―22―
「要するに、八坂様は灼熱地獄とおくうちゃんを使って、火力発電か地熱発電か何かをやろうとしてるんでしょうね。幻想郷に電力供給を――となれば、そりゃたいへんな技術革新だわ」
「八坂様たちは、地底と地上の関係を知らなかったのかしら?」
「知ってて無視したのかもね。新参者ゆえの怖い物知らずってところかしら」
「八坂様も、蓮子にだけは言われたくないと思うけどね」
腕を組んで唸る蓮子に、私もため息を漏らす。要するに、わざわざ地底まで来なくても、先に早苗さんに訊いていれば全ての謎が明らかになっていたわけではないか。灯台もと暗しというか、幸せの青い鳥はすぐそばにというか、私たちの地底探索行は何だったのか。
「あの神様の仲間かい! なんてことしてくれるんだい!」
お燐さんがいきり立ち、蓮子は慌ててホールドアップする。
「いやいや誤解ですわ、お友達だけど八坂様がそんなことしてたなんて知らなかったのよ」
「……本当にぃ?」
「誓って。何ならご主人様のサードアイを通して確認してくれてもいいわ」
「お姉さん、あたいがそんなことできないの解ってて言ってるでしょ」
じろりと蓮子を睨み付け、お燐さんはがりがりと頭を掻いた。その姿に相棒は、また猫のような笑みを浮かべて「お燐ちゃん」と呼びかける。
「私たちなら黒幕の八坂様に会って、おくうちゃんから八咫烏の力を取り除けないか、提案し交渉することができるわ。おくうちゃんが地上侵略を考え始めてるってことを向こうに伝えれば、向こうも計画の続行に二の足を踏むと思うし。そこで平和裏な解決法を、この交渉人・宇佐見蓮子さんが探り出してあげる」
「……さっきお姉さん、名探偵って言ってなかった?」
「名探偵で交渉人なのよ。どちらも必要なのは相手を説き伏せる論理と話術なんだから」
どうだか。私の疑いの視線に気付いているのかいないのか、怪訝そうに眉を寄せるお燐さんは、「なんでお姉さんが、あたいにそこまでしてくれるのさ」と口を尖らせる。
「なんでって――そうねえ。だって、面白そうだもの。八坂様が何をやろうとしているのかも、おくうちゃんが手に入れた八咫烏の力というのも、非常に興味深いわ。私の好奇心を満たすのが、お燐ちゃんの問題を解決することに繋がれば、それに越したことはないと思わない?」
困ってるひとを放っておけない、なんて主人公めいたことは言わないあたりが実に我が相棒である。この自己中心主義者め。
「面白がってるだけだって、自分から言うのかい」
呆れたように肩を竦め、けれど清々しそうにお燐さんは笑った。
「いいね、気に入った。お姉さんに乗ってやろうじゃない。あの神様がおくうにちょっかい出して、おくうを勝手に利用するのを止めてくれりゃいいってのは確かだもんね。ま、でも全面的に任せるわけじゃないかんね。あたいはあたいで、おくうを止めてくれる奴を地上から呼び込む計画は続けるから」
「了解。そうこなくっちゃ」
ぱちんと指を鳴らし、「そうと決まれば!」と相棒は高々と指を掲げる。
「メリー、さっそく地上に戻って守矢神社にコンタクトよ!」
――ここは、話の流れでいけば「おー!」と声をあげるべきところなのだろうが。
「ねえ蓮子、ひとつ肝心なことを訊いてもいいかしら?」
「なにメリー、ノリが悪いわね」
「ノリ以前の問題よ。――私たち、どうやって地上に帰るの?」
「…………」
「…………」
「――メリー、ひょっとして私たち、地上に帰る手段がない?」
「たぶん、無いと思うんだけど」
何しろ、私も蓮子も空を飛べない人間であり、地底へやって来たのは数十メートルの自由落下によるものなのだ。必然、あの縦穴から地上へ戻るには飛行の手段が最低限必要となるわけで、普段私たちの運搬役を務めてくれている早苗さんは、今はここにはいない。まさか地上まで続く長い階段が地底にあるわけでもあるまいし。
「いやいや、誰かに地上まで送ってもらえばいいわ」
「送ってくれるのかしら? 地底と地上の不可侵条約がそこまで厳密なものじゃないとしても、地底の妖怪が地上に出るのはリスクを伴うんじゃないの。私たちのために、そのリスクを侵してくれるのかしら」
「お、お燐ちゃーん」
「あたいに地上まで送れって? あの橋姫の近くは通りたくないし、今はおくうから離れたくないしなあ……。灼熱地獄の奥まで行けば、例の神様が降りてきた穴もあるけど」
「灼熱地獄の奥って……あの炎の奥?」
「そうだよ。まあ、生身の人間が無防備に通ったら途中で美味しくミディアムレアかな。あるいはテンションの上がったおくうに見つかって燃やされるか」
怖いことを言わないでほしい。確かにあの炎には近付きたくないが。
「だいたいお姉さんたち、こいし様を探すようにさとり様に頼まれてるんじゃなかったの?」
「ああ、そうそう、そうなのよ。でも、お燐ちゃんの計画を知っちゃった以上、私たちはもうそっちのご主人様と顔を合わせるわけにはいかないわよね」
「そりゃそうだ。あたいの計画がさとり様にバレちゃおしまいだよ」
「となると、まずはさとりちゃんに見つからないように地霊殿を脱出しないと」
「ああ、それならあたいが普段使ってるルートなら、さとり様はまず来ないから大丈夫」
「あらそれは重畳。さとりちゃんには申し訳ないけど、こいしちゃん探しはまた今度というか、お燐ちゃんの件が片付いた後になるわねえ。断りを入れられないのが心苦しいわ」
帽子を目深に被り直し、蓮子は息を吐いて、「そうすると、地上に脱出する算段をつけないとねえ」と顎に手を当てて唸る。
「まあ、待ってればそのうち、霊夢ちゃんか魔理沙ちゃんが来る気はするけど」
「何日後になるのよ。っていうか、そうなったらそうなったで色々と面倒じゃない? 既に私たちが地霊について調べてるって吹聴して回ったところに、霊夢さんたちが来たら……」
「あー、いやそこは、霊夢ちゃんも魔理沙ちゃんも猪突猛進にここまで突っ込んでくるでしょ。鬼と手を組んでどうこう、っていうのはあの二人のやり方じゃないわ」
それは確かにそうだろう。しかし――。
「それだと、私たちが地上に出るの、霊夢さんか魔理沙さんが件のカラスの子をとっちめた後にならない?」
「……それもそうね」
やはり、霊夢さんたちが来る前に地上に脱出する必要がある。あの縦穴で遊んでいたヤマメさんに頼むのが無難だろうか。あるいは――地上に脱出したがっていたムラサさんたちに?
「何にしても、まずはさとりちゃんに見つかる前に、このお屋敷から脱出しないと」
「んじゃ、こっち来なよ。あたいの使ってる通路使わせてあげるから」
お燐さんがそう言って、猫車を押しながら歩き出す。蓮子が「その猫車って」と問うと、お燐さんは剣呑な笑みを浮かべて「灼熱地獄の燃料運搬用だよ」と答えた。燃料が具体的に何かは怖いので聞かないでおきたい。
「ああ、それと、こいつらには触らないでね。取り憑かれるよ」
廊下から扉をくぐって入り込んだ狭い通路を歩きながら、お燐さんは傍らを浮遊する幽霊に手をかざして言った。
「それ、怨霊?」
「そうさ。あたいは地獄の怨霊と付き合いが長いから、手なずけられるわけ」
「ははあ。だから怨霊の管理を任されていて、地上に送り出すこともできるわけね。地獄の怨霊って、要するに地獄に落とされた亡者の霊なのよね?」
「そうだよ。地獄の苦しみの中で、恨み、辛み、憎しみに凝り固まった魂。ここにいるのは、地獄が移転したときに置いていかれた連中さ」
「どうして地獄は怨霊を置いて行ったの? 危険なんでしょう?」
「危険で管理が面倒だからだよ。地獄が移転したのは経営のスリム化のためだもん」
「地獄にも経営の概念があるのね」
「そりゃ、閻魔だって獄卒だって仕事だもんね。あたいだって怨霊管理と死体運搬はなるべく効率化して手際よくやるようにしてるけどさ、広いばっかりで管理に手間がかかる地底を捨てたのは合理的だと思うね、あたいは」
「でも、危険な怨霊を放置していくのは無責任じゃないの?」
「そんなこと言ったって、地獄が移転したときにはここはほぼ無人になってたんだよ。新地獄の連中だって、その跡地に鬼やら土蜘蛛やらが住み着くなんて思ってなかったんじゃないの」
「なるほど。そういえばお燐ちゃんは、どうして地獄の移転についていなかったの?」
「あたいは別に地獄で働いてたわけじゃないもん。この灼熱地獄があたいの住処で縄張りさ」
「じゃあ、お燐ちゃんにとって今のご主人様はどういう存在?」
「さとり様? さとり様は……なんて言えばいいのかなあ……」
歩きながら、蓮子の問いに、お燐さんがそう首を捻っているとき。
――ぱたぱたぱた。また、誰かの足音が聞こえ、ちらりと通路の角に影が過ぎった。
あの子だ、と私は直感する。古明地こいし。私たちの前に現れては消える無意識の少女。
蓮子とお燐さんは気付いた様子がない。私はひとつ唸る。――さて、どうすべきか。ひとつ、考えていることはあるのだが。
「……蓮子、お燐さん、ちょっと」
「うん? なにメリー、お手洗い?」
「違うわよ。……あの子がまた、向こうにいたわ」
「え、こいしちゃん? どこどこ?」
「――そっちのお姉さん、こいし様が見えるの?」
蓮子が通路の先に目を凝らし、お燐さんが訝しげに目を細める。私は頷いた。
「たぶんまた、私たちを誘ってるんだと思うけど……」
「あら、今度はどこに案内してくれるのかしら?」
歩き出そうとした蓮子を、私は片手で制する。
「待って蓮子。……ちょっと、私ひとりで行かせてくれない?」
「え?」
「たぶんあの子、私ひとりで行けば、ちゃんと姿を見せてくれる気がするの。今まで二回、どっちも蓮子が反応した途端にぱっと逃げ出しちゃったから」
「あら、私嫌われちゃってる?」
「さあね。とにかく、ちょっとあの子に私ひとりで呼びかけてみるわ」
「いやいや待ってよ、そっちのお姉さん、こいし様が見えるってどういう――」
「ああ、メリーは優秀なレーダーみたいなものだから」
釈然としない顔のお燐さんに蓮子がそう言い添え、それから愉しげに帽子の庇を持ち上げた。
「いいわ、そこまで言うならメリーに任せた。いってらっしゃい」
「うん、行ってくる」
「……なんだか解らんけど、こいし様に殺されないでよ。何するか解らない御方だから」
人がせっかく勇気を出しているところに冷や水をぶっかけないでほしい。お燐さんの言葉に足が震えそうになるのを堪えて、私はあの少女の影が見えた角へと歩き出した。
―23―
「……古明地こいしさん? いるの?」
通路の角を曲がって、私は小声でそう呼びかける。何しろ、相手はいるのかいないのか解らない、こちらの無意識に干渉してくる存在だ。果たして、こちらからコンタクトを取ろうと思って取れる相手なのかも定かでないが――。
しかし、彼女は一度ならず私の前に姿を現している。一度目は偶然私が彼女を発見した形だったが、二度目は明らかに意図的だった。私の背後から声をかけてきたあの子――。たぶん彼女は、自分の姿が見える私のことを面白がっているはず。
ならば、私がひとりで声をかければ、姿を現すはずだと踏んだのだが。
「ねえ、いるなら返事してもらえる? 今は私ひとりだけだから――」
「はーい!」
返事がした。明るく無感情な、とでも形容するしかない、奇妙な響きの声だった。
そして、私の右斜め前に、少女がまた姿を現す。黒い帽子の小さな女の子。言われてみれば、古明地さとりさんとよく似た、色違いのような格好をしている。身体にまとわりつく紐をよく見ると、胸元に、さとりさんのサードアイとやらによく似た球体があった。ただ、さとりさんのものとちがって、その球体は瞳を閉じているらしい。
「古明地、こいしさんよね?」
「そうだよ、私が見える貴方」
「……私は、メリーっていうの。はじめまして」
「メリーさん?」
「そう、メリーさん。今貴方の後ろにいるの」
「後ろー?」
少女は背後を覗きこもうとして、くるくるとその場で回った。
「冗談よ。むしろ、私たちの後ろにいたのは貴方よね、こいしさん」
「ん? そう、私ずっと貴方を追いかけてたの」
「……私たちが貴方を追いかけてたつもりだったけれど」
「違うよー。私が貴方を追いかけてたの。そしたら貴方が私の方に来ただけ」
ええとつまり、彼女は私たちを案内していたわけではなく、離れた場所から私たちの様子を伺っていて、私の目にその姿が見えたために、私たちが彼女を追いかけるような格好になっただけ、ということなのか。
「ねーねー、地上の人でしょ? 地底になにしに来たの? うちのペットに何か用?」
「……さっきまでのお燐さんとの話、聞いてたんじゃなかったの?」
「ううん。お燐の近く、怨霊がいるから、やなの。灼熱地獄は暑いし」
「サトリ妖怪は怨霊にも恐れられるんじゃ……?」
「お姉ちゃんはね。でも私は、心読むのやめちゃったもーん」
彼女はそう言って、胸元の閉ざされた瞳に触れる。あの瞳が心を読む眼なのだとすれば、それを閉ざした彼女は――果たして、サトリ妖怪と言えるのだろうか?
「だから私は、貴方が何を考えてるかなんてわかんないの。ねえ、地底になにしに来たの?」
「……その怨霊が、地上に出てきたから、調べに来たの」
「えー? なんでー?」
「なんだか、いろいろと面倒なことになっているみたい。一口じゃ説明できないわ」
「ふうん。あとでお姉ちゃんに聞いてみよーっと」
「ああ……そうだわ。お姉さんが探していたわよ。私たち、それも頼まれていたの。貴方を見つけて、連れてきてって」
私がそう言うと、少女はきょとんと目を見開いて、「えー」と不満げに口を尖らせる。
「やだ」
「どうして?」
「どうしてもー。お姉ちゃんの指図は受けないって決めたもん」
「……まあ、私たちも諸般の事情で、お姉さんのところに戻れないんだけど」
「え? 何かお姉ちゃんに読まれると都合の悪いこと知っちゃった? あ、だからお姉ちゃんが滅多に来ないここをお燐と通ってたんだ」
何を考えているのかわからない子だが、妙に鋭い。
「まあ、そんなところ」
「じゃあ、どっちにしたって捕まらないもんねー」
「いや、だから貴方を捕まえるつもりはないの」
「うん?」
身を翻して走り去ろうとした少女に、私はそう呼びかける。少女は振り向いて小首を傾げた。
「こっちの用は済んだから、貴方がお姉さんのところに戻るかどうかは貴方に任せるわ」
「そうなの?」
「そうなの。貴方のおかげで」
「私の? へー、そうなんだー」
普通に感心されてしまった。彼女は私たちを灼熱地獄に導いたつもりはなかったらしい。
「ねえ、それなら私と遊ばない?」
と、彼女は私に向けて手を伸ばした。
「人間の大人で、私が見えるなんて珍しいもの。遊びましょ」
「……人間の子供が地底にいるの?」
彼女の言葉に引っかかりを覚え、私はそう問うた。彼女はまた小首を傾げ、
「違うよ。地上の人間」
「え? ……貴方、まさか地上に出てるの?」
「うん、ときどき。それで、私が見える人間の子供たちと遊ぶの」
地底の妖怪が、地上に出てきて、里の子供たちと遊んでいる――? いちおう寺子屋の教師である身としては、聞き捨てならない情報だ。だが……しかし、この子に里の子供に対する害意はあるのだろうか。ただ純粋に、誰かと一緒に遊びたいだけなのか?
集まって遊ぶ子供たちの中に、いつの間にか紛れ込んでいて、いつの間にかいなくなっている子供。座敷童か、あるいは――科学世紀の言葉でいえば、イマジナリーフレンドというやつだろうか。大人には見えない、子供だけの友達――。
瞳を閉ざし、心を読むのを止めたサトリ妖怪は、その妖怪としての性質が変化して、何か別の妖怪に変わってしまったのかもしれない。
「私、貴方とも遊びたいな」
「……何をして遊ぶの? 追いかけっこ? かくれんぼ?」
「何でもいいよ。貴方が決めて」
「それなら――私の友達を呼んでもいい?」
「……あの、一緒にいる人間?」
私の言葉に、不意に彼女は目を細めた。
「そう、私の友達。ふたりより三人で遊んだ方が楽しいわ」
「嫌」
私は笑ってそう提案してみたのだけれど――彼女の答えは、あまりにそっけなかった。
「え? ……どうして?」
「私は、貴方と遊びたいの。他の人間なんてどうでもいいの。どうしてもって言うなら――」
感情の読めない平板な声で、彼女は。
「殺しちゃうよ?」
そう言って、笑った。
―24―
「メリー、どうだった?」
「……逃げられちゃったわ」
結局あの後、あの少女――古明地こいしさんは、いつの間にかいずこともなく姿を消していた。私の目も、どうやら彼女の能力を完全に無効化するわけではないらしい。
「一緒に遊ぼうって誘われたんだけど、蓮子も混ぜていい? って訊いたら断られて。蓮子、あの子に嫌われてるのかもしれないわよ。せいぜい無意識に気を付けるといいわ」
「嫌われるようなことした覚えないけどねえ。無意識にどうやって気を付ければいいのよ」
困り顔で帽子を被り直した相棒に、私はあの子から聞いた話を付け加える。里で子供と遊んでいるらしい、という話に、蓮子は目を見開いて「へえ」としきりに帽子の庇を弄った。
「心を読むのを止めたサトリ妖怪が、別の力を手に入れて座敷童かイマジナリーフレンドに変化したって? メリーもなかなか突飛なこと考えるわねえ。まあ、人間が妖怪になることがあるんだから、妖怪が別の妖怪に変化することもあるのかもしれないけど。お燐ちゃん、そのへんどうなの?」
「あたいに訊かれても、そんなこと知らんよ。それよりお姉さん、こいし様の通訳としてウチで働かない? さとり様も助かると思うんだけどさ」
突然の勧誘。私が何と答えるか困っていると、横から蓮子が「ダメよ、メリーは私の相棒なんだから」と抱きついてきた。私が無言で引きはがすと、相棒とお燐さんが同時に意味の異なる舌打ちをする。全くもう。
「結局、こいしちゃんはただ自分が見えるメリーと遊びたかっただけってことみたいね」
そんなことを言いながら、相棒は帽子の庇をまた無意識に弄っている。結論を出したように見せつつ、まだ何事かを考えているのだろう。
「こいし様のことより、おくうのことだよ」
「ああ、そうだったわね。ごめんねお燐ちゃん、さっさと地上に戻る方法を考えましょ」
「それなら、あいつらに相談すればいいさ。あたいの知り合いに、地上へ通じる風穴の近くでよく遊んでる奴がいるから――」
お燐さんの言葉に、私たちは顔を見合わせる。
「……お燐ちゃん、それってもしかして、土蜘蛛の黒谷ヤマメさん?」
「へ、お姉さんたち、ヤマメのこと知ってるの?」
地底は広いが、世間は狭い。いや、単にヤマメさんの顔が広いだけかもしれないが。
そんなわけで、私たちが地霊殿を脱出して表玄関の方に回ると、待っていてくれたらしいヤマメさんとキスメさんが駆け寄ってきて、一緒にいるお燐さんに目を丸くした。
「あれ? なんでお燐が一緒に出てくるのさ?」
「いやあ、このお姉さんたちと色々あってねえ。ヤマメの知り合いだとは思わなかったよ。それよりさ――このお姉さんたちを、地上に帰してやっちゃくれない?」
お燐さんの言葉に、ヤマメさんとキスメさんが顔を見合わせる。蓮子が「ちょっと早急に地上に戻らないといけなくなりまして」と片手を挙げると、ヤマメさんは「いやまあ、そりゃ構わないけど」と小首を傾げた。どうやら、ヤマメさんの協力で帰れそうだ――と私がほっと息を吐く脇で、ヤマメさんがお燐さんに詰め寄っていた。
「地霊の件はどうなったのさ。ねえお燐、怨霊はあんたの管轄だろ?」
「あ、あー、いやそりゃちょっと諸般の事情ってもんが、あたいにもね」
「やっぱりあんたの仕業かい。封印された怨霊を地上に出して、何をやろうってのさ」
「いやごめん、詳しいことは訊かないでよ。あたいも苦渋の決断だったんだよ。この件はどうか、しばらく内密にお願いできない? 特に鬼にはさ」
「鬼って、勇儀さんにかい? 勇儀さんも地霊の件はそこの二人からもう聞いちゃってるから、そのうちこっちに様子を見に来るかもしれないよ」
「それは困るんだよ! 何日かでいいからさ、鬼を足止めしておいておくれよ、頼む!」
手を合わせて拝むお燐さんに、ヤマメさんが目を見開く。
「……お燐がそこまで言うなんて、余程のことだねえ」
腕を組んで唸ったヤマメさんの袖口を、キスメさんが引いた。何かを訴えるように見上げるキスメさんに、ヤマメさんは「解ってるさね」と頷いてみせる。
「まあ、勇儀さんの足止めぐらいなら、宴会に誘えば難しくはないけどさ。宴会の口実どうするかね。――あ、そうか、あんたたちの送別会でいいか」
ぽんと手を叩くヤマメさんに、蓮子が肩を竦める。
「いや、それじゃ私たちも足止めされちゃうんだけど」
「大丈夫大丈夫、鬼は最初に口実さえあればあとは当事者そっちのけで宴会続けるから、最初の乾杯だけ居てくれればOKよ」
「はあ」
「よし決まり。じゃあ勇儀さん探しに行こう」
「それじゃ、あたいも灼熱地獄に戻るよ。じゃあね、お姉さんたち」
猫車を押して、お燐さんはくるりと踵を返す。と、足を止めてもう一度振り返り、
「――例の件、頼んだよ」
そう、募るように言った。
「ええ、秘封探偵事務所にお任せを」
笑って応えた蓮子に、お燐さんはちょっと不安げな顔を見せつつ、地霊殿へと戻っていく。それを見送り、私たちはヤマメさんの先導でまた旧都の中心街へ向かって歩き出した。
「しかしまあ、よく生身で地霊殿に入って無事で戻って来られたもんだね、人間がさ」
「人徳のたまものですわ」
「人徳ねえ。あそこの主、やりにくい相手だったろう?」
「ええまあ……話が早いのは助かりますけどね。頼まれたことを無視して出てくる格好になっちゃったのが心苦しいから、事態が解決したら謝りに行きますわ。謝罪も顔を合わせるだけで済むって考えれば楽ですし」
「謝りにって……あんたたち、本当に変な人間だこと。そこまで妖怪を恐れないで誰とも仲良くなっちまうんじゃ、妖怪の立つ瀬がないよ。あんた、私が最初にあんたを食おうとしたこと、もう忘れてるだろ?」
「ああ、すっかり忘れてましたわ。食べないでくださいます?」
「食べないよ!」
気の抜けるやりとりである。危険といわれる地底の妖怪相手ですらこれなのだから、我が相棒はもはや妖怪「妖怪たらし」とでも呼ぶべきなのかもしれない。
ともかく、そんな話をしている間に中心街に辿り着く。通りがかった妖怪にヤマメさんが声をかけ、「勇儀さん、どこいるか知らない?」と尋ねると、「ああ、さっき旧都の外に出てったよ。例の風穴の方」との返事。
「あー、てことはパルスィんとこね。りょーかい」
「パルスィって、最初にここに来たときに通った橋にいた橋姫ですよね?」
「そう。あいつは旧都の住人じゃないんだけど、勇儀さんは何かと気にかけて様子を見に行ってるんだよ。近所の野良猫に餌やりに行くみたいな感じなのかね」
「あら、妖怪も野良猫に餌やったりするの?」
「地霊殿の主だって大量のペット飼ってるだろう?」
それもそうだ。
「ところでヤマメさん、確認してなかったけど、地上まで送ってもらえるのよね?」
「ん? ああ、あんまり大っぴらに地上には出にくいから、地上の近くまでね」
「近くまでって……私たち飛べないんだけど、残りはあの風穴を自力で上れと?」
思わずそう問うた蓮子に、ヤマメさんは「ああ、そうだったかい」と頭を掻いた。
「じゃあ、ちゃんと地上まで届けてあげるよ。ちょっと乱暴になるかもしれないけどね」
にいっ、とヤマメさんは剣呑な笑みを浮かべ、私たちは思わずたじろいだ。
――地上に届ける乱暴な方法って、いったいなに?
「要するに、八坂様は灼熱地獄とおくうちゃんを使って、火力発電か地熱発電か何かをやろうとしてるんでしょうね。幻想郷に電力供給を――となれば、そりゃたいへんな技術革新だわ」
「八坂様たちは、地底と地上の関係を知らなかったのかしら?」
「知ってて無視したのかもね。新参者ゆえの怖い物知らずってところかしら」
「八坂様も、蓮子にだけは言われたくないと思うけどね」
腕を組んで唸る蓮子に、私もため息を漏らす。要するに、わざわざ地底まで来なくても、先に早苗さんに訊いていれば全ての謎が明らかになっていたわけではないか。灯台もと暗しというか、幸せの青い鳥はすぐそばにというか、私たちの地底探索行は何だったのか。
「あの神様の仲間かい! なんてことしてくれるんだい!」
お燐さんがいきり立ち、蓮子は慌ててホールドアップする。
「いやいや誤解ですわ、お友達だけど八坂様がそんなことしてたなんて知らなかったのよ」
「……本当にぃ?」
「誓って。何ならご主人様のサードアイを通して確認してくれてもいいわ」
「お姉さん、あたいがそんなことできないの解ってて言ってるでしょ」
じろりと蓮子を睨み付け、お燐さんはがりがりと頭を掻いた。その姿に相棒は、また猫のような笑みを浮かべて「お燐ちゃん」と呼びかける。
「私たちなら黒幕の八坂様に会って、おくうちゃんから八咫烏の力を取り除けないか、提案し交渉することができるわ。おくうちゃんが地上侵略を考え始めてるってことを向こうに伝えれば、向こうも計画の続行に二の足を踏むと思うし。そこで平和裏な解決法を、この交渉人・宇佐見蓮子さんが探り出してあげる」
「……さっきお姉さん、名探偵って言ってなかった?」
「名探偵で交渉人なのよ。どちらも必要なのは相手を説き伏せる論理と話術なんだから」
どうだか。私の疑いの視線に気付いているのかいないのか、怪訝そうに眉を寄せるお燐さんは、「なんでお姉さんが、あたいにそこまでしてくれるのさ」と口を尖らせる。
「なんでって――そうねえ。だって、面白そうだもの。八坂様が何をやろうとしているのかも、おくうちゃんが手に入れた八咫烏の力というのも、非常に興味深いわ。私の好奇心を満たすのが、お燐ちゃんの問題を解決することに繋がれば、それに越したことはないと思わない?」
困ってるひとを放っておけない、なんて主人公めいたことは言わないあたりが実に我が相棒である。この自己中心主義者め。
「面白がってるだけだって、自分から言うのかい」
呆れたように肩を竦め、けれど清々しそうにお燐さんは笑った。
「いいね、気に入った。お姉さんに乗ってやろうじゃない。あの神様がおくうにちょっかい出して、おくうを勝手に利用するのを止めてくれりゃいいってのは確かだもんね。ま、でも全面的に任せるわけじゃないかんね。あたいはあたいで、おくうを止めてくれる奴を地上から呼び込む計画は続けるから」
「了解。そうこなくっちゃ」
ぱちんと指を鳴らし、「そうと決まれば!」と相棒は高々と指を掲げる。
「メリー、さっそく地上に戻って守矢神社にコンタクトよ!」
――ここは、話の流れでいけば「おー!」と声をあげるべきところなのだろうが。
「ねえ蓮子、ひとつ肝心なことを訊いてもいいかしら?」
「なにメリー、ノリが悪いわね」
「ノリ以前の問題よ。――私たち、どうやって地上に帰るの?」
「…………」
「…………」
「――メリー、ひょっとして私たち、地上に帰る手段がない?」
「たぶん、無いと思うんだけど」
何しろ、私も蓮子も空を飛べない人間であり、地底へやって来たのは数十メートルの自由落下によるものなのだ。必然、あの縦穴から地上へ戻るには飛行の手段が最低限必要となるわけで、普段私たちの運搬役を務めてくれている早苗さんは、今はここにはいない。まさか地上まで続く長い階段が地底にあるわけでもあるまいし。
「いやいや、誰かに地上まで送ってもらえばいいわ」
「送ってくれるのかしら? 地底と地上の不可侵条約がそこまで厳密なものじゃないとしても、地底の妖怪が地上に出るのはリスクを伴うんじゃないの。私たちのために、そのリスクを侵してくれるのかしら」
「お、お燐ちゃーん」
「あたいに地上まで送れって? あの橋姫の近くは通りたくないし、今はおくうから離れたくないしなあ……。灼熱地獄の奥まで行けば、例の神様が降りてきた穴もあるけど」
「灼熱地獄の奥って……あの炎の奥?」
「そうだよ。まあ、生身の人間が無防備に通ったら途中で美味しくミディアムレアかな。あるいはテンションの上がったおくうに見つかって燃やされるか」
怖いことを言わないでほしい。確かにあの炎には近付きたくないが。
「だいたいお姉さんたち、こいし様を探すようにさとり様に頼まれてるんじゃなかったの?」
「ああ、そうそう、そうなのよ。でも、お燐ちゃんの計画を知っちゃった以上、私たちはもうそっちのご主人様と顔を合わせるわけにはいかないわよね」
「そりゃそうだ。あたいの計画がさとり様にバレちゃおしまいだよ」
「となると、まずはさとりちゃんに見つからないように地霊殿を脱出しないと」
「ああ、それならあたいが普段使ってるルートなら、さとり様はまず来ないから大丈夫」
「あらそれは重畳。さとりちゃんには申し訳ないけど、こいしちゃん探しはまた今度というか、お燐ちゃんの件が片付いた後になるわねえ。断りを入れられないのが心苦しいわ」
帽子を目深に被り直し、蓮子は息を吐いて、「そうすると、地上に脱出する算段をつけないとねえ」と顎に手を当てて唸る。
「まあ、待ってればそのうち、霊夢ちゃんか魔理沙ちゃんが来る気はするけど」
「何日後になるのよ。っていうか、そうなったらそうなったで色々と面倒じゃない? 既に私たちが地霊について調べてるって吹聴して回ったところに、霊夢さんたちが来たら……」
「あー、いやそこは、霊夢ちゃんも魔理沙ちゃんも猪突猛進にここまで突っ込んでくるでしょ。鬼と手を組んでどうこう、っていうのはあの二人のやり方じゃないわ」
それは確かにそうだろう。しかし――。
「それだと、私たちが地上に出るの、霊夢さんか魔理沙さんが件のカラスの子をとっちめた後にならない?」
「……それもそうね」
やはり、霊夢さんたちが来る前に地上に脱出する必要がある。あの縦穴で遊んでいたヤマメさんに頼むのが無難だろうか。あるいは――地上に脱出したがっていたムラサさんたちに?
「何にしても、まずはさとりちゃんに見つかる前に、このお屋敷から脱出しないと」
「んじゃ、こっち来なよ。あたいの使ってる通路使わせてあげるから」
お燐さんがそう言って、猫車を押しながら歩き出す。蓮子が「その猫車って」と問うと、お燐さんは剣呑な笑みを浮かべて「灼熱地獄の燃料運搬用だよ」と答えた。燃料が具体的に何かは怖いので聞かないでおきたい。
「ああ、それと、こいつらには触らないでね。取り憑かれるよ」
廊下から扉をくぐって入り込んだ狭い通路を歩きながら、お燐さんは傍らを浮遊する幽霊に手をかざして言った。
「それ、怨霊?」
「そうさ。あたいは地獄の怨霊と付き合いが長いから、手なずけられるわけ」
「ははあ。だから怨霊の管理を任されていて、地上に送り出すこともできるわけね。地獄の怨霊って、要するに地獄に落とされた亡者の霊なのよね?」
「そうだよ。地獄の苦しみの中で、恨み、辛み、憎しみに凝り固まった魂。ここにいるのは、地獄が移転したときに置いていかれた連中さ」
「どうして地獄は怨霊を置いて行ったの? 危険なんでしょう?」
「危険で管理が面倒だからだよ。地獄が移転したのは経営のスリム化のためだもん」
「地獄にも経営の概念があるのね」
「そりゃ、閻魔だって獄卒だって仕事だもんね。あたいだって怨霊管理と死体運搬はなるべく効率化して手際よくやるようにしてるけどさ、広いばっかりで管理に手間がかかる地底を捨てたのは合理的だと思うね、あたいは」
「でも、危険な怨霊を放置していくのは無責任じゃないの?」
「そんなこと言ったって、地獄が移転したときにはここはほぼ無人になってたんだよ。新地獄の連中だって、その跡地に鬼やら土蜘蛛やらが住み着くなんて思ってなかったんじゃないの」
「なるほど。そういえばお燐ちゃんは、どうして地獄の移転についていなかったの?」
「あたいは別に地獄で働いてたわけじゃないもん。この灼熱地獄があたいの住処で縄張りさ」
「じゃあ、お燐ちゃんにとって今のご主人様はどういう存在?」
「さとり様? さとり様は……なんて言えばいいのかなあ……」
歩きながら、蓮子の問いに、お燐さんがそう首を捻っているとき。
――ぱたぱたぱた。また、誰かの足音が聞こえ、ちらりと通路の角に影が過ぎった。
あの子だ、と私は直感する。古明地こいし。私たちの前に現れては消える無意識の少女。
蓮子とお燐さんは気付いた様子がない。私はひとつ唸る。――さて、どうすべきか。ひとつ、考えていることはあるのだが。
「……蓮子、お燐さん、ちょっと」
「うん? なにメリー、お手洗い?」
「違うわよ。……あの子がまた、向こうにいたわ」
「え、こいしちゃん? どこどこ?」
「――そっちのお姉さん、こいし様が見えるの?」
蓮子が通路の先に目を凝らし、お燐さんが訝しげに目を細める。私は頷いた。
「たぶんまた、私たちを誘ってるんだと思うけど……」
「あら、今度はどこに案内してくれるのかしら?」
歩き出そうとした蓮子を、私は片手で制する。
「待って蓮子。……ちょっと、私ひとりで行かせてくれない?」
「え?」
「たぶんあの子、私ひとりで行けば、ちゃんと姿を見せてくれる気がするの。今まで二回、どっちも蓮子が反応した途端にぱっと逃げ出しちゃったから」
「あら、私嫌われちゃってる?」
「さあね。とにかく、ちょっとあの子に私ひとりで呼びかけてみるわ」
「いやいや待ってよ、そっちのお姉さん、こいし様が見えるってどういう――」
「ああ、メリーは優秀なレーダーみたいなものだから」
釈然としない顔のお燐さんに蓮子がそう言い添え、それから愉しげに帽子の庇を持ち上げた。
「いいわ、そこまで言うならメリーに任せた。いってらっしゃい」
「うん、行ってくる」
「……なんだか解らんけど、こいし様に殺されないでよ。何するか解らない御方だから」
人がせっかく勇気を出しているところに冷や水をぶっかけないでほしい。お燐さんの言葉に足が震えそうになるのを堪えて、私はあの少女の影が見えた角へと歩き出した。
―23―
「……古明地こいしさん? いるの?」
通路の角を曲がって、私は小声でそう呼びかける。何しろ、相手はいるのかいないのか解らない、こちらの無意識に干渉してくる存在だ。果たして、こちらからコンタクトを取ろうと思って取れる相手なのかも定かでないが――。
しかし、彼女は一度ならず私の前に姿を現している。一度目は偶然私が彼女を発見した形だったが、二度目は明らかに意図的だった。私の背後から声をかけてきたあの子――。たぶん彼女は、自分の姿が見える私のことを面白がっているはず。
ならば、私がひとりで声をかければ、姿を現すはずだと踏んだのだが。
「ねえ、いるなら返事してもらえる? 今は私ひとりだけだから――」
「はーい!」
返事がした。明るく無感情な、とでも形容するしかない、奇妙な響きの声だった。
そして、私の右斜め前に、少女がまた姿を現す。黒い帽子の小さな女の子。言われてみれば、古明地さとりさんとよく似た、色違いのような格好をしている。身体にまとわりつく紐をよく見ると、胸元に、さとりさんのサードアイとやらによく似た球体があった。ただ、さとりさんのものとちがって、その球体は瞳を閉じているらしい。
「古明地、こいしさんよね?」
「そうだよ、私が見える貴方」
「……私は、メリーっていうの。はじめまして」
「メリーさん?」
「そう、メリーさん。今貴方の後ろにいるの」
「後ろー?」
少女は背後を覗きこもうとして、くるくるとその場で回った。
「冗談よ。むしろ、私たちの後ろにいたのは貴方よね、こいしさん」
「ん? そう、私ずっと貴方を追いかけてたの」
「……私たちが貴方を追いかけてたつもりだったけれど」
「違うよー。私が貴方を追いかけてたの。そしたら貴方が私の方に来ただけ」
ええとつまり、彼女は私たちを案内していたわけではなく、離れた場所から私たちの様子を伺っていて、私の目にその姿が見えたために、私たちが彼女を追いかけるような格好になっただけ、ということなのか。
「ねーねー、地上の人でしょ? 地底になにしに来たの? うちのペットに何か用?」
「……さっきまでのお燐さんとの話、聞いてたんじゃなかったの?」
「ううん。お燐の近く、怨霊がいるから、やなの。灼熱地獄は暑いし」
「サトリ妖怪は怨霊にも恐れられるんじゃ……?」
「お姉ちゃんはね。でも私は、心読むのやめちゃったもーん」
彼女はそう言って、胸元の閉ざされた瞳に触れる。あの瞳が心を読む眼なのだとすれば、それを閉ざした彼女は――果たして、サトリ妖怪と言えるのだろうか?
「だから私は、貴方が何を考えてるかなんてわかんないの。ねえ、地底になにしに来たの?」
「……その怨霊が、地上に出てきたから、調べに来たの」
「えー? なんでー?」
「なんだか、いろいろと面倒なことになっているみたい。一口じゃ説明できないわ」
「ふうん。あとでお姉ちゃんに聞いてみよーっと」
「ああ……そうだわ。お姉さんが探していたわよ。私たち、それも頼まれていたの。貴方を見つけて、連れてきてって」
私がそう言うと、少女はきょとんと目を見開いて、「えー」と不満げに口を尖らせる。
「やだ」
「どうして?」
「どうしてもー。お姉ちゃんの指図は受けないって決めたもん」
「……まあ、私たちも諸般の事情で、お姉さんのところに戻れないんだけど」
「え? 何かお姉ちゃんに読まれると都合の悪いこと知っちゃった? あ、だからお姉ちゃんが滅多に来ないここをお燐と通ってたんだ」
何を考えているのかわからない子だが、妙に鋭い。
「まあ、そんなところ」
「じゃあ、どっちにしたって捕まらないもんねー」
「いや、だから貴方を捕まえるつもりはないの」
「うん?」
身を翻して走り去ろうとした少女に、私はそう呼びかける。少女は振り向いて小首を傾げた。
「こっちの用は済んだから、貴方がお姉さんのところに戻るかどうかは貴方に任せるわ」
「そうなの?」
「そうなの。貴方のおかげで」
「私の? へー、そうなんだー」
普通に感心されてしまった。彼女は私たちを灼熱地獄に導いたつもりはなかったらしい。
「ねえ、それなら私と遊ばない?」
と、彼女は私に向けて手を伸ばした。
「人間の大人で、私が見えるなんて珍しいもの。遊びましょ」
「……人間の子供が地底にいるの?」
彼女の言葉に引っかかりを覚え、私はそう問うた。彼女はまた小首を傾げ、
「違うよ。地上の人間」
「え? ……貴方、まさか地上に出てるの?」
「うん、ときどき。それで、私が見える人間の子供たちと遊ぶの」
地底の妖怪が、地上に出てきて、里の子供たちと遊んでいる――? いちおう寺子屋の教師である身としては、聞き捨てならない情報だ。だが……しかし、この子に里の子供に対する害意はあるのだろうか。ただ純粋に、誰かと一緒に遊びたいだけなのか?
集まって遊ぶ子供たちの中に、いつの間にか紛れ込んでいて、いつの間にかいなくなっている子供。座敷童か、あるいは――科学世紀の言葉でいえば、イマジナリーフレンドというやつだろうか。大人には見えない、子供だけの友達――。
瞳を閉ざし、心を読むのを止めたサトリ妖怪は、その妖怪としての性質が変化して、何か別の妖怪に変わってしまったのかもしれない。
「私、貴方とも遊びたいな」
「……何をして遊ぶの? 追いかけっこ? かくれんぼ?」
「何でもいいよ。貴方が決めて」
「それなら――私の友達を呼んでもいい?」
「……あの、一緒にいる人間?」
私の言葉に、不意に彼女は目を細めた。
「そう、私の友達。ふたりより三人で遊んだ方が楽しいわ」
「嫌」
私は笑ってそう提案してみたのだけれど――彼女の答えは、あまりにそっけなかった。
「え? ……どうして?」
「私は、貴方と遊びたいの。他の人間なんてどうでもいいの。どうしてもって言うなら――」
感情の読めない平板な声で、彼女は。
「殺しちゃうよ?」
そう言って、笑った。
―24―
「メリー、どうだった?」
「……逃げられちゃったわ」
結局あの後、あの少女――古明地こいしさんは、いつの間にかいずこともなく姿を消していた。私の目も、どうやら彼女の能力を完全に無効化するわけではないらしい。
「一緒に遊ぼうって誘われたんだけど、蓮子も混ぜていい? って訊いたら断られて。蓮子、あの子に嫌われてるのかもしれないわよ。せいぜい無意識に気を付けるといいわ」
「嫌われるようなことした覚えないけどねえ。無意識にどうやって気を付ければいいのよ」
困り顔で帽子を被り直した相棒に、私はあの子から聞いた話を付け加える。里で子供と遊んでいるらしい、という話に、蓮子は目を見開いて「へえ」としきりに帽子の庇を弄った。
「心を読むのを止めたサトリ妖怪が、別の力を手に入れて座敷童かイマジナリーフレンドに変化したって? メリーもなかなか突飛なこと考えるわねえ。まあ、人間が妖怪になることがあるんだから、妖怪が別の妖怪に変化することもあるのかもしれないけど。お燐ちゃん、そのへんどうなの?」
「あたいに訊かれても、そんなこと知らんよ。それよりお姉さん、こいし様の通訳としてウチで働かない? さとり様も助かると思うんだけどさ」
突然の勧誘。私が何と答えるか困っていると、横から蓮子が「ダメよ、メリーは私の相棒なんだから」と抱きついてきた。私が無言で引きはがすと、相棒とお燐さんが同時に意味の異なる舌打ちをする。全くもう。
「結局、こいしちゃんはただ自分が見えるメリーと遊びたかっただけってことみたいね」
そんなことを言いながら、相棒は帽子の庇をまた無意識に弄っている。結論を出したように見せつつ、まだ何事かを考えているのだろう。
「こいし様のことより、おくうのことだよ」
「ああ、そうだったわね。ごめんねお燐ちゃん、さっさと地上に戻る方法を考えましょ」
「それなら、あいつらに相談すればいいさ。あたいの知り合いに、地上へ通じる風穴の近くでよく遊んでる奴がいるから――」
お燐さんの言葉に、私たちは顔を見合わせる。
「……お燐ちゃん、それってもしかして、土蜘蛛の黒谷ヤマメさん?」
「へ、お姉さんたち、ヤマメのこと知ってるの?」
地底は広いが、世間は狭い。いや、単にヤマメさんの顔が広いだけかもしれないが。
そんなわけで、私たちが地霊殿を脱出して表玄関の方に回ると、待っていてくれたらしいヤマメさんとキスメさんが駆け寄ってきて、一緒にいるお燐さんに目を丸くした。
「あれ? なんでお燐が一緒に出てくるのさ?」
「いやあ、このお姉さんたちと色々あってねえ。ヤマメの知り合いだとは思わなかったよ。それよりさ――このお姉さんたちを、地上に帰してやっちゃくれない?」
お燐さんの言葉に、ヤマメさんとキスメさんが顔を見合わせる。蓮子が「ちょっと早急に地上に戻らないといけなくなりまして」と片手を挙げると、ヤマメさんは「いやまあ、そりゃ構わないけど」と小首を傾げた。どうやら、ヤマメさんの協力で帰れそうだ――と私がほっと息を吐く脇で、ヤマメさんがお燐さんに詰め寄っていた。
「地霊の件はどうなったのさ。ねえお燐、怨霊はあんたの管轄だろ?」
「あ、あー、いやそりゃちょっと諸般の事情ってもんが、あたいにもね」
「やっぱりあんたの仕業かい。封印された怨霊を地上に出して、何をやろうってのさ」
「いやごめん、詳しいことは訊かないでよ。あたいも苦渋の決断だったんだよ。この件はどうか、しばらく内密にお願いできない? 特に鬼にはさ」
「鬼って、勇儀さんにかい? 勇儀さんも地霊の件はそこの二人からもう聞いちゃってるから、そのうちこっちに様子を見に来るかもしれないよ」
「それは困るんだよ! 何日かでいいからさ、鬼を足止めしておいておくれよ、頼む!」
手を合わせて拝むお燐さんに、ヤマメさんが目を見開く。
「……お燐がそこまで言うなんて、余程のことだねえ」
腕を組んで唸ったヤマメさんの袖口を、キスメさんが引いた。何かを訴えるように見上げるキスメさんに、ヤマメさんは「解ってるさね」と頷いてみせる。
「まあ、勇儀さんの足止めぐらいなら、宴会に誘えば難しくはないけどさ。宴会の口実どうするかね。――あ、そうか、あんたたちの送別会でいいか」
ぽんと手を叩くヤマメさんに、蓮子が肩を竦める。
「いや、それじゃ私たちも足止めされちゃうんだけど」
「大丈夫大丈夫、鬼は最初に口実さえあればあとは当事者そっちのけで宴会続けるから、最初の乾杯だけ居てくれればOKよ」
「はあ」
「よし決まり。じゃあ勇儀さん探しに行こう」
「それじゃ、あたいも灼熱地獄に戻るよ。じゃあね、お姉さんたち」
猫車を押して、お燐さんはくるりと踵を返す。と、足を止めてもう一度振り返り、
「――例の件、頼んだよ」
そう、募るように言った。
「ええ、秘封探偵事務所にお任せを」
笑って応えた蓮子に、お燐さんはちょっと不安げな顔を見せつつ、地霊殿へと戻っていく。それを見送り、私たちはヤマメさんの先導でまた旧都の中心街へ向かって歩き出した。
「しかしまあ、よく生身で地霊殿に入って無事で戻って来られたもんだね、人間がさ」
「人徳のたまものですわ」
「人徳ねえ。あそこの主、やりにくい相手だったろう?」
「ええまあ……話が早いのは助かりますけどね。頼まれたことを無視して出てくる格好になっちゃったのが心苦しいから、事態が解決したら謝りに行きますわ。謝罪も顔を合わせるだけで済むって考えれば楽ですし」
「謝りにって……あんたたち、本当に変な人間だこと。そこまで妖怪を恐れないで誰とも仲良くなっちまうんじゃ、妖怪の立つ瀬がないよ。あんた、私が最初にあんたを食おうとしたこと、もう忘れてるだろ?」
「ああ、すっかり忘れてましたわ。食べないでくださいます?」
「食べないよ!」
気の抜けるやりとりである。危険といわれる地底の妖怪相手ですらこれなのだから、我が相棒はもはや妖怪「妖怪たらし」とでも呼ぶべきなのかもしれない。
ともかく、そんな話をしている間に中心街に辿り着く。通りがかった妖怪にヤマメさんが声をかけ、「勇儀さん、どこいるか知らない?」と尋ねると、「ああ、さっき旧都の外に出てったよ。例の風穴の方」との返事。
「あー、てことはパルスィんとこね。りょーかい」
「パルスィって、最初にここに来たときに通った橋にいた橋姫ですよね?」
「そう。あいつは旧都の住人じゃないんだけど、勇儀さんは何かと気にかけて様子を見に行ってるんだよ。近所の野良猫に餌やりに行くみたいな感じなのかね」
「あら、妖怪も野良猫に餌やったりするの?」
「地霊殿の主だって大量のペット飼ってるだろう?」
それもそうだ。
「ところでヤマメさん、確認してなかったけど、地上まで送ってもらえるのよね?」
「ん? ああ、あんまり大っぴらに地上には出にくいから、地上の近くまでね」
「近くまでって……私たち飛べないんだけど、残りはあの風穴を自力で上れと?」
思わずそう問うた蓮子に、ヤマメさんは「ああ、そうだったかい」と頭を掻いた。
「じゃあ、ちゃんと地上まで届けてあげるよ。ちょっと乱暴になるかもしれないけどね」
にいっ、とヤマメさんは剣呑な笑みを浮かべ、私たちは思わずたじろいだ。
――地上に届ける乱暴な方法って、いったいなに?
第8章 地霊殿編 一覧
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更新お疲れ様です
こいしの発言が不穏ですね、何も無ければ良いですが…
地霊殿編は読んでいてハラハラする場面が多い分、蓮子の豪胆さが強く感じられます。
食べないよ!で笑ってしまったw
ヤマメ・・・土蜘蛛・・・蜘蛛・・・糸・・・柔らかくしなる・・・逆バンジーやな!(確信
こいしちゃんが蓮子を避ける理由がこの作品の根幹に関わる何かに繋がるのだろうか。
妖怪たらしだから逆に避けられてるのかな…。
次回も楽しみにしております。