―31―
「また出遅れましたー!」
後日。毎度のごとく唐突に事務所にやってきた早苗さんは、そう叫んで嘆いた。
「どうどう。どうしたの? 早苗ちゃん」
「この前会った、ドラムマニアさんですよ! 彼女が何か悪巧みしてたらしくて、ゆうべ霊夢さんたちが退治してきたんだそうです! あーもう、これじゃ妖怪退治の信仰が手に入りませんよー! もー!」
地団駄を踏む早苗さんに、私たちは顔を見合わせる。――雷鼓さんが悪巧み?
そういえば、九十九姉妹がどうなったかも結局まだ情報がないけれど……。
「早苗ちゃん、その話もうちょっと詳しく」
「いや、私も別に詳しく聞いたわけでは」
「あらそう? じゃあ、霊夢ちゃんのところに聞きに行きますか」
「ええー。私今博麗神社行ってきたばっかりなんですけどー」
「別にお留守番しててくれてもいいけど?」
「うー、行きます行きます」
そういうことになった。
というわけで、またまた博麗神社。境内には、今日は魔理沙さんの姿もあった。例によって縁側で茶をしばいていた霊夢さんがこちらに気付いて顔を上げ、魔理沙さんも振り向いて笑う。
「やっほー、おふたりとも」
「おう、蓮子。なんだ早苗、お前こいつら呼びに行ってたのか?」
「いや、私たちの方が用があってね。ちょうどいいからふたりに聞きたいんだけど」
帽子の庇を弄りながら言う蓮子に、霊夢さんと魔理沙さんは顔を見合わせる。
「昨日の件? あんたたちに話すことなんかないわよ」
「早苗から聞いてきたのか。あいつ、生まれたての付喪神にしちゃやけに強かったよな」
「雷鼓さんでしょ? 彼女、何したの?」
蓮子のその問いに、霊夢さんが大げさにため息をつく。
「早苗がなんであの付喪神のこと知ってるのかと思ったら、やっぱりあんたたちなの?」
「ま、そんなこったろうと思ったぜ。お前らあのドラムと何企んでたんだ?」
「いやいや、私たちは無関係よ。ふたりとも、九十九姉妹覚えてる? 琵琶と琴の」
「誰?」
「あー? ああ、あの二人組か。ほら、あいつらだよ、プリズムリバーから一人減ったような」
「どうでもいいわよ、そんな雑魚妖怪」
相変わらず霊夢さんはひどい。魔理沙さんは肩を竦める。
「あいつらがどうかしたのか?」
「彼女たちが、小槌の魔力が回収される影響で消滅の危機に瀕してね。救う方法を探してたら雷鼓さんと出会って、彼女にふたりを預けたのよ」
「あー、そういやあのドラム、そんなこと言ってたな。付喪神に小槌の魔力から解放される方法を教えて回ったとか。それであの琵琶と琴も近くにいたわけか」
――ということは、どうやら九十九姉妹は無事らしい。まあ、霊夢さんや魔理沙さんに蹴散らされはしたのだろうけど。
「で、雷鼓さんは何をしたの?」
「何をしたってーか、あいつが付喪神どもから抜き取った小槌の魔力で、でかい魔力嵐が起こってたんだよ。あの逆さ城の周囲を取り囲んでたような。そいつを調べに行ったらあのドラムと出くわして、私と霊夢と咲夜で退治してやったって次第だ」
「ちょっと力を得て調子に乗ってた妖怪をとっちめただけよ。異変ってほどのことじゃないわ。ま、こいつの起こした異変の余波みたいなもんだから、その後始末ってとこね」
霊夢さんが傍らの虫籠を揺らす。「揺らすなー!」と中から針妙丸さんが顔を出した。
「あ、少名ちゃん、こんにちは」
「ん? ああ蓮子か。今度はなに?」
「少名ちゃんは雷鼓さんに会った?」
「あー、昨日霊夢にくっついて行ったから見たよ。小槌の魔力絡みのことだったから、ついてこいって霊夢に言われて。いやまあ弾幕ごっこの間はずっと霊夢の袖の中に隠れてたけど」
想像するとかわいい光景である。
ふむ、と蓮子は帽子の庇を弄りながら、針妙丸さんを覗きこむ。
「ねえ、小槌の持ち主的に、雷鼓さんの言う生存戦略、どう思った?」
「ええ? いや、私も実際、小槌の魔力がどんな影響を及ぼすか、全部把握してるわけじゃないし……。小槌の魔力で付喪神化した道具が元に戻らなかったっていうのは意外だったけど、でも事実としてそうなってるんだからさあ。そういうこともあるんだろうと思うよ」
口を尖らせて針妙丸さんはそう言い、それから腕を組んでひとつ唸った。
「それにしても、あのドラムの付喪神、どっかで見たような気がするんだよなー」
首を捻る針妙丸さん。蓮子はそれに、曖昧な表情を浮かべながら帽子を目深に被り直す。
「で、早苗。あんたは何がしたいの?」
隅にいた早苗さんに、霊夢さんがじろりと視線を向ける。
むーっ、と頬を膨らませた早苗さんは、びしっと霊夢さんに人差し指を突きつけた。
「ふふふ、そんな余裕をかましていられるのも今のうちですよ! もうすぐ里の信仰は全て守矢神社がいただくのですから! 今回の異変解決を譲ったのはそのための尊い犠牲です! 天道は我にあり! 正義は勝つ! よく覚えててくださいね! それだけ言いに来ました!」
「……早苗さん、それ悪役の捨て台詞だと思うけど」
やれやれ。
で、博麗神社からの帰り道。
「ねえ早苗ちゃん、さっき霊夢ちゃんに言ってたのって、守矢神社直通索道のこと?」
「え? ああ、里の信仰はいただくって話ですか? はい、それもありますけど」
守矢神社は現在、妖怪の山ふもとから守矢神社まで直通のロープウェイ建設計画を進めている。私たちも早苗さんからその話は聞かされていた。かなり前から計画自体はあったのだが、自分たちの領域をロープウェイが通ることに難色を示す天狗との折衝に時間がかかり、本格的に建設が動き出したのはわりと最近だそうだ。工事は河童の気まぐれのせいであまり順調に進んではいないようだが……。
「それも、ってことは他に何か?」
「ふふふふふ……実は私、秘策があるんです」
「秘策?」
「そう、霊夢さんは今回の異変をもう解決したつもりになっているようですけど、主犯の天の邪鬼が逃亡中だそうじゃないですか! それを私が見つけて退治すれば、今回の異変を完全解決したのは私ということになります! 大勝利!」
ああ、正邪さんのことか。確かに、首謀者である正邪さんが逃亡中なのは、今回の異変解決の画竜点睛を欠いている部分とは言えるだろう。小槌の力あってこその異変であるから、正邪さんの捕縛は二の次で構わないという霊夢さんの論理には一理あるにせよ、幻想郷の支配体制をひっくり返そうとしたテロリストが潜伏中というのは脅威ではあろう。また欺されやすい強者に取り入るかもしれないわけだし……。
私がそう考えていると、蓮子はけれど気乗りしない様子で、「うーん」と唸った。
「まあ、表向きの異変の構図がそういうことになってる以上、早苗ちゃんが正邪ちゃんをふんじばって名を上げようっていうのを否定はしにくいんだけど……」
「蓮子さん?」
蓮子はひとつ息を吐き、不思議そうな早苗さんに向かって、《真相》を口にする。
「――今回の異変の本当の元凶は、たぶん、正邪ちゃんじゃないのよ」
―32―
再び、場所は我らが閑古鳥増殖炉であるところの探偵事務所。
「天の邪鬼が元凶じゃないって、どういうことですか所長」
秘策を否定されて不満げな早苗さんにお茶を勧めつつ、蓮子はひとつ息を吐いた。
「まあ、この推理はできれば関係者に直接ぶつけてみたかったけど――。今回はちょっとそれがリスキーなのよね。向こうの機嫌損ねたくないから」
「あら蓮子、いつになく後ろ向きね。蓮子の誇大妄想は相手に論破されてもっと面白い真相を引き出すためのものじゃなかったの?」
「もちろん、これ以上に面白い真相があるなら聞きたいけどね。今回はちょっと、それより優先すべきことがあるわ。――だから早苗ちゃん、今からする話はあくまで私の勝手な誇大妄想として受け止めてほしいんだけど。私が指摘した相手を退治しに行かないでね」
「ええー。なんでですかー」
「いや、これはホントにお願い」
手を合わせて拝む蓮子に、早苗さんはきょとんと目をしばたたかせる。
「……むー、解りました。蓮子さんがそこまで仰るなら」
「ごめんね早苗ちゃん」
「で、天の邪鬼が元凶じゃないなら、真犯人は誰なんですか?」
早苗さんのその問いに、蓮子は大きく息を吐き出して、その推理を語り始めた。
この異変――天の邪鬼と小人族のレジスタンスの裏にあった、真相という名の物語を。
「全ての鍵は、一寸法師のお伽話にあったのよ」
「お伽話ですか?」
「そう。早苗ちゃんも一寸法師の話は知ってるでしょ? 一寸法師は、打ち出の小槌をどうやって手に入れたか覚えてる?」
「ええと、お姫様をさらいに来た鬼を退治したら、その鬼が落としていったんですよね」
「その通り。つまり、打ち出の小槌はもともとは鬼の道具だった。――だけど、メリー。少名ちゃんは、小槌の使用について、繰り返しなんて言ってたか覚えてるでしょ?」
「……小槌は、小人族しか扱えない」
「そう。そこにまず、決定的な矛盾があるのよ。鬼の道具だったものが、どうして小人族にしか扱えないの?」
私は、思わずぽかんと口を開けていた。――言われてみれば、その通りだ。
道具は、使用者に道具として認識されることで初めて道具となる。
打ち出の小槌を鬼が使えなかったとしたら、それは鬼の道具ではありえない。
「あ、そもそもお伽話の中で、一寸法師は姫に小槌を振ってもらって大きくしてもらったはずですよね?」
「そうよ、早苗ちゃん。鬼が持っていたという事実と、姫が使えたという事実。お伽話に描かれたことを事実とすれば、論理的に導き出される答えはひとつ。少名ちゃんの言っていた《小槌は小人族しか扱えない》というのは、誰かに吹きこまれた嘘ということ。打ち出の小槌は本来、誰でも使える道具のはずなんだわ。じゃあ、誰がなぜ少名ちゃんに《小槌は小人族しか扱えない》という嘘を吹きこんだのか――。
その疑問はとりあえず一旦置いておいて、この事実に別の角度から光を当てましょう。小槌は小人族専用の道具ではない。そして、今回の異変が示す通り、小槌の力は幻想郷の支配体制を覆しかねない強力なものだったわ」
「……そんなの、元の持ち主である鬼が奪われたままにしておくはずがないわね」
「その通りよメリー。だとすれば、少名ちゃんが吹きこまれた《小人族迫害の歴史》と、その元になった表向きの小人族の歴史に、また別の角度から光が当たるわ。メリー、知ってる? お城っていうのは、本来の役割は要塞なのよ」
蓮子のその言葉に、私は思わず目を見開く。
「じゃあ、まさか――輝針城は、小人族が打ち出の小槌を取り戻しに攻めてきた鬼と戦うための要塞だったってこと?」
「少なくとも、小人族の誰かが権力の象徴としてお城を欲したというストーリーよりは、私はそっちの方が説得力があると思うわね」
「……だとすれば、小人族が輝針城ごと鬼の国に幽閉された、っていうのは」
「小人族は打ち出の小槌を奪い返され、鬼に捕らえられていたっていうことだわ。――そうだとすれば、今回の異変の意味は、全く変わってくると思わない?」
ああ、その通りだ。
打ち出の小槌が、忘れられた小人族の宝だったのではなく、鬼に奪い返されていたものならば。そして小人族が、鬼に復讐されその支配下に置かれて虐げられていたのだとすれば――。
「そうよ。今回の異変は、幻想郷の支配体制に対する叛逆じゃない。小人族による、自分たちを捕らえていた鬼に対する叛逆――そこからの脱出のための異変だった。
正邪ちゃんの本当の目的は、小槌を再び小人族の手に取り返し、鬼の支配下から少名ちゃんを救い出すこと。そして、小槌を使って幻想郷に異変を起こしたのは、鬼の追っ手が来る前に少名ちゃんを博麗の巫女に保護してもらうため。――そう考えれば、正邪ちゃんの行動には筋が通るのよ」
早苗さんは、ぽかんと口を開けて蓮子を見つめる。
「え、ちょっと待ってください所長。天の邪鬼があの小人の子を救うために今回の異変を起こしたっていうなら、なんで素直にそう言わな――あ、天の邪鬼だから……」
「そうね。それに、小人族が鬼に幽閉されて永い時間が経っていて、もはや小人族にとっては鬼の支配下にあることが当然で、鬼に支配されているという意識すらなかったとしたら?」
「……支配されてる自覚がなければ、そこから脱出しようともする理由もないわね」
「そう。だからそのために、正邪ちゃんは嘘の《小人族迫害の歴史》を少名ちゃんに吹きこみ、彼女を幻想郷へのレジスタンスに仕立て上げたのよ」
「いや、でもそれなら普通に真実を教えれば……そうしなかったのも天の邪鬼だからですか?」
「そうかもしれないし、あるいは説得力の問題かもね。虐げられている自覚のない相手に、『あなたは虐げられている弱者だ』って言ってもかえって反発されるかもしれない。それなら、『あなたには虐げられた弱者を救う正義の力がある』という物語の方が説得力がある。
鬼の国の弱者である自覚がなかった小人族に、幻想郷の弱者を救うレジスタンスを実行させる――というのは、正邪ちゃんなりの遠回しな真相の告白だったのか、それとも意地の悪い皮肉だったのかは解らないけれど……。ともかく、そう考えれば《小槌は小人族しか扱えない》という嘘を少名ちゃんに吹きこんだ理由もはっきりするわ。
それは、小槌を取り戻しに鬼が追ってくる可能性に気付かせないためよ」
つまり、針妙丸さんに、自分こそが弱者であったことに気付かせないため――。
それは、配慮なのか、それとも底意地の悪い皮肉であったのだろうか。
「じゃあ、正邪さんがあのとき、針妙丸さんをさっさと見捨てて逃げだして、今も逃げ続けているのは……」
「正邪ちゃんが逃げ続けている限り、異変は完全に解決していないから、従犯の少名ちゃんは霊夢ちゃんの監視下に置かれ続ける。博麗の巫女の監視下にあるのでは、鬼も少名ちゃんと小槌には手が出せない。正邪ちゃんが逃げ続けることで、少名ちゃんは霊夢ちゃんに守られ続けることになるのよ」
ああ、と私は納得する。だから正邪さんは異変を起こす必要があったということか。
小人と天の邪鬼が鬼の国から逃げ延びてきたとして、ただ助けを求めても、保護してくれる奇特な強者は幻想郷にはなかなかいない。鬼の追っ手がかかっているなら尚更だろう。だが、異変を起こせば必ず博麗の巫女が退治に来る。妖怪を退治する博麗の巫女を、妖怪の手から守るために使うという逆説。
「でも、その天の邪鬼は、なんでそこまでしてあの小人の子を救おうとするんですか? 天の邪鬼ですよ? ただの小物妖怪じゃ」
早苗さんのその問いに、蓮子は腕組みしたままひとつ息を吐く。
「そんなの、答えはひとつしかないじゃない。――どうして正邪ちゃんが《鬼の国》にいたのか。どうして末裔の少名ちゃんを丸め込めるほど小人族の歴史に詳しかったのか。どうして鬼に奪い返されていたはずの小槌を手に入れてくることができたのか。そして、どうして少名ちゃんを救うために今回の異変を起こしたのか。――彼女は、私のトレンチコートが付喪神化しかかっているのを見て、それを《小槌の力の代償》と呼んだわ。それはつまり、彼女が小槌の力による妖怪化を、小槌の力を使った代償だと認識しているということ――。
そして、メリー、知ってる? 一寸法師のお伽話は室町時代にまとめられた『御伽草子』の中の話が元だけれど、『御伽草子』の一寸法師は、お姫様を手に入れるためにお姫様に無実の罪を着せるような真似をする、けっこうな卑怯者なのよ」
私は、思わず早苗さんと顔を見合わせた。――それは、つまり。
「そう。正邪ちゃんの正体は、おそらく少名ちゃんのご先祖様。小槌の力を使った代償で妖怪化してしまった、初代の一寸法師ご本人だわ」
―33―
天の邪鬼は鬼ではない、と華仙さんは言った。
とはいうが、鬼と呼ばれる妖怪の多くは元人間である。酒呑童子だって橋姫だってそうだ。
一寸法師が人間かどうかは議論の余地があろうが――天の邪鬼が鬼の字を冠する妖怪である以上、確かに元人間であってもおかしくはないだろう。
「……じゃあ、異変を起こしたのは確かに天の邪鬼と小人さんだとしても、そのふたりが異変を起こさざるを得なかった元凶っていうのは……」
早苗さんがそう問う。蓮子は頷いた。
「それはもちろん、最初に一寸法師に打ち出の小槌を奪われ、その復讐のために小人族を捕らえて幽閉した鬼たちだわ。――せっかく小槌を取り戻して、にっくき一寸法師とその末裔も支配下に置いていたのに、小槌を盗み出されて輝針城ごと逃げ出された。となれば、当然鬼は追っ手をかけてくるはず。だけど、少名ちゃんは博麗の巫女に保護され、正邪ちゃんはどこかに潜伏中。小槌にも小人族にも手が出せない。となったら、鬼はどうする?」
「諦めて引き下がる……わけはないわよね」
「そうね。じゃあ、この状況で鬼が目につけるものは何だと思う? メリー」
「――異変のためにばらまかれた、小槌の魔力?」
「イグザクトリー」
ああ、そういうことか。
針妙丸さんから鬼の国について聞いたとき、針妙丸さんが口にした一言から、蓮子がこの推理を組み立てた理由が、ようやく私にも理解できた。彼女の正体がそれであったとすれば、というところから、今の推理の過程を逆算するようにして、蓮子はこの誇大妄想にたどり着いたのだろう。
「そう、小槌の魔力は多くが道具の付喪神化や妖怪の凶暴化のために使われていた。小槌の魔力は回収期に入っている。このままだと魔力はただ小槌に戻ってしまうだけ。小槌が博麗の巫女の監視下にあって取り戻せないなら――」
「……道具は、新しく作ればいい」
「そう。ばらまかれた小槌の魔力を自分たちの手元に集めて、新しい打ち出の小槌を作ればいい。元の小槌の魔力をそうやって奪ってしまえば、少名ちゃんの手元の小槌も脅威ではなくなる。一石二鳥の計画だわ。
じゃあ、鬼が作ろうとした新しい打ち出の小槌とはどんなものか。そもそも鎚というのは何かを叩くための道具だけど、打ち出の小槌にはそれで叩かれるべきものがない。だから振るだけで効果が出るのだろうけど――打ち出の小槌に、何かを叩くものとしての道具の本懐を遂げさせれば、より強力な小槌が出来るんじゃないかしら。つまり、叩くものと叩かれるものがセットとなった道具こそが、新たな打ち出の小槌たりうる」
早苗さんが、あんぐりと口を開けた。
「じゃあ――あのドラムマニアさんのドラムセットが、打ち出の小槌なんですか!?」
蓮子は、ゆっくりと頷く。
「そう。彼女が付喪神たちに魔力の置き換えを勧めて回ったのは、抜き取られた小槌の魔力をドラムに回収するため。ついでに正邪ちゃんたちが生み出した付喪神を、仕返しのために自分たちの味方につけておく意味もあったんでしょうね」
「つまり……堀川雷鼓さんの正体は」
「そう、彼女は少なくとも、元は和太鼓の付喪神だったのではない。だいたい、彼女が和太鼓の付喪神だったなら、九十九姉妹を知っていたはずだわ。私たちが探していた琵琶と琴と和太鼓は、同じ倉庫に仕舞われていたものだったんだから」
――確かに、九十九姉妹を連れて行ったときの雷鼓さんの素振りは、明らかに初対面のそれだった。彼女がもし、私たちが捜索を依頼された和太鼓の付喪神だったなら、一緒に付喪神になった琵琶と琴に、何らかのリアクションがあったはずだ。もちろん、他にも付喪神化した和太鼓があった可能性は否定できないにしても――。
そして、彼女が生まれたての付喪神にしてはやけに強かったという魔理沙さんの証言も、これが真相なら、納得がいくというものだ。
「そう、堀川雷鼓さん、彼女の正体はおそらく、小槌を取り戻すために正邪ちゃんと少名ちゃんを追ってきた鬼。――少名ちゃんが言っていた、《鬼の国》の支配者たる鬼、風神雷神の雷神様の方だわ」
『じゃあ少名ちゃん。小人族がいた鬼の国にいた鬼って、どんな鬼だった?』
蓮子のその問いに、針妙丸さんはこう答えた。
『そうだなあ――鬼の国でいちばん偉かったのは、風神様と雷神様だったよ』
俵屋宗達の風神雷神図を例にとるまでもなく、風神雷神は、鬼の姿をしている。
蓮子がその誇大妄想を語り終え、事務所の中には沈黙が落ちた。
「つまり、あのドラムマニアさんが全部悪いってことですか?」
「うーん、それは物の見方次第ね。大元を辿れば姫をさらおうとして一寸法師に退治された鬼が悪いとも言えるけど、一寸法師も姫を手に入れるために無実の罪を着せてるし。その後は小人族にしてみれば自分たちを逆恨みして幽閉した鬼が悪党ってことになるでしょうし、鬼からすれば小人族は打ち出の小槌を奪った悪い奴ってことになるから」
「じゃあ、どっちもどっちで喧嘩両成敗、両方退治すれば解決ですね!」
「霊夢ちゃんがもう両方退治したわよ」
「そんなー」
早苗さんが「ううー」と唸る中、私は蓮子に身を寄せて耳打ちする。
「……ねえ蓮子、それなら雷鼓さんが外の世界を見たっていうのはどういうことになるの?」
「彼女が新しい打ち出の小槌にしようとしているドラムセットが外の世界の道具なのは間違いないでしょう。幻想郷にあんなドラムセットはないはずだし。外の世界の道具だから、外の世界の使用者の魔力が流れ込んでいるっていうのは事実だと思うわ。少なくともただの部外者である私に、彼女がそんな意味不明な嘘をつく理由はないもの」
まあ、それは確かに。
「おそらく正確には、雷鼓さんは雷神様本人ではなく、新たな打ち出の小槌の付喪神なんでしょうね。付喪神の強さがその持ち主の力に比例するなら、彼女の強さは雷神様の強さ。打ち出の小槌としての膨大な魔力と、雷神様の魔力、外の世界の魔力の三つを兼ね備えた、幻想郷最強の付喪神――うん、そっちの方が正解っぽいわ。雷神様本人だったら、少名ちゃんも対面したときに気付いただろうし」
「じゃあ、彼女がドラムを鳴らすと、小槌の魔力が発動するの?」
「そこは道具だから、使用者である雷神様の意志によるんじゃないかしら。使用者に、彼女をドラムとしてではなく打ち出の小槌として使う意志がない限り、彼女はあくまで強いドラムの付喪神なんじゃないかと思うけど。そうでないと、小槌が勝手に魔力を使っちゃうから、道具としては使い物にならないでしょう」
暴走した魔理沙さんのミニ八卦炉みたいなものか。確かにその通りだ。
――ということは、霊夢さんたちが魔力嵐に気付いて雷鼓さんと戦って退治したのは、結果的に将来の異変に対する牽制になっていたのかもしれない。いずれにせよ、幻想郷にはふたつの《打ち出の小槌》が存在することになる。針妙丸さんの手元のものと、雷鼓さんのドラム。
いち里の住民としては、どちらも悪用されないことを祈るばかりである。
「……で、蓮子。この推理、誰にぶつけるの? 正邪さん? 雷鼓さん?」
「どうしようかしらねえ。正邪ちゃんは行方不明だし、見つけたとしてもマトモに話を聞いてくれるかどうかもわからないし。雷鼓さんの方は機嫌損ねたくないのよね――」
「菫子さんの件があるからね」
「そう。彼女には外の世界の情報を集める窓口になってもらわないと。友好的にいきたいわ」
帽子を目深に被り直して、蓮子は大きくため息をつく。
かくして、今回の蓮子の誇大妄想は、事務所内の与太話に留まることになる。
この推理がなにがしかの真実を貫いていたのか、はたまたただのデタラメな妄想だったのかは、読者諸賢のご想像にお任せしたい。
天の邪鬼もドラムの付喪神も、きっと答えを教えてはくれないだろうから。
「また出遅れましたー!」
後日。毎度のごとく唐突に事務所にやってきた早苗さんは、そう叫んで嘆いた。
「どうどう。どうしたの? 早苗ちゃん」
「この前会った、ドラムマニアさんですよ! 彼女が何か悪巧みしてたらしくて、ゆうべ霊夢さんたちが退治してきたんだそうです! あーもう、これじゃ妖怪退治の信仰が手に入りませんよー! もー!」
地団駄を踏む早苗さんに、私たちは顔を見合わせる。――雷鼓さんが悪巧み?
そういえば、九十九姉妹がどうなったかも結局まだ情報がないけれど……。
「早苗ちゃん、その話もうちょっと詳しく」
「いや、私も別に詳しく聞いたわけでは」
「あらそう? じゃあ、霊夢ちゃんのところに聞きに行きますか」
「ええー。私今博麗神社行ってきたばっかりなんですけどー」
「別にお留守番しててくれてもいいけど?」
「うー、行きます行きます」
そういうことになった。
というわけで、またまた博麗神社。境内には、今日は魔理沙さんの姿もあった。例によって縁側で茶をしばいていた霊夢さんがこちらに気付いて顔を上げ、魔理沙さんも振り向いて笑う。
「やっほー、おふたりとも」
「おう、蓮子。なんだ早苗、お前こいつら呼びに行ってたのか?」
「いや、私たちの方が用があってね。ちょうどいいからふたりに聞きたいんだけど」
帽子の庇を弄りながら言う蓮子に、霊夢さんと魔理沙さんは顔を見合わせる。
「昨日の件? あんたたちに話すことなんかないわよ」
「早苗から聞いてきたのか。あいつ、生まれたての付喪神にしちゃやけに強かったよな」
「雷鼓さんでしょ? 彼女、何したの?」
蓮子のその問いに、霊夢さんが大げさにため息をつく。
「早苗がなんであの付喪神のこと知ってるのかと思ったら、やっぱりあんたたちなの?」
「ま、そんなこったろうと思ったぜ。お前らあのドラムと何企んでたんだ?」
「いやいや、私たちは無関係よ。ふたりとも、九十九姉妹覚えてる? 琵琶と琴の」
「誰?」
「あー? ああ、あの二人組か。ほら、あいつらだよ、プリズムリバーから一人減ったような」
「どうでもいいわよ、そんな雑魚妖怪」
相変わらず霊夢さんはひどい。魔理沙さんは肩を竦める。
「あいつらがどうかしたのか?」
「彼女たちが、小槌の魔力が回収される影響で消滅の危機に瀕してね。救う方法を探してたら雷鼓さんと出会って、彼女にふたりを預けたのよ」
「あー、そういやあのドラム、そんなこと言ってたな。付喪神に小槌の魔力から解放される方法を教えて回ったとか。それであの琵琶と琴も近くにいたわけか」
――ということは、どうやら九十九姉妹は無事らしい。まあ、霊夢さんや魔理沙さんに蹴散らされはしたのだろうけど。
「で、雷鼓さんは何をしたの?」
「何をしたってーか、あいつが付喪神どもから抜き取った小槌の魔力で、でかい魔力嵐が起こってたんだよ。あの逆さ城の周囲を取り囲んでたような。そいつを調べに行ったらあのドラムと出くわして、私と霊夢と咲夜で退治してやったって次第だ」
「ちょっと力を得て調子に乗ってた妖怪をとっちめただけよ。異変ってほどのことじゃないわ。ま、こいつの起こした異変の余波みたいなもんだから、その後始末ってとこね」
霊夢さんが傍らの虫籠を揺らす。「揺らすなー!」と中から針妙丸さんが顔を出した。
「あ、少名ちゃん、こんにちは」
「ん? ああ蓮子か。今度はなに?」
「少名ちゃんは雷鼓さんに会った?」
「あー、昨日霊夢にくっついて行ったから見たよ。小槌の魔力絡みのことだったから、ついてこいって霊夢に言われて。いやまあ弾幕ごっこの間はずっと霊夢の袖の中に隠れてたけど」
想像するとかわいい光景である。
ふむ、と蓮子は帽子の庇を弄りながら、針妙丸さんを覗きこむ。
「ねえ、小槌の持ち主的に、雷鼓さんの言う生存戦略、どう思った?」
「ええ? いや、私も実際、小槌の魔力がどんな影響を及ぼすか、全部把握してるわけじゃないし……。小槌の魔力で付喪神化した道具が元に戻らなかったっていうのは意外だったけど、でも事実としてそうなってるんだからさあ。そういうこともあるんだろうと思うよ」
口を尖らせて針妙丸さんはそう言い、それから腕を組んでひとつ唸った。
「それにしても、あのドラムの付喪神、どっかで見たような気がするんだよなー」
首を捻る針妙丸さん。蓮子はそれに、曖昧な表情を浮かべながら帽子を目深に被り直す。
「で、早苗。あんたは何がしたいの?」
隅にいた早苗さんに、霊夢さんがじろりと視線を向ける。
むーっ、と頬を膨らませた早苗さんは、びしっと霊夢さんに人差し指を突きつけた。
「ふふふ、そんな余裕をかましていられるのも今のうちですよ! もうすぐ里の信仰は全て守矢神社がいただくのですから! 今回の異変解決を譲ったのはそのための尊い犠牲です! 天道は我にあり! 正義は勝つ! よく覚えててくださいね! それだけ言いに来ました!」
「……早苗さん、それ悪役の捨て台詞だと思うけど」
やれやれ。
で、博麗神社からの帰り道。
「ねえ早苗ちゃん、さっき霊夢ちゃんに言ってたのって、守矢神社直通索道のこと?」
「え? ああ、里の信仰はいただくって話ですか? はい、それもありますけど」
守矢神社は現在、妖怪の山ふもとから守矢神社まで直通のロープウェイ建設計画を進めている。私たちも早苗さんからその話は聞かされていた。かなり前から計画自体はあったのだが、自分たちの領域をロープウェイが通ることに難色を示す天狗との折衝に時間がかかり、本格的に建設が動き出したのはわりと最近だそうだ。工事は河童の気まぐれのせいであまり順調に進んではいないようだが……。
「それも、ってことは他に何か?」
「ふふふふふ……実は私、秘策があるんです」
「秘策?」
「そう、霊夢さんは今回の異変をもう解決したつもりになっているようですけど、主犯の天の邪鬼が逃亡中だそうじゃないですか! それを私が見つけて退治すれば、今回の異変を完全解決したのは私ということになります! 大勝利!」
ああ、正邪さんのことか。確かに、首謀者である正邪さんが逃亡中なのは、今回の異変解決の画竜点睛を欠いている部分とは言えるだろう。小槌の力あってこその異変であるから、正邪さんの捕縛は二の次で構わないという霊夢さんの論理には一理あるにせよ、幻想郷の支配体制をひっくり返そうとしたテロリストが潜伏中というのは脅威ではあろう。また欺されやすい強者に取り入るかもしれないわけだし……。
私がそう考えていると、蓮子はけれど気乗りしない様子で、「うーん」と唸った。
「まあ、表向きの異変の構図がそういうことになってる以上、早苗ちゃんが正邪ちゃんをふんじばって名を上げようっていうのを否定はしにくいんだけど……」
「蓮子さん?」
蓮子はひとつ息を吐き、不思議そうな早苗さんに向かって、《真相》を口にする。
「――今回の異変の本当の元凶は、たぶん、正邪ちゃんじゃないのよ」
―32―
再び、場所は我らが閑古鳥増殖炉であるところの探偵事務所。
「天の邪鬼が元凶じゃないって、どういうことですか所長」
秘策を否定されて不満げな早苗さんにお茶を勧めつつ、蓮子はひとつ息を吐いた。
「まあ、この推理はできれば関係者に直接ぶつけてみたかったけど――。今回はちょっとそれがリスキーなのよね。向こうの機嫌損ねたくないから」
「あら蓮子、いつになく後ろ向きね。蓮子の誇大妄想は相手に論破されてもっと面白い真相を引き出すためのものじゃなかったの?」
「もちろん、これ以上に面白い真相があるなら聞きたいけどね。今回はちょっと、それより優先すべきことがあるわ。――だから早苗ちゃん、今からする話はあくまで私の勝手な誇大妄想として受け止めてほしいんだけど。私が指摘した相手を退治しに行かないでね」
「ええー。なんでですかー」
「いや、これはホントにお願い」
手を合わせて拝む蓮子に、早苗さんはきょとんと目をしばたたかせる。
「……むー、解りました。蓮子さんがそこまで仰るなら」
「ごめんね早苗ちゃん」
「で、天の邪鬼が元凶じゃないなら、真犯人は誰なんですか?」
早苗さんのその問いに、蓮子は大きく息を吐き出して、その推理を語り始めた。
この異変――天の邪鬼と小人族のレジスタンスの裏にあった、真相という名の物語を。
「全ての鍵は、一寸法師のお伽話にあったのよ」
「お伽話ですか?」
「そう。早苗ちゃんも一寸法師の話は知ってるでしょ? 一寸法師は、打ち出の小槌をどうやって手に入れたか覚えてる?」
「ええと、お姫様をさらいに来た鬼を退治したら、その鬼が落としていったんですよね」
「その通り。つまり、打ち出の小槌はもともとは鬼の道具だった。――だけど、メリー。少名ちゃんは、小槌の使用について、繰り返しなんて言ってたか覚えてるでしょ?」
「……小槌は、小人族しか扱えない」
「そう。そこにまず、決定的な矛盾があるのよ。鬼の道具だったものが、どうして小人族にしか扱えないの?」
私は、思わずぽかんと口を開けていた。――言われてみれば、その通りだ。
道具は、使用者に道具として認識されることで初めて道具となる。
打ち出の小槌を鬼が使えなかったとしたら、それは鬼の道具ではありえない。
「あ、そもそもお伽話の中で、一寸法師は姫に小槌を振ってもらって大きくしてもらったはずですよね?」
「そうよ、早苗ちゃん。鬼が持っていたという事実と、姫が使えたという事実。お伽話に描かれたことを事実とすれば、論理的に導き出される答えはひとつ。少名ちゃんの言っていた《小槌は小人族しか扱えない》というのは、誰かに吹きこまれた嘘ということ。打ち出の小槌は本来、誰でも使える道具のはずなんだわ。じゃあ、誰がなぜ少名ちゃんに《小槌は小人族しか扱えない》という嘘を吹きこんだのか――。
その疑問はとりあえず一旦置いておいて、この事実に別の角度から光を当てましょう。小槌は小人族専用の道具ではない。そして、今回の異変が示す通り、小槌の力は幻想郷の支配体制を覆しかねない強力なものだったわ」
「……そんなの、元の持ち主である鬼が奪われたままにしておくはずがないわね」
「その通りよメリー。だとすれば、少名ちゃんが吹きこまれた《小人族迫害の歴史》と、その元になった表向きの小人族の歴史に、また別の角度から光が当たるわ。メリー、知ってる? お城っていうのは、本来の役割は要塞なのよ」
蓮子のその言葉に、私は思わず目を見開く。
「じゃあ、まさか――輝針城は、小人族が打ち出の小槌を取り戻しに攻めてきた鬼と戦うための要塞だったってこと?」
「少なくとも、小人族の誰かが権力の象徴としてお城を欲したというストーリーよりは、私はそっちの方が説得力があると思うわね」
「……だとすれば、小人族が輝針城ごと鬼の国に幽閉された、っていうのは」
「小人族は打ち出の小槌を奪い返され、鬼に捕らえられていたっていうことだわ。――そうだとすれば、今回の異変の意味は、全く変わってくると思わない?」
ああ、その通りだ。
打ち出の小槌が、忘れられた小人族の宝だったのではなく、鬼に奪い返されていたものならば。そして小人族が、鬼に復讐されその支配下に置かれて虐げられていたのだとすれば――。
「そうよ。今回の異変は、幻想郷の支配体制に対する叛逆じゃない。小人族による、自分たちを捕らえていた鬼に対する叛逆――そこからの脱出のための異変だった。
正邪ちゃんの本当の目的は、小槌を再び小人族の手に取り返し、鬼の支配下から少名ちゃんを救い出すこと。そして、小槌を使って幻想郷に異変を起こしたのは、鬼の追っ手が来る前に少名ちゃんを博麗の巫女に保護してもらうため。――そう考えれば、正邪ちゃんの行動には筋が通るのよ」
早苗さんは、ぽかんと口を開けて蓮子を見つめる。
「え、ちょっと待ってください所長。天の邪鬼があの小人の子を救うために今回の異変を起こしたっていうなら、なんで素直にそう言わな――あ、天の邪鬼だから……」
「そうね。それに、小人族が鬼に幽閉されて永い時間が経っていて、もはや小人族にとっては鬼の支配下にあることが当然で、鬼に支配されているという意識すらなかったとしたら?」
「……支配されてる自覚がなければ、そこから脱出しようともする理由もないわね」
「そう。だからそのために、正邪ちゃんは嘘の《小人族迫害の歴史》を少名ちゃんに吹きこみ、彼女を幻想郷へのレジスタンスに仕立て上げたのよ」
「いや、でもそれなら普通に真実を教えれば……そうしなかったのも天の邪鬼だからですか?」
「そうかもしれないし、あるいは説得力の問題かもね。虐げられている自覚のない相手に、『あなたは虐げられている弱者だ』って言ってもかえって反発されるかもしれない。それなら、『あなたには虐げられた弱者を救う正義の力がある』という物語の方が説得力がある。
鬼の国の弱者である自覚がなかった小人族に、幻想郷の弱者を救うレジスタンスを実行させる――というのは、正邪ちゃんなりの遠回しな真相の告白だったのか、それとも意地の悪い皮肉だったのかは解らないけれど……。ともかく、そう考えれば《小槌は小人族しか扱えない》という嘘を少名ちゃんに吹きこんだ理由もはっきりするわ。
それは、小槌を取り戻しに鬼が追ってくる可能性に気付かせないためよ」
つまり、針妙丸さんに、自分こそが弱者であったことに気付かせないため――。
それは、配慮なのか、それとも底意地の悪い皮肉であったのだろうか。
「じゃあ、正邪さんがあのとき、針妙丸さんをさっさと見捨てて逃げだして、今も逃げ続けているのは……」
「正邪ちゃんが逃げ続けている限り、異変は完全に解決していないから、従犯の少名ちゃんは霊夢ちゃんの監視下に置かれ続ける。博麗の巫女の監視下にあるのでは、鬼も少名ちゃんと小槌には手が出せない。正邪ちゃんが逃げ続けることで、少名ちゃんは霊夢ちゃんに守られ続けることになるのよ」
ああ、と私は納得する。だから正邪さんは異変を起こす必要があったということか。
小人と天の邪鬼が鬼の国から逃げ延びてきたとして、ただ助けを求めても、保護してくれる奇特な強者は幻想郷にはなかなかいない。鬼の追っ手がかかっているなら尚更だろう。だが、異変を起こせば必ず博麗の巫女が退治に来る。妖怪を退治する博麗の巫女を、妖怪の手から守るために使うという逆説。
「でも、その天の邪鬼は、なんでそこまでしてあの小人の子を救おうとするんですか? 天の邪鬼ですよ? ただの小物妖怪じゃ」
早苗さんのその問いに、蓮子は腕組みしたままひとつ息を吐く。
「そんなの、答えはひとつしかないじゃない。――どうして正邪ちゃんが《鬼の国》にいたのか。どうして末裔の少名ちゃんを丸め込めるほど小人族の歴史に詳しかったのか。どうして鬼に奪い返されていたはずの小槌を手に入れてくることができたのか。そして、どうして少名ちゃんを救うために今回の異変を起こしたのか。――彼女は、私のトレンチコートが付喪神化しかかっているのを見て、それを《小槌の力の代償》と呼んだわ。それはつまり、彼女が小槌の力による妖怪化を、小槌の力を使った代償だと認識しているということ――。
そして、メリー、知ってる? 一寸法師のお伽話は室町時代にまとめられた『御伽草子』の中の話が元だけれど、『御伽草子』の一寸法師は、お姫様を手に入れるためにお姫様に無実の罪を着せるような真似をする、けっこうな卑怯者なのよ」
私は、思わず早苗さんと顔を見合わせた。――それは、つまり。
「そう。正邪ちゃんの正体は、おそらく少名ちゃんのご先祖様。小槌の力を使った代償で妖怪化してしまった、初代の一寸法師ご本人だわ」
―33―
天の邪鬼は鬼ではない、と華仙さんは言った。
とはいうが、鬼と呼ばれる妖怪の多くは元人間である。酒呑童子だって橋姫だってそうだ。
一寸法師が人間かどうかは議論の余地があろうが――天の邪鬼が鬼の字を冠する妖怪である以上、確かに元人間であってもおかしくはないだろう。
「……じゃあ、異変を起こしたのは確かに天の邪鬼と小人さんだとしても、そのふたりが異変を起こさざるを得なかった元凶っていうのは……」
早苗さんがそう問う。蓮子は頷いた。
「それはもちろん、最初に一寸法師に打ち出の小槌を奪われ、その復讐のために小人族を捕らえて幽閉した鬼たちだわ。――せっかく小槌を取り戻して、にっくき一寸法師とその末裔も支配下に置いていたのに、小槌を盗み出されて輝針城ごと逃げ出された。となれば、当然鬼は追っ手をかけてくるはず。だけど、少名ちゃんは博麗の巫女に保護され、正邪ちゃんはどこかに潜伏中。小槌にも小人族にも手が出せない。となったら、鬼はどうする?」
「諦めて引き下がる……わけはないわよね」
「そうね。じゃあ、この状況で鬼が目につけるものは何だと思う? メリー」
「――異変のためにばらまかれた、小槌の魔力?」
「イグザクトリー」
ああ、そういうことか。
針妙丸さんから鬼の国について聞いたとき、針妙丸さんが口にした一言から、蓮子がこの推理を組み立てた理由が、ようやく私にも理解できた。彼女の正体がそれであったとすれば、というところから、今の推理の過程を逆算するようにして、蓮子はこの誇大妄想にたどり着いたのだろう。
「そう、小槌の魔力は多くが道具の付喪神化や妖怪の凶暴化のために使われていた。小槌の魔力は回収期に入っている。このままだと魔力はただ小槌に戻ってしまうだけ。小槌が博麗の巫女の監視下にあって取り戻せないなら――」
「……道具は、新しく作ればいい」
「そう。ばらまかれた小槌の魔力を自分たちの手元に集めて、新しい打ち出の小槌を作ればいい。元の小槌の魔力をそうやって奪ってしまえば、少名ちゃんの手元の小槌も脅威ではなくなる。一石二鳥の計画だわ。
じゃあ、鬼が作ろうとした新しい打ち出の小槌とはどんなものか。そもそも鎚というのは何かを叩くための道具だけど、打ち出の小槌にはそれで叩かれるべきものがない。だから振るだけで効果が出るのだろうけど――打ち出の小槌に、何かを叩くものとしての道具の本懐を遂げさせれば、より強力な小槌が出来るんじゃないかしら。つまり、叩くものと叩かれるものがセットとなった道具こそが、新たな打ち出の小槌たりうる」
早苗さんが、あんぐりと口を開けた。
「じゃあ――あのドラムマニアさんのドラムセットが、打ち出の小槌なんですか!?」
蓮子は、ゆっくりと頷く。
「そう。彼女が付喪神たちに魔力の置き換えを勧めて回ったのは、抜き取られた小槌の魔力をドラムに回収するため。ついでに正邪ちゃんたちが生み出した付喪神を、仕返しのために自分たちの味方につけておく意味もあったんでしょうね」
「つまり……堀川雷鼓さんの正体は」
「そう、彼女は少なくとも、元は和太鼓の付喪神だったのではない。だいたい、彼女が和太鼓の付喪神だったなら、九十九姉妹を知っていたはずだわ。私たちが探していた琵琶と琴と和太鼓は、同じ倉庫に仕舞われていたものだったんだから」
――確かに、九十九姉妹を連れて行ったときの雷鼓さんの素振りは、明らかに初対面のそれだった。彼女がもし、私たちが捜索を依頼された和太鼓の付喪神だったなら、一緒に付喪神になった琵琶と琴に、何らかのリアクションがあったはずだ。もちろん、他にも付喪神化した和太鼓があった可能性は否定できないにしても――。
そして、彼女が生まれたての付喪神にしてはやけに強かったという魔理沙さんの証言も、これが真相なら、納得がいくというものだ。
「そう、堀川雷鼓さん、彼女の正体はおそらく、小槌を取り戻すために正邪ちゃんと少名ちゃんを追ってきた鬼。――少名ちゃんが言っていた、《鬼の国》の支配者たる鬼、風神雷神の雷神様の方だわ」
『じゃあ少名ちゃん。小人族がいた鬼の国にいた鬼って、どんな鬼だった?』
蓮子のその問いに、針妙丸さんはこう答えた。
『そうだなあ――鬼の国でいちばん偉かったのは、風神様と雷神様だったよ』
俵屋宗達の風神雷神図を例にとるまでもなく、風神雷神は、鬼の姿をしている。
蓮子がその誇大妄想を語り終え、事務所の中には沈黙が落ちた。
「つまり、あのドラムマニアさんが全部悪いってことですか?」
「うーん、それは物の見方次第ね。大元を辿れば姫をさらおうとして一寸法師に退治された鬼が悪いとも言えるけど、一寸法師も姫を手に入れるために無実の罪を着せてるし。その後は小人族にしてみれば自分たちを逆恨みして幽閉した鬼が悪党ってことになるでしょうし、鬼からすれば小人族は打ち出の小槌を奪った悪い奴ってことになるから」
「じゃあ、どっちもどっちで喧嘩両成敗、両方退治すれば解決ですね!」
「霊夢ちゃんがもう両方退治したわよ」
「そんなー」
早苗さんが「ううー」と唸る中、私は蓮子に身を寄せて耳打ちする。
「……ねえ蓮子、それなら雷鼓さんが外の世界を見たっていうのはどういうことになるの?」
「彼女が新しい打ち出の小槌にしようとしているドラムセットが外の世界の道具なのは間違いないでしょう。幻想郷にあんなドラムセットはないはずだし。外の世界の道具だから、外の世界の使用者の魔力が流れ込んでいるっていうのは事実だと思うわ。少なくともただの部外者である私に、彼女がそんな意味不明な嘘をつく理由はないもの」
まあ、それは確かに。
「おそらく正確には、雷鼓さんは雷神様本人ではなく、新たな打ち出の小槌の付喪神なんでしょうね。付喪神の強さがその持ち主の力に比例するなら、彼女の強さは雷神様の強さ。打ち出の小槌としての膨大な魔力と、雷神様の魔力、外の世界の魔力の三つを兼ね備えた、幻想郷最強の付喪神――うん、そっちの方が正解っぽいわ。雷神様本人だったら、少名ちゃんも対面したときに気付いただろうし」
「じゃあ、彼女がドラムを鳴らすと、小槌の魔力が発動するの?」
「そこは道具だから、使用者である雷神様の意志によるんじゃないかしら。使用者に、彼女をドラムとしてではなく打ち出の小槌として使う意志がない限り、彼女はあくまで強いドラムの付喪神なんじゃないかと思うけど。そうでないと、小槌が勝手に魔力を使っちゃうから、道具としては使い物にならないでしょう」
暴走した魔理沙さんのミニ八卦炉みたいなものか。確かにその通りだ。
――ということは、霊夢さんたちが魔力嵐に気付いて雷鼓さんと戦って退治したのは、結果的に将来の異変に対する牽制になっていたのかもしれない。いずれにせよ、幻想郷にはふたつの《打ち出の小槌》が存在することになる。針妙丸さんの手元のものと、雷鼓さんのドラム。
いち里の住民としては、どちらも悪用されないことを祈るばかりである。
「……で、蓮子。この推理、誰にぶつけるの? 正邪さん? 雷鼓さん?」
「どうしようかしらねえ。正邪ちゃんは行方不明だし、見つけたとしてもマトモに話を聞いてくれるかどうかもわからないし。雷鼓さんの方は機嫌損ねたくないのよね――」
「菫子さんの件があるからね」
「そう。彼女には外の世界の情報を集める窓口になってもらわないと。友好的にいきたいわ」
帽子を目深に被り直して、蓮子は大きくため息をつく。
かくして、今回の蓮子の誇大妄想は、事務所内の与太話に留まることになる。
この推理がなにがしかの真実を貫いていたのか、はたまたただのデタラメな妄想だったのかは、読者諸賢のご想像にお任せしたい。
天の邪鬼もドラムの付喪神も、きっと答えを教えてはくれないだろうから。
第13章 輝針城編 一覧
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堀川雷鼓の堀川は菅原道真公を祀る水火天満宮がある堀川通りが元ネタだという解釈もあるみたいですね…。つまり彼女の本来の持ち主は
あ、そっちだったんすね(推理大外れ)
素晴らしい回答をありがとうございます!
雷鼓さんが雷神だとは思いませんでした。
文中にあった気がしますがね。
今回は、子孫という言葉でバイアスがかかり、妖怪の寿命のことを蔑ろにしたり、1度使ったことがあるという所から一寸法師だと思えなかったです。バイアスをかけるのは良くないと分かりました。
また、今回の話で、鬼の国の内情への考えが深まりました。雷神は、鬼の姿をした神です。その風神雷神をトップにしている所が戦前のある国をほうふつさせます。
現人神ならぬ現鬼神かななどとの想像が止まりません。
また、雷神の正体に着いても考えます。まぁどっかの宇多天皇に遣唐使の停止を頼んで、そのあと大宰府に左遷されたある管原さんが雷神になったというかの有名な北野天満縁起絵巻があります。ということは、鬼の国の半分は人の傘下なのではなども考えられます。
自分の推理が大外れで恥ずかしいですな。
ただまあ、予想は外れた方が読者としても楽しいので結果で言うならプラスですし良い意味で予想を裏切られて嬉しいですけど。これだから読むのをやめられない。
正邪が一寸法師だとすれば結構しっくりくるので大いにアリですね。時を越えた愛だなぁ。
調べてみたが、元々の一寸法師の残虐ぶりはドン引き物
そら地獄行きにも鬼にもなるよ
蓮子の推理を読んでる間、ずっとこんな顔( ゚д゚)になってました…まさか正邪が一寸法師…そして雷鼓さんがそんなふうに関係してくるとは。
蓮子の推理を読んでる間、ずっとこんな顔( ゚д゚)になってました…まさか正邪が一寸法師…そして雷鼓さんがそんなふうに関係してくるとは。
↑間違えて二個ありますがお気になさらず~
プリズムリバーのリバー抜き(ボソッ
やはり予想の上をきたか…(予想大外れ)
なるほど、雷神様か。確かにそんな風貌してるし。
天邪鬼が一寸法師って仮説を立てられたとしても、その結論には到達できないなぁ…。いやはや、さすがです。
長文すいません
打ち出の小槌の代償についてとても興味深いです。
何にかと言うと遅効性と対象のことです。
遅効性については城を出現させた時と今回の異変では代償はほぼ同時に現れたにもかかわらず、一寸法師の時は、
少し時間が経ってから代償が現れていることです。
あと対象については、一寸法師の時と城を出現させた時は、その願いをかけたものに代償が現れたが、今回の異変では、弱者ではなく、道具に代償が現れたことです。
一寸法師の時と今回の異変、代償の形式が違うにも関わらず、代償だと分かる正邪と蓮子は天才だと思います。
何か定義が存在するのかな?
また、今回の異変は、嘘の歴史を伝えられたことで起こった異変ですが、今回の異変が彼女にとって、よかったものかというのも気になります。ようするに、だいたい8話の霊夢の話ですがね。
そして、蓮子の発言でなるほどと推理の出来る優秀な読者の皆様は、ある疑問が起こったと思います。
今回の異変の動機は、幻想郷の転覆ではなく、子孫を助けることであり、文章上、ずっと正邪は鬼の国にいたと考えられます。そうであるならば、、、
心綺楼編で誰がなんのために仮面を地獄に落としたのか?
やはり蓮子の誇大妄想は想像の斜め上をいきますね。一寸法師や雷神とはスケールが違いすぎる。だからこそこの作品は面白いと思います。
↑2妖怪化に関しては道具を使った本人ではなく使われた対象が妖怪化する、ということではないでしょうか。一寸法師は大きくしてもらうことで同時に妖怪化し、この異変は弱い妖怪や道具に力を与える為に使った事で道具が付喪神化した。一寸法師と違って付喪神達が元に戻りつつあったのは、小槌の力は回収期に入ってもある程度は残留すると仮定すると一寸法師の時と比べて対象が多い事で妖怪である事を保てるほどそれぞれに力が定着しなかった、と考えられるのではないでしょうか。
私のコメントに対してでなければ
無視していただいて構いません。
私は、その通りであると思います。使った人ではなく、使われたものに代償があると思います。そうでなければ、姫も鬼も代償を受けてることになるので。また、自分自身に代償のあるものは使いたくないですしね。
ですが今回の異変は違うと思います。
そう思う理由は、今回の代償にあります。最初に、今回の異変の代償はなんですか?一寸法師では、天の邪鬼になること、城を作った時は、ひっくり返ったことです。
正邪の反応からですが、今回の異変の代償は道具が付喪神になることだと思います。それを根底とすると、道具が付喪神になることは、正邪にとって薬で言うところの副作用ではないかと思います。ということは、今回の主作用は、弱者に力を与えることかと思います。つまり、使われたものは弱者であるわけです。だからこの定義で考えると代償は弱者が受けると思います。あれ?最初の2つと違くない?ということです。