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こちら秘封探偵事務所第11章 神霊廟編   神霊廟編 エピローグ

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第11章 神霊廟編

公開日:2019年01月19日 / 最終更新日:2019年01月19日

蓮子の誇大妄想を聞き終えても、青娥さんの表情は変わらなかった。
「お話は終わりかしら?」
「ええ、ご静聴ありがとうございました。いかがでした?」
「想像より面白いお話だったわね。なかなか興味深い人間だわ。それで――」
 青娥さんは蓮子の方へ身を乗り出し、その顎を指でなぞるように触れる。
「今のお話は、貴女も、私の人形になりたいという意味なのかしら?」
「――いえいえ、滅相もない。私は身の程を知っておりますわ」
 蓮子は苦笑して身をかわす。「あら」と青娥さんは口を尖らせた。
「それなら、お隣の子を私に譲ってくれるということ?」
 青娥さんの妖しい笑みが私に向けられる。背筋が寒くなるからやめてほしい。
「生憎、メリーは私のものですので」
 蓮子が私の肩を抱いて身をすり寄せてきたので、脇腹をつねってやった。「あひ」と蓮子は変な声をあげる。自業自得だ、全く。
「それは残念ね。貴女たちもなかなか良い人形になってくれそうなのに」
「――それは、今の私の話を肯定されるということですか? 私としては、今の話を論破していただきたかったのですけれど」
「あら、だって今の貴女の話なら、あの方が一番に愛しているのは屠自古でも布都でもなく私ということなのでしょう? 屠自古や布都よりも、私があの方に相応しいと見ていただけたのは光栄というものですわ」
 頬に手を当てて、青娥さんはぬけぬけと微笑む。蓮子は眉を寄せ、肩を竦めた。
 ――それはつまり、あくまで与太話として楽しんだという意思表示である。真実が那辺にあるにせよ、青娥さんはそれを語る気はないということだ。ま、そんなものだろう。
「そうですか……芳香ちゃんは今どちらに?」
「役目が終わりましたから、土に還しましたわよ」
「ええ!?」
「まあ、必要になったらまた起こしますけれどね」
「あ、ああ……そういうことですか、なるほど」
 蓮子は目を見開き、それから大きく息を吐いた。土に還したというのは、保存のために眠らせておくぐらいの意味なのだろう。青娥さんが芳香さんをそう簡単にポイ捨てするようでは、蓮子の推理は成立しないわけで、論破してほしいと言うわりに、蓮子の驚きかたは自分の推理にそれなりに自信を持っている故のそれだった。まあ、そうでなければドヤ顔で本人に推理を語ったりはしまい。
 ――と、そこへ派手な物音とともに、扉が開け放たれる。現れたのは、怒髪天を衝くという言葉を体現するかのような雰囲気と雷とを纏った屠自古さんだ。
「ここにいたか邪仙! 今日こそ殺す!」
「あらあら、見つかってしまいましたわね。では、私は失礼」
「待て、逃げるんじゃねえ――」
 にゅるん、と床に穴を開け、青娥さんはその穴に姿を消した。屠自古さんがその穴に手を伸ばすより一瞬早く穴は消え、屠自古さんはバチバチと身体を帯電させながら唸る。
 それから、険しい表情のまま私たちを振り向き、「……なんだ、無事だったか」と少し拍子抜けしたような顔で言った。屠自古さんの中で私たちはどんな状態にさせられていたのだろう。怖くて聞けない。
「青娥に関わるなと言っただろう。いずれ死ぬより酷い目に遭うからな」
「いやあ、まあ用は済みましたので」
 蓮子が頭を掻くと、屠自古さんは半眼でじっと蓮子を睨んだ。
「――それから、布都に妙なことを吹きこむな」
「あら、布都さんが何か?」
「あいつは思い込みが激しいんだ。いつもそれで面倒を起こす。尻拭いをするのは私なんだ」
「いやあ、あまり身に覚えがないんですけども」
「部外者が私たちのことに首を突っ込むなって言ってるんだ。過度な詮索は不愉快だ」
「ああ――それは申し訳ありません。お詫びいたします」
 蓮子が殊勝に頭を下げると、屠自古さんは大きく息を吐き出す。
「気は済んだか? 太子様に弟子入りする気がないなら、あまりここには寄りつくんじゃない。神霊廟は遊び場じゃない。太子様の神聖な修行場だ。遺憾ながらあの邪仙もいるしな。目に余るようなら雷落とすぞ」
「どうもすみません。では、ご迷惑にならないうちに退散いたしますわ」
 蓮子は立ち上がり、私もそれに倣った。屠自古さんは呆れ気味の顔で、「外まで案内する」と私たちの先をふよふよと飛んでいく。その道すがら、蓮子が不意に問うた。
「――屠自古さん、ひとつだけ伺ってもいいですか?」
「なんだ」
 不機嫌そうに振り向く屠自古さんに、蓮子はごく自然な顔をして、
「今の太子様のお姿を、屠自古さんはどう思ってらっしゃるのかと思いまして」
「――――」
 屠自古さんは眉根を寄せ、そして「ふん」と前を向いた。
「どうもこうもない。太子様は太子様だ」
「ははあ」
「私は太子様に付き従う者。全ては太子様の御心のままに。太子様の為されることに、私などが個人的な見解を差し挟むなど不遜というものだ」
「そのわりには青娥さんに敵対的ですよね」
「五月蠅い。――青娥が嫌いならばそれでいいと太子様が仰せになった。それだけだ」
 私たちに背を向けたまま、屠自古さんは呟くように言う。
 ――もし、蓮子の考えた通り、屠自古さんが青娥さんへの怨みで怨霊となってこの世に存在し続けているのなら。青娥さんを怨み続けることが、屠自古さんという存在を現世に繋ぎ止める術なのかもしれない。
 太子様が、それを理解して、屠自古さんの青娥さんへの憎しみを許しているのなら――それこそが、太子様なりの屠自古さんへの愛情なのだろうか。
「屠自古ぉ〜!」
 と、そこへドタドタと駆けてくる足音。何やらボロボロの格好の布都さんである。
「なんだ布都、騒がしい。廟内で騒ぐな。それに何だその格好は」
「我は今怒髪天を衝いておるぞ! 燃やす! あの寺を今日こそ燃やすぞ我は!」
「やかましいっつってんだろ!」
「おおおおおしびびびびびれれれれれ――ええい何をするか! 先にお主から燃やすぞ!」
「生憎、誰かさんのおかげで燃える肉体が残ってない。で、どうした? まさかまた寺の連中に負けて帰ってきたんじゃあるまいな」
「我を馬鹿にするか! 今日はあの入道使いにちゃんと勝ってきたわ!」
「だったらなんでそんなボロボロなんだ」
「あの入道使いめ、加勢を呼びおった! 幽霊に呪いの水と碇を投げつけられたぞ。全く卑怯千万、これだから仏教という奴は一日も早く滅ぼさねばならぬ」
「それで太子様に泣きつきに来たのか?」
「違うわ! 幽霊には幽霊じゃ、屠自古、お主があの寺の幽霊の相手をせい!」
「は? 今からか?」
「決まっておろう! 今日こそ寺を焼くぞ! ――あばばばばばばば、しびびびび」
「落ち着けと言ってる。私はこれからお前たちの食事を作らねばいかんのだ。お前が勝手に仕掛けた喧嘩に付き合ってられるほどヒマじゃない。それにあの寺のことはしばらく様子見というのが太子様の御意だろうが」
「うぬぬ……」
「悔しかったら修行してこい。もっと仙人としての格を高めれば仏教何するものぞ、だ」
「お主に正論を言われると反発したくなるのはなんでじゃろうな」
「知るか馬鹿。その前にまずその服を着替えろ、みっともない」
 ぷんすこという擬音が似合いそうな怒り方の布都さんと、呆れ顔の屠自古さん。口の悪い言い争いであっても、そこに流れる空気は、親しさに裏打ちされたじゃれ合いのそれだった。
 彼女らにどんな過去があるにせよ――千四百年という時を経て、彼女たちが手に入れた平穏がそれなのだとすれば、どんな過去も、所詮は過ぎ去ったものでしかないのだろうか。
 私には、この神霊廟の者たちの人間関係は、どうにも解らない。――まあ、他人のことを勝手に解った気になってしまえるよりは、その方が健全なのだと、私としては思いたかった。

     ◇

 屠自古さんに送られて、仙界の外――里の中に戻ってきたときには、もう陽が暮れていた。思いがけず廟内で長時間を過ごしていたらしい。なのでその日、私たちはそのまま里の食事処で夕飯を食べ、自宅に戻り、何事もなく寝た。
 ――その夜、私たちの知らないところで、霊夢さんや早苗さんたちが、外の世界からやって来た《妖怪の切り札》と戦っていたことを知ったのは、翌日のことである。

「化け狸のボス?」
「はい。なんかお祖母ちゃんくさい喋り方のタヌキさんでした」
 そんなわけで、翌日。私たちは事務所にやってきた早苗さんから、昨晩の話を訊いていた。
 昨晩、早苗さんは私たちを誘おうとしたのだが、また入れ違いになったらしかった。どうやら、今回の異変はそういう巡り合わせであるらしい。
「佐渡の二ッ岩とかなんとか言ってましたけど」
「ああ、団三郎狸! なるほど、二ッ岩大明神とは、そりゃ大物が来たわねえ」
 蓮子が感心して頷く。言わずと知れた……でもないか。佐渡の有名狸である。佐渡に狐がいないのは団三郎が狐を追い出したからだと言うが、狐派の私としては複雑なところだ。ああ、そういえば久しぶりに藍さんの尻尾をモフモフしたい。呼んだら来てくれないだろうか。
「で、早苗ちゃんたちが勝ったの?」
「はあ、一応。向こうもこっちに来た理由がなくなってて拍子抜けした様子でした」
「じゃあ帰っちゃったの? 団三郎狸なら一度お目にかかってみたかったけど」
「いえ、まだお寺にいるんじゃないですか?」
「お、それならちょっと二ッ岩大明神を拝みに行きましょうか」
 ――というわけで、早苗さんとともにやって来たるは、またしても命蓮寺。
「おはよーございまーす!」
 参道を箒で掃いている幽谷響子さんが、毎度の元気のいい挨拶。蓮子は笑って手を振る。
「おはようっていうか、こんにちはよね。響子ちゃん、新しい妖怪が来たんだって?」
「あ、マミゾウさんに御用ですか? マミゾウさーん!」
 響子さんが大きな声で呼びかけると、手水場の屋根の上でのそりと影が動いた。
「なんじゃ、やかましいのう」
 そんな役割語的老人口調の声とともに、屋根から参道に飛び降りてきたのは、丸眼鏡を掛けた女性だった。背中に大きなしましまの尻尾。あれ、狸の尻尾って縞模様はあったっけ?
「おや、ゆうべの巫女の片割れかえ。今度は何の用じゃ?」
「いえ、私は付き添いです。友達が会ってみたいと言うので」
「ほおん? 儂にかい」
 小首を傾げるその女性に、蓮子がにっと猫のように笑って片手を挙げる。
「これはこれは、はじめまして。佐渡の団三郎狸にお目にかかれるとは光栄ですわ」
「おや、儂のことを知っとるんか。外の世界の人間かえ?」
「ええまあ、昔は京都の方に住んでました。里で探偵事務所をしております宇佐見蓮子と申しますわ。こっちは助手のメリー」
「……どうも」
 蓮子が名乗り、私も会釈をする。女性は目をしばたたかせた。
「探偵事務所? そんなもんがこの幻想郷にあるのかえ」
「閑古鳥の巣窟ですけどね。ハードボイルド私立探偵の幻想入りと考えてくださいまし」
「幻想入りには早くないかね。儂は二ッ岩マミゾウ。見ての通りの化け狸じゃ」
「ははあ。佐渡からわざわざこちらに?」
「おお、旧友の頼みとあって、えっちらおっちら海を越えて来たんじゃがのう。何じゃ、儂が来るまでの間に事態が解決してもうたらしくての。骨折り損のくたびれもうけじゃ」
「それはそれは。旧友というのは、ぬえちゃんのことですよね」
「おお、ぬえの奴とは昔からの付き合いでの。最近便りを寄越さないと思うたら、こんな世界に来ておったとはのう。――ん?」
 と、女性――マミゾウさんは私の方を見やって、眼鏡の奥で訝しげに目を細めた。
「……ははあ、お前さんじゃな? ぬえの言うておった天敵というのは」
「え、私ですか……?」
「妙な目をしとるのう。常人とは違うものを見とる目じゃ。ぬえが嫌がるのも当然じゃの」
「やっぱり見る人が見れば解るのねえ、メリーの目って」
「そういうものなの?」
 関心したように蓮子が頷くが、私としては肩を竦めるしかない。「ふむ」とマミゾウさんはひとつ唸り、それから再び蓮子に向き直る。
「ちゅうことは、蓮子と言うたか。お前さんがこの寺の面々の恩人という奴かね」
「ええまあ、そういうことになりますかね」
「面白そうな話じゃの。今度ゆっくり酒でも飲みながら聞かせてくれんかね」
「それはもちろん構いませんわ。是非そちらのお話も聞かせてくださいまし」
 蓮子が気安く答えると、マミゾウさんは不意に何か邪悪な感じの笑みを浮かべた。
 ――後日、その酒の席で、私たちをカモろうとしたマミゾウさんと、その意図を見抜いてイカサマでやり返した蓮子の、壮絶な博打勝負が繰り広げられたのは余談も余談である。生活費が賭けられているという意味でもエキサイティングな名勝負だったが、この記録で詳細を書く紙幅はないので、事務所に話を聞きに来ていただければ幸いだ。
 それはさておき。
「佐渡ではまだ化け狸が普通に棲息しているのですか?」
「おお、人間に混ざって生活しておるのも多いぞい。ふぉっふぉっふぉっ」
 呵々と笑うマミゾウさん。本当だろうか。
「マミゾウさんはいつまでこちらに? 佐渡をあまり空けておいてもまずいのでは?」
「なに、儂ももう佐渡では隠居の身じゃよ。ジブリ映画では死んだことにされたしのう」
「え、平成狸合戦に出てたんですか?」早苗さんが声をあげる。
「名前だけじゃがの」
「わーお。なんかトトロに実際に会ったみたいな感じですね! ありがたやー」
 早苗さんが手を合わせてマミゾウさんを拝む。マミゾウさんはまた愉快げに笑った。
「せっかく来たんじゃ、もうしばらくこの世界を見て回ろうかと思っとるよ。このままここに引っ越してもええかもしれんのう。この寺の住職がまた底抜けに善人じゃし、あのぬえが落ちるわけじゃ」
「落ちてない!」
 どこかからぬえさんの声。どこかに隠れているらしい。探そうかと思ったが、また嫌われそうなので私はやめておくことにした。
「しかし――」
 と、不意にマミゾウさんが鼻をうごめかせて眉根を寄せる。
「さっきから何か、狐臭いのう」
「え、狐?」
「こそこそ隠れて、姑息で陰険な狐は何を企んどるんじゃ、堂々と出てきたらどうかね。それとも佐渡の狐のように、この二ッ岩大明神に畏れを為して外へ逃げ帰るかえ? 儂はそれでも一向に構わんがね」
 虚空へ挑発するようなマミゾウさんの言葉に、私たちが視線を巡らすと――。
「全く、狸というのはどこまでも性根が拗くれているな」
 誰もいなかった参道の石畳の上に、ぱっと姿を現したのは――見覚えのある九尾のモフモフ。八雲藍さんである。
「おお? なんじゃ、そのへんの化け狐が悪さでもしに来たのかと思うたら、九尾の妖狐とは、随分と大物が出てきおったのう。なんじゃ、幻想郷の化け狐の頭領でもしとるんかね」
「私は八雲藍、幻想郷の賢者である八雲紫様が式だ。博麗大結界の管理者代行として、結界を越えてきた新参者の様子を見張りに来た」
 不機嫌そうに答える藍さんに、マミゾウさんは「ほおう」と大げさに目を見開く。
「おやおや、大物が出てきたとばかり思ったら、なんじゃ、ただの使いっ走りかえ」
「なに――」
「伝説の妖狐ともあろうものが、一妖怪の使いっ走りとして、隠居した狸の見張りとは、随分と落ちぶれたもんじゃのう。それとも落ちぶれたから使いっ走りに甘んじとるんかの? どっちにしても、おお、あわれ、あわれ」
「貴様――私に対する侮辱は紫様への侮辱と取るぞ」
「おお、これが文字通りの、虎の威を借る狐っちゅうやつか。奴隷根性の染みついてしまった大妖怪ほど見てて悲しいものはないのう」
「本当に狸という奴は性根が根腐れを起こしているな! ここで簀巻きにして外の世界の海に放り込んでやるのが世のため幻想郷のためか。運が良ければ佐渡へ流れ着くだろう」
「狐はおっとろしいことを言うのう。儂が何をしたっちゅうんじゃ。こんな善良な化け狸を捕まえて」
「どの口が言うか、団三郎狸。それとも外で歳を取り過ぎて耄碌したか。自分の名前も思いだせなくなって、自分が団三郎狸だと思い込んでいるだけじゃあるまいな?」
「年寄り扱いせんでほしいのう。儂はまだまだピチピチじゃぞい。本当に狐という奴はでりかしーというものに欠けておるわい。そんなんじゃから昔話でいつも悪者にされるんじゃぞ」
「狸がよく言う。背中の薪に火を点けて泥船で沈めてやろうか」
「お主の背中の尻尾のほうがよく燃えそうじゃのう」
「そっちの汚らしい尻尾は燃やされて焦げた色なのか? まるでタワシだな。その尻尾で風呂掃除でもしてきたらどうだ」
「お主はその九尾でいつも床掃除をしとるんじゃろう。箒いらずで便利なことじゃ。寺の参道の掃除を頼むようにここの住職に伝えておいてやるわい」
 ツッコミを入れる暇もなく、マミゾウさんと藍さんの間にバチバチと火花が散る。狸と狐は仲が悪いというのは本当なのだなあ、と眺めているしかない。
 ああ、それにしても久しぶりに藍さんの尻尾を見た。モフりたい。できれば今すぐあの尻尾に埋もれたい。最近あんまり藍さんと顔を合わせる機会もなかったし、ちょっとぐらい……。
「まずお前を片付けることが、世のための一番の掃除だな」
「なんじゃ、やるかね? 儂は構わんぞい」
 一触即発。緊張感が高まりきったところで、藍さんが我に返ったようにひとつ咳払い。
「違う。私は狸なんぞと不毛な言い争いをしに来たのではない」
「おお、尻尾を巻いて逃げ帰るんなら熨斗をつけて見送ってやるぞい」
「勝手に言っていろ。私がお前に伝えにきたのは二つだ。ひとつは、幻想郷では幻想郷のルールに従ってもらうということ。郷に入っては郷に従えという言葉ぐらい、無教養で無分別な化け狸でも知っているだろう。それからもうひとつ――幻想郷には幻想郷の秩序がある。知性も理性もない化け狸に言っても馬耳東風かもしれないが、特に幻想郷と化け狐と化け狸の間の秩序を乱すような真似は慎んでもらおう」
「なんじゃ、結局お主はここの化け狐の頭領かえ。お山の大将、井の中の蛙っちゅうやつか」
「お前にだけは言われたくないな! それに私は紫様の式だと言ったはずだ!」
「どっちにしても零落しとるのう」
「それ以上の紫様への侮辱は宣戦布告と見なすぞ」
「器が小さいのう。そんなんじゃから賢者の使いっ走りに甘んじとるんじゃないかね。その無駄に多い尻尾もただの飾りなら箒にでもしたらどうかえ」
「お前をタワシにしてやろうか!」
 ――結局、弾幕ごっこが始まってしまった。ああ、モフモフが遠ざかる……。
 中空に揺れる藍さんの尻尾を名残惜しく見上げていると、「メリー、帰るわよ」と蓮子に呆れ顔で手を引かれた。ああ、せめてちょっとだけでも触りたかった……。

     ◇

 そんなわけで――。
 人間の里では、新たに現れた、悩み事相談をする仙人が信仰を集め始め。
 命蓮寺には、新しい居候が一名増えた。
 今回の《神霊異変》は、つまりそれだけのお話である。

 なので、この記録も、異変の物語としては、既に終わっている。
 それなのに、もうちょっとだけ続くのは――もちろん、相棒の妄想にまつわる話だからだ。

     ◇

 また数日後。里の商店街で、買い物をしている妖夢さんを見かけた。
「あら、こんにちは妖夢ちゃん。買い出し?」
 蓮子が声を掛けると、妖夢さんは振り向いてぺこりと頭を下げる。
「あ、どうも。幽々子様からお使いを頼まれまして」
「そういえば幽々子お嬢様とは最近会ってないわねえ。お元気?」
「それはもう……。この間は、仙人になりたいとか言いだして」
「仙人に?」
「ええ、あの神霊騒ぎの報告をしたら、尸解仙の修行をして仙人になるって」
「あらあら。亡霊が仙人になれるの?」
「さあ……。幽々子様は蘇れるなんて羨ましい、みたいなことを仰ってました。なんで幽々子様がわざわざ蘇りたがるのか……。まあ、結局飽きてしまわれたようですけど」
 ――はて、その目的は自分が蘇ることだったのだろうか。私たちはそんな疑問を抱かなくもなかった。なお、これに関しては私たちの過去の事件簿を参照されたい。
 それはさておき。
「あ、そうだ妖夢ちゃん。ひとつ訊きたいんだけど」
「なんです?」
「幽々子お嬢様みたいに、ちゃんと実体のある亡霊で、足がない亡霊っている?」
「え?」
「ほら、幽霊って足がないイメージじゃない。でも幽々子お嬢様は五体満足だから、前からちょっと不思議だったのよね。妖夢ちゃんの半霊は人間の形してないし……」
「まあ、確かにはっきり人間の形をしていて足がない幽霊は珍しいですね。幽々子様もそうですけど、幽霊は足があってもなくてもさして変わらないんですが」
「普段から浮いてるから?」
「そうですね。幽々子様もいつもふわふわしてますし。でも、足のない幽霊もいないわけじゃないですよ」
「――そうなの?」
 蓮子が目をしばたたかせる。妖夢さんは「ええ」と頷いた。
「敢えて足のない姿をしてる幽霊は、自分が幽霊だと強くアピールしたい悪霊や怨霊に多い気がします。そういう悪霊や怨霊は、消した足を出すこともできますよ。幽々子様みたいに、自分が生きてるのか死んでるのかもあんまり気にしてないような場合は、わざわざ自分の足を消す必要もないということじゃないでしょうか」

 妖夢さんと別れ、自宅への帰り道を歩きながら、相棒は帽子の庇を弄っていた。
 私は小さく肩を竦める。全く、これだから相棒の推理は結局、誇大妄想なのである。
「……蓮子、今のでこの前の推理、瓦解したんじゃないの?」
 屠自古さんに足がないのが、屠自古さんの足が切断されたから――ではないとすれば、先日の相棒の推理は一番最初の前提が成立しないことになってしまうのではないか。
「いやいや、まあ……だとしても芳香ちゃんのボディが屠自古さんのものである可能性自体が否定されたわけじゃないし」
「単純に、芳香さんは太子様たちとは無関係なんじゃないの?」
「そういう無粋なこと言わないでよ。私たち秘封探偵事務所が求めるのは、世界を面白くする真実よ。真実は私の考えなんかを飛び越えるようなアクロバティックなものでなくちゃ」
「それ普通は真実って言わないでしょう」
「メリーらしくもない言い草ねえ。真実も事実でさえも人の数だけあるっていうのが相対性精神学の考え方じゃないの?」
「それはそうだけど――」
 私は嘆息する。そんな私に蓮子は、不意に猫のような笑みを浮かべた。
「ねえメリー。ミステリの名探偵は、どうして真実に辿り着けるかわかる?」
「え、どうしてって……」
「それは、ミステリの世界では名探偵の推理が真実であると定められているからよ」
 私は目をしばたたかせた。
「……つまり、メタ的なルール設定の話? 作者が、名探偵の推理を《作中における正解》と設定しているから、名探偵の推理が真実であると作中においては確定するっていう」
「そうそう。だからどんなに現実的にあり得ないようなトリックでも、ミステリの世界では名探偵の推理こそがその作品世界内の《真実》として定められる。そこに疑義を呈すると、いわゆる《後期クイーン的問題》になるわけじゃない」
「まあ、それは確かにそうね」
 後期クイーン的問題とは、大雑把にいえば、「ミステリの名探偵は真実に辿り着くことが可能なのか」という問題である。名探偵はさまざまな手がかりを集め、それに基づいて論理を組み立てて犯人を指摘するわけだが、その論理を根底から覆す新たな手がかりが発見されずに残っている可能性や、集めた手がかりの中に犯人がミスディレクションとして残した偽の手がかりが混ざっている可能性を、名探偵自身には排除できないのではないか、という話だ。
 この問題は、現実の裁判を想定すると理解しやすい。裁判を行ってなお冤罪が発生するのがなぜかといえば、その裁判の段階では発見されていなかった新証拠が存在したり、あるいは裁判の判断材料になった証拠自体が捏造だったりするからだ。しかし、裁判の中で存在するかどうかも解らない新証拠は持ち出せないし、証拠のひとつひとつについて捏造である可能性をいちいち検討し始めたらキリがない。だから裁判では、証拠の捏造や偽証は罪になることを担保として、提出された証拠の範囲内で判断を下すしかないわけだ。だからどんなに公平な裁判も誤る可能性は常にある。
 後期クイーン的問題も、原理的にはそれと同じことである。だから後期クイーン的問題というのは、「名探偵の推理が常に百発百中なわけないだろ」というリアリズムの問題なのだ。
「でもね、メリー。生憎と私はそんな絶対的名探偵じゃないわ。私の推理はいつだって、集めた断片的な情報から組み立てた誇大妄想。絶対確実な真実なんかじゃないし、自分がそれに辿り着けると思えるほど自惚れてもいないわ。だから――私の推理は、そもそも真実である必要すらない。いいえ、むしろ真実であってもらっちゃ困るわけ」
 帽子の庇を持ち上げて言う蓮子が、何を言いたいのかを理解して、私は苦笑した。
「――蓮子の推理が真実だったら、そこから先がないから、ね」
「イグザクトリー。だから私は、私が求める真実を求めるのよ。私の考えた真実よりもさらに面白い真実をね」
 そう、名探偵が現実には決して真実に辿り着けないのだとすれば――逆説的に、名探偵の推理よりも面白い真実が、存在している可能性が常に残り続ける。
 だとすれば、蓮子が推理をすればするほど、それ以外の可能性が広がり続ける。
 百発零中であるが故に、無限の可能性を生み出す名探偵。
 我が相棒は、つまりそういう名探偵なのだ。
「開き直って言うことじゃないでしょう、それ」
「いいのよ、秘封倶楽部は世界を面白くするために秘密を探るものなんだから」
 蓮子は、そう言って私の手を握る。私は息を吐いて、その手を握り返した。
 ――ひょっとしたら今までもにもひとつかふたつ、相棒の推理が完璧に的中したものがあったのかもしれない。けれど、その真偽を私たちには判定する術がない。
 ならばやはり、蓮子は世界を面白くする名探偵なのだろう。
「でもね、蓮子」
「うん?」
「私としては、できれば探偵事務所の経営をもうちょっと健全化できる真実を求めてるわ」
「――世知辛いこと言わないでよ、もう」
 帽子を目深に被り直して口を尖らせる蓮子と、私は里の通りを歩いて行く。
 私たちの探る《真実》とはどこまでも無関係に、幻想郷の光景はいつも通り、平和だった。


【第11章 神霊廟編――了】

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この小説へのコメント

  1. 【あとがき】
    今回もここまでのお付き合いありがとうございました。
    作者の浅木原忍です。
     
    今回の蓮子の推理ですが、実は「青娥=太媛」説は自分のオリジナルではなく、
    タイトルを出すとその作品の重大なネタバレになってしまうので具体名は伏せますが、
    あるサークルの同人誌に前例があります。豪族組二次創作の傑作です。
    というか、それを読んだときには正直なところ、
    「えっこんなのやられてしまったら俺は秘封探偵神霊廟編で何をやればいいの……?」
    と真剣に悩みました。悩んだ結果がこの作品です。苦心の跡をお楽しみいただけたなら幸いです。
    「青娥=太媛」説以外はオリジナルのつもりですが、他にも前例があったらすみません。
     
    次は心綺楼編です。3/2(土)連載開始の予定で進めます。
    今後も秘封探偵シリーズをよろしくお願いします。

  2. お疲れ様です。今回も楽しく読ませていただきました。心気楼編が待ち遠しいです。これからも頑張って下さい

  3. おっつおっつ。個人的には心綺楼に早苗さん参戦して欲しいです

  4. 神霊廟編お疲れ様でした。今回も楽しませてもらいました。マミゾウ親分の今後の活躍に期待します!

  5. 娘々が強敵すぎる(笑)。というか、今までの黒幕のなかでも最強なのでは…。もちろん戦闘力云々ではなく。
    たとえば永琳先生からは底知れない怖さと美しさを、神奈子様からは威厳と貫禄を感じられたが、青娥のそれは今までとはまったく異質な不気味さ。エピローグまで読み終わって、「はて、今回は何を解き明かしたんだっけ?」と疑問に思ってしまったのは今回が初めてです(もちろんほめ言葉)。胡散臭い笑みで相手を煙に巻き、最後まで本心を殆ど明かさない辺りがまさに邪仙。

    今年の人気投票も娘々に1票入れたくなりました。。。

    そして最後、段幕ごっこの勝敗はさておき、真面目な藍様が老獪なマミゾウさんを負かす場面が想像できない…。

  6. はー(語彙力消失

    ここから早苗さんの出番がガチでないから、何をしてたか気になって蓮メリコンビが首を突っ込みそう。

  7. 今回も凄く面白かったです!
    心綺楼…宗教合戦にどの様な謎があるのか…
    楽しみです!!

  8. 乙です。次の心綺楼も楽しみにしています!一体、蓮子はこころちゃんに対して、どんな妄想を描くのでしょうかねぇ…

  9. 作者の言っているサークルの名前が分からないから見たくても見れない😭
    誰か教えてください!

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