東方二次小説

2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅   修羅と修羅 第10話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅

公開日:2017年04月07日 / 最終更新日:2017年04月07日

地図が指し示す通りの場所から魔法の森に入ると、霊夢は森の影響を遮断するため周囲に対魔力の結界を巡らせる。と言っても霊夢がいま張っている結界ではうすぼんやりと漂う森の魔力を遮蔽する役にしか立たない。そこいらの妖精が戯れに放ってきた弾でも受け止めることはできないが、代わりに周囲の探索能力を強化してある。
 魔理沙が異変の元凶なら霖之助が所有している地図への対策も済ませているはずであり、待ち伏せされている可能性が高い。最善は不意打ちにも対応できる強度の結界を張り続けることだが、木々が密集している魔法の森ではところどころに点在する広場でもない限り高速で飛行することはできず、どんなに急いでも到着まで時間がかかる。魔理沙との対決があるなら消耗は最小限にする必要があるし、それならばこちらから発見して先制攻撃で素早く落とすのが最善だと考えた。
 だが霊夢の予想は見事に外れており、一度も待ち伏せを受けることなく魔理沙の家がある広場に到着してしまった。あまりにもあっさりとしていたので途中からは罠の可能性も疑っていたのだが、脅かしの仕掛けすらない。家の前にも何者かが潜んでいる様子はなく、誰かが守っていることもない。一度は罠にかけておきながら一貫性に欠いた行動であり、霊夢はそこに何らかの企みを感じずにはいられなかった。だがじっとしているだけでは一向に話が進まない。
 奇襲を受けても良いように結界の強度を上げ、身体強化を五段階まで高めると、霊夢はわざとらしく木陰から姿を晒す。それでも攻撃を仕掛けてくるものはなく、一体どうしたことかと思いを巡らせているうち、入口から見慣れた姿の魔法使いが姿を現した。
「剣呑な霊力がだだ漏れだ。まるでわたしを退治しに来たかのようじゃないか」魔理沙はこんな状況だというのに、普段と同じように声をかけてくる。それが霊夢には逆に不気味だった。「人里に根を張っているわけでなし、理由もなしに討伐されるいわれはないと思うが」
「胸に手を当ててじっくり考えてみなさい」
「わたしの胸には沢山のものが詰まっていてね」魔理沙は霊夢よりずっと膨らんだ胸にそっと手を当てる。「でも良いね、その言葉。かつての霊夢にも何度か言われたことがあるよ。それは大抵の場合は正しいものだ。でも時々は正しくない」
 その言葉の中にどんな思いが秘められているにしろ、霊夢には普段の魔理沙にしか見えなかった。それでいて箒にはいつでも使えるように魔力がこもっており、霊夢の技に即対応できるような魔術の仕込みが随所に見て取れる。そのどちらもが魔理沙の心当たりを言葉なく示していた。
「今のわたしには二つの正しさがある。そしてどちらを引き寄せるかは霊夢次第だ。そしてそのための手段をわたしたちは知っている」
 その言葉とともに、魔理沙の周囲で魔法陣がいくつも展開される。それで霊夢も説得する可能性を完全に捨てた。霖之助からもらった札と針をそれぞれの腕に構え、魔理沙を正面から見据える。
「良いね、迷いなく敵を討つと言わんばかりの鋭い視線。ぞくぞくするよ。わたしはこんな日が来るのをずっと待っていた気がする」
 その気はないと返す間もなく、魔理沙が魔法陣からマジックミサイルを放ってくる。緑の糸を引きながら追尾してくる弾幕に向けて札を撃ち込むとともに、霊夢は思わず重い息を吐く。身体強化を最大にしている時のように、霊力が道具に吸われていくのが分かった。これで強化まで重ねたらどれほどの力の消耗が早くなるのか。考えただけで身が竦みそうになる。
 だが消耗だけでなく見返りもあった。いつもなら良くて相殺、連打で押し切られることが多いのに、いま霊夢の放った札はミサイルを次々と突き破り、魔理沙に向けて鋭く迫りつつあった。その威力に魔理沙は驚いていた様子だったがすぐに気を取り直し、素早く後退しながらレーザーで札を的確に焼き払っていく。ひとつの動作に集中させないよう遠方から針を乱射したが、魔理沙はその速度と巧みな箒捌きでするりと逃れ、一発も命中しない。
 魔理沙の対処が完了する前に霊夢は先程よりも札を増やして第二波を放つ。追尾する札に対処させて持ち味である足を封じるつもりだった。だが魔理沙は札から距離を取るどころか接近を試み、魔術の意匠が施された符を高らかに掲げた。魔理沙の前面に展開された五つのビットは迫り来る札を高速回転するレーザーによって難なく薙ぎ払い、相殺しきれなかったエネルギーが霊夢めがけて飛んでくる。慌てて退いた霊夢は一瞬だけ攻撃の手を緩めてしまった。
 古豪の魔法使いにはその一瞬で事足りた。自慢の速度で一気に距離を詰めてきて、ビットから発射されるレーザーで霊夢をも薙ぎ払おうとしてくる。左右から交互に迫りくる斬撃を辛うじてかわせたのは、稽古をつけてもらっていたときこの符をよく使ってきたからだ。
 なんとか距離を取ろうとするが、魔理沙は符を展開して力を振るっているというのに余裕綽々でついてくる。レーザーの動きは徐々に早く鋭くなり、嫌らしいタイミングで放ってくる星弾のせいでいよいよ回避が難しくなる。星が何度もすれすれを通り、回避したかと思えばレーザーがすぐそこまで迫ってきて、慌てて切り返しの連続。苦し紛れに放った札や針は防御に専念しているレーザーが即座に弾いて魔理沙には全く届かない。
 このままでは手玉に取られ続けて消耗するだけで終わってしまいそうだった。せめて身体を最大まで強化していれば逃れられたかもしれないが、霖之助の渡してもらった装備の重さに踏ん切りがつけられなかったのだ。全力で当たらなければ勝ちはないと分かっていたのに少しだけけちってしまったつけを霊夢は痛いほど味わっていた。
「ふむ、威勢が良かったのは最初だけかね?」
 馬鹿にされていると分かったが、あまりにもあっさりやり込められていて怒りすら湧かない。正面から打って出たのに、これでは流石に無様過ぎた。
「それとも何か策でもあるのか?」
 返答の代わりに霊夢は歯を噛み合わせ、最大強化に移行する。再び意識を失いかけたがレーザーの痛烈な一撃が結界を打ち、その衝撃が遠のきそうになる意識を現実に引き戻してくれた。霊夢は自らの守りが消失したことを認識すると一気に上へ抜けて符の範囲外に脱出、距離を詰めようとしてくる魔理沙に牽制の札を発射する。周囲を回転するレーザーが札を撃ち落とそうとする瞬間を狙い、霊夢は針を投射しながら今度は一気に距離を詰めた。
 迫り来る薙ぎ払いのレーザーを一つ、二つとすれすれでかわし、接近を防ぐために撃ってくる星弾は先行する針が貫いて打ち消していく。魔理沙は接近を防ぎきれないと判断したのか即座に符を解き、攻撃から逃れようとしたが、お祓い棒による横薙ぎがそれよりも早く魔理沙の胴を打った。慌てて箒で受け、直撃は防いだが箒はみしりと音を立て、霊気による圧力で魔理沙の脇腹に強い衝撃が走る。
 慌てて後退する魔理沙を見て好機だと判断し、霊夢は重く息を一つ吐きながら符を取り出す。二つの強化によって霊力の消費が著しいこの状況では、短期で畳み掛けるしか勝ち目がないと判断した。この一撃で魔理沙を倒す、それだけを念じて霊夢は大入の符に力を込め、そして高らかに宣言する。
「博麗の名において命じる。猛き妖の力、夢の如く散るべし!」
 妖を強制的に討ち倒す巫女にとっての福、発光する霊力の塊が同時に四つ、霊夢の前に出現する。結界内に凝集した霊力を放つこの技は単発で撃つだけでも力をごっそり持っていかれるのに、一度に四つとなれば制御の難しさも並大抵ではない。僅かでも気を抜けば霊力が漏れ出し、霧散して霊夢自身が痛手を負うことになる。霊力も白熱するほどに濃く集えば人間にさえ効果があるのだ。
 かの吸血鬼と対峙した時のように、なんとしてでも魔理沙に勝ちたかった。リスクも何もかも一塊にして、この全力を思い切りぶつける。その思いが生み出した力を最後まで崩さず、打ち出すためのひと踏ん張りを与えてくれた。
《霊符『夢想封印』》
 一際の霊力が迸り、四つの光球が後退する魔理沙を追跡していく。魔理沙は追尾する札を撃ち落とした時のように距離を取りながらレーザーを浴びせてくるが、霊力の塊は勢いを弱めることなく目の前の妖怪に向けて更なる加速を遂げ、徐々に距離を詰めていく。このまま全弾命中して勝負が終わってくれることを霊夢は期待したが、夢想封印の向こう側にいる魔理沙の表情を見て唇をぐっと噛みしめる。魔理沙は己の危機と満面の笑みを持って相対していた。
 魔理沙は更に速度を上げ、光球の加速に勝って距離を少しずつ開けていく。だが光球は相手を滅するまでどこまでも追いかける。逃げ続けているだけではどうしようもできないと、この技をかつての霊夢から何度も受けているであろう魔理沙はよく知っているはずだった。
 霊夢の疑問に答えるよう、魔理沙がぴたりと動きを止める。その手には彼女が最も愛用する魔道具が握られていた。
「恋の嵐の如く、魔の力よ全てを押し流せ!」
 その宣言と共に魔理沙の周囲を濃い魔力が渦巻き、構えた八卦炉にみるみる吸い込まれていく。体内に蓄えた魔力を一気に放出し、集中させているのだと霊夢の目にもはっきり分かった。小細工なし、純粋な力押しの魔法が放たれるのだとは分かったが、霊夢にはどんな攻撃が来るのか全く見当がつかなかった。かつて稽古をつけてくれた時は速さと弾数を頼みにし、じわじわ押し切るという戦法を使ってくるだけだったからだ。それなのに悪寒が全身を包み、警戒すべきだという合図のように、頭の中でがんがんと鐘が鳴り響いていた。
 いつでも結界の符を発動できるように構え、膨張する魔力の源にじっと視線を据える。同時に八卦炉が白く光を放ち、周囲に星を放ち始める。
《恋符『マスタースパーク』》
 八卦炉から放たれた超巨大なレーザーが夢想封印の光と激突し、拮抗する間もなく一つ目が打ち砕かれる。レーザーの威力はほぼ衰えることなく二つ目と三つ目の光球も飲み込んでいき、最後の塊も嘲笑うように掻き消していく。むせ返るような魔力の奔流は夢想封印を粉砕してなお健在であり、七色の星を周囲にばらまきながら霊夢に襲いかかってくる。
 普通の防御では到底防ぎきれないと判断し、用意していた防御用の符を前方にかざし、二重の結界を展開させる。唸るような音と共にレーザーが結界にぶつかり、周囲に拡散する力の残滓が霊夢の肌をちりちりと焼く。本当に焼かれているわけではないが、高熱に打たれていると同じくらいに辛い。結界が綻びそうになるたび札を貼り付けて穴を塞ぎ、焼け石に水ではあったが結界の側面から札を撃ち込んでレーザーの威力を僅かずつでも削ごうと試みる。それでも魔理沙の放ってくる力は圧倒的で、補修の甲斐なく結界の一つが壊れ、もう一つにもみるみるひびが入っていく。
 力の奔流がやんだのは二つ目の結界がほぼ機能を失い、あと数秒で破壊されるというところでだった。だが霊夢には助かったと息をつく暇さえなかった。あれだけの術を撃ったというのに魔理沙はけろりとしており、八卦炉を箒の尾につけると霊夢に向かって一目散に飛んできた。これまでも十分速かったが、その動きは最大まで強化した霊夢の感覚でさえ捕捉するのがやっとというところで、全速の離脱にも苦もなく追いついてくる。小刻みにじぐざぐ動いて狙いを集中させまいと試みたが、ターゲッティングの精度も先程までとは段違いとなっており、ミサイルは容赦なく霊夢の側を通過し、服を掠め、新たに展開した結界に命中して炸裂する。高速移動しながら展開できる結界は強度に限りがあり、難なく破壊されて爆風が僅かに腕を掠める。
 霊夢は痛みを堪えながら必死に森の中へと逃れ、樹木を縫って飛びながら反撃の機会が作れないか必死で頭を巡らせる。木々が密集していれば魔理沙も速く飛べないはずだから、ここで速度以外の勝負に持っていけると考えた。だがそれは甘い考え方だとすぐに突きつけられた。魔理沙はすいすいと木々を縫い、ほぼ速度を落とすことがなかったのだ。だから速度を落とさなければならない分だけ霊夢が一方的に不利になった。木を盾にしてミサイルの直撃は防いだが、このままではすぐに追いつかれて至近距離から攻撃を食らわされてしまいそうだった。
「この森はわたしの庭だぞ、目隠ししたってすいすい飛べるさ」
 魔理沙の言葉が霊夢に、森の上へ抜けることを決断させた。遮蔽物のない場所では魔理沙の速さがいかんなく発揮されることは分かっていたが、今より不利になることはない。針葉樹の尖った木の葉を強引に突っ切って上空に出ると魔理沙もすぐに追いかけてきて、卓抜した速さで霊夢の周りをぐるぐると回りながらミサイルをあらゆる方向から浴びせかけてくる。霊夢はたちまち動きを封じられ、棒立ちを余儀なくされてしまった。
 森の中より不利にならないというだけで打開策は何もなかった。霖之助の持たせてくれた装備はよく防ぐ盾を作り、また迫り来るミサイルをまとめて縫い落とす武器となってくれるが、消耗もいちいち激しい。眩暈に似たような感覚に何度も襲われ、その度に腹の底に意識を集中し、全身から霊力を絞りとるようなイメージを想起して堪える。
 だがそれもすぐに限界が来た。かといって多少の傷を覚悟で遮二無二逃れることもできない。それ程までに霊夢と魔理沙の速度差は絶望的だ。咲夜と戦った時も超加速という反則的な技に晒されたが、まだ決闘に慣れていないという隙があった。だが魔理沙は最初の余裕などとうに消え、全力で遊びを楽しんでいた。
 そう、魔理沙は楽しんでいるのだ。高速で飛び回るその表情は喜びに溢れ、そして茶色の瞳の奥にはちらちらと金の炎が灯っている。付喪神たちと同じく狂気に浸されたのかと思ったが、妖精のように弾を乱射してくる彼女らに比べ、魔理沙は力も技も冴えきっている。
「どうした霊夢、いつもらしくないなあ!」いつもという単語に霊夢の背筋がぞくりと震える。魔理沙を捉えている狂熱を理解してしまったからだ。彼女はかつての霊夢と自分のことを完全に混同し、区別がつかなくなっている。「さっきみたく反撃して来ないのか? まだまだこんなもんじゃないだろう? 調子が尻上がりなのは知ってるけどな!」
 きぃんと鋭い音が響き、魔理沙の姿が一瞬で視界から消える。この後に及んでまだ速度を上げ、霊夢を完膚なきまでに打ち倒そうとしていた。天狗のように天翔ける魔理沙に対して霊夢ができるのは狙いも定めず、追尾の性能だけ信じて札を放り、紛れ当たりを狙ってやたらめったらに針を投擲するだけだ。もちろん防御なんて間に合うはずもなく、緑色の爆風が霊夢の視界を不明瞭にし、余計に魔理沙の動きが追えなくなる。
 そして油断した一瞬に結界の守りが途切れた。ミサイルが霊夢の目前まで二発迫っており、一発をお祓い棒で叩き落とすのが精一杯だった。肩に一発直撃を受け、叩き落とした方のミサイルも爆風で霊夢の体を強かに打つ。痛みで意識が遠のき、視界がぼやけていく。体が重力にとらわれ、空から地面へと真っ逆さまに落ちていく。微かに生きている視界から見える魔理沙の姿は霞んで覚束なかったが、助けてくれる様子は一切ない。油断なく状況を見据え、いつでも攻撃を仕掛けられるのだと誇示しているように思えた。
 かつて稽古をつけてくれたとき、激しい動きに晒され続けて意識を失いかけることが何度かあったが、魔理沙はそのたびに霊夢を助けてくれた。慌てたような表情で大丈夫か、お前は無茶をし過ぎる、霊夢と名前が付くやつはみんなそうだとぶつくさ文句を言ってくれて。霊夢はそれが面白くて少しだけ嬉しかった。そして癪に触った。
 魔理沙が自分を通してかつての霊夢を覗き込んでいたからだ。お前はお前だといつも言ってくれたけど、魔理沙の視線はまるで恋焦がれる乙女のように過去を視ていた。比べられるのは好きではなかったが、魔理沙にとって博麗霊夢がどれだけ大事な人間だったのか、その態度があまりにもまっすぐ示すから拒むことができなかった。徐々に過去を見る頻度が減り、別物としてはっきり扱ってくれるようになって、霊夢は正直なところほっとしたし、ほんの少しだけがっくり来た。過去の霊夢とはあまりにも程遠く、同一視できないほど弱いのだと言葉なく突きつけられたからだ。
 脳裏を過ぎっていく思い出の一つが、霊夢にほんの少しだけ力を与えてくれた。落ち行く体を必死に留め、何とか空中に繋ぎ止めることに成功すると、疲れた犬のようにぜいぜいと漏れる息を整える。まだ霊力は空ではない、痛みのショックで使い方を一時的に失念していただけだ。そう自分に言い聞かせると、霊夢は魔理沙を睨みつける。
「今日は調子が悪いのか? その程度で被弾して血まで流して」魔理沙の指摘に肩がずきりと痛む。ぬるりとした感触は気持ち悪いが、霊夢はそちらに視線を向けなかった。血だということは分かっていたし、その広がり様を見たら折角鼓舞した気力が萎えてしまうかもしれない。血は毎月流しているが、怪我によって流れるそれはまた別物だ。「風邪でも引いているのか? それならそうと早く言ってくれれば良いのに」
 魔理沙は霊夢が未熟なのではなく、退魔師として類稀なき力を持っているのに何らかの理由で調子を崩していると考えている。これまでの戦いから理性と分析に則っていることは明らかなのにその一点だけが狂っている。あるいは狂った振りをして過去の埋め合わせをしようとでも言うのか。
 どちらにしても冗談ではないと霊夢は思った。勝てる見込みなんて一つもないのに、ここであっさり降参すれば我に戻ってくれるかもしれないのに、それでも霊夢は痛む肩をおしてお祓い棒を握り締める。ここで引いてはいけないと心が訴えていた。踏み留まらなければ何も得ることはできない。霊夢は内側からこんこんと湧き出してくる勘……もとい、想いをこの土壇場で信じようとした。
「なんだよそれ、調子狂うなあ。いつもの霊夢らしくない」魔理沙は箒の尾に取り付けていた八卦炉を外すと、夢想封印を撃ち落とした時と同じく前方に構える。「それなら嫌でも休ませてやる。今度は手加減なし、体力と霊力をすっからかんにしてやるからな」
 魔理沙は構えた八卦炉に全身から立ち上る魔力を注ぎ込んでいく。先程より距離があるというのに息苦しさは和らぐどころかいや増しており、同じ場にいると言うだけでこちらの力を削り取られそうだった。それほどの魔力を使い、魔理沙は渾身の一撃を放とうとしている。
 何百年も生きてきた魔法使いの、本当の本気。逆立ちしても受けきれるか分からないほどの一撃。気合や勘だけではどうにもならない実力の差を埋めるためできることは何か。霊夢の必殺は軽くあしらわれ、そして魔理沙から伝授してもらった速さは当然の如く通じなかった。
 他に自分のできることは何か。他に何か、身の内に眠る技がないか。
 答えがなければ今度こそ終わりだった。だが天啓はただ一つだけ、霊夢の元を訪れてくれた。
 以前にもう一人の師匠である天子が見せてくれた技のことを思い出したのだ。
 気を束ね、普通の剣ではあり得ないほどの巨大な刀身を作り出すその技を何度か試してみたが一度も上手くいかなかった。天界の宝剣を持たない霊夢では普通の剣と同じくらいの長さの刃を生み出すのが精一杯だったのだ。夢想封印と同じ理屈で結界を剣状に組んで力を注ぐことも考えてみたが、それも上手くいかなかった。霊夢がいつも使っている札では剣状に結界を張って力を注ぐと必ずどこかから力が漏れ出してしまい、上手く形成できなかったからだ。しかしいま、霊夢の手にはオリジナルの博麗の札がある。これならば上手く行くかもしれないと思った。もちろん試験なんてしている暇はない。ぶっつけ本番でやるしかなかった。
 あとで解析しようと取っておいた分も含め手持ちの札を全て取り出すと、お祓い棒を鞘にして霊力を注ぐ基点と定め、巨大な剣を手にした己を想起する。師匠が見せてくれた剣は赤い気を放っていたが、霊力を込めるのだから思い浮かべるのは白く輝く一振りだ。暴走した雷鼓が見せた稲光のように、どのようなエネルギーも一刀のもとに切り裂く鋭さも欲しい。
 剣状に結界を組み、力を注ぎ込んだが生まれたのは霊夢の望むような鋭い白刃ではなく、神奈子が武器として使う御柱のように鈍重な一振りだった。これを更に細く刀身のように練り上げるのは今の霊夢の力ではまだ無理だったからだ。だがこの際、魔理沙の攻撃に対抗できるならばなんでも良かった。斬りつけるのでも叩きつけるのでもさして変わらないはずだ。
 さもすれば途切れそうになる意識を絶やさないよう、霊夢は大魔法を放ってくるであろう魔理沙をきつく凝視する。霊力を通しっぱなしにしているためかいつにも増して視界も明瞭となっており、その表情がくっきりと分かる。
 魔理沙は霊夢の不格好な剣を見て明らかに動転していた。どうしてこんなものがそこにあるのだと言いたげだった。唇の動きから何を話しているのかまでは読み取れなかったが、譫言のように口を動かしている。そんな、まさか、だなんて弱気を口にするような性格ではないと分かっていたけれど。何故か霊夢は魔理沙がそんなことを呟いているような気がしてならなかった。
「わたしがこんな技を使うなんて思ってなかったの?」たったこれだけのことを叫んだだけでも胃がでんぐり返ったようで、内容物が喉の奥をごろごろ揺らす。口の中が僅かに酸っぱくなり、それで更に気持ち悪くなってきた。それでも叫ばずにはいられなかった。「あんたがよく知っている霊夢ならこんな無様な技、使わなかったでしょうね! お生憎様、わたしはわたしなのよ!」
 怒りの詰まった主張に対する返答は、眼前を白く焦がす砲撃だった。その寸前、魔理沙に避けろと口にされた気はしたが、霊夢は全く逆の行動を取った。轟音と途轍もない魔力を秘めた砲撃に、真正面から斬りかかったのだ。
 二つの力がぶつかり、火花のような音があがる。魔力の奔流は凄まじく、あっという間に押し流されてしまうのではないかと思ったが、それよりも先に霊夢の手にした霊気の柱が光芒を切り裂いた。霊夢は割れた海を渡るが如く魔砲の中央を飛んでいく。あまりにも濃い魔力のせいで熱いのか痛いのか、それとも別の感覚を味わっているのかさえも分からなかった。魔理沙の放つ力にほんの僅かな間だけであっても勝ることができたという眼前の事実のみが、霊夢を前へ前へと衝き動かす。
 このまま魔力の源にまで辿り着き、魔理沙の脳天を霊力の柱でごつんとやるつもりだった。手加減はできないが死ぬことはないだろうと考えてのことだ。そんな思いを挫くかのように魔理沙の放った光芒の大魔法がぴたりと止まり、轟音も莫大な魔力もぴたりと収まってしまった。
 力勝負を捨てて再び速さで襲いかかってくるのかと思った。それをやられたら今度こそ霊夢は打つ手なしだった。だが魔理沙は移動する素振りもなく、霊夢が振り下ろした柱の一撃を甘んじて食らおうとしていた。その顔はかつての霊夢ではなく、いまここにいる霊夢を見ていた。そして悪戯が失敗した悪童のような、照れ笑いに似た笑顔を浮かべていた。
「解けろ!」
 魔理沙に当たる直前で、霊夢は柱を形成していた結界を解く。制御を失った霊力がところどころで弾け、そのいくつかは魔理沙の体を打って苦悶の表情を浮かべさせる。だが霊夢はそんな魔理沙を心配することはできなかった。凝集した霊力は普通の人間にも効果を及ぼす。たとえ術を編んだ本人であっても例外はない。弾けた霊力に体を打たれ、それがぎりぎりのところで保たれていた意識を一気に刈り取ってしまった。
 折角ここまで来たのに締まらないと思いながら、霊夢は意識を失い真っ逆さまに落ちていった。
 
 
 目が覚めるとともに、霊夢は悲鳴をあげる。自分がまだ落ち続けていると思ったからだ。ベッドの上に寝かされていると気付くのに少しだけ時間がかかった。助かったことを実感するには更に時間がかかったし、魔理沙の寝室にいることに気付くのにはそれよりももう少し時間がかかった。
「む、思ったよりも早く目覚めたな」
 声のする方からお茶の匂いが漂ってくる。なんだか随分と久しぶりだ、昨日も一昨日も口にしたというのに不思議だなと、霊夢はまるで他人事のように考えてしまった。それくらい今の状況が上手くつかめなかったのだ。
「訊きたいこともあるだろうが、まずは一服ぐいっと言ってくれ。ちょいと苦いかもしれないが化膿止めに代謝の促進、雀の涙だが霊力の回復もできる一品となっている」
 霊夢は肩の痛みに耐えながらゆっくりと体を起こす。それで今更ながらに下着とインナーだけのぴっちりした姿になっていることに気付いた。包帯はインナーの下で巻かれているからもしかすると一度丸裸にされたのかもしれない。
「この包帯、魔理沙がやってくれたの?」
「治癒の魔法にはあまり詳しくないんだ、その代わりに薬の知識はあるから傷に効くやつをたっぷり塗り込んでおいた」
 鼻を寄せなくても分かるくらい、独特な薬の臭いがぷんと鼻をつく。ずきずきと痛むが血は止まっているらしく、包帯にもうっすらと滲んでいる程度だった。
「切ったり縫ったりが必要だったらどうしようかと思っていたが、深手じゃなくてほっとしたよ。痕もほとんど残らないはずだ。服や下着にびっしりかけてある退魔退妖の護りのお陰だろう。そのせいで脱がすのに偉く難儀したけどな。いやはや魔女になるのも良いことばかりではないらしい」
 魔理沙の苦笑につられて笑いかけ、口元を引き締める。異変の元凶ではないかという疑いはほとんどなくなっていたが、それでも関係者であるということには違いない。それに魔理沙ははぐらかしに関しては天才的だから、この期に及んでも何も聞き出せないということも有りうるのだ。
「怖い顔しなくても全部話すよ」霊夢の考えを察したのか、魔理沙は降参と言わんばかりに両手をあげる。「勝負は次に持ち越しだが、どちらの正しさに肩入れするべきかは、霊夢と戦ってみてはっきり分かったからな」
 霊夢は魔理沙の瞳をじっと覗き込む。その中に狂熱を放つ金の炎はなく、霊夢がよく知っている瞳の色だった。
「魔理沙ももしかしたら操られていたの?」
 そのことに気付いたから霊夢に肩入れしてくれるのかと思ったが、魔理沙はすぐ首を横に振る。
「だとしたらまだ面目は立つんだがね。霊夢があまりにも昔みたいだからつい酔っ払ったというか昔に憑りつかれたというか……霊夢には以前、妖怪がいつの記憶を失いやすいということを話したと思うんだが」
「うーん、なんとなく覚えているような」神社が妖怪にとって居心地の良い場所である理由としてそんなことを語っていたような記憶はあるが、仔細まで覚えているわけではなかった。あまり霊夢にとって良い話ではないし、与太話の一つみたいに考えていたからだ。「年を取った人があるきっかけで昔のことを鮮やかに思い出す、あれみたいな感じ?」
 東の里は高齢化が進んでいるせいか老人の割合が多く、その一員である霊夢は若い頃のことをやたらと饒舌に語る老人に付き合わされることが時々ある。若い頃のように振る舞って体を壊すようなこともある。それと似たようなものかと思ったのだ。
 あまり良い例えでなかったのか、魔理沙は苦味寄りの苦笑を浮かべた。
「まあ間違ってはいない。心だけでなく体まで昔に戻ったような気分だったからな。霊夢だったらこれまでにも似たような経験を味わったことがあると思うんだだが」
 言われるまでもなく、かつての霊夢と同一視する妖怪には嫌になるほど遭遇している。先日訪問した紅魔館でも自分が昔の霊夢でないことを示すため、いちいち吹っかけられた勝負に勝たなければならなかった。でも流石に魔理沙が区別をなくすことになるとは考えていなかった。
「それは霊夢が実力を付けたから……というのはフォローにならんか。申し訳ないことをした。本当は二符を切り抜けられたら色々と話すつもりだったんだがね。霊夢があのぶっとい柱を生み出すのを見るまで、かつての霊夢だと完全に思い込んでいた。いやあ、あれをやってくれたお陰で目が覚めたよ。狙ってやったなら大したものだが」
「そんなはずないでしょ!」
「だよなあ……でも霊夢って結構信心深いところあるんだな。あれ神奈子の真似だろ」
「ま、まあそんなところね」霊夢が模倣しようとしたのは全人類の緋想天という天子の技だったのだがそれは言わないでおくことにした。符として扱えるようにする際にはもう少し見栄えを剣らしく整えようと、霊夢は心密かに決意する。「ところでさっき、色々と話すって言ったわよね。いまこの森で何が起こってるのかを洗いざらい白状してくれるってわけ?」
 そこで霊夢は一つ息をつき、勧められた茶に手をつける。脅されたから覚悟していたのだが、甘味をある程度加えてくれたのかそこまで苦くはなかった。それでも珈琲よりはよほど苦かったのだが、一人暮らしで妖怪とふれ合う機会も多ければ多少の珍味には慣れっこにもなる。
「と言っても大して話すことはない。わたしが知っているのはこの森に何が現れ、どういう事情で太陽の光を不当に掠め取っているのかということだ。わたしは彼女の事情も尊重したい……もとい、わたしが一方的に肩入れしているだけかもしれないな。悪いことをしているのだとは知っていたがどうしても止められなかった。だからわたしのもとに裁定者が現れるのを待ち続けた。注文をつけるならもう少し早く来て欲しかったけどな……どうやらわたしは意外と霊夢に信頼されているらしいね」
「博麗の巫女は公務員なの、異変に対する絶対特権も上から承認が下りて初めて行使できるんだから。というか今回はまだ下りてないし、休暇届けを出してないから下手すると無断欠勤、その分給料から天引きされるかもしれないのよ」
「やれやれ、知ってはいたが改めて聞かされるとなんとも世知辛いものだ。霊夢は魔法使いを目指すべきだったよ、少なくとも何かに縛られて生きる必要はない」
「それならばわたしは霊夢ですらなかったわ。魔理沙が弟子にしてくれるというなら少しばかりは大成できたかもしれないけど」
 弟子という言葉を口にした途端、魔理沙の顔が盛大に曇る。霊夢はこのご時世、魔理沙のような魔法使いはいよいよ成り手がいないことをおぼろげに思い出していた。魔法使いだけでなく職人全般の成り手がめっきり減り、時間制約のない妖怪が一芸を極めるその立場を独占しており、一部で社会問題とさえなっているのだ。
『霊夢が魔法使いでわたしの弟子ならなあ』
 そんなぼやきとも冗談とも言えない呟きを、魔理沙は霊夢に漏らしたことがあった。その時は軽く流したし、魔理沙もけらけらと笑うだけだったが内奥には少なからぬ焦りがあったのかもしれなかった。
「だから魔理沙は異変の黒幕に肩入れしているんだ」
 ふとした思いつきだったが、魔理沙の表情は霊夢の指摘が正しいことをはっきりと示していた。
「彼女は控えめに言って天才だ。あと三ヶ月……一ヶ月あればそれなりに魔法を弾幕として使いこなせるようになったかもしれない」
 古典魔法は初歩的なものでも習得に数ヶ月から数年かかると霊夢は聞いたことがあった。魔理沙の話が本当ならば、謎の黒幕氏は類稀なる才能の持ち主ということになる。そして今ならばまだ苦もなく制圧できるのだということも、語りはしなかったが察することができた。
「幻想郷の一年の作物全てと天秤にかけても足りると思ったのね」
 気持ちは分かるが、これはきちんと言っておかなければならなかった。春が一月喪われたせいで失われたもののなんと多いことか。食と死から解放された種族としての魔法使いでさえそこからは逃れることはできないはずなのだ。
 魔理沙は恩人であり、師匠でもあり、それなりの友誼も感じているがそれでもやはり妖なのだ。元人間であることは霊夢に何も保証してはくれない。
「ぐうの音も出ない。もし誰かが収穫の神様に土下座しなければならないとしたら、喜んで買って出るよ。約束する」
 霊夢は覚悟しなさいとばかりに頷くだけだった。このまま説教を続けたところで何も解決はしない。くどくど叱る役目は閻魔様だけで十分だというような意味の諺もある。
「そんなことはしなくて良いから話して頂戴。異変の元凶が何者であるのか、どうやって郷にやってきたのか、どのようにして付喪神たちを操ることができたのか、何のために太陽の光を集めたのか」
「オーケー、そうだな……その全てを知るためには、一人の少女の物語として話を聞いてもらうのが良いだろう」
 そう前置きして魔理沙が語り始めたのはKという仮称を与えられた、遠い世界からやってきた少女の話だった。

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