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2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅   修羅と修羅 第9話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅

公開日:2017年03月30日 / 最終更新日:2017年03月30日

修羅と修羅 第9話
 生けとし生きる者全てに天国はない。
 多くの国において知的生物たる人類が最初に知ることの一つです。
 天国に行けるのは寿命を全うした道具だけなのです。いくつかの国や地域では生き物にも天国があると主張する宗教が幅を利かせていますが、総じて真剣には受け止められていません。何故ならば生き物の天国を見たことがある者はただの一人もいないからです。だからこの世界には生き物の天国だけがあり、道具の天国がないと知った時には酷く驚かされました。わたしがいた世界とは全く異なる法則ないし原理がこの世界には根付いているのかもしれません。あるいは科学の手だと決して捉えることのできない世界の側面があるとのかもしれません。
 わたしがいた世界の科学者たちの中では、無数の枝葉を伸ばす可能性の大樹は同一の法則をもって構成されていると考えるのが最も妥当であるという意見が大勢を占めています。てんでばらばらの法則では大樹はその形を保つことができず、ひどく歪な矛盾だらけの代物となってしまうからです。そうした一貫性を無視する平行世界は科学ではなく幻想の見地に書かれることが多いですね。例えばわたしの世界にはアイザック・アシモフというよく名の知れたファンタジー作家がいまして、彼の書いた「神々自身」という作品は科学の発達した世界と魔法の発達した世界を繋ぎ、それぞれの世界で基盤となっている力を交換することで永久機関を実現するという破天荒な設定が売りでして……。
 神々もリュックサックみたいな名前の作家もどうでも良い? 早く本題を話せですか、すみません。前提もなしに突拍子のない話を始めるのは悪い癖だとよく言われるものですから、できるだけ詳しく語ろうとしたのですが……。
 では話を戻しますね。わたし個人の見解としては、二つの世界は同一の法則や原理によって成り立っていると考えています。わたしがこの世界に来て普通に生きていられることもそのことを示しているように思えます。もし二つの世界がまるで異なる法則によってできているのだとしたら、わたしはおそらく生きてはいられなかったでしょう。もしかするとまるで異なる形として現出し、知性の発露もなかったかもしれません。
 それにしても使用している言語まで同じというのはなんだか不思議な気もします。そこまで接近した平行世界であるとは思えなかったもので。文明程度はわたしがいた世界より大分遅れていますし、何よりも空を飛ぶ機械が全く見られないのは実に奇妙です。よほど強い宗教的タブーがあるのか、それとも飛行機械すら容易く撃ち落とすほどの強力な飛行生物がいるのか。鳥類は空を飛ぶことに特化している場合が多いため、必要以上に大きくなることはほぼないですし、文明を築く知性を得るための脳容量も持てないんですけどね。
 それに先程も言いましたが、この世界には道具のための天国がありません。太陽は光素《エーテル》を放射しているのに、これもなんだか不思議なことです。
 いいえ、光素とは魔力などというファンタジーに出てくるような代物の一形態ではなくれっきとした世界の構成物です。その存在がはっきりと観測されるまでは暗黒物質と呼ばれていたこともありましたね。実在することははっきりしているのにいかなる観測装置にも捉えることができず、長く使われてきた道具のみが利用できるいわば特権的な物質と考えられてきました。わたしの世界だと使い込まれた道具はいつしか光素を吸収することを覚えます。その力によって自らの意志を持ち、固定された役割から徐々に外れ、そして最後には楽園の円環世界……すなわち道具たちの天国へ至るのです。
 楽園とは空の先、分厚い大気の壁を超えた遥か彼方、太陽をぐるりと囲む環状の巨大構築物のことを指します。国際的な正式名称はグランドオービット、日本では環状構築物に暮らす道具たちの生活を描いた人気ファンタジーシリーズの影響でリングワールドと呼ばれることが多いですね。
 我々人類は太古の昔、道具を使い始めた頃から道具を天に送り返し続けてきました。人類は道具を作るために生み出された生き物であると、わたしも幼い頃から言い聞かされて過ごしてきました。円環世界に昇ることこそ道具にとってのまことの幸いなのだとも。
 人間はそのためならば、その身を百度でも火の中に投げ入れるべきなのです。
 だからこそわたしはあの鉄の龍を何としても、天に返してやらなければなりません。

 魔法の森に近付くと身を切るような寒さが一変し、暖かな陽気をはっきりと感じられるようになった。花は所々で綻びかけ、もういつ春を告げる妖精が現れてもおかしくないほどだ。日差しは夏の晴天を思わせるほどに眩しく、光を集めているという非現実的な現象が確かに発生していることを霊夢の目にもはっきりと理解できた。
「もしかしたら気付いていないかと思ったけど」
 これだけはっきりと変化が現れているならば何も気付かないはずがない。魔法の森に住んでいるのは浮世離れした、外の世界など知ったことではないという性格の奴らばかりだが、少なくとも魔理沙だけは違うと霊夢は思っていた。だがそれは買いかぶりだったのかもしれない。魔理沙が一度も訪ねて来なかったのは今回の事態を分かって静観しているか、あるいは異変の元凶であるかのどちらかに違いないと、霊夢は半ば決めつけるように結論付けた。
「嘘つきはとっちめてやらなくちゃ!」
 新たに湧き出す怒りを抑えながら、霊夢は魔法の森の上空をぐるりと見渡す。侵入者が現れるかどうかを見張っている様子はなく、何者かが潜んでいる風でもない。付喪神を散々けしかけてきて無防備すぎるのが逆に怪しかったが、あるいは流石にあの三人で打ち止めなのかもしれなかった。少なくとも霊夢の知る限り、九十九姉妹や雷鼓と並ぶ力を持つ付喪神はほとんど思い浮かばなかった。
 知り合いでまず思いつくのは神社に能の演技を奉納しにくる面の付喪神、秦こころだ。過去に一度、弾幕演舞をやらないかと持ちかけられて乗ったことがあるのだが、各々の感情から繰り出される多彩かつ優美な弾幕の数々は防戦するので精一杯だった。あとは東の里でベビーシッターをやっている傘の付喪神、多々良小傘とも一度だけ戦ったことがある。普段はどこか間の抜けた性格なのだが、ある夜にするりと姿を現し、霊夢を驚かせようという名目で勝負を仕掛けてきたのだ。辛くも撃退できたが夜空を虹に染め上げるような慌ただしい弾幕は流石、千年近くを生きてきた古い妖怪であると言うべきだった。あとは無名の丘と呼ばれる場所には毒を扱う有力な付喪神が住んでいるというが、こちらはかつて永遠亭を訪れたときにすれ違った程度だ。しかし二度と相手をしたくないという話をいくつか耳に入れたことがあるからこちらも強い力を持っているのは間違いなさそうだった。
 この三人は付喪神だが解放派には参加していない。こころは芸能の道があるから他のことにかまけていられないとのことだったし、小傘は革命を起こすより子供の頃からきちんと教育して置き傘をしないようにするのが大事だと明るい調子で話していた。毒の付喪神が何を考えているかは知らないが、革命に身を投じるよりも大事なことがあるのだろう。
 他にもいくつか思い当たる節はあるが九十九姉妹に比べてさえ力量の及ばない奴らばかりだ。集団で迫ってきても妖精のように弾をまき散らすだけならばいくらでも対処は可能だ。そこまで確認すると敵の潜伏にだけは一応気をつけながら、森の上空まで移動する。目指すは魔理沙の家の前に降り立つためのポイントだ。
 魔法の森は足を踏み入れた者を惑わそうとするが、自ずと形を変えるわけではなく、あくまでも認識を狂わせるだけだ。その広大さと一般人ならあっという間に見当識を失うような濃い魔力は脅威だが、空を飛べるのなら目的地の座標さえ分かればショートカットして直接目的地に到達することもできる。
 霊夢が探しているのは魔理沙が設置したショートカット用の目印だった。それは単なる近道ではなく、魔理沙が今回の件にどう関わっているかを見定めるための材料でもある。もしやましいところがなければ目印を撤去して訪問を妨げるようなことはないはずであり、逆に目印がなければ魔理沙がやましさを抱えていることを意味する。
「あった……」だから目印を見つけたとき、霊夢の口から思わず安堵の声が漏れた。少なくとも事情を説明する気はあるらしい。それが分かった瞬間に苛立ちがほどけ、気が緩みそうになってしまった。「もちろん無関係ってわけじゃない、分かっているわ」
 どのような理由があって静観を決め込んでいるのか、霊夢は胸ぐらをつかんででも聞き出する腹づもりで、勇んで目印の真下に向かう。鬱蒼と茂る針葉を抜ければ魔理沙の家はすぐ見えてくるはずだった。
 だがその先には何もなかった。右も左も分からないほどの樹木がどこまでも延々と続いているだけだ。欺かれたと気付いた時には付喪神たちにぐるりと取り囲まれていた。四方八方からの弾幕に霊夢は慌てて上空へ逃れ、そのまま魔法の森から脇目も振らずに離脱する。抗いようのない弱気が突如として霊夢を襲い、いくら歯を食いしばっても耐えられなかったからだ。
 冥界で底知れぬ力を持つ霊に遭遇した時も、まるで雷神のように荒ぶる雷鼓を目の当たりにした時も、恐怖の次には目の前の相手を何とかしなければならないという気持ちが生まれた。闘志が胸のうち一杯に広がり、命の危険すれすれの中でも戦うことができた。
 それなのに魔理沙に裏切られたと考えただけで心が保てなくなった。異変を解決しようという気力が喪われ、全てを投げ出したくてしょうがない。激しい運動などしていないのに胸が苦しくて、慌てて地面に下り、息を整えているうちにぽろぽろと涙が零れた。
 涙を袖で拭い、頬をぱしりと叩く。こんなところでくよくよしている暇なんてないはずだ。それなのにいくら自分に言い聞かせても心が奮い立たない。こんなことは初めてだった。咲夜に時間停止の能力を散々に味わわされた時でさえ、霊夢の気持ちは今ほど萎えたりはしなかった。
 魔法の森を抜けるならば、ショートカットが使えない状況では地図か道案内を手に入れるのが最も近道である。その事実が辛うじて、魔法の森から離れていくことを正当化した。まだ目的を達成する気はあるのだとほんの少しであっても信じることができた。 

 霊夢が魔法の森の案内を求めて向かったのは、そこから少し離れた場所に立つ一軒の古びたお店だった。どの人里からも距離があるため訪ねてくる人間は少なく、かといってそれ以外の存在が頻繁に訪れるわけでもない。商品とは到底言い難いがらくた紛いからそこそこ役立つ実用品までが店主である霖之助の一存に従って無秩序に並べられており、かつて郷が外の世界に繋がっていた頃の骨董品も置いてある。その辺りを売れ込めば考古学者や骨董品マニアが大挙して訪れそうなものだが、霖之助は新聞や雑誌はおろかネットにすら全く宣伝していない。いまや老舗の店舗ですらホームページを持つ時代だと言うのにだ。パソコンを使うことが苦手と言うわけでもなし、だから霊夢はどうして宣伝しないのかと訊いたことがある。
 宣伝しなくても成り立つような商売をしているというのが霖之助の答えだった。だが霊夢の目にはとても商売が成り立っているようには見えず、魔理沙もわたしがいなけりゃとうの昔に即身仏みたいになってるだろうなと折に連れて吹聴しているから、単にはぐらかされただけだろうと思った。
 つまるところあの夫妻の主導権は魔理沙のほうにある。彼女が悪巧みをしているのだとしたら必要な情報を一切出さず、いつものようにのらりくらりとはぐらかされてしまい、目的を達成できないかもしれない。その場合は妖怪退治の道具を突きつけて無理矢理聞き出すことも考えたが、霖之助はそんなことでは白状しないだろうという信頼にも似た確信があった。
 霖之助が駄目でも他にあてはある。遠子の屋敷なら魔法の森の地図を秘蔵しているかもしれないし、あの森を訪れたことのある妖怪はそれなりにいるはずだ。己の勘を信じて飛び込んでも良い。それでも魔理沙の息がかかっているかもしれない人物の元に赴いたのは、彼ならば突如として襲ってきた強烈な弱気の正体を解き明かしてくれるかもしれないと思ったからだ。
 店を訪ねると霖之助は快く招き入れてくれた。彼はいつものぼんやりした表情ではなく、どちらかと言えばコンサートを聴きに来た時の割合にしゃっきりした表情を浮かべていた。
「おやおやこんにちは、先日は楽しい催し物に誘ってくれてありがとう。体調はすっかり良くなったようだね……といっても乗り物酔いのようなものだから風邪と違ってひきずることもないか」
 気さくな挨拶からは何かを知っているようには見えなかったが、とぼけている可能性もある。だから霊夢もまずは素知らぬ顔を通すことにした。
「ところで今日は何の用だい? 新しい妖怪退治用の道具を作るための材料か、新しい服のデザイン依頼か。それともこの店に並ぶ商品の魅力にようやく気付いてくれたのかい?」
「そのどれでもないわ。魔法の森の地図が欲しいのだけど」
「ふむ……ぼくが持っている地図は魔理沙の家まで安全に辿り着くためのものだ。それ以外の場所へ行く役には立たないと思うが」
「大丈夫よ。わたしは魔理沙の家に行きたいのだから」
「空を飛べるのだから真上から訪ねれば良いのでは?」
「それができないから地図が欲しいと頼んでいるの」
 実のない押し問答に苛立ちが募り、徐々に声が刺々しくなる。だが霖之助は飄々とした態度を崩そうとしない。暖簾を押すような手応えのなさだった。
「何者かが何らかの方法で光を集め、春を独り占めしている。お陰で魔法の森とその周辺以外では、冬の寒さに震え続けているの」
「それが魔理沙の仕業だと?」
「調査すると言っておきながら一度も訪ねて来ない。何をしているのか聞きに行くのは当然のことだと思わない?」
 霖之助はふむと頷き、霊夢の目をじっと覗き込んで来る。まるで彼が持つ鑑定眼の能力で心の底までを見透かそうとしてくるかのようだった。
「それならばこんな所に来なくても、最短で目標まで向かえば良い。ゲームのお使いクエストみたいなことをしなくても、それだけの力が霊夢にはある。それは自分が一番よくわかっているのでは?」
 彼の鑑定眼が通用するのは道具だけのはずだ。少なくとも霊夢は以前そのような説明を受けた。それなのに霖之助は霊夢の胸の内を読んだように、ちくりと弱いところを突いてきた。
「それをおして僕のような老人に会いにきたならば、理由は一つしかない。何らかのしこりを抱えていて、僕に打ち明けるのが最適だと考えたからだ。こんなものは心を読むまでもなく、少し推測を巡らせてみれば分かる。おそらくは魔理沙のことで何か引っかかっているのだろう。例えば知り合いに手をかけるのは躊躇われるとか」
 霊夢は少し迷ってから首を横に振る。確かに知り合いを傷つけるのは嫌だが、それなら九十九姉妹や雷鼓と対決した時にも躊躇いはあったはずなのに、ちっともそんなことはなかった。それに霊夢は魔理沙が簡単に死ぬような相手ではないことを知っているし、そもそもこれまでに一度も同じ条件で勝てたことがない。
 かといって強大過ぎる相手に怯んでいるわけでもなかった。これまで自分より強い相手に何度も立ち向かわなければならなかった霊夢はその恐怖をよく知っている。魔理沙の力を単純に恐れているのならばすぐに分かるはずだった。
「魔理沙を傷つけることも、魔理沙の強さも原因ではないと思っているんだね?」
「傷つけることは怖いし、強いことも怖いわよ」
「でもそれは最たるではない。だから自分でも理解が付けられない」
「だと思う。どうして恐ろしいか分からないから怖いのよ」
「ふむ、それは難儀だ。何故ならばこれは意識よりも無意識の問題だから。普段は意識していないことが不意に持ち上がってきたわけだ。一つだけ確かなことがあるとしたら、それは魔理沙が敵側に回ったかもしれないという思考から始まっているということだ」
 霖之助の話に今度は小さく頷いた。そこが入口だというのはおそらく間違いない。その先が暗闇で、出口が全く見えないのだ。
「一つ考えられるとしたら、霊夢は魔理沙のことを自分で思っていたよりも強く、心の拠り所にしていたということだ。姉のよう、母親のようと考えていたならば、裏切られたかもしれないと感じたとき強いショックを受けるだろう」
 その指摘は霊夢にとってあまりピンと来なかった。親身になって指導してくれたのは事実だし、彼女のような年上の姉妹がいてくれたらと考えたことはある。だが常々から家族のように思っていたわけではない。そもそも魔理沙は霊夢にひとしきりの技を仕込んでから霧の異変が起きるまで、あまり頻繁に訪れて来なかったし、人間臭いと言ってもやっぱり妖怪で魔法使いなんだなと割り切っていた。
「そういうんじゃないと思う。良くしてくれた人に対して深い思い入れを持てないのは冷たいと言われるかもしれないけど」
「いや、霊夢は博麗の巫女なんだから妖怪を突き放すのは当然だろう。むしろ今でも十分に温情をかけていると言っても良い。そもそも誰かに安易に共感できたり、距離を縮められたりすることが必ずしも優しいとは限らない。共感できないけど尊重できる、大事に感じるからこそ距離を保つ、そんな優しさもある。年を重ねるとそうした優しさがずっと身に染みてくるものさ」
 だから夫婦なのに今は別々の場所で暮らしているのかなと思ったが、そこまで踏み込むのは流石に不躾な気もした。
「必要以上の親身が理由でないとしたら、僕に思いつくのはあと一つしかない」
 それに霖之助の言葉が霊夢を己の悩みへと引き戻した。指を一つ立てた霖之助は先程より少しだけ表情を硬くする。
「だとしたら霊夢には少しだけ耳の痛い話になるのだけれど」
「耳が痛いだけで済むのだったら安いものよ」
「ふむ、それは実に前向きだ。ろくに話も聞かない輩どもに是非ともその言葉を聞かせてやりたいね」
 霖之助は少しだけ口元を緩ませる。話しても大丈夫と思ってくれたか、そこまでしゃちほこばって語ることではないのかもしれない。
「少し前、まだ魔理沙が霊夢に修行をつけていた頃だったかな。霊夢について少し話してくれたことがある。未熟極まりないがかつての霊夢よりはよく修行に打ち込む。元々の才能はあるし、他人の教えをすっと飲み込む筋の良さもあるから、このまま良く育ってくれれば異変と呼ばれるような事件のただ中に放り込まれても上手く捌くことができるだろう。それが嘘偽りのない霊夢への評価だった」
 他人の評価を聞かされるというのはいつだってどことなくこそばゆい。誉められているならば尚更のことだが、気を緩めたりはしなかった。耳に痛い話だと前置きされていたからだ。
「だが心配になることもあると言っていた。霊夢は大きな名前を与えられたせいか背伸びをしようとする癖がある。なんでも風を装っているが内心はかなり気にしていて、そのせいで劣等感が漏れ出すこともある。彼女の向上心の幾分かは無理してでも力を付けなければいけないという焦りから生じている。面倒臭がり屋のところもあるから、楽して身につけられるリスクの高い術に手を出さないかが心配だ」
 魔理沙の指摘は霊夢の欠点の一つを見事に射抜いていた。それでいて魔理沙は自分にそのことを注意したり警告したりしなかった。単に稽古をつけてくれ、色々な技を授けてくれただけだ。
「魔理沙はそんなこと、何も言ってくれなかった」
「わたしも欠点は伝えた方が良いのではないかと忠告したよ。そうしたらあまり自分色に染めるのはよろしくないと言われてね。努力や苦労の大切さは他の誰かがきっと教えてくれるはずだし、基本的に修行や説教なんて柄ではないと恥ずかしそうに口にしたんだ。ではどうしてポリシーに反したのかと聞いたら、彼女は自分に似ているからだと言った」
 最後の言葉に霊夢の胸がどきりとはねる。まるで心が沈み込んだ沼からぴょこんと飛び出してきたかのようだった。
「魔理沙も幼くして親元を離れることになった子供だったし、親子の間はぎくしゃくしていた。そのせいで一時期酷く荒れていたこともあってね」
 霊夢の脳裏にふと、生与の力に難色を示す両親の姿が浮かぶ。東の里は他の二つの里に比べて妖怪に対する恐怖や迷信が根強い。それは妖怪に対抗できる人間への複雑な気持ちを生んでしまうということでもある。腫れ物に触るような愛を霊夢はどうしても受け入れることができなかった。博麗の巫女に抜擢され、親元を離れることができると知ったとき、霊夢は寂しさを感じるともに思わずほっとしてしまった。
「魔理沙は少しでも早く強くなるため、積極的に他人の能力を真似ていった。異変を通じて知り合った魔法使いから魔導書を失敬したり、しつこくつきまとって魔法のレシピを聞き出そうとしたり。魔法使いたちが短気な性格だったら魔理沙は豚か蛙にでもされていただろう。もちろんそんなことはなかったから、他人の力を自分のもののように使うという才能を開花させることができたわけだが。そのことを内心では恥ずかしいと考えていたのか、魔理沙はしばらく普通の魔法使いといういささか謙遜した二つ名を吹聴していたね。種族としての魔法使いとなり、己の能力を受け入れてからは記号を喰う魔女と名乗るようになったわけだが」
 霊夢はどちらの通り名も知っている。後者は遠子が初めて書いた幻想郷縁起にも記載されており、前者は霊夢に名乗りをあげたとき一度だけ使ったことがある。反応が芳しくないと分かったのか、霊夢がかつての霊夢ではないとはっきり悟ったからか二度とそう名乗ったことはなかった。
「霊夢は魔理沙と力の使い方がよく似ている。受け継がれた博麗の技だけでなく他人の能力を使うことに躊躇いがない。人間は元々そういうものだが霊夢は特にその傾向が強く、しかもそのことに恥ずかしいとさえ感じていない。つまり霊夢は魔理沙を越える泥棒気質を持っているというわけだ」
 なんとも酷い言い種だったが、霖之助の言っていることに間違いはない。霊夢は魔理沙の教えてくれた技も、天子が教えてくれた技も自分のものとして当然のように使っているし、それが恥ずべきこと、間違ったことだと疑ったことは一度もなかった。
「魔理沙はそのことを嬉しそうに話してくれた。まるで後継者を手に入れたようだってね。だけど憂慮もしていた。盗んだという自覚がないのだから、奪い返されることに対して酷く過敏になるのではないかと。それが対抗心ならばまだ良いが……」
 気持ちが酷く萎えてしまうかもしれない。それはこれまでに巡らせたどんな推測よりしっくり来るものだった。魔理沙が敵に回ったとして、これまでに身に着けたものを返せと言われたら。そう考えたとき、魔法の森に飛び込もうとした時の躊躇いが再度、霊夢の胸を過ぎる。今すぐにでも逃げ出したいという恐怖は霖之助の推測が正しいことをはっきりと示していた。
「どうやらそれが答えだったらしいね。だとしたらわたしは霊夢にこう言ってあげられる。魔理沙は確かに泥棒だが盗まれたものを取り返そうとはしない。盗むものはまた盗まれるものであると考えているからだ。霊夢は魔理沙から盗んだ力をどんどん使って良いし、それを魔理沙本人に使っても構わない。魔理沙は責めるどころか逆に面白がるに違いないよ」
「それは魔理沙が敵に回ったとしても?」
「もちろん。最も長く魔理沙を見続けてきた僕が言うのだから間違いない」
 霖之助は魔理沙の伴侶であり、この言葉も本来ならば疑って然るべきはずだったが、霊夢は彼の言葉をすぐに信じることができた。そのことを誇らしげに、とても嬉しそうに語ったからだ。あまりの惚気で砂糖を吐くかと思ったくらいだった。
 でもお陰で弱気を払拭することができ、この異変に関わってから最も強い意志が胸の内に宿るのを感じることができた。奪われないと分かった途端、気力が漲ってくるなんて現金だなと自分でも思ったが、それくらい開き直らないと魔理沙には勝てないのだという自覚があった。
 霖之助は霊夢の決意を見ると少し待ってくれと言って店の奥に姿を消し、数分ほどで戻ってくる。その手には四つに折り畳まれた紙と風呂敷包みがあった。紙が地図なのは分かったが、風呂敷包みに何が入っているかは見当もつかなかった。
「ここに来るまでに消耗しただろうと思ってね。何しろ妙なことになっている付喪神が魔法の森の上空を徘徊しているから」
 風呂敷をほどくと中には霊夢がいつも使っている札や針の装備一式が入っていた。随分と古い代物だが霊力を通すための式は整っており、今すぐにでも使うことができそうだ。
「かつて霊夢を名乗っていた巫女が、服を買う代金がないからと言って代わりに置いていった品物だよ。博麗謹製の退魔具なんて他の人間に使えるわけでもなし、かといって独立したばかりで先立つものもない。返ってこないつけと思って受け取ったんだがね、まさか何百年も経って役に立つ機会が来るとは思わなかった」
 かつての霊夢が生きていたのは七百年近くも前であり、それだけの時間が経っていれば普通は式も込められた霊力も解けるはずだ。しかし霊夢が目にしている札も針も隅々まで式が行き渡っており、いま使っている道具よりも性能は格段に優れている。
「これを見ると博麗の技が継承され続けてきたなんて口が裂けても言えないわ」
「一子相伝が長く続けば技術が失われるのはある程度仕方がない。それに性能が徐々に悪くなっていったのも相応の理由はある。ものは試し、札を手にとって力を込めてみると良い」
 霊夢はおそるおそる札を手に取り、いつものように力を込める。それだけで霖之助の言いたいことがはっきりと分かった。普段使っている札よりもずしりと霊力を持って行かれたのだ。一枚だけだから誤差の範囲だがこれを数十枚、数百枚と編んで陣を組み、攻防に利用するとなればそれだけで大量の力が消費される。
「昔の巫女はこんなものを自在に使いこなしていたの?」
「かつての霊夢は使いこなしていたが、それ以外の巫女は相当の無理をしていたはずだよ。郷で最も霊力の高い少女が選ばれるのは変わらないが、下手をすると五年も保たずに一生分の力を使い果たしてしまう。今では考えられないだろう?」
「それは……結界を支える役目があったからではなく?」
 かつての巫女は博麗大結界を支える人間の要であり、頻繁な代替わりが必要であったことは博麗の記録にも僅かながら残っているし、遠子からも似たような話を聞いたことがある。いつしかその風習はなくなってしまったらしいのだが。
「それもある。というより結界を支えるだけの霊力があればこそ使える道具と言うべきかな。最近は霊力の強い人間が生まれにくいし、その中でも霊夢は格別の才能を持っているのだが、それでもこれを渡す気にはならなかった」
「でもいま渡してくれたじゃない。どういう風の吹き回しなの?」
「これを使うだけの力が今の霊夢にはあるし、どのみち必要になる。先日の霧の異変、今回の春をかすめとる何者かによる異変、この二つで終わるはずがないのだから」
 似たような仄めかしを最近よく聞くなと思いながら、霊夢は札を戻してから針を手に取る。札と同様、より霊力を消費する分、高い威力が発揮できそうだった。より少ない本数で妖怪を無力化できるため、長期の探索で装備を神社に戻ることもできないような場合にじわじわと効いてきそうだ。
 これらを自在に使いこなすことができれば確かに強力だが、最初から考えなしに使えばすぐに霊力が底をついてしまう。機を見て慎重に用いるべき代物だった。
「それに僕自身の思いもある。どんな理由があるにしろ光を独り占めにして春を奪うのはあまりにもやり過ぎだ。もっとも今日まで傍観してきた僕が言えた義理ではないが」
「いえ、相談に乗ってくれた上にこんなものまで預けてくれて感謝の仕様もないわ」
 かつての霊夢が使っていた札と針を装備し、それから地図にざっと目を通す。魔理沙が設置した目印を頼りにすれば森からの惑わしを受けても迷わないようだが、霊夢はその一切を無視し、森の入口からどの方角に進めば魔理沙の家に辿り着くかだけを頭に叩き込む。上空からのショートカットと同様、偽りの目印にすり替えられている可能性が高いからだ。結界を張り、惑わしの術を全て遮断しながら一直線、これが最短で間違いもない。
「全てが上手く収まるよう祈っているよ」
 返事の代わりに頷き一つ寄越し、丁寧に礼を言ってから香霖堂の外に出る。
 今度こそ光が集まるその中心に。霊夢の目にもう迷いはなかった。

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