東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第8章 地霊殿編   地霊殿編 第4話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第8章 地霊殿編

公開日:2017年09月23日 / 最終更新日:2017年09月23日


―10―


 旧都の中心を貫く大通りは、旧地獄街道と呼ばれているらしい。妖怪相手の商売をしているらしい店が軒先を並べ、活気のある声が飛び交い、行き交う妖怪たちもどこか陽気だ。地の底とは思えない明るさもあって、外の世界の夜の繁華街のようだった。
 そんな中を、私と蓮子はヤマメさんたちの後について歩いて行く。私たちが進むたびに、すれ違う妖怪たちが「人間だ」「人間?」「おいおい、なんで人間がこんなところに」みたいなざわめきを漏らし、視線がこちらに集中する。正直、いつ襲いかかられるかと思うと気が気でなく、私は相棒のトレンチコートにすがるようにしがみついた。
「おおいヤマメちゃん、なんだいその人間?」
「ああ、狂骨の旦那。縦穴から落っこちてきたのを捕まえたの。勇儀さんトコに連れて行こうと思うんだけど、勇儀さんどこいるか知らない?」
 狂骨であるらしい骸骨の妖怪がそう問うてきて、ヤマメさんが答える。狂骨はカラカラと骨を鳴らしながら、空洞の眼窩と骨の指を背後へ向けた。
「星熊の姐さんなら、さっき広場で喧嘩の仲裁してたから、そこで呑んでるんじゃないかい」
「あー、そりゃ間違いなく和解の宴会の最中だわ。あんがと」
 狂骨へひらひらと手を振って、ヤマメさんはまた私たちを促して歩き出した。その腕に抱えられた桶の中では、キスメさんが身を縮こまらせている。ヤマメさんいわく、「この子、人見知りだから」とのこと。いろんな妖怪がいるものだ。
 相変わらず向けられるいささか剣呑な好奇の視線に、怯える私の傍らで、相棒は好奇心丸出しできょろきょろと視線を彷徨わせている。まるっきり、去年人間の里を案内されたときの早苗さんと同じ姿だ。思えば私たちが幻想郷にやって来た当初もそうだったのだろうが――。
「想像してたよりも随分賑やかなところですねえ。人間の里の繁華街とか、中有の道とかと変わらないですね、雰囲気的に」
「どんな想像してたのさ?」
「いやあ、危険な妖怪が集められた場所って聞いてたので、もっとこう殺伐としたポストアポカリプスな感じの街かと。モヒカンが火炎放射器振り回してヒャッハーしてるような。ギターが火を噴いたりしてません?」
「なんだいそりゃ。確かに血の気の多い奴も大勢いるし、喧嘩は旧都の華だけど、四六時中命の取り合いなんかしてたら疲れてしょうがないじゃない。ただでさえ狭い地底だからねえ、みんな自分の好きなように生きてるだけよ」
「ははあ。その割には社会的な統率がとれてるような……商売が成立してるってことは貨幣経済があるってことです? それとも物々交換?」
「ここでの通貨はこれよ、これ」
 と、ヤマメさんが膨らんだスカートの中から取りだしたのは、水音をたてる徳利だった。
「酒?」
「そ。旧都じゃ何でも鬼が造る酒を基準に取引するの。品物や労働と引き換えに酒を渡す。味と量に相手が納得すれば取引成立」
 呑んでしまえる通貨とは、不思議な経済体系もあったものだ。さほど酒に強くない私は暮らせそうにない社会であることは間違いない。
「まあ何にしても、旧都での立場を決めるのは、最終的には本人の腕っ節よ。あんたの言うような殺伐とした状況になってないのは、結局一番強いのが鬼だからだろうね」
「というと?」
「そいつは――っと、ああ、あそこだね」
 と、ヤマメさんが指さした先で、何やらどんちゃん騒ぎが起こっている。建物の軒先に茣蓙を敷き、徳利と杯が並び、豪放な笑い声に、赤ら顔で歌って踊る影。どう見たって、すっかり皆が出来上がった宴会の光景だった。
「おーい、勇儀さーん」
 ヤマメさんが手を振ると、宴会の騒ぎの中からひとつの影がのそりと立ち上がった。艶やかな長い金髪が揺れ、からん、と高下駄が鳴る。じゃらりと手首の枷から下がった鎖が音をたて、私たちの眼前に立ったその影は――見上げるほどに背が高かった。二メートル近くあるのではないか。足元が十センチ以上ありそうな高下駄だが、それを差し引いても一八〇センチ以上はある。体操服めいた半袖の上着から伸びる腕はすらりとした筋肉質で、そして何より――。
 その額に、天を衝くかのように屹立する一本の赤い角が、彼女の種族をこれ以上なく明瞭に物語っていた。萃香さんの茶色い、少し捩れた角とはだいぶ印象が違うが、そのあたりはひょっとしたら本人の性格が反映されているのだろうか。
「おう、ヤマメにキスメかい。呑みに来た――にしちゃ、妙なのを連れてるね」
 赤い瞳を剣呑に細め、彼女――星熊勇儀さんは私たちを覗きこんだ。
「人間たあ珍しいね。それも二人も。どういうこったい?」
「いやあ、それがさ――」
 と、ヤマメさんが耳打ちし、勇儀さんは「萃香の?」と目を丸くする。ふうん、とひとつ唸った勇儀さんは、盃の酒をぐびりと呑むと、酒臭い息を吐いて私たちを見つめ――。
「名は?」
「あ、え、ええと」
「お初にお目に掛かります。地上の人間の里の住人、宇佐見蓮子と申しますわ。こっちは相棒のメリー。伊吹萃香さんと同じ、かつての山の四天王の星熊様とお見受けいたしますが」
「は、はじめまして……」
 臆することを知らぬ相棒が堂々と名乗る脇で、私もびくびくしながら頭を下げる。勇儀さんは頬を掻いて、ひとつ首を傾げる。
「星熊様たあ、懐かしい呼び名だねえ。確かに私は山の四天王の星熊勇儀だ。勇儀でいいよ。もう山には随分顔を出してないけどね――お前さんたち、萃香の知り合いだって?」
「ええ、地上で萃香ちゃんにはお世話になっておりますの。もともと、地上で霧になってた萃香ちゃんを最初に見つけたのは、妖怪の賢者を除けば私たちでして」
「萃香ちゃんん?」
 その呼び名に、勇儀さんは身を乗り出して目を剥いた。にとりさんといいヤマメさんといい、一様に同じ反応をされると、なんというかこちらも慣れて、やっぱりかという感想しかないわけだが――。
「す、萃香ちゃん……萃香ちゃん……くっ、くくくっ、あーっはっはっは! 萃香ちゃん! あの萃香を萃香ちゃんときたもんかい! それも人間が!」
 と、突然腹を抱えて笑い出した勇儀さんは、そのまま蓮子の肩を掴んで屈み込んだ。正面から蓮子の顔を見つめ、そして――その顔に、人なつっこい笑みが浮かぶ。
「なんだか知らんが、気に入った!」
 高らかに勇儀さんがそう宣言すると、周囲の妖怪たちが途端にざわつき始めた。「なんだなんだ?」「人間?」「姐御が認めたって?」「力比べもなしで?」「マジかよ」――どうやら、少なくとも相棒の方が勇儀さんに認められたのは間違いないらしい。
 鬼の思考回路はよくわからないが、一応推測すれば、萃香さんがちゃん付け呼びを許した相手であるのが事実ならば興味深い人間であるし、仮にハッタリであるとしても萃香さんの名前と容貌を知った上で鬼に対しハッタリを効かせる度胸は評価に値するということだろうか。
「よおし、人間! 宇佐見蓮子って言ったね。おおい、ヤマメ!」
「あいよー。人間に呑ませるなら鬼の酒じゃなくこっちにしときなよ、勇儀さん」
 勇儀さんが呼びかけると、ヤマメさんが茣蓙の上から空の大きな杯と中身の入っているらしい徳利を投げて寄越す。それを受け取った勇儀さんは、「座りなよ」と茣蓙にどっかりと胡座をかくと、徳利から杯にどぼどぼと酒を注ぎ、蓮子へ押しつけるように差し出した。
「地上で萃香がどうしてるのか、聞かせておくれよ。あいつ、あれから連絡のひとつも寄越さない薄情な奴だからねえ。――今日は駄目になるまで付き合ってもらうよ!」
「これはこれは、喜んでご相伴にあずかりますわ」
 茣蓙に腰を下ろし、杯を受け取った蓮子は、なみなみと注がれた酒をぐっと一気に呷った。ぷぁーっ、と飲み干した杯に息を吐く相棒に、「いい飲みっぷりだねえ! ますます気に入った!」と勇儀さんは破顔し、またなみなみと杯に酒を注ぐ。
「メリーも呑む? 美味しいわよ、このお酒」
「……ほどほどにしてよ」
 まあ、期待通りの展開になったと、ここは喜んでおくべきところなのだろう。
 私はため息をつきつつ、相棒の近くに腰を下ろすと、心もち小さい杯を探した。勇儀さんや他の妖怪にやんややんやとはやし立てられながら早いピッチで杯を干す相棒に注目が集まっているのをいいことに、ひとり手酌でちびちびと呑んでいると、私の横に近付いてくる影がある。振り返ると、桶に入ったキスメさんが、桶に半分隠れるように私を見上げていた。
「……ひょっとして、貴方も騒がしいの苦手?」
 私が声を潜めてそう問いかけると、キスメさんはこくこくと頷く。蓮子の方を見やると、ヤマメさんは勇儀さんと一緒になって盛り上がり、なにやら不思議な踊りを踊って喝采を浴びている。地底の人気者と自称するだけのことはあるのかもしれない。
 もう一度キスメさんの方を振り返ると、ばっちり目が合ってしまい、そして私たちはつられたように苦笑し合った。――どうやら私たちは、社交的な相方に振り回される引きこもり体質同士であるらしい。影の薄いこの釣瓶落としの少女に、初めて親近感が湧いた。
「一緒にちびちび呑みましょうか」
 私がそう言って盃を差し出すと、キスメさんはおっかなびっくりそれを受け取って、少し照れくさそうに笑った。――地底の危険な妖怪とは思えないほど、あどけない笑顔だった。




―11―


「ところで、なんでまた地上の人間が地底に来たんだい?」
 話が本題に入ったのは、蓮子が勇儀さんと呑み始めて二時間近く経ってからだった。その二時間の間に、相棒は毎度の人たらし・妖怪たらしスキルでするりと勇儀さんの懐に入り込んでしまったようで、私はちびちび酒を舐めながらそれを眺めているばかりである。一緒に呑んでいたキスメさんは、途中でヤマメさんに連れて行かれてしまった。他の妖怪は勇儀さんの手前か、私と蓮子のことは遠巻きにしているようである。
「人間が地底に来ちゃいけないって取り決めは、確かにしてなかったと思うけどね」
「いや、実はですね――」
 と、相棒が今日何度目かになる、博麗神社の間欠泉からの地霊出現について説明した。相当呑んでいるはずなのに、パッと見にはまったく酔ってないように見える蓮子は、相変わらずのうわばみっぷりである。まあ、明日は二日酔いだろうけど。
「地霊が地上に? そりゃ妙だね。地霊殿の連中がちゃんと管理してるはずなんだが」
「地霊殿?」
「旧地獄の中心、灼熱地獄の上に建ってるお屋敷さ。そこの連中が、閻魔から怨霊の管理を任されてるんだよ。間欠泉とやらも、灼熱地獄の熱のせいじゃないかい」
「ははあ。切り捨てられた旧地獄でも、灼熱地獄は現役稼働中ですか」
「あそこは地底のエネルギー源でもあるからね。――地霊殿から怨霊が漏れ出してるとしたら、地上の妖怪どもが文句をつけに来るかもしれないね。ちっと面倒なことになるか。しかしなあ」
 勇儀さんはぼりぼりと頭を掻いて、ひとつ首を捻る。
「地上との相互不可侵条約ってやつですか」
「ん? こっちとの取り決めが、地上ではそんな風に言われてるのかい」
「違うんです?」
「まあ、乱暴に要約すればそういうことになるんだろうけどね。要するに、危険な怨霊を地底に封じ込めて管理する代わりに、私らは地底で好きにしてていいって取り決めを、地上の妖怪と交わしてるんだよ。ここは私ら、地上の嫌われ者の楽園さ。今さら地上に興味はないね」
「はあ。でも、萃香ちゃんは地上に出てきましたけど」
「萃香は鬼の中でも変わり者だったからね。――相互不可侵条約なんて呼んだら大げさで、お互い自分の領分の中で好きにやろうや、って取り決め程度のもんだ」
「地底に追われた恨み、みたいなものはないんです?」
「恨み? まあ、そういう感情を持ってる奴も全くいないわけじゃないたあ思うが、どっちかといや、自分から地上に見切りを付けてこっちに来た奴が多いからね。今は地上に対して恨むほどの関心を持ってる方が少ないんじゃないかい」
「なるほど、なるほど。――ところで、その地霊殿というお屋敷について、もう少し詳しく伺いたいのですが」
「知りたがりだね。未知のものに恐怖より先に好奇心を抱く人間は好きだよ」
「それは光栄ですわ。危険な怨霊の管理がこの地底社会の存在理由なんですか?」
「地上から見ればそういうことになるだろうがね。あー、どこから説明したもんか。うーん、面倒臭い! おーい、ヤマメ」
 腕を組んで唸った勇儀さんは、近くで呑んでいたヤマメさんを呼びつけた。ヤマメさんはキスメさんの頭をぽんぽんと撫でると、「ほいほーい?」とこちらににじり寄ってくる。
「私ゃ長い説明は苦手だ。こいつに今の旧都の成り立ちについて説明してやってくれ」
「そんな丸投げされても。まあいいけど。じゃあ、このヤマメちゃんが知りたがりの人間に、地底社会の成り立ちについて説明してしんぜようぞ」
 蓮子の前に胡座をかいて、ヤマメさんはおほんとひとつ咳払いした。
 というわけで、以下はそのときのヤマメさんの説明の聞き書きである。

 ――改めてイチから説明すると、ここは元々は地獄の一部だったわけ。地獄はわかるよね。閻魔様から地獄行きの判決を受けた霊が落とされる場所。そういう霊は恨みやら憎しみやらに凝り固まって輪廻から外れた怨霊たちで、いろいろと危険な存在なわけね。
 そんな地獄が、経営のスリム化だかなんだかで引っ越したとき、放置されていったのが、今のこの旧都だってのは、さっき説明したよね。
 ただ、地獄もあれでけっこういい加減でね。引っ越しのときに、結構な量の怨霊を地底に放置していっちまったわけよ。だいたいは地獄に長く居すぎて、地獄の地縛霊みたいになっちまった怨霊らしいんだけど。そういうのが、この旧地獄に封印されてたわけ。
 そこで、えーと百年ぐらい前か。地上に例の大結界とかいうのが出来る頃に、勇儀さんたち妖怪の山の鬼が、地上に見切りをつけて、この地底に引っ越してきた。で、ついでに地上で嫌われた妖怪たちを地底に受け入れることにしたわけ。私やキスメもそれでこっちに移ってきた口ね。そうやって地底に集まった妖怪が、今の旧都を作っていった。
 で、地上で嫌われた妖怪ってことは、まあ自慢じゃないけど私ら土蜘蛛みたいに、鬼以外にもそれなりに強い妖怪がいろいろいるわけよ。地上の妖怪がその力を恐れて、妖怪の賢者とかいうのが鬼と交渉して、今の取り決めを作った。のよね? 勇儀さん。
 旧地獄に残った危険な怨霊を地上に出さないこと。それを守る限り、地上の妖怪は地底に手出ししない。そういう取り決めが為されたわけ。
 で、じゃあ地底の誰がその怨霊を管理するのかって話になるわけよ。
 怨霊がなんで危険かっていうと、怨霊って邪悪な精神の塊なわけよ。だから、うっかり取り憑かれると精神を乗っ取られて、元に戻れなくなる恐れがある。人間も妖怪も変わらずね。
 腕っ節でどうにかなる相手じゃないから、鬼だって怨霊には迂闊に手出しできない。そこで、閻魔が怨霊の管理者に任命したのが、地霊殿に住んでる、サトリの妖怪の古明地さとり。
 サトリは知ってる? そう、他者の心を読む妖怪。こっちが考えてることを勝手に見抜いてべらべら喋るから、旧都でも嫌われてるんだけど、その能力が怨霊の管理にはうってつけだったわけね。怨霊すらもサトリ妖怪は避けて通る。だからサトリ妖怪が睨みを利かせているところから、怨霊は出てこられないってわけ。
 そんなわけで、地底の怨霊は灼熱地獄にまとめて封印されて、地霊殿の古明地さとりが管理してるはず。だからそれが地上に出てくるってのはおかしな話なわけよ。
 ん? 地霊殿の他の住人? 動物のペットがいろいろいるよ。火焔猫とか地獄鴉とか。火焔猫のお燐は火車だから、うっかり死体と間違われて連れ去られないように気を付けた方がいいよー。下手すると灼熱地獄の燃料にされちまうからね。

「以上、黒谷ヤマメちゃんの地底講座でした。何か質問は?」
「はーい。てことは、旧都的には地霊殿が怨霊をちゃんと管理してないっていうのは大問題なわけですよね。様子を見に行った方がいいのでは?」
 手を挙げての蓮子の発言に、ヤマメさんと勇儀さんが顔を見合わせる。
「そりゃまあ、そうだがね」
「気乗りしないんですか? 勇儀さんならサトリ妖怪に心を読まれたところで疚しいことなんてひとつも無いと思いますが」
「当たり前だよ。だけどまあ、慌てる必要もないだろうさ」
 と、勇儀さんはまた盃にどぼどぼと酒を注ぎながら、にかっと陽気に笑う。
「いいかい人間、地底じゃね、鬼の宴会よりも優先されるべきことなんてのは無いんだよ」
「ははあ、それは大変失礼いたしました」
 敬服のポーズをしてみせ、「ほれ呑みな」と注がれる酒を、蓮子は畏まって杯に受ける。どうやら、この宴会がお開きになるまでは、私たちは自由に動けないらしい。
「ところで蓮子。お前さんたちは、怨霊の件を私たちに警告するために地底に来たわけじゃないんだろう?」
「ええ、そもそも縦穴に落っこちたのも偶然でして。せっかくの機会なので、地底見物をして行きたいと思っておりますわ。もちろん、噂の地霊殿や灼熱地獄とやらも」
「物好きな人間だね。だが、嫌いじゃない」
 蓮子の言葉に、にっと笑った勇儀さんは、「おお、そうだ」と不意にぽんと手を叩いた。
「お前さん、地上の情報をいろいろ持ってるわけだ」
「ええまあ、地上に暮らしてますから」
「なら、お前さんに紹介したい妖怪がいる。この地底の私ら以上の古株で、地上の情報を欲しがってる妖怪だ。地底見物のついでに、そいつらに会ってみないかい」
 その言葉に、私たちは目をしばたたかせた。




―12―


 宴会はさらに二時間以上続いたところで、鬼のペースに耐えきれず酔い潰れる妖怪たちが続出したところでなし崩しにお開きとなった。相棒もさすがに、ヤマメさんの地底講座の後で限界が来たようで、私の膝の上でぐったりとして呻いている。
「人間にしちゃ、なかなかいい呑みっぷりだったよ。また呑もうじゃないか」
 勇儀さんはご機嫌の様子でそう誘っているが、酔い潰れてグロッキー状態のときに呑みに誘われて喜べる人間はそうおるまい。相棒はなんとか引き攣った笑みを返して、「うえええ」と怨霊のような呻き声を発した。せめて私の膝の上では吐かないでほしい。
「そういえば、そっちのお前さんは――」
 と、それまで完全に私の存在をスルーしていた勇儀さんの視線が、不意に私へと向いた。
「妖怪の賢者の親類かい?」
「よ、よく言われますけど、ただの人間です……」
「ほおん。あんまり呑んでないようじゃないか。鬼の酒が呑めないかい?」
「あ、いえ、そんな……」
「これ勇儀さん、あんまり人間相手に無理強いするもんじゃないよ。呑んでる最中の様子からして、そんなに呑めない人間なんだろう?」
「え、ええ、体質的にそれほどは……もう充分いただきました」
「なんだい、酒が呑めないのかい? つまらんねえ」
 どうやら酒が呑めない相手には全く興味がないらしく、勇儀さんはぷいと私から視線を逸らした。私の呑める量など、鬼からすれば呑んだうちには入らないだろうし、できれば無視してもらえた方が私の精神衛生的にもありがたいので、私は心の中だけで安堵の息を吐く。
「すみません、ヤマメさん」
「気にしなさんな。キスメの相手しててくれたお礼だよ」
「……キスメさんは、釣瓶落としですよね?」
「そう、見ての通り。普段は井戸の中に引きこもってて、人見知りなんだよ。なんかあんたには親近感覚えるみたいだね。あの子が人間に好印象持つとは珍しい」
 私も引きこもり体質なので、通じ合うものがある。
「でも、だからってあんまりキスメに気を許しすぎない方がいいよ?」
「え?」
「ああ見えても、あの子だって地上で恐れられてここに来た妖怪だからね。油断してたら取って食われるよ。生身の人間なんてそれこそ百年ぶりかもしれないしね」
「……ヤマメさんは?」
「私? そりゃもちろん、私にだって気を許しちゃ駄目だよ。私も土蜘蛛なんだからね」
 と、ヤマメさんは不意にその瞳を金色に光らせて、私の顎を持ち上げるように指先で触れた。
「まあ、あんたたちが勇儀さんに気に入られてるうちは食べないから、安心おし」
「……は、はあ」
 心臓に悪い。早いところ相棒に復活してもらって、妖怪の関心を一身に引きつけておいてもらいたいが、蓮子はまだ私の膝の上で唸っていた。これでは地霊殿とやらに案内されても使い物になるまい。
「そういえば……勇儀さんが言っていた、地上の情報を欲しがってる妖怪って?」
 話題の接ぎ穂に困って、私がそれを問うと、「ああ」とヤマメさんはひとつ頷いた。
「そいつは……まあ、後で説明するよ。向こうもいろいろややこしい事情持ちらしくてね」
「はあ――」
 結局、肝心なところは説明されないままらしい。と――。
「おおい、星熊の姐御! ちょっと来ておくれ!」
「うん? なんだい、何の揉め事だい?」
「いやあ、向こうでまた妙な悪さをしてる奴がね」
「今度はなんだい、全く」
 呼びかけられた声に、勇儀さんが息を吐いて立ち上がった。
「すまんね、地霊殿の件はまた後で、だ。ちょいと様子を見に行ってくるよ。ヤマメ、蓮子とオマケのことはとりあえずお前に任せていいかい」
「はいよ。いってらっしゃい、勇儀さん」
 旧都のまとめ役らしく、また何かの揉め事の仲裁に駆り出されていく勇儀さん。それを手を振って見送り、ヤマメさんは私たちの方を振り向いて、ひとつ苦笑した。
「じゃあ、そいつが復活したら、先にあいつらの方に案内するよ」
「あいつら?」
「地上の情報を欲しがってる奴らのことさ」

 水を飲ませてしばし休ませると、ようやく蓮子も少し復活してきた。「うー、頭痛い。メリー、よしよししてー」と抱きついてくる相棒に肘鉄を食らわせると、「うぎゃー」と相棒は仰向けに倒れこみ、「何やってんだい」とヤマメさんが苦笑留。
「それだけ元気が戻ったなら大丈夫そうね、蓮子」
「うー、大丈夫じゃないわよ……萃香ちゃんで慣れてるつもりだったけど甘かったわ……」
「調子に乗ってハイペースで呑むからよ」
「歩けるなら、酔い覚ましに歩かない? ついでにあいつらのところに案内するよ」
 ヤマメさんが立ち上がり、キスメさんに「キスメも行く?」と呼びかけた。桶の中でこくんと頷いたキスメさんを「オーケイ」と桶ごと持ち上げて(ダジャレか?)、「それじゃあ、行こうか」とヤマメさんは勝手に歩き出してしまう。私は、まだふらついている蓮子を起き上がらせて、肩を貸すようにしながらその後を追いかけた。
「うっぷ。メリー、もっと優しく運んで。お姫様抱っことかで」
「脳みそシェイクするわよ」
「あ、それ今はガチで勘弁……うう、ヤマメさん、どこ向かうんです?」
「血の池地獄さ。たぶん、あいつはあそこにいるだろうからね」
 旧地獄街道から道を外れてしばらく進むと建物が途切れ、また薄暗いトンネルの中に入り込む。『八つ墓村』に限らず洞窟探検は古き良き探偵小説の華であるが、はてさて、どんな宝物が待ち構えているのか。こんな地の底で屍蝋化したりだけはしたくないものだ。
 すぐ前を歩くヤマメさんの背中も見えなくなりそうなほどに暗いトンネルを進むうちに、つんと鼻をつく匂いが漂ってきた。隣の相棒が吐く息の酒臭さではない。もっと生臭い――強烈な血の匂い。「うえ」と相棒が口元を押さえ、私も思わず鼻と口を手で塞いだ。
 ほどなくトンネルを抜け、また視界が軽く開ける。トンネルよりもだいぶ明るいその空間には、しかし濃密な血の匂いが充ち満ちて、嗅覚がおかしくなりそうだった。
 何より――黒と灰色ばかりの地底の光景の中に、一箇所、何かの冗談のように赤く染まっている場所がある。それが、広く赤い池だということが、咄嗟に理解できない。それほど、作り物めいた光景だったからだ。モノクロ加工された映像の中で一部だけ赤く色づいている、あれが目の前に現実の光景として展開されているような、強烈な違和感が、血の匂いとともに現実感を揺るがせる。これが血の池地獄。地上の人間には、見ているだけで頭がおかしくなりそうだ。死者と妖怪の世界なのだから、それが当然なのかもしれないけれども。
「……いないかな? おーい」
 ヤマメさんが誰かの姿を探して視線を巡らせ、声をあげる。――と。
 血の池地獄の非現実的な赤のほとりに、ひとつの白い人影が浮かび上がった。
「あ、いたいた。あれだよ」
 ヤマメさんがその影を指さし、そちらへ向かって歩き出す。私も蓮子を引きずるようにしてその後を追った。嗅覚はとっくに麻痺して、この非現実的な光景にもようやく目が慣れる。そうすると、血の池のほとりに腰掛けているその人影が、徐々にはっきりした輪郭を伴って、私の視界に立ち現れてきた。
 ――それは、セーラー服姿の、黒髪の少女だった。血の池のふちに腰掛け、素足を赤い水の中に浸し、ぱちゃぱちゃとかき回している。ひどく無感情な表情のままで。
 私たちの足音に、セーラー服の少女がゆっくりと振り返った。
 白い足を血に浸して、緩慢にこちらを見つめる少女の目には、この世の何も映っていないように、私には見えた。

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この小説へのコメント

  1. 【業務連絡】
    いつもお読みいただきありがとうございます。作者です。
    秋例大祭の原稿が現在修羅場のため、来週は一週お休みさせていただくかもしれません。
    『こちら秘封探偵事務所』を今後もよろしくお願いします。

  2. キスメとメリーか……いいね
    キスメリという新しい可能性を見た

  3. セーラー服姿の黒髪の少女…( `・ω・) ウーム…一人しか思い浮かばない…
    キスメとは気が合いそうだ(*´ω`)

  4. 文章からでも伝わる勇儀様の威圧感…
    最後に登場したのは鵺でしょうか

  5. 蓮子の懐柔能力高いですね。鬼をも恐れぬ普通の人間と聞かれれば真っ先に蓮子の名前を挙げるでしょうね。
    次回の更新、いつまでもお待ちしております。

  6. そっか、まだ星蓮船前だから…
    次回が楽しみです。いくらでも待ってます!

  7. いつも楽しく読ませていただいています。
    無理をしない程度に頑張ってください。

  8. 最後は村紗のみなみっちゃんでしょうね。
    星蓮船以前は地底にいた筈ですし。

    さとりは先に説明が入るのですね。
    知らずに(地霊殿に)行って吃驚!みたいな事になるかと。

  9. キスメとちびちび呑むメリーやヤマメに顎クイされるメリー、ああ可愛いなあ…
    次回は星蓮船メンバーとの邂逅を経て、ついに縁起上の主犯がいる地霊殿突入ですね!楽しみに待ってます。

  10. 作製お疲れ様です~キスメの可愛らしい表情が想像(妄想)ではありますが、見えましたwさとり・お燐・お空の登場が待ち遠しいです

  11. 今回の謎はなんだろうか。
    「なぜ閻魔は怨霊を地獄に大量に残していったのか」は気になる。
    さとりを信用していたからなのかも知れないけど、「人間だろうが鬼だろうが効く」ものをならず者の集まりである地底に置いて行ったら、悪用される可能性もあるのに

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