東方二次小説

2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅   修羅と修羅 第5話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅

公開日:2017年02月23日 / 最終更新日:2017年02月23日

郷と冥界を繋ぐ門は雲一つかからないほどの上空に存在する。かつての異変では春が満ちており地上よりも暖かかったそうだが、防寒具に霊気の護りを重ねてなお今にも凍り付くかと思うほど寒く、春を告げる妖精の気配も感じられない。心の内も見当違いの所を探しているのだと全力で訴えていた。
 霊夢はふと手をかざし、剥き出しの太陽を指と指の隙間から覗き見る。いつもならば眩し過ぎて一瞬で目を逸らすしかないのに、何故か少しの間だけなら眺めていられた。まるで下敷き越しに太陽を覗き込んだ時のようだ。
「そう言えば最近、太陽を眩しいと感じたことあったかな」
 過去を遡ってみたが、太陽が出ている間は十分に明るく、沈めば真っ暗になる以外のことは思い出せなかった。太陽がどれだけ明るいかなんて、普段から意識して暮らしているわけではない。
 無性に気になってしまい、冥界から遠ざかることは分かっていたがぎりぎりまで高度を上げる。だが太陽にはいつまで経っても辿りつけなかったし、寒さと空気の薄さが霊夢の心身を容赦なく苛む。目標から更に遠ざかっているとしか感じられず、体も限界であり高度を落とさざるを得なかった。
「うーん、気のせいなのかなあ」太陽は元々少しの間なら見ていられる程度の明るさだったのだろうか。目を鋭く打つ太陽の記憶は断片的に残っているのだが、確信をもってそうだと言い切れなかった。「上は目指すべき方向ではなさそうだし」
 徐々に高度を落としながら周囲を見回してみたが、春の兆候はやはりどこにも見られない。そのうち冥界に通じる門が見えてきたため、この奇妙な違和感については一度、頭の隅に追いやることにした。
 冥界の門は無造作に開け放たれており、門番の類は誰も控えていない。そして門を潜った先にあるのは到着点が見えないほど延々と続く階段だった。
「こんなとこ、空でも飛べないと来られないのにどうして階段があるんだろ?」
 今は空の遙か上だが、かつてはより低い場所……例えば地上に存在したのかもしれない。此岸と彼岸の境目が目に見える大河なのだから、その可能性は十分にあり得た。
「この階段は死がとても高い場所にあることを示しているのかもしれない」それは口にしてみて少しだけ恐ろしい思いつきだった。「あるいは三途の川と同じく、死に近いほど距離が縮まるのかも」
 郷に機械が普及し、電気で動く車が当然になってもなお、空を飛ぶ機械が未だに発明できないのはそのせいかもしれない。それとも機械はやがて死すらも乗り越え、空の更に彼方で輝く月や三途の川の向こう岸まで生きたまま辿り着くことができるようになるのか。
 そしてもっと恐ろしい思いつき。空を飛んでいるとき、自分はいつも死とすれすれの所にいるのではないか。霊夢のそんな恐れを拭ってくれたのはどこまでも果てしなく続くかのように思われる冥界の階段だった。それは霊夢がまだまだ死から遠いことを示しているように思えたからだ。
「うんざりするような繰り返しに救いを感じるだなんて変な話」
 そう独りごちたところでようやく階段の終わりが見えてくる。その先にあるのは延々と続く石畳の道であり、その脇には灰色の石と砂が延々と敷き詰められている。生物はおろか草木一本見当たらず、肌を刺すような冬の寒さは感じないが、代わりに心胆をぞわぞわさせる別種の寒気に満ちている。
 冥界が生なき世界であるというのは本当らしい。遠子は冥界にある桜が咲こうとしたために起きた異変であると言っていたが、死した桜ですらここで存在できるとは思えなかった。ひたすらに枯れ果てて冷たい世界であり、用事が済んだらすぐに立ち去ってしまいたかった。こんな世界に住めるのは心が冷たくて他人のことには興味すら持てない奴らなのだという思いが徐々に広がっていく。
 目眩のするような殺風景をひたすらに進み、前も後ろも分からなくなりかけたところでようやく僅かな変化が訪れた。ぼんやりと一本の線が見えたのだ。それは近付いても消えることはなく、やがて霊夢の目でも正体をつかむことができるようになった。
 それはどうやら巨大な樹らしかった。明確に木だと言えないのは周りの石や砂と同じ灰一色だったからだ。とても自然界に生まれて育ったようには見えない。にも拘わらず木からは強い死が感じられた。とうの昔に枯れ果て、咲くことができないのだと一目で確信できるほどに。遠子が話していた妖怪桜とはこれに違いなく、迂闊に近付いてはならないと全身が訴えていた。
 どうするすべきか迷っていると、灰一色の光景に僅かな色が差した。薄い青に薄い桃色、どちらもこの世界においてひどく浮いている。霊夢はそれらの色に誘われるかのように、いつの間にか前に進んでいた。そして大樹が眼前にまで迫ったところで色の正体もまた明らかとなった。
 彼女は霊であった。しかも生者の如き確固たる存在感を秘めており、おそらくは物理的な干渉すら可能であると思われた。彼女はそのことを示すよう、大樹にそっと触れる。それだけで灰一色の場が雅やかに彩られ、息を飲むような美が感じられた。
「貴方も生者のお客様ね。しかも今回は完璧な生者、本物の人間だわ」
 儚く透き通るような声が耳朶を打ち、心臓がどくりとはねる。生きている人間のいかなる声をも越える影響力すら感じられる、一種暴力的な声音だった。大木から手を離し、こちらに振り向くその仕草が恐ろしかった。いかなる美が心に飛び込んでくるか、分かったものではなかったからだ。
「あら、可愛らしいお嬢さん。しかも赤と白でとても目出度い」薄く上品な笑顔に霊夢は思わず息をつく。目を見張るような美しさではあったが、あくまでも現実的で容易に理解できる美だったからだ。「そしてお化けでもあったような目でわたしを見ている」
「いや、実際にお化けでしょう?」あまりにも浮き世離れした発言に思わず合いの手が出てしまい、慌てて言い繕う。「さぞかし名だたる霊だとお見受けしますが」
「名だたるかは知らないけど霊ではあるわね。そういう貴方こそ生粋の人間なのに随分と能力《ちから》持ちね。その目出度さといい、巫女か何かかしら?」
「察しの通り、わたしは博麗の巫女です。ずっと昔、博麗とは少なからぬ親交があったと聞いているのですが」
 覚えていれば円滑に話も進んだかもしれないが、彼女はかっくりと首を傾げてしまった。もはや思いもよらないと言いたげだ。
「思い出せないけれどとても懐かしい、まるで夢の中にでも出てくるような響き。貴方の言う通り、ずっと昔に関わりがあったのかもしれない。わたし、記憶力はあるほうなのだけど覚えておくのは苦手なの。そちらは妖夢の役目なのだけど、いまあの子は外に出ていてね。わたしがちょっとしたお使いを頼んだからなのだけど」
 まるで記憶力のぼんやりした老婆のような話しぶりだった。
「もしかして、自分の名前すら覚えていないなんてことはありませんよね?」
 それでつい不安になり、失礼と分かっていながらそんなことを訪ねてしまった。すると彼女はわたしの胸の辺りをそっと指差した。
「妖夢に名乗らない人に名乗ってはいけないと言われているの。そういうやつらは決まってわたしの名前を悪用したがるらしいから。貴方、悪人には見えないけど」
「わたしは博麗霊夢と言います」
 礼儀を問われたと思い慌てて名乗ったのだが、彼女は笑顔の中にほんの僅かだけ目を細めた。まるでこちらの心を見透かそうとするかのように
「それは別の人間の名前だわ。偽名は良くないと思うのだけど」
「わたしも、博麗霊夢です」
 思わずそう強く言い返していた。その気はないと分かっているのに少しだけ侮辱されたように感じてしまったからだ。
「ふむ、今度は貴方の名前ね。最初に名乗った時はまるで別の人間の名前のように聞こえたのだけど。貴方、自分の名前を自分のものだと思っていないのではなくて?」
「かもしれません。実際に本名ではなくて借り物、祭祀用の名前ですから」
「なるほど、真名を明かし難いということね。巫女は呪いに通じるからそれは正しい態度だと思う。でもそれなら二度目の名乗りが本当に聞こえたのは良くないのでは?」
「それを説明するのは難しいですが、最初のほうが間違っているんです」
 霊夢の言葉に彼女はぴたりと固まってしまう。遠子が過去から記憶を取り出すのと似たような反応であり、おおよそ想像がつかないほどのうねりをもった思考が巡らされているのだと思われた。
「わたしには難しくて分からないわ。つまり貴方は人間としてとても個性的であり、類型しがたい性格を持っていると言える」
 変わり者だと暗に仄めかされたような気もしたが、邪気のない笑みを見るに好意的な意見であるらしく、怒る気には到底なれなかった。
「博麗霊夢が貴方の名前ならばわたしも名乗りましょうか。西行寺幽々子よ。幽々子と気さくに呼んで頂戴」それはかつて郷から春を奪った元凶の名前だった。「貴方は霊夢ちゃんで良いかしら?」
「できれば呼び捨てか、せめてさん付けで」
 どうして人妖問わず、年を経ると人間の子供をちゃん付けで呼ぼうとするのだろうか。霊夢にとっておおよそ理解に苦しむ思考だった。
「では霊夢、空を飛ぶだけの普通の人間がこんな場所まで何の用かしら?」
 幽々子は扇を広げ、口元を覆う。途端にこれまではっきりと現れていた感情が失われ、冷静に目の前の相手を見定める冷徹さのようなものが提示される。
「貴方は今年の春を盗みましたか?」
 口にしてみてまるで心に響かなかった。幽々子はやはり春を盗んだ犯人ではなく、一欠片ほども騒動には絡んでいないのだと確信する。
「それを訊いてきたのは貴方で何人目かしら」
 そして原因を探っているのが自分だけでないということも分かった。
「誰もわたしがやったと信じていないのに、それでもわたしに訊いてくる。意味もなく怪しい動きをしている推理小説の登場人物になったみたい。ニシンのように泳ぎ回っていたわけでもないのに」
 扇をするりと抜け、笑い声が聞こえてくる。どうやら彼女一流の冗談を口にしたみたいだが、霊夢にはどのような意図があったのかまるで分からなかった。
「ご期待に添えなくて申し訳ないけどわたしは何もしていないの。もしわたしが春を盗むだなんて難行に手を付けたのならきっと隠すことはないし、むしろ堂々とその犯行を語ってみせたでしょうね。ほらわたし、隠し事とか苦手だし」
 霊夢からすれば幽々子は隠し事に長けた老獪さの塊のように見える。そうでなければとんでもない天然か。こんな所に住んでいるというだけでただものではないのだが、それでもどちらにも取れてしまうのが彼女の不思議なところだった。
「だから、訊かれたらどんなことでも正直に答えちゃうわ」
 答えが欲しければ力づくでと勝負をけしかけてきたレミリアがまだ御しやすい相手だったのだ。幽々子と相対し、霊夢は少しでも油断すれば真偽を外れた抗いようのない破滅を押しつけられるのではないかという奇妙な恐怖を感じていた。それでも問うたのは彼女の言葉に少しだけざわめくものを感じたからだ。ここに来たのは外れだったかもしれないが、完全な失敗ではなく少しでもヒントに辿り着ける可能性をここでつかめるかもしれない。
 だからいちかばちかもう一つだけ、幽々子に問いを発した。
「では春を盗んだ前科犯としての知恵を借りられないでしょうか?」
「面白い質問ね。さてさて、その心は?」
「春を盗むための計画を貴方は何通り考えましたか?」
 一通りならば霊夢の問いに意味はなくなる。だが他にも計画を練り、その中で最も可能性が高い方法を一つ選んだのだとしたら。破棄された計画の中に今回の答えがあるかもしれない。そんな途方もないことを少しだけ期待してみたのだ。
 幽々子は扇を閉じ、霊夢に再び口元を晒す。これまでの作り物らしい笑みではなく、本当の愉悦が張り付いているように見えた。その周囲にはぼんやりとした霧のようなものが浮かび、瞬き一つの間に色とりどりの蝶と化し。
 霊夢めがけて一斉に飛んで来た。
 慌てて背後に下がり、殺到してくる蝶に針を乱射する。撃ち漏らした蝶は追尾型の札を放って丁寧に蹴散らしていき、その隙間から改めて幽々子を見据える。これまでそよ風よりも穏やかだったというのに、今では荒れ狂う嵐のような激しい妖力が惜しみなく展開されている。
 その中から第一波を越える数の蝶が生み出され、幽々子が扇を一扇ぎするとその優雅な見た目から想像できないほどの速度で迫って来た。この弾幕を全て受けきることはできないと判断し、蝶と蝶の間をすり抜けながら更に後退する。一度体制を整えてから蝶の中に飛び込み、幽々子に近付いて制圧する腹積もりだった。だがかわした蝶は霊夢に向けて転身し、どこまでも追いかけてくる。まるで甘い蜜に群がってくるかのように。
 第二波を攻め倦ねているうち、幽々子の周りに新たな蝶が生まれていた。このまま増え続ければそのうちに対処しきれなくなるのは明白であり、いよいよもって早急に蝶の嵐を打ち破る必要があった。
 霊夢は符《スペルカード》を取り出し、霊力を込めながら縦、次に横と四枚に引き裂く。充填された霊力は霊夢を中心として巨大な立方体となり、妖力で生み出された蝶を薙ぎ払いながら四方八方へと広がっていく。霊夢を柱として攻性の結界を生み出す封魔陣を、広範囲の弾幕を一気に祓うよう展開させたのだ。
 無数の蝶があっという間に消し飛び、幽々子や背後に控える大樹をも浅く祓う。だが既に威力の大半が失われていたためか、そよ風を浴びたように平然としていた。
 霊夢は歯を四度打ち鳴らして加速をかけ、針を撃ち出しながら一気に近付いていく。新たな弾幕を生み出す暇を与えず撃ち倒し、それから改めて話を聞くつもりだった。レミリアの時と同じで、かつての霊夢に似ているから試されているのだと思ったのだ。
 幽々子は扇を広げ、再び一扇ぎする。妖力の風は針をちりぢりに吹き飛ばし、その残り香が霊夢に襲いかかってくる。まるで刃のような疾風をぎりぎりのところで見切ってかわし、お祓い棒に霊力を込めて横薙ぎの一撃をお見舞いしようとした。それを幽々子は閉じた扇で軽々と受け流し、霊夢はのれんを思い切り押したようにバランスを崩してしまった。勢い余った体を静止させ、再度お祓い棒を打ち込もうとしたが、既に幽々子は第四波目の蝶を周囲に展開させていた。まるで壁に思えるほどの量であり、生半可な技では到底突破できそうにない。
 加減して勝てる相手とは最初から思っていなかったが、それにしてもあまりに無造作で無尽蔵な力の振るい方だった。かつての霊夢はどうやって彼女を倒したのかと訝しむほどに底が見えず、蝶の隙間から微かに見える凄惨な笑みも相俟って霊夢の心を挫こうとして来る。それにしてもまるで別人になってしまったかのような豹変だった。
 背を向けるべきか一瞬だけ迷う。彼女は明らかに今の霊夢では手に余る相手だった。それでも退かなかったのは心の内が踏み留まれと訴えるからだ。先程までちっともピンと来なかったのに、今は少しだけ意味のあるものとなっている。それは幽々子の変化と無関係ではないはずだった。
 歯を食いしばり、五度目のスイッチを押す。四速までは緩やかな加速だが、五速は一気に回転が上がり、視界もぐんと広くなる。体がぴりぴりと痛み霊力の負担もきつくなるが、世界の拡がるこの変化は何度味わっても一種の爽快感のようなものがある。幽々子が発する力の流れ、一つ一つの蝶の羽ばたきに至るまでくっきりと見え、これまで避けられそうにないと思えた密度の弾幕にいくつもの隙間を見つけることもできた。
 なんとかなるかもしれないという微かな希望を崩すように、蝶がこれまでにない速度で撃ち出されてくる。素早くふわふわしているという矛盾に近い動作をする蝶を霊夢は紙一重のところでかわし続け、むせるような妖力を堪えながら再度幽々子へと吶喊していく。遠距離からの撃ち合いでは勝ち目がなく、力を尽きさせることも叶わないならばやはり近距離から一気に火力を叩き込むしかない。二枚目の符を意識しながら霊夢はまとわりつくような動きの蝶を更にかわし、少しずつ嵐の中心へと近づいていく。あと少し、あと少しと念じながらできるだけ力を貯め、かすっていく弾は当たらなかったも同じと言い聞かせ、実力差から来る恐れを喉の奥に押し込めて。霊夢はようやく嵐の中心、幽々子のはっきり見える近くまで辿り着く。
 同時に周囲を取り巻いていた蝶がぴたりと姿を消す。これまで拡散するばかりだった妖力が閉じられた扇に集中し、軽く振るう仕草ともに巨大な赤い刃が生まれてたちまちのうちに迫って来る。ここまで完全に動きを誘導されていたと気付いた時には既に遅く、霊夢は巨木のような剣の一撃をまともにくらい……。
 だが痛みはなく、傷一つ負うこともなかった。霊夢に直撃する一歩手前で攻撃が止まっていたからだ。幽々子が寸止めしたわけではない。霊夢の前に現れた剣士が一振りの刀で攻撃を受け止めたのだ。
「ご冗談を!」霊夢と同じくらいの背丈だというのに、彼女は眼前にいる強大な力の持ち主に些かも怯むことなく諌めの言葉を投げかける。そして応じるつもりがないと知るや背中に担いだもう一刀を雑作なく抜き、幽々子の妖力をいとも容易くたたき折った。切り取られた妖力は赤い刃の形を保ったまま巨木の方にくるくると飛んでいき、幹に深々と突き刺さる。
 幽々子の体が一瞬びくりとはね、扇に込められた妖力がふつと途切れる。剣士の少女は刀を瞬時に収めると側に寄って体を支えようとしたが、幽々子は無用とばかりに首を横に振る。不穏な空気はすっかりとなりを潜めていた。
「あら妖夢、お使いは終わったのかしら?」
「終わったのかしら、ではありません!」妖夢と呼ばれた少女は幽々子を不機嫌そうに睨みつける。「普通ではないにしろただの人間に本気を出そうとするだなんて。いかなる無礼を働いたかは分かりませんが、そこまでしなくても首根っこを押さえつけるくらいは簡単にできたでしょうに」
 妖夢の激しい剣幕は幽々子をすり抜け、後には気の抜けたような笑みだけが残る。そのふわふわした態度に妖夢はわざとらしく息をつき、今度は霊夢に険を向けてきた。
「博麗の巫女は昔から不躾だと相場が決まっているし、多少の狼藉は目を瞑ろう。だがね、幽々子様はおっかないけど本気で殺そうだなんて滅多なことでは考えない。いかなる無礼を働いた? ことと次第によっては頭が首にくっついたままでここから出られないと知れ」
 鋭い殺気に打たれ、霊夢は自然と背を伸ばす。だらけた態度でいるだけで斬られそうなほど、彼女の気は鋭く透徹で一片の迷いもなかった。
「変なことは訊いてないですよ。貴方はかつて春を盗もうとしたけれど、何通りの方法を考えたのか知りたかっただけで」
 霊夢には幽々子がどうして荒ぶったか、今でもよく分からない。対する妖夢は納得するように頷き、何が逆鱗に触れたかを理解している様子を見せた。
「礼を失したわけでないのはよくよく承知しました。ときに博麗の巫女である貴方が冥界を訪ねてきたということはいつまで経っても春が来ない件の調査に乗り出したということですね。それでしたら少しだけ役立てるかもしれませんよ」
 妖夢はそう言って幽々子のほうをちらと見る。知っていることを話しても良いかと目で訴えているようだった。幽々子は難色を示すことなくふわふわとした笑顔を保ったままであり、そのことを諫める様子は見られなかった。
「幽々子様がわたしに命じたのはあるものを探すことです」
「あるもの……それは春度のことですか?」
「ああ、やはり過去の事情を調べているのですね。ですが今回わたしが探していたのは春度ではありません、光なのですよ。それがかつて春とは何かと考えた時に辿り着いたもう一つの答えなのです」
 霊夢はここに来るとき、いつもより光が弱いのではないかと考えていたことを思い出す。やはり気のせいではなかったということなのだろうか。
「冬から春になるとは世界に満ちる熱量の増加と捉えることもできます。そしてその熱を与えるのは太陽なのです。でも幽々子様は亡霊、わたしは半分幽霊ですから光と昼の象徴である太陽をどうにかするのは非常に難しい。だからもう一つの方法を取ったわけですが」
「今回は太陽を意のままに操る奴が現れたと?」
「そこまでは分かりません。というか太陽を操るのでしたら等しく全ての場所が影響を受けるはずなのですが、実際はある特定の場所だけきちんと春が訪れているんです」そこまで話をしてから妖夢は再度、幽々子のほうをちらと見る。「幽々子様が命じたお使いとは光が集ってきちんと春になっている場所を見つけて来いということでした」
「そしてわたしの言われた通り、その場所を探し当てた。わたし、妖夢はできる子だってずっと昔から思ってるのよ」
 幽々子の推測はぴたりと当たり、異変の元凶に迫る情報も耳に入れることができた。勘はちっとも働かなかったけれど、正解に近付く一手を見つけることができたのだから無駄足ではなかったということになる。もしかすると勘は働いていたけれど、迷いが強過ぎるせいで上手く働いていなかっただけかもしれない。
「それで、光が集まっている場所というのはどの辺りですか?」
「魔法の森と呼ばれている辺りでした。あそこだけ妙に暖かく、太陽が眩しかったのです。まるで光が強化されているかのようでした」
 妖夢の話すことを聞きながら、霊夢は頭の片隅で魔理沙のことを思い浮かべていた。魔法の森が魔理沙の住処であること、心当たりを探ると言いながら一向に連絡を寄越さない態度、この二つが異変に関係あるのだととしたら。
「思い当たる節があるという顔ですね」考えていることを言い当てられ、霊夢は肩を震わせそうになる。すぐに考え込む癖も、その際に隙が多くなる癖も直したいのだが、性分だからかひょっこりと顔をもたげてしまうのだ。「わたしも似たようなことを考えたと思います。おそらくは貴方と腐れ縁のあの少女……もとい、今の貴方とは関係ないのでしたよね、すみません」
「いえ、付き合いがないわけではないですし……魔法の森を根城に騒動を起こすとしたら魔理沙さんくらいしか思いつかない」
 霊夢はあの森に住んでいる魔法使いを何人か知っているが、他に類を及ぼすような性格からは縁遠かったように思えた。先の幽々子みたく何かの力にあてられたという可能性もあるが、それを考慮してもなお、最初に当たるのは魔理沙だと霊夢は考えている。主犯でなくても自分の領域で起きていることに首を突っ込まないなんてことはあり得ないと思ったからだ。
「森の中までは見て来なかったのかしら」
「それも考えましたし、可能ならば一人で解決するつもりでしたが、森の周りを付喪神たちが守っていたのです。烏合の衆ならば命を取らずともいなせましょうが、やけに力の強い奴がいまして。雷を操るどうにも洒落の分からない輩でした。大きな太鼓を台座にした赤い髪の女で、些か破廉恥な格好をしていましたね」
 妖夢の語る付喪神の外見はどこを取っても堀川雷鼓のものだった。彼女が出張っているとしたら春の来ない現状は解放派が何らかの手を回した可能性が高く、だとすれば桜を散らすという犯罪予告も単なる目眩しであるとすら考えられた。
「雷使いは妖夢と相性が悪いものねえ」
 一目見ただけだが妖夢の振るう二刀は見るだけで斬られると思うほどの業物だった。それでも金属製であることに変わりはなく、さぞかし電気を引きつけそうだった。
「見くびらないでください。この剣は先知先覚の極みにあれば光よりも早く走り、あらゆるものを断ちます。でも手心を加えられるほど易い相手ではありませんでした。わたしの剣は幽々子様の許可なくして死を与えるものであってはならないのです。何故ならば死を与えるのは幽々子様だから」
「別に妖夢の判断で斬って捨てても構わないのだけどね」
 けろりと口にする幽々子に対し、妖夢は口元を硬く引き締めるだけだ。二人の間には完成された主従関係があり、余人の入り込む隙が全く見当たらない。
「そんなわけである程度戦力は削ぎましたが主力は健在といったところです。こちらから再度攻め入りましょうか?」
 幽々子は妖夢の進言に、口元に人差し指を当てて可愛らしげに思案を巡らせる。
「その必要はないわ。ここに異変の専門家がいるのだから、仕事を奪っては可哀想よ」
「いえ、助力をもらえるならばそれもやぶさかではなくて……」
「ごく短時間とはいえわたしと拮抗してみせたんだもの。それくらいはやってもらわないと」
 柔らかい物腰なのに有無を言わさぬ幽々子の口調に、霊夢は続く言葉を封じられてしまう。妖夢は一瞬、大丈夫かなと言いたげに霊夢を見たが、それでも手を貸そうとは言ってくれなかった。
 幽々子は自分のことを嫌っているわけでも遠ざけたいわけでもない。むしろ一種の好意さえ抱いてくれている。だからといってそれが必ずしも良いほうには向かうわけではないのだ。見込まれたからこそ厳しくされることもある。なんともままならないと思ったが、食い下がっても幽々子はのらりくらりとかわすだけだし、説き伏せるだけの弁も力もないことは承知している。ここは情報が手に入っただけでも良しとするべきところだった。
「分かったわ、魔法の森に巣食う付喪神と怪現象、どちらもきっちりかたを付けてやろうじゃない」
 拳を握りしめながらそう宣言すると、幽々子は気の抜けた拍手を霊夢に送る。
「良い心意気ね、やっぱり若い子はこうでなくっちゃ」
 脳天気極まりない応援に内心でやれやれと思いながら、霊夢は辛うじて友好的な笑顔を浮かべる。こういうときに腹芸ができないのはきっとまだ未熟な子供だからなのだろう。幽々子が孫を見るような微笑ましさを見せているのも矜持をちくちくと刺してくる。
 長居するほど己の未熟さを見せつけられそうで、霊夢は半ば逃げるように暇を告げる。すると幽々子は眉をへの字にしてしまった。
「あら忙しない、もう少しゆっくりしていけば良いのに。妖夢も帰ってきたことだし、おもてなしの一つくらいはできると思うのだけど」
「いえ、やることが決まったからにはできるだけ早く動きたくて」
「疾きこと巫女の如しね。それでは気が向いたらで良いから、またここを訪ねて頂戴。今度は白玉楼の主としておもてなしさせていただきますわ」
 その日が来るのを心待ちにしていると言わんばかりの、霊にあらざる存在感を放つ笑顔だった。そんな表情を向けられたら霊夢には二つ返事で頷くことしかできなかった。
「霊夢さん、一つだけ忠告を」
 二人に背を向け、元来た道を戻ろうとしたところで妖夢に声をかけられる。振り返ってみると彼女は気がかりごとを噛みしめるような硬い表情を浮かべていた。
「わたしが相対した雷使いの付喪神ですが少しばかり奇妙でした。どこか己を失っているというか妙に自動的だったというか。まるでかつての道具としての本性に立ち返ってしまったかのようで、こちらの呼びかけにもちっとも答えませんでした。あの寡黙さ、無機質さが彼女の本性でないならば……」
 堀川雷鼓は太鼓の付喪神だが、その在り方はとても有機的で活動的である。機械を開放する結社の頭領を勤め、その一方で革新的な音楽活動に従事している。霊夢は敵のはずだがふらりと神社を訪れるようなこともあり、幅広い友好関係を築いている。道具であった頃を払拭するかのように自由奔放な性格でそのために失敗することも割と多いのだが、みなそれを彼女の美徳みたいなものと考えており、霊夢でさえ例外ではなかった。
 そんな彼女が道具のように振る舞うだなんて、霊夢にはおよそ想像できなかった。妖夢の話が本当ならば、雷鼓は何らかの理由で我を失っている可能性がある。
「分かりました、できるだけ気をつけてみます」
 そう請け合うと妖夢は心なしかほっとした様子を見せる。どうやら彼女は幽々子ほど浮世離れをしておらず、主に関わらないことならば話が通じるようだった。
「それに関連して一つ伝えることがあります。歌詞かなにかだと思うのですが、あの雷使いは譫言のようにぶつぶつと呟いていました」
 雷鼓はリズム専門なのか、音を奏でても歌っているところは見たことがない。先月の演奏でもドラムを叩くだけで歌は夜雀や山彦が担当していたはずだ。それもまた雷鼓らしからぬおかしなことだった。
 霊夢が首を横に振ると妖夢は納得するように小さく頷き、それから大きく息を吸い、詩を読むようにして一節を口にした。
「日輪青くかげろへば、修羅は樹林に交響し、陥りくらむ天の椀から、黒い木の群落が延び……」生のない冥界に妖夢の朗読はすうと響き、霊夢の心をつんと打つ。胸に染み入り、不思議と惹きつけられる独特の魅力がそこにはあった。「他は聞き取れなかったのですが、こんなことを。霊夢さんのほうで心当たりはありますか?」
 頭の中で復誦してもやはり思い当たる節はないが、やはり霊夢の胸をざわめかせる何かがあった。
 妖夢に頭を下げると、霊夢は茫洋とした心を持て余しながら来た道を戻る。気になることはいくつもあるが、不思議とあの歌が気になってしょうがなかった。
「遠子に聞いてみればわかるかな?」
 里に戻ってからもう一度稗田の家を訪れようと腹積もりを決め、霊夢は意を決して帰途に着く。行きにも増して長く感じる道程であり、再び冥界の門が見えてきた時には思わずほっと息をついてしまった。ここまで来ると心に忍び込む寒気も随分と和らぎ、生あることの感謝が柄にもなく湧いてくる。
 さてもう一息と言い聞かせ、霊夢は行きと同じで躊躇いなく冥界の門を潜り。
 そして先程までの腹積もりがいきなりご破算となってしまったことを知った。
「やあやあ随分と遅い帰りじゃないか、上下左右のない巫女様よ」
 門を抜けた先にコンサートホールで霊夢に挑発を仕掛けてきたあの天邪鬼が待ち構えていたからだ。
 彼女は解放派の頭脳を担っているはずであり、魔法の森には付喪神が布陣している。何も知らないということはあり得ないはずだ。
 とっ捕まえて、踏みつけて、洗いざらい吐いてもらう。
 霊夢は強い意気込みと共にお祓い棒を構えるのだった。

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この小説へのコメント

  1. 妖夢が育ってる代わりかなんだかゆゆ様が曖昧な状態ですね
    雷鼓さんもだけど魔理沙の立ち位置が気になります

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