―4―
野良妖怪が凶暴化しているから気を付けろ、とは言われていたが、里のど真ん中、寺子屋の離れの事務所で妖怪に襲われるのは、さすがの私たちであっても落ち度はないと思いたい。
謎の赤い糸で縛られて、畳の上に転がされた私たちを見下ろす、琵琶と琴を携えたふたりの少女。さすがに相棒ほど察しがよくない私でも、ふたりの話していた内容から、彼女たちが何者なのかは想像がつく。――私たちが探していた、琵琶と琴の付喪神化した姿だろう。
しかし、生まれたての付喪神はもっと元の器物に手足が生えたような原始的な妖怪の姿をしているものだが……。ここ二週間ぐらいで生まれたにしては、彼女たちの姿は人間に近すぎるように思う。
「あらら、調査の途中で襲われるなんて、ハードボイルドのお約束展開になってきたわね」
「なに呑気なこと言ってるのよ。なんか手土産にするとか言われてるけど」
「てことは今すぐ取って食われはしないってことでしょ。地底でヤマメちゃんに捕まったときよりは命の危機度は低いと思うわよ。付喪神は人間食べないと思うし」
縛られたまま危機感のないことを言う蓮子に、私は呆れてため息をつく。
で、私たちを見下ろした少女ふたりは、顔を見合わせて怪訝そうに眉を寄せる。
「……姉さん、なんかこいつら全然動じてないよ?」
「八橋にまだ妖怪としての貫禄が足りないんじゃないの」
「姉さんに言われたくないなあ。生まれたの一緒じゃない」
カチューシャをつけた琴の少女は不満げに口を尖らせ、長い髪を後ろでふたつに縛った琵琶の少女が私たちの前にしゃがみこむ。
「もしもし、人間さん。一応私たち妖怪で、あんたたち今妖怪に襲われてるんですけど」
「理解してますわ、琵琶と琴の付喪神さん。私は貴方たちを探してた探偵の宇佐見蓮子。こっちは相棒のメリーよ。そちらのお名前は?」
「……私は九十九弁々。こっちは妹の八橋」
「妹でーす。って、なんで自己紹介になるのよ。命の危機だって解ってるの?」
「私たちを殺して食べる気ならとっくにそうしているでしょう? こんな風に縛って捕まえるってことは、現状では殺す気がないってことだから安心ですわ」
いや、普通はそれは安心するところではないと思うが。やっぱり蓮子には恐怖とか危機感とかの感情が欠如しているように思えてならない。そんな相棒に毒されて、私まで危機感が薄れてしまっているのはどうしたものか。
ともかく、弁々さんと八橋さんというらしい付喪神の姉妹は、また顔を見合わせて首を捻る。
「そりゃあ、道具の私たちは人間食べるなんて野蛮なことはしないけど。この力の主はどうだか知らないよ?」
「そーそー、あんたたちはこれから私らの手土産として献上されるのよ。私と姉さんにこの力を与えてくれた誰だかに、きっとむしゃむしゃ食べられちゃうぞ」
誰だかって、なんだその曖昧な言い方は。
「……ははあ。マミゾウさんの言ってた妙な気配のことね。おふたりはそれで付喪神化して、自分たちを付喪神にしてくれた気配の出所に行こうとしてるわけね。あわよくばもっと強い力を手に入れるためってところかしら? その途中で私たちが貴方たちを探してうろちょろしてることに気付いて、自分たちの妖怪としての力試しのつもりで襲ってきたと」
相変わらず無駄に理解の早い相棒が、手早く状況をまとめてみせる。八橋さんはきょとんと目をしばたたかせ、弁々さんは怪訝そうに目を眇めて蓮子を見つめた。
「姉さん、なにこいつ、サトリ妖怪か何か?」
「ただの人間にしか見えないけどねえ」
「普通の人間ですわ」
「異常な人間でしょ」
思わず突っ込んだ私に、蓮子は愉しげに笑ってみせる。
「ところで弁々さん。貴方たち、その気配の源が何なのかまでは知らないようだし、今はそれを探してるってことでいいのかしら?」
「……まあ、勝手にそこまで察してくれてるなら話が早い。でも、あんたたちをこうして捕まえたのは、別に力試しなんかじゃないわ。力試しならもっと強そうな人間相手にするもの」
「あら、じゃあ私たちはなんで捕まっちゃったのかしら?」
「そんなの、今が下剋上の時代だからよ!」
八橋さんが胸を張って高らかにそう宣言する。
「私たち道具が人間に使われる時代は終わったの! これからは道具が人間を使う時代! 全てが逆さまになる下剋上の時代だってことを人間に知らしめてやるの!」
「そう。あんたたちはその手始め、最初の生贄ってこと。私たち道具が世界を支配する時代の最初の目撃者に選ばれたんだから、光栄に思いなさい」
「姉さんかっこいー! ひゅーひゅー」
「いまいち姉に対する敬意が感じられないわねえ。妹になるって言ったのあんたでしょ」
「姉だからって無条件で敬意を払われると思う方が甘い! むしろ姉さんは妹である私のことを無条件で甘やかす義務があると思いねえ! ほれほれ」
「あんたの姉妹イメージは偏ってるっての。別に甘やかしてあげてもいいけど、甘やかされたいなら姉に敬意を払いなさい。もっと妹らしく」
「ああっお姉様、八橋はお姉様のことをお慕い申し上げております」
「あんたには似合わない、やり直し」
「お姉ちゃん大好き! 愛してる! 結婚して!」
「腹黒そうに見える、却下」
「弁々の姐御、一生ついていきやす!」
「それは姉妹と違う」
「うーん、姉に愛される可愛い妹って難しいなあ」
「変なキャラ付けしないで、素直に姉を慕えばいいだけでしょ」
「それなら姉さんこそ素直に慕われる姉になってよ」
「素直に慕われる姉ってどんな?」
「そりゃ、可愛い妹を甘やかしてくれる姉!」
「甘やかされるに値する可愛い妹になりなさい」
「そのためには姉さんが慕われる姉になってくれないと」
謎の姉妹漫才からの堂々巡りである。というかこの九十九姉妹、この会話からして実の姉妹というわけではないらしい。いや、そもそも琵琶の付喪神と琴の付喪神が実の姉妹という方が意味がわからないか……と思ったけど、プリズムリバー三姉妹はどうなんだっけ?
詮無いことを考えていると、「とにかく」と弁々さんが私たちを見下ろした。
「そういうわけだから、大人しくしていることね」
「なるほど、理解しましたわ」
「わかればよろしい」
「弁々さんと八橋さんがたいへん仲良しだということは。どうぞもっとイチャイチャして」
「違う、そうじゃない」
弁々さんが額を押さえて突っ込む。相棒まで漫才に加わらないでほしい。
「イチャイチャだったら私たちも負けてられないわよ。メリー、私のことお姉ちゃんって呼んでいいわよ。さあさあ」
「いや、私まで漫才に巻き込まないでよ」
「あ、私がメリーのことお姉様って呼べばいい?」
「蓮子さん、タイが曲がっていてよ」
「八坂様がみてるわね」
「今は見てないと思うわよ」
あいにく、神奈子さんと連絡がとれる守矢神社の分社は、この事務所ではなく自宅の方にあるので助けも求められない。八雲藍さんは見てくれていないのだろうか? いや、私たちが妖怪に襲われていて藍さんが助けに来てくれたことなんてないか……。
「ホントに危機感ない人間だなあ」
八橋さんが呆れ顔で言う。うん、私もそう思う。
相棒は縛られた姿のまま、それに応えるようにちょっと真面目な顔をした。
「まあそんな冗談はさておくとして」
「いや、どこからどこまでが冗談?」弁々さんが目を眇める。
「ここからは本格的に真面目な話ですわ。おふたりは自分たちを付喪神にした謎の気配の主を探している。目的はそれで間違いないですわね?」
「まあね」
「でしたら、その気配の主捜しを、我が《秘封探偵事務所》に依頼しません?」
――蓮子のその言葉に、九十九姉妹はきょとんと顔を見合わせた。
―5―
「探偵事務所? 依頼? どゆこと?」
目をぱちくりさせる八橋さん。弁々さんも眉を寄せて蓮子を見下ろした。
「あんたたち、この気配の主を知ってるの?」
「いえ、あいにく今のところ存じ上げませんわ。しかし――」
と、蓮子は私の方に視線を向ける。
「そういう妙な気配というか、隠れているものを探知することにかけては無類の性能を発揮する高性能レーダーが、うちの事務所におりまして」
「だから人の目を結界探知レーダー扱いしない」
「信頼と実績があるじゃない」
「私が望んで作った実績じゃないんだけど」
「まあともかく、おふたりの探し物を手伝えるのではないかという提案ですわ。私たちをただ戦利品として抱えていくのも面倒でしょう? 私たちも今幻想郷で起きている事態に興味があるので、この気配の主のところまでご一緒させていただきたいのですけど」
蓮子の言葉に、九十九姉妹は再び顔を寄せ合う。
「姉さん、どう思う?」
「ただの言い逃れにしては言ってることがトンチキすぎるから、かえって真実っぽいね」
「でもこいつら、ホントに役に立つの? 全然強そうじゃないけど」
「まあ、どの程度役に立つかは使ってみないとわかんないにしても、私たち道具が人間を使ってやるいい機会じゃない?」
「わーお、確かに。下剋上だ下剋上だー」
どうやら話がまとまったらしい。ふたりが私たちに向き直り、手にしていた琵琶と琴を振った。次の瞬間、私たちを縛っていた赤い糸がするりとほどけ、弁々さんの琵琶と八橋さんの琴のところに戻っていく。赤い糸は琵琶と琴の弦となったかと思うと、八橋さんの手にしていた琴はそのまま彼女のスカートに同化して消えてしまった。後には黒いスカートの上に琴の弦のように張られた赤い糸だけが残る。どうやらそれが彼女の元々の姿らしい。
ともかく、ようやく自由の身になって私たちは起きあがり、大きく伸びをする。頬に畳の跡がついてしまった。やれやれ。
「解放していただけたということは、契約成立ということでよろしいのかしら?」
「言っておくけど、あんたたちが人質であることには変わりないから」
「承知しましたわ。では我ら《秘封探偵事務所》、九十九姉妹の道具として、幻想郷を覆う謎の気配の主捜しをお手伝いいたしましょう」
「わっほーい、道具が人間を使う時代の到来だー」
ご機嫌な八橋さんの傍らで、弁々さんは少しばかり釈然としないような顔をしている。察しのいいことだ。――結局、九十九姉妹は蓮子の好奇心に利用されただけである。このふたりの付喪神を発生させた謎の気配、その正体を追うという相棒の目的の。
道具は結局道具のままということは、言わぬが花というものだろう。
「で、今度は何ですかな」
「幻想郷を覆う謎の気配の発生源を追うわよ、玄爺」
「ああ、野良妖怪を調子づかせてるこれですかい。そこの付喪神二匹もそれですかね。まあ、何をどうしようと御主人様の自由ですがの、老骨を少しはいたわってくれませんかのう」
というわけで、寺子屋の庭の池から玄爺を引っ張り出し、その背中に乗って私たちは夕暮れ時の里上空に浮かび上がった。九十九姉妹が後ろからついてくる。
「ほらほら人間、早くこの力の源を見つけるのよ」
「まあまあニッキちゃん、そう急かさないで頂戴」
「ニッキ?」
「八ツ橋だから」
「姉さん、やっぱり私らこいつらに騙されてない?」
「まあまあ、逃がしはしないよ。せいぜい私たちの道具としてコキ使えばいい」
やれやれ、本当に道具に使われる人間になってしまった。ため息をつきつつ、私は里の上空から幻想郷をぐるりと見回す。ざっと見回した限りでは、いつもと変わらない幻想郷だ。何か不穏な結界のほつれの気配は見当たらないが。
「うーん、何もなさそうだけど……」
「そんなわけないじゃん。現に私らがこうして立派な付喪神になってるんだから。弱い妖怪ほど強い力を与える、その源泉がどっかにあるはずよ。もっとちゃんと探して!」
「力の源泉があるとして、その近くほど野良妖怪が凶暴化してるって可能性はありそうね」
蓮子が不穏なことを言う。それってつまり。
「……危険そうな場所ほどそれっぽいって意味?」
「ザッツライト」
「どうしてそうわざわざ危険な方に行きたがるのよ」
「大丈夫、大丈夫。地底も魔界も踏破した今の私たちにそうそう危険な場所なんてないわ」
そういう問題じゃないと思うが。しかし、言っても聞かないのが我が相棒である。
「幻想郷で危険そうな場所っていうと……」
「妖怪の山」
「あそこは天狗の領域でしょう? 力の影響を受ける野良妖怪はいないんじゃない」
「じゃあ、迷いの竹林」
「永遠亭の兎に襲われたら恐怖のモフモフ地獄ね」
そういえば、今泉影狼さんは大丈夫だろうか。人狼って妖怪としての知名度的には格が高そうだが、幻想郷的にはどの程度の格の妖怪なんだろう。竹林に身を潜めて暮らしているあたり、地位という意味では高くないのだろうけども。
力の弱い妖怪ほど影響を受けているとすれば、他にも私たちの知り合いで影響を受けていそうな妖怪の顔はいくつか思い浮かぶ。妖精や神様も含まれるならもっと増えるだろう。
「現実的には、魔法の森か、再思の道か、無縁塚ってあたりかしらねえ」
確かに、無縁塚あたりは特に危険度の高いとされている地域だ。野良妖怪も多かろう。どっちにしても行くとすれば幻想郷の西側、三途の川方面か。東には博麗神社があることだし。
しかし、つい先日も秦こころさんを連れて希望の面探しで幻想郷をあちこちうろついたばかりだというのに、どうしてまたこんなことになるのか。しかも今度は捜索対象が漠然としてよくわからないときた。まあ、探し物は探偵事務所の本分ではあろうが。
「とりあえず、魔法の森の方行ってみましょ」
「それはいいけど、魔理沙さんと出くわしたら説明が面倒じゃない?」
「あー、そうねえ。九十九姉妹が喧嘩売りそうだし」
「なによー、こそこそと」八橋さんが睨む。
「いやいやこっちの話。まあでもこれが何かの異変なら、そのうち霊夢ちゃんなり魔理沙ちゃんなりとぶつかるのはたぶん避けられないしねえ。とりあえず香霖堂とかアリスさんのところで情報収集してみましょ」
そんなわけで、目指すところはとりあえず、魔法の森ということになった。
はてさて、何が待ち構えているのやら……。
―6―
かくして、私たちは九十九姉妹を引き連れて魔法の森の方にやってきた。既に陽は暮れかけている。やはり調査に出るには時間が遅かった気がしてならない。
「香霖堂、付喪神のバーゲンセールになってないかしら」
「霖之助さんならそうなってもあんまり動じなさそうだけどね。メリー、何か見える?」
「別に何も……」
「ちょっと、ホントにこの人間役に立つんでしょうねー?」
八橋さんが不満顔。そう言われても、見つからないものは仕方ないではないか。特に異常が見当たらないのを私のせいにされても困る。
ため息をついて視線を地上に向けると、森の入口のあたりに人影が見えた。薄暗くてよく見えないが、森の近くで直立不動の姿勢をとっている。こんな時間に魔法の森の近くに立っているとは、少なくとも里の人間ではあるまいが……。
「ねえ蓮子、あそこに誰かいるけど」
「ん? あら、こんな時間にどちら様かしら。ちょっと行ってみましょ」
「ちょっと、凶暴化してる野良妖怪だったらどうするの?」
「大丈夫、いざとなったら九十九姉妹が守って……」
「別に守る義理はないわよねー、姉さん」
「そうだね」
「そんなー」
九十九姉妹の素っ気ない返事に、蓮子が大げさにがっくりと肩を落とす。
「……で、御主人様や、どうするんですかね」
「まあ、ちょっと近付いて様子見ましょ」
「承知」
というわけで玄爺が少し高度を下げ、森のそばの人影に近付く。
「……お地蔵様?」
「に、見えるわねえ。笠かぶってるし」
見えてきた人影は、どう見ても笠をかぶったお地蔵様だった。しかし、道祖神の類いにしては場所が変だし、そもそも道ばたのお地蔵様にしては大きすぎる。成人サイズのお地蔵様が突然道ばたに立っていたら怖すぎるだろう。
と、その巨大お地蔵様が私たちに気付いたか、ぐるりとこちらを振り向いた。わ、動いた。というかお地蔵様じゃなくて、お地蔵様の格好をした妖怪だろう。
「お地蔵様の付喪神かしら?」
「それっぽいわね。どうします? 付喪神同士、声かけてみますかしら?」
蓮子が九十九姉妹に尋ね、姉妹が顔を見合わせる。その返事を待たず、私たちを見上げたお地蔵様の方が「……誰?」と声をあげた。
呼ばれたからには、挨拶した方がよかろう。見る限り、凶暴化して見境なく襲ってくるような様子もなさそうだし……。私たちは九十九姉妹を伴って、お地蔵様の前に降り立った。
長い黒髪を二本の三つ編みにして、編み笠を被った少女だった。灰色のワンピースに、よだれかけのような赤いストール。縁起のよさそうな福耳がチャームポイントの、まるっきりお地蔵様をそのまま擬人化したような少女である。
「こんばんは。お地蔵様かしら?」
「……人間? そっちこそ亀に乗った人間なんて、浦島太郎か何かかしら」
「あいにく、玉手箱は持ってないですわ。私は宇佐見蓮子、こっちは相棒のメリー、里の人間よ。この亀は玄爺。後ろについてきてるのは楽器の付喪神の九十九姉妹。貴方は?」
蓮子がそうまくし立てて、猫のような笑みを浮かべて覗きこむと、少女はうっとたじろいだように後ろに下がった。
「人間が、亀に乗って付喪神連れて、こんな時間にこんなところに何の用なの……? 危ないわよ、このところ野良妖怪があちこちで暴れてるんだから」
「ええ、私たちはその原因を探りに来てるんだけど」
「……異変を解決しに行くの? 魔理沙みたいに?」
おっと、お地蔵様少女の口から思わぬ名前が出てきた。
「あら、魔理沙ちゃんのお知り合い?」
「え、そっちこそ魔理沙の知り合いなの?」
「お友達ですわ。魔理沙ちゃんにお地蔵様のお友達がいたとは知らなかったけど」
「……矢田寺成美。魔理沙は成子って呼ぶけど。こっちこそ、亀に乗って付喪神を連れた人間の友達が魔理沙にいるなんて知らなかった」
「付喪神を連れてるというか、付喪神に連れられてるというか、これは突発的事象だから無視してほしいんだけど。成美ちゃんはこんなところで何してるの?」
「こんなところって、私も魔法の森の住人だから」
「あら、これは失礼」
「ねーちょっと、自己紹介はもういいでしょー?」
背後で八橋さんが口を尖らせてブーイング。弁々さんが「八橋は聞き込みに向いてないね」と落ち着いた声で言い、「なにさー」と八橋さんが唸る。
「ねえ、お地蔵さん、貴方も解ってるでしょう? 今幻想郷に満ちている力を。私たちはそれで付喪神になって、道具が人間を支配する下剋上の世界を目指しているの。貴方も乗らない?」
「ええ?」
弁々さんに突然そう言われ、成美さんは眼をぱちくりさせる。
「下剋上って……私は別に、人間に恨みはないし。魔理沙の敵にはなりたくないし」
「軟弱者ー! それでも付喪神かー!」と八橋さん。
「付喪神じゃないもん。私は魔法使い!」
頬を膨らませる成美さん。え、魔法使い? お地蔵様が?
お地蔵様が魔法使いとは、あまりにも意表を突いた組み合わせである。まあでも、魔力が充満しているという魔法の森のお地蔵様なら、魔法使いになることもあり得る……のか?
「あら、てことは魔理沙ちゃんのお弟子さんか何か?」
「別にそんな大したものじゃなくて……魔理沙にはいろいろお世話になってるから、ときどき恩返ししてるの。この笠くれたのも魔理沙だし」
それって、そのまんま笠地蔵ではないか。魔理沙さんに、お地蔵さんに笠を被せて回るような優しさがあったとは意外……と言ったら怒られそうだ。いや、あれで魔理沙さん、わりと面倒見のいいところがあるから、年若い妖怪には慕われるのかも。ルーミアちゃんも懐いているし……そういえばルーミアちゃんは今のこの状況、大丈夫なのだろうか? まさか魔理沙さんが、凶暴化したルーミアちゃんに食べられるなんてことは無いにしても。
「……とにかく、私は下剋上とか興味ないから。今のこの謎の魔力、身体がざわざわするから、むしろ早く収まってほしいんだけど。野良妖怪みたいに見境無く暴れる暴れ地蔵にはなりたくないもん」
むすっと頬を膨らませて、成美さんは西の空を見上げた。
「……魔力? 今、幻想郷で野良妖怪を凶暴化させたり付喪神を発生させたりしているのは、何かの魔力ってことでいいのかしら?」
「そう。変な魔力が、西の空から漏れてきてるの。魔理沙に知らせようか考えてたところ。魔理沙ならもうとっくに気付いてておかしくないんだけど、動く様子がなくて……。だんだん魔力が強くなってきてるし、何か起こりそうなんだけど」
思案げに小首を傾げる成美さん。福耳が揺れる。あ、ちゃんと柔らかいんだ、その耳。
「メリー、西の空、何か見える?」
「……特に何も見えないけど」
「やっぱり人間なんて役立たずじゃない! 姉さん、私たちで西の空に行ってみようよ!」
「まあ、待ちなさいって。急いては事をし損じるよ」
前のめりになる八橋さんの肩を、弁々さんが掴んで止める。
「魔力がだんだん強くなってきてるっていうなら、もう少し待てば何かはっきりするんじゃないの。果報は寝て待てと言うでしょう」
「姉さんは慎重すぎるのよー。善は急げよ!」
「急がば回れ、犬も歩けば棒に当たる。一寸先は闇」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず! 百聞は一見にしかず! 姉さんが止めても私は行く!」
「あ、待ちなさいってば」
弁々さんを振り払って、八橋さんは西の空へ向かって飛んでいってしまう。弁々さんも、ああもう、と言いながらその後を追っていく。まあ、それはいいんだけど。
――置いて行かれた道具が、ここに約二名。
「…………」
「…………」
「……ねえ蓮子、九十九姉妹、行っちゃったわね」
「行っちゃったわねえ」
「どうするの?」
「追いかける?」
「やめといた方がいいと思うけど。なんか嫌な感じだし……」口を挟むのは成美さん。
「どゆこと? 成美ちゃん」
「そういう感じがするってだけだから、それ以上説明は無理。やっぱり魔理沙に相談しよう」
成美さんもそう言い残して、「ばいばい」と手を振って森の中へ消えていく。
あとには、玄爺に乗った私たちだけが残されて。
「……で、どうしますかね、御主人様」
「…………」
「…………」
「……そろそろ帰らないと、慧音さんに怒られそうだけど。蓮子、追う?」
「……メリーの目に何も見えないんじゃ、闇雲に突撃してもねえ。帰りますか」
「あら、蓮子にしては珍しく慎重ね」
「他人の後追いは性に合わないわ。一旦作戦を練り直しましょ」
要するに、九十九姉妹に先行されてしまって毒気を抜かれたということらしい。肩を竦める蓮子に、私はただ呆れて息を吐くしかなかった。
まあ、付喪神の道具にされて、役に立たず捨て置かれるというのは、道具の下剋上の時代には相応しい扱いだったのかもしれないが。
野良妖怪が凶暴化しているから気を付けろ、とは言われていたが、里のど真ん中、寺子屋の離れの事務所で妖怪に襲われるのは、さすがの私たちであっても落ち度はないと思いたい。
謎の赤い糸で縛られて、畳の上に転がされた私たちを見下ろす、琵琶と琴を携えたふたりの少女。さすがに相棒ほど察しがよくない私でも、ふたりの話していた内容から、彼女たちが何者なのかは想像がつく。――私たちが探していた、琵琶と琴の付喪神化した姿だろう。
しかし、生まれたての付喪神はもっと元の器物に手足が生えたような原始的な妖怪の姿をしているものだが……。ここ二週間ぐらいで生まれたにしては、彼女たちの姿は人間に近すぎるように思う。
「あらら、調査の途中で襲われるなんて、ハードボイルドのお約束展開になってきたわね」
「なに呑気なこと言ってるのよ。なんか手土産にするとか言われてるけど」
「てことは今すぐ取って食われはしないってことでしょ。地底でヤマメちゃんに捕まったときよりは命の危機度は低いと思うわよ。付喪神は人間食べないと思うし」
縛られたまま危機感のないことを言う蓮子に、私は呆れてため息をつく。
で、私たちを見下ろした少女ふたりは、顔を見合わせて怪訝そうに眉を寄せる。
「……姉さん、なんかこいつら全然動じてないよ?」
「八橋にまだ妖怪としての貫禄が足りないんじゃないの」
「姉さんに言われたくないなあ。生まれたの一緒じゃない」
カチューシャをつけた琴の少女は不満げに口を尖らせ、長い髪を後ろでふたつに縛った琵琶の少女が私たちの前にしゃがみこむ。
「もしもし、人間さん。一応私たち妖怪で、あんたたち今妖怪に襲われてるんですけど」
「理解してますわ、琵琶と琴の付喪神さん。私は貴方たちを探してた探偵の宇佐見蓮子。こっちは相棒のメリーよ。そちらのお名前は?」
「……私は九十九弁々。こっちは妹の八橋」
「妹でーす。って、なんで自己紹介になるのよ。命の危機だって解ってるの?」
「私たちを殺して食べる気ならとっくにそうしているでしょう? こんな風に縛って捕まえるってことは、現状では殺す気がないってことだから安心ですわ」
いや、普通はそれは安心するところではないと思うが。やっぱり蓮子には恐怖とか危機感とかの感情が欠如しているように思えてならない。そんな相棒に毒されて、私まで危機感が薄れてしまっているのはどうしたものか。
ともかく、弁々さんと八橋さんというらしい付喪神の姉妹は、また顔を見合わせて首を捻る。
「そりゃあ、道具の私たちは人間食べるなんて野蛮なことはしないけど。この力の主はどうだか知らないよ?」
「そーそー、あんたたちはこれから私らの手土産として献上されるのよ。私と姉さんにこの力を与えてくれた誰だかに、きっとむしゃむしゃ食べられちゃうぞ」
誰だかって、なんだその曖昧な言い方は。
「……ははあ。マミゾウさんの言ってた妙な気配のことね。おふたりはそれで付喪神化して、自分たちを付喪神にしてくれた気配の出所に行こうとしてるわけね。あわよくばもっと強い力を手に入れるためってところかしら? その途中で私たちが貴方たちを探してうろちょろしてることに気付いて、自分たちの妖怪としての力試しのつもりで襲ってきたと」
相変わらず無駄に理解の早い相棒が、手早く状況をまとめてみせる。八橋さんはきょとんと目をしばたたかせ、弁々さんは怪訝そうに目を眇めて蓮子を見つめた。
「姉さん、なにこいつ、サトリ妖怪か何か?」
「ただの人間にしか見えないけどねえ」
「普通の人間ですわ」
「異常な人間でしょ」
思わず突っ込んだ私に、蓮子は愉しげに笑ってみせる。
「ところで弁々さん。貴方たち、その気配の源が何なのかまでは知らないようだし、今はそれを探してるってことでいいのかしら?」
「……まあ、勝手にそこまで察してくれてるなら話が早い。でも、あんたたちをこうして捕まえたのは、別に力試しなんかじゃないわ。力試しならもっと強そうな人間相手にするもの」
「あら、じゃあ私たちはなんで捕まっちゃったのかしら?」
「そんなの、今が下剋上の時代だからよ!」
八橋さんが胸を張って高らかにそう宣言する。
「私たち道具が人間に使われる時代は終わったの! これからは道具が人間を使う時代! 全てが逆さまになる下剋上の時代だってことを人間に知らしめてやるの!」
「そう。あんたたちはその手始め、最初の生贄ってこと。私たち道具が世界を支配する時代の最初の目撃者に選ばれたんだから、光栄に思いなさい」
「姉さんかっこいー! ひゅーひゅー」
「いまいち姉に対する敬意が感じられないわねえ。妹になるって言ったのあんたでしょ」
「姉だからって無条件で敬意を払われると思う方が甘い! むしろ姉さんは妹である私のことを無条件で甘やかす義務があると思いねえ! ほれほれ」
「あんたの姉妹イメージは偏ってるっての。別に甘やかしてあげてもいいけど、甘やかされたいなら姉に敬意を払いなさい。もっと妹らしく」
「ああっお姉様、八橋はお姉様のことをお慕い申し上げております」
「あんたには似合わない、やり直し」
「お姉ちゃん大好き! 愛してる! 結婚して!」
「腹黒そうに見える、却下」
「弁々の姐御、一生ついていきやす!」
「それは姉妹と違う」
「うーん、姉に愛される可愛い妹って難しいなあ」
「変なキャラ付けしないで、素直に姉を慕えばいいだけでしょ」
「それなら姉さんこそ素直に慕われる姉になってよ」
「素直に慕われる姉ってどんな?」
「そりゃ、可愛い妹を甘やかしてくれる姉!」
「甘やかされるに値する可愛い妹になりなさい」
「そのためには姉さんが慕われる姉になってくれないと」
謎の姉妹漫才からの堂々巡りである。というかこの九十九姉妹、この会話からして実の姉妹というわけではないらしい。いや、そもそも琵琶の付喪神と琴の付喪神が実の姉妹という方が意味がわからないか……と思ったけど、プリズムリバー三姉妹はどうなんだっけ?
詮無いことを考えていると、「とにかく」と弁々さんが私たちを見下ろした。
「そういうわけだから、大人しくしていることね」
「なるほど、理解しましたわ」
「わかればよろしい」
「弁々さんと八橋さんがたいへん仲良しだということは。どうぞもっとイチャイチャして」
「違う、そうじゃない」
弁々さんが額を押さえて突っ込む。相棒まで漫才に加わらないでほしい。
「イチャイチャだったら私たちも負けてられないわよ。メリー、私のことお姉ちゃんって呼んでいいわよ。さあさあ」
「いや、私まで漫才に巻き込まないでよ」
「あ、私がメリーのことお姉様って呼べばいい?」
「蓮子さん、タイが曲がっていてよ」
「八坂様がみてるわね」
「今は見てないと思うわよ」
あいにく、神奈子さんと連絡がとれる守矢神社の分社は、この事務所ではなく自宅の方にあるので助けも求められない。八雲藍さんは見てくれていないのだろうか? いや、私たちが妖怪に襲われていて藍さんが助けに来てくれたことなんてないか……。
「ホントに危機感ない人間だなあ」
八橋さんが呆れ顔で言う。うん、私もそう思う。
相棒は縛られた姿のまま、それに応えるようにちょっと真面目な顔をした。
「まあそんな冗談はさておくとして」
「いや、どこからどこまでが冗談?」弁々さんが目を眇める。
「ここからは本格的に真面目な話ですわ。おふたりは自分たちを付喪神にした謎の気配の主を探している。目的はそれで間違いないですわね?」
「まあね」
「でしたら、その気配の主捜しを、我が《秘封探偵事務所》に依頼しません?」
――蓮子のその言葉に、九十九姉妹はきょとんと顔を見合わせた。
―5―
「探偵事務所? 依頼? どゆこと?」
目をぱちくりさせる八橋さん。弁々さんも眉を寄せて蓮子を見下ろした。
「あんたたち、この気配の主を知ってるの?」
「いえ、あいにく今のところ存じ上げませんわ。しかし――」
と、蓮子は私の方に視線を向ける。
「そういう妙な気配というか、隠れているものを探知することにかけては無類の性能を発揮する高性能レーダーが、うちの事務所におりまして」
「だから人の目を結界探知レーダー扱いしない」
「信頼と実績があるじゃない」
「私が望んで作った実績じゃないんだけど」
「まあともかく、おふたりの探し物を手伝えるのではないかという提案ですわ。私たちをただ戦利品として抱えていくのも面倒でしょう? 私たちも今幻想郷で起きている事態に興味があるので、この気配の主のところまでご一緒させていただきたいのですけど」
蓮子の言葉に、九十九姉妹は再び顔を寄せ合う。
「姉さん、どう思う?」
「ただの言い逃れにしては言ってることがトンチキすぎるから、かえって真実っぽいね」
「でもこいつら、ホントに役に立つの? 全然強そうじゃないけど」
「まあ、どの程度役に立つかは使ってみないとわかんないにしても、私たち道具が人間を使ってやるいい機会じゃない?」
「わーお、確かに。下剋上だ下剋上だー」
どうやら話がまとまったらしい。ふたりが私たちに向き直り、手にしていた琵琶と琴を振った。次の瞬間、私たちを縛っていた赤い糸がするりとほどけ、弁々さんの琵琶と八橋さんの琴のところに戻っていく。赤い糸は琵琶と琴の弦となったかと思うと、八橋さんの手にしていた琴はそのまま彼女のスカートに同化して消えてしまった。後には黒いスカートの上に琴の弦のように張られた赤い糸だけが残る。どうやらそれが彼女の元々の姿らしい。
ともかく、ようやく自由の身になって私たちは起きあがり、大きく伸びをする。頬に畳の跡がついてしまった。やれやれ。
「解放していただけたということは、契約成立ということでよろしいのかしら?」
「言っておくけど、あんたたちが人質であることには変わりないから」
「承知しましたわ。では我ら《秘封探偵事務所》、九十九姉妹の道具として、幻想郷を覆う謎の気配の主捜しをお手伝いいたしましょう」
「わっほーい、道具が人間を使う時代の到来だー」
ご機嫌な八橋さんの傍らで、弁々さんは少しばかり釈然としないような顔をしている。察しのいいことだ。――結局、九十九姉妹は蓮子の好奇心に利用されただけである。このふたりの付喪神を発生させた謎の気配、その正体を追うという相棒の目的の。
道具は結局道具のままということは、言わぬが花というものだろう。
「で、今度は何ですかな」
「幻想郷を覆う謎の気配の発生源を追うわよ、玄爺」
「ああ、野良妖怪を調子づかせてるこれですかい。そこの付喪神二匹もそれですかね。まあ、何をどうしようと御主人様の自由ですがの、老骨を少しはいたわってくれませんかのう」
というわけで、寺子屋の庭の池から玄爺を引っ張り出し、その背中に乗って私たちは夕暮れ時の里上空に浮かび上がった。九十九姉妹が後ろからついてくる。
「ほらほら人間、早くこの力の源を見つけるのよ」
「まあまあニッキちゃん、そう急かさないで頂戴」
「ニッキ?」
「八ツ橋だから」
「姉さん、やっぱり私らこいつらに騙されてない?」
「まあまあ、逃がしはしないよ。せいぜい私たちの道具としてコキ使えばいい」
やれやれ、本当に道具に使われる人間になってしまった。ため息をつきつつ、私は里の上空から幻想郷をぐるりと見回す。ざっと見回した限りでは、いつもと変わらない幻想郷だ。何か不穏な結界のほつれの気配は見当たらないが。
「うーん、何もなさそうだけど……」
「そんなわけないじゃん。現に私らがこうして立派な付喪神になってるんだから。弱い妖怪ほど強い力を与える、その源泉がどっかにあるはずよ。もっとちゃんと探して!」
「力の源泉があるとして、その近くほど野良妖怪が凶暴化してるって可能性はありそうね」
蓮子が不穏なことを言う。それってつまり。
「……危険そうな場所ほどそれっぽいって意味?」
「ザッツライト」
「どうしてそうわざわざ危険な方に行きたがるのよ」
「大丈夫、大丈夫。地底も魔界も踏破した今の私たちにそうそう危険な場所なんてないわ」
そういう問題じゃないと思うが。しかし、言っても聞かないのが我が相棒である。
「幻想郷で危険そうな場所っていうと……」
「妖怪の山」
「あそこは天狗の領域でしょう? 力の影響を受ける野良妖怪はいないんじゃない」
「じゃあ、迷いの竹林」
「永遠亭の兎に襲われたら恐怖のモフモフ地獄ね」
そういえば、今泉影狼さんは大丈夫だろうか。人狼って妖怪としての知名度的には格が高そうだが、幻想郷的にはどの程度の格の妖怪なんだろう。竹林に身を潜めて暮らしているあたり、地位という意味では高くないのだろうけども。
力の弱い妖怪ほど影響を受けているとすれば、他にも私たちの知り合いで影響を受けていそうな妖怪の顔はいくつか思い浮かぶ。妖精や神様も含まれるならもっと増えるだろう。
「現実的には、魔法の森か、再思の道か、無縁塚ってあたりかしらねえ」
確かに、無縁塚あたりは特に危険度の高いとされている地域だ。野良妖怪も多かろう。どっちにしても行くとすれば幻想郷の西側、三途の川方面か。東には博麗神社があることだし。
しかし、つい先日も秦こころさんを連れて希望の面探しで幻想郷をあちこちうろついたばかりだというのに、どうしてまたこんなことになるのか。しかも今度は捜索対象が漠然としてよくわからないときた。まあ、探し物は探偵事務所の本分ではあろうが。
「とりあえず、魔法の森の方行ってみましょ」
「それはいいけど、魔理沙さんと出くわしたら説明が面倒じゃない?」
「あー、そうねえ。九十九姉妹が喧嘩売りそうだし」
「なによー、こそこそと」八橋さんが睨む。
「いやいやこっちの話。まあでもこれが何かの異変なら、そのうち霊夢ちゃんなり魔理沙ちゃんなりとぶつかるのはたぶん避けられないしねえ。とりあえず香霖堂とかアリスさんのところで情報収集してみましょ」
そんなわけで、目指すところはとりあえず、魔法の森ということになった。
はてさて、何が待ち構えているのやら……。
―6―
かくして、私たちは九十九姉妹を引き連れて魔法の森の方にやってきた。既に陽は暮れかけている。やはり調査に出るには時間が遅かった気がしてならない。
「香霖堂、付喪神のバーゲンセールになってないかしら」
「霖之助さんならそうなってもあんまり動じなさそうだけどね。メリー、何か見える?」
「別に何も……」
「ちょっと、ホントにこの人間役に立つんでしょうねー?」
八橋さんが不満顔。そう言われても、見つからないものは仕方ないではないか。特に異常が見当たらないのを私のせいにされても困る。
ため息をついて視線を地上に向けると、森の入口のあたりに人影が見えた。薄暗くてよく見えないが、森の近くで直立不動の姿勢をとっている。こんな時間に魔法の森の近くに立っているとは、少なくとも里の人間ではあるまいが……。
「ねえ蓮子、あそこに誰かいるけど」
「ん? あら、こんな時間にどちら様かしら。ちょっと行ってみましょ」
「ちょっと、凶暴化してる野良妖怪だったらどうするの?」
「大丈夫、いざとなったら九十九姉妹が守って……」
「別に守る義理はないわよねー、姉さん」
「そうだね」
「そんなー」
九十九姉妹の素っ気ない返事に、蓮子が大げさにがっくりと肩を落とす。
「……で、御主人様や、どうするんですかね」
「まあ、ちょっと近付いて様子見ましょ」
「承知」
というわけで玄爺が少し高度を下げ、森のそばの人影に近付く。
「……お地蔵様?」
「に、見えるわねえ。笠かぶってるし」
見えてきた人影は、どう見ても笠をかぶったお地蔵様だった。しかし、道祖神の類いにしては場所が変だし、そもそも道ばたのお地蔵様にしては大きすぎる。成人サイズのお地蔵様が突然道ばたに立っていたら怖すぎるだろう。
と、その巨大お地蔵様が私たちに気付いたか、ぐるりとこちらを振り向いた。わ、動いた。というかお地蔵様じゃなくて、お地蔵様の格好をした妖怪だろう。
「お地蔵様の付喪神かしら?」
「それっぽいわね。どうします? 付喪神同士、声かけてみますかしら?」
蓮子が九十九姉妹に尋ね、姉妹が顔を見合わせる。その返事を待たず、私たちを見上げたお地蔵様の方が「……誰?」と声をあげた。
呼ばれたからには、挨拶した方がよかろう。見る限り、凶暴化して見境なく襲ってくるような様子もなさそうだし……。私たちは九十九姉妹を伴って、お地蔵様の前に降り立った。
長い黒髪を二本の三つ編みにして、編み笠を被った少女だった。灰色のワンピースに、よだれかけのような赤いストール。縁起のよさそうな福耳がチャームポイントの、まるっきりお地蔵様をそのまま擬人化したような少女である。
「こんばんは。お地蔵様かしら?」
「……人間? そっちこそ亀に乗った人間なんて、浦島太郎か何かかしら」
「あいにく、玉手箱は持ってないですわ。私は宇佐見蓮子、こっちは相棒のメリー、里の人間よ。この亀は玄爺。後ろについてきてるのは楽器の付喪神の九十九姉妹。貴方は?」
蓮子がそうまくし立てて、猫のような笑みを浮かべて覗きこむと、少女はうっとたじろいだように後ろに下がった。
「人間が、亀に乗って付喪神連れて、こんな時間にこんなところに何の用なの……? 危ないわよ、このところ野良妖怪があちこちで暴れてるんだから」
「ええ、私たちはその原因を探りに来てるんだけど」
「……異変を解決しに行くの? 魔理沙みたいに?」
おっと、お地蔵様少女の口から思わぬ名前が出てきた。
「あら、魔理沙ちゃんのお知り合い?」
「え、そっちこそ魔理沙の知り合いなの?」
「お友達ですわ。魔理沙ちゃんにお地蔵様のお友達がいたとは知らなかったけど」
「……矢田寺成美。魔理沙は成子って呼ぶけど。こっちこそ、亀に乗って付喪神を連れた人間の友達が魔理沙にいるなんて知らなかった」
「付喪神を連れてるというか、付喪神に連れられてるというか、これは突発的事象だから無視してほしいんだけど。成美ちゃんはこんなところで何してるの?」
「こんなところって、私も魔法の森の住人だから」
「あら、これは失礼」
「ねーちょっと、自己紹介はもういいでしょー?」
背後で八橋さんが口を尖らせてブーイング。弁々さんが「八橋は聞き込みに向いてないね」と落ち着いた声で言い、「なにさー」と八橋さんが唸る。
「ねえ、お地蔵さん、貴方も解ってるでしょう? 今幻想郷に満ちている力を。私たちはそれで付喪神になって、道具が人間を支配する下剋上の世界を目指しているの。貴方も乗らない?」
「ええ?」
弁々さんに突然そう言われ、成美さんは眼をぱちくりさせる。
「下剋上って……私は別に、人間に恨みはないし。魔理沙の敵にはなりたくないし」
「軟弱者ー! それでも付喪神かー!」と八橋さん。
「付喪神じゃないもん。私は魔法使い!」
頬を膨らませる成美さん。え、魔法使い? お地蔵様が?
お地蔵様が魔法使いとは、あまりにも意表を突いた組み合わせである。まあでも、魔力が充満しているという魔法の森のお地蔵様なら、魔法使いになることもあり得る……のか?
「あら、てことは魔理沙ちゃんのお弟子さんか何か?」
「別にそんな大したものじゃなくて……魔理沙にはいろいろお世話になってるから、ときどき恩返ししてるの。この笠くれたのも魔理沙だし」
それって、そのまんま笠地蔵ではないか。魔理沙さんに、お地蔵さんに笠を被せて回るような優しさがあったとは意外……と言ったら怒られそうだ。いや、あれで魔理沙さん、わりと面倒見のいいところがあるから、年若い妖怪には慕われるのかも。ルーミアちゃんも懐いているし……そういえばルーミアちゃんは今のこの状況、大丈夫なのだろうか? まさか魔理沙さんが、凶暴化したルーミアちゃんに食べられるなんてことは無いにしても。
「……とにかく、私は下剋上とか興味ないから。今のこの謎の魔力、身体がざわざわするから、むしろ早く収まってほしいんだけど。野良妖怪みたいに見境無く暴れる暴れ地蔵にはなりたくないもん」
むすっと頬を膨らませて、成美さんは西の空を見上げた。
「……魔力? 今、幻想郷で野良妖怪を凶暴化させたり付喪神を発生させたりしているのは、何かの魔力ってことでいいのかしら?」
「そう。変な魔力が、西の空から漏れてきてるの。魔理沙に知らせようか考えてたところ。魔理沙ならもうとっくに気付いてておかしくないんだけど、動く様子がなくて……。だんだん魔力が強くなってきてるし、何か起こりそうなんだけど」
思案げに小首を傾げる成美さん。福耳が揺れる。あ、ちゃんと柔らかいんだ、その耳。
「メリー、西の空、何か見える?」
「……特に何も見えないけど」
「やっぱり人間なんて役立たずじゃない! 姉さん、私たちで西の空に行ってみようよ!」
「まあ、待ちなさいって。急いては事をし損じるよ」
前のめりになる八橋さんの肩を、弁々さんが掴んで止める。
「魔力がだんだん強くなってきてるっていうなら、もう少し待てば何かはっきりするんじゃないの。果報は寝て待てと言うでしょう」
「姉さんは慎重すぎるのよー。善は急げよ!」
「急がば回れ、犬も歩けば棒に当たる。一寸先は闇」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず! 百聞は一見にしかず! 姉さんが止めても私は行く!」
「あ、待ちなさいってば」
弁々さんを振り払って、八橋さんは西の空へ向かって飛んでいってしまう。弁々さんも、ああもう、と言いながらその後を追っていく。まあ、それはいいんだけど。
――置いて行かれた道具が、ここに約二名。
「…………」
「…………」
「……ねえ蓮子、九十九姉妹、行っちゃったわね」
「行っちゃったわねえ」
「どうするの?」
「追いかける?」
「やめといた方がいいと思うけど。なんか嫌な感じだし……」口を挟むのは成美さん。
「どゆこと? 成美ちゃん」
「そういう感じがするってだけだから、それ以上説明は無理。やっぱり魔理沙に相談しよう」
成美さんもそう言い残して、「ばいばい」と手を振って森の中へ消えていく。
あとには、玄爺に乗った私たちだけが残されて。
「……で、どうしますかね、御主人様」
「…………」
「…………」
「……そろそろ帰らないと、慧音さんに怒られそうだけど。蓮子、追う?」
「……メリーの目に何も見えないんじゃ、闇雲に突撃してもねえ。帰りますか」
「あら、蓮子にしては珍しく慎重ね」
「他人の後追いは性に合わないわ。一旦作戦を練り直しましょ」
要するに、九十九姉妹に先行されてしまって毒気を抜かれたということらしい。肩を竦める蓮子に、私はただ呆れて息を吐くしかなかった。
まあ、付喪神の道具にされて、役に立たず捨て置かれるというのは、道具の下剋上の時代には相応しい扱いだったのかもしれないが。
第13章 輝針城編 一覧
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お待ちしてました!
ここで成子登場は歓喜!魔理沙は「四季」より前に知ってた云々があったから、出てもおかしくないけど、登場してくれたのは嬉しい!九十九姉妹もいい味のキャラ立ちしてるなあ。次辺りで影狼(暴)とか登場かな?
少し遅れてしまった! 楽しみです!自分の仮説だとメリーと紫は同一人物説だと思うのですが他の人の仮説も聞かせてください!!
九 十 九 姉 妹 可 愛 す ぎ て 俺 の 五 線 譜 が べ ん べ ん 日 記
慧音先生への報告どうするんでしょうかね。素直に話すとは考えにくいし…。
まさかの成美登場で嬉しいです。暴れたら手がつけなくなりそう。ペットが。
お疲れ様です。いつもありがとうございます。
矢田寺さん出てきた時「ん?あれ?」ってなりましたw
もしかして天空璋異変はこの輝針城異変にあやかった所もあるのでしょうか…?
2コメの方へ。あくまで浅木原さんの他作品も読んだ上での推測にはなりますが、おそらく二人と紫の面識のあるなしがヒントではないかと。タイムトラベルとか並行世界ものの定番的な意味で。