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こちら秘封探偵事務所第4章 永夜抄編   永夜抄編 第5話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第4章 永夜抄編

公開日:2016年05月21日 / 最終更新日:2016年05月21日

永夜抄編 第5話
 さて、かぐや姫、かたちの世に似ずめでたきことを、帝聞こし召して、内侍中臣のふさ子にのたまふ、「多くの人の身をいたづらになしてあはざなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞと、まかりて見てまゐれ」とのたまふ。ふさ子、承りてまかれり。竹取の家にかしこまりて請じ入れて、会へり。女に内侍のたまふ、「仰せごとに、かぐや姫のかたち優におはすなり。よく見てまゐるべき由のたまはせつるになむ、まゐりつる」と言へば、「さらば、かく申しはべらむ」と言ひて入りぬ。




―13―


 さて、ここでひとつお断りしておきたい。
 これまで私の記してきた物語は、原則として私自身の主観を通してのみ記述してきた。これまでの三つの物語は、外面的な物語を要約すれば「異変の主犯を博麗霊夢がとっちめに行った」の一言で済むため、それで問題なかったのであるが――今回の〝永夜異変〟は、その発端から解決に至るまでが、非常に複雑な経緯を辿っている。
 私自身の主観的記述のみでは、何が起こっていたのかの説明が非常に煩雑になる。よって今回ばかりは私の一人称視点という原則を外し、異変後に当事者から聞いた話や阿求さんがまとめた記録に基づき、三人称によって異変の背景について語ることにしたい。
 ――というか、蓮子が倒れてから異変が始まるまでの数日間、永遠亭に半ば軟禁されて兎たちと遊んで暮らしていた私たち自身のことは、あまり書くことがないのである。慧音さんには妹紅さんを通じて永琳さんの意向が伝えられ、妹紅さんもさすがに四六時中、宿敵の懐にいるのも落ち着かないのか「後でまた様子を見に来るからな」と帰ってしまい、かくして私たちは永遠亭の離れで数日間、ひどく遊惰な入院生活を送ることになったわけだ。
 そんなわけで、物語の舞台は竹林の奧から――魔法の森へと移る。
 永琳さんたちが贋物の月を出してから、四日後のことだ。

      * * *

 月が入れ替わっていることに、アリス・マーガトロイドは最初の晩から気付いていた。
 月光のもつ魔力は、魔法使いにとっても魔法の効果の増幅や魔力消費の効率化をもたらす。とはいえ無ければ困るというほどのものではないし、それでいったらこの魔法の森に満ちている魔力の方がよほど有用なので、普段は月の魔力のことは、アリスはさほど気にしない方だ。
 だが、気にしないからといって、それが感じられなくなれば、おかしいとは思う。
 故に、空に浮かぶ贋物の月に遮られ、月の魔力が地上に届かなくなっていることはすぐに理解した。理解した時点で、アリスはその事象に興味を失っていた。これは異変だ。ということは、博麗の巫女がそのうち解決に向かう。アリスがするべきことは何もない。
 そう決め込んで、家に籠もって読書に耽っていたのだけれども。
「……何であいつら人間たちは、この大異変に気が付かないのかしら、ねえ?」
 本を読み終えたところで、窓の外、木々の切れ目から覗いた贋物の月を見上げて、アリスは誰にともなくそう呟いた。そろそろ満月のはずなのに、贋物の月は少し欠けたままだ。
 既に、贋物の月が出て五日目である。本物の月が何者かに隠されてしまうなどという大異変ならば、即日で博麗の巫女が動くだろうとアリスは勝手に思っていたのだが、まだ解決されていないということは、おそらく霊夢ばまだ動いてすらいない。霊夢が動いていないということは、同じ森に住むあの野魔法使いも動いていないのだろう。
「人間が、ここまで月に無関心だったとはね」
 アリスはため息をつく。このまま贋物の月に本物の月が隠されたままでは、色々とどんな不都合が生じてくるか解ったものではない。特に――いや、とアリスは首を振る。
 ともかく、霊夢たちが動かないなら、少し自分で調べてみようか。
 アリスはそう思い、とりあえず立ち上がってはみたが――すぐに安楽椅子に座り直した。
 調べるといっても、何を手がかりにしたものか。贋物の月で本物の月を出せるような強い力を持った妖怪は、この幻想郷にもそう多くはないだろうが、いかんせんアリスにはそもそも知り合い自体が少ない。この異変の犯人にも心当たりはない。
「……面倒ねえ。こういうのは慣れてる人間がやればいいのに」
 もう一度ため息をつき、「ああ、それなら人間にやらせればいいのね」と手を叩いた。
 さて、そうすると、やはりここは博麗霊夢に声を掛けようか。
 ――しかし、霊夢が現状を異変と認識していないなら、自分の言葉であいつは動くだろうか?
 答えは否であろう。わざわざ霊夢を説得するほどの強い動機もアリスにはない。
 それなら――。
「後腐れのない人間の方がいいかしらね、この場合」
 同じ森の、野魔法使い。あっちの方が動かしやすいだろう。そう考えてアリスは立ち上がると、近くの本棚から数冊の魔道書を見繕って小脇に抱え、それから人形たちを連れて家を出た。このグリモワールは餌だ。紅魔館の図書館に盗みに入っているというあの人間ならば、これで動かない道理はない。
 せいぜい異変解決に励んでもらおう。霊夢を出し抜けるとなれば、あいつはなおさら張り切るだろう。そんなことを考えながら、アリスは森の中を急いだ。

      * * *

 一方、霧の湖の畔に位置する紅魔館。
 その主、レミリア・スカーレットもまた、本物の月が隠されていることに気付いていた。
 月の狂気は吸血鬼の力の源である。それが贋物の月に隠されてしまって以来、もう五日目になる。このままでは満月が訪れないではないか。毎日が新月ではたまったものではない。
 だからレミリアは、紅魔館のテラスから贋物の月を見上げて、その目を剣呑に細めた。
 メイドにあの月を何とかするよう言いつけておいたというのに、未だ解決される気配がないのである。時を止めてさっさと解決してしまえばいいのに、何をやっているのか。
「咲夜~、どこにいるの~?」
 頬杖をついて、ふて腐れた調子でレミリアが呼ぶと、即座に「お呼びでしょうか、お嬢様」と十六夜咲夜が背後に現れた。その迅速さをどうして異変解決においても適用できないのだろう。春先の異変のときも、解決するまで二日も留守にしたのだ、このメイドは。
「頼んでおいたアレはどうなってるのよ」
「アレ、と申しますと、月を元に戻しなさい、と仰られた件でしょうか」
「それ以外の何があるのよ」
「と言われましても、申し訳ないのですが私にはよく判らないもので……」
 どうにも、目の前の人間には言葉が通じない。あんなに明らかに月が変わってしまっていて、それを元に戻せというこの自分の明瞭簡潔な指示がどうして伝わらないのか。
 このままでは埒が明かない。憤然とレミリアは立ち上がった。
「もういいわ。私が行くから咲夜は館のことを……まあ、好きなようにやって」
「かしこまりました、お嬢様。ではこの十六夜、お供させていただきます」
 ふん、とレミリアは鼻を鳴らして、贋物の月を見上げる。
 このツェペシュの末裔から満月を取り上げようなどという不遜な輩には、吸血鬼の恐ろしさをとくと味わわせてやらねばなるまい。吸血鬼としてのレミリア・スカーレットの力を、今一度この幻想郷に広く知らしめるいい機会だ。
「しかしお嬢様、何かあてでも?」
「適当にそれっぽいのを蹴散らしていけば、そのうち犯人に当たるわ」
「はあ」
 咲夜は困ったように首を傾げ、「では、夜を止めておきましょう」と言った。
「ふん?」
「万一、お嬢様の外出中に夜が明けてしまっては大事ですわ。夜が明けないように、少しばかり幻想郷の時間の流れを弄ります。パチュリー様の助力が必要になりますし、あまり長い時間は保ちませんが」
「なら、さっさと済ませてらっしゃい」
「かしこまりました」
 咲夜の姿が消える。かりそめの永遠の夜か。結構な話ね、とレミリアはほくそ笑んだ。





―14―


 月が贋物であっても、人間の里は概ね平穏だった。
「平穏なのは結構なのだが……自警団に危機感が足りないのは困ったものだな」
「そうですね~」
 すっかり陽の暮れた自警団の詰所で、上白沢慧音は部下の小兎姫とお茶を飲んでいた。
 五日前、蓮子とメリーを永遠亭に運び込んだあと、慧音はこの贋物の月が妖怪にどんな影響を与えるか、警戒を厳にせねばならぬ――と勇んで里へ戻ったのだが、里の人間たちは誰ひとりとして月の異変に気付いていなかった。あの月の異常は、妖怪の血が混ざっている慧音だからこそ感じ取れるものだったらしい。
 慧音は月の異変を訴えたが、「何もおかしくないじゃないか」の一言であっさり退けられ、結果として里の警戒態勢は通常と変わりない。仕方ないので慧音はここ数日、小兎姫とともに自主的に夜の警戒に当たっていた。蓮子とメリーが永遠亭に留まったままなので、寺子屋も忙しい。おかげで寝不足である。
「でも、慧音さんが月の異変に気付いてから四日間、何もありませんでしたよね~」
「まだ月の異変は継続中だ。解決するまでは要警戒だぞ」
「は~い、了解です」
 敬礼してみせる小兎姫。この部下に緊張感がないのはいつものことである。慧音は欠伸とため息を一緒に押し殺して、「見回るぞ」と立ち上がった。

      * * *

「ああもう、こんな雑魚にかまってないで先急ぐわよ!」
「どこ向かってるんだよ。そっちに敵がいるわけないだろ」
 通りすがりに夜雀を蹴散らしたアリス・マーガトロイドと霧雨魔理沙のふたりは、魔法の森から人間の里の方角へと飛んでいた。先導するのはアリスである。
「でも、あっちの方から妖気を感じるのよ」
「そっちは人間しかいないぜ。私のように善良な」
「知ってるけど、あんたみたいな異常な人間が大勢いたらたまらないわ」
「普通だぜ」
「そんなこと言ってたら、そのうち人間じゃなくなるわよ」
 肩を竦めるアリスに、ふん、と魔理沙は首を傾げた。それにしてもこいつ、何をそんなに力んでいるのだろう。普段は森に引きこもって人形と話ばかりしている陰気な奴のくせして、今夜は妙にテンションが高い。だいたい、自分に魔道書をちらつかせて連れだそうって時点で既に怪しいのである。面白そうだからいいのだが。
 そんなことを考えながら闇夜を見つめていた魔理沙は、「あー?」と眉を寄せた。
「なによ?」
「アリス、お前の言う妖気って、あいつらのことじゃないのか?」
 東の方に向かって飛ぶ魔理沙たちの左手側――幻想郷の北側から、飛んでくる影がふたつ。魔理沙にとっても、随分と見覚えのある影だった。
「あれ――紅魔館のお嬢様とメイドじゃない」
「吸血鬼が、贋物の月に怒って飛び出してきたのか? それとも案外、これもあいつらの仕業だったりしてな」
 魔理沙は箒をそちらに加速する。「ちょっと待ちなさいよ!」とアリスが慌てるが、構わず魔理沙は星屑を散らしてレミリアと咲夜に翔け寄った。ふたりもこちらに気付き、振り向く。
「よう、お嬢様。メイドをお供にお月見か?」
「魔理沙じゃない。生憎、あんなおかしな月を観賞する趣味はないわ」
「ふうん。ってことはお前らの仕業じゃないってことか」
「舐められたものねえ。私がやるならもっと大きく美しい紅い月を出すよ。あんな美意識に欠けた月を出すような輩には、本当の月というものを教えてあげなくちゃ」
 凶暴な笑みを浮かべるレミリアに肩を竦め、魔理沙は咲夜に向き直る。
「だそうだが、大丈夫なのか? 夜が明けたらコイツ灰になっちまうだろ?」
「大丈夫ですわ。夜が明けないように少し細工をしておきました。万一のときは日傘を」
「便利な奴だな。こっちの引きこもり人形マニアとはえらい違いだぜ」
「誰が引きこもり人形マニアよ」
 ようやく追いついたアリスが半眼で魔理沙を睨み、それから咲夜とレミリアに「ごきげんよう」と声を掛けた。レミリアは軽く手を振り、咲夜は一礼。
「ところで、お前らは月の異変の犯人に心当たりがあるのか?」
「特にないわ」
「ないのかよ」
「そちらは何か?」
「あー、こういうときはアレだ、物知りな奴に聞くのがいい」
 咲夜に問われ、魔理沙は里の方を見やった。里の心当たりが実際にこの異変の首謀者を知っているかどうかは定かでないが、とりあえず行ってみる価値はあるだろう。アリスの言う妖気よりはあてになる。
「パチェに聞いてくればよかったかしら?」
「パチュリー様はご存じないようでしたわ」
「そっちじゃない。里に心当たりがひとりいる。押しかけりゃ勝手に出てくるだろ」
 魔理沙の言葉に、レミリアと咲夜は顔を見合わせ、アリスは首を傾げた。

      * * *

 人間の里は、幻想郷の中央、やや東よりの平地に広がっている。
 東に向かうと博麗神社、北に向かうと霧の湖や妖怪の山、西に向かうと魔法の森や無縁塚、そして南へ向かうと迷いの竹林や太陽の畑が広がっている。
 東は博麗神社側なので野良妖怪の脅威は薄い(霊夢に問答無用で退治されるから、霊夢の知己以外の妖怪は近寄らないのだ)。残る三方をどう見回るか、ということで、とりあえず小兎姫を西に向かわせ、慧音は北側へ向かった。小兎姫はああ見えて妖怪退治の家系の末裔で、見た目に似合わず里の人間としては結構な実力者だから、ひとりでも任せられる。
 慧音は北の門の前に立ち、空に浮かんだ贋物の月を振り仰いだ。この異変に、妖怪たちがいつまで大人しくしてくれているか――最も恐れるべきは、月の光によって力を補充できなくなった妖怪が、空腹を満たそうと里を襲うという展開だった。しかしこればかりは、早くこの贋物の月を首謀者に引っ込めてもらうしかない。どんな事情があるのかは知らないが――。
 少し、門の外の様子を確かめておこう。そう考え、慧音は門を押し開ける。重い音をたてて門が開き、霧の湖へ通じる野道が贋物の月に照らされている様が目の前に広がる。
 ――次の瞬間、ざわり、と慧音の肌が粟立った。
「…………!」
 不穏な気配に、慧音の身体の中に流れるハクタクの血が騒いだ。
 何かが来る。ひどく剣呑な気配が、この里へと向かってくる。
「まずいな……」
 ただの野良妖怪ではなさそうだ。他の自警団員や博麗霊夢を呼びに行く余裕はない。ならばここは、何が来るにしても自分ひとりで食い止めるしかない。何が来るかわからない現状、慧音にとることができる最良の手段は何か――。
 それは、里を襲撃者の目から隠してしまうことだ。
 何もなければ、それに越したことはない。最優先すべきは里が妖怪に襲われる事態の回避。慧音自身への負担は大きいが、手段を選んでいる暇はない。
「――ハクタクの血よ、私に力を貸してくれ」
 普段は意識して押さえ込んでいる、この身に流れるハクタクの血の力。満月の夜以外でも、その能力を使おうと思えば使うことはできるのだ。身体の負担が大きいのと、日常生活で使う理由のない能力であるから封印しているだけで。
 この力は、里を守るために使わねばならない。
 それが、半人半妖でありながら里で暮らしている慧音の矜持だった。

「歴史を、喰らうぞ」

      * * *

 遠目に見えていた人間の里が、突然、ふっと消え失せた。
 少なくとも、霧雨魔理沙の目にはそう見えた。
「おん?」
 何かがおかしい。訝しんで目を細める魔理沙の脇を、アリスとレミリアが先行していく。
 これだとまるで、妖怪が人間の里に攻め入ろうとしてるみたいだな――と魔理沙がそう考えたとき、その視界に割り込んでくる影がひとつあった。
「お前たちか。こんな真夜中に里を襲おうとする奴は」
 四人の進行方向の中空に佇み、凛とした声をあげるその影。あの声は――。
 と、魔理沙が思うより先に、咲夜が声をあげていた。
「お嬢様。こんなところ、さっさと通り抜けましょう」
「まあ、別に飢えてはいないけど……人間風情がこのレミリア・スカーレットの邪魔をしようとは、いい度胸ね。相手になってあげるわ」
「やはり妖怪か……今夜を無かったことにしてやる!」
 獰猛な笑みを浮かべたレミリアに、その影の主はいきり立って挑みかかる。――間違いない、上白沢慧音だ。この異変について何かを知っていそうな、魔理沙の心当たりである。だが魔理沙が止める間もなく、レミリアと慧音の間に弾幕ごっこの幕が開く。
 仕方ない、ここは成り行きに任せるぜ。魔理沙は帽子を被り直して、レミリアに「おーい、そいつ間違っても殺すなよー」と声をかけたが、聞こえていたかどうかは定かでなかった。

「……お前たち、何が目的だ?」
「ふん、もう後が無いんじゃないかい?」
「お嬢様、少々お戯れが過ぎますよ」
 じりじりとレミリアに押されて後退しながら、慧音がそう問うた。鼠をいたぶる猫のような顔で剣呑に目を細めるレミリアを、咲夜が諫める。
 だが慧音の顔に、追いつめられた様子はない。
「よく見てみろ、悪魔たちよ」
 不意にその手を広げて、慧音は言った。
「ここには何も無かった。そう見えるだろう?」
「って、ここは人間の里でしょう?」
「よく見ろ。見ての通り、ここには何もなかったんだよ。いいから、さっさと通り過ぎるんだ」
「嫌な態度ですわね。里と人間をどこへやったのかしら?」
 咲夜の問いに、慧音は不敵な笑みを浮かべた。
「判らないのか? そもそも、人間はここにいなかったことにしたんだ。今、ここの里の歴史は全て私が保護している」
「ねえ咲夜。こいつ、フランの家庭教師にいいんじゃないかしら? 郷土歴史学の先生」
「うちにはもう知識人はいりませんわ。――お嬢様、少々お時間をいただけますか?」
「しょうがないわねえ。ちょっとなら、私の時間も使っていいわ」
「ふん。――そこの悪魔の歴史も私がいただいてやる!」
 第二ラウンド開始である。どうやら完全にレミリア側が勝つまで魔理沙が話しかける余地はなさそうだった。魔理沙がため息をついて見守っていると、アリスが寄ってくる。
「ちょっと、私は急いでるんだけど。あんな人間に構ってる暇はないのよ」
「まあ落ち着けよ。私の心当たりはあいつだ」
「彼女? 歴史家じゃなかった?」
「なんだアリス、お前も知ってんのか、慧音のこと」
「ええ、ちょっとね。――でも、まさか彼女がこの異変の首謀者でもあるまいし」
「そりゃそうだ。でも、あいつなら物知りだから何か知ってるだろ」
「それ、ただの勘でしょう?」
「勘だぜ」
 やれやれ、とアリスはため息をつく。その二人の目の前で、闇夜を切り裂いて光の饗宴が繰り広げられていた。絢爛たる弾幕の宴を、贋物の月が静かに見下ろしている。

      * * *

「さあ、すっきりしたところで先を急ぎましょう」
「まだ里は元に戻ってないけど、もうすっきりしたの?」
「もうすっきりしましたわ。きれいさっぱり」
 勝負の行方は言うまでもなく、レミリアたちの勝利である。レミリアは腕組みをしてワーハクタクを見下ろした。ワーハクタク風情が、この偉大なる吸血鬼に逆らおうなど五百年早いのだ。しかし、どっちかというと咲夜のストレス解消だったような気もしないでもないが。
 ぱんぱんと手を払う咲夜に、レミリアは肩を竦める。と、半獣の人間が歯がみしながらこちらを睨んできた。
「くそ、満月のときならばこんな奴には……」
「そうそう、私たちは満月を取り戻そうとしているのよ」
 そこへ割り込んだのは、図書館によく来る人形遣いである。ワーハクタクは眉を寄せた。
「なんだそれは。聞いてないぞ」
「お前が言わせる暇を与えなかっただけだぜ」
 魔理沙がそう言うと、ワーハクタクは目を剥き、「魔理沙?」と素っ頓狂な声をあげた。
「あら、あんたたち知り合いだったの?」
「まあ、ちょっとな」
「魔理沙。妖怪を引き連れて里を襲うとはどういうことだ」
「襲ったわけじゃないぜ。慧音が勝手に勘違いしただけだ」
「思い切り襲われたんだが……」
「負けたんだから、約束通りあの贋物の月の犯人を教えてもらおうか。約束は今作ったが」
 その言葉に、ワーハクタクは大きくため息をつく。
「……迷いの竹林に行け。おそらく、その奧の屋敷に住んでいる連中が、月の異変の首謀者だ」
「な、知ってただろ?」
「たまたまじゃないの」
 魔理沙と人形遣いがそう言い合う。レミリアは「迷いの竹林、ねえ。行ったことないわ」と首を傾げた。
「咲夜は?」
「私もありませんが、まあ何とかなるでしょう。知識人は役に立ちますね。家にはもう足りてますけれど」
「うちの知識人は本ばっかり読んでて、あんまり役に立ってない気がするけど」
「無駄知識が豊富なのですよ」
「里に用がないならさっさと行け!」
 ワーハクタクが吠える。「いいけど、里は元に戻しておけよな」と魔理沙が肩を竦めた。





―15―


 月の異変に気付いていなかったのは、博麗霊夢もまた然りであった。
 お月見にはまだ少し早い。だから月を見上げることもない。故に異変に気付かない。
 博麗の巫女としては怠慢かもしれないが、もともと霊夢は腰が重い。異変が起きても、明確に自分に迷惑が降りかかってくるまでは放置する主義だ。
 月が贋物と入れ替わっているぐらい、人間の霊夢には全く関心のないことだったのである。
 ――だが。
 夜が明けないとなれば、話は別である。
「……あれ、今何時?」
 目を覚まし、布団からもぞもぞと起き出そうとして、部屋の中が真っ暗であることに気付いて、霊夢は目を擦った。夜中に目が覚めてしまうことなんてなかったはずだけど……と思いながら、手探りで障子戸を開ける。――夜空には皎々と月が光っていた。しかし、それにしては目覚めがすっきりとしている。朝まで熟睡していたみたいに。
 月明かりが差し込み、部屋の掛け時計を照らす。霊夢はその文字盤に目を凝らし――「え?」と思わず呟いていた。時計の針は、一時になろうかというところだった。
「まだこんな時間?」
 ――おかしい。目を擦り、霊夢は時計と月を見比べる。体調は、既に朝まで十分な睡眠をとったときのものだ。今が午前一時では、もっとずっと寝不足で頭が重いはずである。
 何かが起こっている。異常な事態が。――霊夢の勘がそう告げていた。
「誰かが夜を引き延ばしているのかしら? そんなことが出来そうなのは……」
 即座に何人かの顔が浮かぶ。あるいは見知らぬ何者かの仕業かもしれない。
 ともかく、夜が明けないのは困る。それはもう単純かつ自明な真理として、暗いままでは日常生活が不便極まりないからだ。
「誰だか知らないけど、とっちめてやらなきゃ。――あっちの方ね」
 そうして、博麗の巫女は例によってその直感に従い、お札とお祓い棒を携えて南の方へと飛び立った。――迷いの竹林の方角へ。

      * * *

 魔理沙、アリス、レミリア、咲夜の四人は、竹林で道に迷っていた。
「ねえ魔理沙、なんだか同じところをぐるぐる回ってない?」
「うるさいな。まっすぐ進んでるんだからそんなことあるはずないぜ」
「それにしては、この竹林は長すぎますわね」
「全部焼き払えばいいのよ。ここに犯人がいるんだから」
 レミリアが物騒なことを言い、魔理沙は肩を竦める。鬱蒼と茂る竹の間をすり抜けるように飛んでいるうちに、少しずつ方向感覚をずらされているのかもしれない。
 どうしたもんかな――と帽子を被り直すと、不意に視界が開けた。
「おっ?」
 竹林の中、不意に広場めいて開けた場所に、四人は辿り着いていた。そこは満月の夜、上白沢慧音が歴史の編纂をする場所なのだが、四人にはそんなことは知るべくもない。
「ほれ見ろ、合ってたぜ」
「本当に合ってるのかしら」
 アリスが肩を竦め、夜空を見上げた。魔理沙もそれに倣う。――贋物の月が、心なしか大きく見える。やっぱり正解な気がするぜ、と魔理沙は不敵な笑みを浮かべた。
「咲夜、やっぱり焼き払わない?」
「お嬢様、あまり派手なことをするとあの人間がやって来ますよ」
「それはそれで望むところだけれど――」
 レミリアが不意に言葉を切り、「あ」と上空を見上げた。
「咲夜、焼き払うまでもなかったわ」
「見つけました?」
「見つかったのよ、私たちが」
「おん? ――げっ」
 魔理沙もレミリアの視線の先を追い――そして思わず呻き声をあげた。
 贋物の月を背に、こちらへ一直線に飛んでくる赤い影。
 異変を解決する楽園の巫女、博麗霊夢。
「そこまでよ! やっぱりあんたね。道理で、時間の流れがおかしいと思ったわ」
「何のことかしら?」
「ほら、普段からおかしなことしてるんでしょ? 咲夜って、そうだもんねえ」
「まあ、ひどいですわ」
「いつもおかしなことはしてるけど――今日は一段と大きなことをしてるわね。まるで、紅い霧のあのときみたいだわ。それに――」
 と、霊夢はじろりと魔理沙の方を睨む。
「魔理沙にアリスまで、こいつらと一緒に何を企んでるのかしら?」
「おいおい、何の話だぜ?」
「おかしなことをしているのは咲夜だけど、大きなことをしているのは私たちじゃないわ」
「今は、その犯人を懲らしめに動いているのです」
 レミリアと咲夜がそう答えるが、霊夢は聞く耳を持たない。
「鳥の目はごまかせても、私の目はごまかせないわよ。もうとっくに朝になってるはずなのに、あたりは夜のまま。こんなことが出来るのは、時間を操れる咲夜、あんたでしょう? 夜を止めている犯人は、あんたらだ!」
 お祓い棒を咲夜とレミリアに突きつけて、霊夢はそう宣告する。レミリアは肩を竦め、魔理沙は舌打ちした。そういえば夜が長いとは思っていたが、咲夜の奴、お嬢様のために夜を止めてやがったのか。そんなことすれば霊夢が動き出すに決まってるだろうに――。
「そりゃそうよ。悪いかしら?」
「お嬢様。今は夜を止めることが目的ではありません。霊夢の後ろの月がほら、もうこんなに」
「終わらない夜と月は関係ないでしょ? 夜を止めて、そんでもって吸血鬼が跋扈して、魔法使いまでそれに協力して。これほど危険な夜もないわ!」
「私は夜の王なんだから、そのくらい許しなさいよ」
「とにかく、この場で時間の進みを正常に戻させるわ。妖怪を退治するのが私の仕事よ! 魔理沙、あんたも何を企んでるんだか知らないけど、一緒に懲らしめてあげるわ」
「いや、霊夢、これはだな……」
「何よ魔理沙、歯切れが悪いわね。いつもみたいに言えばいいじゃない。『邪魔だ、そこをどけ!』って」
「馬鹿、霊夢を怒らせるとまずいぜ」
 口を挟むアリスに、魔理沙は顔をしかめて返す。アリスはため息。
「ふん。霊夢、貴方自分の後ろの月を見ても何とも思わないの?」
「月? ああ、そういえば何か変だけど――ああ、これもあんたたちの仕業ね!」
 ダメだこりゃ。今の霊夢にはこちらの弁解は一切通じない。
「ああ、もういいぜ、諦めたよ。この終わらない夜も、欠けて歪な月も、消えた人間の里も、お地蔵さんに傘をかぶせて回ったのも、全部アリスと咲夜がやった。さあ、そこをどきな!」
「勝手に全ての責任を人に被せて誤解を助長しないでほしいものですわ。私たちが夜を止めている理由が、霊夢にはまだ判っていないようね」
 咲夜も諦めたようにナイフをを取り出す。その中でレミリアはひとり、愉しげに笑った。
「咲夜、ここは急がなくてもいいわ。私は誤解されたままで結構よ。いつぞやの借りを返す絶好のチャンスじゃない」
「はあ。お嬢様がそう仰るのなら……」
 咲夜が一歩下がり、レミリアが前に進み出る。
「全員まとめてでもいいけど、お嬢様、あんたが最初? さあ、棺桶に戻る覚悟はいい?」
「棺桶は死人の入るものだって前に言ったじゃない」
「紅くて冥くて窓の少ない棺桶よ!」

 ――かくして、迷いの竹林にて、博麗霊夢は夜が終わらない異変の首謀者であるレミリア・スカーレット、十六夜咲夜、霧雨魔理沙、アリス・マーガトロイドの四人と対峙した。
 一連の出来事は、本物の月が隠された異変ではなく、何者かが夜を止めた異変として認識されたのだ。
 故に、この異変は〝贋の月の異変〟ではなく〝永夜異変〟と呼ばれるのである。

 だが、もちろんこの異変は、ここで博麗霊夢が勝利して終わったわけではない。
 この後、夜の明けない永遠亭で、私たちはまたしても、異変のただ中に放り込まれることになる。盲目となった蓮子とともに――。

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この小説へのコメント

  1. リグルの出番は割愛

    4ボスの霊夢と魔理沙からしたら自機が異変起こしてるんだけど
    やっぱり冥界組が夜を止めた方法はわかんないなぁ・・・

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