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こちら秘封探偵事務所第8章 地霊殿編   地霊殿編 第1話

所属カテゴリー: こちら秘封探偵事務所第8章 地霊殿編

公開日:2017年09月02日 / 最終更新日:2017年09月02日

地霊殿編 第1話


―1―


 怨霊異変について語る前に、まずは、ある出会いについて語っておきたい。東風谷早苗さんが我が探偵事務所の非常勤助手となった後、夏の地震騒動の前のことだ。
 その日、私たちは守矢神社に遊びに行っていた。早苗さんの部屋にあった物理学系の本を肴に、蓮子と早苗さんが理系トークに花を咲かせるのを、文系である私はお茶菓子をつまみながら聞くともなく聞いていたのだが――。
「……あら、誰か来たみたいですね」
 不意に早苗さんが顔を上げて言い、私たちは目をしばたたかせた。
「メリー、何か聞こえた?」
「ううん、何も」
「ああ、別に音が聞こえたわけじゃないです。神奈子様から、来客だって知らせが」
「テレパシーか何か?」
「神様からの託宣ですよ」
 随分と日常的な託宣である。インターホン代わりでは、ありがたみもあったものではない。
「どなたですかね? ちょっと出てきますね」
 立ち上がり部屋を出ていく早苗さんを見送り、蓮子は私の方を振り返ると、例によって猫のような笑みを浮かべた。そのこころは「誰が来たのか確かめに行かない?」であることは、口に出されるまでもなく以心伝心、よっぽどこっちの方がテレパシーである。私はため息をついて、「止めたって行くんでしょ?」と視線だけで伝えると、相棒は頷いて立ち上がった。
 まあ、私としてもこの山の中の守矢神社に誰が来るのかはちょっと気になる。おおかた天狗か河童だとは思うが、ただその場合は八坂様が直接応対するのではないか。八坂様が早苗さんを出迎えにやったということは、馴染みの天狗や河童ではないのかもしれない。
 そんなわけで、私と蓮子も部屋を出て、足音を忍ばせつつ社務所兼住居の建物を出る。建物の陰から表参道を見ると、鳥居のところで早苗さんが誰かと立ち話をしている。
 私たちにも、見覚えのない顔だった。八雲藍さんを少し思わせる道士服を身につけ、赤毛の髪にふたつのシニョンキャップをつけた女性。何より特徴的なのは、二の腕から指先まで真っ白な右腕だった。長手袋でもつけているのだろうか。
 参拝客なのかそうでないのか、ともかく早苗さんは「ご案内します」とでも言うように、その来客の女性を促して振り返り、そこで私たちに気付いて「あら」と目を丸くする。私たちは肩を竦めて、参道に歩み出る。
「おふたりとも、待っててくださって良かったのに」
「いやあ、職業的好奇心というやつよ。参拝客さんかしら?」
「あ、いえ――何でも、この山に住んでいる仙人さんだそうで」
 早苗さんが視線だけでその女性を振り返る。と、女性はにこやかな笑みを浮かべて、私たちの方に歩み寄ってきた。――その姿が近付いて、私は彼女の右腕が、長手袋ではなく一面包帯でぐるぐる巻きにされていることに気付く。怪我でもしているのだろうか?
「こちらの神社の方かしら?」
 私と蓮子を見やって、その女性はそう尋ねた。
「いえ、私たちは人間の里の者ですわ。はじめまして、里で《秘封探偵事務所》を営んでおります、所長の宇佐見蓮子です。こっちは相棒のメリー。早苗ちゃんとはお友達ですの」
「あ、ええと、はじめまして」
「はじめまして。私は茨華仙といいます。仙人と名乗るほどでもない、ただの行者ですわ」
「いばらかせん、さん?」
「華仙と呼んでいただいて結構ですよ」
 華仙さんはそう言って微笑み、それから神社の境内をぐるりと見渡す。
「しかし、これはまた立派な神社だこと」
 神楽殿に歩み寄り、大きな注連縄を見上げて、華仙さんは目を細める。
「いつの間に、山にこんな神社ができたのかしら」
「え、もう結構前ですけど……」
「あら、そう? 山に籠もって修行していると、時間感覚がなくなるのよね」
「仙人様にとってはつい最近のことではないかと思いますわ」
 首を傾げた早苗さんに、横から蓮子がフォローする。早苗さんが「去年ですよ?」と蓮子に耳打ちし、相棒はそれに「歳をとると時間の経過が速くなるのよ」と肩を竦めてみせる。
「体感時間は相対的なものだからね。五歳児の一年は人生の五分の一だけど、五〇歳になると人生の五十分の一。相対的に体感時間は十分の一になるというわけ。まして仙人を名乗るような人だと果たして何年生きているやら」
「ははあ、だから歳を取ると大昔のことをつい最近みたいに言い出すんですね。神奈子様や諏訪子様、大正時代のこととかついこの前のことみたいに話しますからねえ」
「そこ、何をこそこそ話しているの?」
「いえ、なんでもございませんわ」
 笑って誤魔化す蓮子に訝しげな視線を向け、それから華仙さんは早苗さんに視線を向ける。睨むようなその視線に、早苗さんは少したじろぐように身を引いた。
「貴方――」
「は、はい、なんでしょう?」
「外の世界の人間ね? この神社も、外の世界から来たんでしょう」
「わ、わかるんですか!?」
「簡単な推測よ。天狗が山のこんなところに人間の神社の建立を許すとは思えないし、この規模の神社の建設が行われていたらさすがに私も気付いたはず。ということは、この神社は天狗の許可なく山に現れた――つまり、神社ごと結界を越えて幻想郷にやってきたんでしょう? 目的は、こっちで失った信仰を取り戻すこと、というところかしら?」
 早苗さんは目をまん丸に見開いて、蓮子に駆け寄って揺さぶった。
「れ、蓮子さん! 名探偵ですよ! ホームズですよホームズ! まずいです、探偵事務所の危機ですよ!」
「どうどう、早苗ちゃん。別に名探偵が二人いちゃいけない道理はないでしょう?」
「はっ、そうでした! コナン君には平次がいますし、はじめちゃんには明智警視がいますもんね!」
 勝手にひとりで納得し、「仙人探偵ってあります?」と早苗さんは私に振り返る。貴族もいれば神様もいるし、妖怪探偵だってあったと思うが、さすがに私も文字通りの意味での仙人が探偵のミステリは読んだ記憶がない。仙人めいた探偵なら色々いるけれど。
「なんだか知らないけれど、まあいいわ。せっかくだから、参拝させてもらえるかしら?」
「あっ、はい! どうぞこちらへ」
 早苗さんに促され、華仙さんは参道を歩き出す。私たちは顔を見合わせ、どうせだからとのこのこ、その後ろについていくことにした。
 ――とはいっても、それ以上は特に何事もあったわけでもない。華仙さんは礼儀正しく守矢神社を参拝したあと、姿を現した神奈子さんと挨拶を交わしていた。何を話しているのかは、ふたりとも声を潜めているのでよく聞き取れない。
「さて、それじゃあ私はそろそろ失礼するわ」
 神奈子さんとの話を切り上げて、華仙さんはそう言うと、空を振り仰ぐ。――と、そこへ飛来したのは、一頭の大鷲だった。黒い翼を大きくはためかせて舞い降りてきた大鷲へ、ひらりと地面を蹴って、華仙さんはその脚に掴まって宙に浮き上がる。おおー、と早苗さんが目を輝かせた。
「あ、仙人さん! どちらにお住まいなんですか?」
「ここから西へ上った七合目のあたりよ。遊びに来るならご自由に。それじゃあ、また」
 早苗さんの問いに答えると、ひらりと身を翻して鷲の背中に飛び乗り、華仙さんは飛び去って行く。
「山に住んでるの、天狗や河童だけじゃなかったのねえ」
「妖怪の領域だから、仙人の修行にはちょうどいいんじゃない? 俗世から離れてて」
「ブン屋さんから聞きましたけど、山彦や山姥も住んでるらしいですよ」
 私たちはそんなことを言い合いながら、華仙さんが飛び去った先を見つめる。相棒は何か気にしているように、しきりに帽子の庇を弄っていた。
「どうしたの、蓮子」
「んー、あの仙人さん、何者なのかと思ってね。右腕の包帯も気になるし」
「あれはきっと忌呪帯法ですよ! あれを解くと邪王炎殺黒龍波を放てるんです!」
「守矢神社が山に現れたときにあれだけ大騒ぎした天狗が、あの仙人さんが山の上層に住むのを認めてるってことは、大物なのかもしれないわね」
 なるほど確かに、天狗が自分たちの領域を侵されることを極端に嫌うことは私たちも身をもって実感していることだ。とすれば、案外彼女は元々天狗だったりするのかもしれない。
「スルーしないでくださいよぉ。まさか幽遊白書が忘れられてるわけじゃないですよね? どうなんですかメリーさん!」
「え? いやまあタイトルは知ってるけど、私たちにとっては百年近く前の作品だから……マンガ史の古典教養ってところかしら」
「古典教養ですか! いや、私もリアルタイムで読んでたわけじゃないですけど、なんか改めてジェネレーションギャップですね……」
 そりゃまあ、早苗さんと私たちは本来生きている時間が八十年近く違うわけであるからして、早苗さんから見て八十年前となると昭和が始まった頃である。ジェネレーションギャップが生じない方がおかしい。
「じゃあ、お二人とのジェネレーションギャップを埋めましょう! 幽白は全巻ウチに揃ってますから読んでください! 面白いですよ! スラムダンクも揃ってますよ!」
 そう言い募る早苗さんに、私たちは顔を見合わせて笑い合った。

 そんなわけで、早苗さんにいろいろと読まされたり見せられたりした結果、前世紀末から今世紀はじめ、要するに一九八〇年代から二〇〇〇年代前半のサブカルチャーに対する知識が増えた私たちであった。と言っても守矢神社にあるぶんだけなので、サンプルに偏りはあるかもしれない。
 ちなみにマンガが好きなのは早苗さんよりもむしろ諏訪子さんの方なのだとか。科学世紀の神様はマンガも読むしゲームもするのである。早苗さんたちと初めて出会ったころ、神奈子さんが神様の性質を説明するのにゲームに例えたのは、たぶんそのへんの影響なのだろう。




―2―


 さて、話は怨霊異変の少し前へと戻る。雪も降りだした冬のことだ。
 私たちへのサブカルチャー布教に成功したことで気をよくした早苗さんは、私たちのみならず、幻想郷の住民にも布教を試み始めていた。で、その餌食になったのが誰かというと――。
「なんだこりゃ?」
「携帯ゲーム機というものです!」
 早苗さんが手にしているのは、折りたたみ式のゲーム機だった。それを覗きこんだのは、魔理沙さんとアリスさん、そして私と蓮子である。
 場所はいつものごとく、博麗神社。例によって遊びに来ていた魔理沙さんと、たまたま訪れていたアリスさんに、早苗さんが話のタネに持って来たゲーム機を見せびらかしているところである。なお、霊夢さんは萃香さんに絡まれていてそれどころではなさそうだった。
「早苗ちゃん、これってニンテンドーDSだっけ?」
「違いますよー。ゲームボーイアドバンスSPです」
「香霖堂で見たのとはだいぶ違うな。もっと縦長でゴツい感じじゃなかったか?」
「あ、それたぶん初代ゲームボーイですね」
「外の世界の玩具なんですって? どういうものなの?」
 興味深げに覗きこむアリスさんの前で、早苗さんはゲーム機の電源を入れる。液晶にレトロなドット絵が浮かび上がり、魔理沙さんたちと私たちはそれぞれ違う意味で感嘆の声をあげた。私たちにしてみれば、この時代のゲーム機は博物館もので、実物が動くのを見たことはほとんどないという意味で。そしてもちろん、魔理沙さんたちは初めて見るものだろう。
「どうなってんだ、これ?」
「面白いわね。投影型のグリモワールみたいなものかしら。随分と像が粗いけど」
「ただ映像が映るだけじゃないですよー。動かせるんです!」
 早苗さんがゲーム機のボタンを操作する。画面の中のキャラクターが動き、「おおー」と魔理沙さんが歓声をあげた。そりゃまあ、幻想郷にテレビゲームはないだろうから、魔理沙さんたちにしてみれば正体不明のびっくり箱みたいなものだろう。
「ソフトを入れ替えることで、いろんなゲームが遊べますよ」
「グリモワールというより、魔道具の類いかしらね」
「どういうことだ?」
「貴方の八卦炉みたいなものよ。このソフトがスペルカードで、こっちがそれを発動するデバイスってこと」
「おお、なるほど。なあ、魔法のゲームはないのか?」
「魔法のゲームですか? それならRPGですかねえ。ちょっと古いソフトですけど、やっぱりこれですよね、これ」
 と、早苗さんがカートリッジを差し込んでゲームを起動する。画面に表示されたタイトルは、私たちも知っているものだった。家庭用ゲーム機黄金時代の名作ゲームは、私たちのいた科学世紀にも廉価に遊ぶことができたわけで、素朴なゲームはその素朴さ故に長い寿命をもつのだ。
「ドラクエ3!」
「ゲームボーイカラー版です」
「お、何か始まったぜ」
 オープニングデモを経て、有名なテーマ曲の流れるタイトル画面へ。「というわけで、勇者がお父さんの後を継いで魔王を倒す旅に出るゲームです」と早苗さんが言うと、魔理沙さんはちょっと渋い顔をして「親父の後を、ねえ……」と呟いた。
「まあいいや。どうやるんだ?」
「えーと、このボタンがこうで、こう……とりあえず名前入力しますね。勇者さなえで」
「あら、何か始まったわよ」
「あ、最初の性格診断ですね。性格でステータスの伸び方が変わります」
「ほーん。私の性格を当てられるものなら当ててみろ」
「魔理沙ぐらい解りやすい性格してたら、ゲームにも当てられるでしょうね」
 携帯ゲーム機の小さな画面を三人で覗きこんで、早苗さんと魔理沙さんとアリスさんがドラクエに興じるのを、私と蓮子は肩を竦めて眺めた。ドラクエは時代を超えるが、博麗大結界も越えて幻想郷の住民をも魅了するとは、まこと堀井雄二は偉大である。
「あいつら、何やってんの?」
 萃香さんの絡み酒から解放されたらしい霊夢さんが、三人でがやがやとドラクエを遊ぶ早苗さんたちを見て不思議そうに首を傾げた。
「ところで早苗ちゃん、電源大丈夫なの?」
 蓮子がそう問いかけると、早苗さんは「もーまんたいです!」とサムズアップ。
「実はこのあいだ、小規模ながら、山で発電に成功したんですよ。なので神社で電化製品が一部ですが使えるようになりました。充電もできます!」
 早苗さんの言葉に、私たちは顔を見合わせる。――充電ができる?
 ということはだ。この幻想郷に来てから無用の長物と化し、長年部屋の片隅に押し込まれていた私たちの携帯電話とモバイルが復活するということではないか? いや、復活したところでどうせ携帯電話は繋がらないし、モバイルもウェブから切り離されてしまっているのに変わりはないので、現状の生活に役立つかというと疑問が残るが……。
「早苗ちゃん、発電に成功したってどうやって」
「おい、これ何をどうすればいいんだ?」
「まずはルイーダの酒場で仲間を集めるんですよ! 戦士、武闘家、魔法使い、僧侶、商人、盗賊、遊び人の中から選べますよ。名前もつけられます」
「当然、魔法使いだぜ」
「盗賊の間違いじゃないの?」
「盗賊強いですからオススメですよ」
「お、そうなのか?」
「じゃあ魔理沙さんが盗賊でアリスさんが魔法使いですね。魔法使い二人はさすがにバランスが悪いですからねえ」
「何やってんのよあんたたち。なにこれ?」
「あ、ちょうどいいですね。霊夢さんを僧侶にしてパーティに入れましょう」
「こら、なんだかわかんないけど勝手に決めるな!」
 蓮子の質問は明らかに耳に届いていない。私たちはただ肩を竦めた。

 結局、早苗さんのゲームボーイアドバンスSPは魔理沙さんに貸し出されることになったらしい。「魔理沙に貸したら死ぬまで返ってこないわよ」とアリスさんは言うが、早苗さんは「大丈夫です、ウチに返してもらわないと充電できませんから」と笑う。
「おーいアリス、お前死んじまったぜ」
「勝手に殺すな! ああもう、ちゃんと回復しなさいよ」
「いけると思ったんだがなあ」
 勇者さなえ、盗賊まりさ、魔法使いアリス、僧侶れいむのパーティは果たして魔王バラモスを倒せるのか、それは私たちの関知するところではない。




―3―


「あやや、守矢神社の発電機構の話ですか?」
 早苗さんから発電について詳しいことを聞きそびれた私たちは、翌日に運良く里で射命丸さんを捕まえた。寒い中、白い息を吐きながら新聞を配っている最中だったらしい射命丸さんは、私たちの問いに渋い顔をする。
「それに関しては近いうちに記事にまとめる予定なんですよねえ。この段階で話してしまってはせっかくのスクープが台無しです」
「ダメですか?」
「もっと大きなスクープがあるというなら交渉に応じないでもないですが」
「メリー、何かない?」
「私に聞かないでよ」
「そもそもおふたり、あの風祝と仲良しなんですから、直接訊いたらいいじゃないですか」
「いやまあ、そうなんですけど。幻想郷の住民に、発電という概念がどう受け取られているのかも気になるじゃないですか。テクノロジーは妖怪の天敵じゃないんです?」
「妖怪全てが科学技術を恐れるわけじゃありませんよ」
 万年筆の尻を顎に当てながら、射命丸さんはひとつ鼻を鳴らす。
「外の世界の科学が妖怪の敵たるのは、つまりその妖怪の存在の立脚点を崩してしまうからなわけです。とりわけ、原因不明の現象に名前と形が与えられたことで生まれた妖怪にとっては、その現象が別の形で説明されてしまうことが致命傷なわけですから。しかし、我々天狗や、河童のような妖怪は、必ずしも科学技術を恐れません。それは我々の存在そのものを脅かすものではないからです」
 だからこういう文明の利器を使うわけですよ、と射命丸さんはカメラを取りだしてみせる。確かに、芥川龍之介の『河童』でも河童はエンジニアだったが。
「もちろん、幻想郷が外の世界と同じく、科学的合理主義が妖怪を駆逐する方向に進んでしまっては大問題ですが、少なくともその心配はないでしょう」
「どうしてです?」
「主導しているのが守矢神社の神様だからですよ」
 ああ、と私たちは納得して頷いた。それはその通りだ。この頃の外の世界のような科学的合理主義を突き詰めていけば、神様だってその実存を否定されることになる。信仰を取り戻すために幻想郷に来た神奈子さんたちが、科学技術を幻想郷に広めるうえで、その点を考慮していないはずがない。自分で自分の首を絞めることになるわけだからだ。
「便利な科学技術と、我々妖怪が共存できるならば、それに越したことはありませんね」
 射命丸さんのその言葉は、外の世界の歴史を知る私たちには期せずして含蓄あるものとして響いた。二〇世紀的な科学的合理主義が、二一世紀になって行き着いたのは、結局その合理主義に対する反動であったからだ。科学は進歩するほど複雑化、高度化し、専門家以外には理解の及ばぬものになっていく。その結果、人は理解できないまま科学らしきものを信仰することによって時に騙され、結局理解できない科学に対する不信を深めていく。即ち科学そのものの宗教化という教訓にもならない笑い話だ。
 自分が理解しているものを理解できない人間のことを想像する、ということは極めて困難であるという無自覚な決定的断絶は、どこまでも科学的合理主義とそれに対する不信の溝を深めていった。それをどうにか橋渡ししていこうとしたのが二一世紀の霊的研究であり相対性精神学であったわけで、二一世紀が科学世紀と呼ばれるのは自虐的な意味合いも強いわよね――とは、科学的合理主義者である相棒の弁。他人の想像力の欠如を非難する者は、想像力の欠如した人間に対する想像力が欠如しており、つまり人間にはそもそも想像力など存在するのだろうか、というブラックジョークである。
 閑話休題。
「まあ、そういうわけですから、守矢神社の妖怪の山改革に関しては、天狗は基本的に協力的ポジションにあるとご理解ください。守矢とは友好条約を締結した立場ですからね」
 そう言って、ふわりと浮かび上がった射命丸さんは、そのまま「それでは」と飛び去ろうとして――不意に、東の空に視線を留め、「あやや?」と手を目の上にかざした。
「これは、ニュースの匂いがしますね!」
 と、何を見つけたのか、射命丸さんは勢いよく東の方角へ飛び去って行く。あちらは博麗神社の方角だ。地面に這いつくばる人間である私たちには、射命丸さんが空から何を見つけたのかはわからない。となれば、直接行ってみるしかあるまい。
「何かしらね? また異変かしら。行くわよ、メリー」
「また神社が壊れたんじゃないといいけどね」
 そんなわけで、私たちは射命丸さんを追って、博麗神社へと足を向けた。

 石段を駆け上がり、白い息を切らせながら博麗神社の境内に駆け込む。幸い、神社は無事のようだった。夏場に二度も壊れたばかりで真新しい博麗神社は、何事もなかったかのように沈黙している。はて、では射命丸さんは何を見たのか――。
 首を捻りながら境内の中を見て回っていると、不意に蓮子が「あ!」と大きな声をあげて空を指さした。私もその視線を追って――息を飲む。
 博麗神社の裏手に広がる林の向こう側に、うっすら白い煙が立ち上っている。
「火事かしら?」
「それにしちゃ煙が白すぎるわね。どっちかっていうと湯気?」
「湯気って……あんなところに温泉とかあった?」
「とにかく行ってみましょ」
 とは言っても、その白い煙の発生元に向かうには林を抜けるしかない。鬱蒼とした林にがさがさと分け入り、道に迷ったり野良妖怪に遭遇したりしないように祈りつつ進んでいくと――徐々に何か、刺激臭めいたものが鼻を突いた。
「……硫黄?」
「っぽいわね。これはますますもって」
「温泉!」
 まさか、博麗神社のこんな近くに天然の温泉が湧いているのか。林の草むらを掻き分け、薄く積もった雪を踏みしめて、硫黄臭のもとへ向かうと――間もなく林が途切れ、視界が開けた。草も生えていない土の地面には、雪もなく、地面から白く湯気が立ち上っている。
 そこに、霊夢さんと魔理沙さんの後ろ姿と、宙を舞う射命丸さんの姿がある。
「霊夢ちゃん、魔理沙ちゃん」
 蓮子が呼びかけると、ふたりは振り返り、「なんであんたたちまで来るのよ」と霊夢さんが眉を寄せ、「おー、いいところに来たな」と魔理沙さんは笑う。
「何事? この硫黄臭に湯気からだいたい想像はつくけど」
「ま、想像の通りだと思うぜ。――そろそろまた来るんじゃないか?」
 魔理沙さんが言い、湯気のたつ地面にまた向き直る。
 次の瞬間、そこから白い柱が立ち上った。間欠泉だ。上空の射命丸さんは噴出の瞬間を待ち構えていたようにカメラに収め、魔理沙さんは「ひゅー、壮観だぜ」と歓声を上げる。私たちもほう、と感嘆の息を吐いた。こんなところで天然の間欠泉が見られるとは。
「ふふふ……いいわね、間欠泉」
 と、何やら悪い笑みを浮かべているのは、霊夢さんである。
「間欠泉が出たってことは温泉が作れる。うちで管理すれば参拝客が集まって、入浴料も取れば賽銭とあわせて一挙両得……そうよ二回も神社壊されたんだから、このぐらいの役得はあって当然というものよ……ふふふ……これで家計を立て直せるわね……」
 ――夏場の二度の神社倒壊は、博麗神社の財政をかなり逼迫させたようである。ぐへへ、と博麗の巫女としてはいささか問題のありそうな笑みを浮かべて指折り狸の皮算用をしている霊夢さんに、私たちは顔を見合わせた。
「しかし、こんなところから温泉が出るとはねえ。この硫黄臭からすると、妖怪の山のマグマが原因の火山性硫黄泉みたいだけど……霊夢ちゃん、河童にでもそそのかされて掘ったの?」
「え? 掘ってなんかないわよ。勝手にいきなり噴き出してきたの」
「ええ? 何もないところに急に間欠泉ができることなんてあるのかしら」
 蓮子は帽子の庇を弄りながら眉を寄せる。
「この前の地震のせいなんじゃないの?」
「ああ、なるほど……それならあり得るのかしら」
 私の指摘に、蓮子はまだ釈然としないという顔で鼻を鳴らした。間欠泉が噴き出すには、地下で熱せられたお湯が地上に吹き出てくるための通り道が必要で、それがある日突然できるようなものでないということは私にもわかる。原因として考えられるとすれば、やはり夏場に博麗神社が倒壊したあの地震だろう。地震で地層にひび割れが生じ、そこから間欠泉が吹き出ていると考えればとりあえず納得はいく。
「原因なんてなんでもいいのよ。さーて、萃香に温泉作らせなきゃ。あ、それとも天子の方が適任かしら? ま、どっちでもいいか。これで賽銭もがっぽがっぽよ」
 おんせーん、と鼻歌交じりに踊る霊夢さんに、「捕らぬ狸の何とやらだぜ」と魔理沙さんが呆れ顔で肩を竦めた。みんな、思うことは一緒のようである。

 そしてもちろん、霊夢さんのその皮算用は、やっぱりただの皮算用だったわけである。
 間欠泉から噴き出してきたのは、温泉だけではなかったのだから――。

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この小説へのコメント

  1. 地霊殿編とうとう開幕!
    秘封倶楽部はどういう経緯で地底へ行くのか?
    今回の異変に隠された真実は?
    色々と楽しみです。

  2. このタイミングで華仙が出るってことは華仙も今回の異変に関係してる?

  3. 人里から隔絶された世界へ名探偵とその助手を誘う案内人、今回は誰になることやら…
    浅木原先生による新たな東方地霊殿を目一杯たのしませていただきます!!

  4. くだ質で恐縮です。
    茨華仙って、【華扇】とも呼ばれてるのを見たことがあるのですが、色々な二次創作でピクシブタグやニコニコ関連でマチマチなのですが、正しい呼び方はあるのでしょうか。気になったので

  5. 皆様いつもコメントありがとうございます。励みになります。

    >ぞっこんさん
    本名が「茨木華扇」、仙人として名乗ってる名前が「茨華仙」です。
    基本的に華扇は他人に対して「茨華仙」と名乗っています。
    本作でのメリーは華扇の本名をまだ知らないため、
    本文では「華仙さん」と記述しています。

  6. 山姥の話が出てきて嬉しい。
    金太郎を育てたという話もありますから、すいかちゃんとの関係性も気になる所

  7. 楽しみです。そして地霊殿といえば今や東方projectで2番目の難易度、大丈夫だろうか

  8. >「おーいアリス、お前死んじまったぜ」
    >「勝手に殺すな! ああもう、ちゃんと回復しなさいよ」
    理由を上手く説明できないけどこの会話凄く好き

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