東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第12章 心綺楼編   心綺楼編 4話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第12章 心綺楼編

公開日:2019年04月06日 / 最終更新日:2019年04月12日

―10―

「なんですか、これ……何が起きてるんですか」
「蛮奇ちゃんが言ってたのはこのこと……?」
「ねえ、とにかく慧音さんか霊夢さん呼ぶべきじゃない? どう見たって異変じゃないの」
 里北部の上空で、私たちはめいめい勝手なことを呟いていた。
 眼下に広がるのは、白い面をつけた人々が、深夜の里の道を夢遊病患者のように彷徨う光景。ゾンビ映画の撮影でもしているかのようだが、もちろんカメラも照明も幻想郷にはありはしない。起きている事態は、紛れもない現実そのものだ。
 見慣れた人間の里の風景が、完全な異界と化したその様は、ひどく不安を煽る。
「そうね、ここだけで起きてるのか、それとも里全域での現象なのかも確かめないとだし、早苗ちゃん、とりあえず里の中心部の方に向かってくれる?」
「りょ、了解です!」
 早苗さんが風を操り、私たちは里の中心部へと向かって飛んでいく。
 ――ほどなく、想像以上に状況が深刻だということが見えてきた。里の中心部、寺子屋や稗田邸、鈴奈庵などが面する大通りにも、大勢の人が――やはり白い面を被って、ゾンビのように彷徨っている。その足取りは、何かを探しているようにも、追っているようにも見えた。
 誰も生気がなく、面に隠れた顔に感情は見えない。そのことがますます人々をゾンビめいて見せる。哲学的ゾンビ、というのはこの場合誤用かもしれないが、生きたままのゾンビという意味では間違っていないのではないか。
 そして、そうして彷徨う人々の姿の中に――見慣れた人の姿がある。
「慧音さん!」
 私は思わず悲鳴のようにそう叫んだ。里中心部、自警団詰所の前。そこに、見慣れたあの変な帽子を頭に乗せて、その顔に白い面を被って、ぼんやりと佇む慧音さんの姿があった。
 早苗さんが慌てて地面まで下り、私と蓮子は早苗さんの手を放して、慧音さんに駆け寄った。慧音さん、と呼びかけようとして――その、無感情な白い面の顔に、私は怯む。
 目の前に立っている慧音さんは、まるで抜け殻のように、生気がない。
 意識がないのに、ただ立っているだけという――そんな姿に見える。
「慧音さん、慧音さんってば! どうしたんですか!」
 相棒は怯まず、慧音さんに駆け寄り、その肩を揺さぶる。だが、慧音さんの面は蓮子の顔すら見ることなく、ただ虚空を仰いでいた。
「何なのかしら、この面――ちょっと、取れないじゃない」
 蓮子が慧音さんの顔の面に手を掛け引っぱる。だが、慧音さんは微動だにしない。しばらく唸りながら力をこめていた蓮子は、手を放して肩で息をした。
「ねえメリー、これってひょっとして幻想郷の危機ってやつかしら?」
「知らないわよ。慧音さんがこれじゃ、霊夢さん呼ぶしかないんじゃない」
「メリーさん! 私だって異変解決できますよ! ここは守矢神社にお任せを!」
 早苗さんが口を尖らせて声を上げる。
「お任せって、早苗さん、この状況に何か心当たりあるの?」
「……ないです」
「犯人には?」
「ないです。でも、これが何者かの仕業なら犯人は近くにいるはずです! 目に付いた妖怪を片っ端から退治すればそのうち犯人に行き着くはずです!」
「早苗ちゃん、すっかり霊夢ちゃんに毒されたわねえ」
「そ、そんなことないですよ! とにかく妖怪退治です! 犯人を退治すれば幻想郷の異変は解決するんですから!」
 早苗さんは大幣を手にした手を高く振り上げる。――そこへ。
「――そいつは、ちいと困るのう」
 突然、第三者の声が割り込んだ。私たちははっと視線を巡らす。「あっ」と蓮子が、自警団の建物の屋根を見上げて声をあげた。私と早苗さんもその視線を追うと――屋根の上に腰を下ろし、月明かりに照らされた影がひとつ。
 大きな尻尾を揺らしたその影は、ひらりと私たちの前へ舞い降りてきた。
「やれやれ、そのうち誰か気づくじゃろうとは思うとったが、最初がお前さんたちとはのう」
 夜の闇に煙管から煙を吐き出して――二ッ岩マミゾウさんは、そう言って苦笑した。
「あ、いつぞやの佐渡の化け狸さん」
「おう、守矢の風祝かえ。そういえば守矢は信仰集めに参戦しとらんのう。なんでじゃ?」
「うちは神奈子様の方針で静観です」
「ほう?」
 訝しむようにマミゾウさんは目を細めた。早苗さんは「それより!」と声を張り上げる。
「この状況の里のど真ん中に妖怪とは、あなたが犯人ですね! 退治します!」
「いやいやいや、ちょっと待った、残念ながら犯人は儂じゃあないよ」
 前のめりになった早苗さんがそのままつんのめる。
「この期に及んでそんな言い訳が通用すると!」
「本当のことじゃから仕方ないのう。この状況の原因が誰かは知っておるがね」
「犯人、じゃなく、原因、ですか」
 蓮子が声をあげると、「おう、その通り」とマミゾウさんは満足げに頷く。
「まあ、広い意味ではそいつが犯人じゃろうが、この件については原因と呼んだ方が正確じゃ。殺人と過失致死の違いみたいなもんじゃな」
「――つまり、この状況は誰かの意図したものではなく、ミスによるものだと?」
「その通り。だから原因の妖怪を責めんでやってくれんかね。特にそこの風祝や」
「私ですか? いや、でもその妖怪が原因なら退治すれば解決するんじゃ」
「そういう問題じゃないっちゅうことじゃよ。床にバケツの水をぶちまけたとき、ぶちまけた本人を怒ったところで、濡れた床は乾かんじゃろ? それより床を拭く方が先決じゃ」
 なるほど、わかりやすい説明である。
「本当はもうちょっと隠しておくつもりじゃったんじゃがのう。まあ、見つかってしもうたものは仕方ない。お前さんたち、バケツの水を拭く手伝いをしてもらえんかね。里が丑三つ時のたびにこんな状況じゃと解っておったら、お前さんたちも不安じゃろう?」
「丑三つ時のたびに……じゃあ、ひょっとしてゆうべ私たちが無意識に帰宅してたのも?」
「そう、お前さんたちもこの状況に巻き込まれておったということじゃ」
 ――つまり、昨日の私たちはこんな白い面を被った状態で、ふらふらと夢遊病のように帰宅したということなのか。異変が起きたことにも気づかないままに。おそろしい。
 蓮子は「ははあ」と興味深げに帽子の庇を弄る。
「なるほど、腑に落ちましたわ。――で、その原因の妖怪は何者です?」
「言っておくが、命蓮寺の関係者でも、化け狸でもないぞい。儂はたまたまこの状況に最初に気づいて、原因の妖怪を発見した善意の第三者じゃ」
「そう主張してるだけの黒幕かもしれませんよ!」早苗さんが叫ぶ。
「そこは信用してもらうしかないのう。まあ、原因の妖怪の正体を知ればお前さんたちも納得してくれると思うがね」
「解りました。早苗ちゃん、とりあえずここは話を聞いてみましょ。退治するのはその後でも間に合うわ」
 蓮子がにっと猫のように笑って言うと、「所長がそう言うなら……」と早苗さんはむくれつつ引き下がる。それを確かめて、マミゾウさんが振り返った。
「おおい、出てきてええぞい」
 マミゾウさんのその言葉とともに、闇の中、物陰からひとつの影が姿を現した。
 月明かりに照らされて、私たちの前に姿を現した、その影は――。

 大きく膨らんだバルーンスカート、リボンを結んだブルーのチェックの上着。長い髪をなびかせたその顔を、半分能面で隠した、ひどく無表情な少女だった。




―11―

 顔を半分隠している能面の他にも、少女の周囲にはいくつかの面が浮いていた。月明かりの下にミステリアスな無表情をしたその顔は、かなりの美少女と呼んで差し支えない。能面で半分隠してしまうのがもったいないぐらいに。洋装と能面というアンバランスなミスマッチが、得体の知れなさをより強調しているようにも思えた。
「……希望の面……」
 ぼそりと、少女はそう呟き、そして次の瞬間。
「希望の面はどこだぁ!」
 無表情のままにそう叫んで、私たちの方へ詰め寄ってきた。顔を半分隠す能面が、女の面から般若の面に変わっている。
「おおお!? な、なんですか! 妖怪からの喧嘩なら私が買いますよ!」
 早苗さんが大幣を構えて果敢に前に出る。少女は急ブレーキをかけ、無表情のままのけぞった。お面が今度は金色の驚いたような顔の面に変わる。
「まあまあ、まずは双方落ち着くんじゃ」
 苦笑しながらマミゾウさんが間に割って入った。能面の少女は今度は猿の面を被って、やはりその下は無表情なままに、マミゾウさんの背後に隠れる。
「紹介しとくかの。こやつが今回の異変の原因じゃ。ほれ、名乗らんかい」
 マミゾウさんに促され、再び私たちの前に出てきた少女は、狐の面を被って勇ましく構える。面の下はやはり無表情。
「私の名前は秦こころ。全ての感情を司る者だ!」
 ――ええと、なんだろう、この子。
 私と蓮子と早苗さんは、それぞれ顔を見合わせて首を捻る。
 そんな私たちの困惑に構わず、少女――こころさんは、今度は姥の面を被る。
「……でも今は、希望の面をなくしてしまって全ての感情を司れない……」
 悲しげな調子で言うけれど、顔はやっぱり無表情である。
 どうやら彼女の感情は被っている面の表情に出て、人間の少女の姿をしている方は常に無表情らしい。動作と言葉からして、怒り、驚き、怯え、自信、悲しみ……という感じでコロコロと感情が変わっているようだが、顔の表情だけはずっと平板なまま。
 今この文章を書きながら、その奇妙さが果たして読者に伝わっているのだろうかと私は首を捻っている。動作や言葉尻の感情表現は豊かなのに、顔だけは常にポーカーフェイスというギャップが、最初のミステリアスさを消し飛ばしてしまっていた。
 ――変な妖怪。失礼ながら、そんな印象を真っ先に抱いたことを白状しておく。
「ええと……こころちゃん? 貴方、お面の妖怪?」
 蓮子が尋ねると、今度は福の神の面を被って「その通り!」とこころさんは頷く。
「私は面霊気だ」
「面の付喪神じゃな。感情を表す面が妖怪化して、感情を操る能力を手に入れたんじゃ」
 横からマミゾウさんが補足し、「そうそう妖怪化したの」とこころさんが頷く。
「ここからは儂が説明するがの。――さて、お前さんがた、ここ数日、昼間に里で起きとる騒ぎはもちろん把握しとるじゃろう?」
「ええじゃないか騒ぎですね?」
「そうじゃ。そしてそれにつけ込んで宗教家たちが信仰を集めとるわけじゃが、そもそもなぜ、里があんな末法めいた騒ぎが起きるような状況になったと思うかね?」
「そもそもの原因は、去年からの天変地異やら政治的混乱やらでしょうが」と蓮子。
「神奈子様は、実体のない不安のバブルが膨らんでる状態って言ってましたけど」と早苗さん。
「そっちの風祝が正解じゃ」マミゾウさんは早苗さんを煙管で指す。
「実体のない不安のバブルとは、言い得て妙じゃの。今、里で起きているのはまさにそういう状況じゃ。なぜそんな状態になってしもうたのか。それは、里の人々から《希望》という感情が失われたからじゃ。人々は希望を見失い、信じて立つ拠りどころを失っておる。――その、そもそもの原因が、こやつが希望の面をなくしたことなんじゃよ」
 ははあ。表情と仕草のギャップに気を取られてあまりちゃんと聞いていなかったが、そういえば確かにこころさんはそんなことを言っていた。しかし――。
「え? ええと、お面の妖怪さんが感情を司る妖怪で、その妖怪さんが希望を司るお面をなくしたせいで、里の人々から希望が失われた……ってことですか? いや、それっておかしくないです? なんでたかが妖怪一匹が里の人間全部に影響与えちゃうんですか。うちの神奈子様や諏訪子様にだってそんな力ないですよ!」
 早苗さんがもっともな疑問を口にする。言われたこころさんは「本意ではない!」と般若の面を被ってこちらを威嚇してきた。
「面は身体の一部……それをなくすなんて初めてだから……おかげで自分の力がうまく制御できない……」悲しみの面。
「そう、希望の面をなくしてしもうて、こやつの力が暴走しちまっとるんじゃ」
「――ああ、つまりこころちゃん自身が、なくした希望の面のぶんの希望の感情を里から吸い取っちゃってる状況なんですか」
 我が相棒は理解が早い。「え、どういうことです?」と首を傾げる早苗さん。
「要するに、高高度を飛んでる飛行機に穴が開いた状態なのよ。早苗ちゃん、航行中の飛行機に穴が開いたらどうなる?」
「上空は気圧が低くて、飛行機の中は与圧されてますから、その気圧差で急減圧が起きて機内の空気が吸い出されますね。ナショジオの『メーデー!』で見ました」
「それと同じことが起きてるのよ。こころちゃんが面という形で持ってる感情と、人間の里の感情の総量は、普段は釣り合いがとれてる。でもこころちゃんが希望の面を失って、希望という感情が彼女の元から失われてしまった」
「――それで、感情の気圧差が生じて、気圧の低い方に感情が流れてるってことです?」
「まあ、だいたいその理解で合っとるよ」
 マミゾウさんが頷く。
「じゃあ、そこのお面の妖怪さんが十分な量の希望を吸収しちゃえば、それ以上希望が失われることはなくなるんですか?」首を捻る早苗さん。
「面がないから……希望を吸い取ってもそれを制御できない……。このままじゃただ、希望という感情は失われるだけ……」こころさんは悲しみの面。
「しかも、問題は希望が失われることだけじゃないんじゃ」マミゾウさんが煙管を吹かす。
「そう! このまま希望が失われ続ければ、里の感情のバランスそのものが崩れてしまう!」
 再び般若の面で、こちらを威嚇するようにこころさんは叫ぶ。
「……崩れると、どうなるんですか?」おそるおそる私が問うと。
「人間の里から、あらゆる感情が失われる……」
 悲しみの面で、こころさんはさらっととんでもないことを言いだした。
「感情がなくなるって……」
「……つまり、今のこの里の状況がそれってことよね」
 蓮子が周囲を彷徨う、白い面をつけた人々を見やって言った。
「今はこやつの力が強くなる時間帯だけの、一時的な影響で済んでおるがの。最終的にはこの状況が永続することになるようじゃな。――喜びや悲しみを失った人間がどんなに歪になるかは想像がつくじゃろ? たかが希望、されど希望じゃ。ひとつでも感情を失えば、人間の精神はそのうち壊れてしまうわけじゃ」
 とてつもなく危険な事態だということは、解りたくなくても解ってしまう。私たちの周囲にある光景には、有無を言わさぬ説得力があった。
「え、人間がみんなこんなゾンビになっちゃうってことです? それヤバくないです?」
「ヤバいわよ早苗ちゃん。幻想郷の妖怪や神々を存在させているのは人間の恐怖心や信仰心なんだから、里の人間の感情が失われたら幻想郷という世界そのものが成立しなくなる。大げさじゃなく幻想郷最大の危機だわ」
「なんてことですか! 今すぐそこのお面の妖怪を退治しなくては!」
「待て待て待て。こやつを退治したって何も解決せんわい。むしろ事態が悪化するだけじゃ」
 勇んだ早苗さんを、慌ててマミゾウさんが止めに入る。確かに、こころさんが里の人々の感情を司っているなら、彼女を退治してしまったら、下手をすると里から感情が完全に失われるのを早めるだけである。
「だったらどうすればいいんですか!」
 口を尖らせる早苗さんに、マミゾウさんはひとつ咳払いする。
「解決方法はひとつ。――失われた希望の面を取り戻すことじゃよ」




―12―

 なるほど、こころさんを倒しても解決しないなら、空気の漏れる穴を塞ぐしかない。希望の面が失われたことが希望消失の原因なら、希望の面を取り戻せばいい。至極明解な結論だ。
「こやつに聞き取りをしたところ、希望の面を取り戻す方法は、ふたつある」
 マミゾウさんは指を二本立てて言う。
「ひとつは、こやつがなくした、もともとの希望の面を見つけること。もうひとつは、誰かが希望を集めて、それを元に新しい希望の面を作ることじゃ」
「そのままじゃこころちゃんに吸い取られて失われてしまう希望を、誰かが代わりに引き受けるってことですか?」蓮子が問う。
「そうじゃな。今は里の希望の感情の行き先がないから、こやつが吸い取ってしまうんじゃ。誰かが感情の行き先を引き受けて、希望を集めておればええ。さっきの飛行機の例えで言えば、高度を下げて機内と機外の気圧差をなくすようなもんじゃな。飛行機に穴が開いとることには変わりないが、とりあえず酸欠になることは防げるじゃろう」
 しかし、幻想郷で飛行機の例え話をしているというのも、妙な光景である。ここにいるのがこころさんを除いて全員外来人・外来妖怪だから成立する会話だ。
「でも、希望を集めるって……」
「宗教家たちは、既に敏感にそれを察知して動き出しとるわい」
 首を捻った私に、マミゾウさんがニヤリと笑って答える。
「ああ、そうか。信仰を集めるってことは、希望を集めるってことですからね」
 蓮子が頷いた。確かにそうだ。信仰は絶望にこそ効くものであるからして。
「じゃあ、私が守矢神社に信仰を集めれば、この異変は解決するんですね!」
 早苗さんがぐっと拳を握る。
「守矢でも博麗でも、寺でも廟でもそれ以外でも、まあ誰でも構わんがの」
 煙管を吹かしたマミゾウさんは、「さて」と私たちに向き直る。
「ここまでお前さんたちに話したのは他でもない。この里の状況を知られた以上、この異変を解決するために、お前さんたちにも協力してもらわないといかん。ただし、あくまでこの状況については内密に、じゃがな。特に博麗の巫女には、ギリギリまで知られとうない」
「あー、確かに霊夢ちゃんなら、話を聞かずにこころちゃんを退治しそうね……。『なんだかわかんないけど、犯人の妖怪を倒せば異変は解決するのよ!』って言って」
 あまりにも言いそうすぎて眩暈がする。異変解決モードの霊夢さんに話を聞かせられるのは、ここにいる我が相棒ぐらいのものだろう。
「里の状況については、今後も儂が見張っておる。宗教家たちは、放っておけば勝手に希望を集めてくれるじゃろうから、希望の面を作るに足りるほどの希望が集まるようなら、儂が手引きして面霊気に引き合わせるわい。――というわけで、じゃ」
 マミゾウさんは煙管を私たちに向けて、不敵に笑った。
「この二ッ岩マミゾウから、お主ら《秘封探偵事務所》に依頼じゃ。――この面霊気がなくした、もともとの希望の面を探し出してほしい。それが見つかれば、一番簡単じゃからな」
「ははあ――」
 蓮子はちらりと私を見やって、にっと猫のように笑う。私は思わずため息をついた。
 相棒が勝手に好奇心で言いだしたことなら、制止のひとつぐらいはする。しかし、正式に探偵事務所への依頼という形で頼まれてしまっては、断る理由がなかった。依頼人なんて滅多にない事務所である。貴重な顧客は逃せない。
「承知しましたわ。我ら《秘封探偵事務所》、秦こころさんの希望の面探し、承りましょう」
 帽子の庇を持ち上げ、ドヤ顔で答えた蓮子に、こころさんがぱっと両手を挙げる。
「ありがとう! そしてありがとう!」
 福の神の面を被り、蓮子に駆け寄ったこころさんは、蓮子と固く握手を交わす。面の下は相変わらず無表情だが、どうやら感激して喜んでいるようだ。
「任せて頂戴。つきましてはこころさん、後で詳しくお話を聞かせてもらえる?」
「了解したよ! なんでも聞いて♪」
 福の神の面を被ったこころさんは、随分とフレンドリーだ。
「というわけで、私たちは希望の面探しにかかるけど、早苗ちゃんはどうする?」
「え、私ですか? あー、うーん、どうしましょう……」
 早苗さんが腕を組んで唸った。現状の里で信仰を集めることに大義名分ができたので、早苗さんとしては守矢神社として信仰集めにかかりたいのだろう。しかし同時に、探偵事務所の一員として私たちに同行したいという気持ちもあるらしい。
「えーと、狸さん! うちの神奈子様に、今の件、相談していいですか? あ、うちから今の話が博麗神社に漏れる可能性はありませんので! ライバルですから!」
「守矢の祭神かえ? ふむ――まあ、構わんかのう」
 少し考えるようにして、マミゾウさんは頷いた。
「解りました! じゃあ、私は神奈子様に――」
 と、早苗さんが言いかけたところで。――周囲を彷徨う人々に、動きがあった。
 それぞれ、ばらばらに彷徨っていた人々が、ゆっくりとではあるが、明らかに目的のある足取りで歩き出したのだ。見ていると、どうやら自分の家に戻っているらしい。
「やはり、昨日より少し長くなっとるのう」
 マミゾウさんが時計を見ながら言う。私も時計を見ると、午前二時三十五分だった。丑三つ時を既に過ぎている。――里の感情消失状態が終わり、人々が無意識に家に戻り始めたということか。見れば慧音さんも、ふらふらと自警団の建物に戻っていく。昨晩の私と蓮子も、こうして無意識のうちに自宅に帰っていたのだろう。
「……そういえば、どうして感情を失った人々は外を彷徨ってるんですか?」
「昼間、このあたりで宗教家が信仰を集めておったんじゃろう。そのときに集まった希望の残滓を求めとるんじゃろうな」
 私の問いに、マミゾウさんが答える。なるほど、やはり必要なものは希望であるらしい。
「さて、それじゃあ儂も退散するとするかの。依頼はしたからの、どう動くかはお前さんたちに任せるわい」
 踵を返すマミゾウさん。「あ、待ってください!」とそれを蓮子が呼び止める。
「なんじゃ? まだ他に質問でもあるんかえ」
「いえ。――正式な事務所への依頼ということで、規定の前金を」
「ちゃっかりしとるのう」
「いちおう商売なもので。あ、葉っぱの偽物のお金は駄目ですよ。慧音さんに訴えますから」
「解っとるわい」
 肩を竦めるマミゾウさん。蓮子は私に向けてサムズアップし、私はこっそり息をついた。

 マミゾウさんが姿を消し、早苗さんも「神奈子様と詳しく相談してきます」と守矢神社にひとりで戻っていき、里には私と蓮子、そしてこころさんが残された。
「じゃあ、こころちゃん。一旦うちの事務所に来てくれる? 希望の面を探す上で、まずはいろいろと情報収集したいから」
「了解した!」福の神の面。嬉しいらしい。
「え、蓮子、今から事務所行くの? こんな時間よ?」
 午前三時前である。まあ、事務所の鍵は私たちが持っているから入れるけれども。
「まあ、本格的な捜索にかかるのは明るくなってからだけど、その前にこころちゃんの話は聞いておかないと。一番落ち着いて話ができるのは事務所でしょ?」
「それはそうだけど……」
「ほらほら、正気に戻った慧音さんに見つかる前に行くわよ」
 そう言って蓮子はこころさんを連れて歩き出す。私は慌てて後を追った。
 そんなわけで、夜中の寺子屋。もちろん人気などないその敷地に足を踏み入れる私たちの姿は、傍から見ればやたら堂々とした空き巣に違いない。蓮子が裏の離れの事務所の鍵を開け、中にこころさんを招き入れる。
 行灯に火をいれて、そのほのかな明かりを囲んでこころさんと向き直ると、これから始まるのは調査のための聞き取りというより、百物語といった風情である。
「さて、こころちゃん。そういえば自己紹介してなかったわね。私は宇佐見蓮子、秘封探偵事務所の所長。こっちは助手のメリー。さっき一緒にいた巫女さんは、非常勤助手の東風谷早苗ちゃん。ま、覚えておいて」
「私は秦こころ、面霊気よ♪」ひょっとこの面。おどけているのだろうか。
「秦って秦氏かしら? 由緒正しそうな名前ねえ。まあ、まず一番肝心なことから訊きましょうか。こころちゃん、どこで希望の面をなくしたか、心当たりある?」
「……ない」悲しみの面。
「まあ、そうよねえ。じゃあ、いつなくしたかはわかる?」
「それも、はっきりしない……気が付いたときには、ぽっかり希望がなくなっていた……」
「ふむ。なくしたのに気づいたのはいつ頃?」
「……一週間ほど前……」
 意外と最近である。まあ、確かにこの異変がもっと前から起きていたなら、今頃はずっと深刻な状況になっていただろう。
 ということは、去年から里の空気が澱んでいたこと自体は、こころさんが原因ではないということだ。もともと里の空気が澱んでいたところに希望の面の紛失が重なって、深刻な事態が生じたということなのだろう。
「なくしたのに気付いた場所は?」
「……どこだったか……山の麓あたりだった気もするし、森の中だった気もする……狼狽していてよく覚えていない……」しょげるこころさん。
「うーん、まあそれは仕方ないわね。じゃあ、希望の面ってどんなお面?」
「白い子供の顔の面だ!」福の神の面。そんな急に活き活きされても。
「白い子供の顔の面、ねえ。誰かが面白がって持っていくようなデザインなのかしら?」
 蓮子はひとつ首を傾げ、「見た目がはっきりしてるなら、専門家を頼りますか」と呟いた。
「専門家?」
 眉を寄せた私に、蓮子は不敵に笑う。
「そりゃあ、探し物の専門家よ」

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この小説へのコメント

  1. こころちゃんのころころと変わる表情に色々と振り回されるかもしれないですね。
    珍道中が面白くなりそうです。

  2. この立派なお面が、やがてあのどうしようもない絶ぼ…じゃなくて素敵な希望の面に替わると誰が予想できたであろうか…(泣)

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