東方二次小説

2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅   修羅と修羅 第11話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅

公開日:2017年04月13日 / 最終更新日:2017年04月13日

 わたしという存在は一体何者であり、何のために生きるのか。
 これは決して特殊な問いではなく、わたしのいた世界で人類を悩ませる普遍的な問題です。物言わぬ道具に奉仕するため生まれてきた種族であるにしては人類はあまりにも邪で、悩ましく、短命で、そしてプライドが高過ぎるからです。
 人類の大半は道具へのたゆまぬ奉仕を、いずれ円環世界へと巡礼する存在になるための、種族総体として積み上げなければならない業のようなものと考えています。またそこから発する規範によって社会が形成されています。人類の楽園があると考える一部の国や地域以外ですと、人は子供の頃からあらゆる場で道具とのあるべき関係について説教されます。人類は一生のうちに課せられたノルマを達する義務があり、怠るものは連綿と続く人類の営みを否定する悪徳そのものである。あらゆる人間はこのノルマのもとに平等であり、人間の幸福もまたそこにある。やがて楽園に辿り着く我らは幸いの生き物である。
 ですが人は短命であり、また近視眼的でもありますから一生を超える巨視的なサイクルに思いを巡らせるのは苦手です。そもそも奉仕の日がいつまで続くかもよくは分かっていないのです。これは教派によっていくつかの説があり、人類が初めて道具を作った時から一万年後である、八八八八年の奉仕が必要である、五十六億七千万年後という途方もない数字を唱える教派もいます。どの教派にも言えるのはとんでもなく遠い未来の出来事であり、今を生きる人にはほとんど関係がないということです。
 命が喪われればただただ無だけが待ち受ける。それでも大半の人間は教えに従ってそれを受け入れたまま死んでいきます。教えとはいわば虚無に耐えるための術であり、そのために巡礼教団はその下僕である巡礼者を各国各地に置いています。けれども人の心は必ずしも画一的ではありません。虚無に耐えられず命を断つもの、人の楽園を唱える国へ逃げ込むもの、精神を病んでしまうものは一定数生まれてしまいます。
 わたしはそのどれでもありませんでしたし、そもそもいくら奉仕を続けても人類が巡礼に足る存在になるとは考えていませんでした。では人類の楽園を信じていたかというとそうでもありません。わたしのいた世界には第三の流れが生まれつつあり、その教えを信じていたのです。
 人類は道具のように生きるべきである。奉仕ではなく生の在り方こそ楽園へ至るための道なのだ。
 非常にシンプルで、しかしとても難しい生き方です。そして巡礼教団の教えに真っ向から反発しています。だからその教えは生まれるたびに叩き潰されてきました。ですがわたしの生まれる百年ほど前から、その教えはいわゆる科学者と呼ばれる者たちを中心に少しずつ広がってきていました。彼らは人類の楽園を信じる者たちと異なり、国や地域を作らず草の根でその規模を拡大してきました。第三の教えを実行する者たちは皆が忍耐強く親切で、ノルマなどなくても一生懸命に取り組むから異端の考えであっても無視することができなかったのです。
 それに巡礼教団内部の問題もありました。道具への奉仕を一義としながらノルマを金で売り買いすることが横行していたのです。歴史を見れば定期的に発生する腐敗なのですが、これまではそのたびに信仰が正されました。道具たちの楽園は実際に観測することが可能だったからです。実存よりも強固で確かな信仰はありません。
 百年ほど前に始まった運動が一過性のもので終わらなかったのには腐敗の横行よりも大きな理由がありました。提唱者が光素、つまり道具が楽園へ向かう推進力となる素粒子を突き止めた科学者本人だったのです。

 実を言うとわたしが信じていたのは第三の教えではなく、その科学者なのです。両親は巡礼教団を信じて疑わない人たちでしたから、わたしは彼の書いた本を家の外でこっそりと読まなければなりませんでした。もちろん全てを打ち明けられる友達なんていません。
 わたしがいつも通っていたのは道具の墓場と呼ばれている場所でした。
 道具には楽園があると言いましたが、全ての道具がそこへ行けるわけではありません。光素を吸収できるようになる前に壊れる道具が大半です。これはわたしの世界でも単に捨てられるだけですし、あまり特別視はされません。人類の業にとって重要なのは光素を取り込み、自ら動き出す道具を生み出すことなのです。
 光素を吸えるようになればほとんどの道具は楽園に行きますが、稀に行けないものが現れます。何故か光素を吸うことをぴたりとやめてしまうのです。巡礼教団はその理由を自我の重力と説いています。人類への愛着がより高貴な存在である道具の心を惹き、その優しさゆえに楽園行きを止めてしまうのだと。自ずから動き出した道具は、だから人が決して立ち入ることのできない禁区へと放たれます。禁句からは毎日のように道具が楽園へと向かい、わたしたちはそれを日常の光景として受け止めています。
 道具の墓場はその逆で、光素を吸うことをやめた道具が永遠に地上へ留まり続ける場所です。
 太古から現代に至るまで、光素を吸うことをやめた道具は決して朽ちることはなくなります。過去に破壊を試みた例は数多くありますが、いつのまにか元通りになるのです。 楽園の所有物となりながら地上に留まり続ける道具たちはしばしば罪の象徴として捉えられ、忌み嫌われてきました。彼らはまた別の禁区へ送られますが、巡礼教団の教えに従順な人たちは誰も近寄ろうとはしません。人の目が触れなくて良いよう高い塀に囲まれ、夜の暗さに紛れて密かに運び込まれます。入口には鍵がかかっていますが上等なものではありません。厳重な戸締まりや監視システムなどなくとも罪の証に近寄ろうとする人なんて誰もいないのですから当然のことです。
 わたしはその墓場に入るための鍵を持っていました。数年前に大往生を果たした曽祖父……曾曽祖父だったかもしれませんが、それくらい長く生きた人でして、その人が死ぬ前にわたしにくれたのです。これは永遠へ至るための鍵だ、お前が持つのが相応しいと言われて困ってしまったことを思い出します。
 塀の中は生きた世界があることを疑うほどに、しんと静まり返っていました。そして何もかもが朽ちず、永遠に残っていたのです。かの科学者が書いた通りの光景でした。
「雨にも負けず、風にも負けず……」
 わたしは思わず科学者が書いた本の一節を諳んじていました。彼は幼い頃、偶然からこの光景を目撃したそうです。そしてそれは彼の一生を決定づける原風景となりました。後年になって彼は科学詩集なるものをいくつか発表したのですが、墓場をモチーフにした作品はとても多いです。彼はそこを墓場ではなく廃園と読んでいましたが。楽園に対比する言葉としてそれを選んだのでしょう。
 時が止まったようなその場所はわたしにとって居心地の良いものでした。その中でも特に好んだのが古い電車の中です。白色と萌黄色の塗装が施された二両編成で、雨の日でも中に入れば濡れることなく読書ができました。
 わたしは本が好きでした。どんなジャンルの本でも貪るように読みましたが、やはりわたしの心を捉えてやまなかったのは光素を発見した科学者の詩集や物語でした。卓越した言葉への感覚、凄惨とも言える自己犠牲の精神、幾度となく加えられ削り取られた作品ゆえに持ち得た独特の陰影、そのどれもが魅力的で、彼の作品たちは夜空にきらきらと瞬く星々の一つ一つでした。
 ただ一つだけ相容れないものがありました。彼は春を呪うものでありました。一般的に春は寒さによって眠っていた多くの生命が目覚め、そして光素の勢いが最も増す恵みの季節です。いくらわたしでも春を厭い呪うようなことはありませんでしたし、彼の最も奥深くにある暗闇を、わたしは長らく覗くことができませんでした。
 わたしがその一端を垣間見たのは中学二年の冬から春にかけてのことです。
 わたしの世界では素養に応じて職業がピックアップされ、その中から一つを選ぶことが義務付けられています。だから学業で結果を出すのはとても重要です。色々と抜け道や裏口はあるらしいのですが、わたしはとびきり裕福な家庭の生まれというわけではないからちゃんと勉強しなければなりません。幸いにして勉学は苦ではなく、目標に向かうことへの努力も難なく受け入れられました。少なくとも悪い生徒ではなかったと思います。このまま学を積み重ね、己を律すればわたしはきっと科学者になれるはずでした。
 それなのに胸をつくのは名状しがたい不安でした。意味もなく涙が出ることも幾度となくありました。女性特有の情緒不安定を疑ってもみましたが、計算が合いません。生理現象とは全く関係のない不安でした。死を願うわけでも絶望したわけでもありませんが、わたしはいつしかこの世界からどこか遠い場所へと旅立つことを願うようになっていました。
 その心に応えたのか、それとも偶然だったのかは分かりません。わたしの乗っていた電車が光素を再び吸うようになったのです。突然にがたごとと揺れだしたので、すわ地震でも置きたのかと酷く慌ててしまったことを覚えています。そして何が起きたのか気付き、別種の驚きがわたしを満たしました。光素の吸収を一度やめた道具が再び吸い始めるなんて滅多に起こらないことだからです。かの科学者はこの現象を観察したことがあり、そこから光素の研究が飛躍的に進んだというようなことが書かれていましたから、然るべき科学者に連絡する案件ではありましたが、わたしはそれをしませんでした。ある企みが胸中を占めるようになっていたからです。
 レールがないから高速で動くことはできません。舗装すらろくにされていない地面をのそのそと進むその姿はまるで年老いた蛇のようでした。最初こそ揺れの大きな車内は落ち着きませんでしたがすぐに慣れましたし、そうすると巨体を持て余している様子にも愛嬌みたいなものを感じるようにもなりました。
 冬の光にも拘らず、それは徐々に力を漲らせていきました。半月もしないうちに空を飛べるようになり、わたしが墓場にやってくるとすいすい近付いてきてわたしを乗せてくれるようになりました。光素を吸った道具がやがて飛行を覚えるというのは幼い子供でも知っていることですが、実物を間近で見たのは初めてでしたから思わず面食らってしまいました。これまでは楽園に上がっていく道具を遠くから見るか、テレビ番組でディスプレイ越しに見るかのどちらかでしたから。
 それを鉄の龍《アイアンドラゴン》と呼ぶようになったのはその頃からです。それはもう蛇のように地を這う獣ではなく天翔けるもの、楽園へと向かうものであったからです。だから想像上の生き物の名を当てはめるのが正しいように思えました。そしてそれは希望でもありました。
 想像上の生き物ならば、わたしをここではないどこかへ連れて行ってくれるのではないか。
 先程わたしは虚無にも、人の楽園があるという信仰にも与することはないと言いましたが、もっと大がかりで冒涜的なことを企んでいました。それは鉄の龍の力を借りて道具の楽園へと到達するという考えでした。かの科学者が書いた小説のように、わたしは銀河鉄道の夜を往くつもりでした。
 少しばかりの自惚れもあったのでしょう。何も言われなければひたすらに黙々と、やるべきことにだけ邁進できる自分はまるで道具のようだと考えていたことは確かです。
 ですがその企みは一つの過ちによって崩れてしまいました。季節の変わり目で体調を崩してしまったというのに、無理をして鉄の龍に会いに行ったのです。それはいつものようにわたしに近付いて来ましたが、朦朧とした意識のせいでつまずき、受け身を取ることすらできず盛大に転んでしまいました。わたしはそれの目の前に躍り出るような形となり、一つの行動を誘発しました。
 危ないという判断がくだされたのでしょう、注意を喚起しなければとも。その意志はけたたましい警笛となって辺りに響き渡りました。この音では大人たちはすぐに気付いてしまう。光素の吸収を再開した道具は同様の症状を持つ道具を治すための研究材料にされ、きっと楽園から遠ざけられてしまう。もしかすると解体されることもあるのかもしれません。かつてかの科学者が見出した症例は、全ての研究が終わると最終的に道具の楽園へ昇ることができました。世界中で祝福されたその出来事が今回もまた起きるとは限りません。彼はもういないのですから。
 それだけのことを一時に考えられたわけではありません。恐怖と体調不良がないまぜになり、鉄の龍の中で蹲って震えているうち少しずつ浮かんできたものでした。わたしが余計なことを考えなければそれは楽園に行けたのです。わたしが邪魔をした。わたしさえいなければ良かったのに。
 気付けばいつの間にか大声で泣いていました。喚き散らしてもどうにもならないということは分かっていたのに、それでも涙が、悲しい気持ちが収まりませんでした。そしてわたしは道具でもなんでもない、普通の人間だということを知りました。
 わたしはそういうものにはなれないのです。
 失意と悲しみがないまぜになったまま、わたしはいつの間にか眠りについていました。そして次に目が覚めたとき、全く異なる場所にいることにすぐ気付きました。辺りは樹木に覆われ、そして得体の知れない気配が満遍なく漂っているのです。
 ここがもしかして道具にとっての楽園なのかなと思いました。だが鉄の龍はうんともすんとも言いません。そしてここの空気はわたしにとってとても息苦しいものでした。体調不良も重なり、わたしは外に出るのに全力を振り絞らなければなりませんでした。
 来てはならないものが道具の楽園に訪れたから罰が与えられたのではないか。そんな考えがふと頭を過ぎり、わたしは這うような動きで必死になって電車の外に出ました。吸うごとに喉を灼くような痛みを与える大気にも少しずつ慣れ、どうにか足に力を込めて立ち上がろうとしたのです。罪を贖わなければならないのなら、罰を与える存在を探し出さなければならないからです。
 貴方と出会ったのはちょうどそのような時でした。

 これから退治する相手の事情など聞かなければ良かったなと今更ながらに思ったが、手厚く介抱を受けた矢先に話す気満々とあればそれを押し切って家を飛び出すわけにはいかなかった。正確にはできなかったと言うべきだが、魔理沙はそんな霊夢の心を読んでするりと情け心に訴えてきたのだ。
 それでも見逃す気は毛頭起きなかった。個人的な理由で春を一ヶ月以上も遅らせただけでも許されるものではないし、更に一週間ないし半月待てなどという要望が聞けるはずもない。既に様々な場所で限界が来ている現在、一秒でも早く光の簒奪を止めなければならない。
「せめてもっとゆっくり進められなかったのかしら」
 何年も何十年もかけて光を集めてくれればこんなことにはならなかったはずなのに、実際は各地に混乱をもたらしている。魔理沙の話を聞く限り、異世界に飛ばされて動転することはあるにしても、分別を外すような性格とはとても思えなかった。
『きっと思い詰めたらとことんってタイプなんだろう。思い当たる節があるから分かるよ』
 霊夢は魔理沙の顔をじっと見たが、誤魔化すような笑いを浮かべるだけだった。おそらく自分に似たタイプだということを魔理沙は考えているのだろう。それに加えて姓が同じ、しかも稀有な魔法の才能の持ち主とくれば肩入れしないわけがない。
「それにしても霧雨美真、ねえ……」あからさまなほど魔理沙を手玉に取るのに都合が良い名前だ。偽名ではないかという疑いが頭をもたげるけれど、この世界の常識を知らないふりをしているのだとしたら流石に魔理沙も怪しいと感じたのではないか。あるいは冷静な判断ができないからこそ外部の裁定者が現れるのをじっと待ったのかもしれない。「だとしても一月も待つことはないでしょうに」
 妖怪というやつは長生きできるせいか時間感覚が適当過ぎて困る。あと少し待ってで数日待たせるし、最近が数ヶ月前や数年前だったりすることもざらにある。一日一日が人間にとっては大事だし、こんな事件ともなれば尚更なのに。
 わだかまりが胸の中からいなくなってくれないのがきつかった。かつて霊夢を名乗った博麗の巫女は妖怪に対して正に問答無用であったと聞いているが、これは迷いがなかったのもあるが余計な情けをかけないという思いもあったのかもしれない。自分も悩むことなく全てに邁進できれば良かったのだが、残念ながらそんな性格には生まれつかなかった。
 それに霊夢にはもう一つ、憂慮していることがあった。魔理沙との勝負で気を失っている間に夢を見てしまったのだ。こことは異なる世界、道具だけが楽園となれる世界で鬱屈した悩みを持った少女が楽園に憧れ、そして失敗するという夢だった。彼女は朦朧とした意識のまま、最後はぼんやりとしたシルエットに助けられていた。それは霊夢にとってとても見覚えのある魔法使いの姿だった。
 これはもう勘というよりお告げに近いものがあった。いま向かっている所に答えがあるのにあんな夢を見ても仕方がないのだけど、もしかすると何かの意味があるのかもしれない。だが、その意図が何であるのか霊夢には全く見当もつかないのだった。
 突如として森の瘴気が和らぐのを感じ、霊夢は思索をやめて装備を構える。霖之助からもらった装備は魔理沙との決闘でほぼ使い切ったが、未熟どころか魔術をかじって一月程度という話が本当ならば、威力が高くて力をごっそり持っていく術具なんて使う必要もない。奇妙な鉄の龍が放ってくる光も影響は付喪神限定であり、警戒する必要はないと言っていた。それでも決闘に持ち込めるよう準備をしたのは相手が未知数であり、そこはかとなく嫌な予感が募り始めていたからだ。
 警戒を取りながら歩くことしばし、魔理沙の言う通り開けた場所が急に姿を現した。魔法の森に点在する広場は出現の予兆みたいなものがあるのに、そうしたものをまるで感じなかったのだ。目眩ましのようなものが周囲にかかっているのかもしれない。少なくとも手がかりなしではすぐには見つけられなかっただろう。
 そこには龍と表現するに相応しい巨大な鉄の箱が横たわっていた。人が大勢住む土地同士をレールで結び、大量の人員や物資を高速で移動する装置と説明されていたが、こうして実物を見るまではその姿がちっとも思い浮かばなかった。だがこうして目の前に存在する鉄の箱を見ればその用途はなんとなく推察できた。車輪が付いているのは地面に敷設されたレールを滑るためのものに違いない。
 大昔には木の丸みを利用し、墳墓を建てるための大きな石を延々と引いていったと言う。そのために使われたそりを修羅と言ったらしいが、これはさしずめ自動的で無機的な現代の修羅なのだ。
 郷にはこのような車輪付きの乗り物を走らせるためのレールが敷いてあり、いつまで経っても何かが走る兆しすらなかったが、こんな巨体がぞろぞろと走るようなことになれば周辺に住んでいるかもしれない妖怪や妖精を刺激しかねない。しかもその姿は郷においてさえ幻想とされている龍に姿が似ているとなれば、運行の目処が立たないのも納得というものだった。
 ところどころに緑のラインが入った白い巨体は微動だにせず、頭上から降り注ぐ光をただひたすらに吸っていた。だから郷中の光を集めているにも拘らず、ここは周囲よりほんの少しだけ明るい程度だ。この鉄の龍が異変の元凶であることはほぼ間違いないが、こんなものをどうやって止めれば良いのかは一寸見当がつかなかった。
 先日遭遇した歯車の塔は付喪神が顕現して逆に御しやすくなったけれど、似たような現象がこの鉄の龍にも起こっている可能性は考えられる。魔理沙は見かけていないと言っていたがこれだけの巨体なら中に隠れていることもできるし、例の霧雨を名乗った少女がもしかしたら電車の付喪神なのかもしれない。
 考えているだけでは埒があかないし、待っていても誰かが姿を現す様子はない。かといって馬鹿正直に声をあげ、中にいるかもしれない誰かを警戒させる気にはならなかった。それに歯車の塔を懲らしめようとしたとき突如としてやってきた不審者が再び姿を現し、鉄の龍に妙な力を授けないとも限らないし、もしかすると既に授けた後かもしれない。
 霊夢は意を決し、構えていた針を警告なしで鉄の龍に向けて投げつける。これで効き目があれば話は早かったのだが、一番脆そうな窓ガラスを狙っても表面すら傷つけることができず、あっさりと弾かれてしまった。続けて札を当ててみたが、表面に貼りついただけで反応はまるでない。
 博麗の力が及ぶ代物ではなく、物理的に対処しなければならないものだとしたら骨が折れることこの上ないし、素直に壊されてくれるとは思わない。それでも一撃くらいは加えてみようとお祓い棒を構え、刀身を生み出せるよう意識を集中する。霖之助の渡してくれた札の数は心許ないが、それでも普通の刀身程度なら数度は顕現させられるし、あの札を使えば金属に通用する霊気の剣を生み出すこともできるはずだ。
 窓ガラスを狙うつもりで剣を生み出そうとしたとき、水蒸気の噴き出すような音がして、緑色のドアが横にスライドする。中から出てきたのは霊夢より年も背丈も一回りほど小さな少女だった。いかにも魔法使いが身につけるような青いローブをまとい、手には箒が握られている。瞳は強い警戒心に彩られ、霊夢にじっと注がれていた。
「あんたが魔理沙の言っていた異邦人なのかしら?」
 できるだけ穏やかに問いかけたつもりなのだが、箒を持った少女はうんともすんとも言うことなく唇を噛みしめるだけだ。怪我を負った獣のように警戒心と猜疑心で心の中がはちきれそうになっているのが一目見ただけで分かる。
 足取りは覚束なく動きは隙だらけ、脅威を目の前にしているというのにあまりにも無警戒だった。彼女は荒事にまるで慣れていないばかりか、戦うということすらこれまでに一度も考えたことがないのかもしれない。
「だと……だとしたらあなた、ど、どうすると言うの?」
 虚勢を張ろうとしたのだろうが声は震え、どもり、不明瞭だった。霊夢に並々ならぬ恐怖を覚えており、それはつまり彼女が霊夢の素性を察しているということでもある。きっと魔理沙が前もって話しておいたのだろう。だとしたら説明の手間が省けるというものだった。
「光集めを今すぐやめなさい。さもなければ後ろにいる傍迷惑な機械を力ずくでも停止させることになるわ」
 霊夢の指摘に少女はあからさまに目を逸らす。悪いことをしているという自覚はあるようだが、それでも意志を曲げなかったのなら尚更のこと性質が悪い。悪人よりたがの外れた善人のほうがときに残酷なことをするのだということを、霊夢はこの年で少しばかりは理解している。彼女もきっと同じような理屈を操っているに違いなかった。
「それは悪いと思っています。でもあと少しなの、わたしのせいで楽園にいけなかったこの子にもう一度機会を与えたくて……」
「そのせいでこの郷の春は目覚めることができないのよ」
 少女は頑なに首を横に振る。身勝手なことをしているという自覚はあるし、多くの人間に迷惑をかけていることも分かっている。理解できていないはずがないのにどうして怯えているのか、あり得ないと言わんばかりに否定しようとするのかが霊夢には理解できなかった。
 異なる世界からやってきた彼女には霊夢に見えない何かが見えているのかもしれない。だとしてもやはり冬を間延びさせるこの行いを許す気にはなれなかった。
「だからわたしはそれを止める必要がある。光素とやらの吸収を止めるようあんたに力ずくでも命令するし、そもそも命令の仕様がない、鉄の龍とやらが勝手にやらかしていることならば壊してでも止めないといけない。それがわたしの役目だから」
 少女はもう一度、首を横に振る。そんなことをしてはいけないと訴えているのだろう。だがそれで止まるわけにはいかない。彼女もそれが分かっているからこそ、箒を強く握りしめる。縋るためではなく力として使うために。
 魔理沙と対峙したとき味わった恐怖をいま彼女も味わい、克服しようとしている。こんな状況でなければ少しは感心したかもしれないが、立ち直られてはこちらが困る。
「霧雨美真、だっけ?」
 霊夢は少女の名前をフルネームで呼ぶ。名を呼ぶことでお前の正体を知っているのだと相手に示すためだ。しかし彼女は名前を呼ばれたというのに少しの間ぼんやりとしており、慌てて何度も頷いた。偽名ではないかという疑いが更に強まったが、今はそれを問い質す時間ではない。戦意を挫いてできれば穏便にことを運びたかった。
「わたしがここにいるということは、魔理沙を倒したってことよ」本当は半分見逃してもらったようなものだが本当のことを話すいわれはない。「色々と魔法を教えてもらったようだけど、わたしはそんな魔理沙よりも腕が立つのよ。万が一にも勝ち目はないと思って頂戴」
 まるで悪役だなと思いながら、霊夢はお祓い棒に力を込めて霊気の剣をなす。霖之助にもらった札は使わずいつも通りの出力だが、威嚇するだけなら十分だった。
 対する美真の行動は竜巻状の風をいくつも周囲に浮かべることだった。彼女の周囲にも渦を巻く風が取り巻いており、じりじりと遠ざけられるような圧力を微かに感じる。だが実際に吹き飛ばされるほどではない。どんなに地面を踏みしめていても問答無用で大空に巻き上げられる神の風を霊夢は知っている。
 そんなもの恐れないとばかり、霊夢は一歩前に出る。竜巻は威嚇するようにごうんごうんと派手な音を立てるが、子供騙しも良いところだった。
「そんな風、手品でも生み出せるわ」歩を早め、徐々に距離を詰めていく。あと数メートルというところまで近付いても、それでも美真は竜巻を浮かせたまま何もしてこない。もうすぐ霊剣の間合いに入るというのにそれすらも気付いていないのだ。「何もして来ないなら怖がってあげることさえできないのよ!」
 更に歩を早めると美真はようやく竜巻を一つ、霊夢に向けて飛ばしてきた。でも正直にまっすぐ飛んでくるだけだから、僅かに身をかわすだけで事足りた。一つでは足りないと今更分かったのか残りの竜巻を放ってきたが、今度は狙いすらも出鱈目で、かわす必要すらなかった。様子見は終わりと判断し、霊夢は一気に間合いを詰めて美真の周囲に渦巻く風を霊気の剣で断ち切った。普通の風ならそんなもの効かないが、魔力を帯びた風の流れはぴたりと収まり、魔力の残滓がぱちぱちと音を立てて弾ける。
 それだけで美真は怯み、後ろに下がろうとしてバランスを崩し尻餅をつく。弾幕決闘はおろか体を鍛えることすらしていないし、咄嗟に受け身すら取ることができない。思わず手を差し伸べたくなるくらいだったが、代わりに霊気の剣を突きつけて冷たく見下ろす。そんなことしても迫力はないとよく言われるが、魔法という力を知ったばかりの少女には覿面に効果があった。
「さあ、鉄の龍に光を吸うのはやめるよう伝えなさい」
 できないと言うならば鉄の龍を壊す作業に移行するつもりだった。
 美真は人形のように箒を抱えながらも、霊夢を見据えようとする。だが視線は微かに逸れ、真正面から向き合わなかった。だから霊夢の目も美真ではなく鉄の龍に向けられる。霖之助からもらった札を取り出し、より大量の霊気を込められるように結界を構築するつもりだった。
 ごうん、と凄まじい音が響き、竜巻の柱が生まれて一気に立ち上る。美真はその流れに押されて一気に空中へと舞い上がる。なんて無茶な飛び方だと思ったのも束の間、霊夢は嘆息とともに彼女を追いかけていた。空を飛んだのではなく魔法で生み出した風に翻弄されているだけだと分かったからだ。竜巻に右往左往し、弾き出されて何もない空中へと放り出されてしまった美真はすぐに落下を始める。箒にしがみつき、落下する恐怖のために耳がきんきんするような大声を張り上げたが、それで落下が止まるわけではない。霊夢は弁々を受け止めた時みたく下に回り込み、落下の衝撃を受け止めながらキャッチしようとした。
 だが予測した重みはいつまで経ってもやってこなかった。美真は箒にしがみつくような格好で空を飛んでいたからだ。足をばたばたさせ続けているからどうやって空中に浮いているかにすら気付いていないのだろう。魔理沙が箒に力を込めているのか、それとも彼女自身の魔力で飛んでいるのかは分からないが、どちらにしても単純に落下するより危険な状態になっている。
「あんた、もう少しじっとしてなさい。わたしが下ろしてあげるから」
 いつ箒から手を離すか分からないから速度を上げて近付くと、美真はまるで怪物から逃れようとするように明後日の方向へと飛んでいく。恐慌に駆られた心が反映されるということは、あの箒は彼女自身の力によって動いている可能性が高い。それは霊夢にとってあまり歓迎できないところだった。彼女は魔力を使い果たすまで延々と霊夢から逃れようとするだろう。少しでも距離を取られた状態で墜落を始めたら霊夢の救助は間に合わず、地面に叩きつけられてしまう。
「こら、逃げるな! さっさとその箒を止めなさい!」
 ろくに使えもしない魔法が暴走した結果だから放っておいても良いのだが、目の前で墜落されるのは人間であれ妖怪であれ良い気持ちにはならない。それに彼女は鉄の龍を止める方法を知っているかもしれない。叩き壊すよりはそのほうが早いし、穏便に話を収めることもできる。
 理屈では分かっているのだが、近付くたびに逃げられるのは流石に苛々する。しかも少しずつ慣れてきたらしく、ふらふらしていた動きが次第にしっかりとした軌道を描くようになってきた。しがみついていた箒にまたがり、まだ少し戸惑っているようだが、コントロールができるようになってきている。彼女はこの短い時間で空を飛ぶことに慣れようとしているのだ。天才という魔理沙の評にも頷けるものがあった。
 もしかしたら自力で着陸できるのではという霊夢の安堵を挫くように、美真は氷柱のような尖った氷を周囲に展開させる。実力の差は最初に見せたのに、飛ぶことを覚えたくらいで再び挑みかかろうとしている。
 どうしてそこまでするのか霊夢には理解できなかった。道具が彼女にとって敬うべきものだから必死なのだろうか。霊夢の頭にふと浮かんだのは郷に存在するいくつもの信仰であり、教えを守るものたちの強さだった。
 彼女もまた信仰によって強さを獲得しているのだとしたら、真っ向から勝負を仕掛けてそれを否定するしかない。そしてそれは霊夢の得意とする分野だった。博麗神社に特定の神がいないのは、信仰がないという信仰を知らしめるためだからだ。
 出鱈目ではなく狙いすまされた氷の射撃はしかし、竜巻の弾幕と同じで霊夢にとってあまりにも正直過ぎた。迫り来る弾を今度も僅かに身をそらしてかわし、追尾してこないことを確認すると再び距離を詰める。美真は大量の氷柱を生み出し、間髪入れずに投射してきたが、今度はかわすことなく前面に展開した結界でまとめて受け止める。先日遭遇した氷の妖怪に比べれば数も質もまるで足りていない。
 霊夢は結界を維持したまま体当たりを仕掛ける。氷柱が三度生み出されるが、それでも結界にほんの僅かでも傷をつけることはできない。美真はどうやっても打ち倒せないものが迫り来る恐怖を顔一杯に浮かべていたが、霊夢は容赦する気などなかった。このまま結界を打ち付けて吹き飛ばすつもりだった。
 速度は十分に抑えてあるから激突しても大怪我をすることはないし、落下したら結界を解いて追いかけ、受け止めてやるだけで良い。腕の中でじたばたもがいても、その時は身体を強化して抑え込めば良いだけのことだ。
 これで抵抗はおしまい、あとは鉄の龍をどうにかするだけだ。
 そんな霊夢の思いを断ち切るように、雄叫びのような音が辺りに響き渡る。鉄の龍がいる所から聞こえてくるその音はあらゆるものへの怒りを表明しているかのように騒々しい。そして一度ではなく何度も繰り返され、そのたびに辺りが徐々に暗くなっていく。雲でも出てきたのかと思いながらふと空を見上げ、霊夢は思わず己の目を疑う。
 太陽がまるで日食のようにぽっかりと欠け、黒く塗り潰されていた。そして目を向けていられないほどの光が魔法の森へと降り注ぎ、一際大きな警告の音が鳴り響く。
 光は徐々に小さくなっていき、やがて夜と同じような暗闇が訪れる。星々の瞬きがはっきりと見えるようになり、そして明暗に戸惑う霊夢を更に翻弄するよう、森の中からずんぐりとした巨体が姿を現した。
 それは電気由来の無機質な光によって内側から光り出すと同時に警告の雄叫びをあげ、一直線に霊夢めがけて突進してくる。慌てて上空に逃れ回避することはできたが、距離を取っていてもその圧力に霊夢は危機感を覚えずにはいられなかった。
 あの巨体なら正面衝突すれば間違いなく無事では済まないだろうし、かすっただけでもあらぬ方向へ吹き飛ばされるに違いない。
 鉄の龍は伏することをやめ、いまや自在に天翔る存在となっている。そして霊夢の行いに怒り、巨体そのものを弾幕として襲いかかってきたのだった。

感想をツイートする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

一覧へ戻る