東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第12章 心綺楼編   心綺楼編 3話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第12章 心綺楼編

公開日:2019年03月23日 / 最終更新日:2019年03月23日

心綺楼編 3話
―7―

 翌日。寝不足を顔に出さないようにしながら、私は寺子屋で国語の授業をしていた。先生が生徒の前で欠伸をするわけにはいかないのである。隣の教室で算学を教えている蓮子の方はどうだか知らないけれども。
 ともかく、普段通りの寺子屋の授業が進み、そろそろお昼前の時間。授業も終わりにさしかかった頃――不意に、教室の外から騒がしい声が聞こえてきた。
 これは、ひょっとして。いや、ひょっとしなくても。
 生徒たちの意識がその騒ぎに逸れてしまい、私はため息をついて教科書を閉じ、大通りの方に面した障子戸を開けた。――そこから聞こえてきたのは、案の定、昨日のあのええじゃないか騒ぎの喧噪である。また始まったらしい。
 どうしたものか、と思っていると、教室の時計が授業時間の終わりを告げた。私は生徒たちを振り返り、「じゃあ、授業はここまで。皆はちょっとそのまま待ってて」と告げ、廊下に出る。ちょうど慧音さんが姿を現したので、そこに呼びかけて歩み寄った。
「また始まったか」
 眉間に皺を寄せて慧音さんは言う。「どうしますか?」と私が問うと、「君たちは子供たちを教室に待機させていてくれ。私が止めに行ってくる」と慧音さんはそのまま外へ出て行った。
 私はそれを見送り、そういえば隣で授業をしていた蓮子はどうしたのだろう――と廊下を振り向くと、子供たちを引き連れて縁側に出ようとしている相棒の姿が。
「ちょっと蓮子、何やってるのよ」
「騒ぎの様子を見に行くに決まってるじゃない」
「慧音さんがもう行ったわよ。危ないから子供たちは教室に戻して」
 私が言うと、蓮子の連れた子供たちから「ええー」と不平の声があがった。
「なんかたのしそうじゃん!」
「せんせー、もうお昼休みだよ! あたしも遊びたい!」
「いや、あれは遊んでるんじゃ……いや、遊んでるのかしら」
 ――ええじゃないか! ええじゃないか!
 リズミカルな節回しで踊り狂う群衆は、確かに遊んでいると言ったほうが正しそうである。
 やるべき仕事を放りだし、刹那の快楽に身を委ね、ええじゃないかと踊り狂う。十年一日の里の生活に染まりきった人々にとって、それは一時の解放であるのかもしれない。真面目に生きなくてもいい、働かなくてもいい、里の生活に身を粉にするほどの対価はありや。
 生きるために働くのか、働くために生きるのか――というのは、人類社会の永遠の命題には違いない。人間は手段と目的を区別する能力を持たず、それ故に手段と目的は鶏と卵のスパイラルに陥る。このええじゃないか踊りは、そんな人類社会へのレジスタンスというかストライキというか……ああ、自分でも何を考えているんだかよくわからなくなってきた。
「ええじゃないか! ええじゃないかー!」
 と、ぼんやりしていた私の横をすり抜けて、子供たちの何人かが群衆の踊り狂う大通りに駆けていく。「あっ、待って!」と私は慌ててその後を追いかけた。
 が、踊り狂う人々は既に寺子屋の前の通りを埋め尽くしていて、通りに出ることもままならない。飛び出していった子供たちの姿もその群衆に紛れてしまい、私がおろおろと視線を巡らしていると、蓮子が後ろから追いついてきた。
「もう、なにやってるのよメリー」
「いや、そもそも蓮子のせいじゃないの。ああもう、あの子たちどこ行ったのかしら」
「慧音さんは? ……ああ、ありゃダメそうね」
 蓮子が視線を向けた先、通りを踊りながら進んでいく群衆の先頭に回り込んで声をあげている慧音さんの姿が見えた。しかし群衆は慧音さんの言葉には聞く耳持たずといった様子で、突き飛ばされた慧音さんが道の端に尻餅をつく。
「慧音さん!」
 私が駆け寄ると、慧音さんは苦々しげな顔で群衆を見上げ、それから私を振り向いて「ああ、すまない」と首を振った。立ち上がった慧音さんは、腰に手を当てて息を吐く。
「駄目だ、私の言葉なんか全く耳に入っていない……だがこのまま放っておくわけにも」
 慧音さんがそう呟いた、そのとき――。
「左様、この世はまこと苦界であります!」
 聞き覚えのある朗々たる声が、その場に響き渡った。あれ、この展開はまさか。
「煩悩が欲を生み、欲は嫉妬や傲慢の罪を生み、罪は人も妖をも苦しめます。人も妖も、この世に生きる者は皆、この苦界に囚われた身なのです」
 慧音さんがどうやっても止まらなかった人々の踊りが、ぴたりと止まる。海を割るように群衆を割って現れたのは、編み笠を被った尼僧。――聖白蓮さんだ。
 ざわめきの満ちる中、白蓮さんは朗々と言葉を紡ぐ。
「されど、御仏は我らを決して見捨てることはありません。御仏は苦界でもがく我らを、慈悲の心をもって見守ってくださっています。我らはその御仏の慈悲を知らねばなりません。欲を捨て、心を清めることで罪から解き放たれしとき、我らは今生きるこの身のままに、御仏の境地に近付くことができるのです。これを即身成仏といいます。人も妖も、御仏の教えを学ぶことにより、自分たちひとりひとりが御仏の命と心を持っていることを知ることができるのです」
 おお、とどこかから歓声が上がる。我を忘れて踊っていた人々が、今は両手を合わせ、白蓮さんを拝んでいた。涙を流している老人さえいる。ありがたや、ありがたや。
「さあ、皆で御仏に祈りましょう。そして三宝を篤く敬い、御仏の御心を知るのです。命蓮寺の門戸は、救いを求める全ての人妖に開かれています。いざ、南無三――」
 白蓮さんに後光が刺している。これが宗教家のカリスマというものか。昨日の太子様はどちらかといえば若い層が支持していたように思えるが、白蓮さんを拝んでいるのはどちらかといえば年配の人たちである。
 ――で、そんな中に茶々を入れるのは、やはり若者なのである。
「なんだなんだ、怪しい集まりか?」
 近くの建物の屋根の上から、ひらりと飛び降りてくる影ひとつ。黒いその姿は、霧雨魔理沙さんである。里に買い物にでも来ていたのだろうけれど、なんで屋根の上にいるのだ。
「あら、魔理沙さん。救いを求める人々に御仏の教えを伝えているところですよ」
「胡散臭いぜ。何より寺に入って念仏唱えれば救われるってのが胡散臭い。救いってのはもっと具体的なもんだろ?」
「まず心が救われれば、具体的な救いは自ずと訪れるものです。人はまず自らの心によって自らを苦しめてしまうのですから」
「心の安寧をもたらすのは具体的な救いだぜ。ボロを着てれば心もボロ、念仏唱えたって腹は膨れん。人を救うのはメシと布団と先立つものだぜ」
 里を飛び出して魔法の森で独り暮らししている魔理沙さんがそれを言うと、なかなか説得力がある。人間でありながら人間の里を離れて暮らすことには相応の苦労もあろう。
 白蓮さんは「なるほど」と頷き、合掌して瞑目する。
「貴方もまた、この苦界に囚われてしまっているようですね。ならば私は貴方をまず救わねばならないようです」
「生憎、救われる覚えはないぜ」
「言ってわからぬならば、この場で仏教の力をお見せしましょう」
「お、やるか? 私は構わんぜ」
 白蓮さんが身構え、魔理沙さんも手にした箒を構える。群衆がどよめいた。って、こんな里のど真ん中で弾幕ごっこを始める気か。危ないだろうに。
「こら魔理沙! こんなところで何を始める気だ!」
 案の定、慧音さんが声を上げた。「げっ、慧音」と魔理沙さんが顔を歪める。
「喧嘩を売ってきたのは向こうだぜ。上空でやるからいいだろ?」
「そういう問題じゃ――」
「申し訳ありません、慧音さん。しかし私とて、仏教が信ずるに値するものであることをここで示さねばなりません」
「びゃ、白蓮殿、貴方まで」
「皆さんを安全なところまで下がらせてください。では、いざ、南無三――」
 ふたりが上空に舞いあがり、空中での弾幕ごっこが始まってしまった。上空を飛び交う光弾に、人々が歓声をあげる。慧音さんは「ああ――全く、もう!」と頭を掻きむしり、興奮する群衆の中へ「危ないから下がって下がって!」と声を張り上げながら駆け込んでいった。
 私はただ、おろおろとそれを見ていることしか出来ない。相棒の方はといえば、群衆と一緒になって歓声を送っている。何をやっているのだ。
 呆れて息を吐いたとき――その人混みの中に、見覚えのある小さな影が、ちらりと見えた。それはすぐに群衆に紛れて見えなくなり、本当に見えたのかも定かではなかったけれど。
 ――あれは、古明地こいしちゃんではなかったか……?




―8―

 結局、弾幕ごっこは白蓮さんの勝利に終わり、群衆の何割かが白蓮さんに引き連れられて命蓮寺へと向かったことで、なし崩しに騒ぎは解散した。負けた魔理沙さんは「ちぇっ、恥かいたぜ」と言い残して飛び去り、もう通りにはそんな騒ぎがあったという痕跡すらほとんど残っていない。
 その後は散らばった子供たちを見つけて寺子屋に連れ戻し、お昼休みのあとで午後の授業を普通に済ませた。まあ、騒ぎの影響か、子供たちはいつもよりそわそわしていたけれども。
 そうして寺子屋の授業が終わり、子供たちを帰して、慧音さんは「この騒ぎ、本格的に自警団で対策を考えねば」と腕を組んで唸りながら自警団に向かった。
 で、私たちはいつものように離れの事務所に移り、閑古鳥に餌をやるわけだ。
「やっぱり、今夜も張り込みすべきだと思うのよ。丑三つ時に何かが起きたのは間違いないわ。明日はお休みだし、今度こそ何が起きたのか突き止めるのよ!」
「私は寝不足だからゆっくり寝たいんだけど」
 蓮子は寝不足でハイになっているのかもしれない。「つれないわねえ、メリー」と口を尖らせる相棒に、私はため息をつく。
「そもそも、ゆうべ仮に何かが起きたのだとして、今夜も起きるとは限らないでしょ」
「起きるか否かを確かめに行かなきゃ始まらないじゃない」
「だとしてもよ。ゆうべ何か起きたっていうのは、少なくとも私たちが認知している事実としては、二人揃って無意識のうちに家に帰ってきてたってことだけでしょ?」
「それだけで充分に異変じゃない」
「藍さんあたりの仕業じゃないの? 私たちを心配して家に送ってくれたのよ」
「それだけなら、今までにだって同じことがあったはずでしょ。私は記憶にないわよ。それに、蛮奇ちゃんが明らかに何かが起きてることを示唆してたじゃない」
「彼女の言ったことと私たちが無意識に帰宅したことが関係あるという証拠はないわよ」
「関係ないという証拠もないから確かめに行くのよ! メリーみたいに机の前で頭でっかちに考えるだけじゃなく、実験と観察を繰り返すことで真理に近付くのが学問というものよ」
「そのわりに、蓮子の普段の誇大妄想は実証性が低い気がするけど」
「あれは当事者にぶつけるための仮説だから思考実験でいいのよ」
「都合のいいことばっかり言って。……あ、そういえば」
「うん、何?」
「無意識で思いだしたけど、こいしちゃんを見かけたわ」
 私がそう言うと、相棒は目を見開いて身体を乗り出してきた。
「え、いつ? どこで?」
「白蓮さんと魔理沙さんが戦ってたとき。観客の中にちらっと後ろ姿が見えたの。一瞬だったけど、たぶんこいしちゃんだったと思うわ」
「相変わらずメリーのレーダーは高性能ねえ。誰にも気付かれない無意識の妖怪が一瞬で判別されちゃレゾンデートルの危機じゃない? なのになんでメリーの前には出てきて、私の前に出てきてくれないのかしら、あの子」
「こいしちゃんは自分が見える相手と遊びたいだけよ、たぶん」
「私には見えないって? そうと決まったわけじゃないでしょうに」
「どうかしら? こいしちゃんはよく地上に出てきてるんだし、蓮子も今まで見かけていたけど認識できなかっただけかもしれないわよ」
 私が言うと、蓮子は「むー」と頬を膨らませて唸る。
「……というか、よ、メリー。私たちがゆうべ、無意識に帰宅させられたのもこいしちゃんの仕業ってことは考えられるんじゃない?」
「ええ? あの子の能力が他人の無意識に干渉するものだとしても、あの子がそんなことはしないと思うけど……」
「いやでも、私たちが無意識に操られたのと、無意識の妖怪であるこいしちゃんをメリーが見かけたのとの間には、きっと何か繋がりが!」
「偶然だと思うわ」
「もうちょっと乗ってよメリー」
「だから私は眠いの」
 益体もないことをふたりで言い合っていると、不意に玄関の戸が挨拶もなく開いた。この事務所にそんな気安い来訪者は、ひとりしかいない。非常勤助手の東風谷早苗さんだ。
「こんにちはー!」
「あら早苗ちゃん、いらっしゃい」
「何か盛りあがってましたね。何の話してたんですか?」
「いつもの蓮子の暴走に付き合わされてたのよ」
「そうそう早苗ちゃん、里で今、密かに何かの異変が進行しているようなのよ」
「異変? ああ、ええじゃないか騒ぎのことですか?」
 早苗さんもあの騒ぎのことは認識しているらしい。……というか。
「ねえ、早苗さん。昨日から命蓮寺と神霊廟があれに乗じて新しい信者を集めてるけど、ひょっとして守矢神社も?」
「え? ああ、ウチは神奈子様の指示で、この騒ぎについては静観です」
 早苗さんの言葉に、私は蓮子と顔を見合わせる。
「早苗ちゃん、それでいいの? 白蓮さんや太子様はすごい勢いで信仰を集めてるけど」
「よくないですよ! 昨日里の人が大勢命蓮寺と神霊廟に拉致されたって聞いて、慌てて神奈子様に『私たちも守矢の神徳を示すときです!』って言ったんですけど、神奈子様は『なに、慌てることはない。この件、ウチはしばらく静観するよ』と仰られて。『どうしてですか!』って訊いたんですけど、笑って答えてくれませんでした」
 むー、と唸る早苗さん。てっきり守矢神社もこの機に乗じて布教に乗り出しているのかと思ったが。神奈子さんは里のあちこちにある分社から里の様子を見ているはずで、里の人心が乱れていることも当然把握しているだろうに。
「まあ、ウチは里で大勢信者を獲得しても、山の神社まではなかなか連れていけませんから、そのせいかとも思うんですけど……神奈子様にはもっと何か深い考えがありそうな」
 早苗さんの言葉を聞いて、蓮子は腕を組んで瞑目した。
「里で自然発生するええじゃないか騒ぎ、信者獲得に動き出した命蓮寺と神霊廟、蛮奇ちゃんが示唆した何か、深夜に起きた謎の事態、群衆に紛れたこいしちゃん、静観する守矢神社……うーん、まだ何が起きてるのか、全体像を結ぶにはピースが足りないわね」
 そんなことをぶつぶつと呟き、それから蓮子は不意に「そうだわ!」と顔を上げた。
「早苗ちゃん! 今晩守矢神社に泊めてくれない?」
「へ? ええ、まあ、いいですけど」
 早苗さんがきょとんと目をしばたたかせる。この相棒は、いきなり何を言い出すのだ。
「ちょっと蓮子、なによ急に」
「いいじゃない、明日は休みなんだし」
「……で、何を企んでるの?」
 私の問いに、蓮子は猫のような笑みを浮かべて答える。
「物事は、角度を変えて見てみるべきということよ」




―9―

 そんなわけで、久しぶりの守矢神社でのお泊まり会である。
「よー、久々に泊まってくんだって? なんかゲームして遊ぼうよ」
 何やらご機嫌の諏訪子さんに出迎えられ、私たちは守矢神社にお邪魔する。居間に入ると、神奈子さんがお茶を飲んでいた。神様というより家でくつろぐ親という感じの姿である。まあ実際、神奈子さんと諏訪子さんは早苗さんの親と呼んでもそう間違いではあるまいが。
「お邪魔しますわ、八坂様」
「どうも、お邪魔します」
「おう、ゆっくりしておいき」
「おふたりのぶんのお茶淹れますね。神奈子様、おかわりは?」
「じゃあ、もらおうかね」
「早苗ー、私にもー」
「はいはい、今ご用意しますから」
 まったく、神様と神様と現人神とは思えない平凡な一家団欒だ。
「ところで八坂様、里の現状はご存じなのですよね?」
 早苗さんの淹れてくれたお茶を飲みつつ歓談のさなか、不意に相棒がそう切り出した。
「ああ、だいぶ人心が乱れているようだね」
「早苗ちゃんから伺いましたが、守矢神社は静観の構えだとか。よろしいんですか? うかうかしていたら寺や道教に信仰を奪われてしまいません?」
「確かに、人心の乱れるときは宗教の出番だ。信仰とはつまるところ、己の生き方を律する指針だからね。神も仏もないということは、つまり何を信じていいかわからない、己の生き方の規範が定まらないということに他ならない。そういうときに、規範を与えてくれるのが信仰というものだ。こうすれば人生はよくなる、ああすれば魂は救われる、とね」
 神奈子さんはそう言って、「しかし、だ」と湯飲みを置いて目を細める。
「今の里の狂乱は、一時的なものだと私は見ている」
「と言いますと?」
「集団ヒステリーのようなものさ。他人の不安が伝播して、実態以上の不安を煽っている。不安のバブルみたいなもんだね。実際のところ、去年から自然災害が多かったといっても、生活が根底から覆るようなもんじゃあない。里の政治決定機関の混乱だって、収まるべきところに収まりつつあるだろう。今は皆、実体のない不安に文字通り踊らされているのさ。バブルがはじければ、今集めた信仰の波はすぐ引いていくだろう。この状況でいたずらに不安を煽って信仰を集めるのは、かえって混乱を増幅させるだけさ」
「ははあ。しかし、どうしてそんな不安のバブルが発生したんでしょうね」
「さて、原因はいろいろあるだろう。なんとなく未来が信じられない。なんとなくこのままじゃいけない気がする。しかし、具体的に何をしたらいいかが解らない。――そういう不安に対して『こうすればいい』という指針を与えるのが信仰だ。だから、今の里の人間に信仰が必要とされているのは間違いない。しかし、ここで得た信仰は結局、にわか仕込みのものだ。これを生活の一部になるまで持続させるには、結局は相手に信仰で安らぎを与えつつ、同時に背後から『まだ足りない、まだ不安でしょう、まだ心配でしょう』と囁き続けなけれりゃならない。こいつは典型的な新興宗教の手口だね」
「守矢神社としては、そういうことはしたくないと」
「そうだね。寺と道教と、まあ博麗の巫女もそのうち出馬するだろうが、そうして信仰を奪い合っていけば、いずれ人々はそれぞれに信仰の寄りどころを見つけてなんとなく落ち着くはずだ。そうすれば今の不安のバブルは弾け、ひいては信仰の必要度も下がっていくだろう。寺や道教が信仰を保つために不安を煽って人心を落ち着かせようとしないようなことになれば、仕方ない、そのときこそ私たちの出番だろうね」
「――つまり、八坂様的には命蓮寺と神霊廟と博麗神社が適当につぶし合って、共倒れになったところで漁夫の利をさらえればよし。そうならなくても痛手は少ないと」
「まあ、そういうことだ」
 にやりと神奈子さんは悪い笑みを浮かべる。やれやれ、結局守矢神社もこの状況を都合よく利用しようとしているわけか。神様はしたたかである。
「それに、ウチとしては目下、参拝の利便性向上の方が喫緊の課題だしねえ」
 神奈子さんはそう言って、小さく肩を竦めた。

 そのまま夕飯を御馳走になり、諏訪子さんを交えて遊び、夜も更けたところで早苗さんの部屋でのお泊まりである。
「というわけで早苗ちゃん、丑三つ時に合わせて里に下りるから、そのつもりでね」
「了解です!」
 ――というわけで、相棒が急に守矢神社に泊まると言いだした目的がそれだった。昨晩とは視点を変えて、早苗さんと一緒に空から丑三つ時の人間の里を見てみようというプランである。
 早苗さんに頼らずとも玄爺に乗って飛べばいいのでは? とは思ったが、「玄爺はおじいちゃんなんだから無理させない方がいいでしょ」とは相棒の弁。できればその気遣いを私にも向けていただきたい。
「じゃあ、それまで仮眠ですね! それとも夜更かししちゃいます?」
「……私は寝不足だから先に寝かせてもらうわ。おやすみ」
 私が床に敷いた布団に潜り込むと、隣の布団に座った蓮子が「えー」と声をあげる。
「メリー、いいの? メリーが寝てる間、私早苗ちゃんと浮気しちゃうわよ?」
「ええええ!? れ、蓮子さん、そんな急に言われても」
「早苗ちゃーん、メリーに構って貰えない寂しい私を慰めてー」
「いやいや、メリーさん、どうにかしてくださいよぉ」
「知らないわよ。おやすみ」
「そんなぁ。私こういうことは全然……」
「あら早苗ちゃん、こういうことってどういうこと?」
「ちょっ、蓮子さん! 浮気は駄目ですよ、駄目ですって!」
「メリーがいいって言ってるんだから。ほらほら、ういやつめ」
「やーっ、所長のけだものー! ひーん」
 何をやってるのだか。視線だけで振り向くと、蓮子が早苗さんの脇腹をくすぐっていた。私の視線にめざとく気付いた蓮子が、「あらメリー、やっぱり気になる?」と猫のように笑う。
「知らないってば」
「妬かない妬かない。私が本気でメリー以外に浮気すると思う?」
「妬いてないしそもそも浮気される覚えもないから」
「ちょっと、結局私をダシにしていちゃつくんですかぁ」早苗さんが頬を膨らませる。
「あら早苗ちゃん、本気で私と浮気してみたかった?」
「そ、そういうことじゃなくて。メリーさん、助けてください〜」
 早苗さんが情けない声をあげて私の布団に潜り込んでくる。私は息を吐いて、もぐりこんできた早苗さんの背中に腕を回した。
「じゃあ、私たちで蓮子を放って浮気しましょうか」
「ええー!?」
 ――そんな調子で早苗さんをからかって遊んでいるうちに、夜は更けていく。

 そうして、丑三つ時の少し前。
 神社を抜け出した私たちは、早苗さんに掴まって麓の里へと飛んでいく。
「さてさて、丑三つ時の里に何が起こるのかしらね」
「何も起きないと思うけど」
「私は蛮奇ちゃんを信じるわよ」
 さようですか。ため息をついているうちに、静まりかえった人間の里が見えてくる。時計は間もなく丑三つ時を指そうとしていた。
 どうせ、特に何も見つからないだろう――私は、その瞬間まで、そう油断していた。
 だが、時計の針が午前二時を指した、その瞬間。
 ――私の目に映る人間の里全体が、不意にもやがかかったように霞んだ。
「どうしたの、メリー」
 思わず目元を押さえた私に気付いて、蓮子が振り向く。
「……里の様子が変だわ。何か、もやがかかったみたいに……」
「やっぱり! 早苗ちゃん、もうちょっと下りて!」
「了解です!」
 早苗さんが降下して、私たちは里北方の通りを、月明かりの下ではっきり見渡せる距離まで下りてきた。……そして、そこにあった光景に、私たちは。
「……何、これ」
 私は口元を押さえ、思わずそう呻き。
 蓮子と早苗さんも、目を見開いて、その光景を見つめていた。

 里北方、丑三つ時の灯りもない飲み屋街の通りに、大勢の人が姿を現していた。
 どこからともなく、ふらふらと、夢遊病のような足取りで、人々がさまよい歩いている。
 その姿は、さながらゾンビめいていて――。

 最も異常なのは。
 そうして通りを歩く人々の顔に、白い、表情のない面が被せられていることだった、

 ――そう、それが、あの宗教戦争騒ぎの裏で起きていた《異変》。
 その《異変》の存在を、私たちが初めて察知した瞬間だったのだ。

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この小説へのコメント

  1. 早苗が完全に二人の玩具ですね。早苗を抱き枕にして川の字で寝ないですかね。

  2. 【おしらせ】
    いつもコメントありがとうございます。作者です。
    別口の原稿に時間を取られたため、本日3/30の更新はお休みします。
    次回4話更新は4/6(土)になります。申し訳ありません。
    これからも『こちら秘封探偵事務所』をよろしくお願いします。

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