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こちら秘封探偵事務所第12章 心綺楼編   心綺楼編 1話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第12章 心綺楼編

公開日:2019年03月10日 / 最終更新日:2019年03月10日

心綺楼編 1話
―1―

 そもそも、里に厭世観が満ち始めたのはいつ頃からだったのか。
 何しろこういう空気のようなものは、よほどのことがない限り、ある日突然がらりと変わるものではない。全てが始まる前から、確かにその前兆はあったのだ。
 思い返してみると、予兆はその前年、第一二七季まで遡る。何があったかといえば、里でいささか物騒な事件と自然災害が頻発したのだ。連続した不審火、玄武の沢に突然発生した水柱とその後の日照り。里の有力な家が不祥事を起こして政治決定機関に混乱が起き、その混乱に追い打ちをかけるように水害が起きたり、冬には大雪が降ったり――。おかげで自警団員の慧音さんは傍目にも一年中大忙しだった。
 まあ、それらの物語は今回の記録と直接の関係はないし、里の住民であればどれもご記憶のことであろうから、ここで詳細は語るまい。
 さて、そんな里の厄年めいた第一二七季も過ぎ去り、第一二八季の夏。
 我らが探偵事務所はと言えば、例年と何も変わらなかった。いつも通り、閑古鳥が建物の外まで溢れ出さんばかりの増殖ぶりである。
 かくして、依頼人など来ない事務所を放って、私たちは鈴奈庵を訪ねていた。暖簾をくぐって店内に足を踏み入れると、小鈴ちゃんが読んでいた本から顔を上げる。
「あ、蓮子さん、メリーさん、いらっしゃいませ」
「こんにちは。小鈴ちゃん、妖魔本コレクションは増えてる?」
「あ、あんまり大きな声で言わないでください。今日は裏にお父さんいるんですから」
 蓮子のずけずけとした言葉に、小鈴ちゃんが慌てて口の前に指を立てた。私は相棒の横で肩を竦める。
 ――小鈴ちゃんが、店の売り上げを使って密かに妖魔本を蒐集していることを私たちが知ったのは、去年の秋頃のことである。妖魔本にも、魔道書のような妖怪が書いた単なる実用書から、妖怪の私信のようなものまで色々あるそうだが、その中でも小鈴ちゃんが特に力を入れて集めているのが、幻想郷でも見かけないようなマイナー妖怪を記録した妖魔本だという。
 彼女はもともと好奇心旺盛な子ではあったけれども、なんでまた、そんなものを集め始めたのかと言えば……。
「ごめんごめん。何読んでるの? ……って、洋書じゃない。これは……フランス語? さすがに私もフランス語は読めないわね。メリー、どう?」
「私もフランス語は専門外」
「ふふふ、私には何語でも関係ないですけどね!」
 ドヤ顔で胸を張る小鈴ちゃん。「便利な能力よねえ」と蓮子が笑う。
 ――判読眼。この世界に存在するあらゆる文字を読むことができる能力。
 それは小鈴ちゃんが去年、不意に目覚めた能力だという。人間の里では、普通の人間がある日、ちょっとした能力に目覚めるということがときどきあるのだ。比較的妖怪の影響を受けやすい環境にある人間に多いとかなんとか。
 人間の里で使われていない妖怪の文字も読めるようになったこの能力の開眼が、おそらくは直接の引き金だったのだろう。小鈴ちゃんは妖魔本の蒐集を始めた。貸本屋だけあって、『本は読むもの』というのが彼女のモットーである。今まで読めなかった本が読めるようになった、となれば、喜んで妖魔本を集め始める気持ちもまあ、わからないでもない。
 余談だが、その能力の話を聞きつけて、相棒が最初に口にしたのが『ねえ、ヴォイニッチ手稿ってこの店に置いてない?』であったのは、言うまでもない話だ。残念ながら鈴奈庵にヴォイニッチ手稿の写本は置いておらず、あの奇書の内容は不明なままである。
 閑話休題。私たちが鈴奈庵を訪れた表向きの目的は、借りていた本の返却である。返却の手続きをしながら、小鈴ちゃんとの雑談に興じる。それはこの鈴奈庵を私たちが行きつけにするようになってからは、ごく当たり前の光景なのだが――。
 実は、もうひとつの目的があった。

『そうだ、あんたたち、小鈴と付き合いあるわよね』
 昨年の晩秋。博麗神社の宴会を訪れた私たちに、霊夢さんが話しかけてきたのだ。
『ん? まあ普通にお友達だけど、どうかしたの?』
 蓮子が聞き返すと、霊夢さんは腕を組んで、それから耳打ちするように私たちに顔を寄せた。
『ちょっと、あの子のこと見張ってほしいのよ』
『あら、探偵事務所に尾行の依頼?』
『尾行ってほどじゃないわよ。あの子の動向に注意を払うようにしてほしいってこと』
『そりゃまたどうして? あ、小鈴ちゃんが判読眼の能力に目覚めたからかしら』
『そうじゃなくて、実は――』
 と、そこまで言いかけて、霊夢さんは蓮子の顔を見やり、『あー』と頭を掻いた。
『相談する相手を間違えたかしら……』
『なになに霊夢ちゃん、言いかけておいてやっぱ止めたは無しよ』
 眉を寄せ、ふむ、と蓮子は唸る。
『霊夢ちゃんが小鈴ちゃんのことでわざわざ私たちに相談するっていうのは、当然それは博麗の巫女としての職掌の範囲ってことよね。鈴奈庵の常連客に妖怪が紛れて……いる程度じゃわざわざ博麗の巫女が動くほどじゃない。ということは、単なる客という領域を越えて小鈴ちゃんに接近している妖怪がある? いや、それなら霊夢ちゃんがその妖怪を退治すればいいだけね。依頼はむしろ小鈴ちゃんの監視なんだから、小鈴ちゃんの方から妖怪に接近している。あるいは妖怪に関連するものを集めている。――彼女の趣味を考えれば、本か。そう、小鈴ちゃんが妖怪関係の書物を密かに集めているのが、霊夢ちゃんは気になる。違う?』
 蓮子が人差し指を立てて猫のように笑うと、霊夢さんは大げさにため息をついた。
『やっぱり相談する相手間違えたわ』
『まあまあ、この秘封探偵事務所、依頼はえり好みいたしませんわ』
『……あんたの言う通りよ。小鈴の奴、妖魔本を集めててね』
『妖魔本?』
『妖怪が書いた本、あるいは妖怪について書かれた本のこと。あの子、特にマイナーな妖怪が封印されてるような本を集めててね。何かの拍子に封印を解いちゃうかもしれない。まあ、本に封印されるようなマイナーな妖怪は、そこまで危険な存在ではないと思うけど、何が起こるかわからないからね』
『なるほど。それで動向の監視と。でも、そんな危険な本の蒐集、止めさせちゃったら?』
『蓮子、あんたがそれを言うの?』
『……蓮子だけはそれを言う資格は無いと思うわ』
 霊夢さんと私に同時に突っ込まれて、蓮子は頭を掻いて笑った。霊夢さんはため息。
『無理に止めて変に隠されるよりは、あの子の蒐集を表向き認めて情報を集めておいた方が、いざってときに動きやすいでしょ』
 ミスを犯した者を罰するようにすると、人はミスを隠蔽するようになる。だからミスは罰せず、ミスがあったことを報告した者を積極的に褒める――というのは、一般的な組織のリスクマネジメントである。ヒューマンエラーはどう足掻いてもなくならないから、迅速に対処することを優先した方が結局は傷口は小さくて済むという話だ。
 霊夢さんの依頼も原理的にはそれと同じことである。止めたって聞かない相手は、むしろその行動を容認した上で監視をつけた方がリスクが低い。合理的な精神というものだ。

 そんなわけで、私たちは小鈴ちゃんの動向の監視を兼ねて鈴奈庵に来ているわけである。まあ、実際どれほど役に立っているのかは定かでないが……。
 ともかく、そうして小鈴ちゃんと話をしていると、店の入口の暖簾につけられた鈴が鳴った。来客の合図である。私たちが振り向くと、見覚えのある影がひとつ。
「いらっしゃい――あ、なんだ阿求か」
「客になんだとはご挨拶ね。あんたの方から呼んだんじゃない」
「あらこんにちは、阿求ちゃん」
「ああ、蓮子さんにメリーさん。こんにちは」
 阿求さんが気安く笑みを浮かべてぺこりと一礼する。――そうそう、霊夢さんから鈴奈庵の監視を頼まれて、私たちに起きた一番大きな変化がこれだ。阿求さんと一気に親しくなるきっかけになったのである。
 これまでも阿求さんとは、異変の調査で情報収集に稗田邸を訪れたり、逆に阿求さんが『幻想郷縁起』の取材の手伝いを私たちに求めたりして、里の普通の人よりはだいぶ親しく付き合っていたけれど、何しろ相手はこの里の象徴たる阿礼乙女であり、ついでに言えば私たちの職場である寺子屋のスポンサー様である。私たちとしても、あくまで里のVIPにして雇用主に対する敬意をもってのお付き合いだった。
 ところが鈴奈庵への来店頻度が高くなると、自然、鈴奈庵によく来る阿求さんとプライベートで顔を合わせる機会が増える。で、小鈴ちゃんと阿求さんが友達同士として気安く会話している中に混ざっていると、なんだか私たちが妙に畏まっているみたいで変だ、と小鈴ちゃんに言われてしまったのだ。
 というわけで蓮子の阿求さんへの呼称は「阿求ちゃん」に変わった。蓮子は『じゃあ、あっきゅんって呼んでいい?』と言ったが、それは阿求さんに丁重にお断りされた結果である。まったく、私に「メリー」と名付けた頃から何も変わっていない。
「で、小鈴。見せたいものって何よ?」
「ああ、そうそう。せっかくだから、蓮子さんたちもどうぞ」
 と、私たち三人は店の奥に案内される。そこにあったのは――。
「じゃっじゃーん! さて、これは何でしょう!」
 壁に掛けられた一枚の掛け軸だった。墨で魚拓のような黒い影がつけられている。しかし、明らかに魚拓ではない。細長い姿は蛇のようだが、しかし蛇にはないはずの部位が見える。足ではなく、翼だ。
「……これ、まさか、龍?」
 蓮子が問うと、小鈴ちゃんは目を輝かせ「大正解!」と両手を広げた。
「なんとびっくり、龍の魚拓です! 本物よ本物! 紛れもない本物!」
 いや、龍の場合、そもそも魚拓と言うのだろうか? 龍拓?
 私が首を傾げる横で、阿求さんは露骨に疑いの眼差しを掛け軸に向ける。
「本物、ねえ。蛇の魚拓に翼を描き加えただけじゃないの?」
「ちっちっち、この本物のオーラがわからんとは、阿求もまだまだねえ」
「誰から買い取ったのよ、こんな怪しいもの」
「買ったんじゃないわ。私が龍と直接交渉して贈ってもらったの!」
「は?」
 阿求さんが目をしばたたかせ、私たちも思わず顔を見合わせた。




―2―

 まあ、その龍の魚拓の話は今回の本筋ではない。詳しい話を聞きたい人は鈴奈庵で小鈴ちゃんに直接訊けばいいだろう。嬉々として本物の龍の魚拓を見せてくれるはずだ。
 今回の話の本筋は、その龍の魚拓の話を小鈴ちゃんから聞いている最中に、店の外から聞こえてきた騒ぎのことである。
「あら、何かしら?」
 何やら急に、店の外が騒がしくなった。私たちの意識がそちらに逸れ、話を中断させられた小鈴ちゃんが「もー、何よ、いいところだったのに!」と憤然と店の入口へと向かう。私と蓮子、阿求さんもそれに続いて、店の入口から外を覗いて――唖然とした。
「ア、ソレ、ええじゃないか! ええじゃないか! ヨイヨイヨイヨイ!」
「ええじゃないか! ええじゃないか! ヨイヨイヨイヨイ!」
「働かなくてもええじゃないか! ええじゃないか!」
「真面目に生きんでええじゃないか! ええじゃないか!」
「どうせこの世は百年一日」
「今日も明日も変わらぬ苦界」
「なれば踊れよ踊らにゃ損損」
「どうで死ぬ身の一踊り、ア、ソレ!」
 ――ええじゃないか! ええじゃないか!
 鈴奈庵が面する里の大通りで、人々がそんな歌を歌いながら踊り狂っていた。
「え、えええ? な、なにこれ? 何かのお祭り?」
 小鈴ちゃんがぽかんと口を開け、「そんな予定はないはずだけど」と阿求さんも眉を寄せる。そうしている間にも、近くの店先で踊りを眺めていた人たちが、その熱気に引き寄せられるように次々と踊り出していき、踊り狂う集団はさらに人数を増していった。
「これ、まるっきり江戸時代末期のアレじゃない?」
 蓮子が呟くと、阿求さんが冷静に「お札は降ってないですけどね」と頷いた。そういえば、江戸時代の末期にこんな民衆運動があったんだっけ。
 確かに去年から、里の空気は澱んでいた。自然災害が続いたこともあり、厭世的な空気が里に満ちていたのは、寺子屋の教師として感じていたことである。
 寺子屋に子供を通わせられるような裕福層にとっては、自然災害続きや、里の有力な家の不祥事による政治的混乱に先行きの不安を感じ。その一方、里の貧困層は、その政治的混乱で硬直した里の何かが変わるかと期待したのに、結局何も変わらなかった――という絶望を感じているのではないか、というのは、慧音さんの考察である。
 何も起こらなければいいのだが――と慧音さんは心配していたが、はて、何か起こった結果がこれなのだろうか。物騒なことではなさそうだが――。
 いや、そうでもない。踊っている人間が店先の商品を蹴飛ばし、怒った店主ともみ合いになっている。周りはそれを止めるでもなく、踊りながらはやし立てていた。さらに踊っている中でも、あちこちで小競り合いが起こり始めていた。
 このままでは、暴動になってしまうかもしれない。自警団は何をしているのだ――。
 私がそう思った、そのときである。
「左様、この世は苦界である!」
 と、喧騒を切り裂くように、その場に響き渡る凛とした声。
 人々が踊りを止め、声の方を振り向いた。太陽の方角から、陽光をバックに現れたのは、マントを翻し、獣の耳のような特徴的な髪型をしたシルエット。
「では、なぜこの世は苦界なのか? 誰もこの世が苦界であってほしいなどと願ってはいないのに、どうしてこの世は斯様な苦界となってしまうのか? ――答えは簡単です。あなたたちが、本当に幸福になる術をまだ知らないから。ただそれだけのことなのです」
 海を割るように、人波の中を進んでいくその人物は、踊り狂っていた人々の集団の中心まで辿り着くと、ぐるりとその場を見回して――笑った。
「どれだけ努力しても報われない。自分はこんなに頑張っているのに誰も認めてくれない。生活は苦しくなるばかり。辛いでしょう。苦しいでしょう。こんな生活から抜け出したいと、心のどこかで思っているでしょう。けれど、どこかで諦めてはいませんか? しょせん自分はこんなものだと。自分に特別な力などないと。だからこんな生活も受け入れてしまえば楽になると、諦めてしまってはいませんか? ――その諦念こそが、この世を苦界にしているのです!」
 人々がざわめく。誰かが「だったらどうしろってんだ!」と叫んだ。
 そうだそうだ、とざわめく群衆に、その人物――太子様こと豊聡耳神子さんは、腰の宝剣を高々と掲げて、高らかに宣言する。
「答えはひとつ! 道教を学び、特別な人間となるのです!」
 群衆が、ぽかんと太子様を見つめた。
「道教とはすなわち仙術。仙術を学び、仙人になる。と言っても、世を捨てて霞を食べて生きろという意味ではありません。仙人とは即ち、タオの神髄を知る者のこと。タオを学ぶ志さえあれば、老若男女、どんな身分でも立場でも、等しく仙人となれるのです。そうして仙人となった暁には、家内安全商売繁盛、心身とも健康となり、幸福なる人生があなたたちに待っています! 金持ちになりたい、結構! 長生きしたい、結構! 周りからチヤホヤされたい、大いに結構! あなたたちのその欲を、道教は受け止めます。タオの神髄とは即ち、この世で幸福に生きる術そのものなのですから!」
 人々が顔を見合わせる。「そんな俗っぽい目的で仙人になんかなれるかよ!」と誰かが叫んだ。太子様は振り返り、にっこりと笑う。
「欲を捨てよ、仏にすがって清らかに生きよ――と唱えるだけの仏教とは違います。道教は人間の欲を否定しません。どんな卑俗な欲も、自分を高める目的になるならそれで結構。欲あってこそ人は努力し、己を高めることができるのです。無論、過剰な欲は身を滅ぼしますが、大切なのはバランスです。己の欲を制御し、正しく付き合うこと。それこそが、人間が人間らしく幸福に生きる最良の手段。そこを見誤り、仏教などにすがっては、精進料理のように味気ない余生が待つばかり」
 ばさっ、とマントを翻し、太子様は高らかに声を張り上げる。
「時代は道教です! 神霊廟で仙術を学び、欲との正しい付き合い方を身につけましょう! あなたたちには未来があります。未来へ繋いでいく子孫があります。まず、あなたたち自身が幸福となること。正しき欲を持ち、それを原動力に望みを叶え、幸福な人生を送ること。それこそが貴方たちが子孫に残せる何より大きな遺産。なればこそ貴方たちは正しい欲を持ち、幸福にならねばなりません! さあ、集え神霊廟へ!」
 人々が呆然と太子様を見守る中、群衆の中からひとりの青年が太子様の前に跪いた。
「――弟子にしてください!」
 その瞬間、雪崩をうったようにその周囲の人々も、次々と太子様に跪いていく。
「よろしい。では皆の者、我に続け!」
 マントを翻して歩き出す太子様に、跪いていた人々が続いていく。さながらハーメルンの笛吹きめいた光景だ。踊っていた群衆の半数ほどが太子様についていき、残された人々は毒気を抜かれたように三々五々散っていく。――そして気付けば、大通りは静けさを取り戻していた。
「……何だったのかしら?」
 私が思わずそう呟くと、蓮子は「まさか神霊廟の大がかりな布教活動でもあるまいしねえ」と腕を組む。踊っていた人の中に廟のサクラでも混ざっていたのかもしれない。あるいはこの踊りを扇動したのがそもそも――。
 そんなことを考えていると、通りの向こうから走ってくる影がある。自警団の腕章をつけた慧音さんだった。蓮子が手を振ると、慧音さんはそれに気付いて私たちの前で立ち止まる。
「このあたりで騒ぎがあったと聞いたが」
「大勢が踊り狂ってましたけど、太子様が来て、収まりましたよ。騒いでいた人の半数ぐらい連れていきましたけど」
 蓮子の答えに、慧音さんは「ここもか……」と頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
「ここも、と言いますと?」
 阿求さんが尋ねると、慧音さんは「ああ、阿求殿」と振り向き、「いや、実は」と息を吐く。
「里の北部でも、今しがた同じようなことがあったんだ」
 その言葉に、私たちは顔を見合わせた。




―3―

 聞けば、里北部の飲み屋街で、私たちが見たのと同じようなええじゃないか踊りが突然発生したのだという。人々が踊り狂い、あちこちで揉め事が起こり始めた頃、そこへ颯爽と現れたのが、命蓮寺住職の聖白蓮さんだったという。
 白蓮さんは欲を捨て、御仏にすがることで救われると説き、踊っていた群衆の半分弱がそれに従って命蓮寺へと向かったという。私たちが見たのとそっくり同じ状況だった。
「あの踊りを誰がやりだしたのかは、聞き込みをしてもはっきりしない。どうもみんな、自然発生的に踊り出したようなのだが……」
「ほぼ同時に二箇所で発生して、それぞれ命蓮寺と神霊廟の介入で収まった……となると、両陣営のどちらかの仕込みによる布教活動という可能性は低いですね。命蓮寺と神霊廟は完全なライバル関係ですから。両陣営が同じ手を同時に考えたとは思えませんし」
 場所は鈴奈庵の店内。蓮子が言い、阿求さんが頷く。
「どちらもこの機に乗じて布教活動に乗り出したというところでしょうね。人心が乱れているときは宗教の出番だもの」
「阿求、あんたが人心をまとめればいいんじゃないの? 里の象徴でしょ?」
「駄目よ。阿礼乙女はあくまで象徴であり記録者。私に権力が集中したら人間の里は稗田家の独裁になるから、それを避けるために阿礼乙女は里の政治権力から独立してるのよ」
「阿求の機嫌ひとつで処遇が決まる独裁政権……うわ、ヤバそう」
「あんたは私を何だと思ってるのよ」
 阿求さんに睨まれ、小鈴ちゃんは舌を出す。
「とにかく、また同じようなことが里で起こるかもしれないから、自警団としては警戒態勢を強めておく。蓮子、メリー、もし人々を扇動しているような者を見かけたら、自警団に連絡してくれ」
「わかりました。慧音さん、命蓮寺と神霊廟の布教活動の方はどうするんです? 里の人間が結構大勢連れて行かれちゃいましたけど」
「気がかりではあるが、どっちもまさか取って食いはしないだろう。宗教家が布教活動をすること自体を禁止はできないからな。ただ、連れて行かれた人たちがそのまま里に帰ってこないとなったら問題だな。どちらも後で様子を見に行こう」
 そう言って、慧音さんは大きくため息をつく。
「何にしても、自警団としては忸怩たる思いだよ。里の人心が乱れているということは、人々が不安を感じているということだからな。里を守る者としては責任を感じる」
「慧音さんが責任を感じることはないですって。去年自然災害が続いたのは自警団にどうこうできることじゃないですし」
 蓮子のフォローに、「それ以外にも色々あったからな……」と慧音さんはこぼし、それから立ち上がった。
「じゃあ、私は里の見回りに戻る。何か気になることがあったらいつでも連絡してくれ」
「了解ですわ」
「阿求殿も、この件の情報収集をよろしくお願いします」
「ええ、そのつもりです」
 慧音さんが店を出て行き、私は隣に座る相棒を見やった。相棒は帽子の庇を弄りながら、楽しげな笑みを浮かべている。――あ、始まった。私はそれを悟って、思わず息を吐いた。
「突如二箇所で発生したええじゃないか踊り。なかなか気になる事件ね。本当に単なる自然発生的な運動だったのか、それとも誰かが裏で糸を引いているのか――」
 蓮子は立ち上がり、高らかに宣言する。
「さあメリー、秘封探偵事務所の出動よ!」
「……誰にも依頼されてないじゃない」
「されたわよ。今さっき慧音さんに」
「……見かけたら通報しろって言われただけで、犯人を探せとは言ってなかったわよ」
「犯人を見かけたら通報しろって言うのは、犯人を捜せと言う意味なのよ。知らなかった?」
「知らないわよそんなこと」
「なら今覚えなさい。さあメリー、ええじゃないか踊りの犯人を捜すのよ!」
 ノリノリで猫のような笑みを浮かべ、私に手を差し出す蓮子。
 ――ホントにそんな犯人なんているのだろうか。疑問に思いつつも、こうなってしまった蓮子を止める術は、私にはない。私はため息をつきながら、蓮子の手を取って立ち上がった。

 とは言うものの。
 踊っていた人たちの半数は太子様に連れて行かれてしまったし、残った人たちもしれっとした顔で普段通りの生活に戻っているので、実際のところ誰が踊っていたのかの特定さえ困難である。鈴奈庵の近くで聞き込みをしてみたが、要領を得ない証言ばかりだった。
「うーん、まあそう簡単に犯人が特定できるとは思わなかったけど」
「だいたいこういうのって、最初に言いだした本人さえ、自分が原因だって自覚がなかったりするんじゃないの?」
 それこそ群衆の中で誰かがヤケクソに『ええじゃないか』と叫んだのがきっかけというのが、自然な結論ではないのか。腕を組んで唸る蓮子に私がそう突っ込むと、「お、メリー、いい着眼点よ」と蓮子がニヤリと笑った。何がだ。
「誰かがヤケクソに叫んだ『ええじゃないか』が群衆に波及して、あの踊りに発展した――というのは確かにありそうな話だけど、それだけいささか不自然な点があるのよ」
「不自然?」
「単純な話よ。――突然の自然発生にしては、歌の節回しや歌詞が既に完成されてたこと」
 ああ、言われてみれば確かにそうだ。鈴奈庵の前まで騒ぎが波及していたときには、踊りながら歌う人々の声には、既に一定のリズムと節回しが生まれていた。
「さて、あれが自然発生の踊りなら、あの節回しや歌詞は誰が考えたのかしら?」
「農家の田楽とか、そのへんの流用なんじゃないの?」
 ――ええじゃないか! ええじゃないか! ヨイヨイヨイヨイ!
 思い返してみると、里の収穫祭なんかの踊りとは違った気はするが。
「確かに農家は田植えの時期や収穫祭で歌ったり踊ったりするけどね。――でも、今回の騒ぎが起きた場所は?」
「……この中央の商店街と、里北部の飲み屋街」
「そう、農家の多い里南部ではないわけよ」
「農家の人だって買い物に来るでしょ」
「踊ってたのは、このへんで働いてる人が中心に見えたけどね」
「はいはい、じゃあ蓮子はその件をどう考えてるわけ?」
 ツッコミを入れ続けても話が進まない。私が嘆息しながらそう問い返すと、相棒は帽子の庇を持ち上げて、ニヤリと笑った。
「突然ハイになって踊り出した群衆、突発的な事態にしては完成された歌詞と節回し、そして二箇所での同時発生――これら、今回の騒動の特徴を考えると、有力な容疑者が浮かぶわ」
「……誰?」
 眉根を寄せた私に、相棒は高らかに宣言する。

「躁の音を操る音楽家――プリズムリバー騒霊楽団の、メルランさんよ!」

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この小説へのコメント

  1. 報告:ー2ーの途中の太子様のセリフが「欲を捨」で切れちゃってますよ。

  2. 働かなくてもええじゃないか…なるほどなあ(錯乱)
    一体だれが犯人なのか気になりますねえ(wktk

  3. お待ちしてました!
    今回の宗教戦争に潜む謎が楽しみです。

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