―7―
正直なところ、これで開いたらめっけもん、ぐらいのつもりだったのだが――。
「なんか開いちゃったわ」
「さすがメリー、幻想郷最強の結界レーダーは伊達じゃないわね」
「結界どうこうっていうより、物理的な仕掛けでしょ、これ」
物理的に墓石を四分の一回転するのがキーになっていたらしく、回転した墓石からスイッチが作動するような音がして、墓石の手前の石畳が低い音をたててゆっくりと左右に開き始める。そこには、地下へと通じる縦穴がぽっかりと広がっていた。
縦穴の入口には強い結界の気配があるが、結界自体も口を開けている。どうやら正規の手順で扉を開けば自動的に結界も開く仕組みらしい。聖域の類いにはよくあるタイプの結界だ。これなら私たちも問題なく通れるだろう。梯子や階段の類いは見当たらないので、どうやら飛んで入るしかなさそうである。
「玄爺、入れる?」
「……首と手足を縮めれば何とか入れそうですな。儂が先に入るので、儂が入ってから下りてきてもらえますかの」
のそのそと歩み寄って縦穴を覗きこんだ玄爺さんは、首と手足を甲羅の中に引っ込めて、縦穴の中にすっぽりと落ちていく。そのまま中空で静止して、首を出して私たちを見上げた。
「よーし、行くわよメリー! 命蓮寺の地下に封じられた聖者のアジトへ潜入捜査!」
「取って食われなきゃいいけどね」
蓮子が率先して穴に飛びこみ、玄爺さんの甲羅に着地する。私も意を決して縦穴に身を躍らせ、玄爺さんが上手く甲羅でキャッチしてくれた。甲羅の座布団に蓮子と並んでいつもの体勢で腰を下ろしたところで、ナズーリンさんが私たちの後を追ってくる。
「何というか、聖の救出のときも思ったが、君たちは本当に無茶苦茶だな」
「いやあ、それほどでも」
「褒めてない。どっちかというと呆れてるんだ」
へらへらと笑う蓮子に、ナズーリンさんはため息ひとつ。と――そこで頭上から大きな物音が響く。驚いて顔を上げると、縦穴の入口が音をたてて閉じようとしていた。
「あ――どうやら自動的に閉まる仕掛けだったみたいね」
「ちょっと蓮子、呑気に言ってる場合じゃないでしょ!」
「――っ、ダメか」
ナズーリンさんがダウジングロッドを扉に挟んで止めようとしたが、間一髪間に合わず、ダウジングロッドは閉ざされた扉に弾き返され、周囲に闇が満ちた。陽の光が完全に遮られたせいか、一寸先も見えない。
「参ったな、閉じ込められたか」
ナズーリンさんの声がして、その闇の中に新しい光が漏れ出した。ナズーリンさんの手元の光源が、ランタンのようにぼんやりと周囲を照らし出す。何かと思ったら、ナズーリンさんの持っているのは、宝船騒動のときのあの宝塔だった。
「あれ、その宝塔ってナズっちの御主人様のものじゃ?」
「聖の許可を得て借りてきたんだ。君たちの護衛を務めるにあたって、聖の力を借りるんだよ」
寅丸星さんの持ち物である毘沙門天の宝塔には、白蓮さんの魔力の一部が封印されていた。白蓮さんを魔界から解放したときに、その魔力は白蓮さんに戻ったのだとばかり思っていたが、その後も宝塔には白蓮さんの魔力が宿ったままらしい。あまりに長い時間宝塔に魔力が封じられていたため、宝塔自体に魔力が定着してしまったとか、そういうことだろうか。
「とにかく、奥に進んでみましょ。目的地はこの先でしょうし」
蓮子が言い、「まあ、それしかないな」とナズーリンさんも頷いた。というわけで、宝塔の光を頼りに、私たちは暗い縦穴の中を進んでいく。縦穴の中も霊がうようよと漂って、迷い込んだらしい妖精がナズーリンさんの掲げる宝塔の光に撃墜されていった。
「旧都への縦穴を思い出すけど、ちょっと雰囲気が違うわね。じめじめしてないし」
相棒が呑気に周囲を見回しながら言う。確かに、洞窟にしては妙に空気が澄んでいる。
「そりゃまあ、向こうは妖怪の巣窟、こっちは聖者の封印の地なんだから。ここはどっちかっていうと、白蓮さんが封印されてた法界の雰囲気じゃない?」
「ああ、確かに。封印されてる聖者ってやっぱり高名な僧侶とかかしら?」
「空海とか?」
「命蓮寺は真言宗でしょ。真言宗の開祖の空海だったら白蓮さんが封印するのはおかしいわ」
「じゃあ最澄?」
「そもそも仏教の聖人じゃないかもしれないわよ、メリー。別の宗教の聖人かも」
「別の宗教の聖人って……」
「復活といえば、何と言ってもあの御方よね。なぜか日本にも墓のある……」
「いやいやいや蓮子、それはいくらなんでも」
名前を出すのも恐ろしい。確かに日本でも青森県にお墓があるけども。その場合、世界中で知られるあの人ご本人というより『日本にやって来て日本で死んだ』というローカルな伝説の中の救世主様だろう。幻想郷に来るならそのぐらいの存在であってほしい。
私は首を振るが――この蓮子の言葉が、当たらずとも遠からずと言えなくもないような相手がこの先に待ち構えているのを私たちが知るのは、すぐ後のことである。
ともかく、まっすぐに地下へと進む洞窟を下りていくことしばし。霊が一段と増えてきたあたりで、先を行くナズーリンさんが「ストップ」と私たちを制した。
「どうしました?」
「行き止まりだ。――いや、これは……扉か?」
ナズーリンさんが宝塔の光を眼前にかざす。浮かび上がったのは洞窟の壁――いや、確かにこれは扉である。暗くて細部はよく見えないが、何やら大陸風の衣装を身に纏った、髭の長い厳めしい男性が描かれた、仰々しくも重々しい扉が、私たちの行く手を阻んでいた。
思えば魔界に行くときも、ロダンの彫刻とそっくりな扉が洞窟の中にあって、門番のサラさんが護っていたが、ここには門番らしき姿はない。
「この先が聖者の封印された地かしら?」
「だろうな。しかし、この扉は開けられるのか?」
「メリー、どう?」
「……さっきより強い結界が張られてるわね」
私は目元に手を当てながらそう答えた。扉の物理的な威圧感だけでなく、聖域としての強い結界が、侵入者を強く拒んでいる。
「まあ、とにかく虎穴に入らずんばなんとやら。開けてみましょ」
「ちょっと蓮子――」
玄爺さんを促して扉に近付こうとする蓮子を私が慌てて押しとどめていると、隣のナズーリンさんが不意にその表情を険しくして、「誰だ!」と闇に向かって鋭く誰何した。
「あらあら――ネズミに亀に人間二人? ここへの入口が開いた気配があったから様子を見に来てみれば、随分と変わったお客様のようね」
そんな声とともに、闇の中からこちらへ飛んできたのは、青みがかった髪を――稚児髷というのだったか――∞の形に結んで長い簪を刺した、どこか超然とした気配の女性だった。雰囲気がどことなく、妖怪の山の茨歌仙さんに似ている。ということは――仙人?
「あの方が復活するまで誰も通さないように言っておいたのに、芳香は何をしているのかしら」
頬に手を当てて、女性はそう呟く。芳香というのは、あのキョンシーのことだろうか。
「そちらのネズミさんは確か、寺の手先として私たちのことをチョロチョロと嗅ぎ回っていたわね。後ろの浦島少女二人組は、欲霊と一緒に導かれてきた欲深い人間かしら?」
「そういう貴様は何者だ」
「あら、他人に名を尋ねるときはまず自分から名乗るのが礼儀ではなくて?」
強い警戒心を隠さず問うたナズーリンさんに、女性は艶やかな声で答える。と、蓮子が玄爺さんに乗ったまま「これはこれは、はじめまして」とにこやかに声をあげた。
「私は宇佐見蓮子、こっちは相棒のメリー、この亀さんは玄爺。私たちは人間の里で探偵事務所を営んでいる平凡な人間ですわ。この霊の大量発生の原因を探していたら、ここに辿り着きましたの。こっちのナズーリンさんは私たちの護衛です。貴方は?」
「私は霍青娥。今は仙人をしておりますわ。ところで私の可愛い部下をどうしたのかしら? ここの入口を護っていたはずだけれど」
「あのキョンシーちゃんのことですか?」
「ええ、芳香っていうの。腐ってて可愛いでしょ?」
腐ってて可愛い、とは初めて聞いた日本語である。どうやら彼女があのキョンシーの親玉のようだが、キョンシーを作って手下にするような仙人の感覚は常人には理解しがたいということだろうか。
「芳香ちゃんでしたら、木陰でお休み中ですわ。日光が辛いらしくて」
「あらあら、そういえば昼間は大人しくしているように言っておいたんだったわ。ネズミに囓られでもしていないかしら?」
「生憎、私も私の部下も、腐った死体を囓るほど飢えてない」
憮然とした顔のナズーリンさんに、「あらあら」と青娥さんは艶然と微笑む。
「あの子の綺麗な身体にネズミの噛み傷なんてつけられていたら、そのネズミは一族郎党まとめて私の道術の実験材料として骨の一欠片も残さず有効活用しようと思っていましたのに」
発言も怖いが、邪悪さの欠片もない穏やかな笑顔であるのが一番怖い。というか、傷をつけられたくないようなものを門番として設置するのはどうかと思う。
「ほらナズっち、私が交渉した甲斐があったでしょ?」
「結果論もいいところだ」
全くもって正論である。
「ところで仙人様。私たちはこの霊の調査に来たんですけども、この扉の先には何があるんでしょうか。何かが復活しようとしているらしいですが」
「ええ、もうすぐあのお方が復活されるのよ。この霊はそのお方の威光に惹かれて集まってきているの。あのお方の復活は、異教の預言者が処刑後三日目に復活した時より、盛大で神聖な物になるはずよ」
さっきの雑談に出てきた世界的超大物より神聖とは、いよいよもって誰だというのだ。
「人間の身でここまで辿り着くなんて、そこのネズミはともかく、貴方たちには見込みがあるわね。そこの貴方、蓮子さんだったかしら? 道教に興味はない?」
青娥さんは興味深げに蓮子の方を見やった。
「道教ですか?」
「ええ、道教を学んで仙人にならない? 不老長寿、頭脳明晰、金剛不壊」
「不老長寿には興味がありますが、頭脳はもう充分に明晰ですわ」
臆面もなく蓮子は言う。勝手に言ってろという感じである。
「後ろの貴方は? なんだか不思議な眼を持っているようだけれど」
「――私は、神社の氏子なので。神道でいいです」
私は蓮子の背中に隠れるようにしてそう答える。というか、この距離で顔を合わせただけで私の眼の力を見抜かれてしまうというのは、それだけで恐ろしい。
「改宗しません?」
「い、今のところその予定はないです。蓮子も同じ神社の氏子ですし」
「あらあら。それでしたら、せっかくここまでいらしたのですから、あのお方にお会いになりませんこと? あのお方のご威光に触れれば、きっと貴方たちも道教の魅力に目覚めるはずよ」
そう言って、青娥さんは背後の扉に手を触れた。音を立てて、扉がゆっくりと開いていく。
「待て! 蓮子、メリー、向こうの手に乗るな――」
「そこのネズミさんは寺の手先でしたわね。大人しくしていてくださいませ」
私たちを庇うように前に出たナズーリンさんに、青娥さんが手を振るう。放たれた閃光がナズーリンさんへと疾り――だが、それはナズーリンさんの手にした宝塔に弾かれた。「あら」と青娥さんは目を見開く。
「あの寺の親玉の力ですか。厄介なものをお持ちですこと。ますますそこのネズミさんをこの先に通すわけには参りませんわね」
「こっちこそ、二人の護衛が仕事でね。蓮子たちを貴様のような邪仙の手に渡すわけにはいかないんだ。なるべくなら穏便に済ませたいんだが」
「邪仙? あらあら――その言葉は、私にとっては褒め言葉ですわ。穏便に済ませるなら、素直にそこのお二人を私に渡してくだされば良いのよ」
「……仕方ない。蓮子、メリー、ここは一旦戻るぞ!」
ナズーリンさんはそう言って踵を返す。玄爺さんも「逃げましょうかの」と言ってくるりとその場で反転するが――。
「あら、逃がしませんわよ」
「逃がさないぞー」
なんと、反対側から舞い降りてきたのは、あの門番のキョンシーである。
「やっと来たわね、芳香。そこの人間二人は噛んじゃダメよ。ネズミは食べていいわ」
「おおー、食べるぞー」
ぐわっ、と大きな口を開けた芳香さんに、ナズーリンさんが険しい顔でダウジングロッドを構えた。どうやら、戦闘は不可避であるらしい。
――かくして、宝塔の力を借りたナズーリンさんと、前門の邪仙&後門のキョンシーとの戦いが、洞窟の闇の中に眩く光り輝いた。
―8―
さて、こういう場面、普通は主人公なら咄嗟の機転や間一髪の援軍で切り抜ける場面だ。
だが生憎、私たちもナズーリンさんにも、主人公補正は縁がなかった。現実は非情である。
「くっ――すまない蓮子、メリー、私は一旦体勢を立て直す!」
「え? あっ、ナズっち逃げた!」
宝塔の力があっても二対一では形勢不利。じりじりと追い込まれたナズーリンさんは、咄嗟に宝塔の光でキョンシーを怯ませて、あろうことか私たちを置き去りに洞窟の入口の方へと遁走を図った。敵前逃亡する護衛とはいったい。
「ちょっとナズっち――」
「あらあら、邪魔者がいなくなりましたわね」
青娥さんはにっこりと無邪気な笑みを浮かべ、私たちの眼前へと舞い降りてくる。その隣にはキョンシーの芳香さん。青娥さんは芳香さんを侍らせるようにその頬を撫でながら、開きかけていた扉を再び動かした。大きな音をたてて。扉が完全に開け放たれる。
その先に見えたのは――星がきらめく夜空のような奇妙な空間。
そして、その中に佇む、大きな塔のような八角形の建物だった。
「さあ、お二人ともこちらへどうぞ」
にこやかに私たちへ手招きする青娥さん。私は蓮子と顔を見合わせる。
「……どうしますかね、御主人様」
玄爺さんが私たちの下で尋ねた。蓮子は頭を掻いて、「仕方ないわね」と肩を竦める。
「ナズっちは逃げちゃったし、この状況、彼女に従うしかないでしょ。ねえメリー」
「……まあ、ここで逃げるよりは虎穴に前進した方が生存率高そうね」
結局こうなるわけだ。霊夢さんたちが異変解決に動き出す前に、異変の黒幕の本拠地へ乗りこむ私たち。いつも通りと言えばいつも通りの展開である。
そんなわけで、私たちは青娥さんの後に従って扉をくぐる。洞窟の中よりも、さらに清浄な気配が周囲に満ちた。集まった神霊たちが、星のようにきらきらと輝いて見える。そんな宇宙空間めいた闇の中に、そびえ立つは八角形の塔。
「この建物に、そのお方が?」
「ええ、ここは夢殿大祀廟。あのお方は今、ここで目覚めの時を待っておいでですわ」
蓮子の問いに青娥さんが答える。はて、何やら聞き覚えのある建物名だ。夢殿といえば、普通は法隆寺の……。いや、でも法隆寺の夢殿はこんなに高い塔ではなかったはずだが。
「……その《あのお方》って、どのお方なんですか」
私が恐る恐る尋ねると、青娥さんは振り返り、頬に手を当てて微笑んだ。
「すぐにおわかりになりますわ。――あのお方より先に部下の方が目覚めているでしょうから、まずはそちらの方へ伺いましょうか」
そう言って青娥さんは、芳香さんを連れて夢殿大祀廟へ向かって飛んでいく。私たちは玄爺さんに乗って、その後に続いた。
そんなわけで、欲霊煌めく夜空を下りていくと、ほどなく八角形の塔の底が見えてきた。何階建てなのか知らないが、どうやら一階(いや、ここは地下なのだから地下の最下階か?)に入口があるらしい。目立った装飾のない扉を青娥さんが叩くと、ほどなく扉が開き、ひとりの女性が姿を現した。最初に頭に載った烏帽子に目が行き――次に、その足元に視線が行って、私は思わず目を見開く。
その女性には、足がなかった。衣の裾から白い半透明の塊が伸びて、宙に浮いている。これは――いわゆる、足のない幽霊のそれではないか。ということは、彼女は亡霊か。
その亡霊の女性は、青娥さんと芳香さん、それからその後ろで亀に乗っている私たちを見て、思い切り訝しげに眉を寄せる。
「……青娥、貴様がどうして玄関から来る。それに、その後ろの連中は何だ。もうすぐ太子様がお目覚めになろうというこの時に――」
「あら、この方たちはあのお方を復活を祝いに来てくださったのよ」
「祝いにぃ?」
じろりと亡霊の女性は私たちを睨む。身を竦める私の前で、平然と笑って手を挙げる相棒。
「はじめまして、宇佐見蓮子と申しますわ。こっちは相棒のメリー、これは玄爺。偉大なお方の復活の儀が間近と伺いまして、ぜひ拝謁を賜りたく馳せ参じました」
よくもまあ、いけしゃあしゃあと。私が呆れるのと同じように、亡霊の女性もあからさまに疑いの目で蓮子を睨み、その視線を再び青娥さんに向ける。
「おい貴様、太子様が復活されるまで、この大祀廟は隔離して侵入者を阻んでいるんじゃなかったのか。そこのキョンシーはその門番だったはずだろうが」
「あの方のご威光に惹かれて低俗霊も集まってきていることですし、人間の一人や二人、入り込んでも問題はありませんでしょう? 寺と違って、あの方に敵意のあるようではありませんから。いざとなれば屠自古、貴方があの方をお守りすればいいのではなくて?」
「……貴様に言われなくてもそうする」
とじこ、と呼ばれた亡霊の女性は、眉間に皺を寄せ「だがその前に」と芳香さんを見やった。
「そのキョンシーは元の場所に戻せ。太子様が復活される時に、そんな死体は相応しくない」
「あら、亡霊の貴方がそれを言うの?」
「ああ? こんな身体になったのは誰のせいだと――」
「まあ、構いませんわよ。芳香、元の場所に戻ってまた侵入者が来ないか見張っていなさい」
「おー、わかったぞー」
芳香さんがその場を飛び去って行く。それを見送って、亡霊の女性は息をついた。
「……では、そこの人間二人と亀一匹はこちらで預かる。本当に太子様の復活を祝いに来たのかどうかは知らないが、お前に人間を預けていたら神聖な復活の儀に相応しからぬような事態になるだろうからな」
「ええ、構いませんわよ。是非あの方の偉大さと道教の素晴らしさを、その二人に教えてさしあげて頂戴、屠自古」
「気安く呼ぶな、邪仙」
「あらあら、嫌われたものねえ。一緒に復活を待ち続けた仲じゃないの」
「自分が何をしたか解って言ってんのか? 復活された太子様をこれ以上惑わせぬよう、今ここで排除してやってもいいんだぞ」
「あら、貴方にそんなことができて?」
「――やってやんよ!」
眉を吊り上げた亡霊の女性の身体から、バチバチと火花が散る。比喩ではなく物理的な意味でだ。その身体が帯電しているかのように瞬くのを見て、青娥さんは「おお、怖い怖い」と艶然と笑って身を翻した。
「では、私も一旦お暇しますわ。あとは任せたわよ」
そう言い残して飛び去って行く青娥さん。亡霊の女性はため息をついて、身体の力を抜く。火花が収まり、彼女はそのままふわふわと私たちに近付いた。
「一応確認しておくが、あの寺の手先じゃあるまいな?」
「うーん、手先と言えば手先なんだけど」
「ちょっと蓮子!」
「なんだと?」
再び帯電。オーラを電気に変える変化系念能力者か。感電しそうで怖い。
「命蓮寺の白蓮さんに頼まれて、ここの調査に来たのは事実よ。でも、ここで眠られてる偉大なお方に害意はないわ。予想以上に凄いお方のようだから、是非お会いしたいだけですの」
堂々と笑って答える蓮子に、毒気を抜かれたような顔で、亡霊の女性は首を振った。
「……妙な人間だな。まあいい、とりあえず中に入れ」
かくして、私たちは大祀廟の中に招き入れられることとなった。
―9―
八角形の大祀廟の中は、中心部をぐるりと回廊が囲む構造になっているようだった。
屠自古さんを先頭に、蓮子、私、玄爺さんの順で、私たちは回廊を進む。
ここに眠っているというのが誰なのか、目の前の亡霊の少女は何者なのか、この大祀廟は何なのか。無数の疑問は渦巻くが、前を進む屠自古さんの背中には、いささか声を掛けにくい。当然だが、明らかにまだ警戒されているし。
「言っておくが、太子様に妙な真似をする素振りを見せたら命はないと思え。いいな?」
「心得ておりますわ。ご尊顔を拝謁することを賜るだけで重畳です」
「ふん、調子のいいことを。だいたい、どなたが復活されるのか解っているのか?」
呆れ顔で振り向いた屠自古さんに、蓮子は帽子の庇を持ち上げて笑った。
「それはもちろん――」
と、相棒が答えかけたところで、不意に回廊の向こうからドタドタと騒々しい足音。
「屠自古! おい屠自古! ――おお!? なんじゃそいつらは!」
「やかましい」
駆けてきたのは、同じように烏帽子を被った、白い道士服めいた装束の少女である。屠自古さんはうんざりしたような顔で雷光一閃。雷が少女に向けて放たれる。
「おおおおおおおしびびびびびびれれれれるぞぞぞぞぞぞぞぞ――なっ、何をするか!」
「太子様の復活も間近というときに騒ぐな馬鹿者」
「おおそうじゃ! 太子様が復活されるのだ! 呑気に構えている暇はないぞ!」
「いいからお前は少し落ち着け、布都」
「落ち着いておるわ! おおっと、そうじゃ、そこの人間は何者じゃ? 太子様に先んじて我の復活を祝しに来たのか?」
「誰もお前の復活を祝してなんざいない」
「え? じゃあなんで我は復活したの? 誰にも祝われないのは寂しいぞ!」
「太子様が復活されたら慰めてもらえ」
神聖な空気に似つかわしくない、漫才めいたやりとりが目の前で繰り広げられるのを、私たちはぽかんと見守る。屠自古さんがそれに気付いて、少女の頭を押さえつけた。
「ほら布都、お前が阿呆だから太子様の復活を祝いに来た人間にも馬鹿にされているぞ」
「な、何を言うか! 我を侮辱するとは許さんぞ! って、太子様の復活を祝いに来ただと?それは目の高い、太子様が眠りに就かれて千四百年にもなるというのに、大儀であるな!」
布都と呼ばれた少女は、偉そうにふんぞり返ってそう言った。
「はじめまして、宇佐見蓮子と申しますわ。こっちはメリー、そっちは玄爺」
「おお、これはご丁寧に。我は物部布都、こっちの無礼者は蘇我屠自古。我らは太子様の忠実なる部下である」
「誰が無礼者だ。お前の方が無礼だ。というかお前は存在自体が無礼だ」
「言うに事欠いて何たる言い草か! 屠自古、貴様には我への敬意というものがないのか?」
「私がお前に敬意を抱く理由が一寸たりとも存在するか?」
「……ちょっとぐらいあるじゃろ? ほれほれ」
「無い」
「そんなことを言わず我をもっと尊重せい!」
やっぱり漫才である。しかし、この二人の名前――蘇我に物部、そしてこの建物が夢殿大祀廟ときて、ここに眠っているのが偉大な聖者、眠りに就いて千四百年、呼び名が《太子様》ということは、まさか――。
「それより布都、太子様のご様子に変化はなかったか」
「おお、そうじゃ。低俗霊が続々と太子様の元に馳せ参じておるぞ! 復活も間近じゃ!」
「そうか――。千四百年、長かったな……」
目を細めて屠自古さんは呟く。まさかこの場所で、聖者の復活を千四百年待っていたのか?
ムラサさんと一輪さんは地底で脱出の機会を千年待ったというけれど、なんというか幻想郷の時間感覚は、人間の身にはついていけないところがある。
「そうじゃ、蓮子と、何と言ったか、そっちの金色」
「……メリーです」
「うむ、太子様の復活は間近であるぞ! 復活を待たずしてここまで来たその忠義に鑑みて、太子様が復活されたら最初に拝謁する権利をやろう!」
「お前が勝手に決めるな」
屠自古さんが布都さんの頭をぐりぐりと押さえつける。蓮子は苦笑して、帽子の庇を持ち上げると、屠自古さんと布都さんの顔を交互に見やって言った。
「何はともあれ、これほど偉大なお方の復活の場に立ち会えるとは、光栄の極みですわ」
そして蓮子は、その聖者の名前を口にする。
この地に眠る、偉大なる古代の為政者の名を。
「聖徳太子――厩戸皇子殿下が、よもやこの幻想郷で復活の時を待たれているなんて!」
正直なところ、これで開いたらめっけもん、ぐらいのつもりだったのだが――。
「なんか開いちゃったわ」
「さすがメリー、幻想郷最強の結界レーダーは伊達じゃないわね」
「結界どうこうっていうより、物理的な仕掛けでしょ、これ」
物理的に墓石を四分の一回転するのがキーになっていたらしく、回転した墓石からスイッチが作動するような音がして、墓石の手前の石畳が低い音をたててゆっくりと左右に開き始める。そこには、地下へと通じる縦穴がぽっかりと広がっていた。
縦穴の入口には強い結界の気配があるが、結界自体も口を開けている。どうやら正規の手順で扉を開けば自動的に結界も開く仕組みらしい。聖域の類いにはよくあるタイプの結界だ。これなら私たちも問題なく通れるだろう。梯子や階段の類いは見当たらないので、どうやら飛んで入るしかなさそうである。
「玄爺、入れる?」
「……首と手足を縮めれば何とか入れそうですな。儂が先に入るので、儂が入ってから下りてきてもらえますかの」
のそのそと歩み寄って縦穴を覗きこんだ玄爺さんは、首と手足を甲羅の中に引っ込めて、縦穴の中にすっぽりと落ちていく。そのまま中空で静止して、首を出して私たちを見上げた。
「よーし、行くわよメリー! 命蓮寺の地下に封じられた聖者のアジトへ潜入捜査!」
「取って食われなきゃいいけどね」
蓮子が率先して穴に飛びこみ、玄爺さんの甲羅に着地する。私も意を決して縦穴に身を躍らせ、玄爺さんが上手く甲羅でキャッチしてくれた。甲羅の座布団に蓮子と並んでいつもの体勢で腰を下ろしたところで、ナズーリンさんが私たちの後を追ってくる。
「何というか、聖の救出のときも思ったが、君たちは本当に無茶苦茶だな」
「いやあ、それほどでも」
「褒めてない。どっちかというと呆れてるんだ」
へらへらと笑う蓮子に、ナズーリンさんはため息ひとつ。と――そこで頭上から大きな物音が響く。驚いて顔を上げると、縦穴の入口が音をたてて閉じようとしていた。
「あ――どうやら自動的に閉まる仕掛けだったみたいね」
「ちょっと蓮子、呑気に言ってる場合じゃないでしょ!」
「――っ、ダメか」
ナズーリンさんがダウジングロッドを扉に挟んで止めようとしたが、間一髪間に合わず、ダウジングロッドは閉ざされた扉に弾き返され、周囲に闇が満ちた。陽の光が完全に遮られたせいか、一寸先も見えない。
「参ったな、閉じ込められたか」
ナズーリンさんの声がして、その闇の中に新しい光が漏れ出した。ナズーリンさんの手元の光源が、ランタンのようにぼんやりと周囲を照らし出す。何かと思ったら、ナズーリンさんの持っているのは、宝船騒動のときのあの宝塔だった。
「あれ、その宝塔ってナズっちの御主人様のものじゃ?」
「聖の許可を得て借りてきたんだ。君たちの護衛を務めるにあたって、聖の力を借りるんだよ」
寅丸星さんの持ち物である毘沙門天の宝塔には、白蓮さんの魔力の一部が封印されていた。白蓮さんを魔界から解放したときに、その魔力は白蓮さんに戻ったのだとばかり思っていたが、その後も宝塔には白蓮さんの魔力が宿ったままらしい。あまりに長い時間宝塔に魔力が封じられていたため、宝塔自体に魔力が定着してしまったとか、そういうことだろうか。
「とにかく、奥に進んでみましょ。目的地はこの先でしょうし」
蓮子が言い、「まあ、それしかないな」とナズーリンさんも頷いた。というわけで、宝塔の光を頼りに、私たちは暗い縦穴の中を進んでいく。縦穴の中も霊がうようよと漂って、迷い込んだらしい妖精がナズーリンさんの掲げる宝塔の光に撃墜されていった。
「旧都への縦穴を思い出すけど、ちょっと雰囲気が違うわね。じめじめしてないし」
相棒が呑気に周囲を見回しながら言う。確かに、洞窟にしては妙に空気が澄んでいる。
「そりゃまあ、向こうは妖怪の巣窟、こっちは聖者の封印の地なんだから。ここはどっちかっていうと、白蓮さんが封印されてた法界の雰囲気じゃない?」
「ああ、確かに。封印されてる聖者ってやっぱり高名な僧侶とかかしら?」
「空海とか?」
「命蓮寺は真言宗でしょ。真言宗の開祖の空海だったら白蓮さんが封印するのはおかしいわ」
「じゃあ最澄?」
「そもそも仏教の聖人じゃないかもしれないわよ、メリー。別の宗教の聖人かも」
「別の宗教の聖人って……」
「復活といえば、何と言ってもあの御方よね。なぜか日本にも墓のある……」
「いやいやいや蓮子、それはいくらなんでも」
名前を出すのも恐ろしい。確かに日本でも青森県にお墓があるけども。その場合、世界中で知られるあの人ご本人というより『日本にやって来て日本で死んだ』というローカルな伝説の中の救世主様だろう。幻想郷に来るならそのぐらいの存在であってほしい。
私は首を振るが――この蓮子の言葉が、当たらずとも遠からずと言えなくもないような相手がこの先に待ち構えているのを私たちが知るのは、すぐ後のことである。
ともかく、まっすぐに地下へと進む洞窟を下りていくことしばし。霊が一段と増えてきたあたりで、先を行くナズーリンさんが「ストップ」と私たちを制した。
「どうしました?」
「行き止まりだ。――いや、これは……扉か?」
ナズーリンさんが宝塔の光を眼前にかざす。浮かび上がったのは洞窟の壁――いや、確かにこれは扉である。暗くて細部はよく見えないが、何やら大陸風の衣装を身に纏った、髭の長い厳めしい男性が描かれた、仰々しくも重々しい扉が、私たちの行く手を阻んでいた。
思えば魔界に行くときも、ロダンの彫刻とそっくりな扉が洞窟の中にあって、門番のサラさんが護っていたが、ここには門番らしき姿はない。
「この先が聖者の封印された地かしら?」
「だろうな。しかし、この扉は開けられるのか?」
「メリー、どう?」
「……さっきより強い結界が張られてるわね」
私は目元に手を当てながらそう答えた。扉の物理的な威圧感だけでなく、聖域としての強い結界が、侵入者を強く拒んでいる。
「まあ、とにかく虎穴に入らずんばなんとやら。開けてみましょ」
「ちょっと蓮子――」
玄爺さんを促して扉に近付こうとする蓮子を私が慌てて押しとどめていると、隣のナズーリンさんが不意にその表情を険しくして、「誰だ!」と闇に向かって鋭く誰何した。
「あらあら――ネズミに亀に人間二人? ここへの入口が開いた気配があったから様子を見に来てみれば、随分と変わったお客様のようね」
そんな声とともに、闇の中からこちらへ飛んできたのは、青みがかった髪を――稚児髷というのだったか――∞の形に結んで長い簪を刺した、どこか超然とした気配の女性だった。雰囲気がどことなく、妖怪の山の茨歌仙さんに似ている。ということは――仙人?
「あの方が復活するまで誰も通さないように言っておいたのに、芳香は何をしているのかしら」
頬に手を当てて、女性はそう呟く。芳香というのは、あのキョンシーのことだろうか。
「そちらのネズミさんは確か、寺の手先として私たちのことをチョロチョロと嗅ぎ回っていたわね。後ろの浦島少女二人組は、欲霊と一緒に導かれてきた欲深い人間かしら?」
「そういう貴様は何者だ」
「あら、他人に名を尋ねるときはまず自分から名乗るのが礼儀ではなくて?」
強い警戒心を隠さず問うたナズーリンさんに、女性は艶やかな声で答える。と、蓮子が玄爺さんに乗ったまま「これはこれは、はじめまして」とにこやかに声をあげた。
「私は宇佐見蓮子、こっちは相棒のメリー、この亀さんは玄爺。私たちは人間の里で探偵事務所を営んでいる平凡な人間ですわ。この霊の大量発生の原因を探していたら、ここに辿り着きましたの。こっちのナズーリンさんは私たちの護衛です。貴方は?」
「私は霍青娥。今は仙人をしておりますわ。ところで私の可愛い部下をどうしたのかしら? ここの入口を護っていたはずだけれど」
「あのキョンシーちゃんのことですか?」
「ええ、芳香っていうの。腐ってて可愛いでしょ?」
腐ってて可愛い、とは初めて聞いた日本語である。どうやら彼女があのキョンシーの親玉のようだが、キョンシーを作って手下にするような仙人の感覚は常人には理解しがたいということだろうか。
「芳香ちゃんでしたら、木陰でお休み中ですわ。日光が辛いらしくて」
「あらあら、そういえば昼間は大人しくしているように言っておいたんだったわ。ネズミに囓られでもしていないかしら?」
「生憎、私も私の部下も、腐った死体を囓るほど飢えてない」
憮然とした顔のナズーリンさんに、「あらあら」と青娥さんは艶然と微笑む。
「あの子の綺麗な身体にネズミの噛み傷なんてつけられていたら、そのネズミは一族郎党まとめて私の道術の実験材料として骨の一欠片も残さず有効活用しようと思っていましたのに」
発言も怖いが、邪悪さの欠片もない穏やかな笑顔であるのが一番怖い。というか、傷をつけられたくないようなものを門番として設置するのはどうかと思う。
「ほらナズっち、私が交渉した甲斐があったでしょ?」
「結果論もいいところだ」
全くもって正論である。
「ところで仙人様。私たちはこの霊の調査に来たんですけども、この扉の先には何があるんでしょうか。何かが復活しようとしているらしいですが」
「ええ、もうすぐあのお方が復活されるのよ。この霊はそのお方の威光に惹かれて集まってきているの。あのお方の復活は、異教の預言者が処刑後三日目に復活した時より、盛大で神聖な物になるはずよ」
さっきの雑談に出てきた世界的超大物より神聖とは、いよいよもって誰だというのだ。
「人間の身でここまで辿り着くなんて、そこのネズミはともかく、貴方たちには見込みがあるわね。そこの貴方、蓮子さんだったかしら? 道教に興味はない?」
青娥さんは興味深げに蓮子の方を見やった。
「道教ですか?」
「ええ、道教を学んで仙人にならない? 不老長寿、頭脳明晰、金剛不壊」
「不老長寿には興味がありますが、頭脳はもう充分に明晰ですわ」
臆面もなく蓮子は言う。勝手に言ってろという感じである。
「後ろの貴方は? なんだか不思議な眼を持っているようだけれど」
「――私は、神社の氏子なので。神道でいいです」
私は蓮子の背中に隠れるようにしてそう答える。というか、この距離で顔を合わせただけで私の眼の力を見抜かれてしまうというのは、それだけで恐ろしい。
「改宗しません?」
「い、今のところその予定はないです。蓮子も同じ神社の氏子ですし」
「あらあら。それでしたら、せっかくここまでいらしたのですから、あのお方にお会いになりませんこと? あのお方のご威光に触れれば、きっと貴方たちも道教の魅力に目覚めるはずよ」
そう言って、青娥さんは背後の扉に手を触れた。音を立てて、扉がゆっくりと開いていく。
「待て! 蓮子、メリー、向こうの手に乗るな――」
「そこのネズミさんは寺の手先でしたわね。大人しくしていてくださいませ」
私たちを庇うように前に出たナズーリンさんに、青娥さんが手を振るう。放たれた閃光がナズーリンさんへと疾り――だが、それはナズーリンさんの手にした宝塔に弾かれた。「あら」と青娥さんは目を見開く。
「あの寺の親玉の力ですか。厄介なものをお持ちですこと。ますますそこのネズミさんをこの先に通すわけには参りませんわね」
「こっちこそ、二人の護衛が仕事でね。蓮子たちを貴様のような邪仙の手に渡すわけにはいかないんだ。なるべくなら穏便に済ませたいんだが」
「邪仙? あらあら――その言葉は、私にとっては褒め言葉ですわ。穏便に済ませるなら、素直にそこのお二人を私に渡してくだされば良いのよ」
「……仕方ない。蓮子、メリー、ここは一旦戻るぞ!」
ナズーリンさんはそう言って踵を返す。玄爺さんも「逃げましょうかの」と言ってくるりとその場で反転するが――。
「あら、逃がしませんわよ」
「逃がさないぞー」
なんと、反対側から舞い降りてきたのは、あの門番のキョンシーである。
「やっと来たわね、芳香。そこの人間二人は噛んじゃダメよ。ネズミは食べていいわ」
「おおー、食べるぞー」
ぐわっ、と大きな口を開けた芳香さんに、ナズーリンさんが険しい顔でダウジングロッドを構えた。どうやら、戦闘は不可避であるらしい。
――かくして、宝塔の力を借りたナズーリンさんと、前門の邪仙&後門のキョンシーとの戦いが、洞窟の闇の中に眩く光り輝いた。
―8―
さて、こういう場面、普通は主人公なら咄嗟の機転や間一髪の援軍で切り抜ける場面だ。
だが生憎、私たちもナズーリンさんにも、主人公補正は縁がなかった。現実は非情である。
「くっ――すまない蓮子、メリー、私は一旦体勢を立て直す!」
「え? あっ、ナズっち逃げた!」
宝塔の力があっても二対一では形勢不利。じりじりと追い込まれたナズーリンさんは、咄嗟に宝塔の光でキョンシーを怯ませて、あろうことか私たちを置き去りに洞窟の入口の方へと遁走を図った。敵前逃亡する護衛とはいったい。
「ちょっとナズっち――」
「あらあら、邪魔者がいなくなりましたわね」
青娥さんはにっこりと無邪気な笑みを浮かべ、私たちの眼前へと舞い降りてくる。その隣にはキョンシーの芳香さん。青娥さんは芳香さんを侍らせるようにその頬を撫でながら、開きかけていた扉を再び動かした。大きな音をたてて。扉が完全に開け放たれる。
その先に見えたのは――星がきらめく夜空のような奇妙な空間。
そして、その中に佇む、大きな塔のような八角形の建物だった。
「さあ、お二人ともこちらへどうぞ」
にこやかに私たちへ手招きする青娥さん。私は蓮子と顔を見合わせる。
「……どうしますかね、御主人様」
玄爺さんが私たちの下で尋ねた。蓮子は頭を掻いて、「仕方ないわね」と肩を竦める。
「ナズっちは逃げちゃったし、この状況、彼女に従うしかないでしょ。ねえメリー」
「……まあ、ここで逃げるよりは虎穴に前進した方が生存率高そうね」
結局こうなるわけだ。霊夢さんたちが異変解決に動き出す前に、異変の黒幕の本拠地へ乗りこむ私たち。いつも通りと言えばいつも通りの展開である。
そんなわけで、私たちは青娥さんの後に従って扉をくぐる。洞窟の中よりも、さらに清浄な気配が周囲に満ちた。集まった神霊たちが、星のようにきらきらと輝いて見える。そんな宇宙空間めいた闇の中に、そびえ立つは八角形の塔。
「この建物に、そのお方が?」
「ええ、ここは夢殿大祀廟。あのお方は今、ここで目覚めの時を待っておいでですわ」
蓮子の問いに青娥さんが答える。はて、何やら聞き覚えのある建物名だ。夢殿といえば、普通は法隆寺の……。いや、でも法隆寺の夢殿はこんなに高い塔ではなかったはずだが。
「……その《あのお方》って、どのお方なんですか」
私が恐る恐る尋ねると、青娥さんは振り返り、頬に手を当てて微笑んだ。
「すぐにおわかりになりますわ。――あのお方より先に部下の方が目覚めているでしょうから、まずはそちらの方へ伺いましょうか」
そう言って青娥さんは、芳香さんを連れて夢殿大祀廟へ向かって飛んでいく。私たちは玄爺さんに乗って、その後に続いた。
そんなわけで、欲霊煌めく夜空を下りていくと、ほどなく八角形の塔の底が見えてきた。何階建てなのか知らないが、どうやら一階(いや、ここは地下なのだから地下の最下階か?)に入口があるらしい。目立った装飾のない扉を青娥さんが叩くと、ほどなく扉が開き、ひとりの女性が姿を現した。最初に頭に載った烏帽子に目が行き――次に、その足元に視線が行って、私は思わず目を見開く。
その女性には、足がなかった。衣の裾から白い半透明の塊が伸びて、宙に浮いている。これは――いわゆる、足のない幽霊のそれではないか。ということは、彼女は亡霊か。
その亡霊の女性は、青娥さんと芳香さん、それからその後ろで亀に乗っている私たちを見て、思い切り訝しげに眉を寄せる。
「……青娥、貴様がどうして玄関から来る。それに、その後ろの連中は何だ。もうすぐ太子様がお目覚めになろうというこの時に――」
「あら、この方たちはあのお方を復活を祝いに来てくださったのよ」
「祝いにぃ?」
じろりと亡霊の女性は私たちを睨む。身を竦める私の前で、平然と笑って手を挙げる相棒。
「はじめまして、宇佐見蓮子と申しますわ。こっちは相棒のメリー、これは玄爺。偉大なお方の復活の儀が間近と伺いまして、ぜひ拝謁を賜りたく馳せ参じました」
よくもまあ、いけしゃあしゃあと。私が呆れるのと同じように、亡霊の女性もあからさまに疑いの目で蓮子を睨み、その視線を再び青娥さんに向ける。
「おい貴様、太子様が復活されるまで、この大祀廟は隔離して侵入者を阻んでいるんじゃなかったのか。そこのキョンシーはその門番だったはずだろうが」
「あの方のご威光に惹かれて低俗霊も集まってきていることですし、人間の一人や二人、入り込んでも問題はありませんでしょう? 寺と違って、あの方に敵意のあるようではありませんから。いざとなれば屠自古、貴方があの方をお守りすればいいのではなくて?」
「……貴様に言われなくてもそうする」
とじこ、と呼ばれた亡霊の女性は、眉間に皺を寄せ「だがその前に」と芳香さんを見やった。
「そのキョンシーは元の場所に戻せ。太子様が復活される時に、そんな死体は相応しくない」
「あら、亡霊の貴方がそれを言うの?」
「ああ? こんな身体になったのは誰のせいだと――」
「まあ、構いませんわよ。芳香、元の場所に戻ってまた侵入者が来ないか見張っていなさい」
「おー、わかったぞー」
芳香さんがその場を飛び去って行く。それを見送って、亡霊の女性は息をついた。
「……では、そこの人間二人と亀一匹はこちらで預かる。本当に太子様の復活を祝いに来たのかどうかは知らないが、お前に人間を預けていたら神聖な復活の儀に相応しからぬような事態になるだろうからな」
「ええ、構いませんわよ。是非あの方の偉大さと道教の素晴らしさを、その二人に教えてさしあげて頂戴、屠自古」
「気安く呼ぶな、邪仙」
「あらあら、嫌われたものねえ。一緒に復活を待ち続けた仲じゃないの」
「自分が何をしたか解って言ってんのか? 復活された太子様をこれ以上惑わせぬよう、今ここで排除してやってもいいんだぞ」
「あら、貴方にそんなことができて?」
「――やってやんよ!」
眉を吊り上げた亡霊の女性の身体から、バチバチと火花が散る。比喩ではなく物理的な意味でだ。その身体が帯電しているかのように瞬くのを見て、青娥さんは「おお、怖い怖い」と艶然と笑って身を翻した。
「では、私も一旦お暇しますわ。あとは任せたわよ」
そう言い残して飛び去って行く青娥さん。亡霊の女性はため息をついて、身体の力を抜く。火花が収まり、彼女はそのままふわふわと私たちに近付いた。
「一応確認しておくが、あの寺の手先じゃあるまいな?」
「うーん、手先と言えば手先なんだけど」
「ちょっと蓮子!」
「なんだと?」
再び帯電。オーラを電気に変える変化系念能力者か。感電しそうで怖い。
「命蓮寺の白蓮さんに頼まれて、ここの調査に来たのは事実よ。でも、ここで眠られてる偉大なお方に害意はないわ。予想以上に凄いお方のようだから、是非お会いしたいだけですの」
堂々と笑って答える蓮子に、毒気を抜かれたような顔で、亡霊の女性は首を振った。
「……妙な人間だな。まあいい、とりあえず中に入れ」
かくして、私たちは大祀廟の中に招き入れられることとなった。
―9―
八角形の大祀廟の中は、中心部をぐるりと回廊が囲む構造になっているようだった。
屠自古さんを先頭に、蓮子、私、玄爺さんの順で、私たちは回廊を進む。
ここに眠っているというのが誰なのか、目の前の亡霊の少女は何者なのか、この大祀廟は何なのか。無数の疑問は渦巻くが、前を進む屠自古さんの背中には、いささか声を掛けにくい。当然だが、明らかにまだ警戒されているし。
「言っておくが、太子様に妙な真似をする素振りを見せたら命はないと思え。いいな?」
「心得ておりますわ。ご尊顔を拝謁することを賜るだけで重畳です」
「ふん、調子のいいことを。だいたい、どなたが復活されるのか解っているのか?」
呆れ顔で振り向いた屠自古さんに、蓮子は帽子の庇を持ち上げて笑った。
「それはもちろん――」
と、相棒が答えかけたところで、不意に回廊の向こうからドタドタと騒々しい足音。
「屠自古! おい屠自古! ――おお!? なんじゃそいつらは!」
「やかましい」
駆けてきたのは、同じように烏帽子を被った、白い道士服めいた装束の少女である。屠自古さんはうんざりしたような顔で雷光一閃。雷が少女に向けて放たれる。
「おおおおおおおしびびびびびびれれれれるぞぞぞぞぞぞぞぞ――なっ、何をするか!」
「太子様の復活も間近というときに騒ぐな馬鹿者」
「おおそうじゃ! 太子様が復活されるのだ! 呑気に構えている暇はないぞ!」
「いいからお前は少し落ち着け、布都」
「落ち着いておるわ! おおっと、そうじゃ、そこの人間は何者じゃ? 太子様に先んじて我の復活を祝しに来たのか?」
「誰もお前の復活を祝してなんざいない」
「え? じゃあなんで我は復活したの? 誰にも祝われないのは寂しいぞ!」
「太子様が復活されたら慰めてもらえ」
神聖な空気に似つかわしくない、漫才めいたやりとりが目の前で繰り広げられるのを、私たちはぽかんと見守る。屠自古さんがそれに気付いて、少女の頭を押さえつけた。
「ほら布都、お前が阿呆だから太子様の復活を祝いに来た人間にも馬鹿にされているぞ」
「な、何を言うか! 我を侮辱するとは許さんぞ! って、太子様の復活を祝いに来ただと?それは目の高い、太子様が眠りに就かれて千四百年にもなるというのに、大儀であるな!」
布都と呼ばれた少女は、偉そうにふんぞり返ってそう言った。
「はじめまして、宇佐見蓮子と申しますわ。こっちはメリー、そっちは玄爺」
「おお、これはご丁寧に。我は物部布都、こっちの無礼者は蘇我屠自古。我らは太子様の忠実なる部下である」
「誰が無礼者だ。お前の方が無礼だ。というかお前は存在自体が無礼だ」
「言うに事欠いて何たる言い草か! 屠自古、貴様には我への敬意というものがないのか?」
「私がお前に敬意を抱く理由が一寸たりとも存在するか?」
「……ちょっとぐらいあるじゃろ? ほれほれ」
「無い」
「そんなことを言わず我をもっと尊重せい!」
やっぱり漫才である。しかし、この二人の名前――蘇我に物部、そしてこの建物が夢殿大祀廟ときて、ここに眠っているのが偉大な聖者、眠りに就いて千四百年、呼び名が《太子様》ということは、まさか――。
「それより布都、太子様のご様子に変化はなかったか」
「おお、そうじゃ。低俗霊が続々と太子様の元に馳せ参じておるぞ! 復活も間近じゃ!」
「そうか――。千四百年、長かったな……」
目を細めて屠自古さんは呟く。まさかこの場所で、聖者の復活を千四百年待っていたのか?
ムラサさんと一輪さんは地底で脱出の機会を千年待ったというけれど、なんというか幻想郷の時間感覚は、人間の身にはついていけないところがある。
「そうじゃ、蓮子と、何と言ったか、そっちの金色」
「……メリーです」
「うむ、太子様の復活は間近であるぞ! 復活を待たずしてここまで来たその忠義に鑑みて、太子様が復活されたら最初に拝謁する権利をやろう!」
「お前が勝手に決めるな」
屠自古さんが布都さんの頭をぐりぐりと押さえつける。蓮子は苦笑して、帽子の庇を持ち上げると、屠自古さんと布都さんの顔を交互に見やって言った。
「何はともあれ、これほど偉大なお方の復活の場に立ち会えるとは、光栄の極みですわ」
そして蓮子は、その聖者の名前を口にする。
この地に眠る、偉大なる古代の為政者の名を。
「聖徳太子――厩戸皇子殿下が、よもやこの幻想郷で復活の時を待たれているなんて!」
第11章 神霊廟編 一覧
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待ってました!
この作品の解釈だと神子は聖徳太子伝説が幻想入りしたものということになるのかね?
しかしそれがなぜ実は仏教徒ではなく仙人だったという話になるのか
前から思ってましたけど、メリー日本の歴史に大分詳しいですね。読書家として歴史書を読んで行くうちに日本の歴史に嵌まったとかだろうか。
何にせよ復活の時に見せる謎がいよいよ見えてくるみたいで楽しみです。
これは以前にもあったような、そもそも豊聡耳神子=聖徳太子なのか?というところも問題になるんでしょうかね?