―4―
春。幻想郷に得体の知れない霊が満ちた!
……って、このパターンは何度目だ。私たちが幻想郷に来て以来、首を突っ込んだ異変の数は片手の指では足りないが、この記録に残したものでも、この発端は既に三度目である。一度目は幻想郷が花と幽霊だらけになった《六十年周期の大結界異変》、二度目は地底から怨霊が湧き出てきた《怨霊異変》。さらに《春雪異変》も霊絡みといえば霊絡みだし、幽霊は気質と考えれば地震騒動も含められる。さすがに仏の顔もなんとやらと言わざるを得ない。
が、ワンパターンだと文句を言っても仕方ない。普段見ない霊が増えているわけで、異変は異変なのである。
謎の霊が現れたのは人間の里も例外ではない。というかむしろ、里周辺を見て回った慧音さんや小兎姫さんの話によると、里の中の方が多いぐらいであるらしい。里の人々は不安がり、寺子屋は臨時休校。我が探偵事務所にも、閑古鳥の大群を押しのける勢いで、その得体の知れない霊がうようよと漂っていた。
「何なのかしらねえ、この霊」
「また博麗大結界が緩んでるんじゃないの? それか、冥界から漏れてきてるのか。さすがに怨霊ではなさそうだけど……」
事務所内を漂う霊をつついたり払ったりしながら、私たちはそんなことを言い合っていた。
「まあ、普通に考えれば二択よね。大結界が緩んでるか、冥界から漏れてるか。前者なら博麗神社、後者なら白玉楼に行ってみるべきだと思うけど。メリー、どっちがいい?」
「事務所でじっとして霊夢さんの解決を待つっていう選択肢はないの?」
「その前に早苗ちゃんが来ると思うけどね」
つまりどう転んでも、この異変にも首を突っ込むことになるのは確定ということか。私はため息をついて、「じゃあ、早苗さんを待つわ」と答える。
「その心は?」
「少なくとも私たち二人で動くより、早苗さんと三人で動いた方が安全だから」
「堅実ねえ。もっと冒険心を持たなきゃ世界は面白くならないわよ!」
蓮子はそう言って立ち上がり、トレードマークのトレンチコートを手にする。どうやら相棒の中では、既に出発する方向で結論が出ていたらしい。
「早苗ちゃんが来る前に、少し下調べしておきましょ。原因というか発生源に見当がついてれば、早苗ちゃんの異変解決も手早く済むでしょうし」
「……はいはい、所長の意向に従いますわ」
こうなれば止めたって無駄である。私が肩を竦めて立ち上がった、そのとき――。
事務所の戸が叩かれた。見計らったようなタイミングでの来客である。
「あら、早苗ちゃんもう来ちゃったかしら? はいはーい」
蓮子が玄関の戸を開けると――しかし、そこにいたのは見慣れた早苗さんの姿ではなかった。フードをすっぽりと被って顔を隠し、ダウジングロッドを手にした小柄なその影は、顔を隠していても私たちには誰なのか一目瞭然だった。というか前にも、彼女がこの事務所に来たことで事態が動き出したことがあったわけで。
「こんにちは。お邪魔するよ」
中性的なその声とともに、こちらの返事を待たずに事務所に足を踏み入れたその影は、後ろ手に戸を閉めると、フードを外して素顔を露わにした。フードの中から現れる大きなネズミの耳。言うまでもなくナズーリンさんである。
「あらら、これは珍しいお客様ね。ようこそナズっち、我が秘封探偵事務所へ」
「君にナズっちと呼ばれる筋合いはない」
半眼で睨むナズーリンさんに蓮子は笑ってホールドアップし、「それで、どんなご用件かしら?」と首を傾げた。ナズーリンさんは息を吐いて「依頼だ」と短く答える。
「おお! 依頼人よメリー! 何日ぶりかしら?」
「何ヶ月ぶりの間違いじゃないの?」
「いやはや、そういうことでしたらどうぞどうぞ、詳しい話をお伺いしますわ」
猫のような笑みを浮かべてナズーリンさんを促す蓮子。しかしナズーリンさんは玄関先から動こうとせず、その視線を私の方に向けてきた。
「依頼と言っても、宇佐見蓮子、君にじゃない」
「ええ?」
がくっと大げさにつんのめる蓮子に構わず、ナズーリンさんは私を見つめて言った。
「力を貸して欲しいのは、そっちの君の方だ」
「――え、私?」
私は思わず、自分自身を指さして、素っ頓狂な声をあげた。
「君の目を借りたい。あらゆる結界を探知し、ぬえの能力も無効化する君の目を」
ナズーリンさんはそう言って、胸元のペンデュラムを握りしめてため息をついた。
「悔しいが、私の力だけではどうしても入口が探し出せなくてね」
「入口?」
「詳しいことは寺の方で、聖の口から説明する。一緒に命蓮寺に来てくれないか」
「はあ」
いきなりそう言われても、どうしたものか。私が相棒の方に視線をやると、蓮子は帽子の庇を弄りながら、「ははあ――」と声をあげる。
「ナズっち」
「だからナズっちと呼ぶな」
「メリーを連れ出そうとしてる件、この大量の霊と何か関係あるのね?」
「――――」
ナズーリンさんが眉を寄せる。蓮子は我が意を得たりという顔で、にっと笑った。
「ナズっちが探してるのは、ひょっとしてこの霊の発生源かしら? そこで何が起きてるかを調べたいけれど、霊の発生源への入口が見つからないから、高性能結界レーダーたるメリーの目を借りたい――ってことじゃないの?」
「君には関係ないことだ」
にべもなく切り捨てるナズーリンさんに、「心外だわ」と蓮子は肩を竦めた。
「私とメリーは一心同体、ふたりでひとつの秘封倶楽部。メリーの行くところに蓮子さんあり、私のいるところにメリーあり。メリーを連れて行くなら私もセットなのは世界の真理よ」
「勝手に世界の真理を定められても困るんだが」
「何と言われようと私はメリーを離しません!」
と、がばっと抱きついてくる我が相棒。いや、そこは離れてほしい。
「ちょっと蓮子」
「メリーを私から奪おうったってそうはいかないわよ。メリーは私の――いひゃいいひゃい」
頬をつねってやると、相棒は「ふひー」と情けない悲鳴をあげる。ナズーリンさんは呆れたように額に手を当てて「仲が良いのは結構だけどね」と首を振った。
―5―
というわけで、ナズーリンさんに連れられて命蓮寺に向かうことになった。
「……で、その亀はなんだい?」
「うちの探偵事務所の新たなメンバーよ」
「玄爺ですじゃ」
蓮子と私を乗せて宙に浮かんだ玄爺さんの甲羅には、座り心地改善のための座布団がふたつくくりつけてある。それに腰を下ろして、蓮子を前に甲羅にまたがるのが私たちの新しい飛行スタイルである。外の世界で言えばバイクの二人乗りみたいな格好で、蓮子が以前「甲羅にハンドルつけていい?」と玄爺さんに提案して却下されたのは余談。
空飛ぶ亀に乗る私たちに何かツッコミを入れたそうな顔をして、「……いやまあ、何でもいいんだが」と首を振ったナズーリンさんは、「じゃあ、飛んでいくからついてきてくれよ」と里上空に浮かび上がる。私たちも玄爺さんに乗ってその後に続いた。
かくして、やって来たるは里北方の命蓮寺。私たちが上空から参道に降り立つと、「あ、おかえりなさーい!」と元気のいい大声が出迎える。参道を掃除しながら手を振るのは、最近入門したというヤマビコの幽谷響子さんだ。
「ナズーリンさん、聖がお待ちですよ。あ、そちらは確か船長や一輪さんの恩人さん。おはよーございまーす!」
「お、おはよう。相変わらず元気な声ね」
「はい! 命蓮寺の教え第一条、挨拶は心のオアシス!」
ぱたぱたと犬っぽい垂れ耳を揺らし、響子さんは朗らかに笑う。ヤマビコというだけあって、森閑としたお寺には似つかわしくないほど声が大きい。そんな彼女がなんで寺にいるかというと、最近「山彦は音の反射」というデマを誰かが広めたせいで妖怪として存続の危機に陥り、世をはかなんで出家したのだとか。その無邪気な笑顔はとても世をはかなんでいるとは思えないが、まあ妖怪も色々思うことはあるのだろう。
ちなみに我々の名誉と身の安全のために明言しておくが、「山彦は音の反射」という科学世紀的事実に関する情報を広めたのは私や蓮子ではない。響子さんはもともと妖怪の山在住だそうなので、犯人は推して知るべしだが、本人には言わぬが花というものである。
ともかく、響子さんに見送られて私たちは参道を進む。参道にも多くの霊が漂っていて、参拝客の姿は見えなかった。玄爺さんには本堂の外で待ってもらうことにして、本堂に足を踏み入れると、「おかえりなさい」とこの寺の住職である聖白蓮さんが私たちを出迎えた。
「ああ、蓮子さんにメリーさん。ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」
というわけで、本堂の一角に招き入れられ、畳の上に正座して白蓮さんとナズーリンさんに相対する。さて、私を呼びつけたのは白蓮さんのようだが、いったい何の用だろう。
「どうも、わざわざお呼び立てしてすみません」
「あ、いえ……」
「いえいえ、お招きありがとうございます。メリーの目の能力をご所望とのことですが?」
私の横で、相棒が勝手に話を進め出す。まあ、こういう話し合いは蓮子に任せた方が私も気が楽といえば楽なので、出しゃばりの相棒に任せることにした。
「ええ。さて、どこから説明したものでしょうか……」
白蓮さんは頬に手を当てて少し考え、「あの霊はご覧になりましたね?」と切り出した。そういえば、本堂の中には霊の姿が見当たらない。
「外を漂っている霊ですか」
「はい。あれは低俗な欲霊――つまり、人間や妖怪の欲そのものです。広い意味では神霊の一種ですが、これほどはっきりと、誰の目にも大量に見えるようになるのが異常事態であることは、お察しいただけていると思います」
「欲、ですか。あれが神霊の一種なんですか? 幻想郷において幽霊は気質、即ちものの本質の具現化で、それが信仰されたものが神霊――と理解していましたが」
「信仰される前の神霊、つまり神霊の赤ん坊のようなものですね。ですから生まれてすぐ消えてしまうような弱いものです。もちろん、信仰を受ければ立派な神霊にもなり得ますが」
「――ああ、なるほど。信仰の対象として神霊になるのは、その人物の本質そのものというよりも、思想や業績によるイメージの方だということですね。だから個人の有する欲望も、信仰の対象として神霊になり得るという意味で神霊の一種なわけですか」
蓮子は納得して頷く。ちょっと考えて、私にも理解できた。つまり、たとえば『世界を救いたい』とか『社会をより豊かにしたい』といった個人の欲望は、その人物の思想や業績とセットになって信仰の対象となりうるという話だ。故に、あらゆる欲は神霊になり得る。
「欲が神霊だというのは理解できましたし、現状が異常事態だというのもわかりますが、それとメリーの目にどんな関係が?」
「はい。欲霊がこれほどはっきりと目に見えるようになっているということは、幻想郷、特に人間の里周辺で非常に強い欲が発生しているということです」
「強い欲?」
いきなりそう言われても、ピンと来ない。里でこのところ、何かあったっけか。
「メリー、何か覚えある?」
「さあ……春先だから豊作祈願とか? でもそれだと毎年恒例じゃないとおかしいわよね」
首を傾げる私たちに、白蓮さんは頷く。
「おふたりに解らないのは当然です。――その原因は、この寺の地下にあるのですから」
「地下?」
「はい。――そもそも、私が命蓮寺をこの場所に建てたのは、ただ墓地が近かったからではありません。この地下に、強い力の気配を感じたからなのです。何の力かまでははっきりしませんでしたが、正体が掴めるまでは封印しておこうと、この場所に寺を建てたのです」
私たちは顔を見合わせる。――お寺の地下に封印された強い力?
「それは、船長やいっちゃんが封印されていた地底――とは違うんですかね」
「違いますね。妖怪の気配ではありません。むしろ聖性を持った、聖者の気配でした」
「聖者?」
聖人ということか。お寺に封印された聖人というと、高野山で入定した空海あたりが即座に思い浮かぶ。つまり即身仏だろうか。
「聖者なら、わざわざ封印しなくても……」
「いえ、人間の聖者は得てして妖怪の敵になるものですから」
なるほど、命蓮寺は人妖平等主義である。迫害される妖怪を救うのが第一であるから、妖怪の敵は命蓮寺の敵というわけだ。
「そういうわけでして、ここに寺を建ててその聖者を封印しつつ、ナズーリンに正体を探らせていたのです」
「その結果、どうやら聖者の封印されているのはウチの墓地の地下だということまでは解ったんだがね。墓地のどこかに、その封印された本人の居場所へ行くための入口があるはずなんだが、私のダウジングでも、どうしても見つけられないんだ」
脇に控えていたナズーリンさんが話を繋ぎ、白蓮さんがさらに引き継ぐ。
「そうこうしているうちに、この事態です。この欲霊の大量発生は、おそらく封印された聖者の復活が近いということでしょう。聖者の正体は解らずとも、聖者の気配が人間の里に期待を呼び起こし、強い欲を発生させているのです」
――事情は理解した。それで私にお呼びがかかったというわけか。
「ははあ。つまり高性能結界レーダーたる我が相棒の目をもって、その封印された聖者の居場所を突き止めてほしいと」
「そういうことになります」
蓮子の言葉に、白蓮さんが頷く。確かに、私が望んで得た力ではないが、そういうことなら私の得意分野である。どんなに強い結界でも、出入口というのは必ず結界が緩んでいるわけで、私の目はそういう結界のほつれを勝手に見つけ出してしまうのだ。過去の事件簿でもそうして封印内部に潜入したことがあるのをご記憶の読者の方もおられるだろう。
「ただ、先に断っておくが、危険はある。一応私が君たちの護衛につくが、封印を解いたときに何が出てくるかは解らないし、墓地には最近、妙な妖怪が現れるようになった。封印を解こうとすると、そいつが襲ってくるかもしれない」
「妙な妖怪? 唐傘お化けとかですか」
「小傘のことかい? それとは別だよ。もっと人間に対して危険な妖怪だ。おかげで人間の墓参りをこの数日制限しないといけなくなっててね」
「本当は、私が直接動ければいいのですが……」
白蓮さんが困り顔で頬に手を当てる。
「聖は既にここに寺を建てた主犯だ。その上で命蓮寺が聖者の復活をこれ以上明確に妨害すると、聖者の復活を阻止できなかったとき、相手次第では全面戦争になりかねない。だから、寺の住人じゃない私が動いているわけなんだよ」
そういえば、ナズーリンさんは寺の外に住んでいるのだっけ。船長がそんなことを言っていた記憶があるが――寺を離れて遊軍めいた立ち位置にいるのは、そのためだったのか?
「それで、部外者の私たちに声が掛かったわけですね。なるほど、話は理解しました」
腕を組んで蓮子は頷く。白蓮さんをここまで警戒させるとは、この寺の地下にいったいどんな聖者が封印されているというのだろう。余程の有名人だろうか。それこそ本当に、高野山で入定した空海本人が出てくるなんてこともあり得ない話ではないわけで。
「もちろん報酬ははずむよ。君たちに危険が及ばないよう、私も全力を尽くす」
「ムラサと一輪の恩人であるお二人に、このような危険なお願いをするのは大変心苦しいのですが……どうかお力をお貸し願えませんでしょうか」
そう言って頭を下げた白蓮さんに、蓮子は慌てて「頭を上げてください」と両手を振った。
「他ならぬ聖のご依頼とあらば、微力を尽くさせていただきますわ」
「尽くすのは私でしょ。勝手に決めないでよ」
「あらメリー、聖が頭を下げて私たちにお願いしてるのよ。無碍にするの?」
「……断るとは言ってないでしょ。いつもお世話になってますし、力になれることであれば協力いたします」
私がそう答えると、白蓮さんは「ありがとうございます、南無三」と合掌して拝む。拝まれてしまった私は、どうしたものかしら、とこっそりため息をついた。
―6―
昼間の墓地は不気味というより静謐な弔いの空間という印象が強いが、そこに霊が大量に漂っていれば話は別である。低俗な欲霊と言われても、墓地で見るとまるで人魂だ。
命蓮寺裏の墓地。ナズーリンさんを先頭に、私と蓮子は玄爺さんを従えて、並び立つ墓石の間を進む。命蓮寺ができる前は荒れ果てていたこの墓地も、今ではすっかり綺麗になった。それはいいのだが、墓石の周囲を霊が飛んでいる様はやはり気味が悪い。
「霊が多くなってるわね」
「地下の聖人の気配に惹かれて集まってきてるんだろう」
蓮子の言葉に、ナズーリンさんが答える。道理で、人気のないのに霊ばかりうようよしているわけだ。墓場らしいといえばこれ以上墓場らしい光景もないかもしれない。
「どう、メリー? 結界のほつれとか見える?」
「ううん、霊が邪魔でよくわからないけど……」
一応依頼を受けたのは私であるので、私は墓地の隅々に視線を巡らすが、それらしき結界のほつれめいたものは見当たらない。まあ、そう簡単に見つかるようならナズーリンさんだってそう苦労はしないだろう。
そんなことを考えていると、近くの墓石の裏から物音。そして、そこから怪しい影が、
「う〜ら〜め〜し〜ごふっ」
飛び出してきた影は、次の瞬間にナズーリンさんのダウジングロッドでその足を払われ、見事にバランスを崩して、そのまま墓石に頭をぶつけた。痛そうである。
「う、うぐぐぐ……」
「……何だ、君か」
ぶつけた後頭部を押さえ、涙目でしゃがみ込んだその姿は、見覚えのある古臭いなすび色の傘。唐傘お化けの多々良小傘さんだ。ナズーリンさんは呆れ顔で彼女を見下ろす。
「な、何するの! 私はただ久々に人間が来たから驚かそうとしただけなのにい」
「生憎、今日の私はその人間の護衛でね」
「あら、小傘ちゃんじゃない。あれからどう? 人間を驚かせてる?」
「あ、この墓地を教えてくれた人間じゃないのさ。まあ、ぼちぼち……」
そういえば以前、相棒は小傘さんに人間を驚かせるコツとしてこの墓地を紹介していたっけ。そのアドバイス通り、彼女はこの墓地を縄張りにしているらしい。
「っていうか、今わちきピンチなんですけど!」
「あら、どうしたの?」
「いや、なんか見たことない奴が縄張りに現れて、何かの番をしててさあ。追い払おうとしたんだけど、こっちが攻撃しても全然効いてなくて……」
「ナズっちの言ってた危険な妖怪かしら」
「だからナズっちと……。おそらく、そうだろうね」
「なんとかしてよお。せっかくのわちきの居場所がぁ〜〜〜」
何やら今日はよく頼まれごとをされる日である。探偵事務所としては本懐と言うべきか。
「ここで番をしてるってことは、その妖怪のいるところに入口がある可能性が高いわね」
「それは私も解っている。ただ、あいつは手強くてなかなか手を出しにくいんだ。そこでまず、君に入口の場所を特定してほしい。そうすればあいつをそこから引き離すぐらいは出来る」
ナズーリンさんが私の方を振り返って言う。そういう作戦か。戦いに巻き込まれずに済むなら、こちらとしてはそれに越したことはない。
「……善処します」
「頼んだよ」
「ところでナズっち、その妖怪ってどんな妖怪なの?」
蓮子がそう問うと、呼び名に文句を言うのも疲れたのか、ナズーリンさんはため息交じりに一言、こう答えた。
「たぶん、見れば解るよ」
で、言われた通りにその妖怪の姿を見た結果。
「……キョンシー?」
「キョンシーね、明らかに」
確かに一目瞭然だった。前方へ真っ直ぐ伸ばされた腕、額に貼られたお札、中華風の衣装。どう見ても、中国のゾンビことキョンシーの姿である。ゾンビにしては血色がいいが。
この場に早苗さんが居たら何と言っただろう、というのはさておき、私たちは墓石の影からそのキョンシーの様子を伺っていた。キョンシーは墓石の日陰になった場所に佇んだまま微動だにしない。目も閉じているので、寝ているようにしか見えない。
「……寝てるんじゃないの? まだ昼だし」
「近付けば起きる。あいつの近くに入口があるはずだ。見えないか?」
ナズーリンさんに言われ、私は目を凝らす。確かに、キョンシーのいるあたりに強い結界の気配があった。墓地の地下に何かが封じられているというのは確からしい……。
――見えた。結界の僅かな揺らぎ。微かにほつれた部分がある。
「あそこです。キョンシーの右斜め後ろの墓石……たぶん、あのあたり」
「……本当に解るのか。ぬえから聞いてはいたが、凄いな」
感心したようにナズーリンさんは言い、「よし」と私たちに向き直る。
「私が奴を引きつけるから、君たちはその隙に正確な場所を――」
「せっかくだから起こしてみたいわねえ。おーい」
ナズーリンさんをガン無視して、蓮子は堂々と墓石の陰から姿を現し、キョンシーに近付く。呆気にとられて制止する暇もなかったのは、私もナズーリンさんも一緒だった。
蓮子の声に反応したのか、キョンシーの少女がその目を開けてこちらを振り向く。
「ちーかよーるなー!」
そして、蓮子に向けて大きな声を張り上げた。
「これから先はお前達が入って良い場所ではない!」
「あら、そうなの? ごめんなさい、知らなくて」
「お前は墓参りに来た人間か?」
「そうなの。貴方は?」
「我々は崇高な霊廟を守るために生み出されたキョンシーである」
我々? 仲間がいるのだろうか。この近くには見当たらないが……。
「あらあら、これはこれは、ご高名はかねがね」
「そうだ、判ったらここから去れ。もしくは仲間になれ」
「えーと、キョンシーの仲間じゃなくて、その崇高な霊廟の中におられる方とお知り合いになりたいのだけれど。霊廟の中に入れていただけないかしら?」
「おお? ならば通れー。あれ、通していいんだっけ? お前は寺の連中か?」
「命蓮寺とは関係ない里の人間よ。寺の人間だったらダメなの?」
「我々はこの辺をお寺の連中から護るために甦ったのだ! お前も仲間になれ!」
ぐわっ、と大きな口を開けて、キョンシーは飛び跳ねるように蓮子に飛びかかる!
――が、墓石の日陰から一歩出た瞬間、「ぐあー」と呻き声をあげて倒れこんだ。
「日光がー、あついぞー」
「まだお昼だからねえ」
「ぐおー。夜まで寝るぞー」
「はいはい、こっちの方が日陰が広いわよ」
「おおー、助かったぞ。二十二時になったら起こしてね」
「おやすみ」
蓮子に促され、キョンシーはその場を離れて木陰に移動し、再び目を閉じて動かなくなった。蓮子は肩を竦め、それから私たちを振り返って手招きする。
「うまくいったわよ」
「……何なんだ君は。命知らずにも程があるだろう」
「蓮子は恐怖という感情が根本的に欠落してる節があるので……」
唖然とした顔のナズーリンさんに、私はため息交じりに答える。全く、この相棒の無謀っぷりは今に始まったことではないが、やっぱり色々人間として問題がある気がしてならない。
「キョンシーに噛まれた人間はキョンシーになるんだぞ。解ってるのか?」
「話が通じる相手なら何とかなるわよ。交渉人ですから」
交渉を成功させたことなどロクにないくせに、よく言うものだ。
「……まあ、あいつは大人しくなったようだし、今のうちに入口を探そう」
というわけで、私が先頭に立って結界の緩みを探る。結界の緩みは、やはりキョンシーが佇んでいたすぐ後ろの墓石に覆い被さるように生じていた。結界の出入口なのは間違いない。
「メリー、このお墓の下?」
「じゃないかと思うけど……」
「墓石をどかせばいいのかな。力仕事になるが」
ナズーリンさんが言うが、そういう力業で発見できる結界の入口ではあるまい。
こういうときは、とりあえず過去の事例に倣うべきではないだろうか。
「蓮子、覚えてる? 蓮台野で墓荒らしをしたときのこと」
「うん? 随分懐かしい話ね。――ああ、あのときと同じ方法試してみる?」
「やってみる価値はあると思うわ」
――それは、まだ私たちが外の世界にいた頃。蓮子と知り合って間も無い頃の思い出だ。サークル活動として、京都の蓮台野に結界探索に出た私たちは、そこで冥界の桜を視た。
そのとき私がやった、境界を開く方法が、これだ。
「いくわよ、蓮子」
「二人でやるの? まあいいけど。せーの!」
私と蓮子は二人で墓石を抱えるようにして、その墓石を、四分の一回転させた――。
春。幻想郷に得体の知れない霊が満ちた!
……って、このパターンは何度目だ。私たちが幻想郷に来て以来、首を突っ込んだ異変の数は片手の指では足りないが、この記録に残したものでも、この発端は既に三度目である。一度目は幻想郷が花と幽霊だらけになった《六十年周期の大結界異変》、二度目は地底から怨霊が湧き出てきた《怨霊異変》。さらに《春雪異変》も霊絡みといえば霊絡みだし、幽霊は気質と考えれば地震騒動も含められる。さすがに仏の顔もなんとやらと言わざるを得ない。
が、ワンパターンだと文句を言っても仕方ない。普段見ない霊が増えているわけで、異変は異変なのである。
謎の霊が現れたのは人間の里も例外ではない。というかむしろ、里周辺を見て回った慧音さんや小兎姫さんの話によると、里の中の方が多いぐらいであるらしい。里の人々は不安がり、寺子屋は臨時休校。我が探偵事務所にも、閑古鳥の大群を押しのける勢いで、その得体の知れない霊がうようよと漂っていた。
「何なのかしらねえ、この霊」
「また博麗大結界が緩んでるんじゃないの? それか、冥界から漏れてきてるのか。さすがに怨霊ではなさそうだけど……」
事務所内を漂う霊をつついたり払ったりしながら、私たちはそんなことを言い合っていた。
「まあ、普通に考えれば二択よね。大結界が緩んでるか、冥界から漏れてるか。前者なら博麗神社、後者なら白玉楼に行ってみるべきだと思うけど。メリー、どっちがいい?」
「事務所でじっとして霊夢さんの解決を待つっていう選択肢はないの?」
「その前に早苗ちゃんが来ると思うけどね」
つまりどう転んでも、この異変にも首を突っ込むことになるのは確定ということか。私はため息をついて、「じゃあ、早苗さんを待つわ」と答える。
「その心は?」
「少なくとも私たち二人で動くより、早苗さんと三人で動いた方が安全だから」
「堅実ねえ。もっと冒険心を持たなきゃ世界は面白くならないわよ!」
蓮子はそう言って立ち上がり、トレードマークのトレンチコートを手にする。どうやら相棒の中では、既に出発する方向で結論が出ていたらしい。
「早苗ちゃんが来る前に、少し下調べしておきましょ。原因というか発生源に見当がついてれば、早苗ちゃんの異変解決も手早く済むでしょうし」
「……はいはい、所長の意向に従いますわ」
こうなれば止めたって無駄である。私が肩を竦めて立ち上がった、そのとき――。
事務所の戸が叩かれた。見計らったようなタイミングでの来客である。
「あら、早苗ちゃんもう来ちゃったかしら? はいはーい」
蓮子が玄関の戸を開けると――しかし、そこにいたのは見慣れた早苗さんの姿ではなかった。フードをすっぽりと被って顔を隠し、ダウジングロッドを手にした小柄なその影は、顔を隠していても私たちには誰なのか一目瞭然だった。というか前にも、彼女がこの事務所に来たことで事態が動き出したことがあったわけで。
「こんにちは。お邪魔するよ」
中性的なその声とともに、こちらの返事を待たずに事務所に足を踏み入れたその影は、後ろ手に戸を閉めると、フードを外して素顔を露わにした。フードの中から現れる大きなネズミの耳。言うまでもなくナズーリンさんである。
「あらら、これは珍しいお客様ね。ようこそナズっち、我が秘封探偵事務所へ」
「君にナズっちと呼ばれる筋合いはない」
半眼で睨むナズーリンさんに蓮子は笑ってホールドアップし、「それで、どんなご用件かしら?」と首を傾げた。ナズーリンさんは息を吐いて「依頼だ」と短く答える。
「おお! 依頼人よメリー! 何日ぶりかしら?」
「何ヶ月ぶりの間違いじゃないの?」
「いやはや、そういうことでしたらどうぞどうぞ、詳しい話をお伺いしますわ」
猫のような笑みを浮かべてナズーリンさんを促す蓮子。しかしナズーリンさんは玄関先から動こうとせず、その視線を私の方に向けてきた。
「依頼と言っても、宇佐見蓮子、君にじゃない」
「ええ?」
がくっと大げさにつんのめる蓮子に構わず、ナズーリンさんは私を見つめて言った。
「力を貸して欲しいのは、そっちの君の方だ」
「――え、私?」
私は思わず、自分自身を指さして、素っ頓狂な声をあげた。
「君の目を借りたい。あらゆる結界を探知し、ぬえの能力も無効化する君の目を」
ナズーリンさんはそう言って、胸元のペンデュラムを握りしめてため息をついた。
「悔しいが、私の力だけではどうしても入口が探し出せなくてね」
「入口?」
「詳しいことは寺の方で、聖の口から説明する。一緒に命蓮寺に来てくれないか」
「はあ」
いきなりそう言われても、どうしたものか。私が相棒の方に視線をやると、蓮子は帽子の庇を弄りながら、「ははあ――」と声をあげる。
「ナズっち」
「だからナズっちと呼ぶな」
「メリーを連れ出そうとしてる件、この大量の霊と何か関係あるのね?」
「――――」
ナズーリンさんが眉を寄せる。蓮子は我が意を得たりという顔で、にっと笑った。
「ナズっちが探してるのは、ひょっとしてこの霊の発生源かしら? そこで何が起きてるかを調べたいけれど、霊の発生源への入口が見つからないから、高性能結界レーダーたるメリーの目を借りたい――ってことじゃないの?」
「君には関係ないことだ」
にべもなく切り捨てるナズーリンさんに、「心外だわ」と蓮子は肩を竦めた。
「私とメリーは一心同体、ふたりでひとつの秘封倶楽部。メリーの行くところに蓮子さんあり、私のいるところにメリーあり。メリーを連れて行くなら私もセットなのは世界の真理よ」
「勝手に世界の真理を定められても困るんだが」
「何と言われようと私はメリーを離しません!」
と、がばっと抱きついてくる我が相棒。いや、そこは離れてほしい。
「ちょっと蓮子」
「メリーを私から奪おうったってそうはいかないわよ。メリーは私の――いひゃいいひゃい」
頬をつねってやると、相棒は「ふひー」と情けない悲鳴をあげる。ナズーリンさんは呆れたように額に手を当てて「仲が良いのは結構だけどね」と首を振った。
―5―
というわけで、ナズーリンさんに連れられて命蓮寺に向かうことになった。
「……で、その亀はなんだい?」
「うちの探偵事務所の新たなメンバーよ」
「玄爺ですじゃ」
蓮子と私を乗せて宙に浮かんだ玄爺さんの甲羅には、座り心地改善のための座布団がふたつくくりつけてある。それに腰を下ろして、蓮子を前に甲羅にまたがるのが私たちの新しい飛行スタイルである。外の世界で言えばバイクの二人乗りみたいな格好で、蓮子が以前「甲羅にハンドルつけていい?」と玄爺さんに提案して却下されたのは余談。
空飛ぶ亀に乗る私たちに何かツッコミを入れたそうな顔をして、「……いやまあ、何でもいいんだが」と首を振ったナズーリンさんは、「じゃあ、飛んでいくからついてきてくれよ」と里上空に浮かび上がる。私たちも玄爺さんに乗ってその後に続いた。
かくして、やって来たるは里北方の命蓮寺。私たちが上空から参道に降り立つと、「あ、おかえりなさーい!」と元気のいい大声が出迎える。参道を掃除しながら手を振るのは、最近入門したというヤマビコの幽谷響子さんだ。
「ナズーリンさん、聖がお待ちですよ。あ、そちらは確か船長や一輪さんの恩人さん。おはよーございまーす!」
「お、おはよう。相変わらず元気な声ね」
「はい! 命蓮寺の教え第一条、挨拶は心のオアシス!」
ぱたぱたと犬っぽい垂れ耳を揺らし、響子さんは朗らかに笑う。ヤマビコというだけあって、森閑としたお寺には似つかわしくないほど声が大きい。そんな彼女がなんで寺にいるかというと、最近「山彦は音の反射」というデマを誰かが広めたせいで妖怪として存続の危機に陥り、世をはかなんで出家したのだとか。その無邪気な笑顔はとても世をはかなんでいるとは思えないが、まあ妖怪も色々思うことはあるのだろう。
ちなみに我々の名誉と身の安全のために明言しておくが、「山彦は音の反射」という科学世紀的事実に関する情報を広めたのは私や蓮子ではない。響子さんはもともと妖怪の山在住だそうなので、犯人は推して知るべしだが、本人には言わぬが花というものである。
ともかく、響子さんに見送られて私たちは参道を進む。参道にも多くの霊が漂っていて、参拝客の姿は見えなかった。玄爺さんには本堂の外で待ってもらうことにして、本堂に足を踏み入れると、「おかえりなさい」とこの寺の住職である聖白蓮さんが私たちを出迎えた。
「ああ、蓮子さんにメリーさん。ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」
というわけで、本堂の一角に招き入れられ、畳の上に正座して白蓮さんとナズーリンさんに相対する。さて、私を呼びつけたのは白蓮さんのようだが、いったい何の用だろう。
「どうも、わざわざお呼び立てしてすみません」
「あ、いえ……」
「いえいえ、お招きありがとうございます。メリーの目の能力をご所望とのことですが?」
私の横で、相棒が勝手に話を進め出す。まあ、こういう話し合いは蓮子に任せた方が私も気が楽といえば楽なので、出しゃばりの相棒に任せることにした。
「ええ。さて、どこから説明したものでしょうか……」
白蓮さんは頬に手を当てて少し考え、「あの霊はご覧になりましたね?」と切り出した。そういえば、本堂の中には霊の姿が見当たらない。
「外を漂っている霊ですか」
「はい。あれは低俗な欲霊――つまり、人間や妖怪の欲そのものです。広い意味では神霊の一種ですが、これほどはっきりと、誰の目にも大量に見えるようになるのが異常事態であることは、お察しいただけていると思います」
「欲、ですか。あれが神霊の一種なんですか? 幻想郷において幽霊は気質、即ちものの本質の具現化で、それが信仰されたものが神霊――と理解していましたが」
「信仰される前の神霊、つまり神霊の赤ん坊のようなものですね。ですから生まれてすぐ消えてしまうような弱いものです。もちろん、信仰を受ければ立派な神霊にもなり得ますが」
「――ああ、なるほど。信仰の対象として神霊になるのは、その人物の本質そのものというよりも、思想や業績によるイメージの方だということですね。だから個人の有する欲望も、信仰の対象として神霊になり得るという意味で神霊の一種なわけですか」
蓮子は納得して頷く。ちょっと考えて、私にも理解できた。つまり、たとえば『世界を救いたい』とか『社会をより豊かにしたい』といった個人の欲望は、その人物の思想や業績とセットになって信仰の対象となりうるという話だ。故に、あらゆる欲は神霊になり得る。
「欲が神霊だというのは理解できましたし、現状が異常事態だというのもわかりますが、それとメリーの目にどんな関係が?」
「はい。欲霊がこれほどはっきりと目に見えるようになっているということは、幻想郷、特に人間の里周辺で非常に強い欲が発生しているということです」
「強い欲?」
いきなりそう言われても、ピンと来ない。里でこのところ、何かあったっけか。
「メリー、何か覚えある?」
「さあ……春先だから豊作祈願とか? でもそれだと毎年恒例じゃないとおかしいわよね」
首を傾げる私たちに、白蓮さんは頷く。
「おふたりに解らないのは当然です。――その原因は、この寺の地下にあるのですから」
「地下?」
「はい。――そもそも、私が命蓮寺をこの場所に建てたのは、ただ墓地が近かったからではありません。この地下に、強い力の気配を感じたからなのです。何の力かまでははっきりしませんでしたが、正体が掴めるまでは封印しておこうと、この場所に寺を建てたのです」
私たちは顔を見合わせる。――お寺の地下に封印された強い力?
「それは、船長やいっちゃんが封印されていた地底――とは違うんですかね」
「違いますね。妖怪の気配ではありません。むしろ聖性を持った、聖者の気配でした」
「聖者?」
聖人ということか。お寺に封印された聖人というと、高野山で入定した空海あたりが即座に思い浮かぶ。つまり即身仏だろうか。
「聖者なら、わざわざ封印しなくても……」
「いえ、人間の聖者は得てして妖怪の敵になるものですから」
なるほど、命蓮寺は人妖平等主義である。迫害される妖怪を救うのが第一であるから、妖怪の敵は命蓮寺の敵というわけだ。
「そういうわけでして、ここに寺を建ててその聖者を封印しつつ、ナズーリンに正体を探らせていたのです」
「その結果、どうやら聖者の封印されているのはウチの墓地の地下だということまでは解ったんだがね。墓地のどこかに、その封印された本人の居場所へ行くための入口があるはずなんだが、私のダウジングでも、どうしても見つけられないんだ」
脇に控えていたナズーリンさんが話を繋ぎ、白蓮さんがさらに引き継ぐ。
「そうこうしているうちに、この事態です。この欲霊の大量発生は、おそらく封印された聖者の復活が近いということでしょう。聖者の正体は解らずとも、聖者の気配が人間の里に期待を呼び起こし、強い欲を発生させているのです」
――事情は理解した。それで私にお呼びがかかったというわけか。
「ははあ。つまり高性能結界レーダーたる我が相棒の目をもって、その封印された聖者の居場所を突き止めてほしいと」
「そういうことになります」
蓮子の言葉に、白蓮さんが頷く。確かに、私が望んで得た力ではないが、そういうことなら私の得意分野である。どんなに強い結界でも、出入口というのは必ず結界が緩んでいるわけで、私の目はそういう結界のほつれを勝手に見つけ出してしまうのだ。過去の事件簿でもそうして封印内部に潜入したことがあるのをご記憶の読者の方もおられるだろう。
「ただ、先に断っておくが、危険はある。一応私が君たちの護衛につくが、封印を解いたときに何が出てくるかは解らないし、墓地には最近、妙な妖怪が現れるようになった。封印を解こうとすると、そいつが襲ってくるかもしれない」
「妙な妖怪? 唐傘お化けとかですか」
「小傘のことかい? それとは別だよ。もっと人間に対して危険な妖怪だ。おかげで人間の墓参りをこの数日制限しないといけなくなっててね」
「本当は、私が直接動ければいいのですが……」
白蓮さんが困り顔で頬に手を当てる。
「聖は既にここに寺を建てた主犯だ。その上で命蓮寺が聖者の復活をこれ以上明確に妨害すると、聖者の復活を阻止できなかったとき、相手次第では全面戦争になりかねない。だから、寺の住人じゃない私が動いているわけなんだよ」
そういえば、ナズーリンさんは寺の外に住んでいるのだっけ。船長がそんなことを言っていた記憶があるが――寺を離れて遊軍めいた立ち位置にいるのは、そのためだったのか?
「それで、部外者の私たちに声が掛かったわけですね。なるほど、話は理解しました」
腕を組んで蓮子は頷く。白蓮さんをここまで警戒させるとは、この寺の地下にいったいどんな聖者が封印されているというのだろう。余程の有名人だろうか。それこそ本当に、高野山で入定した空海本人が出てくるなんてこともあり得ない話ではないわけで。
「もちろん報酬ははずむよ。君たちに危険が及ばないよう、私も全力を尽くす」
「ムラサと一輪の恩人であるお二人に、このような危険なお願いをするのは大変心苦しいのですが……どうかお力をお貸し願えませんでしょうか」
そう言って頭を下げた白蓮さんに、蓮子は慌てて「頭を上げてください」と両手を振った。
「他ならぬ聖のご依頼とあらば、微力を尽くさせていただきますわ」
「尽くすのは私でしょ。勝手に決めないでよ」
「あらメリー、聖が頭を下げて私たちにお願いしてるのよ。無碍にするの?」
「……断るとは言ってないでしょ。いつもお世話になってますし、力になれることであれば協力いたします」
私がそう答えると、白蓮さんは「ありがとうございます、南無三」と合掌して拝む。拝まれてしまった私は、どうしたものかしら、とこっそりため息をついた。
―6―
昼間の墓地は不気味というより静謐な弔いの空間という印象が強いが、そこに霊が大量に漂っていれば話は別である。低俗な欲霊と言われても、墓地で見るとまるで人魂だ。
命蓮寺裏の墓地。ナズーリンさんを先頭に、私と蓮子は玄爺さんを従えて、並び立つ墓石の間を進む。命蓮寺ができる前は荒れ果てていたこの墓地も、今ではすっかり綺麗になった。それはいいのだが、墓石の周囲を霊が飛んでいる様はやはり気味が悪い。
「霊が多くなってるわね」
「地下の聖人の気配に惹かれて集まってきてるんだろう」
蓮子の言葉に、ナズーリンさんが答える。道理で、人気のないのに霊ばかりうようよしているわけだ。墓場らしいといえばこれ以上墓場らしい光景もないかもしれない。
「どう、メリー? 結界のほつれとか見える?」
「ううん、霊が邪魔でよくわからないけど……」
一応依頼を受けたのは私であるので、私は墓地の隅々に視線を巡らすが、それらしき結界のほつれめいたものは見当たらない。まあ、そう簡単に見つかるようならナズーリンさんだってそう苦労はしないだろう。
そんなことを考えていると、近くの墓石の裏から物音。そして、そこから怪しい影が、
「う〜ら〜め〜し〜ごふっ」
飛び出してきた影は、次の瞬間にナズーリンさんのダウジングロッドでその足を払われ、見事にバランスを崩して、そのまま墓石に頭をぶつけた。痛そうである。
「う、うぐぐぐ……」
「……何だ、君か」
ぶつけた後頭部を押さえ、涙目でしゃがみ込んだその姿は、見覚えのある古臭いなすび色の傘。唐傘お化けの多々良小傘さんだ。ナズーリンさんは呆れ顔で彼女を見下ろす。
「な、何するの! 私はただ久々に人間が来たから驚かそうとしただけなのにい」
「生憎、今日の私はその人間の護衛でね」
「あら、小傘ちゃんじゃない。あれからどう? 人間を驚かせてる?」
「あ、この墓地を教えてくれた人間じゃないのさ。まあ、ぼちぼち……」
そういえば以前、相棒は小傘さんに人間を驚かせるコツとしてこの墓地を紹介していたっけ。そのアドバイス通り、彼女はこの墓地を縄張りにしているらしい。
「っていうか、今わちきピンチなんですけど!」
「あら、どうしたの?」
「いや、なんか見たことない奴が縄張りに現れて、何かの番をしててさあ。追い払おうとしたんだけど、こっちが攻撃しても全然効いてなくて……」
「ナズっちの言ってた危険な妖怪かしら」
「だからナズっちと……。おそらく、そうだろうね」
「なんとかしてよお。せっかくのわちきの居場所がぁ〜〜〜」
何やら今日はよく頼まれごとをされる日である。探偵事務所としては本懐と言うべきか。
「ここで番をしてるってことは、その妖怪のいるところに入口がある可能性が高いわね」
「それは私も解っている。ただ、あいつは手強くてなかなか手を出しにくいんだ。そこでまず、君に入口の場所を特定してほしい。そうすればあいつをそこから引き離すぐらいは出来る」
ナズーリンさんが私の方を振り返って言う。そういう作戦か。戦いに巻き込まれずに済むなら、こちらとしてはそれに越したことはない。
「……善処します」
「頼んだよ」
「ところでナズっち、その妖怪ってどんな妖怪なの?」
蓮子がそう問うと、呼び名に文句を言うのも疲れたのか、ナズーリンさんはため息交じりに一言、こう答えた。
「たぶん、見れば解るよ」
で、言われた通りにその妖怪の姿を見た結果。
「……キョンシー?」
「キョンシーね、明らかに」
確かに一目瞭然だった。前方へ真っ直ぐ伸ばされた腕、額に貼られたお札、中華風の衣装。どう見ても、中国のゾンビことキョンシーの姿である。ゾンビにしては血色がいいが。
この場に早苗さんが居たら何と言っただろう、というのはさておき、私たちは墓石の影からそのキョンシーの様子を伺っていた。キョンシーは墓石の日陰になった場所に佇んだまま微動だにしない。目も閉じているので、寝ているようにしか見えない。
「……寝てるんじゃないの? まだ昼だし」
「近付けば起きる。あいつの近くに入口があるはずだ。見えないか?」
ナズーリンさんに言われ、私は目を凝らす。確かに、キョンシーのいるあたりに強い結界の気配があった。墓地の地下に何かが封じられているというのは確からしい……。
――見えた。結界の僅かな揺らぎ。微かにほつれた部分がある。
「あそこです。キョンシーの右斜め後ろの墓石……たぶん、あのあたり」
「……本当に解るのか。ぬえから聞いてはいたが、凄いな」
感心したようにナズーリンさんは言い、「よし」と私たちに向き直る。
「私が奴を引きつけるから、君たちはその隙に正確な場所を――」
「せっかくだから起こしてみたいわねえ。おーい」
ナズーリンさんをガン無視して、蓮子は堂々と墓石の陰から姿を現し、キョンシーに近付く。呆気にとられて制止する暇もなかったのは、私もナズーリンさんも一緒だった。
蓮子の声に反応したのか、キョンシーの少女がその目を開けてこちらを振り向く。
「ちーかよーるなー!」
そして、蓮子に向けて大きな声を張り上げた。
「これから先はお前達が入って良い場所ではない!」
「あら、そうなの? ごめんなさい、知らなくて」
「お前は墓参りに来た人間か?」
「そうなの。貴方は?」
「我々は崇高な霊廟を守るために生み出されたキョンシーである」
我々? 仲間がいるのだろうか。この近くには見当たらないが……。
「あらあら、これはこれは、ご高名はかねがね」
「そうだ、判ったらここから去れ。もしくは仲間になれ」
「えーと、キョンシーの仲間じゃなくて、その崇高な霊廟の中におられる方とお知り合いになりたいのだけれど。霊廟の中に入れていただけないかしら?」
「おお? ならば通れー。あれ、通していいんだっけ? お前は寺の連中か?」
「命蓮寺とは関係ない里の人間よ。寺の人間だったらダメなの?」
「我々はこの辺をお寺の連中から護るために甦ったのだ! お前も仲間になれ!」
ぐわっ、と大きな口を開けて、キョンシーは飛び跳ねるように蓮子に飛びかかる!
――が、墓石の日陰から一歩出た瞬間、「ぐあー」と呻き声をあげて倒れこんだ。
「日光がー、あついぞー」
「まだお昼だからねえ」
「ぐおー。夜まで寝るぞー」
「はいはい、こっちの方が日陰が広いわよ」
「おおー、助かったぞ。二十二時になったら起こしてね」
「おやすみ」
蓮子に促され、キョンシーはその場を離れて木陰に移動し、再び目を閉じて動かなくなった。蓮子は肩を竦め、それから私たちを振り返って手招きする。
「うまくいったわよ」
「……何なんだ君は。命知らずにも程があるだろう」
「蓮子は恐怖という感情が根本的に欠落してる節があるので……」
唖然とした顔のナズーリンさんに、私はため息交じりに答える。全く、この相棒の無謀っぷりは今に始まったことではないが、やっぱり色々人間として問題がある気がしてならない。
「キョンシーに噛まれた人間はキョンシーになるんだぞ。解ってるのか?」
「話が通じる相手なら何とかなるわよ。交渉人ですから」
交渉を成功させたことなどロクにないくせに、よく言うものだ。
「……まあ、あいつは大人しくなったようだし、今のうちに入口を探そう」
というわけで、私が先頭に立って結界の緩みを探る。結界の緩みは、やはりキョンシーが佇んでいたすぐ後ろの墓石に覆い被さるように生じていた。結界の出入口なのは間違いない。
「メリー、このお墓の下?」
「じゃないかと思うけど……」
「墓石をどかせばいいのかな。力仕事になるが」
ナズーリンさんが言うが、そういう力業で発見できる結界の入口ではあるまい。
こういうときは、とりあえず過去の事例に倣うべきではないだろうか。
「蓮子、覚えてる? 蓮台野で墓荒らしをしたときのこと」
「うん? 随分懐かしい話ね。――ああ、あのときと同じ方法試してみる?」
「やってみる価値はあると思うわ」
――それは、まだ私たちが外の世界にいた頃。蓮子と知り合って間も無い頃の思い出だ。サークル活動として、京都の蓮台野に結界探索に出た私たちは、そこで冥界の桜を視た。
そのとき私がやった、境界を開く方法が、これだ。
「いくわよ、蓮子」
「二人でやるの? まあいいけど。せーの!」
私と蓮子は二人で墓石を抱えるようにして、その墓石を、四分の一回転させた――。
第11章 神霊廟編 一覧
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神霊廟は未プレイなので今までと違ってどうなるのかわからないからハラハラドキドキ😍
蓮台野の経験がここで生かされるのですね。繋ぎかたが見事です。
入口の先に飲み込まれるのかそれとも…次回が楽しみです。
キマァシッッッッ!!!!、
にゃんにゃんが蓮子やメリーの目にどう映るかが楽しみ
また神霊異変?と思ったら、他に見てる小説もその辺りだから記憶が混合してるだけだった(笑)
霊夢や魔理沙、早苗などまだ誰も来てないけど、また説教なり呆れられるんだろうな〜
墓荒らしなのは否定しないのね……
ううううん芳香ちゃんが可愛すぎるぅぅぅ