―19―
特に隠しておくことでもないし、わざわざ視点を変えて書くほどの話でもないので結論だけ先に書いてしまうが、今回の異変の解決に動いたのは、妹紅さんを除いて三人であった。毎度おなじみ博麗霊夢さんと霧雨魔理沙さん、そしてなんとお久しぶりの紅魔館のメイド長、十六夜咲夜さんである。彼女が異変解決に参戦したのは、博麗神社が倒壊した地震騒動以来か。
いや、正確には魔理沙さんと咲夜さんは必ずしも異変を解決しようとしたわけではないらしい。霊夢さんは愛用のお祓い棒が勝手に動き出したのを何とかするために解決に乗り出したというが、魔理沙さんは勝手に動き出したミニ八卦炉の火力を試すために出撃し、咲夜さんは偶然拾った妖剣の切れ味を試したくて、主のレミリア嬢から霧の湖の調査を命じられたのにかこつけて辻斬りに出たのだとか。物騒な話である。
ともかく、三人は各地で暴れていた野良妖怪を蹴散らしつつ(私たちの知人では、わかさぎ姫、赤蛮奇さん、今泉影狼さんらが被害に遭ったらしい。ご愁傷様としか言いようがない)、やがてこの輝針城を覆う魔力嵐に気付いて突入、勝負を挑んできた九十九姉妹を退けて、輝針城に乗りこんできたのだそうだ。
で、その輝針城への突入時。後から聞いたところによると、三人の間でこんな会話が為されていたという。
「なあ霊夢、賭けないか?」
「何をよ?」
「ここに蓮子とメリーがいるかどうかをさ。私は信頼と実績のいる方に賭けるぜ。あいつら絶対今回も私らより先乗りしてやがるはずだ」
「早苗と一緒に? 異変解決で早苗に先を越されるのは癪だから、いない方に賭けるわ。ていうかいてもらっちゃ困るのよ、解決の邪魔だから」
「よっしゃ、勝った方が解決後の宴会のメシの支度な」
「はいはい。咲夜、あんたはどっちに賭ける?」
「さあ、私はただこのナイフの切れ味をもっと高めたいだけですわ」
「……咲夜あんた、そのナイフに精神支配されかかってない?」
「そんなまさか。私を支配できるのはお嬢様ただひとりですわ」
「そういえば、あいつら最初は紅魔館に捕まってたんだよな?」
「いつの話よ」
「懐かしい話ですわね」
「あいつら、そのときレミリアの奴に運命でも弄られたんじゃないのか?」
「異変のど真ん中に出現する運命? そんなことしてレミリアに何の得があるのよ」
「お嬢様は別に損得で運命を操りはなさいませんわ。基準は面白いか否かだけです」
「その行動基準が傍迷惑なのよ、あんたんとこのお嬢様は」
「愛嬌というものですわ」
「愛嬌で外の世界の迷惑な吸血獣とか連れて来るなよな」
ちなみに《外の世界の吸血獣》というのは、里で以前起きたお酒の盗難事件の犯人のことだ。それについては、阿求さんか小鈴ちゃんあたりに詳細を聞くと良いだろう。
ともかく、妹紅さんの言うところの私たちの《霊夢さんの異変解決に先んじて異変の首謀者の元にたどり着く程度の能力》は、相変わらずあらぬ疑いを呼んでいるらしい。いつか相棒が退治されないか心配だ。そのときは相棒を置いてひとりで逃げよう。私は相棒の無鉄砲に振り回されているだけの被害者であるからして。
それはさておき、話は輝針城の一室で針妙丸さんと話していた私たちのところへ戻る。
「なんで正邪が、って、そりゃあ――」
天の邪鬼の正邪さんが、なぜ小人族の歴史に――末裔である針妙丸さんも知らないような歴史に詳しいのか。つまり、その《歴史》は本当なのか? という含意の問いかけに、針妙丸さんが目を白黒させていた、そのとき。
「姫! また侵入者のようです!」
襖が開いて正邪さんが顔を出し、そう告げたことで私たちの話は中断してしまった。
「なんだって!? よし、今度は私が打って出てやる!」
振り返った針妙丸さんは、いさましく針の剣を構えた、人間サイズの針なので、実際刺されたら痛そうである。ていうか針というより槍か。死ぬ死ぬ。
「おおっと、そう言われると私が様子を見に行かねばならぬ気持ちに。姫はここでお待ちを、私が見て参ります」
「大丈夫? 正邪」
「ふふふ、心配されるとますます行きたくなります。では」
天の邪鬼らしいことを言って、正邪さんはさっさと部屋を出て行く。口を挟む暇もなく私たちはそれを見送って、「あ、しまった逃がした」と妹紅さんが舌打ちした。
「ちっ――まあいい。おい、そこの小人。いいから小槌をこっちに寄越せ。そいつは絶対お前らの手に余る道具だ」
「なっ、やっぱりお前ら小槌の力を狙ってるんじゃないか!」
妹紅さんのストレートすぎる言葉に、針妙丸さんが身構える。ちなみに今は小槌はどこかに仕舞ってあるのか、あるいは服の中にでも隠しているのか、針妙丸さんは手に持ってはいない。
「だ、だいたい、小槌は小人族しか使えないんだぞ! お前たちが手に入れても無意味だ!」
「こっちは別にその力に興味はないんだよ。私はこの異変を何とかしたいだけだ」
「そんな見え透いた嘘に騙されるもんか! 願いを叶えたくない人間なんているわけない!」
「お前はとっくにあの天の邪鬼に騙されてると思うんだけどな。それに私にゃ別に妙な力に頼ってまで叶えたい願いなんてない」
妹紅さんのその言葉に、針妙丸さんは眼をぱちくりさせる。
「叶えたい願いがない……? え、それ何が楽しくて生きてるの?」
――ああ、針妙丸さんは妹紅さんの事情を知らないとはいえ、それは妹紅さんに一番言っちゃいけない言葉である。妹紅さんは顔を歪めた。
「うるさい。こちとら死ねるんならとっくに死んでるわ。願いがあるとすればちゃんと人間として死ぬことだけだよ。その小槌は死にたい奴の願いも叶えてくれるのか?」
「……ねえ妹紅、あんまり寂しいこと言わないでよ」
蓮子が目を眇めて妹紅さんを見やる。妹紅さんは振り向き、ばつの悪そうな顔をして軽く頭を掻いた。
「ああ、いや――まあ、お前たちと慧音がいる間は死ななくてもいいんだが」
「輝夜さんとの決着はいいの?」
「こんなときにあいつの名前を出すな!」
妹紅さんは吼え、蓮子は猫のように笑った。「ったく……」と妹紅さんはまた頭を掻き、「とにかくだ」と針妙丸さんに向き直る。
「だいたい小人族が迫害されてきたってのも、お前の話によればその小槌の力を狙った連中が原因なんだろ? だったらそんな厄介なもん、手放しちまえばいいじゃないか」
「だ、ダメだよ! 小槌は私たち弱者の切り札だ! 幻想郷の強者どもと戦うための力なんだから、そんなこと言って取り上げようったってそうはいかないぞ!」
――結局のところ、議論はどこまでも平行線なのである。弱者の権利を訴える針妙丸さんだが、彼女には実際に「弱者が権利を得た幻想郷」がどういうものかという具体的なビジョンがない。あるのはふんわりした理想論だけなので、現実と現実をすり合わせて双方が納得する着地点を見出すということが不可能なのだ。理想に妥協はあり得ないのであるからして。
改革を目指すインテリの理想論が、往々にしてどんどん過激な方向に先鋭化していくのはだいたいそのせいだ。正しさは正しさであるが故に妥協した時点で正しさを失ってしまい、正しさという拠り所を失えば理想論は瓦解する。正しさとはそれ自体がブレーキの壊れた暴力に他ならない。「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激なことしかやらない」という前世紀の名作ロボットアニメの主人公の台詞はけだし至言である。
現実にそれをどう運用するのかというビジョンがない理想はただの空論であり、空論とは議論が成立しない。少なくとも、妥協し自分の考えを修正する気がない相手との議論は、はてしなく無意味な思想の押し付け合いにしかならない。議論が成立しないのでは、結局のところ何らかの力で解決するしかないわけである。
そう考えると、問答無用で妖怪を退治して異変を解決するという博麗の巫女というシステムは、この幻想郷という世界を運営していく上ではよくできたシステムなのだろう。
「ねえ蓮子、これ議論で解決するの無理じゃない?」
「うーん、参ったわね。できればもうちょっと、少名ちゃんの信じる正しさに揺さぶりをかけてみたかったんだけど……」
「かえって逆効果じゃないの? 針妙丸さん、一度自分の認識を正邪さんにひっくり返されてるんだから、それをもう一度ひっくり返されたらもう何を信じていいかわからなくなっちゃうでしょう。そうならないようにかえって依怙地に信じこんじゃうわよ」
人間、『Aは間違いで実はBが正しい』と言われて目から鱗が落ちてしまった後に、『実はBの方が間違いでやっぱりAが正しかったんだよ』と言われると、自分が何を信じたらいいのかわからなくなってしまう、そのため後者の指摘に対して拒否反応を示すようになる。矛盾する情報を提示された際にいちいち何が正しいのかを検証するコストなど払っていられないし、一度何かを信じてしまうと情報の検証に際して先入観を取り払うのは不可能に近い。そうなると、結局は誰の言うことを信じるかという信仰の問題になってしまうわけだ。
「万機公論に決すべしの原則は守るべきだと思うんだけどねえ。あらゆることを信仰の問題に帰結させて暴力でないと解決できないって諦めるのは知性と理性の敗北よ、メリー」
「人間にはフレーム問題を回避するための機能として信仰心があらかじめ備わってるのよ。知性と理性があればあらゆる問題は議論で解決できるっていう思想も立派な信仰だわ」
「相対主義は敗北主義よ。相対主義じゃ世の中の問題は何も解決しないのよ?」
「議論で解決可能か不能かを見極めるのには役に立つし、双方がこの問題は現状のままでは議論では解決不能だと気付くことには意味があるでしょう。自分の正しさを疑う視点は常に持ってないと行き着く先は無自覚な独善よ。今の針妙丸さんに必要なのは相対性精神学ね」
「もうメリー、寺子屋で相対性精神学の特別授業でも始めたら?」
「幻想郷の人たちは科学世紀の人と違って素朴な信仰に生きてるから難しいわね」
「おいお前ら、なにわけのわからないことゴチャゴチャ言ってるんだ!」
相対性精神学的議論をしていた私と蓮子に、針妙丸さんが針を突きつける。蓮子は肩を竦め、妹紅さんがその手に炎を纏わせる。
「おい蓮子、もういいだろ? 私も慧音のやり方を見てるから、まず話し合いで解決しようってやり方を否定はしないけどな、これ以上こいつらと議論の余地はないぞ。あとは幻想郷の流儀で解決する以外ない。それに、さっきの侵入者とやら――」
妹紅さんがそう言いかけた、次の瞬間。
輝針城が揺れた。
――それは正邪さんが、その侵入者と戦った衝撃に他ならなかった。
―20―
後で聞いたところによると、そのとき具体的に輝針城を揺らしたのは、魔理沙さんの使ったスペルカード「ダークスパーク」が城の壁をぶち抜いた衝撃だったそうである。半分付喪神化したミニ八卦炉によって威力が強化されたマスタースパークなのだそうだ。
ともかく、私たちは震動にたたらを踏み、針妙丸さんが「正邪!」と声をあげる。私たちは震動で目を覚ました玄爺に飛び乗り、針妙丸さんが開け放った襖から廊下に出ると、私たちの目の前を、その正邪さんが逃げていくところだった。
「あっ姫! お逃げください! 侵入者はヤバい連中です! 自分はお先に!」
正邪さんはすれ違いざまにそう言い残し、城の壁に空いた大穴から、針妙丸さんを置いて脱出してしまう。針妙丸さんは心配そうにそれを見送り、妹紅さんは「あっあの野郎、仲間を置いて自分だけ逃げやがった!」と眉を寄せる。
――で、正邪さんが姿を消した壁の大穴とは反対側から、飛んで来る影が三つ。
「おっ、誰かいるぜ」
「何か大勢いますわね」
「別に何人でもまとめて退治してやるけど――って、あー、またあいつら!」
「はっはっは、霊夢、賭けは私の勝ちだな。……って、おお? なんで妹紅までいるんだ?」
「あら、いつぞやの竹林の蓬莱人。死なない人間は試し斬りには最適ですわね。このナイフの錆にしてあげましょう」
現れるのは、異変解決の者たち。博麗霊夢さん、霧雨魔理沙さん、そして十六夜咲夜さんである。ただ、三人の姿にはそれぞれ、普段の見慣れた姿からは微妙な違和感があった。
咲夜さんの手にあるのは普段のナイフよりもいささか長めのものだし、魔理沙さんのミニ八卦炉は勝手に火を噴いている。そして――霊夢さんの手には、異変解決時には常に手にしているはずのお祓い棒がない。
ともかく、三人は針妙丸さんと、その傍らにいる私たちに目を留めて、空中に静止した。
「まったく、どうしてあんたたちはいつもいつもいつも異変の黒幕と一緒にいるのよ! やっぱり今までの異変、全部あんたたちが裏で糸引いてたんじゃないの? 蓮子、メリー!」
「あらら、濡れ衣ですわ霊夢ちゃん。私たちは妹紅さんの異変解決の手伝いをしに来ただけ」
「妹紅が異変解決だあ? おいおい、明日は筍が降るぜ」
「それは美味しそうですわね。煮物にしていただきましょう」
「うるさいな。こっちはお前らが来る前に解決するつもりだったんだよ」妹紅さんが頭を掻く。
「それで異変の黒幕に取り込まれたってわけ? だったら一緒に退治してあげるわ」
「違わい! こいつと決着つけようとしてたところだったんだよ」
そんなことを言い合う異変解決組を見回して、針妙丸さんはばっと全員から距離を取り、懐から打ち出の小槌を取りだして身構えた。
「なんだか随分大勢で来たなあ。一人ずつ来るもんだと思ってたのに。博麗の巫女に巷で有名な魔法使いさんは知ってるけど、そこの変な格好の人間はどちら様?」
「紅魔館のメイド長、十六夜咲夜と申しますわ。貴方があの天の邪鬼のお仲間でしょうか?」
「そうよ。我が名は少名針妙丸、誇り高き小人族の末裔にして、この幻想郷をひっくり返すレジスタンスだ! 博麗の巫女は私たちを止めに来たんだろうけど、メイドさんは何しに来たの? ……あ、その剣、私が付喪神にしたやつだ!」
針妙丸さんが、咲夜さんの手の中の、普段のナイフとは違う妖剣を見やって言う。
「それをわざわざ持ってきてくれたの? 人間も捨てたもんじゃ無いね」
「いやまあその、私がここに来たのは成り行きなんですが」
「そうだよね。道具に導かれて来たのよね。さあ私と一緒に世界をひっくり返しましょ?」
「……私は勢力者の下にいます。残念ながら私は反逆者に与するつもりはありませんわ」
「だったらどうしてここに来たのさ?」
「さあ……どうしてでしょうか」
「つまりやっぱり道具に導かれて来たんじゃないさ。さあ、そこの魔法使いも一緒に幻想郷の支配体制を覆そう!」
「あー? 私はアレだ、秘宝とやらをいただきに来たんだぜ」
「つまり小槌の力で幻想郷をひっくり返すことを目指してるのね! お仲間だ!」
「小槌?」魔理沙さんが首を捻る。
「いい加減にしなさいよ。秘宝だか小槌だか知らないけど、下剋上の企みなんてここでおしまいよ! 小人なんて初めて見たけど、自分が弱者だって自覚があるなら大人しくしてることね。それが幻想郷の理よ!」
お札を取りだして、霊夢さんが戦闘モードに入る。針妙丸さんはそちらを振り返って、その表情を険しくした。
「そうだ、私たちはいつもそうやって無視され抑圧されてきたんだ! 貴方たちには弱者の気持ちがわからない。だから下剋上するの! 世界をひっくり返すんだ!」
「そいつは、部屋が散らかるから勘弁だな」
「お嬢様に仇なす者は、排除するのがメイドの務めですわ」
魔理沙さんと咲夜さんがそれぞれミニ八卦炉と妖剣を構える。その様子を妹紅さんと見ていた私と蓮子は顔を見合わせ、そして妹紅さんを見やった。
「妹紅、どうするの?」
「んーむ、私まで加勢して小人相手に四対一ってのはな……」
妹紅さんのその唸りを聞きとがめたか、針妙丸さんがちらりとこちらを振り向く。
「私は権力に抗うレジスタンスだ、三対一でも四対一でも構わないけど――その、自分たちが無条件で強者だと思い込んでいる傲慢、この打ち出の小槌でひっくり返してやる!」
「打ち出の小槌? ってアレか、使用者の願いを叶えるっていう」
魔理沙さんが目を輝かせる。針妙丸さんは小槌を掲げ、魔理沙さんと咲夜さんの方へと向き直った。
「――小槌よ、あの道具たちにさらなる力を与えたまえ!」
針妙丸さんがそう叫んで、小槌を虚空へと振り下ろした。
――次の瞬間。
「うおっ!?」
魔理沙さんの手の中で、八卦炉がひときわ大きな炎を吹き上げ。
「あら――」
咲夜さんの手の中で、妖剣がひときわ妖しく輝く。
それとともに――ふたりの目の色が変わった。
魔理沙さんの顔に不敵で凶暴な笑みが、咲夜さんの顔に酷薄な微笑が、浮かび上がる。
「おお……なんだか、今なら私こそが幻想郷を支配できる気がしてきたぜ」
「ああ、久しぶりに人間を切り刻みたくなってきましたわ。お嬢様のお食事を作らなくては」
「ちょっと、魔理沙、咲夜?」
「霊夢、異変解決の武勇伝は、今後は私に譲ってもらうぜ」
「巫女は食べてもいい人間だって門番も言い伝えていましたわね」
魔理沙さんと咲夜さんが、その凶悪な笑みを――霊夢さんへと向けた。
―21―
これはいわゆる、早苗さんの言うところの悪堕ちというやつではあるまいか。
裏切り、洗脳、昨日の友が今日は敵。少年漫画なら熱い展開であるけれども、現実でやられるとたまったものではない。
「あっ、あんた、魔理沙たちに何をしたのよ!」
「何もしてないよ。私はただ、ふたりの道具に力を与えただけ。力の増した道具が、逆に人間を使うようになっただけさ! これが私たちの下剋上だ!」
――つまり、魔理沙さんと咲夜さんは、暴走した道具に精神を支配されてしまったらしい。
なんか深刻な事態のように思えるが、おそらくは新しく手に入れた道具をさっそく使ってみたい心理がものすごく強化された状態のようなものなのだろう。ひょっとしたらそれが、ふたりの内心にあった「霊夢さんと真剣に戦ってみたい」という欲望を解き放ったのかもしれないが、そのへんの機微は当事者以外は知るべくもない。
ともかく――霊夢さんサイドから見れば、三対一のはずが、たちまち一対三である。しかもそのうちふたりは霊夢さんと同程度の実力者の人間とくれば、妖怪退治の専門家であるところの霊夢さんにしても、さすがにたまったものではあるまい。おまけに今の霊夢さんは愛用のお祓い棒もない。霊夢さんの表情が一気に険しくなる。
「へえ、やってくれるじゃない……。いいわ、身の程を知れっていうのは撤回してあげる。あんたは紛れもなく私が退治すべき敵だわ!」
「そうこなくっちゃ! さあ、一対三で弱者の気持ちを思い知れ!」
針妙丸さんが小槌を振りかざし、魔理沙さんと咲夜さんがそれに従うように身構える。霊夢さんは目を閉じて、覚悟を決めるようにお札と針を取りだし――。
「――いいや、二対三だ」
その霊夢さんの隣に、並び立つ影がひとつ。霊夢さんが目を見開く。
「妹紅?」
「お前にゃ不本意かもしれんが、魔理沙とあのメイドの相手は私に引き受けさせろ。お前はあの小人の小槌を何とかするのに専念すればいい。そこは任せるぞ、異変解決の専門家」
「――何よ、調子狂うわね。ま、楽させてもらえるならありがたいけど」
「お前が動く前に解決するって当初の目的はもう破綻しちまったからな。だったらお前に解決してもらうまでだよ。そのために捨てる命はいくらでもある」
「あんたが命捨てたって恩に着せられる覚えはないからね」
「上等だ、お前のそういう後腐れのないところは嫌いじゃない。――いくぞ!」
かくして、輝針城に二対三の盛大な弾幕の光が輝いた――。
さて、毎度のことながら。
この記録が異変解決の経緯を主眼としたバトルものであるなら、ここを最大のクライマックスとして、華麗なる戦闘描写で盛り上げに盛り上げる場面であろう。暴走した八卦炉と妖剣に操られた魔理沙さんと咲夜さんを、文字通り身体を張って食い止める妹紅さんと、それを横目に針妙丸さんと激闘を繰り広げた霊夢さん。その圧巻の弾幕ごっこに割く紙幅は、しかし残念ながら今回も存在しない。だいたい私にはそんな熱血バトルを書ける文章力がない。
そのバトルが相棒の誇大妄想推理の何らかの伏線になるならば精一杯描きもするが、特にそういうこともないので、ここは謹んでカットさせていただく。血湧き肉躍る武勇伝を聞きたい方は、博麗神社を直接訪れるか、迷いの竹林の案内人を訪ねるのがよろしかろう。
というわけで、結果だけ記すと。
「あら、本当に小人だったのね、あんた」
「うううー」
普通の人間サイズになっていたのは、やはり小槌の魔力によるものだったらしい。霊夢さんとの弾幕ごっこの決着がついたとき、針妙丸さんの姿は指でつまめるような、虫か小動物かというサイズまで縮んでしまっていた。着物の帯をつまんで持ち上げられ、じたばたする針妙丸さんを、霊夢さんがしげしげと眺めている。小人が物珍しいらしい。
一方、道具に操られていた魔理沙さんと咲夜さんはというと。
「ううん、くそ、このゾンビめ……。あーもう疲れたぜ。もういいや、やめだやめ」
「死なない人間は殺せませんわね。ああ、そろそろ戻らないとお嬢様のお食事が」
「ったく、命が無限になかったら足りなかったかもな」
死なないのをいいことに身体を張った耐久勝負を仕掛けた妹紅さんに、魔理沙さんと咲夜さんが攻め疲れたところで、針妙丸さんを倒した霊夢さんのお札が八卦炉と妖剣に貼り付いて封印した。魔理沙さんは憑き物が落ちたような顔で大の字に寝転び、咲夜さんは思案げに首を捻る。ふたりとも、操られていた間の記憶がないわけではないらしい。人格を乗っ取られたというよりは、普段の欲求が道具によって増幅されたという感じだったのだろう。
「とりあえず封印はしたけど、あんた、負けたんだから責任もって元に戻しなさいよ」
ぶらぶらと帯でぶら下げられた針妙丸さんは、「ええー」と声をあげる。
「小槌は魔力を与えるものだから、与えた魔力を奪うことはできないよ」
「はあ? じゃあ私のお祓い棒はずっとあのままってわけ? まあ、あれはあれで便利ではあるけど」
「いやいや、そのうち小槌の魔力が回収期に入るから、そうなれば自然と元に戻るよ」
「回収期?」
「小槌は与えた魔力を後で回収しにかかるんだよー」
「何よそれ。じゃああんたたちの作った付喪神は、放っておけば元に戻ったってこと?」
「そゆこと」
「……わざわざ解決しに来て損したわ」
嘆息した霊夢さんに、妹紅さんが「おおい」と声を掛ける。
「天の邪鬼は逃げたみたいだが、どうするんだ?」
「ああ、あれはいいわよ、どうせただの小物だし。小槌を使えるのがこの小人だけだっていうなら、こいつが悪さしないように監視しとけばいいだけでしょ。今回の異変の原因は全部この小槌みたいだし」
「なるほど、それもそうだな」
妹紅さんは頭を掻き、「じゃ、そいつはお前に任せる。お疲れさん」と霊夢さんに手を振って、私たちのところへと飛んで来る。
「つうわけで、どうやら異変解決は終わりだな。ふたりとも、帰るか」
「あ、はい。……蓮子?」
「え? ああ、うん、そうね。監視は霊夢ちゃんに任せればいいでしょ」
頷いた私の前で、蓮子はしきりに帽子を弄りながら、上の空という様子でそう答えた。
「どうした? 何か気になることでもあるのか」
「いやあ、妹紅が気にすることじゃないわ。ちょっと個人的な問題。慧音さんには、しばらくすれば今の事態は落ち着くって伝えればいいわよね」
「そうか? まあ、そうだな。――じゃあ、慧音に怒られる前に帰るとするか」
そんなわけで、私たちは妹紅さんと、玄爺に乗って一足先に輝針城を後にした。
その帰り際。
「……蓮子、何を気にしてるの?」
私のその問いに、まだ帽子の庇を弄っていた蓮子は、視線だけで振り向いて小さく頷く。
「まあ、いろいろとあるんだけどね――」
そう答えて、蓮子は夜空を見上げて「二十二時十五分四十一秒」と呟き。
そして、何かを予言するように言った。
「――まだ、この異変は終わってないわよ」
特に隠しておくことでもないし、わざわざ視点を変えて書くほどの話でもないので結論だけ先に書いてしまうが、今回の異変の解決に動いたのは、妹紅さんを除いて三人であった。毎度おなじみ博麗霊夢さんと霧雨魔理沙さん、そしてなんとお久しぶりの紅魔館のメイド長、十六夜咲夜さんである。彼女が異変解決に参戦したのは、博麗神社が倒壊した地震騒動以来か。
いや、正確には魔理沙さんと咲夜さんは必ずしも異変を解決しようとしたわけではないらしい。霊夢さんは愛用のお祓い棒が勝手に動き出したのを何とかするために解決に乗り出したというが、魔理沙さんは勝手に動き出したミニ八卦炉の火力を試すために出撃し、咲夜さんは偶然拾った妖剣の切れ味を試したくて、主のレミリア嬢から霧の湖の調査を命じられたのにかこつけて辻斬りに出たのだとか。物騒な話である。
ともかく、三人は各地で暴れていた野良妖怪を蹴散らしつつ(私たちの知人では、わかさぎ姫、赤蛮奇さん、今泉影狼さんらが被害に遭ったらしい。ご愁傷様としか言いようがない)、やがてこの輝針城を覆う魔力嵐に気付いて突入、勝負を挑んできた九十九姉妹を退けて、輝針城に乗りこんできたのだそうだ。
で、その輝針城への突入時。後から聞いたところによると、三人の間でこんな会話が為されていたという。
「なあ霊夢、賭けないか?」
「何をよ?」
「ここに蓮子とメリーがいるかどうかをさ。私は信頼と実績のいる方に賭けるぜ。あいつら絶対今回も私らより先乗りしてやがるはずだ」
「早苗と一緒に? 異変解決で早苗に先を越されるのは癪だから、いない方に賭けるわ。ていうかいてもらっちゃ困るのよ、解決の邪魔だから」
「よっしゃ、勝った方が解決後の宴会のメシの支度な」
「はいはい。咲夜、あんたはどっちに賭ける?」
「さあ、私はただこのナイフの切れ味をもっと高めたいだけですわ」
「……咲夜あんた、そのナイフに精神支配されかかってない?」
「そんなまさか。私を支配できるのはお嬢様ただひとりですわ」
「そういえば、あいつら最初は紅魔館に捕まってたんだよな?」
「いつの話よ」
「懐かしい話ですわね」
「あいつら、そのときレミリアの奴に運命でも弄られたんじゃないのか?」
「異変のど真ん中に出現する運命? そんなことしてレミリアに何の得があるのよ」
「お嬢様は別に損得で運命を操りはなさいませんわ。基準は面白いか否かだけです」
「その行動基準が傍迷惑なのよ、あんたんとこのお嬢様は」
「愛嬌というものですわ」
「愛嬌で外の世界の迷惑な吸血獣とか連れて来るなよな」
ちなみに《外の世界の吸血獣》というのは、里で以前起きたお酒の盗難事件の犯人のことだ。それについては、阿求さんか小鈴ちゃんあたりに詳細を聞くと良いだろう。
ともかく、妹紅さんの言うところの私たちの《霊夢さんの異変解決に先んじて異変の首謀者の元にたどり着く程度の能力》は、相変わらずあらぬ疑いを呼んでいるらしい。いつか相棒が退治されないか心配だ。そのときは相棒を置いてひとりで逃げよう。私は相棒の無鉄砲に振り回されているだけの被害者であるからして。
それはさておき、話は輝針城の一室で針妙丸さんと話していた私たちのところへ戻る。
「なんで正邪が、って、そりゃあ――」
天の邪鬼の正邪さんが、なぜ小人族の歴史に――末裔である針妙丸さんも知らないような歴史に詳しいのか。つまり、その《歴史》は本当なのか? という含意の問いかけに、針妙丸さんが目を白黒させていた、そのとき。
「姫! また侵入者のようです!」
襖が開いて正邪さんが顔を出し、そう告げたことで私たちの話は中断してしまった。
「なんだって!? よし、今度は私が打って出てやる!」
振り返った針妙丸さんは、いさましく針の剣を構えた、人間サイズの針なので、実際刺されたら痛そうである。ていうか針というより槍か。死ぬ死ぬ。
「おおっと、そう言われると私が様子を見に行かねばならぬ気持ちに。姫はここでお待ちを、私が見て参ります」
「大丈夫? 正邪」
「ふふふ、心配されるとますます行きたくなります。では」
天の邪鬼らしいことを言って、正邪さんはさっさと部屋を出て行く。口を挟む暇もなく私たちはそれを見送って、「あ、しまった逃がした」と妹紅さんが舌打ちした。
「ちっ――まあいい。おい、そこの小人。いいから小槌をこっちに寄越せ。そいつは絶対お前らの手に余る道具だ」
「なっ、やっぱりお前ら小槌の力を狙ってるんじゃないか!」
妹紅さんのストレートすぎる言葉に、針妙丸さんが身構える。ちなみに今は小槌はどこかに仕舞ってあるのか、あるいは服の中にでも隠しているのか、針妙丸さんは手に持ってはいない。
「だ、だいたい、小槌は小人族しか使えないんだぞ! お前たちが手に入れても無意味だ!」
「こっちは別にその力に興味はないんだよ。私はこの異変を何とかしたいだけだ」
「そんな見え透いた嘘に騙されるもんか! 願いを叶えたくない人間なんているわけない!」
「お前はとっくにあの天の邪鬼に騙されてると思うんだけどな。それに私にゃ別に妙な力に頼ってまで叶えたい願いなんてない」
妹紅さんのその言葉に、針妙丸さんは眼をぱちくりさせる。
「叶えたい願いがない……? え、それ何が楽しくて生きてるの?」
――ああ、針妙丸さんは妹紅さんの事情を知らないとはいえ、それは妹紅さんに一番言っちゃいけない言葉である。妹紅さんは顔を歪めた。
「うるさい。こちとら死ねるんならとっくに死んでるわ。願いがあるとすればちゃんと人間として死ぬことだけだよ。その小槌は死にたい奴の願いも叶えてくれるのか?」
「……ねえ妹紅、あんまり寂しいこと言わないでよ」
蓮子が目を眇めて妹紅さんを見やる。妹紅さんは振り向き、ばつの悪そうな顔をして軽く頭を掻いた。
「ああ、いや――まあ、お前たちと慧音がいる間は死ななくてもいいんだが」
「輝夜さんとの決着はいいの?」
「こんなときにあいつの名前を出すな!」
妹紅さんは吼え、蓮子は猫のように笑った。「ったく……」と妹紅さんはまた頭を掻き、「とにかくだ」と針妙丸さんに向き直る。
「だいたい小人族が迫害されてきたってのも、お前の話によればその小槌の力を狙った連中が原因なんだろ? だったらそんな厄介なもん、手放しちまえばいいじゃないか」
「だ、ダメだよ! 小槌は私たち弱者の切り札だ! 幻想郷の強者どもと戦うための力なんだから、そんなこと言って取り上げようったってそうはいかないぞ!」
――結局のところ、議論はどこまでも平行線なのである。弱者の権利を訴える針妙丸さんだが、彼女には実際に「弱者が権利を得た幻想郷」がどういうものかという具体的なビジョンがない。あるのはふんわりした理想論だけなので、現実と現実をすり合わせて双方が納得する着地点を見出すということが不可能なのだ。理想に妥協はあり得ないのであるからして。
改革を目指すインテリの理想論が、往々にしてどんどん過激な方向に先鋭化していくのはだいたいそのせいだ。正しさは正しさであるが故に妥協した時点で正しさを失ってしまい、正しさという拠り所を失えば理想論は瓦解する。正しさとはそれ自体がブレーキの壊れた暴力に他ならない。「革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激なことしかやらない」という前世紀の名作ロボットアニメの主人公の台詞はけだし至言である。
現実にそれをどう運用するのかというビジョンがない理想はただの空論であり、空論とは議論が成立しない。少なくとも、妥協し自分の考えを修正する気がない相手との議論は、はてしなく無意味な思想の押し付け合いにしかならない。議論が成立しないのでは、結局のところ何らかの力で解決するしかないわけである。
そう考えると、問答無用で妖怪を退治して異変を解決するという博麗の巫女というシステムは、この幻想郷という世界を運営していく上ではよくできたシステムなのだろう。
「ねえ蓮子、これ議論で解決するの無理じゃない?」
「うーん、参ったわね。できればもうちょっと、少名ちゃんの信じる正しさに揺さぶりをかけてみたかったんだけど……」
「かえって逆効果じゃないの? 針妙丸さん、一度自分の認識を正邪さんにひっくり返されてるんだから、それをもう一度ひっくり返されたらもう何を信じていいかわからなくなっちゃうでしょう。そうならないようにかえって依怙地に信じこんじゃうわよ」
人間、『Aは間違いで実はBが正しい』と言われて目から鱗が落ちてしまった後に、『実はBの方が間違いでやっぱりAが正しかったんだよ』と言われると、自分が何を信じたらいいのかわからなくなってしまう、そのため後者の指摘に対して拒否反応を示すようになる。矛盾する情報を提示された際にいちいち何が正しいのかを検証するコストなど払っていられないし、一度何かを信じてしまうと情報の検証に際して先入観を取り払うのは不可能に近い。そうなると、結局は誰の言うことを信じるかという信仰の問題になってしまうわけだ。
「万機公論に決すべしの原則は守るべきだと思うんだけどねえ。あらゆることを信仰の問題に帰結させて暴力でないと解決できないって諦めるのは知性と理性の敗北よ、メリー」
「人間にはフレーム問題を回避するための機能として信仰心があらかじめ備わってるのよ。知性と理性があればあらゆる問題は議論で解決できるっていう思想も立派な信仰だわ」
「相対主義は敗北主義よ。相対主義じゃ世の中の問題は何も解決しないのよ?」
「議論で解決可能か不能かを見極めるのには役に立つし、双方がこの問題は現状のままでは議論では解決不能だと気付くことには意味があるでしょう。自分の正しさを疑う視点は常に持ってないと行き着く先は無自覚な独善よ。今の針妙丸さんに必要なのは相対性精神学ね」
「もうメリー、寺子屋で相対性精神学の特別授業でも始めたら?」
「幻想郷の人たちは科学世紀の人と違って素朴な信仰に生きてるから難しいわね」
「おいお前ら、なにわけのわからないことゴチャゴチャ言ってるんだ!」
相対性精神学的議論をしていた私と蓮子に、針妙丸さんが針を突きつける。蓮子は肩を竦め、妹紅さんがその手に炎を纏わせる。
「おい蓮子、もういいだろ? 私も慧音のやり方を見てるから、まず話し合いで解決しようってやり方を否定はしないけどな、これ以上こいつらと議論の余地はないぞ。あとは幻想郷の流儀で解決する以外ない。それに、さっきの侵入者とやら――」
妹紅さんがそう言いかけた、次の瞬間。
輝針城が揺れた。
――それは正邪さんが、その侵入者と戦った衝撃に他ならなかった。
―20―
後で聞いたところによると、そのとき具体的に輝針城を揺らしたのは、魔理沙さんの使ったスペルカード「ダークスパーク」が城の壁をぶち抜いた衝撃だったそうである。半分付喪神化したミニ八卦炉によって威力が強化されたマスタースパークなのだそうだ。
ともかく、私たちは震動にたたらを踏み、針妙丸さんが「正邪!」と声をあげる。私たちは震動で目を覚ました玄爺に飛び乗り、針妙丸さんが開け放った襖から廊下に出ると、私たちの目の前を、その正邪さんが逃げていくところだった。
「あっ姫! お逃げください! 侵入者はヤバい連中です! 自分はお先に!」
正邪さんはすれ違いざまにそう言い残し、城の壁に空いた大穴から、針妙丸さんを置いて脱出してしまう。針妙丸さんは心配そうにそれを見送り、妹紅さんは「あっあの野郎、仲間を置いて自分だけ逃げやがった!」と眉を寄せる。
――で、正邪さんが姿を消した壁の大穴とは反対側から、飛んで来る影が三つ。
「おっ、誰かいるぜ」
「何か大勢いますわね」
「別に何人でもまとめて退治してやるけど――って、あー、またあいつら!」
「はっはっは、霊夢、賭けは私の勝ちだな。……って、おお? なんで妹紅までいるんだ?」
「あら、いつぞやの竹林の蓬莱人。死なない人間は試し斬りには最適ですわね。このナイフの錆にしてあげましょう」
現れるのは、異変解決の者たち。博麗霊夢さん、霧雨魔理沙さん、そして十六夜咲夜さんである。ただ、三人の姿にはそれぞれ、普段の見慣れた姿からは微妙な違和感があった。
咲夜さんの手にあるのは普段のナイフよりもいささか長めのものだし、魔理沙さんのミニ八卦炉は勝手に火を噴いている。そして――霊夢さんの手には、異変解決時には常に手にしているはずのお祓い棒がない。
ともかく、三人は針妙丸さんと、その傍らにいる私たちに目を留めて、空中に静止した。
「まったく、どうしてあんたたちはいつもいつもいつも異変の黒幕と一緒にいるのよ! やっぱり今までの異変、全部あんたたちが裏で糸引いてたんじゃないの? 蓮子、メリー!」
「あらら、濡れ衣ですわ霊夢ちゃん。私たちは妹紅さんの異変解決の手伝いをしに来ただけ」
「妹紅が異変解決だあ? おいおい、明日は筍が降るぜ」
「それは美味しそうですわね。煮物にしていただきましょう」
「うるさいな。こっちはお前らが来る前に解決するつもりだったんだよ」妹紅さんが頭を掻く。
「それで異変の黒幕に取り込まれたってわけ? だったら一緒に退治してあげるわ」
「違わい! こいつと決着つけようとしてたところだったんだよ」
そんなことを言い合う異変解決組を見回して、針妙丸さんはばっと全員から距離を取り、懐から打ち出の小槌を取りだして身構えた。
「なんだか随分大勢で来たなあ。一人ずつ来るもんだと思ってたのに。博麗の巫女に巷で有名な魔法使いさんは知ってるけど、そこの変な格好の人間はどちら様?」
「紅魔館のメイド長、十六夜咲夜と申しますわ。貴方があの天の邪鬼のお仲間でしょうか?」
「そうよ。我が名は少名針妙丸、誇り高き小人族の末裔にして、この幻想郷をひっくり返すレジスタンスだ! 博麗の巫女は私たちを止めに来たんだろうけど、メイドさんは何しに来たの? ……あ、その剣、私が付喪神にしたやつだ!」
針妙丸さんが、咲夜さんの手の中の、普段のナイフとは違う妖剣を見やって言う。
「それをわざわざ持ってきてくれたの? 人間も捨てたもんじゃ無いね」
「いやまあその、私がここに来たのは成り行きなんですが」
「そうだよね。道具に導かれて来たのよね。さあ私と一緒に世界をひっくり返しましょ?」
「……私は勢力者の下にいます。残念ながら私は反逆者に与するつもりはありませんわ」
「だったらどうしてここに来たのさ?」
「さあ……どうしてでしょうか」
「つまりやっぱり道具に導かれて来たんじゃないさ。さあ、そこの魔法使いも一緒に幻想郷の支配体制を覆そう!」
「あー? 私はアレだ、秘宝とやらをいただきに来たんだぜ」
「つまり小槌の力で幻想郷をひっくり返すことを目指してるのね! お仲間だ!」
「小槌?」魔理沙さんが首を捻る。
「いい加減にしなさいよ。秘宝だか小槌だか知らないけど、下剋上の企みなんてここでおしまいよ! 小人なんて初めて見たけど、自分が弱者だって自覚があるなら大人しくしてることね。それが幻想郷の理よ!」
お札を取りだして、霊夢さんが戦闘モードに入る。針妙丸さんはそちらを振り返って、その表情を険しくした。
「そうだ、私たちはいつもそうやって無視され抑圧されてきたんだ! 貴方たちには弱者の気持ちがわからない。だから下剋上するの! 世界をひっくり返すんだ!」
「そいつは、部屋が散らかるから勘弁だな」
「お嬢様に仇なす者は、排除するのがメイドの務めですわ」
魔理沙さんと咲夜さんがそれぞれミニ八卦炉と妖剣を構える。その様子を妹紅さんと見ていた私と蓮子は顔を見合わせ、そして妹紅さんを見やった。
「妹紅、どうするの?」
「んーむ、私まで加勢して小人相手に四対一ってのはな……」
妹紅さんのその唸りを聞きとがめたか、針妙丸さんがちらりとこちらを振り向く。
「私は権力に抗うレジスタンスだ、三対一でも四対一でも構わないけど――その、自分たちが無条件で強者だと思い込んでいる傲慢、この打ち出の小槌でひっくり返してやる!」
「打ち出の小槌? ってアレか、使用者の願いを叶えるっていう」
魔理沙さんが目を輝かせる。針妙丸さんは小槌を掲げ、魔理沙さんと咲夜さんの方へと向き直った。
「――小槌よ、あの道具たちにさらなる力を与えたまえ!」
針妙丸さんがそう叫んで、小槌を虚空へと振り下ろした。
――次の瞬間。
「うおっ!?」
魔理沙さんの手の中で、八卦炉がひときわ大きな炎を吹き上げ。
「あら――」
咲夜さんの手の中で、妖剣がひときわ妖しく輝く。
それとともに――ふたりの目の色が変わった。
魔理沙さんの顔に不敵で凶暴な笑みが、咲夜さんの顔に酷薄な微笑が、浮かび上がる。
「おお……なんだか、今なら私こそが幻想郷を支配できる気がしてきたぜ」
「ああ、久しぶりに人間を切り刻みたくなってきましたわ。お嬢様のお食事を作らなくては」
「ちょっと、魔理沙、咲夜?」
「霊夢、異変解決の武勇伝は、今後は私に譲ってもらうぜ」
「巫女は食べてもいい人間だって門番も言い伝えていましたわね」
魔理沙さんと咲夜さんが、その凶悪な笑みを――霊夢さんへと向けた。
―21―
これはいわゆる、早苗さんの言うところの悪堕ちというやつではあるまいか。
裏切り、洗脳、昨日の友が今日は敵。少年漫画なら熱い展開であるけれども、現実でやられるとたまったものではない。
「あっ、あんた、魔理沙たちに何をしたのよ!」
「何もしてないよ。私はただ、ふたりの道具に力を与えただけ。力の増した道具が、逆に人間を使うようになっただけさ! これが私たちの下剋上だ!」
――つまり、魔理沙さんと咲夜さんは、暴走した道具に精神を支配されてしまったらしい。
なんか深刻な事態のように思えるが、おそらくは新しく手に入れた道具をさっそく使ってみたい心理がものすごく強化された状態のようなものなのだろう。ひょっとしたらそれが、ふたりの内心にあった「霊夢さんと真剣に戦ってみたい」という欲望を解き放ったのかもしれないが、そのへんの機微は当事者以外は知るべくもない。
ともかく――霊夢さんサイドから見れば、三対一のはずが、たちまち一対三である。しかもそのうちふたりは霊夢さんと同程度の実力者の人間とくれば、妖怪退治の専門家であるところの霊夢さんにしても、さすがにたまったものではあるまい。おまけに今の霊夢さんは愛用のお祓い棒もない。霊夢さんの表情が一気に険しくなる。
「へえ、やってくれるじゃない……。いいわ、身の程を知れっていうのは撤回してあげる。あんたは紛れもなく私が退治すべき敵だわ!」
「そうこなくっちゃ! さあ、一対三で弱者の気持ちを思い知れ!」
針妙丸さんが小槌を振りかざし、魔理沙さんと咲夜さんがそれに従うように身構える。霊夢さんは目を閉じて、覚悟を決めるようにお札と針を取りだし――。
「――いいや、二対三だ」
その霊夢さんの隣に、並び立つ影がひとつ。霊夢さんが目を見開く。
「妹紅?」
「お前にゃ不本意かもしれんが、魔理沙とあのメイドの相手は私に引き受けさせろ。お前はあの小人の小槌を何とかするのに専念すればいい。そこは任せるぞ、異変解決の専門家」
「――何よ、調子狂うわね。ま、楽させてもらえるならありがたいけど」
「お前が動く前に解決するって当初の目的はもう破綻しちまったからな。だったらお前に解決してもらうまでだよ。そのために捨てる命はいくらでもある」
「あんたが命捨てたって恩に着せられる覚えはないからね」
「上等だ、お前のそういう後腐れのないところは嫌いじゃない。――いくぞ!」
かくして、輝針城に二対三の盛大な弾幕の光が輝いた――。
さて、毎度のことながら。
この記録が異変解決の経緯を主眼としたバトルものであるなら、ここを最大のクライマックスとして、華麗なる戦闘描写で盛り上げに盛り上げる場面であろう。暴走した八卦炉と妖剣に操られた魔理沙さんと咲夜さんを、文字通り身体を張って食い止める妹紅さんと、それを横目に針妙丸さんと激闘を繰り広げた霊夢さん。その圧巻の弾幕ごっこに割く紙幅は、しかし残念ながら今回も存在しない。だいたい私にはそんな熱血バトルを書ける文章力がない。
そのバトルが相棒の誇大妄想推理の何らかの伏線になるならば精一杯描きもするが、特にそういうこともないので、ここは謹んでカットさせていただく。血湧き肉躍る武勇伝を聞きたい方は、博麗神社を直接訪れるか、迷いの竹林の案内人を訪ねるのがよろしかろう。
というわけで、結果だけ記すと。
「あら、本当に小人だったのね、あんた」
「うううー」
普通の人間サイズになっていたのは、やはり小槌の魔力によるものだったらしい。霊夢さんとの弾幕ごっこの決着がついたとき、針妙丸さんの姿は指でつまめるような、虫か小動物かというサイズまで縮んでしまっていた。着物の帯をつまんで持ち上げられ、じたばたする針妙丸さんを、霊夢さんがしげしげと眺めている。小人が物珍しいらしい。
一方、道具に操られていた魔理沙さんと咲夜さんはというと。
「ううん、くそ、このゾンビめ……。あーもう疲れたぜ。もういいや、やめだやめ」
「死なない人間は殺せませんわね。ああ、そろそろ戻らないとお嬢様のお食事が」
「ったく、命が無限になかったら足りなかったかもな」
死なないのをいいことに身体を張った耐久勝負を仕掛けた妹紅さんに、魔理沙さんと咲夜さんが攻め疲れたところで、針妙丸さんを倒した霊夢さんのお札が八卦炉と妖剣に貼り付いて封印した。魔理沙さんは憑き物が落ちたような顔で大の字に寝転び、咲夜さんは思案げに首を捻る。ふたりとも、操られていた間の記憶がないわけではないらしい。人格を乗っ取られたというよりは、普段の欲求が道具によって増幅されたという感じだったのだろう。
「とりあえず封印はしたけど、あんた、負けたんだから責任もって元に戻しなさいよ」
ぶらぶらと帯でぶら下げられた針妙丸さんは、「ええー」と声をあげる。
「小槌は魔力を与えるものだから、与えた魔力を奪うことはできないよ」
「はあ? じゃあ私のお祓い棒はずっとあのままってわけ? まあ、あれはあれで便利ではあるけど」
「いやいや、そのうち小槌の魔力が回収期に入るから、そうなれば自然と元に戻るよ」
「回収期?」
「小槌は与えた魔力を後で回収しにかかるんだよー」
「何よそれ。じゃああんたたちの作った付喪神は、放っておけば元に戻ったってこと?」
「そゆこと」
「……わざわざ解決しに来て損したわ」
嘆息した霊夢さんに、妹紅さんが「おおい」と声を掛ける。
「天の邪鬼は逃げたみたいだが、どうするんだ?」
「ああ、あれはいいわよ、どうせただの小物だし。小槌を使えるのがこの小人だけだっていうなら、こいつが悪さしないように監視しとけばいいだけでしょ。今回の異変の原因は全部この小槌みたいだし」
「なるほど、それもそうだな」
妹紅さんは頭を掻き、「じゃ、そいつはお前に任せる。お疲れさん」と霊夢さんに手を振って、私たちのところへと飛んで来る。
「つうわけで、どうやら異変解決は終わりだな。ふたりとも、帰るか」
「あ、はい。……蓮子?」
「え? ああ、うん、そうね。監視は霊夢ちゃんに任せればいいでしょ」
頷いた私の前で、蓮子はしきりに帽子を弄りながら、上の空という様子でそう答えた。
「どうした? 何か気になることでもあるのか」
「いやあ、妹紅が気にすることじゃないわ。ちょっと個人的な問題。慧音さんには、しばらくすれば今の事態は落ち着くって伝えればいいわよね」
「そうか? まあ、そうだな。――じゃあ、慧音に怒られる前に帰るとするか」
そんなわけで、私たちは妹紅さんと、玄爺に乗って一足先に輝針城を後にした。
その帰り際。
「……蓮子、何を気にしてるの?」
私のその問いに、まだ帽子の庇を弄っていた蓮子は、視線だけで振り向いて小さく頷く。
「まあ、いろいろとあるんだけどね――」
そう答えて、蓮子は夜空を見上げて「二十二時十五分四十一秒」と呟き。
そして、何かを予言するように言った。
「――まだ、この異変は終わってないわよ」
第13章 輝針城編 一覧
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妹紅が霊夢と組んで異変解決とは…。なんて熱い展開なんだ。妹紅だけに。
まだ、異変は終わってない…か…。
ここからどうなっていくのか、
めっちゃ気になるぅw
裏切り展開からの共闘は熱いですね。捨て身上等のもこたんだからこそできたことですね。この異変も一筋縄ではいかないみたいで楽しみです。
蓮子って時間が分からなくなったはずじゃ。