東方二次小説

こちら秘封探偵事務所第8章 地霊殿編   地霊殿編 第10話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第8章 地霊殿編

公開日:2017年11月11日 / 最終更新日:2017年11月10日

―28―


 物理現象として、高く放り投げられた物体は、最高点に達した瞬間から重力に引かれて落下し始める。その上昇から落下へ切り替わる瞬間、上下運動の速度はゼロになり、落下に伴ってまた加速し始めるわけだ。つまり物体を高いところに投げ上げる場合、最高点と投げ上げる高さが近いほど、投げた物体が着地した際に受ける衝撃は小さくなる。
 縦穴の中途から外へと放り投げられた私たちは、最高点付近で穴を飛び出し、降り積もった雪の上に投げ出された。さらに雪がクッションとなって衝撃を受け止め、肉体的にはほとんどノーダメージである。ヤマメさんのコントロールに、私たちは感謝すべきなのだろう。しかし逆バンジージャンプは心臓に悪すぎるので、できれば二度と体験したくない。
「ぶはっ」
 先に放り出されて埋まっていた相棒が、雪の中から顔を出して「つめたーい」とぶるぶると顔を振る。私も呻きながら身体を起こし、首筋から背中に入り込んできた雪の冷たさに変な声をあげてしまった。私も蓮子も、体中雪まみれである。
「あー、死ぬかと思ったわ。メリー、大丈夫?」
「誰のせいだと思ってるのよ。ああもう、靴の中まで雪が……」
 靴を脱いで中に入り込んだ雪を落としながら、私たちは縦穴を見やって息を吐く。一泊二日とは思えないほど、濃密な地底旅行だった。活気のある旧都、橋姫の緑の眼、灼熱地獄とその上のお屋敷――しかし、まだ終わってはいない。地霊騒ぎの真相究明はこれからだ。
「まあ、何はともあれ無事に地上に戻ってこられたわね」
「寿命が五年ぐらい縮んだ気がするんだけど」
「いいじゃない、幻想郷ののんびりした生活で延びたぶんだと思えば。さて、それじゃあ守矢神社に行かないと。うちの生徒たちにこいしちゃんについても訊いてみたいけど、まずは八坂様の動向を調べるのが先決ね」
 さっきまでの二日酔いはどこへやら、華麗に復活した相棒は、立ち上がって妖怪の山を振り仰ぐ。全く、その元気はどこから出てくるのか。私は靴をはき直して立ち上がり、白い息を吐いて相棒の肩を小突いた。
「その前に、慧音さんに外泊がバレてないことを心配した方がよくない?」
「あー、まあそこはそれ、大丈夫よ、寺子屋は休みだし」
 書き忘れていたが、慧音さんの寺子屋は冬場は休みが増える。理由は単純で、他の季節に比べて圧倒的にコストがかかるからである。出費としては主に教室の暖房に使う燃料費、労力的には寺子屋の敷地の雪片付け。何しろ寺子屋は慧音さんの私費で運営されているので、赤字を垂れ流せないという切実な現実がある。
 ついでに言えば、雪片付けに駆り出されて授業を休む生徒も増えるのだ。寺子屋の生徒は比較的裕福な商家の子が多いので、どうしてわざわざ裕福な家が子供にまで雪片付けを……と最初は疑問に思っていたが、雪が積もると里の男手はまず道路の除雪に駆り出されるのである。除雪用の重機などあるはずもなく、そのうえ道が広い人間の里では、主要な道路の除雪には人手がどれだけあっても足りない。結果、家に残った女子供の手で家周辺や屋根の除雪をすることになり、大雪が降ると場合によっては午前中一杯が雪片付けで潰れてしまう。
 かくして諸々を勘案すると冬場に無理して毎日寺子屋を開ける必要性は薄いという結論になり、雪が降り出すと寺子屋を開ける日数は半減する。昨日今日も連休で、だから私たちも気兼ねなく地底を探検していたわけだ。
 閑話休題。ともかく、まずは里まで雪道を歩いて帰らなくてはならない。この縦穴から里まではけっこう離れているので、まずそれが難儀だ。魔理沙さんでも通りかからないかしら、と私は白い息を吐きながら空を見上げ、
 魔理沙さんではないけれど、別の魔法使いが下りてきた。
「……貴方たち、こんなところで何やってるの?」
 アリス・マーガトロイドさんである。上空から雪の上にふわりと降り立ったアリスさんは、思い切り訝しげに私たちを見やる。と、そこへさらに「あら、まさか昨日からずっとそこにいたの?」と別の声。雪の上を滑るように現れたのはパチュリーさんだ。
「パチュリー、どういうこと?」
「昨日、この二人が地底について調べたいっていうから、ここに案内したのよ。地底に下りる方法は見つけたのかしら?」
 アリスさんの問いに答えて、パチュリーさんは私たちにそう問うた。蓮子は頭を掻き、
「いやあ、というか、さっきまで地底に行ってましたの」
「……は?」
「昨日、あの後でうっかりこの穴に落っこちまして。まあ、それでいろいろ興味深いことが判明しましたので、こうして戻ってきました次第で」
「詳しく聞かせてもらえる?」
 パチュリーさんが半眼で蓮子に詰め寄ってくる。蓮子は両手を挙げ、「そりゃまあ語るに吝かではありませんが、私たちの地底大冒険を詳しく語り始めたら時間がいくらあっても足りませんわ。それより――」とパチュリーさんとアリスさんを交互に見やり、
「おふたりがこんなところで顔を揃えているということは、地霊の件に調査に、魔理沙ちゃんを地底に送りこむ算段をつけた、その下見ということではないですか?」
 蓮子のその言葉に、ふたりが虚を突かれたように顔を見合わせる。その反応に、蓮子は我が意を得たりとばかりに笑みを浮かべた。
「やはりそうですか。――とするとさて、秘封探偵事務所としてはどうしたものか」
「どうしたもこうしたも、そもそも貴方が私に依頼しろと迫ったんじゃないの。自分たちに地底を調べさせろって」
「いやまあその通りなんですが、報告にはもうちょっと地上での追跡調査が必要でして。あと数日お待ちいただけます?」
「地底に行ってきたんでしょう? だったらその中間報告で構わないわよ」
「そう言われると弱いのですが――ふむ。パチュリーさんたちが魔理沙ちゃんを地底に送りこんでくれるのでしたら、我々としてはその方が都合がいいんですよねえ」
「都合?」
「まあ、有り体に申しますと、地霊の件の原因のいる場所には、霊夢ちゃんや魔理沙ちゃんのような実力者でないと辿り着けなさそうということでして。私たちは残念ながらその手前で引き返してきたんですわ」
「……つまり首謀者の手前までは行ったのね? 詳しく」
「それを語るには余白が足りませんわ。たぶん私がここで長々と冒険談を語るより、魔理沙ちゃんに直接潜らせた方が早いと思いますの。私たちが地底の重要妖怪に地霊の件を話してありますから、その件だと伝えればそちらの話も早く済みますわ、たぶん」
「――要するに、報告する気はないということね?」
 じろりと睨まれ、蓮子は「いやあ申し訳ありません」と頭を掻く。
「報告するにしても、どうもあまり単純な話でもありませんで。どこぞの吸血鬼のお嬢様のように、暇潰しに異変を起こしてみた、というような類いの異変ではないようなのですわ。ですから慎重な対応が求められるわけでして。ただ、そうですね――私から言えるのは、そもそも原因に近い妖怪をとっちめれば、とりあえず事態は終息するとは思うんですけども」
「それ、いつも霊夢がやってることじゃないの。どのへんが慎重な対応なの?」
 アリスさんが呆れ顔で口を挟む。「ですから複雑なんです」と蓮子は肩を竦めた。
 と、そこへ不意に雪を掻き分ける足音が近付いてくる。魔理沙さんかと思ったが、彼女なら箒に乗って飛んでくるだろう。誰だろう、と視線をそちらに振り向けると、
「うおーい、待っておくれよう……ひゅい!? げげ、伊吹様のご友人様!?」
 なんと、雪を蹴散らして走ってきたのは河童の河城にとりさんである。アリスさんとパチュリーさんは魔法使い同士だからまだわかるが、どうしてにとりさんが現れるのだ。
「あら、にとりちゃん。どうしたの?」
「え、あ、いやあ、神社から間欠泉が出たって言うから、地底に何か未知のエネルギー源がありそうな気配だもんで、魔理沙をけしかけて地底に潜らせようと思って――そしたらここの魔女たちに捕まったんだよお」
「あらら。パチュリーさん、にとりちゃんを捕まえて何を?」
「目的は一緒のようだから、協力してもらおうと思ったのよ」
「ひゅいい」
「要は地底に潜る魔理沙に常にコンタクトを取るために、河童製の通信機を使わせてもらおうってこと。魔法で通信するにしても、魔力の糸を繋げるためのデバイスは必要だから」
 アリスさんが補足し、蓮子は納得した顔で頷いた。
「ははあ。魔理沙ちゃんが魔法を撃つのに八卦炉を使ってるようなものですか」
「そういうことね」
 何のことかと言うと、魔法の行使にはその魔法の用途に合わせたデバイスがあると簡便であるという話だ。たとえば魔理沙さんは光の魔法を使うわけだが、何もないところから放つより、八卦炉のような光を放つ主体となる物体があった方がやりやすいのだという。魔法の行使とは魔力によるイメージの具現化だから、イメージを仮託できるデバイスがあると補助になるということのようだ。浦飯幽助が霊丸を撃つときに右手を銃の形にするのを想定すればわかりやすい。何のことか解らない人は守矢神社で『幽☆遊☆白書』を借りて読むと良い。
 今回パチュリーさんとアリスさんがにとりさんを引き込んだのも、地底に送りこんだ魔理沙さんとの通信回線を保つために、《遠くと会話できる》というイメージを仮託できるデバイスとして、河童製通信機を利用しようということらしい。
 ともかく。
「うおー、この下が地底かあ」
 縦穴を覗きこんで感嘆の声をあげるにとりさんに、蓮子が「穴の淵、崩れやすいから気を付けてね」と声を掛ける。それで落ちた本人が言うのだからシャレにならない。
「まあいいわ。どうせ貴方たちを頼りにしていたわけではないし」
 パチュリーさんがため息混じりにそう言って、アリスさんを振り返る。
「妖怪の賢者の許可は取ったし。あっちはあっちで霊夢を送りこむみたいだから、こっちも急がないと。アリス、この役立たずの探偵を里に追い返しておいてくれる?」
「ええ? どうして私が」
「ここから地霊が出てる気配はないし、ここの下見はもう充分よ。あとは魔理沙を連れて来ればいいだけ。それより、そこの河童の通信機と貴方の人形を組み合わせて、どのくらいの距離まで魔法で通信できるか確認しておきたいから」
「……はいはい。じゃあ貴方たち、里まで送るわ」
 白く息を吐いて、アリスさんは私と蓮子の手を取る。
「これはかたじけないですわ。でも、アリスさんはどうして地底の調査に?」
「あの神社の近くの間欠泉、あそこに行くと人形が狂うのよ。湧きだしてる地霊のせいだと思うんだけど。あんな間欠泉があちこち噴き出したら大変だと思って。どうしようかと思ってたらパチュリーが動いてたから、協力することにしたの」
 言いながら、アリスさんは私たちを抱えるようにしてふわりと浮き上がった。
『アリス、聞こえる?』
「はいはい感度良好。じゃあ、ちょっと里まで飛んでくるわ」
『行ってらっしゃい』
 アリスさんが小脇に抱えた人形からパチュリーさんの声。そのまま、私たちはアリスさんに抱えられて、冬の冷たい空気の中を一路、里へ向かって飛んでいった。




―29―


 幸いにして慧音さんに外泊はバレていなかったようで、私たちは無事に自宅へと帰り着いた。とはいえ寒い家の中に入っても、科学世紀の暖房のようにすぐに暖かくはならない。それだったら――というわけで、自宅の脇に佇む守矢神社の分社に蓮子が声をかける。
「八坂様ー、いらっしゃいますかー?」
「だから分社を電話代わりにするんじゃないよ。早苗を呼ぶかい?」
 呆れ顔で八坂神奈子さんがその場に姿を現す。電話網のない幻想郷で、この分霊システムはまこと便利だ。分霊システムについては私たちの過去の事件簿を参照されたい。
「いえいえ、今日は八坂様に直接のご用件が」
「ほう、何かしら」
「――灼熱地獄の鴉に与えた力について」
 にやりと蓮子がそう切り出すと、即座に神奈子さんの顔が強ばった。
「……その話、どこから聞いてきた?」
「実は先ほどまで、ちょいとばかり地底に行っておりまして」
「地底に? 誰とだい。まさかお前さんたち二人だけで行ける場所じゃないだろう」
「いやあ、落っこちたんです。物理的に。それでいろいろ見物した結果、地霊殿地下の灼熱地獄で八坂様の暗躍を小耳に挟みまして」
「……つくづくわけのわからない人間だねえ、お前さんたちは」
 呆れ顔でため息をつき、「いいだろう」と腰に手を当てて神奈子さんは私たちを睨む。
「この件はまだ早苗にも詳しく話してないんだけどね。知られちまったんじゃあ仕方ない。変に隠し立てしたら痛くない腹まで探られそうだしね。特に蓮子、お前さんには」
「お褒めにあずかり恐縮ですわ」
「褒めちゃあいないよ。感心はしてるがね。――今から話すのは、お前さんたちの口の堅さを信頼しての話だ。まだ極秘プロジェクトだからね、他言無用で頼むよ。特に天狗には」
「畏まりましたわ」
 一礼する蓮子に、神奈子さんは困ったように目を細めた。

 そんなわけで、以下は我が自宅で火鉢を囲みつつ聞いた話である。
「お前さんたちも知っての通り、私ら守矢神社の目下の目的は幻想郷での信仰を得ること。山の神である私と諏訪子が広範な信仰を得るには、豊かな大地の恵みをもたらすにしくはない。そのために私たちは、外の世界の技術を導入して、幻想郷に農業改革をもたらすことを目指している。ただそのためには、やはり先立つもの、即ちエネルギー資源が必要だ。何しろ電気もないからね、ここは」
「先日、早苗ちゃんが発電に成功したと言っていましたが」
「ああ、山に大きな滝があるだろう。あの水力を利用したごく小規模なものだよ。近々簡単なデモンストレーションをやって、天狗の新聞記事にでもしてもらおうと思ってるんだが、本命はそれじゃあない」
「と言いますと?」
「――外の世界の言葉で言えば、核融合炉だ」
 完全なるオーバーテクノロジーな単語に、私たちは顔を見合わせる。
「幻想郷の言葉に変換すれば、八咫烏の力ってことになる」
 神奈子さんは得意げに笑って、「そんなの可能なのかって顔してるね」と言った。
「そう狐につままれたような顔をしないでおくれ。要は表現の問題なんだよ」
「表現の?」
「そう。科学も妖怪も、世界を理解するための言語という意味では本質的に同じものだ。科学の言語における熱核融合と、幻想の言語における八咫烏の力は、どちらも同じものを指していて、表現の仕方が違うだけなんだよ」
「ははあ。たとえば《音の反射》と表現しても《妖怪の仕業》と表現しても、どちらも同じ《山彦》という現象を指し、それそのものに違いはない――ということですかね」
「そういうことだ。太陽の化身である八咫烏の力は、即ち太陽のエネルギーであり、科学で記述すれば核融合エネルギーということになる。私があの鴉に与えたのは、その力だ。蓮子、お前さんは物理系だったね。太陽のエネルギーを生成する陽子―陽子連鎖反応って言えば解るんじゃないかい」
「いやいやいや八坂様、ちょっと待ってください」
 片手を挙げて、蓮子は唖然とした顔で八坂様に詰め寄る。
「幻想郷で科学世紀の物理法則が通用しないのには慣れましたけども、それはいくらなんでも、あまりに無茶苦茶では――って、もしかして、だから灼熱地獄なんですか?」
「そう、だから灼熱地獄なんだよ」
「いやでも、いくら灼熱地獄でも五十億℃はないでしょう」
「そこで外の世界の物理法則に囚われちゃあいけないね」
 文系の私には、何の話なのかわからない。後で蓮子に聞いてみたところ、太陽で起こっている核融合を地球上で再現するには五十億℃という超高温の維持が必要なのだそうだ。
「いいかい蓮子。確かに幻想郷も基本的には外の世界と同じ物理法則で動いている。だが同時に、この世界には外の世界では幻とされた力が生きている。かく言う私自身がその類いなんだからね。そして、その幻の力は外の世界の物理法則や科学の論理に優先する。だから人間が空を飛ぶし、神や妖怪が大手を振って存在できるわけじゃないか」
「――――」
「八咫烏は太陽の化身、その司る神の火は太陽のエネルギー、すなわち核融合。これは幻想郷においては、外の世界のあらゆる物理法則に優先される定義であり力なんだよ」
 立ち上がりかけていた蓮子は、酢を飲んだような顔をしてすとんと腰を下ろした。
「八咫烏の力が太陽の力であるということは大前提であり、それは外の世界で核融合を成立させるあらゆる物理的条件に優先して成立する……と」
「そういうことさ」
「――なるほど。そうよね、物理的な不可能性でいえば時を止めたり次元に干渉する能力者がいるんだから、核融合を操る能力があったっていいわよね……」
 思うに、核融合という言葉が時間操作や運命操作ほどぶっ飛んでおらず、外の世界の科学と地続きだっただけに、未だ外の世界の科学的認識が抜けきらない蓮子は混乱したのだろう。
「……で、八坂様はエネルギー資源の確保のために、灼熱地獄の鴉に八咫烏を食べさせて、核融合を操る力を与えたわけですか」
「そう。地下に大きな熱源があるのは、山に神社を構えた頃から察していたんだ。最初は火山のエネルギーかと思っていたが、微妙の位置がずれている。調べたところ、灼熱地獄跡地らしいと聞いてね。旧地獄には危険な妖怪が封じられているとも聞いて、それなら八咫烏の力を操れるような妖怪がいるんじゃないかと、ちょっと掘ってみたわけさ」
「それで、おくうちゃんに出会った――と」
「あの地獄鴉に会ったのかい?」
「いえ、そのお友達からお話を聞いただけですけど」
「ああ、あの火車の猫か。おくうに何するんだい、って言って突っかかってきたね」
「……おくうちゃんに無理矢理食べさせたんですか?」
「いやいや、ちゃんと本人の了解は取ったよ。まあ、どこまで理解していたかは知らないが」
 それは詐欺なのではないだろうか。
「どうして、おくうちゃんを選んだんです?」
「灼熱地獄で見かけた中では一番見込みがありそうだったからだよ。頭は弱そうだったが、あの灼熱地獄に永く生きて、亡者の屍肉をついばんで力を取り込んできた地獄鴉だ。制御の方法さえ巧く仕込めば、八咫烏の器になれると私は踏んだ」
「制御の方法?」
「そう、そこが問題だ。一羽の鴉に、核融合のエネルギーをどうやって制御させるか。ここで問題なのは、当然だけど外の世界の科学の論理じゃない。この幻想郷の論理だ。極端に言ってしまえば、あの鴉に、自分は八咫烏の力を制御できる、という確信を与えればいいと私は踏んで、そう仕込んだ」
「……幻想郷は、認識が力を持つ世界ですからね」
「そういうことだね。しかし、ただ根拠のない自信だけを与えてもいささか心もとない。だから私は、あの鴉に核エネルギーの制御のシンボルを与えることにした」
「シンボル? 核融合の制御のシンボルなんて――」
 目をしばたたかせた蓮子に、神奈子さんはいたずらっぽく、
「――制御棒だよ」
 半笑いで、そう言った。――蓮子の目が点になった。




―30―


「いやいやいやいやいや、それは核分裂反応に使うものでしょう!」
 立ち上がった蓮子に、神奈子さんは笑って、「だから認識の問題なんだよ」と言った。
「要はあの鴉が、『それで核融合の力を制御できる』と理解し納得できていればいいんだ。あの鴉に核分裂と核融合の違いなんてわかりゃあしない。制御棒で核融合を制御できるって言って本人が納得すれば、この幻想郷では制御棒で核融合が制御できるんだよ」
「そ、そんな無茶苦茶な――」
 へなへなと座り込む蓮子に、私は横で息を吐く。要はプラシーボ効果みたいなものだろう。外の世界でさえ思い込みが自分の身体に影響を及ぼすのだ。いわんや幻想郷をや。
「ま、そういうわけで私らは灼熱地獄の鴉に八咫烏の力を与え、核融合によるエネルギー資源の確保を目論んでいるというわけだ。例の鴉は諏訪子が見張ってるが、今のところ巧く核融合の力を制御できているようだから、安心してくれていいよ。そもそも太陽の核融合はクリーンなエネルギーだからね。放射線も放射性廃棄物も出さない未来のエネルギーだ」
 そう言われるとちょっと胡散臭いなあ、と傍で聞いている私は思う。相棒は頭を抱えるようにしながら何度か唸り、「だとすると……」と呻いた。
「八坂様、博麗神社の近くに間欠泉が出たことは……?」
「聞いている。八咫烏の力の影響かね」
「では、そこから地霊が湧き出ているのは」
「それも聞いているが――うん? それは私らの計画と、何か関係があるのかい」
 ああ、と私は合点する。お燐さんのことは、神奈子さんたちの目にはそもそも入っていないのだ。その存在は認識していても、自分たちの計画を揺るがすような存在だとは一切思っていない。いや、そもそも今までの話からすると、地獄鴉そのものも――。
 となれば、諏訪子さんが見張っているというのもあくまで八咫烏の力そのものが対象であって、その力を手にした当人が何を企んでいるかはまた別だとすれば。
「……八坂様。そちらの企みのせいで、幻想郷が侵略の危機に瀕していると言えば、こちらの話は信じていただけますかしら?」
 蓮子の言葉に、神奈子さんはきょとんと目をしばたたかせた。

「……そんなことになっていたのかい」
 一泊二日の地底旅行で判明した事実を蓮子が伝えると、神奈子さんは腕を組んで唸った。
「あの鴉が強大な力を手に入れて多少調子に乗ることは織り込み済みだったが――地上侵略を企むとまでは予想外だねえ。いやはや」
 拳でこつんと自分の頭を叩き、神奈子さんは苦笑する。
「で、あの火車がその危機を地上に伝えるために怨霊を解き放ったと」
「ええ。妖怪の賢者やパチュリーさんたちが既に動いているようですから、おそらく一両日中にも霊夢ちゃんと魔理沙ちゃんが地底に送りこまれるのではないかと」
「まあ、それ自体は構わないんだが。博麗の巫女がどうこうしたところで、あの鴉が飲みこんだ八咫烏の力を除去できるわけじゃないからね。むしろ、その火車の考えている通り、とっちめて大人しくさせてくれるなら、こっちとしても都合がいいぐらいだ」
「悪巧みがばれますよ?」
「別にやましいことをしているわけじゃない」
「地上と地底の不可侵条約はどうなるんですか」
「私は妖怪じゃあないかしらね。妖怪同士の協定なんざ、神だから知ったこっちゃない」
 ひどい詭弁である。妖怪の賢者やらはそれで納得してくれるのだろうか。
「じゃあ、この件は守矢神社としては静観、というか放置すると?」
 若干咎めるような口調で蓮子が言うと、神奈子さんは目を細めて蓮子を見やり、
「ははあ。蓮子、お前さんたちは私たちに地獄鴉を止めて欲しいわけか。あの火車に頼まれて、鴉から八咫烏の力を除去させるよう談判に来たってところかね?」
「――まあ、端的に言えばそういうことになります。お燐ちゃんは調子に乗ったおくうちゃんが地底に迷惑をかけて、ご主人様である古明地さとりちゃんの不興を買って処分されてしまうことを恐れておりまして」
「なるほど」
 ひとつ頷いて、神奈子さんは頬杖をついて首を傾げた。
「そりゃまた、友達想いの妖怪もいたもんだね。まあでも、少なくともその火車は心配のしすぎだね。本人にそう言ってやるといい」
「――と言いますと?」
「仮に例の地獄鴉が地上侵略を本格的に目論んで実行に移そうとしたところで、私と諏訪子が交代で見張っているから、地上に出てくる前に阻止するよ。私らにもその程度の力はある。そうでなかったらこんな計画は立てやしないさ」
 なるほど、確かにその程度は織り込み済みでなければ、こんな計画は危なっかしすぎる。
「いえ、どっちかというとお燐ちゃんが心配しているのは、地上が本当に侵略されるかどうかというより、それがご主人様の不興を買うことなんですがね」
「ご主人様っていうと、あの屋敷の主のサトリ妖怪だろう? その心配もないと思うがね」
「え?」
 神奈子さんの思わぬ言葉に、私たちは顔を見合わせる。
「八坂様――さとりちゃんに会っているのですか?」
 蓮子のその問いに、神奈子さんは心外だという顔で鼻を鳴らした。
「当たり前じゃないか。灼熱地獄の上に建っているあの屋敷の主が、今の灼熱地獄の管理責任者なんだろう? 私たちの目的は、八咫烏の核融合エネルギーの確保。成功すれば灼熱地獄の熱量も増える。それなら、管理責任者に話を通さないわけがないだろう?」
「……じゃあ、さとりちゃんはおくうちゃんが八咫烏を食べたことを知っているんですか?」
「当然だよ。計画の責任者として、私がちゃんと話を通したからね」
 神奈子さんの答えに、蓮子は愕然とした顔でがりがりと頭を掻いた。
「ってことは――」
 不思議そうな顔をする神奈子さんの前で、蓮子は呻くように呟く。
「なんてこと……この異変、もう一回イチから考え直さないといけないわ――」

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この小説へのコメント

  1. 早苗さんのサブカル布教が順調ですなぁ、メリー達が何気なく使ってる比喩で使われる頻度がw
    以前ならミステリーで喩えてただろうに

  2. 神奈子様は蓮メリよりも過去の時代から幻想郷に来て、それにまだ日も浅いのに科学と幻想郷の力の利用がとてもお上手。さすが神様ですね。 分社を電話がわりに使うシーンはいつ見てもクスッと笑えます♪

  3. 改めて守矢神社の信仰獲得活動は活発だなあと思いました。色んな可能性は使うに限る。前向きな思考ですね。
    次回が楽しみです。

  4. 蓮子がツッコミに回る話は初めてじゃないですかね
    読んでいて面白かったです

  5. お空→暴れようとしている異変の張本人
    神奈子→お空が暴れようとしていることを初めて知った
    お燐達ペット→何も事情を知らないから大慌て
    勇儀→何も事情を知らない
    地底の住民→何も事情を知らない
    さとり→八咫烏のことを知っている。その気になればお空の野心も見抜ける
    こいし→???

    あれ?何で勇儀には話通さなかったんだろ?

  6. 追記

    仮に霊夢達が異変に敗北しなければ、仮に蓮子達が動かなければ、『さとりは事情を聞いている』という事実は闇に葬られていたってことかな?
    つまり一番黒いのは…

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