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こちら秘封探偵事務所第4章 永夜抄編   永夜抄編 第10話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第4章 永夜抄編

公開日:2016年06月25日 / 最終更新日:2016年06月26日

永夜抄編 第10話
 かかるほどに、宵内過ぎて、子の時ばかりに、家の辺り昼の明さにも過ぎて光りわたり、望月の明さを十あはせたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人、雲に乗りており来て、土より五尺ばかりあがりたるほどに、立ちつらねたり。これを見て、内外なる人の心ども、物におそはるるやうにて、あひ戦はむ心もなかりけり。




―28―


「富士山で焼かれたという、不死の薬――ですか」
「そうよ。私が残していったあの薬。妹紅はアレを飲んたそうよ。彼女にあげたつもりは無かったんだけど。まあ、おかげで退屈しのぎになってるから、いいんだけど」
 全く悪びれる様子もなく、輝夜さんはそんなことを言いながら私の方を見やり、「屋敷の主に座布団も出さないのかしら?」と首を傾げた。私は慌てて座布団を取ってくる。輝夜さんは優雅にそこに腰を下ろした。これもまた退屈しのぎということか。
 蓮子もひどく真剣な顔になって、「そうか、かぐや姫が実在するなら、不老不死の薬も実在するのよね……」と呟き、それから輝夜さんに向き直って座り直す。
「――せっかくですので、輝夜さん。貴方がかぐや姫本人なら、お伺いしたいんですが」
「あら、なあに? どうして月に帰らず地上にいるのかってことなら、月の使者だった永琳に連れ出されたのよ。一緒に逃げましょう、って、手と手を取り合いロマンチック逃避行」
「月で犯したという罪から、ですか。許されたから迎えが来たのでは?」
「どうも、そうでもなかったらしいのよねえ。永琳もあまり詳しいことは教えてくれないんだけど。まあ、私は地上で暮らしたかったから、別にいいの」
「――かぐや姫が月で犯した罪というのは、何だったんです?」
 蓮子のその問いに、輝夜さんは目を細める。
「蓬莱の薬を、飲んだことよ」
「……蓬莱の薬?」
「私が地上に残していった、妹紅が飲んだのと同じ不死の薬。永琳が作ったそれを、私は飲んでしまったの。それを飲むのは月の都の禁忌だったのだけれどね」
「――――」
 蓮子が首を傾げる。
「あら、何か腑に落ちない?」
「……輝夜さん、私たちが知る竹取物語は、ご存じですか?」
「ええ、イナバから退屈しのぎに聞かせてもらったわ。あれはほぼ事実の通りよ。違うのは最後、私が月に帰ったというところぐらいかしら?」
「それは――おかしいですね」
「え?」
「竹取物語では、月の使者が持ってきた不死の薬を、かぐや姫はその場で一口舐めたはずです」
「――――」
 蓮子の言葉に、輝夜さんは目をしばたたかせ、「そうだったかしら」と首を傾げた。
「もう千年以上前のことだし、細かいことは忘れてしまったわ」
「……そうですか。では、質問を変えます。蓬莱の薬とは、いったいどんなものなのですか?」
「なんだか尋問されているみたいねえ」
「穢れた地上の民の好奇心にお付き合いいただければ」
「構わないわよ。こうやって客人とお話するのもとても珍しいことだもの。楽しいわ」
 機嫌を損ねたというわけではないらしい。輝夜さんはあくまで楽しげに笑っていた。
「でも、蓬莱の薬の原理については、永琳に聞いた方が早いわよ。私も詳しくはないし。ただ、私の力がなければ作れなかったと、永琳は言っているけれど」
「輝夜さんの力、というと?」
「永遠と須臾を操る力――と、永琳は言っていたわ」
「須臾……」
「そう、私の目には須臾が見えるの。普通は須臾を認識できないから時間は連続に見えるけれど、本当は短い時が無数に積み重なって出来ているのよ」
「その力を使って、永琳さんは不死の薬を作った……」
「ええ。永琳はそう言っているわ。でも、それを飲むと地上の民と同じ穢れを生じるんですって。だから私は穢れのない月を追放され、地上に落とされたのよ」
「……妹紅さんから聞きました。月の民は地上の穢れを忌避して月に移り住んだんだって」
 私がそう口を挟むと、「そうそう」と輝夜さんは手を合わせて微笑んだ。
「おかげで月の都はとっても退屈な場所なのよ。だから地上に来たのに、永琳に閉じ込められてしまって、結局どっちでも退屈だったのだけど。でも、ゆうべはたくさんお客さんが来て楽しかったわ」
 ころころと笑う輝夜さんはどこまでも無邪気で無垢だった。まるで幼子のように――。
「ねえ、貴方たちもいつでも遊びに来て頂戴な。あれだけ客人がたくさん屋敷の中に来てしまったのだもの、もう永琳もうるさいことは言わないと思うわ」
「はあ」
「ふふ、ようやく楽しくなりそう。地上に来た甲斐があるというものだわ」
 どこまでも楽しげな輝夜さんの前で。
 相棒は、思案に沈むように、ただ腕を組んで口を引き結んでいた。




―29―


「蓮子、メリー、様子はどうだ」
 輝夜さんが鈴仙さんに呼ばれて屋敷に戻ってから少しして、慧音さんが現れた。
「あ、慧音さん」
 心ここにあらずという調子で顔をあげた蓮子の目に光が戻っているのを見て、慧音さんは目をしばたたかせ、「治ったのか?」と問う。
「あ、はい。見えるようになりました」
「そうか。それならもうここにいる理由もないな。里に帰ろう」
「医者の許可なしに勝手に退院されても困るのだけれど」
 慧音さんの背後から永琳さんが声をかけ、慧音さんは驚いたように身構える。
「――驚かさないでほしい」
「貴方が勝手に驚いたのでしょう。姫の遊び相手のお友達さん」
「上白沢慧音だ。……蓮子とメリーが世話になった。妹紅の件は抜きにして、礼を言う」
「それはどうも。ああ、貴方たちはもう帰宅して構わないわ。あまり月を見つめすぎないようにね。お代は今度、姫の相手でもしてあげて頂戴。お大事に」
 永琳さんは素っ気なくそう言って、踵を返す。「何だ、退院していいのではないか」と慧音さんは腰に手を当てて息を吐く。蓮子は何か言いたげに永琳さんの背中を見送っていたが、結局声を掛ける機会を失してため息をついた。
「どうした、蓮子」
「いえ。すみません、寺子屋の仕事も一週間近く休んじゃって」
「こういう事態なら仕方ないさ。そのぶん、明日から……いや、今夜は満月だから明日は寺子屋は休みか。明後日からばりばり働いてもらうぞ。――ああ、そうだ。帰りに妹紅のところに顔を出していこう」
「――――」
 慧音さんの言葉に、蓮子が顔を上げた。その顔を見て、慧音さんがはっと目を見開く。
「……聞いたのか? 妹紅のことを」
 蓮子の一瞬の表情だけで、慧音さんは事態を察したようだった。蓮子は頷く。
「そうか……秘密にするつもりも、なかったんだが」
「いえ……」
 蓮子はゆるゆると首を横に振る。慧音さんは息を吐いて、蓮子の前に腰を下ろした。
「改めて、言っておこう。妹紅は不老不死だ。それ故に長い間、人間から異形として排斥され、この幻想郷に流れ着くまで、ずっと流浪の生活を続けていた。――千年以上も。もちろん私は、それを妹紅から聞いた話としてしか知らないんだが」
 腕を組んで、慧音さんは目を細めて言う。どこか、私たちを試すように。
「なるべく、君たちには身構えずに妹紅に接してほしかった。だから強いて伝えずにはいたんだが――やはり、あらかじめ伝えておくべきだったかな」
「…………」
「私としては、もちろん、それを知った上で、君たちには妹紅とこれまでと変わらずに付き合って欲しいと思っているが、強制はしないし、君たちの足が妹紅のところから遠のいても責めるつもりはない。――あとは、君たちの判断に任せる」
「慧音さん」
 蓮子が声をあげ、慧音さんは顔を上げた。蓮子は苦笑するように、ひとつ首を傾げる。
「私が今考えているのは、そういうことではないんです」
「……というと?」
「もう吸血鬼や冥界のお姫様、鬼なんかと知り合ってますし、目の前には満月で妖怪化する人がいるわけで。今更、不老不死ぐらいでは動じませんわ」
 虚を突かれたように、慧音さんは目をしばたたかせた。蓮子は笑い、帽子を被る。
「ただ――色々と、気になることが多いもので」
「気になること?」
「妹紅さんの不老不死と絡むことで、ちょっと考えたいことが多いんです。答えが出るのかは分かりませんが、少しそれを考える時間をいただけませんか」
「……はあ」
 不思議そうな顔で蓮子を見やる慧音さん。私は相棒の横で小さく息を吐いた。
 ――さて、相棒の頭脳は、今度はいったい何を考えているのやら。

 で、私たちは永遠亭を辞し、一週間ぶりに里の自宅へと戻ってきた。
「ああ、愛しの我が家よ! 私は帰ってきた!」
 ごろりと畳の上に寝転がった相棒に、「お行儀悪いわよ」と私は嘆息。「それはともかく」と相棒は身を起こすと、私に向き直った。
「さて、メリーの話を改めて聞かせてもらうわよ」
「はいはい。どこから話せばいい?」
「私が倒れたところから、私の認知してない話を全て、よ」
「長い話になりそうね」
「今日という日はまだ長いわ。じっくり付き合うから、ほらほら」
 是非もない。私はため息をついて、「その前にお茶を淹れるわ」と立ち上がった。
 ――かくして、私はその日一日かけて、永夜異変で私が見聞きしたことを語った。適時蓮子からツッコミを受けながら、思い出せる限りのことを語っていく。それは私が今までこの物語に私の視点で記してきたことの全てであるから、ここでは繰り返さない。
 ただ、その中で相棒が特に強く反応した場面がふたつある。ひとつは、妹紅さんが私の前で手にナイフを突き立てて見せた場面。
「傷は、すぐに元通りになったのね?」
「ええ……すぐに、そこに傷があったことなんか解らなくなるぐらいに、綺麗さっぱり」
「とすると……単純な治癒力の強化じゃないわね。復元力? いや……不老不死というものの定義を考えれば……輝夜さんの能力を使って作られた薬ということだし……」
 何かぶつぶつと呟く相棒に、私は息を吐く。こんな調子でいちいち考え込み始めるから、話がいつまで経っても終わらないのだが――。
 ともかく、もうひとつは、永琳さんがこの永遠亭に隠れている理由を語った場面である。
 私が永琳さんの話を、この物語の中で要約したように語ったところで、相棒はぎょろりとその目を私に向け、半眼で睨んだ。
「――メリー」
「な、なに?」
「永琳さんのその話、真に受けたわけじゃないでしょうね?」
「え? ええと――」
「ちょっとメリー、しっかりしてよ。メリーの記憶違いや語り間違いでもないなら、そんなおかしな話をどうして真に受けたの? 色々とおかしいわよ」
「そんなこと言われても、蓮子みたいな妄想力の塊と一緒にしないでほしいわ」
「これまで私たちが見聞きしてきたことと考え合わせれば、変だって思うはずだけどねえ」
「ま、いいわ。で?」
 ――そうして、語り終える頃にはすっかり夜も更けていて。
「これで全部よ。たぶん」
 途中から布団を敷いて横になっていた相棒は「お疲れ。……ちょっとゆっくり考えるわ。おやすみ」とそのまま眠ってしまった。
「え、ちょ、蓮子――」
 これだけ人に長々と話をさせておいてそれか。私は嘆息して、乾いた喉を水で潤し、歯を磨いて着替えると、自分も布団に潜り込んだ。――ワトソンとして情報収集の任務は終えたのだ。あとは相棒の頭脳に任せよう。
 それがどんな妄想であれ、相棒はきっと何かしらの答えを見つけるはずだ。
 正解かどうかは、ともかくとしても。

 その晩、幻想郷には元の満月が戻ってきていた。
 博麗神社では月見の宴会が開かれていたというが、蓮子が病み上がりであることに配慮したのか、それとも他の事情でか――私たちがそのことを知ったのは、後日のことである。

 そして翌朝。私が目を覚ますと、相棒は既に起きて何か書き物をしていた。
「……おはよう、蓮子。何してるの?」
「あらメリー、おはよ。朝のスッキリした頭で、昨日のメリーの話の疑問点を整理してるのよ。メリーにも解りやすいようにね」
 そう言って、相棒は「こんなところね」と書き終えた紙を私の方へ広げる。
 ――このとき蓮子が列挙した謎は、以下の通りである。

蓬莱の薬についての謎
 一、そもそも蓬莱の薬とはどういうものなのか。
 一、蓬莱の薬によってもたらされる不老不死の定義とは何か。
 一、飲むと穢れを生じるとはどういうことか。
 一、作るのは罪ではないが、飲むのは禁忌とされるのはなぜか。
 一、永琳さんはなぜ、それを作ってしまったのか。
 一、輝夜さんがそれを飲んだのは、本当に彼女の意志なのか。
 一、かぐや姫が竹取物語で舐めた不死の薬――即ち妹紅さんの飲んだ不死の薬は、
   輝夜さんの罪の理由の薬と本当に同じものなのか。
 一、同じものならばなぜ、月の使者はそれを持ってきて、かぐや姫に舐めさせたのか。
蓬莱山輝夜さんと八意永琳さんの謎
 一、禁忌を犯して穢れを生じたかぐや姫に対し、なぜ月から迎えが来たのか。
 一、永琳さんはなぜ、月の使者を皆殺しにしてまで輝夜さんと逃亡したのか。
 一、彼女たちはなぜ、厳重な結界に守られた屋敷に隠れ、穢れを排除したのか。
 一、彼女たちはなぜそこまで、月からの追っ手を恐れていたのか。
藤原妹紅さんの謎
 一、妹紅さんはなぜ、不死の薬を飲んでしまったのか。
 一、彼女の姿は薬を飲んだという当時から変化していないのか。
 一、妹紅さんが使ってみせたという炎の術は元から身につけていたのか。
鈴仙・優曇華院・イナバさんの謎
 一、彼女はなぜ月から逃げてきたのか。
 一、なぜ彼女はピンポイントで永遠亭に転がり込んだのか。
 一、穢れた地上に逃げた彼女に、どうして迎えが来ることになったのか。
月の民と穢れについての謎
 一、そもそも、穢れとは何か。
 一、穢れとは、何に対してどう作用し、どんな効果をもたらすものか。
 一、月の民はなぜそれを厭って月へと移り住んだのか。
 一、月の民は本当に今でも永琳さんたちの行方を追っているのか。

「――不老不死の定義、ね」
 列挙された謎を見ながら、私は呟く。不老不死と一口に言っても、確かにどの程度の不老性、不死性を持っているかは、フィクションによってまちまちだ。それこそ、吸血鬼のレミリア嬢だって不老不死に近いのではないだろうか。
「そうよメリー。永遠亭の謎の鍵を握るのは〝不老不死〟の定義だわ」
「蓮子、前になんかそんな話をしてなかった? 確か――」
「月旅行の話をしたときでしょう?」
 そうだ。有人月面探査が見送られたとか、民間月面ツアーがどうとか、そんな宇宙の話を、いつだったか蓮子と大学のカフェで繰り広げた。そうして、水面に映った月から、月面の光景を覗き見られないかと試してみたのだっけ。あのときは上手くいかなかったけれど、それがのちのトリフネ探索に繋がったとも言える。
「不老不死は、死が無くなるんじゃなくて、生と死の境界が無くなって、生きても死んでもいない状態になるだけ――あのとき、私はそう言ったわ」
「蓬莱の薬でもたらされる不老不死も?」
「だから、それが問題なのよ。そもそも、生きても死んでもいない状態とはどういうことか。たとえばだけど――西行寺のお嬢様は、不老不死だと思う?」
「幽々子さん?」
 彼女は亡霊であり、既に死んでいる。だが、亡霊として暮らしている現状を〝生きている〟と定義するなら、確かに彼女は不老不死なのかもしれない。だが、実際に亡霊を〝不老不死〟と呼ぶのは何かこう、違和感がある。
「どうなのかしら……ううん、となると、生死の定義の問題になるの?」
「そうよ。〝不老不死〟を定義するには、まず〝生〟と〝死〟を定義しなければならない。そして、私たちの時代の穢れ思想もまた、生と死とは不可分のもの。生殖は穢れであり、出産は穢れであり、病は穢れであり、死もまた穢れである――とするなら、ここでは生と死に穢れという概念を代入してみましょう。するとどうなるかしら?」
「……〝不老不死〟とは、〝穢れのない状態〟である?」
「そう考えられるでしょう? だからおかしいって言ったのよ」
 そう言われて、私は蓮子の列挙した謎に目を落として、息を飲む。
 ――生と死が穢れを生み、生と死を拒絶するのが不老不死であるならば。
 不老不死の薬を飲むことで穢れを生じるというのは――明らかな、矛盾ではないか?




―30―


「その矛盾を解く鍵は、不老不死のご本人に話を聞くのが近道でしょうね」
 相棒のその一言で、私たちのその日の行動は決まった。迷いの竹林へと向かう。妹紅さんに会うためだ。
「永琳さんに直接当たった方が早いんじゃないの?」
「メリーの話を聞く限り、私たちの前にある謎の答えを知っているのは彼女で間違いないわ。ただ、直接当たっていって、こちらの疑問に素直に答えてはくれないでしょう。そのための仮説が必要なのよ。科学的思考とは仮説とその検証によるスクラップ&ビルドなんだから」
「今までの蓮子の、異変に関する推理が科学的思考かどうかは議論の余地があるわね」
「実際、観測不可能な物理学だって壮大な与太話みたいなものよ」
 それでいいのか物理学の徒として。
 ともかく、そんな話をしながら迷いの竹林に辿り着く。昼間でも竹林の中は鬱蒼として薄暗い。分け入るようにその中に進むと、見慣れた妹紅さんのあばら屋が見えた。
 蓮子が戸をノックする。呻くような返事があり、それから戸が開いて「誰だ?」と半分寝ぼけたような声とともに、ぼさぼさの髪の妹紅さんが顔を出した。
「おはようございます」
 蓮子が片手を挙げ、私がぺこりと一礼すると、妹紅さんは目が覚めたように目を見開く。
「……蓮子にメリーじゃないか。蓮子、目は大丈夫なのか?」
「ええ、おかげさまで。その節はお世話になりました」
「いや……あいつらから何か変なことされなかったか? 大丈夫か?」
「元気いっぱいですわ」
「そうか……人体実験でもされなかったかと心配はしてたんだがな」
 安堵したように息を吐き、それから妹紅さんは家の中を振り返る。
「ああ、慧音ならまだ寝てるぞ。起こしてくるか?」
 私たちは顔を見合わせ、ああ、と納得する。そうか、昨晩は満月だったから、慧音さんはハクタクになって夜通し歴史の編纂作業をしていて、まだここで眠っているのだ。
「いえ、慧音さんではなく、妹紅さんの方に用があって来ました」
「私に? またあいつらのところに連れて行けばいいのか」
「場合によってはそれも、ですが――」
 蓮子は帽子を目深に被り直して、それから妹紅さんをまっすぐに見つめる。
「お話を、聞かせてほしくて」
「話?」
「今まで、聞く機会のなかった、妹紅さんのお話を」
「――――」
 妹紅さんの顔色が変わった。目を細め、どこか値踏みするように、妹紅さんは蓮子を見つめる。蓮子の瞳に、どんな色が滲んでいるのかを見通そうとするように。私が横から見ている相棒の目に浮かんでいるのは――好奇心だけれど。
 それから妹紅さんは、私の方を見やった。私は目を伏せ、妹紅さんは息を吐く。
「……私の身体のことを聞いたんだな?」
「はい」
「面白い話じゃないぞ。――聞かない方がいい話ってのも世の中にはある」
「でも、私は知りたいんですよ。妹紅さんのことが」
「なぜだ?」
「そりゃあ――」
 帽子の庇を持ち上げて、蓮子は、いつもの猫のような笑みを浮かべた。
「妹紅さんのことを、友達だと思っていますから」
「――――」
 絶句して、妹紅さんは固まった。蓮子は楽しげな笑みを浮かべて、妹紅さんの手を取る。
「友達なら全てを打ち明け合うべきとは言いませんけど。――妹紅さんが、不老不死であることを私に知られることで、私たちが離れていくんじゃないかという懸念を抱いているなら、私はそれを解消したいんです。もちろん、個人的な好奇心を満たしたいのも含めてですけど」
「…………」
「私は、妹紅さんのことを知りたい」
 妹紅さんの手を握りしめ、人なつっこい笑みを浮かべて、相棒はそう言いつのる。
 ――それはまるで、私たちが初めて出会った頃に、相棒が私に向けた笑みと好奇心のようだった。相棒はこうやって、私のことも籠絡したのだ。人たらしというか、なんというか。
 好奇心の趣くままに、あらゆることに首を突っ込んで、事態を引っかき回して、誇大妄想をもっともらしく語って。それでも紅魔館の吸血鬼や魔法使いに、白玉楼の亡霊の姫に、あるいは博麗神社の鬼の少女に、なんだかんだいってこの相棒がその存在を認められてきたのは、この純粋な好奇心ゆえの、知りたいという願いのためなのかもしれない。
 私自身がかつて、その相棒の好奇心に負けて、《秘封倶楽部》というオカルトサークルに引きずり込まれた人間だから、解るのだ。
 この相棒の、世界の不思議に対する興味と、その頭脳が生み出す壮大な妄想は、それ自体がきっとあまりに魅力的で――皆、この相棒の世界に引きずり込まれてしまうから。
「……友達、か」
 妹紅さんが不意に、顔をくしゃりと歪めて、蓮子の手を握り返した。
「慧音と初めて出会ったときにな――同じことを言われたんだ。あの頃の慧音は、今よりずっと他人行儀だったな……でも、私を心配してくれた。私が不老不死だと知ってもだ。心配スル必要の無い怪我や食生活まで、あれこれ勝手に世話を焼いて……どうして私なんかの面倒を見てくれるんだ、と聞いたら、『貴方のことを知りたいんですよ』って言った。『どこか、昔の自分と似ているような気がして……』ってな」
「……妹紅さん」
「お前も他人行儀だな、蓮子。そりゃ、私の方が遥かに年上だけどさ」
 どこか泣き笑いのような顔をして、妹紅さんは蓮子の手を握り返した。
「妹紅でいいよ」
「はい――いえ、うん、と言うべきかしら?」
「そうだな。そうしてもらえた方が気が楽だ」
「じゃあ――もこたん?」
「その呼び名はやめろ! 輝夜を思い出すから!」
 妹紅さんがそう叫んで身を竦め、私たちは顔を見合わせて笑い合った。

 不老不死である妹紅さんの抱えた孤独とか苦しみは、私たちには想像もつかない。
 だから、私たちがそれを癒したり救ったり、なんて考えるのは、明らかに傲慢だ。
 そんなご大層な名目ではなくて、ただ友達のことを知りたいと。
 それだけで突き進んでいけるから、相棒はきっと、人の心を開くことができるのだろう。
 ――かつての自分を思い出しながら、私はそんなことを考えていた。

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この小説へのコメント

  1. 妖々夢編でも言ってたけど相対性精神学が物理学的な力を持つことによる考察が楽しみです。

    今回の話で萃夢想編での蓮子とメリーのお節介について思い出しました。

  2. 人たらしと皮肉めいた言い方ができるのも一番近くで、一番長く蓮子を見てきたメリーだからこそだと思いました。
    最後の蓮子と妹紅わ会話を読みながら、この先もっと二人の関わりが読んでみたいなと思いました。
    次回も楽しみにしております。

  3. いよいよ永夜抄編も大詰めになってきましたね。
    これまで多くの異変に対して独特の推理を展開してきた蓮子が今回どのような考察をするのかとても楽しみです。

  4. この話、次エピローグだよね?
    それとも永夜抄は10話以上続くのかな?

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