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こちら秘封探偵事務所第5章 花映塚編   花映塚編 第2話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第5章 花映塚編

公開日:2016年09月10日 / 最終更新日:2016年12月02日

花映塚編 第2話
―4―


 さて、話はあの異変の起きた、第一二〇季の春に戻る。
 《永夜異変》から半年、私たちが幻想郷に来て二度目の春。過ぎ去ってみれば、二年なんてあっという間である。最近、この世界に馴染みすぎて、科学世紀の京都のことを思い出すこと自体少なくなってきた。半年前に博麗の巫女から直々に、元の世界に帰れないというお墨付きを貰ってしまった以上、このまま幻想郷で一生を終えることも覚悟しないといけないのかもしれない。できれば、妖怪に喰われる、という結末以外でお願いしたいところだ。
 ともかく、相変わらず探偵事務所は閑古鳥で、私たちの生活は専ら慧音さんの寺子屋の手伝いで成り立っていた。寺子屋の方はだいぶ軌道に乗ってきている。殊に蓮子の算学の授業の評判が良く、怪しげな半人半妖と外来人、という風聞を押しのけて、算学を教わりにくる子供が増えていた。私の教える国語は、まあオマケみたいなものだ。基礎的な読み書きは家庭で既に習っている子が多いし。
「せんせー、さよならー」
「はい、さようなら。また明日ねー」
 授業が終わり、寺子屋の玄関で子供たちを見送って、私はひとつ息を吐く。京都で暮らしていた頃は、子供の相手はどちらかといえば苦手だったのだけれど、気づけばすっかり慣れたものだ。きちんと躾けられた子が多いのはありがたい話である。
 寺子屋の中に戻って教材の整理をしていると、「メリー、仕事終わった?」と相棒が顔を出した。今日は算学が一時間目だったので、相棒はその後は探偵事務所の方で待機していたはずなのだが。
「これ片付けたら上がるけど。なに?」
「彼女が来てるのよ」
 にっ、と笑ってそう言った相棒に、私は大きくため息をついた。またか。
「蓮子、まだストーキング続ける気なの?」
「この宇佐見蓮子さんの知的好奇心は留まるところを知らないのよ」
「相手の迷惑も考えなさいよ」
「だからこうして、彼女が里に来たときに限ってるんじゃない。本当は向こうに押しかけて調査と研究と実験に明け暮れたいぐらいなのよ、物理学の徒としてね。だってあの子ときたら」
「はい、専門の話はそこまで。しゃべり出すと止まらないんだから」
「専門だもの。というわけでメリー、彼女の後を追うわよ」
「……だから、なんでそれに私まで付き合わないといけないの?」
「私とメリーが一心同体、ふたりでひとつの秘封倶楽部だからよ。それに、里の外に出る以上、単独行動してたら私たちを見張ってる藍さんが大変でしょう?」
「どうしてあっちの迷惑は省みないのにそっちには気を使うのよ、もう」
 妖怪の賢者の従者、八雲藍さんは、賢者の命令で私たちをそれとなく見張っている……らしい。らしいというのは、見張られている感じが全くしないからだ。本当に見張っているのかと疑問には思うが、実際私たちが里の外を出歩いても妖怪に襲われないのは、たぶん藍さんのおかげなのだろう。
「まあまあ。とにかく行くわよメリー。メリーはモフモフしてればいいから」
「…………はいはい」
 結局、何と抗弁しようと最終的にはこの相棒に連れ回されることになるのだから、抗うだけ無駄だというのは解っているのだけれど。こういう益体もない話をするところまでが私と蓮子の関係性なのだと思う。それは京都にいた頃から、この幻想郷で暮らす今に至るまで、どうやっても変わらない秘封倶楽部のひとつの姿なのだった。

 そんなわけで。
「出てきたわ。行くわよ」
「これが依頼なら良かったんだけどね」
 私たちは探偵事務所に《不在》の札を掲げて外へ繰り出し、発見したその人影を尾行していた。大きな荷物を背負い、ゆっくりと家々を訊ね歩くその人影は、物陰が多いこともあって尾行自体は容易である。問題はそれが一銭にもならない道楽であることと、それから――。
「……またなの?」
 追っていた人影が不意に立ち止まり、振り向いた。やっぱり気づかれている。「隠れてないで出てきなさいよ」と険のある声で呼びかけられ、私たちは顔を見合わせ、両手を挙げて塀の陰から顔を出した。
「やあやあ、どうも、こんにちは」
「性懲りもなく、ぬけぬけと……いい加減にしてくれない?」
 編み笠を持ち上げてため息をついたのは、永遠亭に暮らす月の兎――鈴仙・優曇華院・イナバさんである。永遠亭で着ているブレザーのような恰好ではなく、紫に近い甚平を着て、頭の耳も編み笠に隠した人間に近い恰好をしていた。蓮子は返礼のように帽子の庇を持ち上げ、にっと笑う。
 《永夜異変》以降、それまで竹林の奧に隠れていた永遠亭は結界を解き、外部からの出入りが容易になった。開放する以上、八意永琳さんは外部と有効な関係を築いておきたい、という考えから、本業(?)である薬師として、人間の里に干渉することにしたらしい。
 そんなわけで、数ヶ月前から人間に変装した鈴仙さんが、里に置き薬を売りに来るようになった。初めは怪しむ家が大半だったが、効能が少しずつ知られてきたようで、よく効く薬を安価で配っている薬屋がいる、という話は里で密かに評判になっている。
「商売の邪魔、しないでくれる?」
「ええ、もちろんお邪魔はいたしませんわ。こちらの話はその後ででもゆっくりと」
「だからそっちの好奇心に付き合う義理はないって言ってるの!」
「まあまあそう言わないで。波長を操る貴方のその力、物理学者として放っておけと言われるのは拷問に等しいんだもの。科学世紀の量子論を覆す貴方のその力――」
「だーかーらー、お師匠様ならともかく貴方の研究に付き合う気はありませんから!」
 憤然と腕を組み、くるりと踵を返して大股に歩き出す鈴仙さんを、「いやいや待って」と蓮子が追いかける。――そう、ここ数ヶ月、ずっとこれなのだ。鈴仙さんの目の能力にいたく関心を示した我が相棒は、彼女が里に薬売りに現れるたびに追いかけ回し、研究させてくれとストーキングを続けている。
 まあ、相棒が興奮するのも解らなくはない。相対性精神学は量子論の観測問題にも関連するから(シュレーディンガーの猫は相対性精神学的問題でもある)、鈴仙さんの能力が相棒の専門である物理学においてどれだけ大変な能力かということは、なんとなく解る。量子の振るまいに干渉できる存在がいたら不確定性原理が成り立たない。ラプラスの悪魔も実在しかねないことになってしまう――とは相棒の弁で、私はあくまでぼんやり理解しているだけだが。
 しかし、人間が空を飛び、妖怪や妖精や神様が実在するこの世界で、今更科学世紀の量子論でもないのでは――というのは野暮な突っ込みだろうか。
「ほらメリーも何か言ってよ。鈴仙さんの能力がいかに重大な問題を孕んでいるか」
「なんで私が……私は物理学は専門じゃないってば。だいたい、鈴仙さんの能力って量子力学的問題じゃなく、幻想郷なんだから相対性精神学的問題じゃないの?」
「あら、どういう意味?」
「波長をその目で認識して操るんでしょう? 幻想郷は相対性精神学の世界、即ち認識が力を持つ世界なんだから、肝心なのは波長を〝操る〟ことじゃなく〝認識する〟ことじゃないの。鈴仙さんの目にしか見えない波長は、鈴仙さんに認識されることによってこの世界に顕現する。だから鈴仙さんは波長を操れる。二重スリットを通る前の量子を観測できなきゃ、どっちのスリットを通すかは決められないでしょう? 見えないところでタネを弄くる手品みたいなものじゃないの」
「ふむ――それはなかなか興味深い見解ね、メリー。主体は観測の方にある。そうなるとますますラプラスの悪魔めいてくるわね。月の兎は決定論的観測者なのかしら? この世界は月の兎によって支配されているっていうの?」
「……私に何か頼もうっていうなら、せめてこっちに解る言葉で話してくれない?」
 鈴仙さんが半眼で私たちを睨む。と、蓮子が「そうね」とポンと手を叩いた。
「私の問題意識を鈴仙さんに理解してもらうのが一番手っ取り早いんだわ」
「は?」
「寺子屋出張版、宇佐見蓮子さんの物理学講座を永遠亭に開講しましょ」
「ちょ、ちょっと、何を――」
「そうと決まれば鈴仙さん、お仕事終わったら永遠亭までお邪魔させていただきますわ」
「勝手に決めるな!」
 吠える鈴仙さんに構わず、蓮子はどこまでも楽しげに笑って鈴仙さんの手を取る。

 思えば、私と出逢って、私の目に興味を示した頃の蓮子もこんな感じだった。
 そんな思い出を懐かしく反芻しながらも――正直、私としてはちょっと面白くない。
 もし蓮子が、秘封倶楽部の三人目に鈴仙さんを勧誘したりしたら――どうしよう?
 私の目よりも、鈴仙さんの目の方が、相棒にとって重大な問題にすり替わってしまったら、
 ――って、何を考えているのだ私は。
 頭に浸蝕してきたおかしな思考を振り払うように、ゆるゆると首を横に振って、私は小さくため息を漏らした。





―5―


 そんなわけで、薬売りを終えて永遠亭に戻る鈴仙さんを、私たちは追いかけていた。
「だーかーらー、ついてこないでって」
「ついて行ってるんじゃなく、永遠亭に遊びに向かおうとしてるんですわ」
 相棒の屁理屈に、鈴仙さんはため息。
「何を言われても、私はそっちの実験台になる気はないから」
「解剖とかしませんから」
「そういう問題じゃない!」
 肩を怒らせてずんずん先を歩く鈴仙さんに、相棒は苦笑する。私は私で、懲りない相棒に呆れる他ないのだけれど。
「……ねえ蓮子、やっぱり永琳さんに聞いたら?」
「それは前に試したじゃない。全然ダメだったのはメリーも知ってるでしょ?」
 蓮子は肩を竦めた。――相棒の好奇心を刺激してやまない鈴仙さんの能力は、月の兎特有のものであるらしいことから、以前、元・月の賢者である永琳さんに詳細を聞いてみたのだ。だが、結果はこの相棒をして、完全に撃沈である。
「だから、その永琳さんの話を蓮子が理解できればいいんじゃないの?」
「簡単に言わないでよ。科学世紀の物理学において未知の単位と概念が山ほど出てくるのよ。永琳さんの話を理解するには、幻想郷の物理法則を体系付けて、認識を第五の力とする新たな統一理論を打ち立てなきゃ……この宇佐見蓮子さんといえど、現状では手に余るわ」
 相棒は嘆息する。――そう、永琳さんに聞いてみた答えは、蓮子にとって全く未知の単位と概念を用いたものだったのである。その定義を確認するとまた別の未知の単位が現れるという調子で、この相棒をして撃沈せしめるのだから、物理学は奥が深い。
「月の科学を勉強したいわね。科学世紀よりどれほど進んでいるのかしら?」
「そのわりには、永遠亭は幻想郷的生活をしている気がするけど」
「郷に入っては郷に従え。私たちだってそうでしょ?」
 そう言われればぐうの音も出ない。
 ともかく、そんな調子で鈴仙さんをストーキングしているうちに、迷いの竹林へど辿り着く。鈴仙さんは竹林で私たちを振り切ろうと決めたのか、足早に竹林に侵入していった。が――。
「タラッタラッタラッタ、可愛いダンス~♪」
「げっ、てゐ!」
「おん、鈴仙。それに例の人間、あらら相変わらず仲いいじゃん」
「良くない!」
 竹林に入ったところで姿を現したのは、イナバたちを引き連れた因幡てゐさんだった。てゐさんは鈴仙さんと私たちを見比べ、「にしし」と意味深な笑みを浮かべる。
「不遜で気難しくて自意識過剰で協調性のない、うちの鈴仙ですが、どうぞよろしく~」
「よろしくされる覚えはないわよ!」
 てゐさんがそんなことを言い、鈴仙さんが吠える。イナバたちは私たちの足元にまとわりついて、あそぼー、あそぼー、と飛び跳ねている。
「ああ、そうか。やっぱり保護者の許可をとるのが先決よね」
 と、蓮子がぽんと手を叩き、「ぐえ」と鈴仙さんが変な声をあげた。
「ちょっと人間、何を――」
「永琳さんと輝夜さんに交渉してみましょう。鈴仙さんを貸してもらえるか」
「勝手にひとを借りる算段つけようとしない!」
「よーし、それならまずは永遠亭に行くわよ。イナバちゃんたち、遊ぶのはちょっと待ってね、ごめんねー」
 足元のイナバたちにそう呼びかけ、蓮子はうきうきと竹林の中へ足を進めた。イナバたちが、永遠亭ならこっちー、と言わんばかりに先導するように飛び跳ねる。私もため息をついてその後を追い、背後では「ちょっと待ってってば!」と鈴仙さんが悲鳴をあげていた。

 で。
「ウドンゲを? 構わないわよ」
 やって来たるは永遠亭。私たちが屋敷を訪ねると、永琳さんは輝夜さんとお茶をしているところだった。相棒が用件を切り出すと、永琳さんはあっさりと許可の返事。
「解剖されたら、さすがにちょっと困るけれど」
「いえいえ、そのつもりはありませんわ。彼女の目について調査したいだけで」
「前に私から説明しなかったかしら?」
「理論は実践して確認しないことには」
「なるほど、それもそうね」
「お師匠様ぁ」
 がっくりと肩を落とす鈴仙さんに、蓮子が笑って「というわけで、よろしく」と肩を叩く。
「あらあら、鈴仙に初めてのお友達かしら?」
「違います! 姫様まで変なこと言わないでください。どうして私が地上の人間なんかと」
「いいじゃない、どうせもう月には帰れないんだから」
「そういう問題じゃ……」
「諦めて地上の兎になりなよ、鈴仙」
 てゐさんが鈴仙さんの甚平を引っ張る。もごもごと何か呻いた鈴仙さんは、「……ともかく着替えてきます」とその手を振り払って屋敷の奥へ駆けていった。
 ぼんやりそれを見送る私の膝の上には、イナバが一匹。手持ちぶさたにそのモフモフの毛並みを撫でていると、わらわらと別のイナバも寄ってくる。ああ、八雲藍さんの尻尾ほどではないけれど、この永遠亭のイナバたちのモフモフもなかなか……。
「鈴仙は里でちゃんと売り子をやっているの?」
 と、輝夜さんがそう首を傾げる。「ええまあ、多少無愛想との評判ですけど」と蓮子が答えると、「ウドンゲにはもう少し社会性をつけさせた方がいいのかしらね」と永琳さんは呟いた。
「そうよねえ。鈴仙もいつまでも月のプライドに拘ってないで、この開かれた永遠亭のごとくに地上を受け入れて、広く見識と交友を」
「それ、姫様にだけは言われたくないと思うけど」
 てゐさんが呆れ顔で言い、「そうねえ」と輝夜さんは顎に指を当てて首を捻った。
「ねえ、人間」
「私とメリーとどっちです?」
「どっちでもいいわ。鈴仙の解剖、私も立ち会ってもいい?」
「解剖はしませんけど。構いませんわ」
「あら、輝夜が自分から何かしようなんて珍しい」
 永琳さんが目を見開く。「怠け者みたいに言わないで頂戴」と輝夜さんは頬を膨らませるが、千年以上屋敷に引きこもっていた人の言葉では説得力に欠けると思う。
「面白そうじゃない」
「いや、見て面白いかどうかは保証しかねますが。――個人的には、姫様の能力にもいろいろと関心がありますわ。永遠と須臾を操るという」
「あら、私?」
 輝夜さんが目を見開き、永琳さんがすっと目を細める。
「実際、姫様の能力というのは――」
 と、蓮子が言いかけた、その時だった。

 ――ひゃあああああああああ!

 屋敷の奥から、悲鳴のような声が響き渡った。





―6―


 イナバたちがピンと耳を逆立て、てゐさんが胡乱げに顔を上げる。私は蓮子と顔を見合わせた。今の声は、どう聞いても――。
「鈴仙さんの声よね?」
「だったわね。事件かしら?」
 相棒が立ち上がり、「様子を見てきても?」と問うと、永琳さんと輝夜さんはひとつ首を傾げ、「そうね」と永琳さんが頷く。
「大したことではなさそうだけど、ご自由に」
 涼しい顔の永琳さんに、毒気を抜かれたように蓮子が肩を竦める。ともかく、イナバの一匹が、こっちー、と飛び跳ねだしたのを追って、私たちは屋敷の奥へと向かった。てゐさんも「変な虫でも見つけたんじゃないの?」とか言いながら、他のイナバを連れてついてくる。
 長い廊下を進んでいくと、不意に向こうからドタドタと足音。私たちが足を止めると、廊下の角から鈴仙さんが姿を現した。いつものブレザーを肩に引っかけるような恰好で走ってきた鈴仙さんは、私たちに気づいてはたと立ち止まる。
「どうしたんです?」
「な、なんでも」
 蓮子の問いに、ぷいと顔を背ける鈴仙さん。
「悲鳴が聞こえたようですが」
「なんでもないから!」
 ――鈴仙さんがそう唸る、その背後。最初に気づいたのは私だった。何か、彼女の足元に、白くて半透明のものが這い寄っている。あれは、
「あ、鈴仙さ」
「え? ――ふわあああああ!」
 にゅるんと、その半透明の物体は鈴仙さんの足に絡みついて、鈴仙さんは悲鳴とともに足をもつれさせてその場に尻餅をついた。短いスカートを押さえた鈴仙さんのその傍らをふわふわと漂う半透明のものは――。
「……幽霊?」
「幽霊ね」
 去年の春、白玉楼でたくさん見た覚えがある。そういえば幽霊は冷たいのだった。それがいきなり背後から触れてきたら、冷たいこんにゃくを首筋に落とされるようなものだろう。
 幽霊がふわりと今度はイナバたちの方に飛んできて、ひゃー、逃げろー、とイナバたちが逃げ惑う。「何やってんのさ」とてゐさんの呆れ顔に、鈴仙さんは顔を赤くした。
「そ、そんなの、いきなり出てこられたらびっくりするに決まってるじゃない!」
「声震えてるよ? やーい怖がりー」
「うるさいってば!」
 顔を真っ赤にして立ち上がる鈴仙さん。と、我が相棒は私の隣で、ふわふわと漂う幽霊を捕まえようと手を伸ばしていた。
「何やってるのよ、蓮子」
「いや、なんでこんなところに幽霊が出たのかなと思って」
「幽霊には聞けないでしょ?」
 白玉楼の幽霊にも、人語を喋る能力はなかったと思う。こちらの言葉は理解しているような様子だったけれど、コミュニケーションは一方通行だ。幽々子さんか妖夢さんが通訳として必要である。
「何があったんです?」
 蓮子が鈴仙さんにそう訊ねると、鈴仙さんは何事か唸って、口を尖らせた。
「……着替えてたら、縁側を何か横切った気がして、顔を出してみたらいきなり冷たいものが首筋に触れたから……。おまけに」
「おまけに?」
「庭が幽霊だらけなのよ!」
 憤然と、自分が走ってきた方向を指さす鈴仙さん。私たちがそちらへ足を向けると――。
「おわあ、永遠亭が冥界になっちった」
 庭を見て、てゐさんが声をあげる。――確かに、まるで白玉楼の庭のように、白い半透明の幽霊がいくつもふわふわと漂っている。
「いったいどこからこんな……」
 蓮子が言いながら、サンダルをつっかけて庭に降り立ち、そして「あらら」と目を見張った。
 玄関とは反対側のこちらでは、永遠亭の庭と竹林とは竹で組んだ柵で区切られている。前はそこにも結界が張ってあったのだが、今はもうない。ともかく――。
「メリー、見て見て。花だらけよ」
「ええ? 竹の花?」
 目を見張ると、確かに竹林の根元に大量の白い花が咲き乱れていた。私もサンダルを借りて庭に降り立つ。幽霊のせいか、庭は少しひんやりとしていた。
「あれは著莪の花だよ。他にも何かいろいろ咲いてるけど」
 てゐさんがそう言って庭に降り立つ。イナバたちが今度は庭に集まった幽霊にじゃれつき、幽霊は慌てて散っていった。
「――竹の花も咲いてるねえ」
 そう言って、てゐさんが頭上を見上げる。
 私たちもつられて見上げた、竹の枝から――細長い、筒のような花が垂れ下がっていた。
「ねえ蓮子。竹の花って、六十年とか百二十年周期でしか咲かないんじゃなかった?」
「そのはずだけど。そりゃ、見られてラッキーね」
 私たちは暢気にそう言いながら、花だらけの竹林を見回す。人を迷わす竹林も、これだけ花が咲き乱れていれば鮮やかで美しい。そう、能天気に思っていたのだけれど――。
「……ちょっと待って、蓮子」
「どしたの、メリー」
「あれ――秋桜じゃない?」
「ええ? 今は春よ? 秋桜なんて――」
 眉を寄せた蓮子は、しかし私の指さした先を見て目を見開いた。
 庭の一角に、秋桜が咲き乱れていた。一輪だけの狂い咲きではない。明らかに今が秋であるかのように、己の季節を謳歌するように堂々と、秋桜はその花を咲き誇らせている。
 突然集まってきた幽霊、季節を無視して咲き乱れる花。
「蓮子、これって――」
 私がそう水を向けると、相棒は嬉々として、その帽子の庇を持ち上げた。
「――異変の始まりだわ!」

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この小説へのコメント

  1. >鈴さん
    小説儚月抄2話など、輝夜も鈴仙個人を指して「鈴仙」と呼びます。
    特に他人との会話の中で鈴仙の話をする際は他のイナバと区別して「鈴仙」と呼ぶ、ということでひとつ。

  2. 季節問わずに咲き乱れる花たちか。一度見てみたいですね。でもこちら側で見たら異変では済まされないでしょうね。
    積極的な姫様が素敵でした。次回も楽しみにしております。

  3. 蓮子が楽しそうでなによりです。
    人見知り?な鈴仙と蓮子の掛け合わせとそれを見たメリーの反応が面白かったです。

  4. 幽々子さんが妖夢さんが通訳として→幽々子さん【か】妖夢さんが

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