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こちら秘封探偵事務所第4章 永夜抄編   永夜抄編 第2話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第4章 永夜抄編

公開日:2016年04月30日 / 最終更新日:2016年07月01日

永夜抄編 第2話
 竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけてのちに竹取るに、節を隔ててよごとに金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やうやう豊かになりゆく。
 この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳着す。帳のうちよりも出ださず、いつき養ふ。この児のかたちけうらなること世になく、屋のうちは暗き所なく光満ちたり。翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しきこともやみぬ。腹立たしきことも慰みけり。翁、竹を取ること久しくなりぬ。いきほひ猛の者になりけり。




―4―


「おいおい、何事だ?」
 顔を覆った蓮子に、私と慧音さんで肩を貸して、妹紅さんのあばら屋に連れ戻った。妹紅さんは急に戻ってきた私たちに目を丸くし、それから蓮子を見やって眉を寄せる。
「蓮子はどうしたんだ。急病か?」
「一言では説明しにくい。外の月を見てきてくれ。ただし注意してな」
「月?」
 首を捻りながら妹紅さんは外へ出て行く。その間に慧音さんは畳の上に布団を敷いて、蓮子をそこへ寝かせた。目を覆ったまま、蓮子はうわごとのように何か呻いている。
「蓮子……」
 私はその傍らに膝をついて、蓮子の手に自分の手を重ねた。息が荒い。顔は汗ばんで、発熱しているような症状を見せている。あの歪な月――あれを無警戒に直視してしまったことが、蓮子の目にどんな悪影響を与えたのか、私には知るべくもないが、ともかく風邪すらほとんど引かない蓮子がこんな状態に陥るのを見るのは初めてである。ただ事ではない。
「おいおい、なんだあの月は」
「解らない。だが、あれを見て蓮子が倒れた。あの奇妙な月の妖気にあてられたのだとは思うが……」
 慧音さんは蓮子の額に手をやり、眉間に皺を寄せた。蓮子がえずく。「妹紅、盥を! それから水!」と慧音さんが声をあげ、妹紅さんが盥を持って来ると、蓮子は先ほどの夕飯をそこに戻した。私には、えずく蓮子の背中をさすることしかできない。
「あの月のせいならば、月さえ見なければ、そのうち落ち着くとは思うが……ほら、水だ」
 吐くものがなくなって、口の端から胃液を垂らす蓮子に、慧音さんが水を与える。喉を鳴らしてそれを飲んだ蓮子は、しかし大きく噎せてその身を丸めた。しばらくその姿勢のまま動かずいた蓮子は、そのまま意識を失ったのか、不意に身体から力が抜ける。
「まずいな……妹紅」
 蓮子の吐瀉物の入った盥を始末していた妹紅さんに、慧音さんが声を掛ける。
「あそこに連れていくべきではないかと思うんだが。確か彼女は医者ではなかったか?」
 慧音さんのその言葉に、妹紅さんが顔をしかめる。
「あいつのところにか? あいつらが私の頼みを聞くとは思えないが」
「だが、あの奇妙な月が出てる中、里まで連れて戻るわけにもいかない」
「……」
「頼む妹紅、お前とあそこの連中の関係は重々承知している。だが、このままでは蓮子がどうなるか、私にも判断がつかない。向こうの知恵を借りたいんだ」
「……保証はできないぞ。それに、あいつのことだ、いきなり攻撃してくるかもしれない」
「そこは私が何とか守るさ。――頼む」
 頭を下げた慧音さんに、妹紅さんは「あー、くそっ」とがりがりと頭を掻いた。
「私に頭を下げてどうするんだよ。あいつらにとっとけ。――案内する」
「すまない。――メリー、行くぞ」
 慧音さんは、蓮子の身体を抱え上げると、その背に負ぶった。意識を失ってぐったりと慧音さんに体重を預ける蓮子を見やって、私はそれから慧音さんと妹紅さんを交互に見やる。
「行くって……どこへですか?」
「医者のところだ。――歓迎してもらえるかは解らないがな」
 険しい顔でそう答えた慧音さんに、妹紅さんが困ったような視線を向けていた。

 何がなんだか解らないが、私はただふたりに付いていくしかない。
 先を歩く妹紅さんは、竹林の奥深くへと足を向けた。里へ戻るわけではないらしい。私は蓮子を負ぶった慧音さんと並んで、その後を追いかける。――平衡感覚が狂いそうな、延々と続く同じ景色。迷いの竹林、と呼ばれている所以がよくわかるし、この竹林にはやはり見覚えがある気がする。いつだったか、夢の中で視たような――。
「あの兎がいれば、少しは話がしやすいんだけどな……」
 妹紅さんがそう呟いた。兎? そういえば子供たちも、竹林に兎の妖怪が出ると話していたけれど――。
 ぼんやり私がそう考えて歩いていると、急に妹紅さんが立ち止まり「止まれ!」と言った。慌てて私たちは足を止める。――何か妖怪でも出たのか、と身構えたが、それらしき影は見えない。私は視線を巡らす――と。
「……妹紅さんに慧音さん?」
 竹林の闇の中からそんな声がした。隣で慧音さんが「ああ」と息を吐く。
「影狼か」
 その声に、闇の中からひとりの少女が姿を現した。――長い黒髪の少女だった。その頭部に、いつかの白狼天狗のような獣の耳が生えている。どこか不安げな顔をして現れた少女は、私に気付いてびくりと身を竦める。
「だ、誰!?」
「怖がらなくていい。私の友人だ。……ゆっくり紹介したいところだが、今はそれどころじゃない。病人がいてな」
 背中の蓮子を振り向いて言った慧音さんに、影狼と呼ばれた少女は眉を寄せる。
「病人? こんな月が変な夜に……病人を連れてどこに行くの?」
「まあ、そこはちょっとアテがあってな。……兎を見ていないか」
「あのイタズラ兎たち? ううん、見てないわ。月があんなだから、みんな引っ込んでるんじゃない?」
「そうか……」
「というか、あの月、何なの?」
 影狼さんは不安げな顔で歪な月を振り仰ぎ、嫌悪感を滲ませて視線を逸らした。
「影狼、あれは君もあまり直視しない方が良さそうだ」
「……そうみたいね。慧音さんたちも気を付けてね」
 くるりと踵を返し、影狼さんは竹林の奧へ消えていく。
「あの、慧音さん。彼女は?」
「今泉影狼といってな、この竹林に暮らしているワーウルフだ。色々あって人間に対しては複雑な感情を抱いているようだから、気を悪くしないでほしい」
「あ、いえ、それは別に……」
 と、慧音さんの背中で蓮子が呻いた。「それどころじゃないな」と慧音さんは息を吐く。
「妹紅、兎を探してる余裕はなさそうだぞ」
「仕方ないな、殴り込みをかけるか。――こっちだ」
 物騒なことを言って、妹紅さんは歩き出す。私はただ慧音さんとともにその背中を追った。

 ――そうしてしばらく進んだ先で、不意に妹紅さんが足を止める。
「このあたりでいいだろう。――危険だから下がっていてくれ。慧音、ふたりを頼む」
「解った。気を付けてな」
「心配しなくても、私なら問題ないさ」
 笑ってそう言った妹紅さんに、慧音さんが複雑な顔を見せながら、私を促して数歩下がる。それを確かめた妹紅さんは、眼前の闇に向き直ると――何かを受け止めようとするかのように、右の手のひらを上に向けた。
 ――そこに、ゆらり、と、不意に炎が浮かび上がる。
 私は目を丸くした。何もない空間に火の玉を――まるでファンタジーの魔法だ。いや、この幻想郷ではそのぐらい驚くには値しないのだけれども、それでも科学世紀の物理法則を超越した現象を不意に見せられるとやはり自分の目を疑ってしまうのは外来人の性だ。物理学の徒である相棒が元気であれば、あの炎は何を燃焼させているのか、エネルギーはどこから生じたのか、などを考え始めるのだろうが――。
 妹紅さんの手のひらに浮かんだ炎は、渦を巻いて妹紅さんの右腕を取り巻いた。熱くないのだろうか――と間抜けな感想を覚える私の前で、妹紅さんは「――はッ!」とその右腕を突き出す。そこから炎が渦を巻いて、鳥のような形を為して闇を切り裂いていき――。
 不意に、炎の鳥が闇の中ではじけ飛んだ。
「輝夜。いるんだろう、出てこい」
 妹紅さんがそう呼びかけると――ゆらりと、竹林の闇が蠢いて。
「あらあらもこたん、今日は助っ人でも連れてきたの?」
 その闇の中から――ゆっくりと、ひとりの少女が姿を現す。
 妹紅さんが再びその右腕に炎を生じた。赤い光が、そこに現れた影を照らし出す。
 私は息を飲んだ。――美しい少女だった。いや、美しい、という一言だけでは、その美貌を表現するにはあまりにも不足している。絵にも描けない美しさとは竜宮城のことだけれども、私にしてみれば、それは文字にも起こせぬ美しさというべきだった。それはあまりに人間離れした、〝美しい〟という概念そのものが服を着て歩いているような少女。美しいものは人を惹きつけるものだけれど、その少女の美しさは――まるで他者を拒絶するような。
 そして少女は、その美しすぎる顔に、凄絶な笑みを浮かべて言い放つ。
「まとめて殺してあげても、私は構わないけれど?」





―5―


「生憎だが、今日は殺し合いに来たわけじゃない」
 輝夜と呼ばれた美貌の少女の物騒な言葉に、妹紅さんも物騒な言葉を返す。妹紅さんの言葉に、少女は目を丸くした。着物の袖で口元を隠し、訝しげに目を細める。
「どういうこと? 貴方と私の間に殺し合う以外の用件なんかあったかしら」
 このふたり、いったいどういう関係なのか。隣の慧音さんを見ると、ひどく心配そうな顔でふたりを見守っている。
「お前の従者、確か医者だったな」
「永琳? 医者じゃなくて薬師よ」
「どっちでもいい。――急病人がいるんだ、診てやってくれ」
「あらあら――うちは病院じゃなくてよ」
 輝夜さんはちらりとこちらを見やる。その眼に見つめられることに恐怖めいた感情を覚えて、私は思わず身を竦めた。輝夜さんは肩を竦める。
「だいたいどうして、私がもこたんの頼みを訊かなければならないのかしら?」
「――それなら、私からお願いします。里の人間の上白沢慧音です。あの歪な月にはそちらも気付いているでしょう。私の背中の彼女は、あれを直視して倒れてしまったのです。月の狂気にあてられたのかもしれない――貴方たちならばそのあたりのことは専門ではないですか」
 慧音さんが一歩前に出て、そう言いつのった。輝夜さんはきょとんとしたあと、歪な月を振り仰ぎ、「あの月を? あらあら、ふうん――」とどこか思案げに首を捻った。
「だそうだけど、永琳、聞いてる?」
「聞こえてるわ。大人数で押しかけてきたと思ったら、そういうことだったのね」
 と、輝夜さんが背後へ声を掛けると、新たな声がその場に割り込んだ。姿を現したのは、ひどく奇妙な格好をした女性だ。左右で赤と青の二色に分かれた服を着た、長い銀髪を三つ編みにした妙齢の女性。永琳と呼ばれた彼女は、輝夜さんを追い越して慧音さんに歩み寄る。
「貴方たちは姫の敵だけれど、急病人がいるなら一時停戦としましょう。ましてあの月のせいだというなら、仕方ないけれど責任を取るにやぶさかではないわ」
「責任? どういうことだ」
「企業秘密。とにかくその子を診せて頂戴」
 永琳さんはそう言って、慧音さんの背中から蓮子の身体を受け取る。蓮子の閉じられた目を押し開け、ためつすがめつした永琳さんは、「――面白い目をしているわね」と呟いた。
「あの月を見て倒れたのね?」
「あ、ああ。それからずっと目を押さえて――嘔吐と発熱の症状もある」
「なるほど――なかなか興味深い事例ね。いいでしょう」
 永琳さんはそう呟いて、ひょいと蓮子の身体を抱き上げる。細身に似合わず力持ちだ。
「案内するわ、ついておいでなさい」
「あら永琳、いいの? 穢れた人間を」
「このぐらいならイナバたちの出入りと大差ないわ」
「それもそうね。――それじゃあもこたん、私たちは殺し合いましょうか?」
「馬鹿を言え。お前たちが悪さをしないか見張りに行かせてもらうぞ。なあ慧音」
「あ、ああ――そうだな」
 慧音さんは少し困ったように私を見つめた。私は頷き、二人に先んじて永琳さんの後を追う。ともかく、今の蓮子を放ってはおけないし、得体の知れない人任せにしてもおけない。この二人が何者にせよ、蓮子のそばについていてあげないといけないのは、私だ。
 後ろから妹紅さんと慧音さんがついてくる足音がする。永琳さんがちらりと私を振り返って、何か目を細めたけれど、その視線の意味は私には解らなかった。

 竹林の中を少し進んだところで、不意に私は目の前の闇に違和感を覚えて立ち止まった。
「……結界?」
 視える。目の前の空間、延々と同じ竹林が続いているはずの場所に、薄い皮膜がぼんやりとかかっていて、それが可視光線をねじ曲げるようにしている。その結界の内部に存在するものを、外部の目から隠そうとしている、かなり意識的な、そして強力な結界だ。
 私の呟きに、永琳さんが足を止め、「――視えるの?」と振り向いた。
「……何の結界ですか、これは」
「へえ――貴方も面白い目をしているようね。地上の民も侮りがたしというところかしら」
 答えてくれる気はなさそうである。と、永琳さんはその結界に手を触れた。結界がたわみ、ゆっくりと亀裂が開いていく。永琳さんと輝夜さんがそれをくぐり、私たちも後に続いた。
 ――次の瞬間、目の前の景色は一変していた。
「わっ――」
 私は目を見開く。目の前の、竹林だったはずの場所に、大きな日本屋敷が佇んでいる。里にある稗田邸を思わせるような広大な屋敷だが、門も建物もまだ真新しい。さっきの結界は、この屋敷を隠していたのか――。
「……ここがお前たちの隠れ家か」
「あらら、もこたんにバレちゃったわね。ようこそ、永遠亭へ」
 輝夜さんは手を広げ、にこやかな笑みを浮かべる。その笑みも人間離れした美しさで、私は到底直視できない。そういえば竹林だし、彼女の輝夜という名前はかぐや姫から来ているのだろうか――。
「こっちよ」
 永琳さんが蓮子を抱えたまま門をくぐる。その後についていくと、永琳さんは不意に足を止めて、私の方を振り返ると、蓮子の身体を私に押しつけてきた。私はぐったりと重たい蓮子の身体を抱き留めて、永琳さんを見つめ返す。
「輝夜、彼女らをイナバの離れに案内して。ウドンゲを行かせるから」
「はいはい。もこたんと愉快な仲間たち、こっちよ」
 永琳さんが玄関に向かい、私たちは輝夜さんの案内で庭の方に向かう。私の力では蓮子の身体を引きずる格好になってしまうので、結局また慧音さんに負ぶってもらうことになった。
 ほどなく、広い庭に一軒の離れが姿を現す。
「どうぞ入って。罠とかはないわよ」
 輝夜さんは扉を開けてくれるわけでもなく、その手前でそう言った。妹紅さんと慧音さんが顔を見合わせ、妹紅さんが引き戸を開いて中を改めた。
「……本当に罠はなさそうだな。慧音」
「ああ」
 慧音さんに続いて私もその離れに足を踏み入れる。離れといっても、私が蓮子と探偵事務所にしている寺子屋の離れとは雲泥の差だった。二十畳ぐらいはありそうな広さである。畳は色褪せていた。そういえば、屋敷が真新しいのに比べると、この離れは少しばかり古びている。
 しかし布団がない。蓮子をどう寝かせようか、と視線を巡らせていると、ぱたぱたと別の足音が離れに近付いてきた。
「姫様、急病人ってどういうことですか?」
「見ての通りよ。あとは永琳とイナバに任せるわ。じゃあね」
「はあ」
 そんな声とともに、また新しくひとりの少女が離れに入って来る。少女は私たちを見て面食らったように赤い瞳を見開いたが、私も少々、その姿には面食らった。いや、幻想郷で一年ばかり暮らして、獣人めいた風貌の知り合いもいるけれど――今度は兎である。
 長いウサミミを頭に揺らし、なぜか外の世界の学校の制服のようなブレザーを着た、赤い瞳の少女は、私たち四人を順番に見やり、慧音さんの背中の蓮子を見て「ははあ」と頷いた。その表情は病人を心配しているというより、面倒を押しつけられたというような顔だ。
「……とりあえず、布団を敷きますね」
 ウサミミの少女はそう言って、押し入れから布団を取りだして手早く広げる。慧音さんがそこに蓮子を寝かせ、ウサミミの少女が毛布を被せた。蓮子はまだ目を閉じたまま、静かな寝息を立てている。
「風邪? いや、その程度じゃお師匠様がここに連れてはこないか。ええと……というか、姫様のお友達ですよね?」
「友達じゃない!」
 妹紅さんが吠える。ウサミミの少女はびくりと身を竦め、「ええと……」と困ったように首を振った。慧音さんが見かねて助け船を出す。
「妹紅のことは知っているんだな。私は上白沢慧音、妹紅の友人だ。こっちはメリー、それからこの急病人が宇佐見蓮子。私が里で保護している人間だ。今、外に妙な月が出ているだろう。蓮子はそれの影響を受けたのか倒れてしまってな」
「あの月の? それは……」
 と、ウサミミの少女は困ったように首を傾げる。
「ご苦労様、ウドンゲ」
「あ、お師匠様!」
 と、そこへ永琳さんが戻ってきた。ウドンゲ、と呼ばれたウサミミの少女はぴょんと立ち上がる。永琳さんはそれに構わず蓮子の元に歩み寄ると、持参した薬箱から小瓶をひとつ取りだして、その栓を開けた。
「薬か?」
「ただの気付け。薬を飲んでもらうにも目を覚ましてもらわないと」
 永琳さんはそう言って、栓を開けた小瓶を蓮子の鼻に近づける。アンモニアでも入っていたのか、蓮子が呻いて薄目を開けた。永琳さんはもうひとつ瓶を取りだし、薄く開いた蓮子の唇に、中の液体を流し込む。こくり、と喉が鳴って、蓮子がそれを飲んだのが解った。
「…………ほ、ぅ」
 蓮子はひとつ息を吐いて、またくたりと脱力した。「眠っただけよ」と永琳さんは言い、それから私たちの方を振り返る。毒でも飲ませたんじゃないだろうな、と言わんばかりの険しい顔をしている妹紅さんに、永琳さんは肩を竦めた。
「この子の目について、何かご存じじゃないかしら?」
 永琳さんは不意にそう問う。私は目をしばたたかせた。蓮子の目――といえば、夜空を見て時刻を呟くあの癖があるが……そのことでいいのだろうか。
「……蓮子は星の光で今の時間がわかり、月を見れば今いる場所がわかると言いますけど」
 私がそう答えると、永琳さんは軽く目を見開いて「なるほど」と頷いた。
「面白い目をしていると思ったわ。それならあの月でこうなるのも当然ね」
「どういうことです?」
 慧音さんが訝しげに問う。
「簡単に言えば、脳が処理能力を超えた計算を行ってしまったの。あの月に仕込まれたジャミングのための情報を彼女は計算してしまったのね。どれほどの頭脳の持ち主でも、ただの人間があれを頭で計算したらパンクするわ」
「何の話だ。こっちに解るように喋れ」
 妹紅さんが苛ついたように言う。永琳さんは「要するに、頭の過労」と答えた。
「目が痛む、というような症状を訴えたでしょう?」
「……はい、目をずっと押さえてました」
「過剰な情報が目と脳に一瞬にして焼き付けられて、神経が参ってしまったのね。薬は作るから、それを飲ませてしばらく休ませておけば、神経が修復されて元に戻るわ。ただ、――そうね、貴方たちの暦で一週間は視力が戻らないと思っておいて。頭を使わせるのも可能な限り避けて、安静にすることね」
「一週間も……」
 私は蓮子の寝顔を見下ろす。一生戻らない、と言われなかっただけありがたいと思うべきなのだろうが、一週間を盲目で過ごすとはどんな気分なのか、私には想像もできない。
 永琳さんは立ち上がり、「とりあえず、今夜はここに泊まっていいわ」と言った。
「目と脳に負担をかけないように安静にしていればいいから、明日以降は里に連れて戻るなり好きにして結構よ。じゃあ、私はこれで。何かあったらそこのウドンゲに言いつけて頂戴。ウドンゲ、この人間たちのことは任せたわよ」
「は、はい、解りました、お師匠様」
「――永琳殿、ありがとうございます」
 慧音さんが頭を下げ、憮然とした顔の妹紅さんも「……世話を掛ける」とぼそっと呟いた。私も頭を下げる。永琳さんは「貴方たちに感謝されるとはね」と苦笑して、離れの建物を出て行った。後には私たちと、ウドンゲと呼ばれたウサミミの少女が残される。
「なんで私が地上の人間の世話なんか……」
 不満げな顔でそう呟いた少女は、私たちの視線に気付いて顔を上げ、「あ、ええと、お水汲んできます」と出ていった。私は息を吐き、毛布からはみ出た蓮子の手を握りしめる。
「蓮子……」
 自分の無力さを噛みしめるように、私は蓮子の手を自分の額に押し当てた。私は何もできない。相棒が苦しんでいる横で、ただこうして心配していることしか――。
 慧音さんが、ぽんと私の肩を叩いた。私は振り返らず、ただ蓮子の手を強く握りしめた。





―6―


 ――とはいえ、蓮子の手を握っているだけならば私ひとりで十分である。
「慧音、どうした?」
「ああ、いや……」
 慧音さんがそわそわしているのに気付いて、妹紅さんがそう声を掛ける。慧音さんは申し訳なさそうに蓮子を見やって、それから腕を組んだ。
「あの月が何であれ、あれが幻想郷の妖怪たちにどんな影響を及ぼすか……それが気がかりでな。……メリー、すまないが、私は里に戻らせてもらいたい。ここにいても、私にできることはなさそうだし、おそらく里でもあの月は問題になっているだろうから、自警団の招集がかかるはずだからな。――妹紅、ふたりのことを頼んでいいか?」
「解ったよ。私も病人とその付き添いを抱えてまで輝夜と殺し合いはしないから安心しろ」
「……解りました。お気を付けて」
「すまない」
 申し訳なさそうに目を伏せ、慧音さんは立ち上がる。里の自警団員である慧音さんは、この月の異変が人間の里にどんな影響を及ぼすかを見極めて対応を考える必要がある。私も里で暮らしている身だ、いつまでもここに慧音さんを拘束しておくのは心苦しい。
「帰りは兎に案内してもらえ」
「ああ、そうする。――それじゃあ、お大事に」
 離れを慧音さんが出ていくのと入れ替わりで、ウドンゲと呼ばれたウサミミの少女が桶に水を汲んで戻ってきた。「使ってください」と素っ気なくそれを土間に置き、それから「あと、これ」と何かをこちらに投げて寄越す。私が受け取ると、アイマスクだった。
「それでそこの彼女の目を休めるようにと、お師匠様から」
「わかりました」
「それじゃ、何かあったら――これを鳴らして。聞こえるから」
 もうひとつ、ベルを置いてウサミミの少女は去って行く。世話になっている身でなんだけれど、あまり態度の良くない子である。いや、妖怪なら人間に対してはそのぐらいの方が普通なのか。そういえば、子供たちが言っていた兎の妖怪とは彼女のことだろうか――。
 いや、そもそもこの屋敷とその住人たちはいったい何者なのだろう?
「……あの、妹紅さん」
 蓮子にアイマスクを被せてから、私がそう呼びかけると、妹紅さんは振り向いて苦笑した。
「説明しろ、って顔だな」
「あ、いえ……ええと」
「まあ、そりゃお前には解らんよな。あー、どっから話したもんかな――」
 頭を掻いて、妹紅さんはひとつ唸る。
「私もここに来たの自体は初めてなんだが――あの輝夜と、その従者の永琳は、私の仇敵なんだ。あいつには色々と、積年の恨みがあってな」
 険しい顔で言う妹紅さんに、私は顔を伏せた。私たちのために、嫌いな相手に頭を下げてくれたわけだ。申し訳ない話である。
「すみません……」
「気にすんな。私もこれであいつらのアジトをようやく突き止められたしな。ったく、こそこそと隠れやがって」
 口を尖らせて鼻を鳴らす。そういえば、屋敷の前には随分と強い結界が張られていて、屋敷の存在自体が隠されていた。彼女たちには何かから隠れているのか。仇敵だという妹紅さんから? いや、あの様子ではそういうわけでもなさそうだが――。
 私は離れの窓に目をやる。見えるのは竹林だけで、あの歪な月はここからは見えない。いや、蓮子があの月を見て倒れた以上、ここから見えたら問題なのだが――。
 そういえば、さっき永琳さんが妙なことを言っていた気がする。
「……月に仕込まれたジャミングって」
 確か、蓮子が倒れた原因を、それを脳が計算してしまったがためのオーバーヒート、みたいに説明していたはずだ。ジャミング? あの歪な月は、では何かの妨害なのか……? というか、つまりそれは――。
「妹紅さん。――あの月は、あの人たちの仕業なんでしょうか?」
「あ? 輝夜とあの従者のか?」
「はい。……蓮子が倒れたことに対して、責任があるとかなんとかも言ってましたし」
 妹紅さんは眉を寄せる。
「……確かに、あいつらならそのぐらい、やってもおかしくはないな。何しろ、あいつらは月から来た連中だからな――何のためかは知らんが」
「月?」
 私は目をしばたたかせた。月から来た、って――。
「あ、そうか、言ってなかったな。あいつ、あの輝夜の奴は――」
 妹紅さんが、そう言いかけたところに。
「かぐや姫、と言えば、解ってもらえるかしら?」
 その声が割り込む。私たちが振り向くと、輝夜さんが離れの入口に佇んでいた。
「外では、私のことがそんな風に呼ばれて、昔話になっているんでしょう?」
 微笑む輝夜さんに、私は目をしばたたかせた。
「……え、じゃあ――貴方が、かぐや姫、本人なんですか?」
「ええ、その通りよ。――で、そこのもこたんは、私に求婚してきた貴族の娘」
 愉しげに、妹紅さんを指さして、輝夜さんはそう言った。
 その言葉の意味が、私には咄嗟に理解できなかった。

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この小説へのコメント

  1. 待ってました!
    蓮子とメリーが永夜抄をどのように推理するのかがとても楽しみです!

  2. メリーさん本当に健気ですね。
    このあとの語らいがどうなるか楽しみにしております。

  3. 今までは異変の前に犯人と関わってたけど、今回は異変後だ・・・

  4. このころの姫様はまだほんわかしてないというか、緊張状態というか、月からの使者が明日にでも来るんじゃないかと心の中で怯えていたから、ばれないようにしていたのかもしれないのかなと、永夜抄発売から12年たった今思いました。

  5. 原作やったことないからよく分からんのだけど、月の人間だからか随分と見下したような言動をするのね永遠亭の人たち…(´・ω・`)

    これからどうなるか楽しみです(^∀^)!

  6. プロローグから見てきました!相変わらず面白いです!次回以降も楽しみに読ませてもらいます!

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