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こちら秘封探偵事務所第4章 永夜抄編   永夜抄編 第8話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第4章 永夜抄編

公開日:2016年06月11日 / 最終更新日:2016年06月11日

永夜抄編 第8話
 かやうに、御心を互ひに慰めたまふほどに、三とせばかりありて、春の初めより、かぐや姫、月のおもしろくいでたるを見て、常よりももの思ひたるさまなり。ある人の、「月の顔見るは忌むこと」と制しけれども、ともすれば人間にも月を見ては、いみじく泣きたまふ。七月十五日の月にいでゐて、せちにもの思へるけしきなり。




―22―


「ようこそ、贋物の月へ。改めて歓迎するわ、地上の民」
 八意永琳は、巨大な月を背に、そう言って手を広げた。その腕に抱きかかえていたはずの人間――マエリベリー・ハーンの姿は既にない。魔理沙は顔をしかめる。
「あいつはどうしたんだよ」
「あの人間なら、廊下の安全なところに置いてきたわ」
「ということは、遠慮なく退治できるということですわね」
 咲夜が再びナイフを構える。永琳は不敵に笑い、「そうよ、これで私も遠慮なく戦うことができるわ」と、どこまでも傲然と魔理沙たちを見下ろす。
「貴方は結局、何のためにこんなことを?」
 アリスがそう問うた。「狂ってるからだろ、月の民みたいだしな」と魔理沙は口を挟む。
「なんでそう思うの」
「狂ってる奴は大抵、月が原因だ。深い意味はないぜ」
「そう。私も鈴仙も、そして姫も月の生まれよ。でも、もう帰らないことにしたわ。ずっと昔にね」
「別にあんたらが帰ろうがどうだろうが関係ないがな。帰らないために月を隠したのか?」
「月からの追っ手に、姫を連れ帰らせないためよ。この贋物の月が、地上と月の間の道をふさいだわ。地上からはこの贋物の月にしか辿り着けないし、月からはこの贋物の月が地上に見える。地上の密室は完成した。もう、月の追っ手は地上に辿り着けない」
「こっちは誰も月に行こうとなんてしてないけどね」
 レミリアが腕を組んで鼻を鳴らす。永琳は構わず、背後の月を振り返る。
「安心していいわ。明日の満月の夜が過ぎれば、月は返してあげるわ」
「あら、良かったですねお嬢様。勝っても負けても月は元に戻るようですわ」
「咲夜、そんな舐められたままでいいと思ってるの?」
「だいいち、満月の翌朝に返されたんじゃ月見ができないぜ」
「そうよ。満月を返してもらいに来たんだから、今日中に返してもらうわ」
「畏まりました。お嬢様の仰せのままに」
「なんでもいいけど。地上に満月がないと困る民もいるのよ。そんな地上で満月を隠せばそれなりの報復を受けるということ、考えてなかったと言ってももう遅いわ」
 四人がそれぞれ身構える。永琳はそれを見渡して、唇の端を釣り上げる。
「地上の子供たちは生意気ねえ。永遠の民である私に敵うとでも思っているのかしら。貴方たちの歴史など、全員分合わせても、私の歴史で割ればゼロの近似値。永久から見れば、貴方たちは須臾に過ぎないわ」
「ほら、お嬢様。年長者は敬わないといけませんよ」
「まず私を敬いなさい、咲夜。ほれ存分に」
「人の話を聞きなさい。夜を止めているのも貴方たちでしょう? 姫の逆鱗に触れてなければいいけどね。――姫が怒る前に、私が薬をあげましょう!」

 そして、贋物の月を前に、美しき弾幕の饗宴が始まる。
 永遠の民と地上の民の戦いを――けれど、私は蚊帳の外で、見ることさえ叶わなかった。





―23―


 さて――時間を少しばかり巻き戻し、話は永遠亭の外へと移る。
 幻想郷から結界を隔てた死者の国、冥界。静寂が支配するその場所で最も華やかな屋敷、白玉楼で、庭師の魂魄妖夢は、夜空の月を見上げながら不審を覚えていた。
「幽々子様は気が付いていないのかなあ……」
 数日前から、どことなく夜空の月がおかしいのだ。ずっと形が変わっていないような――。もちろん錯覚かもしれないのだけれど、月を見上げていると、ざわざわと身体がさざめくような、奇妙な感覚が身体に満ちていく。
 何かが不穏だ。これは異変ではないのだろうか。しかし、屋敷のお嬢様は普段と変わらず脳天気な毎日を過ごしている。幽々子様が動かないならば、大したことはないのかもしれない。そう考えて、妖夢は異変を主に伝えるべきか、この数日躊躇していたのだが。
「あ、幽々子様」
 不意に庭にその主が姿を現し、妖夢は振り返った。幽々子は妖夢を見て目を細める。
「妖夢、アレはまだそのままかしら?」
「え? アレ、と申しますと」
「気が付いていないの? これだから庭師は鈍感だってバカにされるのよ」
「今バカにしたのは幽々子様ですよね? ……もしかして、月の異変のことですか?」
「なんだ、気が付いているんじゃない」
「当たり前ですよ。急にアレと言われましても……」
「それより妖夢。このままじゃお月見に差し支えるわ」
「はあ」
「だから、本物を取り戻しに行くわね~」
 思わぬ言葉に、妖夢は目をしばたたかせた。
「……私が、ですか?」
「私がよ」
「幽々子様が直々に? そ、それでしたらお供します!」
「あらあら、妖夢じゃ頼りないから私が行くと言ったのに」
「そんなぁ~」
 へなへなと肩を落とす妖夢に構わず、幽々子は扇子で口元を隠しながらひとつ首を捻った。
「妖夢ひとりの手に負える状況じゃないわよ、残念だけどね。まあ、ついてくるなら止めはしないわ~」
「って、お嬢様は目的地のあてがあるのですか?」
「もちろんよ~」
 ぱちん、と扇子を閉じて、幽々子は目を細める。
「紫のところに行くわ」

      * * *

 白玉楼のふたりが出立してから数時間後――迷いの竹林。
「ったく、何だったのよ、あいつら」
 博麗霊夢は、巫女服についた笹の葉を払って、それから悪態をつく。
 いつまで経っても夜が明けないこの異変を解決するため、勇んで迷いの竹林くんだりまでやって来たと思ったら、首謀者は吸血鬼とメイドに馴染みの魔法使い二人。四人がかりのゴリ押しで突破されてしまい、全く憤懣やるかたない。
 しかし、前科のあるレミリアと咲夜はともかく、魔理沙とアリスが異変を起こす側に回るとは。何か妙なことを言っていたけれど。月がどうとか――。
「何にしても、やられっぱなしは性に合わないわね」
 つい先日も、鬼に負けて神社に居着かれたばかりである。二度も続けて異変解決を失敗しては博麗の巫女の名が廃る。魔理沙たちの後を追わんと、霊夢は飛び立とうとし――。
「はいストップ。少し落ち着きなさいな」
 全く突然、背後に現れた気配に、むんずと腕を掴まれた。
「げっ、紫? あんたなんでここにいるのよ」
「はあい霊夢、ご機嫌斜めのようね」
 スキマから身を乗り出し、八雲紫は胡散臭い笑みを浮かべた。霊夢はその手を振り払って、憤然と腰に手を当てる。
「悪いけど、あんたの相手してる暇はないの」
「霊夢になくても、こっちには暇が大ありだわ。それに、私だけじゃないのよ」
 スキマに腰掛けて笑った紫が、上空を振り仰ぐ。霊夢も視線を上げると、見覚えのある影がふたつ、こちらへ飛んできていた。
「幽々子に妖夢? あんたたちまで、何なのよ?」
「あらあら~、何って、異変解決に来たのよ~」
「幽々子様、霊夢が動いているのなら、私たちはもういいのでは?」
「その霊夢が失敗したようだから、私たちが後始末をするのよ」
 妖夢の言葉に、紫が呆れ顔で返す。霊夢は吠えた。
「失敗してないわよ! 今から止めに行こうとしていたところ!」
「何の異変を?」
「は? 夜がいつまで経っても明けないこの状況に決まってるじゃない!」
 幽々子と妖夢が顔を見合わせる。紫は頬杖をついてため息をついた。
「所詮は人間ねえ」
「あによ」
「そっちは問題じゃないわ。問題は満月が隠されている方なのよ」
「満月が? それもレミリアたちの仕業じゃないの?」
「まあ、そのようだけれど――霊夢がどうしてもそれを問題にしたいなら、今から私が夜を止めるわ。あの時間を操るメイドがどうなってもいいようにね」
「は? 紫、あんたまた私に退治されたいわけ?」
「だから、夜が止まっている状況から離れなさいと言っているの。これは目的ではなく手段。今回の異変のメインは満月の奪還なのよ」
「わけのわからないこと言ってるんじゃないわよ。とにかく夜が明ければ月も元に戻るに決まってるじゃない! 何にしたって私の勘はあっちに犯人がいるって告げてるわ。あっちに行って犯人をぶちのめせば万事解決よ」
「そんなだから馬鹿って言われるのよ。でも大正解。博麗霊夢の言うことは全て正解よ」
 胡散臭い笑みを浮かべてそう言った紫を、霊夢は憤然と腰に手を当てて睨む。
「人を馬鹿にしに来ただけなら帰れ!」
「あらひどい。せっかくこの妖怪の賢者が異変解決に乗り出してきたっていうのに」
「異変解決は私の仕事よ」
「幻想郷の秩序を守るのは賢者の仕事ですわ。ほら、行くわよ」
 紫は霊夢の手を引く。「ああもう、何なのよ――」と悪態をつきながら、霊夢は背後を飛んでくる幽々子と妖夢の方を見やった。
「で、あんたたちは何しに来てるのよ」
「だから~、異変解決だって言ってるじゃない~」
「幽々子様、霊夢と紫様が向かうならもうそれでいいのでは……?」
「あらあら妖夢。こんな楽しい退屈しのぎ、他になくてよ」
「はあ――って待ってくださいよ幽々子様ぁ」

 ――かくして、博麗霊夢、八雲紫、西行寺幽々子、魂魄妖夢の四人が、新たに永遠亭へと襲来する。博麗霊夢は、あくまでこの異変を〝夜が明けない異変〟であると認識したまま。そして八雲紫が、十六夜咲夜の術に重ねて夜を止めて。――面白がってついてきた西行寺幽々子と魂魄妖夢は、その天敵が待っているとも知らずに。





―24―


 さて、その頃、気絶させられていた私はどうしていたかと言えば。
 無造作に、ゴミのように、永遠亭の廊下に投げ捨てられていた。魔理沙さんたちを贋物の月の場所へ案内した時点で、私は人質としても用済みになったらしいが、いずれにしてもこのときの私のあずかり知るところではない。
「うう……ん」
「おーい、生きてるかーい」
 つんつんと頬を突かれ、私は身じろぎして目を開けた。私を覗きこんでいたのは、てゐさんである。頭が重い。自分のいる場所が解らず、私は呻いて頭を振った。いったい何があったのだったか。いつから記憶が途切れているのかも定かでなく――。
「ええと……あれ?」
「お師匠様なら、侵入者と奧でやりあってるよ。鈴仙はやられてふて腐れてる。姫様は無事」
「…………」
 侵入者……そうだ、魔理沙さんたちが現れたんだった。魔理沙さんと、アリスさんと、それから……レミリア嬢と咲夜さん。異変を解決する博麗の巫女、霊夢さんの姿がなくて、
 永琳さんが魔理沙さんたちとやり合っているということは、私の役目はどうやら終わったのだろう、結局、永琳さんに期待されたようなことは何もしていないが――。
「ま、あとはお師匠様が適当にあいつら暴れさせて追い返して終わりだろうけど――」
 廊下の奥を見やって、てゐさんはそう言い――それから不意に、その耳をぴんと立てた。
「え? あーらら、なんとまあ」
 何か、兎同士の通信でもしているのか、てゐさんは相づちを打って目をしばたたかせる。そして、なぜか私の方を振り向いた。
「相方が、あんたを探してるってさ」
「え? ……蓮子が?」
「他に誰がいるのさ」
 一気に目が覚めた。まだ蓮子の視力は戻っていないはずだ。私の役目が終わったなら、あとは相棒と事態が片付くのを待っていればいいわけで、この状況で目の見えない蓮子を放置しておくわけにはいかない。
 立ち上がった私を見上げて、てゐさんは「心配性だねえ」と苦笑する。
「無鉄砲な相棒なもので」
「臆病よりは結構なことだと思うよ」
 口笛を吹くてゐさんに肩を竦めて、私は踵を返し、廊下を急いだ。

 鈴仙さんがその能力を解除したのか、廊下は通常の長さに戻っていた。暗い中をしばらく進むと、ぴょこぴょことイナバたちがこちらへ飛び跳ねてきて、私の足元にまとわりつく。
「え、こっち?」
 そうして、イナバたちに促されるように足を進めると――。
「蓮子!」
「メリー?」
 廊下の途中で呆然と立ち尽くしていた相棒の影に、私は思わず大きな声をあげていた。相棒の目は相変わらずアイマスクに覆われていて、視力が戻っていないことを示している。私が駆け寄ってその手を掴むと、相棒は確かめるように私の頬に手を伸ばして、「メリー」ともう一度囁いた。
「もう、何やってるのよ。まだ目が治ってないのに勝手に歩き回るなんて」
「だって、屋敷の方が騒がしいし、布団にメリーいないし。これは絶対何か起こってると思って、視力以外の感覚をフル稼働してここまで来たんだけど――なんか、急に頭が痛くなって」
 こめかみを押さえて相棒は眉間に皺を寄せる。
「頭を休ませなさいって言われてるでしょ。どうして大人しくしてくれないのよ!」
「もう、メリーのこと心配してここまで必死にやって来た相棒にその言いぐさは――」
「どっちが心配してると思ってるの!」
 思わず私は声を荒げた。相棒は虚を突かれたように口をぱくぱくさせ、
「……ごめん」
 呑まれたようにそう謝った。私は大きくため息をついて、蓮子の身体を抱き寄せる。
「大丈夫。私の役目はもう終わったみたいだから」
「本当? ていうか、何が起こってるの?」
「ええと……それを説明しようとすると長くなるから……」
「――私の目を潰した、あの月の関係なんでしょう?」
 蓮子がアイマスクに手を掛けて、不意にそう言った。私は目を見開く。
「図星みたいね」
「…………」
「色々私に隠そうとしてたみたいだけど、甘いわよメリー。どうして私がここで治療を受けているのか、永琳さんは何者なのか――偶然私の目を治療できるお医者さんが竹林にいたと考えるよりは、彼女があのおかしな月を作りだした首謀者だから私の目も治療できる、と考えた方が筋が通ると思わない? それに、私が入院させられてるんじゃなく、今はメリーが軟禁されているんでしょう?」
「……どうしてそこまで?」
「目が見えないだけの健康体、治療らしきことは薬を出すだけ。それなら在宅で薬を処方するだけでも十分なはずだわ。それなのに私はここに留められ、メリーも一緒にいる。となれば、私の存在を口実に、異変の首謀者がメリーの能力に目を付けたと考えるべきだわ。――自覚してないみたいだけど、メリーの目は絶対に、この世界でも特別なはずなのよ」
 ――全く。私は息を吐く。判らないことを考えずにはいられないのが名探偵の宿命なのだろうけれど、やはり私は未だにこの相棒を見くびっていたようだ。限られた情報から、そこまで推察をつけられては、ぐうの音も出ない。
「となれば、霊夢ちゃんが攻めこんできたのね? 月の異変を解決するために」
「――残念だけど、それは不正解」
「へ?」
「魔理沙さんとアリスさん、レミリア嬢に咲夜さんの四人よ。今、屋敷の奧で永琳さんとやり合ってるはずだわ」
「魔理沙さんはともかく、アリスさんにお嬢様に咲夜さん? ああ――お嬢様は吸血鬼だから、おかしな月がご不満だったのかしら? アリスさんも何か迷惑を被ったのかしらね……」
 蓮子がそう呟いて首を捻る。――と。
 不意に、足元のイナバたちがその耳をピンと立て、ざわめきだした。
 ぴょこぴょこと何匹かが飛び跳ねていき、そこへ廊下の奥から鈴仙さんが姿を現す。
「え? なに、また侵入者? こっちに? どういうことよ、もう」
 鈴仙さんが苛立たしげに言って、それから私たちに気付いて眉を寄せた。
「地上人、なんでまだこんなところにいるの。離れに戻りなさい。特に病人は――」
「侵入者って、どちら様かしら? 知り合いかもしれないんですけど」
 蓮子の問いに、鈴仙さんは虚を突かれたように目をしばたたかせ、それから耳に手を当てた。
「……なんだか、紅白の人間と、もうひとり――え? いや、そいつはここにいるわよ? 別人よ別人。いいから戻ってきなさいってば」
 私たちは顔を見合わせる。紅白の人間というのは霊夢さんだろう。やはり動いていたのだ。だが、それに続いた言葉の意味は――。
「何事です?」
「いや、そこのあんたがこっちに向かってるって、外に居るイナバたちが」
 鈴仙さんがそう言って指さしたのは、言うまでもなく――私だ。
「妖怪の賢者だわ!」
 蓮子が叫び、それから目元を覆ったアイマスクに手をやる。
「ああもう、どうしてこんなときに使い物にならないのよ我が両目は!」
「どうも、そういう巡り合わせみたいね」
「何の話? とにかく、侵入者が攻めてくるからあんたたちはどっか行ってて!」
 鈴仙さんはそう叫び、廊下の奥へとまた姿を消していく。そうして――再び、目の前の廊下が歪んだ。世界が引き延ばされる。画像の横幅だけを伸ばしたように、ひどく間延びして。
「メリー? どうかしたの?」
「……ううん」
 この感覚は、目の見えない蓮子には説明しにくいし、もし蓮子の目が見えていても、蓮子にはただ廊下が長く続いているようにしか見えないのだろう。私のこの境界視の目だからこそ、世界の歪みが見えているのだ。――ダリの絵のように歪んだ景色に、頭が痛くなってくる。
「何か見えてるのね? メリーの目に。ねえ、何が見えてるの?」
「何が、って……」
「――そうだわ!」
 と、突然相棒が私の手を持ち上げる。
「メリーが私の目に触れてくれればいいのよ! そうすれば今の私の目にも、メリーに見えているものが見えるはずだわ!」
「ちょ、ちょっと待って、そういう問題なの? だいたい、今は別に境界を覗きこんでるわけじゃないし――」
「いいから、試してみて!」
 蓮子がアイマスクを剥がすように目の上へ持ち上げた。見開かれた蓮子の黒い瞳に、今は光がない。レンズとしての機能を停止した目。硝子玉のよう、とよく形容されるけれど、光のない蓮子の目は、むしろまるで夜のように深く――。
 その瞳を覗きこんでいると何かに吸い込まれてしまいそうで、私は目を逸らして、それから蓮子の目元を覆うように手を置く。京都にいた頃、結界暴きでいつもそうしていたように。
 私は廊下を見やった。間延びした景色。歪んだ世界。――蓮子には、何が見えているのだろう? 私と同じもの? それとも――。
「見える! 見えるわメリー! ……でも、ちょっと、なにこれ? メリー、これって」
「説明を求められても困るし、だいたい蓮子に何が見えているのか判らないわ」
「ああもう、主観の相互不可侵とか相対性精神学の話はいいの! なんか、あたりが間延びして見えるんだけど――歪んだレンズで覗いてるみたいに」
「それなら私が見てるのと同じものよ。――鈴仙さんが何かやってるみたい」
「空間を弄ってる? いいえ、これは認識への干渉かしら? 鈴仙さんって私のところにご飯運んでくれてたあの子よね? 興味深いわ、メリー、行くわよ!」
「ちょ、行くってどこへ?」
「そりゃ、屋敷の奧に決まってるじゃない! 異変となれば秘封探偵事務所の捜査活動の時間なのよ! 出遅れた分を取り戻さなきゃ!」
「れ、蓮子! そんな目で無茶言わないでってば!」
「大丈夫、メリー経由じゃなきゃ見えないのはサークル活動と一緒! ほら、私の目から手話さないでね。レッツゴー!」
 ――ああ、駄目だ。こうなってしまってはもう、相棒を止めようもない。
 私のもう片方の手を引いて、勇んで歩き出す蓮子に、私はつんのめるようについていく。片手は蓮子の目元に当てたままで。
 間延びした廊下に躍り出て、「こっちね!」と奧へ突き進む蓮子に引きずられながら、私は背後を振り返って――。

 そして、見た。
 今まさに、四つの影が、新たにこの永遠亭へとなだれ込んでくるのを。

 最初に見えたのは、思いがけない顔だった。二振りの刀を手に、幽霊を従えた銀髪の少女。そして、その主である冥界のお嬢様。妖夢さんと幽々子さんが、間延びした廊下の向こうに見えている。向こうはこちらに気付いているのか、いないのか――。
 そして、その後ろから姿を現したのは。
 異変を解決する紅白の巫女と。
 ――私によく似た姿をした、妖怪の賢者。

 だが、私がその妖怪の賢者の姿を認識した、その瞬間。
 廊下の向こうから、雪崩を打ったようにイナバたちが逃げてきて、私の足元にまとわりついた。イナバの大群に足を取られ、私はよろめく。その瞬間、蓮子の目元に触れていた手が離れ、視界を失った蓮子がたたらを踏んだ。イナバたちが全速力で奧へ逃げていく。私はよろめきながら呆然とそれを見送り――。
「メリー、ちょっと、見えないんだけど――」
 私の手が外れたことで闇に落ちた蓮子が、狼狽したように虚空に手を彷徨わせた。
 だけど私は、その手を掴むよりも――こちらへ向かってくる彼女たちの姿に、しばし気を取られていた。
 魂魄妖夢さんと西行寺幽々子さんが、イナバを追い払いながらこちらへ突き進み。
 その後ろから、霊夢さんと――妖怪の賢者が飛んでくる。
 妖夢さんが私たちに気付いたか、訝しげな目をこちらへ向けた。霊夢さんもこちらに気付き、思い切り眉を寄せて、私たちを問いただそうと思ったのか、中空に停止しようとする。だが、
「霊夢、迷い込んだ人間に構っている場合ではないわ」
「は? いや、待ちなさいよ。こいつらどうしてまたこんなところに――」
「それは、そういうものなのよ」
「――どういう意味?」
「さてね。この二人は捨て置いていいわ。どうせここにいるのは兎だけですもの。私たちは先へ進むわよ。幽々子」
「そうね~、今は紫に従いましょう~」
 妖怪の賢者の言葉に、幽々子さんが楽しげに答える。
 ――そうして、廊下の片隅に座り込んでいた私たちの眼前を、四つの影が通り過ぎて行く。
 その刹那、妖怪の賢者が私たちの方を、ちらりと見たような気がした。

 一瞬だけ、私と彼女の間で、また視線が交錯する。あの春雪異変のとき以来――。
 だが、その視線に込められた意味は、私には判るはずもない。
 そして、彼女の顔に浮かんだ表情の意味も――。
「ちょっと、メリー! 今、妖怪の賢者が通ったんじゃないの――」
 蓮子のそんな言葉も耳に届かないように、私はぼんやりと、廊下の奧へと消えていく霊夢さんたちを見送った。

『それは、そういうものなのよ』
 ――その言葉の意味は、いったいどういうことなのだろう?
 そして、妖怪の賢者はどうして――私の目の前を通り過ぎる刹那に。
 何かひどく――悲しげなような、寂しげなような、そんな表情を見せたのだろう?

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この小説へのコメント

  1. 作者の意図か紫の意図かはまだ分からないが、紫は蓮子の前には出てこない模様。
    まあ二次でよくあるように紫の正体がメリーだったりしたらこの作品の蓮子は一発で見抜きそうだし。
    ところで、今回はイラストはないんですかね?

  2. 秘封倶楽部故に異変の只中にいるのが当たり前なだと思っているのか。それとも過去(?)のその時を知っていて、その未来を案じて同情しているのか。
    最後の紫の表情は色々と考えさせられますね。メリーと紫が会う度に作品全体の謎に迫るヒントが出てきて面白いですね。
    次回も楽しみにしております。

  3. どうやら、紫は蓮子に姿を見られる訳にはいかないようだけれども、その真意は……うーん、どんな仮定を置けばいいのか。しかし、当の本人がこの事にご自慢の頭脳を用いるのは当分先のことでしょうな……

  4. 永琳とのやり取りでもちょいそれっぽい描写あったけど、この作品では蓮子の方に何か秘密がありそうな感じ。

    今回は蓮子が失明してるから、二人が互いに欠かせない存在なんだってことがより一層際立ってますな(・∀・)
    失明状態でもメリーの視界をシェアできるのは驚きましたが…

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