東方二次小説

2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅   修羅と修羅 第12話

所属カテゴリー: 2XXX年の幻想少女第2章 修羅と修羅

公開日:2017年04月27日 / 最終更新日:2017年04月27日

警告の音が今度は号砲のように鳴り響く。攻撃をかわされた怒りなのか、それとも単に興奮しているだけなのかは分からない。だがいまや状況は一変したのだということだけはすぐに理解できた。
 鉄の龍はその姿形から急旋回こそできなかったが、ぐるりと大回りしてから再び突進を仕掛けてくる。てらうことのない軌道だから回避すること自体は簡単だが、あの巨体が側を通過していくだけでやはり恐ろしいものがある。これで火を噴いたり、雨あられのように弾幕を降らせてきたらいよいよ手がつけられない。
 お前の仕業かと美真に視線を向けるが、顔を真っ青にしたまま空中に浮いているだけだ。然るに彼女自身もこの状況を全く理解していない。もしかしたら振りをしているだけかもしれないが、それならば判別する方法もある。
 霊夢は美真のすぐ隣に位置を移す。突撃すれば彼女ごと巻き込まれるこの状況になればどうなるかを確認したかったからだ。先程まで勝負をやっていた相手に接近を許し、ようやく少しだけ我を取り戻したようだったが、演技かどうかなんて確認している暇はなかった。警告の音とともに光を撒き散らしながら突進してきたからだ。霊夢は慌てて逃れようとしたが、美真はその場に制止したまま動こうとしない。慌てて引き返すとその手をぐいとつかみ、ライトの照射範囲外へと急いで連れ出す。鉄の龍は先程まで二人がいた場所を些かも減速することなく通過していき、誰にも手心を加えるつもりがないことをはっきりと示してみせた。
「ちょっとあんた、ぼうっとしてちゃ駄目でしょ!」
 思わず叱責したが、あんな様を見せられては大声の一つもあげたくなるのは仕方がない。美真は口をぱくぱくさせるだけで、どうやら声を上手く発することすらできない様子だった。これでは下手に刺激を与えると余計に取り乱しかねないし、いま霊夢にできるのは彼女を森の中に退避させるくらいだった。あの巨体なら鬱蒼と樹木の生い茂る森の中では満足に動けないはずだし、そこより安全な場所を霊夢は他に思い浮かばなかった。
 雄叫びが聞こえ、霊夢は突進に備えて鉄の龍を見据える。心なしか全身が靄のような光を放っているのは、今も郷中の光を吸い続けているからだろうか。だとすれば並外れた力のはずだが、突進だけしかして来ないのが唯一の救いだった。どれほど速く動けるようになっても直進ならかわすのは簡単だからだ。
 そんな目算をしているうちに、ヘッドライトの眩い光に照らし出される。その途端、体が痺れるような奇妙な感覚が襲い、気力がごっそり抜けていくのがはっきりと分かった。上下のどちらかに逃れようにもまるで射竦められたように体が動かない。罠にかかったことを喜んでいるのか再び鉄の龍が雄叫びをあげ、霊夢目掛けて突っ込んでくる。
 ぐいと下に引かれなければ、だから霊夢は直撃を食らっていただろう。実際には轟音混じりの風が耳を打っただけだ。
「ちょっと、なにぼうっとしてるんですか?」
 先程までぼんやりしてたのを棚に上げ、美真が非難するような声をあげる。とはいえぼうっとしていたのは事実だし、助けてもらったことに変わりはない。
「あのヘッドライトを浴びた途端、動けなくなったの。道具のように操られはしなかったけど……」
 鉄の龍が何度目かの雄叫びとともに、一つ覚えの突進を仕掛けてくる。とはいえ旋回速度は上がっているし、ライトに照らされるのが危険であることも分かった。霊夢は美真の手を取り、これまでよりも早めに回避行動を取り、大袈裟なくらいに大きく上昇して突進をかわす。ライトの照射範囲がこれまでより広くなっており、突進の速度も更に上がっているようだ。通過する時の音がより甲高く鋭くなっている。空を飛ぶことにも誰かを攻撃することにも着実に慣れつつあるのだ。決して同じことばかりを繰り返す単細胞ではない。誰かを庇いながら戦うなんて悠長なことはできそうになかった。
「あんたは森の中に隠れて。あいつはわたしがなんとかするから」
「でも、あの子はわたしがここに連れて来たようなもので」
「事情はどうあれ、ここではわたしが一番対処できる……もとい、はっきり言わせてもらうわ。ろくに飛べない奴がちょろちょろしてても足手まといなだけなのよ」
 美真は霊夢に一瞬だけ激しい怒りを向けたが、その心に宿るのは強い分別なのだろう。渋々頷き、まだ慣れない箒を駆ってゆっくりと降りて行く。これでようやく自在に動けると思い、霊夢は霊気の剣を構えると鉄の龍に向き直る。体を痺れさせるライトに注意し、突進をかわし、すれ違いざま全力でこいつを叩きつける。一撃でどうこうなるとは思わなかったが、付喪神ではないにしろ完全に機械というわけでもないのだから打撃を与えれば何かしらの反応を示してくれると期待したかった。
 準備の完了とともに鉄の龍が雄叫びをあげる。だが今度は突撃してこなかった。放電するように光が迸ったかと思うと、黄金色に輝く札が周りを囲むようにして現れる。弾幕を展開したことは分かったが、どうして博麗の札そっくりなのかが解せなかった。
 そこで霊夢は鉄の龍に札を一発放っていたことを思い出す。全く効かなかったと思っていたが、密かに解析されていたのだとしたら。
 鉄の龍と出会う前に嫌な予感がしたことを思い出し、身体強化を四段階目まで一気に駆けのぼる。黄金色に輝く札は夜よりも暗い闇の中で光の曲線を描きながら、霊夢に狙いを定めて飛んでくる。追尾能力まで取り込んでいることがその動きで明確になり、霊夢は更に一つ強化の段階をあげると急激に開けていく感覚を押し殺しながら距離を取り、剣を収めて迎撃の札を投擲する。霊力と金色の光は至るところで相殺し合い、白と金の混ざった派手な光を放って消えていく。
 この結果だけ見れば互角だが、霊夢はこちらの分が悪いと見て取った。札という媒介を通して力を発揮しているこちらに対し、鉄の龍は金色の光をそのまま札に加工している。力が尽きない限り攻撃がやむことはなく、しかもその源は絶え間なく輝き続ける太陽なのだ。霖之助にもらったほうの札を撃たなかったのは本当に不幸中の幸いとしか言いようがない。あれを模倣されたらいよいよ為すすべがなくなっていた。だがいつも霊夢が使っているほうの札であっても物量で攻められたら終わりなことに変わりはないし、鉄の龍もそれをよく理解しているらしい。第一波を遥かに超える数の札が展開され、間髪入れず一斉に放ってきた。それと共に突進の雄叫びが辺りに響き渡る。
 先程と違い札は霊夢を狙ってこなかったが、広範囲に向けて発射されたため動きが制限されるのが厄介だった。それでも数を撃って来るだけなので札の隙間を抜けることは容易かったが、更に照射範囲の広くなったライトに一瞬だけ捕まってしまい、ほんの僅かな間だけ動きを止められてしまった。体の痺れるような感覚からすぐ逃れることはできたが、札の一発が霊夢の足を掠めていく。それだけで目眩のような意識の脱落が起こりかけ、慌てて気を入れ直さなければならないほどだった。
 拡がっていた視界が一気に狭まり、霊夢は慌てて歯を打ち鳴らして強化を第五段階に戻す。そこであの光がどういう効果を与えてくるのかようやく理解することができ、霊夢は改めて強い危機感を覚えた。
 ヘッドライトにもあの札にもこちらの力を奪う効果があるのだ。あまり受け過ぎると強化が解除されてしまうから、掠るどころか側を通過するだけでも危うい可能性が高い。完全に回避するか結界で防ぐかしなければならないのだが、物量に頼んでくればそれもいよいよ困難になる。その前にあの巨体をなんとか撃ち倒さなければならない。
 再び引き返して来る前に攻撃を仕掛けなければならない。そう思って再び剣を構えたのだが、鉄の龍は短い雄叫びを何度か上げると軋むような音を立てて急停車する。そこで霊夢は尻尾だと思っていた側にも目があることに気付いた。
 この鉄の龍は尻尾にも顔がある双頭なのだ。
 慌てて正面から逃れようとしたがその前にライトが照射され、全身が痺れるような脱力感が再び襲いかかってくる。なんとか逃れようとしたが照射範囲は広く、逃れる前に強化がどんどんと剥がれていき、遂には空を飛ぶことすらままならなくなってきた。
 頭がぼんやりし、ろくにものが考えられなくなる。何かをしようという気が全く湧かない。大きな雄叫び、機械の駆動音もまるで他人事のようにどうでもよくなっている。あれにぶつかられたら痛いだろうなという漠然とした気持ちが頭に浮かんでは消えていく。
 意識が途切れる寸前、真横からどしんと何かにぶつかられる。冷たい風と轟音、間近を巨大なものが通過しているという不気味さにあてられ、霊夢の意識は一気に覚めていく。
「なにやってんだ、あんなのが迫ってきているのにぼんやりして!」
 魔理沙の甲高い声が霊夢の耳をきんきんと打ち、霊夢の心が完全に正気側に戻って来る。
「あの光を浴びてるとぼんやりしてきて……」
「そうなのか? わたしには効かなかったけどな。あれ付喪神にしか効かないと思ってたんだが……」
 不審げにじろじろ見回す魔理沙の視線が痛い。あの光が付喪神にしか効かないと言われていたから、霊夢は妙に不安な気持ちになってしまった。
「まあ原因を探るのはひとまず置いといて、まずはあれをどうにかしないといけないのだが」
 魔理沙の視線を追い、霊夢も鉄の龍が通り過ぎていった先に目を向ける。その周囲に浮かんでいるのは金色に輝く針だ。弾かれたと思っていたのだが、しっかり力として取り込んでいたようだった。
「もうわたしが支えていなくても大丈夫か?」
 霊夢は己の力で空が飛べることを確認すると、魔理沙の腕から逃れてその隣で静止する。強化が完全に抜けており、集中力も大分落ちているが最低限の霊力を使うことはできるようだった。そしてこれ以上の回復を鉄の龍は待ってくれない。すっかりと耳にこびりついた雄叫びをあげ、針をこちらに向けて放ってきた。
「光に当たっちゃ駄目、もちろん他のもよ!」
「全部かわす、いつも通りだよ!」
 細く鋭い光の針は視認が難しく、札よりもかわし辛い。高速で一気に迫り来る一群の全回避を試みたが、強化の抜けた体ではどうしても目が付いて来ず、数発を結界に受けた。貫通はされなかったがその度に気力が萎え、頭の中がぼんやりとしてくる。
 視界の端に緑の光が煌めき、針の勢いが少しだけ弱くなる。少しだけ余裕ができてそちらに目を向けると、魔理沙がミサイルを発射して弾幕を作り威力を和らげてくれていた。こういう状況では弾量で押すスタイルの方に遥かに分があるらしい。
 魔理沙を強敵と見て取ったのか、鉄の龍は今までのように遮二無二の突進を仕掛けてこない。その代わりにヘッドライトの勢いを強くし、霊夢や魔理沙を照らし出そうと不規則な動きを見せた。針を避けるために意識を集中する必要はなくなったが、瞬時にこちらまで届く光は霊夢にとってきついものがあった。なにしろ一瞬照らされただけでも頭の中が少しぼんやりしてくるのだから。
 魔理沙は霊夢よりもライトに照らされていたが、特に体調不良を示すこともなくミサイルを撃ち続け、徐々に前へ出始めていた。そのことに気付いたのか針の勢いが更に増したが、雨のように降り注ぐ弾幕に対抗するよう魔理沙もミサイルの数を増やし、撃ち落としきれなかった針はその速度で苦もなくかわしていく。
 この場では自分もまた足手まといらしいと、嫌でも気付かざるを得なかった。魔理沙は霊夢を庇うためにこれ以上の攻勢をかけることができないでいる。一人で任せるのは不安だったが、それはきっと傲慢な考えなのだろう。
 魔理沙が親指で下を指し示すのを見て、霊夢は頷いてから地上へと退避する。本当ならこの事態を解決するのは自分なのに、他人任せになっているのがどうにも歯痒くて仕方がない。だが他に何をすることもできないのは確かだ。
 霊夢の退避を確認すると、魔理沙は弾幕を保ちながら一気に前へ出る。鉄の龍は針を遮二無二撃って対抗するが魔理沙の高速移動に狙いすら定めることができず、ミサイルの着弾を許していた。雄叫びのような音をあげたのは怒りのためか、それとも弾幕を受けて痛みを感じているのか。全く同じ音であったため、霊夢にはどちらが正しいのかさえ分からなかった。
 このまま押しきってしまうのかと思いながら、霊夢は空中戦にじっと視線を向ける。自分で始末をつけることができないならせめて見守るべきだと思ったからだ。
 鉄の龍は途切れることなく針を撃ち出し、しかも魔理沙が使っていたミサイルまでも再現して更に弾幕の量を増やしていた。それでも魔理沙は攻撃を回避し続け、巨体にミサイルを命中させていた。だが鉄の龍は分厚い光に包まれ、ミサイルは全てそれに阻まれているようだった。もしかすると自分が防御に使っていた術まで解析し、自分のものとしてしまったのかもしれない。
 相手の技を早々に模倣し、しかも太陽の力を掌握しているからエネルギーは尽きることがない。そしてあの光に当たれば気力を削り取られてしまう。魔理沙の持つ魔力も相当のはずだが、このままでは確実に押し切られてしまう。
 森の中に逃れ、隠れながらじわじわと攻撃を仕掛ける手もあったが、生半可な攻撃が通用しないと分かってしまったし、手当たり次第の攻撃で鉄の龍を刺激すれば地上にも容赦なく攻撃を仕掛けてくるだろう。そうしたら森の木々が滅茶滅茶に押し倒されることになりかねない。魔法の森は惑わしをかけて人間を翻弄するが、中にいるものを外に出さない役割も果たしている。それが開かれるとどのような影響があるか分かったものではなかった。
 そんなことを考えているうち、魔理沙が鉄の龍の直下に位置取り、八卦炉を構える。霊夢にも放ってきたあの大技をここでも使うつもりらしい。
 地上にいても聞こえるほどの発射音とともに巨大な白い光芒が駆け上り、鉄の龍の底面を強烈に抉る。ほぼ中央部を狙ったためか胴体はくの字に曲がり、ぎりぎりと唸るよう音が、それをかき消すように雄叫びが辺りに響き渡る。このまま真っ二つにすれば、さしもの機械製でも無事にはすまないはずだった。
 しかしそうはならなかった。魔砲の命中部分に光が集い、防壁となってその威力を削ぎにかかったからだ。霊夢の力がぶつかった時のように白と金の混ざり合った光があちこちで生まれ、ぱちぱちと弾けては消えていく。まるで星が滝のように零れるその光景はとても綺麗だったが心休まる光景ではなかった。魔理沙の攻撃が完全に防がれているからこそ見ることのできるものだったからだ。
 鉄の龍は防壁に加え、札を生み出して魔理沙に投射する。それらは砲撃を回り込むような軌道を取ったのち、魔理沙本人に向けて一気に殺到していく。それを見て魔理沙はすぐに魔砲の発射を止め、距離を取ってからミサイルで撃ち落としていく。難はなかったが、しかしいよいよ打つ手がないように霊夢には見えた。
 今からでも加勢に行くべきか迷った。足手まといになっても……いや、盾になって攻撃を受けきれば魔理沙は攻撃に専念できるのではないか。それとも他に何かできることはないのか。歯痒さばかりが胸の中にどんどん募っていく。
「ちょっと、そんなところでぼうっとしてるんじゃないわよ!」
 真正面から霊夢を責める甲高い声が聞こえ、霊夢は慌てて地上に戻す。そこにいたのは霊夢よりも一回り半ほど背が低く、ごてごてした道士風の服を身につけた少女だった。
 霊夢はその出で立ちに見覚えがあった。以前、歯車の塔から生まれた付喪神に力を与えた妖怪と全く同じなのだ。肌の色、髪の毛の色、瞳の色も全て同じで子供らしい容姿と表情だけが異なっている。あの時の彼女は優雅に微笑んでいたたが、いま目の前にいる小さな少女は頬を膨らませて怒りを表明している。
「というかなにじろじろ見てんのよ。博麗の巫女のくせに境界渡りが珍しいとでも言いたいつもり?」
 彼女はいま境界渡りと口にした。やはり彼女こそ数多の博麗の前に現れた八雲の者なのだろうか。
「巫女なら異変を解決しなきゃ駄目でしょ。先代からそう教わらなかったのかしら?」
「きちんと教わったわよ」言いたいだけ言わせるのもなんだか腹立たしくて、霊夢は目の前の少女をわざとらしく見下ろしてやった。「言わせてもらうけど、管理人ならちゃんと郷を管理してよ。あんた八雲の関係者なんでしょ!」
「いかにもわたしは八雲、紫の名を冠する者よ。こっちこそ巫女なら異変を解決して状況をコントロールしろと言いたいわ。いま、この郷がどうなっているのか分かる?」
「光を集める力を持ったやつがいま、大暴れの真っ最中ってところかしら?」
 霊夢にはそれ以外のことを思いつかなかった。そしてそれは紫の気に召さない答えだったらしい。失礼なほど深々とした溜息をつかれてしまった。
「もうね、しっちゃかめっちゃかなの。うちの式神はみな、あの不躾な外来者のクラッキングの影響でまともに機能してなかったのよ! ついさっきシステムダウンの警報が鳴り響いて、冬眠から慌てて飛び起きたら屋敷は荒れ放題、藍も橙もまるでただの狐や猫に戻ったかのように野っ原を駆け回ってるし、他の式神も言うことを聞かないし!」
 ところどころ言ってることがよく分からなかったが、八雲のコントロールを外れた事態であるというのは勢いで伝わってきた。そして春が来ないという椿事にも拘らず先程までぐうすか眠っていたことも。だが今は彼女の失敗についていちいち指摘している場合ではない。空では再び激しい光が走り、のっぴきならぬ攻防が繰り広げられていることが地上にいてもはっきりと伝わってくる。
「かなり危うい状況だというのは分かったわ。ここに来たってことはわたしに何かやらせたいんでしょ?」
 霊夢の指摘で紫の刺々しい表情が徐々に和らいでいく。まだ焦りを帯びているようだが、最低限の冷静さは取り戻したようだった。
「その通り、飲み込みが早くて助かるわ。今からわたしは太陽のシャットダウンを行う、その間無防備になるから身辺警護をお願いしたいわけ」
「太陽の……シャットダウン?」
 シャットダウンという言葉はコンピュータを停止させる時によく使う言葉だ。凄まじい勢いで核融合反応を繰り返し続ける太陽を止めるなんてできるはずかない。だがいま太陽の光は失われ、星々すらなく、世界は完全な闇に閉ざされている。ここは直上で派手な弾幕決闘が行われているからまだ明るいにしても、至る所で暗闇による騒ぎが起きているに違いなかった。
「あの電車もどき、太陽から直接力を吸っているみたいなの。だから太陽を強制的に停止させるの。そうすれば電車もどきへの力の供給も止まるし、傍若無人な力を振りまくこともできなくなるわ」
「えっと、それ、本当ですか?」
 聞き覚えのある声が木陰から聞こえ、続けてその主である美真が姿を現す。その瞳は不安げに揺れていたが、箒をぎゅっと握りしめるその姿には一角の決意が感じられる。
 紫はこいつ誰だよ、と言いたげな視線を霊夢に向ける。郷のことをどれだけ把握しているかは分からないが、異邦人である美真のことを知るよしもなし、だからこそ強い不信を抱いているのかもしれなかった。
「鉄の龍を連れてきた張本人というか、強引に連れてこられたというか……」
「ふぅん、箒持ちってことは魔法使いかしら。空は飛べるの?」
 紫は美真のことを値踏みしている様子だった。故あればこちらの戦力に引き込むつもりなのかもしれない。その前に釘を刺しておく必要があると霊夢は思った。
「その子、今日になってようやく飛べるようになったのよ。役に立つとは……」
「別に連れて行こうなんて考えてないわよ。行くのはわたしと霊夢の二人だけ」
「二人って……太陽のシャットダウンなんて言うからもっと戦力を集めてるのかと思ってた」
「これは八雲の失態だから他の奴らに任せるわけにはいかないの。管理者自らが責任を取らなければならないわ」
「いやうん、その理屈は分かるのだけど……どうしてわたしが頭数に入っているのかしら?」
「そりゃ、博麗の巫女は八雲の所属だからに決まってるじゃない。そんなことも知らなかったの?」
「知るわけないじゃない。というかあんたがわたしにこれまで何をしてくれたって言うの?」
「色々よ。毎月の給料を出してるし、税金も確定申告も肩代わりしてあげてるし、休みが欲しい時は理由も聞かず毎回許可してるし」
「あの、ごめん。話が見えないのだけど」
「そりゃ当然よ、見せないようにしてるんだから。博麗の巫女は自由でなければならない。だから命令系統も縦割りの社会を迂回するようにできている。いつも連絡している上司は判断することなく直でわたしに連絡して来てるの。冬場は代理で藍がやってるんだけど今は野生に帰ってひらひら舞う蝶を無邪気に追いかける始末ときた。今回、明らかな異常事態なのに上から一向に連絡が来ないからやきもきしてたんじゃないの?」
 霊夢は思わず何度も頷いていた。だがまさかそんな事情があったとは思いもよらなかった。
「というわけ。だからあなたはおとなしくわたしに徴発されなさい……もとい、来て頂戴」
「上司なんだから来いと命令すれば良いのに、やけに律儀なのね。妖怪って人間の事情を解しないとばかり」
「博麗は異変においてあらゆる事情に優先される。それはわたしとて例外ではないからよ」
「今回の件はまだ異変として認定されていないけど」
「今した、わたしがした。だから無断欠勤だのどうのこのと気にする必要もないわ」
 なんとも強引だなと思ったが、呆れるよりもまずは安堵の気持ちが先についていた。自由だなんだと言われても、既に公務員としての気質が少なからず染み付いているのだ。しかしそれもいま解き放たれた。だから霊夢は好きにして良いし、紫の提案をはねつけても良かった。
「分かった、そこまで言われて断るなんてできないし、他にやることもないものね。地獄の果てとまではいかないけれど、行けるところまでは行きましょう」
 紫は満足そうに頷くと、霊夢の横に立つ美真にちらと視線を寄せる。
「そこのお尻に殻をくっつけた魔法使いも来たそうな顔をしてるわね」
 霊夢は美真を連れて行く気はなかった。だが紫はしきりに品定めの視線を向けていた。
「空を飛べるならわたしや霊夢の弾除けくらいにはなるでしょう。言っておくけど誰もあなたを守ってはくれない。それでも良いならついてくることを許すわ」
「行きます。あの子を止める術があるならば、この体が砕けても良い」
 霊夢が制止する間もないほどの即答だった。最初に対峙したときや弾幕を交わした時のふわふわした頼りなさはいまやすっかりと消え去り、その顔は決意に満たされていた。
「わたしはこれまで沢山のものに甘えていました。鉄の龍にも魔理沙さんにも。そして幸いなんて言葉で蓋をして現在進行形で起こっている様々なことを見て見ないふりをしていた。その結果として今の状況が発生している」
 それを言うなら霊夢だって、上からの指示がないというだけで一月近くも物事を静観してきた。遠子が腹を立てるのももっともなことだ。それでも霊夢は彼女を連れて行くべきかどうか悩んでいた。弾幕決闘を通して脅威と対峙するのは、決意を振り絞っただけでどうにかなることではない。霊夢も初めて決闘をした時には怖くてたまらなくて、ろくな実力が出せなかったのだ。
 そんな逡巡を断ち切るように、霊夢の眼前に冥い亀裂が発生する。霊夢にはあの大人びた八雲らしき妖怪が生み出したものと全く同じもののように見えた。やはり二人には関係があるのかもしれないと思ったが、目の前の紫は質問する時間をくれなかった。
「申し訳ないけど、わたしには時間がない。迷うのは現地にしてもらうわ」
 そう宣言すると亀裂は瞬く間に霊夢と美真を飲み込む。あらゆる感覚が混在しているかのような、これまで味わったことのない感覚に包まれることしばし、霊夢は微かに光を放つとんでもなく大きな球体の前にいた。見えるものがうるさく聞こえ、肌を撫でる風が酸っぱく感じたのもほんの一瞬のことで、全ての感覚はすぐ正常に戻ったが、耳の奥に水が入ったような落ち着かなさはなかなか抜けなかった。
 紫は力の持ち主であるためか隙間を抜けてもけろりとした表情をしていた。対する美真は口元を強く押さえ、青白い顔で必死に吐き気と戦っていた。
「ふむ、二人とも初めてだというのによく耐えられたわね。まあこれくらいはやってもらわないと困るのだけど」
「お褒めにあずかり光栄の限りだわ。しかしこの球体は何なの? まさかこれが太陽だと言うんじゃないでしょうね?」
「ご明察の通り、これが幻想郷の太陽よ。正確には太陽炉と言うのが正しいのだけど」
 霊夢はかつて、太陽は地球からずっと遠くに離れたところにある燃える星であると教えられた。そして地球よりもずっと巨大で、太陽系の熱量を一気に担うほど激しく活動しているのだとも。でも紫が太陽と主張するこの球体は巨大であるが教えられたような代物でないことは明白だった。
 紫の言葉が正しいかどうか考えあぐねていると、先程まで気持ち悪そうな顔をしていた美真が紫に不信げな表情を向ける。
「これが太陽ならその外周には巨大なリングが存在するはずです。それなのにこの太陽の周りにリングは存在しません。わたしにはこれが本物の太陽とは思えませんが」
「太陽の外周に巨大なリングだなんて、ラリィ・ニーヴンの書いた空想科学小説みたいだわ」
「同名の作家は知っていますが、彼は幻想小説の作家ですよ」
 二人の視線は戸惑いによって交錯したが、紫はすぐに愉快そうな笑顔を浮かべる。彼女の頭の中ではきっと様々なことが理解され、把握されているのだろう。初対面にもかかわらず、何故かそのことがよく分かった。
「幻想郷は全てを受け入れる、それは……うん、きっと素敵なことね」
 霊夢は紫の言葉にどきりとさせられた。一度も聞いたことがないはずなのに、いつかどこかで同じような言葉を誰かから聞いたような気がしてならなかった。だが紫は霊夢が声をかける前に背を向け、太陽にそっと手を触れる。仄かな光は瞬く間に博麗の札によく似た図形を描き、太陽をびっしりと覆い尽くす。どういう仕組みかは知らないが、太陽の表面は非常に強固な結界によって覆い尽くされているのだ。それを紫は容易に可視化できる状態にした。
「今からこの結界を逆算し、太陽を完全に停止させるわ。これにはわたしの演算力の全てを注ぎ込まなければならない。それが完了するまでわたしを護りきって頂戴」
 ここがどこかは分からないが、太陽ならば地球から遥か離れた場所に存在するはずだ。鉄の龍がここまで追って来るとはとても思えなかった。だが紫は現状を最も把握している。その彼女が危機を感じているならば、ここにやってくる可能性は高いのだ。
「分かった、なんとか食い止めてみるけどあまり期待しないでね」
「霊夢こそわたしの助けは期待できないと考えて頂戴。本当にね、これをやるのは初めてなの。だってあの日から七百年近く、こんな非常事態が起きたことなんてないもの。緊急停止手順もいま必死で思い出しているところ」
 余裕を見せようとしていたが、難事を目の前にしているせいか声が微かに上ずっていた。結界の管理人もまた、この世界では万能というわけではない。あるいはもしかすると、彼女もまた誰かから八雲を継いだ紫なのかもしれない。
「あんた、割と苦労してるんだ」
「そうよ、人の身では想像がつかないほどの艱難辛苦を一身に背負っているの。もっと褒めなさい、讃えなさい、そして労いなさい」
「わかったわ、お互い無事に帰ることができたら存分に褒めてあげる」
「よろしい。ではシーケンスを開始する、機能を停止させたことが分かったらあれはきっとここに直で押しかけてくるだろうから、死なない程度に死ぬ気で頑張って」
 無茶を言うものだと思ったが、その傍若無人さが何故だか少しだけ懐かしくて怒る気になれなかった。霊夢は小さく一つ息をつくと、承知したとばかり紫に背を向ける。それから戸惑いと吐き気のせいでぼんやりとしていた美真に声をかけた。
「というわけで、わたしたちも役割を決めましょう。特に案がなければわたしの指示に従ってもらうことになるけど、大丈夫かしら」
「ここから退けと言うのでなければ」美真の顔色はまだ優れなかったが、その瞳に灯った決意は消えていない。むしろ何らかの核心に迫ったためかより強い輝きをたたえていた。「使い捨ての盾になれと言うならばそれでも良いです」
 だがそれは同時に危ういものでもある。下手な指示を出せば平気で突っ走りそうだから、明確な指示を出さなければならない。
 霊夢は彼女を使い捨てにするつもりはなかった。ただしやることはやってもらうつもりだった。
「あんたはわたしを箒の背に乗せて、どんなことがあろうと飛び続けなさい。それ以外のことはしなくて良い、攻撃も防御もわたしが一手に引き受けるから」
「そんなことで良いんですか?」
「空を飛べるってそれだけで凄いことなのよ」周りが空を飛べるものだらけだからついそのことを忘れそうになるけれど、この状況では自分の代わりに飛んでくれる能力の持ち主というのはそれだけでありがたかった。「それにそんなことって言うけど、今日飛べるようになったばかりなのに、わたしの指示通りに上手く飛べるとでも思っているの? それは流石に自惚れが過ぎるわ」
 少しきつい言い方だったが、これくらい注意しなければこのじゃじゃうまに手綱はつけられないと考えたのだ。美真が何か言う前に霊夢は箒に跨り、飛行をゆっくりと解除する。箒は一瞬だけバランスを崩したが、次には安定を取り戻して二人分の体重をしっかりと支えてくれた。何かに跨るというのは少しすうすうして落ち着かないけれど、文句は言っていられない。
「それにあいつが放つ光に当たると力が鈍るの。あんたにはそれを遮る役目もしてもらう。最初に言っておくけどかなりきついわよ」
「大丈夫……かどうかは分かりませんが耐えてみせます」
 少し不安な答えだったが、できるかどうかも分からないのに保証されるよりかはマシなのだと思うことにした。一番困るのは能力を過信して勝手な行動をされることなのだから。
「再起動用に最低限の設定を残したまま機能を停止に移行」
 背後で紫の宣言が聞こえ、霊夢はここまで取っておいた装備を一斉に構える。
「少し前方に出て、そこで待機」
「了解です、前方に移動します」
 美真の箒捌きは今のところ安定している。今日初めて飛ぶにしては堂にいっていたが、これは他に遮るものが何もないからだ。
「太陽炉を停止、今後八雲の権限がない限りは何者も動かすこと能わず」紫の宣言とともに背後から僅かに伝わってきた熱と光が完全に途絶える。星も月も出ていないから、少なくともいま霊夢のいる一帯では光の一欠片すら見つけることができなかった。すぐ前にいるはずの美真の姿さえろくに見えない始末だった。「さあ、できれば何も来てほしくはないのだけど……」
 しばらくは暗闇と静寂が辺りを支配していた。ここには何も来ないのではと信じたくなるほどには。だがどちらも破られる時がやって来た。
 唸るような音が遠くから微かに聞こえてきて、霊夢はいよいよ身構える。ここが地上からどれくらいの高さにあるかは知らないが、あの鉄の龍はここまで遮二無二駆け上ってきたのだ。星のような光はちかちかと瞬きながら少しずつ大きくなっていき、流れ星のような筋となってこちらに迫ってくる。あの速度で突撃されたらただでは済まないが、背後にある太陽から力を吸収していたのだとしたらそれを壊すような真似はしないだろう。希望的観測だが今はそれに縋るしかなかった。
 鉄の龍の雄叫びが辺りに響き渡り、金属同士の擦れ合う耳に痛い音と重なってそれだけで気持ちが不安定になりそうになる。突っ込んで来た時のために霊夢は札を前面に展開し、結界を張ることができるように配置する。こんなもので防げるとは思えなかったが、かといって退くわけにもいかない。
 幸いかどうかは分からないが、鉄の龍は金属の軋む音を立てながら徐々に速度を落としていく。そして霊夢から少し距離を置いた場所で停止し、また雄叫びをあげる。車内は闇を裂くような白い輝きで満ちており、そして霊夢に向けて容赦なくヘッドライトを照射してくる。
「上へ、光の届かない範囲へ!」慌てて指示をしたが、光は瞬く暇もなくこちらを照らしてくる。素早く移動したので光を受けたのはほんの僅かだったし、前に乗っている美真のお陰で大半は直撃しなかったが、それでも気を張ってないと意識がぼんやりしてくる。「大丈夫? 頭がぼんやりするとかそういうことはない?」
「いえ、全く平気です。貴方はあの光に当たると駄目なんですか?」
 虚勢を張っているのかとも思ったが、美真の声に憔悴の色は見られない。
「ごっそりと力を持って行かれるの。いや、考える力がなくなるというかやる気が失せるというか……とにかくわたしには辛いものね」
「分かりました、できるだけかわします」美真はぎこちないながらも箒を操り、ヘッドライトの照射範囲から逃れようとする。「側面につけばあの光には当たらないはずです」
「いや駄目、正面を維持して」
「どういうことですか?」
 美真の疑問に応えるよう、鉄の龍が霊夢の札や針を模した光の弾幕を展開する。それらは動き回る霊夢や美真ではなく停止した太陽に向けられていた。
「あいつの目的は太陽のコントロールを取り戻すことだと思う」
「そういうこと、早く戻りなさい!」紫の通る声が霊夢の耳を鋭く打つ。「あいつ、さっきから執拗にクラッキングをかけてきてるの。わたしの能力は攻撃にも防御にも使えない状況なのよ」
 指示を受け、美真は慌てて鉄の龍の正面に移動する。ヘッドライトに真っ向から照らされる格好となったが、この意識を吸い取られるような感覚を耐えなければならない。美真が前にいてある程度の光を遮っているからなんとか意識を維持したままでいられるがあまり長くは保ちそうにない。
「あいつはもう太陽から力を吸収できない。いまあるエネルギーを使い切れば動けなくなるはずよ。それまで耐えて頂戴」
 続けて無茶な指示が飛んでくる。吐き気とやる気のなさと混乱が頭の中で渦を巻くが、霊夢はぐっと歯を噛みしめて全てに耐える。空を飛ぶことも手加減することも考えなくて良いというのは少しだけ楽だった。
「あんたが龍だろうとなんだろうと、もう退くわけにはいかないのよ」郷においてなお幻想として語られるものであろうと、自然や季節までを好き放題にして良いはずがない。ここでなんとしても力を使い尽くしてもらう必要がある。「来なさい、わたしの力の限りをもって撃ち落とし続けてやるから!」
 決意とともに、体が不思議な力に満ちてくる。いや、そうではない……鉄の龍が放つ光を浴びても力が吸い取られるような脱力感を覚えなくなった。もしかすると光に慣れたのかもしれないし、覚悟を決めたことで精神攻撃をはねつけられるようになったのかもしれない。どちらにしろこれは自分にとって都合の良いことだった。だから最大限に利用するしかない。
 強化の段階を一気に駆け上り、襲い来る眩暈も今度ばかりは気合でねじ伏せる。それから最後まで残していた符を、霖之助の店で得た札のイメージに上書きして一気に開放する。
《夢符「封魔陣」》
 鉄の龍が生み出した弾幕の輝きにも負けないほどの赤い煌めきを放つ札が前面一杯に展開される。力が絞り出される容赦ない感覚に、霊夢は思わず美真の体にしがみつく。
「ごめん、こうしてないとすぐにでも気を失いそうで」
「平気です。そんなので気が紛れるなら背骨が折れるほど痛くしても構いませんから」
「そこまで我慢しないで。空を飛んでくれなきゃ二人とも落下するだけなんだから」
 軽口を叩いたせいか、気持ちが少しだけ楽になる。きっと一人だけではきっとこの重さには耐えられなかっただろうが、感謝を言うのは全てが終わってからにするべきだった。
「それよりも来ます!」美真の合図に従い、霊夢も創り出した札を前方に向けて発射する。背中にしがみついているから前は見えないが、押し潰されそうなほどの力がこちらに迫っているのだけは分かった。「霊夢さんの札がこちらに迫ってくる弾幕を上手く撃ち落としてます。今のところ一発も撃ち漏らしていません」
 その言葉で少しだけ気が楽になったのか、しがみついていなくても力の放出に心と体が耐えられるようになってくる。そっと腕を離し、前方を見やると霊夢の放った赤い札の群れが金色に輝く札や針を追尾しながら次々と撃ち落とし、みるみるうちに金色の光が減っていくのが分かった。金色の光を砕く赤い光だなんて少し禍々しい気もしたが、たとえ邪な力であってもこの場を凌ぎ切れるならば構わなかった。
「あとどれだけ力を削げば良いんでしょうか?」
「分かんないわね。わたしの力が尽きるのが先か、向こうの力が尽きるのが先か」鉄の龍はこれまでに散々聞かされた雄叫びをあげ、先の一波を越える大量の弾幕を展開してくる。紫の言う通りならばもう力を新たに得ることはできないはずだが、ここ一ヶ月の間に集めた力と、少しの間であっても太陽から直接吸い取った力がある。そんなものに一人で対抗できるなんて思えなかった。「魔理沙は一体どうしたのかしら。早々に撃ち落とされたか……いや、それはないか」
「きっとすぐに追いついて来ますよ」
 美真の言葉に霊夢は小さく頷き、新たに力を注いで札を新たに創り出す。
「向こうが数に頼んでくるならこちらだって!」
 霊夢は再び美真にしがみつき、力の吸われる感覚をじっと耐える。ヘッドライトの光は霊夢を害さなくなったが、力をごっそり持って行かれるこの感覚は何度味わっても慣れるものではない。霊夢を慰めてくれたのは新たに生み出した札が敵の数を打ち砕き、圧倒しているという事実だけだ。
「霊夢、その調子で敵の攻撃を抑え込み続けて!」遠くから紫の叱咤する声が聞こえてくる。「特別手当もたっぷり出すし、休みもたっぷりと用意してあげるから!」
 現金なことだが、それで霊夢の闘志は幾分か上向いた。いよいよがたぴし言い始めて買い換えなければならない洗濯機のため、車輪が駄目になってきた掃除機の修理もあるし、他にも手を入れたいところがある。どれも公費で落ちるかもしれないが、もし駄目と言われた時のための蓄えがあるに越したことはない。
 第二波を鉄の龍に向けて打ち出すと霊夢は更なる霊力を注ぎ込み、第三波を追加で投入しようとする。弾幕を撃ち落とすだけでなく、鉄の龍本体にも攻撃を仕掛けて怯ませることができれば弾幕の勢いを弱められるかもしれないと考えてのことだった。力に限りがあるのだから逐次投入よりは一気に力を叩きつけたほうが良いかと考えてのことだった。
 力を発揮するその直前で、鉄の龍がこれまでに見せたことのない行動を取ってくる。光の球体が鉄の龍の前方で一つずつぽつりぽつりと灯り、合計で八つの球が正八角形を描くような配置で静止し、ちかちかと瞬き始めたのだ。八つの球はお互いを線で繋ぎ、それが合図かのように複雑な紋様を一気に空中へと浮かび上がらせる。
 その模様に霊夢は心当たりがあった。魔理沙が魔砲を放つ際に構えていたマジックアイテムに刻まれているものと全く同じなのだ。球の明滅は徐々に速くなり、膨大なエネルギーが図形を中心として生まれつつあるのがはっきりと感じ取れた。
 大技に反応したのか、これまで金色の札や針を追いかけていた霊夢の札が図形を打ち砕こうとして一斉に突撃を仕掛けていくが、赤い光を発して蒸発していくだけで図形には全く傷のついた様子がない。
 霊夢は攻撃のために生み出そうとしていた第三波を急いで展開し、朦朧としかけた意識の中で結界を組み、分厚い防壁を形成する。次の瞬間にヘッドライトなど比べものにならないほどの光が迸り、霊夢の張った結界を押し流そうとする力の奔流が容赦なく迫ってくる。白と赤の光がひっきりなしにぶつかって火花のように散り、見ているだけで目がちかちかしてくるほどだった。
 結界を保つために補修用の札を生み出しては補修に努めたが、塞いだ先から別の場所に亀裂が走り、一つの亀裂に蓋をすれば二つの亀裂が走るという有様だった。力負けをしているのは明らかだったが、押し返すのではなく防ぐだけが目的だったから辛うじて踏み留まることができている。だがそれも早々に限界が訪れそうだった。
 術に力が吸い取られていくことが恐ろしく、しかしそれは唯一の希望でもあった。力が流れ出すうちは少なくとも結界を維持できるからだ。光と轟音、熱量に全身を灼かれながら、霊夢は力よ湧き続けろと一心に祈り続ける。ここまで来たらもはや誰にも祈ることはできない。神職だというのに霊夢は自分自身に祈ることしかできなかった。
 だがそれもやがて途切れる時がやってきた。どんなに力を振り絞っても新しい札を生み出すことができなくなってしまったのだ。光の奔流はまだ収まることなく、赤い結界をみるみる浸食していく。
「わたしを置いて、あんただけ離脱しなさい!」
 紫からの指示はないが、美真まで巻き込むわけにはいかない。朽ち果てゆく結界を凝視しながら、霊夢は魔砲の轟音に負けないよう耳元で大声をあげる。しかし美真は霊夢を置いて離脱しようとはしなかった。ひたすら前を見て、圧倒的な力からも目を逸らそうとしなかった。蛮勇ではなく己の透徹な意志が彼女をこの場に留めている。それなのに自分は何もすることができないのだ。
 いまやいつ崩壊してもおかしくない結界はしかし、最後まで砕けることはなかった。
「見てください、光が弱まっていきます!」
 美真の指摘した通り、鉄の龍から放たれる力が急速に弱まりつつあったからだ。
 目映い光が途絶え、弾幕の放つ光がそこかしこにあるというのに、やけに暗くてたまらなかった。目が霞み、近くからの声もじっと耳を傾けなければならないほど疲弊している。意識を失っていないのが不思議なほどなのに胸騒ぎがちっとも収まらず、それが霊夢の心を覚醒に繋ぎ止めていた。
 その理由を霊夢は絶望とともに理解することとなった。先程と同じように光の球が一つ、また一つと灯り始めたのだ。こちらが全ての力を使い果たしたのを見て、一気に押し流そうという腹積もりなのがあまりにも明白だった。
「霊夢、退きなさい。これ以上の無理はさせられない」
 紫の指示があったけれど、霊夢は退くことができなかった。全ての力を使い果たしてもはや空を飛ぶことすら叶わなかったからだ。
 美真は相変わらず前だけを見続けている。背後からその横顔を覗き込むと、彼女の抱えている感情がはっきりと伝わってきた。彼女はこの身を灼き尽くしてでも鉄の龍がやっていることを止めなければならないと考えている。
 そんな顔をされると退けなんて口にできなかったが、美真は霊夢に見られていることに気付くと自分一人の身ではないことに気付いたらしく、表情は保ったまま金色の魔砲の射線から徐々に外れていく。
「処理の一部を防御に回すわ、きっと一撃くらいなら耐えられると思う。まあなんとかなるでしょうよ」
 紫は逃げゆく霊夢たちに叱責を飛ばすことなく、楽観論を口にする。でもそれは少なくとも霊夢にとって何の救いにもならなかった。
「せめて藍がまともだったらなあ。もっと念入りにクラッキング対策をやっておくべきだった。セキュリティ対策は予防が大事って本当ね」
 八つの球が輝きを取り戻し、ちかちかと瞬き始める。こちらの希望を全て吹き飛ばす一撃がこれからやってくるというのに、霊夢にはもう何もできないのだ。
 諦めかけたそのとき、遠方からきらりと輝く光点が見えた。その点はすぐに一条となり、猛烈な速さでこちらに迫って来る。魔理沙が駆けつけてくれたのだという安堵が胸に浮かびかけたが、鉄の龍は既にエネルギーを貯めきっていた。
「あそこに行って!」霊夢は崩れかけた結界を思わず指差していた。新たな霊力を注ぐことはできなくても、結界を構築し直して僅かでも時間を稼げるかもしれないと思ったからだ。「あと少しだけわたし……わたしたちで持ちこたえるのよ!」
 美真は何も言わず向きを変え、崩れかけた結界めがけて一直線に飛んでくれた。だから第二撃の発射よりもほんの少しだけど早く着き、結界を組み直すことができた。続けて光の奔流が圧倒的な勢いで迫り、張り直したはずの結界が瞬く間に崩れ、今度こそ霊夢と美真を飲み込もうとする。だがその光は届かなかった。激しく何かがぶつかり合う音がしたかと思うと、一切の重圧から突如として解き放たれたのだ。
 その理由を霊夢はすぐ目撃することになった。白い光の塊が鉄の龍の真横からぶち当たり、砲撃を大きくずらしていたのだ。光の中からちらりと覗く箒から魔理沙であることは分かったが、弾幕決闘を交わした時の魔砲に続き、霊夢がこれまで一度も見たことのない弾幕だった。
 鉄の龍はひっきりなしに雄叫びをあげて抵抗したが、魔理沙の一撃は巨体をぐいぐいと押し続け、砲撃は明後日の方向に放たれ続けたまま徐々に収まっていく。
 すると鉄の龍を押し続けていた光も消えていき、中から魔理沙の姿が現れる。そして霊夢や美真のいる所までやって来ると、八卦炉を構えながらその前に立ってくれた。
「やれやれなんとか間に合ったか。こいつと来たらとんでもない勢いで空に舞い上がっていくから、追いつくのに骨が折れた。この巨体でなんて速さだ」
「光素を十分に浴びた道具は太陽を巡る円環まで半月経たずに到達しますから。それほどの潜在能力を秘めた粒子だからこそ、わたしのいた世界では今も研究され続けているんです」
 霊夢には美真の話している内容がさっぱり分からなかったが、速さ自慢の魔理沙に率直な弱音を吐かせる代物であることだけはよく分かった。
「そりゃそうだ、わたしもこいつを動かす動力についてはもっとよく知りたいね。でも今はそんなこと悠長に話している場合ではなさそうだ」
 鉄の龍は魔理沙の体当たりを食らったせいか蛇のようにくねくねと、まるで身悶えているような動作を見せている。雄叫びはぴたりとやみ、車体から放たれる光も随分と弱々しくなっていた。霊夢はどうしようか考えあぐねてただ視線を注ぎ続けていたが、美真には何か心当たりがあるらしく、霊夢にちらと視線を寄せてくる。
「何か思い当たる節があるの?」
「そういうわけではないですけど、何かこう己の中で戦っているような気がして。近付いて励ましてやりたいなと……危険なのは分かっていますが」
「一番長く側にいたのは美真なんでしょう? それにこの郷では勘って結構当たるものよ」霊夢はもちろん美真だけを信じてそう言ったのではない。胸の内で鳴り続けていた警鐘が収まり、危急の難が解かれたらしいことを察していたのだ。「邪魔と言うなら魔理沙の箒に移るけど」
「いえ、後ろにいてください」
 美真はそう言うと今度は魔理沙に視線を向ける。
「やりたいようにやれば良いよ。まずいことになったらわたしがフォローする」
 すると美真はしばし瞑目したのち、鉄の龍に近付いていく。正直いって接近するだけで少し恐ろしかったが、美真の飛行には全く迷いがなく、ぎしぎしと軋んでいる機体にぎりぎりまで接近するとそっと手を添え、まるで小さな子供をあやすようにしてその巨体をゆっくりと撫でる。
「ごめんね、こんなことをさせてしまって。お前一人ならすぐにでも楽園に行けたのに」
 美真の言葉によって身悶えていた鉄の龍が徐々に動きを止める。敵意も害意も拭いさられたことはいまや霊夢の目にも明らかだった。
 これで全てが解決したのだと誰もが思ったその瞬間。
 がこんと音を立て、鉄の龍が真っ逆さまに墜落し始める。魔理沙が先行し、下からなんとか受け止めようとしたが、食い止めきれずに二人揃って地上へと落ちていく。強化の魔術を使っているのか全身が仄かに白い光で包まれていたが、それでも鉄の塊を支えきるほどの膂力は得られないようだった。
 もはや誰にも打つ手はないかに思えたそのとき、赤い閃光が鉄の龍の真下に潜り込み、落ちるばかりだった巨体が派手に軋む音を立てながら空中に静止する。必然的に皆の視線は新たな乱入者である黒羽根の少女、レミリア・スカーレットに注がれることとなった。
 その幼い容姿と剣呑な妖力は誰でも一度目にしたら忘れることなどできないだろうが、それでいて誰もが彼女の姿を見てすっかり戸惑っていた。助けられた魔理沙ですらこの新しい状況に面食らっていたほどだ。
「お前、年をくって随分と情けなくなったんじゃないか?」
「その減らず口は相変わらず……と言いたいところだが、どういう風の吹き回しだ。以前なら自分を安売りするような真似はしなかったはずだが」
「こんなにも完全な暗闇が現れたとなれば、夜の王として見過ごすわけにもいかない。それに八雲を名乗るちんちくりんがね、いやはやあんなに小さくて頼りなければ放っておくわけにもいかないだろう。けじめを取るという話だったからずっと静観させてもらっていたが、いよいよピンチとなれば手を貸すつもりだったのさ」
「それならもっと早く助けて欲しかった!」
 魔理沙の叫びに霊夢は思わず同意する。だがレミリアは人の気持ちなど介さないとばかり、恩知らずと言いたげに不機嫌そうな顔を浮かべるのだった。
「これでも十分助けてるだろうに。わたしの力がなければ今頃このどでかい箱は真っ逆さまに墜落して地面に激突する羽目になっただろう。とはいえこちらも延々と支え続けているわけにもいかないがね。ここがどれくらいの高度かは分からないが、このまま地上に着くまで支え続けるなんて流石のわたしでもえらく骨が折れるに違いない」
「それなら骨をばきばきに折ってもらおうじゃないか」
 レミリアはこいつ正気かよと言いたげな視線を魔理沙に向ける。
「お前ちょっとは空気読めよな。いや、空気が読めないのは昔からか」
「いや言ってることがよく分からないんだが……」
「おい八雲のちびっこ、聞いてるんだろ?」レミリアは魔理沙の言葉を無視し、どこにいるかも分からない紫に向けて声を張り上げる。「この箱はお前の力で皆を地上に運ぶんだ」
「そんなことできるわけないでしょう?」紫はレミリアのすぐ前に現れ、子供っぽい仕草とともにぎろりと睨みつける。「鬼の膂力と天狗の速さを持つと豪語しているのでしょう? その通りの力を発揮してみせなさい」
「わたしが知る八雲紫ならそれくらいは朝飯前だったぞ」
 レミリアはそう言って紫に挑発するような笑みを浮かべる。それが何を意味するのか、同じようなことを言われ続けてきた霊夢にはすぐに理解できた。霊夢が最初の博麗霊夢ではないように、彼女もまた最初の八雲紫ではないのだ。だとすれば歯車の塔に現れたのと姿や雰囲気がまるで異なっていたのも納得できる。そして紫が見せる反応にも見当がついた。
 はたして紫はたちまち顔を真っ赤にし、レミリアをびしりと指差す。
「そんなことわたしにだって朝飯前よ。今からそれを証明してやるから」
 紫はレミリアから離れると鉄の龍の前面に立ち、人差し指を立てながら上下にゆっくりと移動する。その指が触れたところは冥い亀裂となり、大きな穴がたちどころのうちに出現し……そこまでは良かったのだが、生み出された亀裂はふらふらしているというか、境界としてあまり安定していないように見えた。
「ど、どう? この大きさなら電車でも通ることができるでしょう?」
 どんなものよと言いたげに胸を張ろうとしたところで、亀裂を中心として空間が水面のようにゆらゆらと揺れ始める。見ているだけで不安定になりそうな光景だった。
「この中に入ったらどんな場所に飛ばされるやら。真面目にやってるのか?」
「やってるわよ! 結界を張るのは単純計算の繰り返しだから理屈だけでできるけど、境界はフィーリングなの。不確定な量子の揺らぎを確定側に捲り込んで、手繰り寄せて、括りつけなければならないのよ。こんなに大きな穴、そうそう安定するわけが……」
 そこまで口にしてから紫は苦手な食べ物が出てきたような顔を浮かべ、境界の上の端に近付いていく。そして髪の毛のリボンを一つほどき、できたばかりの境界に括りつける。それから瞬間移動で下の端に移動するともう一つリボンをほどいてこれも境界に括りつける。それでひどく揺らいでいた空間が一気に安定し、眩暈のような感覚も徐々に収まっていく。
「なんだ、そんなことできるなら最初にやれば良いのに」
「子供っぽい飾り付けみたいで嫌なのよ」
 レミリアはそっぽを向く紫ににやにや顔を浮かべていたが、空間がまたぐにゃぐにゃと歪み始めたのを見て表情を引き締めた。
「どうやら急がなければならないらしい。わたしのほうはまだいくらでも支えていられるがな」
 そして堂々と強さアピールをすると、巨体を担いで前に進み始める。魔理沙ももうひと踏ん張りと後部車両を持ち上げ、残りの面子で後面からぐいぐいと巨体を押していく。前面が境界に接触すると空間が一瞬だけ奇妙にうねったが、鉄の龍は拒まれることなくするりと境界に飲み込まれていく。
「またこれに潜らないといけないのかな……」
 美真はここへ来たとき酷く気持ち悪そうな顔をしていたし、霊夢も影響を受けないわけではなかったから嫌がる気持ちはよく分かったが、自力で降りるとなれば地上に辿り着くまでどれだけかかるか分からない。
 鉄の龍は無事にその巨体を境界の内側に収めたが、その影響か辺りの揺らぎがどんどん酷くなる。それでもあの感覚をもう一度味わうのが躊躇われてぐずぐずしていたのだが、すると紫が腹立たしげに声をかけてきた。
「二人とも急いで! 実は新しい境界を創り出す妖力、もう残ってないの!」
 いきなりとんでもないことを言われ、霊夢と美真は慌てて境界へと飛び込む。
 一際大きなうねりが五感を派手に打ち据え、霊夢は気を失うようにしてその内側へと吸い込まれていった。

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