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幽玄なるマリオネット幽玄なるマリオネット  後編その他   マリオネット後編 第1話

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公開日:2015年11月04日 / 最終更新日:2016年01月07日

マリオネット後編 第1話
第三者の章

          1

「このまま黙っていることはできん」
 男は声に憎しみを混ぜ、目の前にいる妻に向かって吐いた。本当ならこんなことを言いたくはなかったのだが、怒りとやるせなさが限界に達し、自分でもどうしようもなくなっていた。
 テーブルの上で握り固めた拳が、ぶるぶると震えている。抑えきれない憎悪を必死に押し留めているせいだった。
 妻は悲痛な面で指を組んだ手元を凝視している。どう返事をしようか悩んでいるのだろう。もう二十年以上連れ添ってきた仲だ、何を考えているかくらい、態度でわかる。それは妻も同じに違いなく、だからこそ返事に窮しているのは明白だった。
 深い沈黙の後、妻はしわがれた声を出した。
「私たちはいいけれど、他の人に迷惑がかかるかもしれないわ」
「それについては、みんな同意してくれてる。お前だって、最初は巫女に食ってかかっていたじゃないか」
「あ、あれはつい……」彼女は顔を上げた。
「それだけ必死だったってことだろ? 理沙のために」
「…………」
 子供に対する愛情の深さは、腹を痛めて産んだ母親には遠く及ばないということを彼は理解している。
 もちろん、自分自身としては精一杯子供を愛していたつもりだが、やはり母親は特別な存在なのだ。それは温厚な性格で、汚い言葉など滅多に使わない彼女が豹変したことからも窺える。
「確かに妖怪には敵わないかもしれないが、だからって抑圧されてばかりじゃ、後世のためにならないだろ。きっと今回だって、あの巫女の態度からしてロクな結果にならないぞ、このままじゃ。うちらを強請るようなことまで言っていたしな」
「……そうね」
「力に訴えるのはよくないかもしれない。でも、だからって話し合いなんてまともに出来るわけがない。きっと今頃、色々と隠蔽工作でもしているに違いないさ。じゃなかったらせっかく犯人を捕まえたっていうのに、待てなんて言ってこないだろ、普通」
「何かあったのかしら」
「あったとしてもだ。被害を受けたのは俺たち人間であって、どうして妖怪のトップが出しゃばる? これは俺たちが解決すべき事だっていうのに」
 彼は思わず拳を振り下ろしていた。がん、とテーブルが悲鳴を上げる。妻は反射的に肩を竦めた。
「――悪い」
「いいのよ」
 感情を抑えるのは難しいな、と彼は思いながら咳払いをした。
「いいか、お前は家にいるだけでいい。俺と里の仲間がうまくやるから。もちろん男衆だけだ」
「本当に大丈夫なの? 下手したらみんな……」
「大丈夫じゃないかもしれないが、それでもやろうと言ってくれているんだ。このままじゃ妖怪だけが有利な秩序に――世の中になっちまう」
 彼は妻の手を握り、
「それに、俺が理沙にやってやれることはもう、これしかないんだ」
 その嘆願に、妻は力なく頷くことによって応えた。
「――――すまん」
 泣き出す妻につられ、彼もまた涙を流した。
 子供を失った時から散々流したはずの涙だったが、枯れる気配は一向にやってきそうになかった。

          2

「まだ口を割りませんか」
 腹前で袖の口を付き合わせ、檻に向かって盛大に溜め息をついたのは八雲藍だった。
 彼女の背には九つの狐尾が生え、頭部には狐耳が生えている(今は変わった形の帽子を被っていて、耳自体は隠れている)。文字通り狐の妖怪であり、古より九つの尻尾を持つことから「九尾」と呼ばれ、人間から恐れられていた。
 現在は八雲紫の式神となり働いているが、もともと頭の回転が速く、妖力も高いことから危険な妖怪として名高い存在であった。
 それだけの名声と力量を誇る彼女を前にしても、檻に閉じ込められている金髪の少女は頑なに口を閉ざしていた。身体は震えているが、いまだ目の輝きは死んでいない。
 少女の名はルーミア。まさしく事件の渦中ともいうべき人物である。
 藍はこのルーミアから事件の詳細を聞き出し、真実を明らかにしようとしていた。檻は、現段階で容疑者となっているルーミアを保護するために用意したものだ。逃走と奪取、この二つをさせぬために。
「どうして本当のことを話してくれないのですか。貴方が黙っていると、みんなが迷惑するのですよ?」
 穏やかに話そうと努めるも、声にはどうしても棘が生えてくる。この二日間、口を開こうとしない者の尋問を延々と行ってきて、藍の苛立ちはすでに臨界寸前だった。
 彼女が解き明かそうとしているのは、事件当日に使われた犯行の手口についてである。
 ルーミアは二日前、霊夢のところに自首しに行った。霊夢は初め、このことで有頂天になっていたようだ。労力少なく事件が解決できたと思ったからだろう。
 だが話は単純ではなかった。
 ルーミアは自分が犯人だと認め、動機についてもそれなりの発言をしたものの、殺人の方法については一切の説明を拒んだ。これでは完全に決着が付いたとは言いがたく、困窮した霊夢は紫に相談しにきた。そして今に至るというわけだ。
「頼みますから、素直に話してください。いいですか、素直に、です。嘘をつくよりも遥かに簡単でしょう?」
 撫で声を駆使するも、ルーミアは唇を横一文字に固く結んだまま緩めようとしない。どんな説得をされようと、絶対に本当のことは話さないぞと態度で示してきている。
 どうしようもないな――天井を見上げて肩を落とすと、いきなり背後から声をかけられた。
「てこずっているわね」
 主人の声がわからないはずもなく、彼女は振り向きざまに返事をした。
「すみません、紫様」
「仕方ないわ。必死なのはこの娘も一緒だから」
 紫は、白と紫を基調とした衣服を纏い、口元に開いた扇子を当てて立っていた。流れるような金の長髪が、より一層容姿を艶美に仕立てている。
 彼女は幻想郷の創造に深く携わった妖怪であり、またその頭脳の非凡さから、賢者として称えられている妖怪だった。
「しかし、このままでは埒が明きません」
「それもそうねぇ」
 ぱちりと扇子を畳むと、紫は檻の前まで接近した。そしてしゃがみこむと、ルーミアの目に焦点を当てて話し始めた。
「仲間を守ろうとする気概は嫌いじゃないけれど、それは時と場合によると思うのよ」
「――――」
「だって」
 紫は愉快そうに嗤って、
「被害が一から十になるだけだもの」
「、っ!」
 ルーミアは怯えた目を忙しなく動かしながら、半身分、後ずさった。紫と対峙し、恐怖が込み上げてきたのだろう。幻想郷に棲んでいる弱小妖怪ならば皆が皆、震え上がるほどの相手だ。無理もない。彼女たちのクラスから見れば、紫は神にも等しい存在なのだから。
「言っていることがわかるかしら。別にあなたが口を割らなくてもいいのよ。私に不都合はないから」
 でもね、と紫は続ける。「そちらの仲間たちには不都合なんじゃないかしら。私に嗅ぎまわれるというのは」
 その通りだと言わんばかりに、ルーミアは首を折った。これ以上の抵抗は無駄どころか、裏目に出てしまう可能性に満ちているということに気がついたのだろう。
「……でも」ルーミアは力任せに頭を振った。「いいえ、わたしがやったの」
「ええ、それは訊いたわ」
「だから、それでいいじゃないですか。わたしが全部悪いんだから、これ以上調べなくたって」
 少女の体をしているルーミアにとって、今の発言はかなり勇気のいるものだったに違いない。無意識につくったであろう拳が、心情を雄弁に物語っている。
 だが紫は情に流されるほどお人よしでもない。ふっと細い息を吐くと、立ち上がり、檻越しにルーミアを見下す。
「悪いけれど、人が死んでいるの。これはとても大きな意味を持っているわ。少なくとも、あなたの我侭を聞いている場合ではないくらいに」
「――ぅ」
「人を殺したのなら、改悛して制裁を受けるべきであって、開き直るのは筋違いというものよ。ねぇ、そうは思わない?」
 紫が檻の一柱を掴む。たったそれだけの行動でも、ルーミアは縮み上がった。
「残念ながらあなたのその抵抗は無意味だわ。私の能力の前じゃあね」
 檻の隙間から、すっと紫の腕が伸びる。
 彼女の能力は「境界を操ること」だ。理論的創造と破壊を一手に担うことのできる、恐るべき能力である。
 全ての事象には境界が存在するおかげで個として成立しているわけだが、境界をなくしてしまえば、たちまちその個は全に溶け込んでしまう。つまり混沌や無といったものへと回帰するのである。逆に混沌にも境界を与えてやれば、新しい個としての存在を確立することができる。
 これが彼女の能力であり、この幻想郷も同じ理論を用いて創ったとされている。容なきものでさえ、いじることなど彼女には造作もないことだ。記憶でさえ、例外にはなり得ない。
「選ばせてあげるわ」手を伸ばしたまま、紫が言う。「自分で全てを素直に話すか。それとも私に脳をいじくりまわされるか」
 隣で訊いているだけの藍でさえ、ぞっとするほどの冷たい声音だった。当人であるルーミアは、恐怖で脈が止まったかもしれない。
 長い沈黙が挟まった。静謐で満たされた部屋は息苦しく、咳払いさえ許されそうにない雰囲気に満ちている。
 それからどれくらいの時間が流れただろうか。ルーミアは嗚咽混じりに答えた。
「話します、話しますから――」
 紫は満足そうに一度頷くと、そのまま藍の方に向き直った。
 尋問はこうやってやるものよ――そう語りかけてきているような眼差しが、そこにはあった。

          3

 上白沢慧音は長い階段を上りきり、鳥居をくぐった。正確な段数を数えたことはないが、多少なり息が上がるくらいの数はあるようだ。
 彼女は博麗霊夢に呼ばれ、博麗神社に来たところだった。朱色の鳥居は神社の入口にあり、そこを抜けた先に社の本体が広がっている。
 鳥のさえずりを聞きながら敷地をうろついていると、ちょうど目の前に霊夢が姿を現した。
「やあ」
 手を上げて挨拶すると、霊夢は軽く頭を下げてみせた。
「お待ちしてました」
「遅くなって申し訳ない」予定から十五分ほどの遅れだ。「思いのほか時間をくった」
「別に急ぎでもないですし、お気になさらずに」
「そう言ってもらえると助かる。……で、今日はどうしたのかな」
 呼び出しは受けたが、内容までは聞いていなかった。
 霊夢はうなじを掻きながら言った。
「外で話すのもあれですから、中にどうぞ」
「そうしよう」
 促されて母屋に入っていくと、空気がひんやりとしていて気持ちがよかった。長い階段を上り、思いのほか身体が火照っていたようだ。木製の廊下も心地良い冷たさで、暑さはすっかり払拭されたようだった。
 木の軋む音を立てながら先導していた霊夢が、ある部屋の前で足を止めた。襖で仕切られた部屋だ。彼女はその襖を緩慢とした動作で開けた。
 部屋を遮ったものが消え、中の様子が目に飛び込んでくると、慧音は驚きで目を剥いていた。
「な、」
 衝撃で動けない間に、霊夢が部屋へと入っていく。涼しげな表情のまま、テーブルの前に腰を下ろした。
 慧音が驚いたのは、霊夢の斜向かいに座っている人物があまりに信じられない者だったからだ。
「どうしてルーミアが?」
 何とか捻り出した言葉だったが、座っている二人は答える気がないようだった。
 ルーミアは一瞥すらくれようとせず、ただ俯くばかり。霊夢に至ってはテーブルの上に置かれた湯呑を引き寄せ、茶を啜り始めたではないか。
 茫然と立ち尽くしていると、耳元で声がした。
「座らないの?」
 確かに耳元で聞こえた声だったが、その声の主はテーブルの上座にて座っていた。西洋的な見た目を裏切るように、きっちりと正座をしている。
 いつの間に現れたのか、という疑問は慧音にはない。声の主が、あの八雲紫だったからだ。境界を操る紫に、物理的な常識は通用しないことは承知済みである。
 慧音は警戒の色を隠さずテーブルの前に座った。
 第二の事件の犯人とされているルーミアに、幻想郷の管理者ともいえる二人が揃っている時点で、相当に怪しい。
 どこが急ぎじゃないんだ、と慧音は内心で悪態をついた。
「どういうことか説明が欲しいな。どうしてルーミアが?」
「解決まであと一歩ってとこなの」湯呑みを手で包み、霊夢が答えた。「だから呼び出したのよ」
「あと一歩? 岸崎玲奈の事件については、もう解決したんじゃないのか」
「それが、そうでもなかったのよ」
「ここからは私が説明した方がいいかしらね」
 そう言うと、紫が説明を引き継いだ。
「犯人はルーミアじゃなかったのよ。厳密に言えば共犯者ではあるから、犯人とも言えるけれど」
「共犯者? と言うことは、複数人による犯行だったのか」
 初耳だった。
「そうよ。そして主犯はリグル。今、藍が捕まえに行っているわ」
「リグル?」
 ルーミアの犯人説も意外だったが、こちらはこちらで意外な名前だった。何とか人間と仲良くなれないかと、あの手この手で接触を試みていた妖怪の少女の心に、殺意が芽生えるとは。
「意外って顔をしているわね」
「それはそうだ。人間を恨んでいるのなら、『蟲の知らせサービス』なんてことはしないだろう」
 慧音自身は使ったことがなかったが、そのサービスもリグルが考案した、人間と打ち解けるための一手だ。
「そう考えるのが普通でしょうね。でも今回の事件は、怨恨が動機じゃないのよ」
「怨恨じゃない? なら……」
「言ってしまえば、事故ね。弾みと言ってもいいわ」
「事故……」慧音は眉をひそめた。
 どうしたら事故であんなことになるというのか。故意でなくて、どうなったら首なしミイラの死体が出来上がると言うのだ。
 信じられない気持ちでルーミアを見遣ったが、やはり彼女は俯いたままだった。
「混乱しないように、順を追って説明しましょう」
 紫の語りを聞くと、今回の事件はかなり異色なものだと言うことがわかる。
 事件はちょっとした悪戯心から発生した。
 金本理沙の事件で里が大騒ぎになった時、リグルの頭の中にあるアイディアが生まれた。人間を驚かせてやろうという、あくまでちょっとしたサプライズに関するものだった。このタイミングでことを起こせば、日頃以上に驚かせることができるはずだと考えたのだ。親交を深めるのに、たまにの刺激は効果的に働くに違いない。
 彼女はさっそくその案を引っ提げ、いつもつるんでいる仲間内に披露した。それがルーミアと、名すら知れ渡らぬ弱小妖怪二人の三人だった。
 リグルが目をつけたのは、金本理沙を殺した犯人は妖怪である可能性が高い、という触れこみだった。これを利用し、妖怪である自分たちが舞台に上がれば、いくら胆の太い人間でも仰天するだろうと画策したのである。
 最初は、普段暴力的で人々から敬遠されている粗暴者を狙おうとしていたのだが、それでは返り討ちにあうかもしれないということで、結局非力な人間を選ぶことになった。あくまで驚かせることが目的なのだから、別に危険をおかす必要はない。
 そうして選ばれたのが岸崎玲奈だった。非力の代名詞ともいえる女性であり、更に都合のいいことに声が出せないとくれば、狙わない理由がなかった。
 それから彼女らは、綿密に動計画を話し合い、実行に移した。
 時間帯は人目につきにくく、みなが眠っているであろう深夜に。悪戯の最中、家族に悟られないよう、ルーミアが周囲に闇を作り出し、驚かせるのはリグルの役割だ。他の二人は外の見張りをした。
 果たして、リグルの作戦は上手くいった。岸崎玲奈は口を大きく開け、目玉が飛び出してしまいそうなほど驚いた。しかしそれが不幸を誘発することになった。
 岸崎玲奈は仰け反った格好のまま、後方へ倒れた。リグルは失神したのだろうと思い込み、声を押し殺しながら身を屈めて笑った。
 だが直後、異変を認知した。倒れた彼女の身体が何度か跳ね、口から液体が流れてきたのだ。その時には何もかもが終わっていた。
 リグルはおそるおそる動かなくなった女の身体を揺すってみた。冗談だろうと。死んだふりをしているのだろうと、根拠のない気持ちで。
 だが何度揺すってみても、岸崎玲奈は反応を示さなかった。それでようやく、リグルは事態を飲み込んだ。
 ――人を死なせてしまった。
 とにかくこのままではまずいと考えたリグルは、見張りをしていた二人とルーミアに声をかけ、死体を一旦外に持ち出すことにした。この時、仲間内は混乱しきっていたが、なんとか岸崎家から脱出し、ねぐらに着くころには幾分冷静さを取り戻していた。
 四人は死体を横に、絶望的な気分を味わいながらも今後について話し合った。リグルは合間合間に岸崎玲奈の頬を叩いたり、脈をとったりとしていたが、死人に反応があるわけがない。
 結局彼女が現実を受け入れ、今後の行動について考えがまとまったのは未明だった。
 金本理沙の犯人に罪を被せよう――そう言い出したのはルーミアだ。この意見に対し、リグルは上手くいかないだろうと反対の立場に回ったが、他にいい手立てが出てくる気配もなく、受け入れる運びになった。
 ここで早急に解決しなければならなかったのが、死体の状態についてだった。罪を被せるのだから、同じ人間の犯行に見せかけるための細工が必要だ。つまり死体をミイラにさせることが求められた。
 ではどうやって干からびさせればいいのか。悩んだ末、人間のやり方を真似することにした。
 人間は鶏を調理する時、木の棒に鶏の足を括り付け、頭を地面に向けてぶら提げる。そして首をちょん切る。どうしてそんなことをするのかはわからなかったが、彼女らは想像から、それが血を抜くのに一番だからなのではないかと考えた。これに倣えば、もしかしたらミイラを創ることができるかもしれない。
 ただ問題もあった。このやり方をすると、金本理沙の死体と差異ができてしまう。彼女の死体には外傷もなければ、頭部が失われているということもない。
 しかし傷痕を残さずミイラ化させる知識も技術も持ち合わせていなかった彼女らに、他の道はなかった。
 首の切断は、包丁の類は持ち合わせていないからと噛み切ることにした。
 もともとルーミアとリグルは生身の人間を喰ってきた妖怪だ。刃物がなくとも何の不自由もない。部位が部位なだけに少しばかり噛みにくさはあったものの、首を落とすことにはさほど労苦はなかった。噛み切ったために切り口が歪になったのが、唯一気になる点ではあったが。
 あとは身体をひっくり返し、血を出させるだけである。なるべく傷などをつけないようにと、足を棒に括り付けるのではなく、石や藁を積み上げて段差を作り、血が流れやすくなるようにと工夫した。
 こうして首なしミイラの死体が出来上がった。金本理沙の死体よりも干からび方が足りなかったのは、途中であまり血が流れてこなくなってしまったからだ。しかし細かなところまで再現させるだけの精神的、時間的余裕がなかった彼女らには、ここらが限界だった。
 そして死体に細工をした後は、死体を遺棄するだけである。これにはあまり手間取らなかった。棄てる場所が迷いの竹林だというだけで、夜中に移動すれば人目につくこともなく、難関となるものは何もなかった。
 ――と、以上が事の顛末である。
 明確な殺意を以て犯行に及んだ事件ではなく、不慮の事故で人を殺してしまった小妖怪たちが、何とか庇い立てをして隠そうと試みた一件だった。

「そういうことだったのか」
 話しを聞き終え、慧音は唸りながら何度も頷いた。新聞や伝聞によって得ていた情報だけでは腑に落ちなかった部分が、明確になったことでようやく納得できた。
 特に得心したのは、ルーミアが犯人ではないという点だった。
 新聞では「生身の人間を食べたかったから」という動機の説明がなされていたが、そんなことは有り得ないだろうとずっと疑心を働かせていたのだ。もう何年も人間狩りをしていなかった者が、殺人事件があったからと欲望を掻き立てるだろうかと首を捻っていたのである。もしかしたらそういう妖怪はいるのかもしれないが、少なくとも現状の生活に満足していそうなルーミアに、そんな欲があるとは思えなかった。
「おわかりいただけたようで」
 話し終えた紫は、霊夢から湯呑みを受け取っていた。長丁場の説明で喉が渇いたのだろう、一口でそれを飲み干すと、二杯目を要求した。
「美味しいわ」
「一気飲みはよくないわよ」
「大丈夫よ」
 さて、と二杯目を飲み終えた紫が向き直る。
「今までのところで何か質問はあるかしら」
「特にはないが、どうにも話が見えてこないな。事件の真相が明かせたのなら、これにて一件落着ってことではないのか?」
「それがそうもいかなくてね」紫はテーブルの上で指を組んだ。「あと一歩がなかなか」
「その一歩についての情報が欲しいな」
 ずばり言うと、待ってましたとばかりに紫の顔が綻んだ。
「あなたならわかるでしょうけれど、今回の事件は何かとややこしい問題を抱えていてね。特に悩ましいのが人間たちの倫理だったりして」
「倫理、ね」
 その単語だけでも、紫が何を言いたいのか薄々理解できた。
 つまり、弾みであれ、人を殺しておいて雲隠れを決め込もうとは不届き千万、ということであろう。
 しかも今回の場合、死体に細工を施し、見るも無残な姿にしてしまったことが何より人間には許せないに違いない。死だけでも最上の不幸であるのに、首と胴体を泣き別れにされたとあっては、死後も浮かばれまいと考えるのが人間である。
「それはどうすることもできないのではないかな。こうして犯人が出てきただけでも、里は大変な騒ぎになっているし」
 文が出した号外を読み、憤慨した人は多い。特に中年の男女は、同じ年頃の子供をもっている場合が殆どということもあり、一際激情に駆られていた。
 食べたかったから、という理由でさえここまでの怒りようだ。犯行を隠すために死体に細工をしたと言ったらどうなるか――想像するだけでもおそろしい。
「そう、まさにそこ。人間たちは一様に怒り狂っているようだけれど、妖怪たちはそうでもないのよね。何せ、もともとは捕食していたわけだし」
 幻想郷内の妖怪と人間の比率を一定に保つため、妖怪には「人を食べてはいけない」というルールが適用されている。幻想郷が外界と完全分離された時にできたもので、それまで妖怪たちは、普通に人間を捕食していた。言ってしまえば、彼らは今、お預けをくらっている状態だ。
「妖怪にも倫理はあるだろうが、捕食というのは食事だからな。騒ぐはずがあるまい」
「そうなの。こちらを立てるとあちらが、という感じになっていてね」
 困っているのよ、と微苦笑をした。
「それで、どうするつもりなんだ? 無策というわけではないだろう」
「あるといえばあるし、ないといえばない、かな」
「微妙な言い回しをするじゃないか。それだけ慎重を期しているということか」
「うーん、それとはちょっと違うかも。やってくれる人が見つからなくてね」
「見つからない?」慧音は霊夢の方をちらと見た。「こういうときのための巫女じゃないか」
「そうなんだけど」
 紫も横目で見る。だが当の本人は白を切り通そうとしているのか、無言で茶を啜るばかりだ。
「この通りなのよ」
「できない理由でも?」
 霊夢に訊いても返事がなさそうだったので、紫に投げた。
「一言で言ってしまえば、文句を言われたから、らしいわ」
「文句?」
「そう、文句。調査中に罵詈雑言を浴びせられたらしくて、根に持っているそうよ。まぁ、そのあとにやり返してはいるんだけど」
 そんなことで、と言いたいのを我慢し、慧音は先に進めた。
「ちなみに、その解決策の内容は?」
「謝る」
 簡潔な一言だった。
「具体的に教えて欲しいのだが」
「あら、ちゃんと具体的よ? ひたすら土下座して謝るの。これしかないわ」
 知的な紫らしからぬ意見だった。
「効果あると思うか? 爆発寸前の人々に」
「なかったら殴り殺されてしまうかもしれないわね」
 平然と言ってのける紫に、慧音は嘆息を一つ吐いた。
 そんな条件で、やろうとする者はいまい。
「予想通りの反応、どうも」
「幻想郷一の頭脳の持ち主とは思えない方法だな」
「色々と考えてはみたんだけどね。一番いいのは力で抑えちゃう作戦なんだけど、これやると今後が気まずくなっちゃうから」
「ふむ」
 他にいい手立てはないものかと、少しの間思考を巡らせてみたが、何も浮かんではこなかった。飄然とした態度をとっている紫だが、彼女もかなり考え込んだに違いない。幻想郷に対する愛着は、創始者として他者の比ではないはずだからだ。
 慧音は前髪に指を突っ込み、掻きあげた。
「どうやらそれしか方法はなさそうだ」
「でしょう。そう言ってるのに、霊夢はやってくれないのよ」
「まだ死にたくないし」
 もっともな反論だ。つい苦笑が漏れてしまう。
「リグルたち犯人にやらせるわけにもいかないし」紫は天井を見つめた。
「そんなことしたら、間違いなくなぶり殺しにされてしまうぞ。それに殺気立つ大衆を前にして、あの娘らがまともに謝罪出来るとも思えんな」
「そうなのよね。だからあなたを呼んだのだけれど」
 妖しい笑みを貼り付ける紫に、慧音はお手上げのポーズをとった。ここまで言われて、意図が掴めないほど鈍感ではない。
 確かに、自分は適役なのだろう。半分は獣でありながら、残りの半分が人間ということで双方に理解があり、また双方からの人望もある。自惚れでなければ、だが。
「努力はしてみよう。このままではどちらも浮かばれない」
「さっすが」霊夢はテーブルの上で拳を固めた。「献身的ね」
「そんなものではないよ。ただ、このままでは子供たちにまで害が及びそうなんでね」
 妖怪と仲のいい子供は特に、と慧音は心中で付け足した。
「これで重要な役者は揃った、ってところね。あとは第一の事件の解決だけね。色々と間に合ってくれればいいのだけれど」
 言い終えると、紫はお茶を飲み始めた。どうやら会話はここまでのようだ。
 第一の事件の解決――それは慧音が今一番望んでいることだった。
 金本理沙の無念を晴らすべく、様々な調査をしてきたつもりだったが、単独の悲しさか、いまだに犯人の影さえ掴めていない。いざとなれば戦闘も厭わないと考えてはいるが、その機会にすら出逢えていない状況である。流石に焦りが募ってきていた。
 慧音はテーブルを挟んだ向こう側に目を配った。そこには終始俯いたままで、結局一言も喋ることのなかったルーミアの姿がある。
 さて、どう説得したものかな――。
 頬杖をつくと、瞳を閉じた。

          4

 慧音の気配がなくなるのを見計らい、霊夢は口を開いた。
「相変わらずやることが回りくどいんだから」
「そう?」
 おどけてみせるのは、スキマ妖怪・八雲紫だ。
 霊夢と紫、この二人は親友といっても差し支えない間柄だった。人間と妖怪という異なる種族同士ではあるが、不思議と縁は長く続いている。
「そもそも最初から紫が動いていれば、こんなことにはならなかったのよ」
「それは責任転嫁じゃない? 博麗の名が泣くわよ」
「妖怪の元締めはあんたじゃない」
 紫は幻想郷の妖怪を取りまとめている。人間の里が妖怪に襲われない理由の一つに、彼女の存在がある。彼女はその威容と実力で他の荒ぶる妖怪たちを抑えており、結果として里は平和を維持しているのだった。
「でも、いつもストレス発散だといって妖怪をいたぶっているじゃない」
「そんなことはない。私は公平に懲罰を加えているだけよ」
「同じことだと思うけれど。それに妖怪が犯人だと決まったのは、二件目の事件だけよ」
 くすっと笑う紫を見据えつつ、霊夢は頬杖をついた。
「ちゃんと理由を説明してよ。どうして一連の事件に触れようとしないわけ? 干渉せずって言っても、いつもなら異変騒ぎがあれば、その重いお尻を上げて動くじゃない」
「お尻じゃなくて腰よ」
「どっちでもいいわよ、そんなこと。で、どうしてなの? 何か問題でもあるわけ?」
「まあ、あるから傍観していたのだけれど」
 隣で俯き続けるルーミアを横目で見、紫は言った。「ちょっとまだ話せないかな」
「はあ?」
「時期的な意味で、ね。後でちゃんと説明するわ」
「いや、今すぐして欲しいんだけど」
 霊夢は抗議の意味を込めて語気を強めた。すると頬杖が自然と外れ、真剣みが増した格好となった。
 しかし紫は、ゆったりとした動作で左右に首を振るだけだ。どうしても話したくないらしい。
「ちょっと。もう二人も死んでるのよ?」
「それはわかっているわ。でも今は話せないのよ。私自身、確証を持っているわけじゃないし」
「確証? 一体何の」
 この問いに、紫は難しい顔をして答えた。
「今回の事件は、かなり複雑な事情が多く絡んでいるの。それは貴方にもわかっていることだと思うけれど、それらを一つずつ紐解いていっているときに――ああ、これは一件目の事件から全てなのだけれど――ちょっと気になることがあってね」
「それで?」
「それで、と言われても困るんだけど。その気になっている部分が、なかなか首を出してこないから何も言えないのよ。特に一件目の事件のが」
「あっそ」
 これ以上問い詰めてもまともな答えが返ってきそうにもなく、霊夢は追及を諦めることにした。頭のいい連中は、いつも難しい話し方をするものだ、と内心で毒付いて。
「そんなむくれなくてもいいのに」紫は手の甲に顎を乗せた。
 霊夢は大袈裟に息を吐いた。「あんたとの会話は疲れるのよ」
「あら、それは褒め言葉ね」
「貶してるんだけどさ」
 冗談の応酬にも、ルーミアは顔すら上げなかった。

          5

「さて、第一の事件はどなたの犯行でしょうね」
 近寄ってきた大型犬の頭を撫でながら、椅子にもたれかかっているさとりが意見を求めてきた。「貴方は誰だと?」
 話を振られた勇儀は、腕を組んで考えてみた。
「そうだな」
 第二の事件の犯人は、意外にもルーミアだという。詳しい犯行内容まで聞いていなかったが、あんな見た目も頭の中も幼いルーミアが犯人だとは、想像すらできなかった。
 そう考えると、第一の事件も意外性の高い人物が犯人なのかもしれない。
 たとえば――
「霊夢とか」
「霊夢? またどうして」
「意外な人物といえば、真っ先に思い浮かんだのが彼女だったというだけだ」
 だが霊夢が犯人だとすると、結構納得いくストーリーが出来上がる。
 まず金本理沙の死体は完全にミイラ化していた。外傷はなく、自然と干からびたかのような状態だったという。ならば魔法を使ったか、それに近い力を行使したと考えるのが妥当だろう。そうなると博麗の巫女として様々な神通力を使うことができる彼女は、有力な容疑者の候補になり得る。
 また、霊夢は一人で暮らしていることから、家族と同伴している者と違い、いつでも家を抜け出すことが容易である。これは非常に都合のいい環境であると言えよう。
 動機だけ無視すれば、かなりいい線をいっているはずだ。
「なるほどね」
 さほど感心した様子もなくさとりは頷いた。
「そういうさとりはどうなんだ? 誰か目星を付けている奴でもいるのか」
「もちろんいるわ」
「ふむ、それは興味深い。一体誰だ?」
「それはね」犬の頭に頬を摺り合わせ、さとりが答える。「封獣ぬえよ」
「ぬえ?」
 こちらもやはり意外な名前だった。
 ぬえ――つまり妖怪である「鵺」のことだが、彼女は今、聖白蓮の元にいる。正体不明がウリの妖怪で、対象物の正体を判らなくする、という能力を有している。
「どうしてぬえなんだ。理由がさっぱり思いつかない」
「動機は貴方の霊夢説と同じでわからないけれど、事件を整理してみたらぬえに辿り着いたの」
 さとりの推理はこうだ。
 鵺というのは元来、夜にしか動かない妖怪であり、今回の事件とも一致する。
 聖輦船騒動の時には、「人間側につく行為が気に喰わない」と言っており、人間嫌いであったことがわかる。しかも鵺は「祟り」を発現させたことで有名であり、この力を利用してミイラ化させたのではないかというのだ。
「なるほど。動機を抜けば、確かに怪しく映るな」
 祟りとミイラにどんな繋がりがあるのかは不明だが、と勇儀は疑問を心に描いた。さとりに中身を読まれぬよう、瞬時にその考えを葬り去った。
「ぬえが犯人だとするなら、やっぱり怨恨が原因だと思う。人間嫌いだから、その人間に何かしら嫌なことをされて、恨みを持ったとか」
「有り得そうだ」
 ただ、やはり何か釈然としない感覚が残る。
 昔と違い、現在の幻想郷は平和そのものだ。いくらぬえが人間嫌いで嫌なことをされたとしても、それだけの理由で平和を乱そうと思うだろうか。聖白蓮をはじめ、仲間もいるこの環境にいながら。
 もしやこの幻想郷という小さな世界に恨みを持っていて、人間と妖怪を不和に陥れたいと願っているのか。でなければ、単純な好奇心から人を殺めたのか。
 ――どちらでもない、な。
 仮に、犯人がぬえでないとしたら、真の犯人はどのような動機で犯行に及んだのだろう?
「そう難しく考えなくても、なるようになる」
「まぁ、それはそうだが……」
「そんなことより」
 さとりがふっと息を吐く。それに呼応するように、犬がぶるぶると身体を震わせた。
「裏切りは一度きりにして欲しい」
 その言葉に、勇儀はぎくりとした。うまくやったつもりだったが、ばれてしまっていたらしい。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう。別に貴方を責めているわけではないですし」
「責めているわけではない? では許すのか」
「許すも何も」彼女は寂しそうに笑った。「悪いのは私ですから」
「さとり……」
「気高き鬼である貴方に、あんな汚れ役をやらせて申し訳ないと思っていました。でもわかってください。私は私なりに、この地霊殿を守りたいからこそやったことなのだと」
 それは勇儀も承知している。さとりは決して私欲で動いていたわけではないと。
 しかし鬼として過ごした年月が長かったせいで、柔和な考え方ができなくなっているのだ。
 悪いことは悪い、善いことは善い。そうやって明快に生きてきた故に、日陰で生きてきたさとりたちの心がいまひとつ掴めない。想像することはできても、その域を出ることができない。
「全てを理解してもらいたいとは思っていません。ですが、力のない私にできることと言えばこのくらいなのです。もし私に白蓮のような力があったのなら、もっと良い解決のやり方を示せたかもしれませんが」
「それならそれで、もっと素直に寄り添えばいいと思うんだが」
「――五人。この数字が何を意味しているか知っていますか?」
「五人? さぁ」
「貴方のように考え、人間に歩み寄ったせいで死んでいった者の人数ですよ」
 さとりは椅子から降り、それを合図と取ったのか、犬がのそりと起き上がって離れていった。
「ここにいる妖怪たちはみな、忌み嫌われた存在なのです。病をもたらす存在であったり、嫉妬深い存在であったり。ありがたられる者などまずいません。ですから寄り添うことなど不可能なのです。それを一番よく知っているのは、他でもないこの私です」
 他人の心が読めるからこそ、こういうことが言えるのだろう。勇儀はこれ以上反論することはできないと悟り、口をつぐんだ。
「私はもう、二度と同胞を失いたくはない。去るものは追いませんが、できれば閉じた世界でもいいから、みんなと平穏無事な日々を過ごしたい」
 その願いを形にするために、ナズーリンを監禁し、アリスを監禁した。
 だが果たして、それを責められるだろうか。
 さとりはさとりなりに、みんなが不幸にならないようにと動いた。ナズーリンを殺めなかったのも、その必要がなかったという以前に、白蓮たちとの軋轢を避けるためだったのだろう。
 誰だって自分の世界を守りたいはずだ。自分が鬼の誇りを貫きたいと思っていることと、何ら変わりがないではないか。
「だけどナズーリンはもう一週間以上も監禁したままだ。どう丸く収めるつもりなんだ?」
「白蓮は話せばわかってくれる相手です。いざとなれば私が自分で交渉しますよ」
「そうか」
 これ以上話すこともないかと、勇儀は後ろ髪を掻きながら一歩を踏み出した。
 と、その背にさとりの声がぶつかった。
「ナズーリンを帰したいのならどうぞ。まだ第一の事件は解決していませんが、こちらの潔白を示すことはいくつか考えつきましたし、もう十分でしょう。時間は十分にとれました」
 勇儀は歩きながら、「あいよ」と返事をした。にやけ顔になっていることを悟られまいと、あくまで平静を装って。

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