東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第11章 神霊廟編   神霊廟編 9話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第11章 神霊廟編

公開日:2019年01月05日 / 最終更新日:2019年01月05日

―25―

 かくして、玄爺に乗って早苗さんとやって来たるは、再び命蓮寺の墓地である。
「大祀廟は移転したんだから、もう芳香さんもいないんじゃないの?」
「かもしれないけど、ま、とりあえず様子を確認しましょ」
 墓地に足を踏み入れると、墓石の背後に揺らめくなすび色の影がある。
「おーどーろーへぶらっ!?」
 飛び出してきたその影は、次の瞬間に早苗さんの巻き起こした風に吹き飛ばされて、近くの墓石に頭をぶつけた。痛そうである。というかこの光景、ついこの前も見たような。
「う、うぐぐぐぐ……げえっ、人間かと思ったら暴風巫女!」
「あ、なんだ貴方でしたか」
「うう、なんで私ばっかり酷い目に遭うの。さでずむ?」
「例のキョンシーはやっつけてあげたじゃないですか」
「あっ、そうだった! うう、そのことはお礼言うけど」
「あら小傘ちゃん、あのキョンシーはいなくなったの?」
「そうそう。あいつがいなくなって、この墓地はまたわちきの縄張りよ! 今度こそひもじい生活から脱出するの! うーらーめーしーやー!」
 蓮子の問いに、その影――小傘さんは、なすび色の傘を回して踊る。どうやら早苗さんたちが霊廟に突入したときに、小傘さんが早苗さんたちに芳香さんの退治を依頼したらしい。
「やっぱりいなくなってるじゃない」
「まあそうよねえ」
 蓮子が頭を掻く。
「でも、例の洞窟からまた大祀廟に行けないかしら」
「移転したんだから無理でしょ」
「太子様は、幻想郷のどことでも繋がるようになったって言ってたじゃない」
 そういえば、そんなことを言っていたような。
「でもそれなら、寺子屋の床下からでも行けたんじゃないの?」
「床下なんか潜ったら服が汚れるじゃない」
 さいですか。肩を竦める私に構わず、蓮子はずんずん先へ進んでいく。まあ、芳香さんがいなくなったなら危険もあるまい。私は玄爺と早苗さんと、のんびりその後についていく。
「そういえば、メリーさんたちの時代にキョンシーって残ってました?」
「残って、というかまあ、中国の妖怪としては伝わってたけど」
「幽幻道士のテンテン可愛かったですよね」
「何の話?」
「ええー?」
 早苗さんとそんな話をしていると、先を歩く蓮子が不意に立ち止まった。その視線の方へ私たちも目を向けると、見覚えのあるお墓の陰に、見覚えのある烏帽子が見え隠れしている。
「あれ、布都ちゃん?」
「な、何者ぞ! 我をそのような不躾な――おお、お主らであったか!」
 ぴょこんと墓石の陰から顔を出したのは、蓮子のもう一人のお目当て、物部布都さんである。
「こんにちは。こんなところで何してるの?」
「見てわからぬか? 寺の仏教徒どもの監視である! 太子様より直々に命じられたのだ」
「監視ねえ。大祀廟はもう移転したんでしょう?」
「おお、耳が早いな。その通り、太子様のお力で、仙界に新たな我らの修行場が作られたのであるぞ。お主らであれば招待するにもやぶさかでな――うん?」
 そこで布都さん、私の隣の早苗さんに気付き、慌てて身構える。
「おっと、そこなるは昨日の侵入者! また太子様に牙を剥きに来たか? 相手になるぞ!」
「え、私ですか? いやいや、今日は蓮子さんたちの付き添いです」
「なんじゃそうか。太子様の弟子になろうというならいつでも歓迎するぞ! そこのお主は神道の者であったな。我が物部氏はもともと古来の土着神を祀った氏族、つまりは神道の祖と言っても過言ではない」
「え、そうなんですか?」早苗さんが首を傾げる。
「物部氏と諏訪の土着信仰はあんまり関係ない気がするけど……」私は肩を竦めた。
「まあまあ、まずは我らの修行場を見て行かれよ」と、何か案内モードの布都さん。
「お誘いはありがたいけど、布都ちゃん、監視任務はいいの?」蓮子が問う。
「おお、そうであった! むむ、よもや貴様ら我をこの場から排除しようと?」
「違います違います」私は慌てて首を振る。
「全く油断も隙もない。やはり寺などさっさと焼き払ってしまうに限るぞ」
 さらっと物騒なことを言う布都さん。そういえば物部氏は廃仏を唱えて仏像を焼いたんだっけ。布都さんが太子様に協力したのも、嫌いな仏教を自分たちの都合のいいように利用するというプランが気に入ったからなのかもしれない。
「太子様は命蓮寺について何と仰ってるの?」
「我への命令は、動向を監視せよとのことであるぞ」
「勝手に焼いたら怒られるわよね」
「むむ、そうであるな……太子様に焼いても構わぬか伺いを立てねば」
 腕を組んで布都さんは唸る。わりと本気で焼くつもりらしい。できればやめてほしいが。
「それより布都ちゃん、ちょっとお話を聞きたいのだけれど、構わないかしら?」
「おお? 道教に興味があるなら今すぐ修行場に案内するぞ」
「いやあ、私はまだ仙人になる気はないんだけど、太子様たちが復活した術には興味があってね。布都ちゃんは一度死んで、自分の肉体をお皿と交換したんだっけ?」
「うむ、その通り。太子様は剣、屠自古の奴は壺であった」
「つまり、布都ちゃんの元の肉体は、今はお皿になってると」
「然り。太子様の剣とともに霊廟に保管されているぞ」
「そのお皿が壊れたりしたら、布都ちゃんはどうなっちゃうのかしら?」
「おお? 我は既に新しい肉体を手にしておるから、別に壊れても問題ないと思うぞ」
「あら、そうなの? でも屠自古さんは壺が崩れたせいで亡霊になっちゃったのよね」
「それは尸解仙として復活する前に壺が崩れたから、屠自古の魂の依り代がなくなったのだ。我の魂はもうこの身体の中にあるから問題ないぞ」
「ははあ、なるほど。――屠自古さんは生前、足が悪かったりした?」
「うん? はて、そんな記憶はないぞ」
「あら、そうなの? 布都ちゃんは、屠自古さんとはどういう関係だったのかしら」
「我らはどちらも太子様の弟子である」
「いや、そうじゃなくて。尸解仙になる前」
「――うん?」
 蓮子の問いに、布都さんはきょとんと目をしばたたかせた。
「尸解仙になる前……?」
「ええ。布都ちゃんは太子様と組んで、物部氏を滅ぼしたりしたって聞いたけど」
「…………そう、であったかな。なにぶん昔の話よ、あまりよく覚えておらぬ」
 腕を組み、布都さんは不思議そうに首を捻った。私は眉を寄せる。
 布都さんは、ひょっとして太子様や屠自古さんと違い、過去の記憶が曖昧なのか? 妙に性格が子供っぽいのも、その記憶の不確かさのせいだというのだろうか。しかし、何故――?
「まあ、千四百年も経ってるものね」
「うむ、永かったぞ」
「でも、布都ちゃんと太子様はずっと眠ってたんじゃないの?」
「眠っておったのは事実だが、全く意識がなかったわけではないぞ」
「あら、そうなの?」
「うむ。魂が肉体を離れ、皿に宿ってからも、ときどき外から話しかける声が聞こえてきておったぞ。おそらく屠自古か青娥が我らに話しかけておったのであろう」
「ははあ。じゃあ太子様が、復活するまでの間のことを覚えていたのも、そのため?」
「その通り。太子様は復活されるまでの間も常に外部の情報収集を怠られなかったのだ」
 ――なるほど、それで太子様は復活してすぐの段階で、もう自分の状況を把握していたわけか。青娥さんによる幻想郷への大祀廟の移転も、太子様が眠りながら青娥さんと意思疎通をして進めたのかもしれない。
「なるほどねえ。布都ちゃん、尸解仙になった気分はどう?」
「うむ、快適であるぞ。元気溌剌、気力充実、疲れ知らずだ。お主も尸解仙にならぬか?」
「あはは、興味は惹かれるけど、私はまだ不便な人間でいいわ。屠自古さんみたいに失敗して亡霊になっちゃっても困るしね。――屠自古さんは雷を操るみたいだけど、あれも仙術?」
「あのような野蛮な仙術はないぞ。あれは屠自古の怨霊としての力だ」
「ははあ、確かに雷を落とすのは怨霊の定番の祟りよね。じゃあ布都ちゃんの仙術は?」
「おお、我の力を見たいと申すか? ではさっそくあの寺を焼き払うとしようぞ!」
「いやいやそれは止めて」
「駄目か?」
「ここは私の顔に免じて」
「つまらんのう」
 どうしても命蓮寺を焼きたいらしい。物部の心尸解仙までということか。
「じゃあ布都ちゃん、これが最後の質問なんだけど」
「うむ、なんでも訊くがよいぞ」
「――どうして屠自古さんの壺をすり替えたの?」
 蓮子のその問いに――しかし、布都さんはきょとんと目をしばたたかせた。
「うん? 質問の意味がよくわからんぞ」
「あら、違ったの? 青娥さんから、屠自古さんが尸解仙になるのに失敗して亡霊になってしまったのは、布都ちゃんが屠自古さんの壺を焼かれていないものにすり替えたからだって聞いてたんだけど」
「我が屠自古の壺を? ――はて、そうであったかな……」
 腕を組んで、布都さんは考え込んでしまう。蓮子はこちらを振り向いて首を捻った。そんな顔をされても、私にもなんともコメントのしようがないではないか。
「……我が屠自古を亡霊にしたのか? 我はなぜ屠自古の壺をすり替えたのだ?」
「いや、私もそれが知りたいんだけど」
「ううん、青娥がそう言っておったのか? むむむ……なぜだ、思いだせん」
 布都さんは唸る。彼女が尸解仙になる以前のことをよく覚えていないのなら、それも道理なのかもしれない。屠自古さんの壺をすり替えたのは、眠りにつく以前のことだろうからだ。
 しかし――なぜ、布都さんの記憶だけが失われているのだろう?
 私と蓮子がそう考えこんでいる傍らで、
「……亀さん亀さん、ただの付き添いって退屈ですねえ」
「儂に言われてものう」
 暇を持て余した早苗さんが、しゃがみ込んで玄爺と会話していた。ああ、蓮子がひとりで勝手に布都さんと話し込んでたせいで、早苗さんを完全にほったらかしである。
 布都さんが妙に考え込んでしまった手前、「じゃあこれで」と辞去もしにくくなったのか、蓮子がどうしたものかと肩を竦める。――と、そこへ。
「……うん? ああ、なんだ、蓮子さんたちでしたか。こんなところで何を?」
 割り込んでくる新たな人影がひとつ。雲居一輪さんだ。
「あら、いっちゃん。そっちこそどうしたの?」
「いえ、見回りをしていたら墓地から話し声がするので何かと……ん? そこのちっこいのは見ない顔ね」
「お? 我のことか?」
 考え込んでいた布都さんが顔をあげ、そして一輪さんの尼僧姿を見て顔をしかめた。
「むむむ、お主もしや、あの寺の者か!」
「え? ええ、そうだけど」
「我の妨害に来たのであるな! やはり仏教は我らが怨敵! その寺、焼き払ってくれる!」
「え、えええ? なに急に。あっ、もしかして地下から復活してきたっていう――」
「いかにも、我は太子様の弟子にして尸解仙が物部布都。仏教の手先め、覚悟するがよい!」
「よくわからないけど、寺に害意があるなら見過ごせない。姐さんたちは私が守る! 雲山!」
 一輪さんが右手を掲げると、その頭上に雲山さんがもくもくと煙のように姿を現し、巨大な拳を握った。「入道使いか! 面白い!」と布都さんもその場から宙に飛び上がる。
「我の仙術でその巨体、見越してくれよう!」
「いざ、仏敵退散!」
 ――かくして、命蓮寺墓地に一輪さん対布都さんの弾幕ごっこの華が咲いた。
「おー、これは壮観」
「ちょっと蓮子、呑気なこと言ってないで、どうするのよ」
「私が両方とっちめましょうか?」早苗さんがナチュラルに物騒なことを言う。
「まあ、そのうち星ちゃんか白蓮さんが止めに入ると思うけど。――私たちは退散しますか」
「え、放っておいていいの?」
「大事にはならないでしょ。聞きたいことは聞けたし。玄爺、里に戻るわよ」
「やれやれ、亀使いが荒いですのう」
 ――というわけで、私たちはスタコラサッサと命蓮寺墓地から退散したのであった。
 なお、後に聞いたところによると、弾幕ごっこは一輪さんの勝利に終わり、布都さんは一旦退散したそうである。小傘さんが流れ弾で傘を燃やされそうになったという余談つきで。




―26―

 そんなこんなで夕方になり、早苗さんと別れ、私たちは里の自宅に戻ってきた。
「で、今日の聞き込みで成果は上がったの? 名探偵さん」
「まあ、一応ね。それなりにもっともらしい仮説は出来てるわ」
「え、もう?」
「実際にそういうことが起こりうるのかの検証が出来ないのが問題だけど、とりあえずこの仮説なら、今日列挙した謎にだいたい説明はつけられるわね」
 あっさりそう言い放って畳に寝転ぶ蓮子。今日の布都さんとの話で、もうおおよその推理が出来上がったというのか。かえって謎が深まっただけだと思うのだが――。
 しかし、そう言った相棒の顔は、どこか消化不良というような不満げな表情。
「まだ何か引っ掛かってるって顔ね」
「うーん、こう考えると起きたことに説明はつくんだけど、どうもしっくりこないのよね。なーにか大事なピースを見落としてる気がする」
 眉間に皺を寄せて、蓮子は唸る。何を考えているのか知らないが――。
「そもそも前提が間違ってるんじゃないの?」
「そうなのかしらねえ。方向性は間違ってないと思うんだけど――」
 身体を起こし、胡座をかいて蓮子はがりがりと頭を掻くと、不意に私を振り返った。
「ねえメリー。私たちの知り合いで、恋愛経験豊富そうなのって誰だと思う?」
「――は?」
 いや、いきなり何を言い出すのだ。目が点になるとはこのことである。
「私は物理屋だから、人間心理は専門外なのよ。ま、古代人のメンタリティを現代の基準で考えても仕方ないとは思うけど、それでも愛情は人間の基本的なメカニズムだから……」
「いや、意味がわからないんだけど」
「まあ、この際メリーでもいいわ。相対性精神学は心理学みたいなものでしょ」
「心理学とは別だって何度も説明してるじゃない」
「いいから。――ねえメリー、たとえばだけど、今、私の魂が身体から抜けて、たとえば玄爺に宿ったとするでしょ。その場合、メリーは魂のない抜け殻の私の肉体と、私の魂が宿った玄爺と、どっちを《宇佐見蓮子》だと認識する?」
「そんないきなりデカルトの心身二元論みたいなこと言われても。……玄爺に宿った蓮子の意識は、玄爺の声で『私が蓮子よ』って喋るの?」
「まあ、そうね。そう考えてくれていいわ」
「でも、蓮子の肉体はそのまま残ってるわけよね?」
「そういうこと。その場合、メリーはどっちに『ねえ、蓮子』って話しかける?」
「……会話が成立するなら、そりゃまあ、玄爺の方でしょうけど。でも、目の前に蓮子の肉体があって、その脇で玄爺が『私が蓮子よ』って喋ってたら、それはちょっと判断に迷いそうだわ。相対性精神学的にも、玄爺の身体に宿ってるのが本当に蓮子の魂なのかどうかは、私には判断できないもの」
「じゃあ、その状況で私の肉体と、私の魂が宿った玄爺と、どちらか片方しか助けられないような状況になったら?」
「――いや、状況が想像しにくいんだけど」
「いいから、思考実験だと思って」
「うーん、玄爺に蓮子の魂が確実に宿ってると確信できてれば……肉体は問題じゃないって割り切れるかしら。でも、蓮子の肉体が失われたとき、そこにいるのが《宇佐見蓮子》だって確信を抱き続けられるかって言われると……正直、あんまり自信はないわ。私の知ってる蓮子は、この肉体の蓮子だもの」
 うりうりと蓮子の頬をつねってやる。「いひゃいいひゃい」と蓮子は悲鳴。手を放すと、蓮子は「うー」と頬を押さえて唸り、それからひとつ咳払いした。
「じゃあ、私が今と同じ姿の亡霊として出てきたら、私だって信じられる?」
「それなら……まあ、信じられるわね。人間、やっぱり一度強固に接続された視覚情報と認識を、完全に切り離して再構成するのは難しいわよ。エビフライを見せられて『今日はこれはハンバーグです』って言われても困るでしょ?」
「解ったような解らないような例えねえ」
 蓮子は肩を竦める。しかし、蓮子は何を言いたいのだろう。私は首を捻り――ああ、と思い至る。他人の姿がまるきり変わってしまったら、その人格の同一性と連続性を信じられるのか、という話だとすれば――。
「……蓮子、それってつまり、太子様が生前と現在とで大きく姿を変えたなら、屠自古さんや布都さんが、太子様を《太子様》だと認識して信じられるか、みたいな話?」
「まあ、そういう話でもあるわね」
 蓮子は頷く。なるほど、あの肖像画が本当だったかどうかはともかく、生前の太子様が男性であったとすれば、今の女性となった太子様を、生前を知る屠自古さんは果たして同一視できるものだろうか。何しろ屠自古さんは太子様の妻であったわけだし――。
 まあ、そのあたりは尸解仙になる前に、太子様が「仙人になったら女性化します」とでも宣言しておけば混乱はないのかもしれない。しかし、実際に太子様が女性となって復活したとき、その同一性と連続性に一片の疑いも抱かないということは可能だろうか。
 ――だとすれば、太子様はもともと女性だったということもあり得るのか? いや、しかし事実として厩戸皇子は刀自古郎女ら四人の妻との間に山背大兄王らの子孫を残しているわけだから……。ううん、やっぱりなんだかよくわからなくなってきた。
「ああ、蓮子の魂が今の蓮子の肉体以外に宿るなら、藍さんにしてほしいわ。そうすればいつでも事務所であの九尾のモフモフを味わえるもの」
「メリー、そこでいきなり欲望に正直にならないの――」
 呆れたように蓮子はそう言って、そして不意に、その目を大きく見開いた。
「――え? まさか、そういうことなの?」
 そう呟き、蓮子は帽子の庇をしきりに弄り始める。
「そうか……確かにそう考えれば辻褄は合うけど……」
 ああ、蓮子が自分の世界に入ってしまった。私は肩を竦め、いい加減夕飯の支度でもしようかと立ち上がる。そろそろさすがにお腹が空いた。
 と、そこへ家の玄関から誰かの呼びかける声。おや、こんな時間に来客か。すっかり思考の沼に沈んだ蓮子を放って、私は玄関に向かう。
「はい、どちら様――あれ」
「やあ、こんばんは。今日は夜遊びしていないようだな。夕飯はこれからか?」
 来客――慧音さんは、食糧が入っているらしい袋を掲げて笑った。




―27―

 要するに、慧音さんは私たちの監視も兼ねて様子を見に来たらしい。白蓮さんの取りなしで大っぴらに怒られずに済んだとはいえ、私たちが大祀廟に潜入した件は、やはり慧音さんにとっては眉を寄せたくもなろう。
 そんなわけで、慧音さんと三人で食卓を囲んでの夕飯である。蓮子はまだ何やら考え込んでいるようで、専ら私が慧音さんの話し相手をすることになった。
「蓮子はどうしたんだ? 悩みごとか?」
「いえ、どうでもいいことを考えてるだけですから気にしないでください」
「また何か悪巧みしてるんじゃないだろうな」
「いえいえ、そんな……」
 してないと言ったら嘘になるかもしれない。どうせ蓮子の誇大妄想が形になれば、屠自古さんなり青娥さんなり、あるいは太子様本人のところに突撃することになるのだ。
「そういえば、あれからちょっと調べてみたが、やはり聖徳太子の縁者に『よしか』という名前の人物は見当たらないぞ。響きが近いと言えなくもないのは、伊止志古王ぐらいだな」
「いとしこのみこ?」
「聖徳太子と膳大郎女の間の息子のひとりだな」
 「いとしこ」と「よしか」ではだいぶ開きがあると思うが。
「膳大郎女って、聖徳太子の四番目の妻でしたっけ?」
 と、蓮子が顔を上げる。「ああ」と慧音さんは頷いた。
「聖徳太子の妻とされているのは四人。菟道貝蛸皇女、橘大郎女、刀自古郎女、そして膳大郎女だ。菟道貝蛸皇女は敏達天皇と推古天皇の皇女だが、聖徳太子との間に子はなく、すぐに亡くなったと考えられている。橘大郎女は推古天皇の孫で、太子の没後、その死を悼んで天寿国繍帳を作らせたことが有名だな。刀自古郎女は言うまでもなく馬子の娘で、山背大兄王の母だ」
「膳大郎女は?」
「山背大兄王の妃となった舂米女王や、彼の後ろ盾となった泊瀬王の母だな。彼女だけ、聖徳太子の妻の中では身分が低い。膳臣傾子という豪族の娘だ。だが、彼女は特に聖徳太子の深い寵愛を受けていたと伝えられる」
「刀自古郎女よりもですか?」
「さて、そのあたりの機微は不明だがな。ただ、四人の妻の中で最も多い八人の子供を産んでいるからな。刀自古郎女の子はその半分の四人だ。それに何より――彼女は、聖徳太子とほぼ同時に亡くなったとされている」
「え、そうなんですか?」私は思わず目をしばたたかせた。
「ああ。太子とともに病み、太子の亡くなる前日に没したそうだ。彼女は太子とともに、叡福寺北古墳――磯長墓に葬られた。ここには太子の生母、穴穂部間人皇女もともに葬られている」
 次の瞬間――茶碗を手にしたまま、蓮子が立ち上がった。
「どうした?」
 驚いてそれを見上げた慧音さんに、蓮子は「あ、いえ、すみません」と座布団に座り直す。
「慧音さん。刀自古郎女の没年は解っているんですか?」
「いや、詳しくは不明だ。善光寺を開山したのは蘇我馬子の娘の尊光上人とされていて、これを刀自古郎女とする説もあるが、善光寺の初期の歴史は不明な点が多く、真偽は不明だな。これは太子信仰が生んだ後付けの歴史ではないかと思う」
 確かに、屠自古さんが刀自古郎女本人なら、太子様に先んじて尸解仙となるための眠りについているわけだから、その後に善光寺を開山できるわけがない。まあそれも、屠自古さんが刀自古郎女本人ならば、だが――。
「では、太媛の没年は?」
「そちらも不明だ。そもそも太媛は『日本書紀』には名前が出てこないからな。馬子が物部氏を滅ぼすために妻の計を用いた、とあるだけで、それ以上の情報はないんだ」
 漬物を囓りながら、慧音さんはひとつ鼻を鳴らす。
「まあ何にしても、本人が仙人になって復活してきたんだ。太子の墓所とされている磯長墓にしても、本人がそんなところに葬られていないと言いだしたらこれまでの研究は水の泡だな。もちろん、あの彼女の言い分と、これまでの歴史研究と、どちらが信じるに足るかの充分な検討を重ねていかなければならないが――」
 慧音さんがそう言ったところで、突然蓮子が、勢い良く茶碗の中身を掻きこみ始めた。
 ずずず、と味噌汁を啜って息を吐き――「そういうこと……」と、蓮子は呟く。
 それはどこか疲れたような、何かの諦念のような嘆息だった。

「それなら、確かに説明はつくけど――それが真実だっていうの……?」





【読者への挑戦状】

 というわけで、今回の【出題編】はここまでである。
 断っておくが、今回の謎解きに、歴史の細かい知識は必要ない。ここまでに記した知識だけで、今回の蓮子の誇大妄想的推理に辿り着くことは、一応は可能のはずだ。
 ただ、今回蓮子が推理した《真相》は、それぞれの思惑がかなり込み入っているので、これまで私たちの事件簿にお付き合いいただいてきた読者諸賢であっても、全ての構図を完全に解きほぐすことは難しいだろう。
 なぜなら、今回の《真相》は、ひとりの首謀者の意志が全てを統一的に動かしているわけではないからだ。

 太子様には、太子様の動機が。
 屠自古さんには、屠自古さんの動機が。
 青娥さんには、青娥さんの動機がある。
 それが複雑に絡み合った結果が、あの大祀廟の奇妙な人間関係なのである。

 もしこの困難な出題に挑まんとする読者があるならば、その道しるべとして、私は次の問いかけを記しておこう。
 一、屠自古さんの足がないのはなぜか?
 一、布都さんの記憶が失われているのはなぜか?
 一、青娥さんが太子様に取り入ることで得たものとは何か?
 一、屠自古さんが布都さんよりも青娥さんを嫌っているのはなぜか?

 これらの点を繋いでいった先に、我が相棒の描いた妄想の真実が立ち現れるはずだ。
 その上で、改めて言おう。真実は目の前に堂々と存在している――と。

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この小説へのコメント

  1. 真実は目の前に堂々と存在している、ですか…
    今回の謎も深いですね(要は私の頭じゃ分からないという事)

  2. なんだろう、なんとなく今回の解答は今までで一番エグそう

  3. 3人の思惑が絡みに絡んだ結果…?やはり屠自古の足は何かの贄とされたのか。太子は4番目の妻と魂が混同して女性化した上で尸解仙となったのか。
    色々考察が浮かんできて面白いです。

  4. 屠自古は膳大郎女の魂が正妻の姿を借りて出てきたものだとするとそもそも布都に恨みはなくて愛人の青娥が疎ましかっただけだと説明がつきそう。でも他のことに納得いく解答が得られないですね。

  5. 青娥が物部氏を滅ぼし、太子様に取り入って、屠自古の壺をすり替えた
    理由は…太子様に恋をした(笑)
    太子様を女の姿で仙人として生まれ変わらせれば屠自古や布団が同性の聖徳太子を諦めると思ったが、それに気づいた屠自古は青娥による妨害を受けて亡霊になった
    布都に記憶がないのは、太子様に取り入るために利用したことを後々にわからなくするために青娥に消された

    どうだ! これが誇大妄想だ!(白目)

  6. あれ?
    ①人(死者)
    ②物(依代に使う前)
    ③物(尸解仙化の為に使用中)
    ④尸解仙
    という順番だとしたら、③を誰かが「依代として」使うとどうなるんだ?

  7. 実は聖徳太子は復活してなくて、復活したのは全員その妻達だったりして。
    もしくは、名乗ってる名前が違うとか何とか(

  8. 他はわからないが六話の青娥と屠自古のやりとりからすると芳香の体は今の屠自古の元の体なんじゃなかろうか。=見た目が違うので屠自古は刀自古郎女本人ではない可能性が上がるのだが。

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