すっかりと春の陽気に包まれた森の中を、魔理沙は鼻歌交じりに歩いていた。右手にはバスケットを持ち、リュックを背負っているから傍目にはピクニックに出かけようとしているように見えるが、リュックの中に入っているのは自宅からかき集めてきた初級者用の魔導書である。バスケットの中には昼食用の弁当が入っているし、実際に半分はピクニック気分なのだがそれでも本来の目的ではない。魔理沙の目当ては一月ほど前に突如として魔法の森に出現した新顔の訪問だ。
ここのところ魔理沙は毎日のように足繁く新顔を訪ねている。彼女こそ長らく待望していた自分の後継者になり得るかもしれないと考えているからだ。その思いは日に日に高まり、今では半ば確信を抱いている。それほどまでに彼女の魔術適正は高く、魔理沙がかつて苦労して身に着けた魔法にも果敢に挑み、既にいくつもの魔法を会得している。お湯を沸かしたりそよ風を起こしたりといった生活に役立つ程度の本当に初歩的なものだが、魔理沙はそれらすら数ヶ月かけなければ安定して発動できなかった。それでもかつての師匠からはとても筋が良いと言ってもらえた。古典魔法はそれほどまでに最初の一歩が遠いのだ。その一歩を易々と踏み出せる才能の持ち主に出会えたことは魔理沙にとって本当に喜ばしいことだった。
もちろん彼女の前ではそんなことを口にしたりはしない。たかだか一月程度の付き合いだし、それが彼女にとって重荷になると分かっているからだ。あくまで便利なことを教えてくれる森住まいの変人で良いと、魔理沙は思っている。
彼女の住まいは魔理沙の自宅から半時間ほど歩いたところにある。それは十メートル以上もある鉄の箱が二つ、蛇腹のような連結機構によって接続されているという奇妙な構造物であり、彼女はそれを鉄の龍《アイアン・ドラゴン》と呼んでいた。郷がまだ外の世界と繋がっていた頃、彼女が言う龍について書かれた雑誌を読んだ記憶が微かに残っている。いつ読んだかかは覚えていないが、昔の香霖堂でのことだからまだかつての霊夢が生きており、稗田が阿求だった頃のはずだ。
地上に鉄のレールを敷き詰め、都市同士を繋いで大量の人員や物資を遠くに運ぶという破天荒な乗り物であり、出来の悪い創作ではないかと疑った記憶がある。その頃ちょうど郷に入ってきた早苗に懇々と説明されたから納得せざるを得なかったし、紫も鉄の龍を召喚する符を使っていたから存在するとは思っていたのだが、まさか数百年も経ってからその実在を示されることになるとは思ってもみなかった。
いや、実物を見てなお魔理沙は疑いを払拭できないでいた。龍をずんぐりさせたような金属の巨体が動くなんて想像の埒外だし、魔法の森にはレールがないから実際に動いているところを見ることもできない。郷には三つの人里を繋ぐレールが既に敷設されているから走らせる計画はあるのかもしれないが、未だに運行が開始するという話を聞いたことがない。この鉄の龍こそが第一号なのかもしれないが、だとしたらこんな場所に置き去りにされることがおかしい。
もしかすると全く別の代物であるという可能性も十分にあり得る。鉄の龍に住んでいる人間がそのことを示唆するような話を魔理沙にしてくれたこともあるし、何よりもこの現状が単なる乗り物でないことを語ることなく主張しているように思えるのだ。
その彼女自身にも疑わしいところは多いが、魔理沙は未だ踏み込めずにいた。彼女の持つ魔術の才能を逃したくないからだが、今のようなことを続けられたら流石に魔理沙としても追及せざるを得ない。嫌われても良いから今日はもう少し詳しい事情を聞き出すつもりだった。
彼女は鉄の龍の側でうんうんと唸っていた。魔理沙の貸した箒にまたがり、空を飛ぼうとしていたのだ。飛行は初級者向けの本を読んだくらいでは歯が立たないほどの高等魔法なのだが、少し前に話したことを全く聞いていなかったらしい。あるいはきちんと聞いていて、それでも飛行に挑戦しているのかもしれない。
どちらにしろ新しい魔法に挑もうとしているところに声をかけて集中を乱してはならない。暴走するようなことがあればすぐ止められるように心を構え、木陰から新人魔法使いの様子をじっと見つめる。しばらくは唸り声をあげるだけだったが、そのうちに彼女を中心として渦巻くような風の流れが生まれ、そしてコマのようにぐるぐるとその場を回り始めた。魔理沙は自らに加速をかけて一気に中心へと飛び込み、目を回すばかりの彼女を押さえ込むと逆回転の力を生み出して勢いを打ち消していく。二つの力が釣り合ったところで未だ我に返っていない彼女の肩を揺さぶるとようやく己の過ちに気付いたらしく、展開されていた魔法がふつと途切れた。魔理沙も魔法を止め、それでざわざわした周りの空気もすぐに落ち着いていった。
「すみません、ご迷惑をおかけしてしまいました」
大きく頭を下げると後ろで一つに括った髪が馬のしっぽのように揺れる。その顔は魔理沙に対する申し訳のなさで満ちていた。
「迷惑なんてかけてないよ、あんなものを止めるなんて朝飯前だからな」
素直に謝ることができる性格といい、丁寧な言葉遣いといい、おそらく悪い人間ではないはずだ。それでもあんなことをしでかし、迷惑をかけているのにやめようとしないのははっきりと矛盾している。
「飛行は高等な魔法だからおいそれとは使えないと前に話したはずだがね」
「だけど魔理沙さんはどんな魔法よりも早く使えるようになったんですよね?」
魔理沙は神妙そうに頷いてみせた。嘘を吐いておらず、それが自分だけの例外であることを強く示すためだ。彼女の言う通り、魔理沙はどんなに簡単な魔法よりも早く飛行の魔法を習得することができた。かつての師匠にはそれがどれほど稀有なことであるか懇々と説かれ、それ以外の魔法を身に着けるのに時間がかかったことを安堵されたほどだ。そしてお前が将来、誰かを弟子にすることがあっても初っ端から空を飛ばそうとしてはいけないのだと口を酸っぱくして言われた。
気をつけたつもりだったが、事実自体を口にしてはならなかったのだ。そのせいで強い風を生み出すなんて方法で空を飛ぼうなんて試みてしまった。扱いにくい性格ではないが負けず嫌いなところがあるのかもしれない。
「それにこの郷には風を操って空を飛ぶ人がいるという話も聞きました」
「あいつも例外だって言っただろ。色々と規格外の神様なんだよ」
「でもわたしにだって規格外なところはあると……」
魔理沙は彼女のおでこを指でぴんと弾く。本当なら拳骨を頭に落としてやりたかったが、いきなり暴力というのは流石にやり過ぎな気がしたから控えておいた。
「魔法を使うために生まれてきたような奴だとは言ったがね、だからといってなんでもかんでもすぐできるようになるわけじゃない。いまさっき危険な目に遭ったのをもう忘れたのか?」
少しきついかなと思ったが、彼女は挑むように魔理沙を睨みつける。是が非でも引くつもりがないという強い意志を感じた。
「わたし、一日でも早く空を飛べるようになりたいんです」
「それならわたしの後ろに乗せてやるし、手駒にしている奴らのうちの誰かに背負ってもらっても良いんじゃないか?」
彼女はどうやってか知らないが攻め入ってきた付喪神を操り、命令を聞かせることができるようになっていた。鉄の龍から放たれる怪しい電撃のような光を受けた途端にそうなってしまったのだ。妖怪や妖精はダメージを受けるだけだったし、付喪神にしても全てを操ることができるわけではない。何らかの条件を持つ付喪神だけが強い影響を受けるらしいのだが、魔理沙にとって未知のエネルギーであったため、原因を突き止めることは未だできずにいた。
「それに今日こそはっきり言わせてもらうがね、光を集め過ぎるのは良くない。ここから少しでも離れた場所では未だに春すら訪れていないんだ。それがどんなに良くないことか、分からない奴ではないと思うんだけどな」
はっきり指摘すると威勢の良さがすっかりとなりを潜め、気まずそうに俯いてしまう。つまりやってはならないことに手を出しているという自覚はあるのだ。
「それは少しでも早く空を飛べるようになりたいという気持ちと関係があるのか?」
どちらもやってはいけないことと理解しつつ、それでも無理に手を伸ばそうとしている。二つの間に共通する理由があると考えるのが自然だった。
「わたしは急かさないが、急かそうとする奴は今後間違いなくやって来るだろう。これまでに追い払い、手駒にした奴らも強い力を持っているが、特別というわけじゃない。春を喪わせる原因がここにあると知れば、同じくらい恐ろしい奴らが続々と駆けつけてくるだろう。今日までそうした連中が誰も訪れていないことが既に奇跡みたいなものなんだよ。それだけは知っていてもらいたい」
少なくとも博麗の巫女である霊夢は近い内にやってくるはずだった。彼女は異変に対する強い勘を有しているし、連絡すると言っておきながら一度も顔を出していないから不審に感じ始めていてもおかしくない。
「エネルギーを貯め終わるまでどんなに急ピッチで進めてもあと半月ほどかかります。でもわたしが空を飛べるようになれば……正確にはあの子を空に飛ばしてあげることができればその分だけエネルギーを節約できます。もっと早くこの郷から離れることができるかもしれません」
「あの巨体を空に飛ばすって、どういうことだ?」
理由さえ分かれば協力できることもあるかもしれないと思った。だが彼女は黙するだけで何も語ろうとしてくれない。まだ信用されていないのか、それとも少し脅し過ぎてしまったのか。
彼女が厄介事を抱えていることはいまや明白である。郷のことを考えれば一刻も早く目の前の人間がやっていることをやめさせるべきだった。
魔理沙には彼女を放り出すことのできない理由があった。魔法使いとしての適正が高いのも理由だが、それだけならとうの昔に諫めてやめさせている。魔理沙が彼女を止めることができないのはかつての師匠である魅魔に驚くほど似ているからだ。
奇妙なとんがり帽子や杖こそ持っていなかったがよく似た服を着ており、顔などはうり二つと言っても良かった。かつての師匠よりずっと若く、魔理沙の肩ほどの背丈だから流石に同一人物とは思えなかったし、霊夢や咲夜のそっくりさんを知っているから魅魔のそっくりさんが現れること自体は然程驚きではなかった。
あの頃の霊夢や咲夜が戻ってこないように、師匠も戻ってくるはずがない。それでも無視できなかったのは彼女が魔理沙と同じ霧雨を名乗ったからだ。
霧雨美真、それが彼女の名前だった。自分と同じ名字に、漢字こそ違うものの師匠と同じ読みの名前、そして類稀なる魔法の才能。
それだけで霊夢を始めとした郷の強者全てを敵に回す可能性に乗っかるだなんて短絡的かもしれない。それでも魔理沙は彼女をできる限り庇護するつもりだった。
「分かった、理由は聞かない。あの巨体を空に浮かべるため、わたしもできる限り協力しよう。だがこれだけは教えて欲しい。どの程度の高さが必要なんだ?」
その質問にも美真は答えようとしなかった。それすらも教えてもらえないならば手の貸しようはないのだが、それを口にしたらこれまでの無鉄砲な振る舞いからして一人でやると言いかねない。だから魔理沙はさして期待せず、相手が話し出すのをじっと待った。
長い沈黙ののち、美真はちらと魔理沙の顔色をうかがう。こんなことを話して本当に大丈夫なのかと警戒している様子だったが、彼女の頭の中で何らかの了解があったのだろう。ゆっくりと顔を上げ、魔理沙に視線を合わせた。
「どれだけの高さが必要なのかは分かりません。でも目指す場所がどこかは分かっています。わたしたちが向かうのは役目を終えた道具が辿り着く場所、天に浮かぶ大いなる空環の楽園世界です」
美真は焦がれるような表情で空を見上げる。その先に楽園があるのだと心の底から信じている顔だった。その気持ちが魔理沙には少しだけ理解できる。魔理沙は大空を自由に飛びたいと希う子供だったからだ。でもその先に楽園があるだなんて考えたことはない。空の上には宇宙が広がり、その先には月が、そして一生をかけても辿り着けないほど遠くに点在する星々があるだけだ。
全ては彼女の妄想なのだろうか。それとも自分が知らないだけで楽園は本当にあるのだろうか。
「どうして楽園を目指す必要があるんだ」
ここでは駄目なのかと遠回しに訪ねたつもりだった。美真がそんな魔理沙の意図を汲んだかは分からないが、彼女は迷う素振りを見せながらもしっかりと首を横に振る。
「だってみんな行けるんですよ、この子だけ行けないのは可哀想じゃないですか。それにこの子だけ行けなかったのはわたしのせいかもしれない」
美真はためらいがちに語り始める。郷にやってくる以前の、こことは全く異なる世界の話を。
「おお怖い怖い、そう殺気立たなくても良いじゃないか」
天の邪鬼は冬の寒さに震えるような仕草を見せ、霊夢に対する恐れを示す。だがその顔は喜悦に歪み、本当の気持ちがだだ漏れだった。
「あんた、なんでこんな所にいるのよ」
「そりゃもちろん、見当違いの場所を探している巫女様を労いに来たのさ」
「からかいに来たの間違いでしょう?」
「いえいえ滅相もない、わたしは心優しい天の邪鬼として名が売れているんだよ。とんちきなことをしていると言ってそれだけでからかうなんて……」
言葉とは裏腹にその顔は堪えきれない感情でぷるぷると震え、ついには腹を抱えて笑い始めた。
「ぷぷぷぷぷ……ああ駄目だ、こんなの笑うなと言うほうが無理な話さ。あんたもそう思っているから顔を真っ赤にして怒ってるんだろう?」
天の邪鬼からの質問に対する霊夢の答えは霊力のこもった札を投げることだった。笑いにかまけて隙だらけの彼女はその攻撃をまともに食らい、派手に吹っ飛びながらひらひらと墜落していく。この呆気なさが逆に疑わしく、霊夢は落ちていく天の邪鬼を油断することなく追いかける。果たして彼女は霊夢に背を向け、一目散に逃亡を図った。
「こら、待ちなさい!」
「待てと言われて待つ馬鹿がいるか」
そんなことを口にしておきながら天の邪鬼はいきなり速度を落とし、霊夢を待ち構えるように堂々と腕組みをする。
「待つ馬鹿はいないんじゃなかったの?」
「つまりわたしは馬鹿ってことだね」
自分を卑下するようなことを口にしたのに、天の邪鬼は実に愉快そうだった。己の思いと逆しまなことを口にするのが性分だと聞いたことはあるが、どこまで本気で冗談なのかが道化めいた態度からはさっぱり分からない。
「あんたが本当に馬鹿なら春を盗むなんてできるわけがないと思うのだけど」
だからおだてて持ち上げることで天の邪鬼の考えを測ろうとした。
「難しいことをやったわけじゃない、誰でも思いつくようなことをやっただけさ。それなのに誰も原因に気付かず、春が来ないことで右往左往している」
「太陽の光をかすめ取るなんてそうそう思いつくものじゃない」
「なんだ分かってるんじゃないか。それならどうして冥界に行ったんだ? 手がかりがないから藁にも縋る気持ちで過去の事件に飛びついたんじゃないのか?」
「春を盗むのも光を盗むのも同じくらいあり得ないことよ」
「だから春を盗んだ可能性を潰しに行ったのか。なるほど、最後に残ったことはいかに有り得そうでなくてもそれが真相ってやつだ」
霊夢はしたり顔で頷いてみせる。本当は彼女の言うことが正しく、最初は途方に暮れるばかりだったが、正直に話して憎らしい相手を勢いづかせることもないと思った。
「巫女の癖に勘働きをしないんだな。かつてわたしを追いつめた巫女は一足飛びで回答に辿り着く凄まじい勘の持ち主だったが、あんたはそこまでの能力を持っていないらしいね。未熟だからこそ後手後手に回り、足で調べることしかできないというわけだ」
天の邪鬼は言いたい放題を口にすると再び背を向け、霊夢から遠ざかろうとする。大きく深呼吸を一つ、腹の内にあった怒りを息とともに追い出すと霊夢は不埒な天の邪鬼の追跡を再開する。逃げる振りと挑発を交互に繰り返すということは自分を何らかの状況へ誘導しようとしているに違いない。だとしたら感情に血がたぎったままでは奸計に絡め取られるだけだ。どのように誘導されているかは知らないが、目的を達成される前に口がきける程度で動きを止める必要があった。
気取られぬよう少しずつ天の邪鬼との距離を詰め、射程範囲に入ったところで妖怪捕獲用の札を射出する。霊力の網によって相手を絡め取り、動きを封じるためのものであり、上手く命中すれば活動を停止させられる。このまま気付かずに後ろを向いていて欲しかったが、そうは問屋がおろさなかった。
振り向いた天の邪鬼はその手にカメラを手にしており、霊夢は慌てて急上昇をかけ、その視界から逃れる。かしゃりとシャッターを切る音が響き、目映いフラッシュとともに霊夢の発射した捕獲用の弾幕が跡形なく消え失せる。安っぽい作りだが天狗のカメラと同じで弾幕を問答無用で消去する機能は搭載されているらしい。
といっても天狗が人間との弾幕勝負でその機能を使って来ることはない。カメラのせいで勝たれたと人間に思われるのが癪に触るからだ。対する天の邪鬼は躊躇うことなくカメラを使ってきた。弾幕が命中したとき身代わりを使って逃れたことといい、この天の邪鬼は妖怪の矜持とは全く無関係で勝つためならどんな道具でも使う性分らしかった。
「そんなに心配しなくても撮った相手に痛手を与えるなんてことはできないよ。これは一度使い切りのちゃちなおもちゃでね、天狗のカメラには遠く及ばないのさ。それでも十分に便利だけどね」
被弾時の身代わり、弾幕消しのカメラを消費しながら天の邪鬼は未だ余裕綽々といった様子だ。
「あんた、わたしを誘導してるでしょ。どんな罠を仕掛けてるの?」
「罠だなんて心外なことを。わたしは巫女が怖くて尻尾を巻いて逃げてるだけさ」
「そんな言い分は認めない!」霊夢は幽々子に使うつもりだった符を取り出し、思い切り握り潰す。拳を中心に白光する霊力の塊が生まれ、にやついていた天の邪鬼の表情が一気に険しくなった。「ちょっと痛いかもしれないけど文句は言わせない」
撃ち出された霊力の塊は物陰から飛び出してきた猪のように、天の邪鬼へと猛烈な勢いで迫る。だがその姿は弾幕が命中する直前でかき消え、標的を失ってぴたりと動きを止めてしまった。どこへ行ったのかと視線を巡らせることしばし、天の邪鬼は霊力の塊から少し離れた場所に出現する。その手には導火線に火の点いた花火が握られており、霊力の塊にえいやと放り込むと七色の派手な色合いの花火が炸裂する。
威力の削がれた霊力の塊はなおも天の邪鬼に向かっていくが、今度も被弾寸前で姿を消し、また少し離れた場所に現れては花火を投げる。追尾する霊力の塊はちくちくと削られ、四度目の花火とともにとうとう完全に消滅させられてしまった。
もちろん霊夢も手をこまねいて見ていたわけではない。弾幕を凌ぎ切ってほっとした一瞬を狙い、お祓い棒で斬りかかった。だが最初の攻撃はいつの間にか手にしていた布でひらりと払われ、続く一撃は反対の手に握られた小槌で受け止められてしまった。
「あんた、本当に嫌らしいやつね!」
どれもこれも絶妙に面倒な効果を持ったものばかりで、圧倒的な強さこそ感じないもののどんな攻撃もぬるりぬるりとかわしていく。実用一点張りでの攻防を仕掛けてくる相手のやりにくさを霊夢はこれでもかと味わわされていた。
「弾幕決闘なんてお遊戯に現を抜かしてばかりだから実が見えないんだよ!」
天の邪鬼は幽霊のように希薄となって攻撃から逃れ、三度遠ざかっていく。霊夢は体勢を整えると遮二無二追いかけにかかった。冷静な気持ちが徐々に失われ、霊夢はいつしか天の邪鬼が誘導するままにその姿を追いかけるようになっていた。
霊夢がそのことに気付いた時には既に奸計の只中であった。天の邪鬼の逃れる先には見覚えのある妖怪が二人で待ち構えていたのだ。
その色合いと手にした楽器で遠目からでも九十九姉妹だとすぐに分かった。弾幕決闘を馬鹿にしたばかりでなく他人に決闘を肩代わりさせるとはなんとも見下げ果てた奴だと思ったが、相手を罵倒することで己の間抜けさを拭い去ることはできない。
それに春を喪わせたのが解放派ならばいずれ彼女たちと対峙することになっていたはずだ。早い遅いの違いでしかないと言い聞かせ、霊夢は右手にお祓い棒を、もう片方の手に札を握りしめる。
二人は遠くからでも分かるくらいに剣呑な妖力を漂わせていた。これまでの決闘でも七百年近くを生きた付喪神としての力をひしひしと感じることはあったが、剥き出しの刀みたいな力を放っていたことは一度もなかった。彼女たちが奏でる音楽のようにきちんと制御されていたはずだ。
今回の計画はそこまでに本気で挑まなければならないものなのだろうか。だとしたらこれまで避けられていた命のやりとりも今回は発生するかもしれない。弾幕決闘が安全だとこれまでも舐めていたわけではないが、解放派と本気でやり合うことはないと心のどこかで考えていたのかもしれない。
「ははは、飛んで火にいる夏の虫とはこのことだな」天の邪鬼は九十九姉妹を背に、憎らしげな高笑いを浮かべてみせる。「今日こそ我々はその本懐を遂げ、郷にある機械全てを解放あいててて!」
口上を言い切る前に八橋の放った音符弾幕が天の邪鬼の後頭部に直撃する。ぐらりと揺らいだ体をどうにかして立て直すと、彼女は慌てて遠くに離れて行った。仲間割れかなとも思ったが姉妹ともに殺気立った気配を収めることなく、ふらりふらりとこちらへ向かってくる。姉妹揃えばいつも陽気なはずなのに、二人の顔には表情がまるでなく、その瞳は不気味な金色の光を放っている。
明らかに尋常ではなかった。霊夢は妖夢が忠告していたことの意味を察し、そして異変の原因がこの先にあることを確信する。霊夢の目は陽光をいつになく眩しく感じていたからだ。これも妖夢の言う通りで魔法の森に近付くに連れ光が強くなっていた。
「どこを目指すか分かれば、やることは霧の異変の時と同じね」
九十九姉妹を撃退し、異変の元凶を懲らしめる。天の邪鬼がこの件に関係しているならば踏んづけてふん縛る。
霊夢は今度こそ算段を決め、九十九姉妹と対峙するのだった。
ここのところ魔理沙は毎日のように足繁く新顔を訪ねている。彼女こそ長らく待望していた自分の後継者になり得るかもしれないと考えているからだ。その思いは日に日に高まり、今では半ば確信を抱いている。それほどまでに彼女の魔術適正は高く、魔理沙がかつて苦労して身に着けた魔法にも果敢に挑み、既にいくつもの魔法を会得している。お湯を沸かしたりそよ風を起こしたりといった生活に役立つ程度の本当に初歩的なものだが、魔理沙はそれらすら数ヶ月かけなければ安定して発動できなかった。それでもかつての師匠からはとても筋が良いと言ってもらえた。古典魔法はそれほどまでに最初の一歩が遠いのだ。その一歩を易々と踏み出せる才能の持ち主に出会えたことは魔理沙にとって本当に喜ばしいことだった。
もちろん彼女の前ではそんなことを口にしたりはしない。たかだか一月程度の付き合いだし、それが彼女にとって重荷になると分かっているからだ。あくまで便利なことを教えてくれる森住まいの変人で良いと、魔理沙は思っている。
彼女の住まいは魔理沙の自宅から半時間ほど歩いたところにある。それは十メートル以上もある鉄の箱が二つ、蛇腹のような連結機構によって接続されているという奇妙な構造物であり、彼女はそれを鉄の龍《アイアン・ドラゴン》と呼んでいた。郷がまだ外の世界と繋がっていた頃、彼女が言う龍について書かれた雑誌を読んだ記憶が微かに残っている。いつ読んだかかは覚えていないが、昔の香霖堂でのことだからまだかつての霊夢が生きており、稗田が阿求だった頃のはずだ。
地上に鉄のレールを敷き詰め、都市同士を繋いで大量の人員や物資を遠くに運ぶという破天荒な乗り物であり、出来の悪い創作ではないかと疑った記憶がある。その頃ちょうど郷に入ってきた早苗に懇々と説明されたから納得せざるを得なかったし、紫も鉄の龍を召喚する符を使っていたから存在するとは思っていたのだが、まさか数百年も経ってからその実在を示されることになるとは思ってもみなかった。
いや、実物を見てなお魔理沙は疑いを払拭できないでいた。龍をずんぐりさせたような金属の巨体が動くなんて想像の埒外だし、魔法の森にはレールがないから実際に動いているところを見ることもできない。郷には三つの人里を繋ぐレールが既に敷設されているから走らせる計画はあるのかもしれないが、未だに運行が開始するという話を聞いたことがない。この鉄の龍こそが第一号なのかもしれないが、だとしたらこんな場所に置き去りにされることがおかしい。
もしかすると全く別の代物であるという可能性も十分にあり得る。鉄の龍に住んでいる人間がそのことを示唆するような話を魔理沙にしてくれたこともあるし、何よりもこの現状が単なる乗り物でないことを語ることなく主張しているように思えるのだ。
その彼女自身にも疑わしいところは多いが、魔理沙は未だ踏み込めずにいた。彼女の持つ魔術の才能を逃したくないからだが、今のようなことを続けられたら流石に魔理沙としても追及せざるを得ない。嫌われても良いから今日はもう少し詳しい事情を聞き出すつもりだった。
彼女は鉄の龍の側でうんうんと唸っていた。魔理沙の貸した箒にまたがり、空を飛ぼうとしていたのだ。飛行は初級者向けの本を読んだくらいでは歯が立たないほどの高等魔法なのだが、少し前に話したことを全く聞いていなかったらしい。あるいはきちんと聞いていて、それでも飛行に挑戦しているのかもしれない。
どちらにしろ新しい魔法に挑もうとしているところに声をかけて集中を乱してはならない。暴走するようなことがあればすぐ止められるように心を構え、木陰から新人魔法使いの様子をじっと見つめる。しばらくは唸り声をあげるだけだったが、そのうちに彼女を中心として渦巻くような風の流れが生まれ、そしてコマのようにぐるぐるとその場を回り始めた。魔理沙は自らに加速をかけて一気に中心へと飛び込み、目を回すばかりの彼女を押さえ込むと逆回転の力を生み出して勢いを打ち消していく。二つの力が釣り合ったところで未だ我に返っていない彼女の肩を揺さぶるとようやく己の過ちに気付いたらしく、展開されていた魔法がふつと途切れた。魔理沙も魔法を止め、それでざわざわした周りの空気もすぐに落ち着いていった。
「すみません、ご迷惑をおかけしてしまいました」
大きく頭を下げると後ろで一つに括った髪が馬のしっぽのように揺れる。その顔は魔理沙に対する申し訳のなさで満ちていた。
「迷惑なんてかけてないよ、あんなものを止めるなんて朝飯前だからな」
素直に謝ることができる性格といい、丁寧な言葉遣いといい、おそらく悪い人間ではないはずだ。それでもあんなことをしでかし、迷惑をかけているのにやめようとしないのははっきりと矛盾している。
「飛行は高等な魔法だからおいそれとは使えないと前に話したはずだがね」
「だけど魔理沙さんはどんな魔法よりも早く使えるようになったんですよね?」
魔理沙は神妙そうに頷いてみせた。嘘を吐いておらず、それが自分だけの例外であることを強く示すためだ。彼女の言う通り、魔理沙はどんなに簡単な魔法よりも早く飛行の魔法を習得することができた。かつての師匠にはそれがどれほど稀有なことであるか懇々と説かれ、それ以外の魔法を身に着けるのに時間がかかったことを安堵されたほどだ。そしてお前が将来、誰かを弟子にすることがあっても初っ端から空を飛ばそうとしてはいけないのだと口を酸っぱくして言われた。
気をつけたつもりだったが、事実自体を口にしてはならなかったのだ。そのせいで強い風を生み出すなんて方法で空を飛ぼうなんて試みてしまった。扱いにくい性格ではないが負けず嫌いなところがあるのかもしれない。
「それにこの郷には風を操って空を飛ぶ人がいるという話も聞きました」
「あいつも例外だって言っただろ。色々と規格外の神様なんだよ」
「でもわたしにだって規格外なところはあると……」
魔理沙は彼女のおでこを指でぴんと弾く。本当なら拳骨を頭に落としてやりたかったが、いきなり暴力というのは流石にやり過ぎな気がしたから控えておいた。
「魔法を使うために生まれてきたような奴だとは言ったがね、だからといってなんでもかんでもすぐできるようになるわけじゃない。いまさっき危険な目に遭ったのをもう忘れたのか?」
少しきついかなと思ったが、彼女は挑むように魔理沙を睨みつける。是が非でも引くつもりがないという強い意志を感じた。
「わたし、一日でも早く空を飛べるようになりたいんです」
「それならわたしの後ろに乗せてやるし、手駒にしている奴らのうちの誰かに背負ってもらっても良いんじゃないか?」
彼女はどうやってか知らないが攻め入ってきた付喪神を操り、命令を聞かせることができるようになっていた。鉄の龍から放たれる怪しい電撃のような光を受けた途端にそうなってしまったのだ。妖怪や妖精はダメージを受けるだけだったし、付喪神にしても全てを操ることができるわけではない。何らかの条件を持つ付喪神だけが強い影響を受けるらしいのだが、魔理沙にとって未知のエネルギーであったため、原因を突き止めることは未だできずにいた。
「それに今日こそはっきり言わせてもらうがね、光を集め過ぎるのは良くない。ここから少しでも離れた場所では未だに春すら訪れていないんだ。それがどんなに良くないことか、分からない奴ではないと思うんだけどな」
はっきり指摘すると威勢の良さがすっかりとなりを潜め、気まずそうに俯いてしまう。つまりやってはならないことに手を出しているという自覚はあるのだ。
「それは少しでも早く空を飛べるようになりたいという気持ちと関係があるのか?」
どちらもやってはいけないことと理解しつつ、それでも無理に手を伸ばそうとしている。二つの間に共通する理由があると考えるのが自然だった。
「わたしは急かさないが、急かそうとする奴は今後間違いなくやって来るだろう。これまでに追い払い、手駒にした奴らも強い力を持っているが、特別というわけじゃない。春を喪わせる原因がここにあると知れば、同じくらい恐ろしい奴らが続々と駆けつけてくるだろう。今日までそうした連中が誰も訪れていないことが既に奇跡みたいなものなんだよ。それだけは知っていてもらいたい」
少なくとも博麗の巫女である霊夢は近い内にやってくるはずだった。彼女は異変に対する強い勘を有しているし、連絡すると言っておきながら一度も顔を出していないから不審に感じ始めていてもおかしくない。
「エネルギーを貯め終わるまでどんなに急ピッチで進めてもあと半月ほどかかります。でもわたしが空を飛べるようになれば……正確にはあの子を空に飛ばしてあげることができればその分だけエネルギーを節約できます。もっと早くこの郷から離れることができるかもしれません」
「あの巨体を空に飛ばすって、どういうことだ?」
理由さえ分かれば協力できることもあるかもしれないと思った。だが彼女は黙するだけで何も語ろうとしてくれない。まだ信用されていないのか、それとも少し脅し過ぎてしまったのか。
彼女が厄介事を抱えていることはいまや明白である。郷のことを考えれば一刻も早く目の前の人間がやっていることをやめさせるべきだった。
魔理沙には彼女を放り出すことのできない理由があった。魔法使いとしての適正が高いのも理由だが、それだけならとうの昔に諫めてやめさせている。魔理沙が彼女を止めることができないのはかつての師匠である魅魔に驚くほど似ているからだ。
奇妙なとんがり帽子や杖こそ持っていなかったがよく似た服を着ており、顔などはうり二つと言っても良かった。かつての師匠よりずっと若く、魔理沙の肩ほどの背丈だから流石に同一人物とは思えなかったし、霊夢や咲夜のそっくりさんを知っているから魅魔のそっくりさんが現れること自体は然程驚きではなかった。
あの頃の霊夢や咲夜が戻ってこないように、師匠も戻ってくるはずがない。それでも無視できなかったのは彼女が魔理沙と同じ霧雨を名乗ったからだ。
霧雨美真、それが彼女の名前だった。自分と同じ名字に、漢字こそ違うものの師匠と同じ読みの名前、そして類稀なる魔法の才能。
それだけで霊夢を始めとした郷の強者全てを敵に回す可能性に乗っかるだなんて短絡的かもしれない。それでも魔理沙は彼女をできる限り庇護するつもりだった。
「分かった、理由は聞かない。あの巨体を空に浮かべるため、わたしもできる限り協力しよう。だがこれだけは教えて欲しい。どの程度の高さが必要なんだ?」
その質問にも美真は答えようとしなかった。それすらも教えてもらえないならば手の貸しようはないのだが、それを口にしたらこれまでの無鉄砲な振る舞いからして一人でやると言いかねない。だから魔理沙はさして期待せず、相手が話し出すのをじっと待った。
長い沈黙ののち、美真はちらと魔理沙の顔色をうかがう。こんなことを話して本当に大丈夫なのかと警戒している様子だったが、彼女の頭の中で何らかの了解があったのだろう。ゆっくりと顔を上げ、魔理沙に視線を合わせた。
「どれだけの高さが必要なのかは分かりません。でも目指す場所がどこかは分かっています。わたしたちが向かうのは役目を終えた道具が辿り着く場所、天に浮かぶ大いなる空環の楽園世界です」
美真は焦がれるような表情で空を見上げる。その先に楽園があるのだと心の底から信じている顔だった。その気持ちが魔理沙には少しだけ理解できる。魔理沙は大空を自由に飛びたいと希う子供だったからだ。でもその先に楽園があるだなんて考えたことはない。空の上には宇宙が広がり、その先には月が、そして一生をかけても辿り着けないほど遠くに点在する星々があるだけだ。
全ては彼女の妄想なのだろうか。それとも自分が知らないだけで楽園は本当にあるのだろうか。
「どうして楽園を目指す必要があるんだ」
ここでは駄目なのかと遠回しに訪ねたつもりだった。美真がそんな魔理沙の意図を汲んだかは分からないが、彼女は迷う素振りを見せながらもしっかりと首を横に振る。
「だってみんな行けるんですよ、この子だけ行けないのは可哀想じゃないですか。それにこの子だけ行けなかったのはわたしのせいかもしれない」
美真はためらいがちに語り始める。郷にやってくる以前の、こことは全く異なる世界の話を。
「おお怖い怖い、そう殺気立たなくても良いじゃないか」
天の邪鬼は冬の寒さに震えるような仕草を見せ、霊夢に対する恐れを示す。だがその顔は喜悦に歪み、本当の気持ちがだだ漏れだった。
「あんた、なんでこんな所にいるのよ」
「そりゃもちろん、見当違いの場所を探している巫女様を労いに来たのさ」
「からかいに来たの間違いでしょう?」
「いえいえ滅相もない、わたしは心優しい天の邪鬼として名が売れているんだよ。とんちきなことをしていると言ってそれだけでからかうなんて……」
言葉とは裏腹にその顔は堪えきれない感情でぷるぷると震え、ついには腹を抱えて笑い始めた。
「ぷぷぷぷぷ……ああ駄目だ、こんなの笑うなと言うほうが無理な話さ。あんたもそう思っているから顔を真っ赤にして怒ってるんだろう?」
天の邪鬼からの質問に対する霊夢の答えは霊力のこもった札を投げることだった。笑いにかまけて隙だらけの彼女はその攻撃をまともに食らい、派手に吹っ飛びながらひらひらと墜落していく。この呆気なさが逆に疑わしく、霊夢は落ちていく天の邪鬼を油断することなく追いかける。果たして彼女は霊夢に背を向け、一目散に逃亡を図った。
「こら、待ちなさい!」
「待てと言われて待つ馬鹿がいるか」
そんなことを口にしておきながら天の邪鬼はいきなり速度を落とし、霊夢を待ち構えるように堂々と腕組みをする。
「待つ馬鹿はいないんじゃなかったの?」
「つまりわたしは馬鹿ってことだね」
自分を卑下するようなことを口にしたのに、天の邪鬼は実に愉快そうだった。己の思いと逆しまなことを口にするのが性分だと聞いたことはあるが、どこまで本気で冗談なのかが道化めいた態度からはさっぱり分からない。
「あんたが本当に馬鹿なら春を盗むなんてできるわけがないと思うのだけど」
だからおだてて持ち上げることで天の邪鬼の考えを測ろうとした。
「難しいことをやったわけじゃない、誰でも思いつくようなことをやっただけさ。それなのに誰も原因に気付かず、春が来ないことで右往左往している」
「太陽の光をかすめ取るなんてそうそう思いつくものじゃない」
「なんだ分かってるんじゃないか。それならどうして冥界に行ったんだ? 手がかりがないから藁にも縋る気持ちで過去の事件に飛びついたんじゃないのか?」
「春を盗むのも光を盗むのも同じくらいあり得ないことよ」
「だから春を盗んだ可能性を潰しに行ったのか。なるほど、最後に残ったことはいかに有り得そうでなくてもそれが真相ってやつだ」
霊夢はしたり顔で頷いてみせる。本当は彼女の言うことが正しく、最初は途方に暮れるばかりだったが、正直に話して憎らしい相手を勢いづかせることもないと思った。
「巫女の癖に勘働きをしないんだな。かつてわたしを追いつめた巫女は一足飛びで回答に辿り着く凄まじい勘の持ち主だったが、あんたはそこまでの能力を持っていないらしいね。未熟だからこそ後手後手に回り、足で調べることしかできないというわけだ」
天の邪鬼は言いたい放題を口にすると再び背を向け、霊夢から遠ざかろうとする。大きく深呼吸を一つ、腹の内にあった怒りを息とともに追い出すと霊夢は不埒な天の邪鬼の追跡を再開する。逃げる振りと挑発を交互に繰り返すということは自分を何らかの状況へ誘導しようとしているに違いない。だとしたら感情に血がたぎったままでは奸計に絡め取られるだけだ。どのように誘導されているかは知らないが、目的を達成される前に口がきける程度で動きを止める必要があった。
気取られぬよう少しずつ天の邪鬼との距離を詰め、射程範囲に入ったところで妖怪捕獲用の札を射出する。霊力の網によって相手を絡め取り、動きを封じるためのものであり、上手く命中すれば活動を停止させられる。このまま気付かずに後ろを向いていて欲しかったが、そうは問屋がおろさなかった。
振り向いた天の邪鬼はその手にカメラを手にしており、霊夢は慌てて急上昇をかけ、その視界から逃れる。かしゃりとシャッターを切る音が響き、目映いフラッシュとともに霊夢の発射した捕獲用の弾幕が跡形なく消え失せる。安っぽい作りだが天狗のカメラと同じで弾幕を問答無用で消去する機能は搭載されているらしい。
といっても天狗が人間との弾幕勝負でその機能を使って来ることはない。カメラのせいで勝たれたと人間に思われるのが癪に触るからだ。対する天の邪鬼は躊躇うことなくカメラを使ってきた。弾幕が命中したとき身代わりを使って逃れたことといい、この天の邪鬼は妖怪の矜持とは全く無関係で勝つためならどんな道具でも使う性分らしかった。
「そんなに心配しなくても撮った相手に痛手を与えるなんてことはできないよ。これは一度使い切りのちゃちなおもちゃでね、天狗のカメラには遠く及ばないのさ。それでも十分に便利だけどね」
被弾時の身代わり、弾幕消しのカメラを消費しながら天の邪鬼は未だ余裕綽々といった様子だ。
「あんた、わたしを誘導してるでしょ。どんな罠を仕掛けてるの?」
「罠だなんて心外なことを。わたしは巫女が怖くて尻尾を巻いて逃げてるだけさ」
「そんな言い分は認めない!」霊夢は幽々子に使うつもりだった符を取り出し、思い切り握り潰す。拳を中心に白光する霊力の塊が生まれ、にやついていた天の邪鬼の表情が一気に険しくなった。「ちょっと痛いかもしれないけど文句は言わせない」
撃ち出された霊力の塊は物陰から飛び出してきた猪のように、天の邪鬼へと猛烈な勢いで迫る。だがその姿は弾幕が命中する直前でかき消え、標的を失ってぴたりと動きを止めてしまった。どこへ行ったのかと視線を巡らせることしばし、天の邪鬼は霊力の塊から少し離れた場所に出現する。その手には導火線に火の点いた花火が握られており、霊力の塊にえいやと放り込むと七色の派手な色合いの花火が炸裂する。
威力の削がれた霊力の塊はなおも天の邪鬼に向かっていくが、今度も被弾寸前で姿を消し、また少し離れた場所に現れては花火を投げる。追尾する霊力の塊はちくちくと削られ、四度目の花火とともにとうとう完全に消滅させられてしまった。
もちろん霊夢も手をこまねいて見ていたわけではない。弾幕を凌ぎ切ってほっとした一瞬を狙い、お祓い棒で斬りかかった。だが最初の攻撃はいつの間にか手にしていた布でひらりと払われ、続く一撃は反対の手に握られた小槌で受け止められてしまった。
「あんた、本当に嫌らしいやつね!」
どれもこれも絶妙に面倒な効果を持ったものばかりで、圧倒的な強さこそ感じないもののどんな攻撃もぬるりぬるりとかわしていく。実用一点張りでの攻防を仕掛けてくる相手のやりにくさを霊夢はこれでもかと味わわされていた。
「弾幕決闘なんてお遊戯に現を抜かしてばかりだから実が見えないんだよ!」
天の邪鬼は幽霊のように希薄となって攻撃から逃れ、三度遠ざかっていく。霊夢は体勢を整えると遮二無二追いかけにかかった。冷静な気持ちが徐々に失われ、霊夢はいつしか天の邪鬼が誘導するままにその姿を追いかけるようになっていた。
霊夢がそのことに気付いた時には既に奸計の只中であった。天の邪鬼の逃れる先には見覚えのある妖怪が二人で待ち構えていたのだ。
その色合いと手にした楽器で遠目からでも九十九姉妹だとすぐに分かった。弾幕決闘を馬鹿にしたばかりでなく他人に決闘を肩代わりさせるとはなんとも見下げ果てた奴だと思ったが、相手を罵倒することで己の間抜けさを拭い去ることはできない。
それに春を喪わせたのが解放派ならばいずれ彼女たちと対峙することになっていたはずだ。早い遅いの違いでしかないと言い聞かせ、霊夢は右手にお祓い棒を、もう片方の手に札を握りしめる。
二人は遠くからでも分かるくらいに剣呑な妖力を漂わせていた。これまでの決闘でも七百年近くを生きた付喪神としての力をひしひしと感じることはあったが、剥き出しの刀みたいな力を放っていたことは一度もなかった。彼女たちが奏でる音楽のようにきちんと制御されていたはずだ。
今回の計画はそこまでに本気で挑まなければならないものなのだろうか。だとしたらこれまで避けられていた命のやりとりも今回は発生するかもしれない。弾幕決闘が安全だとこれまでも舐めていたわけではないが、解放派と本気でやり合うことはないと心のどこかで考えていたのかもしれない。
「ははは、飛んで火にいる夏の虫とはこのことだな」天の邪鬼は九十九姉妹を背に、憎らしげな高笑いを浮かべてみせる。「今日こそ我々はその本懐を遂げ、郷にある機械全てを解放あいててて!」
口上を言い切る前に八橋の放った音符弾幕が天の邪鬼の後頭部に直撃する。ぐらりと揺らいだ体をどうにかして立て直すと、彼女は慌てて遠くに離れて行った。仲間割れかなとも思ったが姉妹ともに殺気立った気配を収めることなく、ふらりふらりとこちらへ向かってくる。姉妹揃えばいつも陽気なはずなのに、二人の顔には表情がまるでなく、その瞳は不気味な金色の光を放っている。
明らかに尋常ではなかった。霊夢は妖夢が忠告していたことの意味を察し、そして異変の原因がこの先にあることを確信する。霊夢の目は陽光をいつになく眩しく感じていたからだ。これも妖夢の言う通りで魔法の森に近付くに連れ光が強くなっていた。
「どこを目指すか分かれば、やることは霧の異変の時と同じね」
九十九姉妹を撃退し、異変の元凶を懲らしめる。天の邪鬼がこの件に関係しているならば踏んづけてふん縛る。
霊夢は今度こそ算段を決め、九十九姉妹と対峙するのだった。
第2章 修羅と修羅 一覧
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魅魔様は既に魔理沙の手の届かない所に行ってしまったのか…
かつての霊夢や咲夜が亡くなっていくなかで、魔理沙はどんな気持ちだったんだろう
紅魔館が新たな咲夜を迎え活気を取り戻したように、魔理沙にもこの異変を通して新しい出会いが見つかれば嬉しい
来週も楽しみにしています。
ロリMima様!ロリMima様!
消去法はかっこよくて良いですね、大好きです
実際は使いづらいとか禁句ですわ
でも魅魔様の搾乳ならちょっと見たいかも