は悠長にネットサーフィンをしている場合ではない。
「同じ理屈で戦えってことか……」
 魔が差さないようパソコンをシャットダウンし、頭の中でいま使える技を色々と組み合わせてみる。いくつか案は浮かんできたが、どれを選ぶにしろこれまでわたしがやってきたどんな戦いよりも消耗が激しく、チャンスも限られている。二つの異なる力をぶつけるのだから単純に二倍の手間と霊力が必要となるし、あからさまな大技となるから決して外すわけにはいかない。相手を上手く拘束、あるいは誘導して切り札を確実に当てる必要がある。
 天子の動きを止めるなら並の力では届くはずもなく、切り札を悟られないためにもこれが本命と思わせるような大技を使う必要がある。もちろん初動から全力で、それでいて繊細さと計算高さが必要になる。
 やることは多く、しかも最適にまとめなければならない。そしてわたしの魂胆を見抜かれないよう演技する必要がある。賭けにいくつも勝ち、難しい橋も渡らなければならない。わたしはこれまで生きてきた中で最も必死に、何時間もかけて頭の中で構想を練り続けた。わたしの中にある可能性を搾り尽くそうとした。
 ようやく一筋の光明が見出せた頃には日が変わる直前だった。もっとも頭の中に薄ぼんやりと浮かんでいる構想を明確な形にできるかどうかも分からない。形にできたとしても天子に通じるかどうかは分からないが、それを今からくよくよしてもしょうがない。できることを全て形にし、全力を出し切る。後悔したり思い悩んだりするのはそれからで良いはずだ。
「まずは手数を調達しないとね」
 針や札のストックは十分にあるが、符(スペルカード)をもっと用意しておく必要がある。普段は霊力との兼ね合いで所持数を決めているのだが、今回は上限なしに持ち歩く。空を飛べなくなるくらい、本当に限界まで力を撃ち尽くすつもりだった。
 今夜は符の作成を夜なべして行い、翌日は十分に休息を取る。そして翌々日は天子との決闘である。時間はあまりにも少ないが、これ以上は引き延ばすことができなかった。紫苑の体調が少しでも悪くなれば、天子は決闘を待たずに再度、地面を揺らすかもしれないからだ。それは紫がかつて口にしたタイムリミットに達するということである。
 だからわたしが時間を縮め、無理をしてでも準備万端に整えるしかなかった。


 符の作成が粗方終わったのは深夜も四時を回った頃であり、背伸びして全身の凝りをほぐすとふらふらの足取りで寝所に向かう。布団に入り、日課の掃除洗濯は全てが終わってからまとめて行うと心の中で唱えてから目を瞑ると、意識がすーっと眠りに引き寄せられていき……。
 不意に眠気が吹き飛び、目が覚める。悪寒にも似た嫌な予感が背筋を貫き、慌てて飛び起きるとともに意識を張り巡らせると、微かな焦げ臭さが鼻についた。
 台所の方から流れてくると気付き、今夜は火を使っていないのになと訝しみながら足を運ぶと、想像していたよりもずっと酷い有様だった。電気調理器、電子レンジ、炊飯器などの電気を使用して調理する器具が全て発火しており、周囲の可燃物にも火が回っていたのだ。慌てて流し台に向かい、ボウルに水を汲んで火元にかけて回る。
 幸いなことに火はすぐに消し止めることができた。だが、安心はできなかった。家電製品が一斉に発火したなら掃除機や洗濯機、パソコンにも火が点いているかもしれないからだ。すぐに見て回らなければと思ったが、そのとき家の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。
 もしや犯人かもしれないと思い、慌てて外に出る。耳を澄ませ、空を飛んで足音を追うと神社の石段を駆け下りて行く姿を見かけることができた。
 速度を上げ、あっという間に犯人に追い縋る。そのままタックルをかけようとしたところで、前方に淡い光が浮かび、犯人の体が空中に浮いた。
 何者かは知らないが、空を飛べるなら最低限の実力は兼ね備えているはずである。となれば札も針も持たない現状では返り討ちに遭う可能性が高い。
 足を止め、歯噛みしているとぞわりとした気配がすぐ真横に発生する。だが、わたしは安堵の息を吐く。上司の登場だと分かったからだ。
 これまで全く音沙汰がなかったのに……そんな嫌味の一つでも言うつもりだったが、すぐに引っ込めた。紫はかなり本気で怒っていたからだ。
「あいつ、神社に火を点けようとしたわ」
「分かってる、藍を差し向けたから」
 藍というのは紫の式である。正確には前の紫から権限を譲渡されたと言うのが正しいわけだが、正式な主従であることに変わりはない。
 紫の顔が若干緩み、すると一度引っ込めた嫌味が自然と口をついて出た。
「これまでは助けてくれなかったのに、今回だけはやけに迅速なのね」
「神社を壊されそうになった時も助けたわ」
「わたしより神社のほうが大事なの?」
「どちらも大事よ。でも、霊夢は自分で自分の身を守ることができるし、自分で考えて答えを出すことができる。建物にはそのどちらもできない」
 紫の話し振りで、わたしは試されていたのではないかという疑惑が膨れ上がってきた。それにしては少し悪趣味な気がしないでもなかったが。
「紫はわたしの何を確かめたかったの?」
「何も。勘違いしているけど、わたしは何も試したりはしていない。あの貧乏神を退治して解決するか、天子と対決して解決するか、そのどちらかを選ぶだろうなとは思っていただけ。どちらも放棄して仕事を投げ出すなら流石に巫女を続ける価値はないけど、そんなことはしないはずだと確信していた」
「それは、わたしを信頼しているということ?」
「計算の結果よ。わたしは信頼なんて不確かな項を取り入れたりはしないの」
 紫はこれから起こることも計算できるの?
 切実な問いはしかし、喉の奥に消えた。聞いてしまえばせっかく奮い立たせた心が萎えてしまうかもしれないからだ。
「それに何もかも分かるというわけではない。例えば人里の間にひっそりと広まっているマジックアプリがあそこまで厄介だとは予想してなかった。異なる世界から持ち込まれた大系だったからその脅威度を測り損ねたのね」
「魔理沙さんの話によると、無尽蔵に魔法が使えるだなんて信じられない代物らしいけど」
「人間程度が使うならね、だからこそ看過できないのだけど」
「魔法は人間以外には使いこなせないってこと?」
「そんなことはないけど、自前の能力を持っているからそこに魔法を追加したところで元々の脅威が少し厄介になるだけ。例えばフランドール・スカーレットは魔法使いでもあるけど、彼女が脅威なのは吸血鬼に起因する破壊の力を有しているからであり、魔法は補助的要因に過ぎない」
 フランドールが魔法使いだなんて初耳だが、膨大な図書と優れた魔法使いが揃っているのだから有り得ないことではない。そして紫の言う通り、彼女は吸血鬼だからこその脅威なのだ。魔法を脅威とできるのは他に何もなく魔法だけを力にして扱う人、ないし妖怪に限られるということなのだろう。
「わたしが懸念しているのは普通の人間がゼロから一気に魔法という能力持ちになるということよ。僅かな利便さを得られるだけなら看過できるけど、弾幕決闘が可能になると放ってはおけない。それだけの力を誰でも使えるというのはつまり、全ての人間が神や妖怪と同じになることを意味するのよ」
「そんな大袈裟な話になるの?」
「なるわ。現に神社を襲ったあいつはただの人間だったのよ。それが火を操り、空を飛ぶことさえできる。そして霊夢と博麗神社を害しようとした。やっていることは妖怪と変わらない」
「わたしも普通の人間だけど空を飛んでるわ」
「博麗の巫女は普通の人間ではない。それは自分自身が一番良く分かっているはずよ」
 確かに紫の言う通りである。そして月光魔法教団が邪な意志のもとに動くならば、アプリの使用者たちは解放派なんて目じゃないほどの犯罪集団になるかもしれない。
「紫は彼女たちも異変として認定するの?」
 だとしたらわたしが関わるべき案件だ。紫は当然とばかりに頷きかけたのだが、背後にするりと人影が現れ、紫にそっと耳打ちする。九つの尻尾を持つ式神はいつになく真剣な顔をしており、紫にもそれがあっという間に伝播していく。
「いえ、やはり良いわ。教団とアプリはこっちでかたをつける。霊夢はお騒がせの天人に集中なさい」
「何よ、いきなり。天子も教団も厄介なのは変わりないのだし、異変は巫女の仕業でしょう?」
「虻蜂取らずという諺もあるし、二つのことを同時にできるほど器用ではないでしょう?」
「それはそうだけど……」
 それどころか今回はたった一つの問題すら解決できるか分からない。いつもなら素直に頼るのだが、今回に限ればどうにも腑に落ちなかった。というか、明らかに不審な方向転換だった。藍の報告が余程のものであったに違いない。
「神社が燃やされそうになったのに、他人任せというのもね」
「いいえ、これは霊夢の手に余るわ」
「そんなのやってみなくちゃ分からない」
 そして露骨にわたしを遠ざけようとしている。天子の件に専念したい気持ちもあるが、もやもやをそのままにされるのは我慢ならなかった。
「分かるのよ。だって霊夢は依神紫苑を退治できなかったのでしょう? なら人妖を手にかけられるはずがない」
「じんよう? つまり集団戦になるってこと?」
 じんようの読みでわたしが知っている言葉は陣容しかない。個人同士の決闘ではなく集団同士が争うことになるから遠ざけようとしているならば辛うじて筋は通る。陣容を手にかけるなんて表現は聞いたことがないけど、きっと何かの慣用句なのだろう。
「そういうこと。教団員はいまや百人に迫る勢いであり、誰もが人間という種族としてアプリ経由の魔法を使ってくる。そいつらをまとめて食い止め、アプリを成り立たせている正体不明のシステムを停止させる。流石の霊夢でもこの対応は不可能に違いないと判断したのよ」
 過去には解放派の妖精や巨大化した虫をばったばったと薙ぎ払ったことはあるが、決闘できるほどの相手が百人もいたら流石に敵う気はしない。しかも相手は人間だから対妖怪戦が主であるわたしだと余計に分が悪いはずだ。天子にだって勝てる気はしないのだが、質を突きつめての一点突破ならまだ可能性を見据えることはできる。
「承知したわ、それなら台所をボロボロにした不届き者の成敗は紫に任せる。そういや、誰が犯人かは分かったの? 藍が追跡からすぐに戻ってきたということはそう離れてない場所、つまり東の里のどこかに住んでいるということなんだろうけど」
 割と間近に神社を燃やすような奴がいるなんてぞっとしない話だが、そいつが誰か教えてもらえれば里中で遭遇しても不意打ちを食らうことはないだろう。つまり身の安全のため、犯人を知りたかった。だが、紫の態度は非常に素っ気なかった。
「知る必要はない、気まずくなるだけよ。アプリも信仰もなくなればそいつもただの人間に戻るのだから」
「でも、信仰ってなかなか切り離せないと思うんだけど。寄る辺をなくし、逆恨みする可能性もある」
「なら記憶を消すわ。少し障碍が残るかもしれないけど、胡乱な教えに耳を傾けた報いを受けたというだけのことね」
 なんとも頑なな態度だった。まるでわたしに犯人を知らせまいとしているようだ。
 それはつまり、知ればショックを受けるような人間だということだが、わたしは博麗の巫女であるためか人間の友人はあまり多くない。昔の友達とは疎遠になってしまった。
 東の里でわたしの友人と言える相手。
 それは……いつもわたしの相談に乗ってくれる彼女くらいのものだ。
 本気で考えたわけではない。でも、東の里に住んでいる人間で犯人だと分かってショックを受けそうな人間が他に思い当たらなかった。
 彼女には神社を焼く動機がないし、天子と戦う方法を求めて立ち寄ったとき、かつて彼女に勝利した人や妖怪を惜しみなく紹介してくれた。だからこそ魔理沙を訪ね、結果として有益な助言を得ることができた。それなのにあんな妨害するなんて、どう考えても辻褄が合わない。
「深く考えないことよ。繰り返すけれど、そいつは信仰もアプリも失うし、もしかしたら記憶も失うかもしれない。それは何もなかったのと同じこと。霊夢は何も悔やむ必要はないし、思い悩むこともない」
 紫はそう言ってわたしを宥めようとする。わたしの推理は半ば妄想の類であるけれど、紫のらしくない気遣いが妄想を可能性に押し上げていく。
「霊夢は何も悪くない。時には迷いながら、時には苦しみながら、それでもきちんと前を向いて生きてきた。わたしはそのことをよく知っている。誰にも否定させたりはしない。だから胸を張って、堂々と天子との決闘を果たしなさい」
 そしていつになく強い調子でわたしを褒めてくれた。それが逆にわたしの不安を煽ったし、どうしても犯人を知りたかった。いや、こう訊ねたかった。
 マジックアプリを使い、神社を燃やそうとしたのは遠子ではないのか?
 でも、紫は質問する決心を固める前に式とともにそそくさと姿を消してしまい。
 わたしはその場に立ち尽くすしかなかった。

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この小説へのコメント

  1. どっちかと言うと、遠子よりも霊夢の両親どっちかな気がするな〜。
    動機としても十分ありそうだし。

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