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幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  後編   マリオネット後編 第2話

所属カテゴリー: 幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  後編

公開日:2015年11月11日 / 最終更新日:2015年11月11日

アリスの章

          1

「外傷は特に無さそうだけれど」
 それが幻想郷きっての名医である、八意永琳の診断結果だった。「気絶するほど殴られたとは思えないほど、頭には何も残っていないわ」
 そんなはずはない、と抗議の声を上げそうになったが、確かな目を持つ専門家が言うのだから間違いないのだろう。アリスは茫然自失になりかけながらも、なんとか言葉を紡いだ。
「殴られたことで記憶が曖昧になったりとか、悪夢を見たりすることはありますか?」
「それはある、と言っておきましょう。脳は謎が多いから断定しきれない部分もあるけれど、記憶を司っている以上、そこが損傷を受ければ有り得る話よ」
 やはりそうか、とアリスは自分の予感が正しいことを確認した。後頭部を殴られたことにより、脳がおかしくなってしまったに違いない。
「でもその場合、かなり激しく損傷を受けない限りは大丈夫なはずよ。まあ、今言った通り、脳は難しい部位だから断定はできないけれど」
「それって、腰とかと同じで、打ち所が悪ければ小さな出来事でも大事に至るのでは?」
 この問いに、永琳は少し間を置いてから、
「その通りである可能性は高いわ。ただ、だからってそうなる確率は限りなくゼロに近いと思うけれど」

 ――以上が、つい先程までのやりとりの中身だ。
 アリスは紅魔館に向かって歩を進めながら、頭の中で何度も永琳との会話を反芻させていた。混乱を極める脳内で、それでもなんとかまとめようと必死にあれこれと考える。同時に、パチュリーに意見を乞う際の内容も吟味した。
 永遠亭と紅魔館は正反対の位置にある。距離にすれば徒歩四十分強と言ったところか。飛んでいけば五分で行ける距離ではあるが、あえて徒歩を選んだ。こうして歩きながら考え事をしていれば、ふと現状を打破するアイディアが浮かんでくるかもしれないという期待を抱いて。
 もう少しで中間地点である魔法の森が見えてくるというところで、名前を呼ばれた。幼い声だった。
「アリスさん」
 声のした方に翻ると、小走りでこちらに向かってくる二人組みの少女の姿があった。
 一人は赤い服を着ており、もう一人は青い服を着ている。顔はどちらも全く同じで、一瞬幻でも見ているのではないかと目を疑ってしまった。
 だがそれは幻などではなく、現実に存在する少女たちだった。
「よかった、間に合って」
「もうちょっと遅かったらアウトだったね」
 肩で息をしながら、二人が笑い合う。どうやらアリスに逢いに来たらしい。
「どちらさま?」
 相手が子供ということもあり、極力優しく接しようと努めた。
「わたしたちは里から来たのですが」
「お姉ちゃん、自己紹介が抜けてるよ」
 あっそうか、と慌てた方が姉らしい。
 なるほど、道理で同じ容姿をしているわけだ。この二人は双子なのだ、きっと。
「あの、わたしは大前牡丹です。で、こっちが」
「大前葵です」
 二人揃ってぺこりとお辞儀をする。なんとも可愛らしい仕草である。
「ボタンちゃんにアオイちゃんね」
 アリスは名前から、牡丹は赤色、葵は青色か、と服の色にも納得した。おそらく親は文化人なのだろうと想像を膨らませて。
「それで私に何か用かしら」
「ちょっとお願いがあるんです」牡丹が祈るように指を組む。
「アリスさんにしかできないことでして」葵も同じように指を組んだ。
 双子説に確信が生まれた。見た目や名前も去ることながら、雰囲気がまったく一緒なのだ。人形を作り続けて随分経つからこそわかる感覚である。
「何かしら」膝を折り、姉妹たちの目線に合わせた。「私にしかできないことって」
「人形劇です」牡丹が言う。
「お祭りのときにやってくれる、あれです」葵が相づちを打つ。
「ああ、人形劇」
 ここ最近、そんな平和的思考とはかけ離れていることばかり考えていたせいか、どこか懐かしい響きに聞こえた。
「お祭りはまだ先なんですけど、どうしてもやって欲しくて」
「へえ。どうしてか教えてくれる?」
「あのね」答えたのは葵の方だった。「お父さんたちに、いつもみたく明るくなってもらいたいの」
「明るく?」
「うん、そう。何だかここ二日間くらい、ずっと怖い顔してるから」
 それは、例の事件のせいだろうと察した。が、すぐに思い直した。事件はもう一週間も前に起きている。
「一週間じゃなくて?」
 直球を放ってみた。
「うん。昨日かその前くらい」
「……そう」
 球は、あられもない方へ飛んでいった。
 なるほど、家庭内のささやかな事柄を話しているだけか。両親が不機嫌でどうにかしたい。原因は喧嘩――よくある話だ。
 何でもかんでも事件と結びつけるのはよそう、とアリスは肩をすぼめ、姉妹に笑顔を向けた。
「わかった。それで、いつやればいいのかしら」
「できれば……」牡丹が控えめに口を開いた。「これからでは駄目でしょうか」
「これから?」
 あまりに急な申し出に、上擦った声が出してしまった。
 おかげで過敏に反応した姉妹の落ち着きが失われた。
「や、やっぱり迷惑ですよね!」
「ごご、ごめんなさい!」
 迷惑というよりは驚きだったのだが、姉妹は今にも泣きそうな面をしている。誤解を解こうと、アリスは慌てて説明に入った。
「ええと、その、迷惑ってことじゃないの。ただちょっとびっくりしただけ。ほら、急な話だったから」
「でも」
「アリスさん、凄い顔してました……」
 葵の指摘に、心の端が凹んだ。そんなに酷かったかしら。
 しかし自分を飾るという術に未熟な子供から言われたのだから、相当な顔つきになっていたに違いない。素直は時に、かくも残酷である。
「ええとね、だからそれは、驚いたせいなのよ」
「……本当ですか?」
「嫌そうな顔でしたけど……」
 どうやら姉よりも妹の方が物事をずばり言うタイプらしい。本人に悪気はなさそうなので、それが救いといえば救いだ。
「とにかく」咳払い一つで濁した。「やるにしても準備とかあるから、今すぐにというわけにはいかないけれど。お昼の三時以降なら大丈夫だと思うわ」
 現在時刻は十一時。帰って昼食を摂り、上海のメンテナンスを行うことを考えると、どうしてもそれくらいの時間にはなってしまう。
「それでもわたしたちは大丈夫です」
 牡丹が嬉しそうに頷いた。葵も隣で目を細め、口を三日月にして笑う。歳相応のあどけない笑顔だった。
「それならいいわよ。ええと、どこに行けばいいかしら」
「入り口の鳥居なんてどうでしょうか」
 牡丹が提案してきた場所は、人間の里の南側入り口にある、こぢんまりとした鳥居だった。朱色の鳥居は目立つため、待ち合わせにはもってこいの場所である。
「ああ、いいわね。それじゃあ三時に、南側の入り口で」
「はい。あっ、あの、ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
 双子の姉妹は、姿が見えなくなるまでお辞儀を繰り返していった。

          2

 我が家に帰り着くと、早速昼食の準備に取り掛かった。
 簡単に済ませようと、一切れの食パンに一枚のチーズを乗せてオーブンへ入れる。魔法で着火すると、適度な温度で五分ほど焼いた。オーブンから出すと、チーズが程よく溶け出していて食欲がそそられた。
 魔法使いには食事を摂る必要がない。魔法の作用により、身体が食物よりも魔力を求めるようになっているからだ。魔力さえあれば餓死することもない。アリスは元人間だが、魔法使いになってからこのような体質となった。
 それでもこうして手間をかけ、食事を作るのは、偏に習慣のせいだった。人間だった頃の習慣が、いまだに抜け切らない。お腹が空くこともなくなったのだが、味覚はちゃんと生きているので、美味しいものを食べたいという欲求も残っている。
「あちちっ」
 別の皿に焼きたてのパンを移し、リビングへと持っていく。続いてミルクを用意すると、アリスはソファーに腰を下ろして食事を始めた。
「いただきまーす」
 他に誰一人住んでいないとしても、きちんと食事前の礼は欠かさない。
 いざパンを咀嚼すると、即興で作ったにしては美味しくできており、幾らか得した気分になった。
 食事を終えると、十三体の上海人形を寝室に集めてこもった。今日の劇を行うにあたり、この中から四体を選ばねばならなかった。さすがに全員は連れて行けない。
 作業の途中から、アリスは唸り始めた。いつもは選別など、気分一つで決めていたのだが、今日はどうしたことか一向に決められなかった。既に一時間も消費しているというのに、一体として決められない。
「うーん」
 なんとも無駄な時間を過ごしている、と思ってはみても、悩むものは悩む。微弱にだが、一体毎に差異があるからこその悩みだ。同じように作ったとしても、手作りである以上はまったく同じものは作れない。そのために生じる差異は、使えば使うほど理解が深化するものである。魔力に対する抵抗一つとっても。
 だが約束の時間まであと一時間と三十分しかない。そろそろ思い切らなければならなさそうだった。
 こうなると取捨選択の苦手なアリスは途端に困窮する。綿密に計画を練るのは得意でも、短時間の中でやれることをやるとなると、たちまち臆してしまうのだ。どうしても、もっと最善な方法が――選択があるはずだ、と考えてしまう。
「んー……」
 ベッド上に並ぶ十二体と、ベッド脇に置いた一体を見遣りながら、アリスは唸り通した。
 ベッド脇の一体は服が汚れていた上海であり、絶対に使わないと決めて除けていた。視界に入れるだけで胸の裡に暗い影が射し込んでくるのでは、劇の成功云々以前の問題である。人形に罪はないが、せめて服だけでも早急に捨ててしまいたかった。
 散々悩んだ挙句に辿り着いた手段は、目を瞑ってランダムに選ぶ、というものだった。これまでの時間が無に帰す瞬間だったが、このままでは遅刻しかねない。踏ん切りをつけねばならなかった。
「よし」
 人形さえ選んでしまえば、後は早かった。
 動作確認のため、十本の指にそれぞれ金具を嵌めていく。金具は一センチくらいの長さで筒状(指輪に近い)になっており、一本一本、指の付け根までしっかりと入れた。
 この金具は特殊なもので、金具の縁には空転するリングが付いており、ここに極細の糸が付いている。糸は絹のような柔な繊維でできたものではなく、硬質な金属で編まれたものだ。これに魔力を通すと、糸の先から魔力が線状に伸びていき、人形の一部と繋がる。この仕組みにより、人形を操作することができるようになるのである。
 金具がなくても魔力を放出すれば大雑把には人形を動かせるが、金具と糸を介すると精度が飛躍的に向上する。それこそ関節の動きは思いのまま、くらいには。
 アリスは金具を全ての指に付け終えると、両手を挙げた。その動きにつられるように、人形が一体、身体を起こす。まるで人間のように、ベッドに片手をついて。
 上海が完全に起き、両の足で立つと、薬指を内側に折った。その動作が上海に指令を与える。
 跳ねろ、と。
 その瞬間、拳一つ分ほどの高さを、上海が跳んだ。重力に押し戻され、すぐにベッドの上に着地する。
「上出来、上出来」
 久しぶりに人形を繰るせいか、少し興奮を覚えた。魔法使いであるのに魔法を使うよりも遥かに楽しく感じられる。元来が人形師であることに因果があるのかもしれない。魔力を使っている点は同じでも、やはり魔法とは全然違う。人形は生き物なのだ。エネルギーの塊である魔法とは違って、などと思ってしまう。
 それから十分ほど動作確認を続けていると、ある異変に気が付いた。上海の腕を上げようとすると、若干糸に引っかかりを感じるのである。異変というよりは違和感だったが、人形師としてはどちらも同じことだ。
 どうしたのかと、糸と人形を検めてみたが何も見つからない。魔力に乱れがあるのかと自分自身も疑ってみたが、これといって問題はなかった。
「……気のせいかしら」
 最近事件解決やゴーレム捜索に奔走していたせいで、あまり人形を動かしていなかった。そのツケでも回ってきたのか。
 もしくは、あまり考えたくないことだが、後頭部が悪さをしているのかもしれない。永琳は何も痕がないと言っていたが、殴られたのは間違いないはずだ。あの衝撃を、身体はまだ覚えている。
 そうだ、きっとご無沙汰だったせいだ、と頭を振った。詮無きことを考えていないで、とっとと勘を取り戻すために手を動かした方がいい。
 そう考え、アリスは別の上海を動かし始めた。

          3

 時間一杯まで粘ってみたが、結局は違和感を完全になくすには至らなかった。
 力加減が上手くいかないせいなのか、魔力の込め方が下手になったせいなのか。理由はともかく、人形と繋がる魔力の糸に引っかかりを感じるのを解消することができない。原因がわかれば対策のしようもあるのだが、今日はこのまま行くしかなさそうだった。
 選んだ四体の人形を大きな革製のアタッシュケースに詰め、アリスは家を出た。
 空は生憎の曇り模様だったが、飛行する分には何の問題もない。少々の蒸し暑さを肌で感じながら、空中に飛んだ。
 ある程度のところで高度を保ち、人間の里を目指して飛んでいく。
 と、眼下にパチュリーがいるのが見えた。隣には小悪魔がいる。進路を見るに紅魔館へ行く途中のようだ。
 話しかけようかと逡巡したが、やめておくことにした。どうせ二人で会話に花を咲かせているのだろう。そこに突っ込んでいけるだけの勇気が、今は湧いてこない。
 人間の里には、あっと言う間に着いた。歩いていけば三十分以上かかる道のりが、飛んでいけばたったの三分である。思わず苦笑いが出かかった。
「ええと」
 双子たちとの待ち合わせ場所は南側の鳥居だ。
 そちらへ回ると、ケースを地面に下ろし、鳥居の内側に背を押し当てた。予定よりも二十分近く着いてしまったが、このままここでぼーっとしているか、久しぶりに里の中をうろつこうか悩むところだ。
 思案の渦を巻かせていると、突如、真っ黒な物体が視界を横切っていった。驚いてそちらを目で追うと、カラスが羽ばたくことなく真っ直ぐ飛んでいくところだった。鳥居を潜ったカラスは鳴くこともなく、ひたすらどこか目指して飛んでいく。
 その様子を眺めていると、はたとあることに気がついた。
 ――あまりにも静か過ぎる。
 生活音がほとんど聞こえてこない。まるで里から人が消えてしまったかのような静けさだ。
 まさかと思い、アリスはケースを持ち上げて鳥居を潜った。
 予感が的中したのを知ったのは、すぐのことだった。
 先日ここに来た時は、まだ数店舗ではあるが店を開く者がいた。ところが今日は、その者たちの姿すら見えない。陶器売りの主人もおらず、店はどこも閉まっている。民家も雨戸が閉められており、雨戸がないところはカーテンがきっちりと閉じられていた。大通りには人影の一つも落ちていないし、野良の類いさえ見られない。
 往来のど真ん中でケースを下ろし、アリスは額に手を添えて考え込んだ。
 これは現実なのだろうか。今は夢の世界にいて、だから誰もいないのではないか。人間の里にあって人がいないなど、常識的に考えてどこかおかしい。
 こめかみを、親指の腹を使って強く押す。
 ずんとした痛みが広がった。痛覚がきちんと機能しているところをみると、どうやら現実らしい。俄かには信じられないが。
 しばらく放心したまま街を眺めていると、遠くの方で花火が一発上がった。
 ドン、という、大地に響くような音が耳に届いた。
 アリスは反射的に空を仰いだ。お祭りでもない限り、打ち上げ花火が上がることは滅多にない。祝い事があるとも聞いていない。どういうことなのかと困惑していると、続いて二発目が打ち上げられ、空に真っ赤な華が咲いた。
「なに、あれ」
 誰かが興味本位で打ち上げているのだろうか。それにしては規模が大きすぎる気がする。花火は高価だ。個人であれだけの大きさを上げようものなら、かなりの富豪だということになる。
 もしくは魔法か。ちらりと脳裏を掠めた考えだったが、魔理沙以外、こんな派手な真似をする者はいまい。
 呆気にとられていると、今度は喊声が聞こえてきた。うぉお、と天を衝くような雄叫びが、遠く離れているはずのここまで響いてくる。
 これはただ事ではない――そう思うと口の中が急激に乾き出した。代わりに、背に嫌な汗が浮き始める。
 とにかく、何が起きているのかを把握するのが先決だ。空に上がればすぐに状況が掴めるかもしれない。里に飛んで来た時、何も異変はなかった気がするが、もう一度上空に行ってみようと、アリスは両足に力を入れた。
 その瞬間、「あ、やっぱりアリスさんだ」と言う声が聞こえてきた。
 首を捻ると、目の先に待ち合わせをしていた双子の姉妹がいた。二人は身を寄せ合い、憔悴しきった表情をこちらに向けている。
「貴方たち」声が上擦るのを抑えられないまま訊いた。「どういうことなの?」
 午前中と何一つ変わらない、赤い服を着た牡丹が答える。
「大変なことになって」
 泣き出してしまいそうな雰囲気だったが、アリスは牡丹の肩に手を置き、先を催促した。
「お父さんが出ていっちゃった」
「ううん、お父さんだけじゃなくて、たくさんの人が」
 姉に引き継ぐ形で葵が口を開く。
「なんでも、ホウキがどうのこうのって。怖い顔してて……」
「ホウキ?」
 どうして箒が出てくるのか。箒と花火に何か関係でもあるのか。
「女子供は家にいなさいって言われて。お母さんと一緒だったんだけど、あの、アリスさんとの待ち合わせがあったから、わたしたち、内緒でぬ、抜け出してきたの」
「お姉ちゃん、落ち着いて」
 葵が牡丹の背を摩る。
 よく見ると、牡丹は小刻みに震えていた。それでも喚き出さないあたり、強い子なのだと思う。恐怖という凶暴な獣を、おそるおそるながら理性という手綱で必死に抑えている。葵も同様だろうが、それにしても立派なものだ。
 しかし、これで幽霊街ばりの光景にも納得がいった。何も里中の人々が消えたわけではない。理由は不明だが、彼――いや、彼女か――はじっと家の中で息を殺しているのだ。
 女子供を残していったという男性陣は、一体どこで何をしているのか。どうやら箒が関係しているようだが、花火まで打ち上げて何がしたいのだろう。
「箒以外に何か持って行ったものとかある?」
 アリスは牡丹の額に手をやりながら訊いた。肌の触れ合いには、人を安心させる力があるものだ。
「箒なんて持って行ってないよ」
 葵が上目遣いに言う。「持って行ったのは鎌とか鍬とか」
「鎌?」また物騒なものを、と思いつつ、話に齟齬が生じていることに気がついた。「さっき、箒って言ってなかった?」
「ホウキとは言いましたけど、掃く方のホウキではないと思います」
「え」アリスは目を見開いた。「じゃあホウキって?」
「それがわからないんです……」
「お父さんは、金本さんが正しい、だから俺も行くって……」
 首を折って萎れたまま話す牡丹を見ながら、アリスはざっと血の気が引いていく感覚に陥った。
 先程のホウキの意味――それは『蜂起』のことではないだろうか。怖い顔をして出て行ったという男衆。手に鎌を持ち、女子供を里に残して、彼らは事を起こした。
 なぜか。心当たりは一つしかない。人間たちの身に起きた直近の出来事と言えば、例の連続殺人事件において他にない。
 おそらく、犯人として名乗り出たルーミアの処遇について不満でも抱いたのだろう。彼女はいまだ裁かれていない。恨みが、彼らを突き動かす原動力になっていると容易に想像できる。年頃の娘を、「食べたかったから」という理由だけで惨殺された恨みが。犯人を即刻死罪として扱わない恨みが。行き場を失い、蜂起という形で爆発したのだ。
 これは大変なことになった、とアリスは唾を飲み下した。
 幻想郷で異変は何度か起こったが、人間たちが鎌を手に蜂起したことなど、一度としてなかったはずだ。それが今、現実の事として起こっている。
「二人とも、とりあえず家に戻りなさい」
「えっ、でも」
 食い下がる気配を見せる姉妹に、アリスは一段と声を柔らかくして言い含めた。
「危ないから、お母さんと一緒に、ね?」
「アリスさんはどうされるんですか?」
「ちょっと様子を見てくる」
「そんな」眉をハの字にして、葵が抗議の声を上げる。「わたしたちも連れて行ってください」
「それは駄目。危ないから」
「危ないのはアリスさんも一緒じゃないですか」
「そうね。でも私は大人だからいいの」
 子供が抗うことのできない言葉で黙らせる。大人のずるい戦略だ。
「貴方はまだ子供なんだから。大人の言うことは聞くものよ」
「確かに子供ですけど」
 葵はむっとした表情を作った。彼女は勝ち気な性格なのだろう。微笑ましい抵抗の仕方に、つい苦笑してしまった。
「大人には、いつかちゃんとなるわ。でもそれは今すぐにじゃないの。だから家に帰りなさい。お母さんが心配しているだろうから」
 親を引き合いに出すのもどこか卑怯な感じがしたが、効果は少なからずあったようだ。双子(特に葵)は悔しそうに唇を結び、俯くだけで言い返してはしてこなかった。
「大丈夫よ。たぶん何事もなく帰ってくるわ。そしたら人形劇、やってあげるから」
 こんな台詞で納得できるわけがない。だが双子は我慢強く、聡明だった。
「……わかりました。とりあえず帰ります」
「それがいいわ」
「人形劇、約束しましたからね?」無理やり引き出したという感じで葵が笑う。
 牡丹は提案をしてきた。「指きりしよう」
「指きり?」
「約束を守ってもらわなくちゃ」
「……そうね」
 アリスは微笑んだ。これで二人が納得してくれるのならお安いご用だ。
 小指を牡丹に向けて差し出すと、彼女はその折れてしまいそうなほど細い小指を絡ませてきた。
「指きりげんまん嘘ついたら針千本飲ます、指切った」
 小指が離れると、姉妹は寄り添いあって帰宅していった。

          4

 この期に及んでも、まだ信じられない気持ちで一杯だった。男衆がふざけ半分で祭りでも企画しているのではないか。打ち上げられた花火にしても、祭りであるならば合点がいく。
 だが、ケースを片手に空中から見る光景は、そんな楽天的な考えの一切を吹き飛ばしてくれた。
 農耕道具であるはずの鎌や鍬を手に、男たちが闊歩している。先頭の両脇には旗を持った者がおり、真ん中を歩く四、五人は昼間だというのに松明を手にしていた。全部で三十人ほどの小集団だ。どう柔らかめに見ても、田畑を開墾しに行こうとしている体ではない。
 それでも、とりあえずは規模の小ささに安堵した。もし仮に、里の男手のほとんどがあそこにいるとしたら百ではきかないはずだ。そんな大人数が暴徒と化せば、それこそ収拾がつかなくなる。楽観こそできないが、最低最悪のところまでは落ちていない。
 彼らはどんどん南東に向かって下って行っている。どうやら博麗神社を目指しているらしい。そこで何をしようとしているのかはわかりかねるが、とにかく霊夢との衝突は避けなければならない。あの巫女は後先考えず感情任せに動く節があり、ロクなことにならないのが目に見えている。
 アリスは空いている左手で髪を掻き毟った。
 どうにかして止めなければ、という気持ちだけが急いて、肝心の具体案が何も浮かんでこない。
 進行を妨げれば、たちまち獲物を振り上げてきそうな相手を、どのように止めればいい?
 物理的に止めるだけなら実力行使に出ればいいが、後の反発は必至だ。どうしてお前にそんな権利があるんだ、などと責め立てられてしまえば、ぐうの音も出ない。
 誰か、知っている顔はないか。知り合いがいれば、もしかしたら説得に応じてくれるかもしれない。
 すがるような気持ちでアリスは目を地上に落とした。そこに、いきなり一羽の鳥が肩口を掠めて飛び去っていった。羽ばたきの音さえ耳に入らなかったアリスは、中空で浮遊のバランスを崩した。
 急ぎ体勢を整えていると、鳥たちが次々に翼をはためかせて四散していくのが目についた。まるで何かに追われているようにも見える。本能でも働いているのか、ありとあらゆる鳥たちが空を横切っていく。鳴く鳥は一羽としていない。ひたすら羽音だけを空中に木霊させ、彷徨うように飛び乱れている。
 辺りには空を覆い尽くすような鳥の大群。下には怒れる民衆の集団。
 知らず、身震いが起きた。
 何かがおかしい。ここは本当に、自分の知っている、豊かで温和な人々が集う幻想郷なのだろうか――。
「――――」
 アリスは喉を鳴らした。口の中が乾いて上手く唾液が出てこなかったが、決意はちゃんと固まった。
 ――たとえ戦闘になろうとも止めなくては。
 意を決し、急降下の構えをとる。そのまま勢いよく下降していくと、みるみる地上が近くなっていき、より詳しい様子が目に飛び込んできた。
「え」
 頭の中で、ぽっかりと空白が生まれた。
 時間にすれば瞬きの間ほどだったはずだが、真っ白に埋まった間が、はっきりと認識できた。
 いつの間にか行列が歩を止めている。そして列の先頭を前に、立ち塞がるように立っている二人の姿があった。
 見間違うことなどないはずの、パチュリーと慧音だった。

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この小説へのコメント

  1. 鳥居の内側に背を押し当てた。予定よりも二十分近く着いてしまったが、

    →二十分近く早く着いてしまった、 ではないでしょうか。

    気になったので報告しておきます。

  2. わたしたち、内緒でね、抜け出してきたの

    わたしたち、内緒でぬ、抜け出してきたの
    になっています
    気になったので報告しておきます

    次が楽しみです

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