東方二次小説

2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅   修羅と修羅 第8話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅

公開日:2017年03月23日 / 最終更新日:2017年03月23日

数分もしないうちに弁々と八橋、それから金に似た光を放つ何者かの姿が見えてくる。全身の毛穴が逆立つかと思うほど空気がぴりぴりとしており、微かに息苦しいと感じるほどだった。雷の先触れを示すごろごろとした音がひっきりなしに聞こえ、へその辺りがすうすうとして居心地が悪い。
 もう少し近付くと光を放っているのが雷鼓であり、遠巻きに様子をうかがう弁々と八橋はともに苦しそうな様子だった。妖力の糸を絡めて動きを止めると言っていたが、それすらも成功した様子がない。どういう状況なのかと二人に近付こうとしたところで、雷鼓が足をじたばたと動かし始めた。
 どんがらどん、どんがらどんと太鼓の音が五月蠅く響き、雷鼓を中心にして全方向に雷撃が乱れ飛ぶ。そのうちの一本が霊夢にも迫り、霊夢は思わず目を瞑る。転身も防御も間に合わないと覚悟してのことだが、いつまで経っても痺れや痛みは襲ってこない。慌てて目を開け、雷撃の射程からかなり離れていることが分かっても助かったという気はまるでしなかった。全方向に満遍なく伸びた稲光は花びらの細い花が開いたようであり、その強大さに霊夢は思わず唾を飲み込む。
 霊夢にとって雷鼓は弾幕よりも口がよく動くやつという印象だった。解放派の親玉を名乗ってはいるが前線に出てくることはほとんどなく、彼女曰く『良い組織はトップが矢鱈と動かないものだ』ということだったが霊夢はあまり信じていなかった。決闘の際には雷を操る手並みに感心したし、並々ならぬ力の持ち主だと分かってはいても、ずば抜けた能力の持ち主とまでは考えていなかった。
 そんな霊夢の甘い認識を吹き飛ばすだけの力があの雷撃にはあった。直撃はおろか、かするだけでもきっとただでは済まない。加速したいわけではないのに歯がかちかちと鳴り、気持ちが酷くざわついて仕方がなかった。
 弁々と八橋が近付いてくるのが見え、霊夢は拳を強く握って震えを抑える。二人に自分が恐怖を覚えてしまったのだと悟られたくなかったからだ。
「今回だけはあんたが来てくれてほっとしてる」
 八橋は口調こそいつも通りだが酷く憔悴しており、瞳から闘志が消えかかっていた。対する弁々は妹と同じような憔悴を見せていたが、目の光は消えていない。何か手はないかと必死で探っている様子だった。
「あれがどんがらどんって状態なの?」
 霊夢の問いに弁々が頷きかけ、小さく首を横に振る。
「わたしも最初はそう思っていたのだけど、おそらく少し違う。いつものお姐様ならどんがらどんになっても最低限の理性は残っていたのだと思うの。だからわたしや八橋の糸を進んで受けてくれた。でも今のお姐様にはそれすらもない。近付くだけでさっきみたいな雷や、もっとやばいやつが……」
 どんがらどんどん、どんどこどんと、再びしっちゃかめっちゃかな太鼓の音が響き始める。いつもは背中の後ろで浮いている円形のオブジェクトが雷鼓の頭の上まで持ち上がり、六角形の飾りが全て激しい雷光を放っている。
 両腕を同時にがしりと掴まれ、一気に上空へと持ち上げられる。耳をつんざくような轟音とともに先程までいた場所を巨大な稲光が通過し、ぱりぱりと威嚇するような音を立てる。側を通過しただけでも全身を灼き尽くされそうな容赦のない雷撃だった。
「霊夢も飛んで、じゃないと追いつかれる!」
 八橋に耳元で怒鳴られ、霊夢はようやく二人に助けられたことに気付く。悠長にしている暇がないことにも。莫大なエネルギーを秘めた稲光を雷鼓は造作なく振り回し、霊夢たちに叩きつけようとしていたからだ。
 歯を打ち鳴らして一気に五段階目まで身体能力を引き上げたが、いつものぴりぴりするような痛みはなかった。既に似たような感覚に包まれていたからだ。
「まずい、さっきよりも早いじゃない!」八橋の叫びに霊夢はちらと稲光に目を向ける。三人で力を合わせて飛んでいるにも拘わらず、それはじりじりと距離を詰めてきている。魔理沙の魔砲を彷彿とさせる、力の全てを叩きつけるタイプの弾幕であり、そう長く維持できるとは考えられなかったが、今の雷鼓ならどんなに非常識な力の使い方でも平然とこなしてきそうだった。そもそもあんなものをぶん回してくること自体が既に常識から外れている。「それに持続時間もさっきより長い。逃げきれるかしら!」
 もう一段階、つまり最大まで強化すれば攻撃範囲外まで逃げられるかもしれないが、ここでは使いたくはなかった。訓練によって可能性は減ったものの、負荷の強さに耐えかねて気絶することがたまにあるからだ。いまそれを引いたらいよいよ三人とも稲光に飲み込まれ塵すら残らないだろう。
 もしかしたら力の放出が止まるかもと期待したが、稲光はいつまで経っても弱まることなく背中に痺れるような重圧を容赦なく与えてくる。そして雷鼓の発する力は人間よりも付喪神に効くらしく、弁々も八橋も苦悶の表情を浮かべている。これ以上稲光に接近されたら二人が先に力尽きてしまうかもしれない。
 覚悟を決めて歯を食い縛ろうとしたところで、ふと正邪に渡された人形のことを思い出した。使い捨ての避雷針、もし本当ならば稲光の追跡を防げるかもしれない。
 霊夢は稲光を惹きつけてくれと強く念じ、人形を手から離す。それはみるみる霊夢の姿形を真似、否が応でも気持ちを惹きつける強烈な存在感を放ち始める。同時に稲光が霊夢たちの追跡をやめ、人形に向かっていく。
 何度も何度も執拗に斬りつけられる人形からなんとか目を離すと、同じく人形から目を離せない様子の弁々と八橋を無理矢理引っ張り、雷鼓から十分な距離を取る。人形が跡形もなく消滅するのと稲光が消失するのはほぼ同時であり、隣にいても声を張り上げなければ何も聞こえないほどの状態がようやく解除された。
 耳がじんじんして仕方がないけれど、ここでぼんやりしているわけにはいかない。次の攻撃がいつ来るかは分からないが、そうそう待ってくれるとは思えなかった。
「しばらくは、同じ攻撃はしてこないわ……首の皮一枚繋がったって感じかしら」
 ぜいぜいと息を荒げながら、弁々は十指全てから妖力の糸を伸ばす。きらきらと光る細い糸は雷鼓の放つ力に比べると頼りなく見えた。
「今なら糸で絡め取ることができるの?」
 それでも期待を込めて口にしたが、弁々は申し訳なさそうに首を横に振った。
「それが今回だけは無理なの。あんなことになってもわたしたちの糸が脅威だと理解できるのか、距離を取ろうとするのよ」
「わたしも姉さんも足はあまり速くないの」
 二人からの視線に霊夢は己の役割を理解する。糸をかけるためには雷鼓を何らかの方法で足止めしなければならないのだ。霊夢の速度なら雷鼓に追いつくこともできるかもしれないし、それが可能ならば足止めする手段もある。だがそれは荒ぶる雷鼓に接近しなければならないということだ。そのことを考えただけで身が竦むようだった。できればこんなところからはすぐにでも離れてしまいたい。
 代わりに霊夢はぐっと歯を噛み締め、身体の強化を最大にまで高める。全身に伝わる痛み、矛盾するような脱力感の両方が一気に襲いかかり、意識が一瞬のうちに持って行かれてしまったが、そのことを察した弁々と八橋が再び両腕をつかんで霊夢を支える。霊夢の意識は徐々に取り戻され、それとともに体を隅々まで自在に動かせるのだという万能感にも似た気持ちが心身に行き渡っていく。
 体、心、内なる気、その全てがわたしのものだという確信は霊夢から雷への恐怖をも和らげ、行動するための力を与えてくれた。
「先行するわ、なるべく早く追い着いてきて」
 霊夢は大きく息を吸うと、体をそっと前に押し出す。それだけで第五段階よりも更に速く飛ぶことができた。
 その力で一気に側まで近付くと雷鼓は太鼓を騒々しく叩き、霊夢に向けて電気を帯びた球体を大量に放ってくる。弁々の言う通り、稲光の花や最大出力の雷撃を連続で放つことはできないらしい。通常の攻撃でも一発一発が側を通過するだけでびりびり来るような威力だったが、弁々や八橋と同じで考えなしに弾をばら撒いているだけだ。弾の動きだけでなくエネルギーの流れさえも手に取るように分かる今の霊夢にとって回避は容易いものだったし、これなら弁々や八橋と同じように針を撃ち込んで、雷鼓を覆う金色の光を追い出すこともできるかもしれない。そう期待して雷鼓が放つ弾幕の隙間を見定め、試しに針を放ってみる。
 だが針は雷鼓に届く寸前で全て蒸発し、雷鼓の体には一つも刺さらない。弾幕とは別に周囲を電気の防壁で覆っている様子だった。しかもそれで攻撃されたことを察知したらしく、猛烈な速度で霊夢から遠ざかっていく。慌てて追いかけたが身体強化を限界までかけてなおじりじりと距離を詰めるのが精一杯だった。しかも高速で移動していても弾幕の勢いはまるで変わらず、全力で追いかけることをなおのこと困難にする。重たそうな太鼓の付喪神だから速いといってもそこまでではないと思っていたのだが、甘い見通しであることがはっきりと分かった。
 当初の予定通りに動きを止めるしかないと気持ちを切り替え、霊夢は今日三度目の符を構え、雷鼓との距離を測る。用意したのは桜を散らしに来た解放派を一網打尽にするため、試行錯誤の末に編み出した技なのだが、まさかこんな状況で使う羽目になるとは思わなかった。
『かつての霊夢はこの技で悪戯者の鬼を縛り、懲らしめたらしいわ。きっと同じ悪戯者には効果覿面だと思う』
 博麗の巫女が捕縛用に使っていた技がないかと相談したら、遠子はいつものように過去を探り、曰く込みでじっくりと教えてくれたのだった。付け焼き刃だから全ては再現できなかったが、実験台となってくれた悪戯者の吸血鬼もしばらくは足止めできたし、ある程度は効くという確信があった。
 接近するごとに雷球はますます激しくなり、ごろごろと落雷の予兆に似た音が微かに耳をつく。あまり時間は残されていないと知り、霊夢は危険と分かりながら回避最小限の最短距離で攻める。髪の毛や服の上をばちりと掠っていく弾の痛みと痺れをぐっと堪え、必要なだけ距離を詰めたと判断したところで、霊夢は符をぎゅっと握り潰した。
「鬼をも縛る神の技よ、鎖となりて我が手に集え!」
《神技・「八方鬼縛陣」》
 宣言とともに霊夢の掌から鎖のように細長く連なる札が八本生み出され、雷鼓に向かって伸びていく。それらは途中の雷球を突き破り、周囲に展開された雷の壁をも突き通すと、雷鼓の体をぐるぐるに縛り上げる。太鼓を叩けなくなったためか弾幕がぴたりとやみ、周囲を覆っていた雷の壁も少しずつ消えていく。雷鼓は体に巻きついた札を手で掴んで引き剥がそうとするが、その上から更に巻きついてたちまち全身の自由を奪っていく。霊夢はこの機を逃すまいと綱引きのように鎖を引き、雷鼓をぐいぐいと自分の方へ引き寄せていく。雷鼓は逆に霊夢から離れようとし、力では妖怪の方が強いからずるずると引きずられる形となった。だが不格好でも十分に動きを制限できているし、これならば弁々と八橋が追いつくまで足止めができそうだった。
「おーい、もう少しで追いつくから。あとちょっと頑張って!」
 八橋の鼓舞が遠くから響いてくる。もう一踏ん張りだと鎖に更なる力を込め、雷鼓の離脱を懸命に食い止めるのだが、そんな努力に牙を突き立てるようにごろごろごろと、猛獣の吼えるような稲光の予兆が霊夢の耳を突く。太鼓は叩けないはずなのに周りの空気がぴりぴりと弾け、刺々しい妖力が雷鼓を中心として急速に膨らんでいく。どうやら力任せで強引に技を打とうとしている様子だった。
 このままではまた稲光の花が咲き、霊夢だけでなくこちらに近づきつつある弁々と八橋まで巻き込まれてしまう。かといって術を解き、ここから離脱すれば雷鼓は太鼓を遮二無二叩き、極大の稲光を再び放って来るかもしれない。ここで雷鼓の攻撃を一度だけ、なんとしてでも食い止める必要があった。
 霊夢は鎖を通し、雷鼓をぐるぐる巻きにしている札に霊力と指令を送り込む。拘束式が解除され、すると大量の札は雷鼓を取り囲むようにして整列し、瞬く間に相手を閉じ込める強固な陣として完成した。
 かつての霊夢が使った八方鬼縛陣は地面に八つの要を打ち、そこから伸びる八つの鎖で相手の力を封じたのち、内側に収束する陣を発動させることによって大量の霊力で相手を押し潰す技だ。だが霊夢の実力ではどうしてもその二つが同時にできなかった。だから捕縛に使った札と霊力を利用し、素早く切り替えることで陣を成し、同様の効果を得ようと考えたのだ。
 だが今回は陣で雷鼓を押し潰すつもりはなかった。ひたすらに防御を固め、稲光の花を封じ込める。それしか凌ぐ方法はないと思った。
 ごろごろごろと再び唸り声のような音が聞こえ、耳の奥までをも切り裂くような轟音が霊夢を撃つ。全霊を込めた護りさえも容易いと言わんばかりに稲光が視界を灼き、全身が麻痺したかのように肌の感覚が失われていく。陣を破られ、雷の直撃を受けたのかもしれないと思った。意識すらも覚束なく、浮いているのか落ちているのかさえも分からない。既に体が失われて幽霊になっているのかとさえ疑ってしまったが、ぜいぜいと漏れる息で体があることを辛うじて認識できた。肉体を意識しても痛みはないから、おそらく凌ぎ切れたと頭の中では分かっていたが、それでも感覚が戻らないと安心できなかった。それほどに雷鼓の荒ぶり方は凄まじく、油断ならないものだった。
 白く灼かれた視界が徐々に戻り、霊夢はほっと息をつく。弁々と八橋が生み出した糸で、首より下をぐるぐる巻きにされた雷鼓が見えたからだ。太鼓や装飾品が主を喪って所在なくふわふわと浮いているのがどことなく寂しげだった。
「これでもう大丈夫なの?」
「ええ。この糸は電気を吸収するから。編み出すのに結構な力を消費するんだけど、お姐様が力を使い尽くすまでなんとか抑えつけておくことはできるはずよ」
 弁々の言葉を示すように、ぐるぐる巻きの糸の中が激しく光る。おそらく雷鼓が雷の力を放出しようとしたのだろう。だがその力は外側には出てこなかった。すると雷鼓はじたばたもがき、力ずくで糸から脱出しようとする。その顔は理性を欠いており、爛々と光る金色の瞳が霊夢や九十九姉妹を恨めしそうに睨みつける。その様を見て八橋は思わず目を逸らす。よく知っている相手の無惨な姿を見たくない気持ちは霊夢にもよく分かった。
「そこまでする必要はないと思う。わたしの力なら多分正気に戻せるから」
 霊夢は弁々や八橋を正気に戻した時のことを改めて説明する。二人はどうしようかとしばらく顔を見合わせていたが、同時に無言で頷いてみせた。
「できるだけ痛くないようにして欲しいのだけど」
 弁々のお願いに、霊夢は小さく頷く。針を顔に刺すのは霊夢も本意ではない。だから札を一枚取り出し、霊力をありったけ込めて雷鼓の額にぴたりと貼り付けてやった。すると金色の光が間欠泉のように激しく噴き出し、辺りを僅かな間だけ煌びやかに染めた。それもすぐに大気に溶けてしまい、弁々や八橋の時と同じでいかなる力の余韻も残さなかった。
「なんなの、この光は?」
 八橋の問いに、霊夢は答えることができなかった。不気味で正体が知れないものとしか言いようがなかったからだ。
「わたしにも分からないの。霊力でも妖力でもないし、排出されてしまえば何も残らない。でもこの光がおそらく皆の意識を操るか、あるいは凶暴なものにしていたのだと思う」
「気持ち悪いなあ。誰がこんなことやったんだろ」
「それをわたしも調査してるの。きっと郷から春を奪ったやつと同じだと思う」
「春を奪う? それってわたしたちがやろうとしたことよね?」
「桜の花を散らすなんてけちなことじゃないの。本当に春が来ないのよ。四月も終わろうとしているのにまだ冬だし桜も咲いてない」
「本当なの? というか四月の終わりって、まだ四月は始まったばかりじゃ……」
「しっ、二人とも静かに。お姐様が目を覚ますわ」霊夢と八橋の会話に弁々が指を立てる。雷鼓は気怠げに唸り声をあげ、ゆっくり目を開いた。瞳の色は彼女本来の茶色がかった赤であり、そのきょとんとした表情からは敵意も暴威も感じなかった。「お姐様、わたしが分かりますか?」
「分かるも何も……弁々に八橋、どうして巫女がいるのかは知らないけど、一番の疑問はどうして糸でぐるぐる巻きにされているのかということね」
「あ、すみません。いま解きますので」
  迂闊に解いて大丈夫かなと思ったが、二人は既に雷鼓が元通りに戻ったと確信しているらしい。糸が消えると雷鼓はうんと背筋を伸ばし、肩をごきごきと鳴らす。妖怪でも肩凝りはあるのかなと思ったが、付喪神は人間と同じような疲労の仕方をするのかもしれない。ともあれ雷鼓がいつもの性格に戻ったのは霊夢の目にも明らかだった。
 弁々と八橋は感極まったのか雷鼓に抱きつき、雷鼓は最初こそ戸惑う様子を見せていたが何も言わずそっと二人の肩に手を回す。霊夢は何とも心得たやつだなと思った。
「こらこら、こういうのはもっと落ち着く場所じゃないと。無粋な奴がじっと見てるわ」
「誰が無粋な奴よ、助けてやったのに」
「助けた? 巫女がわたしをどうして助けるの?」
 嘘をつくなと言わんばかりの突き放し方にいらっとしたが、そこで弁々が雷鼓から離れ、くっついたままの妹をそのままにして事情を説明してくれた。それでも完全には信じていない様子だったが、納得するところもあったらしくこちらの話を聞こうという気になってくれたようだった。
「それでわたしから何が聞きたいわけ?」
「はっきりしていることでもぼんやりしていることでも、引っかかることなら全部よ」
「ふむ……」雷鼓はすぐに口を開こうとしたが、弁々や八橋と同じで記憶がかなり混乱しているらしく、額に指を当てて記憶を掘り出そうとする。「ぼんやりしている時のことは本当にぼんやりね。森の中にいたような、空の上にいたような。あとは妙な詩を断片的に記憶してるわ」
「それって日輪がどうの、修羅がどうのってやつ?」
「そうそう、なんだか暗くて観念臭い詩が聞こえてきたような気がする。わたしなら絶対に選ばないような言葉の言い回しだったような。春の詩なのにその根底にはくろぐろとした陰気さがあって、生の芽吹きを尊ぶ気持ちが感じられなくて。あの詩を作ったやつは春が嫌いなのかもしれない」
 春が嫌いというのはもしかすると、春を奪う動機になるのかもしれなかった。だが霊夢には春を呪う存在だなんてただの一つも思い浮かばなかった。雪女でさえ一年中雪が降っていて欲しいだなんて思ったりはしない。冬が長引くことを少しくらいは喜ぶかもしれないが、せいぜいそこまでだ。
「ぼんやりしていた時の記憶はそんなものかしら。それではっきりしているほうなのだけど……」雷鼓はそこで僅かに口淀み、弁々のほうをちらと見る。「二人がいつまで経っても戻ってこないから探しに行ったの。例の歯車の件もあるから正邪にきつく問い詰めたんだけど、知らぬ存ぜぬののらりくらり。そのうちに押し問答が面倒になって、何とかなるだろうと魔法の森に出かけてみたんだけど」
「妙な光を浴びてそれ以降の記憶がない?」
「その通りよ。全く、付喪神を道具として使おうだなんて卑劣にも程があるわ!」元々は道具なのにという思いが頭を過ぎったが、口には出さなかった。狸と化け狸が全く異なるように、道具と付喪神も全く異なる。マミゾウでさえただの狸扱いするとへそを曲げてしまうのに直情的な傾向がある付喪神にそんなことを言ったら折角まとまりかけた場が壊れかねなかった。「これは是非ともこちらから乗り込んでとっちめてやりたいところね」
 雷鼓が味方になるのは霊夢にとってとてもありがたいことだった。あの力を発揮してもらえば異変解決も楽に運べるに違いないからだ。
「それでまた光を浴びて操られたらどうするの?」
 あまりにも自信満々に言うものだから何か対策を考えているのかなと期待しての発言だったが、雷鼓はそこであっさりと言葉に詰まってしまった。このトップだからこれまでずっと失敗しているのだなとはっきり分かったのが辛うじての収穫だった。
「何も考えてないのだったら今回はおとなしくしてなさい。わたしだって喧嘩をふっかけられた形だし代わりに退治してきてあげる」
 霊夢が探しているものと雷鼓たちが懲らしめたいものはおそらく同じだ。つまり元凶と戦っている最中に再び操られ、三人セットで敵に回る可能性がある。そんなリスクを抱えるくらいなら面倒でも一人で解決するつもりだった。雷鼓は悔しそうな表情を浮かべたが、霊夢の話に理があると納得した様子だった。
「また霊夢に借りができてしまうわね。しかも今度はチケット程度じゃ返しきれそうにない」
 意外と律儀なところもあるのだなと思いながら、霊夢はある望みを頭に思い浮かべる。
「ではいつかわたしのためだけにコンサートを開いて頂戴」
 解放派は厄介な悪戯ものたちの集団だが、かつて聞いた音楽は心が踊る内容だった。途中までしか聞けなかったことが割と心残りだったのだ。
「それならば喜んで」ホールを満員にするほどの音楽を自分一人のためだけに演奏してくれだなんて少し図々しいかもしれないと思ったが、雷鼓は満面の笑みとともに約束してくれた。「でも意外だった。悪戯をやめて欲しいと言われるかなと思っていたのに」
「言ったって聞くわけないでしょ?」
「確かにそうね。それ以外でお願いと言う準備もしてたわ」
 なんとも堂々とした発言であり、霊夢は怒る気にもなれなかった。
「なんでそんなに機械の解放に拘るのよ。付喪神だからって全ての道具を気にかける必要なんてないのに」
 実際のところ解放派に参加していない付喪神も少なからず存在する。元が道具であったせいか凝り性であることが多く、人間の中ではすっかり不人気となってしまった職人として活躍する場合が多い。一芸を極める生き方は人間よりも長生である妖怪のほうが向いているのだろう。
 雷鼓だって解放派の傍ら音楽活動を続けているし、専念して打ち込めば今よりも更に活躍できるはずだった。それが惜しいとまでは言わないけれど、あの音楽を聞いてから霊夢はずっと不思議に感じていたのだ。解放派の活動は楽器の付喪神としての本分を押し殺してまでやることなのかと。
 雷鼓はその答えを持ち合わせているらしく、霊夢の問いにあっさりと答えてくれた。
「物はいつの時代だって何かと粗末に扱われる。特に今は物が満ち満ちているから尚更のこと、郷での立場は低い。ぴかぴかの機械でも飽きたらすぐに捨てられるし、壊れた道具は直さなくても新しい物が買える。わたしは既に物ではないけどやはり気に入らないのよ。お前たちが粗末に扱う道具も隙を見せればお前たちに取って代われるし、革命だって起こしてみせると示し続ける必要がある。そうしないと物の立場は低くなるばかりじゃない?」
「そのためには皆に迷惑をかけるし、新たに悪戯の指南役も招き入れるってこと?」
「当然よ。だって弾幕決闘が流行している今こそ千載一遇の機会だもの。小難しいことを考えなくても弾幕という派手派手しい手段で目一杯に存在を示すことができるのだから。弾幕決闘が流行るということはこれまで身を潜め続けていたものが一気に目を覚ます機会が与えられるということでもあるのよ」
「つまりあんたらの他にも騒ぎを起こす奴らがこれから現れるかもしれないってこと?」
 だとしたら見過ごしてはおけないし、あてがあるならばここで聞き出してやるつもりだった。だが雷鼓は肯定も否定もせず、魔法の森がある方を指差した。
「現にいま騒ぎは起きているじゃない。あの厄介な煙を吐き出す歯車の機械もそう。姿を表わすのは古いものだけじゃない。これまで郷になかった新しいものも続々とやってくるかもしれない。外の世界との繋がりは絶たれて久しいけれど、異なる世界との新たな繋がりが築かれつつあるのかもしれないわね。そして博麗の巫女である貴方はこれらを取り仕切る祭祀者であり、当事者であり、中心人物となる。つまりお祭りを最も楽しめる立場にあるってことかしら」
「そんなこと気楽そうに言わないでよ」
 雷鼓の言うことはこれから先も色々なものに悩まされるぞという宣言と同じだ。霊夢にとっては頭が痛いどころの話ではなかった。
「ではもっと鹿爪らしい顔で言えば良かったのかしら。どのみち面倒ならばせいぜい楽しむことを考えなくちゃ。貴方はそれができる人間よ……事実、とても嬉しそうな顔をしてるじゃない」
 どきりとするようなことを指摘され、霊夢は思わず顔を触る。謀られたとすぐ気付いたがあとの祭りだった。
「貴方、本当は楽しんでるでしょう? 弾幕決闘を、強い相手と戦えるのを」
 そんなことはないと言いたかった。異変も決闘も面倒臭いものでしかなく、仕事だから仕方なくやっていることだ。
 でも霊夢は何も言うことができなかった。
 雷鼓の指摘に事実が含まれていることを自分で知っており、その気持ちに嘘をつくことができなかったからだ。

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