以上が、あの宗教戦争の夏の裏側で起きていた《異変》を巡る、我が相棒、宇佐見蓮子の誇大妄想の記録である。
一番肝心な謎が解かれていないではないか――とお怒りの向きはあろうが、今回は予め破綻したミステリであることを冒頭から宣言しているので、どうかその旨了解されたい。さすがの相棒だって、全く見知らぬ、手がかりもない犯人は妄想のしようもないのだ。
だが、読者諸賢は、もしかしたら既に、その犯人を知っているかもしれない。
貴方はもう、宇佐見蓮子の先を行っているかもしれないのだ。
――この記録において、私に言えるのは、それだけである。
◇
さて、異変の表側で起きていた宗教戦争だが、その経過については、博麗神社で上演されて好評を博した創作能楽『心綺楼』で詳しく演じられたので、読者諸賢の多くは既にご存じのことと思う。
見逃した、という方のために、以下に簡単に説明すれば――。
霊夢さん、魔理沙さん、白蓮さん、太子様、にとりさん、こいしちゃん――彼女ら、この宗教戦争に参戦した面々は、それぞれマミゾウさん(と慧音さん)の手引きでこころさんと引き合わされ、それらの希望がこころさんの元に集まったことで、里は落ち着きを取り戻した。
そして、失われた希望の面の代わりとして、こころさんの元々の製作者である太子様が、新しい希望の面を創り、こころさんに与えた。
これで、この宗教戦争は終わるはずだったのだが――相棒やマミゾウさんが懸念していた通り、新たな希望の面を手に入れたこころさんは、それによって自我消失の危機を迎えることになった。感情のコントロールを学ぶため、こころさんは一度、新しい希望の面を封印する。これによって再び里の希望が少なくなり、元々の希望の面を所持するこいしちゃんが里で人気を集めることになった。
こころさんは、命蓮寺に入信してみたり、こいしちゃんと何度も決闘したりして修行を積み、やがて「里の感情を乱しているのは宗教家である」と結論に至る。そして、宗教と決別するため、霊夢さん・白蓮さん・太子様の三人と決闘するに至る。
その後、博麗神社で能楽の上演を始め、様々な体験を経て感情を学んだこころさんは、自らの感情をコントロールする力を身につけた。かくして妖怪「面霊気」秦こころは、無事六十六の面を取り戻し、幻想郷に能楽ブームをもたらした。
……というのが、今回の異変の物語であったわけである。
時間を少し巻き戻し――こころさんが、創作能楽『心綺楼』を始めるより少し前。
「しかし、何度見てもこの新しい希望の面、製作者の自己主張が強いわねえ」
「そのぐらい図々しくないと為政者や宗教家にはなれないってことじゃないの?」
「希望の面としては完璧な出来だぞ」
博麗神社。能楽の上演が終わり、観客が帰路についたあとの境内で、私たちはこころさんと話をしていた。太子様の創った新しい希望の面は、太子様自身の顔を象った金色の面である。正直、あまり趣味がいいとは思えないのだけれども。
「まあ、何にしてもこころちゃんの自我が失われなくて良かったわ」
「修行の成果だ!」狐の面。
相変わらず本人の顔はほぼ無表情だけれども、それでも口元や眉がほんの少しは動くようになった……ような気もする。先は長そうだが、妖怪の寿命は長いのだ。ゆっくりとでも、感情を表せるようになればいいのだろう。
「ところでこころちゃん、今やってる能楽の演目って?」
「見てたんじゃないの?」猿の面。
「いやあ、見てたんだけど、よくわかんなくてね」蓮子は頭を掻く。
確かに、私も能楽に詳しくないからかもしれないが、こころさんの上演する能楽の内容はどうもよくわからなかった。周りの観客も、反応を見る限り、どうもよくわかってないままに「能楽とはよくわからないものだなあ」と思っている人が大半のようである。
私がそれを伝えると、「むむむ」と猿の面でこころさんは唸る。
「能楽とは本来大衆芸能だから、難しいものではないんだけど……」悲しみの面。
「もっと、見てるだけで内容がパッとわかるものの方がいいかもねえ」
「あらなに? うちの催し物に何か文句でもある?」
と、そこに割り込んできたのは、この能楽の主催者である霊夢さんだ。小型の賽銭箱をぶら下げて、幟を背負った営業スタイル。宗教家がそんな商売根性丸出しでいいのだろうか。
「あら霊夢ちゃん。儲かってる?」
「ぼちぼちね。で、あんたたちはこころに何を吹きこんでるのよ」
「いやいや、ただの友人としての助言ですわ」
「友人ねえ。蓮子、メリー、あんたたちは人間と妖怪、どっちの味方なのよ。今回も私より先にこころのこと知ってたくせに、私に知らせずにマミゾウの手先になってたんでしょ?」
「異変解決の手伝いをしたと言ってほしいですわ」
「異変解決はマミゾウじゃなく私の仕事だっての。全く、どいつもこいつも私の仕事に勝手に首突っ込んで話をややこしくするんだから……」
頭を掻いて、霊夢さんは蓮子をじろりと睨む。
「あんまり妖怪の味方してると、本当に妖怪になっちゃうわよ、あんたたち」
「妖怪の味方じゃないわよ。私は強いて言うなら、何事も面白い方の味方」
「――やっぱりあんたたちに小鈴の見張り頼んだの、間違いだったかしら」
はあ、と呆れ顔でため息をつく霊夢さん。それは私もその通りだと思う。
「あ、そうだ。そういえばあんたたち、早苗の奴が何してるか知らない?」
と、霊夢さんが今度はそんなことを言い出す。
「早苗ちゃん?」
「守矢の連中、なんでだか今回の宗教戦争に首突っ込んで来なかったじゃない。早苗も最近顔見せないし。神奈子があんな信仰獲得の大チャンスに何もしてこないなんて、絶対何か悪巧みしてるはずだから、後で退治しに行ってやろうかと思ってるんだけど」
私たちは顔を見合わせ、思わず苦笑する。相変わらず、霊夢さんの勘は冴えていると言うべきなのか否か。
「いやあ、守矢神社は今回の騒ぎに参戦する機会を逃しただけよ」
「機会を逃した? そんな機会を気にするような騒ぎだったかしら」
「効果的に信仰を集めるために、いろいろ作戦練ってたみたいよ。それが、作戦を発動する前に宗教戦争が落ち着いちゃって元の木阿弥、水の泡らしいわ」
「何よそれ。まあ、あいつらが裏でこそこそやるのはいつものことだけど……」
口を尖らせてぶつぶつ言う霊夢さん。と、そこへさらに近付いてくる影がひとつ。
「やあ、何か問題か?」
「あ、慧音さん」
自警団員として能楽の警備をしていた慧音さんである。こころさんと霊夢さんに「おつかれさま」と声をかけ、それから私たちに向き直った。
「蓮子、メリー。君たちはあまり遅くなる前に里に戻りなさい」
「はーい、承知しておりますわ。慧音さんは?」
「私はまだしばらくここの見回りを続ける。それが自警団の本分だからな」
「お疲れ様です。慧音さんもあまり無理しないでくださいね」
私が言うと、慧音さんは「ありがとう」と爽やかに笑った。
「今までの騒ぎに比べれば、このぐらい何の負担でもないさ。里も落ち着いたし、こころ殿の問題も概ね解決したようだし、異変が解決するというのはいいものだな」
空を見上げ、満足そうに慧音さんは呟く。その顔は、たぶんこの異変に関わった誰よりも爽やかで――今回の騒ぎで一番得をしたのは、案外慧音さんなのかもしれない、と思う。厭世観の満ちた里の不穏な空気に心を痛めていた、その心労がなくなったのだからして。
「ああそうだ、慧音さん」
と、蓮子が呼びかけ、慧音さんは「ん?」と振り返る。
「慧音さんから見て、こころちゃんの能楽、どうでした?」
「どう、と言われてもな。正直、芸能の審美眼は自信がないぞ」慧音さんは頭を掻く。
「気にせず素直な感想を聞かせてね♪」こころさんはひょっとこの面。
「素直な感想と言われてもな……。そもそも、今回の演目は何だったんだ? 私も能楽のあらゆる演目を知っているわけではないが、少なくとも今回の演目は初めて見た」
「『仮面喪心舞 暗黒能楽』である!」狐の面。
「……やはり初耳だな」慧音さんは首を捻る。
というか、暗黒能楽って何やら物騒なイメージの名前だ。
「こころちゃん、その演目、どこで知ったの?」蓮子が問う。
「希望の面を探していたとき、拾った巻物で読んだよ」福の神の面。
「……巻物?」
◇
書物のことなら、調べに行くべきは、まずは鈴奈庵である。
そんなわけで翌日の午後、寺子屋の授業が終わってから、私たちは鈴奈庵を訪れたのだが。
「きゃっ!」
「わっ、小鈴ちゃん?」
暖簾をくぐろうとしたところで、中から飛び出してきた小柄な影が、どしん、と蓮子の平らな胸にぶつかった。誰かと思えば、当の小鈴ちゃんである。何やら巻物を握りしめた小鈴ちゃんは、顔を上げて目をまん丸に見開く。
「あっ、蓮子さんにメリーさん! すみません!」
「いや、どうしたの? そんなに慌てて」
「そ、そうです! 私、大変なことに気付いてしまったんです!」
と、私たちはそのまま小鈴ちゃんに店の中に引っ張り込まれる。店内には他のお客さんはいないようである。いつも小鈴ちゃんが陣取っているカウンター代わりの机の上、小鈴ちゃんは手にしていた巻物を広げた。中に記されているのは、私には読めない謎の文字。
「……なにこれ?」
「妖魔本です。『山怪散楽図』っていう――最近手に入れた妖魔本だったんですが、そのときにはあんまり興味を引かれない内容だったので、本棚の上にしまっておいたんですけど……」
「読めないわねえ。なんて書いてあるの?」蓮子が問う。
「ここの序文については、後で説明します。――その前に、おふたりとも、博麗神社のあの催し物、見ましたよね?」
「能楽のこと? うん、昨日見てきたけど」
「それなら話が早いです。――これを見てください!」
そう言って、巻物を広げていった小鈴ちゃんが、指さした箇所。
――そこには、昨日の演目内でこころさんが何度も見せた型が描かれている。
「あれ、これって……」
「そう、神社で見た能楽そっくりなんです!」
私たちは顔を見合わせる。――ということは、こころさんが拾って読んだ巻物というのが、これのことなのか。しかし、それがなんで鈴奈庵に?
「……で、小鈴ちゃん。この巻物はなんて書いてあるの?」
「はい。序文によると、能楽になぞらえて妖怪が遊びで描いたものらしいんですが――問題は、この神社で演じられていた能楽そっくりの部分の文章なんです」
そう言って、小鈴ちゃんは巻物の絵に添えられたキャプションらしき文章を読み上げる。
「〝能は感情を与える芸能だが、妖怪の能は人から感情を奪うことができる。これを暗黒能楽と呼ぶ〟――あの能楽師が演じているのがこれなら、きっと何か妖怪の陰謀が!」
人から感情を奪う、暗黒能楽……? はて、こころさんの演じていたあれが、そんな物騒なものだったとは聞いていない。あれもこころさんの感情修行の一環のはずではなかったか。
「だいたい、あの能楽師、人間じゃないような感じでしたし!」
小鈴ちゃんは言う。うーん、と蓮子は腕を組んで唸る。
「私にはこの文字が読めないから、小鈴ちゃんの言を信じるとして――人から感情を奪う暗黒能楽ねえ。昨日見てきた私たちは、感情を奪われた気はしないけど」
「気付かれないほど徐々に感情を奪われているのかもしれませんよ!」
「仮にそうだとして、小鈴ちゃん、どうする気?」
「ええと、とりあえず阿求に相談しようと思ったんですけど……」
「妖怪案件なら、霊夢ちゃんに相談したら?」
「あ、そうですね。霊夢さんなら……あれ? いやでも、あの能楽、博麗神社が主催ですよ。ってことは、霊夢さんもグルなのでは!?」
小鈴ちゃん、大正解。ついでに言えば、私たちも慧音さんもグルであるし、鈴奈庵にときどき客として来ているというマミゾウさんもグルである。知らぬは小鈴ちゃんばかりなり。
蓮子はもっともらしく頷き、「そうねえ」と首を捻った。
「小鈴ちゃん、この巻物、どこで手に入れたの?」
「香霖堂です! あそこ、ときどき妖魔本の出物があるので」
「ふむ。小鈴ちゃん、この件、私たち秘封探偵事務所に預けてくれない? 私もちょっと気になるから、伝手を辿って、あの能楽師のこと調べてみるわ」
「え? いいんですか?」
「任せなさい。調べ物は探偵事務所の本業よ」
いけしゃあしゃあとウィンクし、「というわけで、これ貸してもらえる?」と蓮子は巻物を軽く叩いた。――やれやれ。
上手いこと言って『山怪散楽図』を小鈴ちゃんから借り出した相棒は、その足で香霖堂に向かった。店主の霖之助さんに見せると、「ああ、これか」と彼は頷く。
「これ、どこで仕入れたんです?」
「天狗が無縁塚に捨てていったものだよ。天狗はときどき、新聞の売れ残りとか、お遊びで作って飽きた戯書をあそこに処分していくんだ」
「それを霖之助さんが拾ってきたと。ということは、これは天狗の作なんですかね」
「中身は能楽図のようだが、僕の知る限り能楽にそんな演目はないし、天狗がわざわざ新作能楽を作るとも思えない。天狗が遊びで作った戯書だろうね」
「なるほど……」
「その戯書がどうかしたのかい?」
「霖之助さん、博麗神社でやってる能楽はご覧になりました?」
「神社で? いや、ここしばらく博麗神社には行っていないな。なんだ、まさか霊夢が能をはじめたのかい? 確かに能楽は神事だけどね」
「いえいえ、ご存じないのでしたらそれで」
蓮子が笑って誤魔化すと、霖之助さんは訝しげに首を傾げた。
というわけで、本人に見せてみることにしたわけだが。
「おお、私が見たのはこれだ!」福の神の面。
「こころちゃん、どこで見たの?」
「なんだっけ、いろいろ変なものが落ちてる場所」猿の面。
「無縁塚ね」
「そこで一度読んで、あとでまた読もうと思ってその場に置いておいたら、次に行ったらなくなっていた……」悲しみの面。
つまり、こころさんが読んだあとに霖之助さんが拾っていき、それを小鈴ちゃんが香霖堂から買い取ったということなのだろう。
「一度読んだだけで覚えちゃったの?」
「能楽の演目なら一度読んで舞えばだいたい覚えられる!」狐の面。
「能面の付喪神だもんねえ」
「なんじゃなんじゃ、なんの話じゃ」
と、そこへ割り込んできたのはマミゾウさんだ。蓮子が巻物を渡すと、マミゾウさんは眼鏡の位置を直しながら、目をすがめて巻物の文字を読み、肩を竦める。
「何かと思ったら、天狗の作った戯書じゃないか」
「読めるんです?」
「まあの。なるほど、こやつのあの演目の元ネタはこれか。で、どうしたんじゃこれ」
「ええ、実は……」
蓮子が小鈴ちゃんの懸念を伝えると、マミゾウさんは「なんじゃ、霊夢の奴、里の人間にまるで信用されとらんじゃないか」と吹き出して笑う。
「しかし、確かに儂の見る限りでも、観客も戸惑っておったのう。意味がわからんと言うて」
「私の舞が拙いのだろうか……」悲しみの面。
「いや、こんなわけのわからん演目をやっとるからじゃろ。――ふむ、演目には改善の余地があるようじゃな。今のままでは観客に無用の不安を呼び起こしかねんのう」
丸めた巻物をぽんと叩き、それからマミゾウさんは私たちを見やった。
「よし。儂からお前さんたちに依頼じゃ」
「ははあ、何なりと」
調子良く笑った蓮子に、マミゾウさんは不敵な笑みを浮かべて、こころさんを振り向く。
「お前さんたち、こいつの新しい演目を考えてやっとくれんか」
「――――はい?」
私たちは、思わず顔を見合わせた。
そして、それから一週間後、再び鈴奈庵。
「能楽の新しい演目、ですか?」
「そう。例の能楽師、小鈴ちゃんの懸念通り、面霊気っていう妖怪でね。『山怪散楽図』の通り、観客の感情を奪おうとあの演目を舞ってたみたい。まあ、うろ覚えだったせいでそんなに上手くいかなかったらしいんだけど、霊夢ちゃんに伝えたらすごい剣幕でとっちめてたわ」
「ああ……なんだ、霊夢さんはグルじゃなかったんですね」
小鈴ちゃんはほっと胸をなで下ろす。――まあ、今の蓮子の説明は全てマミゾウさんの考えた嘘っぱちであるのだが。
「で、反省した面霊気は、今度は人に楽しいという感情を与える演目をやるんだって」
「それ、信用できるんですか?」
「疑り深いわねえ。でも小鈴ちゃん、興味はあるんでしょ?」
蓮子にいたずらっぽい笑顔で覗きこまれ、小鈴ちゃんは「う」と唸る。
「大丈夫よ、霊夢ちゃんも見張ってるし」
「それはいいんですけど……。能楽の楽しみ方が、結局よくわからなくて」
「それも問題なし。今度の演目は誰にでもわかる、現代風の楽しい演目だから。テーマは今回の宗教騒ぎよ。題名は『心綺楼』」
「そうなんですか? それならちょっと面白そうですけど」
顔を上げた小鈴ちゃんは、私たちを見つめて、不思議そうに目をしばたたかせる。
「蓮子さん、なんでそんなに詳しいんですか?」
「そりゃあ――名探偵だからよ」
にっと猫のように笑った蓮子に、私はその横でこっそり息を吐いた。
◇
――というわけで。
博麗神社で上演された新作能楽『心綺楼』の原案は、実は私たちなのである。
原案といっても、アイデアを出しただけだ。今回の宗教戦争を題材にすればいいのではないか――という。それを元に、今回の騒動に一番詳しいマミゾウさんが、専門家であるこころさんと合作する形で作ったのが『心綺楼』になる。
その後の『心綺楼』の里での人気については、ここで筆を費やすまでもあるまい。
そう、この記録は実は――あの能楽に私たちもちょっとだけでも関わっていたのだという、しょうもない自慢話なのである。
◇
最後に、ひとつだけ語っておきたい挿話がある。
新作能楽『心綺楼』初演のその日。小鈴ちゃんや妹紅さんなど、今回の騒動に脇で関わった人たちも大勢集まった観客たちの中に、珍しい顔を私たちは見つけた。
「……さとりさん?」
「あら、こんにちは」
地霊殿の主、古明地さとりさんである。地上で見かけるとは珍しい。
「どうしてまた」
「この舞台にこいしが出ると小耳に挟んだのですが。……あら、お燐の勘違いでしたか」
相変わらず心を読んでひとりで勝手に話を進めてしまうひとである。つまり、お燐さんがこの『心綺楼』の噂を聞いて、こいしちゃんが出演するのだと勘違いしてさとりさんに報告し、さとりさんが妹の活躍を見に来たということらしい。
もちろん、『心綺楼』の中にはこいしちゃんも登場するが、演じるのはこころさんだ。
「まあ、せっかくですから見て行くことにしましょう。……おふたりが原案なのですか」
「アイデアを出しただけですけどね。そういえば、こいしちゃんは……」
「あの子はいつも通り、どこかをふらふらしていますよ」
遠くを見るようにさとりさんは目を細め、「けれど」と言葉を繋ぐ。
「……あれ以来、あの子の気配は、前より強まったままです。最近は、それなりにあの子と普通に話ができるようになってきました」
「ええ? でも、こいしちゃんの……」
「はい、あの子の拾ったという面はもう、ただの面になって我が家に飾られています。あれは何の力もない普通の面です」
そう、太子様の作った新しい希望の面がこころさんに定着したことで、こいしちゃんが拾った元の希望の面は力を失ったはずだった。そうすれば、こいしちゃんは元通り、誰にも気付かれない無意識の妖怪に戻るはず……。
私の疑問を読み取ったのか、さとりさんは私に視線を向ける。
「……あの子は今回の騒ぎで、久しぶりに他人に注目され、新しい友達もできたそうですね。たぶん、それで少し、あの子が変わったんだと思います。――自分を見てほしい友達が、あの子にできたということなのでしょう」
そう言って、さとりさんが見上げた舞台の上、『心綺楼』の上演が始まった。
霊夢さん、魔理沙さん、白蓮さん、太子様、一輪さん、布都さん、にとりさん、こいしちゃん――今回の宗教戦争で争った面々の姿を、こいしちゃんは戯画的に舞う。それは誰を演じているのか一目でわかるほど明解で、すぐに観客からは笑いが巻き起こった。
これなら、誰も不安に思うことはない。わかりやすく笑えて、誰でも楽しめる、新しい伝統芸能としての能楽。
それを舞うこころさんの顔は、相変わらずの無表情だったけれど――。けれどその剽軽な動作は、彼女自身がそれを楽しんでいるからこそ、皆が笑えるのだと、そんな風に思った。
そうして、愉快な舞を続けるこころさんのそばに。
一緒になって、紙吹雪を散らしながら楽しそうに踊る、少女の姿が見えた気がした。
【第12章 心綺楼編――了】
一番肝心な謎が解かれていないではないか――とお怒りの向きはあろうが、今回は予め破綻したミステリであることを冒頭から宣言しているので、どうかその旨了解されたい。さすがの相棒だって、全く見知らぬ、手がかりもない犯人は妄想のしようもないのだ。
だが、読者諸賢は、もしかしたら既に、その犯人を知っているかもしれない。
貴方はもう、宇佐見蓮子の先を行っているかもしれないのだ。
――この記録において、私に言えるのは、それだけである。
◇
さて、異変の表側で起きていた宗教戦争だが、その経過については、博麗神社で上演されて好評を博した創作能楽『心綺楼』で詳しく演じられたので、読者諸賢の多くは既にご存じのことと思う。
見逃した、という方のために、以下に簡単に説明すれば――。
霊夢さん、魔理沙さん、白蓮さん、太子様、にとりさん、こいしちゃん――彼女ら、この宗教戦争に参戦した面々は、それぞれマミゾウさん(と慧音さん)の手引きでこころさんと引き合わされ、それらの希望がこころさんの元に集まったことで、里は落ち着きを取り戻した。
そして、失われた希望の面の代わりとして、こころさんの元々の製作者である太子様が、新しい希望の面を創り、こころさんに与えた。
これで、この宗教戦争は終わるはずだったのだが――相棒やマミゾウさんが懸念していた通り、新たな希望の面を手に入れたこころさんは、それによって自我消失の危機を迎えることになった。感情のコントロールを学ぶため、こころさんは一度、新しい希望の面を封印する。これによって再び里の希望が少なくなり、元々の希望の面を所持するこいしちゃんが里で人気を集めることになった。
こころさんは、命蓮寺に入信してみたり、こいしちゃんと何度も決闘したりして修行を積み、やがて「里の感情を乱しているのは宗教家である」と結論に至る。そして、宗教と決別するため、霊夢さん・白蓮さん・太子様の三人と決闘するに至る。
その後、博麗神社で能楽の上演を始め、様々な体験を経て感情を学んだこころさんは、自らの感情をコントロールする力を身につけた。かくして妖怪「面霊気」秦こころは、無事六十六の面を取り戻し、幻想郷に能楽ブームをもたらした。
……というのが、今回の異変の物語であったわけである。
時間を少し巻き戻し――こころさんが、創作能楽『心綺楼』を始めるより少し前。
「しかし、何度見てもこの新しい希望の面、製作者の自己主張が強いわねえ」
「そのぐらい図々しくないと為政者や宗教家にはなれないってことじゃないの?」
「希望の面としては完璧な出来だぞ」
博麗神社。能楽の上演が終わり、観客が帰路についたあとの境内で、私たちはこころさんと話をしていた。太子様の創った新しい希望の面は、太子様自身の顔を象った金色の面である。正直、あまり趣味がいいとは思えないのだけれども。
「まあ、何にしてもこころちゃんの自我が失われなくて良かったわ」
「修行の成果だ!」狐の面。
相変わらず本人の顔はほぼ無表情だけれども、それでも口元や眉がほんの少しは動くようになった……ような気もする。先は長そうだが、妖怪の寿命は長いのだ。ゆっくりとでも、感情を表せるようになればいいのだろう。
「ところでこころちゃん、今やってる能楽の演目って?」
「見てたんじゃないの?」猿の面。
「いやあ、見てたんだけど、よくわかんなくてね」蓮子は頭を掻く。
確かに、私も能楽に詳しくないからかもしれないが、こころさんの上演する能楽の内容はどうもよくわからなかった。周りの観客も、反応を見る限り、どうもよくわかってないままに「能楽とはよくわからないものだなあ」と思っている人が大半のようである。
私がそれを伝えると、「むむむ」と猿の面でこころさんは唸る。
「能楽とは本来大衆芸能だから、難しいものではないんだけど……」悲しみの面。
「もっと、見てるだけで内容がパッとわかるものの方がいいかもねえ」
「あらなに? うちの催し物に何か文句でもある?」
と、そこに割り込んできたのは、この能楽の主催者である霊夢さんだ。小型の賽銭箱をぶら下げて、幟を背負った営業スタイル。宗教家がそんな商売根性丸出しでいいのだろうか。
「あら霊夢ちゃん。儲かってる?」
「ぼちぼちね。で、あんたたちはこころに何を吹きこんでるのよ」
「いやいや、ただの友人としての助言ですわ」
「友人ねえ。蓮子、メリー、あんたたちは人間と妖怪、どっちの味方なのよ。今回も私より先にこころのこと知ってたくせに、私に知らせずにマミゾウの手先になってたんでしょ?」
「異変解決の手伝いをしたと言ってほしいですわ」
「異変解決はマミゾウじゃなく私の仕事だっての。全く、どいつもこいつも私の仕事に勝手に首突っ込んで話をややこしくするんだから……」
頭を掻いて、霊夢さんは蓮子をじろりと睨む。
「あんまり妖怪の味方してると、本当に妖怪になっちゃうわよ、あんたたち」
「妖怪の味方じゃないわよ。私は強いて言うなら、何事も面白い方の味方」
「――やっぱりあんたたちに小鈴の見張り頼んだの、間違いだったかしら」
はあ、と呆れ顔でため息をつく霊夢さん。それは私もその通りだと思う。
「あ、そうだ。そういえばあんたたち、早苗の奴が何してるか知らない?」
と、霊夢さんが今度はそんなことを言い出す。
「早苗ちゃん?」
「守矢の連中、なんでだか今回の宗教戦争に首突っ込んで来なかったじゃない。早苗も最近顔見せないし。神奈子があんな信仰獲得の大チャンスに何もしてこないなんて、絶対何か悪巧みしてるはずだから、後で退治しに行ってやろうかと思ってるんだけど」
私たちは顔を見合わせ、思わず苦笑する。相変わらず、霊夢さんの勘は冴えていると言うべきなのか否か。
「いやあ、守矢神社は今回の騒ぎに参戦する機会を逃しただけよ」
「機会を逃した? そんな機会を気にするような騒ぎだったかしら」
「効果的に信仰を集めるために、いろいろ作戦練ってたみたいよ。それが、作戦を発動する前に宗教戦争が落ち着いちゃって元の木阿弥、水の泡らしいわ」
「何よそれ。まあ、あいつらが裏でこそこそやるのはいつものことだけど……」
口を尖らせてぶつぶつ言う霊夢さん。と、そこへさらに近付いてくる影がひとつ。
「やあ、何か問題か?」
「あ、慧音さん」
自警団員として能楽の警備をしていた慧音さんである。こころさんと霊夢さんに「おつかれさま」と声をかけ、それから私たちに向き直った。
「蓮子、メリー。君たちはあまり遅くなる前に里に戻りなさい」
「はーい、承知しておりますわ。慧音さんは?」
「私はまだしばらくここの見回りを続ける。それが自警団の本分だからな」
「お疲れ様です。慧音さんもあまり無理しないでくださいね」
私が言うと、慧音さんは「ありがとう」と爽やかに笑った。
「今までの騒ぎに比べれば、このぐらい何の負担でもないさ。里も落ち着いたし、こころ殿の問題も概ね解決したようだし、異変が解決するというのはいいものだな」
空を見上げ、満足そうに慧音さんは呟く。その顔は、たぶんこの異変に関わった誰よりも爽やかで――今回の騒ぎで一番得をしたのは、案外慧音さんなのかもしれない、と思う。厭世観の満ちた里の不穏な空気に心を痛めていた、その心労がなくなったのだからして。
「ああそうだ、慧音さん」
と、蓮子が呼びかけ、慧音さんは「ん?」と振り返る。
「慧音さんから見て、こころちゃんの能楽、どうでした?」
「どう、と言われてもな。正直、芸能の審美眼は自信がないぞ」慧音さんは頭を掻く。
「気にせず素直な感想を聞かせてね♪」こころさんはひょっとこの面。
「素直な感想と言われてもな……。そもそも、今回の演目は何だったんだ? 私も能楽のあらゆる演目を知っているわけではないが、少なくとも今回の演目は初めて見た」
「『仮面喪心舞 暗黒能楽』である!」狐の面。
「……やはり初耳だな」慧音さんは首を捻る。
というか、暗黒能楽って何やら物騒なイメージの名前だ。
「こころちゃん、その演目、どこで知ったの?」蓮子が問う。
「希望の面を探していたとき、拾った巻物で読んだよ」福の神の面。
「……巻物?」
◇
書物のことなら、調べに行くべきは、まずは鈴奈庵である。
そんなわけで翌日の午後、寺子屋の授業が終わってから、私たちは鈴奈庵を訪れたのだが。
「きゃっ!」
「わっ、小鈴ちゃん?」
暖簾をくぐろうとしたところで、中から飛び出してきた小柄な影が、どしん、と蓮子の平らな胸にぶつかった。誰かと思えば、当の小鈴ちゃんである。何やら巻物を握りしめた小鈴ちゃんは、顔を上げて目をまん丸に見開く。
「あっ、蓮子さんにメリーさん! すみません!」
「いや、どうしたの? そんなに慌てて」
「そ、そうです! 私、大変なことに気付いてしまったんです!」
と、私たちはそのまま小鈴ちゃんに店の中に引っ張り込まれる。店内には他のお客さんはいないようである。いつも小鈴ちゃんが陣取っているカウンター代わりの机の上、小鈴ちゃんは手にしていた巻物を広げた。中に記されているのは、私には読めない謎の文字。
「……なにこれ?」
「妖魔本です。『山怪散楽図』っていう――最近手に入れた妖魔本だったんですが、そのときにはあんまり興味を引かれない内容だったので、本棚の上にしまっておいたんですけど……」
「読めないわねえ。なんて書いてあるの?」蓮子が問う。
「ここの序文については、後で説明します。――その前に、おふたりとも、博麗神社のあの催し物、見ましたよね?」
「能楽のこと? うん、昨日見てきたけど」
「それなら話が早いです。――これを見てください!」
そう言って、巻物を広げていった小鈴ちゃんが、指さした箇所。
――そこには、昨日の演目内でこころさんが何度も見せた型が描かれている。
「あれ、これって……」
「そう、神社で見た能楽そっくりなんです!」
私たちは顔を見合わせる。――ということは、こころさんが拾って読んだ巻物というのが、これのことなのか。しかし、それがなんで鈴奈庵に?
「……で、小鈴ちゃん。この巻物はなんて書いてあるの?」
「はい。序文によると、能楽になぞらえて妖怪が遊びで描いたものらしいんですが――問題は、この神社で演じられていた能楽そっくりの部分の文章なんです」
そう言って、小鈴ちゃんは巻物の絵に添えられたキャプションらしき文章を読み上げる。
「〝能は感情を与える芸能だが、妖怪の能は人から感情を奪うことができる。これを暗黒能楽と呼ぶ〟――あの能楽師が演じているのがこれなら、きっと何か妖怪の陰謀が!」
人から感情を奪う、暗黒能楽……? はて、こころさんの演じていたあれが、そんな物騒なものだったとは聞いていない。あれもこころさんの感情修行の一環のはずではなかったか。
「だいたい、あの能楽師、人間じゃないような感じでしたし!」
小鈴ちゃんは言う。うーん、と蓮子は腕を組んで唸る。
「私にはこの文字が読めないから、小鈴ちゃんの言を信じるとして――人から感情を奪う暗黒能楽ねえ。昨日見てきた私たちは、感情を奪われた気はしないけど」
「気付かれないほど徐々に感情を奪われているのかもしれませんよ!」
「仮にそうだとして、小鈴ちゃん、どうする気?」
「ええと、とりあえず阿求に相談しようと思ったんですけど……」
「妖怪案件なら、霊夢ちゃんに相談したら?」
「あ、そうですね。霊夢さんなら……あれ? いやでも、あの能楽、博麗神社が主催ですよ。ってことは、霊夢さんもグルなのでは!?」
小鈴ちゃん、大正解。ついでに言えば、私たちも慧音さんもグルであるし、鈴奈庵にときどき客として来ているというマミゾウさんもグルである。知らぬは小鈴ちゃんばかりなり。
蓮子はもっともらしく頷き、「そうねえ」と首を捻った。
「小鈴ちゃん、この巻物、どこで手に入れたの?」
「香霖堂です! あそこ、ときどき妖魔本の出物があるので」
「ふむ。小鈴ちゃん、この件、私たち秘封探偵事務所に預けてくれない? 私もちょっと気になるから、伝手を辿って、あの能楽師のこと調べてみるわ」
「え? いいんですか?」
「任せなさい。調べ物は探偵事務所の本業よ」
いけしゃあしゃあとウィンクし、「というわけで、これ貸してもらえる?」と蓮子は巻物を軽く叩いた。――やれやれ。
上手いこと言って『山怪散楽図』を小鈴ちゃんから借り出した相棒は、その足で香霖堂に向かった。店主の霖之助さんに見せると、「ああ、これか」と彼は頷く。
「これ、どこで仕入れたんです?」
「天狗が無縁塚に捨てていったものだよ。天狗はときどき、新聞の売れ残りとか、お遊びで作って飽きた戯書をあそこに処分していくんだ」
「それを霖之助さんが拾ってきたと。ということは、これは天狗の作なんですかね」
「中身は能楽図のようだが、僕の知る限り能楽にそんな演目はないし、天狗がわざわざ新作能楽を作るとも思えない。天狗が遊びで作った戯書だろうね」
「なるほど……」
「その戯書がどうかしたのかい?」
「霖之助さん、博麗神社でやってる能楽はご覧になりました?」
「神社で? いや、ここしばらく博麗神社には行っていないな。なんだ、まさか霊夢が能をはじめたのかい? 確かに能楽は神事だけどね」
「いえいえ、ご存じないのでしたらそれで」
蓮子が笑って誤魔化すと、霖之助さんは訝しげに首を傾げた。
というわけで、本人に見せてみることにしたわけだが。
「おお、私が見たのはこれだ!」福の神の面。
「こころちゃん、どこで見たの?」
「なんだっけ、いろいろ変なものが落ちてる場所」猿の面。
「無縁塚ね」
「そこで一度読んで、あとでまた読もうと思ってその場に置いておいたら、次に行ったらなくなっていた……」悲しみの面。
つまり、こころさんが読んだあとに霖之助さんが拾っていき、それを小鈴ちゃんが香霖堂から買い取ったということなのだろう。
「一度読んだだけで覚えちゃったの?」
「能楽の演目なら一度読んで舞えばだいたい覚えられる!」狐の面。
「能面の付喪神だもんねえ」
「なんじゃなんじゃ、なんの話じゃ」
と、そこへ割り込んできたのはマミゾウさんだ。蓮子が巻物を渡すと、マミゾウさんは眼鏡の位置を直しながら、目をすがめて巻物の文字を読み、肩を竦める。
「何かと思ったら、天狗の作った戯書じゃないか」
「読めるんです?」
「まあの。なるほど、こやつのあの演目の元ネタはこれか。で、どうしたんじゃこれ」
「ええ、実は……」
蓮子が小鈴ちゃんの懸念を伝えると、マミゾウさんは「なんじゃ、霊夢の奴、里の人間にまるで信用されとらんじゃないか」と吹き出して笑う。
「しかし、確かに儂の見る限りでも、観客も戸惑っておったのう。意味がわからんと言うて」
「私の舞が拙いのだろうか……」悲しみの面。
「いや、こんなわけのわからん演目をやっとるからじゃろ。――ふむ、演目には改善の余地があるようじゃな。今のままでは観客に無用の不安を呼び起こしかねんのう」
丸めた巻物をぽんと叩き、それからマミゾウさんは私たちを見やった。
「よし。儂からお前さんたちに依頼じゃ」
「ははあ、何なりと」
調子良く笑った蓮子に、マミゾウさんは不敵な笑みを浮かべて、こころさんを振り向く。
「お前さんたち、こいつの新しい演目を考えてやっとくれんか」
「――――はい?」
私たちは、思わず顔を見合わせた。
そして、それから一週間後、再び鈴奈庵。
「能楽の新しい演目、ですか?」
「そう。例の能楽師、小鈴ちゃんの懸念通り、面霊気っていう妖怪でね。『山怪散楽図』の通り、観客の感情を奪おうとあの演目を舞ってたみたい。まあ、うろ覚えだったせいでそんなに上手くいかなかったらしいんだけど、霊夢ちゃんに伝えたらすごい剣幕でとっちめてたわ」
「ああ……なんだ、霊夢さんはグルじゃなかったんですね」
小鈴ちゃんはほっと胸をなで下ろす。――まあ、今の蓮子の説明は全てマミゾウさんの考えた嘘っぱちであるのだが。
「で、反省した面霊気は、今度は人に楽しいという感情を与える演目をやるんだって」
「それ、信用できるんですか?」
「疑り深いわねえ。でも小鈴ちゃん、興味はあるんでしょ?」
蓮子にいたずらっぽい笑顔で覗きこまれ、小鈴ちゃんは「う」と唸る。
「大丈夫よ、霊夢ちゃんも見張ってるし」
「それはいいんですけど……。能楽の楽しみ方が、結局よくわからなくて」
「それも問題なし。今度の演目は誰にでもわかる、現代風の楽しい演目だから。テーマは今回の宗教騒ぎよ。題名は『心綺楼』」
「そうなんですか? それならちょっと面白そうですけど」
顔を上げた小鈴ちゃんは、私たちを見つめて、不思議そうに目をしばたたかせる。
「蓮子さん、なんでそんなに詳しいんですか?」
「そりゃあ――名探偵だからよ」
にっと猫のように笑った蓮子に、私はその横でこっそり息を吐いた。
◇
――というわけで。
博麗神社で上演された新作能楽『心綺楼』の原案は、実は私たちなのである。
原案といっても、アイデアを出しただけだ。今回の宗教戦争を題材にすればいいのではないか――という。それを元に、今回の騒動に一番詳しいマミゾウさんが、専門家であるこころさんと合作する形で作ったのが『心綺楼』になる。
その後の『心綺楼』の里での人気については、ここで筆を費やすまでもあるまい。
そう、この記録は実は――あの能楽に私たちもちょっとだけでも関わっていたのだという、しょうもない自慢話なのである。
◇
最後に、ひとつだけ語っておきたい挿話がある。
新作能楽『心綺楼』初演のその日。小鈴ちゃんや妹紅さんなど、今回の騒動に脇で関わった人たちも大勢集まった観客たちの中に、珍しい顔を私たちは見つけた。
「……さとりさん?」
「あら、こんにちは」
地霊殿の主、古明地さとりさんである。地上で見かけるとは珍しい。
「どうしてまた」
「この舞台にこいしが出ると小耳に挟んだのですが。……あら、お燐の勘違いでしたか」
相変わらず心を読んでひとりで勝手に話を進めてしまうひとである。つまり、お燐さんがこの『心綺楼』の噂を聞いて、こいしちゃんが出演するのだと勘違いしてさとりさんに報告し、さとりさんが妹の活躍を見に来たということらしい。
もちろん、『心綺楼』の中にはこいしちゃんも登場するが、演じるのはこころさんだ。
「まあ、せっかくですから見て行くことにしましょう。……おふたりが原案なのですか」
「アイデアを出しただけですけどね。そういえば、こいしちゃんは……」
「あの子はいつも通り、どこかをふらふらしていますよ」
遠くを見るようにさとりさんは目を細め、「けれど」と言葉を繋ぐ。
「……あれ以来、あの子の気配は、前より強まったままです。最近は、それなりにあの子と普通に話ができるようになってきました」
「ええ? でも、こいしちゃんの……」
「はい、あの子の拾ったという面はもう、ただの面になって我が家に飾られています。あれは何の力もない普通の面です」
そう、太子様の作った新しい希望の面がこころさんに定着したことで、こいしちゃんが拾った元の希望の面は力を失ったはずだった。そうすれば、こいしちゃんは元通り、誰にも気付かれない無意識の妖怪に戻るはず……。
私の疑問を読み取ったのか、さとりさんは私に視線を向ける。
「……あの子は今回の騒ぎで、久しぶりに他人に注目され、新しい友達もできたそうですね。たぶん、それで少し、あの子が変わったんだと思います。――自分を見てほしい友達が、あの子にできたということなのでしょう」
そう言って、さとりさんが見上げた舞台の上、『心綺楼』の上演が始まった。
霊夢さん、魔理沙さん、白蓮さん、太子様、一輪さん、布都さん、にとりさん、こいしちゃん――今回の宗教戦争で争った面々の姿を、こいしちゃんは戯画的に舞う。それは誰を演じているのか一目でわかるほど明解で、すぐに観客からは笑いが巻き起こった。
これなら、誰も不安に思うことはない。わかりやすく笑えて、誰でも楽しめる、新しい伝統芸能としての能楽。
それを舞うこころさんの顔は、相変わらずの無表情だったけれど――。けれどその剽軽な動作は、彼女自身がそれを楽しんでいるからこそ、皆が笑えるのだと、そんな風に思った。
そうして、愉快な舞を続けるこころさんのそばに。
一緒になって、紙吹雪を散らしながら楽しそうに踊る、少女の姿が見えた気がした。
【第12章 心綺楼編――了】
第12章 心綺楼編 一覧
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【あとがき】
毎度、ここまでお読みいただきありがとうございます。作者の浅木原忍です。
今回の心綺楼編は、今までのような意外性の演出と、読者の方にも真相が思いつけるかどうかとの兼ね合いを取るのが難しくて情報の出し方に苦慮しました。
結果的には【読者への挑戦状】に関しては今までで一番簡単になってしまったようですが、お楽しみいただけましたなら幸いです。
次は輝針城編。7月に連載開始したいです。
そして、今回の内容で察された方もおられるかと思いますが、そろそろシリーズとしてもまとめに向かいます。具体的には、その次の深秘録編で完結になるかと思います。
もう4年になる連載もいよいよ終盤に突入しますが、これからも『こちら秘封探偵事務所』をよろしくお願いします。
お疲れ様です!
あと異変二つで完結ですか、なんというか感慨深いというか寂しいですが、最後までお付き合いします!
頑張ってください!!
悲報:蓮子の胸は平坦
以前もそんな話が出ていた気がするけど、こうもはっきり書かれるとは(笑) とはいえこれはメリーなりの愛情表現なのでしょう(笑)
そして地霊殿編のラストでメリーの想像(というか希望)した古明地姉妹のグッドエンドがどうやら現実のものとなったようで、いち読者としてとても優しい気持ちになれました。
「なんであれ姉妹というのはいいものだ。命をかける価値がある」
今回も素敵なお話ありがとうございました。次回も期待しております
それはそうと、こころに紙吹雪を散らすこいし…あの方の動画を思い起こします(違ったらごめんなしい)。名作ですよねぇあれは。
こいしちゃんが幸せならそれで大丈夫です。はい。
今回も楽しませていただきました。もうすぐ完結かと思うと胃が痛くなりますな。
どのように纏まり、どのように終わるのか。とても楽しみでもあり、寂しくもあります。
昨年の夏より読ませていただいておりますが、もはや生活に欠かせないものになっているので無くなる瞬間を想像できそうにありません。
このような素晴らしい作品を生み出していただいたこと、東方projectという作品の新たな見方や考え方を提供いただいたこと、感謝だけでは足りないかもしれません。
輝針城編も楽しみに待たせていただきます。
いつも楽しく読ませていただいております。
生きておられる作家さんの現在進行中の作品を追うというのは、やはり良いものですね。
これからの展開も楽しみにしております。
誤字が気になったので、僭越ながらここに記しておきます。
後ろから数えて5段落目
×『こいしちゃんは戯画的に舞う。』
↓
○『こころちゃんは戯画的に舞う。』
ご参考までに、ご確認ください。
心綺楼はどんな真相があるのだろうかと楽しみにしていた当初とは全く予想だにしない展開に楽しくさせてもらいました。
あと二作でこのシリーズも終わりなのかと思うと寂しい気持ちではありますが、それまで心待ちにしながらこれからも作品を読んでいきます。
「もう終わってしまうのか 」と思うと寂しさを感じます。心綺楼編の連載お疲れ様でした。
今回はtrue end(使い方あってるのか?)な感じがしました。姉妹関係も面霊気としての存在も守れた事にホッとしました。
そして次回の輝針城編。
正直正邪と針妙丸の関係以上に堀川雷鼓と堀川雷子の事実関係が気になってます(笑)
外伝であれだけ謎出されたので否応無しに輝針城編が気になってしょうがないんです(笑)
空っぽな頭フル回転させて後二つの異変全力で解きに行きます!
心綺楼編お疲れ様でした。毎度楽しませてもらってます。
いよいよクライマックス、ワクワクして仕方ありません。その反面、終わってしまうのが辛すぎます。
こちら秘封探偵事務所のおかげで、苦手だった読書に取り組めるようになり、どんどん自分の世界が広がっています。この作品に出会えたことにとても感謝しています。素晴らしい作品をいつもありがとうございます。
今回も楽しませていただきました!
完結が見えて来てしまうのですね、寂しくもありますが結末が楽しみです。いつもいつも楽しい物語、ありがとうございます。