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こちら秘封探偵事務所第5章 花映塚編   花映塚編 第5話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第5章 花映塚編

公開日:2016年10月01日 / 最終更新日:2016年10月03日

花映塚編 第5話


―13―


 ――とまあ、そんな気恥ずかしい話は置いておいて、話は翌日に飛ぶ。
「メリー、やっぱり稗田邸にもう一回行くわよ」
 一夜明けて、朝ご飯を食べながら、蓮子はそんなことを言いだした。
 私はお漬け物を囓りながら、相棒の顔を見つめる。稗田邸にまだ何か用があるのか?
「阿求さんのところ? 今回の異変の話は昨日全部聞いたじゃない」
「全部じゃないわよ。昨日から考えてたんだけど、改めて大前提を確認する必要があるわ」
「大前提って?」
「幽霊について、よ」
 そういえば、昨日稗田邸に行く前に、蓮子はそんなことを言っていたっけ。
「昨日、それを確かめそびれたのは失敗だったわ。あのとき突っ込んでおかないといけない話だったのに。この大前提次第で、昨日の私の推理は全部ひっくり返るのよ」
「どういうこと?」
「――幽霊は人間のものだけなのか、ってことよ」
 私は目をしばたたかせて、それから「ああ――そうか、そうね」と思わず息を吐き出した。
 そうだ。幽霊といえばどうしても人間の幽霊がイメージとして浮かぶから、今幻想郷に溢れている幽霊も、全て人間の幽霊なのだと、無意識に私はそう考えていた。
 だが、別に人間だけが幽霊になるとは限らないではないか。幽霊譚には、動物霊の話だっていくらでもある。幻想郷ではひょっとしたら、妖怪の幽霊だっているかもしれない。
「じゃあ、今溢れかえっている幽霊は――」
「人間だけのものじゃないとすれば、昨日の話は全部おじゃんよ。あの幽霊たちが人間に限らないなら、外の世界で大災害や戦争が起きてなくたっていいっていうことになるわ」
 道理である。人間に限らないならばそれこそ、大量発生して片端から駆除されたイナゴの幽霊だとか、そういう可能性だってあるということになるのだ。
「……昨日のアレは何だったのよ、もう」
「まあ、まだ可能性の話よ、メリー。まず幽霊の定義を確認すること。話はそれからだわ」
「幽霊の話なら、妖夢さんや幽々子さんに聞いた方が早くない?」
「冥界にもっと簡単に行けるならそうするけどね」
 それもそうだ。慧音さんに聞いてもいいが、話の解りやすさを考えれば阿求さんの方が適任だろう。歴史家の慧音さんが幽霊に詳しいとは考えにくいし。
「そうと決まれば、即断即決。ご飯食べたらすぐ――」
「今日は月曜日よ、蓮子。寺子屋の授業、ふたりともあるじゃない」
「――あ」
 ご飯をかきこもうとした蓮子の手が固まる。月曜日は国語と算学、歴史の三授業が全部ある日であり、授業が終わるまでは私たちはふたりでは動けない。
「……この花の異変で臨時休校にならないかしら?」
「危険性はないってことだから、普通に授業はあるでしょ」
「一時間目、メリーの国語よね? じゃあその時間に私がひとっ走りしてくるわ。幻想郷の幽霊の定義を聞いてくるだけだし、二時間目までには戻れるでしょ」
「はいはい、気の済むようにして頂戴」
 私はため息をついて、改めてご飯をかきこんで軽くむせた相棒にお茶を差し出した。

 で、寺子屋である。
 一時間目の国語は、書き取りの試験を兼ねて作文をさせることにした。花だらけの異変には子供たちも浮かれていて、普段通りの授業をするにはみんな落ち着きがないのである。
 作文のお題は「昨日あったこと」。ちょうど昨日、この花の異変が始まったわけだから、子供たちも書きやすいだろうと踏んだのだ。子供たちの目に今回の異変がどう映っているかというのも見てみたいというのもある。
「なんでもいいのよ。友達と遊んで楽しかったとか、家のお手伝いをしたら褒められて嬉しかったとか、怒られて悲しかったとか、慧音先生の宿題が大変だったとか……昨日どんなことがあって、どう感じたのか、先生にお話しするつもりで書けばいいの」
「せんせーは何してたの?」
「え、私? 私はね……蓮子先生と、あちこちのお花を見て回ったりして、楽しかったわ」
「あ、昨日せんせーが蓮子せんせーと追いかけっこしてるの見た!」
 生徒のひとりが声をあげ、私は思わず固まった。追いかけっこって、まさか昨日のアレを見られていたのか。そりゃま、私は人目も憚ってなかったけれど……。
「追いかけっこ? せんせー、鬼ごっこしてたの?」
「あたしもせんせーと鬼ごっこする!」
「はいはい、先生の話はあとで。みんなちゃんと作文を書いてね」
 手を叩いて話を誤魔化し、子供たちが作文に戻ったのを見て心の中だけでため息をつく。
 ――全く、子供は油断ならない。

 時計の鐘が鳴り、一時間目が終わる。
「はいみんな、作文を出してね。ちゃんと書けた? 終わってない人はいる?」
 何人かの手が挙がる。ふむ、どうしたものか。宿題にするのは不公平だろうし……。
「じゃあ、終わってない人も書けたところまででいいから、先生に見せて」
 私がそう言うと、書き終えられなかった子供たちが露骨にほっとした顔をした。私は苦笑する。私自身は子供の頃から読むのも書くのも苦でなかったので、小学生の頃は四百字の作文に苦労するクラスメートを不思議な気分で見ていたが、こうして子供たちに読み書きを教えてみると、ちゃんと文章を読んで理解し、自分で文章を組み立てて書くというのは訓練しないと身につかない歴とした技能なのだということがよくわかる。
 訓練という意味では最後まで書かせた方がいいのだろうが、それで文章の読み書きが嫌いになられても困るのが難しいところだ。とりあえず中身を読んでみて、対応を考えよう。
 集められた作文をまとめて、教室を出る。二時間目は蓮子の算学だけど、蓮子は戻って来ているだろうか?
 職員室の前まで来ると、ちょうどその蓮子が出てくるところだった。
「あ、メリー、おつかれさま。それ、作文?」
「まあね。って、蓮子、稗田邸は行ってきたの?」
「行ってきたわよ。でも空振り。阿求さん、出かけちゃってたわ」
 肩を竦めた蓮子に、私は「あらあら」と苦笑する。どうやら今日は間の悪い流れらしい。
「二時間目が終わったら、あとは慧音さんに任せてふたりでもう一回行ってみましょ」
「はいはい」
 教室に向かう蓮子を見送って職員室に入ると、机で何かを読んでいた慧音さんが「ああ、ご苦労様」と顔を上げた。私は頷き、自分の机で提出された作文を整理する。
「慧音さん、異変ですけど自警団はいいんですか?」
「今回の異変に大きな危険性がないことは自警団からアナウンスしてあるからな。気を付けるべきは浮かれて迂闊に里の外に出る子供がいないかと、酔っ払いの喧嘩ぐらいのものだろう。私が出張る必要はそれほどないな」
 去年の永夜異変では、慧音さんは里を守るためにレミリア嬢や咲夜さんと戦ったらしい。別にレミリア嬢たちは里を襲おうとしたわけではない、というのが締まらない感じではあるが。
「幽霊が増えてるのは、いいんですか?」
「好きこのんで幽霊の集まっているところに近付く人間はあまりいないさ」
「……幻想郷の住人も、やっぱり幽霊は怖いんですよね」
「幽霊が怖い、というのはちょっと違うかもしれないな」
 私の言葉に、慧音さんはひとつ首を傾げる。
「君たちのいた外の世界でも、人は死ぬと幽霊になるのか?」
「……そのあたりは、非常にややこしいです。そう信じている人もいるし、信じていない人もいる、というのが正確なところ、でしたね」
 二十世紀の科学では、霊魂の存在は概ね否定されるものであった。心霊現象は完全否定こそが科学的態度とされた時代。だが、神亀の遷都以降の霊的研究や相対性精神学の発展で、自然科学だけを世界の真理とするスタンスは必ずしも正しくない、という考え方が押してきて、私や蓮子の暮らしていた二十一世紀末は、二十世紀的科学と、二十一世紀的科学の対立の時代と言われていた。
 私たちはオカルトサークルをやっていたわけで、ならば当然に二十一世紀的科学派――かというと、必ずしもそうではない。相対性精神学の徒である私は、自然科学も所詮は多数決で認められた共同幻想に過ぎないとする派閥だ。しかし相棒は物理学の徒であるからして、相棒の考え方の根底にはやはり二十世紀的な自然科学がある。この世界に来てからは、だいぶ宗旨替えした感があるけれども。
「外の世界では、幻想郷のように誰もが幽霊を目撃するわけではないですから」
「なるほど、外の世界は彼岸と此岸、顕界と冥界の境界がしっかりしているわけだ」
「……幻想郷では、人が死ぬとどうなるかは、歴然とした事実として子供でも解っているんですね」
「そうだな。人は死ぬと、その魂が肉体から離れて幽霊となり、三途の川を渡って閻魔様の裁きを受ける。そしてもう一度この世に生まれ変わるか、成仏して天界に行くか、あるいは地獄に落とされるかが決定される」
 それが常識であるとなれば、幻想郷の死生観は根本的に私たち外の世界の人間とは異なることになる。もちろん私たちも同じような理解はしているけれど、それはあくまで、死後のことは誰にも解らないという大前提の上に組み立てられた、生者のための物語だ。死後のことが解明された世界なんて、まるきり二〇一〇年代のポスト伊藤計劃なSF小説である。
 だが、それが幻想郷の常識なのだということを、改めて考える。人間が死後どうなるかがはっきりしている世界。ひょっとしたら、そのことが幻想郷の人間の救いなのだろうか、と私はふと思う。里の人間は、突き詰めれば妖怪の力の維持のために生かされている。里にいれば妖怪に襲われることはないといえ、里の外に一歩でも出れば身の危険と隣り合わせであるこの世界の住人にとって、科学世紀の私たちよりも死は身近なはずだ。だが、死後がどうなるかが解っていれば、死はさほど怖れることでもないのかもしれない――。
 私がそれを問うてみると、慧音さんは少し変な顔をした。
「そう、単純なものでもないさ」
「……そうですか?」
「ああ。死後どうなるかが解っていても、死ぬということは人生一度きりで、後戻りのできない道だ。幽霊になってしまえば話もできない。他の幽霊との区別もできないから、結局は周囲から見れば死者はもう存在しないのと同じことだ。そして死者自身にとっても、な。死が恐ろしいのは、幻想郷の人間だって一緒だよ。だから墓を建てるし、先祖を拝む」
「…………」
「たとえば、君の目の前に後天性の半人半妖がいるが、私のようになると解っていて、かつ普通の人間に戻れないこともはっきりしていて――半人半妖になれと言われたら、メリー、君はそれを怖くないと思うか?」
 ――そんなことを言われて、いったいどんな反応をすればいいのだ。
 私が答えかねて俯くと、慧音さんは苦笑して、「いや、これは意地の悪い質問だったな。すまない」とひとつ頭を下げた。
「要するに後戻りのできない道が恐ろしいのは、誰だって同じだということだ。私たちが幽霊を見るときに思うのは、幽霊そのものではなく、自分がああなってしまったらどうしよう、という未来への恐れだ。――私たちの死に対する感覚は、君たちのそれと、たぶん変わらないさ」
 小さく笑って、慧音さんは机の上の何かにまた視線を落とす。
 私は少し逡巡して、それから思いきって訊ねてみた。相棒の疑問に関して。
「慧音さん。――幽霊には、人間以外のものもいるんですか? 獣とか……妖怪とか」
「うん? 妖怪の幽霊というのは聞いた覚えがないな。そもそも妖怪の死というのは、普通は存在の消滅を意味するからな……だが、獣の幽霊は普通にいるはずだぞ。幽霊になってしまえば人間のそれと区別はつかないが」
「やっぱり、いるんですね」
「ああ。生ける者は皆、生まれ、死に、裁きを受ける。それが、幻想郷の摂理だ」





―14―


 子供たちの作文を読んでいるうちに二時間目の授業が終わり、蓮子が戻ってきた。慧音さんに断って、私たちは寺子屋を出る。ちょうどお昼時なので、阿求さんも戻っているかもしれない。稗田邸に向かって歩きながら、私は先ほどの慧音さんとの話を蓮子に伝えた。
「やっぱり、獣の幽霊はいるんだわ。蓮子の仮説、大当たりじゃない?」
「さて、そこはもうちょっと突っ込んでみないとね。やっぱり専門家の話を聞きたいけれど。誰か冥界に連れてってくれないかしら」
 帽子を被り直して、相棒は言う。生者の身で冥界に行きたいというのもどうかと思うが、「冥界に行くために死にましょう!」と言い出さないだけマシなのかもしれない。
 ともかく、私たちは稗田邸に辿り着く。――が、やはり阿求さんは外出中だった。夕方まで戻られないでしょう、とは応対した女中さんの弁。
「どうするの?」
「さて、慧音さんは授業中だろうし……あ、そうだ」
 と、ぽんと蓮子は手を叩いた。何か思いついたらしい。
「詳しそうなひとに、昨日会ったじゃない、私たち」
「え、誰のこと? 永琳さんたち?」
「幽霊とは違うって言ってたけど、どう違うか詳しく説明してもらえばいいんだわ」
「――あ、騒霊楽団?」
「そういうこと」
 なるほど、確かに昨日キーボードの少女に出会って、そんな話を聞いた。しかし、
「騒霊楽団にどうやって会いにいくの? だいたい、ほとんど面識ないじゃない」
「まあまあ、そこはそれ、何とかなるわよ。あと、だいたいの住処も知ってるし。紅魔館の近くの廃洋館に住んでるらしいわ、騒霊楽団」
「どこからそんな情報仕入れてくるのよ」
「前に咲夜さんから聞いたの。近所に騒々しい廃洋館があるって」
「いつの間に……」
「というわけでメリー、騒霊楽団の家に押しかけるわよ!」
「タチの悪いファンみたいじゃない、それじゃ」
 しかし私が口を尖らせたところで、相棒の行動を止められるはずはないのであった。

 そんなわけで、里を出て向かうは霧の湖である。紅魔館の近所ということは、とりあえず湖に向かっておけば間違いはない。行く道の途中に廃洋館を見かけた覚えはないので、おそらく道からは外れた森の中にあるのだろう。
 湖は花の異変にも我関せずとばかりに、白い霧に覆われている。霧でひんやりとした畔に、色とりどりの花が春を謳歌するように咲き乱れているのは、ある種これもまた異様な光景だった。花というものは、やはり暖かな陽気や明るさが似合うのだ。幽霊は霧に紛れているのか、いるのかいないのかもよくわからない。
「廃洋館の正確な場所は、美鈴さんに聞けば解るでしょ」
 と相棒は、霧の中をどんどん紅魔館へ向かって突き進む。私は相棒に手を引かれながら、まとわりついてくる霧の冷たさに顔をしかめて――。
「……蓮子、湖の上」
「うん? ――あら、誰か弾幕ごっこの真っ最中ね」
 足を止めて湖を見やると、湖上で誰かがやりあっている。ちょこまかと動く小さな影と、それからもう片方は――。
「ねえメリー、あれ射命丸さんじゃない?」
「……みたいね。相手は、体格からして妖精の子かしら?」
「ああ、それならたぶん湖に住んでる氷の妖精の子でしょ」
 蓮子がそう言った瞬間、私たちの近くの湖面に流れ弾が飛んできた。氷柱だ。飛来した氷柱は水音をたてて湖面に落ち、その周囲を僅かに凍らせる。流れ弾に当たったら凍傷どころでは済まなさそうだ。勘弁してほしい。
「あ、決まった」
 蓮子がそう言った瞬間、射命丸さんの巻き起こした風に氷の妖精が吹き飛ばされ、湖面に墜落していった。射命丸さんはその様子を情け容赦なくカメラに収め、それから踵を返して飛び去ろうとして――私たちに気づいたか、片手を挙げてこちらへと飛んできた。
「あやや、探偵さんじゃないですか。もしかして、貴方たちもこの花の異変を?」
「そんなところです。射命丸さんもこの異変の取材ですか?」
「ええ、これだけ大規模な異変です。ジャーナリストとして真実を突き止めなければ。この異変に乗じて騒いでいる人間や妖怪の中に、犯人がいるはずです」
 私たちは顔を見合わせる。――射命丸さんは、この異変の真相を把握していないのか。前回が六十年前なら、さすがに射命丸さんが生まれていなかったということはないと思うが――。
「あや? おふたり、何か心当たりでも?」
「いえいえ、滅相も。射命丸さんはアテがあるんですか?」
「そうですねえ。怪しいのは花の妖怪でしょうか。太陽の畑にいないので、探しているんです」
「風見幽香さん?」
「おや、ご存じでしたか。どうも彼女、あちこちの妖怪や妖精を苛めて歩いているようで」
「ええ? そんなひとでしたっけ」
「そんな妖怪ですよ、彼女は」
 去年私たちが阿求さんと一緒に会ったときには、そんな風には見えなかったが。妖怪なのだから、実は凶暴なのかもしれない。花の妖怪が凶暴というのも何かイメージと違うけれども。
「では、私は取材の続きに向かいます」
 と、飛び去ろうとした射命丸さんを、蓮子が呼び止める。
「すみません、騒霊楽団のおうちを知りません?」
「騒霊楽団?」
 射命丸さんは、蓮子の問いに目をぱちくりさせた。





―15―


 射命丸さんの説明を聞いて、湖の周囲に広がる森に足を踏み入れると、ほどなくその廃洋館が見えてきた。案外あっさり見つかるものだ。永遠亭もこのぐらい解りやすいところに建っていてほしい。
「なるほど、廃洋館ね。紅魔館が館ミステリの舞台ならこっちはホラー映画かしら」
「それだと私たち、調子に乗って酷い目に遭う大学生グループそのものじゃない」
「大丈夫よ。その手のホラーで登場人物が二人ってことはあり得ないから」
「そういう問題なの?」
 ともかく目の前の建物は、外観は明らかに廃墟だった。ひび割れた壁にはびっしりと蔦が絡まり、一部の窓が割れたまま放置されている。今にも崩れ落ちそうだ。人間ならとてもこんな洋館に住もうとは思わないだろうが、騒霊は住環境を気にしないのだろうか?
 蓮子が玄関らしき扉に歩み寄り、錆びついたノッカーで扉を叩く。
「ごめんくださーい」
 返事はない。留守だろうか。どこかでライブでもしているのかもしれない。
「留守なら戻りましょうよ」
「そうねえ。――あ、開いてる」
 蓮子が扉を引くと、軋んだ音をたてて開いた。開いているということは在宅なのか。それとも好奇心に駆られた迂闊な人間を狙う罠なのか。たぶん後者だと思うんだけど。
「すみませーん、誰かいません?」
 蓮子が中に声をあげるが、やはり返事はない。
「ちょっと蓮子」
「不用心ねえ。メリー、ここは私たちは代わりに留守番してあげるべきじゃないかしら?」
「……言うと思ったわ。不法侵入で祟り殺されても知らないわよ」
「騒霊は悪霊や亡霊とは違うでしょ。レッツ、生ポルターガイスト!」
「ちょ、引っ張らないでよ――」
 私の手を強引に引っ張って、蓮子は洋館の中に足を踏み入れる。私たちの背後で、扉がまた軋んだ音をたてて閉ざされた。玄関ロビーらしく、目の前に二階への大きな階段があり、踊り場に色褪せた大きな肖像画が掛けられてある。少女の姿を描いているらしいが、顔はよく解らない。洋館の中は薄暗く、絨毯はボロボロだし壁は崩れかけているが、思ったほど埃っぽくはないし、ネズミやコウモリの巣というわけでもなさそうだ。
「小綺麗な廃墟ね。お台場跡地みたい。これなら怖くないわよ、メリー」
「……怖がってないわよ」
 とは言うものの、蓮子と繋いだ手に不必要な力が入っていることは否定できない。蓮子は唇の端を釣り上げて笑い、「さて、ポルターガイストはどこかしら?」と周囲を見回した。
 ――ホラーならば、こういうところで突然聞こえてくるのは何故かピアノの音と相場は決まっている。だーん、と鍵盤を叩きつけるような音が鳴るのが常道だと思うのだが。
 聞こえてきたのは、トランペットの音だった。
 どこから聞こえてくるのか、玄関ホールにこだますトランペットの高らかな音色。それに合わせて、屋敷全体がざわめくように震えたような気がした。天井から軋んだ音。見上げれば、シャンデリアが揺れている。地震? いや違う。一階の壁に掛かった額縁が不自然な揺れ方をし、近くに置かれていた空の花瓶が倒れた。
「蓮子」
「なに怯えてるのよメリー、生ポルターガイストよ!」
 なんでそんなにテンションが高いのだ。蓮子は浮かれたように私の手を引いて歩き出す。軋む階段を上り、二階へ。トランペットの音は明らかに二階のどこかから聞こえてくる。やっぱりこれは私たちを誘い込んで不法侵入者をとって食おうという罠なのでは――。
 知らず知らず蓮子の腕にすがりついていた私は――不意に、耳元を冷たいものがかすめて、小さく悲鳴をあげた。
「な、なに?」
「あらら、幽霊だわ。おーい幽霊さん、みんなトランペットに惹かれてきたの?」
 どこからともなく集まってきたのは幽霊である。ふわふわと、白くて半透明な物体が、トランペットの音に誘われるように、洋館の中に集まってきた。室温が下がって、私は腕をさする。これじゃほとんど冥界である。騒霊とは生き霊の類いではなかったのか?
 と――そこへ突然、二階の一室のドアが開いた。そして、
「あらら~? 姉さん、人間が混ざってきたわ~」
 トランペットの音色の中に、歌うような声。
「人間?」
 ドアから姿を現したのは――ふたりの少女だった。
 ゆるくウェーブのかかった髪。音を奏でるトランペットを手にした、白い服の少女。それから、その背後から眠たげに目を細めて顔を出したのは、バイオリンを手にした黒い服に金色の髪の少女のふたり。
「……人間を呼んだ覚えはないけれど。どちら様?」
「人間と見せかけた幽霊だったりして~」
 騒霊楽団のバイオリニストとトランペッターは、幽霊に囲まれた私たちに、不思議そうな顔を向けた。

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この小説へのコメント

  1. 蓮子さんのテンションは幻想郷にいる限り上がりぱなしなんでしょうね。怯えるメリーが可愛いです。

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