東方二次小説

幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  後編   マリオネット後編 第3話

所属カテゴリー: 幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  後編

公開日:2015年11月18日 / 最終更新日:2015年11月18日

第三者の章

          1

「あら。アリス帰っちゃったの?」
 お盆に湯呑みを二つ載せて現れたのは輝夜だった。普段は近寄ろうともしない仕事場に顔を出すくらいだから、きっとアリスとの雑談を楽しみにしていたに違いない。
 それを承知で、永琳はからかってみた。
「一足遅かったようね」
「せっかく持ってきたのに」
 余程楽しみにしていたようだ。面倒なことはすぐ従者に任せる輝夜が、こうして自発的にお茶を用意するなんて。
「なら私とお茶をしましょう」
「えー」不満そうな声が上がった。「永琳とは毎日話してるじゃない」
「でもお茶だけじゃなくて、水菓子まで無駄になるのはもったいなくない?」
 お盆には湯呑みの他に、小さな茶碗に水菓子が盛られている。どこから仕入れたのか、熟れたイチゴだった。
「いいもん、別に。一人で食べるから」
 輝夜は長い髪をなびかせて出て行ってしまった。
 彼女はよくこの仕事場を「薬品臭くて嫌」と言っているが、軽口を叩いているのではなく、心の奥底から嫌っているようだった。近寄らないだけでなく、あんなに急ぎ足で逃げていくほどだから、かなりのものだ。
「仕方ないわね」
 喉に渇きを覚えていただけに、輝夜に逃げられたのは少々痛かった。さすがにこれから水を汲み、茶を沸かす気にはなれない。一仕事終えてゆっくりできると思っていたが、およそ輝夜には気遣いというものがなかった。
 というより、おそらく輝夜は、アリスと自分の会話が単なる談話だったのではないかと本気で思っているのだろう。だから、その輪に加えてくれなかったのだと被害妄想を掻き立てたに違いない。いつまで経っても心の成長が見られない姫様だ。
「それにしても」
 椅子の背もたれに体重を傾け、永琳は鼻から息を吐いた。誰もいない部屋の出入り口を眺め、思案に耽る。
 後頭部を調べてくれとアリスに頼まれ、医者として細部まで点検したつもりだったが、これと言って傷もなければ打った痕もなかった。そうありのままに答えると、アリスはどこかよそよそしくなった。
 それはそうだろう、と頷ける。アリスの推察が正しいとするなら、後頭部に何かしら被害を負っていなければならないからだ。
 だが結果は先の通りである。
 それはつまり、アリスの持論が間違っていることを意味する。ゴーレムに後頭部を強打され、そのせいで脳が損傷を被ったのではないか、という持論が。
 しかし、他に気になる点がなかったわけではない。それはアリスの後頭部を診察している時に不意に見つけた、痣のようなものについてだ。頚部と肩の間くらいについていたそれは赤黒く、変わった形をしていた。
「S」という字の真ん中を斜めに貫くように生えた一本の線、それが痣の形だ。
「$」の真ん中の線が斜めになった、と表現するのが一番近い。
 後頭部の傷は、実はこの痣ではないかと気になった。が、結局その痣については触れないでおいた。
 下手に指摘して、不安そうにしている患者を更に不安にさせるような真似は医師として避けるべきことであるし、診察するとみせて何気なく痣に触れてみても、痛がる様子を見せなかったため、大したことでもないかと思った。
 殴打されたという件については、これ以上の進展は望めないだろうから、本人の思い違いということで片付くだろう。
 そんなことより、ゴーレムとやらの方に興味が湧いた。
 魔法については詳しくないが、ゴーレムの伝説くらいは知っている。神話の世界に登場するような代物を、あの年端もいかないような娘が完成させた、ということがすでに胡散臭い。
 こと人形に関してアリスは天才的だとは思うが、自分が知っているゴーレムは普通の人形ではない。泥人形だ。扱いも西洋人形とは全然違う、いわば異分類の人形である。畑違いの、それも神話クラスのモノを作れるとは、到底思えなかった。
 アリスを邪険にするわけではないが、信じられないものは信じられない。この両目で本物を見てみないことには、はいそうですかと話を鵜呑みにはできない。
 ゴーレムというのは、本人がそう思っているだけの紛い物ではないのか。もしくは、彼女が言っているゴーレムというのは、もっと違うモノを指しているのか。
 どちらにせよ、アリスの後頭部には何もなかった。痣も、髪をいじっている時に爪でひっかいてしまったのだろう。どこにもゴーレムと彼女を繋げるものはない。逃走したというゴーレムは、彼女の夢の中から逃げ出していったのではなかろうか。
「それはそれで」
 魔法少女っぽいわね、と笑い、永琳は椅子から立ち上がった。そろそろ患者のところへ薬を届ける時間だ。
 脇に用意していた紙袋を抱えると、永琳は薬剤調合室から出て行った。
 
          2

「あら、おかえりなさい」
 久しぶりに聞く白蓮の声は、普段と何一つ変わらぬ和やかなものだった。
「ご心配をおかけしました」
「その台詞は、私よりも星に言ってあげたら?」
 白蓮が顎をしゃくった先には、筆を持ったまま天井を眺めている寅丸星の姿があった。だらしなく口を開き、見るからにぼんやりとしている。
「ここ二日くらい、ずっとあんな感じなのよ」
 そう言う白蓮は、先程からずっと硯にて墨を磨っている。書道机の上には他に、横長の紙が敷かれていた。どうやら一文したためるところだったらしい。完全に作業の邪魔をしてしまったようだった。
 それでも一週間以上も留守にしていれば、寺院の中の近況などさっぱりだ。邪魔になると理解はしつつも、会話は続けさせてもらうことにした。
「何かあったのですか?」
「何かあったって。あなたのことじゃない、ナズーリン」
「は? わたしのこと、ですか」
 いまひとつ要領が得ず、聞き返してしまった。
 白蓮は手を止めて、持っていた唐墨を脇に置いた。一つ一つの動作がとても緩慢としている。この緩やかさも相変わらずだった。
「そうよ。あなたがずっと帰って来ないものだから、心配で作業も身に入らないみたいなの」
「あ、そうなんですか」
 小恥ずかしくなったが、なんでもなさそうな顔を作って誤魔化した。「らしくないですね」
「そうね。今までこういう機会がなかったからじゃないかしら。失ってから気付く、ってやつ」
「そんな繊細な心を持っているとは思えませんが」
「そんなことないでしょう。毘沙門天は元々財宝神として祀られていたくらいですから、その弟子である星は細やかな性格をしていてもおかしくはないですよ。財を扱う者はみな、神経が細くなりますから」
「しかし、それ以前は肉食の妖怪だったらしいではないですか。肉食といえば獰猛さがウリだと思うのですが、簡単に性格が変わりますかね」
「あら。妖怪随一の人格者だったからこそ、星は毘沙門天の弟子になれたのよ?」
 知ってはいたが、今この瞬間まですっかり忘れていた。
「ま、性格は別にしても、元気がなくなったのは十中八九あなたが原因よ。早く顔を見せに行ってあげなさい」
 そう言われてしまっては、断るに断れない。
「では」
 辞去する間、白蓮はにこやかな笑みを浮かべていた。
 星は部屋の端に位置する、障子の真横にいた。状態から察するに、白蓮と同じく書き物をしようとしていたようだ。手先には動く気配がまったく感じられないが。
 目の前で胡坐をかいて座っても、星は天井を眺め続けるだけで気付きもしなかった。
「ただいま戻りました」
 少し声量を上げて言ってみたが、微動だにしない。
 硯の中を覗き見してみると、そこには墨汁すらなかった。心はかなり深いところまで沈み込んでいるようだ。
「ご主人様」
 更に声量を上げた。
 だが反応はない。これで無反応とは――目を開けたまま眠っているのではないかと疑いたくなってくる。
 今度は怒鳴ってみた。
「ご主人様!」
「えっ?」
 素っ頓狂な声を出し、身体をびくつかせる星。ようやく目の焦点がこちらに合った。
「ナズー、リン?」
「はい、ナズーリンです。ご無沙汰しておりました」
 正座したまま軽く一礼すると、
「帰ってきた!」と星が嬌声に近い声を上げた。
 初めて見る主人の品位の欠けた姿に、ナズーリンは驚きを禁じ得なかった。
「聖、帰って来ましたよ! あのナズーリンがです。ああよかった、今までどうしていたのですか」
 取り乱す姿も初めて見る。むしろ取り乱し始めたのは自分の方かもしれない。どうしよう、と戸惑いが生じた。
「地霊殿で酷いことはされませんでしたか? ああいや、単なる仕事で出向いていたんですからそんなことはなかったでしょうが」
「ええ、もちろんですよ」
 なんとか嘘を捻り出した。「ちょっと手間がかかっただけです」
「何をそんなに探していたの?」とは白蓮だ。
 彼女は瞳に好奇の色を浮かべていた。
「それは教えられません」あらかじめ考えておいた言い訳を述べた。「秘密は守りませんと」
「そう。ならいいんだけど」
 白蓮は苦笑を漏らすと、すぐに作業に戻った。
 星は気遣いを見せてくれた。
「とにかく、せっかく久々に帰ってきたのだから、自室でゆっくりしなさい。疲れているだろうし」
 まさしく疲労色濃かったので、その気遣いはかなり有り難かった。
「ありがとうございます」
 一礼だけして、さっそく自室に向かった。

「ふぅ……」
 約一週間ぶりに戻ってきた自室は、出て行った時のままだった。机に放ってあった本の位置さえも変わっていない。誰も部屋に入ってこなかったのはプライバシー面では良いことだが、掃除もされていないと考えると憂鬱になった。
 ナズーリンは、というより、命蓮寺の住人はみな、敷布団を敷いて寝る。各人の部屋は全て畳み部屋となっており、ベッドを導入している者は皆無だ。地霊殿で監禁されている間はベッド生活であったため、久しぶりの敷布団となる。
 布団は干した時のみ畳む。寝起きの度に畳むのは面倒だからだ。おかげで今、布団は出て行ったときのまま敷きっぱなしになっている。
 ナズーリンは、その乱れ放題になっている、整えてもいない布団めがけて倒れ込んだ。
「……気持ちいい」
 ベッドの使い心地も悪くなかったが、長年使ってきた直敷きの布団の方が、安心感がある。こうして布団に包まっているだけで幸せだ。
 それから、どれくらいの時間をごろごろして過ごしただろう。
 疲労はかなり溜まっているはずだが、横になっても眠気が訪れなかった。きつく目を瞑ってみても、まるで効果がない。どうせ眠れないのなら部屋の掃除でもしようかと考えたが、倦怠感に包まれて起き上がることもままならなかった。
 監禁されていた時のことを思い出し始めたのは、ようやく頭がぼんやりとしてきた時のことだった。

 勇儀が現れた時は、何をしに来たんだと訝しがったものだが、探し物をして欲しいと依頼されると、正直混乱した。今まで地霊殿側の者がダウジングの能力を頼りにしてきたことは一度としてなかったからだ。怪しいと思うよりも先に、強い疑問が生じた。
 何を探せばいいのかと訊くと、それはさとりにしかわからないと言う。
 失せモノがはっきりしないのでは、受ける受けないを判断することもできない。せめてそれくらい把握してから来てくれと頼むと、逆に急ぎだと急かされた。
 そこからは拝み倒しだった。この通りだから、と両手を合わせて何度も頭を下げられた。プライドの高い鬼の行動とは思えず、唖然としたのを今でもはっきりと覚えている。
 疑問が解消したわけではなかったが、一応引き受けることにした。勇儀がここまでするのだから、余程逼迫した状況なのだろうと察しての判断だった。
 簡単に準備を済ませ、行って来る、すぐに終わるだろうがと星に言伝をして命蓮寺を出た。この時点では、これから監禁という憂き目にあうことになるとは夢にも思わなかった。
 勇儀の怪力に腕を掴まれたのは、地霊殿に入ってすぐのことだった。話も聞いてもらえず、暗い部屋に閉じ込められた。まさかという思いと、嵌められたという悔しさが胸中でぶつかり合い、涙が出そうになった。さすがにそこは堪えたが。
 それから一週間、理由さえ聞かせてもらえないまま監禁が続いた。
 何度も脱出を試みようとしたが、部屋には交代で見張りがつき、非力な鼠が抜け出せるような状況ではなかった。相棒であるダウジング棒は真っ先に奪われていたし。
 開放の報せは、絶望から本当に涙がこぼれてきてしまいそうになった時、突如寄越された。狭い世界に閉じ込めた張本人が出してくれたのである。
 どういうことかと喚くと、勇儀はすべてを語ってくれた。
 その内容が信用に足るものなのかはさておき、ナズーリンは自分なりに――一応ではあるが――納得した。
 監禁されている最中、ここを出たらただじゃ置かないと復讐心を滾らせていたが、理由を聞き終えると、その気もすっかり消え失せてしまった。

 そんなわけで今、ナズーリンはこうしてぼんやりと中空に視線を彷徨わせながら寝転んでいる。瞼の重さから、もうすぐ本格的な睡魔がやってくるのを感じ取りながら。
 眠りに落ちるまでの間、この先のことを考えようと思った。
 幻想郷は現在、非常時にあるらしい。人間の里で殺人事件が二件も起き、しかも死体がミイラとなる怪異に見舞われているという。そのせいで地霊殿の主であるさとりが危機を感じ、火焔猫燐を擁護する目的でダウザーである私を監禁した――勇儀の説明をまとめると、こんな感じか。
 どうやら猫又である燐は、人の精気を吸うことで有名な妖怪らしい。かすかにそんな話を聞いたことがあったような気がしたが、完璧には思い出せなかった。
 勇儀は更に、今回の一件で妖怪と人との間にあった溝が――闇ともいうが――一段と深くなっただろうと推測を述べた。もしかしたらいざこざが起きるかもしれない、と危惧もしていた。
 そうなる公算の方が大きいだろう。心の底からそう思った。
 昔から妖怪と人間は折り合いが悪い。白蓮の封印騒動などはそのいい例だ。むしろ両者が仲睦まじく暮らしている現状の方が、よほどおかしい。
 いや、過去にも両者が友人になったり、夫婦になったりした者たちもいたが、それは例外と言ってもいいほどに少数だった。これだけ全体的に仲良く生活している環境というのは、歴史から見ても初めてのことではないだろうか。
 だが、それも見かけだけの話なのだ。
 やはり人間は妖怪を心の深部では畏れているし、妖怪も人間の心の闇を敏感に感じ取っている。こうした事件が起きると、その部分が表面化して見えるようになるだけで、古来、人間と妖怪の関係はこれぽっちも変わってはいない。
 だから事件をきっかけに、どちらかが良くない方向へ流れるのはあるべき姿なのだ――ナズーリンはそう結論付けて、布団を頭から被った。
 意識に霞がかかってきた。これ以上はまともな思考を保てない。睡魔が眠気を引き連れ、すぐそこまでやってきている。
 少しばかり暑いなと感じながらも、身体を丸めた。これが自分なりに、一番リラックスできる体勢だった。

         3

「ちょっと待ってくれ」
 手にしていた湯飲みをテーブルの上に叩きつけるように置くと、思いがけないほど響いた。
 しかしこんなことでひるんでいる場合ではない。藤原妹紅はそう自分に言い聞かせ、続きを口にした。
「冗談だろ?」
「いや、冗談ではない」
 慧音は落ち着き払っている。今し方の爆弾発言は些細なことだ、と言わんばかりの態度だ。
「冗談じゃないって? それじゃあ言い直そう。正気じゃないだろ、慧音」
「私はいたって正気だよ。だからこうして妹紅に相談を持ちかけに来たんじゃないか」
 口調も態度も、普段通りに教師然としている。己の口がどれだけ馬鹿げたことを喋ったのか、自覚がないらしい。
「相談ってなぁ」苛立ちから、つい乱暴に髪を掻き乱した。「こんなのまともじゃない。相談以前の問題だろ」
「そんなカリカリしなくても。ただ謝るだけなんだから」
 相手が慧音でなければ、ここまでのストレスにはならなかっただろう。無謀を無謀だと弁えられるだけの知能を持って――いや、それどころか、誰もが認める俊才の上白沢慧音でなければ。チルノが相手であれば、ストレスになるより前に、笑い話で終わっていた。
「いいか慧音。私は頭が悪いから代案なんて出せない。でも、今から慧音がやろうとしていることがどれだけ危なくて、どれだけ不実なものかくらいはわかる」
 不実。まさに不実だ。
 謝罪など何の実も結ばない。そんなものは怒れる群集に届きはしない。熱情は理屈を簡単に跳ね除けるだろう。
 そうなった場合、後のことは目に見えている。今から慧音が行おうとしていることは、燃え盛っている炎の中に、燃料を放り込むようなものだ。
 そんなこと、認められるはずがない。決行を、認めてはならない。
「どうしてもやるというなら私がやるよ。どうせ私は各位からあまり好かれていないし、何より死なない身体を持ってる」
 もし説得に失敗しても、失うものなどありはしない。勝てないゲームには、負けない駒が挑むべきだ。
「しかし妹紅は口下手だからなぁ」
 真面目な顔をして、慧音がズレたことを言う。
「だからぁ」苛立ちが最高潮を迎えた。「そういう問題じゃないって言ってるだろ。説得なんて絶対に無理なんだ。それは慧音より長生きしてる私の方がよく知ってる。人間は身勝手で感情的で、人の話なんて聞いちゃいなんだよ!」
 呼吸が荒くなっていた。どれだけ大声を出したのか、自分ではよくわからない。もしかしたら相当大きな怒鳴り声だったのかも。
「――そうだな」
 静かに慧音が笑った。「その通りだ」
 急に同調され、妹紅は狼狽した。自分はからかわれているのか?
 だがそうではなかった。
「霊夢にも言われたよ」
「霊夢に?」
「ああ。本気か、ってね」
 薄らと浮かぶ笑みには、自嘲の色が見て取れた。
「もちろん私は本気だよ。妹紅に反対されても私はやる。何でかわかるか?」
「……いいや」
「だろうな。だがそれも当然のことだ。これはおそらく私にしかわからん感情だ。もしかしたら半妖になら少しはわかるかもしれないが」
「半妖?」
 半妖というのは、呼んで字の如くである。半分が妖怪で、もう半分が異種族の者をいう。
 慧音は半分が人間で半分が獣であるから、この括りに含まれるかは微妙だが。
「今回の事件、被害者は人間で犯人は妖怪だった。つまり非力な人間が、強力な妖怪に殺されたという構図だ。こうなると極端な話に繋がりやすくなる。強ければ何でも許されるのか、とか。逆に、弱いからといって特権を人間ばかりに与えるのか、とかね」
「それは、そうかも」
「そうなんだよ。で、私のような者からすると、両者が言い争っているのはまこと悲しいことなんだ。私は後天的に半人半獣になったからまだいいが、生まれつき半妖である者は、両親の血を濃く受け継いでいる。どちらも大切な親だ。それなのに事件があっただけで両親の種族が対立すると考えてみろ。不幸以外のなにものでもない」
 それに、と慧音は続ける。
「この謝罪を見た犯人が自首してきてくれるのを期待しているんだ。岸崎玲奈殺害の犯人はリグルだったが、金本理沙の方はまだ犯人がわかっていない。この機に、公の場でなくていいから、どうか名乗り出てきて欲しいのさ。それで両親の前で詫びてくれれば言うことはない。金本理沙もそれを一番望んでいることだろうし、教え子たちもそう思ってくれているに違いない。私が頭を下げてみんなの溜飲が下がれば、こんなにもいいことがある。やらない手は無いと思うんだ」
 金本理沙は慧音の教え子だったらしい。曰く、お前も面識があるはずだ、とは慧音の言だが、結局思い出せず終いだった。
 だから共感できないのかもしれない。見知らぬ他人が相手では、いくら言葉に熱をこめられても実感が湧いてこない。実感が湧かないから、熱が伝播してこない。熱が伝播してこないから、こんなにも冷めた見方しかできない。冷めているから、反対もできるのだ。
 慧音が私利私欲で動いている訳ではないと、妹紅も頭ではちゃんとわかっている。みんなが納得のいく終わり方ができるように。そのために自らの身体を差し出そうとしていると、ちゃんと理解はしている。
 だが納得はできない。
 危険を冒してまで――それも勝算がほぼゼロの、超特大の大博打を――やることではないと、冷え切った脳が繰り返し判断を下してくるのだ。
 それでも、妹紅は最後には折れなければならなかった。
 共感も納得もできないが、慧音の心情を慮ればこれ以上の反対は彼女の心の傷を増やすだけで何の意味もない。反対したところで慧音は宣言通り敢行するだろう。ならば、気持ちよく送ってやるのが友人というものだ。
 教え子の命の終着を考え、犯人の憔悴をはかり、残された人々の先行きを思う慧音の背を、そっと押してやろう。
「――わかったよ」
 妹紅は慧音に微笑みかけながら、内心で紫のことを恨めしく思った。
 妖怪の、ひいては幻想郷の統率者たる紫が出てこればいいのに。それに霊夢もだ。人間代表の霊夢と、妖怪代表の紫が出て行けばそれでよかったはずだ。
 しかしそれが無理だということは、ちょっと考えればわかることでは、ある。
 頂点が出てきてしまえば、争いが深化するのは明白だからだ。お互いが悪くないと思っている場合なら尚更のこと。大義名分が立てばどこまででも争い続ける、というのは歴史が証明している。
「でも危ないと思ったら、ちゃんと自衛して欲しい」
「妹紅……。ありがとう」
 安堵の表情を見せる慧音。その首には、今となっては形見となった金本理沙のペンダントがぶら下げられている。

          4

 すべてが順調だった。
 もっと早く殺してくれれば尚よかったのだが、それは贅沢というものだろう。
 男は鏡台を前に座り、たるんだ顎を人差し指の爪先で弾いていた。上機嫌になった時に出る癖の一つで、弾く度に脂肪がびち、びちと音を立てる。
 その音を誰かが聞けばさぞかし不気味さに眉を顰めたのだろうが、部屋には他に誰もいない。嫁は離れで寝ているし、お手伝いさんはとっくに帰宅している。厄介だった娘は孝行なことに、つい先日死んでくれた。
「完璧じゃないか」
 嬉しくって、つい大笑いしてしまった。ぐふっ、という蛙の鳴き声のような笑い声が口から出てくる。
 ――いや、でもまだ完璧ではなかったな、と男は思い直した。
 そうだ、まだ完璧ではない。まだ害虫が一匹残っているではないか。思い出し、彼は薄くなった頭髪を掌で叩いた。
 俺はどうしようもないアホだ。どうしてあんなやつを婿養子などにしてしまったのか。名前まで一緒にさせる意味など、これぽっちもなかったのに。他の手なんていくらでもあっただろうに。
 どうしてよりにもよってあの時だけ、仕事のことを考えちまったんだ。
「クソっ」
 男の分厚い手が鏡台を打つと、がしゃん、という金属音があがった。鏡台に付いている引き出しの中には、彼が今まで溜め込んできた貴金属が敷き詰められている。それらが擦れ合って鳴動したのだった。
「クソクソっ!」
 害虫が一匹残っているだけで、どうして俺がこんなにも悔しい思いをしなければならないのか。
 煙たい娘が消えてようやくツキが回り始めたと思ったのに――彼は鬼のような形相で目の前の鏡を睨めつけた。自分の顔が反射しているはずなのだが、彼の目には、件の害虫が映っているように見えた。
「この金食い虫がっ!」
 齢五十を超えているとは思えぬほどの太い拳が、鏡をど真ん中から打ち破った。
 そうだ、俺の金を啜る害虫はこうやって潰してしまえばいいんだ。なんだ、簡単なことじゃないか。
 そもそもヤツは婿養子なんだから、娘が死んだ時点でこの家から消えるべきじゃないか。いや、そもそもこの家に住んでいるわけじゃないんだから、名前を元に戻すだけでいいのか。あ、そうか、それでいいのか。
 待てよ、そんなことをしようものなら、世間様の俺に対する評価が下がっちまう。金貸しは信用が第一だ。ヤツを婿養子に入れたってのだって、世間体のためだったじゃないか。
 ああくそ、やっぱり害虫じゃないか。しかも鬱陶しさは一級だ。害虫とわかっていながら除去もできないとは。
 ん? ちょっと待て、除去?
 ……そうか、その手があったか!
 娘はやつの嫁だ。その嫁が死んだんだから、当然後を追いたくなるだろう。仲睦まじい夫婦なら尚更のことだ。
 そうだ、これで行こう。やつは嫁に先立たれ、悲観して自殺をする。この物語なら、むしろ世間様は俺に哀れみを感じてくれることだろう。
 悪くない、悪くないぞ。そうなると、場所はやっぱりあそこがいいな。で、身投げがとどめとしては最適だ。なんせ突き落とすだけでいいんだから。
 これだけのことで金が守れるとは、我ながらなんて素晴らしい案だ!
 男は目に狂気をはしらせながら、人間とは思えぬ狂喜の声を上げて万歳をした。

感想をツイートする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

この小説へのコメント

一覧へ戻る