―13―
「……それで私のところに来たってわけかい。そこの面霊気を連れて」
私たちの話を聞き終えて、ナズーリンさんは腕を組んで唸った。
場所は命蓮寺――ではなく、彼女が暮らしている無縁塚近くの掘っ建て小屋である。寺の本尊である寅丸星さんのお目付役である彼女は、なぜか寺では暮らしていない。その理由はさておき、今の私たちにとっては好都合な話である。朝まで一度仮眠したあと、アポなしで掘っ建て小屋を訪ね、不機嫌そうなナズーリンさんに事情を説明し終えたところだった。
「ここはやっぱり、宝探しのプロであるナズっちを頼ろうと思って」
「君にナズっちと呼ばれる筋合いはないし、君たちの頼みを聞く筋合いもない」
「あら、いつぞや護衛を任されながら私たちを置いて自分だけちゃっちゃと逃げ帰った件は、今回の依頼を受けていただく筋合いには含まれないかしら?」
「うぐ――」
蓮子の意地の悪い笑みに、ナズーリンさんは呻いた。
「……まあ、いい。急ぎの仕事もないし、人間の感情に強い影響を与える面というのは、私としても興味がないでもないからね」
憮然として言ったナズーリンさんに、「さすがナズっち、話が解る」と蓮子は笑い、こころさんに向けてサムズアップ。話が解るというか解らせたというか。
「しかし、希望という感情を司る面か……」
「あらナズっち、何か心当たりある?」
「だからナズっちと――いや、そういう宝を集めるのは、うちの御主人様が得意というか。勝手に御主人様のところに宝が集まってくるんだよ。寺が急に信者を増やしているのも、案外そのせいだったりするのかもしれないね」
「希望の面は命蓮寺にあって、白蓮さんがそれを利用して布教していると? 確かに、里から失われた希望があるなら、そこに人は集まるわよねえ」
「じゃあ、もし希望の面を里の誰かが持っているとすれば、まずその人のところに一番に信仰が集まるってこと?」
「希望の面を被った仮面のヒーローが降臨して里の救世主になるのかもね。早苗ちゃんが喜びそうだわ」
白い子供の面を被った仮面ライダーは、あまり格好良くなさそうだが。
「少なくとも、希望の面は人間の里にはないぞ。くまなく探したし、あれば私が気付く」
女の面を被ったこころさんが口を挟む。
「まあ、そりゃそうよね。里の希望が失われてるのが希望の面の紛失が原因なら、里に希望の面があっちゃおかしいわよねえ」
「そうだ。面が里にあれば、希望は里に留まるから、里の感情消失は起こらないはずだぞ」
この原理をもう少しわかりやすく説明すると――穴の開いた袋に砂鉄が詰まっていて、穴を磁石が塞いでいるような状態、と言うべきかもしれない。里が袋、砂鉄が希望、磁石が希望の面だ。希望の面が穴を塞いでいる限りは、里という袋から希望という砂鉄はこぼれないし、磁石が袋の中に完全に入ってしまっても、砂鉄は磁石にくっついて袋の中に留まる。しかし現状では磁石がどこにあるのかわからないので、砂鉄はこぼれ落ちる一方だということらしい。
「こころちゃん、お寺はどう? あの里の北、霧の湖に向かう途中にあるお寺」
「あそこも見た限り……希望の面がありそうな気配はなかった……」悲しみの面。
「てことは、命蓮寺もハズレね。ナズっち残念」
「別に、当てずっぽうで言っただけだよ。――つまるところ、その希望の面とやらは、人間の里からある程度以上離れた場所にあるというわけだ。幻想郷の外かもしれないね」
「魔界とか地底とか冥界とか……」指折り数える私に、「天界とか、彼岸とか」と蓮子が楽しげに付け足す。なんで楽しげなのだ。
しかし、この中で彼岸以外は行ったことがあるというのも、我ながらどうかと思う。
「私のペンデュラムも魔力や法力は検知できるが、希望は検知できないな。まあ、形状がはっきりしているから探しやすくはあるが……」
ナズーリンさんが腕を組んで唸った。
「分担を決めようか。君たちは地底や魔界に顔が利くんだろう」
「自慢じゃないけど、冥界や天界も顔パスよ」蓮子が笑う。また大げさなことを言って。
「じゃあ、そっちは君たちに任せる。その面霊気を連れて探してくればいい。私は幻想郷内を見て回れる範囲で見て回ろう。それでいいかい?」
「オッケーオッケー。そうそう、マミゾウさんも配下の狸を使って探してるはずだから、協力し合うといいと思うわ」
「マミゾウが、ね。あの狸の行動原理はどうもよくわからないんだが。聖の教えに帰依するわけでもない、金と酒にうるさい生臭狸のくせに、妙に義理堅いというかお節介というか……」
「親分気質なんでしょうね。外の世界で化け狸のボスやってたぐらいだから」
狸にも任侠の世界があるのかもしれない。それで狐とシマを巡って仁義なき戦争を繰り返しているのか。物騒な話である。
「じゃあナズっち、もし見つかったらウチの事務所の玄関に何か印でもかけておいて。定期的にチェックするようにするから」
「了解。もしどこかの古道具屋に拾われていたら、買い取りは君たちに任せるからね」
そういえば、聖輦船の騒ぎのときはそれでナズーリンさんと一悶着あったのだった。私たちは苦笑し、こころさんが「私の面は売り物じゃないぞ!」と般若の面を被っていた。
というわけで、希望の面捜索任務の始まりであるわけだが。
「さてメリー、こころちゃん。最初にどこ行ってみる?」
掘っ建て小屋を出て、外に待たせていた玄爺の甲羅に腰掛け、蓮子が問う。
「なんじゃ、遠出ですかね」
「ああ玄爺、ちょっと色々あちこち出かけるけど大丈夫? 魔界とか冥界とか」
「老骨にあんまり無理を言わんでくれませんかの。まあ、休み休み行きましょうや」
白い髭を揺らして息を吐く玄爺。老骨とは言うものの、実際のところ玄爺がどのぐらい年寄りなのかは私たちにはよくわからない。案外マミゾウさんのように老人ぶっているだけで、妖怪としてはそんなに高齢でもないのではという気もするが。
「こころさんが希望の面をどこでなくしたかにもよると思うけど……」
「……それがわからないから困っている……」悲しみの面。
「ふむ。――ねえこころちゃん、そもそもこころちゃんって、普段はどこに住んでるの?」
蓮子のその質問に、こころさんはひょっとこの面を被ってのけぞった。
「それを聞かれると困ってしまうんだな」
「え、人に言えないような場所に住んでるの?」
「言えないというか……それもよくわからない……」悲しみの面。
「ええ? 自分が住んでる場所がわからないって、まさか記憶喪失?」
眉を寄せた蓮子に、こころさんは「それだ!」と狐の面を被って蓮子を指さした。
「ぶっちゃけ、希望の面をなくす前の記憶が私にはあんまりないのだ!」
―14―
そういう大事なことは、もうちょっと早く言ってほしい。いや、昨晩のうちにちゃんと追及しておかなかった私たちの責任でもあるけれども。
「え、こころちゃん、ホントに記憶がないの?」
「ないというか……曖昧なのだ……希望の面をなくしてからは、ほぼはっきりしてるが……。それまで自分がどこで何をしていたかは……よく思い出せない……」悲しみの面。
はて。これはつまり――。
「こころちゃん、ひょっとして付喪神化したの、ごく最近?」
「そ、そんなことはねえぞ! たぶん!」狐の面で言い張る。
「でも、希望の面をなくす前の記憶はないんでしょ?」
「完全にないわけではない! はっきりしないだけだ!」
「私たちが小さい子どもの頃のことを連続した記憶として覚えてないのと同じじゃないの? 蓮子だって小学校に入る前とかは、断片的な場面場面の記憶はあっても、全てを連続した事象としてて覚えてるわけじゃないでしょう。阿求さんじゃあるまいし」
「でもこころちゃん、希望の面をなくしてからまだ十日も経ってないんでしょ?」
「……私は記憶力が悪いのだろうか……」悲しみの面。
ふむ、と蓮子は腕を組んで唸る。
「こころちゃん、ちょっと貴方の能力について確認させて。こころちゃんは人間のあらゆる感情を司ってるのよね?」
「うむ。六十六の面があるよ♪」福の神の面。「でも今は六十五……」悲しみの面。
「希望の面をなくしたことで、こころちゃんの能力は暴走して、不安定な状態にある。希望の面を取り戻さないと安定しない、ってことでいいのよね」
「その通り!」狐の面。
「で、こころちゃんの記憶は、希望の面をなくす以前ははっきりしない……」
そう呟いて、蓮子がしきりの帽子の庇を弄り始める。また何か考え始めたらしい。
だが、すぐに相棒は顔を上げ、「まあ、仕方ないわね」とあっけらかんとした顔で言った。
「こころちゃんが覚えてないんじゃ、色んなところをしらみつぶしに当たるしかないわ。幻想郷になければ、誰かが拾って持ち帰っちゃったんでしょうし。とりあえず幻想郷内の捜索はナズっちとマミゾウさんに任せて、私らは各地の知り合いを当たってみましょ」
――あ、何か隠してるな、と私は直感した。しかし、この相棒が隠した方が良いと判断したなら、それをこの場で突っ込むほど野暮ではない。私は頷き、話を合わせる。
「じゃあ、どこから捜索するの?」
「そうねえ――幻想郷で何か拾って、自宅に持って帰りそうな知り合いといえば……」
冥界の魂魄妖夢さん。里にも買い物に来るから、その道すがら希望の面を拾って、白玉楼に持ち帰ったということは……まあ、あり得なくはなさそうだ。
天界の比那名居天子さん。……は、最近見かけない。まだ天界で謹慎中かもしれない。
魔界の住人……は、どうだろう。以前、神綺様とルイズさんがアリスさんに会いに来ていたが、あれからまた来たりしているのだろうか。
しかしこれらより、一番可能性がありそうなのは――。
「……こいしちゃんか、お燐さん?」
「あらメリー、奇遇ね。私も同じ名前を思い浮かべてたわ」
地底のお屋敷、地霊殿の住人である古明地こいしちゃんと、そのペットの火焔猫燐さん。どちらもちょくちょく地上に出ており、かついかにも拾ったものを持ち帰りそうである。
それに、こいしちゃんは私自身、里での騒ぎの際に目撃しているし――。
「よし、それじゃあ第一目標は地底、地霊殿ね」
「そこに希望の面を盗んだ犯人がいるのか! ぶっとばしてくれる!」狐の面。
「まあまあこころちゃん、まだ可能性の段階だから。とにかく、行ってみましょ」
蓮子はこころさんをなだめて、玄爺にまたがる。私も蓮子の後ろに腰を下ろし、玄爺は「やれやれ」とぼやきながらふわりと浮かび上がった。
。というわけで、背後にこころさんを連れての地底行である。そういえば地底にお邪魔するのも久しぶりだ。お馴染みの、かつて転落したり下から放り投げられたりした縦穴から、私たちは地底へと向かう。
風の吹く縦穴を玄爺の背中に乗って下りながら、私は前に座る蓮子に耳打ちした。
「……で、蓮子。こころさんについて何か思うところあるんじゃないの?」
背後を飛んでいるこころさんには聞こえないような声量にしているつもりだが、聞こえていないことを祈るばかりだ。相棒は視線だけで振り向き、「さすがメリー」と囁き返す。
「一心同体ね、私たち」
「知らないわよ、蓮子の頭の中のことなんて。さとりさんじゃないんだから。――で、あの場で言わなかったってことは、こころさんには聞かせたくない話なんでしょ?」
「なんだ、解ってるじゃない、私の頭の中」
「私に解るのはそこまでよ。何を考えたの?」
「うーん、話してもいいけど……もし希望の面が見つかったら嫌でも話しておかないといけないことだから、とりあえず地霊殿に行ってからにしない?」
「もったいぶらないでよ」
「ワトソンに対して真相の説明をもったいぶるのが名探偵の仕事よ」
全く、ああ言えばこう言う。私はため息をついていると、蓮子が眼下に視線を向け、「あら」と帽子を押さえながら声を上げた。
「ヤマメちゃーん、やっほー」
蓮子がそう呼びかける声とともに、「おお?」と答える声があり、縦穴の下からびよんとジャンプするように飛び上がってくる影ひとつ。土蜘蛛の黒谷ヤマメさんだ。
「おー、蓮子とメリーじゃない。どったの? 勇儀さんから宴会にでも呼ばれた?」
「いやいや、今日の行き先は地霊殿。こいしちゃんとお燐ちゃん、今地底にいる?」
「お燐ならさっき戻ってきてたよ。さとりの妹の方はパルスィに訊いて」
「了解。そういえばキスメちゃんは?」
「あの子人見知りだから隠れてるよ。――で、後ろのお面女は何者?」
ヤマメさんが、こころさんへ訝しげな視線を向ける。
「私の名は秦こころ、面霊気だ!」狐の面で威嚇的に自己紹介。
「面霊気? あー、お面の付喪神か。付喪神が地底に何の用さ」
「こころちゃん、お面をひとつ無くしちゃったんだって。で、それを探しに来たのよ。お燐ちゃんあたり、落とし物を勝手に持ち帰ったりしてないかなーと思って」
「うーん、確かにお燐ならやりかねないなあ」
「ヤマメちゃんは見てない? お地蔵様みたいな白い子供の面らしいんだけど」
「希望ねえ。そんな縁起のいいもんは地底にゃ不釣り合いだなあ。あたしは見てないよ」
「そっか。じゃあ、一週間から十日ぐらい前にお燐ちゃんが地上に出てたかどうか解る?」
「あたしも別にここ見張ってるわけじゃないからね。パルスィに聞きなよ」
「そうね、そうするわ。――じゃあ最後、ここ数日、地底で急に人気者になった妖怪とかいたりしない?」
「急な人気者? そんなのがいたらあたしの情報網に引っ掛かってくると思うけど」
「てことは、特にいないわけね。ありがと、ヤマメちゃん。今度また地底で宴会あったら呼んでよ。遊びに来るから」
「宴会なら毎日やってるけどね。呼んでほしけりゃ勇儀さんに言いな。今ちょうどパルスィんトコいるはずだからさ」
笑って手を振るヤマメさんと別れ、私たちはさらに地の底ヘと下りていく。
穴の最下部まで下りて、トンネルを進むと、ほどなく橋が見えてくる。橋姫の水橋パルスィさんが、地上と地底の出入りを見張っている橋だ。その橋の上に、もうひとつ背の高い影がある。長い金髪と額に屹立する赤い角は見間違えようもない。旧都のまとめ役である鬼の星熊勇儀さんだ。
笑ってこちらに手を振る勇儀さんの元へ下りると、パルスィさんは拗ねたように欄干にもたれてそっぽを向いた。お邪魔してしまっただろうか。
「希望の面、ねえ。私は覚えがないが」
私たちが事情を説明すると、勇儀さんは腕を組んで唸った。
「パルスィ、お前さんはどうだい?」
「……知らないわよ」
そっぽを向いたままパルスィさんは答える。
「じゃあぱるぱるー、こいしちゃん見てない?」
「誰がぱるぱるかっ!」
無駄に馴れ馴れしい蓮子に、パルスィさんが振り返って吼えた。
「わはは、いいじゃないか、ぱるぱる」勇儀さんが笑い、「あんたまで調子に乗るな!」とパルスィさんがその向こう臑にローキック。弁慶の泣きどころを蹴られて平然と笑っている勇儀さんは大物なのか鈍いのか、あるいは両方か。
「……さとりの妹なら、ここ数日は地底に戻ってないわよ。少なくとも私は見てない」
大げさにため息をついて、それからパルスィさんはそう答えた。
「あら、こいしちゃん家出中?」
「あの子の場合、数日戻らないぐらいはよくあることよ」
「さとりちゃんも大変ねえ。こいしちゃんが地上に出て行ったのは具体的に何日前?」
「さあ、四日か五日か、そのぐらいじゃない?」
「一週間前から十日前ぐらいはどう? こころちゃんがお面をなくしたのがその頃なんだけど」
「……私の覚えてる限りだと、その頃はあの子は地底にいたと思うけど」
なんだかんだ言って親切に答えてくれるパルスィさんである。しかし、こころさんがお面をなくした頃に地底にいたとすれば、とりあえずこいしちゃんの容疑は晴れた、と考えていいのかもしれない。
「じゃあ、お燐ちゃんの方はどう? 地霊殿のペットの火車の」
「あの猫? あいつは滅多にここを通らないから知らないわよ」
「あ、そっか、それもそうね」
お燐さんと、その親友のお空さんが働いている灼熱地獄跡の奥には、別に地上へと通じる穴があって、守矢神社が河童と協力して間欠泉センターとして研究施設化している。お燐さんは地上に出るときにそっちを通っているのだろう。
「ありがとう、ぱるぱる。助かったわ」
「だからぱるぱる言うな!」
「だって『パルスィさん』も『パルスィちゃん』も言いにくいんだもん。あ、『ぱるちー』って呼べばいい? ぱーるちー」
「呼ぶな!」
「わはははは。そう怒らなくてもいいじゃないか、ぱるちー」
「だからあんたまで調子に乗るな馬鹿鬼!」
げしげし。ローキックの連打を食らって平然と呵々大笑する勇儀さんと、赤くなって口を尖らせるパルスィさん。その様子はなんだか、飼い猫と引っかかれながらそれをじゃらしている飼い主めいていた。――とか言うと、パルスィさんに睨まれるので口には出さないけども。
―15―
「さっきの橋姫からは、強い嫉妬の感情を感じたわ〜」翁の面でこころさんが言う。
「彼女は嫉妬の感情を操る能力持ちだから、こころちゃんとは性質が近いかもね。六十六のお面の中には嫉妬の面もあるの?」
「もちろんある。取扱注意の面のひとつだから迂闊に出せないが」女の面。
「負の感情の面はやっぱり危険なのかしら」
「そうだ。暴走しやすいから……今の私ではたぶん制御しきれない……」悲しみの面。
「じゃあ、そうならないように希望の面を見つけないとねえ」
「そうだ! 希望の面さえあれば怖いものなどないのだ!」狐の面。
こころさんとそんなことを話しながら、私たちは旧都の旧地獄街道を抜けて地霊殿へと向かう。以前、聖輦船を地底から脱出させる計画のときにちょくちょく地底に顔を出したので、今では地底の妖怪に訝しがられることもない私たちである。
そんなわけで、たどり着いたるは地霊殿。何しろ広いので、入口の扉をノックしてもすぐの返事は期待できない。「おじゃましまーす」と蓮子を先頭に勝手に上がりこむと、出迎えるのは例によってわらわらと集まってきた猫たちだった。
その猫の鳴き声がインターホン代わりとなって、ほどなく奥から現れる影ひとつ。
「……誰かと思ったら、貴女たちでしたか」
この屋敷の主、サトリ妖怪の古明地さとりさんだ。眠そうな半眼を蓮子、私、玄爺、そしてこころさんの順に向け――さとりさんは、こころさんに向けて眉を寄せる。
「そちらは……?」
「面霊気の秦こころですわ♪」福の神の面。
「ええと、さとりさん、実はですね――」
本人のいないところではちゃん付けで呼ぶくせに、本人の前では敬語になる蓮子である。まあ、一応屋敷の主に敬意を払っているということにしておいてあげよう。
「……希望の面、ですか。さて、私には心当たりがありませんね」
蓮子が口で説明するまでもなく、蓮子の心を読んでさとりさんはそう答える。
「ははあ、それでお燐かこいしを疑ったわけですか。……こいしはここ数日出かけたままですよ。そろそろ探しに行こうかと思っていたところです。お燐は居ますから呼びましょうか」
「お願いしますわ」
「では、こちらで少々お待ちを」
案内された先は応接間だった。ソファーに腰を下ろすと、ほどなくお燐さんが現れる。
「やっほー、蓮子。なんか呼ばれたけど、あたいに何か用かい?」
「やあやあお燐ちゃん、ご無沙汰。お空ちゃんは元気?」
「あいつは相変わらずだよ。――で、そこのは面霊気だって? お面の付喪神が何の用さ」
「希望の面を返してもらおう!」狐の面で構えるこころさん。
「おお? なんだいなんだい、穏やかじゃないね」
「探し物をしてるのよ。この子がなくしたお面。白い子供の顔のお面らしいんだけど」
「お面? お面の付喪神が身体の一部をなくしたのかい。そりゃ難儀だねえ。――生憎、あたいにも覚えがないよ。お面なんて久しく見てないねえ」
頭を掻くお燐さんに、私たちは顔を見合わせる。どうやら地底捜索は完全に空振りらしい。
「あらら。地上で無くしたらしいから、お燐ちゃんなら心当たりあるかもと思ってたけど」
「あたいが持ち去ったとでも思ってたのかい。あたいが持ち去るのは死体だけだよ。地上から変なものを拾ってきそうなのはこいし様の方じゃないかねえ」
「変なものとは何だ!」般若の面で威嚇するこころさん。
「いやいや、言葉の綾だって」お燐さんはたじろぐ。
「じゃあお燐ちゃん、ここ最近で何か変わったこととかなかった?」蓮子が問う。
「変わったこと? 何かあったかなあ」
お燐さんは首を捻り、少し考えてから「そういえば」と顔を上げる。
「……こいし様の気配が、ちょっと感じ取りやすくなったような」
「こいしちゃんの?」
「ああ。普段はあたいにもこいし様はほとんど姿が見えないんだけど、少し前にこいし様らしき気配をわりとはっきり感じたような。まあ、大したことじゃないけどさ」
「少し前って? こいしちゃんはここ数日出かけてるそうだけど、その前?」
「そうさね。一週間ぐらい前だったかねえ」
――その答えに、私たちはまた顔を見合わせた。
お燐さんが仕事に戻っていき、入れ替わりにさとりさんが応接間にやってきた。
「お探しのものは……見つからなかったようですね。……こいしのことが気になりますか?」
さとりさんは蓮子を見やって言う。相変わらず話の早い御方だ。
「お燐の言った通り、一週間ほど前、不意にこいしの気配が感じ取りやすくなりました。その後すぐ地上に出て行ってしまったので、今はどうだかわかりませんが」
「そういうことは」
「よくあること、ではないですね。あの子が何かの理由で少し心を開く気になったのか……私にもわかりません。確かめようにもあの子の考えていることはわかりませんし」
ふむ、と蓮子は腕を組んで唸る。さとりさんはこころさんを見やり、「そちらの方の探し物と関係があるかどうかは、もちろんわかりませんが」と言い添える。
それからさとりさんは私に向き直り、「メリーさんでしたね」とじっと私を見つめた。
「もし地上でこいしを見かけたら、そろそろ帰るように言ってもらえますか」
「は、はあ。それは構いませんけど……」
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げられては、無碍にもできない。私は曖昧に頷く。確かにこの中で、確実にこいしちゃんとのコミュニケーションが可能なのは私だけなのだし。
「こころちゃん、こいしちゃんが希望の面を持ってる可能性ってあると思う?」
「私にはよくわからない」女の面。まあ、こころさんはこいしちゃんを知らないのだから、そう答えるしかあるまい。しかし、仮にこころちゃんの気配の強化が希望の面の影響だったとしても、地上でこころさんがなくした希望の面を、地底にいたこいしちゃんが手に入れる手段があったのだろうか?
普通に考えれば、希望の面とこいしちゃんの気配の件は無関係だろうが、しかし他に手がかりもない。となれば、とりあえずはこいしちゃんを捕まえて話を聞くのが先決か。問題は「こいしちゃんを捕まえる」ということが甚だ難題であることだが。ただでさえ、蓮子がいるとあの子は逃げだしてしまうし――。
ともかく、地底での希望の面探しはどうやら空振りでファイナルアンサーらしかった。さとりさんに挨拶をして、私たちは地霊殿を辞去することにする。
――その、帰り際。
こころちゃんが先に屋敷の外に出たあと、玄関でさとりさんが私たちを呼び止めた。
「……ひとつ、貴女たちにお伝えしておこうと思います」
「なんです?」
「あの面霊気のことです。――彼女の心が、私にはほとんど読めません」
「ええ?」
眉を寄せる私たちに、さとりさんは「人間の赤ん坊と同じです」と答えた。
「私が読むのは思考ですから、人間の赤ん坊のように感情だけで思考が言語化されない、自我のない心を読むのは不得意です。私がこいしの心を読めないのもそれが理由です。心を閉ざしたあの子には、主体的な自我が極めて希薄なんです」
「……こころちゃんもそれと同じだと?」
蓮子の問いに、さとりさんは頷いた。
「あの面霊気は――明らかに、芽生えたばかりの、脆弱な自我しか持っていません」
「……それで私のところに来たってわけかい。そこの面霊気を連れて」
私たちの話を聞き終えて、ナズーリンさんは腕を組んで唸った。
場所は命蓮寺――ではなく、彼女が暮らしている無縁塚近くの掘っ建て小屋である。寺の本尊である寅丸星さんのお目付役である彼女は、なぜか寺では暮らしていない。その理由はさておき、今の私たちにとっては好都合な話である。朝まで一度仮眠したあと、アポなしで掘っ建て小屋を訪ね、不機嫌そうなナズーリンさんに事情を説明し終えたところだった。
「ここはやっぱり、宝探しのプロであるナズっちを頼ろうと思って」
「君にナズっちと呼ばれる筋合いはないし、君たちの頼みを聞く筋合いもない」
「あら、いつぞや護衛を任されながら私たちを置いて自分だけちゃっちゃと逃げ帰った件は、今回の依頼を受けていただく筋合いには含まれないかしら?」
「うぐ――」
蓮子の意地の悪い笑みに、ナズーリンさんは呻いた。
「……まあ、いい。急ぎの仕事もないし、人間の感情に強い影響を与える面というのは、私としても興味がないでもないからね」
憮然として言ったナズーリンさんに、「さすがナズっち、話が解る」と蓮子は笑い、こころさんに向けてサムズアップ。話が解るというか解らせたというか。
「しかし、希望という感情を司る面か……」
「あらナズっち、何か心当たりある?」
「だからナズっちと――いや、そういう宝を集めるのは、うちの御主人様が得意というか。勝手に御主人様のところに宝が集まってくるんだよ。寺が急に信者を増やしているのも、案外そのせいだったりするのかもしれないね」
「希望の面は命蓮寺にあって、白蓮さんがそれを利用して布教していると? 確かに、里から失われた希望があるなら、そこに人は集まるわよねえ」
「じゃあ、もし希望の面を里の誰かが持っているとすれば、まずその人のところに一番に信仰が集まるってこと?」
「希望の面を被った仮面のヒーローが降臨して里の救世主になるのかもね。早苗ちゃんが喜びそうだわ」
白い子供の面を被った仮面ライダーは、あまり格好良くなさそうだが。
「少なくとも、希望の面は人間の里にはないぞ。くまなく探したし、あれば私が気付く」
女の面を被ったこころさんが口を挟む。
「まあ、そりゃそうよね。里の希望が失われてるのが希望の面の紛失が原因なら、里に希望の面があっちゃおかしいわよねえ」
「そうだ。面が里にあれば、希望は里に留まるから、里の感情消失は起こらないはずだぞ」
この原理をもう少しわかりやすく説明すると――穴の開いた袋に砂鉄が詰まっていて、穴を磁石が塞いでいるような状態、と言うべきかもしれない。里が袋、砂鉄が希望、磁石が希望の面だ。希望の面が穴を塞いでいる限りは、里という袋から希望という砂鉄はこぼれないし、磁石が袋の中に完全に入ってしまっても、砂鉄は磁石にくっついて袋の中に留まる。しかし現状では磁石がどこにあるのかわからないので、砂鉄はこぼれ落ちる一方だということらしい。
「こころちゃん、お寺はどう? あの里の北、霧の湖に向かう途中にあるお寺」
「あそこも見た限り……希望の面がありそうな気配はなかった……」悲しみの面。
「てことは、命蓮寺もハズレね。ナズっち残念」
「別に、当てずっぽうで言っただけだよ。――つまるところ、その希望の面とやらは、人間の里からある程度以上離れた場所にあるというわけだ。幻想郷の外かもしれないね」
「魔界とか地底とか冥界とか……」指折り数える私に、「天界とか、彼岸とか」と蓮子が楽しげに付け足す。なんで楽しげなのだ。
しかし、この中で彼岸以外は行ったことがあるというのも、我ながらどうかと思う。
「私のペンデュラムも魔力や法力は検知できるが、希望は検知できないな。まあ、形状がはっきりしているから探しやすくはあるが……」
ナズーリンさんが腕を組んで唸った。
「分担を決めようか。君たちは地底や魔界に顔が利くんだろう」
「自慢じゃないけど、冥界や天界も顔パスよ」蓮子が笑う。また大げさなことを言って。
「じゃあ、そっちは君たちに任せる。その面霊気を連れて探してくればいい。私は幻想郷内を見て回れる範囲で見て回ろう。それでいいかい?」
「オッケーオッケー。そうそう、マミゾウさんも配下の狸を使って探してるはずだから、協力し合うといいと思うわ」
「マミゾウが、ね。あの狸の行動原理はどうもよくわからないんだが。聖の教えに帰依するわけでもない、金と酒にうるさい生臭狸のくせに、妙に義理堅いというかお節介というか……」
「親分気質なんでしょうね。外の世界で化け狸のボスやってたぐらいだから」
狸にも任侠の世界があるのかもしれない。それで狐とシマを巡って仁義なき戦争を繰り返しているのか。物騒な話である。
「じゃあナズっち、もし見つかったらウチの事務所の玄関に何か印でもかけておいて。定期的にチェックするようにするから」
「了解。もしどこかの古道具屋に拾われていたら、買い取りは君たちに任せるからね」
そういえば、聖輦船の騒ぎのときはそれでナズーリンさんと一悶着あったのだった。私たちは苦笑し、こころさんが「私の面は売り物じゃないぞ!」と般若の面を被っていた。
というわけで、希望の面捜索任務の始まりであるわけだが。
「さてメリー、こころちゃん。最初にどこ行ってみる?」
掘っ建て小屋を出て、外に待たせていた玄爺の甲羅に腰掛け、蓮子が問う。
「なんじゃ、遠出ですかね」
「ああ玄爺、ちょっと色々あちこち出かけるけど大丈夫? 魔界とか冥界とか」
「老骨にあんまり無理を言わんでくれませんかの。まあ、休み休み行きましょうや」
白い髭を揺らして息を吐く玄爺。老骨とは言うものの、実際のところ玄爺がどのぐらい年寄りなのかは私たちにはよくわからない。案外マミゾウさんのように老人ぶっているだけで、妖怪としてはそんなに高齢でもないのではという気もするが。
「こころさんが希望の面をどこでなくしたかにもよると思うけど……」
「……それがわからないから困っている……」悲しみの面。
「ふむ。――ねえこころちゃん、そもそもこころちゃんって、普段はどこに住んでるの?」
蓮子のその質問に、こころさんはひょっとこの面を被ってのけぞった。
「それを聞かれると困ってしまうんだな」
「え、人に言えないような場所に住んでるの?」
「言えないというか……それもよくわからない……」悲しみの面。
「ええ? 自分が住んでる場所がわからないって、まさか記憶喪失?」
眉を寄せた蓮子に、こころさんは「それだ!」と狐の面を被って蓮子を指さした。
「ぶっちゃけ、希望の面をなくす前の記憶が私にはあんまりないのだ!」
―14―
そういう大事なことは、もうちょっと早く言ってほしい。いや、昨晩のうちにちゃんと追及しておかなかった私たちの責任でもあるけれども。
「え、こころちゃん、ホントに記憶がないの?」
「ないというか……曖昧なのだ……希望の面をなくしてからは、ほぼはっきりしてるが……。それまで自分がどこで何をしていたかは……よく思い出せない……」悲しみの面。
はて。これはつまり――。
「こころちゃん、ひょっとして付喪神化したの、ごく最近?」
「そ、そんなことはねえぞ! たぶん!」狐の面で言い張る。
「でも、希望の面をなくす前の記憶はないんでしょ?」
「完全にないわけではない! はっきりしないだけだ!」
「私たちが小さい子どもの頃のことを連続した記憶として覚えてないのと同じじゃないの? 蓮子だって小学校に入る前とかは、断片的な場面場面の記憶はあっても、全てを連続した事象としてて覚えてるわけじゃないでしょう。阿求さんじゃあるまいし」
「でもこころちゃん、希望の面をなくしてからまだ十日も経ってないんでしょ?」
「……私は記憶力が悪いのだろうか……」悲しみの面。
ふむ、と蓮子は腕を組んで唸る。
「こころちゃん、ちょっと貴方の能力について確認させて。こころちゃんは人間のあらゆる感情を司ってるのよね?」
「うむ。六十六の面があるよ♪」福の神の面。「でも今は六十五……」悲しみの面。
「希望の面をなくしたことで、こころちゃんの能力は暴走して、不安定な状態にある。希望の面を取り戻さないと安定しない、ってことでいいのよね」
「その通り!」狐の面。
「で、こころちゃんの記憶は、希望の面をなくす以前ははっきりしない……」
そう呟いて、蓮子がしきりの帽子の庇を弄り始める。また何か考え始めたらしい。
だが、すぐに相棒は顔を上げ、「まあ、仕方ないわね」とあっけらかんとした顔で言った。
「こころちゃんが覚えてないんじゃ、色んなところをしらみつぶしに当たるしかないわ。幻想郷になければ、誰かが拾って持ち帰っちゃったんでしょうし。とりあえず幻想郷内の捜索はナズっちとマミゾウさんに任せて、私らは各地の知り合いを当たってみましょ」
――あ、何か隠してるな、と私は直感した。しかし、この相棒が隠した方が良いと判断したなら、それをこの場で突っ込むほど野暮ではない。私は頷き、話を合わせる。
「じゃあ、どこから捜索するの?」
「そうねえ――幻想郷で何か拾って、自宅に持って帰りそうな知り合いといえば……」
冥界の魂魄妖夢さん。里にも買い物に来るから、その道すがら希望の面を拾って、白玉楼に持ち帰ったということは……まあ、あり得なくはなさそうだ。
天界の比那名居天子さん。……は、最近見かけない。まだ天界で謹慎中かもしれない。
魔界の住人……は、どうだろう。以前、神綺様とルイズさんがアリスさんに会いに来ていたが、あれからまた来たりしているのだろうか。
しかしこれらより、一番可能性がありそうなのは――。
「……こいしちゃんか、お燐さん?」
「あらメリー、奇遇ね。私も同じ名前を思い浮かべてたわ」
地底のお屋敷、地霊殿の住人である古明地こいしちゃんと、そのペットの火焔猫燐さん。どちらもちょくちょく地上に出ており、かついかにも拾ったものを持ち帰りそうである。
それに、こいしちゃんは私自身、里での騒ぎの際に目撃しているし――。
「よし、それじゃあ第一目標は地底、地霊殿ね」
「そこに希望の面を盗んだ犯人がいるのか! ぶっとばしてくれる!」狐の面。
「まあまあこころちゃん、まだ可能性の段階だから。とにかく、行ってみましょ」
蓮子はこころさんをなだめて、玄爺にまたがる。私も蓮子の後ろに腰を下ろし、玄爺は「やれやれ」とぼやきながらふわりと浮かび上がった。
。というわけで、背後にこころさんを連れての地底行である。そういえば地底にお邪魔するのも久しぶりだ。お馴染みの、かつて転落したり下から放り投げられたりした縦穴から、私たちは地底へと向かう。
風の吹く縦穴を玄爺の背中に乗って下りながら、私は前に座る蓮子に耳打ちした。
「……で、蓮子。こころさんについて何か思うところあるんじゃないの?」
背後を飛んでいるこころさんには聞こえないような声量にしているつもりだが、聞こえていないことを祈るばかりだ。相棒は視線だけで振り向き、「さすがメリー」と囁き返す。
「一心同体ね、私たち」
「知らないわよ、蓮子の頭の中のことなんて。さとりさんじゃないんだから。――で、あの場で言わなかったってことは、こころさんには聞かせたくない話なんでしょ?」
「なんだ、解ってるじゃない、私の頭の中」
「私に解るのはそこまでよ。何を考えたの?」
「うーん、話してもいいけど……もし希望の面が見つかったら嫌でも話しておかないといけないことだから、とりあえず地霊殿に行ってからにしない?」
「もったいぶらないでよ」
「ワトソンに対して真相の説明をもったいぶるのが名探偵の仕事よ」
全く、ああ言えばこう言う。私はため息をついていると、蓮子が眼下に視線を向け、「あら」と帽子を押さえながら声を上げた。
「ヤマメちゃーん、やっほー」
蓮子がそう呼びかける声とともに、「おお?」と答える声があり、縦穴の下からびよんとジャンプするように飛び上がってくる影ひとつ。土蜘蛛の黒谷ヤマメさんだ。
「おー、蓮子とメリーじゃない。どったの? 勇儀さんから宴会にでも呼ばれた?」
「いやいや、今日の行き先は地霊殿。こいしちゃんとお燐ちゃん、今地底にいる?」
「お燐ならさっき戻ってきてたよ。さとりの妹の方はパルスィに訊いて」
「了解。そういえばキスメちゃんは?」
「あの子人見知りだから隠れてるよ。――で、後ろのお面女は何者?」
ヤマメさんが、こころさんへ訝しげな視線を向ける。
「私の名は秦こころ、面霊気だ!」狐の面で威嚇的に自己紹介。
「面霊気? あー、お面の付喪神か。付喪神が地底に何の用さ」
「こころちゃん、お面をひとつ無くしちゃったんだって。で、それを探しに来たのよ。お燐ちゃんあたり、落とし物を勝手に持ち帰ったりしてないかなーと思って」
「うーん、確かにお燐ならやりかねないなあ」
「ヤマメちゃんは見てない? お地蔵様みたいな白い子供の面らしいんだけど」
「希望ねえ。そんな縁起のいいもんは地底にゃ不釣り合いだなあ。あたしは見てないよ」
「そっか。じゃあ、一週間から十日ぐらい前にお燐ちゃんが地上に出てたかどうか解る?」
「あたしも別にここ見張ってるわけじゃないからね。パルスィに聞きなよ」
「そうね、そうするわ。――じゃあ最後、ここ数日、地底で急に人気者になった妖怪とかいたりしない?」
「急な人気者? そんなのがいたらあたしの情報網に引っ掛かってくると思うけど」
「てことは、特にいないわけね。ありがと、ヤマメちゃん。今度また地底で宴会あったら呼んでよ。遊びに来るから」
「宴会なら毎日やってるけどね。呼んでほしけりゃ勇儀さんに言いな。今ちょうどパルスィんトコいるはずだからさ」
笑って手を振るヤマメさんと別れ、私たちはさらに地の底ヘと下りていく。
穴の最下部まで下りて、トンネルを進むと、ほどなく橋が見えてくる。橋姫の水橋パルスィさんが、地上と地底の出入りを見張っている橋だ。その橋の上に、もうひとつ背の高い影がある。長い金髪と額に屹立する赤い角は見間違えようもない。旧都のまとめ役である鬼の星熊勇儀さんだ。
笑ってこちらに手を振る勇儀さんの元へ下りると、パルスィさんは拗ねたように欄干にもたれてそっぽを向いた。お邪魔してしまっただろうか。
「希望の面、ねえ。私は覚えがないが」
私たちが事情を説明すると、勇儀さんは腕を組んで唸った。
「パルスィ、お前さんはどうだい?」
「……知らないわよ」
そっぽを向いたままパルスィさんは答える。
「じゃあぱるぱるー、こいしちゃん見てない?」
「誰がぱるぱるかっ!」
無駄に馴れ馴れしい蓮子に、パルスィさんが振り返って吼えた。
「わはは、いいじゃないか、ぱるぱる」勇儀さんが笑い、「あんたまで調子に乗るな!」とパルスィさんがその向こう臑にローキック。弁慶の泣きどころを蹴られて平然と笑っている勇儀さんは大物なのか鈍いのか、あるいは両方か。
「……さとりの妹なら、ここ数日は地底に戻ってないわよ。少なくとも私は見てない」
大げさにため息をついて、それからパルスィさんはそう答えた。
「あら、こいしちゃん家出中?」
「あの子の場合、数日戻らないぐらいはよくあることよ」
「さとりちゃんも大変ねえ。こいしちゃんが地上に出て行ったのは具体的に何日前?」
「さあ、四日か五日か、そのぐらいじゃない?」
「一週間前から十日前ぐらいはどう? こころちゃんがお面をなくしたのがその頃なんだけど」
「……私の覚えてる限りだと、その頃はあの子は地底にいたと思うけど」
なんだかんだ言って親切に答えてくれるパルスィさんである。しかし、こころさんがお面をなくした頃に地底にいたとすれば、とりあえずこいしちゃんの容疑は晴れた、と考えていいのかもしれない。
「じゃあ、お燐ちゃんの方はどう? 地霊殿のペットの火車の」
「あの猫? あいつは滅多にここを通らないから知らないわよ」
「あ、そっか、それもそうね」
お燐さんと、その親友のお空さんが働いている灼熱地獄跡の奥には、別に地上へと通じる穴があって、守矢神社が河童と協力して間欠泉センターとして研究施設化している。お燐さんは地上に出るときにそっちを通っているのだろう。
「ありがとう、ぱるぱる。助かったわ」
「だからぱるぱる言うな!」
「だって『パルスィさん』も『パルスィちゃん』も言いにくいんだもん。あ、『ぱるちー』って呼べばいい? ぱーるちー」
「呼ぶな!」
「わはははは。そう怒らなくてもいいじゃないか、ぱるちー」
「だからあんたまで調子に乗るな馬鹿鬼!」
げしげし。ローキックの連打を食らって平然と呵々大笑する勇儀さんと、赤くなって口を尖らせるパルスィさん。その様子はなんだか、飼い猫と引っかかれながらそれをじゃらしている飼い主めいていた。――とか言うと、パルスィさんに睨まれるので口には出さないけども。
―15―
「さっきの橋姫からは、強い嫉妬の感情を感じたわ〜」翁の面でこころさんが言う。
「彼女は嫉妬の感情を操る能力持ちだから、こころちゃんとは性質が近いかもね。六十六のお面の中には嫉妬の面もあるの?」
「もちろんある。取扱注意の面のひとつだから迂闊に出せないが」女の面。
「負の感情の面はやっぱり危険なのかしら」
「そうだ。暴走しやすいから……今の私ではたぶん制御しきれない……」悲しみの面。
「じゃあ、そうならないように希望の面を見つけないとねえ」
「そうだ! 希望の面さえあれば怖いものなどないのだ!」狐の面。
こころさんとそんなことを話しながら、私たちは旧都の旧地獄街道を抜けて地霊殿へと向かう。以前、聖輦船を地底から脱出させる計画のときにちょくちょく地底に顔を出したので、今では地底の妖怪に訝しがられることもない私たちである。
そんなわけで、たどり着いたるは地霊殿。何しろ広いので、入口の扉をノックしてもすぐの返事は期待できない。「おじゃましまーす」と蓮子を先頭に勝手に上がりこむと、出迎えるのは例によってわらわらと集まってきた猫たちだった。
その猫の鳴き声がインターホン代わりとなって、ほどなく奥から現れる影ひとつ。
「……誰かと思ったら、貴女たちでしたか」
この屋敷の主、サトリ妖怪の古明地さとりさんだ。眠そうな半眼を蓮子、私、玄爺、そしてこころさんの順に向け――さとりさんは、こころさんに向けて眉を寄せる。
「そちらは……?」
「面霊気の秦こころですわ♪」福の神の面。
「ええと、さとりさん、実はですね――」
本人のいないところではちゃん付けで呼ぶくせに、本人の前では敬語になる蓮子である。まあ、一応屋敷の主に敬意を払っているということにしておいてあげよう。
「……希望の面、ですか。さて、私には心当たりがありませんね」
蓮子が口で説明するまでもなく、蓮子の心を読んでさとりさんはそう答える。
「ははあ、それでお燐かこいしを疑ったわけですか。……こいしはここ数日出かけたままですよ。そろそろ探しに行こうかと思っていたところです。お燐は居ますから呼びましょうか」
「お願いしますわ」
「では、こちらで少々お待ちを」
案内された先は応接間だった。ソファーに腰を下ろすと、ほどなくお燐さんが現れる。
「やっほー、蓮子。なんか呼ばれたけど、あたいに何か用かい?」
「やあやあお燐ちゃん、ご無沙汰。お空ちゃんは元気?」
「あいつは相変わらずだよ。――で、そこのは面霊気だって? お面の付喪神が何の用さ」
「希望の面を返してもらおう!」狐の面で構えるこころさん。
「おお? なんだいなんだい、穏やかじゃないね」
「探し物をしてるのよ。この子がなくしたお面。白い子供の顔のお面らしいんだけど」
「お面? お面の付喪神が身体の一部をなくしたのかい。そりゃ難儀だねえ。――生憎、あたいにも覚えがないよ。お面なんて久しく見てないねえ」
頭を掻くお燐さんに、私たちは顔を見合わせる。どうやら地底捜索は完全に空振りらしい。
「あらら。地上で無くしたらしいから、お燐ちゃんなら心当たりあるかもと思ってたけど」
「あたいが持ち去ったとでも思ってたのかい。あたいが持ち去るのは死体だけだよ。地上から変なものを拾ってきそうなのはこいし様の方じゃないかねえ」
「変なものとは何だ!」般若の面で威嚇するこころさん。
「いやいや、言葉の綾だって」お燐さんはたじろぐ。
「じゃあお燐ちゃん、ここ最近で何か変わったこととかなかった?」蓮子が問う。
「変わったこと? 何かあったかなあ」
お燐さんは首を捻り、少し考えてから「そういえば」と顔を上げる。
「……こいし様の気配が、ちょっと感じ取りやすくなったような」
「こいしちゃんの?」
「ああ。普段はあたいにもこいし様はほとんど姿が見えないんだけど、少し前にこいし様らしき気配をわりとはっきり感じたような。まあ、大したことじゃないけどさ」
「少し前って? こいしちゃんはここ数日出かけてるそうだけど、その前?」
「そうさね。一週間ぐらい前だったかねえ」
――その答えに、私たちはまた顔を見合わせた。
お燐さんが仕事に戻っていき、入れ替わりにさとりさんが応接間にやってきた。
「お探しのものは……見つからなかったようですね。……こいしのことが気になりますか?」
さとりさんは蓮子を見やって言う。相変わらず話の早い御方だ。
「お燐の言った通り、一週間ほど前、不意にこいしの気配が感じ取りやすくなりました。その後すぐ地上に出て行ってしまったので、今はどうだかわかりませんが」
「そういうことは」
「よくあること、ではないですね。あの子が何かの理由で少し心を開く気になったのか……私にもわかりません。確かめようにもあの子の考えていることはわかりませんし」
ふむ、と蓮子は腕を組んで唸る。さとりさんはこころさんを見やり、「そちらの方の探し物と関係があるかどうかは、もちろんわかりませんが」と言い添える。
それからさとりさんは私に向き直り、「メリーさんでしたね」とじっと私を見つめた。
「もし地上でこいしを見かけたら、そろそろ帰るように言ってもらえますか」
「は、はあ。それは構いませんけど……」
「よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げられては、無碍にもできない。私は曖昧に頷く。確かにこの中で、確実にこいしちゃんとのコミュニケーションが可能なのは私だけなのだし。
「こころちゃん、こいしちゃんが希望の面を持ってる可能性ってあると思う?」
「私にはよくわからない」女の面。まあ、こころさんはこいしちゃんを知らないのだから、そう答えるしかあるまい。しかし、仮にこころちゃんの気配の強化が希望の面の影響だったとしても、地上でこころさんがなくした希望の面を、地底にいたこいしちゃんが手に入れる手段があったのだろうか?
普通に考えれば、希望の面とこいしちゃんの気配の件は無関係だろうが、しかし他に手がかりもない。となれば、とりあえずはこいしちゃんを捕まえて話を聞くのが先決か。問題は「こいしちゃんを捕まえる」ということが甚だ難題であることだが。ただでさえ、蓮子がいるとあの子は逃げだしてしまうし――。
ともかく、地底での希望の面探しはどうやら空振りでファイナルアンサーらしかった。さとりさんに挨拶をして、私たちは地霊殿を辞去することにする。
――その、帰り際。
こころちゃんが先に屋敷の外に出たあと、玄関でさとりさんが私たちを呼び止めた。
「……ひとつ、貴女たちにお伝えしておこうと思います」
「なんです?」
「あの面霊気のことです。――彼女の心が、私にはほとんど読めません」
「ええ?」
眉を寄せる私たちに、さとりさんは「人間の赤ん坊と同じです」と答えた。
「私が読むのは思考ですから、人間の赤ん坊のように感情だけで思考が言語化されない、自我のない心を読むのは不得意です。私がこいしの心を読めないのもそれが理由です。心を閉ざしたあの子には、主体的な自我が極めて希薄なんです」
「……こころちゃんもそれと同じだと?」
蓮子の問いに、さとりさんは頷いた。
「あの面霊気は――明らかに、芽生えたばかりの、脆弱な自我しか持っていません」
第12章 心綺楼編 一覧
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ナズーリンがちょっと丸くなってる…気がする(笑)
相変わらず地底の面々が楽しそうで何より。
そして自分から「探しに行こう」だなんて…さとり様とこいしの関係も少しは近くなったのでしょうか。蓮子の好奇心とおせっかいが誰かの役に立ったと思うと、なんだかこころが温かくなります。
もふもふ尻尾の生臭狸の活躍にも期待しています(つーか親分、さてはテメー黒幕だな? と疑ってみる)
希望の面はどこにあるのか。乞うご期待。そして次の話が気になりますなぁ。
誰かがこころを生んで(作って)、希望の面だけは作らなかったとか?
生まれたてのこころちゃんの存在が誰かに利用されているということだろうか?
親分がこころちゃんを配下にしようとしてるとかかな。
むしろ面が欠けてこころちゃんが産まれたって逆張りしてみる
気配の強化って、「こころちゃん」ではなく「こいしちゃん」ですよね
あと地の文で「こころちゃん」になってるところがあります