―25―
赤い河童の少女は、そう言ってから我に返ったように首を横に振り、再び視線を落とした。
「……にとりの知り合いだろうが何だろうが、私は人間に用はない。回れ右して帰れ」
私としても、できればそうしたい。が、口を塞がれてしまった蓮子が私の手を掴んで、ふるふると首を横に振っている。そんな訴えられても、私まで口を塞がれてしまうだけだろうに。
息を吐いて、私は一歩、赤い少女の方に足を踏み出す。――と。
私のその足音に反応したか、赤い少女はじろりと私を睨み、抱えた立ち入り禁止の標識を私に向けて突きつけた。
「近付くな」
――その瞬間、私の足は凍りついたように、その場で動かなくなった。
私の意志に反して、両足が大地に貼り付いたように微動だにしない。
これが、彼女の禁止の能力なのか。やはり、相当強い能力なのでは……。
「にとりと違って、私は人間が嫌いだ。さっさと帰らなければ殺す」
静かな低い声で、少女はそう言い放つ。いや、私も帰りたいけど足が動かないんですが……。
と、私の背後にいたこころさんが、代わりに私の前へと踏み出した。河童の少女が訝しげに目をすがめる。
「……付喪神か?」
「面霊気の秦こころだ! 希望の面を渡してもらおう!」狐の面で、こころさんは構える。
「何の話だ。わけのわからないことを――」
「白い子供の顔のようなお面を……見たことがあれば教えてほしい……」悲しみの面。「教えてくれたら蓮子かメリーが何かお礼してくれると思いますわ♪」ひょっとこの面。「だから今すぐに白状しろ!」狐の面。「教えてくれないと悲しい……」再び悲しみの面。
ころころと変わるこころさんの態度に、河童の少女は唖然とした顔をして――そして、毒気を抜かれたように顔をしかめて首を振った。
次の瞬間、彼女の能力が解除されたのか、足が動くようになって、私は思わずつんのめる。隣では蓮子が「ぶはっ」と大げさに息をしていた。息を止められたわけでもあるまいに。
河童の少女は苦々しげに舌打ちして、標識を私たちに突きつける。
「……そこの人間ふたりは下がれ。面霊気となら話をしてやる」
「やった」こころさんは無表情のままガッツポーズ。
蓮子が何か言いかけたが、私は慌ててその口を手で塞いだ。また何か禁止されてはかなわない。私は蓮子を引きずって、ヤマメさんとともに後ろに下がる。
「むーっ、ちょっとメリー、なんで邪魔するの」
「また喋るのを禁止されるのがオチでしょ。喋るのを禁止できる相手じゃ、口先八丁も通用しないじゃない。ここは大人しくこころさんに任せましょう」
「そんなあ。あの子のことも気になるのに……。にとりちゃんの身内よね、たぶん」
「さっきの反応からしても、たぶんね。親族かしら?」
「人間を盟友と見なしてる河童が、人間嫌いを名乗るってのもねえ。地底に住んでるのも含めて、何か色々あったのかしらね」
「あんまり詮索しようとしたら今度こそ呼吸を禁止されるわよ」
「そうしたらメリーに人工呼吸してもらうわ」
「馬鹿言ってないの」頬をつねる。
「いひゃいいひゃい」
「あんたらホント仲良いねえ」ヤマメさんが苦笑する。
ともかく、こころさんは面と身振り手振りとで、河童の少女相手に何とか説明をしようとしているようだった。興味なさげな顔でそれを聞いている河童の少女は、何事かを短く答え、こころさんが身を乗り出す。
鬱陶しげにそれを押しとどめた河童の少女がさらに短く何かを答えたようで、こころさんが頷き、ぺこりと頭を下げて、それからひらりと私たちの元へと飛んできた。
「間違いなかった! 私が希望の面を落としたのはどうやらここの穴だ! 白い面が落ちてきて、黒い帽子の小さな妖怪が拾っていったらしい!」狐の面。
「なるほど、それはたぶんこいしちゃんだわね」
蓮子は頷き、陽光が細く射し込む頭上の地割れを振り仰いだ。
「あの地割れ、地上のどこにあるのかしら。ヤマメちゃん、わからない?」
「さあねえ。私も地上のことはよく知らんよ」
「あそこから直接地上に出る……のは無理かしら」
「あんたたちのサイズじゃたぶん無理だろうねえ」
「うーん。地割れに何か目印でも付けられればいいんだけど……。あの河童の子が許してくれなさそうねえ。それこそあの標識でも立てさせてくれないかしら」
「殺されても知らないわよ」私は肩を竦める。
どうやら、希望の面の紛失地点自体は発見したものの、それが地上のどこであるかは確定できないということで結論が出てしまったようだ。やれやれ、進展したのかしてないのか。
「ねえ河童さーん、お名前教えてくれない?」
「お前はそれ以上喋るな」
「むーっ」
懲りない蓮子がまた口を塞がれてしまった。「静かになっていいわね」と私が呆れて言うと、蓮子は何か文句を言おうとしながら私の肩を掴むが、声が出ないので言葉にならない文句など知ったことではない。
「ほら、地上に帰るわよ」
「むーっ、むーっ」
もがもがと唸る蓮子を引きずって、私はその場を後にする。こころさんとヤマメさんもそれに続いた。最後にちらりと河童の少女を振り返ると、彼女はどこか遠い目をして、感情の読み取りにくい表情で、地上の地割れを見上げていた。その足元では、花のない葉が、どこからともない風に小さく揺れているのだった。
玄爺と合流して旧都に戻ると、目立つ長身と赤い角が見えた。星熊勇儀さんである。
「おお、また来てたのかい。呑んでいくかい?」
「お誘いは嬉しいですけど、また今度にしますわ。地上に戻らないとなので」
禁止の能力が解けた蓮子が答える。勇儀さんは首を傾げた。
「そうかい、残念だねえ。地上はまだ祭でもやってるのかい?」
「宗教家の争いですか? ますます盛りあがってますわ」
「そりゃ楽しそうだね。近いうちに見物に行くって萃香に伝えといてくれ」
「了解しましたわ。ところで勇儀さん、さっき赤い河童の少女に会ってきたんですが」
「ほう? あいつに会ってきたのかい。あいつは人間を憎んでるはずだが、よく無事だったね」
「彼女は何者なんです?」
「さて、あいつは自分のことを語らないから、私も詳しい事情は知らないんだが。どうも人間と河童のハーフらしいね。それで地上で色々あって地底に逃れてきたんだろう」
ははあ。私たちの知り合いでいうと、今泉影狼さんのような立場なのか。ハーフであるが故に、人間のコミュニティにも、河童のコミュニティにも入れず、地底にしか行き場がなかったのかもしれない。人間を憎んでいるのも、地上で相当辛い目に遭ったということか。
「ああ、あいつのことなら、魔理沙に聞いたらいいんじゃないか」
と、勇儀さんが意外な名前を挙げた。
「魔理沙ちゃんに?」
「いつぞや、地上の河童と厄神を連れて、あいつに会いに行ったからね」
――魔理沙さんと、地上の河童と厄神様?
何か色々と覚えがありすぎる組み合わせだが、それはいったいどういうわけだ?
―26―
地上に戻り、こころさんをまた妹紅さんに預けて、私たちは命蓮寺に向かった。
寺の参道で河童が屋台を出しているという。目当てはもちろん、河城にとりさんである。
「へいへいらっしゃい、お面はいかがだい? おっ、そこのお姉さんがた! 安くしとくよ!」
「あっ、里の変な人間だ!」
いた。にとりさんはなぜかお面屋をやっている。さらにその傍らには、わちゃわちゃと動き回る三匹の妖精。博麗神社にいるはずの光の三妖精だ。なんでここに。
「やあやあにとりちゃん。妖精連れて何してるの?」
「見ての通りのお面屋だよ! こいつらは店員」
「アルバイト一号!」「……二号」「ブイスリー♪」わちゃわちゃ。
妖精が店員って、役に立つのだろうか。まあ、小さい子が店員をしていると財布の紐が緩む客というのは一定数いそうではあるが。
「なんでまたお面屋?」
「祭っていったらお面でしょ。蓮子もひとつ買ってかない?」
「ちょっと高いわねえ」
「祭でケチケチしたこと言いなさんなって」
にとりさん、なんだか以前とキャラが変わっているような。もっと臆病じゃなかったっけ?
「それより、にとりちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「お面買ってくれたら答えるよ」
「商売上手ねえ。しょうがない、メリー、事務所の経費で落としておいて」
「経費で落としたって払う税金なんて最初からないでしょうが」
「毎度ありい」
というわけで、よくわからないお面をひとつお買い上げ。事務所にでも飾っておくか。
「で、聞きたいことって?」
「なんかにとりちゃん、無宗教を掲げてこの宗教戦争に参戦してるって聞いたけど、どうしてまた?」
「別に参戦したつもりはないんだけどなあ」
憮然と口を尖らせて、にとりさんは腕を組む。
「強いていや、宗教家たちが、なんか祈りとか心がけみたいなことで救われるみたいな、適当なことばっかり言ってるのがムカついただけだよ。そんなもんで救われるなら苦労しないっての。盟友を救うのは技術だよ技術! テクノロジーの進歩こそが幸福をもたらすんだよ!」
なんだか前世紀あたりによく言われてそうな言葉である。
「それに結局あいつら、ただ自分の力を誇示して人気を奪い合ってるだけじゃん。私らの商売とやってることは一緒だし、私らの商売を宗教なんかと一緒にされたくないね。魔理沙は道具が宗教そのものだとか言ってたけど、道具は道具だっての。んなこと言ったら誰だって何かの信者じゃんか。そんなもんが宗教だってんなら仰々しいこと言って偉そうな顔してんじゃねえっての。偉ぶってる宗教家より何も言わずに役に立つだけの道具の方が百億倍マシだよ!」
「その宗教家の敷地で商売してるのに、そんなこと言っていいの?」
「ショバ代ちゃんと払ってるんだから文句言われる筋合いはないね!」
やっぱりにとりさん、だいぶキャラが変わったと思う。以前の玄武の沢でのバザーで、人間相手にがっつり商売することに目覚めてしまったのだろうか。
それはともかく、私たちのにとりさんへの用件はそれではない。
「なるほどねえ。ところでにとりちゃん。話は変わるけど、私たち、さっき地底で河童に会ってきたのよ。赤い河童の女の子」
蓮子が唐突に話を切り替えると、にとりさんが目を丸くする。
「へ? え、ちょっと、姉さんに会ったの?」
「姉さん?」私たちは声を揃えて顔を見合わせた。
にとりさんは「マジかー」と頭を掻く。
「それ、私の姉さん。腹違いなんだけど――河城みとりっていうんだ」
なるほど、にとりさんは純粋な河童のはずだから、あの赤い河童――みとりさんがハーフだというなら、腹違いの姉妹というのは道理である。
「いやしかし、よく姉さんが人間と会う気になったね。めちゃくちゃ人間嫌いなのに」
「まあ、ろくに話もさせてもらえなかったんだけどね」
「そりゃそうだ。殺されなかっただけマシだよ。あれでもだいぶ丸くなったんだけどね」
「にとりちゃん、前に魔理沙ちゃんと厄神様と一緒にお姉さんに会いに行ったって聞いたけど」
蓮子の問いに、にとりさんは頷く。
「あー、うん。それ、私が姉さんと再会したときだね。姉さんは、私が赤ん坊の頃に生き別れて以来、ずっと音信不通だったんだよ。それがあの、怨霊騒ぎのあとに魔理沙経由で星熊様から連絡が来てさ。雛と一緒に会いに行ったの」
「なんで厄神様と?」
「友達だから姉さんに紹介したかったんだよ!」
何か深い意味でもあるのかと思ったら、単にそれだけの話だったか。
「じゃあお姉さんとは、その後も交流はあるの?」
「ときどき会いに行って近況報告してるよ。ついこの前も行ってきたし。あ、そうそう、このお面屋もそのときの姉さんの話がきっかけでやることにしたんだ。なんか地上から変なお面が落ちてきて、それを拾った妖怪がやけに嬉しそうにしてたって」
にとりさんは言いながら、売り物のお面を慈しむように撫でる。
「姉さんも、お面ぐらいで嬉しそうな顔してくれるようになればいいんだけどね」
そのときのにとりさんの横顔は、離れた家族を心配する、優しい妹のそれだった。
「にとりちゃん。地底のお姉さんのいた場所、地上に通じる穴があるわよね」
「ん? ああ、あったね。あそこは穴が小さくて通れないよ」
「あの穴、地上のどこに通じてるかわかる?」
「え? ああ、そういえばあの穴、どこにあるんだろ?」
にとりさんは首を捻る。どうやらにとりさんも、あの地割れの位置は知らないらしい。
はてさて、そうなると――こころさんが希望の面を落とした場所は、いったいどこなのだ?
命蓮寺からの帰路、相棒は何か唸りながら、しきりに帽子の庇を弄っていた。
「あら、だんだんいつもの誇大妄想がまとまってきた?」
「まあ、それなりにね。希望の面の在処もなんとなく想像がついてはいるんだけど」
さらっと、相棒はとんでもないことを言う。
「え? ちょっと蓮子、どういうこと?」
「言った通りよ。確証はないけど、確率はけっこう高いと思うわ。こころちゃんを連れて行けばたぶんはっきりすると思うんだけど……」
「だったらすぐこころさん連れて行きましょうよ。どこなの?」
私の問いに、蓮子はため息をついて答える。
「メリーも、少し考えれば想像つくんじゃない? ヒントは、希望の面を拾ったのが他の誰でもなく、こいしちゃんだってことよ」
「拾ったのがこいしちゃんであること自体がヒント……?」
「そうよ。あとはメリーの記憶してる情報だけで想像つくと思うわ」
はて、どういう意味だろう。私は首を捻る。拾ったのがこいしちゃんであるということ自体がヒントであるということは、やはりこいしちゃんという妖怪の持つ特殊性が鍵になるのだろうか。誰にも見つからない無意識の妖怪であるという……。
そして、蓮子の言い方からすると、希望の面はこいしちゃんが持ち歩いているのではなく、どこかに隠されていると蓮子は考えているらしい。ということは……。
…………しばらく考えて、私はひとつの可能性に思い至る。え、まさか。
「蓮子、もしかして……」
私がその場所の名前を耳打ちすると、蓮子はニヤリと猫のように笑った。
「さすがメリー、私と一心同体ね」
「じゃあ、希望の面があそこにあるから……」
「そういうことだと思うわ」
なるほど、そういうことか――。確かに、確証はないが、可能性はかなり高そうな推測だった。それが真相なら、確かに色々と納得がいく。
しかし、相棒はまだ何か腑に落ちないという顔をして、帽子の庇を弄っている。
「どうしたのよ。これで今回の件は解決じゃないの?」
「そう単純な話なら良かったんだけどね――」
相棒は足を止め、私を振り返る。
「ねえメリー、さとりちゃんが言ってたこと覚えてる? こころちゃんに関して」
「え? こころさんが生まれたての脆弱な自我しか持ってないっていう……?」
「そうそう。それから、希望の面をなくす前のこころちゃんの記憶がないっていう件。ねえメリー、このふたつを組み合わせると、どういう結論が導きだせると思う?」
言われて――私は、思わず慄然として息を呑んだ。
蓮子の言わんとするところがすぐに理解できたし、どうして自分が今までその可能性に思い至らなかったのかが不思議ですらあった。こころさんが希望の面を見つけることをあれだけ熱望していたからこそ、意識の外に自ら追いやっていたのかもしれない。
希望の面を見つけることは、こころさんの望みだ。
だが――その望みを叶えることは、果たして良いことなのだろうか?
「……じゃあ蓮子、まさか希望の面の在処の可能性、もっと早く気付いてたの?」
「そうよ。この程度の推理に、私がこんなに時間かけると思う?」
――ああ、そうか。私は理解する。
相棒は、この異変の解決を、わざと引き延ばしていたのだ。
希望の面を取り戻すと、こころさんに何が起きるか、想像がついていたから。
相棒がこころさんに表情練習をさせたりしていたのも、そのためか――。
「希望の面をなくす以前のこころちゃんの記憶がほぼないという事実と、さとりちゃんの証言。そのふたつが導き出す結論は、ひとつしかないじゃない」
「――こころさんの自我は、希望の面をなくしたことで生まれた」
「そう。希望の面を失って、感情のバランスを崩したことで、初めて彼女に自我が生まれたんだわ。たぶん、全ての面が揃っているときは、彼女の感情は安定しきっていて、変化がなかったんでしょうね。感情の変化がないということは、感情がないということと同義だわ」
「それなら、こころさんが希望の面を取り戻せば……」
私の言葉を引き継いで、蓮子はその真実を語る。
「――今の彼女の自我は、たぶん消え失せるわ」
―27―
その日の夜。命蓮寺墓地で、私たち異変解決チームは例によって作戦会議をしていた。
メンバーは私、蓮子、こころさん、マミゾウさん、慧音さんの五人である。今回の件をいかに解決するかというこの打ち合わせも、そろそろクライマックスだった。
「里の宗教争いですが、どうも誰かひとりが里の信仰を独占することにはならなさそうです」
自警団として宗教戦争を監督していた慧音さんが、そう報告する。
「固定の信徒を抱えている命蓮寺、神霊廟と、やはり実績があって里でも昔から馴染みが深い博麗神社が三大勢力ですが、魔理沙や河童の河城にとり、それに謎の放浪少女といった独立勢力も、三大勢力のいずれにも帰依しない浮動票を掴んでいて、そろそろ人気の奪い合いは膠着しそうですね。特に河童がこの宗教争いに興味がなかった層を掴んだのが大きい。これで里の人間の大半の旗印が決まってしまいました。今では誰に宗教戦争の話を振っても、誰かしらを応援しているという答えが返ってきて、完全な浮動票はもう残り少ないようです」
なんだか投票日直前の選挙対策本部みたいな話である。
「マミゾウさん、この場合どうなるんです?」
蓮子が問うと、マミゾウさんは「ふむ」と腕を組んで頷いた。
「本当は、誰かひとりが里の希望を独占してくれるのが一番良かったんじゃがのう。ま、そうならなかったのは仕方ない。順番に集めた希望を回収していくしかないかの」
「それなら、まずは霊夢に話をつけましょう」慧音さんが言う。
「博麗の巫女にかえ?」
「ええ。霊夢にこちらの解決策を最初に納得してもらえれば、その後の面倒が減ります。たとえば命蓮寺がこの件の解決に協力し始めてから霊夢がそれを知ったら、グルとみなしてまとめて退治しようとしかねませんから」
霊夢さん、イマイチ信用がないというか、妖怪絶対退治するウーマン扱いがひどい。まあ自業自得なのかもしれないが。
「了解じゃ。明日にでも博麗の巫女を丑三つ時の里に誘導すればええんじゃな」
「よろしくお願いします」
「で、本物の希望の面は結局見つからずかえ」
「申し訳ありませんわ。こいしちゃんも一度しか捕まらなくて」
蓮子が頭を下げる。ちなみにナズーリンさんの捜索も空振りのまま、今日で打ち切りということになった。報酬のチーズ代は私たちの持ち出しである。また家計が……。
「ま、儂も見つけられんかったからの。仕方ないのう」
「希望の面……どこ……」悲しみの面で肩を落とすこころさん。
「なに、すぐに代わりを用意してやるわい。安心せえ」
こころさんの肩を叩くマミゾウさん。と、蓮子がマミゾウさんにアイコンタクトし、マミゾウさんは少し訝しみつつ頷いた。
「それじゃあ、今夜は解散じゃな。お前さんたちはちょっとだけ残っとくれ」
マミゾウさんが私と蓮子を指して言う。慧音さんが眉を寄せた。
「二人が残るなら私も残りますが」
「なに、儂がちゃんと里に送るわい。慧音殿は先に帰って構わんよ。ちょいと慧音殿とは関係のない話じゃしな。乙女の内緒話ってやつじゃ」
マミゾウさんの冗談めかした言葉に、慧音さんは思い切り訝しげな顔をするが、「……解った、じゃあ向こうで待っている。話が終わったら声をかけてくれ」と言ってその場を立ち去った。そのあたりが慧音さんの妥協点なのだろう。
「で、何の話じゃ?」
「――こころちゃんの自我の件ですよ」
「なんじゃ、気付いておったか」
蓮子の言葉に、マミゾウさんは頭を掻く。
「希望の面が戻れば、あの子の人格が消えるんじゃないかっちゅう話じゃろ? 儂も当然、その懸念は最初から抱いておったよ」
「何か対策でも?」
「既に自我が形成され初めとるからの。希望の面が戻っても、すぐに自我が消えることはないじゃろう。その間に、あの子に自分の力を使いこなせるようになってもらうしかないのう。つまりは、感情を学ぶっちゅうことじゃが」
――なるほど、マミゾウさんは蓮子と同じ対策を考えていたわけだ。
「ま、そのへんの面倒は儂が見るわい」
「……なら、私たちの仕事はこのあたりで打ち切りですかしら?」
「本物の希望の面があるに越したことはないからのう。ギリギリまで探してくれんかね」
マミゾウさんはため息混じりにそう言って――そして、不意に眼鏡の奥の目をすがめた。
「……本当にまだ見つけとらんのじゃったらな」
その鋭い視線に、私はぐっと押し黙るしかなく。
蓮子は「鋭意努力しますわ」と、あくまでも平然とした顔で笑っていた。
「――で、仮に希望の面が予想通りの場所にあるとして、私たちはどうするの?」
「そうねえ」
自宅に戻った私たちは、それぞれ布団に横になりながら、そう話を続けていた。
「新しい希望の面が出来るなら、このまま放置してもいいんじゃない?」
「その前に動かれると話がややこしいわねえ。釘は刺しておくべきかしら」
蓮子は天井を見上げ、ひとつ息を吐く。
「ま、それはそれとして――明日はまあその話もするけど、メインは調べ物だわ」
「調べ物?」
「たぶん、まだ私たちの会ったことのない相手だからね。どうやったら会えるか、まずはいろいろ調べておかないと」
「……誰に会いに行く気なの? 妖怪の賢者……じゃないわよね」
妖怪の賢者は、蓮子は未だに会っていないはずだが、私は何度か会っている。私たちが会っていない相手ではない。
蓮子は布団の中で、私の方に身体を向けて、にっと猫のような笑みを浮かべた。
「そりゃもちろん――この異変の本当の首謀者よ!」
【読者への挑戦状】
というわけで、今回の【出題編】はここまでである。
プロローグで明記した通り、今回の謎は「犯人当て」だ。
そして、ここまでの内容からお察しの通り――読者諸賢に当てて欲しい「犯人」とは、単独ではない。
そう、この異変には、二組の「犯人」がいるのだ。
すなわち、読者諸賢への出題は、以下の通りである。
一、本物の希望の面はどこにあるのか?
二、蓮子の言う「異変の本当の首謀者」とは誰か?
一の「犯人」は、読者諸賢も知っていることを、この記録の著者として保証したい。
しかし二の「犯人」を読者諸賢が正解するのは、おそらく甚だ困難であろう。
なぜなら、二の「犯人」は、未だこの記録に登場せざる者だからだ。
そう、だから今回の事件簿は、最初から破綻したミステリである。
ノックスの十戒の第一戒「犯人は物語の当初に登場していなければならない」、あるいはヴァン・ダインの二十則の第十則「犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである」に全力で違反するミステリであるからだ。
その破綻を笑って受け止められる、心の広い読者諸賢が果たしているだろうか。
甚だ不安であるが――今回はそういう異変だったので、致し方ないのである。
宇佐見蓮子の推理した「犯人」を、貴方は突き止められるだろうか?
赤い河童の少女は、そう言ってから我に返ったように首を横に振り、再び視線を落とした。
「……にとりの知り合いだろうが何だろうが、私は人間に用はない。回れ右して帰れ」
私としても、できればそうしたい。が、口を塞がれてしまった蓮子が私の手を掴んで、ふるふると首を横に振っている。そんな訴えられても、私まで口を塞がれてしまうだけだろうに。
息を吐いて、私は一歩、赤い少女の方に足を踏み出す。――と。
私のその足音に反応したか、赤い少女はじろりと私を睨み、抱えた立ち入り禁止の標識を私に向けて突きつけた。
「近付くな」
――その瞬間、私の足は凍りついたように、その場で動かなくなった。
私の意志に反して、両足が大地に貼り付いたように微動だにしない。
これが、彼女の禁止の能力なのか。やはり、相当強い能力なのでは……。
「にとりと違って、私は人間が嫌いだ。さっさと帰らなければ殺す」
静かな低い声で、少女はそう言い放つ。いや、私も帰りたいけど足が動かないんですが……。
と、私の背後にいたこころさんが、代わりに私の前へと踏み出した。河童の少女が訝しげに目をすがめる。
「……付喪神か?」
「面霊気の秦こころだ! 希望の面を渡してもらおう!」狐の面で、こころさんは構える。
「何の話だ。わけのわからないことを――」
「白い子供の顔のようなお面を……見たことがあれば教えてほしい……」悲しみの面。「教えてくれたら蓮子かメリーが何かお礼してくれると思いますわ♪」ひょっとこの面。「だから今すぐに白状しろ!」狐の面。「教えてくれないと悲しい……」再び悲しみの面。
ころころと変わるこころさんの態度に、河童の少女は唖然とした顔をして――そして、毒気を抜かれたように顔をしかめて首を振った。
次の瞬間、彼女の能力が解除されたのか、足が動くようになって、私は思わずつんのめる。隣では蓮子が「ぶはっ」と大げさに息をしていた。息を止められたわけでもあるまいに。
河童の少女は苦々しげに舌打ちして、標識を私たちに突きつける。
「……そこの人間ふたりは下がれ。面霊気となら話をしてやる」
「やった」こころさんは無表情のままガッツポーズ。
蓮子が何か言いかけたが、私は慌ててその口を手で塞いだ。また何か禁止されてはかなわない。私は蓮子を引きずって、ヤマメさんとともに後ろに下がる。
「むーっ、ちょっとメリー、なんで邪魔するの」
「また喋るのを禁止されるのがオチでしょ。喋るのを禁止できる相手じゃ、口先八丁も通用しないじゃない。ここは大人しくこころさんに任せましょう」
「そんなあ。あの子のことも気になるのに……。にとりちゃんの身内よね、たぶん」
「さっきの反応からしても、たぶんね。親族かしら?」
「人間を盟友と見なしてる河童が、人間嫌いを名乗るってのもねえ。地底に住んでるのも含めて、何か色々あったのかしらね」
「あんまり詮索しようとしたら今度こそ呼吸を禁止されるわよ」
「そうしたらメリーに人工呼吸してもらうわ」
「馬鹿言ってないの」頬をつねる。
「いひゃいいひゃい」
「あんたらホント仲良いねえ」ヤマメさんが苦笑する。
ともかく、こころさんは面と身振り手振りとで、河童の少女相手に何とか説明をしようとしているようだった。興味なさげな顔でそれを聞いている河童の少女は、何事かを短く答え、こころさんが身を乗り出す。
鬱陶しげにそれを押しとどめた河童の少女がさらに短く何かを答えたようで、こころさんが頷き、ぺこりと頭を下げて、それからひらりと私たちの元へと飛んできた。
「間違いなかった! 私が希望の面を落としたのはどうやらここの穴だ! 白い面が落ちてきて、黒い帽子の小さな妖怪が拾っていったらしい!」狐の面。
「なるほど、それはたぶんこいしちゃんだわね」
蓮子は頷き、陽光が細く射し込む頭上の地割れを振り仰いだ。
「あの地割れ、地上のどこにあるのかしら。ヤマメちゃん、わからない?」
「さあねえ。私も地上のことはよく知らんよ」
「あそこから直接地上に出る……のは無理かしら」
「あんたたちのサイズじゃたぶん無理だろうねえ」
「うーん。地割れに何か目印でも付けられればいいんだけど……。あの河童の子が許してくれなさそうねえ。それこそあの標識でも立てさせてくれないかしら」
「殺されても知らないわよ」私は肩を竦める。
どうやら、希望の面の紛失地点自体は発見したものの、それが地上のどこであるかは確定できないということで結論が出てしまったようだ。やれやれ、進展したのかしてないのか。
「ねえ河童さーん、お名前教えてくれない?」
「お前はそれ以上喋るな」
「むーっ」
懲りない蓮子がまた口を塞がれてしまった。「静かになっていいわね」と私が呆れて言うと、蓮子は何か文句を言おうとしながら私の肩を掴むが、声が出ないので言葉にならない文句など知ったことではない。
「ほら、地上に帰るわよ」
「むーっ、むーっ」
もがもがと唸る蓮子を引きずって、私はその場を後にする。こころさんとヤマメさんもそれに続いた。最後にちらりと河童の少女を振り返ると、彼女はどこか遠い目をして、感情の読み取りにくい表情で、地上の地割れを見上げていた。その足元では、花のない葉が、どこからともない風に小さく揺れているのだった。
玄爺と合流して旧都に戻ると、目立つ長身と赤い角が見えた。星熊勇儀さんである。
「おお、また来てたのかい。呑んでいくかい?」
「お誘いは嬉しいですけど、また今度にしますわ。地上に戻らないとなので」
禁止の能力が解けた蓮子が答える。勇儀さんは首を傾げた。
「そうかい、残念だねえ。地上はまだ祭でもやってるのかい?」
「宗教家の争いですか? ますます盛りあがってますわ」
「そりゃ楽しそうだね。近いうちに見物に行くって萃香に伝えといてくれ」
「了解しましたわ。ところで勇儀さん、さっき赤い河童の少女に会ってきたんですが」
「ほう? あいつに会ってきたのかい。あいつは人間を憎んでるはずだが、よく無事だったね」
「彼女は何者なんです?」
「さて、あいつは自分のことを語らないから、私も詳しい事情は知らないんだが。どうも人間と河童のハーフらしいね。それで地上で色々あって地底に逃れてきたんだろう」
ははあ。私たちの知り合いでいうと、今泉影狼さんのような立場なのか。ハーフであるが故に、人間のコミュニティにも、河童のコミュニティにも入れず、地底にしか行き場がなかったのかもしれない。人間を憎んでいるのも、地上で相当辛い目に遭ったということか。
「ああ、あいつのことなら、魔理沙に聞いたらいいんじゃないか」
と、勇儀さんが意外な名前を挙げた。
「魔理沙ちゃんに?」
「いつぞや、地上の河童と厄神を連れて、あいつに会いに行ったからね」
――魔理沙さんと、地上の河童と厄神様?
何か色々と覚えがありすぎる組み合わせだが、それはいったいどういうわけだ?
―26―
地上に戻り、こころさんをまた妹紅さんに預けて、私たちは命蓮寺に向かった。
寺の参道で河童が屋台を出しているという。目当てはもちろん、河城にとりさんである。
「へいへいらっしゃい、お面はいかがだい? おっ、そこのお姉さんがた! 安くしとくよ!」
「あっ、里の変な人間だ!」
いた。にとりさんはなぜかお面屋をやっている。さらにその傍らには、わちゃわちゃと動き回る三匹の妖精。博麗神社にいるはずの光の三妖精だ。なんでここに。
「やあやあにとりちゃん。妖精連れて何してるの?」
「見ての通りのお面屋だよ! こいつらは店員」
「アルバイト一号!」「……二号」「ブイスリー♪」わちゃわちゃ。
妖精が店員って、役に立つのだろうか。まあ、小さい子が店員をしていると財布の紐が緩む客というのは一定数いそうではあるが。
「なんでまたお面屋?」
「祭っていったらお面でしょ。蓮子もひとつ買ってかない?」
「ちょっと高いわねえ」
「祭でケチケチしたこと言いなさんなって」
にとりさん、なんだか以前とキャラが変わっているような。もっと臆病じゃなかったっけ?
「それより、にとりちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「お面買ってくれたら答えるよ」
「商売上手ねえ。しょうがない、メリー、事務所の経費で落としておいて」
「経費で落としたって払う税金なんて最初からないでしょうが」
「毎度ありい」
というわけで、よくわからないお面をひとつお買い上げ。事務所にでも飾っておくか。
「で、聞きたいことって?」
「なんかにとりちゃん、無宗教を掲げてこの宗教戦争に参戦してるって聞いたけど、どうしてまた?」
「別に参戦したつもりはないんだけどなあ」
憮然と口を尖らせて、にとりさんは腕を組む。
「強いていや、宗教家たちが、なんか祈りとか心がけみたいなことで救われるみたいな、適当なことばっかり言ってるのがムカついただけだよ。そんなもんで救われるなら苦労しないっての。盟友を救うのは技術だよ技術! テクノロジーの進歩こそが幸福をもたらすんだよ!」
なんだか前世紀あたりによく言われてそうな言葉である。
「それに結局あいつら、ただ自分の力を誇示して人気を奪い合ってるだけじゃん。私らの商売とやってることは一緒だし、私らの商売を宗教なんかと一緒にされたくないね。魔理沙は道具が宗教そのものだとか言ってたけど、道具は道具だっての。んなこと言ったら誰だって何かの信者じゃんか。そんなもんが宗教だってんなら仰々しいこと言って偉そうな顔してんじゃねえっての。偉ぶってる宗教家より何も言わずに役に立つだけの道具の方が百億倍マシだよ!」
「その宗教家の敷地で商売してるのに、そんなこと言っていいの?」
「ショバ代ちゃんと払ってるんだから文句言われる筋合いはないね!」
やっぱりにとりさん、だいぶキャラが変わったと思う。以前の玄武の沢でのバザーで、人間相手にがっつり商売することに目覚めてしまったのだろうか。
それはともかく、私たちのにとりさんへの用件はそれではない。
「なるほどねえ。ところでにとりちゃん。話は変わるけど、私たち、さっき地底で河童に会ってきたのよ。赤い河童の女の子」
蓮子が唐突に話を切り替えると、にとりさんが目を丸くする。
「へ? え、ちょっと、姉さんに会ったの?」
「姉さん?」私たちは声を揃えて顔を見合わせた。
にとりさんは「マジかー」と頭を掻く。
「それ、私の姉さん。腹違いなんだけど――河城みとりっていうんだ」
なるほど、にとりさんは純粋な河童のはずだから、あの赤い河童――みとりさんがハーフだというなら、腹違いの姉妹というのは道理である。
「いやしかし、よく姉さんが人間と会う気になったね。めちゃくちゃ人間嫌いなのに」
「まあ、ろくに話もさせてもらえなかったんだけどね」
「そりゃそうだ。殺されなかっただけマシだよ。あれでもだいぶ丸くなったんだけどね」
「にとりちゃん、前に魔理沙ちゃんと厄神様と一緒にお姉さんに会いに行ったって聞いたけど」
蓮子の問いに、にとりさんは頷く。
「あー、うん。それ、私が姉さんと再会したときだね。姉さんは、私が赤ん坊の頃に生き別れて以来、ずっと音信不通だったんだよ。それがあの、怨霊騒ぎのあとに魔理沙経由で星熊様から連絡が来てさ。雛と一緒に会いに行ったの」
「なんで厄神様と?」
「友達だから姉さんに紹介したかったんだよ!」
何か深い意味でもあるのかと思ったら、単にそれだけの話だったか。
「じゃあお姉さんとは、その後も交流はあるの?」
「ときどき会いに行って近況報告してるよ。ついこの前も行ってきたし。あ、そうそう、このお面屋もそのときの姉さんの話がきっかけでやることにしたんだ。なんか地上から変なお面が落ちてきて、それを拾った妖怪がやけに嬉しそうにしてたって」
にとりさんは言いながら、売り物のお面を慈しむように撫でる。
「姉さんも、お面ぐらいで嬉しそうな顔してくれるようになればいいんだけどね」
そのときのにとりさんの横顔は、離れた家族を心配する、優しい妹のそれだった。
「にとりちゃん。地底のお姉さんのいた場所、地上に通じる穴があるわよね」
「ん? ああ、あったね。あそこは穴が小さくて通れないよ」
「あの穴、地上のどこに通じてるかわかる?」
「え? ああ、そういえばあの穴、どこにあるんだろ?」
にとりさんは首を捻る。どうやらにとりさんも、あの地割れの位置は知らないらしい。
はてさて、そうなると――こころさんが希望の面を落とした場所は、いったいどこなのだ?
命蓮寺からの帰路、相棒は何か唸りながら、しきりに帽子の庇を弄っていた。
「あら、だんだんいつもの誇大妄想がまとまってきた?」
「まあ、それなりにね。希望の面の在処もなんとなく想像がついてはいるんだけど」
さらっと、相棒はとんでもないことを言う。
「え? ちょっと蓮子、どういうこと?」
「言った通りよ。確証はないけど、確率はけっこう高いと思うわ。こころちゃんを連れて行けばたぶんはっきりすると思うんだけど……」
「だったらすぐこころさん連れて行きましょうよ。どこなの?」
私の問いに、蓮子はため息をついて答える。
「メリーも、少し考えれば想像つくんじゃない? ヒントは、希望の面を拾ったのが他の誰でもなく、こいしちゃんだってことよ」
「拾ったのがこいしちゃんであること自体がヒント……?」
「そうよ。あとはメリーの記憶してる情報だけで想像つくと思うわ」
はて、どういう意味だろう。私は首を捻る。拾ったのがこいしちゃんであるということ自体がヒントであるということは、やはりこいしちゃんという妖怪の持つ特殊性が鍵になるのだろうか。誰にも見つからない無意識の妖怪であるという……。
そして、蓮子の言い方からすると、希望の面はこいしちゃんが持ち歩いているのではなく、どこかに隠されていると蓮子は考えているらしい。ということは……。
…………しばらく考えて、私はひとつの可能性に思い至る。え、まさか。
「蓮子、もしかして……」
私がその場所の名前を耳打ちすると、蓮子はニヤリと猫のように笑った。
「さすがメリー、私と一心同体ね」
「じゃあ、希望の面があそこにあるから……」
「そういうことだと思うわ」
なるほど、そういうことか――。確かに、確証はないが、可能性はかなり高そうな推測だった。それが真相なら、確かに色々と納得がいく。
しかし、相棒はまだ何か腑に落ちないという顔をして、帽子の庇を弄っている。
「どうしたのよ。これで今回の件は解決じゃないの?」
「そう単純な話なら良かったんだけどね――」
相棒は足を止め、私を振り返る。
「ねえメリー、さとりちゃんが言ってたこと覚えてる? こころちゃんに関して」
「え? こころさんが生まれたての脆弱な自我しか持ってないっていう……?」
「そうそう。それから、希望の面をなくす前のこころちゃんの記憶がないっていう件。ねえメリー、このふたつを組み合わせると、どういう結論が導きだせると思う?」
言われて――私は、思わず慄然として息を呑んだ。
蓮子の言わんとするところがすぐに理解できたし、どうして自分が今までその可能性に思い至らなかったのかが不思議ですらあった。こころさんが希望の面を見つけることをあれだけ熱望していたからこそ、意識の外に自ら追いやっていたのかもしれない。
希望の面を見つけることは、こころさんの望みだ。
だが――その望みを叶えることは、果たして良いことなのだろうか?
「……じゃあ蓮子、まさか希望の面の在処の可能性、もっと早く気付いてたの?」
「そうよ。この程度の推理に、私がこんなに時間かけると思う?」
――ああ、そうか。私は理解する。
相棒は、この異変の解決を、わざと引き延ばしていたのだ。
希望の面を取り戻すと、こころさんに何が起きるか、想像がついていたから。
相棒がこころさんに表情練習をさせたりしていたのも、そのためか――。
「希望の面をなくす以前のこころちゃんの記憶がほぼないという事実と、さとりちゃんの証言。そのふたつが導き出す結論は、ひとつしかないじゃない」
「――こころさんの自我は、希望の面をなくしたことで生まれた」
「そう。希望の面を失って、感情のバランスを崩したことで、初めて彼女に自我が生まれたんだわ。たぶん、全ての面が揃っているときは、彼女の感情は安定しきっていて、変化がなかったんでしょうね。感情の変化がないということは、感情がないということと同義だわ」
「それなら、こころさんが希望の面を取り戻せば……」
私の言葉を引き継いで、蓮子はその真実を語る。
「――今の彼女の自我は、たぶん消え失せるわ」
―27―
その日の夜。命蓮寺墓地で、私たち異変解決チームは例によって作戦会議をしていた。
メンバーは私、蓮子、こころさん、マミゾウさん、慧音さんの五人である。今回の件をいかに解決するかというこの打ち合わせも、そろそろクライマックスだった。
「里の宗教争いですが、どうも誰かひとりが里の信仰を独占することにはならなさそうです」
自警団として宗教戦争を監督していた慧音さんが、そう報告する。
「固定の信徒を抱えている命蓮寺、神霊廟と、やはり実績があって里でも昔から馴染みが深い博麗神社が三大勢力ですが、魔理沙や河童の河城にとり、それに謎の放浪少女といった独立勢力も、三大勢力のいずれにも帰依しない浮動票を掴んでいて、そろそろ人気の奪い合いは膠着しそうですね。特に河童がこの宗教争いに興味がなかった層を掴んだのが大きい。これで里の人間の大半の旗印が決まってしまいました。今では誰に宗教戦争の話を振っても、誰かしらを応援しているという答えが返ってきて、完全な浮動票はもう残り少ないようです」
なんだか投票日直前の選挙対策本部みたいな話である。
「マミゾウさん、この場合どうなるんです?」
蓮子が問うと、マミゾウさんは「ふむ」と腕を組んで頷いた。
「本当は、誰かひとりが里の希望を独占してくれるのが一番良かったんじゃがのう。ま、そうならなかったのは仕方ない。順番に集めた希望を回収していくしかないかの」
「それなら、まずは霊夢に話をつけましょう」慧音さんが言う。
「博麗の巫女にかえ?」
「ええ。霊夢にこちらの解決策を最初に納得してもらえれば、その後の面倒が減ります。たとえば命蓮寺がこの件の解決に協力し始めてから霊夢がそれを知ったら、グルとみなしてまとめて退治しようとしかねませんから」
霊夢さん、イマイチ信用がないというか、妖怪絶対退治するウーマン扱いがひどい。まあ自業自得なのかもしれないが。
「了解じゃ。明日にでも博麗の巫女を丑三つ時の里に誘導すればええんじゃな」
「よろしくお願いします」
「で、本物の希望の面は結局見つからずかえ」
「申し訳ありませんわ。こいしちゃんも一度しか捕まらなくて」
蓮子が頭を下げる。ちなみにナズーリンさんの捜索も空振りのまま、今日で打ち切りということになった。報酬のチーズ代は私たちの持ち出しである。また家計が……。
「ま、儂も見つけられんかったからの。仕方ないのう」
「希望の面……どこ……」悲しみの面で肩を落とすこころさん。
「なに、すぐに代わりを用意してやるわい。安心せえ」
こころさんの肩を叩くマミゾウさん。と、蓮子がマミゾウさんにアイコンタクトし、マミゾウさんは少し訝しみつつ頷いた。
「それじゃあ、今夜は解散じゃな。お前さんたちはちょっとだけ残っとくれ」
マミゾウさんが私と蓮子を指して言う。慧音さんが眉を寄せた。
「二人が残るなら私も残りますが」
「なに、儂がちゃんと里に送るわい。慧音殿は先に帰って構わんよ。ちょいと慧音殿とは関係のない話じゃしな。乙女の内緒話ってやつじゃ」
マミゾウさんの冗談めかした言葉に、慧音さんは思い切り訝しげな顔をするが、「……解った、じゃあ向こうで待っている。話が終わったら声をかけてくれ」と言ってその場を立ち去った。そのあたりが慧音さんの妥協点なのだろう。
「で、何の話じゃ?」
「――こころちゃんの自我の件ですよ」
「なんじゃ、気付いておったか」
蓮子の言葉に、マミゾウさんは頭を掻く。
「希望の面が戻れば、あの子の人格が消えるんじゃないかっちゅう話じゃろ? 儂も当然、その懸念は最初から抱いておったよ」
「何か対策でも?」
「既に自我が形成され初めとるからの。希望の面が戻っても、すぐに自我が消えることはないじゃろう。その間に、あの子に自分の力を使いこなせるようになってもらうしかないのう。つまりは、感情を学ぶっちゅうことじゃが」
――なるほど、マミゾウさんは蓮子と同じ対策を考えていたわけだ。
「ま、そのへんの面倒は儂が見るわい」
「……なら、私たちの仕事はこのあたりで打ち切りですかしら?」
「本物の希望の面があるに越したことはないからのう。ギリギリまで探してくれんかね」
マミゾウさんはため息混じりにそう言って――そして、不意に眼鏡の奥の目をすがめた。
「……本当にまだ見つけとらんのじゃったらな」
その鋭い視線に、私はぐっと押し黙るしかなく。
蓮子は「鋭意努力しますわ」と、あくまでも平然とした顔で笑っていた。
「――で、仮に希望の面が予想通りの場所にあるとして、私たちはどうするの?」
「そうねえ」
自宅に戻った私たちは、それぞれ布団に横になりながら、そう話を続けていた。
「新しい希望の面が出来るなら、このまま放置してもいいんじゃない?」
「その前に動かれると話がややこしいわねえ。釘は刺しておくべきかしら」
蓮子は天井を見上げ、ひとつ息を吐く。
「ま、それはそれとして――明日はまあその話もするけど、メインは調べ物だわ」
「調べ物?」
「たぶん、まだ私たちの会ったことのない相手だからね。どうやったら会えるか、まずはいろいろ調べておかないと」
「……誰に会いに行く気なの? 妖怪の賢者……じゃないわよね」
妖怪の賢者は、蓮子は未だに会っていないはずだが、私は何度か会っている。私たちが会っていない相手ではない。
蓮子は布団の中で、私の方に身体を向けて、にっと猫のような笑みを浮かべた。
「そりゃもちろん――この異変の本当の首謀者よ!」
【読者への挑戦状】
というわけで、今回の【出題編】はここまでである。
プロローグで明記した通り、今回の謎は「犯人当て」だ。
そして、ここまでの内容からお察しの通り――読者諸賢に当てて欲しい「犯人」とは、単独ではない。
そう、この異変には、二組の「犯人」がいるのだ。
すなわち、読者諸賢への出題は、以下の通りである。
一、本物の希望の面はどこにあるのか?
二、蓮子の言う「異変の本当の首謀者」とは誰か?
一の「犯人」は、読者諸賢も知っていることを、この記録の著者として保証したい。
しかし二の「犯人」を読者諸賢が正解するのは、おそらく甚だ困難であろう。
なぜなら、二の「犯人」は、未だこの記録に登場せざる者だからだ。
そう、だから今回の事件簿は、最初から破綻したミステリである。
ノックスの十戒の第一戒「犯人は物語の当初に登場していなければならない」、あるいはヴァン・ダインの二十則の第十則「犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである」に全力で違反するミステリであるからだ。
その破綻を笑って受け止められる、心の広い読者諸賢が果たしているだろうか。
甚だ不安であるが――今回はそういう異変だったので、致し方ないのである。
宇佐見蓮子の推理した「犯人」を、貴方は突き止められるだろうか?
第12章 心綺楼編 一覧
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首謀者は十中八九あの人だな
大変遅れました。今回もおもしろかったです(≧~≦))ププッ
犯人は、まぁまぁ簡単でした
みんな賢いなぁさっぱりわかんねぇや……
自分なりに考えつつ、次回を楽しみに待つとします!
いやでもちょっと待って、犯人は元ネタの起源的にはあの人一択だけど、そんな単純な話か? ミスリードでは
今回の犯人は別々で二人いるというのは新鮮ですね。
出てきそうで出てこないので悶々としてます。
というか霊夢の出番全然ないですね。
「一」の犯人は誰なのか?
・希望の面を手に入れたばかりのこいしを見つけられそう(普通の人には見えない)
・子供っぽいこいしと友達になれそう(頼んで面を借りられそう)
・希望を隠すなら希望の中(常に楽しそう)
・しょーもないイタズラ大好き
…ということで「一」の犯人は光の三妖精であろう? そうであろう?
「二」については、いっそのことみんなが感情を失えばもう何も怖くない…と、ろくでもない解決法を思いついてしまった抗鬱薬おじさんの仕業に違いない(迷推理)
面はどこかな…?
首謀者はたぶんあの人…登場してないってのが結構なヒントなのでは?