東方二次小説

聖白蓮さん、あなたに仏のお恵みを白蓮さん 後編   白蓮さん後編 第3話

所属カテゴリー: 聖白蓮さん、あなたに仏のお恵みを白蓮さん 後編

公開日:2016年01月07日 / 最終更新日:2016年01月07日

 早朝のお勤めを終え、地底探検に浮かれる村紗を尻目に、わたしは彼女が聖と共に出かけるときを密かに待ち焦がれた。昨夜の無礼にも関わらず、聖はわたしに屈託のない笑顔を向けてくれ、それがちくちくと心を突いた。これからもここにいて良いのだと錯覚しそうになる。しかしてわたしはいまや浅ましき獣であり、ここから一刻も早く追い出されなければならないのだ。
 やがて聖が村紗を伴い、留守をわたしたちに任せて出かけていった。わたしは一輪の気持ちが引き締まる前に素早く寺を抜け、ナズーリンの作ってくれた資料に改めて目を通す。八雲の庵に向かうならば、ただひたすらに一つの方角を目指せば良い。博麗神社へ行きたいとき、ただ真東に向かえば良いのと同じ理屈である。
 幻想郷の端にあるといっても、神社と同じですぐに辿り着くと思っていた。しかし距離や方角を惑わす様々な仕掛けがあり、しかも嗅覚での追跡を遮る効果の臭いが漂っていて、太陽が真上に登ってさえ、目的の場所に辿り着けなかった。いよいよ気持ちだけが逸り、無分別と知りながら思わず嘶きをあげたそのときだった。少し離れた箇所で棘のように気配の沸き立つのが分かった。一瞬で霞のように消えたけれど、何者かが潜伏していると分かるには十分過ぎた。
 わたしは目的地に近付いており、相手はわたしを酷く恐れている。おそらく八雲藍本人とみて間違いないだろう。不審者の接近に気付き、式である彼女が派遣されたに違いない。相手はかつて全身をずたずたに引き裂き、尻尾をねじ切った凶暴な獣である。だから惑わして追い返したかったのだろう。
 わたしは懐に収めていたスペルを発動し、獣の全速力をもって気配のした場所まで一気に飛び込んだ。相手も馬鹿ではないからそこには誰もいなかったけれど、恐怖を煽る術は心得ていた。喉を鳴らし、叫ぶように嘶くと再び気配が立ち、わたしはそこへ間髪入れずに飛び込んでいく。何度か繰り返すうちに、相手は気配を隠せなくなり、また分かりやすい足音を立てるようになった。もう一息とばかりに咆哮をあげ、濃く気配の立ちこめた茂みに、今度こそはと一気呵成で飛び込む。狩ったと思った瞬間、横合いから鏃状の弾幕が迫ってきて、足下に何発か着弾する。急いで仕掛けたためか狙いが甘かったらしい。
 いかにも狐が好きそうな化かし技だ。その小癪さにいよいよいきり立ち、容赦のない吼え声をあげた。細い気配が現れては消えを繰り返し、命のまたたきを感じさせた。そこかしこから飛んでくる弾幕を紙一重で避けながら、わたしは気配の中心に一気に飛び込んだ。
 今度こそ手応えがあり、その両腕に包を身に纏った少女を押し倒していた。九つの尾を持つそいつはわたしの顔を見て、酷く怯えた表情を見せていた。力は付いたようだが、まるで性根の変わった様子がなく、だからわたしは容赦なく尖った爪を剥き出しにした。
「待ってくれ! わたしが何をしたと言うんだ! 確かにかつて、わたしは若さに任せてあんなことをした。あなたに退治されたのも因果応報と言えなくもない。だが、あの時のわたしは何も知らなかったのだ。てっきり彼女がわたしのことをうらぎ……」
 いちいち弁明を聞くつもりはなかったから、無言で爪を突き立てた。ぐりぐりと捻り込んで、負の感情以外がわかないようにした。爪を抜くと赤い血が手からぬるりと垂れて、わたしは獣の本性を剥き出しにして吼え猛けた。とても気持ちが良かった。
「それが仏の代理人の、することか」
 わたしは血にまみれた手で、無様な狐の顔を殴りつけた。鼻からぱっと血が噴き出して、生臭い鉄の香りが鼻腔をくすぐる。心が煮立つような恍惚を覚え、勢いに任せて更に何度も殴りつけた。かくもわたしは暴力に焦がれていたのか。千年も自分を偽り通して来たのは何だったのか。わたしではない何者かであったのか? いいや、違う。これはわたしだ。
聖を失って心を枯らし、ただあるがままを受け入れていただけのわたしは、聖を解放して心に水が注がれることで、凶暴な本性をも強烈に呼び覚ましたに違いない。
 やはりわたしは聖から離れるべきだ。この凶暴な衝動は思ったより性質が悪い。この狐を殴って徐々に弱っていくのを見るのが楽しい。首筋に噛みついて血を迸ら(ほとばし)せ、骨まで食らうことを考えると心が躍る。
「わたしはなんと獣であったことか」
 威嚇(いかく)に満ちた表情を浮かべると、瞼の半ば塞がれた両瞳はまるで腐った魚のようになった。
「何とも呆気ない。これではお前の主もたかが知れるというもの」
 狐は露骨な挑発にも一瞬、口元を窄めただけで何も言い返してこなかった。
詰まらないから喉を食いちぎってやろうかと思ったそのとき、横合いから強い衝撃を受け、近くの木に叩きつけられた。
 何者かと視線を向ければ、そこには優雅に日傘を差し、ぱっくりと空いた冥い隙間をまるで足場にして、蝙蝠のように逆しまの少女がいるのだった。彼女は隙間に吸い込まれて姿を消すと、次には狐の前に降り立っていた。着ているものに類似を感じられるところからしておそらく彼女が八雲紫なのだろう。
「随分と楽しいことをしているようね」紫は息も絶え絶えの使い魔が転がっているというのに、うっすらと微笑を浮かべていた。「ご心配なく、わたしはこれ以上の邪魔をしませんわ。牙を立てて殺すなんて流儀ではないから少し手荒く教えてあげただけです」
「規則違反……? ああ、この幻想郷流の決闘作法か」
 確かスペルカードルールという奴だ。もっともわたしが彼女を追いつめるために使ったのはスペルなのだから邪魔される謂われはなかったはずだ。
「決闘だなんて無粋ですわ。これは遊戯なのです。ただしこの遊戯、ここでは何よりも価値があります。上手く避けられて当てられれば、結果として相手がどうなろうと関与しません。文句も言いません。お好きにどうぞと言わせて頂きますわ」
 紫は胡散臭い笑顔でそう言い切ると次に顔をきつく歪め、使い魔の腹を思い切り蹴り上げた。この行動は流石に予想の範囲外で、今のわたしですら呆気に取られるよりほかなかった。
「この役立たずが」紫は小刻みに体を震わせる使い魔を、爪先でつつきながら言った。「今こそお前の使命を果たす絶好の機会じゃない。それを鼠みたいにこそこそと逃げ回って」
 紫は足下に転がる使い魔の腹部を執拗(しつよう)に蹴り上げ、最後に思い切り踏みつけた。血を噴いて気絶しそうになるや否や、紫は片腕でひょいと持ち上げて、既に腫れ上がった顔に平手を見舞った。
「良いこと? お前はもはやこそこそと逃げ回る走狗(そうく)ではない。八雲の名を冠した一番遣える道具よ。道具なら道具としての使命を全うして、それから死になさい」
 聞いているだけで凍えそうになるほどの罵倒だった。彼女はどう見ても、部下を大切にする類ではなかった。聖を基本として考えていたから、下のものにこれほど厳しくなれる上司をついぞ想定できなかったのだ。
わたしが彼女の式を殺したとして、八雲紫はただけろりとしているだけではないか。それならば、わたしはどうすれば良いのか。必死で考えを巡らせていると、紫は式を地面に投げ捨てて、余裕の表情をこちらに向けてきた。
「どうされたのですか? 鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をされていますね。先程までの漲るような覇気はどうされましたか?」
「わたしはそいつにそんなことをしたんだぞ。もう少しで殺すところだったのに、その仕打ち。お前はそいつのことが大事じゃないのか?」
「手塩をかけた作った道具ですから少しは腹立たしいと思うかもしれませんね。でもそれだけですわ。別に、あなたを八つ裂きにしようとかそういう気持ちにはならないでしょう」
 そこまで口にして、紫はわたしに嗜虐的な笑みを浮かべて見せた。
「なるほど、血に狂った法の代理人……というわけですね」わたしは内心を見抜かれた恥じらいに顔を俯け、すると紫は刃のような言葉を容赦なく投げつけてきた。「欲を抑える術を知らず、故に己を恥じ、問題を起こしに来たわけですね。そのためにかつて無惨に追いやり、かつ郷の要に仕える藍を手にかけるのが、一番簡単だと思ったわけですか。そこまで己が主と仲間に殉じるとはまこと、立派な心掛けですわね。いやはや、感服すると言わざるを得ません」
 紫は傘を宙に浮かせ、わざとらしく拍手をしてみせると再び傘を手に持ち、もう片方の手で器用に扇子を開くを彼女はそれで口元を隠すと、目だけでにやにやと笑ってみせた。
「その素晴らしい心掛け、報いて差し上げますわ。もしあなたが藍に勝てたら、わたしは命蓮寺にその旨を訴え、あなたをいかほどにも処しましょう」
 叶うはずがないと思っていたから、その申し出はわたしにとって天の配剤にも等しかった。だからあれほど疑わしい相手であるにも関わらず、一も二もなく頷いてしまった。
 その反応を見て、紫は「ただし」と付け加え、すっと目を細めた。
「あなたが藍に負けた場合。そのときには命蓮寺を終了させます」
「終、了……?」紫が何を言いたいのか分からず、わたしは鸚鵡(おうむ)返しに訊ねていた。「まさか寺にちょっかいを出すつもりなのか?」
「わたしがこの郷を作ったも同然というのはご存じかしら? 故に住人たちはわたしの掌にあります。鶴の一声をあげれば、新参者一派を鏖殺(おうさつ)するなど簡単なことです」
 懇切な回答に、わたしの顔は俄に青くなった。藪(やぶ)をつついて蛇どころの騒ぎではなかった。わたしは多頭の大蛇を呼び出してしまったのだと、今更ながらに気付いた。
「冗談ではない! そんなことが」
「許されるのですよ、わたしには」
 その声には一片の慈悲もなく、ただただ自信に満ちていた。だからわたしは彼女にならできると確信した。そんなわたしの畏れを余所に、紫はあくまでも柔らかく言った。
「心配されることはないと思いますよ。あなたは先ほど、勝利をつかむ寸前だったではありませんか。あと一ひねりでつく勝負です、何を躊躇うことがありましょう?」
 完璧なまでに彼女の言う通りであった。にも拘らず、わたしは名状し難い不安をねじ伏せることができなかった。彼女のことだから、何か引っかけてくるのではないかと思ったのだ。
「ご心配なく。わたしは規則を誰よりも好むものです。遊戯が規則の中で始まり、そして終わるのならば、どうなろうとそれが一番良いことです。無粋な邪魔立てはしませんし、零れた水を嘆いたりもいたしません。さあ、どうなさいますか? 伸るか反るかはあなた次第ですよ?」
 わたしはまるで釈迦の掌に乗せられた斉天大聖の如くであった。分かっているのに、他にどうすることもできなかった。それにわたしが圧倒的有利に立っているのは事実である。しかも八雲の使い魔は主人の暴力を受けて更に弱りきっている。開始十秒で喉を噛みちぎる自信はあった。だから濃い疑いが立ちこめていようと、わたしには頷くよりほかなかった。
「分かった。どのような結果になろうと恨むなよ」
「もちろんですわ。でも、わたしに恨みが湧くようなことはないと思います」そう言って紫は鐘のように響く柏手を打った。「さあ、良いこと? 藍、命令を一つ追加するわ。この増長天に、身の程を教えなさい」
 すると狐、もとい八雲藍は満身創痍寸前の姿でふらふらと立ち上がった。紫はその頬に張り手を見舞い、藍は今度はしっかりと耐えきった。その様子に満足そうに頷き、頭をひと撫ですると、紫は隙間を喚びだしてその中へと消えていった。
「さあ、遊戯を始めましょうか」少しくぐもってはいるけれど、藍の声は先ほどと異なり、自信と覇気に満ち溢れていた。「どうぞ、望むままにかかって来て下さい」
 わたしには藍の理念がまるで理解できなかった。道具と罵られ、あんなにも主人に傷つけられ、どうして彼女は活力を取り戻したのか。すぐに攻撃するべきなのに、わたしはそのことを問わずにいられなかった。
「お前はあんなことをする主人の言うことを嬉々として聞くのか?」
「ええ」藍は迷いなく肯いた。「わたしは紫様の最も強く忠実な駒です。この喜びが、あなたに分からないことをわたしは哀れに感じます」
「わたしの主は、聖はそんなことをしない。どのようなものであっても、溢れるばかりの慈悲と優しさで包んでくれるのだ」
「その割には、あなたは迷い戸惑っている。紫様はわたしの迷いを最短距離で断ち切り、教え導いてくれるというのに」藍はそして、挑発するように唇を持ち上げた。「要するに、質の差」
 意識が白熱化し、情動とともに飛びかかっていた。先程と同じように飢えた虎を模して、弾幕を身に纏いながら、違うことなく喉笛を狙った。しかし一瞬前までそこにあった意識がどこにもなく、気付いたときには背後にあった。背中に蹴りを食らい、続けて飛んできた弾幕を辛うじてかわしながら、わたしは新たな気配の源に飛び込む。しかし前と同じことが繰り返されただけであり、わたしは蹴りと弾幕の両方を食らって吹き飛ばされてしまった。
藍は体勢を立て直すことすら許さず、横から後ろからひっきりなしに攻撃を仕掛けてくる。狐の小狡い攻撃でありながら御しきれないのは、スペルとして完全に洗練されているからだろう。幻想郷に暮らしてきた年月の差が出ているのだと思った。
 わたしは飢えた虎の本分を引っ込め、次いで二本の鉾を生み出した。木々を隠れ蓑に、こすい攻撃を仕掛けてくるならばその全てを薙ぎ倒すだけだ。わたしは激情のままに、二本の鉾を容赦なく振るった。一角の木々があっという間に倒されて丸裸になり、藍は鉾を避けるので精一杯に見えた。くるくると回りながら高速で動いてはいるものの、いつかは鉾に曳かれて叩き落とされるだろう。
 鼬ごっこが何周か繰り返されたのち、藍は突如として動きを止めた。観念したのかと思ったら、彼女は卍のように見える鉤爪型の弾幕を生み出し、わたしめがけて突進してきた。たわいもない攻撃と思い、二本の鉾を打ちつけようとしたが、鉤爪は二本の鉾の間に上手く食い込み、ぐいぐいと押し込んできた。法力を込めて押し返そうとしたけれど、明らかに強度も出力も上のはずである鉾があっさりとへし折られてしまった。
 まずいと思ったときには、わたしは卍の直撃を食らっていた。半ば折れた木に辛うじて引っかかったものの、背中を強く打ちつけてもう少しで意識を失うところだった。当然ながら藍はそのような隙を見逃すことなく、容赦のない突撃を仕掛けてくる。
 今や狩る側と狩られる側が完全に逆転していた。相手は虫の息であったはずなのに……否、妖怪としての耐久力を望めなくなっているからこそできるだけ攻撃をかわしつつ、こちらを的確に攻撃してくる。もしや紫はそこまで考えて藍をあそこまで痛めつけたのだろうか。するとわたしはその術中に完全にはまったことになる。
 わたしはこのまま押し潰されるのだろうか。かつて無惨にした相手に、鮮やかな逆襲を食らうのだろうか。だとすれば、わたしはどうすれば良いのだろうか。わたしはこの身を持て余しながら、粛々と寺で暮らすしか……。
 そこでわたしは紫ととんでもない約束をしていたと思い出した。わたしが負ければ、寺のものが鏖殺されるのだ。ここで負けることだけは許されなかった。
 わたしは虎の子の宝塔を取り出し、螺旋状の光芒を発射する禅銃(レイディアントトレジャーガン)を撃った。卍の光芒は容易に貫かれ、藍がひらひらと墜落していく。命中したのか否かは考えず、わたしは落下地点に禅銃を連射した。大地がたちまち抉れ、粉塵がもうもうと立ち込める。藍の気配は消えたけれど、撃破したとは考えなかった。
 はたして藍はわたしの頭上に現れ、左右に広く伸びる光芒でわたしをとらえると、狭まった空間に向けて容赦なく弾幕を放ってくる。わたしの取った手法は宝塔の力による圧倒戦術だった。左右に伸びた光芒に対してほぼ直角に数条の光芒を撃ち、相手のスペルを破壊的に制圧した。そうして逆に、光の柱に藍を閉じこめた。
 これこそが正義の威光――しかし今はきらびやかなその光が皮肉であった。わたしは自分の正義を押しつけているだけ、それでも宝塔はわたしに正義があると認めてくれる。何とも都合の良いことだが、今はそれを利用するよりほかなかった。
 柱と柱の間を縫うように動く藍に対して、道を塞ぐような追撃の弾幕を容赦なく降らせた。服を灼き、肌をかすめ、それでも藍はわたしの攻撃を懸命に交わし、一点突破で一時的に柱を穿って通り抜け、凌いでいた。いつまで経っても当たる気配がなく、するとスペルの効果が徐々に薄れてきた。がむしゃらに力を出し過ぎたのだ。
 慌ててスペルを引き、牽制するために円軌道の光芒を放って時間を稼ごうとしたけれど、その隙を藍が見逃すはずもなく。わたしは結界のような球形状の弾幕に捉われてしまった。藍が狐のように嘶きを立てると、まるで京の都みたく整然とした立方体の弾幕が、ぴたりと配置される。藍はわたしを捉えた球形状の弾幕を動かし、四方八方に飛び交う弾幕を避けざるを得ないよう意地悪く誘導した。何度も見ていればある程度は道筋も立つだろうが、初めての身では弾幕の動きに翻弄されるだけで、そのたびに宝塔の力で薙払いながら辛うじて凌いだ。消耗させられていることには気付いていたけれど、だからといって有効な打開策があるわけでもなく。わたしは右往左往させられたあと、ようやく解放させられた。
 途方もない圧力が真上に発動したのは、その直後だった。藍は飯綱権現の光臨を宣言し、すると七色七形の弾幕が雨霰のように降り注いできた。わたしは宝塔に念じ、弾幕を押し返すための奥の手を振るおうとした。魔を浄化する完璧なる光(コンプリートクラリフィケーション)、わたしが毘沙門様の遣いであることを示す絶対の光である。
 その、はずだった。しかし宝塔はわたしに応えてくれなかった。
 目の前の魔を打ち払えと何度も念じた。力が足りないわけではない。まだ撃てる、防げる。耐えきって、今度はこちらが反撃して、あの狐の喉を食いちぎるのだ。
 そこまで考えて、己の邪悪な思考に気付いた。宝塔はわたしの正義を一応は認めてくれた。しかし魔を払うことは拒否した。当然だ、主命に従い力を振り絞る彼女に比べれば、わたしのほうが遙かに魔に近い。そんなわたしに魔を払えと言われ、どうして従うだろう。
 わたしは宝塔を収め、ありったけの妖力を全面に押し出した。いまのわたしにできることはそれしかなく、しかし悲しいほどの数しか相手の弾幕を相殺することができなかった。津波のように迫る弾幕は容赦なくわたしを押し流し、地に堕としていく。
 またしてもわたしは何も分かっていなかった。あの時と同じように、取り返しのつかないことになってから気付く。わたしは愚かで威勢が良いだけだ。それだけのちっぽけで弱い獣だ。毘沙門様の代理を仰せつかってすらこの様だ。負けてはいけないはずなのに、粘ることすらできず一方的に負かされる。
 強い衝撃を全身に感じ、わたしの心は真っ白に塗りつぶされていった。あまりに眩しく、そして眼前を覆った一瞬の赤。聖と最後に見た空。それは炎となり、次いで血となり、後悔となって心に降り注いだ。
 わたしは目を見開き、宝塔を目の前にかざした。今のわたしに正義なんてない。おそらく魔的で、禍々しい存在だ。それでも力を貸して欲しいと願った。わたしはどうなっても良いから、勝たなくても良いから、負けないだけの力が欲しかった。
 すると宝塔は再び光を放ち、わたしは力の続く限り、禅銃を撃ち続けた。互いの弾幕が中空でぶつかり合い、空に何もなくなるまで、撃って撃って撃ち続けた。勝負がついたことすら分からないまま、わたしの意識は夜のような闇へと、悲しみの方へと落ちていった。


 あの夜ののち、聖が最初に行ったのはとんでもない代物を作ることであった。聖は時折、ふらりふらりと姿を消しては疲れた様子で戻ってきて、かと思えば寺から少し離れた場所で何やら慌ただしい作業を繰り返していた。聖が不在のときにわたしはこっそりと見に行ったのだが、そこにはV字型の大きな穴が開いていた。何をやらかそうとしているのか、寺のものたち共々不安になり始めていた矢先のことである。聖はある日突然、大陸と貿易するのかというくらいの船を空に浮かべながら、戻ってきたのだ。聖は例の穴に船底を押し込み、縄を張って固定し、額を拭いながら大きく息をついた。
「聖、これは一体?」わたしが世にも奇妙な船を見上げていると、聖は体についた土埃を落としながら照れくさそうに言った。
「以前、相談に乗ったことのある土蜘蛛にお願いしたら、大層なものを作ってくれました」
 大層にも程があると思った。そしてこのような船を用意した聖の魂胆がわたしにはさっぱり分からなかった。
「わたしはこの船を使い、新しいことを始めようと思うのです」
「新しい? まさか、本当に貿易でもされるおつもりで?」
「金を稼ぐつもりはありません。この船は単なる隠れ蓑(みの)でして、誰かを乗せても素性のばれない形であれば何でも良いのですよ。船形なら何だか宝船のようで縁起が良いと考えてくれるに違いありません」
 これほどの船が空を浮いている時点で問題がありすぎるような気もするのだけれど、高い所を高速で飛べば割と大丈夫なのかもしれない。しかしそれにしても、聖はどうして船を必要とするのだろうか。隠れ蓑と言っていたが、何を隠すつもりなのだろうか。
「少しばかり騒がしくなると思いますが、宜しくお願いします」
 どのようなことを想定してのものか分からないままに、わたしは曖昧な頷きを返し。すると聖はわたしに手を合わせてきた。
「すいませんが、手伝いをお願いできるかしら。少し大がかりな作業を行いますから」
 はあと言いながら付いていった先は、弟様がかつて法力で中空に浮かし、また彼(か)の遺物が収められている倉の前であった。かつて聖はここから魔界へと旅立ち、長い旅を経て地上に戻ってきたのだ。そのようなことを考えながら軽い感慨に耽っていると、聖は愛用の巻物を取り出し、身体強化系の魔法を惜しげなく積み重ねていった。それから倉の周りを拳でがしがしと削り始めたではないか。
「な、何をなされるので?」
「この倉を船に取り付けて動力源にするのですよ。わたしの力で浮かべることも可能ではありますが、国境を遙か越えるような旅路では流石に力を使い果たしてしまいますから」
 聖はあっという間に四方を削り取ると、地盤ごと倉を引っこ抜いてしまった。恐るべき超人の技としか言いようがなく呆気に取られていると、聖が横目を向けてきた。付いてこいということだろう。ふわふわと浮かぶ倉はぽろぽろと土を落としながら船の上まで到達し、上部看板中央付近に、お誂え向きに空いた窪みへすっぽりと収まった。すると聖はわたしに大工道具を渡してきて、これが仕事であるとようやく理解した。
わたしと聖は小さな隙間に楔を打ち込み、荒縄と木杭で船と倉を固く結びつけ、半日がかりで互いが分かてないほどに二つを一つにした。こうして飛倉という聖遺物を動力にする船がここに完成したわけである。
 ここに至ってもわたしには聖が何をしたいのかさっぱり分からなかった。でも、ことを成し遂げた聖はとても嬉しそうだったから、これで良いのだと自分を納得させた。
 次の日、聖は試運転と称して空飛ぶ船を青空という海の中にすいすいと滑らせていった。寺のものたちは改めて度肝を抜かれ、わたしは乗じて弛みきった弟子たちに厳しく教えを説いた。すると超力を目の当たりにした彼らは平伏するように話に聞き入り、顔つきを引き締めた。
 次にわたしは悪銭を掠め取ろうとする地主の元に足を運んだ。甘言に弄されない話の筋を考えてから邸宅に向かうと、彼は高き空に浮かぶ聖の船に目を奪われていた。あれを宝船と考えたのか、熱心に手を合わせている。そこでわたしはあの船を駆っているのが聖であると話し、悪銭を貯めるものは加護から外れるだろうと念入りに脅してやった。すると彼は顔を蒼くし、ことを改めると平に頭を下げた。
 聖の船はあっという間に二つの問題を解決し、わたしにも見えない遠くへとあっという間に消えていく。そのことに感服すると同時、わたしは言いようのない不安にも襲われた。聖がどこか遠くに行ってしまい、二度と戻って来ないのではないかと考えてしまったのだ。そのようなことはないと分かってはいたけれど、その日は聖が戻るまで不安と共に一日を過ごしたのだった。

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この小説へのコメント

  1. ・増長天は「よくない方の意味の増長」をしている仏ではないし、毘沙門天でもないわけですが、
    「ただ増長しているだけ、かつ毘沙門天の代理をやめようとしている者」を皮肉るには最高の煽りかもしれないですね。(が、増長天には失礼かも。)

    ・やはり出ましたか、式弾「アルティメットブディスト」。これも星に対する皮肉か……
    藍もかつて聖と関係があったようですし、この物語においてこのスペルの存在は意味ありげ……?

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